家事について

2008-06-07 samedi

関川夏央さんから『家族の昭和』(新潮社)を送っていただいた。
向田邦子、幸田文、吉野源三郎、鎌田敏夫らの描いた「昭和の家族」像の変遷を関川さんらしい静かで滑舌のよい文体でたどったものである。
私はひさしく関川さんの文章のファンである(だから本学の客員教授も三顧の礼を尽くしてお引き受け願ったのである)。
この本の中では幸田文について書いた部分が圧倒的におもしろかった。
それはここに登場する人々が器量と雅致をバランスよく身につけることを当然の「理想」としていたからである。
明治以降でも、能力や寛仁を尊ぶ価値観は続いたが、生活の中の風雅を悦ぶ習慣は失われた。
現代人にとって「風雅」はただの「金のかかる装飾」「社会階層差を強調する文化資本」以上のものではない。
けれども、明治の文人の家では風雅は具体的に、身体的に、日常の挙措のうちに生きられていたのである。
幸田文は父露伴に家事について徹底的な訓練を受けた「家事のくろうと」である。その消息を関川さんはこんなふうに書いている。長いけれどそのまま引用する。

「幸田文は女学校に入ってまだ間もない頃、父露伴に『おまえは赤貧洗うがごときうちへ嫁にやるつもりだ』と、むしろたのしげにいわれたことがあった。
『茶の湯活け花の稽古にゃやらない代わり、薪割り・米とぎ、何でもおれが教えてやる』
露伴は『薪割りをしていても女は美でなくてはいけない、目に爽かでなくてはいけない』と文にいった。鉈を使うにあたっては、『二度こつんとやる気じゃだめだ、からだごとかかれ、横隔膜をさげてやれ。手のさきは柔らかく楽にしとけ。腰はくだけるな。木の目、節のありどころをよく見ろ』という教えかたをした。
『横隔膜を下げてやれ』は『脊梁骨を提起しろ』と同じく露伴の口癖であった。それが『物事の道理に従う』姿勢であり、『美』と『爽かさ』におのずとつながる態度なのである。
雑巾がけを教えるとき、露伴はまず『水は恐ろしいものだから、根性のぬるいやつには水は使えない』と、文をおどかした。バケツに水を八分目用意すると、『水のような拡がる性質のものは、すべて小取りまわしに扱う。おまけにバケツは底がせばまって口が開いているから、指と雑巾は水をくるむ気持で扱いなさい、六分目の水の理由だ』といった。
露伴自身が実際に雑巾がけをやってみせたときの姿を、文は書いている。
『すこしも畳の縁に触れること無しに細い戸道障子道をすうっと走って、柱に届く紙一重の手前をぐっと止る。その力は、硬い爪の下に薄くれないの血の流れを見せる。規則正しく前後に移行して行く運動にはリズムがあって整然としてい、ひらいて突いた膝ときちんとあわせて起てた踵は上半身を自由にし、ふとった胴体の癖に軽快な身のこなしであった。』(『父・こんなこと』のうち『水』)(関川夏央、『家族の昭和』、新潮社、2008年、124-5頁)

露伴が教えた薪割り、雑巾がけの骨法はそのまま操剣の心得に通じている。
露伴は幕臣の子であるから、このような身体操作はその頃の武家の子どもたちの必修科目だったのであろう。
実用と美を身体操作の修練を通じて身につけるという教育法はまことに「手堅い」ものだ。
ここで露伴が教えようとしているのは、「主体」と「対象」の二項対立をどう離れるか、ということである。
どうやって身体と雑巾と板目を「なじませる」のか、どうやって身体と鉈と薪を「ひとつのもの」として操作するか。
雑巾がけが爽やかに、美しくできるようであれば、人間としてかなり「出来がよい」と判定できるという評価法が露伴の時代まではしっかり根付いていたのである。
私はこの評価法はつねに有効だと思う。
それは道具を介して「外界となめらかなインターフェイスを立ち上げる」という技術はきわめて汎用性が高いからである。
多田先生の剣杖の講習会では数時間にわたってひたすら剣と杖を振り続ける。
別にそれで筋骨を鍛えるとか、剣杖の動きを速くするとか、そういう計量的な目的のためにしているのではない。
木でできた道具を自分の身体の一部分のように感じ取るのがどれほどむずかしいことかを実感するために稽古しているのである。
「私」が「剣」を「揮っている」というふうに、主語と他動詞と目的語の構文でこの動作をとらえている限り、この反復練習はただの苦役である。
そんなことのために時間を費やしても意味がない。
私たちはそこに「私・剣複合体」が生成して、それが「動きたいように、動いている」という体感構造に身体の文法を書き換えるために稽古しているのである。
それが無意識のうちにできるようになれば、他のどのような「もの」と出会っても、私たちは一瞬のうちに、それと「融け合って」、自在に動きたいように動くことができるようになるはずである。
それが剣であっても、杖であっても、あるいは体術のように相手の身体であっても、雑巾であっても、鉈であっても、原理的には同じことである。
家事労働を「できるだけしないですませたい不払い労働」ととらえる風潮の中で、家事労働もまた万有と共生するための基礎的な身体訓練の場でもあるという知見は顧みられなくなった。
それでも関川さんが書いているように、今も幸田文の本が途絶えることなく読み継がれているのは、その家事労働についての知見が失われるべきではないという「常識」が私たちの間にまだかろうじて生き延びているからだろう。
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