終戦記念日に思うこと

2008-08-18 lundi

今日は木曜日だと思っていたら、金曜日だった。
一日スキップしてしまったらしい。
つまり、「前日および翌日と見分けがたい(がゆえに消失してしまった)一日」というのがこの三日間の間にとりあえず一日あったということである。
It’s just another day.
すばらしい。
代わり映えのしない日。
それこそが私が夢にまで見た夏休みである。
しかし、それも今日で終わりである(わずか三日で終わってしまった・・・)
今日は終戦記念日である。
『秋刀魚の味』のトリスバーでのラスト近くの対話を思い出す。

娘(岩下志麻)の結婚式の夜、友人たち(中村伸郎、北竜二)と別れて、ひとりでバーに立ち寄った平山(笠智衆)に岸田今日子のママが「あれ、かけます?」と坂本(加東大介)の好きな軍艦マーチのリクエストを促す。
平山(笠智衆)が黙って微笑むと、軍艦マーチが鳴り響く。
カウンターのサラリーマンの一人(須賀不二男)がラジオのアナウンスを真似て「大本営発表」と呟く。
すると、その隣で一人で飲んでいたサラリーマンが「帝国海軍は今暁五時三十分、南鳥島東方海上において」と続ける。
それを遮るように、須賀不二男が「負けました」。
「そうです。負けました」
二人はそのまま正面に向き直って、穏やかな顔でウイスキーのグラスを干す。

この場面は映画の前半で、最初に平山と坂本がトリスバーで交わす会話と対称となしている。

坂本「けど艦長、これでもし日本が勝ってたらどうなってたでしょうね。」
平山「さあ、ねえ」
坂本「勝ったら艦長、今頃はあんたも私もニューヨークだよ。パチンコ屋じゃありませんよ。ほんとのニューヨーク、アメリカの。」
平山「そうかね」
坂本「そうですよ。負けたから、今のわけえ奴ら、向こうの真似しやがって、尻ふって踊ってやすけどね。これが勝っててご覧なさい、勝ってて。目玉の青い奴らが、丸髷かなんか結っちゃって、チューインガム噛み噛み、三味線弾いてますよ。ざまあみろってんだ。」
平山「けど、負けてよかったじゃないか」
坂本「そうですかね。うん。そうかもしんねえな。バカな野郎が威張らなくなっただけでもね。」

私が子どもの頃、大人たちの会話には、「戦争に負けたんだから」という言葉が実にしばしば登場した。
生活の不如意も、行政の不手際も、文化の貧しさも、人心の荒廃も、あらゆることは「戦争に負けたんだからしかたがない」という言葉で説明された。
「戦争に負けた」というのは1950年代末までは、日本の「現在」を説明し、それ以上の議論を打ち切る「マジックワード」だったのである。
そして、おそらく当今の政治家や政治学者たちは誰も記憶していない(か、忘れたふりをしている)が、映画の中で笠智衆が口にする「負けてよかった」というのも、大人たちの口からふと漏れることのある言葉であった。
中にはそういう言葉を聴くと気色ばむ男もいたけれど、ホワイトカラーたち(彼らは一銭五厘の兵隊として、その10年前までは戦場にいた)は安堵の息とともに、そう言ったのである。
私がこういうことを書くと、激昂する人がいるだろう。
けれども、日本人がこの半世紀で失ったいちばん大きな社会的能力は「負ける」作法とたしなみである。
学校教育でも家庭教育でも「適切な負け方」については誰も教えない。
人々は「勝つ」ことだけを目的にしている。
どうやって勝つかというノウハウについては膨大な書物が刊行され、人々はそれを貪るように読んでいる。
けれども、私たちは勝ち続けることはできない。
日常的な出来事(恋愛とか受験とか就職とか起業とか)の場合、私たちの人生における「ここ一番」の勝率はまず1割台というところである。
それどころか、「生き死に」がかかったもっとも深刻な勝負についての私たちの生涯勝率はゼロである。
私たちは必ず死ぬからである。
「病む」ことや「老いる」こととも戦っている人がいるが、残念ながら、その勝率もゼロである。
「永遠の健康」も「永遠の若さ」も私たちは手に入れることができない。
ならば、勝ち方を研究するよりは、負けることからどれだけ多くの「よきもの」を引き出すかに発想を転換した方がいいと私は思う。
「勝たなくてもいいじゃないか」「負けてよかったじゃないか」という言葉を私たちはもうほとんど耳にすることがない。
けれども、日本人が勝つことにしか価値を見出さず、敗者には何も与えないというルールを採用したことで以前より幸福になったと私は考えない。
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