「著者様」と呼ばれて

2008-08-07 jeudi

とある進学教室から「著作物の無断使用についてのお詫びとお願い」という文書が届いた。
塾内教材として、これまで私の著作物を何度か使用していたが、「この度、他の著者様から著作物の無断使用についてご指摘をいただきまして、社内で調査致しましたところ、先生の作品を過去に無断で使用していた期間がございましたので、過去の使用についてご清算をさせて頂きたく、書類をお送りさせて頂きます」とあった。
6万円ほどの著作料が入金されるそうである。
何もしないで6万円いただけるのはありがたいが、何となく気分が片づかない。
何もしていないのに、そんな大金をいただく「いわれ」がないような気がするからである。
そもそも「著者様」というワーディングが「怪しい」。
なくてもいいところに「様」がつくときは眉に唾をつけることにしている。
何年か前から病院では「患者様」という呼称が厚労省の行政指導で導入された。
そのあとどういうことが起きたか。
ある大学病院の看護部長からうかがった話である。
「患者様」という呼称が義務づけられてから、

(1)ナースに対する暴言が激増した。
(2)無断外出、院内での飲酒など患者たちの院内規則違反が激増した。
(3)入院費を払わない患者が激増した。

そのようにして「医療崩壊」に拍車がかかった。
これは事実だろうと思う。
人間というのはまことに愚かな生き物だからである。
「様」と呼ばれると、とたんに増長して、自分が偉くなったような気になり、言わなくてもいいことを言い、しなくてもいいことをしたあげくに、自分で自分の首を絞めるのである。
だから、私自身は私のことを「著者様」と呼ぶ人間を信用しない。そのような呼び方を彼らに強制する「社会の雰囲気」を信用しない。それによってもたらされる「正しさ」も「利益」も信用しない。
この6万円はまるで「濡れ手で粟」の純利のように見えるけれど、こういうものをうかつに収受してしまうと、いずれ別の形でたっぷり「利息」をつけて回収されることになる。
私の経験はそう教えている。
私自身は繰り返し申し上げているように、自分の著作物からの引用は「無償で、ご自由に」という立場を取っている。
引用どころか盗用も剽窃も改作も、「ご自由に」である。
私の名前で自分勝手なことを書いて発表されては困るが、ご自分の名前で私のテクストの一部または全部を発表されるのはぜんぜん構わない。
私にはぜひみなさんに申し上げたいことがある。だから文章を書いている。できるだけ多くの人に、できるだけ多くの機会に申し上げたいことがある。
とても私ひとりでは手が回らない。
だから、他の方々が「私が言いたいこと」を私に代わって言ってくださるのは大歓迎なのである。
入試や模試の問題に採択されるということは、私の書いた文章を微に入り細を穿ち、眼光紙背に徹するまで読み通し、その意図するところを汲み取ることを義務として課されるということである。
受験生にとってははなはだ気の毒なことであるが、出題される私としては、私の「言いたいこと」をこれほど集中的に読んでいただける機会は求めて他に得られない。
もし、その中に私の微志に同意共感してくれる読者がいた場合、彼らはそのあと書店の書棚から私の本を手に取ってくれる可能性がある。
だから、入試問題や模試に出題されることを私は衷心から歓迎しているのである。
私の著作物を「本編」とすれば、塾内教材は「予告編」のようなものである。
こちらからお願いしていないにもかかわらず、「予告編」をばんばん打って、「本編」の宣伝をしてくれているのである。
「ありがたい」というのが私の率直な気分である。
だからもし予備校や進学塾から「ウチダさんの著作物を塾内教材に使ってあげたから、使用料払ってください」と言われたら、一回500円くらいならこちらからお払いしてもよいと思っているくらいである。
日本文藝家協会の方々の中はこんなことを言うと激怒される向きもおられるであろうが、暴言ご宥恕願いたい。
さらに言うが、著作物を有料頒布するのは、著作物が「商品」であるからではない。
有料頒布した方が、無料頒布するよりも、著作物の質的向上のためにも、流通や保存のためにも、あるいは著作者へのインセンティヴのためにも、「利益が大きい」と判断されたからこそ、「あたかも商品であるかのような仮象」をまとって存在しているのである。
だが、著作物はそもそも商品ではない。
商品はできるだけ多くの対価と交換されることを志向する。
だから、もし著作物が商品であるとするならば、「印刷された著作物をすべて即金で買い上げて焼却し、一冊だけ手元に残し、私ひとりがその世界で唯一の読者となりたい」というようなオッファーが示された場合に、これを断るロジックは存在しないことになる。
「著作物をできるだけ多くの読者の閲覧に供したい」と考えている人間なら、このようなオファーは一顧だにしないであろう。
「著作物をできるだけ多くの読者の閲覧に供したい」という願いと、「著作物からできるだけ多くの利益を回収したい」という願いは残念ながら、しばしば背馳する。
そのときにためらうことなく前者を選ぶことのできる人間を「クリエイター」だと私は考えている。
私は今回は黙って6万円を受け取ることにする。
これまでも予備校や問題集の出版社からもずいぶん大量の入金があった。
私はいずれこの「ツケ」を支払わされるときがくるだろうと思っている。
それは私個人にふりかかる災厄としてではなく、日本の出版文化の構造的解体という国民的災厄のかたちで私たちを襲うことになるだろう。
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