BlogNagayaLinkaGuestsColumnsBookMovieSeminarBudoPhotoArchivesProfile

« 2006年11月 | メイン | 2007年01月 »

2006年12月 アーカイブ

2006.12.01

どうして仏文科は消えてゆくのか?

かつては文学部の看板学科だった仏文科の廃止が続いている。
神戸海星女子大に続いて、甲南女子大も仏文科がなくなる。
東大の仏文も定員割れが常態化している。
理由はいくつかある。
英語が「国際公用語」の覇権闘争に勝利して、事実上のリンガ・フランカになったこと。
フランス自体の文化的発信力が衰えたこと。
文学についての知識や趣味の良さを文化資本にカウントする習慣が廃れたこと。
語学教育がオーラル中心にシフトしたこと。
などが挙げられる。
理由のうち最初の二つはグローバルな事情があってのことであるから、私どもが個人的にどうこうできることではない。
残る二つは本邦の事情である。
外国語教育をオーラル中心にすることの害については、これまで何度も書いてきたので、ここには繰り返さない。
本日は、文学についての教養が文化資本としての価値を失った経緯について考えたい。
教養が文化資本としての価値を失うとはどういうことか。
まず、「文化資本」の定義からもう一度確認しておこう。
「文化資本」は社会学者ピエール・ブルデューの用語で、階層差の指標であり、かつ階層差を拡大再生産するものをいう。
教養、知識、技能、趣味のよさ、ふるまいの適切さ、人脈、学歴などなどを文化資本に数えることができる。
文化資本には「生まれ育っているうちに自然に身についてしまったもの」(生得的な文化資本)と、「後天的に努力によって身につけたもの」(学習された文化資本)の二種類がある。
文化資本の秘密(つまり文化資本がどうして「資本」として機能するのか、その理由)は、それが「二種類ある」という原事実のうちに存する。
つまり、「それが自然に身についてしまった人」と「それを見よう見真似で習得しようとする人」のあいだの「わずかな、しかし決定的な違い」のうちに文化資本の資本性は存する。
文化資本というのは実在するものではない。
それは貨幣や威信や情報が実在するものではないのと同じことである。
貨幣はそれを「貨幣だ」信じる人が存在するときにのみ存在する。それを信じる人がいなければ、それはただの紙切れである。
威信もまたは内在的資質ではなく、二人以上人間がいて、一方が他方に対して威圧的であることが許されるということに両者が同意した場合にしか出現しない。
主観的に「私は偉い」と思っていても、相手がそれを承認しなければ、「キミ、し、失敬な。私を誰だと思っているんだ」と力んでも失笑を買うばかりである。
私たちの社会で「資本」と呼ばれているものはすべて幻想である。
幻想だからダメだ、などということを私は申し上げたいのではない。
幻想は幻想できちんと機能していただかないと世の中は動かない。
幻想がどのように機能し、どのように機能不全になるかについてはリアルでクールな考察が必要であるということを申し上げたいのである。
問題は「教養が文化資本として認知されなくなった」ということである。
これはどういうことであろうか。
「顰に倣う」という言葉がある。
「ひそみにならう」と読む。
呉越の時代、呉王夫差の寵愛を一身に受けた美姫に西施という人がいた。
西施は「持病の癪」のせいで、歩くときに胸を抑え、眉をひそめていた。
その姿もまた美しく見え、その柔弱たる風情で彼女が呉王の寵を得たという風説が広まったために、後宮の女官たちはこぞって眉をひそめて歩くようになり、やがて呉国中のすべての女たちが眉をひそめて歩くようになった・・・というお話である。
身体的苦痛のために「眉をひそめる」というのは単なる生理的反応であって、特段エロス的な含意はない。
それをエロス的に有意な記号として解釈したのは、「他の人たち」である。
それがエロス的記号だと解釈する人がいれば、それはエロス的記号である。
眉の間の皺は美的形象である。
かくのごとく、文化資本とはつねに解釈者の側の欲望によって起動する。
西施が呉王の寵愛を得たには美貌の他にも理由があったのかもしれない(もちろんあったに違いない)。
だが、女官たちは(寵愛を得られない)自分と西施のあいだの位階差をその他の違い(知性とか、情愛とか)には求めず、単なる「眉の動き」のうちにあると解釈した。
そのとき「顰」は呉国において文化資本に登録されたのである。
ある種の知識や技法が文化資本に登録されるのは、「それがあるせいで、あの人はあのような権力や威信や財貨を手に入れているのだ」というふうに「誤解」する人がいるからである。
そう。文化資本とは「誤解」の産物である。
西施のしかめっ面に本来エロス的含意がないように、教養そのものには権力や威信へのアクセシビリティを約束する要素は含まれていない。
たまたま権力や威信を保持している人間を、下から羨ましげに見上げたものたちの眼に「差別化の秘密」としてたまたま「教養」が映じたので、それが文化資本となったのである。
たまたま、の話である。
教養が文化資本ではなくなった理由も、だから簡単である。
現に日本社会で権力や威信や財貨や情報などの社会的リソースを占有している人々に教養がないからである。
私はそれが「悪い」と言っているのではない。
昔は、社会的上位者たちのかなりの部分は「たまたま」教養があった。
だから、下々のものは「教養があると社会の上層に至れるのだ」と勘違いしたのである。
もちろん、社会的上位者がその地位を占めたのは教養のせいではない。
それとは違う能力であるが、「西施のひそみにならう」ものたちはあわてて教養を身につけようとしたのである。
今日、社会的上位者には教養がない。
かわりに「シンプルでクリアカットな言葉遣いで、きっぱりものを言い切る」ことと「自分の過ちを決して認めない」という作法が「勝ち組」の人々のほぼ全員に共有されている。
別にこの能力によって彼らは社会の階層を這い上がったわけではない。
たまたまある種の競争力を伸ばしているうちに「副作用」として、こういう作法が身についてしまっただけである。
だが、「ひそみにならう」人々は、これが階層差形成の主因であると「誤解」して、うちそろって「シンプルでクリアカットな言葉遣いで、きっぱりものを言い切り」、「決して自分の過ちを認めない」ようになった。
そうして教養が打ち捨てられたのである。
別にお嘆きになることはない。
だから教養の再生のプログラムもまるっと簡単だからである。
教養がある人間しか出世できないプロモーションシステムを作ればよいのである。
そう、「科挙」の復活である。
官僚も政治家もこれで「総入れ替え」できる。
文科省も「教養教育の再構築」などとつつましいことを言わずに、ここは一発「科挙による政治家と高級官僚の登用」を提言してはいかがか。
そのときは文科省が財務省よりも格上の省庁となる。
ぜひ真剣にご考慮願いたいものである。

2006.12.02

いぢわるおじさん

どうしてこんなことになってしまったのかわからないが、とにかく毎日原稿の締め切りが来る。
そろそろ締め切りだな〜と覚えているものもあるが、寄稿に応じたことさえ覚えていないメディアからの督促も多い。
朝メールをひらくと、「今日が締め切りですので、明日朝一に」とか「昨日が締め切りだったんです(怒)今日中に絶対!」というようなメールが来ている。
もちろん会議と授業とゼミ面接と取材と締め切り間際の原稿書きに忙殺されている私に新規の原稿を書いている時間などない。
にもかかわらず今のところは原稿を落としていない。
どうやって書いているのかみなさんも不思議に思われるであろう。
実はコツがあるのである。
この機会にご教授しておきたい。
それは何か書きたいことが浮かんだら、とりあえず何でもいいから1500字程度の原稿のかたちにしておくのである。
そして、締め切りが来たら、五つ六つ転がっている「できあいの原稿」のうちから長さとテーマが似ているものをみつくろって、ちょっと刈り込んだり、書き足したりして、「はい」と差し出すのである。
ひどい話であるが、事実なので仕方がない。
ときどきたいへん細かい注文をつけてくる編集者がいるが、きっと私がそういう「合切袋に手を突っ込んで適当に取り出す」式のエクリチュールを駆使していることを察知しているのであろう。
ずいぶんと猜疑心の強い方々だとは思うが、彼らをそのような心のねじくれた人間にしてしまった主因は私の側にあるので、文句も言えないのである。
木曜の午後、県立芦屋高校に「模擬授業」に出かける。
県立芦屋高校はるんちゃんの母校であるので、私も入学式、卒業式、三者面談、文化祭などに足を運んだことがある。
今回は環境バイオ学科の高岡先生とご一緒である。
近隣の20ほどの大学から30人の教師が来て、少人数で大学での授業の「感じ」を生徒諸君に経験してもらおうという「キャリアデザイン」系のイベントである。
「出前授業」なら私もこれまでいくつかの高校でやったことがある。
そば屋の「出前」と「出前授業」が違うのは、そば屋の場合は「天ぷらそば一丁」とかクライアントから発注があるのだが、「出前授業」の場合は、出前される物件の内容についてクライアント側はこまかい事前の指定はできないということである。
そば屋が来て岡持ちから「はいよ」と取りだしたものを生徒諸君はいやでも食べなければならない。
そういう状況になった場合に私がどれほど悪戯好きの人間になるか、私の学生をしたことのある人間は熟知せられているであろう。
運悪く私の授業を選んでしまった高校生13人は密室で90分間黙って私の授業を聴かなければならない。
高校生が90分間聞かされて一番「こんな話を聴くつもりできたのではなかった」と思うのはどのような話柄であろうか?
こういうことを考えるとき私の知性はたいへん活性化する。
というのも、高校生生徒諸君が高等教育においてまず学ぶべきことは彼らが知っているのとは違うものさしでものごとを考量する人間の存在する可能性についてだからである。
というわけで「どうして高校生は90分間教師の話を黙って聴くことができないのか?」というテーマについて人類学的考察を加えることにした。
これは生徒諸君にとってたいへん対応に苦慮する論件となるであろう。
というのは「どうして高校生は教師の話を聴きながら『けっ、やってられねーぜ』という非言語的メッセージを全身から発信しようとするのか?」という話をしているときに聴いている高校生諸君は構造的に「け、やってられねーぜ」的メッセージの発信を禁じられているからである。
私の話を真剣に聴く(ふりをする)以外に私を出し抜く方法がないという窮状に彼らは追い詰められるのである。
90分後、ひさしぶりに教師の話を真剣に聴く(ふりをする)したせいで生徒諸君はやつれていたようである。
るんちゃんの後輩たちにちょっと気の毒なことをしたが、人生の曲がり角にはときどき思いがけない不幸が待っているものなのである。

2006.12.03

心療内科学会にて

日本心療内科学会でシンポジウム「現代人が心身医療に求めるものは」に出席。
先週は日本ユダヤ学会、来週はアメリカ文学会関西支部と、支離滅裂な学会出席日程である。
シンポジウムのお相手は近大堺病院の小山敦子先生と慶應大学産業研究所所長の清水雅彦先生。司会は中井義勝、坪井康次というおふたりのこれも心療内科の専門医である。
会場にゆくとどういうわけか女学院の学生院生がぞろぞろいる。
これは心療内科学会会長の生野先生が本学の人間科学部の先生だからである。
彼女たちはボランティアで学会のお手伝いをしているのである。
「先生、どんな話をするんですか?」と屈託のない表情で訊いてくる。
そういわれてもね。
何も考えずに来たとも言えない。
じたばたしているうちに時間となる。
小山先生は診療の現場からきわめてリアルな問題提起をされる。
清水先生もさすが実学の方だから、心療内科と社会構造のリンケージについて辛口の提言をされる。
お二人のそれぞれに実効的提言を承けて、私はお気楽な哲学者として(おお、いつからそのような名乗りを)、人類学的大風呂敷を拡げさせていただくことにする。
こういうまじめな場所で、たいへんシリアスな聴衆を前にして、本気だかホラだか分からない大風呂敷を広げ出すと止まらなくなってしまうのは、私の宿業である。
発作的に思いついた本日の主題は「自我の縮小という病態がストレスを強化する」というものである。
「自我の縮小」あるいは「自我の純化」は我々の時代の病である。
自己決定、自己責任、自分探し、自分らしさの探求、オレなりのこだわりっつうの?・・・そういった空語に私たちの時代は取り憑かれている。
これは市場経済が構造的に追求する消費単位と消費欲望の最小化の自動的帰結である。
消費単位の規模を「最小化」することをサプライヤーは要求する。
当たり前のことだが、消費単位が小さくなれば、消費単位の個数は増えるからである。
四人一家が消費単位であるばあいには家に一台テレビがあればすむが、四人がそれぞれに「私は自分の見たいものを見たい」といってプライベートテレビを要求すれば需要は四倍になる。
人間の頭数がそれほど増えないときは、消費単位を小さく切り分けて、個数を増やすのが早道である。
80年代のはじめバブル初期の消費文化の旗手だった糸井重里の最初の小説のタイトルは『家族解散』であった。
思えば、これこそが消費文化が消費単位の砂粒化を宣言した歴史的コピーであった。
家族解散は消費単位の爆発的増殖をもたらした。
解散した家族ひとりひとりはそれぞれに住居を求め、それぞれに鍋釜や冷蔵庫やクーラーや自動車を求めたからである。
「自立」はマーケットサイズを拡大する。
だから、80年代以降メディアは(自立するだけの社会的能力のないものたちにまで)家を出て一人で暮らすことを推奨したのである。
この時期に70年代に流行した「同棲」に対する社会的評価が著しく低下したことをみなさんもご記憶であろう。
理由はご賢察のとおり。「自立」していた男女に「同棲」されてしまうと市場規模が縮むからである。
そうやって日本人たちは、家族を破壊し、カップルを解体し、砂粒化した個が、(未来を担保にいれさえすればじゃんじゃん貸してくれる)借金を享楽的に蕩尽することをほとんど「国民の義務」でもあるかのように粛々と実践していったのである。
やがてバブル経済が破綻したあとも、個の砂粒化趨勢はとどまらず、それどころかグローバリゼーションの競争原理は国民たちを「自己決定・自己責任・自分探し」というさらなる消費単位の規模縮小へと追いやったのである。
「自我の縮小」「自我の純化」は市場が私たちに要求したものである。
買い手の自我の縮小を商品の売り手が要請するのは、自我が小さければ小さいほど、「こだわり」はトリヴィアルなものとなり、消費者の「こだわり」が瑣末化すればするほど、それは商品製造の工程を減らすことに結びつくからである。
例えば、「雨具」というものを商品として提供するとき、「蓑」や「番傘」や「防空頭巾」や「トレンチコート」を提供しなければならない場合と、布の色と模様だけの違う「傘」を揃えればいい場合では「雨具」メーカーの「雨具」製作のコストの間に千里の逕庭がある。
99%の工程が同一で、最後の仕上げの1%だけ工程の違う「ほとんど同じ商品」が「まったく違う商品」として認知されるという消費者サイドの「差異コンシャスネス」の高さは、生産者からすればこれほどありがたいものはない。
「自我の縮小」は生産者サイドからの強い要請にドライブされたのである。
「オレなりのこだわり」のある人間は、自分とよく似ている人間(端から見るとそっくりにしか見えない)との間の差異と共生不能をうるさく言い立てる。
それは「キミにそっくりな個体がいくらもいるよ」という指摘ほど彼のアイデンティティを脅かすものはないからである。
だから、「縮小する自我」にとって家族こそはまっさきに排除されなければならない他者となる。
それは生理学的組成も言葉づかいも価値観も身体運用も「そっくり」である家族の存在そのものが彼の唯一無二性を否定するからである。
だから、縮小する自我たちにとっては口うるさい配偶者も手間のかかる子どもも介護を要する親もおせっかいな隣人も口やかましい上司もしがみつてくる部下も、すべては「自己実現・自分らしさの発揮を阻む」他者である。
主観的には彼らが「自分とぜんぜん違う」からなのであるが、実際には彼らが「自分にそっくり」だからである。
限りなく自分に近いものを否定するところから始まる「縮小する自我」の自己同一性形成は思いがけない方向に突き進んでゆく。
というのは、「縮小する自我」にとっては、自分自身の凡庸さや、身体の不調や、容貌上の欠陥や、贅肉や、臓器の異常までも「自己実現を阻む」他者にカウントされるからである。
それは「自分の一部分」であり、それとなんとか折り合ってゆくしかないという考え方は彼には浮かばない。
彼の幻想的なセルフイメージになじまないすべての彼自身の属性は、「自分らしくないもの」として否定される。
彼が否定するのは自分自身の心身の「部分」だけではない。
ときには自分を「まるごと」否定することだって辞さない。
「縮小する自我」はどうも気分がイラつくぜ、というようなときには通りすがりの子どもを刺し殺したりする。
「むかつきの解消を求める今の私」は、それからあとの逮捕取り調べ裁判懲役・・・という一連の経験に耐えねばならない「未来の私」を「自我」にカウントしていないからそういうことができるのである。
彼は裁判では「あのとき僕の中にネズミオトコが入ってきて、『殺せ』と命じたのです。やったのはネズミオトコであって、僕じゃありません」というような遁辞をおそらく主観的には非常にリアルなものとして口にすることになるだろう。
どうして「僕」じゃない人間が犯した罪を「僕」が引き受けなくちゃいけないんだ、と彼は考えるだろう。
まったく理不尽な話だ。
こんなふうに自我は限りなく縮んでゆく。
社会から与えられる自分についての外部評価を承認できないもの中には、「諸君の評価は私の『自分らしさ』を満たしていない」というメッセージを発信するために、自殺するものさえいる。
ここではもう「私の存在」さえも「縮小する自我」の「自分らしい」メッセージの運搬具として道具的・記号的に利用可能されているのである。
「自我の縮小」「自我の純化」の最終的な形態は論理的には「自殺」ということになる。
というのも「自殺」こそは自己決定・自己責任の究極のかたちだからである。
誰も私に代わって自殺を決定したり、自殺を実行することはできない。
自殺する子どもたちの「遺書」にはしばしば自殺を通じて社会にある種のインパクトを与える希望が書き記されている(自分をいじめた級友に「罰」が下ること、自分を救えなかった教師や学校が社会的指弾を受けること)。
生きている自分より死んだ自分の方が「より自分らしい自分」であるというこの自己意識の転倒は「自我への執着」がもたらす、痛ましいけれども、論理的帰結なのである。
自我というのは他者とのかかわりの中で、環境の変化を変数として取り込みつつ、そのつど解体しては再構築されるある種の「流れのよどみ」のようなものであるという「常識」が私たちの時代には欠落している。
自殺する子どもたちは「常識」のない時代の犠牲者である。
だが、それが「常識」でなくなったのは、繰り返し言うが、もとはといえば市場の要請に私たちが嬉々として従ったせいなのである。
というような話(とはだいぶ違う話)をする。
へろへろになって家に戻り、下川先生のところにお稽古に行って、楽の残りの道順を稽古する。
二段の拍子をちゃんと覚えてきたので先生に「よくお稽古してきたね」とおほめ頂く。
「おいらはドラマー」ですからグルーヴはまかせておいてください。
しかし、この忙しい間を縫って、よく楽の稽古まで手が回るものである。
さらにへろへろになって帰宅。
かんきちくんからもらった長浜ラーメンを使って「麻婆豆腐麺豚骨味」というものを作って食す。
美味なり。
満腹したので、寝転がって『Good night and Good luck』を見る。
ジョージ・クルーニーの監督作品である。
クルーニーはおそらく先達としてクリント・イーストウッドを意識しているのであろう。
「洗練された映画」というものについての彼なりの回答である。
たいへんよい映画であるので、テレビ関係者にはぜひ見ていただきたい(見ている人はきわめて少ないだろうが)。
もし、日本にこれから「マッカーシー」が登場したときに、報道の自由を守るために身体を張ることのできるテレビマンがいったい何人いるだろうかと考えて、いささか暗い気持ちになる。

2006.12.04

ラグビーとホラーな日曜日

ひさしぶりに日曜らしい日曜。
鶴橋でSS木くんとウッキーと待ち合わせして、近鉄花園ラグビー場へ。
神鋼とワールドの「神戸決戦」である。
神鋼、今シーズンは5勝2敗と勝率は悪くないもののトライ数が少ないために、6位に低迷している。15日には東芝との直接対決もあり、落とせない試合なのである。
同じ日東京で行われていた大学選手権の早明戦は観客4万人。トップリーグはその十分の一くらいの入りである。
ご存じのとおり、私はどのようなプロスポーツにも興味がないが、ラグビーだけは競技場まで足を運ぶ気になる。
どうしてラグビーだけが例外的に好きなのか、理由は本人にもわからない。
とりあえず、ちゃらちゃらした感じの流行好きの若い連中がいなくて、もっそりしたおじさんたちが低い声で寒風に震えながら「キックだけでは点ははいらんど」とか「フォワード集散悪い」とかぶつぶつ言っている風情が私は好きである。
トライシーンでも別に花園ラグビー場をゆるがすようなどよめきがあるわけでもなく、赤い「STEELERS」の応援旗がぱたぱた振られるだけである。
このなんともいえない「肩の力の抜け方」があるいは私を惹きつけるのかもしれない。
試合は前半は神鋼のワンサイドかと思われたが、後半ぱたぱたとワールドにトライを取られてしまう。
どうもかつてスタンドオフにミラーくんがいた時代のフォワード、バックス一体となった芸術的なプレイが見られない。
でも、ベテラン12番元木選手(がんばるなあ)のトライが見られたし、11番瓜生くんのみごとなサイドステップを見られたのが収穫。
今回もチケットは平尾剛選手からのプレゼント。
平尾さんは試合には出られず、観覧席からビデオ撮影。
一同でお礼を申し上げる。
今回も横に座ってプレイの解説をお聴きしたかったのであるが、「音声がぜんぶ入っちゃうから」という理由でかなわなかった。
そりゃそうですね。
ウッキーと花園駅までの祝祭性のまったくない道をぽくぽく歩いて、芦屋に戻る。
くーすか昼寝をしてからハッシュドビーフを作って、ボージョレヌーヴォーを飲みながら、村上春樹訳『ザ・グレート・ギャツビー』を読みながら食べる。
美味なり。
腹が一杯になったので、アマゾンから届いたロブ・ゾンビの『マーダー・ライド・ショー』を見る。
奇妙に「粘度」の少ないスプラッタ映画である。
「エド・ゲイン」や「チャールズ・マンソン」が物語的に消費されすぎて、ほとんど記号的には摩滅してしまったアメリカ人の「ホラー感受性」そのものについて自己言及する映画である。
「恐怖映画の生成と効果」についての映画、つまり「メタ恐怖映画」というとウェス・クレイブンの『スクリーム』がある。
クレイブンは『スクリーム2』と『スクリーム3』では『スクリーム』という「メタ恐怖映画」そのものに対する観客たちの恐怖感受性がどうやって摩滅するかを描いた「メタメタ恐怖映画」を作って見せた。
「恐怖映画を怖がらない」という事実そのものがもたらす「恐怖」を描いた映画( 『スクリーム』)を怖がらないという事実がもたらす恐怖を描いたわけである。
こうなるとややこしすぎて何だかよくわからない。
だが、アメリカ人は「こういうこと」ができる現在地上に残っている唯一の文化集団である。
日本アメリカ文学会で何を話すか決めていなかったが、発作的に『硫黄島二部作』と『サウスパーク』と『マーダーライドショー』の話をすることに決定。
たぶんアメリカ文学会員の方々はこんな映画は見ていないであろうから、私が何をしゃべっても事実誤認や解釈の不適切さを指摘される心配はないのである。

2006.12.06

村上春樹氏の朝ご飯

青山さんから「村上春樹の朝ご飯」についてエッセイを書いて、という仕事が回ってくる。
雑誌の編集者さんというのはいろいろなことを思いつくものである。
「ご飯」というのは人類学的にはたいへん重要なものであるということは先般より繰り返し申し上げている。
とくに身体的「同期」(シンクロニシティ)がたいせつなのである。
誰かとご飯を食べるということは、他者と身体的に同期するためのもっとも実効性のある方法の一つである。
音楽の演奏も、ダンスも、セックスもその点では変わらない。
私たちが「快楽」として選択するものはすべて「同期」というファクターを含んでいる。
スティーヴン・ストロガッツの『SYNC−なぜ自然はシンクロしたがるのか』によると、「ものごとを同期に向かわせる傾向は、原子から動物、あるいは人類から惑星にいたる広大な宇宙で、最も広範に見られる『動因』の一つである」。
長期的に同室にいる女性の友だちや同僚は月経周期が同期することが知られている。月の自転周期は、地球の潮汐作用の影響を絶えず受けることで、公転周期を調整してきた。だから、月は現在地球を回るのとまったく同じ周期で自転している(そのせいで地球からは「月のウサギ」模様しか見えない)。
こういう根源的な趨勢については「どうして?」というふうに問いを立てても無駄である。「どうしてものは同期するのか?」という問いの形式自体が、「問いと答えが同期すること」をめざしているからである。
それで村上春樹氏の朝ご飯であるが、これが実にあっと驚くほどにわかりやすい「同期」の比喩になっているのである。
村上春樹の全作品について青山さんが「朝ご飯」に関係のある頁を探し出してコピーしてもってきてくれたので(ご苦労さまでした)、私は村上文学における朝ご飯について網羅的なデータベースを手に入れることになった。
繙読してわかったことは、村上文学における主人公は朝ご飯を
(1) ひとりで食べる
(2) ふたり以上で食べる
かどちらかだということである。
まあ、当たり前だけどね。
そして、(1)の「ひとりで食べる」ときの「僕」は孤独である(当たり前だけどね)。
だから朝ご飯はあまり美味しくない(「壁土のような味」がしたり「綿ぼこりのような味」がしたり)。
ところが「僕」が誰かに食事を供する側になったとたんに朝食はいきなり愉悦的な経験となる。
「後朝」(「きぬぎぬ」と読んでね)となると朝ご飯の愉悦度はさらに上昇する。
たとえば、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』で「私」が生涯最後の朝ご飯を図書館の女の子と食べる場面に村上春樹は異常なほど精密なレシピを記している。
「私は鍋に湯をわかして冷蔵庫の中にあったトマトを湯むきし、にんにくとありあわせの野菜を刻んでトマト・ソースを作り、トマト・ピューレを加え、そこにストラスブルグ・ソーセージを入れてぐつぐつと煮こんだ。そしてそのあいだにキャベツとピーマンを細かく刻んでサラダを作り、コーヒーメイカーでコーヒーを入れ、フランス・パンに軽く水をふってクッキング・ホイルにくるんでオーヴン・トースターで焼いた。食事ができあがると、私は彼女を起し、居間のテーブルの上のグラスと空瓶をさげた。
『良い匂いね』と彼女は言った。」
実はこのあとにもうひとつ重要な一節が書き込まれている。
「『もう服を着てもいいかな?』と私は訊いた。女の子より先に服を着ないというのが私のジンクスなのだ。文明社会では礼儀というのかもしれない。」
ほらね。ここでも「同期」だ。
もうひとつ、『ダンス・ダンス・ダンス』で「僕」が五反田くんの家にコールガールたちを呼んで一夜を過ごしたあとの朝ご飯。
「僕が台所でコーヒーを作っていると、あとの三人が目を覚まして起きてきた。朝の六時半だった。(・・・)僕らは四人で食卓についてコーヒーを飲んだ。パンも焼いて食べた。バターやらマーマレードやらを回した。FMの『バロック音楽をあなたに』がかかっていた。ヘンリー・パーセル。キャンプの朝みたいだった。
『キャンプの朝みたいだ』と僕は言った。
『かっこう』とメイが言った。」
メイのつぶやいた「かっこう」という声はそのあともずっと「僕」の脳裏についてまわる。
死んだメイを思い出すたびに、その声が聞こえて「僕」はつらい気持ちになる。
それは「キャンプの朝みたいだ」と「かっこう」が幸福な「同期」のシグナルだったからである。
というようなことを教務部長室のパソコンでさくさくと書いているうちに授業の時間となる。
三年生のゼミは「思春期」、大学院のゼミは「占いブーム」。あいだにゼミ面接。
ゼミ面接は今年から予約制にしたので一人5分、1時間半に9組18人。それが5日あるからたぶんトータルでは70人くらいと面接することになる。
昨日までで40人くらいと会う。
総文の学生の三分の一くらいとまとめて面談するわけであるから、学生の知的傾向の定点観測としてこれほど有用なものはない。
全体の傾向を申し上げるならば、「専門志向」から「教養志向」へのシフトを見て取ることができる。
これまでの面接では2年生の秋であるから、もちろんどんな分野についても専門的な知識や技術はまだ身についていないわけであるが、それでも専門的な知識や技術を習得することへの「焦り」のようなものは濃厚にあった。
何か資格や免許を持っていないと「つぶしがきかない」んじゃないかという恐怖が感じられた。
その焦りや恐れがどうも消失したように見える。
かなりの数の学生が「問いの次数を一つあげる」という私のゼミ案内のコピーに反応して来た。
情報そのものを集積することより、情報の被制性やイデオロギー性についてのリテラシーを身につけることの方が生き延びる上で有効だということを彼女たちは皮膚感覚的に感知し始めているのであるようである。
それを「教養」というのだよ、諸君。

2006.12.12

無音のお詫び

長く日記の更新を怠っていたので、「先生、風邪ですか?ノロウイルス?え、もしかして鳥インフルエンザ?」というような流言飛語が巷間に流布しているようであるが、私は息災であるのでご心配はご無用である。
更新できなかったのはもちろん「あまりに忙しかった」からである。
実は日記はきちきち書いていたのである。
単に日記をブログにアップロードする時間がなかっただけである。
アップロードするに要する時間はまあ2分というところであるが、ここ数日、その2分を捻出することができなかった。
どうして日記を書く時間があるのに、アップする2分がないのか・・・とみなさんは当然ご不審に思われるであろう。
当然である。
だが、それは物書きの生理を知らないシロートの発想と言わねばならぬ。
物書きというのはぎりぎり最後の瞬間まで推敲をするものである。
私の場合は、日記はおもに朝、家の書斎で書く(私の場合は先賢の著書からの引用が多いので、調べ物の利便もあって、書斎がいちばん書きやすい)。
そのあとに下川先生のお稽古があるときも、三宅先生の治療があるときも、会議があるときも、授業があるときも、もう今腰を上げないと時間に間に合わないというぎりぎりまで私はキーボードを叩き続けている。
その結果、アップロードは次の休憩時間まで持ち越されることになる。
だから、「次の休憩時間」というものに幸運にも遭遇すれば、それらのテキストは無事にサイバースペースに戸籍を移すことができる。
しかし、私の場合、「次の休憩時間」というものに恵まれることがたいへんに少ない。
少なくとも大学にいる限り、私には「休憩時間」というものはない。
私の事務机の上には処理しなければならない膨大な書類が山をなしており、私が主に自宅書斎で雑文を草するのは、大学の執務室では倫理的にもその膨大な書類の処理を優先させなければならないからである。
しかるに書類の山は私に許されたわずかな休憩時間のすべてを投じてもいっかなその高度を減じる気配がないのである。
であるから、アップロードの時間は帰宅後に持ち越されることになる。
しかし、アップロードのためにPCを立ち上げた場合、とりあえずメールのチェックをまず行うというのは人性のしからしむるところである。
当然ここには半日で20通からのメールがたまっている。
無数のジャンクメールはすべてIT秘書がはじいてくれているので、この20通は私あてのものであり、その半分は「至急返信を要する」ものである。
当然、緊急を要する返信を記しますね。これは。
これに30分から1時間を要する。
メールの中には「締め切りがもう過ぎていますが、いったいどうなさるおつもりですか」というような修辞的反語疑問文での原稿督促がしばしば混入している。
この場合は、一も二もなくとりあえず「ひえー」などと叫びつつ、原稿をさくさく書いて送稿せねばならない。
原稿を書くとさすがにぐったり疲れて、もう酒でも飲まないとやっていられないという自堕落な気分になる。
一度自堕落な気分になった私を真人間に戻すことはたいへん困難である。
私はふだんほとんど自堕落な状態をみなさまにお示ししない人間であるからして、私が自堕落になったときの様子について想像されることは難しいと思うが、これはすごいよ。
まじめ一方な婦女子が一度身を持ち崩すと度し難い莫蓮女になるように、私のような勤勉一途の堅物が一度自堕落になると、その崩壊ぶりは自分でも「この姿だけは世間さまにお見せできない」としみじみ思うほどに取り返しのつかない醜態なのである。
醜態の細部についての記述は省くが、とにかく日記をアップロードするというような作業はその行為のうちにわずかに(ごくわずかであるが)含まれる「世の中を少しでもよいものにしたい」という私の向上心ゆえにきっぱりと忌避されることになる。
というようなことが何日か続き、その間に私は原稿をいくつか書き上げ、アメリカ文学会関西支部においてクリント・イーストウッド映画について語り、その足で新幹線に飛び乗って関東某所に赴き、そこで恒例の「業務提携会議」に臨むことになった。
ご案内のとおり、私は大学教師というカタギの商売をしている裏面では、いくつもの会社の創設にかかわり、インキュベーションによって巨富を築いてきた。
このことが広く世間に知られていないのは「巨富を築いてきた」という点が事実ではないからなのであるが(ああ、既視感のある表現)、インキュベーションというところまでは真実なのである。
今回も新たに投資を求める起業家を招いて、事業計画の詳細について説明を聴き、定款を吟味した上で、投資の可否を決定するために何人かのビジネスマンたちと箱根湯本の某所に集まることになった。
投資額が巨額であるだけに、初日はまず「ウェルカム・パーティ」が行われ、翌日も日のあるうちは社交的な会話が中心で、実質協議が始まったのは二日目の深夜からであった。こういうものは話が始まるまでが長くて、実際のビジネスはわずか数秒の「わかりました。お出ししましょう」「や、どうも」だけで終わるものである。
わずか数秒とはいえ、それまでにあまりに厳しい緊張を要求するビジネス会議であっただけに、参加の各企業のトップマネジメントのみなさまならびに私は三日目にそのまま社会復帰することもできぬくらいに疲弊し果て、翌日はほとんど虚脱状態で、三日目の深更に至って、中島みゆきの「ファイト!」と喬太郎の「寿司屋水滸伝」を聴いて、ようやく社会生活復帰のきっかけをつかんだのである。
やれやれ。

2006.12.13

無人島レコード

いろいろなところから「今年の三冊」や「今年の五冊」といったアンケートが届く。
毎年すらすらと書いて投函するのであるが、今年は全部お断りしている。
別に「選ぶべきベストがない」というような定見があってのことではない。
一年間で三冊も本を読んでないからである。
たしかに本は読んでいる。
絶えず読んではいるけれど、半分は「調べ物」のためであり、半分は「エンターテインメント」である。
調べ物はその本質上「飛ばし読み」であるし、エンター系はしばしば泥酔状態で読んでいるので、翌朝はもう何も覚えていない。
「読んだ」という以上は、やはり読んで「震撼させられた」というくらいのインパクトがあり、
それによって翌日から世界の見え方が変わった、というくらいのものでないと困る。
そのような本に今年は出会うことができなかった。
わりと集中的に読んだのは池田清彦先生の本と茂木健一郎さんの本であるが、このお二人はどちらかというと書いている本より、書いている本人の存在の方がインパクトがある(池田先生にはお会いしたことがないけれど、絶対本より実物の方が破壊的な人だと思う)。
あ、一冊忘れてた。
これは面白かったなあ。
柴田元幸さんの『バレンタイン』。
これは蒲田(というか京急沿線)を文学的に昇華することに成功したおそらく世界最初(日本最初ならふつうそうだな)の文学作品じゃないかと思う。
この連作小説の中に主人公の「私」の奥さんが死んで幽霊になって出てくるという話がある。
雑誌連載中にそれを読んだある編集者から「シバタさんの奥さんなくなったらしいですね」という暗い声の電話があった。
ええ、そんなつらいことがあったのに、あんなに元気でどんどん翻訳を出すなんて、なんてハードボイルドな人なんだろう・・・と絶句していたら、「小説」だった(奥さんとは柴田さんとの対談の打ち上げのときに一緒にビールを飲んだけれど、ちゃんと両足とも揃っていた)。
そういう点でも忘れがたい。
本じゃないけれど、一番インパクトがあった文章は大瀧詠一「師匠」が『レコード・コレクターズ増刊無人島レコード2』に寄せた文章(この『無人島レコード』には私も寄稿している)。
「無人島レコード」というのは「無人島に持ってゆくとしたらどんなCDを持ってゆきますか?一枚だけ選んでください」という趣向のアンケートである。
無人島に電源があるのかよ、というようなツッコミはなしである。
「ルールは厳守だが、法の網をかいくぐる反則技はあり」とあるが、なかなか反則はむずかしい。
師匠は「レコード・リサーチ」という書物を選んだ(「無人島レコード」で本を選んだのは師匠だけである)。
これは『ビルボード』のチャートとチャートインしたアーティストごとにシングルのデータをまとめたもの。
その中の1962年から66年までがあればよいと師匠はおっしゃっている。
「あれさえあればいいんですよ。72年以降のチャートは要らないしね。もうわかんない曲もあるからさ。厳密にいえば、62年くらいから69年ぐらいまでで・・・いや66年まであればいいや。その4年間くらいなら、ほぼ完璧だと思うんだよね。全曲思い出せるんだよ。その時期のチャートがあれば、いくらでも再生できるからね。自分で。死ぬまで退屈しないと思うんだけどね。次から次へと出てくるヒットチャートをアタマの中で鳴らしながら一生暮らす、と。」
これはすごい。
師匠の記憶力がすごいということではない(ことでもあるが)。
音楽というのは「記憶しよう」という努力によって記憶されるものではなく、「音楽を受け容れる構え」を取っている人間の細胞の中に浸潤して、そこに完全なかたちで記憶される。
本人がそれを記憶していることさえ忘れていても、「スイッチ」(師匠の場合は「レコード・リサーチ」)を入れると完全に再現される。
音楽を「受け容れる構え」とはどういうものだろう。
それはとりあえず「全身で享受する」というように言えるだろう。
「全身で」というのがむずかしい。
「さあ、享受するぞ」というような「力み」があると、身体の一部に緊張が入って逆に「全身で」という条件が満たされない。
聴くでもなく、聴かないでもない・・・というような感じでぼんやり音楽に身を預けて、仕事の手を動かしたり、別のことを考えながら、たまに足で拍子を取ったり、鼻歌まじりにハモってみたりしているときがおそらくもっとも音楽情報の受容感度が高い。
そういうふうに音楽を聴ける条件が揃っていたのが、大瀧さんの場合は十四歳から二十一歳までだったということである。
そういえば、以前師匠は「ロックは音質の悪いカーラジオから流れてくるのを聴くものだ」ということをかまやつひろしさんを相手にラジオで力説していたことがある。
その対談を音質の悪いカーステレオで運転しながら聴いたのだが、ほんとにそうだよなと思った。
そういうふうに聴いた音楽(や聴いた言葉)は私たちの細胞にしみこみ、私たちはしばしばそれを一生忘れないのである。

2006.12.15

007全巻制覇の旅が始まる

水曜日はオフなのだが、会議がひとつ。終わると同時に梅田へ出て、二回目の毎日新聞の外部紙面研究会。
これは毎日新聞の紙面について外野からあれこれいちゃもんをつける企画であり、新聞のあら探しをすることを当の新聞社から要請されているわけであるので、心を鬼にして新聞メディアの諸問題について1時間にわたり苦言を呈する。
デスクのみなさんからはいくつか反論やエクスキュースがあったが、総じてたいへんに真摯に私の暴虐きわまりない批判の言に耳を傾けてくださっていた。
私のような人間を呼んで悪口を言わせてそれを聴くことのできる毎日新聞社諸氏の雅量と寛仁大度にあらためて敬意を表したい。
今回私が学んだことが一つあるので、それについてだけご報告させて頂きたい。
それは新聞には速報性は求められていないのではないかという問題提起に対して示されたお答えである。
新聞記者が求められるのは速報ではなく、「特報」すなわちスクープである。
スクープで他紙を抜くためには、関係者の微妙な発言の変化や表情の動きやわずかな周辺的徴候から事態の決定的変化があったことを読み抜いて、何が起きたのかを言い当てる能力が必要とされる。
「知事あす逮捕」を特報する新聞を今日読もうと明日読もうと一般読者にとってはどうでもよいことであるが、この一日の差を生み出すためには新聞記者の「コンテクストを読む」という能力を最大化しなければならない。
つまり、特報を書くことそれ自体ではなく特報を書くことのできる能力を開発することで記者を育てている、というのがご説明であった。
私はそれを聴いてマリノフスキーの『西太平洋の遠洋航海者』を思い出した。
もう何度も書いていることだが、マリノフスキーがフィールドワークをしたトロブリアンド群島の人々は「クラ」という交換儀礼を持っていた。
そこで交換されるのは貝殻でできた装身具だが、装身具それ自体は何の有用性もない(サイズが小さすぎて装着できない)。
交換の隠された、真の目的は、その無価値な装身具の交換がスムーズに行われるように、クラ儀礼の当事者の間で揺るぎない信頼関係を築くことや、交換のために遠くの島まででかける帆船を作る造船技術や操船技術に熟達することである。
おそらく私たちが日々行っている営為の多くは、それ自体には直接的な有用性がなく、それを行うために動員され、開発される人間的資質に「それ以外の場面における」汎用性が高いがゆえに営まれているのである。
研究会のあと、毎日新聞の別の紙面のための取材。
今度は武道の話。
それが終わってヒルトンホテルのロビーで朝日新聞の小林さんと待ち合わせ。
ブログに書いた教育論をまとめて一冊の本にするという企画があって、その装幀を山本浩二画伯に頼んだので、その顔合わせである。
三人でひさしぶりの上川南店へ。
小林さんも画伯もお酒が飲めない身体なので(どちらも気の毒な物語があるのだ)、ひとりで手酌でくいくいとお酒を飲める幸せをしみじみ感じつつ「おつくり」「炊き合わせ」「湯豆腐」「海老の天ぷら」「手巻き寿司」などをぱくぱく食べる。
ほろ酔いで帰宅して、思い立って007シリーズ全巻制覇の旅を始める。
最初は『ワールド・イズ・ノット・イナフ』(ボンドはピアース・ブロスナン)と『リビング・デイライツ』(ボンドはティモシー・ダルトン)。
まったく頭脳を使う必要のないパッパラパアクション映画であるが、これらのタイトルを何とかしようという気はないのであろうか。
昔は『007は殺しの番号』、『ロシアより愛をこめて』、『私を愛したスパイ』、『女王陛下の007号』、『007は二度死ぬ』といった中学生がわくわくするような邦題がついていたのであるが。
というので、007シリーズ全巻制覇を記念して、不肖ウチダが全作品に邦題をお贈りすることにする。
とりあえず『ワールド・イズ・ノット・イナフ』は『俺の渇きを止めてみな』、『リビング・デイライツ』は『007は鉄のアタマ』に決定。
『ワールド・イズ・ノット・イナフ』はWorld is not enough だからだいたい意味はおわかりいただけるであろうが(「世界だけでは足りない」)『リビング・デイ・ライツ』というのはおおかたにとっては意味不明であろう。
これは英語の成句で beat the living daylights out of him というように用いる。これは「彼を正気を失うほど殴りつける」という意味。
この場合のliving daylights は「正気」「意識」ということである。
ジェームズ・ボンドはその全作において通算45回くらい頭蓋陥没をもたらしかねないハードな打撃を後頭部に受けているので、晩年のボンド氏のリビング・デイライツはほとんど致命的に失われているものと推察される。
木曜は4年生の「最後から3回目」のゼミ。
ここにも小林さんが取材に来る。
午後の授業のあとAERAの取材。
「2007年に注目する3人」というテーマである。
「モリさんとヒラオさんとタカハシさん」じゃダメですかと訊いたのであるが、そういう身内の紹介記事ではないらしい。
「画伯とだんじりエディターと老師」という選択もあったが、「その方たちとはどういうおつきあいで?」と訊かれた場合、私を含めてその四人が一堂に会する場面といえば一つしかないので説明に窮する。
ということは、同じ理由で「お兄ちゃんとヒラカワくんとイシカワくん」もダメだということである。
やはりAERA読者もご存じの有名な方の名を挙げなければならぬであろう。
ということで「来年に限って注目している人」として「ポスト安倍」の筆頭候補である福田康夫。
「過去20年間ずっと注目しているし、来年も注目する人」として甲野善紀先生。
そして、「過去30年ずっと注目しているし、来年も新年早々から注目する人」として大瀧詠一師匠の名を挙げ、それぞれの推挙の所以について述べる。
取材のあとに久しぶりに合気道のお稽古。
発作的に新しいアイディアがいろいろ浮かんで、さっそく門人諸君を実験台にしてあれこれとやってみる。
IT秘書を帯同して帰宅。
スパゲッティを食べワインを飲みつつ医学部受験勉強の進捗具合についてお聴きする。
お歳暮がいろいろ届いているので、その中からハム、りんご、塩昆布、カレー、スモークサーモンなどの副食品を掘り出して秘書の食生活(「ご飯にふりかけ」)の好転を祈る。

2006.12.17

甲野善紀先生の講習会

業務連絡。
甲野善紀先生の講演会ならびに講習会が開催されます。
12月20日(水)午後1時15分より2時45分まで、文学館L26教室において講演会。
そのあと場所をミリアム館に移して、午後3時より5時半まで実技の講習会。
そのあと懇親会を予定しております。
ドキュメンタリー映画の上映が始まり、メディア注目の甲野先生が本学キャンパスにおいでになるのは1年ぶりくらいでしょうか。
今回は平日授業中のイベントですので、原則として参加できるのはKCの学生生徒院生教職員同窓生のみに限らせていただきます。
一般の方は申し訳ありませんけれど、今回はご遠慮を願います。
合気道部と杖道会の学生諸君は全員参加!

武術的立場な男たち

ひさしぶりの土曜日の稽古。
8月から12月までで、芦屋で稽古できるのはこれが3回目。
土曜日にぎっしり仕事が詰まっていて、ずっと「週末のない秋」だったのである。
やれやれ。
久しぶりに広い畳の上で存分に身体を動かせるので、もううれしくてにこにこしてしまう。
毎日新聞の取材(水曜の続き)で遠藤記者とカメラマンが来ている。
ぱちぱちと写真を撮られたが、こんなうれしそうな顔をして稽古をしている人間というのもわりと珍しいのではないかしら。
たっぷり汗をかいて、シャワーを浴びてから中之島の朝日新聞社へ。
朝カル「武術的立場」シリーズ最終回。
今回のお相手は神戸製鋼ラグビー部の平尾剛さん。
甲南麻雀連盟で会長や画伯やだんじりエディターを尻目に今期トップを独走する「どんとこい雀士」の素顔は何を隠そう日本ラグビー界の至宝俊足ウイングだったのである。
2003-2004年のシーズン末尾に右手に重傷を負ってから二シーズン、私たちはフィールドを疾駆する赤いジャージ14番を背負った平尾選手の姿を見ることができなかった。
だが、その間も平尾選手はたゆむことなく独自の身体理論を深化させ、伝統的な身体技法(古武術や能楽)をラグビーにどう応用するかを探求し続け、大学院博士前期課程では教育学を学び修士論文の準備をしてきたのである(ついでに麻雀技術も進化させてきた)。
そんな平尾さんと麻雀のあとの「反省会」では、いつもラグビーと武術の話で盛り上がっているのであるが、横から画伯とかエディターとかが「それはだんじりでいうたら」とか「それはバスケットでいうたら」とかいろいろとコメントをさしはさむので、じっくり差し向かいで90分という機会は実はありそうでなかったのである。
平尾さんとゆっくりとラグビーの話をしたいなと久しく思っていたのであるが、改めて電話をかけて「あ、平尾さん?今日暇かな〜。あのさ、ワインでも飲みながらじっくりラグビーの話しない?」というふうに誘うというのもなにかなし違和感がある。
困ったものだと思っているときに私のアクマのごとき狡知が「武術的立場」という企画を思いついた。
常日頃会ってじっくり聴きたいなと思っていた意拳の話を守さんから、スポーツへの武術理論の応用の話を高橋さんから、ラグビーと伝統的身体操法の話を平尾さんから、それぞれ伺い、その日程調整を朝カル事務局のモリモトさんにやっていただき(おまけにギャラまで頂き)、ついでに録音して朝日新書から本にして出し、帰り道にはプチ宴会で魔性の女フジモトや浜松の海老ちゃんとの久闊も叙そうではないかという一石五六鳥の費用対効果の高いプロジェクトだったのである。
最終回はスティーラーズの11番を背負う新星瓜生靖治選手を平尾さんが連れてきてくれた。先日の花園での華麗なステップで、神鋼の未来は彼に託そうとウチダに確信させてくれた切れ味最高のセンターである。
対談は私が「徹子」の分を超えていささかしゃべりすぎてしまった。
「ラグビーはイギリスの帝国主義的植民地支配に必要な資質を涵養するものであった」という話を思いつき、それでどうしてラグビーと武術がつながるのか、その理路が見えたような気がする。
終わってから、守さん高橋さんはじめ、ウッキー、かんきちくん、魔性の女、海老ちゃん、日立のオオウチさん、ミキハウスのオガワさんなどなど「常連聴衆」のみなさん、アオヤマさん、スーさん率いる浜松支部の先生方、予備校帰りの青ざめたIT秘書イワモトをもまじえて大挙19名で北新地にて打ち上げ。
ラガーメン2名、教師8名、編集者2名、呉服屋の若旦那1名、受験生1名、カタギの勤め人(ごくごく)若干名。
「これは何の団体の忘年会でしょう?」クイズに回答することの困難なメンバー構成であった。
みなさんどうもありがとう。
またそのうち同じシリーズで「帰ってきた武術的立場な男たち」というのをやりましょうね。モリモトさん、よろしく。

2006.12.18

久しぶりにのんびりした日曜日

「原稿を落とす」のと「ダブルブッキングをかます」というのが私の二大トラウマである。
ダブルブッキングは前に一度やって、ほんとうに「いたたまれない」気分になったので、それ以後注意しているので二度目はまだない。
しかし、「原稿を落とす」可能性はつねに遍在する。
土曜の朝、にこやかにメールをチェックしていたら、「金曜日が締め切りの原稿がまだ届いていませんが・・・」というメールが来ていた。
げ。
『論座』に教育論を書くことになっていたのである。
それも8000字。
8000字といえば、400字詰め20枚。
卒論の中間発表の紙数ではないか。
土曜は楽しい合気道のお稽古と「武術的立場」の最終回ならびに打ち上げ宴会である。
原稿書いている暇はない。
「月曜にしてください」と言い訳メールをして、日曜の早朝からがりがりと書き出す。
ものが教育論であるから、言いたいことはいくらでもある。
3時間ほど身じろぎもしないでキーボードを叩き続ける。
昼過ぎにクリアー。
やれやれ。
予定通りに床屋に行く。
床屋はいつもの芦屋川の「スミレ」。
ここにはもう16年通っている。
日曜午後の床屋というのは床屋のハイシーズンであるはずだが、客がいないので、待たずに出来る。
あららっきい。
「今日は暇ですね」と訊くと「このとこ、いつもこんなですよ」と哀しげな答えが返ってくる。
そ、そうなの。
どうしてなんでしょうね。
どうやら芦屋川駅北側では地域男性の高齢化の進行に伴い、「発毛速度」に有意な低減傾向が現れてきたようである。
なるほど。
そういえば、スミレでも小学生や中学生が頭を刈っている風景に出会うことが少なくなった。
子ども自体が減少しているのである。
芦屋市は「高齢化」という点ではおそらく日本屈指の街であり、日本社会の25年後くらいを先取りした風景をここでは見ることができる。
私はすでに知命を過ぎること久しく、還暦をまぢかにする年齢であるが、マンションのエレベーターの中で隣家のみなさんに話しかけられるときの呼称は「お兄ちゃん」である。
私が「お兄ちゃん」で通る年齢構成の街なのである、芦屋は。
わたし的には「お兄ちゃん」でぜんぜんオッケーなのであるが、芦屋市的にはそれでよろしいのであろうか。
悩みつつ帰宅して、今度は講談社のPR詩「本」のために3200字の原稿を書き飛ばす。
これは講談社から来年はじめに出る『下流志向-学びからの逃走・労働からの逃走』の販促エッセイ。
これも教育論であるから、また教育についてがりがり書く。
午後5時に書き終わり、元町へお買い物。
ルミナリエ客は一時期ほどの狂躁的な人出ではなくなったが、その人並みを逃れて元町の大丸へ。
買い物に出る暇が年に2回くらいしかないので、半期分まとめ買いをする。
シャツを3枚と今年はよく働いたということで自分にご褒美のAquascutumのコート。
「一生懸命働いた自分をほめてやりたい」というワーディングは私には説得力のあるものである。
私は子どもの頃からお金を使わないで貯めてばかりいて、ときどきたまったお小遣いの残額を眺めてにこにこしているような無害な少年であったが、あるときカメラの中に隠しておいた数千円のへそくりがなくなっていることに気がついた。
げっ。
ま、まさか。
お兄ちゃん、ぼくのお金取ったでしょ!という詰問に兄上は少しも動ぜずこう答えた。
「ああ、たしかにお前の隠していた金を取ったのはこの私である。だが、タツルよ。金というのは市場に投ぜられることでその本義を全うするものであって死蔵するべきものではない。私は貨幣の本能に従ってそれを市場に投じる義務をお前に代わって引き受けてあげたのだよ。感謝されこそすれ、ドロボー呼ばわりされる筋はない!」
私はこの兄上の完璧な論理の前に静かに頭を垂れたのである(よく考えるとどこかおかしいような気もするのであるが、それから半世紀経ってもまだどこがおかしいのかよくわからない)。
ともあれ、貨幣の本性は運動態にあり、退蔵すべきものではないということを小学校低学年のときに教示してくださった兄の厚恩にはいまだに深い感謝の気持ちを忘れないのである。
お買い物のあとは元町香港茶楼にて飲茶。
帰宅して007全巻制覇の続き。
『ダイ・アナザーデイ』を終えて、次は『ダイヤモンドは永遠に』。
Die another day の日本語タイトルは『死ぬのはいつかだ!』に決定。
Diamonds are forever は他にタイトルのつけようがないですね。
007全巻制覇の旅をしているとブログに書いたら、ゑびす屋さん経由でソニー・ピクチャーズの佐々木さんから「007全巻制覇の旅、ご苦労様です!」というコメントとともに007の新作『カジノ・ロワイヤル』の招待券が届いた。
なんでもブログには書いておくものである。

2006.12.19

創造的労働者の悲哀

興味深い記事を読んだ。
12月18日毎日新聞夕刊に東大で行われた学生実態調査の報告についての短信である。
学部学生3534人(回答者は1367人)対象のアンケートで「自分はニートやフリーターになるように思う」と答えた学生が7.4%、「ニートにはならないが、フリーターになるかもしれない」と答えた学生が20.9%。
あわせて28.3%の東大生がいずれニートかフリーターになる可能性を感じている。
この数値の経年変化にも興味があるところだが、記事では触れられていない。
個人的予測を述べさせてもらえれば、数値はこの後も増え続けるだろうと思う。
東大生が就職にきわめて有利なポジションにいることはどなたでもご存じである。
だから、彼らがそれでも「ニートかフリーターになるかもしれない」と思っているのは、「就職できない」からではない。
新卒でちゃんと一流企業や官庁に就職はするのである。
オフィスにばりっとしたスーツを着て通勤し、きびきびと働くであろうということは確実に予測されているのである。
でも、ある日、不意に仕事に行く気がしなくなり、通勤電車のいつもとは逆方向の車両に乗ってそのまま「海を見に行って」しまったり、朝だるくて起きられず、そのままずるずると休み続けているうちに会社に行く気分がなくなってしまう自分の姿が妙にリアルに想像されるのである。
どうして、「不意にやる気がなくなる」のか、その理由はわからない。
でも、「不意にやる気がなくなる自分」には鮮やかなリアリティが感じられる。
たぶん、そういうことではないかと思う。
だから「ニートかフリーターになるかもしれない」という不安を彼らは払拭できないのである。
私はこの「不安」は構造的なものであると考えている。
ニート・フリーター問題についての本を書いたが、その中で「労働は憲法に定められた国民の義務だから働け」ということを書いた。
たぶん、若い読者のほとんどはその意味がわからないだろう。
「ふざけたことを言うな」と激怒する人もいるかも知れない。
「働きたいけれど働く先がないのだ。これは個人の決断や趣味嗜好の問題ではなく、アンフェアな社会構造のもたらす問題である」というのがニート・フリーター問題における「政治的に正しい」回答である。
申し訳ないけれど、私はこの考え方の「働きたいけれど」という部分に実は留保を加えている。
働きたいのになかなか仕事に就けない若者は「自分に向いた仕事、自分の適性や能力を発揮できる、クリエイティブで、見栄えがよくて、できれば賃金の高い仕事で」働きたいという条件に呪縛されているからである。
残念ながら、若い人に提供される就職口の中で、そのような条件を満たすものは1%もない。
99%の就労者は「自分に向かない仕事、適性や能力を生かせない仕事、創造性のない仕事、見栄えの悪い仕事、賃金の安い仕事」のどれかまたはすべての条件を満たす仕事を選択しなければならない。
だから、彼らがある日ふと「もう会社行きたくないな」と思ってしまうのは当たり前田のクラッカーなのである。
仕事を彼らは「自己表現」のようなものだと考えている。
だから、気むずかしい芸術家が途中まで仕上げたキャンバスを「こんなものは私の作品じゃない」といってばりばりと引き裂くように、「こんなものは私の仕事じゃない」といって蹴飛ばすことが当然だろうと信じてしまうのである。
なるほど、労働が自己表現であるならば、そのようなふるまいはたいへんつきづきしいものである。
しかし、残念ながら、労働は自己表現でもないし、芸術的創造でもない。
とりあえず労働は義務である。
現に、「すべて国民は、すぐれた芸術作品を創造する権利を有し義務を負う」という規定は日本国憲法のどこにもないが、「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」ということは憲法27条に明記してある。
労働は国民の義務なのである。
「条件が揃っていれば働いてもいい」というような贅沢を言える筋の話ではないのである。
「とにかく、いいから黙って働け」というのが世の中の決まりなのである。
なぜなら、人間はなぜ労働するのかということの意味それ自体が労働を通じてしか理解されないからである。
これについてはヘーゲルの理説を引くのが捷径であろう。
「人間が人間として客観的に実現されるのは、労働によって、ただ労働によってだけである。人間自身が現実に、客観的に自然的存在者以上のものであり、それと異なったものであるのは人為的対象を作り出した後であり、人間が自己の人間的かつ主観的な実在性を真に自覚するのは、ただこの実在する客観的な所産においてである。(・・・)労働することによって人間は精神を『体現』し、歴史的な『世界』となり、『客観化された』歴史となるのである。」(アレクサンドル・コヴェーヴ、『ヘーゲル読解入門』)
別にむずかしい話ではない。
小説を書かない作家、音楽を演奏しない音楽家というのが論理矛盾であることは誰にでもわかる。
「いいから、まずなんか書いて見せてよ」とあなただって言うだろう。
「それを読んで、どの程度の作家だか判定するから」
労働だってその点では同じである。
「いいから、まずなんか仕事をしてみなよ」と私たちは若者たちに告げねばならない。
「それを見て、君がどの程度の人間だか判定するから」
人間の適性や能力や召命は、労働する人間が「主観的にそうありたい」と願うことによってではなく、いかなる「実在する客観的な所産」をこの世に生み出したかによって事後的に決定される。
能力や適性は仕事の「前」にあるのではなく「後」に発見されるのである。
それに、自己表現としての芸術創造よりも、労働の方がずっと達成度についての判定は「甘い」。
だって、芸術の場合は「他人と同じこと」をしたら、それがどれほど高度の技術や熟練や努力の成果であったとしても「無価値」と判定されるからだ。
でも、労働の場合は「他人と同じこと」をしても、それが客観的に有用なものを生み出している限り、高い評価を得ることができる。
麻雀の用語を用いていうなばら、芸術は「アタマハネ」であるが、労働は「ダブロンあり」なのである。
労働は達成感を容易に得ることができる。
芸術はそれに比してはるかに要求が苛烈である。
そして、まことに不思議なことに、今の若い人々は労働を「義務」だと考えることを忌避し、それがまるで自ら進んで自己実現のために行う「創造」でなければならないと信じ込んでいるようなのである。
それではたしかに、ご本人にとっては苦しいことであろう。
「義務」を果たしている人に周囲は優しい(いやなことに耐えているわけだから)。
「創造」に苦悩している人に周囲は冷たい(頼まれてもいないことに血道を上げているわけだから)。
久しく労働は(主観的には楽しくても、制度的には)義務であり苦役であった。
しかし今、労働は創造となった。
そのせいで仕事をする人々はその定義上、仕事をつうじて絶えず自己実現の愉悦と満足にうちふるえていなければならなくなった。
苛酷な条件である。
絶えず創造し続け、絶えず快楽にうちふるえていなければならないという重圧に耐えかねた創造的労働者たちの中から「自分らしい作品ができないくらいなら・・・」と沈黙と無為の道を選ぶようになる者が出てきても怪しむに足りない。
ニートやフリーターはこの「創造的労働者」の末路である。
東大生たちはあるいは「創造的労働者であること」「余人を以て代え難い唯一無二の労働者であること」により強い動機づけをなされているのかも知れない。
そうだとすれば、彼ら自身が不安に思っているように、遠からず東大卒がニートやフリーターになる可能性は予測される30%に限りなく接近することになるだろう。

エージェル

ふと沢崎浩平先生のことを思い出した。
沢崎先生は私が助手をしていたときの東京都立大学の先生で19世紀文学が専門の方である。
授業と授業のあいまの休み時間に研究室の椅子に腰を下ろして、お茶を飲みながら長い時間、私を相手におしゃべりに興じたものである。
そのときにこんな話を聴いた。
沢崎先生が在外研究で一年間フランスに行っていたときの話。
先生が汽車で旅行していたとき、コンパートメントで相席になったフランス人に話しかけられた。
「汝は何国人であるか?」
「日本人である」
「しからば、汝は仏国にいかなる目的で渡航されたのであるか?」
「フランス文学を研究するためである」
というような定型的なやりとりがあり、かのフランス人はさらに質問をスペシフィックなものにして、「汝はどのような仏国人の書物を愛読せるや?」と訊いてきた。
沢崎先生はそのころ集中的にロラン・バルトの著作を訳されていたところだったので、その旨お答えした。
おそらくその詮索好きのフランス人は「ロラン・バルト」の名を知らなかったのであろう。
そういう場合に人はどのような態度をとるか、想像に難くない。
「ああ、バルトね。うん、バルト。はいはい、ロラン・バルトね。うん、僕も読んだよ、あれね。むずかしいんだよね。よくわかんないよね。ふつうのフランス人は名前も知らんだろうね、ははは」
というようなことをおそらくそのフランス人は口走ったのであろう。
私たちが電車で向かいの席に乗り合わせた妙に文法的に正確な日本語を話すフランス人に「なんだ日本語うまいじゃん。で、何日本の何、研究してるの?」というようなことを訊いたときに
「はい、葛西善蔵です」とか「伊藤仁斎です」とか言われたときにどういうふうにうろたえるかを想像すればよろしい。
そのフランス人はフランス人もよく知らないフランス人のことを日本人が専門的に研究しているという事実におそらくある種の気後れを感じたのであろう。
劣勢を挽回すべく、私だって哲学者の名前くらい知ってるぞということ誇示すべく沢崎先生に彼でも知っている著名人の名を口走ったのである。
「ほお、フランス人の哲学者をご研究と・・・えーと、じゃあ、当然エージェルなんかも読んでるわけですよね」
「エージェル?」
沢崎先生は問い返した。
「それは誰ですか?」
この問いにフランス人は勝ち誇ったようにこう応じた。
「え?エージェル知らないの?まじで。わははは。エージェルも知らないんだ。エージェルも知らないで、哲学だって。ははは。笑っちゃうね。何がバルトだよ。エージェルも読まないやつがバルトだって。バカじゃん」
沢崎先生はその屈辱的な口吻にも動じないほどに温厚な方であったが、同時にたいへん篤学の人でもあったので、およそ哲学を学ぶ人間がその名を知らぬはずがないという「エージェル」とはいかなる人物であるのかを辞を低くしてかのフランス人に尋ねた。
「しかして、その方はどのような題名の本を著しているのでしょうか?」
「え?エージェルの本?たくさんあるよ。『精神ナントカ学』とか『法ナントカ学』とか・・・」
「あの・・・・それって、ヘーゲル?」
「え?ヘーゲル?Hegel って『ヘーゲル』って読むの?日本では?」
というようなオチまで話を30分くらい引っ張って聞かせてくれたのである。
私が助手のときにずいぶんお若くして亡くなられたけれど、このオチで私が爆笑したときの、うれしそうな顔を今でも思い出す。

2006.12.20

伊藤銀次@Left Alone

光安さんは宝塚方面で何軒かの美容室を経営する辣腕のビジネスマンであるが、たいへん奇特なことに4年前、大学院の聴講生に「男性も可」と規程が変更された最初の学期に私のゼミを聴講された。
そのときの第一期生聴講生の中には、“だんじりエディター”江さん、“ゑびす屋”谷口さん、ドクター佐藤、スーさん、大迫力と書いて「おおさこちから」と読む大迫くん、シャドー影浦、ジョンイル長光、そして今も精勤の渡邊仁さんなどたくさんのおじさん&お兄さんがいた。
光安さんはその中のお一人である。
光安さんはその後ビジネス多忙のためにゼミには来られなくなったのであるが、腰肩などに疼痛を覚え、三宅接骨院の常連となられた。
そのために、私は三宅接骨院の待合室で光安さんと頻繁に遭遇することとなったのである。
先般もまた待合室で遭遇したところ、今度光安さんのバンド(彼はビジネス多忙の上にSugar Babe をレパートリーとするナツメロバンドまでやっているのである。腰肩も凝るよな)が芦屋のLeft Alone に出るけれど、「ゲストが伊藤銀次さんなんです。ウチダ先生も来てくださいね」とご案内を頂いた。
え、伊藤銀次?
伊藤銀次と言えば「ごまのはえ」、ココナツバンク、『ナイアガラ・トライアングル』と、われわれナイアガラーにとってはナイアガラ草創期以来の神話的アイコンである(『イカ天』でもご尊顔を拝見したけれど)。
イシカワくんのご紹介で私も学生時代から昵懇の阿部“社長”安治くんの大阪教育大付属高校時代のご学友でもある。
これは行かねば。
というわけで、大学院のゼミが終わったあと、着替えててくてく岩園のイカリの向かいのLeft Alone に向かう。
ドアを開けるとちょうど光安バンドが「どーも、ありがとう!」と演奏を終えたところであった。
あら〜。
伊藤銀次さんの出番を待ってワインを飲んでいると、ステージを終えた光安さんが現れて、「銀次さんに紹介しますから、来てくださいよ」と手を引いてくれる。
あ、ども。ウチダです。
といっても伊藤銀次さんは私のことなど知る由もない。
あ、こんにちは、と静かに挨拶を返される。
とはいえ、「日本のフリーメイソン」であるところのナイアガラーのこれは強みで、「あの私、古手のナイアガラーで、実は大瀧さんと対談したこともあるんです」という自己紹介で、一気に伊藤銀次さんの表情が緩む。
え、そうなの。よく大瀧さんと会えたね。
というところから話が始まり、ごまのはえ時代の大瀧さんとの出会いの話、ナイアガラ草創期のさまざまなエピソード、『ダウンタウン』のデモテープを山下達郎さんと作ったときの話、山下洋輔さんとハナモゲラ語を作り出した頃の話、ナイアガラ・トライアングル1と2がどのようにして出来上がったか・・・などなど『新春放談』ネタを出番ぎりぎりまでたっぷり伺った。
『幸せにさよなら』がその時期の伊藤作品ではぼくのフェバリットなんですということを申し上げたら、ステージで演奏した三曲の最後にセレクトしてくれた。
伊藤銀次さんはほんとにスマートな人である。
機会を作ってくださった光安さんに感謝。

06122001.jpg

2006.12.22

甲野先生の講演会と講習会

12月20日に甲野善紀先生の講演会と講習会が開かれた。
思えば、はじめて甲野先生を本学にお迎えしたのは、911テロ直後の2001年12月の初めのことであった。
あれから5年。
早いものである。
その間に甲野先生には守伸二郎さん、名越康文先生、光岡英稔先生、高橋佳三さんと次々と驚嘆すべき人々にご紹介を頂き、その方々との出会いから私はまた多くのものを得ることになった。
先日終わった朝カルの「武術的立場」はその守さん、高橋さん、それに平尾剛さんという「甲野善紀先生の身体技法にインスパイアされて、それぞれのエリアでイノベーティヴな活動をしている次世代の旗手たち」との連続対談であり、献辞を付すとすれば、これは当然 dedicated to Master Kono Yoshinori と記されねばならないのである。
この連続対談シリーズはまた5年にわたって甲野先生から直接薫陶を賜ったご恩に対する私自身の現段階での「研究報告」でもある。
そういう記念すべき5周年に、ご多忙な中甲野先生に来学頂いたことをまず感謝したい。
今回は実技に入る前に90分間、大学の教室を使って「武術的身体技法の意味」について講義をしていただくことにした。
甲野先生はすぐに「じゃあ、ちょっと・・・」と立ち上がって実技に入ってしまうので(ヒルトンホテルのロビーでさえ)教場での講義というのは珍しい。
私は先生の技法と同じように、先生が大量にストックしている「不思議話」を伺うのが大好きである。
以前、その「不思議話」だけを収録した書物を企画したことがある。
甲野先生と名越先生の経験した「不思議なこと」ばかりを20時間録音し、『邪悪なものの鎮め方』とタイトルまで決まっていたのであるが・・・いろいろ差し障りがありすぎて、いまだ書籍化しないのである。
生霊が飛び、式神が電話線の中を潜り抜け、UFOが新幹線に並走する話なので、あるいは出版コードに抵触するのかもしれない。
今回はそういう不思議系の話ではなく、科学技術と量子力学の話。
はじめて甲野先生と出会う学生たちはびっくりして聴いている。
それからミリアム館に移動して、3時から5時半まで、甲野先生とご令息の陽紀(はるのり)さんのご指導で実技講習会。
こちらには平尾剛さんと瓜生靖治さん神鋼ラグビー部のお二人がお見えになっている。
瓜生さんは甲野先生の術を見るのははじめてである。
体重が20キロくらい軽い細身の甲野先生に軽がるとタックルをかわされ、ハンドオフをつぶされて、なんとも「腑に落ちない」という顔をしている。
この「腑に落ちない」感じが甲野先生の術を受けたときの実感である。
将棋で「王手!」と駒を打ち込んだら、「あ、その飛車、ロン」といわれたような割り切れなさといえばお分かりいただけるであろうか(よけいわかりにくいか)。
身体を精妙に使うことのたいせつさを今回も骨身にしみて学ぶ。
特に、腕の筋肉を「張るでもなし張らぬでもなし」という中間状態にもってゆくために「爪に火をともす」「針先で鱈子の粒を一つ一つつぶしてゆく」というふうに指先の感度を上げるという術理には深く納得した(早速翌日の合気道の稽古では、この「中間状態の手」を作るためにあれこれと工夫をしてみる)。
講習会の風景はビデオ撮影。
甲野先生にも大学の受験生用パブリシティにちょっとだけご協力願うことになった。
あっというまに2時間半の講習が終わり、懇親会でも甲野先生を囲んで武術談義がいつまでも続いた。
いつものようにまことに愉しく、有意義な一日でありました。
甲野善紀先生、陽紀さん、どうもありがとうございました。
また、来年もよろしくお願い致します。
今回の企画にご協力くださった、大学入学センターの企画広報、大学研究所に感謝致申し上げます。


甲野先生講習会のあとで。左から甲野陽紀さん、私、甲野善紀先生、平尾剛さん、
瓜生靖治さん

2006.12.24

今日から冬休み

金曜日に会議が終わって、教務課の職員のみなさんに「よいお年をお迎えください」と三回挨拶して(オフィスに二回忘れ物を取りに戻ったため)、家に戻って講談社の(締め切り過ぎの)校正をクロネコヤマトで送り出して、ようやく「冬休み」を迎えることができた。
やれやれ。
10月から後、まことによく働いた。
この3ヶ月の間、どれほどの量の原稿を書き、人前でしゃべったことか。
どうして仕事というのは人が暇で困っているときには来なくて、人が忙しくて困っているときに限って集中豪雨的に到来するのであろうか。
書き物について言えば、集中豪雨的なときに書いているものにはあきらかにそうではないときと違う種類の質感がある。
それは「くそ忙しいときにこんなこと書かされるのはもううんざりだぜ」というある種の倦厭感である。
もちろん私は常識ある社会人であるから、そのような倦厭感はテクストの表層には露出しない。
しかし、原稿を受けとった編集者が「げっ」とのけぞって、
「へ、編集長、こんなとんでもないことウチダが書いてきちゃったんですけど・・・、ど、どうします。このまま載せますか。ボツにしちゃいますか・・・」
「え〜どれどれ、みしてみな・・・げぼ」
というような展開になることを仮に私の無意識が欲望したとしても、私の顕在意識にはそれを止めることができぬのである。
結果的に、私の送る原稿は多忙なおりほど「げぼ」度の濃度が向上することになる。
しかるに人というものは(@古今亭志ん生)、「げぼ」的テクストのうちに無政府性とか批評性とかいうものを感知することもあり、そういう場合は「え、なかなかスパイシーな原稿じゃないか。ヤマちゃん、これで行こうよ」というような意外な展開を見ることがあり、そのような場合、一層事態は急迫することになるのである。
この一年間ほどの自身の書き物を見ても、あきらかに夏から秋、秋から冬にかけて、公私の忙しさが加速するにつれて、書き物の「わし、もうどーでもえーけんね」度もまた飛躍的に高まっている。
もちろんこのような増上慢を天が久しく許すはずもなく、いずれゼウスの雷撃が私を打ちのめすであろうことは時間の問題なのである。
だが、私としてはむしろそのような日の来ることを待望すること切なのである。
1990年代の初め頃、芦屋に来たばかりの頃のように、仕事がまるでなくて、暇で暇でしかたがないので、るんちゃんを相手にモノポリーをしたり(モノポリーは二人でやってもあまり面白くない)、のんびりと海や山にドライブに行ったり、六甲山にハイキングに行ったり、出す当てもない本を翻訳をしたり、寝ころんで二人でマンガを読みふけったりしたあの日々がまことに懐かしい。
といいながら、自分で忙しくしているんだから世話はなくて、金曜日は家に帰るとすぐにかんきちくんと画伯が登場。
「あと一人は誰なの?」とせっつくけれど、今回は急な召集だったので、芦屋在住の「しらぎく麻雀の会」会員たちはドクターご夫妻もジロー先生もワタナベ先生もヒラオさんもみんな欠席である。
誰が来てくれるんだろうねと、とりあえず「牌をいじっていると心が洗われるような気になる」という画伯の提唱でサンマンをして四人目を待つ。
サンマンでかんきちくんをいぢめているうちにホリノ社長が登場。さらに江さん青山さんが現れて、さっそく年末例会の開催となる。
私はご案内のとおり今年は3月までが絶好調で、4月から7月まで絶不調、10月以降は「ふつう」という景況である。
絶不調とはいえ、それは例会での戦績が-106,-76と大敗が二度続いたために、「会長は意外に弱い」という風評が流布しただけで、実際には絶不調期もこつこつと点棒をためて、3割を越す勝率はキープしていたのである。
ようやく年末となり、今期圧倒的な勝率を誇るヒラオ選手に急追するためにも、これは落とせない例会だったのである。
今回の例会では江さんが急に「東京に移住する」と言い出したために会場は大混乱を来した。
とりあえずその岸和田弁を何とかせな、ということで、一同打牌のあいまに「発音矯正」を行う。
しかし、江さんが「やだなあ、ぼく、そんな牌では待たないよ」というようなことを言い出したものだから、全員痙攣的に笑い続けることを自制できなかったのである。
というわけで乱戦を制したのは、こういう修羅場に強い会長。
戦績は
一位 会長 +96(4戦2勝)
二位 かんきちくん +27(2戦1勝)
で、画伯は四位-26ながら、3戦1勝で今年最後の半荘を勝利のうちに終えて、たいへん満足げにお帰りになられた。
明けて土曜日は翌日は合気道の納会。
大学でお稽古(36畳に36人くらいひしめいたので、一人一畳状態)したあと、ぞろぞろとわが家へ。
私の主催する宴会は、すべて「私がテーブルについたら開会」である。
そして、一番良いシャンペンをまず空けることになっている。
シャンペンは七人くらいで乾杯すると空いてしまうので、わが家の宴会では「最初の七人」に含まれることが重要なのである。
今回はさらに三宅先生から「ローストビーフのカタマリ」のご提供があったが、もちろんこのような極上の食材は最初にいた人間だけで食べ尽くしてしまうことになっている。
最初のシャンペンとローストビーフに間に合ったのは私の車に同乗して帰ってきた“謎の主婦”井上、“謎のガラス職人”廣末の謎コンビと新入部員のババさんの三人と、必死で走り込んで来たウッキーとタニオさんであった。二本目のシャンペン(モエ・エ・シャンドン)にはドクター佐藤と飯田先生ご夫妻が間に合う。
これうまい、うまいですね〜と三宅先生のビーフを食べ尽くし、岡本方面に向かって全員で「三宅センセ〜ごちとうさまでした〜」と最敬礼をする。
今回の食事のテーマは「感謝」というものであったので、人々はそれぞれに工夫を凝らした食材を用意されていた。
お魚と葱のスパゲッティという新メニューに挑戦したPちゃんのパスタが今回も常勝の「グランプリ」。
マッシュポテト入りの手こね丸型ハンバーグという新人サキちゃんの作品が「新人賞」。
あらかじめウチダ宅に「すりこぎとすり鉢」を送り、それで調理をしたウノ先生の「山芋」とが今回の「大技賞」。
いちばん早くなくなったのはPちゃんの「カルボナーラ」(皿を机に置く前になくなった)。二番目は私の「颱風グリーンカレー」でした(10時間煮込んだカレーが10分でなくなった・・・)。
多田塾甲南合気会のみなさん、神戸女学院大学合気道部のみなさん、昨日はご苦労さまでした。よいお年をお迎えください。

2006.12.26

毎日が冬休み

冬休み三日目。
煤払いも三日目。
本日の標的はキッチンと台所と廊下の戸棚。
毎年一度だけだけれど、そのときは本格的に掃除をするので、掃除グッズについては商品調査を怠らない。
今年は「洗剤なしでステンレス・ガラス・陶器などの汚れが驚くほどキレイに!」という惹句に惹かれて「ドイツ生まれの新素材」「みがき君」を導入することにした。
おお、こ、これはすごい。
二十年ほど前に「換気扇クリーナー」を初導入したときの感激を思い出す。
吹き付けただけで脂汚れが「どろーり」と溶け出すのであるから、あのクリーナーに含まれていた溶剤は人体にとってもおそらく無害ではなかったのであろうが、健康への配慮は換気扇にこびりついた脂汚れが「どろーり」と溶け出すのを見る快感に及ぶものではなく、私はあらゆる室内の汚れに「換気扇クリーナー」のスプレーをじゃんじゃん吹き付けたのであった。
それから幾星霜。
「みがき君」の登場である。
これは洗剤が要らない。
サイコロ状のスポンジを水に濡らして脂汚れを一拭きすると、摩訶不思議なことにレンジにこびりついた脂がするりとれてしまうのである。
オーマイガ。
これは何か裏があるな。
注意書きを読む。
「人体や食品には使用しないでください」
なるほど、これで「垢すり」などをしてはいけないということだな。
「敏感肌の方や長時間使用する場合は炊事用手袋をご使用ください」
使っているうちに手まで削れてしまうとは。なんと過激な新素材であろう。
さくさくと掃除をして、コーヒーブレークにメールを開くと、日経の原稿締め切りが1月4日ですよというお知らせが来る。
一昨日は朝日新聞の藤沢周平本に『蝉しぐれ』のことを書いて送稿。昨日は下川先生のお稽古から帰って、『野性時代』に食べ物エッセイを書いて送稿。
掃除と稽古のあいまに原稿まで書いている。
ほんとうに働き者である。
締め切りが年明けでも、三が日に原稿なんか書いている暇はないから、今のうちに書いてしまおう。
「意地悪化」という言葉を今朝トイレで思いついたので、「意地悪化する日本」という原稿を書く。ただちに送稿。
ふたたびバッハをBGMにキッチンの汚れと戦う。
電話が鳴る。
うっせーなと思って出ると、教務課長から「ヨミウリ新聞の方が来て先ほどから待ってますけど・・・」という怪訝なご連絡。
げ。
スケジュールを見ると、今日の午後1時半にインタビューが入っている。
車を飛ばして大学へ。
平身低頭してからインタビューを受ける。
お題は「2007年の男ごころ」。
シリーズ記事の最終回に私が「2007年の男ごころ」について総括するのである。
そうですか。
そんなことを急に訊かれてもねえ(ほんとは「急」ではなくて、ちゃんと「取材のお願い」には企画趣旨も書いてあったのだが、例によって読まずに来たのである)。
しかたがないので、思いつくまま、「男はプリンシプルを持ってはならない」「男はこだわりを持ってはならない」「男はプライドを持ってはならない」「男は被害者意識を持ってはならない」など、持説をべらべらしゃべる。
だいたい最近の男たちはみんな性格が攻撃的すぎますよ。
なんでも絨毯爆撃的に悪口雑言を吐いてですね。
寸鉄人を刺すごときレイザーシャープな批評の切れ味を競うようなことばかりしている。
何かというと「だいたい最近の・・・」はというような包括的な言い方をするしね。
ん?
2時間ほど思いつくままにしゃべる。
あのような支離滅裂な話をまとめるのはさぞやご苦労と思うが、「人間すべからく支離滅裂であらねばならぬ」というのが私の主張なのであるから、仕方がない。
家に戻って、また掃除。
今日の標的を攻略し終える。
明日は風呂場と洗面所と和室。

2006.12.28

『街場の中国論』の前口上

煤払い四日目。
本日の標的はリビング。
床と机の上に散乱している書物たちをなんとかせねばならないが、まあ本というのは比較的始末によいものであるから、何とかなるでしょ。
BGM、昨日は志ん生の『疝気の虫』と米朝の『地獄八景亡者戯』だったので、今日はバッハ。
これで掃除は外回りを残しておしまい。
次は年賀状書きである。
それが済んだら、朝日の教育本(『狼少年のパラドクス』)の追加分の原稿を書かなければならない。
それが済んだら、できることなら冬休み中に『街場の中国論』を仕上げてしまいたい。
まだ4分の1くらい触っていない草稿が残っているのであるが、あまりに書きすぎたので、これ以上書くと本が片手で持てないくらい重くなりそうである。
ミシマくんから電話があったのを奇貨として、「ねえ、ここまででもう十分じゃない?」というアクマの囁きを送る。
とりあえずデータ送るから、ということでハードディスクから取り出して、久しぶりに読み返してみる。
草稿の大半を書いたのは夏休みのブザンソン。
もう四ヶ月ほど前のことになる。
そのときは軽い憑依状態のライティング・ハイだったので、実は何を書いたのか覚えていない。
他人の書いたものを読むような気分で読むことになるのであるが、これがまことに面白い。
へえ〜、そうだったのか。なるほど、そういうことね。
とうなずきながら読んでいる。
自分で書いておいて「へえ〜、そうだったのか」もないものだが、憑依状態で書いているものは、素面のときに読み返すと、書いた本人にも理路がわからない箇所が多々あるのである。
とにかく私がこれまで読んだ中国論の中では一番面白かった。
ブザンソンのビジネスホテルの一室にこもって、こんな面白いことを書いていたのか、私は。
この本が扱っているのは2005年の話だから、もうそろそろ2年前の日中関係である。
反日デモが荒れていた頃の話である。
そんな昔のネタで中国論を書いて、いったいどのような情報的価値があるのだ、と訝る方もおられるかもしれない。
現に、二年前に出た(そのころ書店には溢れていたけれど)中国論の本のうちに現在でもなおリーダブルであり、読者に有用な知見をもたらすものは希少であろう。
「まえがき」に私はこんなふうに書いた。

演習が終わってから一年近く経って、改めてゲラを読み返すと、ずいぶん古い話題が多いように思います。
でも、そのときに「これから中国はこういうふうになるんじゃないか」と予測したことのいくつかについては、その後予測が当たったこともありますし、さっぱり予測が当たっていないこともあります。ですから、この本の中で私が行っている推論の当否を吟味しながらお読みいただくという「楽しみ」も読者のみなさんにはあるわけです。
こういう「海外事情本」の類は速報性が命ですから、少し時間が経つとまったく情報として無価値になってしまうものがほとんどですけれど、私としては、この本をできるだけ「賞味期限」の長い本にしたいと望んでいます。
その希望を「街場の」というタイトルに込めました。
私はご存じのとおり、中国問題の専門家でも何でもありません。私が中国について知っていることは、新聞記事と、世界史で習った中国史と、漢文で習った中国古典と、何人かの中国人の知人から聴いた話だけです。それでほぼ全部です。ですから、私が中国について知っていることは、量的には平均的日本人が「中国について知っていること」の標準値からそれほどずれてはいないだろうと思います。その「街場のふつうの人だったら、知っていそうなこと」に基づいて、そこから「中国はどうしてこんなふうになったのか?中国では今何が起こっているのか?中国はこれかららどうなるのか?」を推論しようというわけです。それは可能だと思います。
どれほどインサイダー情報に精通していても、推論する人自身に強い主観的なバイアス(「中国はこんな国であって欲しい」「中国がこんなふうになればいいのに」という無意識的な欲望のことです)がかかっていれば情報評価を誤ることはありえます。逆に情報が限られていても、自分の主観的なバイアスによる情報評価の歪みを「勘定に入れる」習慣があれば、適切な推論をすることは可能だと思います。
もちろん、私にも主観的なバイアスはたっぷりかかっています。私は「中国と日本は東アジアのイーブンパートナーとして協力関係を築くべきだ」と思っていますし、「中国政府は効果的ガバナンスを長く維持していて欲しい」と思っています。その点では、「中国なんか大嫌い」という人や「中国政府が少数民族問題や経済格差問題や党官僚の汚職や腐敗で統治能力を失えばいいのに」と思っている人とは情報評価が違ってきます。私たちはどうしても自分につごうのいい情報は過大評価し、自分につごうの悪い情報は過小評価しがちになります。でも、そのことをいつも念頭に置いておけば(つまり「自分の愚かさを勘定に入れる」ことを忘れなければ)、あまり大きなミスは犯さないで済むだろうと思っています。
ですから、この本は「中国について何か知りたい」と思って客観的で有用な情報を求めている読者向けの本ではありません。では、どういう読者の役に立つのかと訊かれても、実ははかばかしいお答えができません。他国の政治や文化について、あまり大きな間違いをしないで考察する方法(間違えた場合もすぐに修正できるような方法)とはどういうものだろうと思っている若い読者がいたら、たぶんそういう人たちにとってはわりと有用な書物になるのではないかと思います。

というような本である。
なかなか面白そうでしょ。
本が出たらミシマくんのためにもぜひ買ってやってくださいね。

2006.12.29

「お名前は?」「ボンド。ジェームズ・ボンド。」

ようやく煤払いが終わる。
PC周りは静電気のせいで埃がファンタスティックな状態になっている。
PCの後ろから埃まみれになった大量のFDが出てくる。
そういえば、こういうものに情報をストックしていた時代もあったのである。
20年前NECの文豪で仕事をしていたころは本一冊分の訳文を収録するだけでFDが何枚も必要だった。
そのあと容量の多いFDの厚いやつが出てきたけれど、あまり行き渡らないうちにUSBメモリーの時代となった。
この数十枚のFDには1990年代の書き物がいろいろ収録されているようであるが、たぶんこのまま読み出されることなく消滅してゆくのであろう。
諸行無常。
巨大山芋を頂いたので、昼は「とろろそば」。
ずるずる。
さらに掃除を続ける。
午後6時になったので、終了。
まだ引き出しの中とか片方の書棚は手つかずであるが、今年はこれでおしまい。
お風呂に入って頭を洗って汚れを落とす。
着替えてから、寒空の下三宮まで出て、『カジノ・ロワイヤル』を見る。
先週から始まった「007全巻制覇の旅」は順調に続いている(一日1本ペースでこれまで8本見た。でも、まだあと12本・・・)。
ジェームズ・ボンド役はご案内の通り初代ショーン・コネリーから始まって、ジョージ・レーゼンビー、ロジャー・ムーア、ティモシー・ダルトン、ピアース・ブロスナンと続いて、今回が六代目ダニエル・クレイグ。
私の採点ではベストは『ドクター・ノウ』のショーン・コネリー。
日本公開当時(1963)のタイトルは『007は殺しの番号』。
私は中学校1年生。
文藝春秋の映画評の欄で、ベレッタを擬しているショーン・コネリーのスチールを見て「があん」と来たのを覚えている。
中坊が掌の汗でじっとり湿った百円玉を握りしめてそのまま映画館まで走ってゆきたくなるような映画であった。
このときのショーン・コネリーのベストショットは総督の中国人秘書(ドクター・ノウの手下)の色仕掛けに応じてキスしながら腕時計を見るときの冷たい眼と、「S&Wは6発しか撃てないんだぜ」と言いながら、デント教授をサイレンサー付きのベレッタで一発で射殺してから、サイレンサーをはずして「ふっ」と煙を吹くところ。
原作者イアン・フレミングは映画化に際してジェームズ・ボンド役にケイリー・グラントを希望していた。
プロデューサーのアルバート・ブロッコリがショーン・コネリーを選んだときには「洗練が足りない」と言って渋ったそうである。
たぶん、ショーン・コネリー自身もそのことは聞いていたはずである。
だから、最初の二作におけるショーン・コネリーの演技には微妙な「ケイリー・グラントっぽさ」がある(『ゴールド・フィンガー』以降にはもう見られない)。
無意識のうちにイアン・フレミングの「好み」を意識していたのかも知れない(実際にイアン・フレミングは映画を見てコネリーに対する評価を一変させた)。
私はこの「ケイリー・グラントっぽいショーン・コネリー」のジェームズ・ボンドがたいへん気に入っているのである。
このキャラクター設定の成功が以後のシリーズの長期化を確定したはずである。
ジョージ・レーゼンビーとティモシー・ダルトンには「ケイリー・グラント」風味がない。
ロジャー・ムーアとピアース・ブロスナンは「ケイリー・グラントの軽み」はあるけれど、「ケイリー・グラントの非人情」がない。
ケイリー・グラントはショーン・コネリーと同じくイギリスの労働者階級の出で、十代からサーカスの芸人をしていた苦労人だけれど、不思議な上品さと退廃を感じさせる。
それはとってつけたものではなく、ケイリー・グラントが生まれ持ったある種の「オーラ」のようなものではないかと思う。
メイ・ウェストがブロードウェイの舞台に出ていたこの無名の青年を抜擢したのも、それを感知したからだろう。
ジェームズ・ギャッツ少年がダン・コーディに出会ってジェイ・ギャツビーになったように、アーチボルド・アレクサンダー・リーチ少年はメイ・ウェストに出会ってケイリー・グラントになったのである。
だから、『グレード・ギャツビー』を30代のときのケイリー・グラントが演じたら「完璧な映画」になったかも知れない。
話を戻すと、(最初の二作品における)ショーン・コネリーのジェームズ・ボンドが卓越しているのは、無意識のうちにケイリー・グラントの軽さと非人情の芸風を「本歌取り」しようとしていたからである。
と私は考える。
『カジノ・ロワイヤル』は映画としては大変に面白い。
中だるみがまったくない(ほとんど神経症的な)「ジェットコースター・アクション・ムーヴィ」である。
でも、ダニエル・クレイグをジェームズ・ボンドに見立てるのはどうやっても無理である。
ダニエル・クレイグは顔の右半分はわりといいのだけれど、左半分が悪相である。
たぶんこのアンバランスをプロデューサーは「ジェームズ・ボンドの複雑な内面」を記号的に示す利点と理解したのであろうが、ジェームズ・ボンドの複雑な内面はそういうものではない。
ジェームズ・ボンドの残忍さと邪悪さは、ケイリー・グラントが『疑惑』のラストシーンで毒入りミルクを持って階段を上るときの、あのブラックホールのような無表情によって示すべきなのだ。
私が今もしジェームズ・ボンド役をキャスティングするとしたら、誰を選ぶだろう。
むずかしいなあ。
やっぱジョニー・デップかな。
ただしこのボンドはミス・マネーペニーから「ジェームズ、あなたどこにいるの?探し回ったわよ」という電話がかかってきたとき、阿片を吸飲してラリっている。

2006.12.30

麻雀に還れ

甲南麻雀連盟の「打ち納め」。
思えば2005年10月1日に発足した当会も、はやくも14ヶ月の風雪を閲したのである。
甲南麻雀連盟は、佐藤“ドクター”友亮、谷口“ゑびす屋”武史(旧姓“越後屋”)、釈“老師”徹宗、江“だんじりエディター”弘毅、それと私の五名によって発足した。その経緯については去年のブログ日記に詳しい。
フッサールは「物自体に還れ」と言い、アルチュセールは「マルクスに還れ」と言い、ラカンは「フロイトに還れ」と言った。
それらの先賢の驥尾に附して、私たちは21世紀の日本社会に向けて「麻雀に還れ」という断固たる思想史的宣言をなしたのである。
「麻雀に還れ」
なぜなら、私たちは人生についての(ほとんど)すべてを麻雀から学んだからである。
そして麻雀のうちには私たちがいまだ知ることのない無限の叡智が宿っている。
それゆえ老師は「人生は麻雀の縮図である」と道破されたのである。
麻雀において、すべては宿命であり、同時にすべては自由である。
なぜなら、私たちは「自摸牌」という宿命に100%支配されつつ、同時に「打牌」において100%の自由を享受しているからである。
卓をよぎる一瞬の手さばきのうちに宿命と自由が交錯する。
昨日の打ち納めはまさにその「宿命と自由」の火花を散らすきびしい闘牌が演じられたのである。
打ち納め開始時点における年間総合成績は
     勝率 勝数 半荘平均 合計点数 半荘数
1 ザ・ラガーマン 0.357  15 8.83 371 42
2 会長    0.329  23 7.94 556 70
3 画伯 0.318  14 2.61 115 44
4 ドクター 0.311  14 4.11 185 45
5 歌う牧師 0.269  7 -1.00 -26 26
6 ゑびす屋 0.241  7 -0.76 -22 29
7 だんじりエディター 0.224  11 2.76 135 49
8 泳ぐ英文学者 0.222  6 -5.22 -141 27
9 かんきちくん 0.182  6 -0.30 -10 33
10乱れ髪アオヤマ 0.147  5 -12.85 -437 34
11弱雀小僧 0.094  3 -7.38 -236 32
12芦屋麻雀ガール 0.040  1 -17.16 -429 25

規定打数に達していない参考記録としては
  ホリノ社長 0.333  6  3.78     68 18
  シャドー影浦 0.313  5  5.63     90 16
  老師  0.227  5 -2.64    -58 22
勝ち点、勝ち数において会長の優位はゆるがぬものの、打ち手にとっての真の名誉は「勝率」である。
この時点で二位の会長と一位のザ・ラガーマンの勝率差は2分8厘。
逆転は困難かと思われた。
第一局ドクターがトップ。
これでドクターが勝率0.326に上げ、負けた私は勝率を0.324に下げて、二三位が逆転。
一位二位三位が参戦した天王山の第二局では私が大勝。
勝率0.333(72戦24勝)。ドクターは0.319(47戦15勝)で再び二三位逆転。
ザ・ラガーマンは0.349(43戦15勝)で首位をキープ。
第三局は牧師が勝利して、ザ・ラガーマンは本日二敗目を喫する。
第四局ではドクターがトップ、ザ・ラガーマンは三戦して勝利なきまま二人が抜ける。
そして、この時点で驚くべき事態となった。
ザ・ラガーマンが45戦15勝の0.333。
ドクターが48戦16勝の0.333
そして、会長が72戦24勝の0.333。
なんと勝率一位に三人が並んでしまったのである。
すべては最後の半荘にかかった。
一人三半荘ルールで行ったので、最後の半荘に参加するのは私一人。
ここで私がトップを取れば私が単独一位。
私が二位以下であれば、ドクターとザ・ラガーマンが2006年度の年間王者の座を分かち合うことになる。
相手はだんじりエディター、みだれ髪アオヤマ、そして前期勝率一位を私と競った歌う牧師。
打牌に力がこもる。
東一局いきなり江さんに満貫を振り込む暗雲のスタート。
東場終了段階でマイナス15。
ドクターとラガーマンはすでに祝杯のワインを飲み始めている。
南二局の親で立直平和自摸一並刻ドラ1の親満を自摸り上がって挽回。
オーラス時点で私がプラ4、二位のアオヤマさんがプラ3。百点棒差。
親の江さんが後半に立直、アオヤマさんが満を持して追っかけ立直。
どちらかに振り込めば私のトップはなくなる。
降りても、アオヤマさんが上がればトップはなくなる。
年間勝率一位をかけた最後の一局となった。
江さんが「あ!」と小さな声をあげて自摸った三索を卓に置く。
「ロン!」と北荘のアオヤマさんが声を上げる。
アオヤマさんの後ろで手を見つめていたドクターとラガーマンが歓声を上げる。
「ロン!」と南荘の私が声をかぶせる。
アオヤマさんが信じられないという顔をして中空に目を浮かせる。
アオヤマさんの手は「立直、混一色、対対和、三暗刻、中」の倍満(もちろん自摸れば四暗刻)。三索六索のシャボ待ち。
私は三索、四索、六索の変則三面待ちのタンピン2000点。
オーラスのアタマハネで私は73戦25勝0.342で勝率単独一位、最多勝利、最多得点、最高勝率の年間三冠王となって会長の面目を施したのである。
あの三索をアオヤマさんが自摸っていればアオヤマさんの役満で祝祭的な「打ち納め」となったはずである。
わずか一牌のずれで人生の明暗が分かれたのである。
「ノーサイド」のホイッスルが高らかに鳴り渡り、甲南麻雀連盟2006年シーズンはこれをもって終了した。
冷たいビールとシーバスの水割りで互いの健闘をたたえ合い、来春からの2007年シーズンへ向けて心機一転を誓う会員一同の唱和する「甲南麻雀連盟会歌」の歌声が高らかに深夜の芦屋の街に響くのであった。
「ポンといったら手を出すな/早い立直は一四索/出るかヒロキの字一色/嗚呼、ドラ槓に上がりなし」(二番以降歌詞省略)

2006.12.31

卒論とボクシング観戦

煤払いも終わり、年賀状250枚にネコマンガを描いて無事投函し、年内最後の仕事である「卒論の添削」にかかる。
年内にメールで送るように言っておいたが、送ってきたのはゼミ生の半分ほど。
それでも8人分読み、それぞれにコメントをつけて返すと、朝始めた仕事が終わったのが午後4時。
読んだ限りの卒論はどれも力作である。
読んでいるうちに「ふっと」我を忘れてテクストの中に没入してしまう箇所がところどころにある。
こちらは誤記を探し、構成の破綻を指摘するという査定的なまなざしで読んでいるわけなのだが、それでも瞬間的に書き物「の中」に引き込まれるということが起こる。
おそらく書き手の「呼吸」と読んでいるこちらの「呼吸」が合ってしまうときに、そういうことが起きるのであろう。
読み手と書き手のリズムの波形が合う。
そのためには書く方が「リズムに乗って」書くことが必要である。
書いている人間が「乗っていない」文章に、読み手の呼吸が合うということはありえない。
だから、こう申し上げては学生諸君には申し訳ないのであるが、10月の中間報告のときにすでに書き上がっていた草稿の部分は(たいていそのまま「第一章」や「第二章」に使い回されている)読んでもあまり「乗って」こない。
その部分は、学生諸君が以後4ヶ月にわたって「いじりまわして」いるからだ。
そういう文章はもう触られすぎて、「つや」を失ってしまう。
読んでわくわくするのは、ごく最近卒論の「末期」に書いた部分である。
何日か卒論だけに没頭していて、数十時間ぶっ続けに卒論のことばかり考えていて、そのときにふっと思いついたことを一気に書いた文章には不思議な「生きのよさ」がある。
でも、そのような「生きのいい」文章を書くためには数ヶ月間の助走と、その間に自分の書いた文章が「生気を失ってゆく」といういささか切ない行程を経験しなければならないのである。
学生諸君のほとんどは「ライティング・ハイ」を卒論執筆時に生まれてはじめて経験する。
それを味わうだけでも卒論を書いたことの教育的意味は十分に尽くされていると私は思う。

30日の夜は本田秀伸さんの復帰第二戦が大阪ビジネスパークのIMPホールで行われる。
相手はタイのスーパーバンタム級チャンピオン、クマントーンチュワタナ。
ノンタイトル10回戦。
本田さんは光岡先生と出会ってから、意拳の京都分館の立ち上げに参加することになった。
その出会いがきっかけになって動きの質が変わった。
というより「動きの質を変える」ということに取り組み始めた。
世界ランカーで、タイトル・コンテンダーだったボクサーが、高校時代から習得してきた正統的なボクシングスタイルを変えるというのはふつうはありえないことである。
何がどう変わったのか。
復帰第一戦は見に行くことができなかったが、本田さんは復帰第一線を勝利で飾った。
守さんの話を聴いているうちに、本田さんの動きの変化を直接見たくなった。
寒風の吹くIMPホールに集まったのは、その守さんご夫妻とミドリアタマ山下さん、意拳京都分館の曽我紀文さん(うちの大学ではじめて光岡先生の講習会を開催したときに、光岡先生にスパーリングを挑んで、カウンターを食らって、鼻血を出したときに目が「キラリ」と光ったあの曽我さんはその後、光岡先生を追って韓氏意拳の道に進んだのである)と奥本さん、大分での講習会の世話人である白石さん、そして「いつもの」ウッキーという年末らしからぬ大所帯。
試合前の本田さんが座席まで挨拶に来る。
「がんばってくださいね」と月並みな応援の言葉を述べる。
「リニューアル本田」を見せてください。
セミファイナルまで5試合でKOが三つあった。
どのKOシーンもワンパンチである。
打たれたパンチの積算が忍耐の限度を超えて倒れるというのではなくて、まったく無傷のボクサーがみごとなステップワークで相手の攻撃をかわしているうちに、まるで吸い込まれるように一発がテンプルやチンに決まって、「へなっ」とリングに倒れる。
狙って入ったパンチではないように見える。
肩の力の抜けた軽い一撃が理想のコースをたどって、「すい」とあるポジションにたどりつくと、それが力んで打ったパンチよりもはるかに強烈な破壊力を持つ。
驚いたのは「猫パンチ」のKOシーンである。
「猫パンチ」というのは猫が肉球で叩くような、掌ではたくフックである。
あんなパンチでどうして人が倒れるんだろうと思うけれど、「猫パンチ」がテンプルに入ってきれいなダウンを取った場面があった。
隣の守さんに「どうして猫パンチでダウンしちゃうんでしょうね」と訊いてみる。
猫パンチはテンプルを「打ち抜く」のではなく、「ひっかいて」いる。それが頭部に微妙な波形の震動をもたらすと目が回ってしまうという説明をしていただく。
顎の先をかすっただけでダウンすることもあるそうである。
ボクシングは奥が深い。
いよいよ本田さんの登場。
相変わらずほっそりとしている。
独特の構え方だ。
フットワークを使わない。
左右の肩が上下する不思議に「ぬめり」のある動きをする。
時折右のジャブが蛇が獲物に飛びつくようなスピードで相手のグローブの間のわずかな隙間に吸い込まれてゆく。
相手のパンチはアウトボクシングではほとんど本田さんの身体に届かない。
ブレークするときにショートフックがかすめるだけである。
本田さんはときどき右のアッパーをボディに放つ。
これも不思議なアッパーカットで、動きに支点がなく、両足の裏が同時に「離陸」して斜め上に身体全体が飛んで行くような印象を与える。
いったい本田さんは何をする気なのか。
守さんも私も視線はリングに釘付けで息を詰めているので、ゴングが鳴る度に「ふう〜」と深呼吸をする。
そんなふうにまったく「熱いどづきあい」がないままに最終ラウンド。
判定はもちろん本田さん。
有効打のほとんどは本田さんが放っていて、相手はほとんど攻撃してこなかった(攻撃できなかった)のだから当然だけれど、相手が攻撃してきて打ち合いになったときに本田さんがどんな動きをするのかが見たかった(最終の2ラウンドくらいが少しだけ打ち合いになった)。
あとで控え室の本田さんご本人に訊いたら、「新しい動き」がなかなか出せなくて、意識していないとオーソドックスなボクシングスタイルにすぐ戻ってしまい、最後の2ラウンドでようやく身体が少しだけ自然に新しい動きが出始めたというご説明であった。
ポイントが悪くても、攻めてこない相手ではどうしようもない。
相手タイ人選手にしても、本田さんがどう動くか読めないので、攻める気きっかけがつかめなかったのだろう。
次戦に期待。
応援団一同で北新地に出て、いつもの店で「祝勝会」をかねて忘年会。

今年もあと残り6時間少しとなった。
みなさんにとって2007年がよい年でありますようにお祈り致します。


守伸二郎さんと


試合のあと右目上をバッティングで切った本田秀伸さんと

About 2006年12月

2006年12月 にブログ「内田樹の研究室」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは 2006年11月 です。

次のアーカイブは 2007年01月 です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。