いぢわるおじさん

2006-12-02 samedi

どうしてこんなことになってしまったのかわからないが、とにかく毎日原稿の締め切りが来る。
そろそろ締め切りだな〜と覚えているものもあるが、寄稿に応じたことさえ覚えていないメディアからの督促も多い。
朝メールをひらくと、「今日が締め切りですので、明日朝一に」とか「昨日が締め切りだったんです(怒)今日中に絶対!」というようなメールが来ている。
もちろん会議と授業とゼミ面接と取材と締め切り間際の原稿書きに忙殺されている私に新規の原稿を書いている時間などない。
にもかかわらず今のところは原稿を落としていない。
どうやって書いているのかみなさんも不思議に思われるであろう。
実はコツがあるのである。
この機会にご教授しておきたい。
それは何か書きたいことが浮かんだら、とりあえず何でもいいから1500字程度の原稿のかたちにしておくのである。
そして、締め切りが来たら、五つ六つ転がっている「できあいの原稿」のうちから長さとテーマが似ているものをみつくろって、ちょっと刈り込んだり、書き足したりして、「はい」と差し出すのである。
ひどい話であるが、事実なので仕方がない。
ときどきたいへん細かい注文をつけてくる編集者がいるが、きっと私がそういう「合切袋に手を突っ込んで適当に取り出す」式のエクリチュールを駆使していることを察知しているのであろう。
ずいぶんと猜疑心の強い方々だとは思うが、彼らをそのような心のねじくれた人間にしてしまった主因は私の側にあるので、文句も言えないのである。

木曜の午後、県立芦屋高校に「模擬授業」に出かける。
県立芦屋高校はるんちゃんの母校であるので、私も入学式、卒業式、三者面談、文化祭などに足を運んだことがある。
今回は環境バイオ学科の高岡先生とご一緒である。
近隣の20ほどの大学から30人の教師が来て、少人数で大学での授業の「感じ」を生徒諸君に経験してもらおうという「キャリアデザイン」系のイベントである。
「出前授業」なら私もこれまでいくつかの高校でやったことがある。
そば屋の「出前」と「出前授業」が違うのは、そば屋の場合は「天ぷらそば一丁」とかクライアントから発注があるのだが、「出前授業」の場合は、出前される物件の内容についてクライアント側はこまかい事前の指定はできないということである。
そば屋が来て岡持ちから「はいよ」と取りだしたものを生徒諸君はいやでも食べなければならない。
そういう状況になった場合に私がどれほど悪戯好きの人間になるか、私の学生をしたことのある人間は熟知せられているであろう。
運悪く私の授業を選んでしまった高校生13人は密室で90分間黙って私の授業を聴かなければならない。
高校生が90分間聞かされて一番「こんな話を聴くつもりできたのではなかった」と思うのはどのような話柄であろうか?
こういうことを考えるとき私の知性はたいへん活性化する。
というのも、高校生生徒諸君が高等教育においてまず学ぶべきことは彼らが知っているのとは違うものさしでものごとを考量する人間の存在する可能性についてだからである。
というわけで「どうして高校生は90分間教師の話を黙って聴くことができないのか?」というテーマについて人類学的考察を加えることにした。
これは生徒諸君にとってたいへん対応に苦慮する論件となるであろう。
というのは「どうして高校生は教師の話を聴きながら『けっ、やってられねーぜ』という非言語的メッセージを全身から発信しようとするのか?」という話をしているときに聴いている高校生諸君は構造的に「け、やってられねーぜ」的メッセージの発信を禁じられているからである。
私の話を真剣に聴く(ふりをする)以外に私を出し抜く方法がないという窮状に彼らは追い詰められるのである。
90分後、ひさしぶりに教師の話を真剣に聴く(ふりをする)したせいで生徒諸君はやつれていたようである。
るんちゃんの後輩たちにちょっと気の毒なことをしたが、人生の曲がり角にはときどき思いがけない不幸が待っているものなのである。
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