どうして仏文科は消えてゆくのか?

2006-12-01 vendredi

かつては文学部の看板学科だった仏文科の廃止が続いている。
神戸海星女子大に続いて、甲南女子大も仏文科がなくなる。
東大の仏文も定員割れが常態化している。
理由はいくつかある。
英語が「国際公用語」の覇権闘争に勝利して、事実上のリンガ・フランカになったこと。
フランス自体の文化的発信力が衰えたこと。
文学についての知識や趣味の良さを文化資本にカウントする習慣が廃れたこと。
語学教育がオーラル中心にシフトしたこと。
などが挙げられる。
理由のうち最初の二つはグローバルな事情があってのことであるから、私どもが個人的にどうこうできることではない。
残る二つは本邦の事情である。
外国語教育をオーラル中心にすることの害については、これまで何度も書いてきたので、ここには繰り返さない。
本日は、文学についての教養が文化資本としての価値を失った経緯について考えたい。
教養が文化資本としての価値を失うとはどういうことか。
まず、「文化資本」の定義からもう一度確認しておこう。
「文化資本」は社会学者ピエール・ブルデューの用語で、階層差の指標であり、かつ階層差を拡大再生産するものをいう。
教養、知識、技能、趣味のよさ、ふるまいの適切さ、人脈、学歴などなどを文化資本に数えることができる。
文化資本には「生まれ育っているうちに自然に身についてしまったもの」(生得的な文化資本)と、「後天的に努力によって身につけたもの」(学習された文化資本)の二種類がある。
文化資本の秘密(つまり文化資本がどうして「資本」として機能するのか、その理由)は、それが「二種類ある」という原事実のうちに存する。
つまり、「それが自然に身についてしまった人」と「それを見よう見真似で習得しようとする人」のあいだの「わずかな、しかし決定的な違い」のうちに文化資本の資本性は存する。
文化資本というのは実在するものではない。
それは貨幣や威信や情報が実在するものではないのと同じことである。
貨幣はそれを「貨幣だ」信じる人が存在するときにのみ存在する。それを信じる人がいなければ、それはただの紙切れである。
威信もまたは内在的資質ではなく、二人以上人間がいて、一方が他方に対して威圧的であることが許されるということに両者が同意した場合にしか出現しない。
主観的に「私は偉い」と思っていても、相手がそれを承認しなければ、「キミ、し、失敬な。私を誰だと思っているんだ」と力んでも失笑を買うばかりである。
私たちの社会で「資本」と呼ばれているものはすべて幻想である。
幻想だからダメだ、などということを私は申し上げたいのではない。
幻想は幻想できちんと機能していただかないと世の中は動かない。
幻想がどのように機能し、どのように機能不全になるかについてはリアルでクールな考察が必要であるということを申し上げたいのである。
問題は「教養が文化資本として認知されなくなった」ということである。
これはどういうことであろうか。
「顰に倣う」という言葉がある。
「ひそみにならう」と読む。
呉越の時代、呉王夫差の寵愛を一身に受けた美姫に西施という人がいた。
西施は「持病の癪」のせいで、歩くときに胸を抑え、眉をひそめていた。
その姿もまた美しく見え、その柔弱たる風情で彼女が呉王の寵を得たという風説が広まったために、後宮の女官たちはこぞって眉をひそめて歩くようになり、やがて呉国中のすべての女たちが眉をひそめて歩くようになった・・・というお話である。
身体的苦痛のために「眉をひそめる」というのは単なる生理的反応であって、特段エロス的な含意はない。
それをエロス的に有意な記号として解釈したのは、「他の人たち」である。
それがエロス的記号だと解釈する人がいれば、それはエロス的記号である。
眉の間の皺は美的形象である。
かくのごとく、文化資本とはつねに解釈者の側の欲望によって起動する。
西施が呉王の寵愛を得たには美貌の他にも理由があったのかもしれない(もちろんあったに違いない)。
だが、女官たちは(寵愛を得られない)自分と西施のあいだの位階差をその他の違い(知性とか、情愛とか)には求めず、単なる「眉の動き」のうちにあると解釈した。
そのとき「顰」は呉国において文化資本に登録されたのである。
ある種の知識や技法が文化資本に登録されるのは、「それがあるせいで、あの人はあのような権力や威信や財貨を手に入れているのだ」というふうに「誤解」する人がいるからである。
そう。文化資本とは「誤解」の産物である。
西施のしかめっ面に本来エロス的含意がないように、教養そのものには権力や威信へのアクセシビリティを約束する要素は含まれていない。
たまたま権力や威信を保持している人間を、下から羨ましげに見上げたものたちの眼に「差別化の秘密」としてたまたま「教養」が映じたので、それが文化資本となったのである。
たまたま、の話である。
教養が文化資本ではなくなった理由も、だから簡単である。
現に日本社会で権力や威信や財貨や情報などの社会的リソースを占有している人々に教養がないからである。
私はそれが「悪い」と言っているのではない。
昔は、社会的上位者たちのかなりの部分は「たまたま」教養があった。
だから、下々のものは「教養があると社会の上層に至れるのだ」と勘違いしたのである。
もちろん、社会的上位者がその地位を占めたのは教養のせいではない。
それとは違う能力であるが、「西施のひそみにならう」ものたちはあわてて教養を身につけようとしたのである。
今日、社会的上位者には教養がない。
かわりに「シンプルでクリアカットな言葉遣いで、きっぱりものを言い切る」ことと「自分の過ちを決して認めない」という作法が「勝ち組」の人々のほぼ全員に共有されている。
別にこの能力によって彼らは社会の階層を這い上がったわけではない。
たまたまある種の競争力を伸ばしているうちに「副作用」として、こういう作法が身についてしまっただけである。
だが、「ひそみにならう」人々は、これが階層差形成の主因であると「誤解」して、うちそろって「シンプルでクリアカットな言葉遣いで、きっぱりものを言い切り」、「決して自分の過ちを認めない」ようになった。
そうして教養が打ち捨てられたのである。
別にお嘆きになることはない。
だから教養の再生のプログラムもまるっと簡単だからである。
教養がある人間しか出世できないプロモーションシステムを作ればよいのである。
そう、「科挙」の復活である。
官僚も政治家もこれで「総入れ替え」できる。
文科省も「教養教育の再構築」などとつつましいことを言わずに、ここは一発「科挙による政治家と高級官僚の登用」を提言してはいかがか。
そのときは文科省が財務省よりも格上の省庁となる。
ぜひ真剣にご考慮願いたいものである。
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