金曜日に会議が終わって、教務課の職員のみなさんに「よいお年をお迎えください」と三回挨拶して(オフィスに二回忘れ物を取りに戻ったため)、家に戻って講談社の(締め切り過ぎの)校正をクロネコヤマトで送り出して、ようやく「冬休み」を迎えることができた。
やれやれ。
10月から後、まことによく働いた。
この3ヶ月の間、どれほどの量の原稿を書き、人前でしゃべったことか。
どうして仕事というのは人が暇で困っているときには来なくて、人が忙しくて困っているときに限って集中豪雨的に到来するのであろうか。
書き物について言えば、集中豪雨的なときに書いているものにはあきらかにそうではないときと違う種類の質感がある。
それは「くそ忙しいときにこんなこと書かされるのはもううんざりだぜ」というある種の倦厭感である。
もちろん私は常識ある社会人であるから、そのような倦厭感はテクストの表層には露出しない。
しかし、原稿を受けとった編集者が「げっ」とのけぞって、
「へ、編集長、こんなとんでもないことウチダが書いてきちゃったんですけど・・・、ど、どうします。このまま載せますか。ボツにしちゃいますか・・・」
「え〜どれどれ、みしてみな・・・げぼ」
というような展開になることを仮に私の無意識が欲望したとしても、私の顕在意識にはそれを止めることができぬのである。
結果的に、私の送る原稿は多忙なおりほど「げぼ」度の濃度が向上することになる。
しかるに人というものは(@古今亭志ん生)、「げぼ」的テクストのうちに無政府性とか批評性とかいうものを感知することもあり、そういう場合は「え、なかなかスパイシーな原稿じゃないか。ヤマちゃん、これで行こうよ」というような意外な展開を見ることがあり、そのような場合、一層事態は急迫することになるのである。
この一年間ほどの自身の書き物を見ても、あきらかに夏から秋、秋から冬にかけて、公私の忙しさが加速するにつれて、書き物の「わし、もうどーでもえーけんね」度もまた飛躍的に高まっている。
もちろんこのような増上慢を天が久しく許すはずもなく、いずれゼウスの雷撃が私を打ちのめすであろうことは時間の問題なのである。
だが、私としてはむしろそのような日の来ることを待望すること切なのである。
1990年代の初め頃、芦屋に来たばかりの頃のように、仕事がまるでなくて、暇で暇でしかたがないので、るんちゃんを相手にモノポリーをしたり(モノポリーは二人でやってもあまり面白くない)、のんびりと海や山にドライブに行ったり、六甲山にハイキングに行ったり、出す当てもない本を翻訳をしたり、寝ころんで二人でマンガを読みふけったりしたあの日々がまことに懐かしい。
といいながら、自分で忙しくしているんだから世話はなくて、金曜日は家に帰るとすぐにかんきちくんと画伯が登場。
「あと一人は誰なの?」とせっつくけれど、今回は急な召集だったので、芦屋在住の「しらぎく麻雀の会」会員たちはドクターご夫妻もジロー先生もワタナベ先生もヒラオさんもみんな欠席である。
誰が来てくれるんだろうねと、とりあえず「牌をいじっていると心が洗われるような気になる」という画伯の提唱でサンマンをして四人目を待つ。
サンマンでかんきちくんをいぢめているうちにホリノ社長が登場。さらに江さん青山さんが現れて、さっそく年末例会の開催となる。
私はご案内のとおり今年は3月までが絶好調で、4月から7月まで絶不調、10月以降は「ふつう」という景況である。
絶不調とはいえ、それは例会での戦績が-106,-76と大敗が二度続いたために、「会長は意外に弱い」という風評が流布しただけで、実際には絶不調期もこつこつと点棒をためて、3割を越す勝率はキープしていたのである。
ようやく年末となり、今期圧倒的な勝率を誇るヒラオ選手に急追するためにも、これは落とせない例会だったのである。
今回の例会では江さんが急に「東京に移住する」と言い出したために会場は大混乱を来した。
とりあえずその岸和田弁を何とかせな、ということで、一同打牌のあいまに「発音矯正」を行う。
しかし、江さんが「やだなあ、ぼく、そんな牌では待たないよ」というようなことを言い出したものだから、全員痙攣的に笑い続けることを自制できなかったのである。
というわけで乱戦を制したのは、こういう修羅場に強い会長。
戦績は
一位 会長 +96(4戦2勝)
二位 かんきちくん +27(2戦1勝)
で、画伯は四位-26ながら、3戦1勝で今年最後の半荘を勝利のうちに終えて、たいへん満足げにお帰りになられた。
明けて土曜日は翌日は合気道の納会。
大学でお稽古(36畳に36人くらいひしめいたので、一人一畳状態)したあと、ぞろぞろとわが家へ。
私の主催する宴会は、すべて「私がテーブルについたら開会」である。
そして、一番良いシャンペンをまず空けることになっている。
シャンペンは七人くらいで乾杯すると空いてしまうので、わが家の宴会では「最初の七人」に含まれることが重要なのである。
今回はさらに三宅先生から「ローストビーフのカタマリ」のご提供があったが、もちろんこのような極上の食材は最初にいた人間だけで食べ尽くしてしまうことになっている。
最初のシャンペンとローストビーフに間に合ったのは私の車に同乗して帰ってきた “謎の主婦” 井上、“謎のガラス職人” 廣末の謎コンビと新入部員のババさんの三人と、必死で走り込んで来たウッキーとタニオさんであった。二本目のシャンペン(モエ・エ・シャンドン)にはドクター佐藤と飯田先生ご夫妻が間に合う。
これうまい、うまいですね〜と三宅先生のビーフを食べ尽くし、岡本方面に向かって全員で「三宅センセ〜ごちとうさまでした〜」と最敬礼をする。
今回の食事のテーマは「感謝」というものであったので、人々はそれぞれに工夫を凝らした食材を用意されていた。
お魚と葱のスパゲッティという新メニューに挑戦したPちゃんのパスタが今回も常勝の「グランプリ」。
マッシュポテト入りの手こね丸型ハンバーグという新人サキちゃんの作品が「新人賞」。
あらかじめウチダ宅に「すりこぎとすり鉢」を送り、それで調理をしたウノ先生の「山芋」とが今回の「大技賞」。
いちばん早くなくなったのはPちゃんの「カルボナーラ」(皿を机に置く前になくなった)。二番目は私の「颱風グリーンカレー」でした(10時間煮込んだカレーが10分でなくなった・・・)。
多田塾甲南合気会のみなさん、神戸女学院大学合気道部のみなさん、昨日はご苦労さまでした。よいお年をお迎えください。
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(2006-12-24 12:31)