『街場の中国論』の前口上

2006-12-28 jeudi

煤払い四日目。
本日の標的はリビング。
床と机の上に散乱している書物たちをなんとかせねばならないが、まあ本というのは比較的始末によいものであるから、何とかなるでしょ。
BGM、昨日は志ん生の『疝気の虫』と米朝の『地獄八景亡者戯』だったので、今日はバッハ。
これで掃除は外回りを残しておしまい。
次は年賀状書きである。
それが済んだら、朝日の教育本(『狼少年のパラドクス』)の追加分の原稿を書かなければならない。
それが済んだら、できることなら冬休み中に『街場の中国論』を仕上げてしまいたい。
まだ4分の1くらい触っていない草稿が残っているのであるが、あまりに書きすぎたので、これ以上書くと本が片手で持てないくらい重くなりそうである。
ミシマくんから電話があったのを奇貨として、「ねえ、ここまででもう十分じゃない?」というアクマの囁きを送る。
とりあえずデータ送るから、ということでハードディスクから取り出して、久しぶりに読み返してみる。
草稿の大半を書いたのは夏休みのブザンソン。
もう四ヶ月ほど前のことになる。
そのときは軽い憑依状態のライティング・ハイだったので、実は何を書いたのか覚えていない。
他人の書いたものを読むような気分で読むことになるのであるが、これがまことに面白い。
へえ〜、そうだったのか。なるほど、そういうことね。
とうなずきながら読んでいる。
自分で書いておいて「へえ〜、そうだったのか」もないものだが、憑依状態で書いているものは、素面のときに読み返すと、書いた本人にも理路がわからない箇所が多々あるのである。
とにかく私がこれまで読んだ中国論の中では一番面白かった。
ブザンソンのビジネスホテルの一室にこもって、こんな面白いことを書いていたのか、私は。
この本が扱っているのは 2005 年の話だから、もうそろそろ2年前の日中関係である。
反日デモが荒れていた頃の話である。
そんな昔のネタで中国論を書いて、いったいどのような情報的価値があるのだ、と訝る方もおられるかもしれない。
現に、二年前に出た(そのころ書店には溢れていたけれど)中国論の本のうちに現在でもなおリーダブルであり、読者に有用な知見をもたらすものは希少であろう。
「まえがき」に私はこんなふうに書いた。

演習が終わってから一年近く経って、改めてゲラを読み返すと、ずいぶん古い話題が多いように思います。
でも、そのときに「これから中国はこういうふうになるんじゃないか」と予測したことのいくつかについては、その後予測が当たったこともありますし、さっぱり予測が当たっていないこともあります。ですから、この本の中で私が行っている推論の当否を吟味しながらお読みいただくという「楽しみ」も読者のみなさんにはあるわけです。
こういう「海外事情本」の類は速報性が命ですから、少し時間が経つとまったく情報として無価値になってしまうものがほとんどですけれど、私としては、この本をできるだけ「賞味期限」の長い本にしたいと望んでいます。
その希望を「街場の」というタイトルに込めました。
私はご存じのとおり、中国問題の専門家でも何でもありません。私が中国について知っていることは、新聞記事と、世界史で習った中国史と、漢文で習った中国古典と、何人かの中国人の知人から聴いた話だけです。それでほぼ全部です。ですから、私が中国について知っていることは、量的には平均的日本人が「中国について知っていること」の標準値からそれほどずれてはいないだろうと思います。その「街場のふつうの人だったら、知っていそうなこと」に基づいて、そこから「中国はどうしてこんなふうになったのか? 中国では今何が起こっているのか? 中国はこれかららどうなるのか?」を推論しようというわけです。それは可能だと思います。
どれほどインサイダー情報に精通していても、推論する人自身に強い主観的なバイアス(「中国はこんな国であって欲しい」「中国がこんなふうになればいいのに」という無意識的な欲望のことです)がかかっていれば情報評価を誤ることはありえます。逆に情報が限られていても、自分の主観的なバイアスによる情報評価の歪みを「勘定に入れる」習慣があれば、適切な推論をすることは可能だと思います。
もちろん、私にも主観的なバイアスはたっぷりかかっています。私は「中国と日本は東アジアのイーブンパートナーとして協力関係を築くべきだ」と思っていますし、「中国政府は効果的ガバナンスを長く維持していて欲しい」と思っています。その点では、「中国なんか大嫌い」という人や「中国政府が少数民族問題や経済格差問題や党官僚の汚職や腐敗で統治能力を失えばいいのに」と思っている人とは情報評価が違ってきます。私たちはどうしても自分につごうのいい情報は過大評価し、自分につごうの悪い情報は過小評価しがちになります。でも、そのことをいつも念頭に置いておけば(つまり「自分の愚かさを勘定に入れる」ことを忘れなければ)、あまり大きなミスは犯さないで済むだろうと思っています。
ですから、この本は「中国について何か知りたい」と思って客観的で有用な情報を求めている読者向けの本ではありません。では、どういう読者の役に立つのかと訊かれても、実ははかばかしいお答えができません。他国の政治や文化について、あまり大きな間違いをしないで考察する方法(間違えた場合もすぐに修正できるような方法)とはどういうものだろうと思っている若い読者がいたら、たぶんそういう人たちにとってはわりと有用な書物になるのではないかと思います。

というような本である。
なかなか面白そうでしょ。
本が出たらミシマくんのためにもぜひ買ってやってくださいね。
--------