エージェル

2006-12-19 mardi

ふと沢崎浩平先生のことを思い出した。
沢崎先生は私が助手をしていたときの東京都立大学の先生で19世紀文学が専門の方である。
授業と授業のあいまの休み時間に研究室の椅子に腰を下ろして、お茶を飲みながら長い時間、私を相手におしゃべりに興じたものである。
そのときにこんな話を聴いた。
沢崎先生が在外研究で一年間フランスに行っていたときの話。
先生が汽車で旅行していたとき、コンパートメントで相席になったフランス人に話しかけられた。
「汝は何国人であるか?」
「日本人である」
「しからば、汝は仏国にいかなる目的で渡航されたのであるか?」
「フランス文学を研究するためである」
というような定型的なやりとりがあり、かのフランス人はさらに質問をスペシフィックなものにして、「汝はどのような仏国人の書物を愛読せるや?」と訊いてきた。
沢崎先生はそのころ集中的にロラン・バルトの著作を訳されていたところだったので、その旨お答えした。
おそらくその詮索好きのフランス人は「ロラン・バルト」の名を知らなかったのであろう。
そういう場合に人はどのような態度をとるか、想像に難くない。
「ああ、バルトね。うん、バルト。はいはい、ロラン・バルトね。うん、僕も読んだよ、あれね。むずかしいんだよね。よくわかんないよね。ふつうのフランス人は名前も知らんだろうね、ははは」
というようなことをおそらくそのフランス人は口走ったのであろう。
私たちが電車で向かいの席に乗り合わせた妙に文法的に正確な日本語を話すフランス人に「なんだ日本語うまいじゃん。で、何日本の何、研究してるの?」というようなことを訊いたときに「はい、葛西善蔵です」とか「伊藤仁斎です」とか言われたときにどういうふうにうろたえるかを想像すればよろしい。
そのフランス人はフランス人もよく知らないフランス人のことを日本人が専門的に研究しているという事実におそらくある種の気後れを感じたのであろう。
劣勢を挽回すべく、私だって哲学者の名前くらい知ってるぞということ誇示すべく沢崎先生に彼でも知っている著名人の名を口走ったのである。
「ほお、フランス人の哲学者をご研究と・・・えーと、じゃあ、当然エージェルなんかも読んでるわけですよね」
「エージェル?」
沢崎先生は問い返した。
「それは誰ですか?」
この問いにフランス人は勝ち誇ったようにこう応じた。
「え? エージェル知らないの? まじで。わははは。エージェルも知らないんだ。エージェルも知らないで、哲学だって。ははは。笑っちゃうね。何がバルトだよ。エージェルも読まないやつがバルトだって。バカじゃん」
沢崎先生はその屈辱的な口吻にも動じないほどに温厚な方であったが、同時にたいへん篤学の人でもあったので、およそ哲学を学ぶ人間がその名を知らぬはずがないという「エージェル」とはいかなる人物であるのかを辞を低くしてかのフランス人に尋ねた。
「しかして、その方はどのような題名の本を著しているのでしょうか?」
「え? エージェルの本? たくさんあるよ。『精神ナントカ学』とか『法ナントカ学』とか・・・」
「あの・・・・それって、ヘーゲル?」
「え? ヘーゲル? Hegel って『ヘーゲル』って読むの? 日本では?」
というようなオチまで話を30分くらい引っ張って聞かせてくれたのである。
私が助手のときにずいぶんお若くして亡くなられたけれど、このオチで私が爆笑したときの、うれしそうな顔を今でも思い出す。
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