伊藤銀次@Left Alone

2006-12-20 mercredi

光安さんは宝塚方面で何軒かの美容室を経営する辣腕のビジネスマンであるが、たいへん奇特なことに4年前、大学院の聴講生に「男性も可」と規程が変更された最初の学期に私のゼミを聴講された。
そのときの第一期生聴講生の中には、“だんじりエディター” 江さん、“ゑびす屋” 谷口さん、ドクター佐藤、スーさん、大迫力と書いて「おおさこちから」と読む大迫くん、シャドー影浦、ジョンイル長光、そして今も精勤の渡邊仁さんなどたくさんのおじさん&お兄さんがいた。
光安さんはその中のお一人である。
光安さんはその後ビジネス多忙のためにゼミには来られなくなったのであるが、腰肩などに疼痛を覚え、三宅接骨院の常連となられた。
そのために、私は三宅接骨院の待合室で光安さんと頻繁に遭遇することとなったのである。
先般もまた待合室で遭遇したところ、今度光安さんのバンド(彼はビジネス多忙の上に Sugar Babe をレパートリーとするナツメロバンドまでやっているのである。腰肩も凝るよな)が芦屋の Left Alone に出るけれど、「ゲストが伊藤銀次さんなんです。ウチダ先生も来てくださいね」とご案内を頂いた。
え、伊藤銀次?
伊藤銀次と言えば「ごまのはえ」、ココナツバンク、『ナイアガラ・トライアングル』と、われわれナイアガラーにとってはナイアガラ草創期以来の神話的アイコンである(『イカ天』でもご尊顔を拝見したけれど)。
イシカワくんのご紹介で私も学生時代から昵懇の阿部 “社長” 安治くんの大阪教育大付属高校時代のご学友でもある。
これは行かねば。
というわけで、大学院のゼミが終わったあと、着替えててくてく岩園のイカリの向かいのLeft Aloneに向かう。
ドアを開けるとちょうど光安バンドが「どーも、ありがとう!」と演奏を終えたところであった。
あら〜。
伊藤銀次さんの出番を待ってワインを飲んでいると、ステージを終えた光安さんが現れて、「銀次さんに紹介しますから、来てくださいよ」と手を引いてくれる。
あ、ども。ウチダです。
といっても伊藤銀次さんは私のことなど知る由もない。
あ、こんにちは、と静かに挨拶を返される。
とはいえ、「日本のフリーメイソン」であるところのナイアガラーのこれは強みで、「あの私、古手のナイアガラーで、実は大瀧さんと対談したこともあるんです」という自己紹介で、一気に伊藤銀次さんの表情が緩む。
え、そうなの。よく大瀧さんと会えたね。
というところから話が始まり、ごまのはえ時代の大瀧さんとの出会いの話、ナイアガラ草創期のさまざまなエピソード、『ダウンタウン』のデモテープを山下達郎さんと作ったときの話、山下洋輔さんとハナモゲラ語を作り出した頃の話、ナイアガラ・トライアングル1と2がどのようにして出来上がったか・・・などなど『新春放談』ネタを出番ぎりぎりまでたっぷり伺った。
『幸せにさよなら』がその時期の伊藤作品ではぼくのフェバリットなんですということを申し上げたら、ステージで演奏した三曲の最後にセレクトしてくれた。
伊藤銀次さんはほんとにスマートな人である。
機会を作ってくださった光安さんに感謝。
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