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2006年11月 アーカイブ

2006.11.01

オフなので三度寝

ひさしぶりの、ほんとうにひさしぶりの休日。
眠りに眠る。
9時ごろ一度起き出して、ご飯を食べて、新聞を読んでいるうちに睡魔が襲ってきて、またパジャマに着替えて二度寝。
目覚めると正午。
そのままふとんの中で桑田乃梨子の「恐ろしくて言えない」を読む。
1時近くになったので起き出して、梨を囓りながら、メールをチェック。
返事が要るものに返信をしてから、床屋に行く。
週日の昼間なので、誰もいない(床屋さんもご飯を食べに行って、いない)。
帰りを待って髪を刈って貰う。
家に戻ると3時過ぎ。
床屋で半睡状態だったので、そのままベッドに直行。
また眠る。
目が醒めたら午後5時。
さすがにあまりに非生産的な一日なので、反省して、産経新聞のエッセイ1800字「女子大有用論」を書く。
すらすら。
女子大が有用な理由は「私のような教師」を許容しているという当の事実が証明しているであろうという捨て身の大技。
書き終わったので、ついでに日経の「旅の途中」の11月分も書いてしまう。
さらさら。
これはどうして呪鎮の装置がなくても人々は「平気」でいられるのか・・・という謎について。
先日、六本木ヒルズにいったとき、あまりの「瘴気」に頭がくらくらした。
あれはたぶんあの場所に数千人からの人が蝟集しているにもかかわらず、霊的なキャナライザーが装着されていないせいではないかと思う。
「六本木ヒルズ神社」とか「六本木ヒルズ寺」とかを森ビルは勧請したであろうか。
おそらくしていないであろう。
ビジネスタームで考えたら、一文の利益も生み出さない神社やら寺やらに坪数百万円というような土地を割くわけにはゆかない。
そんなことをしたら株主総会で株主から会社に不利益を働いたとして「背任」容疑で告訴されかねない。
宗教から法外な利益をあげているビジネスマンたちがいる一方、ほんとうに宗教的な装置が必要なところにはビジネスは決して宗教のための支出を許容しない。
不思議な倒錯である。
人間がすむところには霊的なキャナライザー、呪鎮のための装置は不可欠である。
私はそう思っているし、そう思っている人は少なくないはずである。
釈老師から伺った話では、かつて千里ニュータウンが造成されたときに、その巨大団地に寺社が一つも含まれていないことに激怒したある僧が、阪急電鉄の小林一三に「霊的呪鎮をしない土地に人をすまわせるとはどういう了見だ」と噛みついたことがあった。
小林一三はさすが大人物で、その僧に千里山の頂上を与えて、「じゃあ、あんたがそこに寺を建てなさい」と言った。
そのお寺の住職さんがいま三代目で、釈老師のご友人だそうである。
佳話である。
明治生まれの財界人にはそれくらいの見識が備わっていたということである。
しかし、当今のデベロッパーやゼネコンの諸君のうちに、人間が住むところには呪鎮の装置がなくてはすまされないということを真剣に考えている人間がはたして何人いるであろうか?
そんなことを造成プランで提案したら、上司にしばき倒されるだろう。
「なに?なんだってヤマダ?住民の霊的セキュリティのために寺を建てたらどうかって?バカ抜かすんじゃないよ。そんなに心配なら、お前自分で土地買って、そこに寺建てろ」
しかし、まことに不思議なことはこんなふうに部下のヤマダの霊的配慮を一蹴するスズキ課長は自民党支持者で、靖国神社の首相の公式参拝に賛成だったりするのである。
「英霊の魂を鎮めるためには中国との断交も辞さず」というような大言壮語を酔った勢いで口走るスズキ課長は、自分が「霊は正しく鎮めなければならない」という部下ヤマダの提言をさきほど鼻で笑ったことを忘れている。
もちろん彼は自分の家の近くに寺社が一つもないことをいささかも苦にもしていないし、かりに神社仏閣があっても、早起きしてそこの庭掃除をするでもないし、祭りの日に仕事を休んで神輿を担ぐわけでもない。
彼らのような人々にとって「霊」の問題は純粋に政治とビジネスの次元の問題であり、彼自身の実存にかかわる問いとして意識にのぼることは決してないのである。
そういう人間が「英霊」というような言葉をあたかも意味のある語であるかのように口走ることが許されているという日本の霊的無秩序を私はたいへんに危険なことだと思っているのであるが、私の不安に共感してくれる人はたいへんに少ないのである。

2006.11.03

単位未修問題であちこちからコメントを求められる

高校の単位不足問題についてあちこちのメディアからコメントを求められる。
テレビだけはお断りしたけれど(すみません)、新聞雑誌からの取材にはその場で思いついたことをだらだらしゃべる。
私は高校の現場の人間ではないので、素人の意見を述べるしかない。
私の見るところ、この履修問題が顕在化したプロセスはつぎのようなものである
(1) 学習指導要領と現場での教育内容には乖離がある
(2) この乖離を学校と教育委員会は法規の「弾力的運用」によってつじつまあわせをしていた
(3) 「弾力」の度が過ぎたので、あちこちでほころびが出た
この現状認識に特に異存のある方はいないであろう。
(1) は現実である。
実際に文科省の示す学習指導要領通りに授業をやるだけの時間も人的リソースも確保できないと悲鳴を上げている学校はいくらもある。
主な理由は(教員たちによれば)教員たちにあまりに大量のペーパーワークが課せられているために、授業に割く時間とエネルギーが減退しているためである。
これについては教育委員会や文科省にも言い分があるだろうが、私自身現場の教員として断言できることは教員たちがいま会議とペーパーワークに割くことを強いられている時間を子どもたちの教育活動に集中できるようになれば、日本の教育問題はとりあえず三割方解決するであろうということである。
私自身が大学で自己点検自己評価やFD活動や教員評価や教育効果測定といった文科省が推進してきた教育工学的実践のために割いた時間は数百時間にのぼると思われるが、それがどのくらい学生たちの知的向上に資するところがあったのかどうか、私にはわからない。
多少は効果があったのかも知れないが、私がパソコンに向かって官僚的作文を起草したり、エンドレスの会議で疲弊したその数百時間を学生といっしょに過ごすために用いた方が、間違いなく学生たちの満足度は高かったであろう。
なんだかずいぶん無駄なことしたような気がする。
話を戻す。
問題は(2)と(3)の間にある。
法規と現実のあいだに齟齬があるときには、「事情のわかった大人」が弾力的に法規を解釈することは決して悪いことではない。
今回の問題は(3)の「度が過ぎた」という点である。
「弾力的運用」ではなく、いくつかの学校では必修科目をネグレクトすることが「硬直化した構造」になってしまっていたということが問題なのである。
「度が過ぎた」せいでシステムがフレキシブルで生産的になるということはない。
これは経験的にはっきり申し上げることができる。
「度が過ぎる」とシステムは必ず硬直化する。
原理主義の度が過ぎても、自由放任の度が過ぎても、「政治的正しさ」の度が過ぎても、シニスムの度が過ぎても、放漫の度が過ぎても、厳格さの度が過ぎても、必ずシステムは硬直化し、システムの壊死が始まる。
そういうものである。
最初に文科省からのお達しを聴いて、「これをそのままに現場でやることは現実的にはむりだわな」と判断して、「というわけですので、みなさんここはひとつ私の顔に免じて、弾力的にですな、ご理解いただくという」というようなことをもごもご言った人がいた段階ではシステムはそれなりに「健全に」機能していたのである。
私はそういうふうに考える。
だから、「私の着任以前の何年も前からルール違反が常習化しており、私も『そういうものだ』と思っておりました」というようなエクスキュースを口走る管理職が出てきたことがシステムの壊死が始まっていた証拠である。
彼らはバブル末期の銀行家たちと同じように、「在任中に事件化しなければ、どのような法令違反も見ないふりをする」というかたちでルール違反を先送りしてきた。
だが、「超法規的措置」とか「弾力的運用」ということがぎりぎり成り立つのは、それが事件化した場合には、「言い出したのは私ですから、私が責任を私が取ります」と固有名において引き受ける人間がいる限りにおいてである。
法理と現実のあいだの乖離を埋めることができるのは固有名を名乗る人間がその「生身」を供物として差し出す場合だけである。
川島武宜先生は「生身」を差し出すことによる「ソリューション」の代表例として河竹黙阿弥の『三人吉三廓初買』の「庚申塚の場」を挙げている。
お嬢吉三という悪党が夜鷹を殺して百両を奪う。
それを目撃して、「その百両をよこせ」と強請るのがお坊吉三。
二人が刀を抜いて金を争うところに、もう一枚上手の悪者である和尚吉三が登場する。
そして二人に向かって「己に預けて引いて下せえ」と持ちかけ、二人がとりあえず収めると、こう続ける。
「ここは一番己が裁きを付けようから、厭であろうがうんと云って話に乗ってくんなせえ。互いに争う百両は二つに割って五十両、お嬢も半分お坊も半分、留めに入った己にくんねえ。其の埋草に和尚が両腕、五十両じゃ高いものだが、抜いた刀を其儘へ収めぬ己が挨拶。両腕切って百両の、高を合わせてくんなせえ。」
言われた二人は刀を和尚吉三の腕に添えて、その腕を引き、自分たちの腕も引いて、それぞれ腕から流した血を啜り合って、「かための血盃」で兄弟分となる・・・というたいへん心温まるお話である。
これは紛争の超法規的=日本的解決の典型的な事例であると申し上げてよろしいであろう。
しかし、この調停が成功するのは、和尚吉三が「両腕」を供物として差し出すからである。
非妥協的な利害の対立の場面に「弾力」を導入することができるのは生身の身体だけである。
対立の場にねじこまれた生身の身体によって、対立の当事者たちはそれぞれ半歩退き、そこに一時的な「ノーマンズラ・ンド」(非武装中立地帯)のようなものができる。
これがソリューションとして有効なのは、それは当事者も仲裁者も、誰もがこの解決から利益を得ないからである。
これはどう考えても「正しいソリューション」ではなく、「誰にとっても同じ程度に正しくないソリューション」である。
だが、実際に組織で長く働いてこられた方は経験的によくおわかりだろうけれど、その解決から利益を得る人が誰もいないというソリューションこそがしばしば合意形成のための捷径なのである。
最近よく「ウィン=ウィン」という戦略が外交の場で口にされるが、こういう言葉はすぐに一人歩きするから注意が必要である。
実は、いちばん合意形成にもってゆきやすいのは「ルーズ=ルーズ」ソリューションなのである。
またまた話があらぬ彼方へ行ってしまったのでもとへ戻す。
ことのはじめに学習指導要領の「弾力的運用」に踏み切った現場の校長や「見て見ぬ振り」をした教育委員会の諸君は、多少とでも「和尚吉三」的エートスを残していたように私には思われる。
文科省と生徒の間に立って、「これで高を合わせておくんなせえ」と「手打ち」をもちかけたのである。
ことが発覚して、糾弾された場合には潔く「両腕」ならぬ辞表くらい差し出す覚悟はあったであろう(希望的観測)。
法規の弾力的運用が許されるのは、そのような仕方で固有名をもった個人がおのれの「生身」を担保に置く場合だけである。
誰も責任を取る人間がいない「法規の弾力的運用」は単なる違法行為である。
責任を取る気のある人間は「ばれた場合に300時間の補習が必要になる」ような「度の過ぎたルール違反」はしない。
とてもじゃないけど、責任の取りようがないからだ。
こんなルール違反ができるのは「はなから責任を取る気のない人間」だけである。
責任をとるつもりでいる人間が自前の「生身」を差し出している限り、「常識的に考えてありえない」ような「度の過ぎた」ルール違反はなされない。
「度が過ぎる」のはいつだって「前任者からの申し送り」を前例として受け容れ、その違法性について検証する気のないテクノクラートたちである。
彼らの罪は重い。
政府の「救済措置」は「この先、現場に勝手はさせない」という約束とのトレードオフとして提供された。
行政にしたらこれは「たいへんにお安い買い物」だろう。
なにしろ、これで全国の教育委員会と校長たちの首根っこを押さえたのである。
この先政治がどれだけ教育現場に口を出しても、もう現場は「私たちを放っておいてくれ」とは言えない。
「ん?放っておいた結果、キミたちは何をやらかしたのかね?」と押し込まれたら二の句が継げないからだ。
日本中の多くの都道府県の教育委員会と教師たちは、「政治判断によって生徒たちを救済してもらった」という大きな借りが政治家にできた。
だから、「これで教育基本法も教員免許制度も、現場の抵抗なしに乗り切れるぞ、わはは」と与党の文教族たちは満面の笑みで祝杯を挙げていることであろう。
間違いなく、今度の事件でいちばん利益を得たのは彼らである。
これから先、政治家たちは教育について言いたい放題のことを言い出すだろう。
無数の思いつき的な「教育再生案」が現場をとめどない混乱のうちに叩き込むことになるだろう。

2006.11.04

大学ブランドランキング

いささか旧聞に属するが、日経MJの10月9日号に「大学ブランドランキング」と言うものが掲載された。丸の内ブランドフォーラムという会社が大学進学希望者と企業の採用担当者を対象にアンケート調査を行ったものである。
ブランド力のランキングは地域によって異なる。
関東圏だとベスト10は
1位 東京大
2位 慶応義塾大
3位 早稲田大
4位 京都大
5位 上智大
6位 青山学院大
7位 筑波大
8位 御茶の水女子大
9位 東京工業大
10位 東京芸術大学
なるほど・・・という納得のランキングである。
で、関西圏における調査結果はというと
1位 京都大
2位 東京大
3位 大阪大
4位 関西学院大
5位 神戸大
6位 慶応義塾大
7位 関西大
8位 同志社大
9位 立命館大
10位 早稲田大
これまたなるほど・・・という調査結果である。
関西ではブランドイメージは東大よりも京大が上、慶應よりも関学の方が上。
早稲田は関関同立よりも下なのである。
なるほど。
で、わが神戸女学院大はどうかというと、これが関西圏ランクの19位に位置しているのである。
私学では8位。
20以内にランクインした女子大は関東ではお茶の水大一校。
関西では本学だけである。
本学は関西の女子大の「ブランド力第一位」をご認定いただいたのである。
ありがたいことである。
このランキングについて、代ゼミの坂口入試情報センター本部長がこうコメントしている。
「今回のランキングはおおむね順当な結果といえるが、性格のはっきりした大学が入試難易度と比べて高い評価を受けている印象だ。『都心にあってセレブなイメージがある』『専門性の高い大学』などにあてはまる大学だ。
大学を評価する目安として、総合大学の場合は文学部に注目している。卒業しても手に職をつけられない文学部は年々学生を集めにくくなっている。そうした中でも文学部の評価を維持できる大学は、ブランド力があると判断できる。」
先日、その坂口さんと話したときも「短期的な実効性を求めて専門学校化する大学は淘汰され、文学部をもちこたえることのできる大学が生き残るだろう」という結論を共有した。
「文学部を維持できる大学」というのは言い換えると、「この期に及んでなおリベラルアーツの重要性を信じている大学」ということである。
「卒業しても手に職がつけられない」のは、教育成果が外形的・数値的に表示できないということである。
換金性の高い知識や技能が身についていないということである。
「それでいいじゃないか」というのが坂口さんや私の考えである。
「それでいいじゃないか」と考えている企業の採用担当者もかなりいることがこのアンケート結果から知れた。
「共同体の一員として、隣人たちから信頼され、敬愛され、繰り返し助言や支援を求められるような人間」を育成すること、それが教育の目的である。
しかし、「信頼」や「敬意」や「配慮」や「洞察力」のような人間的資質は逆立ちしても「エビデンス・ベースド」に計量することができない。
それでも、組織が新人を採用する場合、TOEICの点数や資格や免許の多寡よりも、「いっしょに働いて気分がいい人、まわりの人々をチアー・アップし、組織全体のパフォーマンスを高める人」かどうかを優先的に配慮する。
当たり前のことである。
数値的に表示できないような教育成果はゼロ査定するのが当今の成果主義の風儀のように言われているが、「共生する能力の高さ」はおそらくもっとも査定することの困難なものである。
査定が困難であろうとなかろうと、たいせつなものがたいせつなものであるという基本は譲るわけにはゆかない。
「この期に及んで文学部の評価を維持できている大学」というのは「数値化できない教育成果に賭け金を置いている大学」ということである。

2006.11.06

白川静先生を悼む

白川静先生が10月30日に亡くなった。
享年96歳。
白川先生の漢字学三部作『字統』、『字訓』、『字通』はそれぞれ先生が74歳、77歳、86歳のときに完成した。
私ごときが五十路をいささか過ぎたあたりで、「もうおおかたの仕事は終えたし、余生は雑文を草して、世間のお邪魔にならないように生きたい」などと口走るのは「100万年早い」ということを痛切に感じさせる偉大な業績である。
『字通』を私はつねに書き物机の上に置いてある。
漢字の原義(に限らず、なにごとにおいても「起源のようす」)について知りたくなるのは子どものころからの私の癖である。
この幼児的で法外な好奇心をつねに満たしてくれる思想家として私が名を挙げることができるのは、マルクス、フロイト、レヴィ=ストロース、そして白川静の四方である。
この四人の共通点は、「人間の諸制度はそもそもどういうところから始まったのか?」という起源にかかわる問いから決して目を放さなかったことにある。
人間社会の起源には非文化から文化に「テイクオフ」する瞬間の劇的な快感が存在する。
別にその場に居合わせたわけではないから、断言するのは憚られるのであるが、たぶんそうだと思う。
文化とはこの浮遊するような快感をもう一度味わいたいと願った人々が反復した行為が集団的に模倣され、やがて制度化したものである。
だから、人間的諸制度の基本には「気分を高揚させる」か、または「悪い気分を抑制する」身体的実感があったはずである。
そうでなければ、文明が始まるはずはない。
白川先生の漢字学は、古代中国においては、地に瀰漫していた「気分の悪いもの」を呪鎮することが人間たちの主務であったという仮説の上に構築されている。
古代の人間はそのほとんどの時間とエネルギーを「邪気」を祓うために費消していた。
それが有名な白川先生の「サイ説」である。
「サイ」というのはこのフォントでは再現できないけれど、英語のDの弧の部分を下向きにしたかたちである。
この文字を後漢の『説文解字』以来学者たちは「口」と解した。
白川先生はこれを退け、これが呪具の象形であるという新解釈を立てた。
「この基本形であるサイの従来の解釈が誤りであるとすれば、その系列に属する数十の基本字と、その関連字とは、すべて解釈を改めなくてはならない。誤解のもとはサイを口の単なる象形と解し、文字映像におけるその象徴的意味を把握しえなかった点にある。」(白川静、『漢字百話』、中公文庫、2002年、41頁)
白川先生によればサイとは「のりとを入れる器」である。
だから「告」は「木の枝にかけられたサイ」である。ゆえに、「告げるとは神に訴え告げることである」。
サイを細長い木につけてささげると「史」になる。
聖所に赴くときは、大きな木にサイを著けて吹き流しを飾り、奉じて出行する。
「呪」はもともと「サイ」と「兄」の合字である。
兄は祝祷の器サイを奉じて祈る人をいう。
古代中国における戦いはなによりもまず呪術による攻防として行われた。
「呪術の目的は攻撃と防禦にある。その最初の方法は呪的な言語によるものであったが、それが表記形式に定着したものが文字であった。開かれた祈りは告であり、隠された祈りは書である。攻撃と防御の方法は、その呪能を託されている祝告の器であるサイに対して、加えられるのである。」(同書、44-45頁)
それゆえサイにはさまざまな武具が防禦のために動員された。
サイに鉞を加えると「吉」(呪能をここにとじこめる)になる。
盾を加えると「古」(固く永続する)になる。
戈を加えると「咸」(完全に終わる)となる。
「みなその祝告の呪能を保全するための防禦的方法である。」(45頁)
一方、敵対する陣営の呪能的防衛戦を破るためにはサイを汚す文字が用いられる。
「舎」(すてる)と「害」(そこなう)はいずれも「長い刃をもって器を突き通す形であり、そのような方法で呪能は失われると考えられた。」
サイに水をかけることも呪能を奪う方法であった。
だから、「沓」は「サイに水をかけ、加えて踏みつけること」である。
古代中国の呪術戦争はこのように呪具と漢字によって展開したというのが白川先生の説である。
古代中国社会に濃密に漂い、リアルに人を撃ち殺すだけの力をもっていた呪能とそれを統御するダイナミックな力をもつ文字についての物語を読んでいると、私は胸がどきどきしてくるのを感じる。
白川先生の漢字論は「コミュニケーションの道具としての言葉」という功利的言語観と隔たるところ遠い。
私たちが言葉を用いるのではなく、言葉によって私たちが構築され変容されてゆく。
白川先生はそう教えた。
この言語観はソシュール以後の構造主義言語学やレヴィ=ストロースやジャック・ラカンの構造主義記号論と深く通じている。
そういう意味で白川静先生は「日本を代表する構造主義者」と呼んでよいのではないかと私は思っている。

ブログの画面がすごくきれいになりました。
フジイくんのおかげです。
フジイくん、いつもどうもありがとう。

2006.11.08

ようやく秋らしくなった

言うまいと思えど今日も忙しい。
土曜は入試。
日曜は母と叔母を新神戸にお出迎えして、「明石海峡大橋が見たい」とおっしゃるので淡路島までドライブしてから舞子の宿に送り届け、そのあと山本浩二画伯「死の淵より生還」奉祝麻雀大会(報告を怠っていたが、画伯は八月に心臓の手術をして、いまではペースメーカー装着の人なのである。画伯のそばで携帯電話を使ってはならぬよ)。
月曜日は会議のあとクリエイティヴ・ライティングの授業をして、それから三年生のゼミ宴会(なぜか一月ちょい遅れのバースデーパーティだったらしく、ゼミ生たちから「アンカ入れぬいぐるみ」と寄せ書きを頂く。よい子たちである)。
火曜日は朝、三宅先生のところに行って治療をしていただいてから、ゼミが二つ。その間に『婦人画報』の取材。独立してミシマ社代表取締役となったM島くんが遊びに来たので、いっしょにご飯を食べる。
家に戻ると、前日が締め切りだった「女子大有用論」の原稿が届いていませんが・・・という督促メールが産経新聞から来ている。
書き終えてないのであるから届いていないのは当然である。
書こうとするが、M島くんと飲んだワインが回って、あたまがぼおっとして思考がまとまらない。
そこにラリー・”Wandering Jew”・トーブさんからメールが来たのでご返事を書く。
英語で書かないといけないので、日本語で書くのの10倍時間がかかる。
トーブさんは『私家版・ユダヤ論』と『街場のアメリカ論』を併読されているそうである。
『私家版・ユダヤ論』についてのコメントは
「これらの問題を分析するときのあなたのやり方が私には気に入りました。因習的な左翼右翼の観念を歯牙にも掛けないところがよろしい」(適当な訳。原文はI love the way you analyze the issues, completely deconstructing conventional ideas left and right.)
トーブさん、どうもありがとうございます。
本格的な書評をお待ち申しております。
英語を書いたら、それだけでなけなしの知的リソースが底をついてしまったので、あきらめてウイスキーを飲みながら本を読むことにする。
学生が吉本ばななの『TSUGUMI』という本を貸してくれたので(貸してくれたわけじゃないんだ、「コピーしてください」と言って預けられただけなんだけど)、それを読む。
吉本ばななの本を読むのははじめてである。
クリエイティヴ・ライティングでは「ジェンダーと文体のあいだにはどのような関連があるのか/あるいはぜんぜんなかったりして」という論件をめぐってこの二週間ほどディスカッションをしているので、「男性である書き手が吉本ばななのように書けるか?」という問題意識をもって読む。
うーむ。これはどうかな。
男性作家であっても「女性らしい」感受性や思考は想像的に構築できるだろうけれど、「おのれの女性性をうまく処理できないでいる女性」をいきいきと造型することはかなりむずかしそうである。
「おのれの女性性とうまくなじむことができずにいる少女」たちはどのような作品においても「自分の性に完全に調和している少女たち」よりも魅力的に描かれる。
制度的に強いられる性差を自然のものとして受け容れることに抵抗し、因習的な性別役割を拒絶しようとするふるまいを通じて、「因習的に構築されたのではない、より根源的な性差」が露出する・・・という一回ひねりのドラマツルギーをおそらく私たちは愛しているからであろう。
私の読書体験のいちばん起源にある恋愛小説はジョルジュ・サンドの『愛の妖精』で、私はたぶんこれを8歳か9歳くらいのときに読んだ。
『愛の妖精』はファデットという色が黒くて、骨張っていて、ぜんぜん女らしさのない女の子が思春期になって、二人の男の子に恋されて、いきなりきれいになる・・・という話(だったような気がする。違うかもしれない)で、小学校低学年で、まだ性的には星雲的未分化状態であった私はファデットに完全に感情移入してしまい、生まれてはじめて「恋愛」というものを内側から体験してどきどきしていたことを覚えている。
『愛の妖精』のドラマは「ぜんぜん女の子らしくない、がさつな」ファデットが恋をして、いきなり「ラブリーな女の子」になってしまう、その驚異的なメタモルフォーゼにあったはずである。
他の方はともかく子どもの私はその少女の激変する能力に感動したのである。
制度的に、あるいは性格的に、性的な徴候が希薄であった少年少女が、あるきっかけで、「根源的な性差構築力」のようなものに圧倒されるというのはおそらく私たちの好む説話原型の一つなのである。
そんなことを考えているうちに眠くなってきたので、米朝の『近江八景』を聴きながら眠る。
半睡状態で聴いているうちに、気がついたらサゲにかかっていた。
「おい、銭をお払いよ」
「へへ、近江八景に膳所はございません」。
ここまで来る途中はどういう話だったんだろう。

2006.11.11

少子化と家族解体

火曜の大学院のゼミのテーマは「少子化」であった。
これについては、これまでもすでに何度もこのブログで論じているので、とくに付け加えるべき意見はない。
少子化そのものは日本が国民国家として縮小段階に入ったことの徴候であり、無限の経済成長、無限の資源、無限の市場というありえない幻想から醒めつつあることを意味している。
こういうものは個人の発意や決断でどうこうなるものではなく、地学的な変動のようなものである。すでに人口負荷が日本の国土と環境の耐力限度を超えているのであるから、縮むのが合理的なのである。
これについては今年のはじめごろ、古田隆彦青森大学教授(人口社会学)の所論を紹介した。それを再度ご紹介しておこう。
人口容量(carrying capacity)という概念がある。
日本列島の人口容量は、旧石器時代で3万人、粗放農業文明期で700万人、集約農業文明期で3300万人と推定されている。
「この壁にぶつかる度に、日本の人口は停滞もしくは減少を繰り返してきた」
人口容量が限界に近づくと、限りあるリソースの分配方法について二者択一を迫られる。
「親世代は自らの水準を下げて子どもを増やすか、水準を維持して子どもをあきらめるか、の選択を迫られる。が、すでに一定の豊かさを経験している親世代は、それを落とすことを嫌うから、事前に晩婚や非婚を選んだり、結婚後も避妊や中絶を行って出生数を減らしていく。」
現在日本の人口は1億3000万人。これは列島のリソースが養える限界に近い数値である。
「そこで、多くの日本人は無意識のうちに人口抑制行動を開始」する。
「つまり、『晩婚化・非婚化』や『子育てと仕事の両立が難しい』という理由の背後には、『飽和した人口容量の下で自らの生活水準を維持しよう』という、隠れた動機が働いている。」
というのが古田先生の説である。
だから、少子化を金をばらまくことで解決しようとするのは政策的には無意味なのである。
人々が「標準的」と思っている生活水準が上がれば上がるほど、リソースの争奪戦は激化し、子供を持つことによる競争上の不利は増大する。
行政がやろうとしているのは、ありていに言えば、「子どもを生めば金をやる」「子どもを産んでも競争に不利にならないように支援してやる」という利益誘導である。
「すべての国民はリソースを奪い合って競争をし続けなければならない」というゲームのルールそのものには手を付ける気がない。
ならば、いずれは「子どもを一人生んだら、500万円の報償金を出す」とか「子どもを産んだ親はどこでも好きな大学に進学できる」とか「子どもを産んだら職場で二階級特進させる」とかといったアファーマティヴ・アクションを採用することになるだろう。
厚労省が実際にそういうプランを検討していても私は驚かない。
現に、「一人っ子政策」の中国では、「子どもを産まない」と誓約した夫婦には「団地への優先的入居権」や「ボーナス」を配給して実績を上げている。
逆だってできないことはあるまい。
中国では個人は子どもを欲しがっているが、国は子どもを欲しがっていない。
日本では個人は子どもを欲しがっていないが、国は子どもを欲しがっている。
個人と共同体の間に埋めがたい「行き違い」があるという点ではよく似ている。
中国において、子どもは社会的リソースの十分な分配を妨げるネガティヴ・ファクターであり、日本では子どもは親の自己実現や自己決定を妨害するネガティヴ・ファクターである。
どちらでも、人々は「子どもというネガティヴ・ファクター」のもたらす害をどうやって最小化するかというふうに問題を立てている。
そういうふうに扱われることは生まれてくる子供たちにとって決して幸福なことではないだろう。

木曜日は「家族崩壊」についてみずほ総研から取材を受ける。
同じような話が続く。
家族が崩壊したのは、これも繰り返し申し上げている通り、家族を解体し、家族ひとりひとりが孤立し、誰にも干渉されずに自己決定することの代償として、すべてのリスクを引き受け、すべてのベネフィットを独占する権利を手に入れるという生き方に日本人の多くが同意署名したからである。
家族がいない方が競争上有利である、と人々が判断したから家族は解体したのである。
逆に、家族がいる方が生き残る上で有利であると判断すれば、みんな争って家族の絆を打ち固めるであろう。
『ホテル・ルワンダ』はルワンダにおけるフツ族のツチ族虐殺を背景にした家族愛と隣人愛の物語である。
民族虐殺の現場に居合わせたときは、家族や隣人が利己心を棄てて支え合うことが単独で行動するよりも生き延びる確率が高い。
日本社会で家族愛や隣人愛が根づかないのは、「利己心を棄てて支え合う」ことによって回避されるリスクと「利己的にふるまって、他人を蹴落とし/蹴落とされること」のもたらすベネフィットを比べたときに、後者の方が大であるとみなさんがご判断されているからである。
それだけ日本が安全だということである。
「ルワンダで家族愛を享受するのと、日本で消費生活を享受するのと、どっちがいい?」と聞かれたら、誰だって「虐殺されるかもしれない状況で家族と支え合うより、孤独だけれど潤沢な消費生活を享受できるほうがいい」と答えるだろう。
私だってそう答える。
家族解体は平和のコストである。
引きこもりやニートがいるのも、最終的に「健康で文化的な最低限度の生活を営む」保証があるということを彼らが知っているからである。
高齢の無業者は保護者が死んだら、いずれ路上で餓死するしかないということであれば、誰も引きこもってはいられまい。
学びや労働や社会生活から逃走することのできる人間が百万単位で存在できるのは、日本が豊かで安全で福祉が充実しているからである。
家族の解体も、社会性の喪失も、「家族がいなくても、社会的能力がなくても、生きていける」という事実が周知されたことの結果である。
私はこれを戦後日本の60年の平和と繁栄の輝かしい成果として言祝ぐべきだと思う。
ただ、家族もいないし、社会的能力もないし、消費するだけで何も生産しない人々が一定数以上増えると、社会のキャリング・キャパシティに限界が来る。
そのときには、その人たちにも路上で餓死する可能性が出てくるだろう。
社会的なふるまい方の原則はどんな場合も同じである。
それは「世の中が全部『自分みたいな人間』ばかりになったときにでも生きていけるような生き方をする」ということである。

2006.11.14

時間と死

土曜日は入試。
このところ土曜日の仕事が立て込んで、八月から後、ずいぶん長いこと合気道の稽古に行っていない。
スケジュール帳を見ると、八月からあと、稽古に顔を出したのは数回で、年内もあと1回しか芦屋に行く機会がない。
30年来、どんなことがあっても、つねに「合気道中心」に生きてきた私であるが、さすがにこの年回りになると「稽古があるからダメです」で断ることのできぬ浮世のしがらみがだんだん増えてきたということである。
よくない傾向である。
授業がある日の仕事は「授業がありますから」と言ってきっぱりオッファーを断っているわけであるから、「稽古がありますから」ときっぱり断り切れないというのは、どこかに「合気道の稽古は私事である」という思いがあるからであろう。
そういう考え方はよろしくない。
授業が公的な仕事であるように稽古も私にとっては公的な責務である。
来年からは土曜日の仕事はすべて「稽古がありますから」で断ることにしよう。
10月11月の土曜日は入試で3回つぶれた。
入試のために働くのは少しも苦痛ではないが、稽古を休まなければならないのは筆舌に尽くしがたい苦痛である。
月曜の夜には杖道の稽古があるが、これも10月から1回しか顔を出せないままである。
月曜夜に会議と来客が集中したせいである(会議と来客と稽古がトリプルブッキングした日もあった)。
武道上の気づきや教えたいことはつきせぬほどあるのに、道場に立ってそれを検証する機会がない。
古諺に言う。すまじきものは宮仕え。
一日もはやく大学をリタイアして、稽古三昧晴耕雨読の隠居人生を迎えたいものである。
養老先生は大学を停年退職した翌日の朝、空を見たら、空の青さがまったく違って見えたそうである。
うちの妻はこんな澄み切った空の色を毎日見ていたのか、と思うと悔しくなったというお話しをしてくれたことがある。
経験したことがないけれ、気持ちは何となく想像できる。
私もそんな空の青を早く見てみたい。
60歳で早期退職予定であるから、次の四月、2007年度入学の学生たちが卒業するときに私も一緒に「卒業」である。
カウントダウンというのは味わいがあってよろしいものである。
「こんな仕事が毎年続くのか・・・」と思うと面白くもないが、「この仕事もあと何回経験できるのであろうか・・・」と思うと、そんな仕事もいとおしく感じられてくる(入試業務でさえ)。
長屋でスーさんが自殺について書いている。
その中で、私の文章を引用されていた。
私が書いたのは「『生き終えた自分』という仮想消失点をリアルに想像し、そこから逆算して現在を見ることのできる人間の目にはすべてのものが移ろいやすく、儚く、そしてかけがえのないものに映る」ということであった。
カウントダウンは「時間は不可逆的であり、いまのこの瞬間は過ぎ去って二度と戻らない。It’s just another day ということはありえないのである」という平明な事実を思い知らせてくれる。
子どものときに、私はこのような変化のない生活がいったいどれほど続くのだろうと想像して、深い絶望に陥ったことがある。
蓮光院というお寺が通学路にあり、小学校1年生のとき、そのお寺の竹塀を指で数えながら通学している途中で、「次にこの竹の塀をしみじみ見るときはもう5年生くらいになっていて、『そういえば、1年生のときにそんなことを想像したな』と思い出して笑うことだろう」と思った。
ある日竹塀を指で数えながら通学しているときに「あ、まだ2年生だ」ということに気づいて時間の進み方の遅さにくらくらと目が眩んだ。
主観的にはもう10年くらい小学校に通っていたのに、わずか1年しか経過していなかったのである。
そのときに「子どもにとって時間は絶望的に長い」ということを思い知った。
私が「いまのこの瞬間は過ぎ去って二度と戻らない」という「取り返しのつかなさ」の感覚を知ったのは16歳のときである。
スキーを覚えて夢中になった。
部屋でスキー板を履いて、ストックを振り回しながら想像上のウェーデルンをしているときに、ふと「あと何シーズン、スキーができるだろう?」と考え、指折り数えたら、最大でも50シーズンくらいしかできないということに気がついた。
スキーができる冬が1年ごとに減ってゆくということを知って、部屋の真ん中でブーツをとスキー板を履いたまま呆然としたことを覚えている。
たぶん、その瞬間に私は「子ども」から「青年」というものにばりばりと皮を破って変化したのである。
「おっと、こうしちゃいられない」という言葉が私の口を衝いて繰り返し出るようになったのは、その日以降のことである。
いじめで自殺する子どもたちにとって、教室で過ごす1日の主観的な長さは大人たちの何週間か何ヶ月かに相当する。
私はかつて1年にわたって教師と級友たちから組織的にいじめられた小学生であったから、その時間の絶望的な長さははっきりと覚えている。
時間を「逆向きに数える (compter à rebours) する」ことができない子どもたちにとって自殺は誘惑的な選択である。
子どもに自分たちが「時間的存在」であることを教えなさい、ということをこのところずっと語っている。
時間の中を生きるということは、未知性のうちに生きるということである。
一瞬後の世界は予見不能であり、その中で自分がどのようにふるまい、どのような社会的機能を担うことになるのかを主体は権利上言うことができないという事実「から」出発することである。
それがレヴィナス老師の教えである。
私にはそれがあらゆる意味でいま日本社会にもっとも緊急に必要なことのように思われるのだが、時間の本来的未知性の大切さについて語る人はほとんどいない。
むしろ、その逆に、メディアで語るほとんどすべての人は「未来がどうなるか私にはわかっている」ということを競っている。
「想定内です」という流行語はそのような無時間モデルで生きる人間のメンタリティをよく表している。
「未来がどうなるかわからない」という原事実のうちに人間の人間性を基礎づけるすべてのものが棲まっているということに気づいている人はほんとうに、ほんとうに気が遠くなるほど少ない。
メディアは「無時間で一般解を提示すること」を商売の基本にしているから、当然ながら時間と未知性には興味を示さない。
「子どもの自殺について200字以内でコメントを」というような仕事を出すことも引き受けることも怪しまない大人たちのせいで子どもの自殺が止まらないということにどうして人々は気づかずにいられるのであろうか。
子どもたちが自殺するのは「自分の人生の意味を200字以内で言い切ることは可能であり、それができるのは自分が知的であり、自己の生を主体的に統御できていることの証拠である」と彼らが信じているからであり、そのような自己評価のあり方が私たちの社会では公的に認知されているからである。

2006.11.16

がんばれ!仏教

土曜日。池上先生がいらしたので、芦屋川のスタジオ・ベリーニで三宅先生の奥様と長男のマサキくんと四人でご飯。
どうして三宅先生ご本人がいないかというと、三半規管の具合が悪くて、眼がくるくる回るので、ご飯が食べられなくなってしまったのである。
気の毒なことである。
三宅先生の分までばりばり食べて、積年のご恩を返す。
ぱくぱく。
池上先生は東北からのツァーの途中。
ひさしぶりに池上先生の温顔を拝して、深みのあるバリトンに聞き惚れる。
池上先生の治療原理は「エビデンス・ベースト」のちょうど反対の「リザルト・ベースト」(日本語では「結果オーライ」という)で、「どうして治ったのか、わからないけれど、治ったなら、ま、いいじゃないか」というものである。
この結果オーライ治療術の基本にあるのは、「人間は人間のことをよくわかっていない」という知的節度である。
私はこの知的節度が科学性ということの別名だと思っている。
池上先生の術理を説明されても、ふつうの治療者は「何を言ってるんだか、よくわからない」はずである。
「わからない」から「池上先生がおっしゃっているのは、こういうことかしら・・・」という自己判断で三軸修正法を施術することを余儀なくされる。
この「自己責任による術理の解釈」という条件づけが治療者に節度を要求する。
「こうすれば絶対治ります」というような教条主義がはびこることを池上先生はそうやって防ごうとしているのであろうか・・・とステーキを囓り、ワインをごくごく飲みながら考える。
三宅先生ご一家のみなさま、今回もごちそうさまでした!池上先生「きりたんぽ」と比内地鶏と尺八のCDとご本ありがとうございました。
それにしても山本画伯といい三宅先生といい、私のまわりの健啖家たちが次々と食餌制限に追い込まれてゆくのを見ると、私のように彼らに「コバンザメ」することで食生活を富裕化してきた人間としては、行き場を失ったようでまことに寂しい。
お二人の一日も早い回復を祈念すること切なのである。

日曜は「無印良品家の本」の取材で橋本麻里さんご一行が来る。
「家」についていったい私に「何を訊くの・・・」と頭上に疑問符を点じつつも、訊かれるままに、「私は土地の個人所有を認めない」とか「家はセミ・パブリックな空間であるべきだ」などの持論を語る。
そう言っているうちに、「平川克美くん来阪奉祝麻雀大会」の呼集に応えた雀友たちが続々と参集し、それぞれ勝手に冷蔵庫を明けてビールを冷やしたり、納戸から雀卓と座椅子を持ち出して並べたり「わがもの顔」にふるまっているのを見て、橋本麻里さんも「なるほど。セミ・パブリックとはこういうことなのね」と納得されていたようである。
麻雀の戦績については、多くを語りたくない。
東一局、江さんが私から九萬、一萬、六萬、二萬をポンして、裸単騎になる。
私は混一色一並刻ドラ1、間七筒で面前聴牌。
当然勝負の立直。
そして二巡目に江さんの待ち牌である四萬(ドラ)を引いてきた。
ま、まさかのドラの裸単騎?
背筋に悪寒が走ったときは時既に遅く、三倍満。「がはははは」という江さんのハスキーな笑い声はそのあと4時間ほど私の脳裏を去らなかった。
去年の10月に江さんに振り込んだ「西ドラ6」と今年の春にI倉くんに振り込んだ「立直一発純チャン三色ドラ3」とともに、この四萬は私の「トラウマ」として末永く記憶されるであろう。
なお、この三倍満でトロマティゼされたので、先般画伯の質問に「清一色」は「食い下がりなし」というローカル・ルールでゆくことを確認したが、これを撤回して、全国ルールに合わせて「食い下がり一翻」とする。
「食い下がりなし」は三槓子、三連刻、三色同刻、対対和、三暗刻(以上、二翻)小三元、混老頭(以上四翻)。
以上連盟会長通達であるので、周知徹底されんことを期す。
かんきちくんがエクセルを使った点取り表を作成してくれたので、全員の勝ち数、勝率、半荘平均勝ち点などが一瞬でわかるようになった。
ちなみに2006年1月から11月までの戦績は。
勝率
第一位 ラガーマン  0.357
第二位 連盟会長 0.318
第三位 画伯 0.317
第四位 ドクター 0.311
第五位 歌う牧師 0.269
第六位 ゑびす屋 0.241
第七位 だんじりエディター 0.234
第八位 老師 0.227
第九位 泳ぐ英文学者 0.222
第十位 かんきちくん 0.161
というものである。
勝率的にはホリノ社長(0.375)、シャドー影浦(0.311)も高率なのであるが、規定打数(最高半荘参加数の三分の一、ということを会長通達で決定)に達していないので、参考記録にとどめる。
それから「越後屋」さんは先日門戸厄神駅頭において発作的に「ゑびす屋」さんに改名された(ゴッドファーザーは渡邊仁さん)。
理由は不明だが、彼の相貌には「ゑびす屋」こそがより相応しいであろうと、その場で満場一致で改名が決定された。
本人には事後承諾となったが、甲南麻雀連盟における「通称」の決定権は専一的に会長に帰属するので、異議申し立ては受理されない。
なお残る二冠は
勝ち数
第一位 連盟会長 21勝
第二位 ラガーマン 15勝
第三位 ドクター 14勝
第四位 画伯 13勝
第五位 だんじりエディター 11勝
半荘平均勝ち点
第一位 ラガーマン 8.83
第二位 連盟会長    6.97
第三位 ドクター 4.11
第四位 画伯 3.44
第五位 だんじりエディター 3.13
というわけで、このところ絶好調のラガーマンが二冠王。
4月以降ぼろぼろとは言いながら、1月-3月期に圧勝した連盟会長がかろうじて勝ち数において「雀荘主人」のアドバンテージを生かしてトップを保持したのである。
さて、2006年の年間チャンピオンの栄冠は誰の上に輝くのであろう。
前回、復活宣言を残して去った老師の去就が注目されるのである。

月曜は大学でクリエイティヴ・ライティングの授業。
今回は「語り手の性を入れ替えてテクストを書き換える」という宿題を課して、「性の交替」が文章にどのような影響を与えるかを検証してみた。
たいへんに興味深い、学会的にも「あっと驚く」発見があったのであるが、書き出すたいへんに長くなりそうなので、これは『女は何を欲望するか』の文庫版に独立した論文として採録することにする。
火曜日はゼミが二つ。
三年生のゼミが「癌」で、大学院のゼミが「追っかけ」。
どちらもたいへんに面白かったのであるが、詳細はいずれまた。
そのあと梅田に出て、『硫黄島からの手紙』の試写会。
終了後、ウッキー、タニオさん、イワモト秘書、イノウエ弁護士と連れだって、新梅田食堂街にて熱く語る。
よい映画である。
この映画については時間があるときにじっくり語りたい。
水曜日はオフ。
京都の大谷高校での教育研修会の講師にお招きいただいたので、そちらに出かける。
大谷高校は「お東さん」の学校であるので、校長先生の真城義麿先生も保護者会会長の安倍彰雄さんも浄土真宗のご住職である。
加えて、みなさんウチダ本の読者。
ということは端から私に「大暴れ」を期待してお呼び下さったということである。
期待してくださっている以上、それだけのことは勤めさせて頂かねば・・・ということで90分間教育についての所見を述べさせていただく。
講演後、校長室で、真城校長を囲んで、今後の日本の教育はどうあるべきかについてしばし歓談。
真城校長は浄土真宗の宗教家らしいまことに闊達にして理知的な紳士であり、大谷高校の人々がこの校長を中心にして新しい教育的拠点を構築しようとしている熱意が熱く感じられた。
私のような人間を呼んで保護者の前で「大暴れ」させるというその寛仁大度からも大谷高校の度量の深さは知られるのである。
このところ本当に仏教関係者とのご縁が深い。
地域における霊的センターとしての寺院をケルンにして日本社会の地殻変動は遂行されるのではないか・・・という私の予測はどうやらかなり確度の高いものとなりそうである。
がんばれ!仏教

教育基本法と真の国益について

教育基本法が委員会を通過した。
これまで何度も申し上げたとおり、教育については国は口を出さない方がいいと私は思っている。
それは「国が教育に口を出さない方が私にとってよい」ということではなく、「国が教育に口を出さない方が国にとってよい」と思っているからである。
忘れてもらっては困るが、私は熱烈な愛国者であり、日本が住みよい国になって、日本国民がにこにこ幸福に暮らすことを切望する点において、私の愛国心を超える人間としては急に訊かれると村上龍くらいしか思いつかないくらいくらいのパトリオットなのである。
加えて、ガバナンスのコストをできるだけ削減したいと望んでいる点においては、おそらく日本国官僚のうちで私以上に計算高い人間を探すことはまずもって至難の技であろう。
その私が言うのだから、信じて欲しい。
教育のことはそれぞれの教育現場で各自好きにやってもらうのがもっともコストパフォーマンスがよい。
公権力の介在は有害無益である。
教育を全国斉一的に管理する機関がなかった時代(つまり明治維新まで)、日本の教育はその当時の世界最高水準にあった。
270の藩にはそれぞれ藩校があり、全国に私塾があった。
幕末期における最高最強の教育機関といえば松下村塾であるが、これは長州萩城下松本村に天保年間に吉田松陰の叔父の玉木文之進が自宅で開設したものである。
それを松陰が引き継ぎ、その門下からは高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋、前原一誠ら維新の中心人物が輩出した。
緒方洪庵の適塾も天保年間に開設された私塾である。
ここに学んだ塾生600人のうちに私たちは福沢諭吉、大村益次郎、佐野常民、橋本左内、大鳥圭介を数えることができる(『福翁自伝』を読むと、その狭さと暑苦しさにはちょっとうんざりするけど)。
千葉周作の玄武館は剣道の道場であるが、広義には「私塾」と呼んでよいであろう。
玄武館からは坂本龍馬、清河八郎が出た(私の高祖父内田柳松も玄武館の門人であったし、あと、赤胴鈴之助もそうでしたね)。
これらの私塾が送り出した英傑たちの破天荒な活躍によって日本の近代化は成し遂げられた。
その歴史的事実に異論を唱える与党議員も文部官僚もおそらく一人としていないであろう。
その上でお訊きしたいのだが、では近代日本史上もっとも成功した教育システムである「幕末の私塾」がなぜ放棄されて、明治の公教育システムは構築されたのか?
その理由を400字以内で説明することができる与党政治家・文部官僚がいたら、ぜひお答え願いたい。
おや、お答えがないようだ。
そりゃそうだろう。
「幕末の私塾」が生み出したのが「回天の英傑」たちばかりだったからである。
そんなものにぞろぞろ輩出されたのでは近代国家のプロモーション・システムは立ちゆかない。
「政体を転倒するほどのスケールの大きい人間を作り出す教育システムはもう要らない」ということを暗黙の前提として、明治以降近代の公教育システムは構築されたのである。
「国家須用の人材」というのは、言い換えると「小粒の人間」ということである。
明治以来の日本の公教育システムは「人間の粒」を小さいスケールに整えることを主たる目的として運営されてきた。
私が言っているのではない。
ミシェル・フーコー先生がそうおっしゃっているのである。
私は「それが悪い」と言っているのではない。
国民ひとりひとりの人間的スケールよりも、ガバナビリティの方が優先するという政治的判断は「あり」である。
だが、その「犯意」についてはぜひ自覚的でありたい。
維新から140年、元勲たちの思惑どおり、日本人は限りなく「小粒」になった。
たしかに「小さい粒」は管理しやすい。
けれど、あまりに小さいと今度は管理の「網目」にもかからない。
管理ができなくなっているから、文部官僚は慌て始めたのである。
勘違いして欲しくないが、私は「ガバナビリティ」の重要性をよくわかっているつもりである。
効果的な法治と通貨の安定と国民のモラル維持はガバナンスの基本である。
その上で申し上げるのだが、いくらなんでももう少し国民の「粒」を大きくする方向に教育政策を補正した方が「ガバナンス」上よろしいのではないか?
今般の教育基本法改訂の目標は現行の教育基本法の第十条である。
第十条にはこう記してある。
「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」
改訂論者たちはこの「不当な支配」という文言がお気に召さないらしい。
「支配」する側にいる方たちが「不当な」という形容詞がお気に召さないのはよくわかる。
しかし、戦後二年目にこの文言を起草した人々は「教育勅語」による管理教育がもたらした惨禍が骨身に沁みていた。
だから、「できるだけ教育は国家が管理しない方がいい」という自制の言葉をみずからが制定した法律のうちに書き入れたのである。
私はこの経験的知見を重く見る。
だが、この自制の言葉がお気に召さない方々が教育の国家管理を強化するために法律を改定しようとしている。
それでよろしいのであろうか。
繰り返し言うが、私は愛国者であり、かつたいへん計算高い人間である。
その立場から、国民のうちに一定数の「大粒」の人間の出現が間歇的にではあれ担保されるシステムの方が、そうでないシステムよりも国がクラッシュする危険が少ないだろうと考えている。
子どもを育てるシステムはできるだけ斉一的でない方がシステム管理上安全である。
教育を過度に管理することは「システム管理上」危険である。
そう申し上げているのである。
私は「みんな好きにやればいいんだよ、ピース」というような底の抜けた自由主義を説いているのではない。
日本のシステムを一日でも長持ちさせたいのであれば、本気でシステム管理上の安全を考えた方がよい、と申し上げているのである。
教育については「とりあえず現場の好きにさせておく」という方向にシフトする方が今の日本の国益にはかなっている。
私は「教育の理想」を語っているのではない。
「明日の日本国の米櫃」の心配をしているのである。
教育基本法を改定しようとしている政治家や官僚たちがめざしているのは日本人をさらに「小粒」にするという政略である。
「国民が小粒になりすぎると管理不能になる」という非情な現実にもう少しまじめに向き合った方がよろしいのではないか。
いや、本気で心配してるんだよ。

2006.11.18

個食のしあわせ

2年生のゼミで「食事と家族」についての発表があった。
「個食」という言葉が日本語の語彙に登録されて久しい(ATOKでは「こしょく」と打つとちゃんとこの文字が出てくる)。
ご存じでない方のために申し添えると、これは「ひとりでご飯を食べる」ということである。
「個食」は「孤食」でもある(これもATOKの語彙には収録されている)。
同じテーブルを囲んでいても、家族がばらばらに違うものを食べているのであれば、それも個食である。
同じテーブルを囲んで、同じ食物を食べていても、全員がテレビを見ていて無言でいるなら、それも広義における個食である。
個食の反対概念を考えればよろしい。
それは「共食」である(「ともぐい」と読まないでね)。
人々が集まって車座になり、一つの食物を分け合う儀礼を持たない共同体は地球上に存在しない。
共同体を立ち上げる基本の儀礼である。
それは原理的には「分割不可能なものを分かち合う」という仕方で行われる。
だから共食の原型は「液体の回し飲み」である(インディアンや西海岸キッズのように「気体の回し喫み」というバリエーションもあるが)。
その場合の「液体」は共同の容器に入れられ、容器には安定的に置くことのむずかしいものが選ばれる。
「杯」というのは構造的に不安定なものである。
ジェームズ・ギブソン的に言えば、「酒杯はそれをテーブルから持ち上げ続ける動作をアフォードする」ということである。
酒杯というのは、「卓上に置いたままにしておくと不安定に見えるので、つい手に取りたくなる」ような形状をしている。
だからたいてい逆三角形をしているし、酒杯の中には「底が丸いもの」や「底に穴があいているもの」(絶えず指で穴を押さえていないと中身がこぼれ出る)ものがある。
「さかずき」の古いかたちとして漢字は「觴」や「觚」や「斛」などを持っているが、これは扁からわかるようにあるが、それが獣角から作られたことを示している。
獣角は古代において身の回りに見出される「もっとも先端の尖った自然物」であるはずだから、「決して安定的に立たないこと」を主な目的としてこれが選択されたと推論することは間違っていないであろう。
杯についてはその性質のすべてが「下に置かないこと」を人間に求めている。
両手を自由にするためには、杯を別の人間に手渡すしかない。
つまり、杯の場合であれば、食器の形態そのものが共同体の存在を要請しているのである。
献酬という習慣は私たちの社会からもう消えてしまったが、それでもまだ宴席において、「自分のビール瓶」を抱え込んで手酌で飲むのは非礼とされている。
自分のグラスが空になったら、面倒でも隣の人のグラスにビールを注ぎ、「あ、気がつきませんで・・・」と隣の人がビール瓶を奪い取って、こちらのグラスに注ぎ返すのを待たなければならない。
「自分が欲するものは他人に贈与することによってしか手に入らない」という文化人類学的真理を私たちはこういう儀礼を通じて学習するのである。
嫌煙時代になってすっかり見なくなったが、むかしはある程度以上の格式の会社の応接間には必ず「煙草盆」があり、煙草とライターと灰皿の三点セットが置いてあった。
応接間に通されるとまず茶が出る。
茶を喫して、煙草を吸う。
「出会いの儀礼」だから、これは来客の側の義務として観念せられていたのである。
「のど渇いてないし、別にお茶飲みに来たんじゃないから」というのは合理的なご判断かも知れないけれど、それは共同体を立ち上げようという相手からオッファーを拒否することに等しい。
「お茶しない?」という誘いを断るのと同義である。
どうして共食(あるいは共飲)の儀礼がこれほど重視されたかというと、第一に近代にいたるまで、食料と水というものが人間にとってもっとも貴重な財だったからである。
もっともたいせつなものを差し出して他者とともに分かち合う。
友愛のみぶりとしてこれほどわかりやすいものはない。
言葉が通じなくても、習俗や宗教が違っても、生物である限り、食べ物と飲み物が貴重なものであることについての判断の汎通性は揺るがない。
もう一つは、いっしょに食べ、いっしょに飲むということが「動作の模倣」を意味するからである。
それぞれの食べ物については固有の「食べ方」というものがある。
身をほぐす、皮を剥く、頬張る、噛み砕く、啜り上げる、呑み込む・・・といった咀嚼嚥下にかかわる一連の動作はある種の「コレオグラフィ」とみなすことができる。
同じ食べ物を同時に食べる人々は一種の「群舞」を舞っているのである。
恋人同士が差し向かいで食べているとき、それはpas de deux を踊っているのに似ている。
「同時に食べ始め、同時に食べ終わる」ことがデートの際の食卓儀礼として重視されるのは、そのせいである。
動作が一致すると、ふたりの呼吸が合う。アラインメントが合う、コヒーレンスが整う。
それは細胞レベルで「同体化した」ということである。
ご飯がきちんと美味しく食べられる相手であれば、エロス的関係においても同じような同期が期待できるということを私たちは無意識的には知っている。
だから、とりあえず「飯、食いにいかない?」ということになるのである。
あれは「瀬踏み」をしているわけである。
いっしょにご飯を食べていると、カップラーメンでも美味しく感じられるという相手であれば、それ以外の共同的な作業においてもだいたいうまくゆく可能性が高い。
共同体のパフォーマンスを条件づけるのは何よりも「周波数の同期」だからである。
話を戻すと、それゆえ「個食」という食事のあり方は人類学的には「共同体の否定」を意味していると解釈することができる。
それが可能であるのは二つ理由がある。
一つは「食物や水はもう貴重な財ではない」と人々が考えているからであり、一つは「共同体に帰属しなくても一人で生きていける」と人々が考えているからである。
これはどちらも現代日本社会においては合理的な判断である。
けれども、人類が誕生して数十万年の間、「食物や水が貴重な財ではなく」、「共同体に帰属しなくても一人で生きていける」という環境に人間が生きることができたのはきわめて例外的な場合だけである。
ほとんどの時代、人間たちは恒常的に飢えており、集団的に行動しない限り生き伸びられなかった。
だから、人間の身体組成は「飢餓ベース」であり、精神は「集団ベース」になっている。
現代日本は「飽食ベース」「孤立ベース」での生存が可能になった人類史上希有の社会である。
だから、飢餓ベース、集団ベースで構築された身体運用技法や儀礼や習慣との間でフリクションが起こるのは当然なのである。
私はそのフリクションは日本の繁栄と平和のコストだと思っている。
「個食」というような特権的な食物摂取が可能であった社会はこれまで存在したことがない。そして、そのような特権がいつまで継続するのか私たちにはわからない。
だったら、とりあえずひとりでまずい飯を食うことができ、家族がたがいを不快に思っていても、それでも生存が可能な社会を「人類史上例外的な幸運」として笑顔で豊かに享受する方向に気持ちを切り替えた方がよいであろう。
たぶんそうした方がご飯も美味しいし。

2006.11.20

朝カル連荘

よく考えたら、今週も休日のない一週間であった。
土曜日は稽古のあと、朝カルで「武術的立場」の第二夜。
今月のゲストはびわこ成蹊スポーツ大学の高橋佳三さん。
甲野善紀先生のもとで学び、古武術の術理をスポーツ(とくにご専門の野球)に適用する方法を開発している気鋭のバイオメカニクス学者である。
応接間で新婚の奥様をご紹介いただいていると、そこにぞろぞろと関係者が登場。
先月のゲストで今回はすっかりリラックスの守さんとミドリアタマさんの四国組(うどんとカステラありがとうございました)。来月のゲストの平尾剛さん。古武術を介護に生かして介護界に激震を与えている岡田慎一郎さん(柿をありがとうございました)。「武術的立場」を「カラ売り」した朝日新書の石川さん。高橋さんに野球を習いに来たかんきちくんと遊びに来たウッキー。
そのまま応接室でわいわいしゃべり、そのままの勢いで対談。
守さんにも平尾さんにもご登場願いました。かんきちくん、ウッキー、アシスタントありがとう。
どどどと打ち上げに雪崩れ込む。
このシリーズはいずれも甲野先生の強い影響の下に、それぞれの立場から新しい技法と理論の深化をめざしている若手にお集まりいただいてお話を伺うという趣旨のものであり、その場にいない甲野先生が実は影の主役なのである。
いまフランスに行かれている甲野先生の話で盛り上がる。
来月の平尾さんの後に全員集まって本格的な打ち上げをやりましょうねと約束して大阪駅頭でお別れ。
明けて日曜は朝カルの連荘で、奈良興福寺への「現代霊性論スピンオフ:大人の遠足ツァー」。
お昼前に釈先生が車でお迎えに来てくれる。
釈先生が来る前に、明朝締め切りの共同通信の原稿を一気書きする。
氷雨の中、高速を飛ばして30分ほどで奈良着。
興福寺本坊で釈先生がパワーポイントのセッティングをしている横でほっこりしているうちについ眠ってしまう。
興福寺のような霊的スポットのそのまた本坊の畳の寝心地の良さは筆舌に尽くしがたい。
今回の出前朝カルの参加者は足元のお悪い中にもかかわらず60名近く。
興福寺の若いお坊さんのお話を伺ってから、国宝館、東金堂を拝観(ここは前回の興福寺訪問のときに森谷執事長にご案内を頂いたので、二度目)。釈先生からじっくりと「みどころ」の解説をしていただく。
それから本坊に戻って、釈先生の「仏像の見方」レクチャーを40分ほど伺い、そのあと30分ほど対談。
私の実働時間はこの30分だけである。
倍音声明とクリント・イーストウッド映画の話をしたら、すぐに30分経ってしまった。
あとは送り迎えから会場のセッティングから阿修羅や薬師如来の鑑賞から仏像教室まで、90%は釈先生におんぶにだっこである。
これでギャラの半分を頂くのはあまりに理不尽であるが、そこはコンビ芸人である以上は仕方がない。
昨日の朝カルでもそういえば動いていたのもしゃべっていたのも、ほとんど高橋さんひとりで、私は「肩胛骨くるくる回してみせてください」とか「古武術的バッティングやってください」とかおねだりするだけの口パク仕事であった。
こんなふうに若い諸君の真剣なご努力にただ乗りするような世間を舐めた仕事の仕方をしているといずれゼウスの雷撃に打たれるであろう。
今日の釈先生の話のうちたいへん興味深かったのは、兵庫の浄土寺というお寺の「彼岸の夕方の阿弥陀如来のライティング」のお話である。
その寺は彼岸の日に、御堂の真後ろに日が沈むように(つまり東に向いて仏像が立つように)設計してある。
後ろは「蔀戸」になっているので、左右開きではなく、がばっと上に開く。
堂の後ろは下り傾斜になっていて、遠くに山があるので、山あいに日が沈むときに御堂の後ろからまっすぐ夕日が差し込むのである。
すごいのはその後で、堂から山の間の平地に九つの池が掘ってあって、そこに反射する夕日が仏像を「下から」照らすように仕掛けてある。
堂内に直接に差し込む日没の太陽光と、九つの池を順番にずれて差し込む夕日の反射光が光の交響楽のようなものを奏でる。
仏像は夕日に背中を向けているので、はじめのうちは顔がまったく見えない。
足もとだけしか見えない。
そのうちに下からだんだん光が上がってきて、最後にお顔が見えるときに、夕日が後輪のように輝き渡り、堂内は一瞬極楽浄土の幻影に満たされる・・・
こういう話を聴くと「昔の人はすごい」と思うと同時に「現代人はほんとうに多くのものを失ってしまった」ということを痛感する。
建築技術についていうなら、おそらく現代の方が浄土寺が建てられたときより桁違いに進歩しているのであろう。
けれども、このような宏大なスケールの、魂を揺さぶるような建築物を作れる人間も、そのような建築物を求める人間ももういない。
このような建築物は信仰があるところにしか成立しない。
いまでもさまざまな教団が巨大な建築物を造っているが、そこには巨富と権勢を誇る虚仮脅しはあっても、魂を揺さぶるような信仰の深度はない。

2006.11.21

テレビが消える日

小田嶋隆さんから『テレビ標本箱』(中公新書ラクレ)という本を頂いた。
小田嶋さんの本はすべて私の家宝であるが、「家宝は寝て待て」という古諺はやはり正しく、いつのまにか先方からご本が届いたのである。
いつものようにエッジの効いたTV批評を展開されているのであるが、惜しいかな、私は過去2年ほどテレビというものをまともに見たことがないので、小田嶋さんが論評している固有名の50%くらいについてはどんな番組なのか、どんな顔の人物なのかがわからない。
それでも面白い。
批評というのはそれでよいのである。
見たことのないもの読んだことのないものについて論じてあっても、「その通り!」と思わせることができるのがプロの批評の仕事である。
オークランドの町山智浩さんがブログでやっているポッドキャスト「アメリカ映画特電」http://www.eigahiho.com/podcast.htmlも、見たことのない映画の話ばかりなのだけれど、これもやっぱり「その通り!」と思わせてくれるところがすごい(特に『スネーク・フライト』と『ボラート!』の回が最高!)
前に六本木で小田嶋さん、町山さん、平川くんと四人でご飯を食べたときも、ほろんど町山さんがこのトーンで話し続けていた。
そのときはこの手の話は絶対活字に出来ないだろうな、もったいないなあ〜と思っていたが、ポッドキャストでなら世界に発信できる。
町山さんもまことに画期的な手を思いついたものである。
第四回『映画秘宝の歴史』の回もめちゃ面白かった。
どうして町山さんが蓮實重彦をキライなのか、その理由が丹念に説かれていて、深く納得。
『リュミエール』の悪口を言っているとき、町山さんが激怒のあまり噛んでしまうところで、私は床を転げ回って笑ってしまった。
それはさておき。
小田嶋さんは「テレビの終焉」をこんなふうに予想している。
「W杯に合わせてDVDレコーダーを買った組は、完全にナマのテレビ視聴から撤退している。『いやあ快適快適。ゴールデンのバラエティーとかは、ハードディスクに丸録りしとくと10分で見られるな』『ドラマも倍速でいけるぞ』『ニュースはどうだ?』『報道ステーションなんかは、解説のオヤジの説教をトバせば、30分で見られる』『てか、古舘も要らないだろ』『うん、テロップだけ読めば、10分』・・・。」
その結果どうなるかというと
「まず、CMが無効化する。だって、ハードディスク録画の番組を見るときには、CM飛ばしが前提なわけだから。これは非常にヤバい。ただでさえ、リモコンを握って生まれてきた21世紀のテレビ視聴者は、CM入りの瞬間、他局に退避している。ということはつまり、『CMスポンサーによる番組提供』という昭和のテレビを支えてきた黄金の無料視聴システムは既に半ば以上泥沼化しているわけで、この上録画視聴者がCMスキップを徹底していくのだとしたら、地上波民放局の集金システムは、根底から崩壊してしまう。」(223-4頁)
私は小田嶋さんのこの見通しはかなりの確度で事実を言い当てていると思う。
ただ、私はこの集金システムは「根底から」ではなく、当面は「部分的にしか」崩壊しないのではないかというやや悲観的な見通しを持っている。
たしかに、小田嶋さんの指摘のとおり、テレビCMはすでに末期症状を呈している。
ゴールデンのCMスポンサーの主流はすでにサラ金と薬屋である(深夜ワクになるとエロ本屋やラブホテルもCMを出している)。
カタギのメーカーさんはもうテレビCMから退避しつつある。
あんな番組にCMを出し続けていたら、企業イメージがダウンするからである。
残っているのは「消費者はバカだ」ということを企業活動の前提にしているスポンサーだけである。
うつろな幻想を追う消費者から収奪することを経済活動の根幹にしている企業と、消費者と企業とテレビ局のすべてを騙すことを経済活動の根幹にしている広告代理店と、視聴者をバカにした番組を作れば作るほど視聴率が上がるという経験則から出ることのできないテレビ局の黄金のトライアングル。
そこから生み出されるのがどのようなものか、想像しただけでなんだかわくわくしてくる。
少なくとも私はわくわくしてくる。
ふだんテレビを見ない私でさえ「そこまでひどいものなら」思わず見たくなってしまうくらいである。
私が見たいのはそれが「スナッフ・フィルム」だからである。
あるメディアが死ぬところをリアルタイムで放映してくれるのであるから、これは私だって見たい。
だから、「テレビの断末魔」を垂れ流し的に放映したら、視聴率がどんどん上がることになる。
「おい、テレビ、ひどいことになってるぞ」「ほんとかよ?」「おお、見てみろよ、すげーぞ。信じられねーよ、あのひどさ」「わ、見る、見る」というふうになって、視聴率がうなぎのぼり。
TV局もスポンサーも歓喜雀躍。
「もっとやれ、もっとやれ」ということになる。
その段階で「こんなことしてたら、テレビは終わりですよ」という諫言を述べるようなまともな社員はもうどこにも存在しない。
だって、「テレビが終わる」ことからテレビを延命させるというアクロバシーをテレビはもう選択してしまったからである。
「『テレビがもうすぐ終わる』とみんな思っているだろ。みんなその『死の瞬間』を見ようとしてテレビをつける。だから、今日もテレビは生きてられる。オレらの仕事はただできるだけこの断末魔を引き延ばすことだけなんだよ。それで飯が食えるんだから、『らくだ』のかんかん踊りとおんなじだよ」
という狡知が今日もテレビを延命させている。
視聴者がこの「死ぬ死ぬと言うだけで、さっぱり死なないメディア」にいつまで面白がってつきあってくれるか、私には予想が立たない。
あまり長くは続かなそうな気がする。
というのも、『週刊現代』の先週のコラムで高橋源一郎さんが「テレビが消えた」という話を書いていたからである。
半世紀にわたるテレビ視聴を止めて、5年愛用したソニーのテレビを知人に譲り、高橋家はいま「テレビのない生活」に入っている。
その理由を高橋さんはこう書いている。
「ある日、タカハシさんは、長男と一緒に、ぼんやりとテレビを眺めていた。そして、ちらりと、テレビの画面を見つめている長男の顔つきを見て、愕然としたのである。
長男は床に猫背になって座り、口を半開きにして、顎を突き出し、ぼんやりと澱んだ瞳で、画面を見つめていた。
タカハシさんは、長男の名前を呼んだ。反応がない。もう一度、呼んだ。まだ反応がない。そして、三度目、ようやく、長男は、タカハシさんの方を向いた。その瞳には何も映っていないように、タカハシさんには見えた。まるで魂が抜けてしまった人間の表情だった。」(「おじさんは白馬に乗って」第23回「テレビが消えた」、週刊現代11月18日号、65頁)

2006.11.22

一億総学力低下時代

慶應義塾大学と共立薬大が2008年度に合併する。関西学院大学と聖和大学の合併に続いて、二件目である。
毎日新聞の社説はこのニュースにこうコメントしている。
「来年度は大学・短大志望者が総定員に収まる『大学全入時代』。既に定員割れを起こす大学が相次ぐ中で、今回の合併劇は統合・淘汰の時代の始まりを示唆する。」
この状況判断はその通りである。
しかし、統合・淘汰を手放しで「市場の論理」として受け容れるべきではない。
そのことはこれまでも繰り返し申し上げてきた。
毎日新聞の社説もその点については留保をしているが、私の見解とはいささいかの「ずれ」がある。
社説はこう続く。
「こんな時代になったのは、少子化が進んだためだけではないのだ。大学教育の『質の低下』という積年の、本質的な問題がある。(・・・) 経済成長や基準緩和の中で増え続けた大学(06年度学校基本調査で、国立87校、公立89,私立568)は、今、適当な校数へのスリム化が課題なのではなく、真に高等教育の機関として機能しているか、内実を問われているのだ。この根本的な論議を避け、問題を先送りにし、大学の数を減らすだけなら、大学教育そのものが無用とされる時代を招来しかねない。」
この部分だけを読むと、大学生の学力低下は主として大学の責任であると解されかねない。
これは現場の人間としてはいささか異議のあるところである。
どの大学でも、あっと驚くような学力の新入生を迎えて仰天している。
「いったい高校まで何をやっていたんだ・・・」と責任を転嫁してもしかたがないから、中等教育の分の「おさらい」から導入教育(補習ですね)をしている。
四月からの授業とあまりにレベル差があるので、入学前の三月から補習を始めている大学もある。
「新入生の学力」が低いのはどう考えても「大学の責任」ではない。
「だったらそんな学力の低い学生を大学に入れるな」というご意見もあろうかと思う。
なるほど。
だが、その「低い学力」の子どもたちが、それ以上の教育機会を与えられぬまま社会に送り出されることで、日本社会がどのような利益を得ることになるのか、まずそれをご説明願いたい。
話はそのあとだ。
世間の方はご存じあるまいが、大学レベルの教育にキャッチアップさせるために、当今の大学教師たちは十年前二十年前の大学教師たちには想像もつかないような「宿題」やら「補習」やら「添削」やらのオーバーワークを余儀なくされている。
定員確保のための「営業活動」を加えると、本学においても教員一人当たりの教育関連の実働時間は十年前の二倍を超えている。
もっと過重労働になっている大学もあるだろう。
「大学教育の質を維持するための努力」はどの大学も行っている。
論説委員は大学の現場をご存じなのであろうか。
大学は「もっと努力しろ」で話を済ませてよろしいのであろうか。
学力低下の原因についての「根本的な議論」はもっと深い処から始めるべきではないかと思う。
根本的な議論をしろというなら早速させてもらうが、学力低下の原因は日本社会全体が(この毎日新聞の社説も含めて)、学力低下に無意識のうちに加担しているという事実のうちにある。
「根本的な議論」を始めるなら、まずそこからだ。
なぜ学力は低下するか?
それは「学力が低下する」ことが多くの日本人にさしたる不利益をもたらさないからである。
というより、「学力が低下する」ことからかなりの数の日本人が現に利益を得ているからである。
人間は(少なくとも主観的には)利益のないことはしない。
これがすべての社会問題を考えるときの前提である。
では、子どもたちの学力が低下することから誰が利益を得ているのか?
答えは自明である。
まず子どもたち自身である。
考えれば誰でもわかる。
子どもたちは「同学齢集団」の中で競争する。
輪切りにされた同学齢100万人ほどの中でどこの順位にいるか、ということだけが重要であって、その順位自体は「絶対学力」とは関係ない。
偏差値というのはそういうことである。
受験は同学齢集団内の競争であるから、絶対学力の低下は現象としては顕在化しない。
そして、同学齢集団内だけの競争においては、必ず集団全体の学力は低下する。
当たり前である。
メンバー数有限の集団における競争では「自分の学力を上げる」ことと「他人の学力を下げる」ことは結果的には同じことだからである。
「自分のパフォーマンスを上げる」ことと「他人のパフォーマンスを下げる」ことでは、どちらが多くの努力を要するか?
これも考えるまでもない。
自分が勉強するより、競争相手の勉強を邪魔する方がはるかに簡単である。
だから、閉じられた集団で競争させれば、全員が「他人のパフォーマンスを低下させること」にリソースを優先的に配分するようになる。
授業中に立ち歩くのも、教師に食ってかかるのも、学校の備品を壊すのも、同級生をいじめるのも、自殺に追いやるのも、子どもたちにとっては結果的にはその時間粛々と勉強しているのと同じ(それ以上の)効果をラットレースでの「勝ち残り」という点ではもたらす。
だから、問題行動をする子どもたちを「不合理な行動」をしているとみなすのは間違っている。
彼らは合理性に「取り憑かれている」のである。
受験生を持つ親は、受験シーズンに「インフルエンザ流行」というニュースを見ると、自分の子どもの健康を祈願すると同時に、自分の子ども以外の受験生全員がインフルエンザに罹患して高熱を発して試験会場にたどり着けないことを(無意識のうちに)祈願する。
受験シーズンにソニーはPSPを任天堂はDSを発売する。
「クリスマスシーズンですから」とメーカーは説明するし、本人もそう信じているのであろうが、携帯ゲームをこの時期に発売することは受験生の勉強への集中力を上げる方向には1ミリも貢献しないことはメーカーの営業は熟知しているはずである。
それでもあえてこの時期を選ぶのは、「(自分自身、あるいは自分の子ども以外の)子どもたちの学力をできるだけ低下させることから私は損失よりもむしろ利益を得る」という判断についての社会的合意が存在するからである。
試みに年末年始のテレビを点けてみるとよい。
その中に「日本の子どもたちの学力が低下しているそうですから、どうです、ここはひとつ、受験シーズンに子どもたちが勉強に集中できるように歌舞音曲は自制しては」というような「常識的判断」の痕跡を発見することは絶望的に困難である。
ゴミのようなバラエティを垂れ流す暇に、『三日間基礎英文法まるかじり』とか『映像で見る世界史48時間集中講義』とか『まるわかりオリジナル源氏物語』とか、そういうものを放映した方が、テレビの報道番組でキャスターが額に皺を寄せて「この国の学力低下はどうにかならないのでしょうか?」とぼそぼそつぶやいているよりいくらかは効果があるのではないかと私は思うが、私に同意してくれる人間はTV業界にはたぶん一人もない。
別にそれが「悪い」と言っているのではない。
人間は「そういうものだ」ということを申し上げているのである。
大学生の学力低下の原因は、「日本の子どもたちの学力が低下することからは(少なくとも私は)利益が得られる」と考えている日本人が社会の相当数を占めているということにある。
市場もメディアも親たちもそして子どもたち自身も、日本人の学力が下がることから自分だけは利益をかすめ取ることができると信じている。
その暗黙の合意に基づいて、お互い「他人の学力を低下させること」に優先的にリソースを投じて、その結果、日本は「こんな世の中」になってしまったのである。
誰が悪いわけでもない。
メディアだって人のことは言えないはずである。
私が新聞に寄稿する記事はしばしば「こんなむずかしい言葉を使っては困ります」と突き返される。
先日は某新聞から「リベラルアーツ」が「読者には理解できないから、説明を入れてください」と言われた。
「エビデンス・ベースト」も一蹴された。
「では、おたくの新聞は読者の中で一番リテラシーの低い人間を基準に紙面を構成されているわけですね?」と私は訊ねた。
「なら、いっそ、全部ひらがなにしちゃったらどうです?」
記者は絶句していた。
読者にむかって「わからないことばがあったら辞書を引きたまえ」ときっぱり言い切ることのできる新聞はいま存在しない。
おそらくメディアの側は「これはリーダー・フレンドリーということです」と言い訳するだろう。
そうだろうか。
そのようなリーダー・フレンドリーネスを追い求めたあげく、現代日本の新聞は半世紀前の新聞と読み比べても、使用できる語彙が激減してしまった。
「語彙」を「語い」と書き換え、「範疇」を「範ちゅう」と書き換えることが子どもたちの学力の向上にどのような貢献を果たしたのか、メディア関係者からのご説明があれば、お聴きしたい。
というわけで、はなはだ失礼とは思うが、さきほどの文章の中の「大学」を「新聞」に置き換えてそのまま毎日新聞の論説委員にお返ししたいと思う。
「こんな時代になったのは、少子化が進んだためだけではないのだ。新聞の『質の低下』という積年の、本質的な問題がある。
(・・・) 経済成長や基準緩和の中で増え続けた新聞は、今、適当な紙数へのスリム化が課題なのではなく、真にメディアの機関として機能しているか、内実を問われているのだ。この根本的な論議を避け、問題を先送りにし、新聞の数を減らすだけなら、新聞そのものが無用とされる時代を招来しかねない。」
彼の大学論はそのまま新聞論としても読むことができる。
どんな論件にも妥当する推論形式は「普遍的真理」を語っているとみなすべきか、それとも「具体的なことは何も語っていない」とみなすべきか。
そのご判断はみなさんにお任せしよう。
繰り返し言うように、別に私は誰かに学力低下の責めをおしつける気はない。
子どもたちの学力低下について「誰の責任だ」と凄んでみせる資格のある人間は日本には一人もいない。
私たちはこの点については全員同罪である。
それゆえ、まず自分自身がそれと知らずにどのように「子どもたちの学力低下」に加担しているのか、その自己点検から始める他ないだろうと思う。
「根本的な議論」はそこからしか始まらない。

2006.11.24

今年最後のTOKYO

合気道自由が丘道場創立45周年記念の稽古会、祝賀会に上京。
ドクター佐藤、飯田先生ご夫妻とセトッチとウッキーと新幹線で東京へ。
現地でかなぴょんが合流して、甲南合気会からは6名の参加。
31年前の冬のある日、ふと思い立って自由が丘道場の扉を叩き、多田先生に出会ったことによって以後の私の人生は一変した。
今日の私があるのは多田先生のおかげです、と祝辞を述べた諸先輩が次々と口にされたが、これは修辞ではなく、私たち全員の実感である。
1975年25歳の私は将来自分が道場で武道を教え、武道の術理と哲学の綜合をライフワークにする大学教師になるなどと想像だにしていなかった。
「師」とは絶対的他者であり、「弟子」は師の他者性に基づいて、おのれを囚えている知的閉域から解き放たれるということを私は多田先生に仕えて学んだ。
その後にエマニュエル・レヴィナス老師という、もうひとりの師に出会うことができたのも、私が多田先生によって「師弟関係」の本然のあり方というものについて学び始めていたからである。
1980年から90年まで、日本中がバブル景気で浮かれていた10年間、私は世間とは無縁なところで、昼間はレヴィナスの著作を訳し、夕方からは自由が丘道場に通うという判で押したような生活をほとんど聖務日課のように律儀に守って暮らしていた。
今から思うと、(まわりから見たら、およそ曲のない)その10年間が私にとっては「至福の修行時代」だったのである。
90年に関西に移り、大学で教える傍ら、自分の道場を持ち、自分の弟子を育てるようになった。
そして、多田先生の謦咳に日常的に接することのできたそれまでの15年間がどれほど豊かな時間だったかを改めて思い知らされたのである。
爾来16年、関西で過ごした時間は自由が丘道場在籍期間をもう超えてしまった。
昨日の稽古会、祝賀会でくるくると働いている自由が丘の門人諸君のほとんどは私が関西に去ったあとに入門された、私が道場で直接稽古をしたことのない方々である。
彼らから見ると、私は「大昔にスピンオフしたよその先生」というふうに見えているかもしれないけれど、私自身はいまでも自分を自由が丘道場の門人の一人だと思っている。
90年の3月に門人たちが当時道場があった若草幼稚園で私の送別会を開いてくれたことがあった。
多田先生も来てくださったその送別会で、私は同門のみなさんから過分のお言葉と贈り物をいただいた。
宴の最後に謝辞として、私はこう申し上げた。
「私はどこに行ってもずっと自由が丘道場の内田です。生涯ここの門人です。」
それからもう一つ約束した。
「あと3年待っていてください。神戸女学院の女子学生たちを引き連れて日本武道館に戻ってきます」
二つめの約束は2年後に実現した。
最初の約束は今も変わらない。
昨日の祝賀会には道場の大先輩がたもたくさん顔を見せていた。
亀井格一師範、山田博信師範、窪田育弘師範、そして初心のときからご指導いただいた笹本猛、岡田康太郎、小野寺親、百瀬和輝・・・の諸先輩の懐かしい顔にご挨拶をする。
お祝いに来てくれた雑賀さんはじめ工藤くん、のぶちゃん、ツッチーら気錬会諸君の久闊を叙す。
1メートル歩くごとに知り合いにぶつかる(当たり前だけど)。
長く一緒に稽古してきた大田正史さんが全体の責任者としてこの大きなイベントを仕上げてくれた。
私と同期で「永遠のコンビ」である小堀秋さんが最後に万感のこもる謝辞を述べた。
聴いているうちにちょっと目頭が熱くなった。
司会の今井良晴くんは私が自由が丘を去る直前に入門され、送別会の日にギターを弾いて座を盛り上げてくれた若者であるが、もう立派なおじさんになっていた。
もうひとりの司会のゆかちゃんは私の記憶の中ではちびちゃん中学生だったけれど、彼女ももう立派な大人の女の人になっていた。
2011年の創立50周年の祝賀会にもまたみなさんと再会できるように祈念する。
お帰りになる多田先生をお見送りする。
先生の乗り込まれたタクシーが発車したので、きびすを返そうとしたら、いつのまにか私の横に立っていた亀井先輩から「見送るというのは、見えなくなるまで見送るということだ」と一喝された。
あ、また亀井先輩に叱られちゃった。
思わず振り返って「ありがとうございます」と最敬礼する。
会えば必ず叱ってくれる先輩がいるというのがどれほど稀有なことか、この年になるとしみじみ身にしみる。
自由が丘の諸君の打ち上げにお招きいただき、小堀さん、大田さん、荒井さんたちのご苦労をねぎらって、西田くん、今井くんはじめ後輩諸君と歓談。
「内田くん、いっしょに帰ろう」という亀井先輩と連れだって渋谷までご一緒する。車中寸暇も惜しんで後輩に修行の心得を説いてくれる亀井先輩に心の中で手を合わせる。

明けて24日は教育関係の対談仕事が二つ。
一つはニッポン放送で、菅原文太さんのラジオ番組「日本人の底力」のゲストにお招きいただいたのである。
私たちの世代に広能昌三のオファーを断れる人間はいない。
番組は日曜の早朝5時半から6時に放送しているもので、各界の「地に足をつけた生き方をしている客人」を招いて、日本のあるべき姿を探ってゆくという趣旨のものである。
私が「地に足のついた生き方をしている」人間であるかどうかについては、疑念を抱かれる方もおありであろうが、その辺はスルーしていただきたい。
今日のテーマは日本の教育。
菅原さんは共同通信に寄せた「止まらぬ大学淘汰」と文芸春秋特別号の教育特集の私の文章を読まれたそうである。
文春には養老先生と茂木さんと布施さんの師弟鼎談が採録されていたが、その中で養老先生が『先生はえらい』に言及してくださったので、菅原さんはそれもお読みくださって、対談に臨んでこられたのである。
ラジオはご存知のとおりたいへんカジュアルなメディアであって、拘束時間と収録時間がほとんど同じである。
「こんにちは」と局に入り、ディレクターと菅原さんご夫妻にご挨拶してからスタジオに入り、出されたコーヒーを飲んでいるうちに、そのまま本番。
打ち合わせも何もなし。
教育の危機についての菅原さんは深く憂慮されておられた。
どうして日本の教育はこんなになってしまったのか。
ご下問にこんなふうにお答えする。
最大の責任者は実は私たちの世代である。
たしかに戦後教育は制度疲労をきたしてはいたが、60年代後半にその息の根を止めたのは私たち「全共闘世代」である。
刻下の歴史的状況を理解せず、適切な階級的対応を怠ったことを責め立てて、私たち60年代キッズは教師たちに歴史の名において「退場」を宣告した。
そうやって「誰であれ教壇の向こう側にいる限り、教師は教師として機能する」という人類史と同じだけ古い教育原理を「歴史のゴミ箱」に叩き込んだのは私たちである。
教師に「人に教える資格」の実定的条件を求め、その「資格」を満たさない教師を教壇から追い払うことに同意したのはほかならぬ私たちである。
私がいまごろになって「教育の再構築」について気弱な提言をしているのは、私たちの世代が破壊したものについてのせめてもの「罪滅ぼし」なのである。
とりあえず、私たちは自分が「何を」壊したのかを知っている。
その点では、教育崩壊に自分には何の責任もないと思っている政治家や官僚やメディア知識人よりは、教育再生について実のある提言ができるのではないかと思っているのである。
そういうのを「マッチポンプ」というのではないか、と言われるとそれまでであるが。
1時間半にわたり、菅原さんのゆったりとした深い声に導かれながら、思うことをぽつりぽつりと語る。
収録が終わってから、ツーショットを撮っていただき、「菅原さん、ぼく、『まむしの兄弟』からの文太ファンなんです。『仁義なき戦い・頂上作戦』のラストシーンは僕の日本映画ベストショットのひとつです」とカムアウトして、握手してもらう。
「昌三、こんなん何年打たれたん」
「七年じゃ」
うう。家に帰ったらもう一回DVD見ちゃおう。
そのあと、今度は河岸を変えて、文科省に。
文科省の私学行政課長の杉野剛さんと対談。
杉野さんは91年の大学設置基準の大綱化、国立大学の独法化、大学の自己点検評価活動、認証評価・・・その他90年代以降の大学改革のすべてにコミットしてきた文科省の「仕掛け人」である。
文科省の私学行政の責任者であるから、うかつなことを言うと本学の助成金にも影響が出るのでは・・・とどきどきして対談に臨んだのであるが、たいへんに率直な方で、録音はしたけれど活字にするのはいかがなものか、という本音の部分をずいぶんお聴きできた。
これは来春朝日新聞から出る私の「教育論」本の巻末に収録される予定。
さすがに盛りだくさんのメニューで疲れ果てて新幹線に乗る。
メールをチェックすると「締め切り過ぎてますけれど、原稿はどうなってます」というイラつき気味の督促メールと、明日の午後までに校正してねという連絡が入っている。
明日は朝から日本ユダヤ学会の幹事校としての肉体労働が待っているのに。
はふ〜

2006.11.26

育児戦略と日本ユダヤ学会と香港の濱田くん

今週も週末がない(ということは芦屋の稽古に行けないということである。しくしく)。
東京から帰ってきて、そのまま死に寝していたが、熱いシャワーを浴びて目を覚ましてから、まず「父の子育て」という締め切りをとうに過ぎている原稿4000字を一気書き、そのまま送稿。
これは父親は「晴天モデル」で子どもを育て、母親は「荒天モデル」で子どもを育てる、というお話。
言い換えると、父親は子どもをラットレースにおいて勝利させようとし、母親は「ライオン」に喰い殺されないように、子どもをできるだけ大きな群れの中のできるだけ悪目立ちしない個体にしようとする、ということである。
父親は子どもを「相対的強者」にすることを望み、母親は子どもが「絶対的弱者」であることを直感的に知っているので、「勝つこと」ではなく「生き残ること」だけを望むのである。
この二つの育児戦略の相補的・相互規定的なダイナミズムの中で子どもは育てられる。
現在の子どもをめぐるさまざまの問題には、父親主導の「晴天モデル育児戦略」がドミナントになり、どんなことがあってもわが子を生き延びさせようとする母親主導の「弱者ベースの育児戦略」の影が薄くなったという事実が伏流している。
すすんで弱肉強食の競争原理に同意し、勝者に拍手し、敗者に唾するという倒錯に現代の子どもたちは取り憑かれている。
自分が「本態的弱者」であるということを忘れてしまったのである。
「『私は弱者です』と自己申告すれば、社会的リソースの配分で有利なポジションが得られる」というポストモダニズム固有の病態である。
私たちの時代の「政治的正しさ」は「『誰が最も弱者かレース』の勝者」がリソース配分で有利になる」というゲームのルールを採択した。
「本態的弱者」が(社会的リソースの争奪戦では)「相対的強者」になるということになれば、人々は争って「私こそ真の弱者である」と叫びたて、「お前なんか『真の弱者』じゃない」といって他人の権利請求を棄却しようとする。
自分がいかに迫害され、疎外されてきたか、親により学校により社会により、能力の開発を阻まれ、健全な成長の機会を奪われてきたか、その結果自分がいかに無知で非倫理的で、社会的に無能な人間になったかを人々は「競って」ショウ・オフするようになった。
その方が「リソースの配分率がいい」という信憑が瀰漫したからである。
愚かなことである。
弱者に支援が提供されるのは、弱者の定義が「生き残ることが困難な個体」だからである。
どのようなアファーマティヴ・アクションも本態的な弱さをカバーすることはできない。
目先の「利得」の競争的配分に目が眩んで、人々は「生き残ることに真に必要な人間的資質」の開発に資源を投資することを怠るようになった。
「競争的配分」というのはシステムが機能していることを前提にしている。
「生き残る」というのはシステムが機能しなくなったときのことを想定している。
「競争」というのはアリーナがあって、審判がいて、ルールがあるところでアスリートたちが限定的な技能の相対的優劣を競うことである。
「生き残る」というのは「競争」とは違う。
そのアリーナが「ゴジラ」に襲われ、審判も協会役員も観客たちも踏み潰される阿鼻叫喚地獄からあらゆる手だてを尽くして逃げ出すことである。
母親の育児戦略は「五分後にゴジラに襲われても生き残れる能力」の開発に焦点化している。
父親の育児戦略は「このゲームが明日も明後日も未来永劫に続く」ことを前提としている。
「本態的な弱さ」が「相対的な優位」に読み替え可能となるという倒錯は戦後60年の日本の前代未聞の平和と繁栄の中でのみ可能なアクロバシーである。
父たちはこの平和と繁栄が永遠に続くだろうと思っている(そうでなければ、「ちょっと戦争でもしてみようか?」というような病的な「平和ボケ」は出てこない)。
母たちは、本来であれば、この平和と繁栄の脆さを直感している(はずである)。
そして、どれほど周囲から冷笑されようとも、子どもが「ライオン」に喰われないための能力(「何でも食べられる」「どこでも寝られる」「誰とでも友だちになれる」「見知らぬ人から情報と支援を得ることができる」といった人間的資質)の開発にすべての資源を投じているはずである。
弱者ベースの育児戦略が不要になるほど平和な社会というものを人類はこれまでの歴史の中で持続的に有したことがない。
私はこの歴史的教訓にたいしてもう少し謙虚であった方がいいのではないかと思っている。
というようなことを書く。
書き終えると、すぐに大学に出かけて、日本ユダヤ学会の準備。
本学は二年に一回学会の関西研究例会の当番校に当たるが、会員は私と三杉先生の二人しかいないので、二人で看板出しや会場設営やコピー取りやお茶汲みや懇親会幹事などすべてをやらないといけない。
「内田先生のところにはゼミ生とか院生とか、学会のお手伝いする人はいないのですか?」とときどき訊かれるけれど、私にはユダヤ学関係の弟子はひとりもいない(というか「学問上の弟子」というものがいない)。
だから、当然、日本中のユダヤ学の泰斗が一堂に会するこの奇跡的にディープなイベントの学術的意味が理解できる学生院生も本学にはいない。だから、仮にお手伝いを頼んだとしても「え〜、土曜日なのに学校でお茶汲みですか〜。バイト代はずんでくれるなら行ってもいいけどお」というようなビジネス・マインデッドなリアクションしか期待できないのである。
本日の研究発表は手島勲矢会員の「ユダヤ学における聖書研究:伝統批判と近代批判の交錯」。徳永恂会員の「フロイト『モーゼと一神教』再読」。
ヴェルハウゼンの聖書学とカウフマンの聖書学のそれぞれの批評的スタンスの差を論じた手島先生の発表は私の理解を遠く超えたお話であったが、徳永先生のフロイト論は私自身レヴィナス論の中で吟味したところであるので、興味深く拝聴する。
問題は「父殺し」という起源の出来事の現実性をどう評価するか、ということである。
私の立論はご存じの人はご存じ(ご存じでない人はご存じでない)の通り、「父殺し」は「歴史的事実としては存在しなかったが、宗教的事実としては存在した」というものである。
もし始原の罪が実際に犯されていたのであれば、贖罪は「罪の取り消し」であり、罪と罰の等価交換になってしまう。
悪いことをしました、では、罰を与えます、というようなシンプルな物語からはどのような倫理も基礎づけることができない。
だから、罪は犯されてはならず、にもかかわらず有責性は引き受けられねばならないのである。
事実的には存在しない自分の「負債」をカウントするところからすべてを始めること。
これが人間の人間性を基礎づける「最初の一撃」である。
というのがレヴィナスとレヴィ=ストロースの教えである。
おそらくフロイトもそれに近いことを考えていたのだろうと私は思う。
無事に例会が終了して、どどどと西宮北口の懇親会会場に繰り込み、ディープなユダヤ学会トークとなる。
この学会の会員はあまりに専門がバラバラで無関係なので、その人とコネができると得をするとか、その人に批判されると渡世上のダメージがあるとか、そういうことがまるでない。大変お気楽なセッションである。
天文学ファンのつどいとか、鉄道マニアのつどいとか、そういうものに近いと思っていただければよろしいであろう(どちらも行ったことがないから想像であるが)。
懇親会を打ち上げて、さらに二次会へ繰り出す会員諸兄諸姉とお別れして、芦屋に戻る。
香港から濱田雄治が戻ってきているので、久闊を叙する。
濱田くんと会うのは、二年前の秋に学士会館であった竹信悦夫くんの「送る会」以来である。
香港滞在13年となった濱田くんと毛沢東の功罪について、中国政府のガバナンスについて、中国人のリスクヘッジ戦略について、ウイスキーを片手に語り合ううちに夜はしんしんと更けてゆくのであった。

2006.11.29

中国の迫力

提携校の広東外語外貿大学から本学との提携協定の更新のための訪日団四人がおいでになる。
札幌大学、立命館大学、京都外国語大とまわって最後が本学。
来日の目的の一つは「孔子学院」関連ビジネスである。
「孔子学院」というのはブリティッシュ・カウンシルとかゲーテ・インスティチュートとかアリアンス・フランセーズと同じような、各国政府が主導している海外広報・文化交流のための活動機関である。
孔子学院は現地の大学と提携するという点がブリティッシュ・カウンシル他の海外広報機関と違う。
日本では立命館が5校目(札幌、北陸、愛知、桜美林の各大学がすでに孔子学院を設置している)。
二重の意味で驚かされる。
一つは文革期の「批孔批林」運動で各地の孔子廟はたしか壊滅的な被害を受け、孔子はブルジョワ反動思想家として「歴史のゴミ箱」に放り込まれたはずであるが、その孔子が中国の文化的イコンとして堂々と甦ったこと。
中国人は変わり身が早い。
もう一つはこのプロジェクトが2004年にスタートして、わずか2年で、全世界に114校存在するという、中国政府の広義での「国際広報活動」への真剣さである。
中国人は仕事が早い。
翻って、わが国政府はこれまでそのような広報・文化交流のための機関を設立するために何をしてきたのであろう。
私は寡聞にして「国際松下村塾」とか「適塾インターナショナル」とか「漱石インスティチュート」とかいうものがあることを知らない。
あるいは文科省はすでにそのような海外機関を設置しており、日本語日本文化日本の国際社会における立場についてご理解いただくための広報活動を全世界的に展開しているのかもしれない。
いや、当然、そういう活動があるに違いない。なくては困る。
単に私ひとりがその名称も活動内容も知らなかっただけであろう。
だが、私が知らなかったということは、たぶん日本人の80%くらいは、そのような広報機関の活動について十分な知識を持っていないということである。
自国民の80%にその機関の活動について周知徹底させることのできない広報機関が外国民に対してのみ選択的に活発な広報活動をしていると推論することは困難である。
日本政府は日本文化や日本の国際関係論的立場について海外の方々に理解していだくことにははあまり(ぜんぜん)熱意がないようである。
だが、海外の若い世代への教育投資はきわめてコスト・パフォーマンスのよい「国防」戦略なのである。
ジェット機一機、イージス艦一隻を買う金があれば、アジアの全域に「日本語日本文化を学ぶ機関」を設立することは可能である。
そこで育った日本語を読み、日本文化に親しみ、日本に知己を持つ人々の世代が将来の外交関係にどれほどのメリットをもたらすか、そういう計算に日本の政治家たちも官僚もまるで興味がないようである。
この点ではイギリス、フランス、ドイツといったかつての帝国主義国家の植民地経営の「狡猾さ」には歯が立たない。
台湾、朝鮮、インドシナ、南太平洋での植民地経営の経験から日本人は何も学ばなかったのである。
中国人は1840年から110年にわたる帝国主義列強による国土の植民地化経験から、いくつかの重大な歴史的教訓を得た。
この差はおそらく私たちが考えている以上に大きい。
それは「アセッツ」というものの力の評価の差である。
中国人はかつて「買弁資本家」というかたちで植民地宗主国の「アセッツ」となった売国奴たちによって国力を致命的に殺がれた。
その恨みは骨身にしみているはずである。
だから中国に親和的な「アセッツ」を全世界に配備することにどれほど戦略上の重要性があるか、彼らは熟知している。
かつて中国はロシア社会主義圏と世界各国の「毛沢東主義者」という巨大な同盟者を持っていた。
それがどれくらい強力な支援者であったのか、そのようなものを持ったことのない私たちには想像がつかない。
現に私たちは「天皇陛下(あるいは安倍晋三)の名において自国政府の対日政策を批判する中国人」というものを決して想像することができない。
だから、私たちは「毛沢東」がどういうイコンとして中国人の眼に映っていたのかを構造的に想像することができないのである。
中国人は毛沢東と社会主義圏の同盟者を失った。
それに代わるものを再構築しなければならない。
「孔子学院」はその「新しいタイプのアセッツ再構築戦略」の一環であると私は思っている。
日本政府はこのような戦略の重要性をほとんど理解していない。
それは日本が本当の意味での「同盟国」も「自国政府よりも日本を支援する海外盟友」も持ったことがないということにたぶん関係している(アメリカは「同盟国」ではない、「宗主国」である)。
このビハインドはアジアにおける日本と中国のヘゲモニー争いに致命的な影響をもたらしつつある(というか、もう勝負はついているのかも知れないが)。
しかし、そのことを真剣に憂慮している政治家を私は知らないし、メディアもほとんど関心を示さない。

本学への訪日団の団長の広東外語外貿大学副学長仲先生は広州における中英同時通訳の草分けで、英米両国に留学して同時通訳で学位を得た最初の人だそうである。
訊けばわずか40歳。
中国ではこの世代(「留美派」といわれる、完璧なイントネーションでアメリカ英語を話す世代)が政治経済文化のあらゆるセクターで指導層を形成しつつある。
50代以上(つまり文革期や民主化運動に「けっこう本気で」かかわった政治色の強い世代)は「悪いけどもうお引き取り願いたいですね」という後続世代からのひそやかな圧力を彼らと話していて肌で感じた。
日本の40代に迫力において識見において世界戦略において国家ヴィジョンにおいて、この中国人エリートたちに拮抗できる人間がどれほどいるだろうかと思うと私は慄然とするのである。

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