言うまいと思えど今日も忙しい。
土曜は入試。
日曜は母と叔母を新神戸にお出迎えして、「明石海峡大橋が見たい」とおっしゃるので淡路島までドライブしてから舞子の宿に送り届け、そのあと山本浩二画伯「死の淵より生還」奉祝麻雀大会(報告を怠っていたが、画伯は八月に心臓の手術をして、いまではペースメーカー装着の人なのである。画伯のそばで携帯電話を使ってはならぬよ)。
月曜日は会議のあとクリエイティヴ・ライティングの授業をして、それから三年生のゼミ宴会(なぜか一月ちょい遅れのバースデーパーティだったらしく、ゼミ生たちから「アンカ入れぬいぐるみ」と寄せ書きを頂く。よい子たちである)。
火曜日は朝、三宅先生のところに行って治療をしていただいてから、ゼミが二つ。その間に『婦人画報』の取材。独立してミシマ社代表取締役となったM島くんが遊びに来たので、いっしょにご飯を食べる。
家に戻ると、前日が締め切りだった「女子大有用論」の原稿が届いていませんが・・・という督促メールが産経新聞から来ている。
書き終えてないのであるから届いていないのは当然である。
書こうとするが、M島くんと飲んだワインが回って、あたまがぼおっとして思考がまとまらない。
そこにラリー・”Wandering Jew”・トーブさんからメールが来たのでご返事を書く。
英語で書かないといけないので、日本語で書くのの10倍時間がかかる。
トーブさんは『私家版・ユダヤ論』と『街場のアメリカ論』を併読されているそうである。
『私家版・ユダヤ論』についてのコメントは
「これらの問題を分析するときのあなたのやり方が私には気に入りました。因習的な左翼右翼の観念を歯牙にも掛けないところがよろしい」(適当な訳。原文はI love the way you analyze the issues, completely deconstructing conventional ideas left and right.)
トーブさん、どうもありがとうございます。
本格的な書評をお待ち申しております。
英語を書いたら、それだけでなけなしの知的リソースが底をついてしまったので、あきらめてウイスキーを飲みながら本を読むことにする。
学生が吉本ばななの『TSUGUMI』という本を貸してくれたので(貸してくれたわけじゃないんだ、「コピーしてください」と言って預けられただけなんだけど)、それを読む。
吉本ばななの本を読むのははじめてである。
クリエイティヴ・ライティングでは「ジェンダーと文体のあいだにはどのような関連があるのか/あるいはぜんぜんなかったりして」という論件をめぐってこの二週間ほどディスカッションをしているので、「男性である書き手が吉本ばななのように書けるか?」という問題意識をもって読む。
うーむ。これはどうかな。
男性作家であっても「女性らしい」感受性や思考は想像的に構築できるだろうけれど、「おのれの女性性をうまく処理できないでいる女性」をいきいきと造型することはかなりむずかしそうである。
「おのれの女性性とうまくなじむことができずにいる少女」たちはどのような作品においても「自分の性に完全に調和している少女たち」よりも魅力的に描かれる。
制度的に強いられる性差を自然のものとして受け容れることに抵抗し、因習的な性別役割を拒絶しようとするふるまいを通じて、「因習的に構築されたのではない、より根源的な性差」が露出する・・・という一回ひねりのドラマツルギーをおそらく私たちは愛しているからであろう。
私の読書体験のいちばん起源にある恋愛小説はジョルジュ・サンドの『愛の妖精』で、私はたぶんこれを8歳か9歳くらいのときに読んだ。
『愛の妖精』はファデットという色が黒くて、骨張っていて、ぜんぜん女らしさのない女の子が思春期になって、二人の男の子に恋されて、いきなりきれいになる・・・という話(だったような気がする。違うかもしれない)で、小学校低学年で、まだ性的には星雲的未分化状態であった私はファデットに完全に感情移入してしまい、生まれてはじめて「恋愛」というものを内側から体験してどきどきしていたことを覚えている。
『愛の妖精』のドラマは「ぜんぜん女の子らしくない、がさつな」ファデットが恋をして、いきなり「ラブリーな女の子」になってしまう、その驚異的なメタモルフォーゼにあったはずである。
他の方はともかく子どもの私はその少女の激変する能力に感動したのである。
制度的に、あるいは性格的に、性的な徴候が希薄であった少年少女が、あるきっかけで、「根源的な性差構築力」のようなものに圧倒されるというのはおそらく私たちの好む説話原型の一つなのである。
そんなことを考えているうちに眠くなってきたので、米朝の『近江八景』を聴きながら眠る。
半睡状態で聴いているうちに、気がついたらサゲにかかっていた。
「おい、銭をお払いよ」
「へへ、近江八景に膳所はございません」。
ここまで来る途中はどういう話だったんだろう。
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(2006-11-08 10:41)