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2007年02月 アーカイブ

2007.02.01

夢の少子化対策

「機械って言っちゃ申し訳ないけど…15~50歳の女性の数は決まっている。(・・・)産む機械、装置の数は決まっているから、後は一人頭で頑張ってもらうしかないと思う」
柳沢伯夫厚労相が年1月27日島根県松江市で開かれた集会で洩らした不用意な発言が国内政局を揺るがせている。
首相は厚労相擁護の立場だが、参院与党幹部はこのままでは内閣支持率が下がり続け、2月4日の愛知県知事選、夏の参院選に影響が出るという予測から、閣僚辞任を求めている。
野党は審議拒否で「首を取る」と息巻いている。
柳沢厚労相にしては「本音」をもらしただけだろうが、「少子化対策」の厚労相がこれほど少子化問題の原因について思慮が浅いというのはまことに困ったものである。
少子化の原因を厚労相は「一人頭のがんばり」が足りないせいだと考えているようだが、少子化の原因は「女性の個人的努力が不足しているせい」だという理解はいくらなんでもあんまりである。
ご存じの通り、少子化は世界の趨勢である。
日本の合計特殊出生率は2005年で1.26。
第一次ベビーブームの頃が4.5だから、まことに驚くべき低下である。
しかし、これは日本ばかりではない。
他の先進国でも軒並み出生率は低下している。
イタリアが1.33,ドイツは1.34。
韓国は1.19、「一人っ子政策」が進む中国は1.8。
アメリカは先進国では例外的に2.0を超えているが、これはヒスパニックとブラザー&シスターとアジア系市民が子だくさんだからであり、WASPの出生率は激減している。
出生率の推移について、わかっていることは二つある。
(1) 女性識字率と出生率は関係がある。
(2) 教育費と出生率は関係がある。
この二点である。
女性識字率が向上し、女性の学歴が高くなると、どこの国も出生率が落ちる。出産育児は女性のキャリア形成を妨げるから、少子化・晩婚化が進む。
当たり前である。
教育費が高いと出生率は下がる。
これも理屈は簡単である。
フランスはヨーロッパでは例外的に出生率が回復した国である(1994年に1.68まで落ち込んだ出生率は2006年には2.01にまで回復した)が、理由は労働法制が整備され、子育てへの行政の支援がなされたせいである(出産手当、育児手当、ベビーシッターや保育士を傭うときの補助金などなど)保育園はすべて無料。
そればかりか大学もほぼすべてが国立で、年間の学費はわずか2万円。
逆に、韓国の出生率は2000年から2004年にかけて、1.47、1.30、1.17、1.19、1.16と急坂を転げ落ちるように低下しているが、韓国の学校教育費の私的負担は堂々の世界一である。
この二つがとりあえず知られている少子化についての統計的事実である。
とすると打つ手は二つしかない。
一つは国民の識字率を下げることである。
これは意外なことにすでに現実化しつつある。
90年代以降、日本の子供たちの学力は劇的な低下を続けており、漢字が書けない、アルファベットが読めない、四則計算ができない、という学力の人々が数十万単位で生まれつつある。
結果的に就労できないか、きわめて労働条件の悪い仕事しか得られ女性にとっては「嫁に行って子供を産む」という「永久就職」が経済的・精神的自立をめざすよりも生存上有利な選択になる、ということはありうる。
しかし、国策として女子に向かって「勉強しなくていいですよ」ということはありえない。
男の子たちが「性差別だ」と怒り狂うことは目に見えているからである。
「ぼくたちだって勉強なんかしたくないよ」と子供たちは言うであろう。
男女が競って勉強しなくなれば(現にそうなっているが)少子化どころか遠からず国が破滅してしまうであろう。
となると、行政にできることは二つしかない。
フランスの成功例と韓国の失敗例から帰納できる政策は、「子供を産んだ女性をものすごく優遇すること」と「学校教育費を思い切り下げること」の二つである。
これくらいのことはとうに厚労省の役人は気づいていて、政策提言しているのであろうが、さっぱり実施される様子がない。
それは、「子供を産んだ女性だけを優遇する」という措置にはたぶんフェミニストが「女性を産む機械とみなす女性蔑視だ」というロジックで反対しているからである。
自民党としても独身女性、子供のいない女性、不妊で苦しむ女性、フェミニストのすべてを敵に回して選挙に勝てるはずがないから、この政策はただちにボツである。
せいぜい育児手当を数千円上乗せするとか、保育所を少しばかり増やすとか、その程度でお茶を濁して、「別に子供を産まない女性を差別しているわけじゃないんですよ」という弱気な笑いをしてみせることしかできぬであろう。
となると、残るは一つ。
国公立の学校の授業料を(小学校から大学まで)無料にすることこそ、実は少子化を一気に改善する秘策なのである。
親の負担が激減するばかりでなく、子供たちは「苦学」ということができるようになる。
自分の進路について、出資者である親の意見を聞かなくても、「好きなことをやる」ことができる。だってただなんだから。
子供たちはみんな好き勝手な専門分野に散らばって、自分がやりたいことを夢中になって研究するであろうから、日本の学術は一気に活性化する。
いいことづくめである。
私学に来る学生はほとんどいなくなってしまうという点だけが悩みの種なのであるが、それくらいのことは日本の国難を救うためには甘受せねばなるまい。
(もう一つ難点があるのを忘れていた。子供のいない人たちの中に「オレたちの税金で他人の子供に教育を受けさせるなんてイヤだ」と言い出す人間がおそらく出てくるだろう。まことに狭量な考え方だが、こういうタイプの人間が国民の過半を占めるようになったときには、もはやどんな手を打っても国は滅びる他ないから、心配する必要もないのであるが)。

などと憎まれ口を書いていたら、『下流志向』がbk1のランキングで一位ですよ、というお知らせが届いた。1月30日と31日の二日連続のネット売り上げ第一位である。
講談社の岡本さんからも、「さっそく重版が決まりました」とヨロコビのメールが。
まだ広告もしてないのに(土曜日の新聞から広告が始まるらしい)重版がかかるというのは珍しいことである。
こ、これはもしかすると・・・

と書いたらすぐに岡本さんからメールが来て、「三刷りが決まりました」とのこと。
これで累計20000部。
おお、10万部も指呼の間か。

2007.02.02

『ハチミツとクローバー』全巻読破中

朝起きてGoogle カレンダーを開く(これはイワモト秘書ご推奨のガジェット。たいへん便利。「調整くん」にもびっくりしたが「ネット文房具」の進化の速さには驚かされるばかりである)。
本日は原稿締め切りが一件。
日経の『旅の途中』1240字。ブログネタをコピペしてさくさくと仕上げて送稿。
自分で書いたブログ日記の記事をコピペしているので、べつに「剽窃」とか「盗作」というのではないと思うのだけれど、なぜかかすかな疚しさを感じる。
というのは、そのブログ記事を書いたのは「過去の私」であって、その人の書き物を「私のものです」と言って売り物にするのは、なにか微妙に「いけないこと」のような気がするのである。
「過去の私と現在の私の合作です」ということであれば、まあ、言い訳にはなるが。
長い本の場合、初稿ゲラを直しているときに、「この話はどういうふうに展開するんだろう?」といつもどきどきしながら読んでいる。「なるほど。そう来たか・・・」と感心することもあるし、「ちがうでしょ、それは。論理的に無理筋でしょうが」と噴き出すこともある。そういう箇所はただちに削除されて、別の文章に変わってしまう。
他人の文章を添削しているのとあまり変わらない。
そういう作業が複数回行われた文章は、なんというか「複数の書き手」のアンサンブルのような、不思議な「和音」がある。
「倍音」といってもいい。
村上春樹はまず一気に最後まで書いて、それをもう一度頭から全部書き直すそうである。
同一の書き手が同一の文章を二度書き直すと、そこには「一人でボーカルをオーバーダビングした」ときのようなわずかな「ずれ」が生じる。
同一人物でありながら、二人の書き手のあいだに、呼吸にわずかな遅速の差があり、温度差があり、ピッチのずれがあり、それが「倍音」を作り出す。
この「倍音」が読者にとっては、「とりつく島」なのである。
一人で一気にハイテンションで書くと、あまりに文章がタイトで緻密で「すきま」がなくなってしまうということが起こる。
構成に破綻はなく、文体もみじんの揺るぎもないが、「とりつく島がない」文章というのが現にある。
そういうのはリーダブルな文章とは言えない。
私がいちばん好きな作業は、「何かが降りてきて」憑依状態で書き飛ばした文章を、ふつうの状態のときに添削することである。
それはほとんど「他人の書いた文章」なのだけれど、それを添削する権利は私に属するのである。
これはスリリングで、いささか疚しい経験なのである。
電話が鳴って、『週刊現代』から教育基本法についてのコメントを求められる。
「法律が変わると教育が変わってしまう・・・と教育現場では抵抗が強いようですが」というお訊ねだったので、法律ひとつで教育なんか変わりませんし、法律ひとつで変わるような教育であっては困る、とお答えする。
教育はもっと惰性的なものでなければならないのだけれど、話し出すと長くなる。
私に与えられたコメントは60字だということなので、「教育基本法の改定に現場があまり真剣に反対しないのは、法律が変わったくらいで教育成果が上がるなら、教師は何の苦労もないぜ、けっ、と思ってるからである」ということを申し上げる。
たぶん、ぜんぜん違うコメントになっているだろうけど。
またまた電話が鳴って某テレビ局から出演依頼。
「あ、すみません。テレビには出ないんです」とお答えして電話を切る。
私が「テレビに出ない」ということを公言していることを知らないでテレビ出演依頼をしてくるというのは、私の書いたものを読んでいないということである。
どういうことを言っているのか知らない人間に「ぜひ、先生のコメントを」と求めてくるとはどういう「企画」なのであろう。
そういうことをしているから、テレビの信頼性が下がってしまうのだよ。
またまた電話が鳴って、『無印良品の本』のゲラを送りましたから、チェックしてくださいというお知らせ。
pdfを開いて見ると、かんちきくん(姿勢わり~)の背中と手持ちぶさたのホリノさんと何かに気を取られている画伯とゴムゾーリを履いて呆然と座っている私が写っている。
すばらしい写真である。
記事を書いたのは橋本麻里さん。
「サッポロ一番シュリンプスープ」(フランスで買ってきたやつ)を食べたら急激に睡魔が襲ってきたので、昼寝。
爆睡していたら電話が鳴って、教務課長から「1時にお約束の学生さんが来て待ってますけど・・・」
げ、またやってしもうた。
しかし、手帖を見ても、携帯のスケジュールを見ても、Google カレンダーを見ても、どこにもそんなことは書いていない(それよりスケジュールを一元的に管理しろよ)。
泣きながら車を飛ばして大学へ。
「お待たせしました!」と教務課に飛び込んだが、私を待っていたはずの学生さんは訝しげな顔で「この人じゃありません」と言う。私だって、あなたような学生さんは知らぬ。
よくよく聞けば「ウチダ先生」ではなく「ツダ先生」と約束していた由。それを教務課の窓口で告げたときに、教務課の職員諸君が早とちりして「あら~またウチダ先生が約束忘れて・・・」と解釈したのである。
だが、彼女たちの不注意を私は責めることができぬ。
これまで教務部長室に約束の人を待たせて家でぐーすか昼寝をしていたことが一再ならずあるからである。
人違いで昼寝から叩き起こされて呼びつけられたのであれば、私は激怒のあまり教務課長の机をひっくり返して「ぼくの時間を返せ!」と叫んだであろうが、あいにく3時から会議があったの、私はどうせその時間には大学に来ていなければならなかったのである。
はははとひきつった笑いでごまかそうとする教務課のみなさんに職業的笑顔で応じる。
3時から4時半まで、現代GPのための会議。
昼寝からまだ醒めていないので、頭がぼおっとしているが、さいわいワルモノ議長がてきぱきと議事を進めてくれたので、1時間半で終わる。
まことに「議長をイラチな人にやらせる」のは会議の基本であることよ。
合気道の稽古に途中から参加。
背中がばりばりしているので、みんなに投げてもらう。受け身を15分ほど取ったら、だいぶ気分が暖まって血の巡りがよくなってきた。
家に帰って、味噌ラーメン(味付け卵、チャーシュー入り)を食し、『ハチミツとクローバー』第四巻を読む。
「大学マンガ」について先日書いたら、「魔性の女」から『ハチクロ』を読まずして大学マンガの全容は語れませんというご忠告を頂いたので、アマゾンで全巻注文したのである。
こういうことについての私のフットワークはたいへんよい。
『ハチミツとクローバー』はまったく恋愛が先に進まないで、男子も女子もひたすらぐちゅぐちゅとべそをかくばかりなのであるが、この「時間が先に進まない」ことへの欲望の切実さはほとんど感動的である。でも、森田くんがアメリカから帰ってきて、ようやく8年生を終えて卒業したら日本画科3年生に編入・・・という展開には、さすがにびっくり。
そうなのか、諸君は時間を先に進みたくないのだね。
この退嬰性が同時代の若者たちの圧倒的共感を得ているという事実に私はふかい興味をいだくのである。

2007.02.03

街場の陰謀史観

〒ポストを覗くと、本がはいっている。
『狼少年のパラドクス』(朝日新聞社)の見本刷りが届いたのである。
2月28日発売。
これで2006年度の出版点数は単著5点(うち文庫化1)、共著6点、計11点となった。
まことに「月刊ウチダ」というに相応しいペースであると言わねばならぬ。
そのせいか、献本先からの「お礼状」がだんだん間遠になる。
そりゃそうですよね。
「あ、ウチダからまた本が来ちゃった。前のも、前の前のも、その前のもまだ読んでないのに・・・どんどんよこすから読むのが間に合わないんだよ。こっちだって忙しいんだから」
などと言っているうちにだんだん腹が立ってくる・・・というふうになっているのではないかと拝察されるのである。
では、献本を止めればいいかというと、それはそれで
「あ、ウチダの新刊出たのに、献本届かないぞ。あの野郎、礼状出さないもんだから逆恨みしやがったな。けっ、ケツの穴のちいせえ野郎だぜ。ああ、やだやだ。あっちこっちでウチダの悪口言って憂さ晴らししよう」
というような展開になる可能性も絶無とはいえない。
どちらに転んでも頭が痛いことである。
それにしてもハイペースでの刊行である。
これ以外に毎月三紙に連載を書き、不定期の雑文の類はそれこそ「枚挙にいとまがない」ほど書いている。
寸暇(といっても私には寸暇以外の形態での暇というものはないが)を惜しんで、リストの超絶技巧ピアノ曲を弾くようなスピードでひたすらキーボードを叩き続けているのである。
これでは三宅先生が嘆くほどに首肩が凝るのもやむを得ない。
昨日も終日原稿書き。
毎日新聞の「水脈」原稿1545字を書いて送稿。
続いて『街場の中国論』の第八章を仕上げる。
テーマは「人類館事件」。
1903年の第五回内国勧業博覧会に展示された「人類館パビリオン」をめぐる中国人留学生の対応を論じる。
この事件がその後の魯迅の『藤野先生』『阿Q正伝』にインスパイアを与え、辛亥革命の引き金になったのではないかというスケールの大きな(自分で言うことではないが)論考なのである。
続いての第九章は江沢民の反日教育政策がどのような中国共産党党内闘争史的事情から導かれたのかについて「見てきたように」ことを書く。
72年の日中共同声明のときに周恩来と田中角栄のあいだで、ヒミツの「手打ち」があったのだが、その手打ちの「原稿」を13年前に読まされたのが浅沼稲次郎で、それを聴いてキッシンジャーが怒り狂って田中追い落としを策動してロッキード事件を起こし、万事呑み込んだ村山富市が95年の6月から始まる反日キャンペーンを見て見ぬふりをした・・・というような陰謀史観である。
書いてみてわかったが、この手の「陰謀史観ストーリー」って書くの簡単だし、実に面白いのである。
「実はこれには裏があって・・・」と書き出すと(先がわかってなくても、まずそう書き出すのである)、なんとなくいかにもありそうな「裏事情」がぐいぐいと想像されてしまう。
世にこの手の「・・・の真相」とか「誰も知らない・・・」みたいな本が出回っているけれど、あれは必ずしも何らかの政治的効果を狙ってためにするものではなく、書いている本人が書き出したら面白くて止められなくなってしまったというのが「真相」ではないのか。
この『街場の中国論』も実はほとんど「・・・の真相話」である。
私はもちろん中国のことなんか、何も知らない。
91年に香港に3日、93年に北京に3日観光で行ったことがあるだけである。
中国関係の専門書も一冊も読んでいない(ひどいなあ)
新聞記事で読んだことと、誰でも知ってるネット情報と、ちょっとだけ読んだ中国の古典文学の情報だけで「見てきたような陰謀史観」がいくらでも書けるのである。
書き出したら面白くって止められなくなってしまったのである。
他にも仕事が目白押しなのだが、書き始めると筆が止まらない。
誰か止めて。

2007.02.05

社長目線

『下流志向』が順調に売れているようである。
アマゾンのベストセラーランキングでは54位。bk1は2位。
どうしてこれほど違うのかよくわからないが、とにかく売れていることは間違いないからよいのである。
この本は自分で言うのもなんだけれど、ぜひ国民のみなさんにに読んでいただきたい。
一人の人間といっても、いろいろな「ありよう」がある。
政治的立場とか食べ物の好き嫌いとか死生観とか性的好尚とか。
例えば「私は革と生ゴムと少女切腹が好きです」みたいなカミングアウトをするとき、「国民のみなさん」というような呼びかけは選択されない。
もう少し脳内のグルーミーな部位めがけて言葉は発信される。
実際には同じ読者を相手にしていても、めざしている脳内部位が違うということはある。
私がふだん書いているものも、どの脳内部位を照準しているかは一冊ごとに微妙に違う。
今回の『下流志向』は『先生はえらい』と内容はほとんど同じと言って過言ではない(多少過言)ではあるけれど、標準している脳内部位が違う。
『先生はえらい』は「中高生」向きに書いているので、「え~、なんで勉強しなくちゃいけないの。ガッコなんてつまんね~よ」というような「だりー若者」的思考を司る脳内部位向けにピンポイントされている。
それにくらべてこの『下流志向』はもとがトップマネジメントカフェという経営者セミナーでの講演であるから、「社長相手」モードで理論展開がなされているのである。
つまり、「あ~、学力崩壊とかニートっていうんですか?なんか、そういう困った現象があるようですな。もちろん、当社にはそんな不細工なものはおりませんが。ははは。ま、親御さんとしちゃ、そりゃご心配ですわな」という社長的思考を司る脳内部位(以下同文)。
そして、驚いたことに読者の中の「中高生的要素」に照準した本より、「社長的要素」に照準した本の方が売れ行きがよいのですね、これが。
不思議だと思いません?
だって、誰だって一度は中高生であったことがある(小学生はこれからね)が、社長になったことのある人間はそれほど多くはないからである。
どうして、自分がそれでないような読者に向けて書かれたものを人々は好むのであろう?
ニート問題を「ニート目線」で書いた本はけっこうたくさんある(私もいろいろ読みました)。
だが、たぶんニートの諸君はこれらの本を読まないであろう。
「なこと言われなくてもわかってるよ」というトゲトゲしい気分になるからである。
翻って、ニートを家族にかかえる方々は読むであろうか?
これもおそらくあまり進んでは読まないであろう。
内容があまりにリアルであるので、さらに息苦しくなること請け合いだからである。
その点、「社長目線」で教育崩壊とニートを論じた本というのは、モーツァルトを聴いてカフェラテなんか飲みながらでも「ほうほう、なるほど。日本はそういうことになってるわけね」と読める。
扱っている問題は深刻かつリアルなのだが、問題をとらえる文脈が、「その問題がもたらす社会的コストをどう分配するか」というたいへんビジネスマインデッドなものだからである。
「社長さん」たちというのは、他人(つまり、ビンボー人)が彼らに押しつける社会的コストの構造的な負担者という自己認識を持っている。
この「社会的コストを押しつけられる側からするところの、社会的コスト削減策の吟味」(というのを『下流志向』ではしているわけなんですよ)は、まるでファナティックでもないし、イデオロギッシュでもない。
「ホースラディッシュの美味しい食べ方」とか「換気扇の汚れのすばやい落とし方」について論じているのとクール度においてはあまり変わらない。
クールかつデタッチドな「見下ろし目線」が構造的にビルトインされているのである。
だから、読んでも読者の方々はあまり興奮しない。
この「想定された読者」に擬制された立ち位置と扱われている問題の「距離感」がどうやら読者の琴線に触れているように思われる。
現に、アマゾンのトップセラーランキングに出ているのは、「年俸五億円の社長が書いた儲かる会社の凄い裏ワザ」「億万長者を産んだ男」「できる人の勉強法」「人を動かす」「仕事のスピードをいきなり3倍にする技術」といったタイトルの本ばかりである(あとはマンガとアイドル本)。
だが、いったい日本に年俸五億円の社長が何人いるであろうか?
ということは、この本はそのような方々を読者に想定しているわけではないということである。
年俸500万円のサラリーマン諸氏がこれを読んでいる。
私はそれが滑稽だと言っているのではない。
つまり、これは「年俸五億円目線に同調した気分」を売っている商品だということであり、それが売れるということはそのような商品についての需要が現に存在するということなのである。
この手のビジネス本の真の売り物は「他者の目線」なのである。
これは決して悪い商品ではないと私は思う。
「五億円社長本」がサラリーマン向けであるように、「社長目線」の本は「国民のみなさま」向けの本である。
というのは、「国民のみなさま」というのは、(「有権者のみなさま」や「納税者のみなさま」と同じく)、世事を高みから見下ろすことのできる特権的で幻想的な視座だからである。
たまには自分の等身大を離れて、同じ問題を少し「体温の低い」視座に立って吟味した方がいいと思う。
それゆえ私は本書を「国民のみなさま」にご推奨するのである。

日曜は下川正謡会の新年会。
私は舞囃子『鶴亀』と素謡『花筐』のワキ。
あとは地謡。『神歌』、『敦盛』、『藤戸』、『安宅』、『放下僧』、『鉢木』、『源氏供養』、『道成寺』、『高砂』、『松風』、『砧』、『西行桜』。
ほとんど舞台に出ずっぱりである。
地謡のほとんどはまだ習っていないものである。
謡本を見ながら必死で地頭の下川先生について謡うのである。
この「ついて謡う」というのがたいへん気分のよいものなのである。
謡本を見ながらひとり謡おうとするとうまくゆかないのであるが、横にいる地頭の吸う息吐く息にあわせ、その内臓の収縮や脈拍や筋肉の緊張に細胞レベルで同調しようとしていると、時折ぴたりと息が合う瞬間が訪れる。
この地謡全員が「ぴたりと息が合う」経験の身体的な高揚感というのは、なかなか言葉では説明しがたいものである。
やはりこれは「コヒーレンス」の一形態と呼んでよろしいのであろう。
私が武術的な探求心から能楽を学び始めたのは、やはり間違っていなかったのである。
今回は「合気道軍団」はウッキーが『斑女』、飯田先生が『胡蝶』、ドクター佐藤が『敦盛』と舞囃子三番。大西さんが仕舞『船弁慶』。
みなさん堂々たる舞台でありました。
番組最後は若手三人の『安達原』(鬼婆がドクター、客僧が飯田先生とウッキー)でおおいに盛り上がった。
エロス的要素抑えめの、どちらかというと活劇的な躍動感あふれる『安達原』でありました。

2007.02.06

焼きそばと香水

朝起きて原稿を二本書いてから大学へ。
うずたかい書類にハンコを押し、集中講義に来ている画伯との業務上のネゴシエーションをこなし、てきぱきと課長に指示を出し(というより出され)、メールに返事を書き、DMをすべてゴミ箱に棄て、次年度以降の職員人事について妄想を逞しくしているうち、ふと見上げるとすでに日没。
まずい。今日が英語添削の締め切りだ。
超特急で合格内定者たちから送られた英語の答案を読む。
ただ○をつけるだけなら、「よくがんばりましたね」と赤ペンで書けば終わるのであるが、いったい何をどうすればこのような間違いをするのか・・・とつい深く考え込んでしまう。
彼女たちは果たしてこの英語の文章をどのように解して、何を答えようとしたのであろうか・・・と高校生の脳内にトランスファーして、その思考回路に同調すると、「あなたが書いた答は間違いで、正解はこうです」というだけで収まらず、「もしかして、あなたが正解だと思って書きたかった答えは・・・ではありませんか?でも、それを英語で書くと・・・・ですから、そこであなたは間違っちゃったんですね」という「かゆいところに手が届く」添削をすることになってしまう。
かゆいところをぼりぼり掻いているうちにとっぷり日が暮れ、顔を上げるともうD館の職員は全員帰ってしまい、残業しているのは二人だけになっていた。
ひえ~っと叫びつつ帰宅。
図書新聞が届いていたので、拡げてみると小池昌代さんのインタビュー記事が出ている。ほうほう。
焼きそば(豚肉、韮、もやし入り、オイスターソース味)を食べビールを飲みながら読んでいると、自分の名前が出てきたので思わず、ぶふとビールを噴き出す。
いまだに活字媒体に自分の名前が出てくると「どきっ」とする。
目の錯覚ではないか、筒井康隆の傑作SF『俺に関する噂』のような関係妄想に罹患しているのではないかと怪しむのである。
私について書いていることは恥ずかしいから紹介しないのであるが、その前に「私が今日何を食べたか、ということは書きたくないそれは絶対誰にも言うまい」と小池さんは書いているのでどきっとする。
焼きそばの具についてまで言及するようなウチダとしては思わず「わ、ごめんなさい」と反省してしまったのだが、ふと気を取り直すと、やはり焼きそばの具は具として、私にとっての思索上の素材なのであるから、ゆるがせにはできないとも思うのである。
というのも、私が焼きそばの具のような生活細部についてブログ日記で言及するのは、ほとんどの場合それが「嘘」(とまでは言わぬまでも、「ホラ」ないし「針小棒大」)だからなのである。
どうしてそういう真実味の薄いことを口走ってしまうのか、その理由が私にはよくわからないのであるが、そこにはそれなりに「嘘をついてでも伝えたい真実」が伏流しているからであると考えたい(焼きそばを食べたのはほんとうですけど)。
次の頁をめくると日比勝敏くんが小川国夫の書評を書いている。
日比くんともしばらく会っていないけれど、元気で活躍しているようで、よかった。
ゑびす屋ビデオがひそかに配達されていたので、こっそり見る(なんだか「恐怖新聞」のようである)。
映画は『パ○○○ム』。
これは文句なしに素晴らしい映画であった。
「恐怖ビデオ」はだいたい映像も音声もかなり劣悪な状態のものなのであるが、それでも乱れた画面の背後に圧倒的な映像美があることが確信せらるるのである。
試写会で見ればよかった。
たいへん満足して、『ハチミツとクローバー』の最終巻をもってベッドにもぐりこむ。
ぐ~。


2007.02.08

今日もハイテンション

中央公論のI上くんから「リマインダーメール」が来る。
2月15日締め切りの5200字「日本の古典20冊書評」という仕事を去年の暮れに引き受けたのを忘れていたのである。
12月には2月15日なんて永遠に訪れることのない遠い未来だと思ったのだが、無情にもちゃんとその日は来るのである。
14日に日経締め切り(まだ書いてない)。16日には新潮社の初校の締め切り(まだやってない)、大学ランキング締め切り(まだ書いてない)がある。
今日が7日。あと一週間でこの山のような仕事を片付けなければならない。
その間に会議があり、パーティがあり、東京での日帰り仕事が一つあり、税理士との税務対策があり・・・
年明け以来、講演も対談も原稿も新規の仕事はすべて断っている。
スケジュール表に一つでも多く「空白」の日を確保しなければ、命が持たないからである。
午後から博士論文の公開審査があるので、超特急で日経の原稿と大学ランキングの原稿を書き上げ、「中央公論の20冊」の候補を思いつくまま書き出してI之上くんに送信する。
選択基準は「日本の社会と心理(タチ・ヨコ・ウチ)を知るための古典」というものである。
「マンガはダメなの?」とお訊ねする。
『サザエさん』や『鉄腕アトム』や『エースをねらえ!』は「日本の古典」としては認知されていないのであろうか。

大学に行って審査の副査をお願いした大谷大学の門脇健先生をお迎えする。
ヘーゲル研究者で浄土真宗の僧侶でもある門脇先生は私の久しいメル友であるが、実はお会いするのははじめて。
本学の博士審査は学外者の副査一名の参加が義務づけられている。
ところが私はとうに仏文学会も日仏哲学会もやめてしまっており、もともと大学関係者には知り合いが少ない(京大の吉田城くんはもう鬼籍に入ってしまった)。
困ったなあと思っていたときに以前『他者と死者』についてたいへんご懇篤な感想を書き送ってくれた(江口寿史とJ・D・サウザーが好きという)哲学者がいたことを思い出した。
思い切って面倒なことをお願いしたら、ご快諾いただいた。
浄土真宗のお坊さんは釈先生はじめほんとうによい方ばかりである。
京都方面に合掌。
もうひとりの副査は松田高志先生。入試部長激務のさなか、ご退職のぎりぎりまでこき使う非情な同僚をお許しください。
審査は3時間半、夕刻に終了。
学術論文が成立する条件とは何かということを改めて考える。
外形的には「イノベーション」ということだが、それを書き手に即して言えば「ブレークスルー」ということである。
それを書くことによって、その人自身の知的な枠組みそのものが一度解体され、再構築されるという力動的・生成的なプロセスがたしかにそこに感知される、ということである。
その生成の兆しさえ感知されれば、多少論証がたどたどしくても、資料的に不備があっても、学術性は担保される。私はそう思っている。
それが困難なのは、「ブレークスルー」というのは、それを経験したことがない人間には「どうやってしたらいいのか」その筋道が見えないということである。
それは、自分を超える知的境位に「いのちがけの跳躍」を試みるということであり、端的に言えば「師をもつ」ということである。
論文を書き始めたときと書き終えたときには「別人」になっているということである。

門脇先生にお礼の御一献を差し上げる。
「今日はご足労でありました。ほんとうにどうお礼を申してよいやら・・・」と頭を下げると、門脇先生、すっと手帖を取りだして、「で、ウチダ先生、7月・・・いつならよろしいでしょうか?」
は、何のお話でしょう?と眼を宙に泳がせる。
7月に鈴木大拙忌というイベントがあり、そこで講演をというご依頼である。
この状況で依頼を断ることは誰にもできぬであろう。
しかし、鈴木大拙忌で私はいったい何を語ればよろしいのか。

門脇先生とお別れして、家に戻り、『ハイテンション』を観る。
フランス製「切株派映画」(@映画秘宝)である。
血がどば!手足がぴょん!首がぽろ!
それ「だけ」の映画である。
しかし、このひたすらな切株志向にはある種の禁欲性さえもが感じられる。
このところフランスのB級映画が面白い。
『ヤマカシ』『トランスポーター』『TAXI』『アルティメット』・・・と「ボンクラ映画」の充実ぶりはなかなかのものである。
かつてのフランス映画にあった「エスプリ」とか「シック」とか総じて「シャバドゥビヤ」的なものがみごとに切り捨てられている。
これはリュック・ベッソンという確信犯的に幼児的なフィルムメーカーのワールドワイドな成功のせいで、フランスのボンクラ青年たちが「え?映画って、これでいいの?」というふうに覚醒したことが理由の一つにあると思われる。
『カイエ・ドュ・シネマ』の呪いは深く30年にわたってこの国の映画から「陽気さ」を根こそぎ奪い去っていたが、(おそらく本を読む習慣を持たぬせいで)フランス文化を致命的に損なったあの「腐れインテリ」の毒をまぬかれた若い映画世代が続々と誕生しつつあるのはまことに言祝ぐべきことと言わねばならぬ。
フランスのボンクラ諸君。未来は君たちのものだ!

2007.02.11

l'un pour l'autre

朝の入試委員会に出ているうちにぞくぞく寒気がしてきた。
おお、風邪の引き始めだ。
午後ずっと会議が続いて、夜は教員送別会である。このまま夜の9時までとてももたない。
最初の委員会が終わったところで学長室と文学部事務室に「午後からの会議は休みます」とお届けして、タクシーを呼んで帰宅。
パジャマに着替えて午後2時にベッドに入る。
そのまま眠り続ける。
翌日の午前4時にあまりの空腹に目覚める。
夜明け前にご飯を炊いて、味噌汁を作って納豆と生卵でぱくぱく食べる。
腹一杯になったらまた眠気が襲ってきたので、ふたたび眠る。
10時頃よろよろ起き出したら頭痛も微熱もすっかり消えていた。
疲れていたのである。
日経から電話がかかってきて、アポなし電話取材。
どうして若者たちは働く意欲がなくなったのでしょうかというお訊ねである。
それは彼ら彼女らが「自分のために働く」からであるとお答えする。
労働はほんらい「贈りもの」である。
すでに受けとった「贈りもの」に対する反対給付の債務履行なのである。
労働はその初発のあり方においてl'un pour l'autre なのである。
pour というフランス語の前置詞にはいろいろな意味がある。
「・・・のために」「・・・の代わりに」「・・・に向けて」「・・・宛の」「・・・だったことに対して」「・・・に賛成して」「・・・として」
l'un は英語で言えば the one. l'autre は the other である。
私はこのl'autre を「なんだかよくわからないけれど、私より時間的に先行しているもの」と解く。
「主体とは『なんだかよくわからないけれど、私より時間的に先行しているもの』のために/の代わりに/に対して/の返礼として/に賛成して、はじめて存立するものである」というのがおそらくレヴィナス老師の言わんとしたことであろう。
それはl'autre(他者) が事実上主体に先行したということではない。
l'un pour l'autre とはsignification であるとも老師はおっしゃっているからである。
記号作用というのは「aはbという意味です」という代理表象の関係のことである。
記号はものそれ自体ではない。それは代理表象である。
記号は「それはそれが指し示すものそれ自体ではない」ということによって機能する。
記号は「代理人」である。
代理人は本人ではない。
「本人」がまさにそこにいないという当の事実が「代理人」の存在理由を基礎づけ、同時に彼を「代理人」に指名した「本人」がどこかにいるという信憑を基礎づけてもいる。
つまり、「代理人」にとっては「本人」がどこかにいることがその存在根拠であり、一方「本人」の存在根拠はその「代理人」がここに出頭しているという事実によって支えられているのである。
主体と他者の関係もそれと同じである。
主体は他者の「記号」である。
レヴィナス老師が「他者は主体と決して境界線を共有することがない。それは絶対的に他なるものなのだ」と書くとき、ほとんどの人は空間的に遠い存在者を思い浮かべる。
けれども、もうすこしわかりやすい比喩を使えばそれは「象」という記号と「象」そのものの関係に似ているのである。
「象」という日本語は、あの巨大な動物とどこにおいても接していない。
両者のあいだに共有されている境界線はない。
そこにはいかなる実定的な関係もない。
「記号である象」にとって「実体としての象」は理解も共感も絶したものである(「記号である象」が理解できるのは「記号としてのライオン」とか「記号としてのサイ」のような同類だけである)
けれども、「実体としての象」が先行していなければ「記号としての象」は生まれてくるはずのないものである。
とはいえ、ソシュールが教えるように、「象」という獣が示差的に分節されるは「象」という記号の発生と同時的である。
記号がなければ、概念はない。
他者と主体の関係もそうなのである。
主体と他者の関係に構造的にいちばん近いのは「シニフィアン」と「シニフィエ」の関係なのである。
他者が主体の出現を要請し、主体がなければ他者を「他者」として表象するものはいない。
この相互に基礎づける関係はエロス的関係でも同じである。
私の官能は他者の官能によって賦活される。
「官能が目指しているのは他者ではなく、他者の官能である。官能とは官能についての官能、他者の愛に対する愛なのである。」(『全体性と無限』)
私たちはエロス的関係にあって、ウロボロスの蛇に似た不思議な循環構造のうちに絡め取られている。
というのは、愛し合う人々が官能的に志向しているのはそれぞれの相手の官能であり、その相手の官能を賦活しているのはおのれ自身の官能だからである。
官能において、主体の根拠は愛するもののうちにも愛されるもののうちにもない。
官能において私の主体性を根拠づけているのは、私が「愛されている」という受動的事況だからである。
「主体はその自己同一性をおのれの権能を自ら行使することによってではなく、愛されているという受動性から引き出している。」
労働においてもまた労働主体は「その自己同一性をおのれの権能を自ら行使することによってではなく、そのつどすでに誰かの労働の成果を享受している受動性から引き出している」のである。
労働においてもまた主体性はl'un pour l'autre というかたちでしか存立しない。
けれども、そのことに気づいている人はまことに少ない。
学生たちは就職活動に全力を注ぐ。
いかに自分の能力や適性を採用者に効果的にショウオフするかに懸命になる。
そこには「自分のため」という動機しかない。
だから、就活が終わり、四月に職場に立ったとき、自分には「労働するモチベーション」がないということに気づいて若者たちは愕然とするのである。
「求職するモチベーション」と「労働するモチベーション」は別のものである。
「求職活動」はせいぜい1年間の有限の活動であり、そのとき参照するのは「自分と同学齢の競争相手」の就職状況だけである。
けれど、「労働活動」は二十歳すぎから六十過ぎまで四十年以上続く。
その活動の成否や意味や価値についてあなたが「参照」できるような「ほかの条件がすべて同じであるような競争相手」はもう存在しない。
最初の数年は「あの人よりは自分の方が高給だ」とか「自分の方がプレスティージの高い仕事をしている」という比較意識がモチベーションを維持するかもしれないが、そのようなものはいずれどこかで消えてしまう。
そのあとの長い時間は自分自身で自分の労働に意味を与えなければならない。
けれども、「自分のために働く」人間にはそれができない。
私たちの労働の意味は「私たちの労働成果を享受している他者が存在する」という事実からしか引き出すことができないからである。
というような話をすればよかったが、違う話をしてしまう。
ともあれようやく頭より先に舌が動くようになったのは復調の兆しである。
午から合気道。
家にもどって味噌汁の残りに卵を落として「ずずず」と啜る。
腹一杯になったら眠気が襲ってきたので、また眠る。
夕方起き出して、カレンダーを見ると、しなければいけないことが死ぬほどたまっている。
中央公論の原稿を書き飛ばす。
メール20通くらいに返事を書く。
仕事の依頼を全部断る。
もう、本気で仕事はしないと決意する。
私はこれまで何度も「もう仕事しない宣言」をしているが、そのたびにいつのまにか気がつくとまた馬車馬のように働いていた。
そういうのはもうやめにしたい。
朝起きて「ああ、今日も何もすることがないなあ・・・」とぼんやり空の雲を見上げて、朝風の中を散歩し、ふと足を止めて道ばたのレンゲを見つめるような人生を過ごしたい。
ほんとに。

2007.02.13

驚くことばかり

岸和田だんじりエディターと神戸麻雀ガールのご結婚奉祝麻雀大会が開催された。
甲南麻雀連盟は発足以来15ヶ月の間に会員間で二組のカップルを送り出したことになる。
これは驚異的なマッチメイキング確率といわねばならぬ。
麻雀が人間のエロス的アクティヴィティを高めるという説に私は与しない。
むしろ麻雀の打牌の一手一手を通じてその人となりがはしなくも露呈するという事実が与って大きいのであろう。
とりわけ、負け方のうちにその人の人間的度量はあらわに示される。
先般申し上げたように、麻雀とは「自由と宿命」のゲームである。
自摸は宿命であり、打牌は自由である。
そして、麻雀において宿命は確率的にはほとんどつねに私たちを「敗者」への道へと誘う。
雀神さまが打ち手に微笑む確率は2割5分。
つまり、麻雀をしているかぎり、確率的に人生の4分の3は敗者として過ごさねばならないのである。
昨年の最高勝率の私でさえ3割4分。
ということは卓を囲んでいる時間の66%、私は敗者であったということである。
勝率1割台の雀士だっている。
彼らの場合、ほとんど「負けるために麻雀をやっている」と言って過言ではない。
それでも起家が最初の骰子をふるとき、勝率ゼロの雀士を含めて全員の前に未来は薔薇色に輝いている。
すべての敗北を次の勝利のための長い「前奏曲」にすぎぬと信じることのできる人間だけが真の「甲南雀士」と呼ぶに値するのである。
Look for the silver lining.
この二人の甲南雀士の前途に雀神さまからゆたかなお恵みがありますように。
会からお二人には「寄せ書き付き特製麻雀牌」と「リーデルのシャンペングラス・ペアセット」と花束が贈られ、ホリノ社長と会長がシャンペンを差し入れ、山本画伯がひさしぶりに料理人としての本領を発揮せられてイタリアンの数々をご披露くださった。
ドクターは「サイドカー」と題する祝祭詩を草せられ、これをラガーマンがブルージーに朗読(さらにドクターのマラカス伴奏付き)。
「筋もかんとだきもあるかい」で全員痙攣的に爆笑。
みなさん、ありがとう。
例会の戦績については、ラガーマンの「立直一発自摸ドラ10」に全員度肝を抜かれたせいで、ほかの記憶が飛んでしまった。
会長は今回もトップなしで、15戦3勝、ついに2割にまで勝率を下げてしまった。それでも勝ち点は累計プラスに踏みとどまっていることから、いかに苦境に耐えてシュアな麻雀を打っているかはご推察いただけるであろう。
現在の勝率一位はラガーマンとI田先生(!)の4割。
しかし戦いはまだ11ヶ月続く。

月曜は東京出張。
やはり東京へ行く山本画伯と待ち合わせして、新幹線に乗り、二時間半しゃべり続ける。
はじめて知ったことがある。
それは私たちが急速に活動的になった時期がぴたりと同期していたということである。
私は70年代なかばから1990年までかなり長い非活動期にあった(レヴィナスを読んで、合気道に行くというルーティンを私は15年間繰り返していた。もちろんそれは後から思えば実に幸福な修業時代であったのだが、リアルタイムでは「判で押したように何も起こらない日々」として生きられていたのである)。
それが90年の関西移転をきっかけにして急速に活動的になる。
聞けば山本くんも同時期に作家としての活動期に突入したそうである。
私が東京から芦屋に引っ越してきて、山本くんに25年ぶりに電話をかけたとき、彼もまた(それまでのトイレ、フロなしの下宿を脱出して)巨大なキャンパスに立ち向かえる武庫之荘のアトリエに引っ越したところだった。
画伯の飛躍のきっかけとなった「ライカの展覧会」へ至る一連の大作を描き始めたちょうどそのときに私は画伯のアトリエの駅三つ隣に、はるばる東京から「遊びましょ」と叫びつつ登場したのである。

東京でのお仕事はPHPの雑誌『VOICE』の仕事で、脳科学者の池谷裕二東大薬学部講師との対談である。
これはたいへん楽しみな対談であった。
池谷さんの『進化しすぎた脳』はずいぶん授業で引用させていただいたことがある。
近著『脳は何かと言い訳する』は最新の学術的発見をふまえた、これまたまことにスリリングな書物であった。
池谷さんは1970年、私が大学に入った年のお生まれである。
若い理系の学者と話をするのが私は大好きである。
気錬会の諸君も理系の方が多い。
彼らの特徴は「自分が何を専門的に研究しているかを非専門家に説明するのがうまい」ということである。
彼らは専門用語を使ってはとても素人には理解させられそうもないことをメタフォリカルな表現で説明する能力に長けている。
この能力は人文社会学系の若手研究者にはなかなか見られない。
人文社会学系の若い研究者は素人に自分の専門を説明するときに、いかにも面倒そうに、「あのですね、まあ噛み砕いて言えば・・・」と相手を見下す視線になり、言い終わると(「まあどうせわかりっこないでしょうけどね」という意味を込めて)「ふん」と軽く鼻を鳴らす。
それに対して、理系の諸君は素人相手のときにも(ときにこそ)、自分の研究がどういうものであるかを理解させようとかなりむきになる。
理由の一つは理系の研究はしばしば巨額の外部資金を要するせいで、専門のことをよくわかっていない素人スポンサーに資金導入を決意させる適切なプレゼンテーションをしなければならないからである。
文系の研究にはそれほどお金がかからない。
だから、(私もそうだけど)、自分の研究の社会的有用性や意義について説明する必要があまりない。
というか自分の研究は「社会的有用性のような世俗的なものとは関係ないんだぞ」というあたりにむしろ力点が置かれたりする。
この「浮世離れ」にはもちろんよいところもある。
けれど、今のところは文系学者のプレゼンテーション能力の低下と自分の研究の歴史的・社会的意味について吟味する習慣の欠如という否定的側面ばかりが目に付くのである。
閑話休題。
池谷さんの話はたいへんにわかりやすく、かつスリリングであった。
あまりにスリリングだったので、私は途中で動悸が激しくなったほどである。
わかりやすいのは、話を単純化しているということではない(私の理解力がすぐれているということではさらにない)。
そうではなくて、脳科学がどうして「今のようなこと」になったのか、これから「どういうふう」になるのかという「科学史的」なひろびろとした展望の中で自身の研究を位置づけて語る習慣を池谷さんが持っているからである。
予定時間よりも10分早く二人とも対談場所についてしまったので、即対談が始まる。
それから1時間40分にわたって、二人で一瞬の隙もなく、しゃべりにしゃべり続ける。
これだけリアクションのシャープなコミュニケーションを経験したのはひさしぶりのことである。
私がこのところずっと考えていた時間と知性と身体技法に関するほとんどすべての問題について池谷さんは驚くべき仮説で応じてくれた。
私がこだわっていた論件はそのほとんどが「ミラーニューロン」と「線条体」の機能にかかわる問題だったのである。
雑誌では私たちの話したうちのごく一部しか採録することができないのが残念である。
今日聞いた中でいちばん面白かった話を一つだけ紹介する。
「ミラーニューロン」というのはご存じのとおり相手が何をしているのかを見て反応する神経細胞のことである。
誰かがアイスクリームを食べているときに、それを見ている私の脳内で、「アイスクリームを食べているとき」に活動する神経細胞がまるで鏡に映したように活動する。
だから、人のしぐさを見ているだけで、その人の内部で起きていることが想像的に追体験(というかリアルタイムで体験)できる。
そういう能力が生物には備わっている。
チンパンジーにもミラーニューロンがあるから、人のしぐさを見るだけで人間の道具を使いこなし、ボートを漕いだりすることもできる。
このニューロンはコミュニケーションや学習や共同体の形成にとって決定的な重要性をもつのである。
だからコミュニケーション能力の低い人、「空気が読めないやつ」、他者との共感能力の低い人はこのミラーニューロンがきちんと機能していない。
学習障害や自閉症がミラーニューロンの機能と深い関係があることも知られているそうである。
先日、多田先生から「師匠がくしゃみをしかけたら弟子は同時にくしゃみをするくらいでなければならない」というお話をうかがった。
他者の体感に同期することは合気道の重要な技法的課題だけれど、これはミラーニューロンの活性化というふうに言い換えることもできる。
それだけでもびっくりなのだが、一番驚いたのは(これはまだあまり知られていないことだそうだけれど)ミラーニューロンを活性化する薬が発明されたという話である。
それを人間に注入してみたら、どうなったか。
他者との共感能力が異常に高まって「千里眼」になった・・・とふつうなら想像するが、そうではなかった。
ミラーニューロンが活性化した人は全員が同じ幻覚を見たのである。
それは「幽体離脱」である。
自分を天井から自分が見下ろしている。
つまり他者への共感度が高まりすぎたせいで、「自分が他者であっても自己同一性が揺るがない状態」になってしまったのである。
この幽体離脱はすべての人間が経験することなのだそうである。
ただせいぜい生涯に一度か二度(多くは臨死体験において)であるので、科学研究の対象にはならない(幽体離脱が起きるまで何十年も被験者を観察していなければならないから)。
Je suis un autre 「私は他者である」と書いたのは見者ランボーだが、この一文から推して、アルチュール・ランボーの脳内ではミラーニューロンがたいへん活動的であったことが推察されるのである。
論理的に考えると、「自分が他者であっても自己同一性が揺るがない」ときの自己同一性というのは、もう「私がひとりでいるときの自己同一性」とはあきらかに別物である。
それは私と他者をともに含んだ「複素的構造体=私たち」の自己同一性である。
ご案内のとおり、主体=他者の対面的状況において、この「複素的構造体」をどうやって立ち上げ、どうやって操作するか、ということが久しく私自身の哲学的=武術的課題(「レヴィナス=合気道問題」)であった。
レヴィナス他者論と「合気する」技法のあいだを架橋する手がかりがミラーニューロンのうちにあるのではないか・・・
そう考えたら、なんだかわくわくしてきたのである。
「線条体」の話は人間の時間意識と未来予測的=合目的的運動性にかかわるので、もっと複雑にしてスリリングな話題なのであるが、それは紙面を徴していただくことにしよう(長くなるからね)。
それにしても知的興奮の1時間半であった。
池谷さん、また対談してくださいね。

2007.02.16

大学のブランド力とは?

朝からばりばりと原稿書き。
『中央公論』の「日本人の社会と心理を読み解くための20冊」と『大学ランキング』の「大学のブランド力とは何か?」を書き上げて送稿。
「日本の社会と心理を知るための20冊」に私が挙げたのは、「日本とはこれこれこういう社会であり、日本人はこういう心理構造の生き物である」ということを客観的=中立的立場(などというものがありうるのだろうか)から論じたものではない。
「日本人って、何なんだろう・・・」ということを自身の基礎づけの問題としてとらえた人々、その人自身が「日本人らしさ」の原点として帰趨的に参照される人々の本と日本人論を語る人が読まずにはすませることのできない不可欠のレフェランスあわせて20冊。
私が選んだのは、成島柳北『柳橋新誌』、勝小吉『夢酔独言』、勝海舟『氷川清話』、中江兆民『兆民先生伝』、森鴎外『寒山拾得』、夏目漱石『吾輩は猫である』、永井荷風『断腸亭日乗』、子母澤寛『新撰組始末記』、司馬遼太郎『竜馬がゆく』、内田百閒『まあだかい』、加藤周一『羊の歌』、吉田満『戦艦大和ノ最期』、伊丹十三『ヨーロッパ退屈日記』、川島武宜『日本人の法意識』、網野善彦『異形の王権』、宮本常一『忘れられた日本人』、岸田秀『ものぐさ精神分析』、加藤典洋『敗戦後論』、三浦雅士『青春の終焉』、関川夏央・谷口ジロー『「坊ちゃん」の時代』。
どの本がどのカテゴリーであるかは各自でお考えください。

「大学のブランド力」についての論考は高校生用なので、ボードリヤールの象徴価値論を噛み砕いてご説明する。
ご案内のとおり、「象徴価値=ブランド力のある商品」とはそれを所有する人間の所属する社会階層を記号的に指示するものである。
ただし、この記号性というのはいささか複雑な構造を持っており、所属階層をあまりに露骨に示す商品は「ブランド力がある」とは言われない。
例えば、「金の鯱を飾った天守閣のある家」に住んでいる人は金持ちであることはわかるけれど、その家には「ブランド力がある」とは言わない。
定期預金の残高数字や高貴の血を引く家系図にも「ブランド力」はない。
所属階層を直接的に指示する商品にはブランド力がないのである。
例えば、着る服によって「金がある」ことを示すもっとも直接的な方法は「値札を付けたまま服を着る」ことであるけれど、そういうことをする人を「ブランドにうるさい人」とは言われない。
「ブランド力」というのは一見しただけではよくわからないけれど、よく目を凝らすとわかるものについてのみ言われるのである。
「ほんとうにいいもの」というのは近づいて、触れてみて、身につけて、なじんで、はじめて作り手の気配りやこだわりがわかる。
不注意な人の目には見えず、それゆえその「良さ」に気づいた人が「自分にはその価値がわかるだけの鑑定眼がある」ことをひそかに誇りに思えること、実はそれこそがブランド力の条件なのである。
ブランド力というのは商品自体に内在するものではなく、それを解読する人の参与があってはじめて成立する。
ジェームズ・ボンドがドクター・ノオのディナーのテーブルでシャンペンのボトルを一瞥して、「どうせドン・ペリニヨンを出すなら57年にしてほしかったな・・・」とつぶやく場面がある(相手はゴールドフィンガーだったかしら・・・)。
ここではブランドの価値を解読できると思っている人(ドクター・ノオだかゴールドフィンガーだかその手のワルモノ)と、その解読力が「まだまだ」と判定する人(ボンド)と、それを指摘されて「ぐ、ぐやじい」と思ったけれど顔色を変えない人(ワルモノ)と顔色を変えないのはよほど悔しかったんだろうなあと内心せせら笑っている人(ボンド)の間の心理的葛藤が二秒ほどのうちに交錯する。
そして、ボンドがこの心理戦で勝利したことでドクター・ノオはボンド憎しの一念からその殺害を急ぎ、結果的に軍事的敗北を呼び込んでしまう・・・
かようにブランド力は奥が深いのである。
ここからおわかりのように、ブランド力とは「ブランド力が何かを知っていると想定された主体」に対して、「ブランド力って何だかよくわかんないけど、そういうものがどうやらこの世にはあるらしいと思っている主体」の間の「情報格差」として存在する。
というか、「格差の感覚」としてしか存在しないのである。
だから、大学のブランド力というのは、「金の鯱天守閣」的なハコモノにはもちろん存在しない。
誇示的なものは、誇示的であるという当の理由によってブランド力を失うからである。
大学のブランド力は、大学人が「ブランド力とは何かを知っていると想定されている主体」であり、学生たちが「大学のブランド力って何だかよくわかんないけど、そういうものがどうやらこの世にはあるらしいと思っている」という非対称的関係である場合にのみ存立する。
だから、「アピーリングなブランド」というようなものは端から形容矛盾なのである。
「この大学のブランド力って何ですか?」と問う学生に対して、「ふふふ、それはキミが自分で探し出すものだよ。さて、キミにそれを見つけるだけの眼力があるかな?」と言い残してすたすた立ち去ってしまう大学こそがブランド力のある大学(だと誤解される大学)なのである。
もちろん高校生相手にこんなネタバラシをするわけにはゆかないので、ぜんぜん違う話を書いた。

養老先生との対談本のデータ校正の締め切りであるが、まったくやっていないので、あと3週間延ばしてくださいと新潮社のアダチさんに土下座をして詫びを入れる。
私が怠慢であるとかそういうことではない。
私が過去一ヶ月どれくらいの量の文字を書き、どれほどの量の活字を読み、そのせいで近視の度がどれほど進み、背中や肩がどれほどきしむような捻れるような苦痛を感じているかはおそらく諸君の想像を絶しているであろう。
しかし、その割には麻雀をしたり、映画を見たり、歌舞伎や能に行ったり、宴会したり、ブログを更新したりしている暇があるじゃないかと思われる方もあるやもしれぬ。
だが、それらのわずかな愉楽を奪い去られた私は「ガレー船の奴隷」とどこが違うというのであろうか。

講談社からお知らせが来て、『下流志向』は5刷3万部追加で、累計6万部となる。
「こ、これはもしかすると、もしかするかもしれませんよ」とオカモトさんの声が心なしか震えている。
もしかするとどうなるのであろうか。
朝日新聞の中条省平さんの書評と『週刊現代』の高橋源一郎さんの書評のおかげで売り上げがぐんと増えたのである。
みなさんどうもありがとうございます。

大学に合気道の稽古に行くと、舞踊専攻の島崎徹先生とすれ違う。
舞踊専攻の第一期生の発表会が水曜日から始まっているそうである。
「すごいです。爆発してますよ。ウチダ先生もぜひ来てください」と島崎先生があの表現力豊かな表情で訴えかけるので、「はい」と即答。
島崎徹先生は「バランシン/フォーサイス/シマザキ」と並び称せられる偉大なコレオグラファーであり、ときどきキャンパスで遠くの方から手を振ってきて「ウチダ先生、本読みました!あなたの本はお・も・し・ろ・い!」と全身で感想を言って下さるありがたい同僚である。

合気道の稽古のあと、大阪能楽会館へ。
着いたら能が終わったところで、狂言と『邯鄲』『敦盛』の舞囃子二番を見て帰る。
家に戻ってから寝ころんでブルース・ウィリスの『16ブロック』を観る。
なんだか既視感がある。
あ、これ『ダイハード4』の予告編なんだ。


2007.02.18

ミリアム館で昇天

「学生たち、もうはじけちゃってます」という島崎先生の言葉に誘われて、ミリアム館に音楽学部舞踊専攻の発表会を見に行く。
水曜日から始まっていて、すでに3ステージが終了している。
見てきてた人たちが学内で会う人ごとに「見ました?見なきゃダメですよ」といっている。
「ぽろぽろ泣いちゃいました」という人が二人いた。
驚いたのは、某課長が「これまでの人生を反省して、これからはまじめに生きようと思いました」という感想を告げたことである。
人をして「これからはまじめに生きよう」と決意せしめた舞踊のあることを私は寡聞にして知らない。
本学の舞踊専攻は2006年に始まったばかりだから、学生たちは、まだ島崎先生の教えを受け初めて1年に満たない。
わずか1年の訓練で、「このままワールド・ツァーに出せます」と観客をして言わしめるほどのレベルに達するということがほんとうにありうるのであろうか。
ともあれ島崎先生に「ウチダ先生には絶対見て欲しいんです」とあの説得力のあるまなざしで訴えられたのであるから、これは見ないわけにはゆかない。
私とて舞踊の観客としてまるでシロートというわけではない。
アルヴィン・エイリーもピナ・バウシュも麿赤児もシルヴィ・ギエムもナマで見ているし、高校生のときにはピットインで土方巽の後ろの席に座ったことだってある(唐十郎の『続・ジョン・シルバー』を見たとき。芝居が終わるすぐに唐十郎が客席に走ってきて、「土方先生、いかがでした?」とまるで通知表をねだる子供のように見上げたので、どてら姿で長髪を輪ゴムで止めた怪しいおじさんが暗黒舞踏の創始者であることを私は知ったのである)。
閑話休題
ミリアム館の座席はぎっしり。大学関係者だけでなく、高校生くらいの子たちも来ている。舞踊専攻がすごいことになっているという話はバレエやダンスの世界にはもうアンダーグラウンド情報で伝わっているのであろう。
音楽学部のS藤先生に会う。
S藤先生は毎日見に来ているそうである。そのS藤先生の母上と並んで、一番前の真ん中の招待席にご案内いただく。
入学センターのA木課長もリハから毎日みているので「もう20回以上見ました」ということである。
音楽学部長、学科長、チャプレンとご令嬢などと次々ご挨拶。
そして、幕が上がり・・・
1時間50分の舞台の感想はうまく言葉に出来ない。
とりあえず島崎先生の手を握って「ありがとうございました」というのが精一杯であった。
「あなたは偉大な教師だ」とも申し上げた。
世界的なコレオグラファーをつかまえて「偉大な教師だ」もないものだが、経験者とはいえ、アマチュアの学生さんたちをわずか1年でこれだけのパフォーマンス・レベルに導くことができた指導者の力量には脱帽するしかない。
1年でこのレベルということは、卒業するころにはどうなってしまうのであろう。
私に娘がいたら(いるが)島崎先生に弟子入りさせたいと思うところである。
島崎先生の教育法がどういうものか、見たことがない私にはよくわからないけれど、「ブレークスルー」というのが何かを学生ひとりひとりに実際に経験させていることははっきり知れた。
「自分の限界を超える」やり方を教えることはある程度技術のある教師ならできる(それさえできない教師も多いが)。
けれども、一度「自分の限界を超える」ことができた人間は、「自分の限界を超えたやり方」に固執するようになる。
禁欲的な走り込みやウェイトトレーニングで「限界を超えた」と思う人間は、そのあとも限界に突き当たるたびに同じことを繰り返す。
しかし、ほんとうにすぐれた教師は「自分の限界を超えるやり方」に固執してはならないということを教える。
「変化する仕方そのものを変化させる」ことがエンドレスの自己超克のためには必要なのである。
だが、「君たちは自分の限界を超える仕方そのものの限界を絶えず超えてゆかなければならない」ということを学び始めたばかりの人々に告げる勇気のある教師はきわめて少ない。
それは教師自身の教えの妥当性を教師自身が否定することのように思えるからである(ほんとは違うんだけど)。
島崎徹先生はそのごくごく例外的に少数の教師の一人である。
そのことはステージが始まる前の挨拶をうかがっているうちに推察された。
そして、それはステージを見終えたあとに確信に変わった。
人間が自己の技能や知見の限界を超える契機は二つある。
一つは「限界を超えなければ、生き延びられない」という死活的なストレスをかけることによって。
もう一つは「限界を超えることは、愉しい」という身体的実感を知ることによって。
島崎先生はそのどちらをも熟知されていたように私には思われた。
だから私は「あなたは偉大な教師である」と申し上げたのである。
本学の舞踊専攻がこのあとどのような展開を示すことになるのか私には予測がつかない。
けれども、この定員7名の小さな専攻が私たちの大学の教職員学生院生の全員を「教育とは何か?」という根源的省察に導いたことは間違いない。
そのような機会を与えてくれたことについて、島崎先生はじめ音楽学部の同僚たちに対して深く感謝したい。
舞踊専攻の学生のみなさんにもBravo! の挨拶を贈ります。
ほんとうにすてきな笑顔でした。
あなたがたのような学生を「身内」に持てたことを私は誇りに思います。

2007.02.20

ついにロレンス・トーブさんに会う

また東京出張。
多田塾研修会にプラス仕事が三つ。
研修会で多田先生と呼吸合わせをしているうちに「ミラーニューロン」が活性化してくる。
この訓練法が脳科学的に意味することが何となくわかってくる。
他者の体感との同調と、私自身の他者化である。
「他者の体感との同調」というのはご理解いただけるであろうが、「私自身の他者化」というのは聞き慣れない言葉である。
それをご説明しよう。
鏡像段階というのはラカンの有名な理説である。
人間の子どもはある時期鏡につよい関心を持つ。
もちろん子どもには鏡像という概念がないから、そこに映っているものが何であるかわからない。
けれども鏡の前で手足を動かしているうちに、自分の手足と鏡像がシンクロしていることに気づく。
どうして「シンクロしている」ことがわかるのか。
これはミラーニューロンの働きで説明ができる。
つまり、「何か」が動くのを見ていると、見ている人間の脳の中では必ずその動作にかかわる神経細胞が活性化する。
ひとがボートを漕いでいるのを見ているだけで、「ボートを漕ぐ」ために必要な筋肉や骨格を働かせる神経細胞が点火する。
いわば他人の身体の中に入り込んで、それを内側から想像的に生きるようにするのがミラーニューロンの機能である。
鏡像の動きを見ている、見ている人間のミラーニューロンが点火する。
鏡像の内側に入り込んで、それを想像的に生きるようになる。
その想像的体感があまりに自身の現実の体感と一致するので、想像なんだか現実なんだかわからなくなる。
鏡像を経由して自分の身体に入り込んでいるわけであるから、入り込んだ先が「まるで自分の身体みたい」に感じられるのは当たり前と言えば当たり前である。
ラカンは「私の機能の形成過程としての鏡像段階」の中でこう書いている。
「身体の全体形-主体はそれを経由して幻影のうちにおのれの権能の熟成を先取りするわけであるが-はゲシュタルトとして、すなわち外部を通じてしか与えられない。」(Écrits I, p.91)
人間は自分の身体の全体像を見ることができない(肉眼で見えるのは手足と胴体の一部だけである)。
しかし、鏡像はそれを一挙に与えてくれる。
私は鏡像を経由してはじめて私の全体像を手に入れ、私が社会の中で他の主体たちと取り結ぶ関係を俯瞰する視座に立つことができる。
鏡像はつねに私の外部にあるのだから、私がそれに一体感を感じるということはありえないのだが、その私の外部にある像と自己同一化することで、私は「私の権能の熟成」を前倒しで手に入れることができる。
その「全能感」という報酬が外部にある像との一体化という「命がけの跳躍」を動機づけるのである。
私たちが武術の稽古で行っている「見取り」とか「うつし」というのは、この鏡像段階を強化したものと考えることができる。
師の動きは弟子の動きよりもはるかに雄渾で流麗であるが、弟子はそれをトレースしているうちに、師の姿のうちに自分の「おのれ自身の熟成を先取り」するようになる。
それは強烈な全能感を弟子にもたらす。
師という他者のうちにおのれの自己同一性を仮託するのである。
だから、師匠が「はっく」とくしゃみをしかけたら、弟子の方が「しょん」と引き取るというような同一化が起きる。
他者と同一化する能力と自己を他者に転写する能力の二つはよく考えれば同じ「チャンネル」を使う仕事である。
共感能力とかシンパシーということはわかりやすいけれど、その能力が自分を他者として見る、自分を含んだ風景を俯瞰的に見る、他者との関連のうちに位置づける能力(マッピングあるいはスキャニング)と同質のものであるということはあまり理解されていない。
多田先生の合気道の稽古が「呼吸合わせ」と「足捌き」に例外的に長い時間を割く理由がふとわかったような気がした。
呼吸合わせは師との体感の同調の稽古であり、足捌きは上空の「幽体離脱」的視点から自分の動きを見る稽古である。
だとすれば、この二つはまったく同じ脳内部位(ミラーニューロン)の活性化にかかわる稽古だったということになる。
けれども、理屈がわかるということと身体が動くということは別の話で、稽古の終わりに座技で坪井先輩と組んでしまった。
ふだんほとんど受け身を取る機会がないので、先輩にがっつんがっつん投げられるとあっという間に息が上がってしまう。ひさしぶりに大汗をかく。
工藤くんご夫妻たち気錬会の諸君とおしゃべりしながら新宿駅まで歩き、学士会館に戻って朝日新書の石川さんと打ち合わせ。汗をかいた後なのでビールが美味い。

爆睡して、翌日は朝から新潮クラブで『考える人』のためにラリー・トーブさんと対談。
トーブさんのことはこれまでこのブログに何度か書いたけれど、The Spiritual Imperative というまことに面白い本を書かれた未来学者である。
世界史は「霊的=宗教的段階」(バラモン)「戦士的段階」(クシャトリヤ)「商人的段階」(ヴァイシャ)「労働者的段階」(シュードラ)のヒンドゥー的カーストの四段階を経由して進むという「あっ」と驚くBig picture である。
とにかくトーブさんは話が面白い。
現代社会についての質問にも「それはそもそも・・・」と古代から語り起こして、いつのまにかちゃんと答えてくれる。
「視野の広い人」という言い方をするけれど、トーブさんほど視野の広い人は珍しい。
強記博覧というのとはちょっと違う。
トーブさんが挙げる事例の多くは「言われてみれば、私も知っていること」である。
ただ、それを関連づける手際がみごとなのである。
その問題を論じるときに私なら「視野の外」に置いてしまう事例まで「視野の中」に取り込んでしまう。
大瀧詠一さんにも通じる「関連性を発見すること」へのひとかたならぬ熱情がトーブさんの知性を駆動している。
5時間にわたってえんえんとおしゃべりする。
トーブさんは英語でしゃべり、私は日本語でしゃべる。
トーブさんの英語はとてもわかりやすいので、ヒアリングはノー・プロブレムであるが、私は「口から先に生まれた男」であり、その饒舌を英語で繰り出すだけの英語力はないので、通訳の齋藤聡子さんのお世話になる。
自分のしゃべっていることをこれほどみごとな英語にしてもらったことがないので、びっくり。
「ああそうか、そういえばいいんだ!」と司会のアダチマホさんと何度も顔を見合わせる。
途中から合気道の話やユダヤ人の話になる。
『私家版・ユダヤ文化論』をトーブさんはお読みになっているのだけれど、日本語を読むのは苦手なので、ずいぶん前に読み始めたけれど、まだ読み終わらないそうである。
トーブさんはユダヤ人である。
あの本をユダヤ人の読者が読んだらどう思うかとても興味があったので、「こういう内容のことが書いてあるんですよ」と解説をする。
「へええ、そんなこと考えたこともなかったなあ・・・でも、そうかもしれない。う~ん、そうか・・・」とトーブさんは面白そうに聞いてくれた。

午後3時で対談を切り上げて、今度は音羽の講談社へ。
紀伊国屋で販促活動に使うサイン本200冊にネコマンガを描きに行く。
『下流志向』はここまでのところ5刷6万部。
私の書いた本としてはもちろん最大のセールスである。
まだまだ行きますよ・・・とオワザさんオカモトさんは強気である。
200冊描き終えて、ご褒美にフレンチをごちそうになり、7時過ぎの新幹線に乗ってよろよろと芦屋に戻る。
ふう、疲れた。

2007.02.23

けふもしごとでひがくれて(付・就活支援広報)

火曜、水曜、木曜と終日ほとんど休みなく仕事。
『街場の中国論』の初稿が終わり(やれやれ)、推敲に入る。
これは2月末締め切りだから、初夏のころには本になるであろう。
私が言うのもなんであるが、たいへん興味深い中国論である。
どのへんがオススメかというと、これが「大学院生目線」の本だからである。
世の中に流通している無数のテクストはそれぞれ固有の「目線」を無意識的に採用している。
「目線」というのは「そこから何が見えるか」ではなく、むしろ「そこからは何が見えないか」によって特徴づけられる。
例えば、本邦のテレビのニュース番組のほとんどは(中年男性がキャスターであっても)「おばさん目線」である。
だから、私たちがワイドショーやニュースから知れることができるのは「日本のおばさんは何を知っているか」ではなく主に「日本のおばさんは何を知らないか」である。
これはそれなりに有益な情報である。
『下流志向』は「社長目線」の本であると先に記したが、正確を期して言えば、日本の社長さんたちが「そこから構造的に眼をそむけていること」に焦点化した本である。
だから、「大学院生目線」の本は、「人文系の大学院生がそれについて選択的に無知であること」を中心に書かれていることになる。
もちろん「人文系の大学院生が知らないこと」はいくらでもある。
大事なのはそのことではなく、「知っていても良いはずだし、知っているといろいろと有用であり、知る機会があったにもかかわらず、学ぶことをしないできたこと」である。
これはシャーロック・ホームズが『白銀号事件』で採用した推理術である。
「あの夜、犬が吠えなかったのはなぜか?」
ホームズの推理は「起きたこと」ではなく「起きてもよいはずなのに、起きなかったこと」の理由を訊ねて進んでゆく。
これはたいへん効果的な推理術であると思うのだけれど、(養老先生によれば)本邦の知識人でこの対偶的推理術を操作する人は少ないのである。
日本の21世紀初頭の人文系大学院生が中国について「知っていてよいはずなのに知らないこと」は何か?
それを探ってゆくうちに私は重大な発見をしたのである。
それは「中国がどんな国であるか」について見過ごされている情報のほとんどは、それが知られることで「日本がどんな国であるか」がわかってしまう情報だったということである。
そんなことがあるものかと思われたら実際に本を手にとって赤ペン片手に検証されることをオススメする(おお、手の込んだ販促活動)。
というわけで中国論としてはあまり役に立たないが、日本人論としてはたいへん有用な一冊なのである。

引き続き養老先生との対談本、『逆立ち日本論(仮題)』の校正に取りかかる。
養老先生の前でまるっと貫禄負けして、私が珍しく「そうでございますねえ・・・いや、お説のとおりでがんす」とイッパチ化しているところが愉しく読めるのである。
そうこうしているうちに『VOICE』の池谷さんとの対談原稿データが来る。
この校正については悲惨な物語があるのであるが、あまりに悲惨であるばかりかウチダの粗忽ぶりが露呈した世間の皆様大笑いの話なので、海馬から消去することにしたのである。
そうこうしているうちに共同通信から「締め切りすぎてるんですけど」という督促メールが来る。
そ、そうですか。
「まさか、忘れていたんじゃないでしょうね」
はい。忘れていました。
超特急で1200字を書き飛ばす。
推敲も何もあらばこそ。
「反教養主義の元凶はフェミニズムである」という居酒屋のカウンターで酔っ払い親爺が小声で話すことまでは許されようが、天下の新聞に掲載して、民意を問うような論件ではない。
しかし、書いてしまったものはしかたがない。
これを奇貨としてフェミニスト諸君が「何を愚かなことを。フェミニズムのおかげで日本人の知性はこれだけ向上したではないか」という反証事例を列挙して下さることを切望するのである。

大学で自治会誌「おちょぼ口」のインタビュー。
来年度から始まる「副専攻・キャリアデザインプログラム」の中の「メディアと知」という科目を私は担当するのであるが、その科目がどのようなカリキュラムでどのような教育効果をめざしているのかという本質的な問いかけがなされる。
「え?困っちゃったな~、あのね、何やるか、まだ決めてないんです」。
は?まだ決めていない・・・。では、教育目標というのは?
「え~と、急に困った場面に遭遇しても臨機応変に対処できる能力の涵養でしょうか」
先生が今されているように、ですか。
「そ、そうです。インタビューで想定していない回答に遭遇したときに、その『想定外の出来事との遭遇』そのものを記事にする能力。あなたがいままさにされんとしている当のその営みこそ編集者として必須のものなのであります。」
問答すること1時間半。
たいへんスマートなインタビュアーであったので、つられてエディター心得、ライター心得について「ここだけの話なんだけど」的インサイダー情報を大量にリークしてしまう。
「おちょぼ口」の編集長優秀です。
出版社のみなさん、うちの編集長が面接に行ったら、どうぞよろしくお願いします(併せてうちのゼミのタムラもよろしく)。

訂正:
さきに「大学のブランド力とは?」の中で島崎先生を「バリシニコフ、フォーサイスと並び称される」とご紹介申し上げましたが、これは「バランシン、フォーサイス」の間違いでは・・・というご指摘をいただきました。ミハイル・バリシニコフはコレオグラファーじゃないですもんね。謹んで訂正させていただきます。島崎先生ごめんなさい。

島原の乱異聞

朝日新聞にこんな記事があった。

米バーモント州にある名門ミドルベリー大学の史学部が、オンラインで一定の利用者が書き込んだり修正したりできる百科事典「ウィキペディア」を学生がテストやリポートで引用することを認めない措置を1月に決めた。日本史の講義をもつ同大教授がテストでの共通の間違いをたどったところ、ウィキペディア(英語版)の「島原の乱」(1637~38)をめぐる記述にたどり着いたことが措置導入の一つのきっかけになった。
日本史を教えるニール・ウオーターズ教授(61)は昨年12月の学期末テストで、二十数人のクラスで数人が島原の乱について「イエズス会が反乱勢力を支援した」と記述したことに気づいた。「イエズス会が九州でおおっぴらに活動できる状態になかった」と不思議に思って間違いのもとをたどったところ、ウィキペディアの「島原の乱」の項目に行き着いた。
ウィキペディアに基づいて答案を書いたと思われる例は以前からあったという。「大変便利で、調べごとの導入に使うことに全く異存はないが、一部の学生は書いてあることをそのまま信じてしまう」と教授は言う。
同大史学部では1月、「学生は自らの提供する情報の正確さに責任をもつべきで、ウィキペディアや同様の情報源を誤りの言い逃れにできない」として引用禁止を通知した。ドン・ワイアット学部長によると、「同様の情報源」とはウェブ上にあって多数の人間が編集することができ、記述の正確さが担保できない情報源を指すという。
ウィキペディアの創始者のジミー・ウェルズさん(40)は「慈善的に人間の知識を集める事業であり、ブリタニカと同様以上の質をめざして努力している。ただ、百科事典の引用は学術研究の文書には適切でないと言い続けてきた」と話す。

なかなか考えさせる話である。
ウィキペディアは最新情報のチェックにはたいへん便利なものである。
例えば、以前は現代の著名人について注を書くとき没年を調べるのに苦労した。
「最近本出してないけど、あの人まだ生きてるのかな・・・」ということってあるでしょ。
外国人の場合、死亡記事を見落としていると、本を出したあとで「あの、その人もう亡くなってますよ・・・」と知らされるいうことがある。
人名事典や百科事典はある程度歴史的風雪に耐えて、今後も久しく人々のレフェランスとして使えそうな情報は採録されているが、今はみんなが知っているが一年後には「それ、何だっけ?」というようなことになりかねない一過性の現象についての情報はない。
そういうことを調べるならブリタニカより断然ウィキペディアである。
だから、ウィキペディアで「島原の乱」のことを調べるのは「ちょっと、どうか」と私も思う。
ただ、島原の乱にイエズス会士がまったく関与していなかったといえるかどうか、これは吟味を要する論件であるように思われる。
フランシスコ・ザビエルが鹿児島に到着したのが1549年、最初のキリシタン大名大村純忠が受洗したのが14年後の63年。
それから十数年の間に続々とキリシタン大名が誕生し、島原には神学校までできている。
すごいスピードである。
16-17世紀の日本人はキリスト教とヨーロッパの科学がもたらす変化をやすやすと受け容れた。
これは否定できない歴史的事実である。
これを防ぎ止めるためには、日本は鎖国・海禁という「異常な」政治決定による他なかった。
江戸幕府による鎖国政策ということを私たちは日本史で習うけれど、それはつねに鎖国歳策を「実施する側」のロジックを拝聴するだけで、「そういうこと」をしなければならない事情がどんなものだったかについては詳しい記述がない。
例えば、代表的な鎖国令である1636年の鎖国令にはこうある。
異国へ日本の船を派遣することを禁止する。密航者は死罪。
異国で居住する日本人が帰国したら死罪。
バテレン(宣教師)を密告したものには銀200―300枚の報奨金。
南蛮人の子孫を日本に残した者は死罪。
南蛮人の子供や、その子供を養子とした父母たちは死罪を免じて南蛮人へ渡す。ただし帰国したら死罪。
文通した者は死罪。
こういう布告が前後5回発布されている。
それはつまり、「そういうこと」をしている人が引きも切らずいたということである。
16世紀後半から17世紀前半にかけてアジアはたいへん風通しのよい地域だった(このあたりのことは真栄平先生がお詳しい)。
日本列島、琉球、台湾、フィリピン、東南アジアの海域にはさまざまな肌の色をしてさまざまな言語を語る航海者たちが自由に往来していた。
沼津の駕籠かきだった山田長政は朱印船にのってシャムに渡り、その才覚一つで王国最高官位に就いた。
納屋(呂宋)助左右衛門はルソン貿易で豊臣秀頼を驚かせるほどの巨富を築いた。
キリシタン大名高山右近は秀吉の禁令でマニラに追放されたが、その死に際しては、マニラ全市を挙げて葬儀が行われた。
細川ガラシャは明智光秀の娘で豊臣徳川両家に仕えた細川忠興の妻だが、高山右近の影響で受洗し、その葬儀を夫忠興はキリスト教式で盛大に行っている。
禁令にあるくらいだから、南蛮人と日本人の混血もかなり進んでいたと思われる。
柴田錬三郎の造型した虚無的ヒーロー眠狂四郎はイエズス会士と日本人女性の間の子どもという想定である。狂四郎のような混血児は当時にあっては決して例外的な存在ではなかった。
そういうダイナミックな歴史を考えると、島原の乱(1637-38)のあった時期に「その不法滞在を密告される可能性のあるバテレン」や「南蛮人の子ども」や「その養父母」や「文通相手」が摘発を要するほどの数存在したことは間違いない。
フロイトの卓抜な比喩を借りれば、「火に手を入れてはならない」という法律がないのは、法律がなくてもそんなことをする人間はいないからである。
「・・・してはならない」という法律があるのは、そういうことをする人間がいる、ということである。
私はこの記事を読んで、天草四郎に軍略を授ける紅毛碧眼のイエズス会士と彼の率いる秘密軍事組織のことをふと想像してしまったのである。
そういう可能性は否定できないと思うのだが、ニール・ウオーターズ教授はいかなる歴史資料に基づいて「ない」という結論に達したのであろう。
そうだ、美輪明宏に訊いて見よう!

2007.02.27

とうとう風邪を引きました

今シーズンは風邪を引かないなあと喜んでいたら、やっぱり風邪をひいてしまった。
週末に稽古、ゼミ旅行、合気道兵庫県連盟の講習会・懇親会とタイトなスケジュールで走り回ったら、どっと疲れが出て、月曜から熱が下がらない。
この月末の貴重なオフの一日に残りすべての仕事を片付けようと思っていたもくろみはあえなく潰え、おでこに「熱さまシート」を貼り、鼻水をずるずる啜りながら、終日寝ている。
明日からはまた隙間のない日程が詰まっている。
とはいえ明日には起き上がれるという保証はない。
『街場の中国論』は明日締め切りであるが、これは100%間に合わない。
『逆立ち日本論』は来週締め切りであるが、これも危機的である。
編集者たちはどれほど怒るであろうか。
とはいえ、編集者の方々も私の顔を見れば「そんなに働いたら身体をこわしますよ」とねぎらいの声をかけてはくれるが、だからといって「うちの仕事はいくら遅れてもいいですから」とは決して言ってはくれぬのである。
昨日は午後8時半に寝て、朝の9時半まで寝ていた。
13時間も寝たから、もう熱は下がったかと期待したが、相変わらず頭がぼおっとして、鼻水も止まらない。
三宅先生のところで身体をほぐしてもらう。
免疫が落ちてるんだから、とにかく寝てなさい。お酒は飲んじゃダメですよ。肝臓が一生懸命仕事しているときに、肝臓の負担を増やしちゃいけません、と注意される。
さすがにお酒を飲む気力はありませんです。
明日は午後にポストの取材、夕方から茂木さんと対談がある。
それまでに熱は下がるであろうか。
寝よう。

About 2007年02月

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