朝起きて原稿を二本書いてから大学へ。
うずたかい書類にハンコを押し、集中講義に来ている画伯との業務上のネゴシエーションをこなし、てきぱきと課長に指示を出し(というより出され)、メールに返事を書き、DMをすべてゴミ箱に棄て、次年度以降の職員人事について妄想を逞しくしているうち、ふと見上げるとすでに日没。
まずい。今日が英語添削の締め切りだ。
超特急で合格内定者たちから送られた英語の答案を読む。
ただ○をつけるだけなら、「よくがんばりましたね」と赤ペンで書けば終わるのであるが、いったい何をどうすればこのような間違いをするのか・・・とつい深く考え込んでしまう。
彼女たちは果たしてこの英語の文章をどのように解して、何を答えようとしたのであろうか・・・と高校生の脳内にトランスファーして、その思考回路に同調すると、「あなたが書いた答は間違いで、正解はこうです」というだけで収まらず、「もしかして、あなたが正解だと思って書きたかった答えは・・・ではありませんか? でも、それを英語で書くと・・・・ですから、そこであなたは間違っちゃったんですね」という「かゆいところに手が届く」添削をすることになってしまう。
かゆいところをぼりぼり掻いているうちにとっぷり日が暮れ、顔を上げるともうD館の職員は全員帰ってしまい、残業しているのは二人だけになっていた。
ひえ〜っと叫びつつ帰宅。
図書新聞が届いていたので、拡げてみると小池昌代さんのインタビュー記事が出ている。ほうほう。
焼きそば(豚肉、韮、もやし入り、オイスターソース味)を食べビールを飲みながら読んでいると、自分の名前が出てきたので思わず、ぶふとビールを噴き出す。
いまだに活字媒体に自分の名前が出てくると「どきっ」とする。
目の錯覚ではないか、筒井康隆の傑作SF『俺に関する噂』のような関係妄想に罹患しているのではないかと怪しむのである。
私について書いていることは恥ずかしいから紹介しないのであるが、その前に「私が今日何を食べたか、ということは書きたくないそれは絶対誰にも言うまい」と小池さんは書いているのでどきっとする。
焼きそばの具についてまで言及するようなウチダとしては思わず「わ、ごめんなさい」と反省してしまったのだが、ふと気を取り直すと、やはり焼きそばの具は具として、私にとっての思索上の素材なのであるから、ゆるがせにはできないとも思うのである。
というのも、私が焼きそばの具のような生活細部についてブログ日記で言及するのは、ほとんどの場合それが「嘘」(とまでは言わぬまでも、「ホラ」ないし「針小棒大」)だからなのである。
どうしてそういう真実味の薄いことを口走ってしまうのか、その理由が私にはよくわからないのであるが、そこにはそれなりに「嘘をついてでも伝えたい真実」が伏流しているからであると考えたい(焼きそばを食べたのはほんとうですけど)。
次の頁をめくると日比勝敏くんが小川国夫の書評を書いている。
日比くんともしばらく会っていないけれど、元気で活躍しているようで、よかった。
ゑびす屋ビデオがひそかに配達されていたので、こっそり見る(なんだか「恐怖新聞」のようである)。
映画は『パ○○○ム』。
これは文句なしに素晴らしい映画であった。
「恐怖ビデオ」はだいたい映像も音声もかなり劣悪な状態のものなのであるが、それでも乱れた画面の背後に圧倒的な映像美があることが確信せらるるのである。
試写会で見ればよかった。
たいへん満足して、『ハチミツとクローバー』の最終巻をもってベッドにもぐりこむ。
ぐ〜。
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(2007-02-06 13:03)