今日もハイテンション

2007-02-08 jeudi

中央公論のI上くんから「リマインダーメール」が来る。
2月15日締め切りの5200字「日本の古典20冊書評」という仕事を去年の暮れに引き受けたのを忘れていたのである。
12月には2月15日なんて永遠に訪れることのない遠い未来だと思ったのだが、無情にもちゃんとその日は来るのである。
14日に日経締め切り(まだ書いてない)。16日には新潮社の初校の締め切り(まだやってない)、大学ランキング締め切り(まだ書いてない)がある。
今日が7日。あと一週間でこの山のような仕事を片付けなければならない。
その間に会議があり、パーティがあり、東京での日帰り仕事が一つあり、税理士との税務対策があり・・・
年明け以来、講演も対談も原稿も新規の仕事はすべて断っている。
スケジュール表に一つでも多く「空白」の日を確保しなければ、命が持たないからである。
午後から博士論文の公開審査があるので、超特急で日経の原稿と大学ランキングの原稿を書き上げ、「中央公論の20冊」の候補を思いつくまま書き出してI之上くんに送信する。
選択基準は「日本の社会と心理(タチ・ヨコ・ウチ)を知るための古典」というものである。
「マンガはダメなの?」とお訊ねする。
『サザエさん』や『鉄腕アトム』や『エースをねらえ!』は「日本の古典」としては認知されていないのであろうか。

大学に行って審査の副査をお願いした大谷大学の門脇健先生をお迎えする。
ヘーゲル研究者で浄土真宗の僧侶でもある門脇先生は私の久しいメル友であるが、実はお会いするのははじめて。
本学の博士審査は学外者の副査一名の参加が義務づけられている。
ところが私はとうに仏文学会も日仏哲学会もやめてしまっており、もともと大学関係者には知り合いが少ない(京大の吉田城くんはもう鬼籍に入ってしまった)。
困ったなあと思っていたときに以前『他者と死者』についてたいへんご懇篤な感想を書き送ってくれた(江口寿史とJ・D・サウザーが好きという)哲学者がいたことを思い出した。
思い切って面倒なことをお願いしたら、ご快諾いただいた。
浄土真宗のお坊さんは釈先生はじめほんとうによい方ばかりである。
京都方面に合掌。
もうひとりの副査は松田高志先生。入試部長激務のさなか、ご退職のぎりぎりまでこき使う非情な同僚をお許しください。
審査は3時間半、夕刻に終了。
学術論文が成立する条件とは何かということを改めて考える。
外形的には「イノベーション」ということだが、それを書き手に即して言えば「ブレークスルー」ということである。
それを書くことによって、その人自身の知的な枠組みそのものが一度解体され、再構築されるという力動的・生成的なプロセスがたしかにそこに感知される、ということである。
その生成の兆しさえ感知されれば、多少論証がたどたどしくても、資料的に不備があっても、学術性は担保される。私はそう思っている。
それが困難なのは、「ブレークスルー」というのは、それを経験したことがない人間には「どうやってしたらいいのか」その筋道が見えないということである。
それは、自分を超える知的境位に「いのちがけの跳躍」を試みるということであり、端的に言えば「師をもつ」ということである。
論文を書き始めたときと書き終えたときには「別人」になっているということである。

門脇先生にお礼の御一献を差し上げる。
「今日はご足労でありました。ほんとうにどうお礼を申してよいやら・・・」と頭を下げると、門脇先生、すっと手帖を取りだして、「で、ウチダ先生、7月・・・いつならよろしいでしょうか?」
は、何のお話でしょう?と眼を宙に泳がせる。
7月に鈴木大拙忌というイベントがあり、そこで講演をというご依頼である。
この状況で依頼を断ることは誰にもできぬであろう。
しかし、鈴木大拙忌で私はいったい何を語ればよろしいのか。

門脇先生とお別れして、家に戻り、『ハイテンション』を観る。
フランス製「切株派映画」(@映画秘宝)である。
血がどば! 手足がぴょん! 首がぽろ!
それ「だけ」の映画である。
しかし、このひたすらな切株志向にはある種の禁欲性さえもが感じられる。
このところフランスのB級映画が面白い。
『ヤマカシ』『トランスポーター』『TAXI』『アルティメット』・・・と「ボンクラ映画」の充実ぶりはなかなかのものである。
かつてのフランス映画にあった「エスプリ」とか「シック」とか総じて「シャバドゥビヤ」的なものがみごとに切り捨てられている。
これはリュック・ベッソンという確信犯的に幼児的なフィルムメーカーのワールドワイドな成功のせいで、フランスのボンクラ青年たちが「え? 映画って、これでいいの?」というふうに覚醒したことが理由の一つにあると思われる。
『カイエ・ドュ・シネマ』の呪いは深く30年にわたってこの国の映画から「陽気さ」を根こそぎ奪い去っていたが、(おそらく本を読む習慣を持たぬせいで)フランス文化を致命的に損なったあの「腐れインテリ」の毒をまぬかれた若い映画世代が続々と誕生しつつあるのはまことに言祝ぐべきことと言わねばならぬ。
フランスのボンクラ諸君。未来は君たちのものだ!
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