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2007年03月 アーカイブ

2007.03.01

とほほの日々

風邪癒えず。四日目。
寝続けていたいが、ベッドのシーツや毛布がウィルスの巣窟と化しているような気がして、蒲団を干し、寝具を取り替えることにする。
蒲団を干したらすぐに雨が降ってくる。
しかたがないので、別の「お泊まり客用蒲団セット」を和室に敷いてそこで臥床(寝室はもう飽きた)。
輾転反側しているうちに『週刊ポスト』の取材の時間となる。
『狼少年のパラドクス』についての著者インタビュー。
ぼおっとしたままインタビューに答える。
写真をばしばし撮られるが、頭はぼさぼさ、目は赤く充血、目の下には黒々と隈ができている。
このように不健康で気勢の上がらない人間の顔を紙面に出した場合、読者たちが「この人の本を読みたい」という意欲をもつと考えることはむずかしい。
それにしてもどうして各メディアはあのように写真を撮りたがるのであろうか。
私は取材はできるだけ休みの日に受けるようにしているので、いきおい家で写真を撮られることになる。
家にいるときはジーンズにセーターにゴムゾーリである。
「カジュアル」というよりはむしろ「見苦しい」と形容するのが相応しいであろう。
そのような姿を写真に撮られても、世上に「ウチダというのは見苦しい男だ」と思われるだけである。
かといって、写真を撮られるからと、家の中をぱたぱた片付けたり、ふだんは袖も通さないようなブランドもののホームウェアを誂えるのは男子としての面目にかけて自分に許すことができぬ。
とはいえ、写真撮影全般を否定することもできない。
先般の無印良品の本のように、驚嘆すべき名作が撮られることもあるからね。
悩ましいところである。
取材が終わったので、またパジャマに着替えて一眠り。
5時半になったので家を出て肥後橋の朝日新聞社へ。
茂木健一郎さんとの朝カル対談である。
茂木さんとお会いするのは比叡山以来である。
相変わらず東奔西走お忙しそうである。
まだ熱が下がらないので、頭がぼおっとしたまま対談が始まる。
茂木さんが「今日は今までしゃべったことのないネタを話しましょう」とご提案くださったのであるが、何度もしゃべったネタでさえ口が回るかどうかわからない的危機にある私にそのような芸当ができるであろうか。
とにかく何とか間を持たせねば・・・と必死でしゃべる。
しかし、頭がぼけているときのつねとして、途中で自分が何をしゃべっているのかわからなくなりセンテンスを言い終わるまでにやたら時間がかかる。
茂木さんがせっかく「イノベーティヴに思考するとはどういうことか」という大きなテーマを提示してくださっているのに、さっぱりそちらへ収斂せずに、とりとめのない話を取り散らかしたままで90分が終わる。
茂木さん、ごめんなさい。会場のみなさん、どうもすみませんでした。
また修行して出直して参ります。
終わると熱が出てきたので、ご来場の方々とのいつもの「プチ打ち上げ」もなく、ソッコーで帰宅。そのまま死に寝。

2007.03.03

会議と祝杯

月曜からの風邪、6日目に至ってようやく回復の兆しが見えてきた。
相変わらず鼻水はじゅるじゅる垂れるけれど、身体の内側に熱がこもる、あの倦怠感はほぼ消えた。
極楽スキーまでに本復するとよいのだが。
金曜日は終日会議(午前10時から午後7時15分まで)。
長いと思いませんか。
会議はたしかに必要である。
だが、それ自体は何の教育効果も研究成果ももたらさない。
会議をして、あれこれの規程を作ったり、制度を手直ししたり、人事案件を論じたりするのは、教育研究の基盤整備のための「下ごしらえ」である。
料理で言えば、ジャガイモの皮を剥いたり、煮干しで出汁をとったりするようなことである。
もちろん「下ごしらえ」が整っていないと料理は作れない。
でも、ときどき自分たちが「一日ジャガイモの皮を剥いていたせいで、料理する時間がなくなり餓死した人間」のように思えるときがある。
あるいはよく使う比喩を繰り返せば「100万円の効果的な使い方を議論しているうちに、会議の弁当代で100万円使ってしまった人たち」に思えてくるときがある。
会議は必要である。
けれども、それに割く時間はやはり最小限に抑えるべきであろう。
会議が長くなるのはもちろんなかなか合意に達しない事案があるからである。
なかなか合意に達しないのは、そこに上程された案件の意味について「よく理解していない」人がいるからである。
彼または彼女が「よく理解していない」には理由がいくつかある。
第一の理由は「どうしてそのような案件が上程されるに至ったか」についての「前史」というものを忘れているからである。
第二の理由は「その案件を採択することの必要性と意義についての周知期間」に誰からも説明を受けていないからである。
その人が話し出すと会議が長引くことがわかっているにもかかわらず「周知のための根回し」の対象にならない人というのは、その人が反対しても大勢に影響はないと判断されている人か、ことの条理を説くことがきわめて困難であると評価されている人か、あるいはその両方である人である。
会議の席で「そんな話きいてません」という抗議の声を上げる同僚がまれにおられるけれど、それは言い換えると「誰も根回しをしに来なかった」人であるので、そのような発言をせざるを得ない立場に置かれたことについていささか自己点検の必要があろう。
そういう私はどうかというと、私は「聞いたことを忘れる」のみならず、「根回しに来たので『オッケー、了解』と答えておきながら、そう答えたことを忘れている」ことさえあるので、会議の席で会議を長引かせるような発言はあたうかぎり控えている。
私はどのような案件についても、大勢に唱和する日和見野郎であるが、それは私に定見がないからではなく(ないが)、会議を一秒でも早く終わらせたい赤心のあかしと解釈していただきたい。
長く疲れる会議が終わり、建物の出口で同じく疲労でがっくり肩を落としている同僚Y田先生から「会議が長びくのは組織が瓦解するときの予兆ですよ」と脅かされる。「私の前任校がそうでした」
だそうですよ。みなさん気をつけましょうね。
そのままソッコーで三宮のポートピアホテルへ。
集中医療学会というのが開かれていて、そこの特別講演に甲野善紀先生が来ているので、ご報告とご挨拶をかねてでかけたのである。
医学の学会なので医学書院の鳥居くんと杉本くんが新人の石塚くんを連れて来ている。“ワルモノ”白石さんも来ていたらしいけれど、すれ違いでお会いできなかった。
甲野先生と陽紀さんをパーティ会場から連れだして、ポートピアホテルのスカイラウンジで祝杯をあげる。
祝杯というのは、甲野善紀先生をこの四月から神戸女学院大学の特別客員教授として招聘することがこの水曜日に理事会決定したからである。
思えば、副専攻をどうするかについて川合学長、松田入試部長、東松大学事務長と入試の待機のときに話しているうちに、ふと「ボディ・サイエンス専攻というのはどうですか?」とアイディアを出し、甲野先生の招聘を思い立ってから1年余。
副専攻構想をとりまとめ、特別客員教授規程を起案してから、教務委員会から始まって、学部長会、学務委員会、人事教授会第一読会、第二読会、常務委員会、理事会と人事案件をひとつひとつクリアーしてゆくのはけっこうな一仕事であった。
ミッション系女子大に武術家を客員教授として招くという大胆な教育プログラムが可能になったのはひとえにこの計画を力強いイニシアティブでひっぱってくださった川合学長のご尽力のおかげである。入試広報的にたいへんな効果があると力説してくださった松田入試部長、第二読会で専門委員として甲野先生の業績に熱弁をふるってくれた飯田先生、力強いサポートをしてくださった上野先生、古庄先生、ほか同僚のみなさんのご理解とご協力で、甲野先生を私たちの大学の同僚として迎えるという夢のようなプランが実現した。
心からお礼を申し上げます。
甲野先生はさっそく2007年度前期からワークショップ1こまを担当される。
「武術を通して見る身体の可能性」というタイトル(これは陽紀さんの発案)での集中講義になるが、どんなことをされるのか今から楽しみである。甲野先生ご自身も「何しようかなあ」と昨日もあれこれアイディアを出して、たいへん楽しそうであった。
甲野先生どうぞよろしくお願い致します。

2007.03.04

ブロフェルド効果

「講演はもうやりません」と宣言したので、これが一般公開される最後の講演となった高槻のお仕事にでかける(まだあと3つ約束が残っているが、すべてクローズドのイベントである)。
主宰されたのはリゾナンスという高槻の市民団体。
京都造形大での講演で「絶句」してから、講演恐怖症となっていたが、それ以来のピンの講演である。
病み上がりで体調も思わしくないし、依然として頭がぼおっとしている。
どうもろくなことになりそうもない。
何を話すか何も決めずに(というよりは決まらずに)、よろよろと高槻まで行く。
壇上でとりあえずマイクをにぎって、適当に話を始める。
30分くらい話してネタが尽きたら、勝手に会場からの質疑応答に切り換えて1時間くらいでお茶を濁してソッコーで逃げ出そうと思って、かなり投げやりな気分で始めたのであるが、話し始めると「話しやすい」ことに気がついた。
この「話しやすい」というのはひじょうにデリケートな条件であって、なかなかひとことでは言えないのであるが、とりあえずは「最初のひとこと」で決まる。
最大の条件は「音」である。
音響のよいところは「話しやすい」。
当たり前だと思うかもしれないけれど、自分の声を最初に聴くのは自分自身である。
自分の声が「うすっぺら」に聞こえるというのと、「重厚」に聞こえるというのでは主観的な印象はまるで違う。
「みなさん、こんにちは」だけでも、それが「きいきい声」なのか「深みのあるバリトン」なのかでは天地の差がある。
「きいきいした声でしゃべっている自分」の声が聞こえると、とたんにしゃべる気がしなくなる。
そんな声でしゃべるやつの話なんか、まず私自身が聞きたくないからである。
できるだけ早く話を終わらせたくなる。
話を早く終わらせようとすると、接続詞は飛ばされ、比喩は省略され、繰り返しは忌避されるので、短いだけで何を言っているのか意味不明の話になる。
自分の話していることが「意味不明である」ということは本人にもわかるので、さらに話を短く切り上げねばと焦燥に駆られ、ますます事態は破滅的になるのである。
この音響の差の50%はマイクの感度やホールの反響性など物理的な条件で決まる(残り50%は聴衆の身体の「共鳴度」の高さ)。
多少会場の音質が悪くても、オーディエンスの「のり」がよければ、声の響きはよくなる(聴衆の身体を通過した私の声がそこで共振を起こすと、倍音が出てくるのである)。
しかし、たまにすぐれた音響環境に出くわすこともある。
そういうところで話を始めると「こんばんは」と言っただけで、最後の「は」の音が余韻を残してゆったり流れ、それが消えてゆくまで私の声がその場を支配するような感じになる。
スペクターの幹部会議のときにブロフェルトだけが別室からマイクで会議に参加して、やたらリバーブのかかった声で「この中に裏切り者がいる・・・」と告げたりするのは舞台装置としてはたいへん理にかなっているのである。
ホテルの宴会場というのは私が知る限り音響についての配慮がほとんどない環境である。
ホテルの宴会場の壇上でしゃべると誰でも3割方知性が失われるのはそのせいである。
考えてもみたまえ。ホテルの宴会場でマイクを握ったら、自分でも自分の声とは思えぬほどに深みのある豊かなバリトンが流れ出たらどうなるか。みんなマイクを離さなくなる。それでは宴会の進行上(次の宴会も入っていてケツカッチンであるから)妨げとなるので、マイクを握った人間ができるだけ早くそれを手放したくなるようにホテル側の深慮遠謀として「バカ声」にしか聞こえないように音響設計がなされているのである。
スペクターの幹部会をホテルの宴会場で行った場合には、エルンスト・ブロフェルドの恐怖支配も長くは続くまい。
大学でもそうである。
本学では築70年ヴォーリズ設計の文学館の教室(特にL-13)がたいへん声の通りがよい。
ここでゼミをしていると、学生諸君がみんな賢く見えるので、点数が2割方アップするのである(知って驚いたねゼミ生諸君)。
救いがたい「バカ声」になるのはLAIIの全教室で、小教室は「きいきい声」、大教室は「われ鐘のようなばりばり音」になる。ここで講義をすると、講義をしている当の私でさえも「ウチダの話はもう聞きたくない」という気分になる。
そういえば本学はいま教育棟というのを建設中であるが、教室における音響の問題について注文をつけるのを忘れていた。
設計についての議論は建物の外観と面積や遮音壁の話ばかりで、授業をする上でもっとも重要な「その教室内ではどのように快い響きの声が聞こえるか」ということはついぞ一度も問題にならなかった。
そんなことは数量的に示せないのであるから、言ってもしかたがないのであるが、ヴォーリズ博士はちゃんとそういうところにまで配慮していたのである。
当今の建築家たちは「オーディオルームの壁材の質」などには配慮するが、そこで暮らす人たちの声がその室内ではどれほど穏やかに通りよく響くかというようなことには興味を示さない。
まあ、文句をいってもしかたがない。
私は文学館の教室さえゼミで使わせてもらえるなら文句は言わない。
えーと、話が遠くへ行ってしまったが、要するに昨日の高槻市の市民センターのホールは思いがけなく、ブロフェルド効果が高かったのである。
最初の「こんばんは、ウチダです」のひとことで、私は「お、いい声じゃんか、オレ」と思ってしまったのである。
ホールの音質も悪くなかったし、聴衆の方々の共鳴度もたいへん高かったのであろう。
音質のよい環境で、かつ「公開講演はこれが最後・・・」というアナウンスを信じて(信じてもらってよろしいのですが)、遠隔地からもたくさんのお客さんが来てくださり、「ウチダタツルさよなら公演・長い間ありがとう。これからはふつうのおじさんに戻りますショー」を見物するようなウォームハーテッドな雰囲気だったので、柏原高校以来ひさしぶりに憑依してしまったのである。
ネタは共身体とスキャニングと武術と『ワルシャワ労働歌』。
お招きいただいた市民団体の方々は「あの60年代」に青年たちだった方らしく、革命歌とデモと共身体のネタは「ツボ」にはまったようで、多くのかたが深々と同意のうなずきを示しておられた。
何も知らずに壇に立たされて、思いつきで「新相馬節」を歌ったら、たまたま会場の人が会津出身者ばかりだったというような状況を想定していただければよろしいであろう。
というわけで、「ウチダタツルさよなら講演」は無事に終了したのでした。
知り合いは誰も来てないだろうと思っていたら、渡邊仁さんと高取さんが遊びに来てくれた。
打ち上げにも付き合ってもらって、三人でおしゃべりしながら帰る。
リゾナンスのみなさま、どうもありがとうございました。
オーディエンスのみなさま、また機会があったら(あるかしら)お目にかかりましょう。

2007.03.07

街場の中国論

養老孟司先生との対談本『逆立ち日本論』(仮題)のデータ処理がとりあえず終わり、締め切り3週間遅れで新潮社の足立さんに送信。
一回読んだだけなので、推敲が足りないが、これ以上引き延ばせない。
ただちにこれもベタ遅れの『街場の中国論』の推敲にかかる。
最初の方は去年の夏にブザンソンで書いた。
ブザンソンのホテルに朝から晩まで文字通り二週間「カンヅメ」になって書いていた。
手元に資料が何もないし、ネットも繋いでいなかったので、中国関係の年号や人名の調べものはすべてPCにインストールしたエンカルタ百科事典から。
しかし百科事典というのは便利なものである。
第一に、いろいろなことが書いてある。
「誰でもクリックひとつで知れる情報」が世の中にこれほど多いのか・・・と思わず感嘆するほどである。
それであるにもかかわらず、この「クリックひとつ」を怠る人のなんと多いことであろう。
私はときどき内部記憶装置にほとんどデータをためない人間であり、物忘れの激しいショートメモリー人間である。
だが、私は「辞書、事典を引くこと、引用句のオリジナル出典に当たること」を億劫がらない。
これだけが私にかろうじて残っている「学者らしさ」とも言える。
ブザンソンで中国論を書いているときは、時間だけはたっぷりあるので、百科事典で関連項目を読みふけった。
というわけで、『街場の中国論』は「エンカルタ百科事典だけで書ける中国論」とも言える。
というと、ほとんどの人は勘違いするだろうけれど、それは「誰でも事典で調べればわかること」を書いて本にしたという意味ではない。
そんなものは誰も読まないからね。
「エンカルタ百科事典だけで書ける中国論」というのは、百科事典を引くと、「そこに書いていないこと」がわかるからそう申し上げたのである。
私がたえず百科事典を引くのは、「ふつうの人は知らないこと/ふつうの人は考えないこと」だけを選択的に書くためなのである。


2007.03.11

極楽スキーからの帰還

極楽スキーより生還。
1991年の3月に始まった大学の同僚とのスキー旅行も指折り数えて15回目(2002年、3年は膝痛のためお休み)。
膝が痛くて歩くのにも難渋していたときにはまさかふたたびスキーができる身体になるとは思っていなかったので、今こうして雪の上を滑走できる幸運を神と池上先生と三宅先生に感謝せねばならない。
3月6日の一日7会議(午前9時スタート、午後5時半終了)を終えて、ばたばたと荷造りをして、7日の朝大阪駅にてワルモノ先生、M杉先生、I田先生と合流。京都からU野先生が乗り込んでくる。
午前10時を過ぎたところで、ワルモノ先生がバッグからミネラルウォーターのボトルを取りだし、中身をアルミカップに注ぎ、それにミネラルウォーターを加えて飲んでいる。
「ミネラルウォーターのミネラルウォーター割り」とは奇怪な飲料である。
じっとみつめていると、ほんのり頬が上気して、微醺が風にのって漂ってくる。
さすが極楽スキー幹事である。
午前10時から身を挺して極楽化行動に突入である。
福井に入った頃から雪が降り始める。
まったく雪のない暖冬で、スキー場は雪不足に泣いていたのであるが、私たちがスキーに出立すると同時に雪が降り出したのである。
正午に金沢に着き、1時間15分ほどの乗り換え時間を利用して、近江町市場の「市場寿司」で「しろえび」「なまだこ」などを飽食する予定であったが、大雪のために列車が20分ほど遅れ、市場までの往復時間を考えると、昼食時間は20分。
「どうします、やはり行きますか?」
という私の問いかけに、すでに微醺を通り越して、酩酊に近づきつつある幹事は「行きましょう」と逡巡なく断言。
今年最初の大雪の中をタクシーを飛ばして市場寿司へ。
坐るや否や「いか」「なまだこ」「中トロ」「わたしも」「お酒熱燗で四本」「赤貝」「しらえび」「おれも」「いわし」「あたしも」「バイ貝」「蟹汁」「おれも」「えんがわとホタテ」「あたしも」と壮絶な勢いで寿司が五人の口中に投じられ、実働時間20分で51皿、お値段19800円。一人一分200円。
全員深い満足感と睡魔とともに再び車中の人となり、気づけば野沢温泉。
とりあえず温泉に浸かり、ただちに山海の珍味宴会に突入。
生ビール、熱燗、ワイン、焼酎などあたるを幸いのみ倒す。
明けて3月8日、9日は一日遅れのM浦先生とともに、快晴のゲレンデで上質のパウダースノーの中を遊び狂う。
例年のごとく正午にどんぶりハウスにて「カツカレー」。三時のおやつはPasta di Pasta。
あとはただひたすら無邪気な赤子のように滑り続ける。
板のベントがどうであるとか、エッジの食い込みがどうであるとか、重心の移動がどうであるとかそのような俗世のことは誰も口にしない。
「ううう気持ちがいいよお」
「あああああ、きれいですね」
「ほんとにほんとにたのしいですね」
という幼稚園児的な会話が繰り返される。
飯、スキー、飯、スキー、おやつ、スキー、風呂、ビール、宴会、寝る、風呂、飯、スキー、飯、スキー、おやつ、スキー、風呂、ビール、宴会、寝る・・・という極楽ルーティンが三日目を迎えた後、私たちは昼飯のために入ったソバ屋で、まるで宿世の因縁で定まったかのように生ビールと枡酒をくいくいと呷り、生酔いのまま暖かい春の日差しの下をよろめき歩き、「ははははは」「わはははは、ははは」「おほ、おほほほほ」と笑い続けていたのである。
若き労働者諸君はこのようなブルジョワ的享楽に耽る大学教師たちに猜疑心と階級的怒りのマナザシをあるいは向けるやもしれぬ。
だが、私たちはこの1年ほんとうにコマネズミのようにくるくるとよく働いたのである。
ワルモノ先生なんか乳飲み子を抱えて不眠症に苦しみながら1年間に講演を100回もやったのである。
私だって寿命が3年分くらい縮むほどには働いた。
私どもが三日くらい極楽気分を満喫したからといってバチを当てるような神仏はどこにもおらないであろう。
今回は常連のY本先生、ドクター佐藤が涙の不参加であり、T橋先生はご家庭の事情でドタキャンとなった。
みなさんも来年はぜひ復活していただきたいものである。
野沢に持って行ったPCのPHSがいきなり接続不能になったので、メールができなくなってしまった。
「まあ、どうせ仕事の話ばかりなんだから、断る手間が省けてよいわ」と思っていたら、7日の夜遅くに携帯にゑびす屋さんから「掲載日が9日なんですけど、まだ原稿が・・・」というメールが入る。
え・・・?原稿。
しまった『エピス』の締め切りを忘れていた。
しかし、メールで原稿は送れない。困ったことになった。とりあえず「明日中に送ります」と言い逃れを述べて眠る。
朝早起きして原稿を書いて、ファックスかなんかで送ろうかと思ったが、ぐっすり眠ってしまい、あっというまにゲレンデにでかける時間となる。
しかたがないので、歩きながら携帯メールで原稿を送ることにする。
これまでさまざまな手段で原稿を送ったが、野沢温泉の「動く歩道」に揺られながら親指一本で携帯メールを打って送稿したのははじめてである。
ドライブ感のある原稿に仕上がっていればよろしいのであるが。

中国行きのスピードボート

諸君、喜んで欲しい。
ついに『街場の中国論』を脱稿した。
極楽スキーに行く前日に新潮社に『逆立ち日本論』(仮題)の初校を戻し、極楽スキーから帰った翌日にミシマ社に『街場の中国論』の初校を戻したのである。
「極楽」というルアーがどれほど私の生産性を底上げするか、この一事を以て知れるであろう。
編集者諸君は「ウチダは責めて叩けば何とかなる」と思っておられるようであるが(それは部分的にはたしかに事実なのである)、ほんとうは「ウチダは楽をさせて遊ばせておくに限る」のである。
そうして放っておくと、私はいずれ「おっとこうしちゃいられない」と、いつもの貧乏性の馬脚を現して、頼んでもいない仕事までやってしまうのである。
私を働かせようと思ったら、簡単である。
「あ、センセイの原稿ですか?なもん、いつでもいいですよ。どうせ、是非とも読みたい人がいるってわけじゃないんだし、はは」
と言っていただければ、よろしい。
諸君はただちに彫心鏤骨、一行一行に血のにじむようなテクストを短期的かつ確実にゲットされるであろう。
もちろん「あ、そう」と静かに電話を切って、そのままご縁がなくなる可能性もゼロではないが、別にそれで誰が困るというわけでもない。
とにかく、これで2005年から2年越しの中国論が片づき、養老先生との(これは3年越しになるのかしら)対談本が仕上がり、私は久しぶりに深い深い安堵のため息をついているのである。
やれやれよかった。
養老先生との本は「養老先生の本である」というだけでただちに購入という忠誠心篤い読者が50万人ほどおられるので、私は相槌を打つだけでベストセラーリストに名が列されるという余沢に浴するのである(それにつけても養老先生は本日の毎日新聞では『狼少年のパラドクス』を書評してくださり、『中央公論』では『下流志向』を縦横に分析してくださり、さらに「詳細について知りたければ、本を買って読みなさい」と販促にまでご配慮くださり、今後私は鎌倉および仙石原方面に足を向けて寝ることはできぬのである)。
だが、中国論はそうはゆかない。
これが売れないと立ち上げたばかりのミシマ社の財務内容にダイレクトにかかわる。
売れねば困る。
私は困らないが、ミシマくんが困る。
新婚だし。
「あなたって、ほんとうに甲斐性のない男ね」というようなことばが(もちろん慎み深く口には出さぬであろうが)、マダム・ミシマの念頭に一秒でも兆すことは年長の人間としてぜひとも回避していただかねばならぬ。
というわけなので、みなさん、この本だけは他を措いても買っていただきたい。
文春や角川や新潮のような大店は一冊や二冊本が売れなくても痛くもかゆくもないが、手売りの小商いをしている出版社にとっては死活問題なのである。
それに、この本は面白いのである。
書いた私が言うのだから信用して欲しい。
書いた私がゲラを読みながら、「おお、そうだったのか。中国というのはそういう国であったのか・・・」と何度も頷き、思わず自分のゲラに赤鉛筆で線を引きたくなったくらいである。
ということは、ここに書かれていることのかなりの部分は「私の考えではない」ということである。
それが私自身の考えであれば、私とて年を経た狐狸である。自分が何を言うかくらいのことは先刻承知の助である。
その老狐ウチダが「先が読めない」と思うのであるからして、これは「どこか」から到来した考想に相違ない。
だが、その「どこか」は、いかなる既存の中国論でもない(それなら「ああ、あの話か」と私にだってわかる)。
私が「出典がわからない」と言っているのだから、これは「出典のない外部」に取材したものと考えるのが論理的であろう。
「出典のない外部」とは一体なんであろう。
それは2年にわたって中国関係の資料を読んできた私が作り上げた「幻想の中国人」の語った言葉ではないかと思われる。
「彼」はおそらく私が日本について語るときと同じような語法を用いて中国について語っているのである。
中国は彼の母国である。
「彼」は母国を愛しており、強い帰属感を覚えているが、その制度や人々のすべてを「よし」としているわけではない。
まったくろくでもない国だぜ・・・と「彼」が折に触れ感じることは誰にも止められない。
けれども、「彼」はそれを誰かのせいにして、「・・・を倒せ」というような戦闘的文型を採用することは自制する。
「彼」自身がひさしくその国のフルメンバーであり、さまざまな機会に批判的発言を口にし、制度のインサイダーとしてできるかぎりの改善努力をしてきたあげくに現在の中国がある以上、「この中国」は部分的には「彼」自身の「作品」でもある。
それを一言で否定することはできない。
なんとかしなくちゃなあ・・・と思いつつ、それにしてもどうして「こんなこと」になってしまったのか・・・と「彼」は中国の来し方について思念を凝らす。
そんなふうに私が想像的に構築した「ヴァーチャル中国人」のモノローグというふうに理解するとこの本の感じが近似的に想像できるかもしれない。
刮目して待つべし。

2007.03.13

とりとめのない日曜

日曜日は早起きして、湊川神社へ。
野口傳之輔先生のところの「笛と囃子の会」がある。
能の素人会にはいろいろなものがあるが、囃子系の会は「お買い得」感が高い。
シテ方の素人会の場合、仕舞でも舞囃子でも素謡でも能でも、基本的には「素人が舞台中央にでずっぱり」という構造である。もちろん囃子方もワキ方も狂言方もすべてプロで固めているので、構造的にはきっちりしているけれど、何と言っても「主役」が素人なのである。
それに比べると囃子の会、とくに笛の会の場合、主役の能管はわりと控えめで、あまり前面に出てこない楽器なのである。
だから、演目によっては吹いていない時間の方が長いということだってある(あまりにやることがないので、能の途中から最後まで眠ってしまった笛方がいたという都市伝説が能楽界にはいまも伝わっている)。
意味わかりますよね。
素人があまり前面に出てこないということは、ほとんど玄人の会だということです。
シテ方の素人会が「素人が指揮をする交響楽」であるとすれば、囃子方の素人会は「楽器一つ以外は全員プロの交響楽」である。
それで能が三番あって、入場無料で、おまけにお昼のお弁当までつくのである。
だから、通の「能楽好き」はこのような囃子方の素人会と、養成会のような「出演者の90%以上が玄人なのに無料の公演」をきっちりチェックして、能楽を堪能されているのである。
私は午後からかなぴょんの演武会があるので、下川宜長先生が帯刀さんの笛で舞う『融・酌之舞』と大槻文蔵先生の『姨捨・弄月之舞』だけ見て帰ったのだが、この二つだけでも「お腹いっぱい」になってしまった。
このあとには善竹ブラザーズの『三番三』があり、上田貴弘先生の『猩々乱』があり、藤谷音彌さんと上田拓司さんの『石橋』(「しゃっきょう」と読んでね)まであったのである。
湊川神社から芦屋の青少年センターに移動。
かなぴょんの合気道芦屋道場の第三回演武会である。
たくさんのお弟子さん(おこちゃまたち)と、そのご家族が見学においでになる。
お子様演武と指導員演武(永山さん、森田さん、河内さん)のあとに、ウッキー、のぶちゃん、タカオくんらが招待演武(石田“社長”がのぶちゃんとタカオくんに続けざまに投げられて、かなり気の毒な状態であった)。
かなぴょんの堂々たる師範演武のあとに、私が「番外説明演武」。
合気道とはどういう武道であるのかについて、のぶちゃん、ドクター、ウッキーをお相手にして、あれこれと解説をしながら演武をお示しする。
しゃべりながらだといくらでも演武できる。
これはしゃべっていると休めるので体力が回復するということではなく(それもあるが)、実は私がひとりでしゃべっていて、観客も受けもそれをじっと聴いているという状態になると、道場全体が「私の場」になるからである。
私の話が途切れて、次の技がはじまるとき、そのタイミングを逸しないように、受けのみなさんは全身の感度を上げてスタンバイしている。
この「相手の動き出しを待ってスタンバイしている」状態をして「活殺自在」と称するのである。
「待つ」というのは、「絶対的に遅れる」ことだからである。
私が「しゃべる」のは相手を「待たせる」ためにそうしているのである。
「次に何を言うのか」「次に何をするのか」が予見されたときに術は破れる。
だから、「この人は次にいったい何をし始めるつもりのか?」という狐疑の状態につねに相手をとどめおかねばならない。
養老先生の東大の解剖学の教室にどういう理由でだか、やくざが因縁をつけにきたことがあった。
養老先生はそのとき解剖中の「腕」を机の上にぽんと置いたそうである。
なま腕である。
やくざは絶句して、そのまま帰ったそうである。
やくざというのは「相手がどのようなことを言おうと、どのような行動をとろうと、それが彼にとってつねに『想定内のできごと』でしかないことを思い知らせ、同時に絶えず相手の想定を裏切る言動をとることで、相手に無力感を感じさせる」プロである。
「なま腕」はその彼にとっても「想定外」だったということである。
「人間の身体の一部分がぽんと目の前に置かれたときの適切な対応」というものを私たちは経験的には学習したことがない。
一方、生物の本能は「自分の同類の身体の一部が無文脈的に目の前にごろんと投げ出された状況」に遭遇したら「とりあえずその場から全速力で逃げろ」と教えている。
それはほとんどの場合「私たちより巨大で、獰猛で、無慈悲な何か」がそこにいることのシグナルだからである。
さすが養老先生である。

演武会の帰りに「るんるん」だか「つるつる」だか「ふにゃふにゃ」だか、そんな名前の喫茶店で打ち上げ宴会。
ドライカレーやグラタンを食べている方がいるので、「腐敗したオットセイの内臓で半分溶解した水鳥の死体を肛門からずずっと吸い出すエスキモーのビタミンC摂取方法」についてリアルな説明をしてあげる(@「もやしもん」)
ドクターが負けずと「水牛の乳を発酵させてすさまじい臭気を発するヨーグルトにさらに水牛の静脈血をまぜてごくごく飲むマサイ族の栄養満点ドリンク」の話をする。
のぶちゃんも負けずに「アナコンダに呑み込まれて下半身が消化された状態で生還することの困難さ」について論じ、クーも負けずに「琵琶湖で発見された口がワニ状態のアリゲーターなんたらという体長2メートルになる魚に襲われて死ぬときの不条理感」について考察する。
かなちゃんがワッフルを食べながら悲しそうな顔をしていた。
ごめんね。
かなちゃん演武会ご苦労さまでした。
みなさんもご協力ありがとう。


2007.03.16

16回目の卒業式

なんだか、やたらに次々と取材やインタビューや対談の仕事が飛び込んでくる。
有名人との対談企画がいくつか続けてあったけれども、どれも都合がつかずにお流れとなった。
なんといってもこちらはサラリーマンであるから、業務以外の用事で授業を休講にしたり、会議をフケたりすることはできない。
そういうことをされている同業者もいるようであるが、私はできない。
お給料を頂いている身であるから、やはりお給料をくださっているところの仕事が最優先である。
この原則を崩して、「面白そうな仕事優先」とか「やりがいのある仕事優先」とか「ペイのいい仕事優先」ということにしてしまうと、もう収拾がつかなくなってしまう。
その中で奇跡的に双方の都合がついたのが関川夏央さんとの対談。
これは日曜日帰り仕事(合気道の稽古が終わった土曜午後3時から月曜午後1時半からの部長会までのあいだの46時間半が私に残された唯一の「隙間」なのである)。
関川さんとはこれまでに二度会っている。
最初はラジオカフェのお仕事。お茶の水ホテルで神田茜さん、ヒラカワくん、キクチさんとのおしゃべりを録音した。
二度目はつい先日、そのラジオカフェの創立記念パーティで、『私家版・ユダヤ文化論』について、涙が出るほどうれしい感想を頂いた。
またお会いして、こんどは文学や映画の話をしたいなあと思っていたら、『S』という雑誌から対談企画が飛び込んできたので、渡りに船。
それと前後して別口のK社から「文学をめぐる対談本を出しませんか」という企画がきたので、「関川さんとおしゃべりしたのを本にするというのなら、いいですよ」と逆提案したら、話が進み出した。
まとまるとよいのだが。

今日は卒業式。
私は職務として卒業式と入学式には「マタイによる福音書第22章34節以下」を拝読することになっている。
水を打ったように静粛な講堂の壇上で聖句を朗々と読み上げるのはたいへんに気分のよろしいものである。
賛美歌を歌うのもよいものである。
私はノン・クリスチャンであるから本学に赴任するまで賛美歌を歌ったことなど一度もなかった。
それがここに着任するや、入学式で司式者のチャプレンに「ではご起立願います」と促されて、あわてて立ち上がると周りから「昔主イェスの撒きたまいし、いとも小さき命の種」と大合唱が始まった。
おおお、これがミッションスクールというものかとたいへん感動したことを覚えている。
私はノン・クリスチャンではあるけれど、宗教心の旺盛な人間であり、およそ人間が神を敬うすべての儀礼に対して好意的である。
キリスト教の儀礼にはなじみがなかっただけで、知ればこれはなかなかにスタイリッシュなものである。
卒業式だの入学式だのというものは、私自身は高校の入学式以来出た覚えがないが、娘の入学式・卒業式はつごう6回参列し、そのたびに来賓の半チクな精神訓話を聞かされたり、気まずい雰囲気で国家斉唱をさせられたりしてあまりよい記憶がなかった。
その点ミッションスクールはおおらかである。
主は国民国家なんか眼中にない。
式の最後のチャプレンによるいさぎよい祝祷を受けて、後奏のパイプオルガンの音が講堂を圧するとき、私はいつも軽い戦慄を覚えるのである。
この儀礼に参列するのも残りあと4回である。
4回目の卒業式は私自身もこの大学を卒業するときである。
90年の四月にはじめてこの壇上の最後列の椅子にすわっていたときは、私は自分がいずれ『マタイによる福音書』を拝読し、賛美歌を声の限りに歌い上げ、残りの卒業式の数を指折るような人間になろうとは想像だにしていなかった。
Comme le temps passe vite!
今年は合気道部とゼミに多数の卒業生を数える。
名前を呼ばれて壇上にあがり、川合学長から学位記を受けとるひとりひとりの顔を見る。
みんな頬を誇らしく紅潮させていて、それがとても美しく思えた。
みなさん、ご卒業おめでとう。

2007.03.17

緊急業務連絡(というほどでも)

はがきをもらっていたのに、うっかりアナウンスするのを忘れておりました。
ウチダゼミの卒業生のうち演劇にすすんだ異才イクシマの新作ご案内。
といっても公演は17(土)、18(日)なんで、遅いんだけど。
ウチダゼミの同期生諸君は応援してやってくれい(私は17日は謝恩会、18日は取材と池上先生との約束があってゆけないのだ。すまぬイクシマ)

赤春ピストルズ
作演出・生島裕子
cast ・多田実喜/加門功/中田明美/ガブリエル/後藤祥子/がゆう/沼田徹也/奥田貴政
日時・ 3月17日(土)19:00
    3月18日(日)13:00/17:00
当日:2300円
場所:アリス零番館IST(ふぁみーゆ南船場B1)地下鉄堺筋線「長堀橋駅」下車徒歩五分
お問い合わせ:090-9884-1167

もうひとつお知らせ
女学院本『女性を幸せにする大学』(プレジデント社刊・1524円)が本日発売。
神戸女学院大学がどれほどすばらしい大学であるかをぐいぐいとアピールする大学PR本である。
それを一般書店で有料頒布するという「そんなことしていいんですか」企画。
いいんです。
同窓会員29000人が買ってくれるんだから。
というわけで、このブログを読んだすべての女学院OGはただちに書店に走らねばなりませぬ。
店頭にない場合は、bk1でもアマゾンでもどこでもいいから発注してくださいね。
写真がとってもきれいです。
卒業生のみなさんが続々登場。川合学長と東京女子大、津田塾大学学長との三女子大学長鼎談、女学院史、ヴォーリズの建築のお話などなど読み物満載。
私も「神戸女学院大学の生態学的地位」という一文を寄せております。
もちろんただ買えばよいというものではありません。
OG諸君は買って読んだあとに、さりげなく近くの高校の進路指導室の廊下に落としてくるとか、受験生の子を持つ母親の買い物かごの中に投じるとか、二次利用についてもそれぞれの立場から工夫を凝らしていただきたいと思います。はい。

今日コバヤシくんから届いた『朝日新聞社・大学ランキング2008』のゲラを見ると、本学は「大学ランキング・ブランド力〈好感度〉部門」で、関西圏堂々の5位(1位京大、2位阪大、3位、関西学院大、4位神戸大に次ぐポジション)をゲット。
これは卒業生の方々のそれぞれのお仕事先での評価の高さがフィードバックされたものである。みなさん、どうもありがとう。
「オープン・キャンパス動員力」ランキングでは関西圏4位。
動員力は「来場者÷募集定員」で査定されるもの。
入学センターの諸君ならびにボランティアの在学生諸君の努力が報われました。
よかったですね。

クールなメディア

カウンターを見るともうすぐ899万である。
今日明日中には900万に到達するであろう。
となると、次は1000万である。
だいたい一日1万アクセスであるから、100日後、6月くらいには大台に乗る計算になる。
1000万アクセスという累計もびっくりだが、一日1万という数にもよくよく考えるとびっくりである。
一日1万ということは一月30万。
月刊誌で30万部売れているものはごくわずかしかない。
文芸誌なんて月刊5000部くらいである。
すごいね。
ただ、この30万は同一読者が繰り返しアクセスしているので、実数はずっと少ない。
それでも、同一読者が継続的に個人ブログに書かれているコメントを読み続けることは、読者の情報判断や使用語彙に微妙な影響を与えずにはおかないであろう。
学術雑誌については「インパクト・ファクター」というものが掲載された論文の被引用回数に基づいて算定される。
個人ブログでも世論形成にかかわる「インパクト・ファクター」の算定はある程度までなら可能だろう(そんな面倒なことは誰もやらないけど)。
ときどき、このブログは世論形成にどれくらいコミットしているのであろうか考える。
多少は関与しているのであろうが、評価基準がないから、わからない。
わかることがひとつある。
それはパーソナル・メディアは「クールなメディア」になる可能性がマス・メディアよりも高いということである。
マス・メディアとパーソナル・メディアの根本的な違いは何か。
それはマス・メディアが「有料頒布」という形態によって、その発信する情報に「市場の淘汰圧」を受けているという点にある。
それしかない。
「この情報になら対価を支払ってもいい」という情報消費者が一定数確保できなければマス・メディアは存立できない。
そのきびしい条件がマス・メディアの発信する情報の質を保証している。
原理的にはそうだ。
けれども、実際にはそうではない。
むしろ、「この情報になら対価を支払ってもいい」という情報消費者のニーズに配慮することで、マス・メディアの発信する情報の質は一貫して低下し続けている。
読者をふやそうとすれば、宿命的にメディアは「よりリテラシーの低い読者」に向かうしかないからである。
「市場の淘汰圧」が必ずしも発信する情報の質を保証しないことは歴史が教えてくれる。
ピュリッツァー、ハーストは19世紀末のアメリカのメディア王だが、彼らは読者拡大のために大衆の好戦気分を煽り、メディアによって形成された世論に抗しきれずにアメリカは米西戦争に突入した。
1911年の日比谷焼き打ち事件は日本のポピュリズムの原点であるが、ポーツマス条約破棄と戦争継続を呼号したのは万朝報と大阪朝日であった。
純粋な愛国心から、あるいは無意識にそうしたのかも知れないが、戦争がもっとも販売部数を伸ばすイベントであることを新聞人が知らなかったはずはない。
「市場の淘汰圧」にさらされるということは、言い換えれば読者が「興奮する素材」を絶えず提供し続けなければ生き残れないということである。
マス・メディアの悲劇的宿命はここにある。
「読者の鎮静」を求める情報をマス・メディアは提供することができない。
メディアは「読者を怒らせる」情報(ともうひとつあるが、これは今回の論件には関係がない)だけを選択的に提供する。
だから、メディアには「正義の名における怒り」を煽る文章が氾濫することになるのである。
「このようなことを許しておいてよいのでしょうか」というのはニュースショーのアンカーマンの定型句である。
「まあ、これくらいの不始末は常識の許容範囲でしょう」というようなコメントをするキャスターは決して画面に登場しない。
そのことを誰も「おかしい」と思わないということそれ自体が日本のマス・メディアの病態なのである。
でも、ご心配なく。
ここで私が「こんなことを許しておいてよいのでしょうか」と言ってしまうとせっかくパーソナル・メディアを営んでいる甲斐がない。
だから、私は「まあ、これくらいのことは常識の許容範囲内でしょう」とにこやかに微笑むのである。
いいじゃないですか、マス・メディアがちょっとくらい「ホット」でも。
ブログで「クール」な情報が読めるなら。

2007.03.18

さよならギャングたち

久しぶりに芦屋で合気道のお稽古をする。
たくさん来ていて70畳の道場が狭いほどである。
毎年この時期は「返し技」のお稽古をすることにしている。
四月になると新入生が入ってくるので、基本からチェック。
年度末の今頃は少し込み入ったことをやる。
実際にやるとわかるけれど、「少し込み入ったこと」の方が実践的にはずっと簡単なのである。
どなたでもおわかりになるであろうが、単純な動きというのは意外に扱いにくいのである。
無意味な動きはもっと扱いにくい。
初心者は自分が何をやっているのかよくわからないので、身体をがちがちに固めて、「ふつう人間はそんな動きはしない」というようなブキミな動きをする。
このような人に技をかけるのはたいへんむずかしい。
ある程度段階が進んでくると「理にかなった動き」をするようになる。
自分の可動域や自由度を確保しつつ、相手の死角に回り込むような動きがどういうものかわかってくる。
武道の「型」はこのような「理にかなった動き」(つまり武道的な意味で「厳しい」動き)に基づいてつくられている。
そして、相手が厳しく速く理に則って動けば動くほど「返し技」はきれいにかかる。
武道というのは「相手の身体能力が高ければ高いほど、こちらの動きが冴える」という逆説的な体系だからである。
これが素人にはよく理解できないようである。
ふつうの「強弱勝敗」ゲームでは、できるだけ相手が弱く、身体能力が低く、身体感度が悪い方が術者は大きな利益を得ることができる。
その方が「勝つ」確率が高いからである。
勝利を求める人間は、相手がつねに自分より弱いことを願うようになる。
つまり勝利を求めるとは、最終的には地球上のすべての人間が自分より弱く、脆く、愚鈍であることを理想とするということである。
自分以外の人間がすべて「自分より弱い敵」であるような社会の実現を究極の目的とする生き方はあまり楽しいものにはなりそうもない。
仮にそのような社会が実現したら(しないが)、私は退屈のあまり即死してしまうであろう。
だから、武道では「強弱勝敗を論ぜず」とされるのである。
いつも言っていることだが、それは楽器の演奏に似ている。
レスポンスのよい、キータッチのよい楽器はそうでない楽器よりはるかに扱いやすい。
わずかな入力で切れ味のよいニュアンスに富んだ反応を返してくれるからである。
自分が質の高い身体を相手にしているときに、そうでない場合よりもおおくの利益を得ることができるように武道は体系化されている。
だから武道の稽古は相手を倒し、破壊し、弱めることではなく、相手の身体能力を高め、身体感度を上げ、強くしなやかな動きができることを希求するのである。
「返し技」はそのことを自得してもらうためのエクササイズである。
「返し技」では通常の型稽古とは逆に、「取り」が攻撃を仕掛け、「受け」が応じ(通常の型稽古の場合はこの「応じる」段階で型が終わる)、その「応じた動き」に「取り」がさらに「応じて」型が終わる。
つまりふつうの型だと「フィニッシュ」となる動きをさらに返して「フィニッシュ」を決めるのである。
ちょっとだけ手順が複雑になる。
だが、これができると、術者はふと重大な事実に気づく。
それは「型稽古には実はフィニッシュがない」ということである。
だって、「返し技」が成立するということは、「返し技の返し技」だってありうるということだからである。
もちろん「返し技の返し技の返し技」もありうる。
つまり、武道の動きは「エンドレス」なのである。
これを限界まで拡大すると、私たちは常住坐臥、ご飯を食べているときも、寝ているときも、お風呂にはいっているときも、新聞を読んでいるときも、「返し技の返し技の返し技の・・・」無限に続く返し技のシークェンスの「どこか」にいるということになる。
「修行に終わりなし」と植芝先生はおっしゃった。
それは「この先も長く続く」ということだけではなく、「今この瞬間も(私の場合ならキーボードを打ちながら)修行している」ということなのである。

お稽古のあと着物に着替えてリッツカールトンへ。
総合文化学科の謝恩会である。
袴をつけて、守さんのところで購入した「高利貸しコート」をはおり、comme des garçons「高利貸しバッグ」を手にしてぽくぽく歩いてゆく。
着物を着ている男性というのはほんとうに少ない。
気分のよいものなのであるけどね。
学生諸君は8割ほどが振り袖である。
先方だって、朝から髪を結って、着付けをして、昼飯も抜いて、ぎうぎうに締め上げているのであるから、こちらも多少は気合いの入った格好をしてあげないと気の毒である。
卒業生諸君とぱちぱち写真を撮る。
デジカメ時代になったせいで、むかしに比べると写真の撮り方(というか撮られ方)がはんぱでない。
謝恩会の間のほとんどの時間パシャパシャとフラッシュを浴びている。
乾杯とご歓談とビンゴと写真であっというまの2時間が終わる。
ハービスエントに移動してゼミの二次会。
浅井くんが「たつるとゆかいななかまたち」と題するアルバムを贈ってくれる。
爆笑キャプション付きのみんなの写真と寄せ書きが添えてある。
ほろり。
卒業祝いの品は巨大すぎて持ち運びできないので、明朝自宅に宅急便で届きますといわれる。
まさかまた「ぬいぐるみ」じゃないでしょうね・・・
大笑いしているうちにまた2時間。
底抜けに愉快なこのゼミ生たちとももうお別れである。
みんな元気に活躍してください。
いつでも遊びにおいで。

ワインセラー

「クールなメディア」にちょっとつけたし

平川くんのブログを読んだら、堀江貴文元ライブドア社長の裁判についてコメントがしてあった。
「クール」だ。
ぼくたちがマスメディアでけっして読むことができないのは、この種のクールでラディカルな分析である。
http://plaza.rakuten.co.jp/hirakawadesu/

どうしてこのような「まっとうな」分析がメディアには掲載されないのだろう。
おおくのメディアはたぶん「うちの読者にはむずかしすぎる」という理由で掲載を見合わせているのだろう。
だが、メディアは「できるだけ読者に知的負荷をかけない情報」だけを選択的に提供し続けていることについてもうすこし病識を持った方がいいと思う。
日本人全体が知的に劣化してゆくことでたしかに短期間的にメディアは利益を得ることができる(仕事が楽だからね)。
けれども、それは短い期間だけだ。
読者のリテラシーをひたすら下方修正することを競い合っていれば、遠からず日本人が誰も新聞を読まなくなる日が来る。
そのとき相当数のジャーナリストは路頭に迷うことになるだろう。
平川くんに倣って言えば、「自己責任」という言葉はこういうときに使うためにとっておいた方がいい。

ぼくはそれと似たケースを知っている。
仏文学者たちは1970年代からあと「読者に無意味な知的負荷をかけ続ける」テクストだけを30年間選択的に提供し続けた。
べつに読者のリテラシーを高く評価していたわけではない。
「これくらいのハードルを越えられないやつは、『こっち』に来るな」といって人を追い払っていたのである。
やがて彼らの書くものはあまりに難解となり、ついに身内の同業者でさえ理解できないレベルにまで達した。
そして、気がついたら、仏文科に進学してくる学生はほとんどいなくなっていた(だってそこでなにをしているのか、さっぱり意味がわからないんだから)。
そして、仏文学者であることが生業として成立しなくなった。
このふたつの事例は逆の事態のように見えるけれど、実は同じひとつの現象の裏表である。
どちらにも欠けていたものがある。
それは「読者への敬意」である。
「私が『まっとうな』知見であると思うものについては、それに同意してくれる読者が(それほど多くないにしても)必ずいるに違いない」という確信だけが、「読者への敬意」を担保する。
この「当たり前のこと」をもういちど思い出してほしいと思う。

2007.03.20

風邪を引いたのでミステリーでも読もう

また風邪を引いてしまった。げほげほ。
ほんとに蒲柳の質である。
免疫力が低下しているということであり、要するに疲れているんですね。
あまりに仕事が多いから。
新規の仕事は全部断っているのであるが、インタビューはぺらぺら話すだけで終わりだから大丈夫だろうと思って次々に引き受けてしまったが、やはりそのあとに「ゲラ」というものが来て、これを校正しなければならない。
たしかに「そういうこと」は言ったのだが、そういう文脈じゃなかったでしょ・・・とか、「そういう内容のこと」は言ったけれど、そういう言葉づかいはしてないでしょ・・・とか、いろいろ屈託がある。
あまりばっさり直すと、まとめた編集者だって「むっ」とするだろうから、できれば手を入れずに済ませたいのであるが、なかなかそうもゆかない。
これまでのベストインタビューは橋本さんと大越くんのもので、これは読んだ私自身が「ウチダっておもしろい人だなあ、会ってみたいなあ」と思ったくらいである(ということは、やっぱり「私とは別人」についてのインタビューだったということなのだが、読んだ私が「こんなえらそうなことを言うやつには会いたくないな」と思うのとはだいぶ差がある)。
そんなインタビュー記事がどかどかとまとめてやってくるのでさくさくと校正してゆく。
げほげほと咳き込みながら、けっこう気疲れなことである。
絶不調となったので、あきらめて夕方からパジャマに着替えて風邪薬を飲んで、蒲団にもぐりこむ。
目が醒めると夜の八時である。
退屈なので、寝床の中で村上春樹訳『ロング・グッドバイ』を読む。
579頁もあって、片手では持てないくらい重い。
清水俊二『長いお別れ』はたぶんこれまでに5回くらい読んでいるけれど、この新訳はぜんぜん違和感がない。
清水訳は実は「抄訳」だったそうである。
知らなかった。
だから、読んでいると「おや、これははじめて読む場面だ・・・」というのに何度もでくわす。
劇場公開版を見たあとに、「ディレクターズ・カット版」を見るような感じである。
なるほど、チャンドラーはこういう細部に「こだわり」があったのか・・・ということがよくわかる。
そして、読んでいるうちに(ある意味当然だけれど)、「これって、まるっと『グレート・ギャツビイ』じゃないか・・・」ということに思い当たった。
これまで5回くらい清水訳で読んでいて、そのときにはギャツビイと「同じ話」だなんて一度も思ってことがなかったのに、村上訳で読んだら「まるで同じ話」だったことにすぐ気づいた。
これについては村上春樹自身が「あとがき」でていねいに解説をしているので、「あとぢえ」だと思われそうだけれど、ほんとに読んでいる最中からずっとそう思っていて、途中からは「だとすると、誰がデイジーで、誰がトムなんだろう・・・。あ、そうか。アイリーンがデイジーで、ロジャー・ウェイドがトム・ブキャナンなんだ」というふうに考えながら読んでいたのである。
アイリーンとテリー・レノックスの関係は、デイジーとジェイ・ギャツビイの関係と「まったく同じ」である。
ギャツビイ=レノックスがデイジー=アイリーンの犯した「殺人」の罪を着て「死ぬ」ことで空虚な恋に結末をつけるというところも同じだ。
そして、物語の最後、テリー・レノックスが変装してフィリップ・マーロウの事務所にやってきて、最後の会話が始まったときにぼくは「そういえばテリー・レノックスはどこで『いつから僕だってことがわかっていたんだい』という台詞を口にするんだろう・・・」と思って読み進んでいるうちに、そんな台詞は 『ロング・グッドバイ』には存在しないことに気がついた。
だって、それは『羊をめぐる冒険』のラストシーンで「鼠」が「僕」に言う台詞だったからだ。
ああ、そうだったのか。
『羊をめぐる冒険』は村上版の『ロング・グッドバイ』だったんだ。
運転手のエイモス(T・S・エリオットの詩についてマーロウと論じ合う、ディセントな運転手)は「いわし」の命名者である「宗教的運転手」とまるで同一人物だし、「先生」はハーラン・ポッターだし、「黒服の秘書」の相貌はドクター・ヴェリンジャーのところにいる伊達男「アール」とウェイド家のハウスボーイ「キャンディ」に生き写しだ。
どうして村上春樹がアメリカで高いポピュラリティを獲得したのか、その理由のひとつがわかった。
村上春樹の小説はアメリカ人がおそらくもっとも愛しているこの二つの小説の世紀末東アジアに出現した奇跡的なAvatar だったからである。

2007.03.21

「赤旗」発武蔵小山経由イタリア行き

いろいろなところから、いろいろな主題について取材が来る。
月曜日は「赤旗」の取材。
お題は改憲について。
『九条どうでしょう』に書いたとおり、九条と自衛隊の「不整合」は戦後日本社会システムのすべての「汚れ」を投じる「クラインの壺」なのであるから、これは断固死守せねばならないという持論を語る。
九条二項を廃絶してしまった後に日本人は「日本は戦後一貫してアメリカの軍事的属国であり、いかなる固有の世界戦略を持つことも許されていない」というリアルでクールな事実に直面しなければならないのだが、どう考えても現代日本人にはその事実を受け止める「心の準備」ができていない。
「九条と自衛隊の不整合のうちに戦後日本のすべての不幸の原因はある」という「症状」のうちに私たちは60年間安住してきたわけであるが、その症状を奪い去られたあとに、私たちはそれに代わってどのような「狂気」を患えばよろしいのか。
いちばん「合理的な狂い方」は「日米安保条約の廃棄・駐留米軍基地の撤去・自主核武装」という「日本の北朝鮮化症状」であるが、それを歓迎する国は国際社会のどこにもいないし、日本人の多くもそれを求めないだろう。
しかし、日本はアメリカの「軍事的属国」であるという事実をクールに受け止めて、その屈辱的条件のもとで最高のパフォーマンスを展開することに集中できるような心理的成熟に日本人は達していないし、そのような心理的成熟を準備するための努力もしてこなかった。
だから、九条を廃絶しないほうがいいと私は申し上げているのである。
「ですが、仮に北朝鮮が軍事侵攻してきた場合に、憲法九条が枷となって適切な軍事行動ができないという不安を語る人がありますけれど」と「赤旗」の記者の方は質問をしてきた。
これについても持論を申し上げる。
北朝鮮は日本に軍事侵攻してこない。
なぜなら、日本には日米安保条約があるからである。
そこにはこう記してある。
 「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する」
これは日本に北朝鮮が攻めてきたら自動的にアメリカ軍が「共通の危機に対処するように行動する」ということを意味している。条約締結国の一方に他国軍が攻め込んできたときに発動しないような安全保障条約は「安全保障条約」とは呼ばれない。
改憲派の諸君の口から「日米安全保障条約」は空文であるという言葉を私は聞いたことがない。
にもかかわらず、「北朝鮮が攻めてくると日本の領土は侵略される」というのは、そのような非常時にもアメリカ軍は何もせずに日本が外国軍に占領されるままに放置しておく可能性を見込んでいるということである。
私はその判断に与しない。
日本はアメリカの軍事的属国であり、東アジアにおける最も信頼のおける「パートナー」である。
アメリカが日米安保を破棄して、次の戦略的パートナーに選ぶとすると中国しかない。
もちろんアメリカの国務省はその線で世界戦略の書き換えシミュレーションをしている(当然だ。それが商売なんだから)
その結論として、「アメリカが思いのままに頤使することのできる弱い味方」である日本とのパートナーシップを解消してもまだ元が取れる選択肢は存在しないという結論に達しているはずである。
なぜなら、今の日本はアメリカの「弱い味方」にすぎないが、日米安保条約が空文であり、アメリカに見捨てられたために、日本の領土が侵犯され、日本の都市が焼かれ、日本人の非戦闘員が殺された場合、日本はもうアメリカの「弱い味方」ではなくなるからである。
日本はその日からアメリカの「敵」になる。
最初は「弱い敵」にすぎないだろう。
けれど、アメリカと中国が日本を軍事的に挟撃して、壊滅させない限り、日本はアメリカにとって「東アジアにおけるアメリカの世界戦略の最大の障害物」になるだろう。
日本の経済力と集団組織とテクノロジーと知的ポテンシャルの上に復讐のナショナリズムが乗ったときに、日本がどんな国になるのか、私はあまり想像したくない(国務省のアナリストは想像したはずだが)。
それはその中に生きなければならない日本国民にとって不幸な国家体制であると同時に、世界にとっても不幸な国家体制である。
そのようなハイテクノロジーで武装した復讐国家を出現させることで利益を得る国は世界に一つもない。
だから、もし諸国政府の統治者たちにIQ100以上の知能があれば、日本を軍事的に侵略するような愚は犯さないであろう。
それでも「攻めてくるかもしれないから不安だ」という人はおそらく自分のIQを基準にして他国の統治者の思考を忖度しているのであろう。
というような話をする。
このような暴論を「赤旗」が掲載して、はたして心やさしい読者たちは困惑せぬであろうか。
翌日は東京で『週刊ダイヤモンド』の取材。
今度のお題は「高齢少子化」。
別にそれが何か問題でも?
という話をする。
人口減はこのあと出生率が回復してももう止めることができない。
だとしたら、「高齢少子化社会をどう快適に生きるか?」という具体的問題にシフトした方がいいだろう。
若い人たちが結婚しない、子どもを作らない、スタンドアロンで生涯をかけて「自分探し」をしたいというふうになったのは国策イデオロギーが「大成功」したことの成果なんだから、今さらどうこういう筋のものではない。
日本では国策イデオロギーはなんでも「成功し過ぎてしまう」ということについて私たちのがわに配慮が足りなかっただけのことである。
おそらく私たちは配慮の足りない頭で次の施策を考え、それもまた「成功しすぎて」しまって、別種の災厄を呼び込むことになるのであろう。
それからアゲインの開店記念の平川克美くんとの「東京ファイティングキッズ・トークショー」。
狭いスペースにぎっしり40人以上の人が詰め込まれて、その中で平川くんといつものようにビジネスの話、文学の話、風水の話、映画の話とおしゃべりをする。
二人でいつも飲みながら話しているのと変わらない。それをお客さんの前でご披露するだけである。
るんちゃんがお店の手伝いをしている。
考えてみたら、るんちゃんの前で「営業」しているところを見せたのははじめてである。
「なるほど父ちゃんはこういうことをしてお鳥目を頂いているのか・・」とご納得いただけたらよいのであるが。
るんちゃんからお菓子とトートバッグの差し入れをいただく。
うるうる。
懇親会でもしゃべり続けて、深更に学士会館へ。倒れ寝。
翌朝は学士会館ロビーでイタリア人のジャーナリスト、Luca Vanni くんの取材を受ける。
彼はミラノにおける山本浩二くんの知り合いで「日本にはウチダタツルという面白い人物がいるので、会ってごらん」とリコメンドされたらしい。
Luca くんは『下流志向』について訊きにきたのであるが、彼は日本語が読めないので、内容を要約せねばならない。
フランス語で自著について説明する。
最初のうちはぜんぜん単語が思い浮かばず、一文しゃべっては「え・・・・と」と頭の中で辞書をめくっていたが、2時間くらいしゃべっているうちにだいぶ調子が出てきた。
たいへん興味を示してくれたので、「ではフランス語に訳してお見せしましょう」と気楽に約束をしてしまう。
そんな時間が私にあるのか。

2007.03.26

極楽合気道からの帰還

金曜の朝から日曜の夕方まで恒例の合気道春合宿。
合気道の合宿は稽古・風呂・飯・寝る・稽古・風呂・飯・寝る・稽古・風呂・ビール・飯・寝る・宴会・寝る・・・という極楽パターンなので、知的活動に供せられる大脳部位が合気道関係に限定されており、基本的に三日間「文字」というものを見ない生活である。
当然、パソコンなどという不粋なものを合宿所に持ち込む人間はいない。
むかし、東大ボート部の合宿の話を読んだ記憶がある。
ボート部の合宿所は戸田だかどこかにあって、そこで部員たちは起居している。
合宿といっても学期中のことなので、早朝練習のあと、昼間は大学にでかけて授業に出る。帰ってからまた練習。
最初はみんなまじめに授業に出ているのだが、そのうち大儀になって、合宿所の万年床から這い出せなくなる。
最初は教科書を開いてもみるのだが、しばらくすると教科書がむずかしくて理解が届かなくなる。
しかたがないので、新聞を読む。
しばらくすると新聞に書いてあることが理解できなくなる。
しかたがないのでマンガを読む。
しばらくするとついにマンガに描いてあることまで理解できなくなる。
ここまでくると一丁上がりで、ボート漕ぐ・風呂・飯・寝る・ボート漕ぐ・風呂・飯・寝る・・・・というヒューマン=ボート・バイオメカノイドが誕生するのである。
稽古が佳境に入ると、新聞が読めなくなり、テレビがうるさくなり、やがてマンガさえ読めなくなるというのはほんとうである。
稽古が心身をピュアにするので、ノイズ耐性が弱まるのである。
合気道は身体情報の送受信感度を最大化すること自体を目的としているので、三日も続くと身体感度がデリケートになってくる。
だから、テレビのようなノイズの多いメディアに触れると、「皮膚が痛く」感じるようになるのである。
私たちの投宿するホテルは「貸し切り」にしてもらっているが、それは見知らぬ人がそばに混じると、その人たちの発信する周波数の違う情報が「ノイジー」であるというよりはフィジカルに「痛い」からである。
身内だけ40人ほどが60時間ずっと同じ空気を吸い、同じ食べものを食べ、同じ身体操作を繰り返していると、一種の「多細胞生物化」が出来上がる。
合気道の稽古自体が「自我の解体・他者の受け容れ・複素的身体の構築」というプロセスであるから、「同質化」「シンクロニシティ」の強化のされかたは通常よりはるかに速く、深い。
稽古以外の時間でも、笑うときは40人が一斉に笑い、息を呑むときは40人が一斉に息を呑むようになる。
だから、最後の昼食を食べているころは、ぱくぱくと「カレーを食べている」のが私なのか私のとなりにいるウッキーなのか前にすわっているクーなのか背中合わせにいるドクターなのかもうよくわからなくなる。
自他の境界線が融解して、私が見ていないものが「見え」、私が聞いていない音が「聞こえ」、私が触れていないものが「わかる」という境位が合気道の、というよりひろく武道修行のめざすところなのである。
だからこそかつては戦場における武勲がそのまま治国平天下の能力に読み替えられたのである。
今回の合宿で神戸女学院大学合気道部草創期から16年にわたって活動を支えてくださった松田高志先生が四段に昇段した。すばらしい審査の演武であった。
審査前のストレスはたいへんだったらしく、審査の終わった夜は赤子のように身体を丸めて深い深い眠りのうちで熟睡されていた。お疲れさまでした、松田先生。
今年卒業の四年生たち白川さん、中瀬さん、前川さんが二段昇段。おめでとう。卒業しても稽古に来てね。
新幹部学年の石田さん、重松さん、隅田さん、河内さん、福井さん、ウッキイ道場の田中さんが栄光の「ザ・ブラック・ベルツ」入りを果たす。みなさん、おめでとう。
甲南合気会最初の「女性初段位」の栄誉は谷尾さんがゲット。女学院OG以外での最初の黒帯である。
女学院合気道部の新部長は石田さん、副将は重松さん、部長はサキちゃん。四月から新体制である。一年間がんばってください。
永山主将、一年間ご苦労さまでした。森田さん、亀ちゃん、ありがとう。ナカジマ、マナベ、コニーの留学組も早く帰って稽古に来るのだよ。
永山主将は最後の仕事として「神戸女学院合気道部部歌」を制定し、1-3年生全員で披露してくれた。
これはサキちゃんが「ブカがほしい」と言い出したので出来たものだそうである。
サキちゃんは一年生だから「部下」がいないのは当然であるが、ほしいのは部下ではなくて「部歌」だった。
以前は「ブキがほしい」という部員がいたので、「どのような武器がほしいのか」訊いたら「部旗」のことだった。
紛らわしいことである。
部歌は二種類あり、いずれも「振り」付きで、とくに「第二部歌」の最後には「Vey,Vey,Ho」は多田先生の最近のお稽古に出てないと意味がわからないというたいへんマニアックなリフレーンがついていた。
末永く歌い継いでいただきたいものである。
合宿の全行程を仕切ってくれたウッキーとドクター佐藤と永山主将に改めてお礼を申し上げます。みなさん、どうもありがとう。

掃除と憲法

いろいろなところからいろいろなテーマで取材が来る。
既視感のある表現であるが、私の人生はもはやほとんど既視感だけで出来上がっている状態であるので、仕方がない。
午前中は「掃除について」、PHPの取材。
ブログに「煤払いをした」とか書いたせいで、掃除について一家言ある人間だと思われたらしい。
年末になったら「煤払い」くらいふつうするでしょ。
しないのかね、知識人諸君は。
掃除について論じるウチダ氏の部屋は掃除が行き届いていないので、ぐちゃぐちゃである。
そんな部屋をばしばし写真を撮られてしまい、天下に言行不一致をさらすことになってしまった。
ええ口惜しい。
だったら、はじめからそんな取材受けなければよいではないかと思われるだろうが、私の立場になっていただければ、わかる。
取材の依頼を断るというのはたいへん面倒なことなのである。
取材のオッケーは簡単である。
「あ、いいすよ」
これで終わりである。
断るのはそれだけでは済まない。
まず「たいへん申し訳ないのであるが貴意に添いがたい」ということをていねいに申し上げねばならない。
先方は必ず「理由」を訊いてくる。
実際には「めんどい」という以外に理由はないのであるが、「その日は生憎先約が」とか「体調がすぐれず」とか相手が納得するような理由をとっさに捏造せねばならない。
むろん先方は「では日にちを改めて」と切り返してくる。
「いや、ですからね。そのようなテーマについては、私は不適切な人選ではないか、と」
「なになに、人選の適否についてウチダさんがご心配されるには及ばない。それはこちらの仕事である。あなたの話があまりに無内容で記事にならない場合も、それはあなたに取材を申し込んだこちらの自己責任であるから、どうぞお気楽に。ははは」
まあ話がここまでもつれるとさすがに取材は成立しないのであるが、逆に言えば、そこまで相手に非道いことを言わせないと私には断る踏ん切りがつかないのである。
仕事を断るためには、謝ったり、言い訳を考えたり、腹を立てたり、いろいろ面倒なことをしなければならない。
忙しい場合に、電話口でこの手の押し問答を繰り広げるのはたいへん苦痛である。
無事に断り切った場合でも、最後に先方は「ふん」と鼻を鳴らして、「じゃあ、いいですよ。ガチャン」と電話を切るので、私はこめかみに青筋を立てたまま、ウィスキーをがぶりと飲み干すことになる。
仕事を断るのは健康に悪い。
その点、仕事を引き受けるのは「あ、いいすよ」の「二つ返事」で済む。
心理的負荷がぜんぜん違う。
それに、苦しむのはインタビューを受ける日の未来の私であって、電話口にいる現在の私ではない。
「未来の私」に向かって「すまぬ」と片手拝みをしながら、私は承諾の返事を与えてしまうのである。
最後の手段として、今後は「インタビュー料として一律1時間20万円を頂戴しております」というような強硬策に出るという手もある。これなら間違いなくすべてのインタビューから解放されるのであるが、その度胸がないのが切ない。
「掃除の話」を2時間(よくそんな話だけで引っ張るものである)したあと、次は朝日新聞の改憲問題のインタビュー。
「赤旗」「朝日新聞」と「護憲派の立場からひとこと」という要請が続く。
どうも昨今公的立場にある人は「護憲」というと肩身が狭いらしく、取材の依頼にも「いや、ほんとうは護憲なんですけど、記事にされるとね。ちょっと世間的にマズイので・・・ま、ひとつご勘弁を」と逃げてしまうらしい。
私のところにまで護憲のコメントが回ってくるということは、フクシマミズホ的でない語り口で護憲を論じる人があまりいらっしゃらないということなのであろう。
困ったことである。
日本国憲法は現代日本の現実と乖離している。
当たり前である。
憲法というのは「努力目標」である。
現実と乖離しているから改憲しろというのは、「平和な世界を作りましょう」という目標を掲げている人間に向かって、「そんなことを言っても現実的ではないから、『世界はあまり平和ではありません』に書き換えろ」と言っているのと同じである。
「世界はあまり平和ではありません」というのは事実認知的には100%正しいけれど、いかなる遂行的メッセージも含まない。
現実に合わせて憲法を改定しろというのなら、第一条を「天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であるが、象徴というのはどういうことかはよくわからない。この地位は主権の存する日本国民の総意に基づくとされているが、日本国民の総意は訊いたことがないので、よくわからない」とするところから改憲したらどうだろう。
11条は「国民はすべての基本的人権の享有を妨げられないが、妨げられている人もいる。この憲法が国民に保証する基本的人権は侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられるはずだが、憲法が変わった場合や内戦やら飢饉やら日本沈没の場合にはその限りではないので、『侵すことのできる、暫定的な権利』にすぎず、もしかすると(たぶん)将来の国民には与えられないであろう」に改憲したらどうだろう。
これなら現実との不整合は原理的になくなる。
憲法が「タフでクールな現実と整合している」ということと「国民をある理想社会にむけて導く遂行的メッセージを発信する」ということは両立しない。
どちらかを取るしかない。
憲法が現実離れしているのは、世界のどこの国でも似たようなものである。
コスタリカは平和憲法を掲げているが、実体は米州機構の一員で武装国家である。
オーストリアは永世中立を掲げているがEUのメンバーなので安全保障の枠組みの中にいる。
イタリアは憲法で「他の人民の自由を侵害する手段および国際紛争を解決する方法としての戦争を否認する」と謳っているけれど、イラク戦争には派兵している。
中国の憲法は「中国は独立し自主的な対外政策を堅持し、領土主権の尊重、不侵略、不干渉、平等互恵、平和共存の5原則を堅持し、各国の外国関係と経済、文化交流を発展させる」と書いているけれど、チベットやベトナムに対して行ったことが「侵略」でも「干渉」でもないなら、あれは一体何なのだ?
だが、憲法というのは「そういうもの」である。
私たちが中国人に向かって告げるべきなのは、「そういう非現実的な憲法は廃棄して、『必要があれば、他国の領土を侵犯することもある』と書き換えた方が現実との整合性がよろしいのではないか」というようなお節介ではなく、「あの~、せっかく憲法に書いてあるんですから、その通りにやってくれませんか?」という懇請の言葉であろう。
憲法は現実離れしているがゆえに、ささやかな規制力を保持している。
それでよいと私は思う。
政治家諸君が選挙のときに掲げる「公約」とか「マニフェスト」とか、あるでしょ。
憲法というのは「あれ」ですよ。
政治家諸氏とても、実現が無理かなあとは思っても、「できることなら実現したい」と願ってはいる。
そういう自分の気持ちは「可憐」だと思える諸君がどうして日本国憲法にはご自身に向けるような寛仁大度を示せないことがあろうか。
かつて小泉首相は「公約を破るくらいのことはたいしたことじゃない」と公言して話題になった。
公約は公約、現実は現実である。
公約を実現したかったが、たまには諸般の事情でそうもゆかぬこともある。
そうだろうとも。言いたいことは私にはわかる。
小泉君とても、べつに「私の掲げた公約は空文である」ということを言いたかったわけではない。
現実は現実、公約は公約である。
願わくは、その同じロジックで憲法をも論じていただきたいと思う。

2007.03.28

昭和は遠くなりにけり

鹿児島に来ている。
鹿屋体育大学武道学科から「武道研究会」の講師としてお招き頂いたのである。
鹿屋は「カノヤ」と読む(ことを私も鹿児島空港バス乗り場で発見したのだが)。
武道学科の学生諸君(剣道、柔道専攻)40人ほどと先生方をお相手に、武道論を講じる。
甲野先生であれば、「とりあえずこちらに来て、組み付いてください」とか「この剣で打ち込んでみてください」という実演が展開できて学生諸君の度肝を抜くことができるのであるが、私はご存知のとおり「口先合気道」なので、体重100キロの巨漢学生にのしかかられたりすると全身脱臼して末永く三宅先生のお世話にならねばならぬ。
そのようなリスキーな展開に持ち込むことはできない。
しかし、学生諸君のうちに「こいつ口だけで、ほんとはめちゃ弱いんじゃないの?」というような疑惑が一瞬たりとも浮かんでは、私の立場というものがない。
哲学的武道論に耳を貸す暇もなく、すみやかに爆睡体制を整えられることであろう。
「どうも、この人は、自信たっぷりに武道を論じているんだから、きっとそれなりに『できる』人なのであろう・・・だが、どういうふうに『できる』のか、さっぱりわからん」という狐疑が学生諸君のうちに兆す・・・という展開に持ち込まなければならない。
頭の上に「?」をつけた状態で人の話を聴き始めれば、あとはこちらの思うがままである。
それをして「活殺自在」という。
さて、「それをして『活殺自在』というのである」という話を学生諸君の前でしているわけであるから、学生諸君にしてみたら、ますます私の話は面妖なものとなる。
学生諸君は今私を「知っていると想定された主体」sujet supposé savoir に擬しているわけであるが、どうしてそう想定したかというと、私が「知っていると想定された主体」であると諸君に信じさせることで私がどのような利益を得ているのかをこうしてあからさまに説明することから私がどのような利益を得ているのかが諸君には理解できぬからである(ややこしくてごめんね)。
「この人は私たちの知らないルールでゲームをしているのではないか?」
分析主体にそう信じさせることが分析の要諦なのである。
というような話は(もちろん)しない。
けれど、そういう効果が現に機能するということをご経験いただいたのである。
学生諸君はとくに「スキャニング」と「幽体離脱」のトピックにたいへん興味を示されていた(「ミラーニューロンを強化する薬ってどれくらい効果が持続するのですか?」というようなスペシフィックなご質問まで出たくらいである)。
以前、某体育系学会でこれと似たような話をしたときは、ある競技武道家から「じゃあ、あなたは勝つ必要はないと、そうおっしゃるわけですか?!」と詰問されて「はい」と答えてしまい、会場を無用の混乱のうちにひきずりこんだことがあった。
だって、悪いけど、競技場での敗北なんて、ゼウスの雷撃やわが子の死や死病に取り憑かれることに比べたら、どってことないじゃないですか。
アリーナは、そのようなよりリスキーな「敵」の到来にどうやって心静かに応接することができるか、それを研究するための「研究室」である。
そして、たいていの場合、人間は勝利よりも敗北から多くを学ぶのである。
そうご説明申し上げたのであるが、その場におられた体育教師やコーチの方々には私の意のあるところをあまりご理解頂けなかったようである。
勝利第一主義というのは存立することの困難な構えである。
人は勝ち続けることはできないからだ。
どのようなトップアスリートも加齢には勝てないし、死神にも勝てない。風邪のウイルスにも勝てないし、芸能スキャンダルにも契約のトラブルにも家族の死にも勝てない。
そういうものは競技場には決して登場してこない。
だが、この「勝てない」相手と「けっこういい勝負」に持ち込むことは可能である。
武道は「勝てないはずの相手と、けっこういい勝負に持ち込む」ために人類が開発した卓越したメソッドのうちの一つである。
学生諸君もどうかこのメソッドを武道修行を通じて体得して欲しいと思う。

講演を企画した鹿屋体育大学の平沢信康先生に貴重な機会を提供してくださったことに対してお礼を申し上げたい(それとお昼の「黒豚板そば」ごちそうさまでした。おいしかったです)。
平沢先生と本学の川合学長のあいだを取り持ってくださったのは、かつて本学の家政学部におつとめで、今は鹿児島県立短期大学におられる倉元綾子先生。
その倉元先生と一緒に去年のオープンキャンパスに女学院まで私の話を聴きに来られて、今度も芦屋から鹿児島まで飛んできた神戸大学の佐々木和子先生のお二人に講演後車で鹿児島市内まで送っていただいた。
フェリーボートの中で、お二人の神戸女学院大学ファンから、本学の進むべき道についてたいへん貴重な示唆を賜った(もちろん「ドミナントなイデオロギーにきっぱり背を向けた大学」たるべし、という激励である)。
ありがとうございました。
ホテルに戻って一風呂浴びてから、鹿児島大学の梁川くんと待ち合わせて、ご飯を食べに行く。
久しぶりにあの火を噴く舌鋒を熱いお湯のように浴びられるのかとわくわくしていたのであるが、あいにく梁川くんは風邪を引いていて、全盛期の70%程度の出力であった。
それでも黒豚、地鶏、初鰹、おでんなど食しつつ、焼酎のお湯割りを飲んでいるうちにだんだん調子が出てきて、地方の国立大学の現状を長歎し、若手研究者の惰弱をなじり、文科省の吝嗇に怒り、情報の東京一極集中に憤り、こちらもいい感じに茹ってきた。
梁川くんのような慨世派知識人は地を払って久しい。
野に遺賢あり。
彼の最近の仕事はブルターニュの古歌謡と南島歌謡の比較研究だそうである。
ブルトン語ができる音楽研究者(しかもヴァレリアン)なんてたぶん日本には彼しかいないであろう。
天文館で「またね」と手を振って別れて部屋に戻ると、メールで校正が二つきている。
先般いくつかのインタビュー記事で手を入れることができず、結果的に何人かの友人から「ウチダ、ほんとにあんなこと言ったのか。あれはまずいよ」と手厳しいご批判を受けるということがあった。
たしかにコンテンツは記事に書かれているとおりなのであるが、私の「言い方」はそうではなかった。
私はきついことを言うときは必ずシュガー・コーティングするようにしている。
だが、インタビューではしばしばコーティングが剥がされて「要するに、ウチダさんは、こう言いたい訳でしょ?」と話が単純化されてしまう。
たしかに、「要すれば」そういうことなのであるが、そういってしまっては身も蓋もないではありませんか・・・ということだってある。
先方には先方のお立場というものがあり、それに対していくばくかの配慮を示すというのは大人のたしなみである。
というわけで「A旗」と「週刊Dイヤモンド」から届いたインタビュー・データを頭から尻尾まで全部書き直す。
ほとんど赤ペン片手に学生のレポートを添削するナバちゃんの気分である。
先方とて筆一本で食べているプロの物書きである。私ごときにいいように添削されて気分がよいはずがない。
自分の記事に自信をもっているライターであれば「激怒する」というリアクションもありうるであろう。
申し訳ないことである。
二時間かけて添削して、ばったり死に寝。
早起きして、鹿児島空港へ。
空港で買った新聞の一面に「植木等死す」の記事が載っていた。
私の父親は新聞の死亡欄に徳川夢声や内田百閒や谷崎潤一郎の死亡記事が出たときに、ふっとため息をついて、「明治は遠くなりにけり」とつぶやくことがあった。
父に倣って、私もまた力なくため息をついて冒頭の言葉をつぶやいたのである。

2007.03.30

シンガポールの悩み

朝からの会議は英語セッション。
英語を話すのが苦手である。
英語を話すと、善良で頭悪そうな人間になるか、狭隘で攻撃的な人間になるか、どちらかだからである。
ふだん日本語を話しているときの、「表面的にはディセントだが、言葉の奥に邪気がある」というダブルミーニングの術が使えない。
「隔靴掻痒」とはこのことである。
論じられている問題については、公的にも私的にもぜひ申し上げねばならぬような知見があるわけでもないので、2時間半黙って坐っている。
午後から講談社FRAUの取材。
若い女性が三人でやってくる。
お題は「ダイエット」なのであるが、ひろく身体一般について語る。
今度は1時間半ほどノンストップでしゃべりまくる。
聴き手が若い女性のときは学生相手に無駄話をしているときのようなカジュアルな気分になってしまうので、話はあちらへ飛び、こちらへ逸れ、話頭は転々として奇を究め、約しがたいこと常の如しなのである。
夕方からは今年度最後の合気道の学内稽古。
永山主将は16代主将として最後の受けを取るので、記念にビデオをセットしている。
松田先生も15代主将の白川さんも現役として岡田山ロッジで稽古する最後の日である。
みなさん、長い間ありがとう。お疲れさまでした。
稽古の最後に合気道部へのみなさんの貢献に感謝して拍手を送る。
こうやって毎年三月に卒業生を送り出してゆく。
あと4年後には私が送り出される番である。

毎日新聞の「経済観測」は私の愛読するコラムであるが、そこにシンガポールのことが書いてあった。
シンガポールはご存じのとおり、旧英国植民地の華人国家であるが、東南アジアの経済の中心地であり、国民一人当たり所得は30000ドルを超えて旧宗主国を上回った。
しかし、このシンガポールにも悩みがある。
それは「文化と伝統がないこと」であり、コラムによると、「その最大の原因は言語を失ったことにある」。
もともとシンガポールに来た華僑たちは故郷の福建や広東の言葉を話していた。けれど中国語の方言はお互いに通じない。しかたがないので、ビジネストークは英語と北京官話でなされた。
結果的に、家庭内でさえ祖父母と孫の間でのコミュニケーションが成立しないことになった。
そうやって父祖伝来の文化と伝統が断絶しつつある。
「高層ビルや高級ブランドショップが並んでいても、文化とはいえない。シンガポールは文化振興のために外国から高給で演奏家を招いてオーケストラを作ったりしているが、欧米や日本のオーケストラほどの水準に達しておらず、独自の雰囲気にも欠ける」
たしかにある種の文化は金で海外から買えるだろう。
でも、自分がいま暮らすこの風土との深く、暖かい「親しみ」は金で買うことができない。
そして、国民国家の場合、国民のオーバーアチーブを動機づけるのは、しばしばこの(あまり根拠のない)「親しみ」の感覚なのである。
コラムはこう結論している。
「シンガポールは失った言語を取り戻して文化と伝統を復興しなければならない。これは短期的には成長を阻害するとしても、人工国家が真の国家になるためには不可欠だろう。」
私は別に「ねばならない」とは思わない(それほどシンガポールに親身にならなければならない義理もないし)。
けれども、「人工国家」がある種の脆弱性をはらんでいること(それが技術革新の遅れや、ある種のモラルハザードをもたらす可能性)についてはコラムニストに同意する。
それは先日会って話を聴いたシンガポール支局帰りの新聞記者の話とも符合する。
シンガポールは安倍内閣の「愛国心強化」路線に熱い視線を送っている東アジアでも例外的な国である。
それは「愛国心の高揚」がシンガポール政府にとって喫緊の政治課題だからである。
シンガポール国民には「愛国」というときの「国」の対象が具体的ではない。
シンガポールには「ランドマーク」といえるようなものが特にない(「世界三大がっかり」マーライオンでは「国民統合の象徴」にはならないであろう)。
だが、国民的統合を情緒的に下支えしているのは実は「兎追いしかの山」や「夕焼け小焼けの赤とんぼ」が歌う幻想的な風土である。
「故郷の山河とその生活を守るためなら死んでもいい」という種類の熱価の高い愛国心が高揚するのは、その前提に「それが一度失われたら、もうどこにも代替物がない」という「とりかえしのつかなさ」についての確信があるからである。
シンガポールの場合、「一度失われたら取り返しがつかない」ような種類の風土や文化や伝統の「原点が存在する」という確信が国民的規模では共有されていない。
高層ビルや外国人ばかりのオーケストラやヴィトンのショップやスターバックスがなくなっても、それに涙するシンガポール人はいないであろう(たぶん)。
おそらくそのせいで、国民があまり「愛国的ではない」ことにシンガポール政府は危機感を抱いている。
そのために「シンガポールを愛しましょう」という大々的なキャンペーンが政府主導で行われているのだそうである。
けれども「愛する対象」がなかなかみつからない。
「国民一人当たり所得30000ドル」というような数値は、それだけでは国民統合の軸にはならない。
国語が英語と北京官話で、街並みはグローバライズされているし、どこにもシンガポールは「ここから誕生した」という「揺籃の地」はない。
シンガポールのもう一つの悩みは軍隊が国内にいないことである。
あまりに国土が狭くて、軍隊を置く場所も演習のためのスペースもないのである。
だから、陸軍と空軍はオーストラリアとアメリカに常駐している。
シンガポールが他国から侵略された場合にはオーストラリアからシンガポール空軍機が「迎撃」するために出動しなければならない。
だいぶ時間がかかりそうである。
陸軍が防衛ラインに到達するまでにはもっと時間がかかる。
これでは、「私たちは何を守り、何を伝えるためにシンガポール国民であるのか?」という根本的な疑問がシンガポール国民にときおり兆すことを止めるのはむずかしいであろう。
世の中にはいろいろな悩みがあるものだ。

2007.03.31

恋愛と結婚のおはなし

久しぶりのオフ。
三宅先生のところに行くと、待合室に甲南合気会の井上さんがいた。
診療室ではゑびす屋谷口さんが治療中で、「ウノ先生がいま帰りました」ということであった。
なんだ身内ばかりだなとつぶやいていたら、ゼミのタムラくんがお母さんといっしょに待合室に入ってきた。
身体症状というのは重篤な個人情報であるはずで、そのせいで病院では患者の名前さえ呼ばないというのだが、ここでは三宅先生が大きな声で患部の状況についてご説明くださるので、誰がどのような身体的問題を抱えておられるのか全員周知のこととなってしまう。
しかし、そのようにして他者の身体に起きている苦痛やこわばりや歪みに同期し、それがいまここで行われている治療によって緩解してゆく「体感」をリアルタイムで追体験すること、他の患者の治療に立ち会うということそのものがすでに治療行為となっているという点が三軸修正法のすぐれた特徴なのである。
私の身体の使い方が変わってきたことは使い込んでいる筋肉部位のずれから三宅先生にはわかるらしい。
「最近、合気道の動きが変わりましたね」と指摘される。「すごく速くなったでしょう」
そ、そうなんですよ。

午後は朝日新聞の取材。
恋愛と結婚について。
早婚志向・出産育児志向・カントリー回帰志向・共同体志向の徴候が20代前半の女性に現れてきていることを指摘する。
メディアが提供してきた「アーベインな20代女性」のロールモデルが「賞味期限切れ」となってきて、それより下の世代は誰もモデルを示してくれない中で「新しい生き方」を模索し始めている。
メディアは「メディアの提示する若者像」がそのつどつねに現実に遅れていることを認めたがらない。
でも、それはある意味でメディアの宿命である。
かまやつひろしさんが大瀧詠一さんとのラジオでの対談で、60年代にご自身が吹き込んだトンデモ・レコード(「下町上等兵」とか「麻雀必勝法」とかそういうタイトルのやつ)について、「あれは、ディレクターたちが自分の戦争時代の失われた青春を回顧して、僕に歌わせていたんでしょうね」と分析していた。
メディアで若者論を書く人々は、無意識のうちに、「自分が若者だったときの自画像」を基準にとろうとする(「いまどきの若者」を批判するにしても、賞賛するにしても)。
それはしかたがないのだけれど、それだと「自画像」の度量衡になじまない種類の徴候は記号的に認識することができない。
けれども、ほんとうに重要な変化は「私たちが見たこともないもの」であり、それゆえその良否について判定する基準そのものが私たちの手元にないものなである。

若い女性の早婚志向・出産育児志向を、「やんきい」の早婚志向・出産育児志向(「できちゃった婚」)と同一カテゴリーでしかメディアは把握していない、
だが、実際には「あまりに幼稚なので、避妊の仕方も知らず、結婚や育児がどれほどの人間的能力を要求するかも知らず、もののはずみで結婚し子どもを産んでしまう人たち(そして、のちに家事放棄や児童虐待に向かうタイプ)」と、「結婚と育児が高い人間的能力を涵養する機会であることを感じ取って、自分自身の心身のパフォーマンスを高め、幸福な大人になるために結婚し、子どもを産もうとするタイプ」は形態的には似ているけれども、志向している方向がまるで違う。
私たちの社会の未来を担うのは後のタイプの女性たちである。
けれども、そのような生き方のロールモデルをメディアは提供することができない。
だって、実際にそんな生き方をしてきた「大人の女性」たちにメディアがこれまで注目したことはなかったからだ。
取材しようにも、そんな女性に「どこ」に行けば会えるか、編集部の誰も知らないからだ。
というような話をする(ちょっと違うけど)。

それから大急ぎで夕食(北京風餃子、蟹玉、ビーフン)の支度をする。
5年前のゼミの卒業生である“ぷー”のさっちゃんとウェスとナガモトくんが訪ねてくる。
ウェスが五月に結婚するので、そのご報告とさっちゃんの「コイバナ」を拝聴し、ナガモトくんの職場人間関係の苦悩を伺う。
ゼミ生・元ゼミ生たちから聴くこの「なま」の恋愛と仕事の話は私の貴重な情報源である。
彼女たちはレディメイドの「女性の生き方についてのガイドライン」では彼女たちが日々経験している具体的な出来事を説明することも、それに対処することもできないことを知っている。
そうである以上、自力でそれを構築しなくてはならない。
がんばるのだよ。

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