鹿児島に来ている。
鹿屋体育大学武道学科から「武道研究会」の講師としてお招き頂いたのである。
鹿屋は「カノヤ」と読む(ことを私も鹿児島空港バス乗り場で発見したのだが)。
武道学科の学生諸君(剣道、柔道専攻)40人ほどと先生方をお相手に、武道論を講じる。
甲野先生であれば、「とりあえずこちらに来て、組み付いてください」とか「この剣で打ち込んでみてください」という実演が展開できて学生諸君の度肝を抜くことができるのであるが、私はご存知のとおり「口先合気道」なので、体重100キロの巨漢学生にのしかかられたりすると全身脱臼して末永く三宅先生のお世話にならねばならぬ。
そのようなリスキーな展開に持ち込むことはできない。
しかし、学生諸君のうちに「こいつ口だけで、ほんとはめちゃ弱いんじゃないの?」というような疑惑が一瞬たりとも浮かんでは、私の立場というものがない。
哲学的武道論に耳を貸す暇もなく、すみやかに爆睡体制を整えられることであろう。
「どうも、この人は、自信たっぷりに武道を論じているんだから、きっとそれなりに『できる』人なのであろう・・・だが、どういうふうに『できる』のか、さっぱりわからん」という狐疑が学生諸君のうちに兆す・・・という展開に持ち込まなければならない。
頭の上に「?」をつけた状態で人の話を聴き始めれば、あとはこちらの思うがままである。
それをして「活殺自在」という。
さて、「それをして『活殺自在』というのである」という話を学生諸君の前でしているわけであるから、学生諸君にしてみたら、ますます私の話は面妖なものとなる。
学生諸君は今私を「知っていると想定された主体」sujet supposé savoir に擬しているわけであるが、どうしてそう想定したかというと、私が「知っていると想定された主体」であると諸君に信じさせることで私がどのような利益を得ているのかをこうしてあからさまに説明することから私がどのような利益を得ているのかが諸君には理解できぬからである(ややこしくてごめんね)。
「この人は私たちの知らないルールでゲームをしているのではないか?」
分析主体にそう信じさせることが分析の要諦なのである。
というような話は(もちろん)しない。
けれど、そういう効果が現に機能するということをご経験いただいたのである。
学生諸君はとくに「スキャニング」と「幽体離脱」のトピックにたいへん興味を示されていた(「ミラーニューロンを強化する薬ってどれくらい効果が持続するのですか?」というようなスペシフィックなご質問まで出たくらいである)。
以前、某体育系学会でこれと似たような話をしたときは、ある競技武道家から「じゃあ、あなたは勝つ必要はないと、そうおっしゃるわけですか?!」と詰問されて「はい」と答えてしまい、会場を無用の混乱のうちにひきずりこんだことがあった。
だって、悪いけど、競技場での敗北なんて、ゼウスの雷撃やわが子の死や死病に取り憑かれることに比べたら、どってことないじゃないですか。
アリーナは、そのようなよりリスキーな「敵」の到来にどうやって心静かに応接することができるか、それを研究するための「研究室」である。
そして、たいていの場合、人間は勝利よりも敗北から多くを学ぶのである。
そうご説明申し上げたのであるが、その場におられた体育教師やコーチの方々には私の意のあるところをあまりご理解頂けなかったようである。
勝利第一主義というのは存立することの困難な構えである。
人は勝ち続けることはできないからだ。
どのようなトップアスリートも加齢には勝てないし、死神にも勝てない。風邪のウイルスにも勝てないし、芸能スキャンダルにも契約のトラブルにも家族の死にも勝てない。
そういうものは競技場には決して登場してこない。
だが、この「勝てない」相手と「けっこういい勝負」に持ち込むことは可能である。
武道は「勝てないはずの相手と、けっこういい勝負に持ち込む」ために人類が開発した卓越したメソッドのうちの一つである。
学生諸君もどうかこのメソッドを武道修行を通じて体得して欲しいと思う。
講演を企画した鹿屋体育大学の平沢信康先生に貴重な機会を提供してくださったことに対してお礼を申し上げたい(それとお昼の「黒豚板そば」ごちそうさまでした。おいしかったです)。
平沢先生と本学の川合学長のあいだを取り持ってくださったのは、かつて本学の家政学部におつとめで、今は鹿児島県立短期大学におられる倉元綾子先生。
その倉元先生と一緒に去年のオープンキャンパスに女学院まで私の話を聴きに来られて、今度も芦屋から鹿児島まで飛んできた神戸大学の佐々木和子先生のお二人に講演後車で鹿児島市内まで送っていただいた。
フェリーボートの中で、お二人の神戸女学院大学ファンから、本学の進むべき道についてたいへん貴重な示唆を賜った(もちろん「ドミナントなイデオロギーにきっぱり背を向けた大学」たるべし、という激励である)。
ありがとうございました。
ホテルに戻って一風呂浴びてから、鹿児島大学の梁川くんと待ち合わせて、ご飯を食べに行く。
久しぶりにあの火を噴く舌鋒を熱いお湯のように浴びられるのかとわくわくしていたのであるが、あいにく梁川くんは風邪を引いていて、全盛期の70%程度の出力であった。
それでも黒豚、地鶏、初鰹、おでんなど食しつつ、焼酎のお湯割りを飲んでいるうちにだんだん調子が出てきて、地方の国立大学の現状を長歎し、若手研究者の惰弱をなじり、文科省の吝嗇に怒り、情報の東京一極集中に憤り、こちらもいい感じに茹ってきた。
梁川くんのような慨世派知識人は地を払って久しい。
野に遺賢あり。
彼の最近の仕事はブルターニュの古歌謡と南島歌謡の比較研究だそうである。
ブルトン語ができる音楽研究者(しかもヴァレリアン)なんてたぶん日本には彼しかいないであろう。
天文館で「またね」と手を振って別れて部屋に戻ると、メールで校正が二つきている。
先般いくつかのインタビュー記事で手を入れることができず、結果的に何人かの友人から「ウチダ、ほんとにあんなこと言ったのか。あれはまずいよ」と手厳しいご批判を受けるということがあった。
たしかにコンテンツは記事に書かれているとおりなのであるが、私の「言い方」はそうではなかった。
私はきついことを言うときは必ずシュガー・コーティングするようにしている。
だが、インタビューではしばしばコーティングが剥がされて「要するに、ウチダさんは、こう言いたい訳でしょ?」と話が単純化されてしまう。
たしかに、「要すれば」そういうことなのであるが、そういってしまっては身も蓋もないではありませんか・・・ということだってある。
先方には先方のお立場というものがあり、それに対していくばくかの配慮を示すというのは大人のたしなみである。
というわけで「A旗」と「週刊Dイヤモンド」から届いたインタビュー・データを頭から尻尾まで全部書き直す。
ほとんど赤ペン片手に学生のレポートを添削するナバちゃんの気分である。
先方とて筆一本で食べているプロの物書きである。私ごときにいいように添削されて気分がよいはずがない。
自分の記事に自信をもっているライターであれば「激怒する」というリアクションもありうるであろう。
申し訳ないことである。
二時間かけて添削して、ばったり死に寝。
早起きして、鹿児島空港へ。
空港で買った新聞の一面に「植木等死す」の記事が載っていた。
私の父親は新聞の死亡欄に徳川夢声や内田百閒や谷崎潤一郎の死亡記事が出たときに、ふっとため息をついて、「明治は遠くなりにけり」とつぶやくことがあった。
父に倣って、私もまた力なくため息をついて冒頭の言葉をつぶやいたのである。
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(2007-03-28 14:15)