『ハチミツとクローバー』全巻読破中

2007-02-02 vendredi

朝起きて Google カレンダーを開く(これはイワモト秘書ご推奨のガジェット。たいへん便利。「調整くん」にもびっくりしたが「ネット文房具」の進化の速さには驚かされるばかりである)。
本日は原稿締め切りが一件。
日経の『旅の途中』1240字。ブログネタをコピペしてさくさくと仕上げて送稿。
自分で書いたブログ日記の記事をコピペしているので、べつに「剽窃」とか「盗作」というのではないと思うのだけれど、なぜかかすかな疚しさを感じる。
というのは、そのブログ記事を書いたのは「過去の私」であって、その人の書き物を「私のものです」と言って売り物にするのは、なにか微妙に「いけないこと」のような気がするのである。
「過去の私と現在の私の合作です」ということであれば、まあ、言い訳にはなるが。
長い本の場合、初稿ゲラを直しているときに、「この話はどういうふうに展開するんだろう?」といつもどきどきしながら読んでいる。「なるほど。そう来たか・・・」と感心することもあるし、「ちがうでしょ、それは。論理的に無理筋でしょうが」と噴き出すこともある。そういう箇所はただちに削除されて、別の文章に変わってしまう。
他人の文章を添削しているのとあまり変わらない。
そういう作業が複数回行われた文章は、なんというか「複数の書き手」のアンサンブルのような、不思議な「和音」がある。
「倍音」といってもいい。
村上春樹はまず一気に最後まで書いて、それをもう一度頭から全部書き直すそうである。
同一の書き手が同一の文章を二度書き直すと、そこには「一人でボーカルをオーバーダビングした」ときのようなわずかな「ずれ」が生じる。
同一人物でありながら、二人の書き手のあいだに、呼吸にわずかな遅速の差があり、温度差があり、ピッチのずれがあり、それが「倍音」を作り出す。
この「倍音」が読者にとっては、「とりつく島」なのである。
一人で一気にハイテンションで書くと、あまりに文章がタイトで緻密で「すきま」がなくなってしまうということが起こる。
構成に破綻はなく、文体もみじんの揺るぎもないが、「とりつく島がない」文章というのが現にある。
そういうのはリーダブルな文章とは言えない。
私がいちばん好きな作業は、「何かが降りてきて」憑依状態で書き飛ばした文章を、ふつうの状態のときに添削することである。
それはほとんど「他人の書いた文章」なのだけれど、それを添削する権利は私に属するのである。
これはスリリングで、いささか疚しい経験なのである。

電話が鳴って、『週刊現代』から教育基本法についてのコメントを求められる。
「法律が変わると教育が変わってしまう・・・と教育現場では抵抗が強いようですが」というお訊ねだったので、法律ひとつで教育なんか変わりませんし、法律ひとつで変わるような教育であっては困る、とお答えする。
教育はもっと惰性的なものでなければならないのだけれど、話し出すと長くなる。
私に与えられたコメントは60字だということなので、「教育基本法の改定に現場があまり真剣に反対しないのは、法律が変わったくらいで教育成果が上がるなら、教師は何の苦労もないぜ、けっ、と思ってるからである」ということを申し上げる。
たぶん、ぜんぜん違うコメントになっているだろうけど。

またまた電話が鳴って某テレビ局から出演依頼。
「あ、すみません。テレビには出ないんです」とお答えして電話を切る。
私が「テレビに出ない」ということを公言していることを知らないでテレビ出演依頼をしてくるというのは、私の書いたものを読んでいないということである。
どういうことを言っているのか知らない人間に「ぜひ、先生のコメントを」と求めてくるとはどういう「企画」なのであろう。
そういうことをしているから、テレビの信頼性が下がってしまうのだよ。

またまた電話が鳴って、『無印良品の本』のゲラを送りましたから、チェックしてくださいというお知らせ。
pdfを開いて見ると、かんちきくん(姿勢わり〜)の背中と手持ちぶさたのホリノさんと何かに気を取られている画伯とゴムゾーリを履いて呆然と座っている私が写っている。
すばらしい写真である。
記事を書いたのは橋本麻里さん。

「サッポロ一番シュリンプスープ」(フランスで買ってきたやつ)を食べたら急激に睡魔が襲ってきたので、昼寝。
爆睡していたら電話が鳴って、教務課長から「1時にお約束の学生さんが来て待ってますけど・・・」
げ、またやってしもうた。
しかし、手帖を見ても、携帯のスケジュールを見ても、Google カレンダーを見ても、どこにもそんなことは書いていない(それよりスケジュールを一元的に管理しろよ)。
泣きながら車を飛ばして大学へ。
「お待たせしました!」と教務課に飛び込んだが、私を待っていたはずの学生さんは訝しげな顔で「この人じゃありません」と言う。私だって、あなたような学生さんは知らぬ。
よくよく聞けば「ウチダ先生」ではなく「ツダ先生」と約束していた由。それを教務課の窓口で告げたときに、教務課の職員諸君が早とちりして「あら〜またウチダ先生が約束忘れて・・・」と解釈したのである。
だが、彼女たちの不注意を私は責めることができぬ。
これまで教務部長室に約束の人を待たせて家でぐーすか昼寝をしていたことが一再ならずあるからである。
人違いで昼寝から叩き起こされて呼びつけられたのであれば、私は激怒のあまり教務課長の机をひっくり返して「ぼくの時間を返せ!」と叫んだであろうが、あいにく3時から会議があったの、私はどうせその時間には大学に来ていなければならなかったのである。
はははとひきつった笑いでごまかそうとする教務課のみなさんに職業的笑顔で応じる。

3時から4時半まで、現代GPのための会議。
昼寝からまだ醒めていないので、頭がぼおっとしているが、さいわいワルモノ議長がてきぱきと議事を進めてくれたので、1時間半で終わる。
まことに「議長をイラチな人にやらせる」のは会議の基本であることよ。

合気道の稽古に途中から参加。
背中がばりばりしているので、みんなに投げてもらう。受け身を15分ほど取ったら、だいぶ気分が暖まって血の巡りがよくなってきた。
家に帰って、味噌ラーメン(味付け卵、チャーシュー入り)を食し、『ハチミツとクローバー』第四巻を読む。
「大学マンガ」について先日書いたら、「魔性の女」から『ハチクロ』を読まずして大学マンガの全容は語れませんというご忠告を頂いたので、アマゾンで全巻注文したのである。
こういうことについての私のフットワークはたいへんよい。
『ハチミツとクローバー』はまったく恋愛が先に進まないで、男子も女子もひたすらぐちゅぐちゅとべそをかくばかりなのであるが、この「時間が先に進まない」ことへの欲望の切実さはほとんど感動的である。でも、森田くんがアメリカから帰ってきて、ようやく8年生を終えて卒業したら日本画科3年生に編入・・・という展開には、さすがにびっくり。
そうなのか、諸君は時間を先に進みたくないのだね。
この退嬰性が同時代の若者たちの圧倒的共感を得ているという事実に私はふかい興味をいだくのである。
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