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2014年01月 アーカイブ

2014.01.03

大瀧詠一師匠を悼む

朝日新聞から依頼があって、大瀧詠一さんの追悼文を書いた。
字数の関係でショートヴァージョンが紙面には掲載されたので、ブログにはオリジナルを掲げておく。

音楽や映画について、信じられないほど広く深い知識を持っているだけでなく、ふつうの人は気づかないものごとの関係を見出す力において卓越した方でした。2歳違いですが、久しく「師匠」と呼んでいました。
ツイッターで大瀧さんが手がけた曲の元ネタについてつぶやいたら、数分のうちに「この二つを結びつけたのは地球上で内田さんが最初の人です」と返信をいただきました。うれしかったですね。大瀧さんの元ネタをみつけるのは、ナイアガラーにとって最高の勲章だからです。
一度聴いた曲はすべて記憶しているのかと思うほどの桁外れの記憶力でした。無人島に1枚だけレコードを持って行くなら何にするかという雑誌のアンケートで、大瀧さんは『レコードリサーチ』というカタログの1962~66年を持って行くと答えました。「全曲思い出せる」から、「ヒットチャートを頭の中で鳴らしながら一生暮らす」ことができる、と。
はっぴいえんどは、米国のロックバンド、バッファロー・スプリングフィールドをドメスティックに解釈して「日本語のロック」を作り出したのですが、代表曲の「春よ来い」は地方から都会に出てきた青年の孤独と望郷の念を歌う、春日八郎や三橋美智也にも通じる楽曲でした。少年時代から、ポップスやロックだけでなく、ジャズも民謡も、あらゆる音楽を身に浴びてきたことが、大瀧さんの血となり肉となっていたのでしょう。
長く新曲を出していませんでしたが、ラジオには定期的に出演して、「ラジオ番組がニューアルバムなんだ」と話していました。ですから、『日本ポップス伝』と『アメリカンポップス伝』、山下達郎さんとの『新春放談』を録音したものは何十回聴いたかわかりません。車に乗っている時間はほとんどカーステレオから流れる大瀧さんのDJを聴いて過ごしていたわけですから、僕が人生で一番たくさんその人の話を聴いたのは、間違いなく大瀧さんです。
師匠が残してくれた音楽とラジオ番組はこれからも繰り返し聴くことができますが、あの話の続きを聴くことがもうできなくなると思うと、失ったものの大きさに愕然とします。

2014.01.18

従属と謝罪について

朝日新聞に「安倍首相の靖国参拝」についてコメントを求められたので、すこし長めのものを書いた。もう掲載されたので、ブログでも公開することにする。

東京裁判は戦後日本に対して二つの義務を課した。
一つは、敗戦国として戦勝国アメリカに対して半永久的に「従属」の構えをとること。
一つは侵略国としてアジアの隣国(とりわけ中国と韓国)に対して半永久的に「謝罪」の姿勢を示し続けること。
従属と謝罪、それが、東京裁判が戦後日本人に課した国民的義務であった。
けれども、日本人はそれを「あまりに過大な責務」だと感じた。二つのうちせめて一つに絞って欲しいと(口には出さなかったが)願ってきた。

ある人々は「もし、日本人に対米従属を求めるなら、日本がアジア隣国に対して倫理的疚しさを持ち続ける義務からは解放して欲しい」と思った。別の人々は「もし、東アジアの隣国との信頼と友好を深めることを日本に求めるなら、外交と国防についてはフリーハンドの国家主権を認めて欲しい」と思った。
伝統的に、従属を求めるなら謝罪義務を免除せよと主張するのが右派であり、独自の善隣外交を展開したいので、アメリカへの従属義務を免除して欲しいと主張するのが左派である。
そういう二分法はあまり一般化していないが、私はそうだと思う。
その結果、戦後の日本外交は「対米従属」に針が振れるとアジア諸国との関係が悪化し、アジア隣国と接近すると「対米自立」機運が高まるという「ゼロサムゲーム」の様相を呈してきた。
具体的に言えば、戦後日本人はまずアメリカへの従属を拒むところから始めた。内灘・砂川の反基地闘争から60年安保闘争、ベトナム反戦運動を経由して、対米自立の運動は1970年代半ばまで続いた。
高度成長期の日本企業の精力的な海外進出も対米自立の一つのかたちだと解釈できる。江藤淳はアメリカ留学中にかつての同級生であるビジネスマンが「今度は経済戦争でアメリカに勝つ」とまなじりを決していた様子を回顧していた。敗軍の兵士であった50~60年代のビジネスマンたちの少なからぬ部分は別のかたちの戦争でアメリカに勝利することで従属から脱出する方位を探っていた。
だから、日本国内のベトナム反戦運動の高揚期と日中共同声明が同時であったことは偶然ではない。このとき、アメリカの「許可」を得ないで東アジア外交を主導しようとした田中角栄にアメリカが何をしたのかは私たちの記憶にまだ新しい。
同じロジックで政治家たちの「理解しにくい」ふるまいを説明することもできる。
中曾根康弘と小泉純一郎は戦後最も親米的な首相であり、それゆえ長期政権を保つことができたが、ともに靖国参拝で中国韓国を激怒させた経歴を持っている。彼らはおそらく「従属義務」については十分以上のことをしたのだから「謝罪義務」を免ぜられて当然だと思っていたのだ。
その裏返しが「村山談話」を発表し、江沢民の反日キャンペーンを黙過した村山富市と東アジア共同体の提唱者であった鳩山由紀夫である。彼らはともに「謝罪義務」の履行には心を砕いたが、アメリカへの「従属義務」履行にはあきらかに不熱心だった。
このようにして、戦後70年、従属義務をてきぱき履行する政権はアジア隣国への謝罪意欲が希薄で、対米自立機運の強い政権は善隣外交を選好するという「ゼロサムゲーム」が繰り返されてきた。
このロジックで安倍首相の行動は部分的には説明できる。今回の靖国参拝は普天間基地移転問題でのアメリカへの「従属」のポーズを誇示した直後に行われた。「従属義務は約束通りに果たしたのだから、謝罪義務は免じてもらう」というロジックはどうやら首相の無意識にも深く内面化しているようである。
問題は、アメリカ自身は「従属か謝罪か」の二者択一形式には興味がないということである。彼らが同盟国に求めているのは端的に「アメリカの国益増大に資すること」だけである。「われわれはアメリカに対して卑屈にふるまった分だけ隣国に対して尊大に構える権利がある(その結果アメリカの「仕事」が増えても、その責任は日本に従属を求めたアメリカにある)」という日本人の側のねじくれた理屈に同意してくれる人はホワイトハウスにはたぶん一人もいないだろう。

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