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2012年04月 アーカイブ

2012.04.02

仕事力その1

朝日新聞に4回にわたって毎週日曜に「仕事力」というインタビューを連載します。
就活学生や転職をしようとしている若い人のためのアドバイスです。
昨日、東京の方では紙面に出たようです。朝日新聞をご購読でない方のために、ご紹介しておきます。
こんな話、ま「いつもの話」ではあるのですが。

「適職」は幻想である

「君、頼むよ」と言われ仕事は始まっていく

自分の適性に合った仕事に就くべきだと当たり前のように言われていますが、適職などというものがほんとうにあるのでしょうか。
僕は懐疑的です。
それは就職情報企業が作り出した概念ではないかとさえ僕は思っています。
「キャリア教育」の名のもとに、大学2年生から就活指導が始まり、その最初に適性検査を受けさせられます。これがいったい何の役に立つのか、僕にはまったくわかりません。
大学で教えている頃に、ゼミの学生が適性検査の結果が出たのだが、と困惑してやってきたことがありました。
「あなたの適職は1位キャビンアテンダント、2位犬のトリマーと出たんですけど、私は一体何になればいいのでしょう」と。
就職情報産業は学生たちを、自分には「これしかない」という唯一無二の適職があるのだが、情報が足りないせいで、それに出会えずにいるという不安のうちに置きます。それに乗じられる学生たちが僕は気の毒でなりません。

仕事というのは自分で選ぶものではなく、仕事の方から呼ばれるものだと僕は考えています。
「天職」のことを英語では「コーリング(calling)」とか「ヴォケーション(vocation)」と言います。どちらも原義は「呼ばれること」です。僕たちは、自分にどんな適性や潜在能力があるかを知らない。でも、「この仕事をやってください」と頼まれることがある。あなたが頼まれた仕事があなたを呼んでいる仕事なのだ、そういうふうに考えるように学生には教えてきました。
仕事の能力については自己評価よりも外部評価の方がだいたい正確です。頼まれたということは外部から「できる」と判断されたということであり、その判断の方が自己評価よりも当てになる。
「キャリアのドアにはドアノブがついていない」というのが僕の持論です。キャリアのドアは自分で開けるものではありません。向こうから開くのを待つものです。そして、ドアが開いたら、ためらわずそこの踏み込む。

消費者マインドを就職に持ち込まない

 

労働市場における「適職」という語の意味は、意地悪く言えば、「自分が持っている能力や素質に対していちばん高い値段をつけてくれる職業」のことです。とりあえず今はそういう意味で使われている。最も少ない努力で、最も高い報酬を得られる職種を求めるのは、消費者にとっては自明のことです。いちばん安い代価でいちばん質のよい商品を手に入れるのが賢い消費者ですから。
その消費者マインドが求職活動にも侵入している。
でも、「費用対効果のよい仕事がいちばんいい仕事だ」というロジックを推し進めれば、ディスプレイの前でキーボードを叩くだけで何億円も稼ぐような仕事がいちばん「賢い」仕事だということになります。
でも、「仕事をする」というのは「手持ちの貨幣で商品を買う」ことではありません。
それはむしろ、自分がいったい何を持っているのかを発見するプロセスなのです。
(つづく)

2012.04.04

「リアリスト」に未来はあるか?

「入学の春を迎えた大阪の学校に重苦しい空気が漂っている。橋下徹大阪市長の意向で、教職員に君が代の起立斉唱を義務づける全国初の条例が施行されたことを受け、約13000人の教職員に職務命令が出され、厳密な確認が始まったからだ。」(朝日新聞、4月4日)
起立斉唱の職務命令に三回違反すれば免職できる規定もできた。
3月2日の府立和泉高校の卒業式では教頭が校長の命令で、教職員が歌っているかどうか口元を確認して、歌っていなかった教員一名を府教委に報告した。市長はこれを範として、監視を徹底することを市役所幹部や府教委に伝えた。
市長のロジックは「税金で身分保障されている公務員は業務命令を遵守すべきであり、いやなら辞職しろ」というものである。
国歌国旗問題については、これまでも繰り返し発言してきた。
私が統治システムにかかわることで主張しているのは、つねに同じことである。
「その政策は健全な公共心をもつ成熟した公民をつくりだすことに資するかどうか」
それだけである。
国歌国旗は端的に「国民国家に対するクレジット供与」の問題である。
これはひとりひとりの市民が自分の立場で熟慮して結論を得るべきことだと私は思っている。
国民国家は擬制である。
福沢諭吉はもっとはっきりと「私事」だと言った。
昔誰かが勝手にそういうものをつくったのである。
国境線をひいて、「こっちからこっちはおれの国だ。入ってくるな」というようなことを言い立て、国法を定め、国語をつくり、国旗をデザインし、国歌を作曲した。
どれもみな「つくりもの」である。
でも、この「つくりもの」には十分な必然性があった。
それがないより、あるほうが「公共の福利」が増し、住民たちにとって暮らしやすい社会ができるだろうという見通しに多くの人々が同意したからこそ、「そういうもの」をつくったのである。
国民国家は本質的に恣意的な構築物である。
だが、それがきちんと機能するためには、それがあたかも自然物であるかのように、天来のもの、神授のものであるかのように、ふるまってみせる必要がある。
「自作したもの」をあたかも遠い昔からそこにあった自然物でもあるかのように崇敬してみせることができるかどうか。
それが「できる」ということが市民的成熟のひとつの条件だと私は思っている。
国旗国歌に対して「適切にふるまう」ことができるのが成熟した国民国家成員の条件である。
ここには複雑な言葉が含まれている。
それは「適切な」という言葉である。
国民国家成員のシステムに対するふるまいかたの「適切性」は何を基準にして考量されるべきか。
私の答えは上に書いたとおりである。
そうすることがその人自身にとって、必至にして必須の「市民的成熟への階梯」であるならば、外形的にどのようなふるまいであっても、それは適切である。
私はそう考えている。
子どもは国民国家について反省的に思量するということがない。
だから、ぼんやりと国歌を歌い、国旗に敬礼する。
けれども、子どももある程度成熟してくれば、国民国家という制度が歴史的な構築物であり、本質的に暫定的な制度であるということを学ぶことになる。
そうなると、かつてふるさとの山河や草木のような「自然物」に向けたのと同じ素朴な感情を、そのまま国旗や国歌に対して持つことが出来なくなる。
でも、この屈託は市民的成熟にとって必須の過程なのである。
儀式で起立斉唱しない人々はこの「屈託」のうちにある。
それは成長の自然過程だと私は考えている。
国旗国歌に対する敬意を欠く公務員は、憲法に対する敬意を欠く政治家と同じようなしかたで「屈託」しているのである。
それは人間的な未成熟のあらわれであり、悪意や邪念のあらわれではないと私は思っている。
だから、私はいずれについても処罰を求めない。
「憲法に反対なら、公務員をやめろ」というようなことは言わない。
市民的未成熟は「教化」の対象ではあっても、「処罰」の対象ではないからである。
気長に待つしかない。
いずれ長く生きているうちに、世の中にはどこにも「完全な統治システム」は存在しないし、自然物のように合理的で調和的な社会システムは望んで得がたいことを知る。
そして、「ありものをどう使い回すか」というブリコラージュ方向に知恵を向けるようになる。
私たちに与えられた不可避の与件である、この「日本」という国民国家システムを適切に管理運営し、より暮らしやすい場にするために、自分は何をすればいいのか、それを考えるようになる。
「国民国家は擬制であり、私事である」ということをわきまえた上で、なおかつ私たちにはさしあたりそれ以外の選択肢がない、さて、これをどのように気分のよいものにすべきか、とまずは手元足元の工夫から始める人のことを「成熟した市民」と呼ぶ。
これが標準的な「市民的成熟」の階梯である。
私が国旗国歌に対する業務命令や法的強制に原則的につねに反対してきたのは、それがこの健全な市民への成熟の行程の妨げになると思うからである。
「国民国家とは何か」についてひとりひとりが、自己責任において、思量することこそが国民国家成員にとっては不可避の義務である。
それは自分の代わりに他人に考えてもらうことではないし、他人に命令されることでもない。
国民国家に対する態度を自己責任で決定するものが国民である。
日本国憲法は「日本国民は」という主語から始まる。
それが日本の統治システムがいかなるものであり、それが国際社会においてどのような立場を占めることになるのかを宣言している。
もちろん、憲法もまた一つの擬制にすぎない。
GHQに集まったニューディーラーたちがワイマール憲法やソ連憲法や人権宣言を按分して作文した「つくりもの」である。
憲法を制定した「日本国民」などというものは実体としてはどこにも存在しない。
けれども、擬制というのは、「そういうものがある」という話にしないと機能しない。
日本という国のあり方を決定する「国民」というものがある種の「集合的な叡智」のごときものとして存在する、という話にしないと、国家的行動というものは一歩も前に進まないのである。
この憲法前文を書いたのが実際には何人かのアメリカ人であるという歴史的事実を知った上で、なお「日本国民は」という名乗りをなすような「集合的叡智」が当為として存立しなければならないというふう考えることができるのが、成熟した国民である。
そのようなものは自然物として即自的に存在するわけではない。
それは私たちが、私たちのこれからの努力を通じて、遂行的に存在させるべきものなのである。
もし、「この憲法前文を書いたのが実際には何人かのアメリカ人であるという歴史的事実」というにとどまって、「だからこんなものはナンセンスだ」という「リアリスト」がいたら、彼は「戦争に勝った国の人間は敗戦国民にどのような無理難題も押しつけることができる」という命題を「現実的」だと思っていることになる。
けれども、そのときにこの「リアリスト」もまた「戦争に勝ったアメリカ人たち」にはある種の「集合的な意思」があると思っているし、「敗戦国民」には全員に共通する「負け犬的メンタリティ-」が内在していると思っている。
彼もまた「国民」という集合的な意思や感情が存在するということは無批判に前提しているのである。
この「リアリスト」が未成熟なのは、「欲望や支配欲や卑屈や弱さ」は集合的性格でありうるが「できるだけフェアで住みやすい統治システムをめざす意思」が集合的に共有されるということは「ありえない」と信じているからである。
「色と欲」だけがリアルであり、「きれいごと」はフェイクだというのは、その人のパーソナルな経験が生み出した私見であり、一般性を要求できるようなものではない。
けれども、多くの自称「リアリスト」はこの水準から出ることがない。
大阪で今行われていることは、この「リアリスト」のふるまいに似ている。
「リアリスト」の目には学校は「自己利益を追求するだけで、特権にあぐらをかいている公務員たちの巣窟」に見える。
欲望や卑屈さが教職員たち全員を共軛する集合的性格としてありうるということを信じているこの人々は、「教育的理想の実現をめざす」という集合的性格が教職員たちに共通して存在するということは信じない。
政治の教育への介入を拒否するのは「既得権益を死守する」のためのふるまいであるということは信じるが、それが「教育的理想を死守する」ためのふるまいである可能性は勘定に入れない。
人間が醜悪で卑劣な動機から行動することは信じるが、何かしら崇高で非利己的な目的のために行動することは信じない。
繰り返し言うが、それは特殊な個人史的経験がもたらした私見である。ある範囲においては、妥当する事例を見出すことができるだろう。だが、一般性を要求できる水準の知見ではない。
そのような「リアリズム」に導かれて市民的成熟が達成することはないし、集合的叡智が機能することもない。
「私欲と我執だけが信じられる唯一の現実だ」という人間理解に居着いた「リアリスト」がそこから解放されることは困難である。
そして、そのような「リアリスト」は「すでに存在する現実」について微細な報告をなすことはできるけれど、「これから存在させるべき現実」について、手触りのはっきりした、ひろびろとしたイメージを語ることができない。
集団的な統合を果たすためには、「人間は非利己的で、崇高な目的をめざして行動するときに、もっともそのパフォーマンスを高める」という人間性についての「確信」が必要なのだが、「リアリスト」の観察した事例のうちには、そのような人間観を担保してくれる経験がどこにも存在しないからである。

2012.04.06

大学における教育-教養とキャリア

去年の11月に追手門大学の建学45周年行事にお招き頂き、記念講演をしました。
そのときの講演録が活字になって配布されました。
手元にはデータが残っていましたので、ブログでご紹介致します。
だいたい「いつもの話」なんですけど、ところどころ「新ネタ」もあります。


はじめに
僕が第一回目の講師だということで多少不安に思っています。僕は3か月前まで大学教師だったのですが、今では大学のことを忘れつつあります。今日は「大学における教育」というテーマですので、記憶が残っているうちに語ることができればと思います。
この3か月で「あなたは変わった」と周囲の人に言われる機会が増えました。「以前はもう少し節度があった」そうです。当時は神戸女学院大学という看板を背負っていたため、自制していた部分も多かったのです。看板がなくなった途端、気楽になってしまい、各所で「言いたい放題」になっています。組織の中の人間は気づかぬうちに重たいものを背負って自己規制しているのだなあということを実感しています。そういう節度がなくなってきておりますので、あるいはお聞き苦しい点もあると思いますが、その場合は、どうぞご海容ください。

日本の教育の現状
今日頂きましたのは「教養とキャリア」というテーマです。
まず話の前提から確認したいと思います。
日本の教育は、初等教育から大学に至るまで、すべてがあるピットフォール(落とし穴)に嵌まり込んでいるように思えます。そこから抜け出すには、もう少し大きな視点で、日本の教育を世界の教育と比較し、それと同時に日本の教育史の中で、日本の近代教育の50年間の変化を比較すべきだと思います。空間的な広がりと時間的な広がりの両方の観点から、日本の高等教育を考える。狭い視野で考え、短期的に成果が出るような教育改革にのめり込むと、さらに深い落とし穴に陥ってしまう恐れがあります。

新聞記者とのやり取り
このピットフォールに大学だけではなく日本全体が嵌まり込んでいる、そんなふうに思えます。 その思いを強くしたエピソードを紹介します。今朝、ある新聞社から取材依頼の電話がありました。「3月11日の震災以降、我が社の震災や原発関連の報道に関して、読者から『官邸・東電の発表をそのまま伝えているだけの大本営発表ではないか』という批判が非常に多い。これについて検証記事を書きたいので、識者のコメントとして一言欲しい」というものでした。それに対して僕は20分間、電話口で言いたい放題言わせていただきました…(笑)。以下のような話です。

僕は実は3か月前からその新聞社の紙面審議委員をしているのですが、紙面審議委員は各新聞を比較するのも仕事のうちですから、そのため毎日(日経、毎日、朝日、読売の)4紙を読み続けています。しかし、震災・原発関連の報道に関しては、日経新聞を除く3紙には特段の違いが見られません。どこも同じことが書かれている。「大本営発表」と批判されるのは、官邸や東電がプレスリリースしたものをそのまま無批判に載せていることではなく、各紙がそれについて同じことを書いていることが問題なのです。分析、解説、社説まで同じでは、それぞれの新聞の存在理由がありません。
 浜岡原発の操業中止についても、菅首相が操業中止を要請する前日まで、「問題はあるが、原発は必要だ」ということを官邸、財界、電力会社もメディアも言っていた。それが、一夜にして「浜岡は操業中止すべきだ」に論調が変わってしまいました。政策についての判断が変わることは構いません。でも、これだけ多くの人々が、立場の違う人たちが、重大な政策決定に関して一夜で同じ方向に方向転換するということは、何らかの外力が働いたのでは、と考えたくなる。
 インターネット上では、この決定に関して「米軍からの強い要請があったのではないか」という推測が当然ながら上がっていました。浜岡原発は横須賀にある第7艦隊の総司令基地から150キロしか離れていません。浜岡原発で事故が起こり、基地機能に支障が起きるとアメリカの西太平洋戦略全体に強い影響が出る。これは確かにその通りでしょう。だとすれば、アメリカから日本への基地機能にかかわるような原発の操業について慎重な対応を求めてくるというのは、かなり蓋然性の高い推論です。インターネット上では、このような噂が多数出回っていました。
これらは「流言蜚語」と言ってよいと思います。論拠がなくて、推理しているだけなんですから。でも、蓋然性はある。それに対して、責任あるメディアなら「このような流言蜚語がネット上に行き交っているが、それは違う」という発言をなしてもよいのではないか。
少なくとも前述のように、説得力のある推理が政府の重大な政策決定に対して語られていた場合、メディアの側だってそれを知っているなら、それに関してコメントしてもよろしいのではないか。そう申し上げました。
このような推論はそれほど不適切ではない。米軍は日本の原発の安全性に対してつよい関心を持っていて当然です。アメリカの国益を守るという立場から、日本政府に対して何らかの要請をしてきたということはありうるわけで、だとしたら、そういう情報の裏を取る必要があるのではないか。
さらに、平田オリザさんが韓国での記者会見で「福島原発で放射能汚染された海水を海洋に投棄したのは、アメリカからの強い要請があったからだ」という発言をしました。翌日に官邸から強い抗議があった。枝野官房長官は「平田氏はそのようなことを知る立場ではなかった」と述べ、平田さん自身も「そのようなことを知る立場にはなかった」と述べていました。
でも、これは変な言い方ですよね。「そのようなことを知る立場にはなかった」という言明と「僕の発言は嘘です」という言明では、レベルがまったく違う。
しかし平田さんは、鳩山内閣以来の内閣参与です。ただの一般人ではない。頻繁に内閣に出入りする機会はありますし、「バックステージ」で取り交わされる会話を耳にするということだってなくはない。平田さんはですからその伝聞の真偽に関しては否定していない。嘘をついたとも言っていない。ただ、「そのようなこと」を公式に知らされる立場ではなかったと言っただけです。ということは、非公式には知れる立場にあったということでしょう。だとすれば、官邸の周辺で「ここだけの話」という枠組みの中ではあれ、アメリカの原発事故についての関与についてさまざまな話が現に語られていたということです。
このような「さまざまな話」をメディアは検証しなくてよろしいのか。永田町の政局の話だと、嘘かまことかわからないような「さまざまな噂」を熱心に報道して、その真偽をうるさくかき立てるメディアが、どうして、こういう話に対してはまったく関心を示さないのか。僕はこの関心のなさがむしろ気になる。
そのほかにも、同じ内閣参与だって、松本健一氏も首相の失言をリークした。後で否定しましたけれど、一般市民は「たぶんそういうことをほんとうに言ったんだろう」と思っています。首相が言いもしないことを「言った」としらじらと嘘をつくような人物を首相官邸が参与として招くはずがない。
僕は一般から登用されて官邸に近い人たちが「うっかり」漏らしたことはおおすじで真実だろうと僕は思っています。政治家であればごまかすでしょうが、素人は別に嘘をつく必要がない。だから、ただ、聞いたことを言った。その発言の政治的な影響を十分考えなかったのは、彼らが素人だからです。そして、素人は自分の発言の政治的影響力をあまり過大評価しない。だからこそ、僕はその発言が真実である可能性が高いと思っています。でも、平田発言については、何も続報がなかった。僕は真偽が知りたかったのに、それで終わりだった。ですから、電話で訊いていた記者に「あなたの新聞社の記者は、平田発言について、裏を取りましたか?」と訊ねました。「いない」という答えでした。これはおかしいと思う。「確かに記者が平田発言について取材したいといっても、上層部からやめておけと止められることはあるかも知れない。また、実際に裏を取ったとしても、うかつには記事にはできないかもしれない。でも、記事にしないにしても、取材だけはしておくべきでしょう。編集会議でこの件について取材をすべきだ、裏を取るべきだという提案はなかったか」尋ねました。「なかった」そうです。
しかしそれでは、読者の要請に応えていないでしょう。読者は個別的なイシューだけではなく、それがどういう文脈の上で起きているのか、そのコンテクストを知りたいのです。
僕たちが知りたいのは、「日本列島の原子力政策に対するアメリカの中長期的な政策はどのようなものか。そして彼らはアメリカの国益を最大化するために、今後、どのように日本の政策に関与し、世論を導こうとしているのか」ということです。これはきわめて緊急性の高い論点であるはずです。
でも、僕はこの3か月間、このような問いの立て方で記事を、どの新聞でもついに一度も見ませんでした。「アメリカは対日原子力政策をどのような方向に持って行こうとしているのか」というのは日本が原発処理の対応策を起案する上で、どうしても無視することのできない情報でしょう。だったら、それをじっくり推理する連続記事があってもよい。読者はそれを知りたがっているんだから。でも、新聞はそういうことは書かない。

横並びになっているメディア
だから、僕はそういうことはどこかから政治的圧力がかかっていて書けないのかと思った。そう訊いてみました。でも記者の回答は意外にも、そのような政治的な圧力はどこからもかかっていない、というものでした。彼が嘘をついていないことは、口ぶりからわかります。むしろ、そんなことを訊かれてきょとんとしていた。「政治的圧力なんかありませんよ」というのを聴いて、僕は逆にそのことにメディアの弱さを感じました。新聞社側が勝手に自粛しているんですよ。というより、そもそもそのような問題があるということが意識に上がっていない。
これは極めて深刻な事態ではないでしょうか。日本の新聞が駄目になっていると言われる原因はここにあると思う。どの新聞も、ほかの新聞と違うことを書かないようにしているんです。
複数の新聞が存在している理由があるとすれば、それは、新聞ごとに同一のイシューに対する取材の仕方、切り口、評価、分析、世論をリードする方向が違うからでしょう。一つの問題について、複数のアプローチが示されてはじめて目の前にある問題が立体感を持ってくる。世界や日本の出来事をほんとうに理解したいと思ったら、単一の視点からではなく、複眼的に見ることが大切なのは当たり前です。
違う情報源からニュアンスの違う情報を取ってくる複数のメディアが併存しているからこそ、僕たちは問題を立体視することができる。そのために、ジャーナリストは「いかにしてほかのジャーナリストも見ているものから、ほかのジャーナリストが見ていないものを見出すか」を競うべきなのです。でも、そういう野心を今のジャーナリストに見ることはむずかしい。

思考停止に陥るメディア
昨日(7月6日)、松本復興相が暴言により辞任しました。これにはいくつもの興味深い、兆候的な事例が含まれています。
一つは、ほとんどの新聞が岩手県庁、宮城県庁における松本大臣の暴言をベタ記事で報道していた点です。「県庁を訪問し、このような意見交換をした。知事を激励した」というだけの記事。何の事件もなかったように書かれている。ただ、朝日新聞だけは「かなり厳しい発言があったため、来週以降野党から追求があるだろう」と踏み込んだ内容を書いていました。その後、テレビで県庁での大臣と県知事とのやり取りが放映されて、一気に世論に火がつきました。被災地を中心に、大臣への批判がわき上がった。そして、またしても一夜にして「大臣は辞めるべきだ」という社説を多数の新聞が書き立てた。大臣が暴言を吐いたのは一昨日のことです。第一報ではそれを無視し、人々が気づいて騒ぎ出したら、世論の流れに棹を差さなければということで、「皆と同じこと」を社説に書いた。
これは新聞としては自殺行為だと思う。新聞は「社会の木鐸」でしょう。皆があちらを向いている時に「いや、そっちじゃない。こちらを向け」という指南役を期待されているんじゃないですか。でも、今の新聞はそうじゃない。世論があちらを向いていると、昨日と意見を変えて同じ方向を向こうとする。
それに、松本大臣の発言における最大の問題は「オフレコ指令」でした。「今の最後の発言はオフレコだから、発表するな」という恫喝があった。
面白いことに、「最後の発言」というのは知事に対する「頑張れよ」というものだったのですが…。この「頑張れよ」にいったいどのような政治的に重大な意味が含まれていると思って彼はオフレコを指示したのか。
従来「オフレコ」という取材方法は、政治家と担当記者の間ではよく使われます。「オフレコ」の情報は、実際に紙面には書けない。でも知っておくと、今起きている政治的な状況の意味がわかる。その情報を知ることで、記者はより正確な報道を行うことができる。その結果、読者も利益を得られる。結果として読者が今起きていることについて正確な理解を得られるなら、その過程で一部の情報が「オフレコ」にされることがあっても構わないと僕は思います。算盤勘定が最後に合えば文句はない。
でも、今回の事例では、そのことを報道しないことによって得られるより質の高い情報というのは、どこにもない。知事に向かってえらそうに言った「頑張れよ」をオフレコにするということに何の意味があるんです。「頑張れよ」という発言を報道しても政治家にとって何の支障もない。問題は、そもそも報道し、記事にすること自体に意味がないようなステートメントについて、政治家が「これはオフレコだぞ」と命令できるということなんです。無意味なステートメントについて「これをオフレコにしろ」とメディアに向かって命令する。それが無意味であればあるほど、この政治家のメディアに対する権力的な優位性は強まる。そういうものですね。権力者というのは無意味なことをさせることができるから権力者なんです。命令することがすべて理にかなっていて、筋が通っているなら、そんな人はどれほど強大な権限を持っていても、権力者とは言われない。
松本復興相という人は、無意味なことをべらべらしゃべって、最後に「この場のボスは誰だ?オレだよな?」ということをその場にいた全員に確認した。無意味な発言について「これはオフレコだぞ」と言ったのは、内容が秘匿すべきことだったからではありません。そうではなくて、「ある発言を報道してよいかよくないかを決定する権利はオレに属し、報道する記者にはない」ということを言ったのです。彼は「誰がこの場のボスであるか」を確認した。そして、全員が「あなたがボスです」と返事したのだと思って、納得して立ち去った。
このような場面で、新聞記者に「ふざけたことを言うな」と政治家に向かって怒鳴りつけろとまでは言いません。でも、気分が悪くなった、というくらいの反応はあって然るべきじゃないんですか。「あの男が操っているロジックは何を意味するのか?彼はこのような無意味な行動をすることによって何をしたいのか?」というくらいの問いに一歩踏み込んでも罰は当たらないんじゃないですか?でも、新聞記者たちはそんな面倒なことは考えずに、思考停止した。
でも、翌日に、テレビで流れた映像からから大臣へのバッシングが始まると、それに乗じて新聞もバッシングを始めた。どうして一夜にして事件の評価を変えるのか。その場で何が起きていたのか、現場にいた記者たちは見ていたわけでしょう。それが「事件性はない」と判断しておきながら、テレビが騒ぎ出したら「事件性がある」ということに評価を変えた。これは恥ずかしいことだと思う。それが恥ずかしいことだと感じていないことがもっと恥ずかしい。

加藤嘉一氏との対談を通じて
昨日、あるビジネス雑誌の企画で、加藤嘉一氏との対談がありました。彼は僕の書いた『街場の中国論』を読んでたいへん共感したそうで、今回の対談が行われました。非常に聡明な青年で、高校卒業と同時に北京大学へ入学し、大学院へ進み、修士課程を卒業し、27歳となった現在は中国のメディアで活躍しています。彼を紹介したジャーナリストは「日本人で一番胡錦濤に会った人」だと言っていました。彼は2008~9年ごろからブログをはじたのですが、累計アクセス数は約5400万だそうです。すごいですね。その他、香港系のメディアを通じて、ツイッターをしているのですが、フォロワーが約61万人いるそうです。中国ウォッチャーは中国嫌か、中国ひいきかどちらかに偏る傾向がありますが、彼は非常にバランスがよい。中国のこの点はよいが、この点はよくないと、判断に曇りがない。
彼は8年間中国に住んでいるそうですが、日本に帰ってくると、中国の若者と日本の若者はまるで別人種のように感じるそうです。日本の若者は中国の若者が「思考、表現の自由、集会結社の自由など、さまざまな面を規制され、非常に不自由な人生を送っている」と思っている。それに引き比べて、日本の若者の方がずっと自由だ、と。でも、加藤君に言わせると、むしろ逆で、日本の若者の方が檻に閉じ込められているように見えるんだそうです。
中国の若者たちはたしかにある意味ではずいぶん自由奔放です。加藤君によると、中国にある実質的な規制は一つだけで、それは「現在の共産党独裁の統治体制については文句を言わない」それだけ。それさえ守っていれば、それ以外のことについては何を発言しても構わない。
もちろん、共産党支配に対する不満は実際はインターネット上に溢れています。ですから、フェイスブックやツイッターといったネットによるコミュニケーションに中国政府は警戒心を忘れていない。でも、加藤君によると、政府が目を光らせているということは、逆に言えば、いかにインターネットに力があるのかを物語っている。
なにしろ、今の中国の国家予算の中で「治安公安経費」が突出して高額なのだそうです。軍事費より多い。そして、この治安公安経費のほとんどは、ネットの調査に使われているんだそうです。ネット上に出る「不都合な情報」を細大漏らさず点検し、一つ一つ潰していくためだけの仕事に数万人という人が雇用され、24時間体制で働いている。彼らの給料を払うため、巨額の予算が組まれているのです。ネットの監視にそこまでの国費を投じるということが、ネット上の発言の政治的影響力の強さを逆に示している、というのが加藤君の見解でした。
そう言われて振り返ってみると、日本の若者たちのネット上の発言を政府が真剣に監視しているということはほとんど考えられない。たしかに政治的な自由は日本の若者には保証されている。けれども、真剣な政治的議論が交わされるわけではないし、その意見が政策決定に反映されるチャンスもない。そもそも統治者が若者たちの政治的意見に何の関心も持っていないのであれば、政治的自由なんかあっても事実上は無意味だということになる。だとしたら、日本の若者は政治的自由を謳歌し、一方中国の若者は政治的に不自由だとは言えないのではないか、というのが加藤君の見解でした。そう言われて、なるほどと思いました。
中国の若者の中には、何十万人、何百万人というフォロワーを持つネット上の発信者がたくさんいます。彼らは毎日そのときどきの政治的トピックについて発言し、そうやって中国の状況に影響を与えている。これを「政治的自由」と呼ばずして何と呼ぶべきか。

日本人の「横並び主義」
そういう話をしているときに、対談に随行していた若い記者が最後に「日本の若者がこれからどう生きたらよいのかについて、一言簡単にまとめをお願いします」と言ってきました。僕はついかっとなって、「それがダメなんだよ」と説教してしまいました。
どうして、簡単に「正解」を求めるのか。誰かが「こうすればいい」と言うと、あたりをきょろきょろ見回してみて、何となく「それでいいんじゃないか」というような雰囲気になれば、一斉に「じゃあ、それで」ということになる。そういう日和見的な態度こそが日本の若者たちを非活動的にしている、という話をしているときに、「日和見主義的な態度から逃れるにはどうしたらよいのですか」と訊いてくる。訊いてどうするです。
メディアそのものがつねに「マジョリティに支持されるソリューションを差し出さなければならない」と思い込んでいる。
ちょっとメディアの人に意地悪して、こう質問しました。「あなたたちの雑誌が若者に提示している典型的なサクセスモデルっていうのは、アメリカに留学して、MBAを取って、外資系の企業に入社し、独立して起業して、財を成す…というものですよね」と尋ねました。彼がうなずいたので、僕は「そういうのを定型と言うのだよ」と申し上げました。
もちろん、そのような生き方をする人もいるでしょう。でも、なぜそんなものをあたかも究極のサクセスモデルであるかのように喧伝するのか。メディアがそのように「成功者とはこういうものである」というふうに生き方のバリエーションを限定すればするほど、若者たちは希望をなくしてゆく。英語ができなくても、親に留学させるだけの資力がなくても、金儲けに興味がなくても、たちまちこのサクセスモデルからは脱落してしまう。メディアがほんとうに日本の若者には元気がないと思っていて、何とか希望を与えたいと思うなら、やるべきことは「これがサクセスモデルだ」という定型を示すことではなくて、「人間、いろいろな生き方があります。十人十色です。みんな自分がほんとうにやりたいことをやりましょう」とアナウンスすることでしょう?
もちろん、若者向けメディアも「いろいろな生き方」を提示してはいます。個性的な生き方をしている人たちを紹介する頁が必ずある。でもね、これが悲しいほど定型的なんです。「脱サラして妻と二人でおしゃれな山荘を経営して、こだわりの料理を出している」というようなのばかり飽きるほど見てきました。どうして定型を脱するときにも、この人たちは定型のままなんだろうと絶望的な気分になることがあります。でも、しかたがない。「これが定型からはずれた、おしゃれで個性的な生き方だ」という雑誌の特集を見て、「おお、これはいいな。オレもやろう」と真似する人が出てくるから、そういうことになる。ドロップアウトの仕方まで定型に従おうとする。ほんとうに個性的な生き方をしている人間は今のメディアには出てきません。メディアのアンテナがそういう人は探り当てられないんです。でも、ほんとうはそういう人たちのはげしく個性的な生き方を見せてあげることが若者たちにとってはいちばんの励みになるんです。「なんだ、こんなふうにしてもいいんだ」と思えると、人間はほっとする。メディアがほんとうに若者の不活動的傾向を何とかしたいと思っているなら、どうすれば若者たちがまわりを気にしておどおど怯えなくて済むように定型から解放してあげることが第一の仕事なんじゃないですか。

グローバルという名のローカル
そうしたら、今度は「日本の若者は内向きなんですよね」という話になった。そういう「内向き」というような定型句で括る習慣からどうやって逃れるか、という話をしているときなのに。だから、その記者に「内向き」の反対語を訊ねてみました。すると、「グローバル」ではないかと答えました。
なるほど。これは興味深い答えですね。「内向き」の反対は「グローバル」。でも、これこそまさに定型の極致と言うほかないと僕は思います。
「グローバル」な人間の条件というのは、簡単に言ってしまうと、「英語が話せて」「高い収入を得ている」の二点だけです。それを満たしていれば、グローバル。なんですか、これは。
イギリス、アメリカが二世紀続けて世界の覇権国家であったという歴史的条件ゆえに、今の世界では英語が国際共通語となっています。最強の覇権国家であるアメリカは大変特殊な建国理念を以て制度設計された国ですが、その制度が採用したローカルな基準が、たまたま今は「グローバル・スタンダード」と呼ばれている。世界最強国のルールですから、さしあたり他の国はそれに従うしかない。でも、それでも、結局はテンポラリーなものに過ぎない。いずれ何十年か後には廃用されて、別のルールに取って代わられる。
英語が国際共通語になってからまだそれほど年月が経ったわけではありません。少し前まではフランス語、ドイツ語も国際共通語だった。1970年代の国立大学の理系で一番履修者が多かった第二外国語はロシア語ですよ。もう誰も覚えていないと思いますが、その頃、自然科学分野の一部ではロシアが世界のトップランナーだった。ですから、自然科学をやる学生たちにとっては、ロシア語が英語に並ぶリンガフランカだった。そんな時代があったのです。米ソの東西冷戦期に、ソ連が極めて高度な科学技術を持ち、宇宙開発競争でもアメリカより一歩先を行く最先進国だったからです。そのような時代には、世界の最先端の論文を読むためにはロシア語が必要だった。でも、もうみんなそんなこときれいに忘れてしまいました。でも、英語にだって同じことが起きるかも知れない。
「どのような外国語が国際共通語になるか」ということは、ほぼ100パーセント歴史的条件に依存しています。そして歴史的条件である以上、それは次々と変化する。当然のことです。ですから、今「グローバル」という言葉が指しているものは歴史的には局地的・一時的な現象に過ぎない。
日本の政治家や官僚たちは、すべての国民国家がまったく同じようにグローバルな経済競争を戦っているというふうに国際関係をとらえている。でも、それはずいぶんシンプルな国際関係理解です。
アメリカと中国と日本の3国を並べて見ても、政治単位としてしてはそれぞれ一つとして数えられるけれど、国としての成り立ちも、ありようも全然違う。「国際連合の加盟国」とか安保理の票数といったレベルでとらえると、一国はどこも一国にも思えますが、そうではありません。
中国は4000年前から中国です。まるで自明のことのように「中国のような発展途上国は…」というようなことを言う人がいますが、そういう人は中国が世界最初の文明が生まれた、世界で最も先進国な都市国家だということを忘れている。アメリカは250年前にできたばかりの国です。それもプロテスタントの移民たちが理想的な福音国家を作ろうと精密な制度設計をした上で建国された国です。日本列島にはいつのまにか人が住み着き、国家ができたのはずっと後ですし、近代的な国民国家になったのはわずか150年前です。どれも成り立ちが全く違う。それを統一のグローバル競争のパートナーであり、どの国も「要するに金が欲しいのだ」とみくびるのは危険なほど射程の狭いものの見方だと僕は思います。

真の「国際性」とは
2003年に文科省は「英語が使える日本人」という行動計画を出しました。そのホームページには次のように書いてあります。
「経済、社会などのグローバル化が進展する中、子供たちが21世紀を生き抜くためには、国際共通語となっている英語でのコミュニケーション能力をつけることが必要であり、このことは、子供たちの将来のために、我が国の一層の発展のために、非常に重要な課題である。その一方現状では、日本人の多くは英語が十分でないために、外国人との交流で制限を受けたり、適切な評価が得られないといった事態が生じている。同時にしっかりした国語力に基づき、自らの意見を表現する能力も十分とはいえない。」
ひどい文章ですね。まずは、これを書いた人の国語力をなんとかして欲しいけれど、それはいいです。それ以上に由々しきことがここには書いてあります。
第一に、「経済、社会などでのグローバル化が進展している」とあります。それがすべての問題の前提条件になっている。でも、たいせつな視点が抜けている。「政治」が抜けている。
今、僕たちが理解しなければならないのは「政治のグローバル化」あるいは「グローバル化した世界における政治」はどのようなものかということなのです。経済競争や文化交流するより前に、いったいどのような国際政治的な文脈の中にわれわれはいるのか、ということからコミュニケーションの問題は開始されなければならないのに、文科省は「政治」に関しては無言を貫く。むろん、「歴史」についても一言も語らない。われわれはどういう場所に立っていて、何をしようとしているのかを抜きに、一国の外国語教育の基本戦略が立てられるはずがない。にもかかわらず、それについての言及がここには一言もない。あるのは「ビジネスの話」だけです。ビジネスのグローバル化が進行している。このメガ・コンペティションを勝ち抜くためにはとにかくたくさんお金を稼ぐことが重要である。そのために英語のコミュニケーションは必須だ・・・というふうに話は進む。金儲けより先に国としてなすべきことがあるのではないかという発想がここには全くありません。
「その一方で」以下にも腹が立ちました。「日本人の多くは英語が十分でないために、外国人との交流で制限を受けたり、適切な評価が得られないといった事態が生じている。」
これはきわめて不公平な言語状況です。何よりもまずそのことに「腹を立てる」ところから始めるというのが常識的な態度ではないんですか。
今は覇権国家の国語である英語が国際共通語である、だから、英語を母語としている話者は政治でも経済でも学問でも、あらゆる分野でアドバンテージを得ている。非英語圏の人間は英語ができないというだけで「適切な評価が得られない」というハンディを背負わされている。これは言語状況としては端的に「アンフェア」です。けれども、それが現実である以上、たいへんに悔しいことではあるが、この不利なルールでゲームをする他ない、というのがまず国民国家としての最初の立場ではないんですか。
もし戦前に、日本が植民地支配している地域で、現地人の教育官僚が「日本語でのコミュニケーション能力をつけることが、子供たちの将来のために、我が国の一層の発展のために、非常に重要な課題である。その一方現状では、わが国民の多くは日本語が十分でないために、日本人との交流で制限を受けたり、適切な評価が得られないといった事態が生じている」というようなステートメントを国民に向けて発令していたら、僕たちはどう思うか。たぶん、にやにや笑うでしょう。おお、がんばって日本語勉強して、オレたちにもわかるようにしゃべれるようになってくれよ(使い易いから)、と。文科省のHPを読んだ英語話者たちはたぶんそう思っている。そして、日本人が百年やっても英語を母語のように話せるようにはなれない。それまではあらゆる分野で英語話者のアドバンテージは揺るがないと思って安堵している。
僕はリアリストですから、「それが現実だ」ということは受け容れなければならないと思います。でも、「これは差別的で、勝者を固定化しようとするアンフェアなゲームだ」という客観的な判断は譲るわけにはゆかない。文科省が国民教育を担う部局であるなら、まずこの「国民的なハンディに対する怒り」の表明から始めるべきではなかったんですか。
一国の教育行政をあずかる官庁が、「支配者たちの言語を使えないと馬鹿にされるので、馬鹿にされないように頑張ろう」と言っている。これが奴隷根性であり、属国根性であるということに彼らは気づいていない。「アメリカが覇権的に支配しているステイタス・クオを受け容れる」、「国民国家の責務はいかなる政治的野心も持たず、ひたすら経済競争に勝ち残ることである」、「英語を母語とする人たちから仮に不適切な評価を受けたとしても、それは自己責任である」。これほど屈辱的なステートメントを日本の中央省庁がそのホームページに掲げている。そのことを誰も「屈辱的だ」と指摘しない。
このような状態のことを「ローカル」と呼ぶのだろうと僕は思っています。文科省に代表されるこのような属国根性を指して他国の人々は「日本人は国際性がない」と言っている。
「英語を使える日本人」をほんとうに作り出したかったら、日本の子供たちに英語が必要な理由をはっきりと説く必要があります。どうして他国の言語でゲームをしなければいけないのか、その理由を教えなければならない。
理由は簡単です。「日本は敗戦国だから」です。戦争に負けた国である。だから、どれほど悔しくても、勝った国のルールに従わなければならない。この「悔しさ」だけがかろうじて敗戦国の国際性を担保する。その意味で、「英語ができる日本人」プログラムにはまったく国際性がない。
ある人間が「国際的である」というのは、「外資系の企業に採用される」とか「外国の支店に派遣されてもすぐに働ける」とか「外国で起業する」というようなことを指すわけではありません。国際性とは、国際社会の中で、自分がどういうポジションを占めており、自分には何ができて、何ができないのか、これからどのようにふるまえば、国際社会において名誉ある地位を請求できるのかといったことをクールに計量できる知性のことです。日本という政治単位とそのシステムをどのように機能させれば、国益を最大化でき、あわせて国際社会に貢献できるか、それを優先的に考えるような構えのことです。
日本の「ガラパゴス化」とか「内向き」というのは、「国際性」という言葉を聞いて、じゃあTOEICのスコアを上げねば、とか他の教科の時間を減らして英語の時間を増やそうとかいう「現状の国際関係のアンフェアネスをまるごと承認してしまう」態度のことです。そこには批評性がかけらもない。今後の国際関係についての見通しもないし、国際社会に向けて特にアナウンスしたいメッセージもない。だから、世界の誰も日本人に向かって「世界はこれからどうなるのでしょう?私たちはこれからどうすればいいんでしょうか?」と訊ねに来ない。それが「国際性がない」ということなんです。

「歴史的に見る」ことについて
「歴史的に見る」、「大きな文脈でものを見る」ということについてもう少し話します。
僕は高橋源一郎さんと3か月に一度会って、『Sight』という雑誌のために政治的話題にだけ限定した対談をしています。前回の対談の時は原発の話だったのですが、そのときに「原発と戊辰戦争」という話題が出ました。
幕末の戦争で、ご承知のように、東北の諸藩は庄内藩、会津藩を救うために奥羽越列藩同盟を結んで官軍に抵抗しました。この戦いで一番悲惨な目に遭ったのは、会津藩でした。藩主松平容保が京都守護職の任に当たっていた折りに新撰組を使って討幕派を弾圧したとされたためです。会津藩はその後斗南藩なり、極寒不毛の地であった下北半島に移されました。実高40万石から7千石に落魄した斗南藩での生活の悲惨さについては柴五郎の伝記に詳しく書かれています。そしてその斗南藩のあった場所に、今は原子燃料サイクル施設のある六ヶ所村があります。
福島県と下北半島に原子力関連施設があることと東北諸藩に対する明治政府の弾圧の間に何の関係もないと僕には思えません。
数えてみたのですが、日本には今54基の原発があります。東北と北海道に19基、福井と新潟に23基です。つまり、42基の原発が「佐幕」側にある。浜岡は駿府なのでもちろん徳川です。薩長土肥には2基だけ。佐賀県の玄海と、鹿児島の川内です。薩摩は西南戦争で中央政府に弓を引きましたし、佐賀は江藤新平の佐賀の乱がありましたから、そのペナルティでしょうか。長州には上関原発が計画中ですが、現役の原発は存在しません。
もちろん、原発が中央政府に刃向かった「賊軍」エリアに選択的に設置されたというような話をしているわけではありません。そうではなくて、中央政府に刃向かった地域は、どこもそのあとインフラの整備が遅れたということです。それくらいの傾斜配分は当然あったはずですし、あっても仕方がない。
東北新幹線が青森まで全線開通したのは2010年のことです。東海道新幹線は東京オリンピックの1964年に開業していますから、50年近い遅れです。それだけインフラの整備が後回しにされてきた。今回の震災でも、ロジスティックがもたついたのは、高速道路網がまだまだ未発達だったからです。それだけこの地域の振興に政府は不熱心だったということです。だから、原発誘致が可能だった。
震災のとき、自動車などいくつかのメーカーが部品不足で操業中止に追い込まれました。東北地方の工場からの部品供給が止まったためです。それを伝えていたテレビニュースを見ました。そのとき、テレビの女性アナウンサーが「東北って、意外にメーカーの部品工場が多かったんですね」とぽろりと言いました。キャスターも「そうですね」と頷いていました。黙って聞き流していましたが、しばらくして、ちょっと違和感を覚えました。それはこの発言が「東北地方には近代的な工場なんかない」という思い込みを前提にしていることに気づいたからです。被災地が海や山の自然がきれいな場所だということはみんな知っています。でも、そこが産業拠点だという可能性には思い至らなかった。東北は開発が非常に遅れた地域であるということが日本人の常識だったから。それが当たり前だと思っていた。
この東北観そのものが戊辰戦争以来150年間にわたる中央政府の地域差別が作り出したものなのです。
先ほど柴五郎の話をしましたが、ほかにもう一人印象深い人物を挙げたいと思います。原敬です。原は1921年に、戊辰戦争後初めて「賊軍」であった藩の藩士出身で総理大臣になった人です。戊辰戦争からすでに半世紀が経っていました。彼は原一山と号しました。これは戊辰戦争の後、東北について言われた「白河以北一山百文」という言葉から採ったものです。「白河から北は、山一つ百文」という東北地方の後進性を揶揄したものです。それをあえて引き受けて「一山」という号を選んだ原は中央政府からの爵位の授与を峻拒して、平民として生涯を終えました。
柴五郎と原敬に見られる東北人の中央に対するルサンチマンには根深いものがあります。僕自身も4代前が庄内藩、3代前が会津藩という東北人ですから、彼らの反中央的な感覚は、家風として伝えられています。
明治維新以降、東北における近代化の遅れは明らかに政治的なものです。資源配分において、つねに後回しにされてきた。そのためインフラの整備が遅れ、地場産業が育たず、雇用も生まれなかった。そこに原発誘致を受け容れる歴史的条件があったということです。150年のスパンで見なければ、なぜ東北に原発が集中しているのか、その理由が見えてきません。でも、僕の知る限り、日本の大新聞で、戊辰戦争以来の東北の社会的な整備の遅れ、組織的、政策的、懲罰的な遅れについての踏み込んだ検証記事を見た記憶がありません。しかし、それを知らなければ、なぜ震災がこれほどの被害を生んだのか、復興政策の筋道はどう描けばいいのかについて日本人は途方に暮れるばかりでしょう。

教養とは
それではまとめに入ります。まとめまで来て、ようやく演題にたどり着きますが…。
教養は知識とは違います。知識の一歩手前の、知性を活性化させるための技術です。この技術のことを「リベラルアーツ」と言います。「知は人をして自由を得さしむ」という聖書の言葉がありますが、「人を自由にする知の技術」、それが教養です。
今の日本人はある種の知的な檻に閉じ込められています。ある種の論件について考えようとすると、そのとたんに思考が停止してしまう。もう一歩踏み込んで、「なぜこの人は他のことではなく、とりわけこのことを言うのか」「なぜ、このことは報道されて、それとは違うことは報道されないのか」といったメタレベルからの吟味が必要だと思うのですが、メディアはそういうことをしません。
先ほど僕はある新聞の紙面審議委員をしているのですが、委員の仕事として、「気になった記事」を選んで報告するというものがあります。気になった記事があると、その記事を書いた記者、上司のデスクたちから聞き取りをして、各部の責任者たちが委員に答弁をする。でも、僕はこの仕事にはあまり意味があるようには思えない。というのは、僕がいちばん聞きたいのは「なぜこのトピックについて、こういう記事が書かれなかったのか」ということだからです。あることが書かれて、別のことは書き落とされる。そこには取捨選択がある。それは当然です。でも、その場合、ある情報を報道しなかったことについては、然るべき理由があるはずです。それを僕は訊きたい。
例えば、メディアは「メディアの不調」というトピックを扱わない。当人たちはビジネスがからんでいるんだから、当然だと思っている。どこに自分の業界の欠陥や問題点を点検して世間に公開する人間がいるものかと思っている。けれども、メディアのたいせつな仕事は社会システムの点検であり、システムに不調があれば警鐘を鳴らすことです。そして、マスメディア自身はすでに社会システムの中枢を形成している。そこが自身の制度的瑕疵について言及する能力がない。
社会システムの根幹部分が崩れ始めています。メディアはそれから眼を逸らし続けており、そのせいで、状況を理解する力も対案を提示する力も急速に低下してきています。これが日本人が陥っている巨大なピットフォールです。

教養教育の使命
大学教育もメディアと同じ落とし穴に片足を突っ込んでいます。繰り返し申し上げますけれど、高等教育の目指すべきことは一つしかありません。それは「どうしたら学生たちの知性が活性化するか」について創意工夫を凝らすことです。学生たちの目がきらきらと輝き始めるのはどういう場合か、学生たちが前のめりになって人の話を聞き、もっと知りたい、もっと議論したい、もっと推理したいというふうになるのはどういう場合か。それについて集中的に考えるのが大学での教育だろうと僕は思っています。知性というのは情報や知識のような「もの」ではありません。このような、「前のめりの欲動」のことです。前のめりの運動性なのです。
ですから教師の仕事はあらゆる手立てを尽くして、「学生に知的に前のめりになってもらう」ように導くことです。僕は自分の目の前で、それまで停止していた学生たちの思考が、あることをきっかけに一斉に動き出し、突然自分でものを考えだし、自分の言葉で語りだし、自分のロジックを作り出していく瞬間を何度も見てきました。まるでばりばりと皮が剥がれるかのような状況を目の当たりにするのです。これは実に感動的な光景です。教師という仕事を選んでよかったと思えるのはそういうときです。
一度脱皮し、知的なブレイクスルーを経験した学生たちは、後は自分で勉強します。学びの本質は自学自習ですから、後はもう放っておいても構わない。本を貸してくれと言われたら貸し、学会に行きたいと言われたら連れていき、会いたい人がいると言われれば紹介する。それから後の教師の仕事は「点をつなぐ」だけです。ひとたび「学びたい」という状態になった学生に対して教師がする仕事はもうそれだけで十分なんです。ですから、教師にとっての問題はどうやって「学びたい」という思いを起動させるか、それだけです。
さまざまな教科、教育方法、教師が存在するのはそのためです。学生たちの知性のかたちはまことに個性的です。どういうきっかけで知性が活性化するか、教師には予測ができない。もちろん、経験的に「こうやれば、わりとうまくゆく」という方法はあります。でも、それはあくまで「打率」にすぎない。野球と同じで、よくて3割。7割の学生は反応してくれない。だから、ありとあらゆる働きかけが用意されなくてはならない。
その目的に焦点化して行う教育のことを「リベラルアーツ」と呼ぶのだと僕は思っています。別に総合的な科目があり、総合的に勉強することがリベラルアーツではない。リベラルアーツというのは目的のことです。学生たちのさまざまな知的なポテンシャルを標的にして、さまざまな働きかけをしてゆく。数学も、文学も、宗教も、芸術も、体育も、さまざまなポテンシャルについての「手がかり」を繰り出してゆく。どれか当たるだろうと思うから繰り出すのです。「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」的に、使える限りの資源を使う。リベラルアーツとは「やけっぱちの実証性」なんです。
リベラルアーツが成り立つためには、ですから、できるだけ多くの種類の教育理念・教育方法・教育内容が必要です。僕のようなリベラルアーツ原理主義的な教師もいるし、自分の教えている教科に夢中な教師もいる、大学とは安定した年収を約束する知識や技術を習得するところだと思っている教師もいる。僕はそれでいいと思う。というか、「それがいい」と思う。教師の思いがばらけているほど学生たちのポテンシャルが開花する可能性は高まるから。
専門教育について一言。
91年の設置基準大綱化からあと、教養教育を廃して、1年生のときから専門教育を4年間できるようになった。そしてやってみたら、あまり効果がなかった。あまり効果がなかったというより、卒業生が使えなくなった。だから、今はまた教養教育の復活に潮目が変わってきました。文科省も教養教育無用論から教養教育重視論に方向転換しました。どうして、そんなことになったのか。
18歳からいきなり専門教育を教え込むと、確かにある専門領域については詳しくなります。専門的な技術も身につく。でも、卒業した後、使い物にならない。というのは、考えれば当たり前のことですが、「専門家」というのは「他の領域の専門家」とのコラボレーションではじめて使い物になるからです。でも、高校を出た後、ある専門分野のことだけやってきた人間は、自分が学んでいることが「何でないのか」、「何の役に立たないのか」は教えられない。というのは、専門領域では、その領域の知識や技術は「役に立つ」ということについて学会内合意ができているからです。だから、そこでは誰も「そもそもこの知識や技術はどうして必要になったのか?」「どういう他の専門領域とコラボレーションすると機能が向上するのか?」「歴史的条件がどう変わったら時代遅れになったり、不要になったりするのか?」といった本質的な問いを発することが許されません。全員が専門家である場所の、それがピットフォールです。自分たちがどうしてここでこんなことをしているのかを説明する必要がない。それは自明のこととされる。みんな同じ専門用語を使って話し、同じ価値観を共有し、同じ基準で業績を評価する。
でも、そうやって無菌室のようなところで栽培された専門家は「自分には何ができないのか」「自分にできないことを援助支援してもらうためには、どういう他の専門家とコラボレートすればいいのか」というような問いを考えたことがない。専門家たちが協働的に働くためには、ひとりひとりが「自分にはこれができる」ということと同時に「自分にはこれができない」ということを他分野の人に正確に伝える能力が必要になる。
でも、大学1年生から専門教育に放り込まれた学生たちは、そもそも自分が何をしているのかということを俯瞰的な視点から眺め、それについて他の分野の専門家とコミュニケーションするという訓練を受けてこなかった。だから、「私は学校ではこう習いました」と言い立てて、わずかな知識と技術にしがみついて、新しい知見を受け容れない「使えない専門家」ばかり出来てしまった。
知性は、自分を閉じ込めていた知の檻から逃れ出たいという欲望が起動した時に生まれます。自分自身の「知についての知」と言ってもいいかもしれません。自分が何を知っており、何を知らないのか、何を知らなければならないのかについて俯瞰的に見ることのできる力、それが本来の知性のかたちであり、リベラルアーツ教育はまっすぐにそれをめざしています。

キャリア教育のありかた
最後にキャリアについて一言。
大学で行われているキャリア教育は、現在の日本の雇用システムを前提にしてプログラムされています。学生たちを取り巻く現在の雇用環境はきわめて劣悪なものですが、それを全肯定した上で、それに適応できるようにプログラムが組まれている。これは、先ほど紹介した文科省の英語教育に関する行動計画と同じ性質のものです。
今の日本社会の理不尽さやアンフェアネスをまるごと受け容れた上で、その中でどうやって生き抜くかを教えている。たしかに、それが現実である以上、現実に適応せざるを得ないというのはわかります。でも、若い人たちに社会的な不条理やアンフェアネスを無批判に受け容れろというところから社会教育を始めるというのは間違っています。学生たちに「とりあえず思考停止しろ」と言っておきながら、知性のパフォーマンスを高めろと言っても無理です。
真のキャリア教育があるとするならば、「労働とは何か」、「市場とは何か」、「資本とは何か」、「共同体とは何か」、「貨幣とは何か」・・・といった人間社会の成り立ちについての原理的な問いを突き詰めていくものであるはずです。その上で、「なぜ我々は労働しなければならないのか」、そして「どのような労働を通じて自分はその社会的責務を果たしうるのか」について自分で考えてもらう。働くことの意味は人に教えてもらうものではありません。自分でみつけて、自分の言葉で語ることができなければ、働くモチベーションは維持できません。
キャリア教育で第一に教えるべきことは、雇用環境や労働条件の経年変化について、これを俯瞰的に見るという構えでしょう。大学卒業をまぢかにした学生たちはせいぜい過去二三年の雇用状況しか参照せずに就活にのめり込みます。けれども、労働をめぐる環境ははげしく変化します。「今人気があるから」という理由で選好されている企業のほとんどは30年前にはその名も知られていなかったものですし、30年前に学生たちが群がった人気企業のいくつはもう存在してさえいません。
そもそも、今の学生たちはほとんどが卒業したら月給取りになるつもりでいますが、このサラリーマンという職業が登場したのもたかだか大正年間からです。戦後しばらくの、僕が子供の頃、サラリーマンはまだ少数派でした。自営業の方がずっと多かった。ネクタイを締めて、革靴を履いて、鞄を持って出勤するサラリーマンはその頃はまだ「憧れの職業」だったのです。
1960年代には、森繁久弥や植木等の出る「サラリーマン映画」がたくさん作られました。今でもときどきケーブルTVで放映しているのでご覧になる機会もあるかと思います。安給料に苦しみ、安下宿で逼塞しているサラリーマンが、公費接待を口実に銀座で豪遊したり、うまいこと海外旅行に便乗したり、重役のおぼえめでたく出世街道に乗って、やがて豪邸に住んで、運転手が外車で迎えに来るような身の上になるという、現代版の「わらしべ長者」のようなサラリーマンものがいくつも作られました。それだけサラリーマンは「可能性のある職業・チャンスのある職業」だというふうに思われていたのです。
むろん、そんな物語の半ばは幻想なのです。でも、それは国民の50パーセント近くがまだ農林水産業に従事していた時代の話です。毎月定期的に給料が支払われ、毎年定期昇給するサラリーマンは農林水産業や自営業の人から見たら、まさに「憧れの職業」だったのです。
それが今では90%がサラリーマン。キャリアパスをショートカットしてとんとん拍子に出世する話なんか、もう誰も信じません。
キャリア教育では、まず「労働はどのように変化してきたか」、「雇用環境はどのように変化してきたか」という日本の歴史的な推移を学ぶべきだろうと僕は思います。それと、世界各国の雇用状況についての理解を持つこと。歴史的な文脈と、地理的な広がりの中で、現在の日本の雇用情勢の特殊性・一回性を理解してもらう。広々とした視野の中で、自分の置かれている雇用環境を見通したときにはじめて、では、どのような職業を自分は選びたいのか、選べるのか、選ぶべきなのか、といいった一連の問いに対する答えに接近することができます。

最後に
僕が今日お話ししているのは、最初から最後までほとんど同じことです。それは「もっと広い射程の中でものをとらえましょう」ということです。長い歴史の中で、世界の広がりの中で、自分たちの今をとらえる知的な習慣を身につけさせること。それがアカデミアに課せられた責務だと思います。
ようやくなんとか「大学における教養とキャリア」という演題に話がつながりました。
今日お集まりの、大学関係者以外のみなさんには、ぜひ、大学に対して「何か変わっていることをしているようだが、まあ、放っておこう」という温かく、寛大なまなざしで大学を見守ってくださるようにお願いしたいと思います。また、大学人のみなさんには、改めて大学の歴史的な存在理由について熟慮していただきたいと思います。ご静聴ありがとうございました。

(2011年7月7日優駿ホールにて)

2012.04.08

経済成長の終わりと贈与経済の始まりについて

平松邦夫さんの新しい政治運動のためのシンポジウムがあった。
労働組合や既成政党が土台という「ふるい」タイプのムーブメントはもう賞味期限が切れていると思うけれど、それへのオルタナティブがみつからない。
「オルタナティブがみつからないで困ったよ」という全員の困惑がはっきり前面に出ていたという点で、私にはなんとなく新鮮であった。
平松さんの市長時代の最後のパーティは選挙応援のためのものだった。3000人くらい集まった集会で、たいへんな熱気だったけれど、労組、政党、業界団体が集票マシンになるという、「ふるいタイプ」の集まりだった。こういうやり方では変化の激しい時代には対応がむずかしいだろうという気がした。
そのときよりはるかに人数は減っていたけれど、昨日のシンポジウムでは明らかに「みんな戸惑っていた」。
これはよい徴候だろうと私は思った。
戸惑うときには、しっかり戸惑った方がいい。
今までのやり方じゃダメだ。オルタナティブをみつけなければいけない、ということについて、まず合意形成が必要である。
それが合意できれば、あとはみんな自由に考えればいい。
思考の自由度と、思考の精度は相関する。
身体の自由度が身体運用の精度と相関するのと同じである。
がちがちに固まった身体で精密な運動をすることはできない。
同じように、自由度のない思考は、精密な思考をすることができない。
状況の変化は微細な徴候として予示される。
それに感知し、適切に反応するためには、思考の精度が必要である。
精度を上げるためには、とにかく「囚われない」ということが必要である。
新しく立ち上げる公共政策ラボ(Public Policy Labo)というシンクタンクがそういう自由な発想のための培養基になってくれるとよいのだが。

シンポジウムでは、平川くんが「経済成長しない社会」をどう生きるか、という話をしてくれた(15分くらいだから、「さわり」だけ)。
それを聴きながらいろいろなことを考えた。
1945年に戦争が終わり、55年から72年までの高度経済成長期は成長率が年率9%~10%だった。そのあと73年からの14年間が3%。そのあと1%になり、2008年のリーマンショックからあとゼロ成長、マイナス成長になった。
これは経済政策の成功失敗の結果ではなく、ある種の自然過程だというのが平川くんの考えである。
たしかに高度成長した時期があったが、それは国民に購買力があったからである。
「購買力」というのは欲望である。実体があるわけではない。
とにかく、ものが欲しかった。だから必死で働いて、稼いで、使ったのである。
今の中国と同じである。
ひとわたり欲しい物が手に入ったら、購買力は落ち、経済成長は鈍化する。
欲望が身体を基準にしている限り、欲しいものには限界があるからである。
一日に三食以上食べることはむずかしい(してもいいが身体を壊す)。洋服だって一度に一着しか着られない。テレビだって一度に一台しか見られない。家を何十軒も買っても住めるのはそのうち一軒だけである。自家用ジェット機を10機所有していても、いちどきには一機にしか乗れない。
かように身体が欲望の基本であるときには、「身体という限界」がある。
ある程度以上の商品を「享受する」ことを身体が許してくれない。
そのとき経済成長が鈍化する。
そうなると、人間は「身体という限界」を超える商品に対する欲望を解発しようとする。
80年代に「ほしいものが、ほしい」という画期的なコピーがあった。これは身体的な欲望がほぼ膨満状態に達し、経済成長が鈍化せざるを得ない現実を活写した名コピーだったと思う。
そのあと、市場は消費者たちの「満たされない欲望」に焦点化して商品展開を試みた。
それが「象徴価値」を価値の主成分とする商品群である。
その商品を購入することが、そのひとの「社会的な立場」を記号的に示し、他者との差別化機能を果たすような商品群(いわゆるブランド品)である。
アイデンティティ指示商品といってもいい。
自分が何ものであるかということは実定的には指示できない。
記号は「それが何でないか」を言うことしかできないからである。
そして、私たちが「自分が何でないか」を言うために参照することのできる記号は原理的に無限である。
欲望の対象を記号に特化したことによって、商品は身体という限界を乗り越えた。
この「象徴価値を主成分とする商品群」は、最初のうちは「帰属する社会階層を指示する」ものであった。
だが、帰属階層への指示は、何度か繰り返されるともうしだいに緊急性を失う。
「あの人はあの階層の人だ」という情報は商品購入を繰り返すごとに確実に周知範囲を拡げ、いずれ不要になるからである。
もう帰属階層への記号的指示のために商品を購入する必要がなくなる。
それにあまり指摘されないことだが、高い社会階層に属し、大量の可処分所得を得ている人間ほど誇示的浪費を好まないという傾向がある。
「安物買いの銭失い」という言葉があるが、その反対で、大金持ちは「いいもの」だけを選択的に買うので、ひとわたり「いいもの」を買いそろえた後は、もう買い換え需要が発生しない。
かように「帰属階層を指示する記号」を商品の価値にしてみても、やはり需要は鈍化した。
しかたがないので、市場はターゲットを「帰属階層」からさらに不安定な「流行に対する感度」に切り替えた。
階層は惰性が強く、急激な階層上昇も下降もむずかしい。
それに比べると、「流行感度」ランキングはうまくすると月単位くらいで下克上的にさわがしく昇降が行われる。
これならほぼ無限の需要が期待できる。そう思った人たちがいた。
けれども、思いがけないピットフォールがあった。
それは「流行に対して感度がいい」というふるまいが高く評価されるのは、若年層だけであり、若年層は可処分所得が少ないということである。
結局、この市場も、ユニクロをはじめとする「たいへん安価なので、月単位で全取っ替えできる」商品を提供できるメーカーが巨利を得ているうちに、さらに貧乏になった若者たちが「流行に対する感度」にさえ興味を失って、失速することになった。
商品を購入することへの欲望が失われた状態。
それが成熟期の資本主義の実相である。
そして、資本主義を領導し続けた「満たされない欲望」が最終的に安住の地を見出したのは、「どのような商品であっても買おうと思えば買える財力を持ちながら、あまりに満たされてしまったので、それが放出される対象を見出すことのできないでいるポテンシャル過剰状態」そのものであった。
つまり、資本主義は最終的に人々を「金を持っているが、使い道がない」という、ニルヴァーナ状態へと差し向けることになったのである。
マルクスが言うとおり、貨幣は商品である。
その商品性格は「何かと交換したいという意欲をどのような商品よりも強くかき立てること」である(だって、貨幣なんか持っていても食べられないし、着られないし、洟もかめないからである)。
だからこそ交換を加速するため最高の商品として選択されたのである。
だが、貨幣は今やその極限において、「交換したいもの」を失ってしまった。
貨幣が交換できる商品はだいぶ前からもう貨幣しかなくなった。
「金で金を買う」というのがこの20年ほどの支配的な経済活動である。
貨幣で株を買い、国債を買い、不動産を買い、年金を買い、保険を買い、貴金属を買う。
自分の尻尾を囓るウロボロスの蛇のように、今、貨幣は貨幣を食って、それを「資産運用」と称している。
ただのバクチである。
どこかで誰かが貨幣を失い、その分を誰かが儲けている。
それだけのことである。
胴元が寺銭を稼いでいるが、「胴元」(銀行や保険会社やファンドや格付け会社)はもう何も生産していない。
賭場に目を血走らせてやってくる素人から銭を巻き上げているだけである。
私たちはいまその状態に来ている。
経済成長は「貨幣で買えるものが貨幣以外にない」状態に到達して終わるのである。
そして、たしかに終わったのである。
いい加減、そのことに気づいたらどうだろう。
平川くんの話を聴きながら、そんなことを考えた。
これからは違う経済システムに切り替えるしかない。
それは「贈与経済」である。
とりあえず使い道のない金があるなら、いまだ身体的需要が満たされていない人たちに贈与すればよろしいではないか、というのが私の主張である。
贈与のためのシステム作りはけっこう骨折り仕事である。
社会的成熟に達していない人間は「商品を買う」ことはできるが、「贈与する」ことはできない。
贈与は人間的成熟を要求する。
私たちの社会システムは「適切に贈与を果たしうるような成熟した市民の育成」を目標として制度設計のやり直しをしなければならない。
私はそんなふうに考えている。
「贈与経済システム」については、これからもっと詳しく語る機会があるだろう。

「贈与経済」論(再録)

『呪いの時代』に贈与経済について書いたものを再録しておく。

このアイディアはそのあと岡田斗司夫さんの「評価経済」論との対談でも重要なトピックになった。
岡田さんはじめ、いろいろな人たちがポスト・グローバル資本主義のシステムについて新しいアイディアを提出している。
オルタナティブが必要だということに気づいている人もいるし、これまでの経済システム以外のものを想像できない人もいる。そして、不思議なことだが、「これまでの経済システム以外のものを想像できない人たち」が自分のことを「リアリスト」と呼んでいる。
そういう「リアリスト」たちと訣別すべきときが来ていると私は思う。

ここから下が引用。

商品への欲望が身体的欲求のレベルにまで鎮静したら、資本主義は崩壊してしまうとエコノミストたちは恐怖しています。でも、僕はそうは思わない。何か違うことをやればいい。とりあえず、昔に戻って「贈与経済」をやればいいんじゃないか、と。
贈与経済というのは、要するに自分のところに来たものは退蔵しないで、次に「パス」するということです。それだけ。
「自分のところに来たもの」というのは貨幣でもいいし、商品でもいいし、情報や知識や技術でもいい。とにかく自分のところで止めないで、次に回す。自分で食べたり飲んだりして使う限り、保有できる貨幣には限界がある。先ほども言いましたけれど、ある限界を超えたら、お金をいくら持っていてもそれではもう「金で金を買う」以外のことはできなくなる。それで「金を買う」以外に使い道のないようなお金は「なくてもいい」お金だと僕は思います。それは周りの貧しい人たちに「パス」してあげて、彼らの身体的要求を満たすことに使えばいい。ご飯や服や家や学校や病院のような、直接人間の日常的欲求をみたすものに使えばいい。タックスヘイブンの銀行口座の磁気的な数字になっているよりは、具体的に手で触れる「もの」に姿を変える方がいい。
別に突拍子もないことを言っているわけではありません。本来、貨幣というのは、交換の運動を起こすためにあるものなんですから、誤って退蔵されているなら、それを「吐き出させ」て、回すのが筋なんです。その方が貨幣にしたって、「貨幣として世に出た甲斐」があろうというものです。
「パスをする」と簡単に言いましたけれど、これはよく考えると、けっこうむずかしいことなんです。
例えば、みなさんの手元に今お金が1億円あるとします。とりあえず使い道のないお金です。これを「使う」のと「贈る」のとどちらがむずかしいと思いますか。
みなさんは「使う」方がむずかしいと思っているでしょう。誰かに「贈る」のは簡単だけれど、使うのはむずかしい、と。
でも、違いますよ。1億円をまさか行きずりの人にいきなり渡すわけにはいかない。まずふつうは怪しんで受け取ってくれないし、うかつな人に申し出たら、「バカにするな」と怒られたり、「そんなに余ってるなら、もっとよこせ」といって家に乗り込んできて身ぐるみ剥がされるかも知れない。適切な額を、適切な仕方で、適切な相手にピンポイントで贈るというのは、デパートに行って1億円散財するよりはるかにむずかしい。
贈ったことで、その相手に屈辱感を与えたり、主従関係を強いたり、負い目を持たせたり、あるいは恨みを買ったりすることがないように、気持ちよく、生産的にお金を渡すことができ、かつ、そのお金がその人においてもまた退蔵されずに、その人が救われて、さらにその人が次の人にパスしてゆくときの原資となる。そういう「パスのつながる」プロセスを立ち上げるような仕方で贈り物をするのは、実はきわめて困難な事業なのです。
というのは、適切な贈りものをするためには「贈る相手」をあらかじめ確保しておかなければならないからです。もらってから考えたのでは遅すぎる。
1億円ぽんともらっても、「おお、これはありがたいわ」と、しかるべき「贈る相手」にすぐにさくっと贈ることができる人がいたとしたら、その人は受け取るに先だって、すでに「贈り先」のリストをちゃんと作成していたということです。パスが滞りなく流れ、それがどこにも退蔵されたり、停留したりすることがなく、結果的にそのパスが10人、100人、1000人というふうに広がってゆくためには、自分がパスを受けたときには、すでにパスの送り先についての膨大なリストを持っており、さまざまなタイプのパスのシミュレーションを済ませていなければならない。そういうパスをめぐるネットワークがあらかじめ構築されていなければならない。パスのネットワークがすでに構築されていない限り、適切な贈与ということはできないのです。未熟な人間でもお金を蕩尽することはできるが、成熟した市民でなければ適切な贈与はできない。そういうことです。
法外なお金持ちがたくさんいるにもかかわらず、贈与経済がなかなかうまく機能しない理由がそれでわかりますね。贈与がうまくゆかないのは、贈与経済そのものが荒唐無稽な制度だからではありません。そうではなくて、贈れるだけの資産をもっている人たちが、それにもかかわらず贈与を行うだけの市民的成熟に達していないからです。適切なる「贈る相手」をきちんとリストアップできていないからです。パスを送ったときに、「ありがとう」とにっこり笑って言ってくれて、気まずさも、こだわりも残らないような人間的なネットワークをあらかじめ自分の周囲に構築できていないからです。貧乏なとき、困っているとき、落ち込んでいるときに、相互支援のネットワークの中で、助けたり、助けられたりということを繰り返し経験してきた人間だけがそのようなネットワークを持つことができる。その日まで、自己利益だけ追求して、孤立して生きてきた『クリスマス・キャロル』のスクルージ爺さんみたいな強欲な人が、ある日株で儲けたから、宝くじで当たったからと言って、このお金を貧しい人たちにあげようと思い立っても、どうしていいかわからない。贈りますと言っても、たぶんみんな気味悪がって、受け取ってくれない。
そういうものなんです。今、ぽんと大金が入ってきたら、「どんなふうに使えばみんなが喜ぶだろう」という想像をいつもしている人間だけが効果的な贈与を果たすことが出来る。そういう想像をしたことがない人は「ぽんと大金」が入ってきても、飲んで騒いでラーメン食った後は定期預金にするくらいしか思いつかない。そんな人に「ぽんと大金」を渡しても意味ないから、そもそもそんな人には誰も贈与しない。その人がエンドユーザーであるような人間には誰からも贈与が届かない。贈り物を受け取ったときに、目にも止まらぬ速さで次の贈り先にそれがパスされるような人のところにしか贈り物は届かない。そういうものなのです。
贈与経済が成り立つための要件は、ですからある意味きわめてシンプルです。市民的に成熟していること。それだけです。自分より立場の弱い人たちを含む相互扶助的なネットワークをすでに作り上げており、その中で自分が「もっぱら持ち出し」役であることを愉しむようなマインドをもつ人であること。そういう人のところに選択的にリソースが集中するシステムが贈与経済システムです。
かつて青島幸男は「ぜにのないやつぁ俺んとこへこい 俺もないけど心配すんな 見ろよ 青い空 白い雲 そのうちなんとかなるだろう」というすばらしいフレーズを植木等のために書きましたが、こういうセリフがさらっと言える人間が「ぐるぐる回る」活動のハブになる。そういうのが理想の社会だと僕は思っています。
今は夢物語に聞こえるかも知れませんけれど、僕は「交換から贈与へ」という経済活動の大きな流れそのものはもう変わりようがないと思っています。そのうちに、ビジネス実用書のコーナーに「どうすればともだちができるか」「後味のよい贈り物のしかた」というような本が並ぶようになっても、僕は怪しみません。

2012.04.13

沖縄タイムス・ロングインタビュー

沖縄タイムスから基地問題と安保についてのインタビューを受けました。
記者の方が終わりに書いているように、僕はもちろん外交や安保のことについてはまったくの素人です。でも、どんな業種の人の話をきいても「筋の通った話」と「筋目がごちゃごちゃの話」は区別できます。
沖縄問題は、政治家や学者から「筋が通った話」を聴いた覚えがありません。
「筋が通っている」のは沖縄現地の人たちの「基地があるせいで、生活者レベルで苦しみが多い」ということと「基地があるせいで、経済的振興策の恩恵を受けている」ということに「引き裂かれている」という現実感覚だけです。
「引き裂かれていて、気持ちが片付かない」という沖縄の人の感覚だけは「筋が通っている」。

奇妙な言い方ですけれど、「これは筋が通らない話だ」というアナウンスメントがいちばん「筋が通っている」ということがありえます。
それは「自分の発信する情報の読み方を指示するメタメッセ-ジ」を含んでいるから。
政治家やメディアが発信する情報には、「自分が発信している情報の読み方を指示する情報」が含まれていない。
だから、理路整然しているが意味不明というアナウンスメントが終わりなく繰り返される。

政治家の誰かひとりでも「沖縄問題について、オレが言っていることって、意味不明でしょ?」と言ってくれれば、そこから問題解決のための、「なぜ日本の政治家が沖縄について語ることは意味不明なのか」という次数が一つ高い問いが始まると僕は思いますけれど、誰もそんなことは言わない。

というわけで、このインタビューは「どうして沖縄問題について政治家が語る言葉やメディアが報道する話は意味不明なのか」という問いをめぐって行われております。

150分しゃべったので、めちゃめちゃ長いです。よほど暇な人限定です。


■明治人の退場

―福島と沖縄の40年を振り返ると、高度成長期に構築された国のシステムや価値観が劣化し、機能不全を起こしていることが、福島第1原発事故に至る経緯や普天間問題をめぐる基地行政のゆがみに現れているように思うのですが、内田さんはこの40年を振り返って何か思うことはありますか。40年間で何が変わった、と思いますか。

内田 この40年というと、僕たちの世代が20歳から60歳までの時代に当たるわけで、日本をこんなにひどくしてしまった主な原因はわれわれ世代にあると思っています。だから、その点については世代的な責任を痛感しています。
1970年代というのは間違いなく、ひとつのターニングポイントだったと思います。
1912年(明治45年)生まれのうちの父親が、定年退職したのが72年。それはつまり、僕らが育ったそれまでの社会というのは学校の校長先生とか会社の社長、工場長とか編集長とか、「長」の肩書の付く人たちは全部明治の人だったということです。それが72年以降、櫛の歯が欠けるように立ち去っていった。そして、85~92年のバブル期のときほぼ社会活動の全領域から消えてしまった。ですから、この40年で最も変わったことというのは「明治人たちの退場」だと僕は思っています。バブル期の異常な消費行動や、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といった夜郎自大なものいいが可能になったのは、明治人たちが戦後復興のために必死に働いてきてもたらしてくれた国民的な遺産を僕たちの世代が食いつぶすことができたからです。
明治人は、幕末生まれの漱石、鴎外たちと文化的には地続きでした。僕が子供の頃、老人たちの中には日露戦争の従軍経験者がまだいました。父のような明治40年代生まれの人たちは日露戦争の勝利後、日本が辺境の後進国から世界の一等国にのし上がっていく過程をまざまざと実見しています。第1次世界大戦、ロシア革命、世界恐慌を経験し、満州事変があって日華事変があって太平洋戦争があって悲惨な敗北を喫した後、戦後の荒廃から奇跡の復興を遂げて、高度成長を果たして・・・というジェットコースター的な国運の消長を砂かぶりで見てきたわけです。
だから、この世代は基本的にリアリストで実証主義者です。
軽々にものを信じない。複眼的にものを見ていく。
戦争に兵士として加担し、人を殺した経験をもつ人もいるし、肉親を亡くし、財産失った人もいる。その喪失体験が残した傷は僕たちが想像する以上に深いと思います。特にイデオロギーに対してはつよい警戒心を持っている。きれいごとや勇ましいことを言ってきた人間が修羅場になると、どれくらい卑劣にふるまうのか、逆に言葉少なく黙々と働いてきた人が、思いがけない気高さや勇気を発揮するのも見てきた。ですから、人を見るときの基準がその人の家柄だとか学歴だとか地位だとか、あるいは語る言葉の整合性ではない。そうではなくて「正味の人を見る」。「人間として信じられるか、信じられないか」だった。その方たちが社会の枢要な部分を占めていたのが72年まで。その人たちがいなくなった時代から限りなく世の中が軽薄になっていく。70年代の終わりごろからサブカルチャーがビジネスになり、ビッグビジネスに発展して若者文化が始まるわけです。

■「神話」の崩壊
―日本には原発の「安全神話」と米軍の「抑止力神話」が長年、併存してきました。いずれも虚構であるという化けの皮が同時期にはがれつつあるように思うのですが、それは偶然あるいは必然だったのでしょうか。

内田 必然です。原子力政策も沖縄政策も、どちらも米国の国策が深くかかわっている。米国の西太平洋戦略の中に位置づけないと理解できません。中国、朝鮮半島、台湾、フィリピンそういった国や地域をどうやってコントロールしていくのかについては、米国の長期的な地政学的ヴィジョンがあり、原子力政策も、沖縄を含む在外米軍基地の軍事的意味もその中に位置づけられています。ですから、原子力政策についても基地問題に関しても、実は日本は決定権をもっているわけではありません。
原子力技術というのは、端的に言えば、「原爆をつくるテクノロジー」のことですから。これは米国の軍事的属国である日本が独力でどうこうできるものではない。原発はただの「リスクは高いが、コストは安い発電技術」ではないんです。実際に日本の政治家たちが、原子力政策を推進した理由の一つは「原爆を製造する潜在的能力を持つ国」であることが外交カードとして有用だと思ったからです。これがないと北朝鮮や韓国や中国に対して、外交的な「ブラフ」が効かないと公言する政治家は事故の後にさえいたんですから。
福島原発事故も沖縄の基地問題も、本質的には「米軍の世界戦略にかかわること」なんです。だから、その文脈の中に置くことでしか意味がわからない。でも、日本人は米国の軍略について情報も与えられていないし、もちろんその決定に関与することもできない。だから、それについて考えることが許されない。考えることが許されないというのは、言い換えると「考えなくてよい」ということです。考える権限もないし、考える必要もない。だって米国の軍略についての政策を起案する権利も実施する権利も日本にはないんですから。せいぜい控えめに要望を告げるだけで、それもあまり聞き入れられない。
先ほど、「必然的だ」と言ったのは、原子力エネルギー政策についても安全保障についても、これまで全部日本に代わって米国に考えてもらってきたわけですけれど、その当の米国の国力が衰微するという予測していなかった事態が起きたからです。
世界に冠絶するスーパーパワー、覇権国家としての国力が急速に衰微してきた。国際的な影響力を失った。世界を領導するようなヴィジョンを提示できるだけの政策構想力がなくなった。何よりも金がなくなった。
先日、米国は二正面戦略の放棄を公表しましたけれども、これはもうホワイトハウスのスタッフたちには、そういう複雑なゲームをコントロールするだけの数学的知性がなくなっているということを意味しているのだ思います。もう、ややこしいゲームはできない。たぶん国務省からも国防総省からも、「話をもっと簡単にしてくれ」という悲鳴が上がっているんです。それで今の米国の関心は「米国の国益をどう守るか」という一点に限定集約されつつある。

―米軍は第2列島線に後退する方向へとシフトしつつあるように映ります。

内田 たぶん、今は戦後67年で、米国の日本に対する関心が最も低くなっているんじゃないんですか。米国は日本のシステムをきちんと管理するのも「保護者」としての自分の仕事のうちであると90年代ぐらいまでは思っていた。経済については日本にフリーハンドを与えておいて、あとは日本が稼いだものをどうやって収奪するかを考えていればよかった。
軍事や原子力に関しては、お前ら勝手にやっちゃいけないからとフリーハンドを与えなかった。でも、その代償として面倒だけはきちんと見てきた。そういう宿主と寄生虫みたいな共生関係があったわけです。これはある意味では世界政治史上に例を見ないほどのみごとな共生関係だったかも知れない。
ところが、その宿主である米国が国益の確保に必死となって、もう日本の安全保障とか原子力政策について細かく点検して指導をすることができなくなってしまった。それで福島のことに関しても、基本は「自分でやってくれよ」ということになった。
僕は、民主党政権はけっこうこの「冷たい態度」に愕然としたんじゃないかと想像しています。福島の原発なんか米国製ですからね。米国が「日本でも原発を作れ」って言ってきて、自国製の原発を売りつけておいて、事故が起きたら、「知らない」はないだろうと思っていた。日本の原子力政策はほんらい米国の専管事項じゃないか、そういうふうに原子力行政の当事者は無意識のうちに思っていた。だから、日本側はシリアスな事故を想定していなかったし、事故処理マニュアルも作らずにきた。
日本の政治家も官僚も、重要な政治的マターについては、米国の指示なしでは何もしない。特に、特に安全保障にかかわることを、米国抜きで日本が主権的に決めるということはありえない。そして、原発は日本人の考えでは「安全保障にかかわるマター」だったんです。だから、自分で重大な決定を下しちゃいけないと思っていた。そういう属国根性が身にしみていたから、いざ事故が起きたときに、安全点検とか放射性物質の処理とか危機管理とかについては、そのうちに米国が「適切な指示」をしてくれるはずだと指示待ちをしていたんじゃないかと僕は思うんです。
でも、何も指示がなかった。ブッシュ以降の米国には日本の原発事故をコントロールするような外交的余力はなくなっていたんですけれど、そのことに気づかなかった。
安全保障について政治家たちも官僚たちもメディアも「日米基軸」しか言いませんね。でも、「日米基軸」というのは要するに「安全保障の手立てについては米国が考えるので、日本はそれについて考える権利も能力もない」という意味です。
問題はそのような「国家主権の放棄」に長くなじんでしまうと、もし米国が宗主国であることの負荷に耐えきれず、日本の安全保障を「代わって考える」仕事をやめると言い出したとき、日本は「丸裸」にされて国際社会に放り出されるリスクを負うということなんです。そのリスクを真剣に考えている人は今の統治機構の内部にはたぶんほとんどいません。

■沖縄復帰と密約

―72年の沖縄の本土復帰当時、内田さんは何をしていて、どう感じていましたか。

内田 大学で沖縄闘争をやっいたんじゃないですか。日本の学生運動って伝統的に「反米ナショナリズム」なんです。全学連というのは思想の血筋から言うと、共産党よりむしろ予科練や特攻隊の流れに近い。口だけ本土決戦を呼号していて、ぐずぐずに負けた戦争指導者への怒りと絶望が60年安保世代には濃厚だった。だから、あの人たちは主観的には、「米国ともう一度本土で焦土戦を闘う」気だったんです。60年安保って、敗戦後わずか15年後ですからね。そのあとの全共闘闘争も、沖縄闘争も、だから流れとしては同じだと思う。反米ナショナリズム運動です。
沖縄返還当時は、ベトナムでは農民たちがほとんど竹槍レベルの武装で、世界最大最強の軍隊と本土決戦をやっていた。日本人ができなかったことをやっている。それに引き比べて、日本人は、米軍の後方基地としてベトナム人の虐殺に加担するどころから、ベトナム特需で経済的に潤っている。沖縄を「人質」に差し出して本土の基地負担を押しつけ、同時にベトナムの破壊に加担している。そういう日本という国の恥ずべきありように対して、若い日本人には身もだえするような「やましさ」を感じていたと思います。

―西山事件の当時、なぜ世論やメディアは政府の密約を追及しきれなかったのでしょうか。西山記者の起訴状に「情を通じて」という記述があったことだけが理由なのか。「国民の知る権利」を求める訴えがぴたっとやんで西山バッシングに染まる。当時の世相にリアルタイムで接していない私の世代の思いとしては、「国家の罠」にいとも簡単にはまってしまったという印象もあります。

内田 報道されたような密約があったということはみんなうすうすは知っていたと思います。あの文脈なら、当然密約はあったと推論する方が合理的ですからね。

―その密約を徹底的に追及していこうというメンタリティーは当時働かなかったのですか。

内田 なかったですね。

―男女関係のモラル規範が、今より潔癖だったんですか。

内田 いえ、とんでもない(笑)。こんなのフレームアップだって、みんな思っていたはずですよ。でも、時代的に新左翼運動が行くところまでいっちゃってつぶれた後でしょう。運動を担っていた学生たちに対して、マスメディアはきわめて冷淡でしたからね。「過激派学生」「暴力学生」という定型で僕たちはずっとメディアから叩かれていた。だから、メディアに対しては、ちょっとそれないんじゃないかという気分が僕らにはありました。だって、愛国主義的な運動をやっているわけですよ、主観的には。それがまるで犯罪人のように扱われた。だから、70年代に学生たちもマスメディアを信頼していなかった。ジャーナリストが「国民の知る権利」だとか「情報公開」だとか「社会正義を実現する」だとか言っても、まじめに取る気にはなれなかった。
だから西山事件にしても、僕らの世代では「ブルジョア・ジャーナリズムに同情なんてしねえよ」っていう突き放した感じが支配的だったんじゃないですか。マスメディアに対する信頼はその頃が一番低かったですから。

―福島第1原発事故後もマスメディアに対する信頼は急激に低下しているように感じます。メディアは世論の信頼なしには、権力チェック機能も十分に果たせないという教訓のように感じます。

■学生運動の敗北
―本企画で慶応大教授の小熊英二さんにインタビューした際に、内田さんと高橋源一郎さんの対談に言及していました。以下に紹介しますと、「(対談で全共闘世代の2人は)3・11を通じて、自分たちがこれまで『戦後』と呼んできたものが終わったと感じたと言うんです。自分たちは60年代に、戦後日本は平和主義だと言っていたけれど本当は嘘だ、カネがすべてだというのが戦後じゃないかと抗議した。しかし経済が順調だったので、それでもいいかと思うようになった。その後、だんだん不況になってきたけれど、何とかなると思っていた。そうした楽観の背景として、原発の推進派、これは『自民党』と言い換えても『経済界』と言い換えてもいいんですが、推進派は『悪者』だから事故は起こさないだろうと思っていたというんです。悪者だから賢いはずだ、だから任せておいて大丈夫だという意識があった。ところが今回はっきりしたのは、彼らは賢くはなかった、任せておけない、ということだったと。こういう感覚が広く共有されれば、社会に変化をもたらすかもしれません」と、そう小熊さんは言ってました。

内田 僕たちの場合、自分たちの敗北経験が前件としてあるので、つい「敵は強かった」っていう評価になっちゃうんですね。なにしろ、学園闘争が一気につぶされた後、かつての左翼学生たちは平然と中央省庁とか一流企業に入社しちゃったんですから(笑)。「俺は1人になっても帝国主義企業には加担しないぞ」みたいな野蛮な強がりを言うやつってほとんどいなかった。革命戦士たちが屈折もなく産業戦士になっちゃった。そのときにしみじみ思ったわけですよ。日本の社会システムの「胃袋」は強靱だなって。過激派学生を排除するんじゃなくて取り込んじゃうんだから。まとめて産業戦士に仕立て上げちゃうんだから。恐れ入りましたって。
そのときに、こっちはこれから社会の隅っこで細々と生きていきますから、戦士の皆さんにはメインストリームをお任せしますよっていう感じでお別れしたわけですね。日本の官僚とか政治家とかビジネスマンっていうのは、なかなかしたたかなだなという認識の原体験になってるんです。
僕の知り合いに早稲田の革マルの人がいたんだけれども、しばらくして会ったら田中角栄の越山会青年部だった。びっくりして、どうしてなのって聞いたら、卒業したものの職がないとき、親から「角さんのところへ行って頼め」って言われて、元赤軍派の友だちと二人でいったら、「革命をやろうとはなかなか気骨があってよろしい」と肩を叩かれて、角栄さんがまとめて二人の就職の世話をしてくれたそうです。2人とも角栄さんに惚れ込んで、越山会青年部。これ聴いたときに、なるほど、日本のスタブリッシュメントというのは「食えない親父たち」だなって思いましたね。
だから、大学出た後、僕が片隅で非社会的に生きてゆこうと思ったのは、別に僕なんかが社会的にコミットすることはないだろうって思ったからなんです。だって、この親父たちは、若い僕らから見ると「悪い奴ら」なんだけど、やっぱり修羅場のくぐり方が違う。肚もできてるし、頭もいい。だから、この「食えない親父たち」はまさか自分の損になることはやらないだろう、と。彼らにしたって、やっぱり日本の国土がきちんと守られていて、通貨が安定していて、環境もある程度のレベルに保持されていて、あまり社会格差がなく、社会不安がない社会である方が、結局は安定的に利益を確保できるわけですから。きっとそれなりにきちんと社会をハンドルしてくれるだろうと、そう思ったわけです。
反体制闘争にぼろ負けした側としては、「お見それしました」っていうのがあってですね。もう、そちらでお好きにやってください、と。実際、そのあとどんどん日本は経済成長して、悪い親父たちは高笑いしている。こっちはぼそぼそラーメンすすりながら、皆さんが商売繁盛してゆくさまを横目で眺めてたわけです。
でも、そういう非社会的で、無責任なスタンスを僕がとれたのは、「ワルモノは結構賢い」という思い込みというか期待がこっちにあったからです。その信憑が今回の原発事故で完膚無きまでに打ち砕かれた。
でも、『9条どうでしょう』(2006年、毎日新聞社刊))を発表するころから、どうもおかしいぞという気持ちはし始めていたんです。政治家の話とかメディアの論調を見ていて、どうもこれはいろいろ裏があった上で、言葉を濁らせているんじゃなくて、ほんとに何も考えてないんじゃないか・・・という不安が昂じてきた。そういうふうにだんだん不安になってきたのが20世紀の終わりぐらいです。政治家たちが世代交代して、なんだか妙につるりんとした顔の政治家たちがメディアに登場してきた。彼らの話を聴いていると、どうも田中角栄とは違う。

―腹が黒そうには見えない。

内田 そうです。だって、国際戦略として彼らが言うのは「日米基軸」だけですからね。日米基軸っていうのは、地政学的イシューについては思考停止ということですから、これで大丈夫かなって思った。
僕は一貫していて、政治家はマヌーバーを駆使していいと主張しているんです。マキャベリストで構わない。政治家や外交官には誰も清廉潔白であることなんか要求してない。国益を最大化するためには、どんな手立てを使ったって構わない。そう思っています。ブラフをかけたり、妥協したり、寝返ったり、手立てがあるなら、外国の要人やメディアを買収したっていいと思っている。そういう狡智が必要なんだということを僕が書き出したのが世紀の変わり目くらいからです。それまでエスタブリッシュメントに向かって「もっと狡猾になれ」なんて思わなかった。彼らは十分に狡猾だったから。それが変わったのは、リーダーたちの顔つきが薄ぼんやりしたものに変わってしまったことに不安を覚えたからですね。いいのかよ、こいつらでって。

―まさに今の政界中枢の面々。

内田 あれ見て、不安にならない人っていないでしょ。こんな連中に日本任せていいのか、って。

■属国の具体像

―日本が「属国」あるいは「対米従属」と言われて久しいですが、今回の在日米軍再編の見直しを見ていても、官僚や政治家は米国の都合に呼応しているだけで、「国益」を追及しているようには見えません。

内田 官僚も政治家も、米国の保護下にあるという与件からしか考えない。それ以外の現実がありうるということを考えない。
だから、米国に嫌われない国であることが、日本の安全保障にとって最も有効なことなんだと、骨の髄まで信じている。
TPP(環太平洋経済連携)でも、日本の国内産業にどれほど被害が出ても、それで米国が喜ぶなら、結果的には日本の国益を利することになるというロジックなんです。米国を怒らせたらおしまいだ、と。
これはもう政治家も官僚もジャーナリストも、日本のエリートたちがみじんも疑わないあらゆる思考の前提です。

 ―沖縄にいると、そうした思考にすごい違和感を覚えます。しかし、沖縄のメディアが「それはおかしい」と書くと日本の中で浮いてしまう。

内田 地方紙はエリートじゃないから、そうした「思考停止」を免れているんでしょうね。でも、中央では、「日米基軸」という信仰告白をすることが「エリート・クラブ」に入るための入会条件なんです。だから、彼らの前で、「日米基軸」に対して懐疑的なことを言うと、バカじゃないか、こいつって呆れた顔をされる。

―最近は日本政府を見限って米国政府に「直訴」にいく沖縄の国会議員、名護市長、市民団体が相次いでいます。「米側の都合」という力学が作用しないと、沖縄の負担軽減の実現は無理という意識が働いているように思います。

内田 それは沖縄の人たちまでが、中央の官僚や政治家のメンタリティーを内面化してしまったということかも知れません。結局「この問題については、決定権を持っているのは米国だ」ということを認めているわけですからね。米国が「うん」って言わなきゃ、話が前に進まないということに基地反対運動の人たちですら同意してしまっている。日本政府に交渉能力がないことを事実として受け入れてしまっている。その方がたしかに現実的ではあると思うんですよ。でも、日本は独立した主権国家じゃない、国防戦略について、主体的に起案することも実施することも許されていないという痛苦な事実から眼を逸らしてはいけないと思いますね。

■9条どうでしょう

―日本国内では保守にしろ革新にしろ、「米国の属国では駄目だ」という主張を唱えると、あたかも非常識な「危険思想」を掲げているようなイメージすらもたれてしまう。この国のメンタリティーはどこかが麻痺してしまったのでしょうか。

内田 反米は日本の場合、左翼の思想的な柱なんです。でも、左翼は戦後も負け続けなわけですよ。そして、負け続けた政治運動は自分の弱さを認めるより、敵の強大さを大きく見積もることで、敗北を正当化する傾向がある。日本の左翼はそうなんです。「米国の支配を脱する」ということを口では言うけれど、そんなこと実現するはずがないとひそかには思っている。そんな力が自分たちにあるはずないと思っている。でも、実行力の裏付けがないままにスローガンだけ掲げていると、思考がだんだん鈍ってくるんです。「われわれには現状を変える能力がない」という事実認識が、「現状を変える権限がない」という権利問題になり、やがて「現状を変える責任がない」という責任問題にずれ込む。だって、権限のない人間に責任の取りようがないもの。
だから、左翼は「米国の支配を脱する」と言いながら、もし実際に米国が日本列島を軍事的放棄した場合に国防をどうするかといったタイプのリアルなシミュレーションをしたことがない。
国防ということを考えたら、反対派もふくめて国民的統合を果たし、敵対者の政治的意見をも代表しうるようなスケールの大きな「国民国家についての物語」を提示できなければいけない。
でも、左翼はそういうことは考えないんです。それだと、さきの戦争に負けたことの責任は左翼にもあるということを認めることになるから。戦争を始めて、負けたことを左翼もまた自己責任として受け入れるという決断をしない限り、国民的統合は果たせない。でも、左翼はそのような「責任の割り前」を絶対に受け容れない。あれは一部の軍国主義者たちがやったことで、われわれは純然たる被害者である、と。そういう話になっている。
でも、明治維新以来の国民国家としての功罪をまとめて引き受けて、遺産も負債もぜんぶ相続するという決断をしないと、国民国家をまとめ上げて、牽引することはできない。
僕たちの父や祖父たちが戦争を起こして、それに加担して、そして負けた。そのことを僕たちは「身内の痛み」として引き受けるべきだと思う。それに対する謝罪もしなきゃいけないし、損害賠償請求があったら身銭を切らなきゃいけない。それと同時に、「なぜ戦争に負けたのか」ということについて徹底的に検証する義務も出てくると思うんです。「なぜ負けたのか」を繰り返し自問し、原因をえぐり出さなきゃいけない。
でも、まことに逆説的なことですけれど、失敗の徹底的な点検ていうのは「次は勝つぞ」というマインドがないとできないんです。事故の調査が「二度と事故を起こさない」という決意がないとできないのと同じです。主権国家としての敗戦の総括は、「もう二度と戦争はしません」じゃなくて、「もう二度と負けない」ためにするものなんです。当たり前なんです。「もう二度と戦争はしません」というのはなぜ負けるような戦争をしたのかということについて思考停止することですから。そういう国は「負けるような戦争」をまたずるずると始めかねない。「絶対負けない」ためには論理的には「二度と戦争をしない」という選択肢しかない。でも、どんな危機的状況に立ち至っても「二度と戦争をしない」という筋目をきっぱり押し通せるような骨格のしっかりした国は「もう二度と戦いません」という宣言からではなく、「もう二度と負けない」という宣言からしか生まれないんです。
勘違いしてほしくないけれど、僕はもう一度米国と戦争をしろなんていう無茶なことを言ってるんじゃない。マインドの問題を言っているんです。主権国家であるというのは、「二度と負けない」という覚悟を持つということなんです。そういう覚悟がないと、制度についての痛みを伴った検証なんかできやしない。どうやったら国民を統合しうるような雄渾な物語を作り上げるのか、どうやったら国民ひとりひとりの心身のパフォーマンスを最大化できるかといった遂行的な課題を前景化させることなんかできやしない。
主権国家としての日本の任務は、世界に対して「日本人しか発信することのできないメッセージ」を発信してゆくことでしょう。21世紀の世界のありように対して、自分たちの言葉で、世界の人たちに向けて熱く語って、こういうふうな世界をつくっていこうじゃないですかっていう提言をするのは、主権国家にしかできない。日本にそれができないのは、日本が主権国家じゃないからですよ。大事なことは全部米国に決めてもらうような国だからです。
世界のメディアはどこも日本の総理大臣の発言なんかまじめにフォローしてませんよ。重大な国際政治的課題について、日本の政治家がスケールの大きな、創造的な提言をして世界を驚かせるというようなことは絶対にないということをジャーナリストはみんな知っているからです。
米国の国力が衰退してきた今、日本人が自国の安全保障について考えなければならない時期が刻刻と近づいていると僕は思います。でも、そのような政策的負荷に耐えるだけの知的体力が今の日本にはない。政治家にも官僚にも学者にもメディアにも、ない。「知的体力がない」という痛苦な事実を直視するだけの知的体力もない。

―戦後、吉田茂首相の下で敷いたレールがよほど日本人の肌に合ったのか、うまく機能してきたということでしょうか。

内田 自衛隊と憲法九条の併存というのは戦後政治の実に狡猾な、アクロバット的なマヌーバーだったと思います。戦後の混乱期に日本の統治者が選択しうるものとしては、あれしかなかっただろうと思います。自衛隊と九条が原理的に齟齬するということは、国民はみんなわかっていた。でも、これは「一時の方便」だと思っていた。とりあえず占領軍にお引き取り願ってから、そのあと整合的な制度を作ろうと思っていたはずなんです。
「もう二度と負けない」ような国家を作るという遂行的な展望の中においてのみ、自衛隊と九条は、原理的にも現実的にも、共存可能なんです。でも、日米安保は日本人が「二度と負けない」国を独力で創り出すことを絶対に許さないための装置なんです。そういうことだと思います。
戦後にもさまざまな外交的な試みがありました。自主防衛構想があったし、沖縄はじめとする国内の米軍基地に対する反基地運動があり、日ソ条約や田中角栄の日中共同声明があった。それらは全体としては「独立した主権国家」としての日本の再建という方向をめざしていたんだと思います。とりあえず米国以外の強国とも全方位的な良好な外交関係を取り結んでゆこうという志向があった。
でも、そういう志向は時代が下るにつれて、だんだん希薄になってしまった。占領軍が立ち去った後に何とかしようって思っていた人たちが、その約束を果たさないうちに死んでいなくなり、暫定的な制度だけが残った。あとから来た人はそれが占領軍の強力な指導の下で作られた暫定的な、マヌーヴァーだということを忘れてしまった。この与えられた制約をどう押し戻して、主権を回復すべきかという問題意識そのものが消えてしまった。

―沖縄にいると本土の平和運動に対する違和感があって、米軍基地の大半を沖縄に押し付けておいて、「憲法9条のおかげで日本は戦後の平和を維持できた」という言い方をする一方で、「沖縄と連帯を」なんて呼び掛けたりもする。自分たちに都合のいい側面を、自分たちに都合のいい解釈で捉えているようにも映ります。沖縄に米軍基地を集中して閉じ込めてきたために、本土側は「軍事」や「安全保障」に関して思考停止でいられた面があるように思います。

内田 著書『9条どうでしょう』で書いたように、九条原理主義も、日米安保原理主義も、どちらも同じくらい非現実的なんです。日本を軍事的無害化することをめざして制定された9条を「不磨の大典」と戴くのも非現実的だし、日本を軍事的に属国化することをめざして締結された日米安保を立国の基軸だとみなすのも非現実的です。
どちらも、ある一定の歴史状況の中で選択された、一つの歴史的な解決策です。歴史的条件下で選択された解である限り、十分な理由があり、合理性がある。そのときどきにおいては「最適解」として選択されたわけですから、それなりに正しいんです。
でも、歴史的選択である以上、歴史的条件が変われば、その政策の適否についての判断も変わる。当たり前のことです。
たいせつなのは、どれだけ広い射程の中でその問題を議論するかっていうことでしょう。長い時間の流れと、地政学的な広がりの中で、その政策の適否は検証されなければならない。
だからどちらについても、「これだけが正しい」って言われると、つよい違和感を覚えるわけです。超歴史的に正しい政策なんか存在しない。
僕は今は「国民国家の統合」とか「国民的なパフォーマンスの向上」とか言ってますけれど、もちろん、国民国家なんていう政治制度は近代の産物ですから、中世以前には存在しなかったし、このあとも歴史的条件が変わればいずれ消え去る暫定的な制度に過ぎない。
でも、とりあえず手元にはこれしかない。手元にそれしかないときは、それを最大限に活用して、そこから引き出しうるベストパフォーマンスを追求する。僕はそういう点では徹底的に現実的な人間なんです。
9条と日米安保条約のどっちが正しいかという議論をしている限り、話は一歩も前に進まない。この2つはどちらも米国の日本支配の政略ですから、米国から見ればそもそも矛盾さえしていない。米国からから見れば無矛盾的であり、日本かれ見れば矛盾しているものを解決するためには、「日米関係をどう書き改めるのか」という問いの文脈に置くしかないんです。

思考停止の代償
―政府が昨年9~10月に実施した世論調査で、「米国に親しみを感じる」と答えた人が82%に上り、78年の調査開始以来、最高となりました。外務省は「東日本大震災で米軍が展開した『トモダチ作戦』など献身的な支援に対して国民が好意を持ったのではないか」と指摘しています。不思議なのは、今回の原発事故でも政府が住民より先に米国や国際機関に放射性物質拡散に関する情報を提供していた事実が判明したり、今回の米軍再編見直しでもグアム移転費用は減額せずに日本側に負担を求めると米国が言ってきても、国民の不満の声は大きくならない。これは国民も、米国の属国であることを甘受する精神構造になっているからでしょうか。

 内田 もちろんそうだと思います。その思考停止のメカニズムは比較的シンプルなんです。要するに、日本は独立した主権国家じゃないという事実が心理的にあまりに痛苦なので、それを見たくないんですよ。日本は属国だということを直視したくないので、話がこの論件に及ぶと、自動的に思考が止まっちゃうんです。よくよく考えたら「おかしい」と誰だって思うはずなんです。でも、思わない。
一番簡単なのは、「外国人になったつもりで」沖縄問題や基地問題を観察してみることです。そうすれば、「ああ、日本は敗戦国だから、戦後ずっとその負債を払わされ続けているんだな」ということはすぐわかる。日本人が自力でそれらの問題を解決できないのは事実上、米国が日本を支配しているからだということは誰にでもわかる。それさえわかれば、沖縄の基地問題は「もう67年にわたって債務を払い続けているんですから、負債も完済したということで勘弁して下さいよ。それでもまだ足りないとおっしゃるなら、いったいいつまで、どれほどをお払いしたら気が済むのか、それをはっきり言って下さい」という具体的な交渉になるはずなんです。でも、それができない。できないのは「戦勝国に国土の一部を不当に占領されている」という事実そのものを日本人が認めていないからです。あたかも日本政府が外交的なフリーハンドを持っていて、「沖縄に米軍基地があった方が日本の安全保障上有益である」と主体的に判断して、米国と合議した上で今あるような状態を「選択した」かのようにふるまっている。「意識することが不快な事実」からそうやって目をそむけている限り、「意識することが不快な事実」は解決することも消失することもない。そういうことです。

―内田さんが、ブログなどで普天間問題について発信しようと思ったきっかけは何だったんですか。

内田 一番の理由は「新聞を読んでもさっぱり意味が分からなかった」ということです。鳩山政権下で普天間問題が前景化したとき、新聞をいくら読んでも何が起きているのか分からなかった。沖縄の基地問題について専門家たちがいろいろ議論していて、それが紹介されているんだけれど、「基地が要る」と「基地は要らない」という議論がまったく噛み合っていない。がっちり固まって膠着している。だったら、それ以外の「第三の道」はないのかって、ふつうは考える。両方の要求をちょっとずつ入れて、ちょっとずつ譲歩してもらう「落としどころ」があって然るべきだろう、って。
でも、オルタナティブを出すためには、「そもそも米国は沖縄で何がしたいのか?」という問いから始めるしかない。ところが、驚くべきことに、新聞はあれだけの紙数を割いて沖縄問題を論じていながら、「米国の西太平洋戦略は何か?『これだけは譲れない』という軍略上の要請は何か?『このへんはフレキシブル』というファクターはどれとどれか?」という話をしない。もう、まったくしないわけです。その代わりに、海兵隊のヘリの滑走路は何メートルないとダメだというようなレベルの話をしている。そんな末梢な話じゃなくて、こっちは米国の戦略を知りたいわけですよ。それを誰も論じようとしないから、僕は怒り出したんです。
そんなこと、調べれば調べがつくはずだし、報道もできるはずなのに、されていない。在外基地については、米国内だって一枚岩じゃない。「海外基地なんか要らない」という世論だってある。だったら、そういう主張をしている政治家の意見を聴いたり、場合によってはそういう政治家を足がかりにして、米国内の世論を「在外基地の撤収」に向けることだってできない話じゃない。どっちにしても、「アメリカ人は沖縄のことをどう考えているのか?」というのは聞き出せるはずです。でも、新聞が報道するのって、沖縄司令部のスポークスマンや上院の外交委員会の議員あたりの木で鼻をくくったような公式声明だけでしょう。「沖縄に米軍基地は必要です。終わり」みたいな。そんなの報道したって意味ないじゃないですか。

―米軍は軍事予算の削減問題とともに軍事技術の進歩も相まって、軍事戦略を抜本的に変化させようとしていますが、沖縄に基地が集中する要因として、日米政府はいまだに地政学的条件を挙げています。

内田 フィリピンのクラーク空軍基地やスービック海軍基地はベトナム戦争時の主力基地でしたが、フィリピン政府の要請で1991年に全面返還されました。韓国でも米軍基地の縮小が進んでいます。米国の基地配備プランはこの地域の地政学的変化に対応して大きく変動しています。でも、東アジアの米軍配備の変化によって沖縄の軍略上の重要性はどう変わったのかという議論は政府もメディアも扱わない。せいぜい「他の国の基地がなくなったせいで、沖縄の重要性は一層高まった」というような同語反復的なステートメントがなされるだけです。
僕が聞きたいのは、どうして他の国では基地が縮小撤収されているのに、沖縄だけはそれがなされないのか、その理由を誰か教えて欲しいということなんです。他の国の基地が縮小されれば、現状のままの沖縄の相対的重要性が高まるなんて当たり前じゃないですか。こっちはどうして、そうなったのかを訊いているのに、誰も答えてくれない。

独自の検証がない
―主要メディアは常に日米合意が自明のもの、という域から出ない傾向があるように思います。普天間飛行場が返還されようが、代替施設として辺野古に新基地を造るのではあれば、県民はそれを負担軽減とは受け止めませんよ、というメッセージをどれだけ発しても宙づりにされたままです。普天間問題はそもそも沖縄県民の負担軽減の要求に応えるのが目的だったのが、いつの間にか日米合意を履行することが優先して目的化されています。目的と手段が逆転してしまっているんですが、その決定的な矛盾に真に自覚的な報道があまりに少ない。

内田 それって基地があるのが当たり前という前提の上で話しているからじゃないですか。問題は「なんで基地があるのか」ということなのに。

―そう思います。沖縄報道は「政局報道」に偏りがちで、基地問題が政局に絡む時期は洪水のように報道されますが、在沖海兵隊が普段何をしていて、何のためにいるのかといったことを議論の前提としてもっと詳しく検証されるべきだと思います。例えば海兵隊の「機動性」が重要というけれども、普天間飛行場にはヘリが何機あって、何人の兵員をどれぐらいの距離、搬送できる能力があるのかといったデータに基づく分析はほとんど表に出てきません。沖縄不在がどれくらいの期間に及ぶのかといったことを広く情報開示すれば、これが「抑止力」の実態なのかと、誰もが疑問に感じると思うんですが。

内田 米国大統領選の共和党候補の中には、在外米軍基地の全面撤収を公約に掲げている人だっているわけです。それが公約に掲げられていて、その公約が米国内で一定の支持を集めているとしたら、それは基地の撤去が戦略的に可能だという判断があるからでしょう。だったら、どうして日本の新聞記者はその候補者にインタビューに行かないのか。ワシントン特派員たちは、在外米軍基地に関して米国内に今どんな意見や動きがあるのかについて報道したっていいじゃないですか。ところが、沖縄を含めた西太平洋の基地問題について米国には取り得るどのような選択肢があるのか、そのうちで日本の国益にとって最も有利なものはどれかというような議論を政治家も語らないし、新聞も書かない。それについてのデータを開示しないで、沖縄の基地問題を政策的にどう議論したらいいんですか。全体の構図が隠されたままで、個別的な政策の適否について語れって言われたって、分かるわけない。基礎的な事実をまず報道してもらいたい。考える材料をくださいよってことですよ。基地問題については、日本のマスメディアに対して僕はほんとうに失望が深いです。

―在米の日本メディアは大統領選で誰が勝つかといった「筋読み」や「政府の見解」を伝えるばかりで、独自の検証や提示が少ない、ということですね。

内田 もし在外米軍基地撤去を唱えるロン・ポールのような政治家にインタビューに行けば、「米軍が自国の国益を維持するために、沖縄の米軍基地を撤去する政策に転換するのは、どういう条件においてか」という問いの検証を余儀なくされます。しかし、日本の政治家も官僚も学者もメディアも、日本国内に米軍基地があることから「米国はどんなメリットを得ているのか、それは何となら相殺されるようなメリットなのか」という問いを一度もまじめに考えたことがなかった。米国が軍事について考えていることは、問うてはならないこと、問えないこと、そして「問わない方が日本にとって利益のあること」だと見なされていたからです。

―米政府に直接問うのではなく、「忖度する」というスタンスが日本政府の伝統ですね。それにメディアや専門家も引きずられている。

内田 これはフィリピンとか韓国とかグアムで、米軍基地が縮小撤収されたのは、どういう文脈において起きたことなのかを取材すればわかるはずのことです。米軍をソウルから追い出した韓国の反基地運動なんて日本のメディアは取材してきたはずなのに、ほとんど報道しなかった。少なくとも僕の注意を引かない程度の扱いだった。今われわれが直面している問題の理解を助けるために必須の重要な情報、それもすぐに調べのつく公開情報を出さないというのは、国民全員を思考停止に追い込むことに他ならないと思う。
2012年は「スーパーイヤー」ですから、米、中、露、仏の政治指導者が変わり、世界の国際地図が一気に塗り替えられる。EUだって崩れるかもしれないし、中国の政権交代のもたらす激動だって予測できない。そんなクリティカルな時期に思考停止していてどうやって生き延びてゆくつもりなんです。
沖縄の基地問題は日本全体の政策決定上の無能の象徴だと思います。今の日本のシステムのままだったら沖縄の基地問題は解決するわけないですよ。

―沖縄から見ると、米軍駐留に関しては中央政府やマスメディアが沖縄を飛び越えて米国と手を握っているような状況です。

内田 沖縄からはそれが見えると思います。そこでは、ねじれたままの現実が剥き出しになっているから。本土ではメディアが報道しないというかたちで沖縄の問題から眼を逸らすことができます。でも、現地には眼を逸らしようのない「基地という現実」が目の前にある。だから、沖縄ではしたくても、思考停止できない。

鳩山元首相の挫折の背景
―野田佳彦首相は2月の沖縄初訪問に際して「まずはおわびをすることがスタート」と述べたんですが、おわびの中身が気になりました。主要メディアの論調も同じなのですが、今の普天間問題の停滞の責任を「最低でも県外」を唱え、挫折した鳩山元首相に全てを帰する風潮があるんです。もちろん鳩山さんの政治家としての力量不足は否めないのですが、沖縄側の不満の源泉は、鳩山さんが「最低でも県外」と言い出したことや、移設先が一時迷走したことに直接由来するのではなくて、安保を聖域化し、自公政権の政策をそのまま踏襲する民主政権の不甲斐なさに向けられているのだと思うのですが。

内田 今でも新聞はほとんど全部鳩山さんの属人的な無能が諸悪の根源であるという話になってますよね。そういうシンプルな話にしたいんでしょう。本当は構造的な問題なんだけれど、それを掘り起こすと日本人全体がこの問題の当事者になって、真剣に考えなければならなくなってしまう。だから、鳩山個人が悪いという話にまとめて、それで総理大臣を辞めたから、この話はもう終わりだ、もう蒸し返すな、ということになっている。

―思考の転換や自浄作用が働かない官僚組織の致命的欠陥を、「政治主導」という枠組みで補正対応できずに、ここまで来たのだと思います。もちつもたれつの官僚と政治家の関係を是認してきたメディアは「米国とうまく付き合って、経済さえ順調であればいい」という通念を国民に根付かせる役割も担ったのではないでしょうか。

内田 別に民主党の人たちだって、悪意があってやっているとは思いません。与党の政治家たちに会って話を聞いたことも一再ならずありますけれど、彼らは本当に「日米基軸」以外のことを何も考えていない。「日米軍事同盟」以外の外交関係を想像していないんです。日米基軸「以前」も「以後」も「以外」も、まったく考えていない。米国の西太平洋戦略の劇的な変遷の中で、周辺環境がこれほど流動化している中で、日本の国益を最大にするにはどういうプランがありうるのか、それを考えるためには、歴史的にも空間的にも、大ぶりのビッグピクチャーを拡げて、俯瞰的に見なきゃいけないんだけれども、そういう志向がほとんど感じられない。

―鳩山由紀夫さんは首相時代に東アジア構想を掲げましたが、日米関係は基軸と唱えているのにもかかわらず、普天間を「県外・国外に」と言った時点で、国内で大バッシングを浴びて辞任に追いやられました。

内田 鳩山さんの足を引っ張ったのは米国じゃなくて、防衛省と外務省の役人たちでしょう。国内的な事情だと思いますよ。今の日本の政治家や官僚の中に、中国、ロシア、韓国、台湾、北朝鮮と自力でネゴシエイトし、国益を最大化するゲームでいい勝率を収めるためには、どういう中期的な外交戦略が適切かを知るべく、各国のカウンターパートと連携を取って政策構想している人なんて、たぶん一人もいない。
そうなると、日本に残された国益を守る最も現実的な方法は「お願いだから日本から出て行かないでください」と米国にすがりつくことだけです。安全保障についてはこれからも引き続き日本にああしろこうしろと指示を出し続けてください、と。そう懇請するのがいちばん現実的だと官僚たちは思っている。だから、それ以外の選択肢を提示した鳩山さんに猛然と襲いかかったんじゃないですか。

―米国に意見を具申することすらも許さない風土が日本にはあります。

内田 沖縄に基地があることを切望しているのは日本政府自身である、と。そう考えなければ話のつじつまが合わないんです。米国がむりやり沖縄に駐留していて、日本はそれに困惑しているという「話」にしてあるけれど、ほんとうはそうじゃないと僕は思います。「米国が『要る』って言ってるんだから、要るんでしょう」で思考停止し、その先には決して踏み込まないのは、「どうして沖縄に基地が要るんですか?」と訊いたとたんに、日本が沖縄を人質に差し出して、米国に安全保障でぶら下がっている非主権国家であるということが露呈してしまうから。でも、日本は敗戦国であり、米国の軍事的属国であり、安全保障については自己決定権を持っていない。もちろん、そのことから利益を得てもいる。安全保障について考えずに済んで、経済のことだけ考えていればよかったというのは、実に巨大な利益ですよ。でも、主権を差し出すことで利益を得ていたという国民国家としての恥ずべきふるまいを認めることろからしかこの話は始まらない。それを覆い隠そうとするから、基地移転と基地誘致を同時に口にするという今の「人格解離」症状が発症するんです。
日本政府としては、米軍が日本から撤収して、「国防のことは日本が自前で立案して、自力で実行しろ」と投げ出されるのがいちばん恐ろしいんです。だから、「カネはいくらでも出します」と袖にすがりついて、米軍に何とか国内に駐留してもらおうと思っている。米国の国防総省や国務省の方は「基地問題でもめればもめるほど、日本政府からはカネが引き出せる」ということを知っている。一方、日本の防衛省や外務省は米国をいつまでも日本防衛のステイクホルダーにしておきたい。交渉の当事者双方が「話がつかないこと」の方が「話がついてしまうこと」よりも利益が大きいと思っているんですから、沖縄の基地問題が解決するはずがないです。

「弱い環」の暴走
―昨年末以降、沖縄防衛局の異様な行動原理が表面化しています。普天間代替施設の環境影響評価書を未明に県庁警備室に「置いて」いったり、同評価書の提出時期をめぐって局長が「犯す前に犯すと言いますか」と発言したり、宜野湾市長選に関する有権者リストの作成や局長講話を行ったり。これはたまたま、たて続けに表面化したから大きな騒ぎになったというだけであって、沖縄では「通常業務」として行われてきた意識の延長と捉えられています。

内田 防衛官僚というのは日本の統治システムの中ではかなり「弱い環」なんだと思います。だって、軍事問題を日本政府は自己決定できずに来たから。国防を専管する官庁だから、形式的に指揮権は総理大臣に属するはずなんだけれど、事実上は米国大統領がさらにその上位にいる。日本は国防に関しては、戦後67年間、自力で考えることが許されなかった。その権限がなかった。だから、国防について責任をもって考える人を育てることができなかった。
でも、米国は日本の軍事に対する後見人的地位から離脱して、「あとは自分でやってくれ」という、戦後67年間一度も日本政府が想像したことのなかった事態を迎える可能性が急速に高まっている。それで政府部内は今パニックになっているんじゃないかと僕は想像しています。
防衛省の官僚たちも別の意味で浮き足立っている。国防の専門家が他にいない以上、米国が去った場合は、防衛省がその仕事をやるしかない。軍事について知っている人間なんか、そこにしかいないわけですからね。それは同時に軍事のことをわかっているのは俺たちだけなんだから、専門家に任せて素人は黙ってろ、と。そういうことになる。そもそも、軍事というのは特殊な問題で、なぜある政策を採用するか、なぜある政治的選択をするかについては国民に対する説明責任がないんですよね。だって、安全保障や軍略に関する政策の起案過程では、国民に対する透明性なんか要求されても、開示できるはずがないから。ということは、米国が立ち去った場合、防衛・安全保障の一握りの専門家のところに巨大な情報と権限が集中してゆきかねない。というか、必ずそうなる。でも、日本の防衛官僚たちはそういう重責を担う訓練を受けていない。ずっと米国の「指示待ち」でよかったわけですから。番頭がいきなり旦那から「のれん分けするから、明日から自分で商売しろ」って言われたようなものです。権限を行使するだけの十分な訓練を受けていない人々が突然強大な権限を託されたときに何が起こるか。

―2010年に当時の仙谷由人前官房長官が「自衛隊は暴力装置である」と発言し、野党から「自衛官への冒涜だ」と批判を浴び、問責決議を受ける一因になりました。自衛隊を肯定的にとらえる国民意識の中には、災害派遣や駐屯地の活性化のために貢献する、というイメージがあると思いますが、軍事的な側面に関しては「無関心」というか、見て見ないふりをしているような向き合い方になっているのではないでしょうか。

内田 仙谷さんの発言からうかがえるのは、民主党も自民党も政治家たちが「自衛隊にひそかな恐怖心を抱いている」ことです。官邸は防衛官僚をコントロールできていないということは鳩山さんの件でわかったけれど、自衛隊の制服組はさらにコントロールできない。だって実戦部隊ですからね。どういうロジックと力学で動く組織なのか、政治家にはよくわからない。とりあえず今までは在日米軍経由で自衛隊をコントロールできた。どれほど官邸に自衛隊に対する掌握力が欠けていても、ホワイトハウスにお願いして、オバマ大統領から在日米軍司令官経由で自衛隊に伝えてもらえば、命令は効果的に伝達される。自衛隊については、2つパイプがあるわけです。法律的には総理大臣が自衛隊の最高指揮監督権を持っているはずなんですけれど、菅さんが総理大臣のときに、そんな規定があることを知らなかったと正直にカミングアウトしてしまいましたね。つまり、総理大臣自身にさえ自衛隊を組織的に掌握しているという「実感がない」んですよ。それでも平気でいられたのは、ホワイトハウスとの間にはホットラインが繋がっているからです。オバマさんを叩き起こせば、在日米軍司令官経由で自衛隊が動かせる。
そういうルールでこれまでやってきたわけです。だから、たぶん自衛隊の制服組は1年ごとに変わる総理大臣の指示なんかまじめに聴く気がないと思うんです。もちろん災害派遣なんかは別ですけれども、軍事的な問題に関しては「ちょっと待ちなさい。これは素人が軽々に判断できる話じゃないんだ。まあ、われわれ専門家に任せておきなさい」っていうことになるに決まっているし、そう言われたら、官邸は黙るしかない。だって、ほんとうにどうしていいかわからないんだから。まことに変な話ですけど、日本の強大な軍事力を実質的にコントロールしてるは永田町じゃなくて、ホワイトハウスなんです。ですから日米基軸が切断された瞬間に、官邸は自衛隊のコントロールを失ってしまう。官邸はそのことを非常に恐れている。

―それは「瓶のふた」論の現実的断面かもしれませんね。事故直後の福島第1原発への自衛隊ヘリからの放水も、「放水は米国向けだった。日本の本気度を米国に伝えようとした」との政府高官の声も報道されています。自衛隊ヘリの出動の背景には「米国の圧力」が働いていた、との指摘もありますね。

被災者の地方志向
―内田さんはブログなどで「原発への依存も、資源の東京一極集中も、日米安保頼みの外交も、この30年間に日本人が無意識に選択してきたことの結果に見える」「震災と原発事故は中央集権的なシステムの破たんと東京一極集中のリスクを同時に開示した」と論じておられます。確かに、国民の「中央志向」は3・11後、変化してきているように思います。

内田 今、若い人たちの間で、東京志向はたしかに薄らいでいますね。それに、東京の人たちは今、どんどん「疎開」していますね。特にメディア周辺の人たちの動きが早い。それだけ情報が多いからでしょう。でも、メディア自身はそのことを伝えない。

―沖縄にも放射性物質の汚染を避けてくる移住者が増えています。那覇市内で2月に青森県から運んできた雪で、児童館の子どもたちが遊ぶイベントが予定されていたんですが、一部で実施を見送りました。東日本大震災後に沖縄県内に避難してきた児童館の利用者らから中止を求める声が強く寄せられた、とのことでした。

内田 原発の近くに住んでいたせいで、政策的に避難を余儀なくされている人たちと、それ以外の地域で自分の意思で疎開した人たちでは、放射性物質の危険度についての評価はかなり違ってくると思います。人間は誰だって自分の決断の正当性を根拠づけようとしますから。残っている人は汚染の被害を抑制的に語り、疎開した人たちは放射性物質の危険を高めにとる傾向がある。それは当然だと思うんです。そうしないと、自分のふるまいの合理性が基礎づけられないから。だから、僕は別に放射性物質については「よくわからない」でいいと思うんですよ。「よくわからないから、逃げてきました」も「よくわからないから、います」も、どちらも健全な判断だと思うんです。そこで議論して正否を決することなんか今は誰にもできないんだから。時間が経たないとどちらが正しかったかわからないことについては、今は自己判断するしかない。ただ、個人的には、「リスクを過小評価したせいで失うもの」は「リスクを過大評価したせいで失うもの」とは桁が違うと思います。

公民意識の未熟
―そもそも今、日本は脱原発に向かっているのでしょうか。よく分からないというのが私の実感です。本来、本気で脱原発に向かうのであれば、低成長時代を踏まえ、どんな社会を目指すのかという世界観や価値観の次元からスタートして骨太の抜本的な議論を深めるべきだと思うんですが、そうした青写真も覚悟も哲学もなしに、目先の経済指標や放射能汚染の数値に一喜一憂しているのが現状のように思います。脱原発を議論するにも、「低成長」とかネガティブな語句は避けて、表面的に当たり障りのない言葉だけで物事を進めようとするから、どっちに向かおうとしているのかもよく分からない状況になっているのでは、という気もします。

内田 たしかに、本気で経済成長を続けたいと思うなら、原発を稼働し続けるしかない。本気で脱原発する気なら、マイナス成長と縮小均衡という近代150年経験のない前代未聞の制度設計をしなきゃいけない。僕はもう経済成長はありえないと思うから、「ゆっくり穏やかに縮んでゆく」後退戦の戦い方を真剣に考えなければいけないだろうと思っていますけど。

―今の学生たちはバブル経済も経験せず、成長が前提の社会では育っていません。それでいて、身の丈に合った「幸福感」を得る能力は優れているように思います。彼らがまちづくりの主流を担うようになれば、これまでのような経済効率を全てに優先させる流れには従わず、新しい価値概念で物事を進めていくのではないか、という期待もあります。

内田 たぶんそっちの方向へ行くと思います。僕もずっとダウンサイジングとか、小さな共同体とか、そういうことを言ってるんだけど、今までほとんど耳を傾けてくれる人がいなかった。でも、最近はけっこういろんなメディアが話を聞きに来るようになりましたから時代の潮目は変わっていると思います。平川克美くんの『小商いのすすめ』(ミシマ社刊)がアマゾンで1位になるくらいですからね。

―そういう価値観は、静かにこの国に浸透しつつある、という状況でしょうか。

内田 やっぱり意識の高い層から変化していますね。この状況で経済成長というのはいくら何でも無理だということがわかるから。日本の原子力技術の管理能力とモラルを勘定に入れると、これはもう原子力行政の担当者を全員入れ替えるくらいのことをしないと怖くて原発再稼働なんかできません。でも、脱原発を国民が選ぶ場合には「成長なき国家戦略」についての基本的なラインが提示されないといけないでしょう。

―なかなか人の価値観を変えるのは難しいですよね。震災のときだけ「絆」とか言っているんではなくて、平時から共助や公共という価値観の見直しが必要だと思います。

内田 福祉関連予算が国家予算全体の4割に至っているのは、個人レベルの互恵的な関係とか、相互支援の関係とかが崩壊したことが大きいと僕は思っています。行政機構と個人がダイレクトに向き合っていて、その中間を媒介する共同体が存在しない。だから、病気になったり、失職した人がいきなり行政にサービスを求めるかたちになっている。かつて福祉予算が少なくて済んだのは、幼児、老人、妊産婦、病人といった人たちを、行政の関与以前に、周りにいる親族や地域社会が支援したからでしょう。失職しても病気になっても、とりあえず身近にセーフティネットがあった。だから、個人が直接行政に支援を要求するというようなことはよほどのことだった。福祉予算がここまで膨れあがった最大の理由は、誰も言わないけれど、中間共同体の崩壊のせいだと思います。
でも、考えればわかるけれど、行政組織が個人を救うというのはめちゃめちゃ効率が悪いんです。税金でいったん政府に吸い上げて、それを分配するわけだから。その巨大機構の維持管理や配分費目の決定や分配比率の計算に膨大な時間とコストがかかる。うっかりすると、分配されるものより、徴収と分配のシステムの維持管理のために費消される資源の方が大きいのかも知れない。年金制度の崩壊なんかの場合は制度を管理する官僚たちが年金制度を食い物にしていたわけですからね。行政を経由するより、個人から個人への所得移転の方がはるかに効率的だし、きめ細かい支援ができる。小さなサイズの共同体が支援を要するメンバーを直接的に支えるなら、とりあえず管理コストはかからない。要るものを要る人にピンポイントで贈ることができる。
それができないのは、結局は市民の公民意識が未成熟だからなんですよ。市民社会のフルメンバーだったら、若く貧しい同胞を支援し、就学や授産機会を提供し、雇用を確保する義務がある。あるいは、幼児や老人や労働できない仲間の生活を支える義務がある。そう考えるのが「市民の常識」であれば、行政にここまで負荷はかからないですよ。持てるものから持たざるものへの直接的な所得移転がまるで機能していないから、年金や税体系の複雑で非効率なシステムを何度も何度も設計し直さなければいけないんです。ここまで福祉予算が膨れ上がっているのに、生活の質はどんどん下がっている最大の理由は制度設計のミスじゃなくて、悪いけど、日本国民1億3000万人の公民意識の未成熟ですよ。

 ―米軍基地や原発の立地自治体に共通するのは「振興策への信仰」です。中央の再分配機能が国策推進とつながり、いびつなかたちで「進化」してきたことが、国策を背負わされてきた地元で「真の豊かさとは何か」ということを見失わせているようにも思います。


【取材後記】
 思想の大家との「150分一本勝負」の対談は、緊張と刺激と抱腹絶倒の連続だった。内田さんのブログをフォローし始めたのは鳩山政権あたりから。普天間問題の迷走要因を、思想論あるいは哲学的見地から説く言論に新鮮さを覚えた。対談を終え、改めて思った。そう言えば、内田先生って、沖縄や軍事の専門家ではないんだ。なのに、なぜこんなに腑に落ちるのだろうか、と。よく考えると、この人は国家や民主主義の基本原則について、極めてまっとうな意見を開陳しているだけなのだ。内田さんの言葉が突き抜けているように受け取られるとしたら、それだけ今の日本の病巣が深刻だということではないか。(了)

2012.04.19

人災の構図と「荒天型」の人間について

「東日本大震災における天災と人災」というお題で日本赤十字看護学会というところで講演をすることになった。
抄録の提出を求められたので、次のようなことを書いた。
「いつもの話」ではあるけれど、本番では「いつもの話」じゃないことを話すので、ご容赦ください。

東日本大震災から1年を経過して、これが「天災」であるより以上に「人災」であるという印象を私たちは抱いている。
「天災」は自然現象であり、私たちにはそれを防ぐ力がない。「人災」は人間の力で統御できるし、しなければならない災禍である。
その災禍の広がりを防げなかった。
「人災」を用意したのは私たちの社会を深く蝕んでいる「無根拠な楽観」である。「晴天型の世界観」と言ってもよい。

私たちはある「枠組み」の中で「ゲーム」をしている。賭けられているものは権力とか財貨とか文化資本とか、いずれにせよ「価値あるもの」である。そのやりとりのゲーム、誰かが勝てば誰かが負ける「ゼロサム」の競争をしている。そういう考え方が「晴天型の世界観」である。ゲームに夢中な当人は「これこそリアル・ワールドの生存競争」で、自分ほどのリアリストはいないと思い込んでいる。
彼は競争に夢中になっているアスリートに似ている。フィールドがあり、ルールが決められ、審判がいるゲームをしているものにとってはたしかに「勝ち負け」が何より重要である。
だが、アリーナがゴジラに踏みつぶされたり、地割れに呑み込まれたりするときには、「生き延びること」がそれに優先する。
そのような想定外の危機のときでも、適切にふるまって、人々に適切な指示を与えて、被害を最小化することのできる人間がいる。
国際関係論では、「管理できる危険」を「リスク」、「管理できない危険」を「デインジャー」と呼び分ける。「晴天型」の競争主義者は「負けるリスク」のことしか考えない。だから「デインジャー」については何も考えない。
「グローバル競争」とか「グローバル人材」というような言葉をうれしそうに口にするのはこの類の人間である。このタイプの人間は危機的局面では腰を抜かしてものの役に立たない。
だが、集団が生き延びるためには、社会組織の要路に一定数の「デインジャー対応能力のある人々」が配置されていることが必要である。
そのような常識がかつてはあった。デインジャー対応の「人材」(それは「晴天時」にはまったく無用の人間のように見える)がついにその生涯に一度も役に立たなかったことを喜ぶような実証性に裏づけられた常識があった。今はもうそのような常識は存在しない。
集団の存立を支える必須の「柱」である制度資本(司法・行政、教育、医療)には、どんなことがあっても、「荒天」と「カタストロフ」に備えることを本務とする人々が一定数(全部である必要はない)配置されていなければならないと私は考えている。
震災と原発事故は、私たちの国の基幹的な組織が「デインジャー対応能力」のある人間を重用する習慣を失って久しいことを露呈させた。むろん、単独の行動者としては散在していた。その人たちが自己判断・自己責任でシステムの全的崩壊を局所的ではあるが防いだのである。
今、検察や警察の組織的な堕落、医療崩壊、教育崩壊というかたちで私たちの社会の「荒天対応能力」は底なしに劣化している。
震災と原発事故後、さすがに危機感をもった人々の口から社会制度の抜本的改革の必要が言われているが、「荒天型人材」の育成の急であることを言う人のあることを寡聞にして知らない。だが、制度をいじっても、そこにいる人間の質が劣化し続けては、何の改革にもならないと私は思っている。

社会の「柱」を支えている制度の内側でも、心ある人は「どうふるまっていいかわからないときに、どうふるまっていいかわかる人間」、マニュアルもガイドラインも「上からの指示」もないときに、適切にふるまって、人々を救うことのできる人間とはどのようなものか、どのようにして育成できるのかを真剣に考え始めていると私は思う。今のところは願望に過ぎないが、それに取り組まない限り、「人災」はさらに規模を拡大して繰り返し私たちを襲うことになるだろう。

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