沖縄タイムスから基地問題と安保についてのインタビューを受けました。
記者の方が終わりに書いているように、僕はもちろん外交や安保のことについてはまったくの素人です。でも、どんな業種の人の話をきいても「筋の通った話」と「筋目がごちゃごちゃの話」は区別できます。
沖縄問題は、政治家や学者から「筋が通った話」を聴いた覚えがありません。
「筋が通っている」のは沖縄現地の人たちの「基地があるせいで、生活者レベルで苦しみが多い」ということと「基地があるせいで、経済的振興策の恩恵を受けている」ということに「引き裂かれている」という現実感覚だけです。
「引き裂かれていて、気持ちが片付かない」という沖縄の人の感覚だけは「筋が通っている」。
奇妙な言い方ですけれど、「これは筋が通らない話だ」というアナウンスメントがいちばん「筋が通っている」ということがありえます。
それは「自分の発信する情報の読み方を指示するメタメッセ-ジ」を含んでいるから。
政治家やメディアが発信する情報には、「自分が発信している情報の読み方を指示する情報」が含まれていない。
だから、理路整然しているが意味不明というアナウンスメントが終わりなく繰り返される。
政治家の誰かひとりでも「沖縄問題について、オレが言っていることって、意味不明でしょ?」と言ってくれれば、そこから問題解決のための、「なぜ日本の政治家が沖縄について語ることは意味不明なのか」という次数が一つ高い問いが始まると僕は思いますけれど、誰もそんなことは言わない。
というわけで、このインタビューは「どうして沖縄問題について政治家が語る言葉やメディアが報道する話は意味不明なのか」という問いをめぐって行われております。
150分しゃべったので、めちゃめちゃ長いです。よほど暇な人限定です。
■明治人の退場
―福島と沖縄の40年を振り返ると、高度成長期に構築された国のシステムや価値観が劣化し、機能不全を起こしていることが、福島第1原発事故に至る経緯や普天間問題をめぐる基地行政のゆがみに現れているように思うのですが、内田さんはこの40年を振り返って何か思うことはありますか。40年間で何が変わった、と思いますか。
内田 この40年というと、僕たちの世代が20歳から60歳までの時代に当たるわけで、日本をこんなにひどくしてしまった主な原因はわれわれ世代にあると思っています。だから、その点については世代的な責任を痛感しています。
1970年代というのは間違いなく、ひとつのターニングポイントだったと思います。
1912年(明治45年)生まれのうちの父親が、定年退職したのが72年。それはつまり、僕らが育ったそれまでの社会というのは学校の校長先生とか会社の社長、工場長とか編集長とか、「長」の肩書の付く人たちは全部明治の人だったということです。それが72年以降、櫛の歯が欠けるように立ち去っていった。そして、85~92年のバブル期のときほぼ社会活動の全領域から消えてしまった。ですから、この40年で最も変わったことというのは「明治人たちの退場」だと僕は思っています。バブル期の異常な消費行動や、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といった夜郎自大なものいいが可能になったのは、明治人たちが戦後復興のために必死に働いてきてもたらしてくれた国民的な遺産を僕たちの世代が食いつぶすことができたからです。
明治人は、幕末生まれの漱石、鴎外たちと文化的には地続きでした。僕が子供の頃、老人たちの中には日露戦争の従軍経験者がまだいました。父のような明治40年代生まれの人たちは日露戦争の勝利後、日本が辺境の後進国から世界の一等国にのし上がっていく過程をまざまざと実見しています。第1次世界大戦、ロシア革命、世界恐慌を経験し、満州事変があって日華事変があって太平洋戦争があって悲惨な敗北を喫した後、戦後の荒廃から奇跡の復興を遂げて、高度成長を果たして・・・というジェットコースター的な国運の消長を砂かぶりで見てきたわけです。
だから、この世代は基本的にリアリストで実証主義者です。
軽々にものを信じない。複眼的にものを見ていく。
戦争に兵士として加担し、人を殺した経験をもつ人もいるし、肉親を亡くし、財産失った人もいる。その喪失体験が残した傷は僕たちが想像する以上に深いと思います。特にイデオロギーに対してはつよい警戒心を持っている。きれいごとや勇ましいことを言ってきた人間が修羅場になると、どれくらい卑劣にふるまうのか、逆に言葉少なく黙々と働いてきた人が、思いがけない気高さや勇気を発揮するのも見てきた。ですから、人を見るときの基準がその人の家柄だとか学歴だとか地位だとか、あるいは語る言葉の整合性ではない。そうではなくて「正味の人を見る」。「人間として信じられるか、信じられないか」だった。その方たちが社会の枢要な部分を占めていたのが72年まで。その人たちがいなくなった時代から限りなく世の中が軽薄になっていく。70年代の終わりごろからサブカルチャーがビジネスになり、ビッグビジネスに発展して若者文化が始まるわけです。
■「神話」の崩壊
―日本には原発の「安全神話」と米軍の「抑止力神話」が長年、併存してきました。いずれも虚構であるという化けの皮が同時期にはがれつつあるように思うのですが、それは偶然あるいは必然だったのでしょうか。
内田 必然です。原子力政策も沖縄政策も、どちらも米国の国策が深くかかわっている。米国の西太平洋戦略の中に位置づけないと理解できません。中国、朝鮮半島、台湾、フィリピンそういった国や地域をどうやってコントロールしていくのかについては、米国の長期的な地政学的ヴィジョンがあり、原子力政策も、沖縄を含む在外米軍基地の軍事的意味もその中に位置づけられています。ですから、原子力政策についても基地問題に関しても、実は日本は決定権をもっているわけではありません。
原子力技術というのは、端的に言えば、「原爆をつくるテクノロジー」のことですから。これは米国の軍事的属国である日本が独力でどうこうできるものではない。原発はただの「リスクは高いが、コストは安い発電技術」ではないんです。実際に日本の政治家たちが、原子力政策を推進した理由の一つは「原爆を製造する潜在的能力を持つ国」であることが外交カードとして有用だと思ったからです。これがないと北朝鮮や韓国や中国に対して、外交的な「ブラフ」が効かないと公言する政治家は事故の後にさえいたんですから。
福島原発事故も沖縄の基地問題も、本質的には「米軍の世界戦略にかかわること」なんです。だから、その文脈の中に置くことでしか意味がわからない。でも、日本人は米国の軍略について情報も与えられていないし、もちろんその決定に関与することもできない。だから、それについて考えることが許されない。考えることが許されないというのは、言い換えると「考えなくてよい」ということです。考える権限もないし、考える必要もない。だって米国の軍略についての政策を起案する権利も実施する権利も日本にはないんですから。せいぜい控えめに要望を告げるだけで、それもあまり聞き入れられない。
先ほど、「必然的だ」と言ったのは、原子力エネルギー政策についても安全保障についても、これまで全部日本に代わって米国に考えてもらってきたわけですけれど、その当の米国の国力が衰微するという予測していなかった事態が起きたからです。
世界に冠絶するスーパーパワー、覇権国家としての国力が急速に衰微してきた。国際的な影響力を失った。世界を領導するようなヴィジョンを提示できるだけの政策構想力がなくなった。何よりも金がなくなった。
先日、米国は二正面戦略の放棄を公表しましたけれども、これはもうホワイトハウスのスタッフたちには、そういう複雑なゲームをコントロールするだけの数学的知性がなくなっているということを意味しているのだ思います。もう、ややこしいゲームはできない。たぶん国務省からも国防総省からも、「話をもっと簡単にしてくれ」という悲鳴が上がっているんです。それで今の米国の関心は「米国の国益をどう守るか」という一点に限定集約されつつある。
―米軍は第2列島線に後退する方向へとシフトしつつあるように映ります。
内田 たぶん、今は戦後67年で、米国の日本に対する関心が最も低くなっているんじゃないんですか。米国は日本のシステムをきちんと管理するのも「保護者」としての自分の仕事のうちであると90年代ぐらいまでは思っていた。経済については日本にフリーハンドを与えておいて、あとは日本が稼いだものをどうやって収奪するかを考えていればよかった。
軍事や原子力に関しては、お前ら勝手にやっちゃいけないからとフリーハンドを与えなかった。でも、その代償として面倒だけはきちんと見てきた。そういう宿主と寄生虫みたいな共生関係があったわけです。これはある意味では世界政治史上に例を見ないほどのみごとな共生関係だったかも知れない。
ところが、その宿主である米国が国益の確保に必死となって、もう日本の安全保障とか原子力政策について細かく点検して指導をすることができなくなってしまった。それで福島のことに関しても、基本は「自分でやってくれよ」ということになった。
僕は、民主党政権はけっこうこの「冷たい態度」に愕然としたんじゃないかと想像しています。福島の原発なんか米国製ですからね。米国が「日本でも原発を作れ」って言ってきて、自国製の原発を売りつけておいて、事故が起きたら、「知らない」はないだろうと思っていた。日本の原子力政策はほんらい米国の専管事項じゃないか、そういうふうに原子力行政の当事者は無意識のうちに思っていた。だから、日本側はシリアスな事故を想定していなかったし、事故処理マニュアルも作らずにきた。
日本の政治家も官僚も、重要な政治的マターについては、米国の指示なしでは何もしない。特に、特に安全保障にかかわることを、米国抜きで日本が主権的に決めるということはありえない。そして、原発は日本人の考えでは「安全保障にかかわるマター」だったんです。だから、自分で重大な決定を下しちゃいけないと思っていた。そういう属国根性が身にしみていたから、いざ事故が起きたときに、安全点検とか放射性物質の処理とか危機管理とかについては、そのうちに米国が「適切な指示」をしてくれるはずだと指示待ちをしていたんじゃないかと僕は思うんです。
でも、何も指示がなかった。ブッシュ以降の米国には日本の原発事故をコントロールするような外交的余力はなくなっていたんですけれど、そのことに気づかなかった。
安全保障について政治家たちも官僚たちもメディアも「日米基軸」しか言いませんね。でも、「日米基軸」というのは要するに「安全保障の手立てについては米国が考えるので、日本はそれについて考える権利も能力もない」という意味です。
問題はそのような「国家主権の放棄」に長くなじんでしまうと、もし米国が宗主国であることの負荷に耐えきれず、日本の安全保障を「代わって考える」仕事をやめると言い出したとき、日本は「丸裸」にされて国際社会に放り出されるリスクを負うということなんです。そのリスクを真剣に考えている人は今の統治機構の内部にはたぶんほとんどいません。
■沖縄復帰と密約
―72年の沖縄の本土復帰当時、内田さんは何をしていて、どう感じていましたか。
内田 大学で沖縄闘争をやっいたんじゃないですか。日本の学生運動って伝統的に「反米ナショナリズム」なんです。全学連というのは思想の血筋から言うと、共産党よりむしろ予科練や特攻隊の流れに近い。口だけ本土決戦を呼号していて、ぐずぐずに負けた戦争指導者への怒りと絶望が60年安保世代には濃厚だった。だから、あの人たちは主観的には、「米国ともう一度本土で焦土戦を闘う」気だったんです。60年安保って、敗戦後わずか15年後ですからね。そのあとの全共闘闘争も、沖縄闘争も、だから流れとしては同じだと思う。反米ナショナリズム運動です。
沖縄返還当時は、ベトナムでは農民たちがほとんど竹槍レベルの武装で、世界最大最強の軍隊と本土決戦をやっていた。日本人ができなかったことをやっている。それに引き比べて、日本人は、米軍の後方基地としてベトナム人の虐殺に加担するどころから、ベトナム特需で経済的に潤っている。沖縄を「人質」に差し出して本土の基地負担を押しつけ、同時にベトナムの破壊に加担している。そういう日本という国の恥ずべきありように対して、若い日本人には身もだえするような「やましさ」を感じていたと思います。
―西山事件の当時、なぜ世論やメディアは政府の密約を追及しきれなかったのでしょうか。西山記者の起訴状に「情を通じて」という記述があったことだけが理由なのか。「国民の知る権利」を求める訴えがぴたっとやんで西山バッシングに染まる。当時の世相にリアルタイムで接していない私の世代の思いとしては、「国家の罠」にいとも簡単にはまってしまったという印象もあります。
内田 報道されたような密約があったということはみんなうすうすは知っていたと思います。あの文脈なら、当然密約はあったと推論する方が合理的ですからね。
―その密約を徹底的に追及していこうというメンタリティーは当時働かなかったのですか。
内田 なかったですね。
―男女関係のモラル規範が、今より潔癖だったんですか。
内田 いえ、とんでもない(笑)。こんなのフレームアップだって、みんな思っていたはずですよ。でも、時代的に新左翼運動が行くところまでいっちゃってつぶれた後でしょう。運動を担っていた学生たちに対して、マスメディアはきわめて冷淡でしたからね。「過激派学生」「暴力学生」という定型で僕たちはずっとメディアから叩かれていた。だから、メディアに対しては、ちょっとそれないんじゃないかという気分が僕らにはありました。だって、愛国主義的な運動をやっているわけですよ、主観的には。それがまるで犯罪人のように扱われた。だから、70年代に学生たちもマスメディアを信頼していなかった。ジャーナリストが「国民の知る権利」だとか「情報公開」だとか「社会正義を実現する」だとか言っても、まじめに取る気にはなれなかった。
だから西山事件にしても、僕らの世代では「ブルジョア・ジャーナリズムに同情なんてしねえよ」っていう突き放した感じが支配的だったんじゃないですか。マスメディアに対する信頼はその頃が一番低かったですから。
―福島第1原発事故後もマスメディアに対する信頼は急激に低下しているように感じます。メディアは世論の信頼なしには、権力チェック機能も十分に果たせないという教訓のように感じます。
■学生運動の敗北
―本企画で慶応大教授の小熊英二さんにインタビューした際に、内田さんと高橋源一郎さんの対談に言及していました。以下に紹介しますと、「(対談で全共闘世代の2人は)3・11を通じて、自分たちがこれまで『戦後』と呼んできたものが終わったと感じたと言うんです。自分たちは60年代に、戦後日本は平和主義だと言っていたけれど本当は嘘だ、カネがすべてだというのが戦後じゃないかと抗議した。しかし経済が順調だったので、それでもいいかと思うようになった。その後、だんだん不況になってきたけれど、何とかなると思っていた。そうした楽観の背景として、原発の推進派、これは『自民党』と言い換えても『経済界』と言い換えてもいいんですが、推進派は『悪者』だから事故は起こさないだろうと思っていたというんです。悪者だから賢いはずだ、だから任せておいて大丈夫だという意識があった。ところが今回はっきりしたのは、彼らは賢くはなかった、任せておけない、ということだったと。こういう感覚が広く共有されれば、社会に変化をもたらすかもしれません」と、そう小熊さんは言ってました。
内田 僕たちの場合、自分たちの敗北経験が前件としてあるので、つい「敵は強かった」っていう評価になっちゃうんですね。なにしろ、学園闘争が一気につぶされた後、かつての左翼学生たちは平然と中央省庁とか一流企業に入社しちゃったんですから(笑)。「俺は1人になっても帝国主義企業には加担しないぞ」みたいな野蛮な強がりを言うやつってほとんどいなかった。革命戦士たちが屈折もなく産業戦士になっちゃった。そのときにしみじみ思ったわけですよ。日本の社会システムの「胃袋」は強靱だなって。過激派学生を排除するんじゃなくて取り込んじゃうんだから。まとめて産業戦士に仕立て上げちゃうんだから。恐れ入りましたって。
そのときに、こっちはこれから社会の隅っこで細々と生きていきますから、戦士の皆さんにはメインストリームをお任せしますよっていう感じでお別れしたわけですね。日本の官僚とか政治家とかビジネスマンっていうのは、なかなかしたたかなだなという認識の原体験になってるんです。
僕の知り合いに早稲田の革マルの人がいたんだけれども、しばらくして会ったら田中角栄の越山会青年部だった。びっくりして、どうしてなのって聞いたら、卒業したものの職がないとき、親から「角さんのところへ行って頼め」って言われて、元赤軍派の友だちと二人でいったら、「革命をやろうとはなかなか気骨があってよろしい」と肩を叩かれて、角栄さんがまとめて二人の就職の世話をしてくれたそうです。2人とも角栄さんに惚れ込んで、越山会青年部。これ聴いたときに、なるほど、日本のスタブリッシュメントというのは「食えない親父たち」だなって思いましたね。
だから、大学出た後、僕が片隅で非社会的に生きてゆこうと思ったのは、別に僕なんかが社会的にコミットすることはないだろうって思ったからなんです。だって、この親父たちは、若い僕らから見ると「悪い奴ら」なんだけど、やっぱり修羅場のくぐり方が違う。肚もできてるし、頭もいい。だから、この「食えない親父たち」はまさか自分の損になることはやらないだろう、と。彼らにしたって、やっぱり日本の国土がきちんと守られていて、通貨が安定していて、環境もある程度のレベルに保持されていて、あまり社会格差がなく、社会不安がない社会である方が、結局は安定的に利益を確保できるわけですから。きっとそれなりにきちんと社会をハンドルしてくれるだろうと、そう思ったわけです。
反体制闘争にぼろ負けした側としては、「お見それしました」っていうのがあってですね。もう、そちらでお好きにやってください、と。実際、そのあとどんどん日本は経済成長して、悪い親父たちは高笑いしている。こっちはぼそぼそラーメンすすりながら、皆さんが商売繁盛してゆくさまを横目で眺めてたわけです。
でも、そういう非社会的で、無責任なスタンスを僕がとれたのは、「ワルモノは結構賢い」という思い込みというか期待がこっちにあったからです。その信憑が今回の原発事故で完膚無きまでに打ち砕かれた。
でも、『9条どうでしょう』(2006年、毎日新聞社刊))を発表するころから、どうもおかしいぞという気持ちはし始めていたんです。政治家の話とかメディアの論調を見ていて、どうもこれはいろいろ裏があった上で、言葉を濁らせているんじゃなくて、ほんとに何も考えてないんじゃないか・・・という不安が昂じてきた。そういうふうにだんだん不安になってきたのが20世紀の終わりぐらいです。政治家たちが世代交代して、なんだか妙につるりんとした顔の政治家たちがメディアに登場してきた。彼らの話を聴いていると、どうも田中角栄とは違う。
―腹が黒そうには見えない。
内田 そうです。だって、国際戦略として彼らが言うのは「日米基軸」だけですからね。日米基軸っていうのは、地政学的イシューについては思考停止ということですから、これで大丈夫かなって思った。
僕は一貫していて、政治家はマヌーバーを駆使していいと主張しているんです。マキャベリストで構わない。政治家や外交官には誰も清廉潔白であることなんか要求してない。国益を最大化するためには、どんな手立てを使ったって構わない。そう思っています。ブラフをかけたり、妥協したり、寝返ったり、手立てがあるなら、外国の要人やメディアを買収したっていいと思っている。そういう狡智が必要なんだということを僕が書き出したのが世紀の変わり目くらいからです。それまでエスタブリッシュメントに向かって「もっと狡猾になれ」なんて思わなかった。彼らは十分に狡猾だったから。それが変わったのは、リーダーたちの顔つきが薄ぼんやりしたものに変わってしまったことに不安を覚えたからですね。いいのかよ、こいつらでって。
―まさに今の政界中枢の面々。
内田 あれ見て、不安にならない人っていないでしょ。こんな連中に日本任せていいのか、って。
■属国の具体像
―日本が「属国」あるいは「対米従属」と言われて久しいですが、今回の在日米軍再編の見直しを見ていても、官僚や政治家は米国の都合に呼応しているだけで、「国益」を追及しているようには見えません。
内田 官僚も政治家も、米国の保護下にあるという与件からしか考えない。それ以外の現実がありうるということを考えない。
だから、米国に嫌われない国であることが、日本の安全保障にとって最も有効なことなんだと、骨の髄まで信じている。
TPP(環太平洋経済連携)でも、日本の国内産業にどれほど被害が出ても、それで米国が喜ぶなら、結果的には日本の国益を利することになるというロジックなんです。米国を怒らせたらおしまいだ、と。
これはもう政治家も官僚もジャーナリストも、日本のエリートたちがみじんも疑わないあらゆる思考の前提です。
―沖縄にいると、そうした思考にすごい違和感を覚えます。しかし、沖縄のメディアが「それはおかしい」と書くと日本の中で浮いてしまう。
内田 地方紙はエリートじゃないから、そうした「思考停止」を免れているんでしょうね。でも、中央では、「日米基軸」という信仰告白をすることが「エリート・クラブ」に入るための入会条件なんです。だから、彼らの前で、「日米基軸」に対して懐疑的なことを言うと、バカじゃないか、こいつって呆れた顔をされる。
―最近は日本政府を見限って米国政府に「直訴」にいく沖縄の国会議員、名護市長、市民団体が相次いでいます。「米側の都合」という力学が作用しないと、沖縄の負担軽減の実現は無理という意識が働いているように思います。
内田 それは沖縄の人たちまでが、中央の官僚や政治家のメンタリティーを内面化してしまったということかも知れません。結局「この問題については、決定権を持っているのは米国だ」ということを認めているわけですからね。米国が「うん」って言わなきゃ、話が前に進まないということに基地反対運動の人たちですら同意してしまっている。日本政府に交渉能力がないことを事実として受け入れてしまっている。その方がたしかに現実的ではあると思うんですよ。でも、日本は独立した主権国家じゃない、国防戦略について、主体的に起案することも実施することも許されていないという痛苦な事実から眼を逸らしてはいけないと思いますね。
■9条どうでしょう
―日本国内では保守にしろ革新にしろ、「米国の属国では駄目だ」という主張を唱えると、あたかも非常識な「危険思想」を掲げているようなイメージすらもたれてしまう。この国のメンタリティーはどこかが麻痺してしまったのでしょうか。
内田 反米は日本の場合、左翼の思想的な柱なんです。でも、左翼は戦後も負け続けなわけですよ。そして、負け続けた政治運動は自分の弱さを認めるより、敵の強大さを大きく見積もることで、敗北を正当化する傾向がある。日本の左翼はそうなんです。「米国の支配を脱する」ということを口では言うけれど、そんなこと実現するはずがないとひそかには思っている。そんな力が自分たちにあるはずないと思っている。でも、実行力の裏付けがないままにスローガンだけ掲げていると、思考がだんだん鈍ってくるんです。「われわれには現状を変える能力がない」という事実認識が、「現状を変える権限がない」という権利問題になり、やがて「現状を変える責任がない」という責任問題にずれ込む。だって、権限のない人間に責任の取りようがないもの。
だから、左翼は「米国の支配を脱する」と言いながら、もし実際に米国が日本列島を軍事的放棄した場合に国防をどうするかといったタイプのリアルなシミュレーションをしたことがない。
国防ということを考えたら、反対派もふくめて国民的統合を果たし、敵対者の政治的意見をも代表しうるようなスケールの大きな「国民国家についての物語」を提示できなければいけない。
でも、左翼はそういうことは考えないんです。それだと、さきの戦争に負けたことの責任は左翼にもあるということを認めることになるから。戦争を始めて、負けたことを左翼もまた自己責任として受け入れるという決断をしない限り、国民的統合は果たせない。でも、左翼はそのような「責任の割り前」を絶対に受け容れない。あれは一部の軍国主義者たちがやったことで、われわれは純然たる被害者である、と。そういう話になっている。
でも、明治維新以来の国民国家としての功罪をまとめて引き受けて、遺産も負債もぜんぶ相続するという決断をしないと、国民国家をまとめ上げて、牽引することはできない。
僕たちの父や祖父たちが戦争を起こして、それに加担して、そして負けた。そのことを僕たちは「身内の痛み」として引き受けるべきだと思う。それに対する謝罪もしなきゃいけないし、損害賠償請求があったら身銭を切らなきゃいけない。それと同時に、「なぜ戦争に負けたのか」ということについて徹底的に検証する義務も出てくると思うんです。「なぜ負けたのか」を繰り返し自問し、原因をえぐり出さなきゃいけない。
でも、まことに逆説的なことですけれど、失敗の徹底的な点検ていうのは「次は勝つぞ」というマインドがないとできないんです。事故の調査が「二度と事故を起こさない」という決意がないとできないのと同じです。主権国家としての敗戦の総括は、「もう二度と戦争はしません」じゃなくて、「もう二度と負けない」ためにするものなんです。当たり前なんです。「もう二度と戦争はしません」というのはなぜ負けるような戦争をしたのかということについて思考停止することですから。そういう国は「負けるような戦争」をまたずるずると始めかねない。「絶対負けない」ためには論理的には「二度と戦争をしない」という選択肢しかない。でも、どんな危機的状況に立ち至っても「二度と戦争をしない」という筋目をきっぱり押し通せるような骨格のしっかりした国は「もう二度と戦いません」という宣言からではなく、「もう二度と負けない」という宣言からしか生まれないんです。
勘違いしてほしくないけれど、僕はもう一度米国と戦争をしろなんていう無茶なことを言ってるんじゃない。マインドの問題を言っているんです。主権国家であるというのは、「二度と負けない」という覚悟を持つということなんです。そういう覚悟がないと、制度についての痛みを伴った検証なんかできやしない。どうやったら国民を統合しうるような雄渾な物語を作り上げるのか、どうやったら国民ひとりひとりの心身のパフォーマンスを最大化できるかといった遂行的な課題を前景化させることなんかできやしない。
主権国家としての日本の任務は、世界に対して「日本人しか発信することのできないメッセージ」を発信してゆくことでしょう。21世紀の世界のありように対して、自分たちの言葉で、世界の人たちに向けて熱く語って、こういうふうな世界をつくっていこうじゃないですかっていう提言をするのは、主権国家にしかできない。日本にそれができないのは、日本が主権国家じゃないからですよ。大事なことは全部米国に決めてもらうような国だからです。
世界のメディアはどこも日本の総理大臣の発言なんかまじめにフォローしてませんよ。重大な国際政治的課題について、日本の政治家がスケールの大きな、創造的な提言をして世界を驚かせるというようなことは絶対にないということをジャーナリストはみんな知っているからです。
米国の国力が衰退してきた今、日本人が自国の安全保障について考えなければならない時期が刻刻と近づいていると僕は思います。でも、そのような政策的負荷に耐えるだけの知的体力が今の日本にはない。政治家にも官僚にも学者にもメディアにも、ない。「知的体力がない」という痛苦な事実を直視するだけの知的体力もない。
―戦後、吉田茂首相の下で敷いたレールがよほど日本人の肌に合ったのか、うまく機能してきたということでしょうか。
内田 自衛隊と憲法九条の併存というのは戦後政治の実に狡猾な、アクロバット的なマヌーバーだったと思います。戦後の混乱期に日本の統治者が選択しうるものとしては、あれしかなかっただろうと思います。自衛隊と九条が原理的に齟齬するということは、国民はみんなわかっていた。でも、これは「一時の方便」だと思っていた。とりあえず占領軍にお引き取り願ってから、そのあと整合的な制度を作ろうと思っていたはずなんです。
「もう二度と負けない」ような国家を作るという遂行的な展望の中においてのみ、自衛隊と九条は、原理的にも現実的にも、共存可能なんです。でも、日米安保は日本人が「二度と負けない」国を独力で創り出すことを絶対に許さないための装置なんです。そういうことだと思います。
戦後にもさまざまな外交的な試みがありました。自主防衛構想があったし、沖縄はじめとする国内の米軍基地に対する反基地運動があり、日ソ条約や田中角栄の日中共同声明があった。それらは全体としては「独立した主権国家」としての日本の再建という方向をめざしていたんだと思います。とりあえず米国以外の強国とも全方位的な良好な外交関係を取り結んでゆこうという志向があった。
でも、そういう志向は時代が下るにつれて、だんだん希薄になってしまった。占領軍が立ち去った後に何とかしようって思っていた人たちが、その約束を果たさないうちに死んでいなくなり、暫定的な制度だけが残った。あとから来た人はそれが占領軍の強力な指導の下で作られた暫定的な、マヌーヴァーだということを忘れてしまった。この与えられた制約をどう押し戻して、主権を回復すべきかという問題意識そのものが消えてしまった。
―沖縄にいると本土の平和運動に対する違和感があって、米軍基地の大半を沖縄に押し付けておいて、「憲法9条のおかげで日本は戦後の平和を維持できた」という言い方をする一方で、「沖縄と連帯を」なんて呼び掛けたりもする。自分たちに都合のいい側面を、自分たちに都合のいい解釈で捉えているようにも映ります。沖縄に米軍基地を集中して閉じ込めてきたために、本土側は「軍事」や「安全保障」に関して思考停止でいられた面があるように思います。
内田 著書『9条どうでしょう』で書いたように、九条原理主義も、日米安保原理主義も、どちらも同じくらい非現実的なんです。日本を軍事的無害化することをめざして制定された9条を「不磨の大典」と戴くのも非現実的だし、日本を軍事的に属国化することをめざして締結された日米安保を立国の基軸だとみなすのも非現実的です。
どちらも、ある一定の歴史状況の中で選択された、一つの歴史的な解決策です。歴史的条件下で選択された解である限り、十分な理由があり、合理性がある。そのときどきにおいては「最適解」として選択されたわけですから、それなりに正しいんです。
でも、歴史的選択である以上、歴史的条件が変われば、その政策の適否についての判断も変わる。当たり前のことです。
たいせつなのは、どれだけ広い射程の中でその問題を議論するかっていうことでしょう。長い時間の流れと、地政学的な広がりの中で、その政策の適否は検証されなければならない。
だからどちらについても、「これだけが正しい」って言われると、つよい違和感を覚えるわけです。超歴史的に正しい政策なんか存在しない。
僕は今は「国民国家の統合」とか「国民的なパフォーマンスの向上」とか言ってますけれど、もちろん、国民国家なんていう政治制度は近代の産物ですから、中世以前には存在しなかったし、このあとも歴史的条件が変わればいずれ消え去る暫定的な制度に過ぎない。
でも、とりあえず手元にはこれしかない。手元にそれしかないときは、それを最大限に活用して、そこから引き出しうるベストパフォーマンスを追求する。僕はそういう点では徹底的に現実的な人間なんです。
9条と日米安保条約のどっちが正しいかという議論をしている限り、話は一歩も前に進まない。この2つはどちらも米国の日本支配の政略ですから、米国から見ればそもそも矛盾さえしていない。米国からから見れば無矛盾的であり、日本かれ見れば矛盾しているものを解決するためには、「日米関係をどう書き改めるのか」という問いの文脈に置くしかないんです。
■思考停止の代償
―政府が昨年9~10月に実施した世論調査で、「米国に親しみを感じる」と答えた人が82%に上り、78年の調査開始以来、最高となりました。外務省は「東日本大震災で米軍が展開した『トモダチ作戦』など献身的な支援に対して国民が好意を持ったのではないか」と指摘しています。不思議なのは、今回の原発事故でも政府が住民より先に米国や国際機関に放射性物質拡散に関する情報を提供していた事実が判明したり、今回の米軍再編見直しでもグアム移転費用は減額せずに日本側に負担を求めると米国が言ってきても、国民の不満の声は大きくならない。これは国民も、米国の属国であることを甘受する精神構造になっているからでしょうか。
内田 もちろんそうだと思います。その思考停止のメカニズムは比較的シンプルなんです。要するに、日本は独立した主権国家じゃないという事実が心理的にあまりに痛苦なので、それを見たくないんですよ。日本は属国だということを直視したくないので、話がこの論件に及ぶと、自動的に思考が止まっちゃうんです。よくよく考えたら「おかしい」と誰だって思うはずなんです。でも、思わない。
一番簡単なのは、「外国人になったつもりで」沖縄問題や基地問題を観察してみることです。そうすれば、「ああ、日本は敗戦国だから、戦後ずっとその負債を払わされ続けているんだな」ということはすぐわかる。日本人が自力でそれらの問題を解決できないのは事実上、米国が日本を支配しているからだということは誰にでもわかる。それさえわかれば、沖縄の基地問題は「もう67年にわたって債務を払い続けているんですから、負債も完済したということで勘弁して下さいよ。それでもまだ足りないとおっしゃるなら、いったいいつまで、どれほどをお払いしたら気が済むのか、それをはっきり言って下さい」という具体的な交渉になるはずなんです。でも、それができない。できないのは「戦勝国に国土の一部を不当に占領されている」という事実そのものを日本人が認めていないからです。あたかも日本政府が外交的なフリーハンドを持っていて、「沖縄に米軍基地があった方が日本の安全保障上有益である」と主体的に判断して、米国と合議した上で今あるような状態を「選択した」かのようにふるまっている。「意識することが不快な事実」からそうやって目をそむけている限り、「意識することが不快な事実」は解決することも消失することもない。そういうことです。
―内田さんが、ブログなどで普天間問題について発信しようと思ったきっかけは何だったんですか。
内田 一番の理由は「新聞を読んでもさっぱり意味が分からなかった」ということです。鳩山政権下で普天間問題が前景化したとき、新聞をいくら読んでも何が起きているのか分からなかった。沖縄の基地問題について専門家たちがいろいろ議論していて、それが紹介されているんだけれど、「基地が要る」と「基地は要らない」という議論がまったく噛み合っていない。がっちり固まって膠着している。だったら、それ以外の「第三の道」はないのかって、ふつうは考える。両方の要求をちょっとずつ入れて、ちょっとずつ譲歩してもらう「落としどころ」があって然るべきだろう、って。
でも、オルタナティブを出すためには、「そもそも米国は沖縄で何がしたいのか?」という問いから始めるしかない。ところが、驚くべきことに、新聞はあれだけの紙数を割いて沖縄問題を論じていながら、「米国の西太平洋戦略は何か?『これだけは譲れない』という軍略上の要請は何か?『このへんはフレキシブル』というファクターはどれとどれか?」という話をしない。もう、まったくしないわけです。その代わりに、海兵隊のヘリの滑走路は何メートルないとダメだというようなレベルの話をしている。そんな末梢な話じゃなくて、こっちは米国の戦略を知りたいわけですよ。それを誰も論じようとしないから、僕は怒り出したんです。
そんなこと、調べれば調べがつくはずだし、報道もできるはずなのに、されていない。在外基地については、米国内だって一枚岩じゃない。「海外基地なんか要らない」という世論だってある。だったら、そういう主張をしている政治家の意見を聴いたり、場合によってはそういう政治家を足がかりにして、米国内の世論を「在外基地の撤収」に向けることだってできない話じゃない。どっちにしても、「アメリカ人は沖縄のことをどう考えているのか?」というのは聞き出せるはずです。でも、新聞が報道するのって、沖縄司令部のスポークスマンや上院の外交委員会の議員あたりの木で鼻をくくったような公式声明だけでしょう。「沖縄に米軍基地は必要です。終わり」みたいな。そんなの報道したって意味ないじゃないですか。
―米軍は軍事予算の削減問題とともに軍事技術の進歩も相まって、軍事戦略を抜本的に変化させようとしていますが、沖縄に基地が集中する要因として、日米政府はいまだに地政学的条件を挙げています。
内田 フィリピンのクラーク空軍基地やスービック海軍基地はベトナム戦争時の主力基地でしたが、フィリピン政府の要請で1991年に全面返還されました。韓国でも米軍基地の縮小が進んでいます。米国の基地配備プランはこの地域の地政学的変化に対応して大きく変動しています。でも、東アジアの米軍配備の変化によって沖縄の軍略上の重要性はどう変わったのかという議論は政府もメディアも扱わない。せいぜい「他の国の基地がなくなったせいで、沖縄の重要性は一層高まった」というような同語反復的なステートメントがなされるだけです。
僕が聞きたいのは、どうして他の国では基地が縮小撤収されているのに、沖縄だけはそれがなされないのか、その理由を誰か教えて欲しいということなんです。他の国の基地が縮小されれば、現状のままの沖縄の相対的重要性が高まるなんて当たり前じゃないですか。こっちはどうして、そうなったのかを訊いているのに、誰も答えてくれない。
■独自の検証がない
―主要メディアは常に日米合意が自明のもの、という域から出ない傾向があるように思います。普天間飛行場が返還されようが、代替施設として辺野古に新基地を造るのではあれば、県民はそれを負担軽減とは受け止めませんよ、というメッセージをどれだけ発しても宙づりにされたままです。普天間問題はそもそも沖縄県民の負担軽減の要求に応えるのが目的だったのが、いつの間にか日米合意を履行することが優先して目的化されています。目的と手段が逆転してしまっているんですが、その決定的な矛盾に真に自覚的な報道があまりに少ない。
内田 それって基地があるのが当たり前という前提の上で話しているからじゃないですか。問題は「なんで基地があるのか」ということなのに。
―そう思います。沖縄報道は「政局報道」に偏りがちで、基地問題が政局に絡む時期は洪水のように報道されますが、在沖海兵隊が普段何をしていて、何のためにいるのかといったことを議論の前提としてもっと詳しく検証されるべきだと思います。例えば海兵隊の「機動性」が重要というけれども、普天間飛行場にはヘリが何機あって、何人の兵員をどれぐらいの距離、搬送できる能力があるのかといったデータに基づく分析はほとんど表に出てきません。沖縄不在がどれくらいの期間に及ぶのかといったことを広く情報開示すれば、これが「抑止力」の実態なのかと、誰もが疑問に感じると思うんですが。
内田 米国大統領選の共和党候補の中には、在外米軍基地の全面撤収を公約に掲げている人だっているわけです。それが公約に掲げられていて、その公約が米国内で一定の支持を集めているとしたら、それは基地の撤去が戦略的に可能だという判断があるからでしょう。だったら、どうして日本の新聞記者はその候補者にインタビューに行かないのか。ワシントン特派員たちは、在外米軍基地に関して米国内に今どんな意見や動きがあるのかについて報道したっていいじゃないですか。ところが、沖縄を含めた西太平洋の基地問題について米国には取り得るどのような選択肢があるのか、そのうちで日本の国益にとって最も有利なものはどれかというような議論を政治家も語らないし、新聞も書かない。それについてのデータを開示しないで、沖縄の基地問題を政策的にどう議論したらいいんですか。全体の構図が隠されたままで、個別的な政策の適否について語れって言われたって、分かるわけない。基礎的な事実をまず報道してもらいたい。考える材料をくださいよってことですよ。基地問題については、日本のマスメディアに対して僕はほんとうに失望が深いです。
―在米の日本メディアは大統領選で誰が勝つかといった「筋読み」や「政府の見解」を伝えるばかりで、独自の検証や提示が少ない、ということですね。
内田 もし在外米軍基地撤去を唱えるロン・ポールのような政治家にインタビューに行けば、「米軍が自国の国益を維持するために、沖縄の米軍基地を撤去する政策に転換するのは、どういう条件においてか」という問いの検証を余儀なくされます。しかし、日本の政治家も官僚も学者もメディアも、日本国内に米軍基地があることから「米国はどんなメリットを得ているのか、それは何となら相殺されるようなメリットなのか」という問いを一度もまじめに考えたことがなかった。米国が軍事について考えていることは、問うてはならないこと、問えないこと、そして「問わない方が日本にとって利益のあること」だと見なされていたからです。
―米政府に直接問うのではなく、「忖度する」というスタンスが日本政府の伝統ですね。それにメディアや専門家も引きずられている。
内田 これはフィリピンとか韓国とかグアムで、米軍基地が縮小撤収されたのは、どういう文脈において起きたことなのかを取材すればわかるはずのことです。米軍をソウルから追い出した韓国の反基地運動なんて日本のメディアは取材してきたはずなのに、ほとんど報道しなかった。少なくとも僕の注意を引かない程度の扱いだった。今われわれが直面している問題の理解を助けるために必須の重要な情報、それもすぐに調べのつく公開情報を出さないというのは、国民全員を思考停止に追い込むことに他ならないと思う。
2012年は「スーパーイヤー」ですから、米、中、露、仏の政治指導者が変わり、世界の国際地図が一気に塗り替えられる。EUだって崩れるかもしれないし、中国の政権交代のもたらす激動だって予測できない。そんなクリティカルな時期に思考停止していてどうやって生き延びてゆくつもりなんです。
沖縄の基地問題は日本全体の政策決定上の無能の象徴だと思います。今の日本のシステムのままだったら沖縄の基地問題は解決するわけないですよ。
―沖縄から見ると、米軍駐留に関しては中央政府やマスメディアが沖縄を飛び越えて米国と手を握っているような状況です。
内田 沖縄からはそれが見えると思います。そこでは、ねじれたままの現実が剥き出しになっているから。本土ではメディアが報道しないというかたちで沖縄の問題から眼を逸らすことができます。でも、現地には眼を逸らしようのない「基地という現実」が目の前にある。だから、沖縄ではしたくても、思考停止できない。
■鳩山元首相の挫折の背景
―野田佳彦首相は2月の沖縄初訪問に際して「まずはおわびをすることがスタート」と述べたんですが、おわびの中身が気になりました。主要メディアの論調も同じなのですが、今の普天間問題の停滞の責任を「最低でも県外」を唱え、挫折した鳩山元首相に全てを帰する風潮があるんです。もちろん鳩山さんの政治家としての力量不足は否めないのですが、沖縄側の不満の源泉は、鳩山さんが「最低でも県外」と言い出したことや、移設先が一時迷走したことに直接由来するのではなくて、安保を聖域化し、自公政権の政策をそのまま踏襲する民主政権の不甲斐なさに向けられているのだと思うのですが。
内田 今でも新聞はほとんど全部鳩山さんの属人的な無能が諸悪の根源であるという話になってますよね。そういうシンプルな話にしたいんでしょう。本当は構造的な問題なんだけれど、それを掘り起こすと日本人全体がこの問題の当事者になって、真剣に考えなければならなくなってしまう。だから、鳩山個人が悪いという話にまとめて、それで総理大臣を辞めたから、この話はもう終わりだ、もう蒸し返すな、ということになっている。
―思考の転換や自浄作用が働かない官僚組織の致命的欠陥を、「政治主導」という枠組みで補正対応できずに、ここまで来たのだと思います。もちつもたれつの官僚と政治家の関係を是認してきたメディアは「米国とうまく付き合って、経済さえ順調であればいい」という通念を国民に根付かせる役割も担ったのではないでしょうか。
内田 別に民主党の人たちだって、悪意があってやっているとは思いません。与党の政治家たちに会って話を聞いたことも一再ならずありますけれど、彼らは本当に「日米基軸」以外のことを何も考えていない。「日米軍事同盟」以外の外交関係を想像していないんです。日米基軸「以前」も「以後」も「以外」も、まったく考えていない。米国の西太平洋戦略の劇的な変遷の中で、周辺環境がこれほど流動化している中で、日本の国益を最大にするにはどういうプランがありうるのか、それを考えるためには、歴史的にも空間的にも、大ぶりのビッグピクチャーを拡げて、俯瞰的に見なきゃいけないんだけれども、そういう志向がほとんど感じられない。
―鳩山由紀夫さんは首相時代に東アジア構想を掲げましたが、日米関係は基軸と唱えているのにもかかわらず、普天間を「県外・国外に」と言った時点で、国内で大バッシングを浴びて辞任に追いやられました。
内田 鳩山さんの足を引っ張ったのは米国じゃなくて、防衛省と外務省の役人たちでしょう。国内的な事情だと思いますよ。今の日本の政治家や官僚の中に、中国、ロシア、韓国、台湾、北朝鮮と自力でネゴシエイトし、国益を最大化するゲームでいい勝率を収めるためには、どういう中期的な外交戦略が適切かを知るべく、各国のカウンターパートと連携を取って政策構想している人なんて、たぶん一人もいない。
そうなると、日本に残された国益を守る最も現実的な方法は「お願いだから日本から出て行かないでください」と米国にすがりつくことだけです。安全保障についてはこれからも引き続き日本にああしろこうしろと指示を出し続けてください、と。そう懇請するのがいちばん現実的だと官僚たちは思っている。だから、それ以外の選択肢を提示した鳩山さんに猛然と襲いかかったんじゃないですか。
―米国に意見を具申することすらも許さない風土が日本にはあります。
内田 沖縄に基地があることを切望しているのは日本政府自身である、と。そう考えなければ話のつじつまが合わないんです。米国がむりやり沖縄に駐留していて、日本はそれに困惑しているという「話」にしてあるけれど、ほんとうはそうじゃないと僕は思います。「米国が『要る』って言ってるんだから、要るんでしょう」で思考停止し、その先には決して踏み込まないのは、「どうして沖縄に基地が要るんですか?」と訊いたとたんに、日本が沖縄を人質に差し出して、米国に安全保障でぶら下がっている非主権国家であるということが露呈してしまうから。でも、日本は敗戦国であり、米国の軍事的属国であり、安全保障については自己決定権を持っていない。もちろん、そのことから利益を得てもいる。安全保障について考えずに済んで、経済のことだけ考えていればよかったというのは、実に巨大な利益ですよ。でも、主権を差し出すことで利益を得ていたという国民国家としての恥ずべきふるまいを認めることろからしかこの話は始まらない。それを覆い隠そうとするから、基地移転と基地誘致を同時に口にするという今の「人格解離」症状が発症するんです。
日本政府としては、米軍が日本から撤収して、「国防のことは日本が自前で立案して、自力で実行しろ」と投げ出されるのがいちばん恐ろしいんです。だから、「カネはいくらでも出します」と袖にすがりついて、米軍に何とか国内に駐留してもらおうと思っている。米国の国防総省や国務省の方は「基地問題でもめればもめるほど、日本政府からはカネが引き出せる」ということを知っている。一方、日本の防衛省や外務省は米国をいつまでも日本防衛のステイクホルダーにしておきたい。交渉の当事者双方が「話がつかないこと」の方が「話がついてしまうこと」よりも利益が大きいと思っているんですから、沖縄の基地問題が解決するはずがないです。
■「弱い環」の暴走
―昨年末以降、沖縄防衛局の異様な行動原理が表面化しています。普天間代替施設の環境影響評価書を未明に県庁警備室に「置いて」いったり、同評価書の提出時期をめぐって局長が「犯す前に犯すと言いますか」と発言したり、宜野湾市長選に関する有権者リストの作成や局長講話を行ったり。これはたまたま、たて続けに表面化したから大きな騒ぎになったというだけであって、沖縄では「通常業務」として行われてきた意識の延長と捉えられています。
内田 防衛官僚というのは日本の統治システムの中ではかなり「弱い環」なんだと思います。だって、軍事問題を日本政府は自己決定できずに来たから。国防を専管する官庁だから、形式的に指揮権は総理大臣に属するはずなんだけれど、事実上は米国大統領がさらにその上位にいる。日本は国防に関しては、戦後67年間、自力で考えることが許されなかった。その権限がなかった。だから、国防について責任をもって考える人を育てることができなかった。
でも、米国は日本の軍事に対する後見人的地位から離脱して、「あとは自分でやってくれ」という、戦後67年間一度も日本政府が想像したことのなかった事態を迎える可能性が急速に高まっている。それで政府部内は今パニックになっているんじゃないかと僕は想像しています。
防衛省の官僚たちも別の意味で浮き足立っている。国防の専門家が他にいない以上、米国が去った場合は、防衛省がその仕事をやるしかない。軍事について知っている人間なんか、そこにしかいないわけですからね。それは同時に軍事のことをわかっているのは俺たちだけなんだから、専門家に任せて素人は黙ってろ、と。そういうことになる。そもそも、軍事というのは特殊な問題で、なぜある政策を採用するか、なぜある政治的選択をするかについては国民に対する説明責任がないんですよね。だって、安全保障や軍略に関する政策の起案過程では、国民に対する透明性なんか要求されても、開示できるはずがないから。ということは、米国が立ち去った場合、防衛・安全保障の一握りの専門家のところに巨大な情報と権限が集中してゆきかねない。というか、必ずそうなる。でも、日本の防衛官僚たちはそういう重責を担う訓練を受けていない。ずっと米国の「指示待ち」でよかったわけですから。番頭がいきなり旦那から「のれん分けするから、明日から自分で商売しろ」って言われたようなものです。権限を行使するだけの十分な訓練を受けていない人々が突然強大な権限を託されたときに何が起こるか。
―2010年に当時の仙谷由人前官房長官が「自衛隊は暴力装置である」と発言し、野党から「自衛官への冒涜だ」と批判を浴び、問責決議を受ける一因になりました。自衛隊を肯定的にとらえる国民意識の中には、災害派遣や駐屯地の活性化のために貢献する、というイメージがあると思いますが、軍事的な側面に関しては「無関心」というか、見て見ないふりをしているような向き合い方になっているのではないでしょうか。
内田 仙谷さんの発言からうかがえるのは、民主党も自民党も政治家たちが「自衛隊にひそかな恐怖心を抱いている」ことです。官邸は防衛官僚をコントロールできていないということは鳩山さんの件でわかったけれど、自衛隊の制服組はさらにコントロールできない。だって実戦部隊ですからね。どういうロジックと力学で動く組織なのか、政治家にはよくわからない。とりあえず今までは在日米軍経由で自衛隊をコントロールできた。どれほど官邸に自衛隊に対する掌握力が欠けていても、ホワイトハウスにお願いして、オバマ大統領から在日米軍司令官経由で自衛隊に伝えてもらえば、命令は効果的に伝達される。自衛隊については、2つパイプがあるわけです。法律的には総理大臣が自衛隊の最高指揮監督権を持っているはずなんですけれど、菅さんが総理大臣のときに、そんな規定があることを知らなかったと正直にカミングアウトしてしまいましたね。つまり、総理大臣自身にさえ自衛隊を組織的に掌握しているという「実感がない」んですよ。それでも平気でいられたのは、ホワイトハウスとの間にはホットラインが繋がっているからです。オバマさんを叩き起こせば、在日米軍司令官経由で自衛隊が動かせる。
そういうルールでこれまでやってきたわけです。だから、たぶん自衛隊の制服組は1年ごとに変わる総理大臣の指示なんかまじめに聴く気がないと思うんです。もちろん災害派遣なんかは別ですけれども、軍事的な問題に関しては「ちょっと待ちなさい。これは素人が軽々に判断できる話じゃないんだ。まあ、われわれ専門家に任せておきなさい」っていうことになるに決まっているし、そう言われたら、官邸は黙るしかない。だって、ほんとうにどうしていいかわからないんだから。まことに変な話ですけど、日本の強大な軍事力を実質的にコントロールしてるは永田町じゃなくて、ホワイトハウスなんです。ですから日米基軸が切断された瞬間に、官邸は自衛隊のコントロールを失ってしまう。官邸はそのことを非常に恐れている。
―それは「瓶のふた」論の現実的断面かもしれませんね。事故直後の福島第1原発への自衛隊ヘリからの放水も、「放水は米国向けだった。日本の本気度を米国に伝えようとした」との政府高官の声も報道されています。自衛隊ヘリの出動の背景には「米国の圧力」が働いていた、との指摘もありますね。
■被災者の地方志向
―内田さんはブログなどで「原発への依存も、資源の東京一極集中も、日米安保頼みの外交も、この30年間に日本人が無意識に選択してきたことの結果に見える」「震災と原発事故は中央集権的なシステムの破たんと東京一極集中のリスクを同時に開示した」と論じておられます。確かに、国民の「中央志向」は3・11後、変化してきているように思います。
内田 今、若い人たちの間で、東京志向はたしかに薄らいでいますね。それに、東京の人たちは今、どんどん「疎開」していますね。特にメディア周辺の人たちの動きが早い。それだけ情報が多いからでしょう。でも、メディア自身はそのことを伝えない。
―沖縄にも放射性物質の汚染を避けてくる移住者が増えています。那覇市内で2月に青森県から運んできた雪で、児童館の子どもたちが遊ぶイベントが予定されていたんですが、一部で実施を見送りました。東日本大震災後に沖縄県内に避難してきた児童館の利用者らから中止を求める声が強く寄せられた、とのことでした。
内田 原発の近くに住んでいたせいで、政策的に避難を余儀なくされている人たちと、それ以外の地域で自分の意思で疎開した人たちでは、放射性物質の危険度についての評価はかなり違ってくると思います。人間は誰だって自分の決断の正当性を根拠づけようとしますから。残っている人は汚染の被害を抑制的に語り、疎開した人たちは放射性物質の危険を高めにとる傾向がある。それは当然だと思うんです。そうしないと、自分のふるまいの合理性が基礎づけられないから。だから、僕は別に放射性物質については「よくわからない」でいいと思うんですよ。「よくわからないから、逃げてきました」も「よくわからないから、います」も、どちらも健全な判断だと思うんです。そこで議論して正否を決することなんか今は誰にもできないんだから。時間が経たないとどちらが正しかったかわからないことについては、今は自己判断するしかない。ただ、個人的には、「リスクを過小評価したせいで失うもの」は「リスクを過大評価したせいで失うもの」とは桁が違うと思います。
■公民意識の未熟
―そもそも今、日本は脱原発に向かっているのでしょうか。よく分からないというのが私の実感です。本来、本気で脱原発に向かうのであれば、低成長時代を踏まえ、どんな社会を目指すのかという世界観や価値観の次元からスタートして骨太の抜本的な議論を深めるべきだと思うんですが、そうした青写真も覚悟も哲学もなしに、目先の経済指標や放射能汚染の数値に一喜一憂しているのが現状のように思います。脱原発を議論するにも、「低成長」とかネガティブな語句は避けて、表面的に当たり障りのない言葉だけで物事を進めようとするから、どっちに向かおうとしているのかもよく分からない状況になっているのでは、という気もします。
内田 たしかに、本気で経済成長を続けたいと思うなら、原発を稼働し続けるしかない。本気で脱原発する気なら、マイナス成長と縮小均衡という近代150年経験のない前代未聞の制度設計をしなきゃいけない。僕はもう経済成長はありえないと思うから、「ゆっくり穏やかに縮んでゆく」後退戦の戦い方を真剣に考えなければいけないだろうと思っていますけど。
―今の学生たちはバブル経済も経験せず、成長が前提の社会では育っていません。それでいて、身の丈に合った「幸福感」を得る能力は優れているように思います。彼らがまちづくりの主流を担うようになれば、これまでのような経済効率を全てに優先させる流れには従わず、新しい価値概念で物事を進めていくのではないか、という期待もあります。
内田 たぶんそっちの方向へ行くと思います。僕もずっとダウンサイジングとか、小さな共同体とか、そういうことを言ってるんだけど、今までほとんど耳を傾けてくれる人がいなかった。でも、最近はけっこういろんなメディアが話を聞きに来るようになりましたから時代の潮目は変わっていると思います。平川克美くんの『小商いのすすめ』(ミシマ社刊)がアマゾンで1位になるくらいですからね。
―そういう価値観は、静かにこの国に浸透しつつある、という状況でしょうか。
内田 やっぱり意識の高い層から変化していますね。この状況で経済成長というのはいくら何でも無理だということがわかるから。日本の原子力技術の管理能力とモラルを勘定に入れると、これはもう原子力行政の担当者を全員入れ替えるくらいのことをしないと怖くて原発再稼働なんかできません。でも、脱原発を国民が選ぶ場合には「成長なき国家戦略」についての基本的なラインが提示されないといけないでしょう。
―なかなか人の価値観を変えるのは難しいですよね。震災のときだけ「絆」とか言っているんではなくて、平時から共助や公共という価値観の見直しが必要だと思います。
内田 福祉関連予算が国家予算全体の4割に至っているのは、個人レベルの互恵的な関係とか、相互支援の関係とかが崩壊したことが大きいと僕は思っています。行政機構と個人がダイレクトに向き合っていて、その中間を媒介する共同体が存在しない。だから、病気になったり、失職した人がいきなり行政にサービスを求めるかたちになっている。かつて福祉予算が少なくて済んだのは、幼児、老人、妊産婦、病人といった人たちを、行政の関与以前に、周りにいる親族や地域社会が支援したからでしょう。失職しても病気になっても、とりあえず身近にセーフティネットがあった。だから、個人が直接行政に支援を要求するというようなことはよほどのことだった。福祉予算がここまで膨れあがった最大の理由は、誰も言わないけれど、中間共同体の崩壊のせいだと思います。
でも、考えればわかるけれど、行政組織が個人を救うというのはめちゃめちゃ効率が悪いんです。税金でいったん政府に吸い上げて、それを分配するわけだから。その巨大機構の維持管理や配分費目の決定や分配比率の計算に膨大な時間とコストがかかる。うっかりすると、分配されるものより、徴収と分配のシステムの維持管理のために費消される資源の方が大きいのかも知れない。年金制度の崩壊なんかの場合は制度を管理する官僚たちが年金制度を食い物にしていたわけですからね。行政を経由するより、個人から個人への所得移転の方がはるかに効率的だし、きめ細かい支援ができる。小さなサイズの共同体が支援を要するメンバーを直接的に支えるなら、とりあえず管理コストはかからない。要るものを要る人にピンポイントで贈ることができる。
それができないのは、結局は市民の公民意識が未成熟だからなんですよ。市民社会のフルメンバーだったら、若く貧しい同胞を支援し、就学や授産機会を提供し、雇用を確保する義務がある。あるいは、幼児や老人や労働できない仲間の生活を支える義務がある。そう考えるのが「市民の常識」であれば、行政にここまで負荷はかからないですよ。持てるものから持たざるものへの直接的な所得移転がまるで機能していないから、年金や税体系の複雑で非効率なシステムを何度も何度も設計し直さなければいけないんです。ここまで福祉予算が膨れ上がっているのに、生活の質はどんどん下がっている最大の理由は制度設計のミスじゃなくて、悪いけど、日本国民1億3000万人の公民意識の未成熟ですよ。
―米軍基地や原発の立地自治体に共通するのは「振興策への信仰」です。中央の再分配機能が国策推進とつながり、いびつなかたちで「進化」してきたことが、国策を背負わされてきた地元で「真の豊かさとは何か」ということを見失わせているようにも思います。
【取材後記】
思想の大家との「150分一本勝負」の対談は、緊張と刺激と抱腹絶倒の連続だった。内田さんのブログをフォローし始めたのは鳩山政権あたりから。普天間問題の迷走要因を、思想論あるいは哲学的見地から説く言論に新鮮さを覚えた。対談を終え、改めて思った。そう言えば、内田先生って、沖縄や軍事の専門家ではないんだ。なのに、なぜこんなに腑に落ちるのだろうか、と。よく考えると、この人は国家や民主主義の基本原則について、極めてまっとうな意見を開陳しているだけなのだ。内田さんの言葉が突き抜けているように受け取られるとしたら、それだけ今の日本の病巣が深刻だということではないか。(了)
(2012-04-13 15:24)