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2018年01月 アーカイブ

2018.01.01

2017年の重大ニュース

年を越してしまいましたが、恒例の重大ニュースを発表します。
なんか、毎年同じようなことばかり書いているような気がするけれど、ご容赦ください。

今年もたくさん仕事をしました。
(1)講演 2月に台湾で村上春樹について講演。台湾の淡江大学というところに村上春樹研究センターという世界でただ一つの村上春樹の専門研究機関があります。そこのお招きで「村上文学の系譜と構造」というお題で講演をしてきました。今回強く感じたのは、台湾の「勢い」です。飛行機で関空に帰ってくると「がらんとしていて、勢いがない」ということがしみじみ実感されます。90年代まではこんなことを感じたことはありませんでした。国力が衰退局面に向かっているということは統計的な数値を見なくても、こういう海外とのインターフェイスに立つと、ありありとわかるんですね。
それから、沖縄でのSEALDsRyukyu の主催の講演を皮切りに、真言宗愛宕薬師フォーラム、大学コンソーシアム、日本演出家協会、藤沢の朝カル、大阪の朝カル(釈徹宗先生と)Again10周年(平川克美君と)、岐阜県人会、愛媛憲法集会、東灘九条の会、神戸女学院大学(高橋源一郎さんと)、京都精華大学(矢作俊彦さんと)、白百合女子大、東京自由大学、神戸女学院中高部、羽黒村(内山節・星野文紘ご両人と)、本願寺北御堂(中沢新一・釈徹宗ご両人と)繁昌亭(高島幸次先生、桂春之輔師匠ご両人と)、ルチャ・リブロ、北星学園、信州岩波講座(加藤典洋さんと)、隆祥堂(山崎雅弘さんと)、公共政策ラボ(平松邦夫、釈徹宗ご両人と)、恒例の韓国講演ツァー(光州と釜山)人体科学会、鈴木大拙シンポジウム(姜尚中さんと)など実にたくさんの講演や対談を、さまざまな方をお相手に行いました。
政治の話、宗教の話、文学の話、武道と能楽の話が多いのはわかるとして、「地方移住・地方再生」についての講演依頼が出て来たことが時代の流れを感じさせます。
(2)出版 今年出したのは、単著が『ローカリズム宣言』、『街場の天皇論』、『日本の覚醒のために』。共著が『変調「日本の古典」講義』(安田登さんと)、『アジア辺境論』(姜尚中さんと)、『聖地巡礼コンティニュード』(釈徹宗先生と)『慨世の遠吠え2』(鈴木邦男さんと)。文庫化されたのは『困難な成熟』、『内田樹による内田樹』、『直感はわりと正しい』(『内田樹の大市民講座』を改題)。ドクター佐藤の『身体知性』にも巻末対談で参加しました。
相変わらず「出し過ぎ」でした。2018年はこんなことにならないように、仕事をできるだけ控えるつもりです。単著は年1冊で十分ですよね。
(3)ラスペツィアでの多田先生の気の錬磨講習会に初参加。
凱風館のみなさんと連れ立って7月9日から18日までかけてイタリアへ行ってきました。呼吸法、座禅、気の感応、剣杖、倍音声明などふだんの体術中心の稽古とは違う静かな稽古を五日半。かすかに潮の香りを運ぶ微風が吹き込む体育館での座禅と倍音声明の時間が僕はとくに好きでした。毎晩美味しいイタリアンを食べて、ワインを飲み、海水浴にも二度行きました。多田先生と同じホテルでしたので、ほぼ毎朝先生と朝ごはんを差し向かいでご一緒して、ずいぶん長い時間お話をうかがうことができたのも日本では得難いまことに貴重な時間でした。
(4)ハングル書堂始まる。11月の韓国講演ツアーに同行する「修学旅行部」(これも今年からスタートした凱風館スピンオフです)の皆さんと一緒にハングルを学ぶことになりました。もう何年も韓国に通っているのに「ハングルが読めない」のでたいへん苦労をしておりましたので、伊地知さんという先生を得たことを奇貨として意を決して、凱風館のみなさんと一緒にハングルを基礎から学ぶことになりました。3週間に一度の授業ですので、進度は遅々としておりますけれど、11月の釜山では、なんとか地下鉄の駅表示くらいは読めるようになりました。ハングル書堂はこれからも続きます。来年は簡単な会話くらいできるようになりたいです。
(5)凱風館一九会発足。2016年2月に僕が初学修業を成就してから、次々と門人たちが初学に挑戦。清恵さん・多永さん・米山くん・中西くん・篠原さん・鯉ちゃん・薫子さん・福井さん・川原田青年・蓬郷くん・馬越くん・はっしー・里奈ちゃん・福丸さんと続きました。会員番号は学生時代に初学を成就していた春ちゃんが1番、僕が2番です。来年4月にはふじことたかみーが続いて18人に達する予定です。
一九会をみなさんにお薦めしているのは、その独特の空気を経験して欲しいからです。一九会は大正年間に東大のボート部の学生を中心にして小倉鉄樹先生を招いて始まった道場です。そのせいで、集いに行くと分かりますが、「大正時代の大学生たちのエートス」が色濃く残っています。そんなものがまだ空間に残留臭気として残っているような場所は日本国内に今いったいくつあるでしょう。そのルールは「誰も命令しない。誰も要求しない。誰も査定しない」ということです。道場の運営のみならず、日常の起居においてどうふるまうべきかが会員たちの自発性に委ねられている。行のときの任務分担だけでなく、配膳や掃除にしても、誰も何も指示しません。全員が黙って自分の判断に従って行う。ここでは会員たち全員を「大人」として遇するということが規範化しています。
今でも新兵の訓練や自己啓発セミナーは「参加者を幼児として扱い。その自我を解体することで再生させる」というプロセスをたどります。それも確かに短期的に「殻を破る」という目的については効果的でしょうけれど、そういう仕組みが日本社会において支配的になったのはおそらく陸軍経由で、それも昭和以降のことだと思います。多くの人が「日本の伝統的な教育システム」なるものを、新兵を古参兵が殴り倒し、苛め抜く陸軍内務班をモデルに考えていて、それに基づいてクラブ活動や社員研修を行っていますけれど、それ以前の「大正デモクラシー」の時代には、それとはまったく違う、個人の自律と主体性に基づいた修行組織が存在して、たしかに機能していた。そのような忘れられた「伝統」がかつて日本に存在したことを一九会は教えてくれます。
(6)2017年もさまざまな凱風館行事が行われました。凱風館を定期的に訪れて講習会をしてくださっているのは、甲野善紀、光岡英稔、守伸二郎、岡田慎一郎、小関勲、三好祐司の諸先生です。諸先生がたのご尽力に心からお礼を申し上げます。
(7)凱風館セミナー、凱風館寄席は2017年も活発な活動が行われました。おいで頂きましたのは、森田真生、森永一衣(初コンサート)、安田登、鶴沢寛也、竹本越孝、山村若静紀、玉川奈々福の諸兄諸姉。
有田さんと青山さんが肝いりのMTK(もっと玉川奈々福を関西に呼ぶ会)の会員がついに100名に近づき、繁昌亭と凱風館を拠点に「奈々福ムーブメント」が形成されつつあります。すごい。今年もたくさんの方のご来館をお待ちしております。
(8)色々な人が凱風館に来ました。多いのは地方の若い人たち(子どもたちも)。地方再生と教育共同体についてのアイディアを求めておいでになるようです。朴東爕が引率の韓国からの「日本の教育現場を見る遠足」も17年は二度、約50人が凱風館においでになりました。これは定例化したようで、今年も1月においでになります。
(9)凱風館からのスピンオフが際立ちました。春ちゃんの高砂道場・東沢君の青楓会・うっきーの芦屋合気会では毎年演武会・講習会をしてきましたが、それに加えて、今年は篠原さんのささの葉合気会が5周年を迎えて、最初の講習会が行われました。年末には三戸岡さんがご自身のクリニックに「風韻書屋」という道場を作りました(設計は光嶋君ですので凱風館とよく似た雰囲気です)。合気道の輪がどんどん広がってゆきます。
(10)それくらいでしょうか。個人的には身体の各部がちょっとずつ不可逆的に衰えていっている感じはします。でも、師匠が88歳でばりばり稽古しているのに、67歳の僕が弱音を吐くわけにはゆきません。
足腰が立つ間はしっかり稽古します。そして、足腰が立たなくなっても、まだ謡と禊は畳を這ってでもできます。こういう「足腰立たなくなってもできること」を早めに身につけておくのも老後の備えです。若い人は拳拳服膺するようにね。


2018.01.20

『新潮45』がこんな記事を掲載していた時期もあった

『新潮45』の権力へのすりよりがいささか目に余るという指摘を山崎雅弘さんがツイッターでしていて、その証拠に「昔は内田樹の論説を巻頭に掲げていた時期もあった」と書いていらしたので、そんな時代もあったかしらとハードディスクの筐底を探していたら、たしかにありました。2009年の5月号でした。バラク・オバマが大統領が選ばれたときのことです。大昔のことのようです。よくこんなごちゃごちゃしたとりとめのない話を巻頭に書かせてくれたものです。古文書ですけれど、お暇なときにどうぞ。

アメリカの第44代大統領に、史上初めてアフリカ系のバラク・フセイン・オバマが選ばれました。大統領就任式は日本でも中継され、未明にもかかわらず多くの日本人が彼の就任演説に耳を傾けました。
この演説は、内容はごく常識的でシンプルなもので、アメリカの政治家によくある、いわば「ストックフレーズの乱れ撃ち」のごときスタイルでした。特段に知識が深いとか、識見があるというものでもない。しかし、彼の演説には、日本の政治家からは決して聞くことのできない「何ものか」がありました。
日本の政治家の言葉には何が欠けているのか? 何が、日本の政治の言説の貧しさをもたらしているのか?今回はこの問題について考えてみたいと思いますが、まずは、オバマ大統領の演説についてみてみましょう。

彼の大統領就任演説を聞いた時の第一印象は、とても「風通しが良い」ということでした。話が大ぶりで、「ざっくり」とした感じ。細かい政策がどうのこうのというより、アメリカという国が向かうべき方向を指し示し、おおまかな国家ビジョンを提示し、それへの支持を訴えるというものでした。
選挙期間中のオバマは、ブッシュ政権の弱者切り捨て政策を激しく批判し、医療費や教育費の無料化や大規模雇用創出の「グリーン・ニューディール」など、「大盤振る舞い」的な政策を示していました。しかし、いざ大統領に選ばれると、一転して、国民の「責任ある態度と行動」や「奉仕の心」を説く、抑制の効いた演説へと変貌しました。「本当にできる」現実的な政策はこれだ、というリアリストになった。選挙キャンペーンのときの約束を反古にすれば食言したことになります。「嘘つき」なのか「リアリスト」なのか、判定は主観的なものですから、政治家はそこのさじ加減がむずかしい。そのあたりの手際がオバマはじつに上手かった気がします。夢からリアリティへの着地のショックを、政策を語るときの「語り口」の誠実さによって吸収した。
何よりも、アメリカの行くべき道を示すときに、未来を語るのではなく、過去を確認するというロジックがすぐれていたと思います。これはアメリカで政治的言説が有効性をもつためのほとんど唯一の方法なのですが、アメリカの「原点」に立ち帰る。アメリカが何をなすべきかを考えるときに、彼らは「われわれはなぜこの国を建国したのか?なぜこの国を守り抜いてきたのか?」を問います。
これはアメリカ以外の国民国家ではできない芸当です。なぜなら、ふつうの国民国家は(日本ももちろんそうですけれど)、気がついたらそこにはもう人が住んで暮らし始めていた。その既成事実の上に、事後的に「民族」や「国民」という物語を外付けしたからです。アメリカはそうではありません。
アメリカの場合、まず「あるべき国」についての物語があり、その条件に同意した人々をメンバーとして受け容れた。なぜこの国が存在し、その国の歴史的使命は何かということについて「原点」における契約書が存在する(という「物語」になっている)。
こんな奇妙な国はアメリカの外には存在しません(レーニン時代のソ連がそうでしたが、すぐに崩壊して「ふつうの国民国家」になってしまいました)。
だからアメリカ人は国民的危機に際会すると、必ず原点に立ち帰る。過去に立ち戻って問う。「われわれは何のためにここに国を建てたのか?」と問う。
これが、アメリカの大統領のここ一番の演説の定型です。そのようなレトリックがもっとも国民の情感の琴線に触れる。その政治的効果をオバマ大統領は熟知していたと思います。そのアドバンテージを最大限に利用した。
ヨーロッパはこれができません。ヨーロッパでは、国民国家が政治的虚構であることは小学生でも歴史を勉強すればわかるからです。ハプスブルク家はオーストリア、スペイン、ナポリ、トスカーナ、ハンガリーを領有していました。英国史には「ウィリアム征服王」という名が建国者として出てきますけれど、この王は今風に言えば「フランス人」で、それが「イギリス人」を「征服」した。英国の当代のエリザベス二世にしても、ドイツのハノーヴァー家の血筋です。
国民国家が幻想であるということをヨーロッパ人は事実として知っている。ですから、「国民国家の超歴史的同一性」というイデオロギーを政治的に服用しなければならないときには、「第二帝政」とか「第三帝国」とかいう看板を掲げて、「見た目はちょっと、違いますけれど、先代とマインドにおいては同一なんです」という不思議なレトリックを駆使することになります。本邦の「万世一系」の物語と構造的にはたぶん同一のものです。
どちらにしても「原点」に立ち帰らないと国民国家は「気合い」が入らないということはどの国の方々もわかっている。でも、「建国の父」がその国の「あるべき姿」について未来永劫にわたる青写真を有していたなんていう物語はいくら図々しいナショナリストでも恥ずかしくて言い出せない。それがアメリカの場合はできる。これがアメリカが世界に冠絶する覇権国家たりえた秘密ではないかと私は考えています。
アメリカはジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン、ベンジャミン・フランクリンなど固有名詞をもった「建国の父」たちが存在する。その人たちが「こんな国を作ろう」と合議して、「アメリカ合衆国の設計図」を作ったという話になっている。その「設計図」は完璧なものです。理想国家はかくあるべしということが書いてあるわけですから。
ですから、仮に今日アメリカが不調であるとしたら、それはこの「設計図」の指定と仕様の違う粗悪部品を使ったとか、下請け業者が手抜き仕事をしたからという説明が成立する。その説明にアメリカ国民はみんな納得する。そして、「設計図通りに作り直す」ことが唯一で最良の解決策として提言される。システムの不調はシステムの設計そのものに間違いがあったわけではなく、「バグ」や「人為的なミス」のせいであるということについて深い確信がアメリカ市民たちには共有されている。
だからこそ、逆に言えば、アメリカ人はあれほど自分たちの社会システムに対して無慈悲になれるのだと思います。
ハリウッド映画では「ワルモノ」はだいたいCIAか軍か警察か大統領です。統治の根幹にかかわる機構が腐敗しているという物語を彼らは「娯楽」として平然と垂れ流している。それはシステム不調は偶然的な「バグ」なんだから、「仕様通りの部品」と取り替えればきちんと機能するに違いないという「設計図神話」が生きているからです。これは「今手元にあるありあわせのもので何か使えるものを作り出す」という発想とはなじみが悪い。「ありあわせのものでしのぐ」というのはレヴィ=ストロースのいう「ブリコラージュ」の発想ですけれど、資源が有限の環境ではそれしか生きる手だてがない。人類はその全史のほとんどを飢餓と困窮の中で生きてきたわけですから、「ありあわせのものでなんとかする」というソリューションが人類学的にはベースであるはずなのですが、アメリカだけは違う。アメリカ人は「ありあわせのものでなんとかつじつまを合わせる」という発想をしない。システム不調を「最初の設計図通りに作り直す」というかたちで処理する。実際にはそうもゆかなくて、「ありもの」で都合をつけているときでも、「これはもともとの設計図に戻しているのです。これがアメリカ的ということなのです」というエクスキューズが絶対に必要とされる。

オバマ大統領は、1961年、ハワイで生まれました。父はケニア出身の黒人、母はカンザス出身のプアホワイトでした。3歳の時、両親が離婚。母の再婚にともない、インドネシアに移り住みます。アジア育ちというキャリアは、アメリカのエスタブリッシュメントではきわめて例外的なものでしょう。ふつうに考えれば、これは社会的上昇のためには大きなハンディになるはずです。そのネガティヴな要素を全て逆手にとり、このような不利な条件で人生をスタートさせた人間でも社会のメインストリームを歩み、ついには位人臣を極める(という言い方はアメリカ大統領には不向きですけど)ことができた。これこそアメリカがフェアネスとチャンスの国であることを証示している。つまり、バラク・オバマが大統領になったという事実そのものが「アメリカのシステムが正しく機能していること」ことを挙証しているというふうに物語は編み上げられている。
実にスマートな政治戦略です。彼がそこにいることがアメリカの「正しさ」を保証している。多くのアメリカ国民が、オバマ大統領が語る「物語」に感動するのは当然なのです。
 
日本の政治家には、オバマ大統領のような「物語」を語ることのできる人はいません。でも、これを政治家個人の資質の差として論じるのは気の毒だと思います。政治風土が違う。政治的力量を考量するときの基準が日米では違うんですから。
日本の政治家とアメリカの政治家の違いというのは、武道の言葉で言うと、アメリカは基本的に「先手」の人であり、日本は「後手」の人ということです。
欧米では、とりあえず国家が行くべき道というか、実現すべき国家像というビジョンが、イデオロギー的にではあれ、すでに存在し、それが国民的規模で共有されている。
しかし、本邦の政治家たちにはそんなものはありません。そして、それは彼らの罪ではないと私は思います。
日本が近代以降もちえた唯一の国家像は「國體」というものです。後にも先にも実効的な統治原理として機能したものはそれしかありません。
「國體を護持すること」「國體の本義を全うすること」があらゆる政治的行為の究極の目的であるとされた。けれども、「國體」が何を意味するのか、それに答えることのできる人間はどこにもいなかった。それが暴露されたのは、ポツダム宣言の受諾のときです。その宣言の文言の中の「天皇及び日本国政府の国家統治の権限は連合国最高司令官に従属する」という条項があった。果たしてこれは「國體の変革」を意味するかどうか御前会議で大議論になったのです。
この期に及んで、国家の基軸である概念について、それが「究極的に何を意味するかについて、日本帝国の最高首脳部においてもついて一致した見解が得られ」なかったのです(丸山眞男『日本の思想』)。そればかりか、最終的に「聖断」によってポツダム宣言受諾が決定されたあとになっても、「天皇の聖断が果たして國體を全うするものかどうか」について軍内部では対立が続いたのです。そして、天皇の意に反しても「國體の本義」は護持されねばならないという議論が声高に語られもした。
国の統治原理の根幹が「何であるか」を誰も言えない。私たちはそういう国の国民です。戦後に「國體」に代わる統治原理が登場したわけではありません。
私たちの国の統治原理は今のところ実践的には「アメリカに従属する」ということであり、それは比較的うまくいっています。でも、その政治実践を正当化する国家理論があってそうしているわけではない。とにかくアメリカに従属しなければ生き残れないという「所与の状況」にてきぱきと適応して、とりあえずの最適解で応じている、というだけです。
相手がこう来たらこう返す、こうされたらこう逃げるという受け身の姿勢でいること、つねに状況に対して「後手」に回るというのが日本の政治文化です。
これは受験生に似ています。受験生はつねに「試験問題に遅れている」。当然ですね。試験問題が存在する前に受験生が答案を書き始めるということはありえない。受験生は試験問題に対して正解するためには努力を惜しみませんけれど、「そもそも何のために受験勉強をしているのか」、「私は試験問題に解答することを通じて何を実現しようとしているのか」などということは決して問わない。受験生は想定問答集の範囲内で、世界史の年号や化学式を覚える。「なぜ覚えるのか」と訊かれれば、「試験に出るから」と答える。この受験生マインドと日本の政治家のマインドはあまり変わらないような気がします。
この「最適解マインド」は政治家のみならず日本人全体に蔓延しています。まず「問題」が出る。その問題に対してどう解答するかを必死で考える。そして、それなりによい解答を思いつく。そういう能力は日本人はけっこう高い。
白紙にゼロから絵を描くように、なすべきことを創造することはまったく不得手だけれど、言い逃れとか、言いくるめとかはうまい。恐ろしいほどうまい。
麻生首相の言動をみていると、言い逃れや、言いごまかす、とられた揚げ足を取り返すといった「小技」の達人であることがわかります。小手先の論争技術だけでその場をしのいでいる。誰も納得しないし、何を言っているのかさっぱりわからないけれど、「その場」はごまかせる。
彼には実現すべき政治的ビジョンがあって、それを情理を尽くして有権者に伝え、その同意と支援をとりつけるという発想がない。「私は政治家としてぜひこれを実行したい」という「これ」がない。彼の政策はすべて「すでに起こってしまったトラブルやミス」の「尻ぬぐい」です。とりあえずの「これ」は「百年に一度の経済恐慌に対処する」というものです。目指すべき国家像がなく、すでに現出してしまった「困ったできごとへの対処」しか語られない。
それは麻生首相の個人的瑕疵ではないと私は思っています。たぶんこれは日本の政治風土そのものから生まれた「風土病」なのです。政治とは「すでに起きてしまった困ったできごと」に対処して、できることなら「正解」を提出することである、と。誰かに「はい、よくできましたね」と評価してもらってほめられることである、と。日本の政治家たちはそう考えている。そう考えていることが「変だ」と思っていない。かなり特殊な政治的因習なのではないかという疑問を誰も持たない。
この政治的因習は政治を論じるメディアの側にも共有されています。というか、メディア自身がそういう政治的風土を培養しているとも言える。
メディアは、政治家が「与えられた課題」にどう答えるかを、まるで試験の答案の採点をするような査定的な態度で論じます。メディア自身が、政治家の正解率を言い立てることを本務だと思っている。でも、誰がメディアや、メディアであれこれ発言する論客を「採点者」に任用したのか。有権者の仕事が「採点」することに尽くされるということでよろしいのですか。
たしかに投票することは「美人コンテスト」に似ていますから、有権者は「採点者」に近いマインドで行動しているのかも知れません。政治家たちもよく「選挙で国民のみなさまの審判を仰ぐ」というような修辞を口にしますから。でも、政治行動というのは、「採点」に尽くされるわけではない。政治的行動というのは「問いと正解率」の関係でしか論じられないというものではないでしょう。
「そんなふうに政治をとらえているのはもしかすると日本人だけではないのか」という、なされて当然の問いを私たちは自分に向けません。政治とは「後手に回ること」であるという理解が自明であるような国民国家は日本だけかもしれないという、心に浮かんで当然の不安が私たちにはありません。

メディアのみならず、政治家も官僚も財界人も、その点では変わりがありません。ただ、世界市場を相手にしている産業界では、マーケットの「ニーズにお応えする」だけではなく、マーケットの「ニーズを創り出していく」ということの必要性が多少は理解されている。「消費者が要るもの」を市場に送り出すというしかたで「後手に回る」のではなく、「消費者の欲望を喚起する」というかたちで消費者の「先手を取る」ことの必要がわかっている。日本が政治が三流、学問が二流でも、ものづくりだけは一流なのは、そのセクターだけが「先手を取る」ことの意味がわかっているからです。たぶん、そうだと思います。
日本の政治家の中で、「日本の統治原理」を明快な言語で語れる人はいません。「あるべき国家像」について語れる人さえいない。日本の中長期的な「東アジア戦略」や、「対ロシア戦略」を語れる政治家も見たことがありません。彼らが語りえるのは、「大統領はどういう順番で列国を訪問するか」とか、「温家宝はどういう口調で演説する」とか「プーチンはどう出るかだ」という類のことです。「相手の出方」だけを見ている。
日本の外交戦略の基軸である「対米戦略」でも、「アメリカの東アジア戦略はこれからどうなるか」というクールな論議はほとんど耳にすることがありません。語られるのは、アメリカは日本に「強硬な出方をするか融和的にアプローチしてくるか」とか、「中国を日本より重視して悔しい」とか「北朝鮮と日本とどっちがたいせつなんだ」とかいう、「出方」についての議論だけです。
相手の戦略の切り出し方がハードだったか、ジェントルだったかというようなことは外交レベルでは一義的な問題ではありません。重要なのは「出方」ではなく、「何と引き換えに何を要求しているか」というコンテンツの考量でしょう。相手の外向的要求は何か、それに対してこちらはどこまで譲歩できるのか、見返りに何を要求できるのか、そういうリアルな内容についての議論がなされるべきときに、相変わらず「出方」ばかりが報道される。
「出方」を待つという外交戦略の不利はつねに「後手に回る」ということです。ゲームのルールを先に向こうに作られてしまう。ゲームのフレームワークの初期設定を相手に委ねて、こちらはプレイヤーとして、そのゲームで「いい戦績」を上げようとしても、どだい無理なんです。誰だって自分が有利になるようにゲームのルールを決めるに決まって要るんですから。相手に先手を打たせ、それに「最適解」で応じるという形でしか、国家戦略が構想できない。それが日本の病だと思います。
相手が次に打ってくる一手に最適対応すべく、全神経を集中すること、それを武道では「居着き」と言います。物理的には足の裏が地面に張りついて身動きならない状態ですが、居着くとは構造的に「負ける」ことです。居着いた相手は活殺自在である、そう言われます。端的に言えば、武道とはどちらが相手を「居着かせる」ことができるかを競っている。ですから、武道的観点から言うと、「問題に正解しなければならない」という発想をする人は構造的に敗者であるということになります。日本の政治が三流であるというのはそういうことです。構造的に負けているのです。政治家個々人の資質がどうこうということではありません。国家像が描けない、統治原理が語れない、外交戦略を起案できないというのは個別的な知性の不調ではなくて、日本人全員が罹患している国民的な病なのです。

ですから、日本では政治家の言葉は構造的に「軽く」なる。「その場をつくろう」ことが「ほんとうに言うべきことを言う」ことよりも優先するのですから、仕方がない。というか「ほんとうに言いたいこと」がないのだから仕方がない。
テレビタレント出身の知事が相次いで選出されて、注目を浴びましたが、彼らが地滑り的な勝利を収めたのは、脊髄反射的に「その場をつくろう」技術こそがテレビタレントに求められる最重要の知的資質だからです。現在の日本の有権者たちが政治家に最優先的に求めているのは「脊髄反射的な言いつくろいの巧妙さ」だからです。
麻生首相もその点で言えば現代政治家の理想型です。「言い訳、言い逃れ、言いくるめ」に加えて、彼は「論点をずらす」のが得意技です。相手が議論をしかけてきても、「そんな話をしているわけじゃない」と議論の前段をずらしてしまう。政治家は議論で分が悪くなると必ずこのテクニックを使います。「そんな話をしているんじゃない」。じゃあ、どんな話をしているかというと、なんだかわけのわからないことをごちょごちょ言い出す。私は経験的に断言できますけれど「そんな話をしているんじゃない」という言葉のあとに「問題のわかりやすい再設定」が続くのを聞いたことがありません。いつだって、「なんだかわからない話」になっておしまい、です。そして、日本人ほどこの「話をごちゃごちゃにして、議論の帰趨がわからないようにする」態度に寛容な民族は他にいないのじゃないかと思います。
相手が必死に整合的な議論を立て、自説の正しさを挙証しようとしているときに、ひとこと「そんな話をしているんじゃない」と一喝して、相手に足元が崩れ落ちるような無力感を与えるこのテクニックをもっとも得意とするのは、やくざと警察官です。あまりやくざや警察官の両方とかかわりになった経験のある人はいないでしょうけれど、「シロート」さんに無力感を感じさせて、「どちらが権力的に上位者であるか」を思い知らせる技術の洗練において、この二つの「職業」の間には通じるものがあるようです。
「そんな話をしているんじゃなよ」というのは、「ことのよしあし」の決定よりも「どちらが上位者でどちらが下位者であるか」を決定することが優先する状況で好んで採択される言葉づかいです。そして、麻生首相がこの言葉づかいを非常に好むという事実から推して、彼は「ことのよしあし」よりも「誰がボスか」を確認することを優先的に配慮するタイプの人間であるということは知れるのです。
麻生首相は、おそらく20代の頃から「政治的な技術」として、この「論点をずらす」というテクニックを愛用してきたのではないかと思います。
だから、相手の話に全く取り合わない。質問の中身には答えないで、言葉尻をとらえる。問いに答えないで、「なぜ、どういう立場から、あなたはそういうことを訊くのか」というふうに質問者の足場を攻撃する。これは一見すると、問題を根底から捉え返そうとしているラディカルな態度のように見えますけれど、実際に彼が求めているのは「この場のボスはオレだよ」ということの確認だけなのです。
麻生首相は「自分について書かれていることは間違っているから新聞は読まない」と公言しました。これは一国の指導的立場にある政治家として言うべきことではないでしょう。政治家に限らず、公人では「他人からそういう人間だと思われているイメージ」と、「彼自身が自分について抱いているセルフイメージ」が違っているのは当然のことです。そして、政治家の場合は「他人からそういう人間だと思われているイメージ」が政治的に機能する。それが「正味の自己像」とどこが違ってどこが同じかななどということは、どうだっていいことです。どんなに本人が下劣で邪悪な人間であっても、他人からは高潔公正な人間だと思われていれば、政治家としては成功するし、その施策も物質化する確率が高い。だったら、「他人からどう見えるか」を最優先に配慮するのが政治家の仕事でしょう。
俚諺に「李下に冠を正さず、瓜田に履を納れず」という言葉がありますね。「すももの木の下では冠のひもがほどけても直してはならない(すもも泥棒だと思われるから)。瓜の田で沓が脱げても取りに行かない(瓜泥棒だと思われるから)」という「公人のたしなみ」についての教訓です。それが教えるのは公人というのは「推定有罪」の心構えでいなければならないということです。何もやましいことをしていなくても、他人からみて「泥棒」に見えるような所業をしたら、それは「泥棒をした」のと同じ記号的意味をもつ、ということです。そんなの理不尽だと言っても始まりません。それが一般人から権利を受託され、税金の使い道を決められ、個人情報を占有できる公人であることの「有利」さとトレードオフされる「不利な条件」だからです。
私人としての特権も公人としての特権もどちらも欲しいというわがままは通りません。公人になりたいなら私人としての特権は断念しなくてはならない。私人なら李下でも瓜田で何をしようと「泥棒なんかしてないよ」と胸を張って言えますけれど、公人は李下で冠のひもを直した時点で「アウト」です。冠がずれてさぞや気分が悪いでしょうけれど、ひもを直すのはすももの木から離れたところにゆくまで我慢するしかない。それくらいのことは我慢してもらわなくては困る。
小沢一郎民主党代表の献金事件はこの雑誌が出るころにはどうなっているかわかりませんけれど、政治家は「どれほど端から見て疑わしく見えても、私は自分が潔白であることを知っている」というレトリックは使うことができません。使用禁止なのです。それを言ってもいいのは私人だけです。公人には許されていない。その公人には許されていないレトリックを口にしたという点で私は小沢一郎には政治家として公人の頂点に立つ資格はないと思います。もしその言い分が通るなら、彼を総理に戴く日本の公務員はその全員が「どれほど端から見えて疑わしくても、私は自分が潔白であることを知っている」ので職務を粛々と全うできるという権利を手に入れることになりますから。

政治家の言葉が軽いのは、彼らがどんどん「ほんとうの自分」に人格の軸足を置くようになったからだろうと私は思っています。
他人が見ている私とは違うところに「ほんとうの私」がいる。それこそが「真正の私」であり、世間の人間が見ているのは仮象にすぎない、と。だから、「世間の人間が見ている私」の言動について、「ほんとうの私」は責任を取る必要を感じない。
例えば、政治家が不祥事を起こす。彼は決して不祥事そのものについては詫びません。「私はそんな悪いことをしているとは思わない」と言い募る。けれども、「党のみなさん、支援者の方々にはご迷惑をかけた」ので職を辞す、と。「党の同志や支援者のみなさん」とは「ほんとうの私」でつながっている。だから、彼らには真率を示す。しかし、野党やメディアが叩いているのは「他人から見た私」という仮象であるので、叩かれても痛くも痒くもないし、そのような仮象の言動について「ほんとうの私」が責任を取るいわれはない。
政治家たちはそういうふうに考えているようですね。
「自分探しの旅」というのはもともと中教審が言い出したことで、政治主導のイデオロギーですけれど、政治家自身が自分が唱導してきたイデオロギーの虜囚となってしまった。「ほんとうの私」こそが私の本態であり、みんなが見ているのは「仮象の私」であって、そんなものについてオレには責任を取る気はないよ、と。
政治家の言葉が軽くなったのも当然で、彼らには「仮象の私」の言動なんかに責任を取る気が端からないんですから。
政治家としての自分の言葉が、どのような反響を生み、どう受け取られるかに興味がない。
「言葉の重み」というのは、その言葉が流通していく過程で様々な解釈が施され、さまざまな意味が賦与され、不測の事態を惹き起こしことを見越して、発語者がその全体の責任をとるということです。
言葉自体は重くも軽くもない。言葉が社会的な文脈の中に取り込まれていき、その網目の中である種の機能を果たしていくときに、発語者がその責めを引き受けるならば、言葉は重くなる。どれほど命題として整合的であり、美しいものであっても、発語者がそれに責任を取る気がなければ、その言葉は軽い。そういうものでしょう。
「帝国主義戦争を内乱へ」という言葉それ自体は重くも軽くもない。レーニンがそれを口にしたときに、その言葉の代価に自分の命を差し出す用意のある人々が何万人も、何十万人もいた。だから、その言葉は重くなった。同じ言葉を違う人が別の場所で言っても同じ重さを持つことはできません。
政治の言葉とはそういうものでしょう。その言葉に自分一身の命を賭けることができるというのでは足りない。その言葉を信じ、あるいは誤解し、あるいは曲解して、その言葉を実現しようとする人々全員の事績について「その責めは最初にその言葉を口にした私にある」と言えなければ、言葉は重くならない。
日本におけるマルクス主義運動の末期のことを私は思い出します。1970年代の中頃に、日本のマルクス主義者たちは「マルクス主義の名において自分以外のマルクス主義者たち」がなすことの責任を取ることを拒絶しました。「あれは『ほんとうのマルクス主義ではない』」という言い分が通ると思ったからです。でも、イデオローグたちが、同じ名を掲げた政治党派の犯した失敗について責任を取ることを拒否するとき、その名を掲げた政治思想は死滅する。政治思想とはそういうものです。
マルクス主義者が政治思想としてのマルクス主義を生き延びさせたいとほんとうに思っていたなら、マルクス主義の名においてそれまでになされた、これからなされるすべての蛮行や愚行について、「それもまた私の責任として引き受けざるを得ないでしょう」と言うべきだった。責任の取り方はいろいろでしょう。別に「じゃあ、ここで今すぐお前が腹を切れ」というような無法なことは誰も言いはしない。あなたの責任じゃないということはわかってるんですから。それでも「マルクス主義運動の名においてなされた非行は、同じマルクス主義者を名乗る私の責任でもある」と言うべきだった。そう言えば、その政治思想は生き延びることができた。でも、誰もそうしなかった。誰もマルクス主義運動の「葬儀の喪主」になることを受け容れなかった。だから、日本におけるマルクス主義運動は死んだ。私はそう思っています。
政治の場では「その成否について誰も責任を取らない綱領」が現実化するということはありません。言葉の重さはその約束の履行責任を感じている人がいるかいないか、それだけを基準に考量される。
だから、首相は食言の責任は取らなければならない。約束を履行できなかったことの責任を全うする政治家がいたという事実はしばしば約束の履行そのものよりも国民に贈られる政治的功績は大きいかも知れません。

政治というのは最終的に「効果」の問題です。ある政治的選択の成否は、十年二十年、場合によっては半世紀、1世紀経たないとわからない。本来、政治家はそういう長期的なスパンで国益の安定的な確保を本務としているのではないですか。その場の言い逃れや、責任回避などにいくら熟達しても、それは政治家としては少しも誇れる功績ではない。長い目で見たときに、自分の政治的行為が日本のために、ひろく世界のためになにごとかの「善きこと」を積み増ししえたかどうか、政治家はそれを思量すべきではないのでしょうか。
政治過程の全体が果てしなく近視眼的、刹那的、表層的になっているような気がします。「サンデープロジェクト」や「TVタックル」、「朝まで生テレビ」などのテレビ番組に出演している政治家たちをみると、ほんとうに脊髄反射的に言葉を連ねている。そういう秒単位でのパフォーマンスの巧拙で政治家としての能力が査定されている。ゆっくりと、情理を尽くして語るというタイプの政治家は決してテレビには出てきません。テレビでは、ある程度以上に複雑で、十分な基礎知識が共有されないと立ちゆかないような議論は構造的に忌避されます。
こういう番組では、他人の話を遮って大声で自説を展開することが出席者の基本マナーとなっています。本来、他人の発言を遮るというのはずいぶん非礼なことでしょう。でも、どこかで間を入れると、必ず誰かに遮られる。だから、数秒のうちにトリッキーな詭弁で人を驚かせて、受けようとする話法がさらにエスカレートする。そういう種類のディベート術がいま日本中のあらゆる場面で標準仕様となりつつあります。
複数の人間が同一の論点について語り合うということは、ほんらいその論件についての理解を深め、それまでそれら論者の誰も気づかなかったような新しい視点を発見するためのものでしょう。誰か一人だけが「正解」を述べていて、残る全員は「誤答」をしているという結論はあまりに貧しい。それなら、わざわざ集まって対話をする必要がない。
私はもともと「ディベート」というものが大嫌いですけれど、それはそこでは「ディベートの勝者」の主張のレベルを超えるような知見が決して生み出されないからです。何人か人間が集まって、何時間か侃々諤々の議論をして、その結論が、「ディベートの勝者一人以外はいなくてもよかった」というものであるのは純粋な消耗でしかない。
 政策についての議論の目的は、ある政策についての国民的合意を形成することです。そして、国民的合意というのは「国民全員が同じ意見」であるということではない(そんなことはありえません)。むろん、「『ディベートに勝利した意見』に残る全員がやむなく従う」ということでもない。国民的合意というのは単一の命題のことではないからです。いつも申し上げていることですけれど、政策上の意見が対立するのは、ほとんどの場合「未来予測」が論者によって違うからです。これからドルがどうなるかわからない。アメリカの中東戦略がどうなるかわからない。イスラム原理主義の消長がわからない。中国の国際戦略の先ゆきがわからない。プーチンの腹の中がわからない・・・だから、論者それぞれの異なる未来予測の違いが、意見の対立になる。未来のことは今はわからない。だから、未来がどうなるかによって正否が変化するタイプの議論(すべての政論はそうです)について、現在「正解」を決定することは原理的にできないのです。
ですから、「私だけが『正解』を語っている」という主張をなすことは、それ自体が原理的に間違っているのです。
そう主張する人は、論理の経済に導かれて、彼の「正解」に背馳するデータを過少評価するか無視するか悪意ある捏造だとみなすようになる。知的な「遮眼帯」を自分で自分に装着してしまう。これは人間である以上しかたがない。だったら、そういうピットフォールに落ち込まないように、自説の正しさにつねに留保をつけておく節度が必要だと私は思います。
「私はとりあえず手持ちのデータに基づいて、『正しいことが事後的にあきらかになる蓋然性が高い見通し』を述べている。しかし、私はすべてのデータを網羅したわけではなく、これから起きる出来事のすべてを予見できるはずもないので、私の見通しは誤る可能性がある」という宣言を議論の出発点に置くべきなのです。そのときにはじめて「私が吟味しなかったデータを吟味した人」、「私が予測しなかった出来事を予測した人」との生産的な対話が成立する。
わが国の政治家にもっとも欠けているのは、この「自説の反対者と生産的な対話をなす」能力でしょう。そして、それこそが日本の政治的危機の核心をなしていると私は思います。

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