『文藝春秋』が送られてくる。
先月、「小泉首相の靖国神社参拝の賛否」を問うアンケートが私のところにも回ってきたので、「反対」として、その理由を数行書いた。
その掲載誌が送られてきたのである。
アンケートだけまとめて読んだ。
字数の限られたアンケートへの回答だから、どなたもあまり踏み込んだ議論はしていない。
けれども、わずかな字数からでも、わかることはわかる。
「参拝すべき」と回答した中で、中国政府の「悪口」を書かずに、感情を排して法的・論理的・政治的な判断のみに依拠して論じていたのは宮崎哲弥、橋爪大三郎ら数名だけだった。
残る過半は「反日デモは胡錦濤のヤラセ」とか「シナ人に固有の中華思想に屈するな」というような感情的なことばづかいで中国政府を非難することを自制することができずにいた。
私が靖国問題で参拝に反対するのは、日本の一部で栄えているこの種の「節度のなさ」に対する不信が大きな理由を占めている。
前にも紹介したけれど、私がアンケートに書いた答えは次のようなものである。
「隣国と正常で友好的な外交関係を維持することは重要な国策の一つである。
戦没者の慰霊も国民的統合のために重要な儀礼の一つである。
どちらが優先すべきかについての汎通的基準は存在しない。
複数のオプションのうちどれがもっとも多くの国益をもたらすかを比較考量して、そのつど定量的に判断すべきであり、ことの正否を一義的に決する審級は存在しない。
『靖国に参拝することによって得られる国益』が『それによって損なわれる国益』よりも大であることについての首相の説明に得心がいけば私は靖国参拝を支持する。
私が首相の参拝を支持しないのは、自らが下した重大な政治判断の適切性を有権者に説得する努力を示さないからである。
自らの政治判断の適切性を有権者に論理的に説明する意欲がない(あるいは能力がない)政治家を支持する習慣を私は持たない。」
私が知りたいのは「靖国参拝によって得られる国益」が「それによって損なわれる国益」よりも大であるという政治判断の根拠である。
私が問題にしているのは、小泉純一郎個人のエモーションの純良さやその憂国の至情ではない。
政治的効果という一点である。
政治家の仕事は国益の最大化である。
何度も繰り返すが、私はそう思っている。
平川くんが昨日か一昨日のブログで「国益ということばが好きじゃない」と書いていた。その点では私の方が平川くんよりも「ビジネス・マインデッド」な人間なのかもしれない。
私が「国益」ということばに託しているのは「領土の保全・実効的な法治・通貨の安定」というたいへんリアルでクールな条件である。
もっとも確実のこの三つの条件が満たされるオプションを選択し、そのようにして選択したオプションはなぜ選ばれなかった他のオプションよりも国益の増大に資する蓋然性が高いのか、その理路を適切な論拠を示し、できるだけロジカルに国民に説明するのが政治家の仕事である。
政治家の重要な仕事はそれに尽きると私は思う。
自分の政治的イデオロギーとか宗教的信念とか芸術的好尚というようなものは節度ある政治家が口にすべきことではない。
このアンケートには評論家や学者や作家たちが回答していた。
彼らは別に国益の最大化を責務とする政治家や官僚ではないから、私見を自由に書く権利がある。
しかし、それでもこの『文藝春秋』を読む中国の政治家や評論家や学者や作家たちがいること(必ずいる)、彼らが自分の文章をどう受け止め、その印象が今後の日中関係にどのような影響を与えるだろうか…については多少の想像を試みてもよいのではないだろうか。
残念ながら、そのような条件を意識的にみずからに課して文案を推敲したと思われる人間をアンケート回答者の中に見いだすことに私は多大の困難を覚えた。
「国際感覚」というのは英語がしゃべれるとか外国の政界裏事情に精通しているとか統計資料の数字を暗記しているとかいうことではない。
自分の語るひとつのことば、ひとつのみぶりが、その主観的意図とはかかわりなく、国際社会のネットワークの中でどのような「記号的なふるまい」をすることになるのかについて、あたうかぎり想像力を発揮できる能力のことである。
ひとの国際感覚の程度を知りたいと思ったら、比較的簡単な方法がある。
そのテクストを「外国語訳」してみればよいのである。
そうすれば書いた人間に「国際感覚」があるかどうかはすぐにわかる。
『文藝春秋』は日本を代表するオピニオン誌のひとつである。それが日中関係の焦眉の論件である「首相の靖国問題」を扱っている。
当然、これが海外の日本ウォッチャーやメディアや国際関係論の専門家に「資料」として閲読される可能性は高い。
「識者」と呼ばれる方々である以上、その程度の「常識」は備えているだろう。
その上で、「外国語に翻訳される可能性」を想定して書かれている文章がいったいこの81編のうちに何編あるか数えてみるとよいと思う。
「外国語に翻訳される可能性」を想定して文を草する人間は次のような条件を自らに課すものである。
論理的で明確な統辞法を以て書かれること。
日本人以外にはそのコノタシオンが伝わりにくい語を用いないこと。
多くの外国人読者に読まれることが日本人の知性に対する信頼や敬意の積み上げに資するような知見や情報を含んでいること。
今日本のメディアで発言する人々のうちでこのような意識を持って言葉を発している人間は、残念ながら、ごく少数に、悲しいほど少数にとどまっている。
投稿者 uchida : 2005年06月12日 11:49
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僕は、日中関係の問題の本質は靖国参拝(歴史問題)ではないと思っています。理由は簡単で、当時日本と中国(蒋介石率いる国民党)が戦争をするように仕向けたのが、毛沢東率いる共産党だそうだからです。だとしたら、なぜ小泉首相が靖国を参拝する事で中国(共産党)がいちいち文句を言うのでしょうか。何か中国(共産党)にとって利益になる事があるのでしょうか。でも、日本が靖国参拝で騒ぐ事によって、彼らに短期的には何らかの利益があったとしても、長期的に見れば不利益にしかならない気がします。中国(共産党)にしても、日本のマスメディアにしても、日本の政治家にしても。目先の利益ばかり追っていると、後で痛い目に会うと思うのですが・・・。
いつもたのしく拝見しております。
はじめてなのですが、すこし質問させてください。
ぼくがよくわからないのが『靖国に参拝することによって得られる国益』が『それによって損なわれる国益』よりも大であることについての首相の説明がなされた場合、それが
政治的効果、あるいは国益の最大化に資するのか、ということです。
その理路を適切な論拠を示し、できるだけロジカルに国民に説明されるということは、それを中国の政治家や評論家や学者や作家たちが聞くということですよね。
小泉首相が内田先生に耳打ちするのであればいいのでしょうけれど、みんなのまえで言ってしまったら水の泡になりはしませんか。
内田先生のよく言われる「子どものディスクール」になりはしないのでしょうか?
>> 日本人以外にはそのコノタシオンが伝わりにくい語を用いないこと。
「コノタシオン」はconnotationのことですよね。内田先生のブログを読む人は仏語に堪能なのかもしれませんから別にこう書いても問題はないのでしょうけど。
仏語のカタカナ表記語よりはコノテーションと書くか邦訳を用いた方が日本人読者には伝わりやすい気もします(場合によっては「外国人」読者にも)。
いつも勉強させていただいております。
ビジネスライクな国益という観点で論じるという内田先生のご意見には賛同いたします。私はまさにその点において、小泉総理は参拝を続けるべきだと考えます。外交というのは国益を追求するパワーゲームの駆け引きが本質にあって、ただ相手の言うことに譲歩すればどんどん道が開けていくというものではないと思います。東シナ海の海底資源における日中の衝突は領土問題と資源に直接関わる問題なのでわかり易いですが、要するに引いてはいけない一線はあるし、その一線を譲歩すると、もうその地点に復帰することは不可能になるというポイントがあると思います。かつて中国はイギリスに対して歴史カードを切ろうとしましたがイギリスは突っぱねてまったく相手にしなかった。一方日本はこの前のように謝罪しろといわれ謝罪しても、靖国に参拝しているので誠意が見えないという論調にまた押されているわけです。歴史カードというものが有効であるかぎり、どこまで日本が引いても引いた分だけどこまでも押すという戦略だと思われます。これに翻弄され続けていたのがいわゆる土下座外交ですね。
中国共産党の靖国参拝にたいする表向きのロジックとしては、「われわれ国民の感情に配慮してもらいたい、だから謹んでほしい」でありますが、本質は一党支配維持のための内政問題であす。国内の政権批判を外部の仮想敵にそらすために反日を利用している。これは利用できるという認識があるからこそ利用しているわけです。利用するためには小泉の靖国参拝はけしからんという報道を中央がすれば国民感情もそうなります。ですから、実態は、
中国一般市民の感情→靖国参拝批判→外交カード
ではなくて
外交カード→靖国参拝批判→中国一般市民の世論統制
であると思います。
私も、本当に中国国民の感情が本質的なものであり、それに「配慮」することが解決になるのであれば小泉総理も参拝は自粛すべきだと思いますが、実際はカードを生かすだけでありなんら根本的解決につながらないと思うので、折れるべきではないと思います。現在、小泉総理の靖国参拝にたいして包囲網がせばまっていますが、そういう周りの親中派議員の取り込みも含めて、国益を最大化するための外交において中国のほうが戦略的に長けていると思われます。内田先生が批判される中国にだまされるな的な論調はこのような背景も鑑みているのではないでしょうか?
以下、私も参考にした安陪氏の発言を引用します。おそらく小泉総理も同じような見解なのではないでしょうか?
>>>>>>>>>>>>>>>>
首相が靖国参拝をやめれば一連の反日デモが収まるのか、ということです。 朝日新聞などがそれを問題視していますが、いかがなものでしょうか。
(中略)
外交交渉は国益の追求ですから、相手が動揺し、譲歩するカードを切り続けることは交渉者の当然の義務ですね。その意味で、今までの中国に対する日本外交は、相手の善意に期待しすぎてきたのではないかな、と思いますね。果たして本当に、したたかに、確固たる決意をもって交渉してきたかと疑わざるをえない。
(中略)
彼らがカードを切ってきても、動揺しないことです。 今、「毅然」 という言葉が出ましたが、これまでの政権がそうでなかったがゆえに、中国は日本の足下を見るような、そんな出方をする。 後でまた批判される 「余地」 を残してしまう。 でも、それはわれわれがそうしたことには応じないという姿勢をはっきりとさせることによって変わってくると思います。
私自身も中国との対立は望んでおらず、友好関係を保つことが両国ばかりか世界にとって有益なことだと考えています。 しかし、これまでの政権は、中国外交を 「友好第一」 に考えすぎて、友好が 「目的化」 していたんですね。 常に全ての国益を度外視すれば、友好なんか簡単に維持できます。つまり、国益を犠牲にしても中国との友好を得ようとしてきたという意味において、これまでの政権の対中外交には反省すべき点が多いと思います。
追記させていただきます。
そうしさんの、>僕は、日中関係の問題の本質は靖国参拝(歴史問題)ではないと思っています。理由は簡単で、当時日本と中国(蒋介石率いる国民党)が戦争をするように仕向けたのが、毛沢東率いる共産党だそうだからです。だとしたら、なぜ小泉首相が靖国を参拝する事で中国(共産党)がいちいち文句を言うのでしょうか。何か中国(共産党)にとって利益になる事があるのでしょうか。
というコメントに関してですが、ご指摘のとおり、中国共産党の存在理由そのものが抗日、反日であると言えます。抗日、反日を国策として掲げるというのは国内問題の批判をかわしながら、独裁政権を正当化する方策として、もっとも自然であり便利のよい妥当な戦略でしょう。
友好ってのは片方の態度だけで決定されるものではなくて、双方あってのものですが、私は中国共産党一党支配が継続する限り、この党の歴史的成り立ち及び、体制維持手法を考慮してみると、構造的に今後、中国共産党が本当に友好というのを日本にたいして望んでいるのかということに対してはおおいに疑問です。
内田先生のことばの差し出し方にいつも共感を覚えるものです。
岡本夏木「幼児期」岩波新書 に次のような一節があります。
幼児は自分と深い絆で結ばれた他者に語りかけ、またその他者が
自分に話しかけます。そして重要なのは、その人に向けて話しかけることばを同時に自分も聞く、ということです。他者に話しかけることは、自分に話しかけることであり、さらにまたその深く結ばれた人が自分に話しかけることばを、次には自分のことばとして、
自分に向けて語りかけてゆきます。
これを読んで、インターネット上の議論やコメントがなぜしばしば
言いっぱなしで不毛の応酬になるのか、少しわかった気がしました。
「自分と深い絆で結ばれた他者」を実感として持たない人が発することばは、どうしても感情の単なる排出として一方通行になりがちなのではないでしょうか。
靖国参拝について語るべき理路を私は持ち合わせておりません。
しかしどのような深刻かつ重大な問題であろうとも、それについて
発言する際に「結果として」世の中をこれ以上殺伐としたものに
しないような語り口を心がけることは、誰でも試みることができると考えます。
在日韓国人です。
反日デモの理由は反日教育、政治カード、体制の存続…
そんな事は日本人が勝手につけた理由でしょ?
中国の人の気持ちを、なぜ日本人がわかったような顔で色々な理由で塗り固め、語れるのでしょうか?
ただ、「気持ち」の問題なのではないでしょうか?
謝罪、反省、何度も言葉は聴きましたが、心が聞こえてこないのです。
反日デモは政府の反日教育のせい?
日本で生まれ育ち日本の教育を受けた私の子供だって、中国の方々が何を怒ってるのか、なぜ反日デモが起こるのか、わかるらしいですよ。
たとえば、中国や韓国のどこでもいい。
小さくてもいいから日本政府の名前で慰霊碑をたてる。または慰霊樹でもいい。
2年に一度、5年に一度でもいいから首相が花を添える。
これからを担う日本の若者が修学旅行で訪れ手を合わせる
それだけでいいんじゃないですか?
それが反省であり、二度と戦争を起こさない日本の平和教育になるのではないでしょうか。
彼ら(中国、韓国の方々)が望んでるのは、それだけなんです。
それでも尚且つまだ文句を言うのなら、それは中国、韓国を非難してもいいでしょう。
ドイツでは成人になる前の若者の段階で、アウシュビッツを訪れる事が国民の義務とされてるのですよ。
反省した、謝罪したといいながら、強制連行、従軍慰安婦の文字が教科書から消える。
北朝鮮とのサッカーの試合で旭日旗が舞う。それを黙って見て見ぬ振りの日本のマスメディア。
それが心が伴う謝罪なのでしょうか?
彼らを傷つけてませんか?
靖国神社参拝。
ドイツの首相が、個人でなくドイツ代表としてヒットラーをお参りする。ポーランドは許すでしょうか?
それからもう一つ。
アイデンティティーは学校で教わるものではなく、長い間培われた自分のルーツ、家族の歴史、生き様、それらから言葉ではなく自分の身で学び得るものです。自国の歴史を知り、それらの中から自然と育ったのが反日感情なのです。決して人から教えられるものではありません。
投稿者 kumi
: 2005年06月14日 00:43
初めまして、仏文専攻の吉田と申します。自分の存在を客観的に見られない人、自分をうまく相対化できていない人。こうした人と話したり、会ったりするのはたいていひどく疲れるものですが、このことは靖国問題に関する小泉首相の態度にも通じるものがあると思います。日本という存在を客観視できない人、日本を世界の中に客観的に位置づけて眺め返す事の出来ない人、何か首相(靖国参拝支持者ら)を見ていて、たいへん疲れるのです…… だから内田先生が労を厭わず、こうしてきっちりと発言されているのを見て、読んで、元気づけられもするのです。
投稿者 H.Yoshida
: 2005年06月14日 07:22
>kumi様、
私自身も30代で、その戦争の時代に生きたものではないので、なんら「気持ち」について偉そうなことは言える立場でないのですが、同様に前回暴動を起こした中国の若者たちもその時代の当事者ではないですね。50年たった今なお彼らがあれほどの怒りを表明する彼らの「気持ち」はどこから来たのでしょうか?社会から受けた教育ではないのですか?
さらに反日デモが中国政府主導のものであったことは事実であると併記させていただきます。
>yoshida様、
私は前述のように靖国参拝支持者ではありますが、日本および自分の存在を客観視できていないというご批判なのでしょうか?どのようなロジックでそれは成立するのですか?
投稿者 ken
: 2005年06月14日 09:26
>kumiさん
>彼ら(中国、韓国の方々)が望んでるのは、それだけなんです。
それくらいの事はやっていいと私も思いますね。
誰を傷つけるわけでもないし、反対論もあまり出ないだろうに、なんでそういう事は行われてこなかったんでしょうね?
>反省した、謝罪したといいながら、強制連行、従軍慰安婦の文字が教科書から消える。
このへんは微妙な問題ですよね。その記載が消えた理由を「反省の気持ちが薄れたこと」で全て説明するのは無理な気がします。日本の教科書は一種類では無いので、このへんは多様性ということで勘弁してください。記述が残っている教科書もあるはずですよ。要は、研究が進んで論が割れてきたということだと思います。
>北朝鮮とのサッカーの試合で旭日旗が舞う。
え!これはダメなんですか!?
勉強になるなぁ。在日の方とはいえ、なかなか朝鮮の人の生の気持ちを聞く機会ないですもんね。ちなみにこれは在日の方達の間では「常識」みたいな意見ですか?
でも、これは許してほしいですね。
>ドイツの首相が、個人でなくドイツ代表としてヒットラーをお参りする。ポーランドは許すでしょうか?
許さないでしょうね。でも、ドイツの戦死者の慰霊施設をお参りする際に、たまたまヒットラーの名もそこにあるという場合ならどうでしょう? 私がポーランド人だったら「まあ、しかたないか」となる気もします。
ちなみに日本の首相が例えば東条英機個人に対してお参りしたら、さすがに大多数の日本人は許せないと思いますよ。
いろいろ参考になるので、また意見がお聞きしたいものです。
初めまして。
内田先生のブログ毎回、楽しみにさせていただいているものです。
kさんへの質問なのですが、靖国神社というのは、戦没者の慰霊施設なのですか?
僕は、靖国神社が戦犯を神として奉っている場所だと思っていたのですが?
(無知なため、失礼な質問になっているかもしれないですが、お許しください。)
もし、神として奉っているのなら、
>でも、ドイツの戦死者の慰霊施設をお参りする際に、たまたまヒットラーの名もそこにあるという場合ならどうでしょう? 私がポーランド人だったら「まあ、しかたないか」となる気もします。
こういう考え方はポーランド人にも沸いてこないのではなしでしょうか?ポーランド人も怒りをあらわにすると、私は思いますが。
投稿者 mattya
: 2005年06月14日 14:03
皆さんいいかげんあまりにも話がずれてますよ。
mattyaさんへ>まずはここから勉強だ!
左巻きな感じ http://www.geocities.jp/social792/yasukuni/
靖国神社そのもののページ http://www.yasukuni.or.jp/annai/index.html
投稿者 mamodolian
: 2005年06月14日 14:37
ken様
ロジックというほどのロジックでもないのですが、一歩身を引いて、他人との関係の中で自分の姿を客観的に見ようとする姿勢は社会生活を営む上でいつでも有効だと思うのですが、それは国際関係における日本の取りうる姿勢にも重ね合わせて考えられるのではないかと思うのです。つまり中国などのアジア近隣諸国からだけではなく、世界的に見て小泉首相の取る行動がどのように映るのか、そのことを十分に吟味しなければなならないと思うのです。
それから中国における反日感情が国による教育の結果なのではないか、と書かれておられますが、忘れてはならないのは逆に当時の日本の軍部が中国や朝鮮半島で何をやったか、ということを日本人が一般にあまり知らないのも、教育の成果の一部だということです。そしてまた、中国を含めた近隣アジア諸国を軽蔑(見下そうと)したがる人達がやたら多いのも、やはり広い意味での教育の成果の一部でしょう。このことは英語構文のようでもありますが、強調してもしすぎることはないと思います。
投稿者 H.Yoshida
: 2005年06月14日 18:20
mamodolian へ。
靖国神社は戦犯を神として崇めているで正しいではありませんか。
投稿者 mattya
: 2005年06月14日 21:23
Ken様
付け足しです。前述のKen様のコメント、長かったので読まずにおりました。コメントを頂いておきながら、大変失礼致しました。日本の国益のために中国に対して「毅然とした態度」を取る必要があるんじゃないか、とKen様は阿部氏と同様に思っていらっしゃるようなのですが、靖国参拝問題に関して「毅然とした態度」を取るのはどうかと思います、ひじょーに疑問です。つまり、こちらに後ろめたさがあったら「毅然とした態度」など取れようはずもないのです。余計、突っ込まれるだけだと思うし。「毅然とした態度」はもっと別の機会のために大切にとっておくべきなのではないでしょうか。
投稿者 H.Yoshida
: 2005年06月14日 21:34
mattyaさんへ
はいよ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E3%80%85
ここがミソ。
ちなみに小泉首相は「靖国参拝をやめる」を外交カードとして有効利用も出来るんだが、今はただの火種にしかなってない。
そこも駄目だ。
投稿者 mamodolian
: 2005年06月14日 21:50
mamodolian さんへ。
まず、初めにいろいろサイトを教えてくださってありがとうございます。素直に勉強になるものばかりです。
本題ですが、神の概念が民族性によって異なろうとそこは今回の靖国神社では本質的な問題にはならず、日本国民からしても中国国民からしても「神として崇める行為=戦争したこと自体を正当化する行為」として認識でき、非難されるべき行為ではないのですか?
慰霊的意味合いとして靖国が存在するのなら、kさんが述べたポーランド人の感情のように、靖国参拝もしゃあないな。と甘受できる部分もあると思うのですが。
しかし、神として祭られているのなら
>でも、ドイツの戦死者の慰霊施設をお参りする際に、たまたまヒットラーの名もそこにあるという場合ならどうでしょう?
このような場合でも、ポーランド人は激怒すると私は思います。
たまたまヒットラーの名があるかどうかが問題ではなく、
どのように扱われているかが問題だと思うのですが。
そういった意味で靖国が慰霊施設の意味合いか、合祀施設なのかどうかkさんにお尋ねしたわけです。
投稿者 mattya
: 2005年06月14日 22:44
>mattyaさん
もう御自身で結論を出していらっしゃるようですが。
合祀でも慰霊でも、上で私が言ったことに不都合は生じませんので、全然構いません。というか、神として奉ってるんでしょうね。
もともと私が慰霊施設という言葉を使ったのも、「合祀じゃなくて慰霊だかんね、そこんとこお間違え無く」というような限定的な意味ではなく、様々な考えの人に受け入れられやすいように、最も広い概念を包摂できるようにと思ってのことです。
まあ、結果から見れば十分ひっかかりがあったようで、まだまだ配慮不足ですね(笑)
さて、「たまたま」という言葉の意味に私が託した意味内容とmattyaさんが読み取った意味内容の違いが、mattyaさんの中にわだかまりを作ってしまった原因のようなので、蛇足ながら説明させてもらいますね。
ヒットラーをお参りしたらポーランド人は許さないだろうという喩えをkumiさんがおっしゃっているわけですが、日本でも戦犯を名指しでお参りするということは無いわけで(そんなことは首相参拝賛成派の大多数だって望んでないですし)、これは喩えとしておかしいですよ、ということがまず言いたかったわけです。
そこで、日本の現状を喩えて、ドイツ首相は慰霊(or合祀)施設に(ヒットラーの名があろうがあるまいが、お参りはするんだけど)「たまたま」ヒットラーの名があるという場合はどうだろうか、というように括弧内の意味を込めて「たまたま」と私は言いました。
つまり、ヒットラーに対してお参りしてるのではなくて、ヒットラーの名の有無は参拝の動機に無関係なんですよ、というつもりで使ったのですが、この説明でいかがでしょうか。その場合、上に述べた通り合祀/慰霊の区別はあまり意味は持たないのですが。
え?そうは読めませんか?
>kさんが述べたポーランド人の感情
あと、この部分なんですけど…。
ポーランド人の感情を推測したわけじゃなく、「私だったら許しちゃうよ」ということを述べただけなんですけど、そのことはお分かりいただいてますよね???
いや、念のためです。失礼しました。
>kumi様、
>世界的に見て小泉首相の取る行動がどのように映るのか、そのことを十分に吟味しなければなならないと思うのです。
これについては、非常にナイーブな印象を受けます。外交交渉において譲歩すればそれが常にベターな選択ではないということはすでに明記しましたが、他の国の目ばかり気にして国益を重視する政治判断などはできないという現実が一点、さらにkumiさんは首相が靖国参拝を自粛すれば世界が評価し、日本の国益に結びつくという前提で書かれているようですが、その根拠はあるのか?というのがもう一点。
>つまり、こちらに後ろめたさがあったら「毅然とした態度」など取れようはずもないのです。余計、突っ込まれるだけだと思うし。「毅然とした態度」はもっと別の機会のために大切にとっておくべきなのではないでしょうか。
別の機会ということですが歴史問題というのは中国韓国がいつも出すものです恒常的なカードであり、UNOでいえばWILDカードです。後ろめたさがあるからこそ、この状況に陥っているわけですが、例えば、国連常任理事国の問題がありますね?ここでなぜ中国が反対するかというと、歴史を直視して責任が取れていない国はリーダーにはふさわしくないというような歴史カードに還元されるわけです。実際は、これはエクスキューズにすぎない言説で彼らが本当に歴史問題が理由で反対していると額面通りに受け取る人は多くはいないと思います。要するに、ワイルドカードである歴史問題について、後ろめたい、中国を刺激するな一辺倒から転換した毅然とした姿勢をどこかで示さない限り、今後も外交上非常に苦しい立場に追いやられたままであると思われます。一部の政治家や外務省の土下座外交、弱腰外交というのは国益を失ってきたと考えますし、批判にも値するとも思います。安陪氏の発言のようにこれまでの政権の対中外交には反省すべき点が多いと思います。この辺りについてはどのようにお考えでしょうか?
kumiさんは個人と国家の相対化について指摘されておられましたが、個人が社会生活を営む上では、相手のいうまま振舞うのでは立ち行きません。こちらに分が悪い状況でもそれに足元をすくわれないような方策を考えるはずです。きっちり交渉すべきところは交渉するはずです。生活がかかっていますからね。ところが、これが国家間の交渉になると、「ただただ悪い謝ろう、そうすれば相手も周りもよく観てくれるはずだ」と国家間の外交交渉になるとそこは性善説の担保がある国際的な暗黙の了解に守られていると勘違いしている国民は多いのではないかと想像します。実際外交というのは日常生活と同様リアルでタフなのですが、政治家がやること国家間がやることという意識がつよくて想像力が働かないのでしょう。
Ken さん
コメントありがとうございました。Ken様と書くとYon様みたいで、何かしっくりこないので、ここではKenさんで宜しくお願い致します。ケンさんの方がいいかなっ。たぶんケンさんのお書きになったコメントはKumiさん宛てではなく、僕、吉田宛てだと思います。大分誤解なさっていると思うのですが、全部お答えするのは大変だし、疲れるし、時間もかかるので一点だけ書かせて頂きます。靖国参拝を取りやめることを「譲歩」とケンさんは仰いますが、日本中に僕を含めた沢山の小泉総理靖国参拝反対派の人々がいる以上、それを「譲歩」と捉えるのはやはり難しく「選択」と言った方がより正しく誤解が少ないように思います。そして靖国参拝自粛が「譲歩」とは言えない以上、ケンさんの仰る「靖国参拝続けるべき」との見解はまったく通らなくなる、ケンさんのお書きになった最初のコメントをお読み直しください。
投稿者 H.Yoshida
: 2005年06月15日 06:00
ネットサーフィンをしていてここにたどり着きました。現在、マレーシアで調査研究中の一東南アジア研究者です。幾つかの記事を拝見した限り、靖国問題についての内田先生のご意見にほぼ同意いたします。
内田先生の記事に対するコメントを見ても、靖国問題は皆さん中国と韓国だけの問題だと考えてらっしゃるようですが、それは違います。(内田先生がおっしゃる)「ビジネスマインド」の観点からすれば、日本はこの問題で外交上全く割の合わないことをやっています。
少なくとも東南アジアには華人コミュニティーが存在し、彼らの靖国問題に端を発する最近の日本・中国関係への見方はますます日本に対して冷たいものになっています。マレーシアでは、現地の華語新聞として星洲日報、光明日報といった華語紙があるのですが、4月以降、連日この問題がかなりの頻度で(時には巻頭特集で)採り上げられてきました。4月の段階では、まだ日本に好意的で、理性的な記事もまだあったのですが、5月以降、日本に対する大変厳しい記事が全く歯止めがかからず出てくるようになりました。記事の中には、日本軍政に対して全くの誤りで、感情的な記事も散見されるのですが、そういったものが主流になりつつあります。また、華人コミュニティには、中国(主に香港経由で)から(それが正確か否かは関係なく)情報はダイレクトに入ってきます。さらに現地の知識人やオピニオンリーダーと(日本人が)話す時にまず採り上げられるのはこの靖国問題です。
私には、日本の靖国参拝を肯定する方々の意見を見ていると、(日本語で流通する)全く内輪の論理で自分達を納得させているとしか思えません(視野狭窄なナショナリズムとは本来そういうものでしょうが)。(私自身は全く賛成できないのですが)仮に靖国問題がロジカルに何らかの正しさを持っていたとしても、外に向って現在いったいどのようにそれを伝えているのでしょうか(或いは伝えられるのでしょうか)。はっきりいって、普通の華人達の情報アクセス源は上にあげた華語紙ぐらいであり、知識層にしても情報源は限られています。この靖国問題だけで、(少なくとも東南アジアにおける)日本に対するイメージは相当悪化しました(或いは過去の東南アジア軍政における記憶を再び呼び覚ましてしまいました、まさに寝た子を起こすです)。普通の「ビジネスマインド」を持っている人にとっては全く割の合わない話です。
今回の靖国問題で日本が戦後アジア外交で築いてきた遺産がかなり吹っ飛んでしまっています。自称「ナショナリスト」としては全く歯がゆい思いでこの状況を眺めています。
投稿者 rakyat
: 2005年06月15日 10:57
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