京都大学の集中講義が始まる。
四日間で15コマというハードなお仕事である。
ウチダをお呼び下さったのは京大文学部の20世紀学専修の杉本淑彦先生。
「20世紀学」というのがどういう学術領域なのか字面からでは判然としないが、杉本先生のご専門はフランス社会史。表象と記憶とナショナリズムの絡み合いというなかなかわくわくする分野でお仕事をされている(最近は、日本の戦争映画の研究をされているそうで、『ハワイマレー沖海戦』とか『回天』といったマニアックなビデオがずらりと並んでいた)
お目にかかるのははじめてだが、たいへん温厚でフレンドリーな方である。漫画と映画が大好きなもの同士なので、その話でたちまち熱いトークが始まる。
今回の集中講義のテーマは「超-身体論」。
「身体論を超えて」ということだから、べつに身体に関係しなくてもよろしいのである。
この一二年考えているあれこれのとりとめのない主題について、小咄をいくつかつなげて、学生さんたちが狐につままれたような顔をしているうちに、「お後の支度がよろしいようで・・」とすたこら退散する予定である。
初日は「交換とコミュニケーション」の話。
午前中は、「知的酸欠状態を生き延びるための、肺活量の増大」について自説を展開する。
午後は交話的コミュニケーションの話。ヤコブソンの定義を紹介してから、「百聞は一見に如かず」で小津安二郎の『お早よう』をごらんいただく。
まことによくできた映画である。
40人ほどの学生さんたちのうち小津映画を見たことがある方は二人だけ。
日本映画の巨匠といわれている小津の映画だから、さぞや仰々しい芸術映画だと思って敬遠してきたのであろう。
その誤解を払拭しただけでも、この集中講義の効用はなかば達せられたと申し上げてよいかと思う。
みんなくすくす笑って見ていたが、平一郎と節子の駅頭の「良いお天気ですね」には爆笑。
これが映画史上に残るラブシーンである所以をそのあととくとくと説明する。
『お早よう』を見るのは、10回目くらいであるが、毎回新たな発見がある。
今回発見したのは二点。
ひとつは節子が子どもたちを探して平一郎のアパートに行くとき、玄関先で立ち話をする節子(久我美子)のコートと、背中だけ見える加代子(沢村貞子)のスカートが「同じ柄」だということ。そればかりか、平一郎を含めて三人とも「緑色の服」を着ている。
これはおそらくこの三人が遠からず親族関係で結ばれることを図像的に暗示している。
もうひとつは、この映画の「裏主人公」が次男の勇ちゃん(島津雅彦)だということ。
この子役のあまりに愛くるしい顔かたちに騙されてしまうけれど、勇は「最悪の人間」なのである。
彼は長男実(設楽幸嗣)の欲望を模倣するだけの鏡像的存在であり、それゆえ想像界の住人に固有の暴力性と反秩序性を色濃く刻印されている。
勇は左右のフックを繰り出す威嚇的な身振りを全編で繰り返し、映画のラストでは観客に向かって二丁拳銃を抜いて撃ってみせる。
ガス橋のかたわらでは立ち小便をし、その手を洗わぬままにご飯を手づかみで食べ、薬罐の水を手のひらでうけて飲む(実はやかんの蓋をお茶碗代わりにして、ご飯もいちおう「おにぎり」型にしてから口にする)。
そして、繰り返し彼が口にする「アイラブユー」のリフレイン。
模倣、暴力、エロス。そのすべての点で勇こそは「秩序にまつろわぬもの」すなわち「童子」の原型であり、この反秩序のかたまりのような幼児を馴致し、開明してゆくことの絶望的な困難さがエディプスの重い課題として暗に提示されてもいたのである。
今日はこれから二日目の講義。
明日は光岡先生が来られるから、コミュニケーションと交換の話からするすると武道的身体運用に話題をシフトしないといけないのであるが、このつなぎがなかなかむずかしい。
いかにして身体感受性を「フロー」の状態に保つかという話をして、「居着き」の話題に振って、それから午後の映像タイムには黒田鉄山の民弥流居合のビデオをごらんいただく予定である。
明後日は、それを承けて、コミュニケーションと武術的身体を統合する「死」のテーマに収斂して、最後はヒッチコックの『ハリーの災難』で締めるのである。
おお、これはなかなか練った構成だな。
このネタで当分集中講義には困らないぞ。
投稿者 uchida : 2004年07月20日 08:24
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集中講義ご苦労様です。楽しく聴講させもらった一京大生です。
この場に質問を持ち込むことがいいのかどうか分かりませんが、講義中は「居着」いてしまって質問できませんでしたので、この場を借りて質問させてください。
勇は「最悪の人間」であり、想像界の住人であるとの分析ですが、映画の最後のあたりで、父親(笠智衆)が息子たちを叱っているとき、勇が「怒ってないよ。笑ってるよ」(正確ではありませんが)と指摘しますが、これは、言葉を語義どおりに受け取らず、その表情から実は怒ってないと見抜く点で、複雑で高度なコミュニケーション技法だと思うのですが、それはどう解釈されるのでしょうか? ひょっとしてそこで勇が「馴致」され、「開明」されてゆく萌芽というものが示されているのかなとも思ったのですが、先生の分析はどのようなものになるのでしょうか?
このように迂遠な質問の仕方をしてしまって申し訳ありませんでした。失礼します。
投稿者 * : 2004年07月20日 12:28
勇くんのキャラクター分析、興味深く読ませていただきました。
トリックスターであるところの勇くんでありますが、子供を教育する母の立場として、非常に心憂えるところであります。
エデイプスのように去勢不安から母との性交を断念し、権威的に生き延びる道を選ぶ少年もあれば、去勢されることも厭わない道を選ぶ英雄的性格の勇くんもいるということなのでしょう。勇君のあり方は或る意味の自傷行為なのではないでしょうか。コミットしたいが許されないのもわかっているので拒絶する。勇くんのアイラブユーはleave me alone と同義なのです。けれど、権威的少年も英雄的少年もどちらも攻撃的であることに代わりは無いですね。
攻撃性を鎮めるために一番短時間でかつ有効なのは「母との性交」であるとある臨床にたずさわる心理学者がいっております。乳幼児期の母子関係を再現してだっこして哺乳するという方法もありますけれど。要は「望まれていることを知る」ということなのですね。問題は、「望まれているかどうか知りたい」人がたくさんいる場合、どうやってひとりひとりにそのことを刻印するか。
わたしの結論は、「人間業ではできない」です。
投稿者 田口亮子 : 2004年07月20日 12:28
大学や大学院の集中講義は有名講師の授業が受講でき、有意義ですね。
講座終了後に一杯でもなれば最高。
京大の受講生がうらやましい。
学校改善土佐日記
「学校は何故変わらないのか」
学校という組織は、変わることが難しいといわれている。その原因のひとつに、個業型で自己完結型組織であるため、情報が教室という空間に押し込められ、見えてこれない。
見えてきた段階では、すでに手遅れになっている。公立小学校は学級担任が殆どの時間を担当するので、その傾向はより顕著である。
簡単にいうと商店街の組合のようなもので
イベントは協力してやるが、それぞれの店の経営は、商店主にまかされている。
しかし、決定的に異なるのは、なにかことがあると、最高経営責任者である校長の責任が問われる。不思議な組織である。
まだ、述べたいことはあるが、後日。
投稿者 へなちょこ教頭 : 2004年07月21日 12:59
一日まるごと内田先生という遠方のファンの方々から
どさっりお叱りを受けそうな時間を過ごさせてもらっています。
文献の引用が列挙されたレジュメをいただいたときは、
「何だこりゃ」となったのですが、別々の案件が大陸の大河の
ようにゆっくりとひとつの物語をなしていくことといったら見事な
もので…ほんとお腹いっぱいになりました。
明日は光岡先生。これまた…うしし。
いいだろー、オオサコくん。
投稿者 かんき : 2004年07月21日 13:51
えー、ちょっとだけコメントの言い訳をさせてください。
権威的少年というのは主人のことをさしてしみじみおもったものであります。ふだんは優しいんだけど、夜9時をすぎて起きている子供たちに対しては、人格が豹変するのです。「そ、そんなに怒らなくても。」というくらい。道にはずれたこともしないし、わたしには過ぎた人ではあるけれど、暴力というのは人間にはつきものであるとしみじみしていたわけであります。時間がきたら暴力的になるのでその時間帯を睡眠時間にまとめてくれているのが、彼の、そして彼の母の親切というものでありましょう。(夢はなかなかどうして怖いらしい。)いつぞや男性とはだれも似たようなものであるという先生のコメントがございましたが、本当にそうであることだとおもいました。
「法によりて人によらず」です。
魔性の女ときいて、私にはないものなのでどうにも羨ましいかぎりですが、(@主人)人だけは良いので、なかなか使い勝手がよろしいらしく、各所で連携を望まれはするのですが、ときどき思い出したように倫理的になり、そういえば家のことをおざなりにしていたとハッとして本務に戻ると、相手は「自分に落ち度があって離れていったのでは。」と怪しまれることはあります。もっとちゃんと説明しないといけないですね。
投稿者 田口亮子 : 2004年07月21日 15:11
いやはや、毎日、内田先生のお話しを聞けるなんて、かんき兄さん初め京大生の皆さん、羨ましすぎです。日記を拝読しては、「なんておもしろそー」とPC前で目からヨダレをたらしている身としては。ライブ盤のCDを買って、「あー生で聴きてー」と悶絶しているような感じ。そうそう、「別々の案件が大陸の大河のようにゆっくりとひとつの物語をなしていく」時のあの知的快感は、やっぱしライブじゃないと。「知」の現場は大切ですよね。
投稿者 おおさこ : 2004年07月22日 12:04
終わってしまいました、集中講義。
最終日は主に死者のお話。それでいて最後は
ヒッチコックの「troubles with Harry(みたいな
タイトル)」を観るというウルトラE難度の着地
でした(間のつなぎ技はヒミツ)。
昨日は光岡先生の衝撃ワザを身をもって
体験させていただいたし、内田先生には
『街場の現代思想』P183の「お師匠さん」の
ところに直接校正+ネコまんがを描いて
いただき、大満足。ほんとありがとうございました。
いいだろーオオサコくん。
投稿者 かんき : 2004年07月23日 18:12
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