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2006年05月29日

今年も来ました九段坂

土曜日は第44回全日本合気道演武大会。
雨の中を日本武道館へ。
私は1977年の第15回(この年に日比谷公会堂から日本武道館に会場が移った)から29年連続出場である。
一度始めたことはなかなか「やめられないとまらない」私のエビセン体質はこの一事からも知られるであろう。
今年の演武者はついに7500人に達したが、その中で29年連続出場の演武者がいくたりおられるであろうか。
人間であれば風邪を引くこともあるし、子どもが病気になることもある。
「あたしと合気道とどっちが大事なの!」とそれだけは言ってくれるな妻の激怒をなだめる必要もあるだろうし、「あ、ウチダくん、悪いけどウルグアイに出張してもらえるかな、土曜日」「う、ウルグアイですか!」涙の業務命令とか。
29年連続して五月最終土曜日正午に日本武道館に登場することはなかなか常人には為しがたいのである。
よく続いたものである。
ぜひ来年は石にかじりついてでも武道館にたどりつき、連続30年の記録を達成したい。
77年に私はまだ白帯であり、頭は天パーのロン毛であった。
小堀さんも白帯で、頭はアフロであった。
ふたりは自分たちの演武が終わると「けっ、こんなたりーもんみてられっかよ」とうんこ座りをして武道館の階段で眉間に皺を寄せて煙草を吸っていた。
前世のように遠い過去のことである。
いまではふたりとも白髪の好々爺になってしまった。
光陰矢のごとし。
7500人も人がいるが、10メートル歩く毎に誰か知り合いに会う。そのたびに「おお、どうしてる」と立ち話をするので、さっぱり前に進めない。
多田塾甲南合気会としては二度目の演武会。総勢25名でごちゃごちゃと演武をする。
別にひとに見せるものではないから(そうか?)よいのである。
全日本合気道演武大会は合気道におけるワールドカップのようなものであるから、参加することに意義があるのである(ほんとにそうなのか?)。
多田先生の演武を見て、深い感動を覚えつつ、恒例の武道館前記念撮影も済ませ、雨中を九段会館へ。
今日は雨なのでビヤガーデンではなく、宴会場で多田先生主催のビールパーティ。
小堀さん、笹本さんとひとしきり「前世的大昔」の話に興じる。
先生をお見送りしてから、気錬会の諸君と二次会へ。
気錬会の工藤俊亮くんとつれだって神田すずらん通りに二次会の飲み屋を探しながら歩くのも、そろそろ5年ほどになる。
最初の年は早稲田の合気道会もいっしょで、30人くらいで焼き肉屋に入って、その店にあるお酒を全部飲んでしまった。
すさまじい二日酔いで、翌朝の五月祭の演武会に出て、頭を下げるとゲロを吐きそうになるので、背筋をまっすぐに伸ばしたまま演武したら、亀井先輩に「今日はいつもと様子が違うじゃないの、ウチダ君」と言われて冷や汗をかいた。
前世のように遠い過去でもなく、つい5年前のことである。
“気錬会の至宝”工藤君(新婚であるにもかかわらず、こういう宴席をはずさないところが工藤君のすぐれたところである。いないと私に何を言われるかわからないので、それを警戒しているのかも知れないが、だとすればまことにすぐれた気の感応と言わねばならぬ)、前主将の“つんつん”伊藤君(めがねを替えたね)、現主将の芦葉君、副将の浜崎君、次期主将の箕浦君、「気錬会哲学派」の小野寺君、店子のQちゃん、飯田先生、ウッキー、うちの四年生軍団らでどどどと居酒屋へ。
ウッキーが酔って邪道全開状態となったところで工藤君に「邪道って何ですか?」というご下問があったので、「作為なき邪悪さ」の表出を顕彰するものであるとご説明する。
工藤君から「邪悪さには自信がありませんが、作為なら自信があります!」という断固たるお答えを得たので、早速その場で「偽道」を創設し、工藤君に「偽道免許皆伝」ならびに「偽王」の称号を贈る。
私ももう大人なので(五年前もけっこうな大人だったはずだが)、翌日があるのであまりたくさん飲まずに10時には「まった、あっしたねー」と散会。
日曜日は東大五月祭の演武会。
うちの招待演武は、かなぴょんとエグッチとウッキーと永山主将の演武のあと、のぶちゃんとPちゃんという気錬会OB二人をお相手に私が演武させて頂く。
ほんとはドクター佐藤が受けをしてくれるはずだったのだが、涙の鎖骨骨折のためにのぶちゃんに急遽代役をお願いしたのである。
佐藤君、来年がんばろうね。
多田先生の説明演武を堪能したあと、赤門前で「先生、また来週!」とご挨拶してお別れする。
即日帰郷組5人で新幹線に乗り、「あなご飯」とビールで打ち上げ。
まことに充実した二日間でありました。
合気道って、ほんとに愉しいなあ。
みなさん、どうもありがとう!お疲れさまでした。

投稿者 uchida : 20:52 | コメント (1) | トラックバック

2006年05月25日

興福寺に須菩提像を見に行く

BSJ(ペ・ヨンジュン・サポーターズ・イン・ジャパン)のお歴々が来学される。
7月にBSJのオフ会で私が「冬ソナ論」を講演することになっているので、その打ち合わせである。
おいでになったのは3人のご婦人方。
おみやげに「ペ・ヨンジュンTシャツ」と韓国ラーメンとサムゲタンの素を頂く。
カムサムニダ。
なぜ、私がペ・ヨンジュンのファンクラブ(会員4911名!)で講演するはめになったかというと、3月の宗教倫理学会で『記憶・時間・自我』というテーマでお話したときに、「マクラ」で『冬ソナ』における記憶と自我の問題に触れたからである。
そのときは「未来の既視感」ということについて論じた。
その講演をたまたまおききになったBSJ会員の方がこれを多として、ひとつ会員たちに『冬ソナ』の説話論的重要性について一席お話し願えまいかと申し出られて来たのである。
まことに世の中にはいろいろな出会いがあるものである。
私としてもチュンサン=ミニョンのアイデンティティ問題は私のライフワークであるレヴィナス三部作の最終巻「レヴィナス時間論」(時間論はそのまま「記憶論」として語られねばならない)の重要な素材であるので、この機会に記憶と父性をめぐるアイディアを検証してみたいと考えている。
続いて昨日は『週刊現代』のお仕事で、興福寺に須菩提像を拝観に伺う。
これは「古仏巡礼」というコラムのためのお仕事である。
私は講談社にベリーニ一食分ならびに本一冊分の借りがあるので、こういうオッファーには「は、はい」とご返事するしかないのである。
それに興福寺は日経の『旅の途中』でごいっしょの多川俊映老師が貫首をされているお寺である。
老師と前にお会いした時、「次回の見仏ツァーは興福寺に伺いますから、ぜひ国宝の阿修羅を見せてください」と墨染めの衣の裾にすがりついてお願いした。
そこに古仏巡礼のお話が来たので、なんとなく「風は南都に吹いている」という感じがする。
実際には阿修羅像は国宝館にクールに展示してあり、入館料を払えば誰でも見られるので、別に貫首さまの墨染めの衣におすがりする必要はなかったのであるが、それはそれとして。
講談社からハイヤーが回ってきて芦屋のマンションの入り口から興福寺の本坊の前まで送って頂く。
講演や対談の依頼の中には「自力で現地まで定時に来ること。交通費宿泊費に関して当局は関与しないからそのつもりで」というものが多いが、さすが大手。
運転手さんと「講談社って太っ腹だね」とおしゃべりをしているうちに1時間ほどで興福寺に着く。
多川貫首は大学出講のため、執事長の森谷英俊老師から興福寺の由来について、唯識の教理について、春日大社との神仏習合の儀礼について、仏像のあれこれについてお話を伺う。
興福寺はこの巨大な施設を7人の僧侶と20人あまりの職員で運営されているそうであるが、短い期間にそののトップお二人に続けてお会いしたことになる。
法相宗というのは学問的な宗派である。そのせいかお二人はどちらもたいへんスマートで学術的な肌合いが似ている。
それにしても、このコンビの妙というのはジェリー・ルイス&ディーン・マーティンというかボブ・ホープ&ビング・クロスビーというか、ほんとうに感動的なまでにみごとなバランスなのである。私が本日お会いした森谷老師はマーティン=クロスビー系のクルーナー・タイプのお坊さんである(「クルーナー・タイプのお坊さん」というのを想像するのはちょっとむずかしいでしょうが)。
森谷老師のお話も多川貫首のお話と同じくらいにスリリングで面白かった。
間違いなく、仏教界には現代日本でもっともインテリジェントな人々が集住されつつあるようである。
東金堂、五重塔とご案内頂き、国宝殿で本日のメインイベント「須菩提像」とご対面する。
阿修羅や金剛力士や龍燈鬼天燈鬼と並ぶと、須菩提像はややインパクトに欠けるが、まあ、それは仕方がない。生身の人間なんだから。
それにしても仏像の身体を「構造的=力動的安定性」という視点から見ると、これはすばらしいものである。
先週の甲野先生の講習会以来、私が勝手に「きつね」と呼ぶところの掌のかたち(影絵で「きつね」の顔をつくるときのように、人差し指と中指を親指に近づける、掌に円筒形のものを握ったようなかたち)が身体構造全体に「張り」をもたせる鍵になっていることに気づかされて驚いていたのであるが、なんと仏像が結んでいる手の印(きっとちゃんと名前があるんでしょうけど、釈先生教えてください)は片手はすべて「きつね」なんですね。これが。
釈迦如来像の場合、右手は開いて前方に向け、左手が膝の上で「きつね」。
つまり左手は開放、右手は収縮、左手は「押し」、みぎは「引き」で全身に力がみなぎると同時に構造的な安定も確保されている。
そういうかたちに出来上がっている。
金剛力士像の「阿」と「吽」もそのままである。
「吽」像は右手が欠損しているが、私はこれは「手首を起こしたきつね」(楳図かずおの「ぐわし」の手ね)のかたちではないかと想像した。
左手が下を向いた「ぐう」である以上、右手は前方に向けて開いていないとバランスが悪いからである。
そう申し上げると、森谷老師は「ではミロのビーナスの手はどうなってるんでしょうね」とお訊ねになった。
ほんとですね。
でも、きっと肩の向きとか筋肉の張りとかからコンピュータ・シミュレーションしている人がいるんでしょうね(気錬会の工藤くんとか)。
「サモトラケのニケ」の顔はどうなのであろうか。CGで復元可能であれば、見てみたいが。
拝観ののち、本坊お隣の茶屋で「茶飯」を頂きながら、今度は『週刊現代』のインタビューに答える。
主に『週刊現代』はこんなことでよろしいのかと文句ばかり言っていたので、はたしてちゃんと原稿になるのであろうか。
心配である。
ご案内くださった森谷老師、おつきあい下さった編集者のみなさんどうもありがとうございました。
古仏巡礼いい企画ですね。
今度は滋賀の向源寺の十一面観音の「暴悪大笑面」が見たいです。
諸星大二郎の『暗黒神話』に出てくる神社仏閣を巡るツァーというのも面白そうだな。
ご飯のあと「ご近所なので」と興福寺に遊びに来た本願寺のフジモトくんとおしゃべりしながら車で西宮まで送って頂く。
三時から大学で理事会との協議会ならびに学長事務長と施設についての打ち合わせ。
いきなり現実世界に引き戻される。

投稿者 uchida : 09:40 | コメント (0) | トラックバック

2006年05月23日

平尾さんのスクラム論を読む

うちの平尾さん(と勝手に身内扱い)が毎日新聞に「平尾剛の身体観測」というコラムを連載している。
二週間前に始まった。
恥ずかしながら第一回は気がつかなかった。
というのは、「ヒラオさんの連載が始まりましたね」と教えられてその日の朝刊をばっと拡げたら、「平尾誠二」さんのドアップのラグビー記事が目に入ったからである。
なんだ「ヒラオ違い」じゃないか。粗忽なやつもいるもんだと、夕刊で連載が始まったことに気づかなかったのである。
粗忽なのは私の方である。
第二回は今夜の夕刊。
老祥記の豚饅を食べながらビールを飲んで新聞をめくっていたら、平尾さんの写真と目があった。
あら、平尾さん、こんなところで何を・・・と思ったら、連載第二回目であった。
今回はスクラムの話であるが、現場の人ならではのリアルで体感のゆたかな文章である。
その中で平尾さんはスクラムとタックルの違いについてこう書いている。
「例えば、タックルはボールを奪うためのプレーである以上、どうしても激しく攻撃的となる。しかし、そういった敵対心むき出しのコンタクトに終始するのではなく、スクラムのように、互いが協力し合って、最大限の力を発揮するために身体を接触させるプレーがラグビーには存在する。/傷つけるためではなく、高めるための身体接触という観点からすると、『ぶつけ合う』というよりは、『預け合う』という表現がしっくりとくる。見た目にの荒々しいイメージとは対照的に、スクラムには味方同士のこまやかな配慮が必要とされるのである。」
そうか、ラグビーでも、やっぱりそうなんだと深く納得する。
合気道では「敵を作るな」と教えられる。
敵であるかぎり、それがどれほど非力なものであっても、敵は私の可動域を制限し、私の運動の種類の選択可能性を限定する「マイナス」として機能する。
敵がいる限り、私の運動能力はつねに「一人でいるとき以下」に切り下げられる。
しかし、「一人でいるとき」が運動能力が最大で、少しでも別のファクターが介在するとその分だけ運動能力が下がるということであれば、運動の理想は「絶対的孤立」であるということになる。
誰もいないときがいちばん「自分らしく」、出会う人がふえるごとに「自分らしくなくなる」というのなら、それはたぶん「自分」というものの設定の仕方が間違っているのである。
他者と出会ったときに、その接点に生成する複素的な構造体を「私」と考えることはできないのか。
私はできると思う。
一昨日、「剣の通り道を邪魔しない」ということと、「構造的安定によって剣を止める」ということを書いた。
これは原理的には同じことである。
食物を咀嚼するときには、「舌は歯の通り道を邪魔しない」ということが求められる(歯の通り道に舌が残っていると、「がりり」と噛み切られてしまうからだ)。
剣の通り道を避けようと意識するということは、「私」は舌で、「剣」が歯であるような二項対立関係をつねに意識してご飯を食べるようなものである。
私たちはそんなことをしない。
噛まれれば舌なんか軽く噛み切れてしまうほど鋭利な刃物を口腔中を行き来させながら、私たちは気楽にご飯を食べている。
それは「舌」と「歯」をともに含む「口腔」という複素的構造体を動作の主体に擬しているからできることである。
身と剣の関係もそれと変わらない。
身が剣に切られないためには、身の立場に立って異物としての剣をよけようとするのではなく、身と剣をともにふくむ「人剣複合体」を動作の主体である「私」として動けばよろしいのである。
理屈としてはそういうことである。
剣を止めるのも同じである。
「剣を止める」というふうに言うと、「止める私」と「止められる剣」に身体が二極化してしまう。
これは「剣を止める」という他動詞態ではなく、「剣が止まる」という自動詞態で身体を使わないといけない。
人剣複合体において「剣が急激に停止することによって最良の安定が生じる」かたちがある。
そのかたちを到成するならば、局所的な筋肉を緊張させることなく、剣はぴたりと止まるはずである。
理屈ではそうである。
私にそれができるということではない。
できなくても、こうすればよいという方向性はわかる。
平尾さんのスクラムの文章を読んで、そのことを思い出した。
スクラムはそこに参加する人の数が増えるほど複雑な運動体になる。
その運動体を効果的に制御できるものがいるとしたら、それは、スクラムを「ファクターが多すぎて、たいへん操縦の仕方が複雑になっているが、ある種の構造法則と運動法則に従って運動する複素的構造体」とみなすことのできる人であろう。
そのための最初の段階として、まず味方の8人の身体を一種の「多細胞生物」のようなものに練り上げてゆくことが必要である、ということを平尾さんは書こうとしているのではないだろうか。
だとしたら、平尾さんが甲野先生に就いて学ぼうとしていることや合気道の稽古で会得しようとしていることは、ラグビーに深く通じるような気がする。


投稿者 uchida : 20:55 | コメント (10) | トラックバック

夏休みを待ちながら

月曜日は部長会がお休みで、代わりに創立者イライザ・タルカット先生のお墓参りに再度山の外国人墓地へ行く。
墓参は新任教員として赴任してきた1990年以来二度目。
職務上ということもあるけれど、やはり15年に一度くらいは創立者の墓参をして、建学の志を回顧する必要がありそうな気がして、思い立って墓参のバスツァーに申し込んだのである。
このところ過労気味で、会議がないならできれば家で寝ていたかったのだけれど、重たい身体に鞭打って墓参に加わる。
でも、行ってよかった。
五月晴れの外国人墓地に行くまでのバスの車中で、川合学長と隣り合わせて、日ごろのビジネスライクな会議とはぜんぜん違う話題でいろいろなことをお話できたし、風のさわやかな墓地での飯チャプレンのお話もしみじみと心に染み入るものだった。
来春停年をお迎えになるので「これが最後の機会ですから」と参加された松田高志先生と寮生代表の白川前主将と、合気道部関係者が3人も集まった。
「どうしてウチダ先生が、こんなところに・・・」
と二人とも絶句していたが、私が創立者の墓参の礼拝に居合わせるのはそんなに意外なことなのであろうか。
神港学園の「神戸女学院創立の地」の石碑を拝見してから、ひとり歩いて元町へ出て芦屋に戻る。
そのまま着替えてまた大学へ行って、杖道のお稽古。
稽古が終わる頃にはさすがに疲労困憊。
早く帰って今日はぐっすり眠ろうと思ったけれど、疲れていて自制心がきかないときに限って、言わなくてもいいことを言って、起こす必要のないトラブルを引き起こすことになる。
そのせいで、結局眠れない一夜を過ごす。
疲れていて、なお礼儀正しくふるまうことはたいへんむずかしい。
そして、ディセンシーの欠如はほとんどの場合、疲れを増すような人間関係しか生み出さない。
ネガティヴ・フィードバックである。
今夜はぐっすり眠って、明日は感じのいい人間になってよみがえることにしよう。

昨日の日記に「次の休日は6月25日」と書いたが、すぐにウッキーから「6月25日は下川正謡会の歌仙会です」というお知らせが入った。
そういえば、そうだった。
次の週末は講演が入っているから、私にとって「5月21日」の次の休日は「7月9日」ということになる。
甲南麻雀連盟のみなさんにはまことに申し訳ないが、そういうわけで5月6月は例会を開くことができません。
とほほ。

投稿者 uchida : 12:19 | コメント (0) | トラックバック

2006年05月22日

日曜日だから剣でも抜いてみよう

五月は週末もオフもなくて、21日がただ一日の休日である。
休日だけれど、午後は居合の稽古会があるし、『ダ・ヴィンチ・コード』の映画評も書かないといけないし、『私家版』の校正ゲラも机の上に鎮座している。
次に私が「休日」を迎えることができるのはダイヤリーによれば6月25日である。
月に休みが一日しかないというのもずいぶんな酷な人生である。
朝起きると身体が重い。
鏡に顔を写すと目の下に黒々とした隈ができている。
朝ご飯を食べて洗濯をして二度寝する。
昼過ぎにのろのろ起き出して映画評の原稿を書いて送稿。
また寝る。
1時間ほど寝て起き出して居合の稽古にでかける。
居合を稽古しているのは、全員合気道の門人たちであるが、剣の操法とは体術に深い関係がある。
弓と同じで、居合は相手がいない。だからひたすら自分自身の内面の身体感覚に集中することができる。
逆に言えば、合気道の場合は、受けの巧拙が大きく影響して、身体感覚のいい人に受をとってもらうと、めざましく術技が向上するが、居合の場合はそういう導き手になってくれるものがない。
100%自己責任である。
2時間半ほど基本の納刀と血振りと型(表、受流し、柄当、袈裟斬、諸手突)を稽古する。
剣の操法でいちばんたいせつなことは、「剣を道具的に扱わない」ということである。
矛盾した言い方だが、剣にしても杖にしても、それぞれの道具にはそれぞれに固有の「生理」がある。動きたい線があり、動きたいタイミングがある。人間の身体は道具の動きを邪魔しないように、いわば道具の「通り道」をぎりぎりに空けるように動かなければならない。
剣を「自由」にさせるのである。
人間の統御を離れた瞬間に剣はそれに固有の生理で運動を始める。
人間はその動きだしの「きっかけ」をつくるだけで運動そのものを統御しようと思ってはいけない。
「きっかけ」をつくった人間の次の仕事は動きを「止める」ことである。
剣はどこまでも走り続けようとするが、人間はこれを急激に止める。
走り続けようとする剣と止めようとする人間の「相反する力」がぶつかるときに爆発的なエネルギーがそこに発生する。
武術をやってわかったことのひとつは「限界を越えるようなエネルギーはつねに相反するものが出会うときに発生する」ということである。
押し斬りと引き斬りを同時に行うときに斬りのエネルギーが発生するように、空間を走り続けようとする剣とそれを止めようとする人間が出会うときに、剣はその最大の力を発揮する。
剣はその生理からして、きっかけさえ与えれば空間を自由に飛んで行く。
けれどもふつうの人は「道具が自由に動く」ということがよく理解できないので、剣をがっしり握り込んで、剣を操作しようとする。
すると剣は死んでしまう。
だからといって剣をアナーキーに自由にさせておくと、剣のそばにいる人間の指は飛ぶ、耳は切れる、鼻は削げるとたいへんなスプラッタ状態になる。
だから、剣の「通り道」には絶対に身を置かないという身体技法がまず基本になる。
自分の身体は動かさないで、剣に迂回させるような横着をしてはいけない。剣の通り道の邪魔をしないように、身体の方を動かすのである。
「剣をよける」技術の次に、「剣を止める」技術を身につけないといけない。
殆どの人は腕の力で止めようとする。
腕の力でも止められないことはないが、すぐに肘を壊す。肘をかばえば肩を壊す。肩をかばえば腰を壊す。
空間を走る剣は腕の力では止められない。
身体全体の構造的安定性によってしか止められない。
剣を含んだ身体全体の構造が「剣が急激に止まることによって安定する」ものであれば剣は自然に止まる。
だから、剣で人を斬ることは思っているよりも簡単だろうと思う(斬ったことがないからわからないけど)。
だって、「剣を止める技術」が必要ないんだから。
素人でも振り回して、相手の身体に剣が食い込みさえすれば、肉や骨の抵抗で自然にスピードが鈍磨するから、腕の力だけでも剣を止めることができる。
ただし、止める技術を持っていない人は、剣を大振りして、空振りすると、次に動き出すまでに「間」があくので、そのあいだに斬られてしまうリスクがある。
でも、止める気がなければ、剣のヘッドスピード自体は相当早くなるから、これをよけるのはかなりむずかしいだろう。
高倉健さんの殺陣はたいへんに高度なものであるが、これはご覧になるとわかるけれど、「剣を止める」技法と、「剣を止めない」技法が使い分けられている。
映画のはじめの方でちゃんとした立ち会いをするときには健さんはぴたりと剣を止めているが、映画のラストで「唐獅子牡丹」に送られて池部良と殴り込みにゆくときは剣を止める気がぜんぜんない。
こういう使い分けをナチュラルにできてしまうところがさすがに天才的である。
それはさておき。
剣を止めるのが身体全体の構造的安定性でなければならないということは昨日守さんから意拳の話をうかがったときにふと思いついたのであるが、稽古の方々にはあかたも自明の術理であるかのごとくにお教えする。
構造的な安定というのは中枢的には統御できない。
中枢が統御すると必ず局所的な筋肉の緊張が起こる。
それは避けたい。
構造的な「張り」が全身に均質的に分布するように身体を使うにはどうすればいいのか。
訊かれても、私にだってアイディアがあるわけではない。なにしろ思いついたばかりの術理なんだから。
教えながら考える。
でも、わずかな時間のうちに、何人かはこれだけの説明でまるで剣の走り方が変わってしまった。
刃筋が通って、きれいな樋の風切り音が出るようになってきた。
だから武道は面白い。
重い身体をひきずって行った稽古だったけれど、すっかり上機嫌になる。
ドクターは土曜の稽古で左肩の鎖骨を折ってしまい(犯人は私。ごめんなさい)、しばらくお稽古できないのであるが、右手だけで片手切りの稽古をしている。
一刻もはやい快癒を祈っております。

投稿者 uchida : 10:31 | コメント (2) | トラックバック

2006年05月20日

エビちゃん的クライシス

私はあまりものごとに動じない人間であるが、今日はかなり驚いた。
基礎ゼミでの出来事である。
今日のお題は「エビちゃん」。
「エビちゃん」と言えば合気道部的には三代主将であった「浜松のエビちゃん」のことだが、その話ではない。
「それは誰ですか?」
という私の問いかけに一年生のゼミ生諸君はたいへん不思議な顔をしていた。
Cancamの専属モデルの「エビちゃん」という26歳の女性のことである。
私はもちろんCancamを購読しておらないし、TVもほとんど見ないので、そういう方が数ヶ月ほど前から全日本的規模で10代20代女性のロールモデルになっているという事情を存じ上げなかったのである。
ふーむ。そうですか。
もちろん、その程度のことで私は驚きはしない。
驚いたのはその先である。
で、その彼女がポピュラリティを獲得した理由について、本日発表をしたKカドくんが社会学的分析をしてくれたのである。
不況時には「稼ぎのある、強い女性」が人気を得るが、好況時には「アクセサリー的に美しい、庇護欲をそそるような女性」が人気を得るという法則があり(知らなかったよ)、その景況による嗜好の変遷にともなって、デコラティヴな美女であるところの「エビちゃん」が現時点での女性理想像なのだという説明をしていただいた。
発表者のKカドくんも「大学デビュー」に際しては「エビちゃん」系でファッションを整える方向で精進されているそうである。
ふーむ、たしかに、そういうこともあるかもしれない。
しかし、それってさ、フェミニズム的にはちょっと問題発言だよなと申し上げたところ、ゼミ内にやや不穏な空気が漂った。
あまり納得されていないのであろうかと思い、さらに言葉を続けた。
だってさ、そういう男性サイドの欲望を基準にして女性の理想型が変化するのはありとしてもさ、キミたちがそれを無批判にロールモデルにするのって、フェミニズム的にはまずいんじゃないの。
どなたからも声がない。
「あの・・・」
中のひとりが勇を鼓して手を挙げた。
はい、なんでしょう。
「『フェミニズム』ってなんですか?」
え?
キミ、フェミニズムって言葉知らないの?
見渡すと、13名いたゼミ生の大半がゆっくり首を横に振った。
ちょっと待ってね。
「フェミニズム」って言葉、聞いたことがない人っているの?
8人が手を挙げた。
聞いたことはあるが意味を知らないと言う人は?
2人が手を挙げた。
さすがの私もこれには驚いた。
「上野千鶴子」って、知ってる?
全員がきっぱり首を横に振った。
ちょっと、待ってね。
「フェミニズムはその歴史的使命を終えた」と私が数年前に書いたのは、事実認知的な意味ではなくて、遂行的なメッセージとしてである。
「歴史的使命はそろそろ終わって頂いても、ウチダ的にはぜんぜんオッケーなんですけど」ということを言いたくて、いささか先走り的なことを申し上げたのである。
戦略的にそう言ってみただけで、まさか、「ほんとうに終わっている」と思っていたわけではない。
言い添えておくけれども、うちの一年のゼミ生たちはなかなかスマートな諸君である。
これまでのゼミでのディスカッションを拝聴する限り、コミュニケーション能力は高いし、批評的知性も十分に備わっていると見た。
その方がたが「フェミニズムって、何ですか?」である。
つまり、2000年くらいからあと、中学生高校生時代の彼女たちのアンテナにフェミニストはまるで「ヒット」しなかったということである。
これは困った。
私は公然たるアンチ・フェミニストであるけれど、このような事態を待望していたわけではない。
繰り返し書いているとおり、フェミニズムはその歴史的使命を終えたが、それがもたらした最良の知的資産は損なわれることなく次の世代に継承されなければならないと私は思っている。
だが、フェミニスト的知見の次世代への継承はどうもうまく行われていないようである。
それは「この世の中がろくでもないのは、みんな『あいつら』のせいだ」という他責的な語法をフェミニストが濫用したせいで、結果的にそのような語法そのものが批評的なインパクトを失ったせいではないかと思う。
だって、今の日本のメディアもエスタブリッシュメントもみんな「そういう語法」でしか語らないからである。
十代の少女たちはそういう言い方にたぶん食傷しているのだ。
そんなこといくら言っても、何も変わりはしないということを彼女たちは実感的には熟知しているのである。
私はフェミニズムの「知的資産の継承」を望んでいる。
そのためには、「フェミニズムって何ですか?」という少女たちの出現を構造的危機として重く受け止めるフェミニストの出現が急務であると思う。
それを「父権制のイデオロギー装置が奏功して、子どもたちはみんな洗脳されてしまったのだ」というような他責的な構文で説明して安心するのはよしたほうがいいと思う。
ゼミ生中の読書家であるM野くんが、訝しげに「『フェミニスト』って・・・『海辺のカフカ』で・・・あの図書館に来る人のことですよね?」と確認を求めてきた。
そ、そうなんだけどさ。
あの多分に戯画化されたフェミニストのありよう「だけ」がわずかにインパクトを持っているというのは、ちょっとまずいのでは。
フェミニストのみなさんは過去5年間、少女たちにどんなメッセージを届けようとしていたのであろうか。
とりあえず「あまり届いてないみたい」ということだけは確かなようである。


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2006年05月19日

なんだよ、今日も雨かよ

水曜日は甲野善紀先生の講習会。
今回の来学の目的は講習会ではなくて、シークレット・ミッションがあったのだが、これはまだ公開できないのである。
今秋くらいに「えええ」と驚く展開があるはずなので、ご期待を。
今回の講習会はそういうわけで「内輪のパーティ」にとどめさせて頂き、学外にはアナウンスしていない。
あれば行ったのに・・・と残念がっている方も多いと思うけれど、次回はちゃんとアナウンスしますから許してください。
講習会のあと西宮北口で懇親会。
三宅先生ご一行、平尾さん、ヤマダ先生と歓談。
もちろん、たちまち酒席は講習会の延長となり、床を転げ回る人続出。
甲野先生はご存じのように「名刺交換代わり」に、「じゃ、ちょっとやりましょうか」という展開になる。
以前、ごくごくビジネスライクなお話でヒルトンホテルのロビーでお話ししていたときも、話題が「最近の気づき」に及んだ瞬間、「じゃ、ちょっとやりましょうか」という展開になり、ヒルトンホテルのロビーであっけにとられている人々を前に私は「あらら」と床を転げ回る仕儀と相なったのである。
翌日は大阪の朝カルということなので早めに切り上げて芦屋駅頭で先生とお別れする。
私と釈先生の朝カルは中一日おいて土曜日。
大看板が出て『文七元結』をやったあとで、前座噺の『饅頭こわい』をやるのじゃ芸がないので、「ちょっと趣向を変えて、エンタツ・アチャコの『早慶戦』をやらせていただきます」的展開に持ち込む予定である。
木曜日は授業を三つやって、それから合気道の稽古をして、それから試写会というハードスケジュール。
日経の締め切りが過ぎているので、昼休みにカップヌードルを啜りながら40分で1200字のエッセイを書き上げる。
じゅるじゅる。
7時に大阪駅の「五木ひろし」の前でウッキー、イワモト秘書、うちの店子一名と待ち合わせ。
越後屋さんのご案内で『ダ・ヴィンチ・コード』試写会へ。
ソニー・ピクチャーズのS々木さんにご紹介頂く。
S々木さんは女学院のOGである。
やや、どうもと名刺交換。
「私の友だちのXXXさん、ウチダゼミだったんです」
「XXX・・・?知らないなあ」
「え、・・・・」
これは彼女が勘違いしているのか、私がゼミ生の名前を忘れているのかの二者択一なのであるが、おそらく私を知る人々(同行の諸君など)はためらわず後者に有り金を賭けるであろう。
映画を見てから、弟子、秘書、店子と三人でビールを飲みながら、「この映画をどう批評したらよろしいのか」お訊ねする。
三人は私のこの職業的責任感にもとづく問いかけに対してごくわずかの関心しか示さなかった。
おそらく人々の無関心こそが私の知的探求心をはげしく刺激するにちがいないと知っての教化的ふるまいであろう。
金曜日は授業がひとつと会議が三つ。
先般、兄上と話したときに、「会議が月に30」と申し上げたら仰天されていた。
兄の会社は年商50億であるから、経営規模としては本学とだいたい同じである(商社と大学を「年商」で比較するのはどうかと思うが)。
その兄の会社では会議が月に2回(おまけに1回30分)だそうである。
「会議をいくらやってもビジネスにはならないからね」
そうですよね、兄上。
問題は大学が「ビジネスではない」という点にありそうである。
以前、平川くんが「大学と中央省庁とはビジネスをやらない」と言ったことがある。
どうしてと訊いたら、「決定に責任を取る人間がいないから」ということであった。
なるほど。
あの膨大な会議時間も「責任を取る人間」をいかにして消滅させるかを目標になされているのであると考えるとつじつまが合う。
さいわい本日の教授会は1時間ちょっとで終わる。
部長室に戻ってたまった仕事を片づけてから帰り道に床屋で散髪。

06051901.jpg 甲野先生、三宅先生、平尾さんと

06051902.jpg 甲野先生とウッキーと

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2006年05月17日

あれをしろ、これをするなとこづかれて

ゼミが二つ。
三年生は『えんぴつで奥の細道』、大学院は「吉野屋の牛丼」。
いったい、ウチダは何のゼミをしているのであろうとお疑いの方もおられるであろうが、これが「奥の細道」は「言語と身体性」の問題に、牛丼は「食と記号」という大問題に、それぞれ展開するのである。
家に戻るとファックスから「べろん」とゲラが届いている。
『考える人』という新潮社が出している雑誌で、「戦後の思想家100人」というようなテーマで物故者100人について短い評言を集める特集を組んでいる。
100人のリストが送られてきて、そのうち何人か選んで書いてくださいと言うことだったので、小津安二郎と伊丹十三と手塚治虫を選ぶ。
「この三人」とご返事したら、小津安二郎はもう橋本治さんが取っちゃいましたということで、伊丹、手塚それに長谷川町子について書くことになった。
三人とも書いたものはだいたい全部読んでいるので、特段の準備もなく、さらさらと書いて送稿。そのゲラが届いた。
「戦後の思想家100人」とは誰のことか、これは読んでのお楽しみ。
ピンポンとチャイムが鳴って宅急便が届く。
『私家版・ユダヤ文化論』のゲラが届いたのである。
おお、これは面白い。
ワイン片手につい読みふけってしまう。
共同通信と日経と日経ウーマンから原稿の催促。
日経ウーマンは原稿は書いてあったのだが、締め切りの日に送稿し忘れていたので、すぐ送る。
共同通信と日経の月一エッセイはもう締め切りか。
月一とはいってもすぐに締め切りが来る。
今週中に書かないといけないが、まだ何を書くか決めていない。
メールで講演の依頼が二件。
どちらもお断りする。
講演は出たとこ勝負で私はかなり好きな仕事なのだが、日程がタイトでもうどうにも身動きならない。
後期はあと2コマ授業が増えるので、週8コマとなるから、とても新規の仕事は引き受けられない。
メールで取材の依頼が二件。
取材のために空けられる時間はほとんどない。授業と会議の合間か、オフの日に受けるしかない。
そうやってオフの日がどんどん埋まってゆく。
朝、起きるとき寝床の中で今日の用事を指折り数える。
17日は用事が7つ。書かなければいけない原稿が2つ。
でも、いつ書くんだろう?

投稿者 uchida : 10:06 | コメント (2) | トラックバック

2006年05月16日

スーパー忙しい週末

たいへん忙しい週末。
土曜日は荷造りをしてから、合気道のお稽古へ。
たいへんな数の人が来ている。毎週ひとりずつ新入門の人がいる。
このペースで増えていったらえらいことである。
そのままソッコーで下川先生のお稽古へ。
「山姥」の謡をお稽古しているところにドクターと飯田先生がおいついてきたので、ドクターと「土蜘蛛」の仕舞のお稽古。
ドクターが頼光で私が土蜘蛛の悪霊。
私が蜘蛛の糸を頼光にまとわりつけて苦しめるのだが、名刀膝丸で足を切られて「いてて」と退散するというスペクタキュラーな仕舞である。
二人で汗をかきながらお稽古。
次はフレッシュマンキャンプ。
阪急六甲駅に6時集合という約束だったのだが、なかなか全員揃わない。とりあえず来たものからタクシーで上ってもらう。
最後に来た学生諸君を乗せて霧深き六甲山頂へ。
だいぶ遅れたけれど、先乗りの難波江さんととりあえず冷たいビールを飲みながらすき焼きを食べる。
すき焼きのあとはいつものヒアリング。
学生たちの大学選びにおける「イデオロギー性」について考え込んでしまう。
1時間ほどで解散して、あとはそれぞれで懇親して頂く。
私と難波江さんは白ワインなどを飲みつつ、老親の介護についてのディープな話から始まって、クリエイティヴ・ライティングのプログラムについて相談。面白い企画をあれこれ考えているうちに気がつけば深更。朝が早いのであわてて就寝。
6時に起きて、後事を難波江さんに託して、ひとりソッコーで下山。
家でシャワーを浴びて、着替えて伊丹空港へ。
9時25分の飛行機で庄内空港へ。
5月の第二週は父の命日で、鶴岡の宗傳寺へお参りにゆく決まりである。
庄内空港で羽田からの飛行機で来る母と兄を待ちながら、齋藤孝さんの『発想名人』の文庫版解説を書いて、そのまま送信。続いて、『ブルータス』の茂木さんとの対談の校正。
1時過ぎにお二人が着いたので、車でいつもの「寝覚屋半兵衛」で、麦切りとお蕎麦を食べる。
ずるずる。
たいへんに美味である。
とにかく量が多い。
腹がはち切れるほど食べてから、次は「本長」へ。
ここは鶴岡の名物漬け物屋であり、ここの味噌漬けは逸品である。
自宅用に三袋買う。
それから宗傳寺へ。
お墓のお掃除をして、住持さんにお経を上げて頂いて、本堂の墓参控えに「今年も来ました」と名前を記し、住持さんの淹れるぬるいお茶を頂いてから、いつものとおり、湯野浜温泉亀や旅館へ。
兄と露天風呂に入ってから冷たいビール。
母を交えて、日米関係の話、ビジネスの話、教育投資の話、総裁選の話、亡父の若き日の想い出などなど・・・延々と話し続ける。
兄のビジネスがこのまま成功裏に推移すると、数年後に私はスーパーリッチな株主になる可能性が高い。
そうなれば、芦屋に100畳の道場(能舞台付き)を建てるのも夢ではない。
兄ちゃん、がんばってね。
一夜明けて、快晴の海岸通りを走って庄内空港へ。
ドライブにでかけるお二人を見送って飛行機を待つ間に校正を送信。
昼過ぎに伊丹に着き、芦屋まで戻り、とりあえず一風呂浴びて昼寝。
夕方のろのろと起き出して、メールチェックをして一仕事。
ソッコーで大学に行って1時間杖道の稽古。
それから学部長会。
体育館とゼミ棟の話で2時間。
とりあえず大学サイドの大枠の計画がまとまる。
よかった。
なんだかやたらにせわしなく移動ばかりしている週末であった。

投稿者 uchida : 10:51 | コメント (3) | トラックバック

2006年05月13日

これでよいのか日本は?

敬愛する先輩であると同時に合気道のお弟子さまでもある松田高志先生が兵庫県の教育功労賞を受賞された、その祝賀パーティで飯先生や飯田先生とわいわいおしゃべりをして家に帰ってきたら、郵便ポストにぎっしり封筒が詰まっていた。
うち二通が「著作物複製許諾書」。
だいたい週に二通平均くらいで同趣旨のものが来る。
受験の問題に使われたテクストを「過去問集」に採録するときに「複製してもいいですか」と著作権者にお訊ねに来るのである。
ご丁寧なことである。
複製に際して2000円くらいの使用料が振り込まれる。
どこかの雑誌に書いて原稿料を頂き、そのあと単行本に収録して印税を頂き、そのあと試験問題に使ってもらって使用料を頂く・・・そこまでひとつのテクストから収奪してよいのであろうか。
喩えて言えば「里子に出した子どもから細々と仕送りが届く」ような気分である。
なんとなく疚しい気分になる。
某大手予備校の先生から「2006年度大学受験出題頻出者ランキング」を教えて頂く。
今年度の大学受験で誰の文章がいくつの大学の入試問題に使われたのか、そういうことも予備校はちゃんとリサーチされるのである。
昨年度はチャート初登場10位であったが、今年度は6位。
ちなみにベスト5は
一位は・上田紀行
二位・茂木健一郎(おお、茂木さんだ)
三位・鷲田清一(おお、鷲田さんだ)
四位・山崎正和、夏目漱石
五位・正高信男、斎藤孝(おお、齋藤さんだ)
そして同率六位が養老孟司(おお、養老先生だ)柏木博、河合隼雄、そして私。
「おお」がついているのは、私がこの一年の間に対談した方である。
メディアが対談の組み合わせを考える場合と大学入試の出題委員が出題文を考える場合のあいだには正の相関があることがここから知れるのである。
しかし予備校はあまりリサーチされていないようであるが、実は私の文は大学じゃなくて、中学受験・高校受験の方にたくさんご利用頂いているのである。
出題されたのは去年まではほとんどが『寝な構』からであったが、今年は半分ほど『先生はえらい』からの出題。
中学高校の先生たちはあれを読んでくださっていたのである。
今年の灘の高校受験には『死と身体』が使われていた。
問題を読んだが、むずかしかった・・・(私の文章もよく意味わかんなかったし)
ポストにはもう一つ本の包みが入っていた。
ひらいてみると、これが教科書。
『探求 国語総合(現代文・表現編)』(桐原書店)
高校の国語教科書に『寝ながら学べる構造主義』の中でミシェル・フーコーについて書いた部分が採録されたのである。
高校の国語の教科書で「山下達郎」とか「ジョン。・レノン」とかいう単語を見ると、ちょっとびっくりしますね。
たしかに時代は変わった。
私が高校生のときの国語の教科書で読んだのは唐木順三と亀井勝一郎であったが・・・
いまにして思えば、そういうおじさんたちが50代くらいに書いた文章を読んでいたわけである。
彼我の成熟の差を思うと頭がくらくらする。

投稿者 uchida : 11:11 | コメント (3) | トラックバック

2006年05月12日

邪道散人、忙中閑あり

次々といろいろなメディアから仕事の依頼が来る。
どういう基準で私が選ばれているのか、本人はさっぱりわからない。
『週刊現代』と『クロワッサン』と『現代のエスプリ』とフジテレビ。
フジテレビの依頼はお断りする。
テレビに出ないというのは別に確たる思想があるからではなく、テレビというのは異常に拘束時間が長いということを経験的に知っているからである。
前にテレビに出たときは5時間ほどスタジオに拘束されて、出番は30分くらいで、放映されたのは3秒だった。
これはやはり人生を過ごす仕方としてあまり効率的ではない。
その点ラジオの生放送はたいへんよい。
前に本番1時間前にスタジオ入りしたら、スタッフが誰も来てなかったことがある。
打ち合わせもほとんどなく、しゃべり終われば、そのままスタジオのドアを開けて家に帰れる。
雑誌の取材と違って、あとからゲラが送られてくることもないし、写真も撮られない(だから小汚い格好をしていってもノープロブレム)。
拘束時間の少なさと「後腐れ」のなさではラジオが一番である。
ラジオのインタビュー番組を録音して、あとで「こやつの言い分は事実と違う」というようなことを言い立ててくる暇人は(あまり)いない。
何よりテレビの欠点は「出ると顔を知られる」ということである。
私のような職業の人間にとって「顔を知られる」ということは百害あって一利がない。
今でも街を歩いているときによく人から顔をじろじろみられるが、それは「どこかで見たことがある顔だが、誰だか思い出せない」からである。
新聞雑誌にときどき顔写真が出たりするからこういうことになるのである。
この「誰だっけ、こいつ?」という疑問符つきの視線でじろじろといつまでも注視されるのは、かなりいたたまれないものである。
これがテレビに出たりすると、当然「あ、あれは・・・・ウチダだ!」ということにめざとい人は気づいてしまう。
「何やってんのかしらね」「やだ、もやし買ってるわよ」「あら、289円の万能葱を棚に戻して、189円の青ネギに取り替えたわ」「けちくさいわね」
というような好奇のマナザシにさらされることを私は喜ばない。
さいわい最近の街行く若い人は新聞も雑誌ももちろん単行本も読まないので、私の顔なんか知らない。
ビデオ屋で『ゾンビー・キング』と『蝋人形の館』と『マッハ!!!!!!』を借りても、店員たちに「やだ、ウチダって、こーゆー趣味なんだ」「えらそーなこと書いてるけど、頭悪いわね」というような値踏みがなされる気づかいはないのである。
ほっ。
『週刊現代』は「古仏巡礼」という記事。
これは編集長のカトウさんに前に芦屋のベリーニでフレンチをおごってもらったまま、「食い逃げ」をしているので、ちょっと断ることの出来ない筋なのである。
『クロワッサン』の取材は趣旨がなんだかよく知らない(聞いているけど忘れたのであろう)。
あるいはマガジンハウス系知識人というものに名簿登録して頂いたのであろうか。
昼飯に毎日「赤いきつね」や「みどりのたぬき」を食べているような大学教員をマガジンハウス系知識人に認定して御社のブランドイメージは維持できるのであろうか。
ひとごとながら心配である。
『現代のエスプリ』は池田清彦先生からのご指名で、「構造構成主義」の特集に何か書くようにというご要請である。
構造構成主義って・・・なんだろう?
知らないけど、「はい、書きます」とご返事する。
池田先生にはお会いしたことがないが、生物学者であるからきっと「まっとうな方」であろうと判断してのことである。
というのも、私が個人的に知っている生物学者というと魚のヤマモト先生と蜂のエンドウ先生と草のノザキ先生だけであり、私の生物学者像はこの同僚の方々をモデルに造形されているからである。
このようなアバウトな仕事の仕方をしていてよろしいのであろうか。
わがことながら心配である。

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2006年05月10日

さまざまなスピンオフ

甲南麻雀連盟会員急増のために、いくつかの支部が成立することになった。
最初のスピンオフは初心者ばかりの「あすなろ麻雀の会」。
これは会の設立後に麻雀を覚えたばかりの芦屋麻雀ガールと神戸麻雀ガールと明石麻雀ガールら「麻雀ガールズ」系の会で、本部は芦屋公光町。
すでに先週、第一回の例会が開催されたそうである。
これに呼応して出来たのが「しらぎく麻雀の会」。
こちらは「オーバー40歳」限定のシニアの会。
メンバーはだんじりエディター、釈老師、カワカミ牧師、ワタナベ先生、ホリノ社長、そして私という濃いいいメンバーである。
さらに昨日発足したのが「クローバー麻雀の会」。
こちらは大学院の聴講生たちだけがメンバー。
昨日、その最初の例会が芦屋大原町にて開催された。
「突然ですが、本日ゼミの終了後に麻雀やります。興味のある方はどうぞご参加ください」とご案内したところ、たちまちわらわらと8人が集まった。
最年長は公認会計士のマスダ氏、最年少はセイウチ。
かんきちくん(当然だな)、明日香さん(増田聡くんのご正室・・・って別に側室がいるわけではないです)、自宅で麻雀教室を開いているというタケウチさん。雀歴20年で、私と麻雀をやるために東京から引っ越してきたと豪語しているイチクラくん。それに麻雀初心者のシライくんとスナダくん(「ムラサキの友人」という自己紹介で登場したが、当のムラサキに訊くと「スナダ?誰だっけ?・・・ああ、アレね」というたいへん冷たい対応であったことを付記しておく)。
くじびきでプレイヤーを決め、意欲満々で登場したマスダ氏とタケウチさんは残念ながら抜け。マスダ氏には別卓で初心者のための「麻雀教室」を開催してもらい、こちらは早速まじめに打ち始める。
かんきちくん(京大D3)、イチクラくん(東大D3)という東西博士課程野郎対決ならびに、セイウチと私の師弟対決という興味深い布陣であったが、結果については特に贅言を要すまい。
最初の半荘は私が軽くトップ。
二抜けでイチクラくんとタケウチさんが入れ替わる。
タケウチさんがスパゲッティを茹でていたので、とりあえずイチクラくんが「代打ち」をする。
東二局でいきなり私の「リータンピン・ドラ3発」の親ハネ18000点を振り込んで、たいへんなハンディを背負ってタケウチさん登場。
その後も私は「立直・混一・一並刻・ドラ3」親の倍満24000点をセイウチからせしめて楽勝街道を悠々と進行していたのであるが、セイウチは意外にしぶとく、ハコから甦って「アオ・リンシャン・ドラ4発」親の倍満などを上がり返してたいへんスリリングな展開となったのであった。
トータルは
会長(2戦2勝、わはは)プラ93
イチクラくん マイナ1
セイウチくん マイナ7
かんきちくん マイナ35(よえー)
タケウチさん マイナ50(この敗戦責任はもちろん開局早々に親ッパネを振り込んだ代打ちにある)。
これは「クローバー麻雀の会」の戦績であるので、甲南麻雀連盟の公式記録には算入されないのである。
将棋における名人、棋聖、王将のようなタイトル戦とお考えいただければよろしいかと思う。
タイトルがふえたのであるから、会員諸君はさまざまな名誉をめざして一層精進されんことを会長からお願いしたい。
では天来の雀力が諸君とともにありますように。
May force be with you!

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2006年05月08日

連休最後の広島行き

連休最後の週末は、広島の多田先生の講習会。
毎年、同じ時期に同じ日程で行われるイベントであるが、今年は趣向が違ったようで、土曜日午後6時に県立武道場に到着したら、もう一日目の日程は終了していた。
無人の武道場で呆然と立ちつくす甲南合気会の14人。
こういうときに「誰のせいだ」(もちろん私のせいであるが)というような責任者出てこい的議論をするのは時間の無駄である。
与えられた状況でベストを尽くす。
それがブリコルールとしての武道家の骨法というものである。
さっそくその無人の武道館の200畳の空間を暫時お借りして、ばりばりと稽古を行う。
1時間ほどお稽古させて頂き、ぐっしょり汗をかいてシャワーを浴び、武道場の管理人さんにお礼を申し上げて、どどどと生ビールを飲みに出かける。
ばりばりと飲み食いして、ホテルに。
いつもよりだいぶ早めの投宿なので、一風呂浴びてからホテルのラウンジでトムコリンズなど飲みつつ合気会のアダルトメンバーたちと清談。
『ダビンチコード』を読みながら寝る。
翌日ホテルのロビーで多田先生のお会いしてご挨拶。
「先生、昨日午後6時に来ちゃいました」と斜め45度の角度で先生をうらめしげに見上げる。
「ああそう、それは悪かったね(笑)。俺もよく知らないうちに予定が急に変わってさ」
先生ってば・・・
そのまま先生について一緒に武道場へ。
今度は朝一からちゃんと昼過ぎまでお稽古。
講習会は4時までなのだが、佐藤・飯田ご夫妻とウッキーと私は3時過ぎの新幹線を取っていたので(たいへんな帰省ラッシュで、その時間しか指定が取れなかったのである)、途中でおいとまのご挨拶をする。
五月はこのあと全日本合気道演武大会、五月祭と続き。6月は月窓寺の創立30周年があり、毎週のように先生にお会いすることになる。
シャワーを浴びて、汗を流してから、タクシーで広島駅まで出て、とりあえず広島焼きと生ビール。
人心地ついて、例のごとくおみやげに「にしき堂のもみじ饅頭」を購入して車中の人となる。
そのまま全員爆睡。

投稿者 uchida : 11:46 | コメント (2) | トラックバック

『冬ソナ』と村上春樹の世界性

早速頂いたタケノコをぬかで茹でて、タケノコご飯とタケノコみそ汁を作る。
美味である。
朝昼とぱくぱく食べる。
タケノコご飯を食べているうちに、不意に「『冬ソナ』を見て泣く人間」と、村上春樹ファンは「けっこうかぶる」のではないかというアイディアを得る。
無根拠な妄想とも言えない。
というのは、先日書いたとおり、村上春樹ワールドは「父のいない世界で息子はどうやって生きるか?」という問いをめぐる物語であり、『冬ソナ』の作劇術もやはり「父を持たない息子」と「父を持たない娘」が、「父の不在」と「父の顕現」が織りなす無数の出来事に翻弄される姿を描くところにあったからである。
チュンサンとユジンがなかなか結ばれないのは、構造的にはつねに「不在の父」が、まさに不在であるがゆえに「存在するとは別の仕方で」彼らにかかわってくるためである。
「不在であるべき父」がいささかでも現実性を帯びてくるごとに、二人の恋は危機に瀕する。
そして、最後にチュンサンの生物学的な父が確定したところで、なぜか二人は決定的に離別してしまうのである。
理由は不明(これはサンヒョクが主張するように、よくよく考えてみると理解しがたい結論である)。
そして、チュンサンがユジンの設計した家を「模倣」することによって、つまりふたりを結びつける関係には「上位審級も、先行する起源もない」という物語を構築することを対価として、二人は再会する機会を得るのである。
ふたりを結びつけるすべては「父の不在」という欠性態の上にかろうじて成り立っている。
きっとそうだよ。
「韓流ドラマ」とひとくくりにするが、『冬ソナ』はやはりひとつだけ「ものが違う」のである。
だから、世界性を獲得しうるのである。
これは東アジアだけの現象ではないであろう。
だから、いずれ『冬ソナ』がフランスで大人気とか、ロシアでブレークという話を聴いても、私は驚かない。

今月号の『文學界』は3月に行われた国際シンポジウム「世界は村上春樹をどう読むか」のワークショップを採録している。
柴田元幸・沼田充義が司会した翻訳のワークショップはたいへんに面白かったが、四方田犬彦が司会したワークショップの方は正直申し上げて、あまり感心しなかった。
それは司会の四方田が村上文学の特徴は「無臭性」「無国籍性」だという見方にこだわり、政治的な文脈に村上文学の意味を還元しようとしているせいである。
無臭であり、無国籍であるような文学作品は世界に山ほどあるが、当然ながら、そのすべてが世界的なベストセラーになるわけではない。
同じように政治的な文脈のうちに絡め取られた文学作品は世界に山ほどあるが、当然にも、そのすべてが世界的なベストセラーになるわけではない。
村上文学は無国籍的であるかもしれないし、政治的文脈のうちに絡め取られているのかもしれない。
だが、それだけでは村上文学が世界性を獲得した理由は説明できない。
ほかの無国籍的・政治的文学作品と「どこがちがうのか」というところに照準しない限り、その論点は主題化されない。
文学研究上の興味は主にそこにあるだろう。
さらに納得がゆかないのは、四方田の最後のコメントである。
「ここには『世界がハルキを読む』という名目で、多くの国々と言語を出自とする方々が集まっているわけですが、ここに招待されていない言語と国家はどうなっているのでしょうか。どうして春樹のアラビア語訳やウルドゥー語訳が存在していないのでしょうか。これは言語をめぐる政治の問題です。はたして、バグダッドやピョンヤンでは春樹は読まれているのでしょうか。世界がハルキを読む。大いに結構です。だが、その場合の『世界』とは何なのか。端的に言って『勝ち組』の国家や言語だけではないのか。ここに排除されているものは何なのか。誰なのか。」(『文學界』、6月号、174頁)
これはいくらなんでも「言いがかり」というものだろう。
アラビア語やウルドゥー語の訳が存在しない文学作品は「所詮ローカルな文学」というロジックが成立するなら、この世に世界文学などというものは存在しない。
村上春樹は英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、中国語、韓国語、ハンガリー語、フィンランド語、デンマーク語、ポーランド語、インドネシア語などに訳されている。これから語種はさらに増えるだろうが、それでも世界のすべての言語に訳されるということはありえないだろう。
話者が数百人しかいない絶滅寸前の語種は地上に無数に存在する。
それらすべてに読まれないと「世界的に読まれている」という表現は許されないとすれば、その条件を満たすような文学作品はこの世に存在しないし、これからも存在しないであろう。
それに、地上にはレヴィ=ストロースが教えるように無文字社会がいくらもある。
そのような社会集団には村上春樹であれ誰であれ、およそ「読む」という行為がなされていない。
だから、今の議論ではそのような社会を四方田は「世界」のうちに勘定に入れ忘れているのではないかという疑問だって呈示できる。
「四方田が論じているのは、端的に言って『読める』人間の社会や言語だけではないのか。ここに排除されているものは何なのか。誰なのか。」
そういう言いがかりはあまり品がよくないし、生産的でもないから、私はしない。
人類史発生以来、人間が書いたすべてのテクストは膨大な数の「それを読んでいない人々」「それを読む機会から排除されている人々」を有している。
それはどのような書物についても構造的に不可避である。
存在するすべての書物にあてはまることをある特定の書物について述べても、それでその書物の性格を特徴づけることはできない。
村上文学の特徴として「翻訳されていない語種が存在する」ということを告げるのはまるで無意味である。
無意味なことを言う暇に、村上文学が「それを読む機会から排除されている人間」の数をこれだけ減じたことの個別的な理由の発見に知的リソースを注いだ方が生産的ではないかと私は思う。

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2006年05月05日

今年も新緑の美山町で山菜天ぷらを食べる

GW恒例の「美山町のコバヤシ家で山菜てんぷらを食べる会」に長駆京都府南丹市(というのが町村統合でできたそうです)美山町へ。
コバヤシ家で山菜天ぷらを食べるのもそろそろ10年くらいになる。
一度始めたことはなかなか止めない体質なので、毎年同じ新緑の時期になると舞鶴道、27号線を走り抜けて美山町へ行く。
はじめて美山町に行ったのはるんちゃんが1歳になった83年の夏。
赤いホンダシティで小浜から山を越えて美山町に入った。
それから数年のインターバルがあって、私たち父子が関西在住になって最初の五月に天ぷらを食べにおいでとお誘いを受けて、ミニででかけた。
そのときは舞鶴道が福知山までしかなくて、そこからは一般道を走って綾部まで行った。綾部の駅前で一時停車して、「おお、ここが大本の・・・ということは植芝塾がかつてあった地か」としみじみと感懐に耽ったのであった。
その後、27号線を走る車はインプレッサ(これはいまコバヤシ家の愛車となっている)、BMWと変わったが、綾部から後の由良川沿いの道路の風景は15年経ってもほとんど変わらない。
典型的な「美しい日本の里山」の風景である。
「哲学する樵」コバヤシナナオトさんと奥様のオハギ(このネーミングの由来は長い話になるので割愛)と次女のユキちゃんのお迎えを受ける。
コバヤシ家は去年までミヤタケの家主さんで、ミヤタケ夫婦がユキちゃんスギちゃん姉妹の隣人だった。
というわけで、会うなり「ミヤタケ話」になる。
ユキちゃんからミヤタケのところには奴隷のようにこきつかわれている「ドラえもん体型」の男子が出入りしていたという話を伺う。
ミヤタケの奴隷で「ドラえもん」体型の男と言えば・・・それはジョンナム・ナガミツのことではないだろうか。
だとすれば、ナガミツくんはユキちゃんスギちゃん姉妹の「ぱしり」として「ヘルプ」にパンを買いに行かされていたことになる(内輪の話題ですまない)。
とりあえずナガミツくん、どうもありがとう。
そうでなくて、別にナガミツ似の奴隷がもうひとりいるということになると、ミヤタケは「ドラえもん体型の奴隷」を頤使するある種の超能力を有していることになり、この方が話はさらに面白い。
そのナガミツくんにもらった山田錦の吟醸酒を手みやげに持って行って、ナオトさんとふたりでぐびぐび呑んでいたので、気がつけばナガミツくんは一周回りで再びコバヤシ家にご奉仕していたことになる。
まことに運命は糾える縄のごとし。
なぜミヤタケはあのような人物になってしまったのかについて、山菜天ぷらをばりばりと食べつつ話し続ける。
これだけ長時間にわたって話題を独占できるというのは人間の魅力の指標であるから、ミヤタケくんはこれを読んでも怒らないように。最後はちゃんと「でも、ミヤタケって(ああ見えても)いいやつだよね」に落ち着いたのだから。
(ああ見えても)の部分が余計だ!と思うかも知れないが、ただの「いいやつ」のことはここでは話題になるはずもないのである。
五右衛門風呂に浸かって、ほろ酔い機嫌で爆睡。
気がついたら朝の10時。11時間も眠ってしまった。
美山町ではたんぼの蛙の合唱(地響きがするほど)を聴きながら眠るせいか、いつも眠りが恐ろしく深い。
明け方に鳥が事務所に飛び込んできてガラス窓を割ってしまう音でちょっと目が覚めたが、そのままスルーして寝続ける。
ワイルド・ライフである。
そのままずるずると台所で『冬ソナ』はいかに偉大な物語であるか(これにはナオト氏はまったく同意せず、もっぱらオハギと「そうよねー」とおばさん的うなずきを交わすばかり)、日本の林業はこれからどうなるのか、ユキちゃんの結婚相手はどんな人がいいのか、村上春樹はイスラム圏でも読まれるだろうか、次世代日韓混血児たちは日韓関係をどう変化させるか、フランスの極右は王政復古をまだ考えているのか、ブータンのパスポートコントロールはどうなっておるのか、などコバヤシ家の台所ならではの異常に話題が散乱するおしゃべりを日が傾くまでお茶を呑みながら続ける。
おみやげにタケノコをもらって、西の山影に日がかかる頃においとまする。
来るときと同じように美しい山道を疾駆して芦屋に戻る。
あと10年後に私はまだGWにここに山菜天ぷらを食べに来ているであろうか。
小林家のみなさん、ごちそうさまでした。また来年。

投稿者 uchida : 21:41 | コメント (0) | トラックバック

2006年05月03日

skype とニート論

三年のゼミは「skype」(「スカイプ」と読むらしい)。
何のことだかおわかりになりますか?
私ははじめて聞いた。
P2P(peer to peer)で無料で世界中の人と電話ができる仕掛けらしい。
ネットからダウンロードできるので、半月ほど前に世界で1億人。
おそらく今月末には2億とか3億人とかいう数の人がこの「電話ただ掛け」テクノロジーの恩恵に浴すことになるであろう。
へー。
「電話ただ掛け機」というのがハッキングの起源であったことは古手のパソコン使いはご存じのとおりである。
70年代に「キャプテン・クランチ」という通り名をもつ伝説的なハッカーがいた。
彼は同名のシリアルのおまけの笛の音が電話局の使う発信音と同じであることを利用した「電話ただ掛け」技術を開発したことで知られている(@オダジマ先生情報)。
それから幾星霜。
あいかわらずハッカー諸君は「電話ただ掛け技術」の開発に余念がないようである。
スカイプによる「電話ただ掛け」は別に電話局の設備をこっそり盗用するわけではなく、ありもののネットの上を電磁パルスが走るだけなので、誰にも迷惑をかけない(電話局の売り上げは多少減るが)。
通信費不要の電話使用が可能になることで、はたして電話文化は激しい変動を経験することになるのだろうか。
私はそれほど変化しないような気がする。
たしかに「ただで電話できる」ということを理由として、今まであまり電話を利用しなかった人たちが多方向にエンドレスで電話をするようにはなるだろう。
でも、その人たちだって「別に電話するほどの用事じゃないこと」を「まあ、ただだから」ということで電話するだけの話である。
「別に電話するほどの用事じゃない」大量の情報が電話回線をかけめぐっても(「ねえ、今なにしてんの」「え?電話」)、それによって国際政治や世界経済が大きく変化するということはないように思う。
「電話ただ掛け」はハッキングの歴史が教えるように、その技術開発そのものの知的興奮と、そこからスピンオフする新しいテクノロジーに価値があるのであって、「電話ただ掛け」そのものが民衆の福音であるということではない。
「キャプテン・クランチ」だって、長距離電話をかけて面白がったのは最初の数回だけだったと思う。
だって、遠隔地にいる友人や恋人と長電話して親交を深めたいと思うような人間がハッカーになるはずがないから。

大学院のゼミは「現代若者論考」。
どうしてこれほど若者論がさかんなのかというフクイさんの発題である。
私もあれこれの若者論をずいぶん読んだ。
その上で、感じることは「どれも一理ある」ということである。
「一理ある」けれど、「一理しかない」。
自分以外の方々の若者論との「共生」や「相互啓発」に開かれているものはあまり多くない。
というか、少ない。
ほとんどの若者論は無意識のうちに「排他的」な言葉づかいをする。
それぞれが依拠している資料・データ・統計数値・臨床例・個人的経験が違うのは当然である。
だが、自分が依拠している資料や自分が行使している推論の仕方は信頼性が高く、他の論者のそれは信頼性がないということを証明するのはたいへんむずかしい。
それはほとんどの場合同語反復になるしかない。
私はこういう種類の排他性を好まない。
社会の変化は「同時多発的」であり、ぜんぜん関連のない領域に「ぼこ、ぼこ」と発現する。
一つの地殻変動が複数の徴候を示すことがある。
だから、「私だけが現実の変化を見ていて、お前たちが見ているのは仮象である」という言い方はできるだけ自制した方がいいと思う。
若者論がこれだけ繁昌するのは、この現象をきちんと記述できるような学術的枠組みが私たちの手持ちの社会理論にはないからである。
そういういときは、みんなで集まって、「ああでもないこうでもない」とわいわい騒ぐ・・・というのがこういう場合の対応としてはいちばん健全なものだと思う。
誰か一人が「オレが全部説明してやるから、お前らは黙っていろ」というような言葉づかいで仕切ろうとすると私はちょっとげんなりしてしまう。
若者論の大枠は「学びからの逃走・労働からの逃走」というトレンドが心理的な問題(若者の内面の問題)なのか、経済的な問題(雇用の仕組みの問題)なのかという対立に収斂している。
「ニート非難派」はこれは「心の問題」だだから「しゃっきりしろ」と一喝すれば問題は解決すると言い、「ニート擁護派」はこれは「雇用の問題だ」だから行政が手厚い制度改革をすることが何より重要と言う。
あのさ。
そんなの「両方の問題」に決まってるんじゃない?
「しゃっきりしろ」と一喝したって、事態は変わらない。
「勤労の義務」は憲法27条に明記されているのであるから、ニートは存在自体が違憲なのである。
存在すること自体が違憲であるところのもの(ほかにもありますね)をどうやって「おやじの一喝」くらいで補正できましょう。
そのような心理や生活習慣が生成し定着するには長く深い前史が存在するはずである。
一方、「雇用の問題」だという方々はクールでリアルな施策の必要性を説く。
でも、雇用の問題を行政レベルでリアルに考えるということは、雇用機会の拡大にしても、職業訓練機会の拡大にしても、年金制度や奨学金制度の充実にしても、要するに「金が要る」ということである。
だから、金が要るんだよ。
みなさん、最後にはそうおっしゃる。
だが、それが「金があれば社会問題のほとんどは解決できる」という思想に同意署名しているということにはもう少し自覚的であったほうがいいのではないか。
いま観察されている「学びからの逃走・労働からの逃走」という趨勢は、そういった経済合理性の原理に対する子どもたちの側の違和感や拒否反応を間違いなく原因のうちに含んでいる。
「マルクス主義がどうもぴんと来ないんです」と言ったら、「それはウチダ君に階級的自覚が足りないからだ。まずマルクスを読み給え」という革命的同志が昔いた。
「フェミニズムがどうもしっくり来ないんです」と言ったら、「それはあなたが父権制から受益しているセクシスト強者だからよ。いいから上野千鶴子を読みなさい」というフェミニスト同志が昔いた。
何か変、と私は思った。
だから、私にはニートの気持ちがちょっとだけわかるような気がするのである。
「どうも勉強する気にも働く気にもならないんです。つうか、金ってそんなに大事ですか」と言ったら、「何を言ってるんだ。さ、お金上げるから、勉強して、仕事をしなさい」と言われても。
ニートの問題はさまざまな社会的要因が深く複雑に絡み合っており、それにもかかわらず、明確にある趨向性を持っている。
それが何に起因しているのかを遡及的に解明することも大切である。
だが、いったいこの趨勢は「どこへ」向かおうとしているのか、もしこれがある種の社会的な地殻変動の予兆のかたちであるとしたら、そちらの方がむしろ優先的な論件であるように私には思われるのである。(続く)

投稿者 uchida : 12:46 | コメント (2) | トラックバック

2006年05月02日

村上文学の世界性について

AERAの取材。
お題は村上春樹。
今年6回目になるフランツ・カフカ賞の受賞者はその年のノーベル文学賞に選ばれる確率がたいへん高いので、プラハの新聞は「ムラカミ氏はストックホルム行きの航空券を手配しておいた方がいいだろう」とコメントしている。
先日は村上春樹をめぐる国際シンポジウムが開かれ、世界各国の村上研究者が村上文学の本質について熱い議論を展開した。
しかし、ご存じのとおり、今や日本を代表する世界的文学者である村上春樹について、わが国の批評家のほとんど全員(およびかなりの数の作家)たちが「毛嫌い」ないし「無関心」を示している。
世界的な評価とドメスティックな無関心の対比はまことに興味深い。
これを「売れているから嫉妬している」というふうに下世話に解釈することは(かりにそれがかなりの程度まで事実であったとしても)文学的には生産的ではないだろう。
やはり、村上春樹を嫌う人々にはそれなりにやむにやまれぬ文学的事情というものがあるに違いないと考える方がよろしいと私は思う。
その「やむにやまれぬ」ドメスティックな事情とは何か。
村上春樹が世界的なポピュラリティを獲得したのは、その作品に「世界性」があるからである。
当たり前だね。
では、その「世界性とは何か」ということになると、これについて私はまだ納得のゆく説明を聞いたことがない。
そこで私の説を語る。
村上文学には「父」が登場しない。
だから村上文学は世界的になった。
以上、説明終わり。
これでは何のことか分かりませんね。
そこで補助線を一本引く。
こんな命題である。
「存在するものは存在することによってすでに特殊であり、存在しないものだけが普遍的たりうる」
これでだいぶ見通しがよくなった。
分析的な意味での「父」は世界中のあらゆる社会集団に存在する。
「父」とは「聖なる天蓋」のことである。
その社会の秩序の保証人であり、その社会の成員たち個々の自由を制限する「自己実現の妨害者」であり、世界の構造と人々の宿命を熟知しており、世界を享受している存在。
それが「父」である。
「父」はさまざまな様態を取る。
「神」と呼ばれることもあるし、「預言者」と呼ばれることもあるし、「王」と呼ばれることもあるし、「資本主義経済体制」とか「父権制」とか「革命的前衛党」と呼ばれることもある。
世界中の社会集団はそれぞれ固有の「父」を有している。
「父」はそれらの集団内部にいる人間にとって「大気圧」のようなもの、「その家に固有の臭気」のようなものである。
それは成員には主題的には感知されないけれども、「違う家」の人間にははっきり有徴的な臭気として感知される。
「父」は世界のどこにもおり、どこでも同じ機能を果たしているが、それぞれの場所ごとに「違う形」を取り、「違う臭気」を発している。
ドメスティックな文学の本道は「父」との確執を描くことである。
キリスト教文学では「神」との、イスラム文学では「預言者」との、第三世界文学では「宗主国の文明」との、マルクス主義文学では「支配階級」との、フェミニズム文学では「父権的セクシズム」との、自然主義文学では「家父長制度」とのそれぞれ確執が優先的な文学的主題となる。
いずれも「父との確執」という普遍的な主題を扱うが、そこで「父」に擬されているものはローカルな民族誌的表象にすぎない。
作家のひとりひとりは自分が確執している当の「父」こそが万人にとっての「父」であると思っているが、残念ながら、それは事実ではない。
彼の「父」は彼のローカルな世界だけでの「父」であり、別のローカルな世界では「父」としては記号的に認知されていない。
だから、彼が「ローカルな父」との葛藤をどれほど技巧を凝らして記述しても、それだけでは文学的世界性は獲得できないのである。
私たちは「自分が知っているもの」の客観性を過大評価する。
「私が知っていることは他者も知っているはずだ」というのは私たちが陥りやすい推論上のピットフォールである。
しばしば話は逆なのだ。
「私たちが知らないことは他者も知らない」ということの方が多いのである。
私たちが興味をもって見つめるものは社会集団が変わるごとに変わるが、私たちが「それから必死で目をそらそうとしていること」は人間の本質にかかわることが多い。
「生きることは身体に悪い」とか、「欲しいものは与えることによってしか手に入らない」とか「私と世界が対立するときは、世界の方に理がある」とか「私たちが自己実現できないのは、『何か強大で邪悪なもの』が妨害しているからではなく、単に私たちが無力で無能だからである」とかいうことを私たちは知りたくないので、必死で目をそらそうとする。
でも、そのことを知りたくないので必死で目をそらすということは、自分が何を知りたくないのかを知っているからできることである。
知っているけれど、知っていることを知りたくないのである。
だから、人間が「何か」をうまく表象できない場合、その不能のあり方にはしばしば普遍性がある。
人間たちは実に多くの場合、「知っていること」「できること」においてではなく「知らない」こと、「できないこと」において深く結ばれているのである。
人間は「父抜き」では世界について包括的な記述を行うことができない。
けれども、人間は決して現実の世界で「父」には出会えない。
「父」は私たちの無能の様態を決定している原理のことなのだから、そんなものに出会えるはずがないのだ。
私たちが現実に出会えるのは「無能な神」「傷ついた預言者」「首を斬られた王」「機能しない『神の見えざる手』」「弱い父」「反動的な革命党派」といった「父のパロディ」だけである。
「父抜き」では「私」がいま世界の中のどのような場所にいて、何の機能を果たし、どこに向かっているかを鳥瞰的、一望俯瞰的な視座から「マップ」することが出来ない。
地図がなければ、私たちは進むことも退くことも座り込むことも何も決定できない(はずである)。
でも、地図がなくても何とかなるんじゃないか・・・という考え方をする人がまれにいる。
村上春樹は(フランツ・カフカと同じく)、この地図もなく、自分の位置をしるてがかりの何もない場所に放置された「私」が、それでも当面の目的地を決定して歩き始め、ランダムに拾い上げた道具をブリコラージュ的に使い、偶然出会った人々から自分のポジションと役割について最大限の情報と最大限の支援を引き出すプロセスを描く。
その歩みは足跡を残したごく狭いエリアについての「手描き地図」のようなものを作り上げるだけで終わる。
ささやかだけれど、たいせつな仕事だと私は思う。
私と同じように思っている人がきっと世界中にたくさんいるのだろう。
「父のいない世界において、地図もガイドラインも革命綱領も『政治的に正しいふるまい方』のマニュアルも何もない状態に放置された状態から、私たちはそれでも『何かよきもの』を達成できるか?」
これが村上文学に伏流する「問い」である。
「善悪」の汎通的基準がない世界で「善」をなすこと。
「正否」の絶対的基準がない世界で「正義」を行うこと。
それが絶望的に困難な仕事であるかは誰にもわかる。
けれども、この絶望的に困難な仕事に今自分は直面している・・・という感覚はおそらく世界の多くの人々に共有されている。

投稿者 uchida : 16:04 | コメント (9) | トラックバック