BlogNagayaLinkaGuestsColumnsBooklistMovieSeminarBudoPhoto|Archives|Profile|

<< 2006年01月 | メイン | 2006年03月 >>

2006年02月28日

『冬ソナ』四回目

風邪気味だったので葛根湯を飲んで早寝(7時半寝)したのだが、9時半ごろに目が覚めてしまい、しかたなく起き出して『冬ソナ』を見る。
韓国旅行から帰ってから、韓国語のあの鼻濁音の多い音質にどうにもアディクトしてしまったらしく、「ペヨンジュンの声が聴きたい」病に罹患したのである。
ペヨンジュン君はまことによい声である。
韓国語が音韻的に美しい言語であるということを世界に知らしめた功績について韓国政府は彼に勲章をあげてもよいくらいだ。
俳優の魅力は尽きるところ動きの美しさと声の美しさである。
私が知る限りの声のよい俳優というとクラーク・ゲーブルとハンフリー・ボガードとハリソン・フォード。ジョン・ウェインやジャン・ギャバンも声がいい。あと、クリント・イーストウッドもね。モーガン・フリーマンもいいよね。
スコット・グレンもいい声だなあ。
動きがよいのはやっぱりクラーク・ゲーブル(この人は服を脱ぐしぐさがかっこいいんだ)。
それからケイリー・グラント(歩き方がきれい)。
空中姿勢がすばらしいのはスティーヴ・マックイーン(『荒野の七人』でカウンターを飛び越えるシーンと、『大脱走』でアイブスを助けるために看守に向かってジャンプするシーンは何度見ても寒気がするほど美しい)。
それから私の大好きなジェームス・コバーン(『荒野の七人』で見せる「起こりのない動き」は武道的な見地からしても一流。『電撃フリント』というB級映画でもジェームス・コバーンの爬虫類的ななめらかな動きはすばらしい)。
スティーヴ・マックイーンとジェームス・コバーンはハリウッドに来たばかりの動きの美しい無名の武道家に相次いで弟子入りする。
その「無名の武道家」とはやがて世界でいちばん動きの美しい俳優であることをスクリーンで証明したブルース・リー。
わかる人にはわかるんだね。
意外なところではメル・ギブソン(前も書いたけれど、この人も「起こりのない」動きをする。「起こりがない」というのは予備動作がない動きのことで、コマが一つ抜けたような感じがする)。
当たり前だけど、フレッド・アステア(階段を降りる動作なんか、まるで流れるようだ)
馬に乗る降りる動作が滑らかなのはケヴィン・コスナーと、「ハリウッドで一番馬に乗る姿がセクシー」といわれたベン・ジョンソン。
翻ってわが邦で声のよい俳優というと・・・
まず市川雷蔵。
渥美清もよい声だ。
高倉健。
成田三樹夫!
伊藤雄之助!(『生きる』の伊藤雄之助は「インバネスの着方日本一」でもある)
北竜二も入れておきたいなあ。
故人ばかりになってしまう。
美しい声で日本語を語る俳優ってもういなくなってしまったのかもしれない。
動きの美しい俳優というと、高倉健(おおやはり二部門入賞。「着流しの着付け」は断然日本一)
『太陽の季節』の石原裕次郎(そのあとは太っちゃったから・・・)
根津甚八(『影武者』のときのワンシーンだけでも印象に残る)。
勝新太郎(『座頭市』はすごいよね)
三船敏郎(この人の剣の扱い方は天才的だ)。
あら、動きの美しい俳優もやはり現代にはいないのか。
そういうふうに局所的に映画を見る人ってあまりいないので、話が合う人がいないんだけど。
『冬ソナ』もペヨンジュンの声ばかりぼおっと聴いている。
話の筋なんかどうでもよくなるくらい声がいい。
で、「ユジン、帰り道を忘れないでね」でやっぱり号泣。

投稿者 uchida : 21:39 | コメント (3) | トラックバック

寒気のする月曜日

あまりに用事が多いので、いったい何から手をつけてよいのかわからない。
昼から大学でコンサル会社のヒアリング。
西宮の10大学コンソーシアム(そういうものがあるんです)の将来像について。
どうしていいかわからないときには「とりあえずコンサル会社に投げる」というのが最近の常識らしい。
利害のかかわらない第三者から外部評価を受けるというのはよいことではあるけれど、当事者意識の希薄なコンサルタントから「正しいけれど実現しようもないこと」をご提案されてもどうにもならない。
どこの大学でも忙しい人間の仕事量は十年前の倍くらいに増えている。
「忙しい人間」というのは、別に本人が望んでそうなっているわけではなく、「誰かがやらなければならない仕事なら、私がやりましょうか・・・」という考え方をする人がそうなってしまうのである。
平時はこういう人が全体の10%くらいいれば組織はそこそこ機能する。
けれども、いまのような非常時に、新しいプロジェクトやエクストラの仕事をつねに「いちばん忙しい人間」に選択的にやらせていると、どこかでフィジカルな破綻が生じることになる。
大学外の仕事に割くだけの人的リソースは本学にはない。
「『地域のために一つ汗かいてくれ』というようなオッファーをにこやかに受け付ける体力はもうどの大学にも残されていません。もしコンソーシアムに意味があるとすれば、それはそれぞれの大学がかかえている負担を『軽減する』方向で機能する場合だけでしょう」とお答えする。
そのあと会議。
月曜日には胃の痛む会議があり、私は毎週これに出るのが苦痛である。
今回もずっと黙って目をつぶって時間が過ぎるのを耐えていたが、最後に限界に達する。
組織においては「正論を述べること」や「手続きが正しいこと」よりも「合意に達する」ことの方が重要である。
「論理の整合性」や「手続きの正しさ」が重く見られるは、そのようなものに支えられて論を立てる方がそうでない場合よりも合意に達しやすいからである。
正論を述べ、手続きの正しさに固執することが合意形成を阻む場合は、合意形成の方を優先させる。
それが組織原理の基本である。
主張が食い違うときに一方が100%正しく、他方が100%間違っているということはありえない。
異論が出されるという事実自体がすでに「100%正しい選択」がなされなかったことの証左である。
だとすれば、そのあとの仕事は「51%の正しさ」と「49%の正しさ」では2%だけ前者の方が正しい(それはもう「正しさ」とはいえない)という計量的な吟味にリソースを注ぐことになる。
「計量的ネゴシエーション」の判定基準は費用対効果である。
だから、「ネゴシエーション」のためのコストが、それによって得られる効果を超える場合は、ネゴシエーションそのものを中途で放棄して、誰かに裁定を一任するというオプションもしばしば採択される。
何度も使う比喩で申し訳ないが、「100万円の使い道について議論して、合意形成になかなか至らないうちに弁当代で100万円使ってしまった」というのがもっともばかばかしいリソースの蕩尽の仕方なのである。

日刊ゲンダイの記者と面談。
新聞への電話コメントはいただけるかというお尋ねなので、「いやです」とことわる。
定期的に時評を書いてもらえますかというお申し出にも「もう連載はしません」とお答えする。
どうにも横着な対応であるが、物理的にもうこれ以上仕事を増やせないのだから仕方がない。
それはさておきメディアの現状とあれこれの裏話に話頭が転じ、「あれって、実はどうなんですか」「あれはですね・・・」「ええ!やっぱり」というような話(もちろんこんなところでは公開できない)をいろいろお聞きする。
やはり現役のジャーナリストはとんでもないことを見聞きしているものである。
小泉純一郎という人は「文体だけがあってコンテンツがない」ということで意見の一致を見る。実際もそういう人らしい。
離しているうちに寒気がしてきた。
どうやら風邪の引き始めらしい。
杖道の稽古と能楽の稽古をお休みして家に帰って葛根湯を飲んで寝る。

『映画秘宝』の「エクソシスト」特集(なんで今頃?)の中に言及があって、おもしろそうだったのでアマゾンで取り寄せた『神々の沈黙』(ジュリアン・ジェインズ)を読み始める。
こ、これは面白い。
面白いというか、私がこの一年ほど考えていたテーマとまるっと重なっている。
世界は広く、ちゃんと「こういうこと」だけを集中的に研究していた人はいるのである。
読み出してほとんど全部の頁に赤線を引いているのであるが、ポランニーが「暗黙知」と術語化した「知っているけれど、『知ってること』を知らない」知というものが存在する。
ジェインズによれば、私たちが学習していることのほとんどは無意識のうちに行われる。
ある心理学の教室で教師が「無意識と学習」について教えた。
学生たちはその学習の成果をさっそく教師自身に応用することを思いついた。
教師が教室に入ってきて講義を始めたときに、教師が教壇の右半分に来たときにだけ全員が目をきらきらさせて深くうなずき、冗談にどっと笑ってみせたのである。
もちろん教師はそれと気づかないうちに、教壇の右半分に好んで足を向けるようになった。
教師は学生に「訓練」されたのである。
インターラクティヴな授業というのは、別に教師と学生が同じ持ち時間だけ発言するということではない。
無言であっても、うなずきや目の輝きや笑いによって、自在に発話者を「操る」ことができる。
経験を積んだ教師は、無言のわずかなリアクションだけで学生を高揚させたり、意気消沈させたりすることができる。
そして、このとき「訓練」された側の人間は自分が「訓練された」ということを知らないのである。
学びの本質は「自学自習」であるというのはこのことである。
人は自分が学んでいることを知らないときにいちばん多くを学んでいる。
そして、私たちがそのような自学自習のプロセスに踏み込むきっかけとなるのは、私たちがそれを「シグナル」だと感知しさえしなかったものの効果なのである(ジェインズはこのシグナルを「教示」intsruction と「構築」construction の両義を込めて「ストラクション」と名づけている)。
『神々の沈黙』はたいへん私向きの本のようなので、読んでいる途中で面白そうな箇所があったら、そのつどご報告したい。

投稿者 uchida : 15:21 | コメント (0) | トラックバック

2006年02月25日

たいへん忙しい金曜日

忙しい一日。
朝9時から院試の試験監督。
10時から12時まで「現代GPのためのWG」の会議。
そのあと真栄平先生と岡田山の風水と西宮神社と傀儡師と文楽と紀州鯨漁の関係、後醍醐天皇と遊行の民の関係と墨家・フリーメーソン的自律組織の構造的差異についてたいへん興味深いお話をする。
真栄平房昭先生は篤学の近世史家であるが、とにかくどんな話題でも近世史の「そういえばこんな話が・・・」に結びつける卓越したリンク系知性の人である。
私もthat reminds me of a story の人であるから、ふたりで「そういえばこんな話が・・・」と競って繰り出していると話が終わらない。
前に総文叢書で「対談本」をという企画が出たことがあって、そのときに私が真栄平先生に日本の歴史を伺うというスタイルの対談をしてみたいと申し出たのであるが、真栄平先生の国内留学とかちあってしまって実現しなかった。
いずれ機会があったら、これはぜひやってみたい仕事である。
英語の試験が終わって解答用紙が来たのでさくさくと採点をして、博士前期課程と後期課程の面接試験。
学部の学生の卒論の評価と大学院での研究に対する評価では採る基準が違うので、どなたにもいささか手厳しいことを申し上げる。
私が訊きたいことは「学術性とは何か?」ということである(実際はそんな堅苦しい問いかけはしないけれど)。
それは自分の主観的なバイアスを排除するためにどのような「補正装置」を持っているかという問いに置き換えられる。
もっと端的に言えば「自分のバカさ」を検知するためにあなたはどういう方法を持っているか、ということである。
ほとんどの学生は「自分のバカさ」というのを知識の量や学術的スキルの不備のことだと思っている。
あのね、それは違うよ。
それだったら、数量的に計測できる。
「***読んだ?」「読んでません」「・・・って知ってる?」「知りません」
というような問いはいくら重ねても「バカさ」の検出には至りつかない。
無知というのは「データの欠如」のことではなく、「予断の過剰」のことだからである。
何かを知らないというのは怠慢の結果ではなく、努力の成果である。
そのことを「知るまい」とする努力なしに人間は無知でいられることはできない。
それを知ることが「予断のスキーム」を破綻させる可能性があるとき、私たちはそれを「知らずにすませる」ために努力を惜しまない。
人間というのはふつうに思われているより遙かに勤勉な生物なのである。
だから「バカさの検出」というのは、「自分がそれを学ぶことをいちばん怠っていることとは何か?」つまり「自分がそれから目を逸らすためにいちばん努力していることは何か?」という問いのことなのである。
だからおのれのバカさの検出は、「どうして私は〈これ〉を知ることを欲望しないのか?」というひとつ次数の高い問いのかたちをとる。
この問いの仕方を知った人間はそのあとおのれの「予断」を解体するエンドレスの自己変容プロセスに身を投じることになる。
その問い方を知らない人間はどれほど博引傍証強記博覧を誇っても死ぬまで「バカのまま」である。
「バカの壁」は「私はどのような仕方でバカなのか?」という問いを立てることのできる人間とできない人間の間に巍然として屹立しているのである。
院試のあとは聴講志願者の面接。
20人近い志願者にひとりひとり面接をする。
遠く東京から来た人が3人いる。
「通うんですか?」と訊いたら、「引っ越します」という人がいた。
剛胆というより無謀な生き方であるが、私はそういう無謀さを深く愛するのである。
「弟子にしてください」とがばっと礼をする人もいるし、「なんかあ、ちょっとお、おもしろそうかなとおもって、来てみたんだけどお」というような人もいる。
さまざまである。
全員合格。
これまでの居残り組が渡邊仁さん、川上“歌う牧師”さん、シャドー影浦、かんきちくん、エコマさん。
なんと居残り組5人のうち4人が「多田塾甲南合気会」と「甲南麻雀連盟」の会員なのであった。
おそらく昨日お会いした2006年度の聴講生のうちの何人かはこのどちらかの会員にいずれ登録されて、一年後には畳の上を転げ回ったり、「センセイ、すみません。それロンです。チーロンパ」というようなことを言っているのであろう。
そういえば、甲南麻雀連盟の創立会員5人のうち江さん、ドクター、越後屋さんの3人までが初代の聴講生ではないですか。
私は大学院で学問を教えていたのではなく、趣味趣味生活の仲間を集めていたのであった。
面接が終わってソッコーで家に戻り、ドクター、江さん、釈老師、越後屋さんと「引越祝い麻雀大会」へ。
芦屋麻雀ガールがコロッケとおにぎりを作ってスタンバイ。
シャンペンで乾杯するやただちに開戦。
画伯が来ると7人になるから2卓にしましょうというので「金曜の夜にひとりでぼおっとしているかもしれない近場の会員」に電話をしてみる。
さいわい「栄光の左ウィング」が芦屋で散髪をしているところをゲット。
わいわい騒いで午前二時まで。
引越祝い麻雀大会は老師が3戦3勝と圧勝して、勝率を5割に乗せる。
麻雀ガールがよろこびの初勝利(その報を携帯メールで聞いた同じく未勝利だった神戸麻雀ガールが「ぎゃー」というメールで応じる)。
江帝国の凋落は重く、五割を誇ったウチダも今回はアウェーで調子に乗ってワインをがぶ飲みして酔っぱらいクダマキ麻雀でボロ負け。
第一四半期の決勝まであと残すところ例会は1回のみ。
果たしてウチダは勝率一位、勝ち数一位、勝ち点一位の三冠王を達成するか?
それとも老師に勝率で抜かれてしまうのか?
弱雀小僧、越後屋さん、神戸麻雀ガールはついに未勝利で終わるのか?
最後まで目を離せない甲南麻雀連盟の春である。


投稿者 uchida : 21:41 | コメント (0) | トラックバック

2006年02月23日

不快という貨幣

讀賣新聞の西部本社から取材が来る。
「労働について」という硬いテーマである。
そういえばこのテーマで講談社から書き下ろしを出すことになっていたのであった。
よい機会であるので、問われるままに「なぜ若者たちは学びから、労働から逃走するのか」という問題について考える。
苅谷剛彦さんが『階層化日本と教育危機』で指摘していたことのうちでいちばん重要なのは、「学業を放棄することに達成感を抱き、学力の低下に自己有能感を覚える」傾向が90年代にはいって顕著になったことである。
苅谷さんの文章をもう一度引いておこう。
「比較的低い出身階層の日本の生徒たちは、学校での成功を否定し、将来よりも現在に向かうことで、自己の有能感を高め、自己を肯定する術を身につけている。低い階層の生徒たちは学校の業績主義的な価値から離脱することで、『自分自身にいい感じをもつ』ようになっているのである。」(有信堂、2001年、207頁)
苅谷さんはこれが90年代の傾向であること。中教審のいわゆる「自分探しの旅」イデオロギーと深く連動していることを指摘している。
グローバリゼーションと市場原理の瀰漫、あらゆる人間的行動を経済合理性で説明する風潮を考慮すると、「学ばないこと」が有能感をもたらすという事実は、「学ばないことは『よいこと』である」という確信が、無意識的であるにせよ、子どもたちのうちにひろく根づいていることを意味している。
「学ばない」というあり方を既存の知的価値観に対する異議申し立てと見れば、それを「対抗文化」的なふるまいとして解釈することはできない相談ではない。
彼らはそうやって学校教育からドロップアウトした後、今度は「働かない」ことにある種の達成感や有能感を感じる青年になる。
だが、どのようなロジックによってそんなことが可能になるのか。
骨の髄まで功利的発想がしみこんだ日本社会において、「働かない」という選択をして、そこからある種の達成感を得るということは可能なのか?
どう考えても不可能のように思われる。
だが、現にそういう若者たちが増え続けている。
としたら、こちらの発想を切り替えるしかない。
彼らが考えている「労働」はおそらく私たちの考えている「労働」とは別のものなのだ。
以下は「労働」の定義変更にかかわる私の仮説である。
私の仮説は「働かないことを労働にカウントする」習慣が気づかないうちに社会的な合意を獲得したというものである。
働かないことが労働?
どうして、そんなことが可能なのか。
このヒントをくれたのは諏訪哲二さんの『オレ様化する子どもたち』である。
この中で諏訪さんもまたたいへんに重要な指摘をしていた。
この本は去年出た本の中でもっとも重要な教育論の一つなのだが、メディアではほとんど話題にならなかった。先進的過ぎたのかも知れない。
諏訪さんが報告している中で印象深いのは「トイレで煙草を吸っているところをみつかった高校生が教師の目の前で煙草をもみ消しながら『吸ってねえよ』と主張する」事例と、「授業中に私語をしている生徒を注意すると『しゃべってねえよ』と主張する」事例であった。
これはどう解釈すべきなのだろう。
諏訪さんはこういう仮説を立てている。
彼らは彼らが受ける叱責や処罰が、自分たちがしたことと「釣り合わない」と考えている。
「彼および彼女は自分の行為の、自分が認定しているマイナス性と、教師側が下すことになっている処分とをまっとうな『等価交換』にしたいと『思っている』。(・・・)しかしここで『商取引』を開始する立場にはないし、対等な『等価交換』が成立するはずがない。そこで自己の考える公正さを確保するために、事実そのものを『なくす』か、できるだけ『小さくする』道を選んだ。これ以降、どこの学校でも、生徒の起こす『問題』の展開はこれと同じものになる(今もそうである)。」(諏訪哲二、『オレ様化する子どもたち』、中公新書ラクレ、2005年、83−4頁)
キーワードは「等価交換」である。
商品と対価が釣り合うこと。それが市場経済の原理なのである。
だが、この等価交換のやり方を彼らはどこで学んだのか?
もちろん家庭においてである。
だが、家庭内というのは通常の意味の市場ではない。
少なくとも家庭におけるサービスの交換は貨幣では精算されない(はずである)。
だから、子どもたちは家庭内で貨幣を使うことを通じて市場経済の原理を学習したわけではない。
貨幣を知るより前に、彼らは家庭内で「労働価値」をはかる貨幣として何が流通しているのかを学んだ。
現代の子どもがその人生の最初に学ぶ「労働価値」とは何か?
それは「他人のもたらす不快に耐えること」である。
こう書くと驚く人が多いだろうが、考えてみると、まさにこれ以外にないのである。
現代日本の家庭内で貨幣の代わりに流通させているもの、そして子どもたちが生涯の最初に貨幣として認知するのは「他人が存在することの不快に耐えること」なのである。
現代日本の典型的な核家族では、父親が労働で家計を支えているが、彼が家計の主要な負担者であることは、彼が夜ごと家に戻ってきたときに全身で表現する「疲労感」によって記号的に表象される。
ものをいうのもつらげに不機嫌に押し黙り、家族のことばに耳を傾ける気もなく、自分ひとりの快不快だけを気づかっている人間のあり方、それが彼が「労働し、家族を扶養している」事実の歴然とした記号なのである。
これに対して主婦は何を労働としているのか。
かつての主婦(私の母親の年代の主婦)にとって家事労働は文字通りの肉体労働であった。
家族の洗濯物を洗濯板と石鹸で手洗いし、箒とはたきと雑巾で家の中を掃除し、毎食ごとに買い出しに出かけ、風呂の水を汲み、薪で風呂を沸かし、練炭を入れた七輪で調理し、何人もの子どもを育てるというような家事はしばしば彼女の夫が会社でしている仕事以上の重労働であった。
子どもは母の家事労働の価値を、さっぱりした衣服や清潔な室内や暖かいご飯の享受というかたちでわが身をもって直接経験することができた。
けれども、家庭の電化が進んだ今、主婦の家事労働は驚くほどに軽減された。
育児を除くと、「肉体労働」に類するものは家庭内にはもうほとんど存在しない。
育児から手が離れた主婦が家庭内において記号的に示しうる最大の貢献は「他の家族の存在に耐えている」という事実である。
現代日本の妻たちがが夫に対して示しうる最大のつとめは「夫の存在それ自体に現に耐えている」ことである。
彼の口臭や体臭に耐え、その食事や衣服の世話をし、その不満や屈託を受け容れ、要請があればセックスの相手をする。
これは彼女にとってすべて「苦役」にカウントされる。
この苦役の代償として、妻たちは夫婦の財産形成の50%について権利を主張できる。
現代日本の家庭では「苦痛」が換金性の商品として流通しているのである。
子どもたちも事情は同じである。
彼らは何も生産できない。
生産したくても能力がない。
親たちの一方的な保護と扶養の対象であるしかない。
その「債務感」のせいで、私たちは子どものころに何とかして母親の家事労働を軽減しようとした。
洗濯のときにポンプで水を汲み、庭を掃除し、道路に打ち水をし、父の靴を磨き、食事の片づけを手伝った。
それは一方的に扶養されていることの「負い目」がそうさせたのである。
だが、いまの子どもたちには生産主体として家庭に貢献できるような仕事がそもそもない。
彼らに要求されるのは、「そんな暇があったら勉強しろ」とか「塾に行け」とか「ピアノの練習をしろ」という類のことだけである。
これらはすべて子どもに「苦痛」を要求している。
そこで彼らは学習する。
なるほど、そうなのか。
父親は疲れ切って夜遅く帰ってきて、会社から与えられた苦役に耐えている様子を全身で表現しているが、それこそが彼が真の労働者であり、家産を形成していることのゆるがぬ証拠である。
母はそのような不機嫌な人物を配偶者として受け容れている苦役に耐え、私のような手間のかかる子どもの養育者である苦役に耐えていることを家事労働のメインの仕事としている。
両親は私にさまざまな苦役に耐えることを要求するが、それはそれが私にできる唯一の労働だからなのである。
苦役に耐えること、他人がおしつける不快に耐えること、それが労働の始原的形態なのだ。
という結論に子どもたちは導かれる。
そして、子どもたちは「忍耐」という貨幣単位をすべての価値の基本的な度量衡に採用することになる。
「忍耐」貨幣を蓄財するにはどうすればよいのか。
いちばんオーソドックスなのは「不快なことを進んでやって、それに耐える」ことであるが、もうひとつ捷径がある。
それは「生活の全場面で経験することについて、『私はこれを不快に思う』と自己申告すること」である。
そうすれば、朝起きてから夜寝るまでのすべての人間的活動は「不快」であるがゆえに、「財貨」としてカウントされる。
つまり、「むかつく」という言葉を連呼するたびに「ちゃりん」と百円玉が貯まるシステムである。
朝は「いつまで寝てるの!」という母親の叱責でまず100円。
「げっ、たるいぜ」とのろのろ起きあがり、朝食の席で「めしいらねーよ」と告げて「朝ご飯くらい食べなさいよ!」と怒鳴られて50円。
「なんだその態度は、おはようくらい言え!」と父親に怒鳴られて200円。
「うぜーんだよ」と口答えしたら、父親が横面をはり倒したので、おおこれはきびしい1000円です。
けっと家を飛び出して、家の玄関のドアを蹴り飛ばしたら足の爪を剥がしたので、これは痛いよ500円。
そんなふうにして一日不機嫌に過ごすと、この子の「不愉快貯金」は軽く一日10000円くらいになる。
「ああ、今日もたっぷり苦役に耐えたな」と両親そっくりの不機嫌顔で彼は充実した労働の一日を終えるのである。
たぶんそうだと思う。
現代日本の「逃走する子どもたち」は実は彼らなりに一生懸命に働いているのである。
だから、彼らにむかって「どうして労働しないのか?」と問うても無駄なことである。
労働することは神を信じることや言語を用いることや親族を形成することと同じで、自己決定できるようなことがらではない。
労働するのが人間なのだ。
だから、労働しない人間は存在しない。
はたから労働しない人間のように見えたとしても、主観的には労働しているはずなのである。
私の仮説は、「労働から逃走する」若者たちは、大量の「不快の債権者」としてその債務の履行を待ち焦がれているというものである。
彼ら彼女らは幼児期から貯めに貯め込んだ膨大な額の「苦役貯金」を持っている。
それは彼らの幼児期の刷り込みによれば、紛れもなく「労働したことの記号」なのである。
ときどき預金残高が知りたくなる。
そういうときは、とりあえず「彼らの存在がもたらす不快に耐える人々」の数を数えてみる。
彼らの存在がもたらす不快に耐えている人間の数が多ければ多いほど、彼らは深い達成感と自己有能感を感じることができるのである。
たいへんよく出来たシステムである。
問題は、彼らの債権が社会的威信や敬意や愛情といったかたちでは決して戻ってこないことである。
けれども、とりあえず彼らのまわりに彼らが存在することの不快に耐えている人間がいる限り、彼らは生きて行ける。
不快と忍耐だけが通貨であるような世界での勤勉なる労働者たち。
逆説的な存在だ。
しかし彼らの自己完結した世界において、これはたいへん合理的な存在仕方なのである。

投稿者 uchida : 12:27 | コメント (23) | トラックバック

2006年02月22日

韓国辛いものツァー二日目

9時半就寝。起きたら8時。
ずいぶんぐっすり眠ってしまった。
時差なしとはいえ、日本列島とは経度が違うので、体感的な時間差は1時間くらいある。だから、8時といってもまだ7時。カーテンを開けるとようやく夜明けのソウルの街をもう忙しく車が行き来している。
朝風呂に入ってからひとりゆるゆると街へ出る。学生諸君はもうてんでに観光や買い物にダッシュした後である。
今回のソウル・ツァーは卒業生の華ちゃんに会ってご挨拶するのと韓国の「空気を吸う」がメインの仕事だったので、一日目にして主要日程が終わったのであとは特にすることがない。
とりあえずさらにソウルの空気を吸うべく地下鉄に乗る。
地下鉄のシステムはだいたい日本と同じで、フランスのようなカフカ的不条理には巡り会わない。
最初に訪れた都市では、その都市の「根」に当たる部分にご挨拶をするというのが私のルールなので、景福宮(キョンボックン)を訪れることにする。
駅三(ヨクサム)駅の地下鉄の窓口で「キョンボックン」と告げるとちゃんと通じて切符を頂ける。1000ウォン。日本円で120円くらい。
景福宮(すごいね日本のワードは。「きょんぼっくん」と入力するとちゃんと「景福宮」と出てくる)の二つ手前の地下鉄の駅で降りて、ふらふらと歩き出す。
だいたいあっちの方角だろうと思って歩くと、なんだか浅草の仲見世のようなおみやげもの街に出る。
地図を見ると、ここは仁寺洞(「いんさどん」と打ち込むと・・・以下同様)。韓国の伝統工芸品の街であるらしい。
ひやかしながら歩いているうちに急速に腹が減ってきた。
学生諸君はスタバで朝ご飯を食べたらしいが、何もソウルまで来てスタバもないぜとあたりを見回して、目に入った韓国料理屋に入る。
メニューの写真を見て美味しそうなものを頼む。
出てきたものをガイドブックと照合すると、これは「ソルロンタン」というものである。
牛肉牛骨を煮込んだ煮えたぎった白濁したスープに牛肉と麺と葱が入っている。それにキムチとナムルとご飯。
美味である。
ぱくぱく。
すっかり暖まって満腹となる。
これで5500ウォン。700円くらい。
腹をゆすりながら景福宮に向かう。
ここは1996年まで朝鮮総督府の建物があったところで、それが撤去されてから、宮城らしい景観を回復したものである。
廷内の建物の多くが日本統治時代に失われて、かなりの部分が近年に考証にもとづいて再建されたいわば「ヴァーチャル旧跡」である。
「ヴァーチャルな旧跡」というのは形容矛盾のようであるが、ナショナル・アイデンティティというものが絶えざる「想像の共同体の再構築」というしかたで維持されるものであるとするならば、むしろ旧跡としては「正統的」なありようのものなのである。
景福宮の南で全景を遮っていた日本総督府の建物が96年に撤去されたので、宮城らしい姿をソウル市民の前に示してまだ10年しか経っていない。
入場料は3000ウォン。観光案内のトーキーを借りて、これが2000ウォン。
興礼門、勤政門をくぐると勤政殿(クンジョンジョン)がある。北京の紫禁城のややこぶりなモデルであるが、構図はまったく同一である。
勤政殿の前に文武官が整列するときの「正一品」から「従九品」までの石のめじるしがある。
従六品のところで「おお、ここがチャングムの・・・」としばし感慨に耽るが、知らない人には意味不明。
トーキーはたいへん流暢な日本語で解説がなされているが、ほとんどどのスポットについても、「ここにあった建物は日本統治時代に撤去され・・・」という説明がついているのが日本人観光客としては耳に痛い。
景福宮の各所では日本統治時代に破壊された建物の復旧作業が行われている。
日韓併合が日本の国家的存続にとって不可避の政治的選択であったのかどうかは(日韓併合がなされなかった場合の世界史を誰も知らない以上)誰にも論証はできないが、百年経ってもまだ日本支配の痕跡をすべて抹消せずにはおかないというところまで隣国の人々に屈辱感を与えるような統治形態しか選択肢がなかったという説明は説得力を持たないだろう。
なぜこの一衣帯水の隣国の民の国民的な誇りをそれほど踏みにじらなければならなかったのか。
対ロシアであれ、対米であれ、そのためのアジア諸民族の統合が喫緊であるときに、それが「日本化」でなければならないという理由はない。
たぶん、そのころの植民地官僚たちはそれは「日本化」ではなく端的に「近代化」だと思っていたのだろう。
その意味では彼らが「善意」のグローバリストだったという説明を私はしばらくは黙って聞いてもいい。
おのれの「善意」を信じていなければ、こんなひどいことはできないからである。
「善意」の人間しかできない種類の破壊がある。
そして、ほとんどの場合、自らの善意と開明性に確信を抱く人間の行う破壊がもっとも節度のないものとなる。
日本人はそのことを半島における植民地統治の失敗から学習したのであろうか。
いささか暗澹たる気持ちになって景福宮を後にする。

06022201.jpg 景福宮から西を望む

次は歩いて昌徳宮(ちゃんどっくん)に向かう。
途中で安国(あんぐん)から北に向かって、ソウル中央高校に寄ってみる。
ソウル中央高校は『冬ソナ』のユジンとチュンサンが通っていた高校のロケ地である。
高校の正門の左右はドラマの通りに急な坂である。
通学路もずいぶん狭い。こんな道に高校生が詰め込まれたらすごいことになるであろう。
ユジンとチュンサンが乗り越えた学校の塀はどこかと訊ね歩くが、まわりはぎっしり民家が建て込んでいて見つからなかった。
近くには「ユジンの家」もあるらしいが、それはスルーして昌徳宮に向かうが残念ながら本日は休館日。
さすがに9時半から4時間歩き続けなので、少し疲れて、ホテルに戻る。
ホテルに戻って冷たいビールを飲んで昼寝。
そのまま5時過ぎまで爆睡。
6時にロッテホテルで学生諸君と待ち合わせ。
2002年にうちの大学に梨花女子大から交換留学で来ていた李多恵(リ・タエ)さんとセイウチくんが寮生仲間で仲良しなので、いまはソウルでばりばりのキャリアウーマンになっている多恵さんとその婚約者の洪一権(クゥオン・イルホン)さんのご案内で、今夜は焼き肉。
多恵さんは本学に在学中に私のフランス語の授業を受講していたので私の教え子でもある。
それから在学中に彼女ともうひとり梨花からの留学生がちょっとしたトラブルに巻き込まれたことがあった。
私がそのときに役職上彼女たちのために一肌脱いで江戸前の啖呵を切ってことを解決した(というよりはさらにややこしくして)、結果的には彼女たちではなくて私が事件の当事者になることで事件をより解決不能な事態にして事なきを得たという、なんだかよくわからない出来事があって、そんなご縁のある方なのである。
彼女はそのときの私の手荒な介入を多とされて、今回の訪韓に際して一夕の宴にお招きくださったのである。
明洞(みょんどん)の有名焼き肉屋「景福宮」で炭火の七輪で焼いた骨付きカルビ、センドゥシン、プルコギ、ユッケとともにHITEビールや焼酎をぐぐぐと嚥下しつつ、お二人の幸福と日韓の友好を祈って繰り返し乾杯をさせていただく。
今日のお値段はひとり47000ウォン。6000円くらいである。

06022202.jpg 明洞で偶然、クォン・サンウと遭遇、久闊を除す

ロッテホテルのロビーで「韓国エステ」にゆく学生たちと二人の韓国の友人とお別れして地下鉄でホテルに戻る。
明日はもう最終日。
2時半にホテル出発なので、昼前に学生たちと買い物に行って、おみやげを買う。もう観光をしている時間はなさそうである。

06022203.jpg 仁川空港にてゼミの諸君と


投稿者 uchida : 17:36 | コメント (5) | トラックバック

韓国辛いものツァー初日

関空に朝7時半集合というとんでもない時間なので午前5時起き。外は当然真っ暗。ソウルの華ちゃんに「今からいくよ」とメールを打って、6時1分の芦屋発のJRに乗る(駅前に住んでいるとほんとに便利)。6時12分JR西ノ宮発のリムジンバスに乗り込むと、西宮北口から搭乗のセイウチ、どうでしょうのご両人と遭遇。
おはようの挨拶もそこそこに爆睡。
定刻にラグビー舞、ラブリー奈央、酒豪娘、福娘、バレー娘の全員集合。総員8名。
ゼミは15名だから、参加者は半分ということである。ちょっと寂しいが、みなさんバイトやら研修やらでお忙しいのである。
さくさくと搭乗手続きを済ませて、Duty Free で寝酒用のアルコールを仕入れて、コーヒーを飲んで、円をウォンに両替しているうちに出発時間となる。
酒豪娘は酒豪のわりには箱入り娘なので、飛行機に乗るのが生まれてはじめてだそうで、窓にはりついて「先生!動きました」「先生!翼がゆれてます!」とか叫び続けている。
生返事をしているうちに再び睡魔に襲われる。
目が覚めるとソウル、インチョン(仁川)空港に着いている。
2001年にオープンしたばかりのぴかぴかの空港である。
今回はJTBのパックなので、ガイドさんが迎えにきている。
早くホテルにチェックインして昼寝をしたいと思っていたのだが、こういうパッケージ・ツァーは「市内観光」と称して免税店を引き回される行程が入れ込んである。
91年の香港旅行のとき、空港に着くなり、酷暑の中、土産物屋を引きずり回されたことがあった。
学生たちが音を上げたので、「お願いだから早くホテルにチェックインさせてくれ」とガイドに頼んだのだが、峻拒された記憶が蘇ってきた。
ガイドは免税店やレストランからキックバックを受け取るシステムなので、この苦役を旅行者に課すのである。
それ以後、ゼミ旅行の前に代理店に必ず「免税店めぐりをするような現地代理店ならお断り」とこまめに注文をつけていたのだが、久しくアジア旅行に行っていなかったためにこのシステムが生き残っていることを忘れていた。
免税店を二カ所回って3時半にようやくチェックイン。空港を出てから3時間経っていた。もちろん免税店で買い物をする学生などいないのだし、無駄なことをするものである。
投宿したのは江南区(カンナムグ)のHotel Seoul Renaissance。結構なグレードのホテルである。
ホテルのグレードは「バスローブの長さと材質」を基準に近似的に評定できる。
また世界のホテルをあれこれ泊まり歩いていると、「ミニバーの冷蔵庫の設定温度」が各地で違うことがわかる。
総じて、ヨーロッパはわりと暖かめである。
ビールなんか、私の感覚では「ぬるい」。
アジアは設定温度が低めで、ビールがきんきんに冷えている。
私はもちろんこっちのほうが好きである。
ソウル・ルネサンスの冷蔵庫は私が知る限り、世界でもっとも冷たいビールが飲める設定温度になっていた(翌日はさらに冷えていて、バドワイザーが凍っていた)。
湯上がりにバスローブとビール温度を人体実験してから、ただちに昼寝。
たいへんに寝心地のよいベッドで大の字になって1時間ほど爆睡。
5時にロビーで華ちゃんご一家と待ち合わせ。
ご主人の姜大賢(カン・デヒョン)さん、ご令息の眞遠(ジンウォン)とは初対面である。
姜さんはたいへん流暢な日本語を話される。きりりとした面立ちの礼儀正しい青年である。
華ちゃんとは卒業以来7年ぶり。
ブログの「長屋」で「うほほい韓国レポート」を連載してもらっていたので、あまり無音という印象はないが、それでも7年もお会いしていなかったのである。
韓国に暮らして6年。ソウルにはこの1月に引っ越したばかりで、それまでは姜さんの故郷である光州にいた。
大学院にも行っていたし、現地では日本人の友達も何人かできたのだけれど、ソウルはまだ日が浅いので友達がいないそうである。
Mixiには「韓国人男性と結婚した日本人女性」のコミュニティがあるらしい。
そこに会員登録したので、これからだんだん知り合いが増えるだろうという話であった。
ウチダゼミの旧友たちとも、mixiの「内田樹」というコミュニティで再会を果たして、メールのやりとりをしているそうである。
そういうふうに使うものとは知らなかった。
さっそくお二人のご案内でホテル近くの「おいしいもの」を食べに行く。
食べるのは定番の焼き肉ではなくて、ポッサム。
ゆでた豚肉をキムチや白菜でくるんでコチジャンをつけて食べる(ガイドブックには「俳優クォン・サンウの好きな料理」とある)。
こ、これは美味い。
それに豚足。山盛り。
チヂミ。スンドゥブチゲ。
韓国ビールに韓国のお酒をぐぐぐと頂きながら、全員ばりばりと食べまくる。
杯を受けるときに左手を胸に当てるコリアン・スタイルで杯を交わしながら、姜さんの韓日の比較文化論を伺う。
徴兵制度の話が興味深かった。
徴兵にゆく前は誰でもいやでいやでしょうがなくてげっそりしているのだが、いざ兵舎に閉じこめられて、朝から晩までたいへんシンプルな生活をしていると、いつのまに人間がシンプルになってしまう。すっかりマッチョに人格変容をきたし、これはこれでたいへん生きやすいのだそうである。
ではそのまま職業軍人になるかというと、徴兵で取られて軍隊が気に入って、職業軍人になる若者はやっぱりほとんどいないのだそうである。
二十歳の大学二年のときに応召するケースが多く、兵役が終わって大学に戻ると同級生は3歳4歳年下の子供ばかり。
最初は「けっ、軍隊も知らないガキどもが」と思っているのだが、この同級生たちとお酒を飲みに行って、「先輩先輩」と立てられ、女子学生からは「渋くてステキ」とみつめられると、いつのまにかすっかり毒気が抜けて、たちまち三月ほどで徴兵にゆく前の「ふつうのお兄ちゃん」にもどってしまうのだそうである。
なにはともあれ、「休戦」状態にあるとはいえ、38度線をはさんで臨戦態勢の国である。平和な我が国とは事情がずいぶんと違うのである。
このポッサムは学生7名分まで全部姜さんが奢ってくださった。
全員で「ごちそうさまでしたー」と唱和する。
駅三(ヨクサム)駅でお別れ。
みなさん、元気でね。

投稿者 uchida : 17:23 | コメント (0) | トラックバック

2006年02月18日

しばらく不在

ええと業務連絡です。
明日早朝から韓国に三日ほど行っております。
ソウル辛いモノツァーです。
ご用の方はすみませんけど、22日以降にご連絡ください。
では!

投稿者 uchida : 19:45 | コメント (0) | トラックバック

岡田山の霊的プロテクション

大学が風水的によい地勢であることを書いたら、根拠も示さずいい加減なことを言うなというご指摘があった。
私個人の放言や無知についてのご指摘ならともかく、大学にかかわることなので、これだけは少し追加情報を記しておこう。
神戸女学院大学が位置する岡田山は大学のキャンパスの中心に神社がある。
ミッション・スクールの中になんで神社があるんですかと来学者は驚倒するが、これは言い方が逆で、神社があったところに大学が移転してきたのである。
この神社は「岡田神社」という。
市内廣田神社の末社である。
廣田神社は創立年代は明かでないが、清和天皇貞観元年(859)従五位上に進み、延喜式で官幣小社に列せられた。
延喜式は日本史を学んだ人ならご存じだろうが、平安時代に編纂された基本法典で、延喜五年(905)八月に編纂を開始、 二十二年後の延長五年(927)十二月に完成した。
そこに祈年祭奉幣にあずかる神社二千八百六十一社がリストアップされている。
いわゆる「延喜式内社」である。
本学の中心に鎮座する岡田神社はその式内社である。
つまり本学キャンパスは1100年ほど前にすでに「ホーリー・スポット」として認定された場所だということである。
平安時代の摂津の国のこのあたりはひろびろとした海岸に武庫の山が迫る絶景の場所であり、幾筋もの川が北から瀬戸内海に注いでいた。
私の住む芦屋には古墳がある。
古墳があるということは、「古墳時代から人が住んでいた」ということである。
日本中が「空き地」であったときに、列島住民たちが「じゃ、ここに住もうか」といってセレクトした場所である。
日当たりがいいとか水の便がいいとか土地が肥沃であるとか鳥獣が多いとかいうようなフィジカルな条件を超えて、「霊的に気持ちがいい」場所が選択されたと推察するのは間違っていないだろう。
コミュニケーションの困難な異族がおり、肉食獣がおり、暗夜には魑魅魍魎が跋扈する時代である。
彼らが「安全」と「快適」を求めたときに発揮する感覚は現代人よりもはるかに鋭敏だったはずである。
だから、「宏大な土地が無主であったときに、ほかならぬそのスポットが選択された」という事実は風水的によい土地であるかどうかを占ういちばん合理的な根拠たりうるのである。
風水的ロケーションのよさを見る第二の条件は「四神」が整っているかどうかである。
ご存じのとおり、唐の長安も平城京も平安京も都の造りは同一の原理に基づいている。
四神とは都の東西南北を守る玄武、白虎、朱雀、青龍のことである。
風水的に単純化すると、玄武(北)が「丘陵」、朱雀(南)が「湖沼や窪地」、青龍(東)が「流水」、白虎(西)が「広い道」である。
平安京の場合は、北に船岡山、南に巨椋池、東に鴨川、西に山陰道。
江戸の場合は(江戸はオギュスタン・ベルクの『都市の日本』によると、京の南北ラインが東西に90度曲がっているそうだが、それはまた別の話)北に上野山、南に東京湾、東に大川(隅田川)、西に甲州街道。
ではわが岡田山はどうか。
本学に来られた方はご存じのとおり、本学のキャンパスは六甲山東麓にある。
岡田神社に立って南方を望むと、背中に北が岡田山、南方には「ちぬの海」瀬戸内海が遠望される。
東西は(京都と同じく)、二本の腕で囲むように低い尾根があり、朱雀門に相当する位置に正門があり、鴨川と同じく北東から南西に向かって、この尾根の間を一筋の川が流れている。さらに東に武庫川、西には旧西国街道。
風水にいう「玉堂」、長安や平安京では御所のあるポイントに岡田神社がある。
そして、鬼門(北東)に門戸厄神。裏鬼門(南西)に廣田神社。
私がこれまで見たどのような大学と比べても、風水的配慮において本学にまさるところはない。
だから、私は「本学岡田山キャンパスは風水的に日本一」ではないかと申し上げたのである。
とはいえ、私も日本の大学キャンパスのすべてを踏破したわけではない。
めぼしい国公立私立大学は見てきたが、あるいは私が見落とした中に、岡田山よりも風水的にさらにすぐれた大学キャンパスがどこかに存在しているのかも知れない。
そのような大学があれば、ぜひ手を挙げて頂きたい。
「風水的に日本一の大学」の名誉を競い合ってみてはいかがであろう(香港あたりから高名な風水師を招いてきて診断してもらうのである)。
で、その結果を『大学ランキング』に載せていただく。
コバヤシさん、どうですか、このアイディア。


投稿者 uchida : 09:30 | コメント (1) | トラックバック

2006年02月17日

1970年のビッグ・ウェンズデー

東京へ。
『文藝』の特集号のために、高橋源一郎さんにロング・インタビューのお仕事。
お会いするのは『ワンコイン悦楽堂』の巻末対談のために芦屋の我が家にお越しいただいて以来であるから、半年ぶりくらい。
お会いするなり「ゲラどうなってますか!」と責め立てようと肚を決めて渋谷に行く。
そりゃそうでしょう。
「読んでなくても大丈夫・高橋源一郎の明治文学史講義 in 神戸女学院」の初校ゲラをお渡ししたのが、去年(!)の1月である。
年度内には何とか・・・という言葉を信じた私が甘かったといわれればそれまである。
春先にお会いしたときに、「そろそろいただけませんか・・・」と申し上げると、「来月には必ず」
初夏にお会いしたときに、「あの・・・来月はだいぶ前に過ぎてしまったのですが・・・」と申し上げると「来週には必ず」とにっこり微笑まれたので、私もそれ以上の深追いは自粛したのである。
それから半年余。
ついにゲラを渡して1年を越した。
「ゲラどうなってます!!」という声のイラツキ度が高まるのも当然であろう。
しかし、さすが高橋さんである。
会った瞬間に私が言葉を発するより先に、「週末まで待って!」と機先を制されてしまった。
「ほんとは今日持ってくるつもりだったの。ウチダさんが『ゲラは・・・』と言ったときに、かばんからさっと取り出して、『さ、どうぞ』と渡すつもりだったんですよ。でも、昨夜息子が熱を出して・・・・(以下長い言い訳)」
みごとなものである。
「もう二年も寝かしているゲラだってあるんですから」と言われると、そうか私よりもっと悲惨な目にあっている編集者もいるのだと救われた気になり、
「ウッチーのところの仕事いま最優先でやってますから」と言われると、ああなんていい人なんだ・・・と温かい気持ちがこみ上げてくる。
そうやってこれまで無数の編集者が高橋さんに翻弄されてきたのである。
恐るべし。高橋源一郎。
渋谷の駅ビルで何枚か写真を撮ってからインタビュー(写真を撮るというならもうすこしまともな服で来たのだが、家で仕事をしていたままの格好で来たので、リーヴァイスのぼろジーンズにユニクロの安セーター姿を撮られてしまった)
インタビューのテーマは「政治と文学」
ご令嬢、橋本麻里さんも加わって(麻里さんと高橋さんは『文藝』で「親子対談」をされているのである)5時過ぎから11時まで、途中で河岸を変えて延々と話し続けた。
インタビュアーがあまりしゃべってはいけないので、最初は質問だけして「ほうほう」とうなずいていたのだが、高橋さんの話が面白すぎて、「1970年のビッグ・ウェンズデー」というあたりからつい興奮して、結局いつもと同じようなマシンガ乱れ撃ちトークになってしまった。
1967年から68年にかけての「時代の空気」はそのときに何歳であったかによって違う。
これは私自身の経験的確信だったが、それを高橋さんの口からはっきり確認してもらった。
私たちは1968年の春に17歳だった。
そのとき高橋さんは生まれて初めての激烈な政治論文を灘校の『鬼火』に寄稿した(それは今度の『文藝』に採録されることになっている)。
私もほぼ同時期に「大航海時代が今始まろうとしている」と題した同じく過激な政治論文を日比谷高校の『星陵』に寄稿した。
それを書いた後に、高橋さんは高校での政治闘争を組織し、私は高校をドロップアウトした。
私たちはたぶん二人とも想像上の「海岸」に走り出て、「伝説の大波」が来るのを待ち焦がれていたのである。
この「大波が来る」という黙示録的予感に駆り立てられた「軽挙妄動」は私たちの年代に固有のものである。
この予感は何も知らない子どもには感知できないし、ある程度世の中のことがわかってしまった大人にも感知できない。
そのときに、大人と子どもの中間の不安定な時期にいた少年たちだけが感知したものである。
この「伝説の大波の予感」を激しいリアリティで生きたことをはっきりと感じることができる作家は高橋さんと矢作俊彦さんだけである。
少し前に橋本さんは養老孟司先生との対談で、68年入学と70年入学では新入生の顔つきがまったく違っていたと語っていた(さすが、橋本先生は炯眼の人である)。
「1970年に東大に入ってきた連中はそれまで大学では見たこともないような『子どもの顔』をしていた」と橋本さんは証言している。
その通りなのである。
あれは「1970年の伝説の大波」がもう来ないことを知りながら「海岸」にやってきて、それが「来ない」ことを確認するためだけに沖を見つめていた子どもたちの顔だったのだ。
そのことが36年経って高橋さんと話していてやっとわかった。

投稿者 uchida : 17:20 | コメント (2) | トラックバック

2006年02月16日

風水の話

会議のあいまに朝日新聞社の出している『大学ランキング』の取材が入る。
大学ランキングという以上、もっとも重要なのは、その大学が高等教育機関として、どのような教育資源を持ち、どのようなポリシーのもとで、どのようなプログラムを展開して、どのような成果を上げているかということである。
だが、大学の財務内容とか偏差値とか就職率といった定量的なデータは数値的に表すことができるが、教育のアウトカムを質的に評価することはきわめて困難である。
というか、ほとんど不可能である。
「ああ、そういえば自分の人生を豊かにしてくれたのは大学のときに受けた教育であったのだなあ」と90歳で息を引き取るときに臨終の床ではじめて気づくということがありうるからである。
定性的アウトカムは「やあ、なかなかいい学校だったよ」というような主観的なことばでしか語れない。
「どこがよかったのですか?あなたは大学で何を得たのですか?200字以内でお答えください」と問い詰められても、困る。
ビジネス誌では「卒業生に社長が何人いるか」というようなデータを出して、教育成果をランキングしているところがある。
だが、「社長になる」ということが人間的なアチーブメントの指標であるという判断に私は簡単には同意できないし、10万人の大学と2500人の大学を比べても意味がない。
大学を定性的に評価するにはどうすればよろしいのか、というのが『大学ランキング』の記者さんのお訊ねである。
そんなこと訊かれても・・・
本学が誇る教育資源の核心部分は「見えざる資産」(invisible assets) というかたちをとっているので、数値的エビデンスを示すことができない。
例えば、本学は「風水的ロケーション」において、たぶん日本一である。
学会で日本中の大学を経巡ったが、立地にそれなりの風水的配慮が見られるのは、幕藩体制のころの藩校や江戸時代の私塾が母体になっているところだけである。
しかし、それらの伝統的な大学も「手狭だから」というような理由で郊外の空き地に移転したり、無計画な建て増しをしたせいで、ほんらい備えていた風水の力は失われている。
とくに国公立大学がひどい。
たいていの場合、国公立大学は「そこに広大な空き地があったが、それまで誰もそこに住もうとしなかった場所」に建てられている。
そういう場所は風水が悪いから誰も住まなかったのに決まっているのだが、役人の想像力はそういう方面には機能しない。
風水の格好の事例はJR大阪駅前である。
駅の正面、北新地や堂島へ抜ける最高のロケーションにいくつか大きなビルがある。
なぜかこれらのビルにはあまりテナントが入っていない。
入ってもすぐにつぶれるらしく、次々と入れ替わる。
夜の8時頃になるとあかりが点っている部屋もあまりなく、ビル全体がどんより暗くなり、繁華街の真ん中にエアポケットのように「暗く寂しい場所」が拡がっている。
よほど感覚の鈍い人間以外はそれらのビルに寄りつかない。
風水が悪いからである。
JR大阪駅は明治時代に商都大阪のいちばん北のはずれの「何もない空き地」に建てられた。
梅が生えていたので「梅田」と呼ばれていた淀川のだだっぴろい河川敷である。
いまの北新地までと、その北、JR大阪駅までのあいだにはあきらかに「湿度」の段差がある。
たぶん新地までが「硬い地面」で、その先は蛇や蛙が盤踞する「ぬちゃぬちゃした沼地」だったのだろう。
沼には「沼気」というものがあり、「瘴気」に通じる。
そういうものが完全に消えるまでには100年程度の時間では足りないのである。
こういう話をすると、ほとんどの男たちは「何を非科学的な」と気色ばむ。
でも、女子学生たちはたいてい深く頷いてくれる。
彼女たちにはわかっているのである。
だから岡田山を選んでやってきたのである。
でも、そういう「見えざる資産」は『大学ランキング』には決して取り上げられない。
「なんとかなりませんか」と朝日のコバヤシ記者を責め立てる。

ライブドアからメールが来た。
ライブドアのサイトにライブドア論を書いてくれというご依頼である。
趣旨は次のごときものである。

弊社は2006年1月16日より東京地検特捜部及び証券取引等監視委員会の捜索・
押収を受けました。
また、当社ならびに当社代表取締役社長兼最高経営責任者(当時)の堀江貴文、ほか3名が証券取引法違反の疑いで逮捕・起訴された事実を確認いたしまして、このような現状ではございますが、ポータルサイト「livedoor」には、月間約1400万人のユーザーの皆様のご来訪を頂いており、ある種メディアとしての「公共性」を備えているものと考えます。
今回livedoorニュースでは、上記の認識に立ち、メディアとしての自浄能力、自己批判能力を発揮すべく、「ライブドア事件」に関し、各界の有識者、オピニオンリーダーの皆様からの寄稿を頂くコーナーを企画致しました。

ライブドアの前経営者たちの行為の犯罪性はいまも日々あきらかにされているが、もちろん社員全員が同罪であるわけではない。
中にライブドアの「メディアとしての自浄能力、自己批判能力」を発揮せねば・・・とまなじりを決している人々がいてもおかしくない。
私はその志を多とする。
多とするけれど、別にもう書くことがない。
だから、これまでブログに書いたものから適当に切り貼りしてご自由に転載してくださいとご返事する。
私のブログはリンクフリー、コピーフリー、剽窃フリーである。
コピペするのが個人でも企業でも私の対応は変わらない。
原稿料は頂かない。
「金で買えないものはない」と豪語した前経営者に対する私からのささやかなメッセージである。


投稿者 uchida : 09:55 | コメント (6) | トラックバック

2006年02月15日

業務連絡2件

(1)「朝カルのあとのプチ宴会へのご案内」
来る3月22日、新宿朝日カルチャーセンターにて、平川克美くんとトークをすることは既報の通りですが、毎度講演のあとに「じゃ、そのへんで軽くビールでも・・・」ということになって、それからみんなで右往左往するということがままあります。
今回、三軸修正法の池上六朗先生と三宅安道先生から「講演のあとにごいっしょにご飯でも」とお誘い頂いた折りに、「友人たちとのジョイント打ち上げでもいいですか」とお願いしたところご快諾下さいました。
つきましては、池上先生が会場予約の関係で、だいたいの人数を把握したいということですので、お手数ではありますが、「朝カル対談のあとに生ビールを飲む会」に参加ご予定の各社編集者ほかのみなさまは私あてにメールにてご一報いただけますでしょうか。お願い申し上げます。
平川君、そういうことですので、よろしくね。

(2)「石原都知事のフランス語発言に抗議する会」のHPが更新されました。
この話は前に当ブログでもご紹介しました。
旧東京都立大の仏文研究室のみなさんが原告団のコアメンバーを形成しておりますので、私もご縁あって支援者の一員に加わっております。
石原都知事のフランス語発言というのは2004年の10月に首都大東京をサポートする会員制クラブThe Tokyo U-Club」でなされたものです。
それについて当時私がブログに書いた内容を再度ご紹介しておきます。
ここに書いた考えは今でも変わっておりません。
首都大学東京について、小さなニュースがあったので続報をお知らしておこう。
去年の秋に「首都大応援団」設立総会というものがあった。
開学予定の「首都大学東京」をサポートする会員制クラブ「the TokyoU-club」というものを石原都知事の音頭取りでつくられたのである。
その設立総会が04年10月19日に都庁で開かれた。
席上、会長に就任した高橋宏・首都大理事長予定者はあいさつの中で
「大学全入時代、学校さえ選ばなければバカでもチョンでも、そこそこの大学に入れる時代が3年後に来る。首都大学東京は世界の共通の財産。有識者の声を反映した、いい大学にしたい」と発言したと伝えられている。
その模様を報道した、毎日新聞は「『チョ ン』は韓国・朝鮮人に対する差別的表現との捉え方もあり、今後、批判が出る可能性もある」としている。
一方、石原慎太郎知事は祝辞で、都立大のCOE返上問題に触れ、「一部のバカ野郎が反対して金が出なくなったが、あんなものどうでもいい」と述べた。
また、都立大でフランス文学やドイツ文学を担当する教員に首都大の構想に批判的な教員が多いことに関して、
「フランス語は数を勘定できない言葉だから国際語として失格しているのも、むべなるかなという気がする。そういうものにしがみついている手合いが反対のための反対をしている。笑止千万だ」と話したと伝えられている。(毎日新聞2004年10月20日24面より)
この件については全国紙でも報道されたからご記憶のかたも多いと思う。
私もかつては都立大の「フランス文学」の教員であったので、あのまま在職していれば「そういうものにしがみついている手合い」にご算入いただけたはずであるので、人ごとではない。
フランス大使館はどうして抗議しないんだろう…いろいろ外交的配慮があるのかね、と思っていたが、フランス語学校を経営するひとりの民間フランス人が抗議の声をあげた。
その公開質問状の文言は以下の通り。
通知人マリック・ベルカンヌ(Malik BERKANE、以下私という)は、被通知人石原慎太郎殿(以下貴殿という)に対し、以下のとおり通知します。
1、私は、東京都港区赤坂8丁目4番7号において、フランス語学校「クラス・ド・フランセ」を経営しています。「クラス・ド・フランセ」は、1988年 11月に創立され、現在、教師12人、生徒約300−350人を教え、日仏両国の交流と発展のためフランス語教育に取り組んでいます。
2、さて、東京都知事である貴殿は、去る2004(平成16)年10月19日、首都大学東京をサポートする会員制クラブthe Tokyo U-clubの設立総会において、「フランス語は数を勘定できない言葉だから国際語として失格しているのも、むべなるかなという気がする。そういうものに しがみついている手合いが反対のための反対をしている。笑止千万だ。」との発言をしたと報じられています。
 仮にこの報道内容が真実であるとすると、貴殿は、「フランス語は数を勘定できない言葉」であるとの虚偽の事実から、フランス語は「国際語として失格している」との、それ自体誤った事実を推論し、これら誤った事実を基礎にして、フランス語が「国際語として失格しているのも、むべなるかなという気がする。」 という、誤った事実に基づく不当な感想を述べ、続いて、「そういうものにしがみついている手合い」、「笑止千万」との愚弄的な表現を用いて、フランス語教 育に関わる者に対し、人身攻撃にわたる不相当な
評価を下し、これらの人々の名誉を毀損したものといわざるをえません。
 また、東京都知事である貴殿の知名度、マスコミでの取り上げられ方、社会的影響力等に鑑みると、「フランス語は数を勘定できない言葉」であるとか、「国際語として失格している」との虚偽の事実を、多くの東京都民その他日本国民が真に受ける虞も少なからず存在し、「クラス・ド・フランセ」やその他のフラン ス語学校の業務に支障を与える虞も無視できないものがあります。
3、現在、世界1億7千万人の人々がフランス語を常用していると言われています。また、国連等の国際会議においても、フランス語は公用語として用いられて います。東京都は、1982年、フランスの首都パリと姉妹友好都市協定を締結し、2005年はEU-日本市民交流年でもあります。
 このような諸状況に加え、多くの人々が日仏の友好発展のためにこれまで積み重ねてきた努力と営為を思うとき、他国の文化の集積・結晶である言語を、誤った事実認識に基づき、一方的に貶める上記発言は、絶対に許容されないものといわなければなりません。
4、そこで私は、貴殿に対し、以下のとおり釈明を求めます。
(1)貴殿が上記報じられた内容を発言したのは、真実ですか。
(2)「フランス語は数を勘定できない言葉」であるとの事実摘示が真実でないことを、貴殿は承認しますか。仮に承認できないとすると、貴殿は、いかなる根拠に基づき、具体的にいかなる事態を指して、かかる発言をしたのですか。
(3)フランス語が「国際語として失格している」との事実摘示が真実でないことを、貴殿は承認しますか。仮に承認できないとすると、いかなる根拠に基づき、具体的にいかなる事態を指して、かかる発言をしたのですか。
(4)以上について合理的な弁明ができない場合、上記発言を撤回し、謝罪することを求めます。
 本質問状到達の日から3週間以内に書面にて下記住所までご回答されるよう求めます。   
                                
私はこの学校のこともベルカンヌ校長のことも存じ上げないが、書かれていることはたいへん常識的なことだと思う。
高橋宏理事長の「バカでもチョンでも」という発言は、アメリカの大学の理事長が公式の場で「Nigga」とか「Jap」とか言った場合と問題の重大さでは変らない。
高橋という人が内面において差別意識の持ち主であることについては、余人は干渉すべくもないが、都庁でのなされた公式スピーチで隣国民を侮る発言をしたことについては当然政治責任が問われるべきだろう。
この「バカチョン」発言と、石原知事の暴言(このひとは暴言でメシを食っているようなところがあるから、こういう挑発的な発言も「失言」ではなく、政治的意図があって仕込んでいる可能性も吟味したほうがいいけど)は「偏狭なナショナリズム」という点で平仄が合っている。
日本がいい国だ、という感情を私は理解できる。
日本がもっといい国になってほしいと私も思っている。
「愛国的である」という点で私は高橋や石原に劣るものではない。
けれども、その感情を基礎づけるために、他国の国民やその文化を貶めることを私は少しも賢い選択だとは思わない。
他を侮ることでしか、自国の制度文物を誇ることができないほどに貧しい精神によって愛されても日本はすこしもよい国にはならない。
隣の人間がもっているものを汚したり、壊したりしても、自分のもちものがそれによって美しくなったり、豊かなものになったりするということはない。
この二人はたぶん首都大東京に今後「韓国・朝鮮および人フランス人」の留学生や教員を迎えるつもりはないのだろう。
招かれても、このような発言によって「受洗」の祝福を受けた大学にこれらの国の人は決して足を踏み入れようとはしないだろうけれど。
それ以外の国々の人々も、このような夜郎自大な差別意識が「日本以外のすべての外国」に向けられていることは、ただちに看取せられるであろう。
首都大東京のトップページhttpに掲載されている西澤学長と石原知事のメッセージには、そう思って読むと「国際交流」とか「国際理解」とか「異文化コミュニケーション」といったキーワードがひとつも含まれていない。
西澤学長のメッセージには「世界」が1,「国際」が2(ただし、「国際連盟」「国際連合」という制度への言及として)。代りに「東京」が7,「日本」が6。
石原知事のメッセージには「国際」も「世界」も「交流」も「理解」も「相互」も含まれていない。
それどころか「学問」も「科学」も「学術」も含まれていない。
これは大学開学のメッセージとしてはきわめて異常な文章であるといわなければならない。
いったい、この大学は何を教育理念として掲げているのか、私にはよくわからない。
少なくとも国際社会に対して開かれた研究教育の場を形成するということが建学の理念には含まれていないことはたしかである。
そのようにして、まだ発足してない大学の国際性をあらかじめ損なうことによって、石原慎太郎は日本社会に何を贈ろうとしているのだろう。
私にはなにも想像できない。
たぶん、私の貧しい想像力が石原の奔放な作家的想像力に及ばないせいだろう。


投稿者 uchida : 09:16 | コメント (2) | トラックバック

2006年02月14日

常識の手柄

以前にも書いたことだが、原則的なことなのでもう一度書いておきたい。
他人が書いたことをどう解釈するかは100%読み手の自由に属する。
私自身、自分が書いてものをしばらく時間をおいて読んだときに、いったい何が言いたくて「こんなこと」を書いたのかよくわかないということがよくある。
しかたがないので、その場合は自分の書いたものを「たぶんこういうようなことが言いたかったのであろう」と言葉を補って、自分で解釈する。
そのときに「書いたときの内田樹」がタイムマシンで登場して、「そうじゃないよ、私が言いたかったのはね・・・」と異論を立てられてもこちらとしてはおいそれとは肯うわけにゆかない。
「キミはそう言うけど、現にこういうふうにも読めるじゃないか」と私は「過去の私」に断然抗議するであろう。
「私がその言葉を書いた」ということと「私がその言葉のもっとも正しい解釈を知っている」というのはまるで別のことである。
だから、私は作家の「自作自注」というのを特別には信用しない。
「あの作品はどうして書いたんですか?」という質問に、「あれはね・・・」と言い出す作家の言葉に他の批評家以上の信頼性を求めても益の無いことである。
作家自身だって、自分が書いたものを「あとから」読んで解釈している限りは、ひとりの批評家にすぎないのである。
言葉の力は作者の統御を超える。
テクストはしばしば作者自身よりもはるかに豊かであり、奥行きがある。それはテクストが作者自身の豊かさや奥行きを文字に「翻訳」してできあがるものではないからである。
だから、「そんなつもりで言ったんです」という説明も、「そんなつもりで言ったんではありません」という言い訳もあまり意味がない。
「どういうつもりで言ったのか」を決定できる人間は(言った本人を含めて)どこにも存在しないからである。
だから、ひとの言葉はどのように解釈しても、それは解釈する者の自由である。
以上は原理である。
以下に述べるのは常識である。
そうはいっても、あらゆる解釈は等権利的に拝聴されねばならないというものでもない。
「なるほど」と膝を打つ解釈もあるし、「そうかねー」とあくびをかみ殺す解釈もある。
今から30年ほど前、私がある大学の仏文科にいたころ、ひとりの院生が修士論文で奇妙なロジックを展開したことがあった。
「***はその全著作を通じてXXXに一度も言及していない。***ほどの強記博覧の学者がXXXのことを知らないということはありえない。にもかかわらず言及がないのは、実は***の全著作はXXXについての迂回的な注釈だったからである。」
この推論は形式的には間違っていない。
抑圧された主題は、その主題のまわりをぐるぐる周回するような言説を生み出すというのは分析的にはよくあることである。
よくあることではあるが、「それでは」というので、このロジックをどんどん拡大適用すると、ある人が何かに言及しても言及しなくても、「それについて語っている」という解釈が成り立つ。
原理的にはそうとも言えるが、常識的にはいかがなものかと思う。
原理的にはそうとも言えるが、常識的にはいかがなものか、という評言はありうる。
私たちはいろいろなことを述べる。
そのときに、「私の言い分は正しい」ということをある程度定着させ、物質化するためには「私は正しい」と主張するだけでは足りない。
「この人の言い分はまあ常識的だわな」という外部評価が必要となる。
そういう言葉だけがある程度の範囲で聞き届けられ、ある程度の物質性を獲得する。
しかし、「常識的」とはどういうことかについては外形的な標準は存在しない。
「原理としての常識」とか「汎通的常識」とかいうものは(「詩的常識」や「狂信的常識」と同様に)存在しない。
だから誰であれ、「私の言うことこそが常識だ」と主張する権利はない。
だって、そんなことを言い募るのはまことに「非常識」なふるまいだからである。
自分の言い分が常識的であるかどうかを、語る当の人間は決定することができない。
ここがたいせつな点だ。
「常識」は、「そんなの常識である」という文型ではなく、「そんなの常識ですよね?」という疑問文を経由してしか、つまり他者の「とりなし」を経由することなしには、生き延びることができないものだからである。
そこに常識の手柄はある。

投稿者 uchida : 17:03 | コメント (0) | トラックバック

2006年02月13日

言葉の力

「ゆとり」から「言葉の力」へ。
10年ぶりに全面改訂される次期学習指導要領で、学校のすべての教育内容に必要な基本的な考え方として、「言葉の力」を据えることになった。
中教審で原案を示される「言葉の力」は、確かな学力をつけるための基盤として位置づけられている。
現行指導要領の基本理念だった「ゆとり教育」は廃されて、「言葉の力」がこれに代わることになる。
2004年の国際学力調査の結果、日本の子どもの学力「二極化」が進行していることがわかり、読解力や記述式問題に学力の低下傾向が顕著であり、「学習や職業に対して無気力な子ども」が増えていることも指摘された。
この傾向を補正するために、次期指導要領では、言葉や体験などの学習や生活の基盤づくりを重視する「言葉の力」をすべての教育活動の基本に置くことになった。
具体的には、古典の音読・暗記や要約力の促進、数量的なデータを解釈してグラフ化したり、仮説を立てて実験・評価したりする力、感性を高めて思考・判断し表現する力など、国語力の育成と関連づけた論理的思考力や表現力の重要性を強調している。

文科省がようやく「当たり前」のことに気づいたようである。
これに気づくのに信じられないほどの時間がかかるというところに中央省庁の絶望的な非効率性は存するが、それでもお上が「まともな結論」にたどりついたことを一国民として多としたい。
文科省と平仄を合わせるように朝日新聞は先日から奇妙なコピーを掲げている。
「言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。ジャーナリスト宣言。朝日新聞」
新大阪の駅でこのポスターを一瞥したとき、私は肌に粟を生じた。
できれば、こういうことを言う人間には言葉について語って欲しくない。
小田嶋隆先生は、このコピーについてたいへん厳しい指摘をされている。
「言葉のチカラ」というワーディングをよしとする言語感覚の貧しさについて、私が小田嶋先生に付け加える言葉はない。
しかし、私はそれ以上にこのような言語論(朝日は自覚していないだろうが、これは言語についてのひとつの党派的イデオロギーの宣言である)を掲げる朝日新聞にひとことの異議を申し立てておきたい。
「言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ」というフレーズには「言葉は道具だ」という言語観が不可疑の真理として伏流している。
言葉は道具である。
だから、語り手は「感情」を言葉で吐露することができるし、言葉を凶器として用いて人を傷つけることもできる。
しかし、所詮は言葉にすぎないから、現実を変成する力はそれほどはない。
これは言葉を使う人間としての「自戒」の言に似て、「言語運用主体の無反省」をはしなくも露呈しているように私には思われる。
朝日的言語イデオロギーによれば、まず言語運用の主体がいる。
言語以前にすでに言語運用の主体が権利上存在するのである。
その主体には、言語以前にすでに感情があり、他者への害意があり、権力意志がある。
言語は、その主体の「すでに内在する感情」や「他者への害意」を現勢化するヴィークルにすぎない。
そして、言語の価値はそれが「無力」であるか「有力」であるか、現実変成の結果によって計量される(「ときに無力」であるという限定は、「ときに有力」である場合にしか使われない)。
有力であるのは(馬力の大きな自動車と同じように)「よい言葉」であり、無力な言葉は「悪い言葉」である。
わずか一行のうちにこれほど政治的な言語観を詰め込むのは、たいした「チカラ技」であるという他ない。
私はここに語られている言語観に同意することができない。
私が数日前に書いた「まず日本語を」という文章で申し上げたかったことは、どうやって言葉を効率的にかつ審美的にみごとに使いこなすかというようなことではない。
そうではなくて、「効率」とか「美」とかはたまた「批評性」とか「イデオロギー」というような世界分節そのものが言語によってもたらされたものであるという出発点を確認しただけのことである。
そこに書いたいちばんたいせつなことをもう一度繰り返す。
「創造というのは自分が入力した覚えのない情報が出力されてくる経験のことである。それは言語的には自分が何を言っているのかわからないときに自分が語る言葉を聴くというしかたで経験される。自分が何を言っているのかわからないにもかかわらず『次の単語』が唇に浮かび、統辞的に正しいセンテンスが綴られるのは論理的で美しい母国語が骨肉化している場合だけである。」
「言語の力」とは、「自分が何を言っているのかわからないにもかかわらず『次の単語』が唇に浮かび、統辞的に正しいセンテンスが綴られる」事況そのものを指している。
言語運用の主体性は、まさに彼が今言語を運用しているという当の事実によって基礎づけられるのである。
ラカンによれば、私たちが語るとき私たちの中で語っているのは他者の言葉であり、私が他者の言葉を読んでいると思っているとき、私たちは自分で自分宛に書いた手紙を逆向きに読んでいるにすぎない。
「『文は人である。』私たちはこの俚諺に同意する。こう付け加えるという条件なら。『文は(宛先の)人である。』(・・・)言語運用において、私たちのメッセージは〈他者〉から私たちに到来する。ただし、順逆の狂った仕方で(sous une forme inverse´e)」(Jacques Lacan, E´crits I, Seuil, 1966, p.15)
朝日新聞のコピーライターが『エクリ』を読んでいないことを私は責めているわけではない(その邦訳は「ある種の絶望が具体的なかたちをとったもの」であるから「読めた」人がいることの方が奇跡である)。
しかし、ラカンが書いていることはすこしでも集中的に言葉を書き連ねた経験のあるものなら直感的に知っていてよいことである。
「私は私が書いている言葉の主人ではない。むしろ言葉が私の主人なのだ。」
「言葉の力」とはそれを思い知る経験のことである。
早熟の書き手なら十代でそれを経験する。
「言葉の力」には言葉に対する畏怖と欲望、不安と信頼とがないまぜになっている。
言葉を単なる主体の思考や美的感懐の表現手段だと考えている人々は「言葉の力」についに無縁な人々である。
「言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ」というようなことを言える人間は、彼のイデオロギーやドクサや民族誌的偏見がその当の言語によってあからさまに表現されているという事実に気づいていない。
言語は私たちを幽閉している檻である。
当然ながら、自分が檻に幽閉されていることを知らない人間は、決して檻から出ることができない。
彼の目には鉄格子が「世界の終わり」であり、鉄格子の手前までが全世界だからである。
彼はその世界では100%の自由を満喫することができる。
自分を「言語の主人」であると思い込むことによって人は「言語の虜囚」となる。
あるいは「言語の虜囚」になることを代価として「言語の主人」であるという夢を買うことができる。
バートランド・ラッセルはウィトゲンシュタインの『論理哲学論』の序文にこう書いた。
「私たちが考えることのできないものを、私たちは考えることはできない。それゆえ、私たちが考えることのできないものを、私たちは語ることはできない。(・・・)世界は私の世界であるということは、言語(それだけを私が理解している言語)の境界が私の世界の境界を指示しているということのうちにあらわれております。形而上学的主体は、世界に含まれているのではありません。それは、世界の境界なのです。」(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン、『論理哲学論』、山元一郎訳、中央公論世界の名著58,1971年、319−20頁)
朝日新聞のコピーライターがウィトゲンシュタインを読んでいないことをも、もちろん私は責めているわけではない。
しかし、思考するとはどういうことか、それを言葉で表現するとはどういうことかについて、少しでも深く考えたことのある人間なら、自分の言葉が自分の世界の境界であるということについての痛覚や病識はあってよいはずである。
私が「まず日本語を」ということでいいたかったのは、「日本語話者として私たちは自由に日本語を運用できており、それを用いて自由に感情を吐露したり、人を傷つけたりできているし、ときどき現実をすこしだけ変革することもできている」という道具的・カタログ的言語観(「ソシュール以前的」という意味では100年古く、「マルクス以前的」という意味では150年古い)と決別すべき時が来ているのではないか、ということであった。
「言葉の力を恐れる」というのはそのときに私たちが取るべき立ち位置である。
それは朝日新聞がいうような「言葉のチカラを信じる」構えの対極にある。
中教審の「言葉の力」路線も、それが学力や知力といった文化資本を獲得するために言語を功利的に活用すること以上のものではないのなら、朝日新聞と言語観の貧しさにおいて選ぶところはないが。

投稿者 uchida : 12:14 | コメント (46) | トラックバック

2006年02月12日

甲南麻雀連盟二月例会報告

先々週は兄が、先週は平川君が甲南麻雀連盟にご挨拶に来る。
兄はかつて自由が丘では私とのコンビで「まむしの兄弟」と異名された性悪な麻雀打ちであったが、さすが頭に霜を頂く温厚なるビジネスマンとなられた昨今はその面影に翳りが生じたようである、とだけご報告しておこう。
平川君は突然の来訪であり、前々日になって「10日に行く。泊めてね。賭場は立つ?」という電報のようなメールをよこした。
急ぎ緊急呼集をかける。
こういうときに携帯メールはとっても便利。
だんじりエディター、老師、ドクターがただちに緊急呼集に応じて参集する。
心はつねに戦場に在り。
まことにそのレスポンスのよさ、範とすべき古参会員たちである。
友有り、遠方より来る。
琴を弾じ酒に耽り、卓を囲んで放逸を事とす。
善き哉善き哉。
翌朝、朝ご飯を食べながら、平川くんとずるずるとおしゃべり。
どうにも止まらないが、それぞれに用事があるので、お別れする。
午から合気道のお稽古。
お稽古が終わるとソッコーで帰宅。
床を拭き、トイレを掃除して、ハンドタオルを換えて、みなさまのお出でを待つ。
先週に続いての、甲南麻雀連盟第三回例会。
内田はなんだか麻雀ばかりやっているのではないかと思われる方が多いであろうがそれは誤解というものである。
1月7日にやったのは正月の「新春慶賀麻雀」であり、先週やったのが本来の「一月の月次例会」である。
そして、今週は「二月の月次例会」。
その間に兄と打ったのは「ビジネス麻雀」、平川君と打ったのは「有朋自遠方来麻雀」である。
それぞれカテゴリーも政治目的も経済効果も異にしているわけであって、ひとしなみに「遊んでばかり」と言われてはそれぞれの場において周旋に汗している私の立つ瀬がない。
前回の例会は3卓立つという異例の事態であったが、今回は静かに2卓8名。
参加者はだんじりエディター、ドクター、画伯、甲南麻雀ガールズ、泳ぐ英文学者、シャドー影浦。
老師はお仕事、歌う牧師は結婚式、神鋼ラガーマンと弱雀小僧は風邪。
戦績については、ここに詳細を記さねばならぬのであるが、そのレポートがつねに「自慢」げに聞こえてしまうことはいささかも私の本意とするところではないことを重ねて申し上げておきたい。カッコ内は2006年第一四半期累計。
エディター 6戦1勝   +1 (21戦6勝、2割8分6厘、+11)
ドクター 6戦2勝 +27   (17戦4勝、2割3分5厘、−8)
画伯 6戦1勝    −74      (11戦2勝、1割8分1厘 −77)
神戸麻雀ガール 3戦0勝  −50 (11戦未勝利、−145)
芦屋麻雀ガール 3戦0勝  −103 (7戦未勝利、−204)
泳ぐ英文学者 3戦2勝   +109  (5戦3勝、+125)
シャドー影浦 3戦0勝     +22 (7戦3勝、+131)
そして、私甲南麻雀連盟会長不肖ウチダの本日の戦績は6戦3勝+123(22戦11勝、+400)
ではとりあえず「三冠王:勝率、勝ち点、最多勝」についてベスト5を記しておこう。
勝率
1位 泳ぐ英文学者 0.600
2位 連盟会長 0.500
3位 シャドー影浦 0.429
4位 ヒラカワ社長 0.333
5位 老師 0.286
5位 エディター 0.286

勝ち点
1位 連盟会長 400
2位 シャドー影浦 131
3位 泳ぐ英文学者 125
4位 歌う牧師  57
5位 ヒラカワ社長      55

勝ち数
1位 連盟会長 11勝
2位 エディター  6勝
3位 ドクター  4勝
4位 泳ぐ英文学者  3勝
4位 シャドー影浦  3勝

ドクターが前回集計後の「J2落ちもありうる」という会長からの恫喝に強く反発して、今回地域限定的に厳しい麻雀に徹して(「ロン!あ、ウチダ先生すみません。それです」)戦績を改善されたことをここに記してその向上心を多としたい。

投稿者 uchida : 12:37 | コメント (0) | トラックバック

2006年02月09日

業務連絡

うっかりしていたが、もうすぐカウンターが500万になる。
「そろそろ500万ですから、景品のお知らせした方がいいですよ」とキーボードを叩いてアンチ・ウィルスをインストールしていたクールなIT秘書が警告してくれた。
おお、そうか。
どうすればいいのかね。
「切りのいい500万ですから、今度は前後賞あわせて5人くらいに賞品出しましょう」
そ、そうだね。
私はことPC関係のことについてはIT秘書室に丸投げしているので、おとなしく指示に従う。
「賞品って、何がいいの?」
秘書は首を90度だけ曲げて、冷たい横顔をみせながら
「新刊でしょ」
と当然のことのようにつぶやき、また90度首をもとに戻した。
そ、そうだよね。
新刊って、でもどの本のことだろう。
「あのさ、新刊っていってもいろいろあるんだよ。『憲法本』とか『角川新書』とか『甲野先生対談本』とか『三砂先生対談本』とか『橋本先生対談本』とか『養老先生対談本』とか『東京ファイティングキッズ2』とか『私家版・ユダヤ文化論』とか・・・どれがいいんだろ」
秘書はこんどは85度くらい首をまげて、ふたたび冷たい横顔をみせながら(どうも秘書は横顔に自信があるみたいだ)
「なもんいちばん最初に出た本でいいじゃないですか」
と最小限の語数で告げた。
や、おっしゃるとおり。
秘書はいつでも正確無比、間然するところのない受け答えをする。
どうも私は秘書の機嫌を損ねてしまったようである。
というか、この秘書は私が彼の機嫌を損ねるような粗忽な言動を繰り返すのを眺めることを趣味としている気配も見られるので、私は「秘書の機嫌を損ねることを通じて、彼の趣味に貢献している」という複雑な立ち位置を取らされているような気もする。
だとすれば、誰かの機嫌を損ねることは私の骨がらみの趣味であるから、この主従関係はたいへんうまが合っているともいえるのである。
こういうことを書くと1時間おきに私のブログをチェックしている秘書は「またろくでもないことを書いて・・・」と機嫌を損ねるわけで、主従関係は明日も円滑に機能するのである。
というわけで業務連絡でした(どこが)。


投稿者 uchida : 21:27 | コメント (1) | トラックバック

2006年02月08日

プライバシーって何でしょう?

大学に1年生の子が遊びに来た(というか、わりとややこしい相談ごとであったのだが、私はだいたいどういう相談ごとを受ける場合も「遊びに来た」というカテゴリーに入れてしまうのである)。
そのとき、ブログに自分のプライバシーを書くことのむずかしさに話題が及んだ。
どういうふうに「プライベート」と「パブリック」を区別したらよいのでしょうという質問を少し前にある女性誌の取材のときにも受けたことがある。
それについて以下に卑見を述べる。
私はむかしから「壁新聞」とか「同人誌」とか「うちわの回覧板」のようなものをつくるのが大好きだった。
インターネットがないころは(ほんの10年ほど前のことである)、自分で手書きの「回覧板」をつくって、それをコピーして友人たちに送りつけていた。
身辺雑記を書いたり、ともだちの近況を書いたり、映画評やら文芸時評やらを書き殴っていた(椎名誠さんの『幕張ジャーナル』とだいたい同じつくりである)。
同じことがネットでできるというので、こりゃ便利だと、手書きコピー&郵送というパターンを、htmlに置き換えた。
だから本質的には私がやっているのは「サイバー壁新聞」であり、そこから一歩も出ていない。
私の壁新聞は署名入りである。
無署名の壁新聞を書いているひともいる。
でも、私は固有名で発信する。
その違いは奈辺にあるのか。
匿名で発信することの最大のメリットは、かなり危ないことを書いても責任を問われないということである。
六条河原の落首と同じで、誰でもがそういう「危ないこと」を書く権利は保証されているというのは世論形成上たいへん健全なことである。
ただし、落首と同じく、その場合は、「危ないこと」を書いて掲示したら、即トンズラして、「足がつかない」という保安上の配慮をしなければならない。
匿名のよいところは「足がつかない」ということであり、匿名の欠点は「足がつきそうなことは書けない」ことである。
(その中間にもうひとつ「半匿名」という書式もある。これは「仲間内では誰のことだかわかっているけれど、メンバー以外はわからない」というありようのことである。これがいちばん「ブログ的においしい」かたちだろう)。
匿名の筆者は彼が誰であるかを特定できそうな情報をブログに書くことができない。
「今日、祇園祭りに行った」とか「渋谷で東幹久を見た」くらいのことでは足はつかないけれど、「うちの社長は今日の役員会でこんなバカなことを言った」とか「秋の園遊会で安倍晋三の足を踏んた」とか「昨日シャラポワと浅草で天ぷら食べた」とかいうようなことは書けない。
でも、ともだちに「ねえねえ聞いてよ」と言いたいことって、概して「そういうこと」である。
そういう「ねえねえ」系の話を公開することを断念しないと匿名で日記が書けない。
これはかなり本人としては切ないことである。
匿名での発信は固有名での発信より自由度が高いと思っている人が多いが、「書き手を特定される可能性のあることは書けない」という条件を課した場合、むしろ匿名の書き手は「書きたいことが書けない」ことの方が多いのではないかと私は思っている。
それ以上に、匿名発信の最大のネックは、その匿名の筆者がどれほど理路整然と政治的に正しい意見を述べたとしても、「この人はこの発言に責任を取る気があるのか」という点で、つねに留保がなされるということである。
私たちは他人の意見をその論理的整合性や政治的正しさよりもしばしばその意見にどれだけ身体を張っているかを基準にして格付けしている。
どれほど「正しい意見」を毎日発信しても、話題が「決して身元がばれない」ものに限定され、そこで開陳される意見の実行を担保する身体が不可視である限り、その現実変成力にはおのずと限界がある。
もちろん、「だから全員固有名で書け」というような原理主義的なことは申し上げない。
私とて書いていないことはたくさんある(私が青筋を立てて腹を立てた出来事や私が涙を流すほど感動した事件のほとんどはブログ上では公開されていない)。
でも、それはそれを書くと、私の本性がばれるから秘匿しているのではなく、私が書くことで、書かれた人の身に私にはコントロールできない「さしさわり」が生じる可能性があるから書かないのである。
その抑制は、ブログだろうが、廊下の立ち話だろうが、居酒屋談義であろうと変わらない。
いずれ胸にしまっておいて誰にも言わない話だから同じことなのである。
プライバシーということを「私的な秘密」というふうに考えている人がいるけれど、「100%私的な秘密」というのは原理的に言って、それが何を意味するのかについて了解を共有する相手がいない話のことである。
言いたいけれど言わないのではなく、言っても誰にも(自分自身にも)うまく理解できないことだから、そのうち言える日がくるまで言わないでおかれることが語の本義における「プライバシー」である。
私はそう考えている。
自分の性的嗜癖とかトラウマとか邪悪な内面とかはいくらでも共有できる(少なくとも「わかってくれよ」と自分に向かって言えば、私は理解できる)。
自分に対して「わかってほしいこと」は、だいたいここに書いている。
「公開されないこと」はそういうものではない。
その情報を共有する人(たち)がいるのだが、その人(たち)との(なつかしの吉本隆明文体)「共同署名人」という形式でしかそれについて語ることができないという制約が課されているので気楽に私の文責では語れないことが非公開になる。
この非公開の出来事は私ともうひとりの二人だけがかかわっているものであることもあるし、私のほかに100人ほどの人がそれにコミットしている事件の場合もある。
いずれの場合も「共同署名人」の同意がない限り、私の独断では公開できないことなので、黙っているのである。
でも、秘匿しているせいで苛つくということはぜんぜんない。
だって、その「共同署名人」たちとは会うたびにその話をして盛り上がっているわけなんだから。

投稿者 uchida : 19:57 | コメント (3) | トラックバック

『論座』からのご挨拶

『論座』の取材。
「書棚拝見」という企画で、書棚の一角を撮影し、それが誰の書棚であるかを推理しつつ頁をめくると本人のインタビュー・・・という構成である。
書棚というのはいわば「脳の中身」のようなものであるから、そこに並んでいる本を見れば「なるほど、この人はそういう人なのね」と得心がゆく。
だから、他人の家に通されて、どこにも一冊の本もないと不安になる。
別に「無教養な人間」と空間を共有することが不安なのではなく、どういう脳の中身なのか知るてがかりがない人間といっしょにいることの不安なのである。
むかしのヨーロッパの紳士たちは壁中書棚で埋め尽くされた書斎で接客した。
現在のパワフルなビジネスマンは人と会うときにその人の脳内生活を知る手がかりが絶無であるようなハイテックで無機的な空間を好んで選択する。
前者は脳内をオーバーレイトさせることで相手を圧倒しようとし、後者は脳内を見せないことで相手を不安にさせようとする。
原理はいっしょだが、現代人の方がたちが悪い。
少なくとも、前者は「どういう本を読んでいると他人から教養があり趣味がよい人間だと思ってもらえると信じているか」についての判断を公開しているからである。
「本棚の本は自由に入れ替えていただいていいです」と『論座』の記者さんは言う。
あわてて本を並べ替える。
あ、そうか。
この企画は「どういう本を並べているか」を見るのではなく、「どういう本を並べていると『ちゃんとした教養人に見える』と思っているか」を見る企画だったのである。
人の悪い企画である。
でも、私も人の悪さで『論座』編集部に負けるようなヤワな人間ではない。
「どういう本を並べるとちゃんとした教養人に見えると思っているかを暴露して笑いを取る企画そのものに対する批評性をそこに並べた本を通じて発信する」というくせ技を繰り出すことにする。
『論座』のこの頁を私の私的「伝言板」としてご利用させていただくことにする。
伝言板のメッセージは「やっほう」である。
「やっほう」とは誰に向けての挨拶なの何か?
それは『論座』五月号のグラビアページを御覧になるとわかります。


投稿者 uchida : 08:31 | コメント (0) | トラックバック

2006年02月07日

原理主義と機能主義

デンマークの新聞が掲載したマホメットのカリカチュアに対するイスラム圏からの抗議に対して、欧州の各メディアが「表現の自由」という立場から次々に転載したことから、欧州から中東まで騒然となってきた。
レバノンではデンマーク大使館、領事館が相次いで焼かれ、ノルウェー大使館も被害にあった。
シリアでは15000人のデモ隊が棍棒やハンマーを手にして威嚇的なデモを行っている。イスラムの宗教的指導者たちは鎮静を呼びかけているが効果がない。
隣のレバノン政府は宗教対立の激化を憂慮しているが、すでにベイルートではカトリック教会が襲撃にあった。
イラクでは政府がデンマークとのすべての契約を破棄すると宣言、反米ゲリラの〈イスラム軍団〉は「デンマーク人を見つけ次第捕獲し、手足をばらばらにせよ」という指令を発した。
エジプトでもデンマーク、ノルウェーとの国交断絶を求める3000人のデモがあった。
フランスでは『フランス・ソワール』紙がこの戯画を転載したために、爆弾テロの予告を受け、一時全社が退避するという騒ぎになった。
戯画がどういう絵柄か知らないけれど、マホメットをテロリストのように描いたものらしい。これが「イスラム教徒はテロリストだ」という先入観を植え付ける悪質なデマゴギーであると怒ったイスラム教徒たちがデモを行い、大使館に火を点けたり、「デンマーク人をさらって殺せ」と呼号している。
なるほど。
「あなたは怒りっぽい人ですね」と言われた人が「ふざけるな。不当な評言をするな。取り消せ」と怒り出した場合にはどういうふうに応接するのがよろしいのか。
「怒りっぽい」とわかっている相手をわざわざ怒らせるというのは賢いことではない。同じように、「あなたは怒りっぽい人ですね」と言われて怒り出すのはその「不当な評言」が正鵠を射たものであることをすすんで認めることに他ならないから、やはり賢いことではない。
こういうのは怒らせる方も、人を怒らせようと思って仕掛けられたことで怒り出す方もあまり賢いとは言われない。
こういうことを書くと、「ふざけたことを言うな。ことは賢い賢くないかではなく、正しいか正しくないかだ」と力む人が必ずいる。
こういう方たちのことを原理主義者と呼ぶ。
その点、イギリス人はクールだ。
昨日も養老先生から「イギリス人は機能主義だ」という話を伺ったばかりだが、大陸の欧州諸国が「言論の自由」「表現の自由」という大義名分を掲げて、相次いでマホメットの戯画を掲載したのに対して、英国の新聞はこれを自粛し、英国のイスラム系団体もイスラム教徒に自制を求め、騒乱を回避した。
英国人は「言論の自由」を少しだけ制限することで、当面のガバナンスを確保したのである。
こういうところが英国風である。
高橋源一郎さんは前にこのような英国風機能主義を「批評家と詩人」という対比を語ったことがある。
「詩人はね、なまものの言葉を扱っているんで、言葉ってさ、今日築地から届きましたーとかって、要するにすごくいい加減だったりするわけです。理想と違うわけ、極端なことを言うと。でも、理想と違うからそんな言葉は使わないっていうんじゃ、詩人になれない。詩人というのは、そこにある、今日届いた魚で料理しなければならないと思うんです。とりあえず手元にある材料で料理するのが詩人。こんなしょぼいので作れるわけないじゃないか、と怒るのが批評家。(・・・)理想とか考えているんですよ、頭では。でも、手は勝手に魚をおろしちゃう。」(竹信悦夫、『ワンコイン悦楽堂』、2005年、情報センター出版局、410頁)
レヴィ=ストロースは「詩人」と言わずに「ブリコルール」と言った。
「ブリコルールはさまざまな仕事をする能力がある。しかし、彼がエンジニアと違うのは、自分の計画のための材料や道具をまず考え、それが揃ってから仕事を始めるということをしない点にある。ブリコルールの道具的世界は閉じており、彼のゲームのルールは『手持ちの手段』(moyens du bord)、つまりある時点において手元にある限りの道具と材料で、やりくりするということである。この材料と道具には統一性がない。もともとその仕事のためにあるものではないし、そもそもいかなる特定の計画のためのものでもないからである。(・・・)それゆえブリコルールの有する手段をその作業目的によって定義することはできない。それらはその道具性(instrumentalite´)によってのみ定義される。つまり、ブリコルールの言い方を借りて言えば、彼のストックを形成する諸要素は、『こんなものでもそのうち何かの役に立つかもしれない』(Ca peut toujours servir)という原則に従って集められ保存されてきたものなのである。」(Claude Le´vi-Strauss, La Pense´e sauvage, Plon, 1962, p.31)
高橋さんとレヴィ=ストロースが言っているのはたぶん同じことである。
「これこれでなきゃダメ」というのが原理主義である。
「使えるものがこれしかないなら、これで何とか折り合いをつけよう」というのが機能主義である。手持ちの限られた材料と手段で最高のパフォーマンスを達成するにはどうしたらいいのかということに知的リソースを集中できるのが機能主義者である。
私は機能主義者である。
私は人の判断や主張が「正しいか正しくないか」ということにはあまり(ぜんぜん)興味がない。私が関心を寄せるのはそのソリューションが「機能的」かどうかだけである。
「なまもの」を扱っている人はだいたい機能主義者になる傾向がある。
私がこの間お会いして話し込んだ人たちは考えてみたら全員「機能主義者」だった。
養老先生、名越先生、春日先生はお医者さんである。
解剖のための死体は養老先生が何もしないと今日も明日も明後日も死体のままである。
死体とにらめっこしているうちに、「あ、そうか、オレが動かないと何も始まらないんだということにはじめて気がつく」と養老先生はおっしゃっていた。
名越、春日両先生は精神病院の救急棟で危機的状況の患者と待ったなしで直面するという修羅場を何度もくぐり抜けてきた。
そういうときに「こんな症例は教科書に出てなかった」とか、「こういう患者は私の治療理論になじまない」といって逃げ出すことはできない。
池上六朗先生は人間の身体を相手にする前は船に乗っておられた。
船が座礁したときに「誰のせいだ」「どうすれば座礁しないですんだのか」というような原因究明をしても始まらない。
「座礁した」という事実を与件として、使えるだけの道具と人間的リソースを駆使してどうやってこの窮状から脱出するかを考える。それがシーマンシップだと池上先生はおっしゃっていた。
三軸修正法は「どうして患者が治るのか理由がわからない」と池上先生は言われる。
「原理はわからないけど、現に治るんだから、それでいいじゃないか」
これは典型的に機能主義的な態度である。
三砂ちづる先生は「胎児・新生児」というなまものを、甲野善紀先生は「敵の身体」というなまものを、高橋源一郎さんと橋本治さんは「ことば」というなまものを、大瀧詠一さんは「音」というなまものを、それぞれ機能主義的に扱っている。
意味とか価値とか正しさとか合理性とかいうことはブリコルールにとって副次的なことである。
目の前に「なまもの」があるときに、とりあえず「手が勝手に動いておろしてしまう」というのが機能主義者の骨法である。
だから、「原理主義はダメだ」というようなことを機能主義者は決して言わない。
「原理主義はダメだ」というのはもうひとつの原理主義である。
だって、「原理主義者」は私たちにとっての「なまもの」だからだ。
だから私がこういうことを書くといろいろ文句を言ってくる人がたくさんいるはずだが、彼らに対して「あなたの言うことは間違っている」というような愚かなことを私は決して言わないのである。

投稿者 uchida : 09:41 | コメント (4) | トラックバック

2006年02月06日

脳の迷宮バカハウス

箱根の仙石原に通称「バカハウス」はある。
『バカの壁』400万部の印税で養老孟司先生がお建てになったというまことしやかな噂があるが、真偽のほどは不明。
ゲストハウスの土台の白壁には南伸坊画伯描くところの「馬と鹿」の絵があり、それが「バカハウス」の語源という説もある。

060210-092150.png これが名高いバカの壁!

二月の箱根の寒風が肌を刺す一日、その「バカハウス」において、新潮社の足立さんの仕切りによる養老先生との対談が挙行された。
養老先生との対談はこれで三回目。
最初は製薬会社の広報誌のための対談で、もう一昨年の話になる。
このときは3時間ほどお話しをさせていただいて、養老先生の博識と舌鋒の鋭さに圧倒されたことしか覚えていない。
その後、先日新潮社の『考える人』で養老先生が私の「私家版・ユダヤ文化論」を縦横に論じてくださったのを奇貨として、大阪の千里阪急ホテルでかなり腰をすえて「ユダヤ人」についてお話しをした。
そして今度は養老先生のご自宅におじゃまして、箱根の眺望を満喫しつつ、ご令嬢暁花さんのアテンドでおもてなしいただきながら、時間を気にせずにのんびり清談し、宴会温泉付きというゴージャスな対談の機会を与えていただいたのである。
「バカハウス」は養老先生が「虫の博物館」のためにつくられた建物であるので、研究室、標本庫、展示室など公共的な性質のスペースがメインになっている。
私邸という閉鎖性が感じられない、開放的な空間である。
家というのは(自動車と同じで)そのひとの理想我の表象であるとされている。
では、「バカハウス」は養老先生の理想我を空間的に表象したものかというと、そうとも言えない。
藤森照信さん設計のこの建物はさまざまな建築雑誌で取り上げられたからごらんになった方も少なくないであろう。
細かいところまで養老先生が指定されたのかと思ったら、実際には藤森さんが「養老先生はこういうのが好きだろう」と好き勝手に作ってしまったもののようである。
家の中心に展示室と会合のためのスペースが鎮座しているということは、「バカハウス」は他者の闖入を前提にして設計されているということである。
「この家は端から端まで一直線に見通せるところがいいんだ」と養老先生はちょっと自慢げにおっしゃっておられたが、実際にはそこここにあやしげなへこみや隠し扉が仕掛けてあり、開放性と隠秘性がナイスブレンドされている。
「自分に合う家」と思えるものを人に作ってもらって、そこに機嫌よく住んでいるというあたりに、「自我イメージ」というのは自分で決めるものではなくて、他人が勝手に「そう思う」ものであるという養老先生の持説そのものが具現化しているような気がする。
午後2時にスタートした対談はサバン症候群と角回の話から始まり、視覚系と聴覚系の話、牛肉と環境破壊の話、北海道とフィンランドの比較論、賤民と差別の話、全共闘と戦後の青空の話、無敵の話、文学とレストランの類縁性の話、ファンタジーと劇場政治とフレーム問題の話、ウソと音韻の話、イスラムと移民の話、ホームレスと原理主義の話、アングロサクソンの機能主義の話、官僚とロマンの話・・・と文字通り話頭は転々奇を究めて禿筆をもってその全体を要約することはかなわないのである。
途中で中華料理を食べ、かっこう時計と床暖房を修理し、ウイスキーとワインを飲み、露天風呂に浸かり、パレスホテルで爆睡し、ホテルのレストランで朝ごはんを食べ、箱根寿司の出前でお寿司を食べ、午後2時に「さすがに疲れたね」と養老先生が宣言して打ち上げ。
入浴と睡眠時間以外のほとんど、約16時間ほどしゃべり続けていたことになる。
対談の当事者がこういうことをいうのはマナー違反と知りつつ申し上げるが、こんな面白い話はめったに聞けるものではない。
私が読者ならこの対談本は(古いセクシスト的俚諺を借りて言えば)女房を質に置いても購入するであろうし、私が女性であれば「亭主を質に置いても」購入するであろう。
それくらいに面白い。
嘘だと思ったら買って読んでご自身で確認していただきたい(まだ出てないけど)。
私は養老先生から「ウチダさんは脳が丈夫だ」と太鼓判を押していただいたほどに蹴っても叩いても壊れない頑丈な脳を持っているのであるが、さすがにこれだけ集中的に情報入力があると、脳が「入力過剰」で筋肉痛を起こしてしまった。場所が場所だけにエアサロンパスを吹き付けるわけにもゆかずバンテリンを塗るわけにもゆかず、しかたがないので、ときどき深呼吸をして脳を冷やしているところである。


投稿者 uchida : 18:12 | コメント (0) | トラックバック

私の好きなふたつのこと(さらに増補改訂版)

久しぶりに土曜日の合気道のお稽古。
広い道場で思い切り動き回るとたいへん気分がよろしい。
このところ腕の旋回をどう体幹の動きと繋げるかということを宿題にしている。
手首を握られているときに肘や肩を支点にしたヒンジ運動をするとすぐに咎められることは誰でもわかる。
これをどうクリアするか。
手首を握るときに人間は「手の内の締め」というものを行う。
一般のひとは「手首を握る」というと、手錠のようなもので手首に均等の圧力をかけて締め付ける運動を想像するだろう。だが、実際には掌の筋肉は螺旋状に動いていて、その圧力は小指近くから人差し指のつけねにかけて巻くように移動している。
私の手首を握る相手の手の内の締めと私の腕の旋回の運動の質を整えると、手を締める運動は、私の動きを制限する代わりに、私の腕の旋回運動にエネルギーを備給する。
相手に手首を握られるということを、私たちは可動域を狭められるネガティヴな条件づけだと考えやすいが、見方を変えれば、それがコヒーレンスの立ち上げのためのきっかけを提供するものとなる。
合気道について、よく「相手の力を利用して投げるんでしょ?」と訊かれる。
ある種の力を利用するのはまちがいないけれど、「相手の力を私が利用して」という文型はまちがっている。
このとき力を利用しているのは、私でもなく相手でもない。
私と相手が触れ合うことによってその場に成立した「私と相手をともに含む複素的身体」である。
自動車を運転する場合を考えればよい。
私がドライバーで、相手は自動車である。
この二つは別のものである。
私は自動車に閉じ込められ、シートベルトで締め付けられ、いくつかの器具を動かす以外の動作を禁じられている。
でも、車の運転というはそういう初期条件を受け入れなければはじまらない。
自由自在に手足を伸ばし、360度の視野を確保した上で運転をしたいと言ってもむりである。
自動車は一台ずつ癖がある。
排気量が違うし、車幅も車長も車高も違う。アクセルレスポンスも違うし、ブレーキの効きも違うし、ステアリングの遊びも違う。
私たちが車に乗るというのは、そのつど新しい拘束条件を受け入れるということである。
しかし、どんな場合も「運転する」という操作の本質は変わらない。
するすると車を走らせて、新緑の郊外のひろびろとした道を走っているときに、「私は自動車の動力を利用して空間移動をしている」などと思う人はいない。
そういうとき運転者と自動車は一体化しており、複素的な身体を形成している。何もせっかく成立している複素体をわざわざ腑分けして「ここからこっちが私で、あっちがメカ」などと言い募る必要はない。
ドライバーが気分がよければ、車だって気分がよさそうである。
鞍上人なく、鞍下馬なし。
それが複素的身体のありようである。
武道も同じ。
敵とか味方とか、そういう要素的なことをがたがた言うのは止めて、一期一会で構成されたその一回限りの複素的身体がどれほどのパフォーマンスを成就しうるのか、それを探求してみてはいかがかというのが合気道的な考え方である。
「敵を作らない」ということは武道の基本である。
「天下無敵」とは、邪魔する相手をぜんぶ殲滅したので、天下に敵がないという意味ではない。
敵に出会わなければそもそも敵はいない。当然、無敵である。
敵とであっても、それを「敵味方」というスキームでとらえなければ、敵は概念としては存在しない。
ごく論理的なことを言っているのである。

午後4時から連盟第三回例会。
本日連盟戦デビューのカワカミ牧師がまず登場。来る電車の中でも「これから麻雀ができると思うと、つい笑みがこぼれて・・」困ったそうである。
続いて次のエレベーターで越後屋さん、その次のエレベーターでカンキチくんが登場して、面子がそろい、4時4分にサイレンの音も高らかに、一同「お願いしまーす」の挨拶とともにキックオフ。
始まって数分後に平尾さん、そのあと釈先生、青山さん、弱雀小僧ジローくん、江さん、ヤマモト画伯、ワタナベ先生、ドクター佐藤、飯田先生とみごとに3卓分の、メンバーが揃っての一大麻雀大会がここに決行されたのである。
4時から始まった連盟定期戦、最後の半荘が終わったのは午前1時を回っていた。
戦績の詳細については自慢になるのであまり言及したくはないが、半荘5回に参戦して、4勝という驚異的勝率を収めて、連盟会長としての職責を果たしたということのみを記すにとどめたい。
弱雀小僧は今日もまた「えええ、どうしてあがれないんだあ」と宿命的なフレーズを繰り返し、越後屋さんも「ははは、ぼくはどうせトップ取れない星の下に生まれたんです。膝も抜けちゃったし」と力なく笑い。青山さん、飯田先生のどちらが先に一勝をあげるかを競う女の戦いも依然決着を見ないまま熾烈をきわめ、初登場のヤマモト画伯は参加した全半荘においてトップを取ることあたかも自明であるがごとくに悠々たる牌さばきを示されていたが(そういう人なんです)、「おかしい、なぜ私が勝てずにウチダが勝つのだ?」と深い懐疑のうちに沈淪せられていたのである。
いやあ麻雀てほんとに楽しいですね。

と書いてパレスホテルの部屋から更新したのであるが、家に帰って点数表を確認したら、私の戦績は5の4ではなく、6の5であった。自慢の上塗りをするようでいささか気恥ずかしいのであるが、真実を隠蔽することを学者の良心が許さないのである。
ちなみに勝率ベストテンは以下の通りである(同率の場合は点数による)

1位:シャドー影浦   4戦3勝   0.750       109
2位:歌う牧師     4戦2勝   0.500        57
3位:泳ぐ英文学者  2戦1勝   0.500        16
4位:連盟会長   15戦7勝    0.467       224
5位:だんじりエディター 13戦5勝 0.385        80 
6位:如来寺住職     8戦2勝 0.250         33
7位:栄光の14番    8戦2勝 0.250         13
8位:かんきちくん    8戦1勝 0.125          2
9位:ドクター       9戦1勝 0.111        −81

ということは連盟会員残り6名はいずれも「未勝利」でかつ(当然にも)累積点数マイナスということなのである。
1、2、3位は常識的には「規定打数未満」という扱いも考えられるのであるが、本会はそのようなせこいことは言わずない。ぜひ、長いスパンでの戦績の経時変化を観察していただきたいと思う。
本会のJ1メンバーは創設時に参加した貢献度を重視して、これまで会長、だんじりエディター、住職、ドクター、越後屋の創設5名をもって「永世J1会員」に認定しているが、称号と実力が必ずしも相応していないのではないかという不満が会員間にくすぶっていることを会長としては重く見て、越後屋とドクターが第一四半期終了時までに「J1」会員に恥じない戦績を達成しえない場合は、その時点で彼らよりも勝率・勝ち点ともに上位のJ2会員二名との称号の入れ替えを行う可能性があることを示唆しておきたい。
当面甲南麻雀連盟のJ1会員は「5名枠」を堅持したいと考えている。
なお、本会でいうJ1、J2というのは純粋に名誉上の称号であって、その称号の種類差は(J2会員に折に触れ向けられる暖かい技術的指導以外の)いかなる差別待遇を伴うものではないことを人権的配慮をふまえてここに明らかにしておくのである。

さらに増補改訂:
たいへん失礼なことをした。釈住職の勝率の分母を転記ミスしていたことをご指摘いただいた。
真実は4戦2勝であり、勝率は0.500であった。5割は同率が3名いるので、勝ち点で住職は第三位となる。
というわけで「泳ぐ英文学者」から「だんじりエディター」まで順位はひとつずつ繰り下げとなる。
住職の雀威に一抹の汚点を残した不明をここに伏してお詫びしたい。


投稿者 uchida : 08:30 | コメント (0) | トラックバック

2006年02月04日

キャリング・キャパシティの限界

今朝の毎日新聞で少子化問題について古田隆彦青森大学教授(人口社会学)がきっぱりした正論を書いておられた。
毎日新聞を読んでいる方はあまり多くないので(論調の抑制がきいたよい新聞であるのにね)ここにご紹介するのである。
人口容量(carrying capacity)という概念がある。
「容量が一杯になると、原生動物からほ乳類まで、ほとんどの動物は生殖抑制、子殺し、共食いなどで個体数抑制行動を示し、容量に確かな余裕が出るまで続ける。」
日本列島の人口容量は、旧石器時代で3万人、粗放農業文明期で700万人、集約農業文明期で3300万人と推定されている(江戸時代が3000万人、明治末期で5000万人)。
「この壁にぶつかる度に、日本の人口は停滞もしくは減少を繰り返してきた」
人口容量が限界に近づくと、どういうことになるか。
限りあるリソースの分配方法の選択を迫られることになる。
「親世代は自らの水準を下げて子どもを増やすか、水準を維持して子どもをあきらめるか、の選択を迫られる。が、すでに一定の豊かさを経験している親世代は、それを落とすことを嫌うから、事前に晩婚や非婚を選んだり、結婚後も避妊や中絶を行って出生数を減らしていく。」
現在日本の人口は1億3000万人。これは列島のリソースが養える限界に近い数値である。
「そこで、多くの日本人は無意識のうちに人口抑制行動を開始」しはじめてる。
「つまり、『晩婚化・非婚化』や『子育てと仕事の両立が難しい』という理由の背後には、『飽和した人口容量の下で自らの生活水準を維持しよう』という、隠れた動機が働いている。」
「ところが、エンゼルプラン以来の少子化対策は生活水準を上げてしまう。人口容量が伸び悩んでいる時、生活水準をあげれば、許容量はますます縮小し、その分出生数を減らし死亡数を増やして、人口を減らす。ミクロの増加がマクロの減少を招くのだ。
『子育てと仕事の両立を進めるな』と言っているのではない。『この種の政策では出生数の回復は無理』と言っているのだ。」
古田先生のご意見にわが意を得た思いである。
私がエンゼルプランや男女共同参画社会の基本的な発想に対して懐疑的なのは、これらの施策がその根本的な人間観として、「人間は金で動く」ということを自明のものとしているからである。
エンゼルプランというのはひとことで言えば「金をやるから子どもを産め」ということである。
男女共同参画社会の基本にある人間観は、「男も女も要するに金が欲しいんだろう」ということである(「金」のかわりに「個性発現の機会」とか「潜在可能性の開花」とか、言い換えても構わないが)。
キャリング・キャパシティに余裕があるときは、「金」は「生物的リソース」と相関しているから、金を求める行動を最優先することは生物としての生存戦略と背馳しない。
しかし、リソースが限界に近づくと、「金」はもうリソースの分け前を「兌換」的には表象しなくなる。
それは、「タイタニック号沈没間際」になると、札びらを切ってももう誰も「ボートの席」を売ってくれなくなるという状況と類比的である。
日本人は(なけなしの)生物的本能によって、「これ以上人口を増やすと個体の生存戦略上不利である」という判断を下した。
もちろん、人を生存戦略上不利な選択へと「金」で誘導することもできないわけではない。
できるかも知れないけれど、そんな誘導にひっかかるのは、生存戦略不利な生き方を平気で選んでしまう個体だけであるから、そんなDNAを受け継いだ子どもたちがたくさん生まれても定義上、「種の存続」の役には立たない。
少子化対策をする気があるなら、子どもを増やすことではなく、人口容量を増やす工夫に向かうべきだろう。
しかし、それは画期的な文明の転換がなされない限りありえない。
いまさら海外に植民地を作るわけにもゆかない。
だとすれば、私たちが選択できるのはスマートに「縮むこと」だけである。
ということを何年も前から申し上げているのだが、同意してくださるかたがほとんどいなかった。
今回、人口社会学者の力強い同意を得たので、ここに欣快の意を表するのである。

投稿者 uchida : 09:36 | コメント (8) | トラックバック

2006年02月03日

まず日本語を

教育関係の雑誌から原稿依頼が来て、「提言」をすることになった。
読者は全国の公立学校の校長教頭のみなさん。
初等中等教育についてご提言したいことはやまのようにある。
だが、こちらは現場の大学教師である。
「あれをしろこれをしろ」と世間に言う暇があったら、自分で腰を上げて、できることからやってしまった方が話は早い。
それでも、徒手空拳ではおのずと限界がある。
ときには世間さまに向かって直訴したいことだってある。
せっかくの機会であるので、ひとつだけ直訴することにした。
日本語教育をちゃんとやってください、というお願いである。
題して「まず日本語を」

私が提言したいのはただ一つ、「日本語教育にもっと時間を割く」ということである。
今年からセンター試験にリスニングが導入された。率直に申し上げて、どうして英語教育にこれほど優先的に教育資源を配分しなければならないのか、私には理由がわからない。「英語の運用が不自由であるのだから、それを強化するのは当たり前だ」という反論があるだろう。だが、それ以前にこの若者たちは母国語の運用が不自由なのである。英語の運用が不自由であることによってこの若者たちが将来的に受ける不利と、母国語の運用が不自由であることから受ける不利のどちらが大であるか、そんなことは誰にでもわかるはずだ。
しかし、母国語の運用能力の育成に優先的にリソースを投じろという声はほとんど聞かれない。おそらく多くの人は「日本語なんて誰でも自由に使える」と思っているのだろう。それどころか、「NHKのアナウンサーも、『天声人語』も誤った日本語を平気で使うご時勢なのだから、日本語運用が不自由であることは本人に競争的な不利をもたらさない」というような不思議なロジックで日本語教育の崩壊状態を放置している人々さえいる。
私にはこれは亡国の徴候のように思われる。
私が提言するのは、ロジカルで音韻の美しい日本語の名文をとにかく大量に繰り返し音読し、暗誦し、筆写するという訓練を幼児期から行うことである。「これはどういう意味か」とか「作者は何を言いたいのか」とか「この『それ』は何を指すか」とか、そんな瑣末なことはどうでもよい。名文には名文にしかないパワーがある。それに直接触れるだけで読み手の中の言語的な深層構造が揺り動かされ、震え、熱してくる。そして、論理的思考も、美的感動も、対話も、独創的なアイディアも、この震えるような言語感覚ぬきには存立しえないのである。
独創性は母国語運用能力に支えられるというと意外な顔をする人が多い。だが、創造というのは自分が入力した覚えのない情報が出力されてくる経験のことである。それは言語的には自分が何を言っているのかわからないときに自分が語る言葉を聴くというしかたで経験される。自分が何を言っているのかわからないにもかかわらず「次の単語」が唇に浮かび、統辞的に正しいセンテンスが綴られるのは論理的で美しい母国語が骨肉化している場合だけである。母国語を話していながら、「次の単語」が出てこない人間、階層構造をもった複文が作れない人間はどのような知的創造ともついに無縁である他ない。
もちろん、私はだから外国語の習得は不要だというような攘夷論を語っているわけではない。外国語の習得は自分がそれを用いて思考し、表現している母国語の個性と限界、自分がその中に囚われている「種族の思考」を客観視するためには必須のものである。
だが、その機能はあくまで母国語による思考をより深め、より豊かにするために副次的に学ばれるべきものだと私は思っている。
日本の知的未来に投資するなら、まず日本語を。
英語はそのあとだ。

この文章の中で私がいちばん重要だと思うのは、「創造というのは自分が入力した覚えのない情報が出力されてくる経験のことである。それは言語的には自分が何を言っているのかわからないときに自分が語る言葉を聴くというしかたで経験される」というところである。
どうして重要かというと、ここに書かれているのはこの原稿を書き始めるまでは「そんなことを自分が考えているとは知らなかった」ことだからである。

投稿者 uchida : 18:56 | コメント (5) | トラックバック

2006年02月02日

メディア・リテラシーとトリックスター

神戸新聞の取材。
「ホリエモン」について。
もうその話はいいじゃないですか、飽きたよ・・・と思うけれど、そのことについてお訊きしたいと言われると違う話をするわけにもゆかない。
堀江という人にもその「錬金術」にも私は興味がないけれど、この人の「立ち位置」にはいささか興味があったので、その話をする。
マクラにひとことメディア批判。
事件以降、実に多くの識者たちの「これまでさんざん英雄視してきて、一夜明けたら犯罪者扱いして石もて追うごときメディアの変節は見識がない」ということをメディアに書いていた。
でも、メディアがにぎやかに行ってきた堀江の「英雄」報道を読者たちが真に受けていたとかの識者たちは思っているのであろうか?
メディアが人を持ち上げるのは「落とす」ときの落差をつけるためである。
たいしたできごとでもないものをスペクタクルにかさ上げするのはメディアの本業のようなものである(東スポを見よ)。
「たいしたことない人間」だと思っていても、紙面では「英雄」だの「アイドル」だのと持ち上げてみせる。
そんなメディアの人物評をまじめに受け取る読者はいない。
練れた読者は、メディアが誰をほめようとけなそうと、かならず割引をして情報の「補正」を行っている。
その補正の適切さを「メディア・リテラシー」と呼ぶのである。
メディア・リテラシーの「低い」読者はいるが、メディアの下す人物評を100%真に受ける「メディア・リテラシー・ゼロ」の読者なんていない。
いないものをあたかも国民の過半がそうであるかのように識者たちは言う。
発言する識者自身、「自分が100と言ったら70くらいに読者は補正して取るんだろうな」と無意識に計算している。だから、「70」と言うべきときに「100」と言う。
私たちはそれをもまた「割り引いて」読んでいる。
しかし、書いている本人はそんな「かさ上げ」の操作を自分自身がしていることにしばしば気づいていない。
その「病識」が希薄である。
その点では、メディアを批判する人たちには「受け取る側が補正しなければならないような情報を流すな」という資格が十分にあるように私には思えないのである。
そういうウチダはどうなのだという反問があるだろう。
私は「話半分」の人である。
掛ける0.5というのが「ウチダの情報精度指数」である。
このディスクロージャーを私の知的誠実さのあかしとして受け取って頂きたい(むろん話半分で)。

本題は堀江的存在、すなわちトリックスター、フィクサー、インターフェイス、鵺、コウモリ、キマイラ、コミュニケータ、架橋者・・・的なものの練度や質が落ちたということについてお話しする。
私たちの社会は規範や価値観を異にするさまざまな下位集団に区分されている。
その集団と集団の境界には段差があり違和があり、どちらの価値観も通じない「ノーマンズ・ランド」が拡がっている。
ガチンコで突き当たるとフリクションが起こる。
その調整をする人が要る。
「あちらが立てば、こちらが立たず、こちらが立てば、あちらが立たない」という状況を単一の度量衡しか持たない人間は調整できない。
単一の価値観が支配している「世界」では最適行動とされているものが、この「あわい」では使い物にならないということが起こる。
例えば武道というのは、「生と死のあわい」に立つ術である。
生死の境というのは、生者の世界の法則が「通じない」状況のことである。
だが、その状況を適切にやり過ごさないと生き延びることができない。
だから、「生き延びる」ためにこそ、「生者の世界の法則」を一時的に「棚上げ」するという、ひとつ次数の高いふるまいが要請される。
自分の手持ちの規範や価値観や度量衡が使い物にならなくなった状況でも人間はなおある種の条理にしたがって生きることができる。
この「無規範状態における条理」の発見がひさしく人間的成熟の目標とされてきた。
少なくとも私たちの社会では長い間そのように信じられてきた。
山岡鐵舟は「幕末三舟」と呼ばれた功臣でありながら、維新後は明治天皇の侍従として重用された。知友は清河八郎、松岡萬、清水次郎長、三遊亭円朝、市川団十郎など実に他分野にまたがっている。
私はこの山岡鐵舟こそ近代日本における「トリックスター」のロールモデルだったのではないかと思っている。
鐵舟のもっとも有名な逸話は、勝海舟に依頼されて、江戸開城の談判のために益満休之助ただひとりを同行して東海道を下った話である。
鐵舟が六郷川をわたると篠原國幹が率いる薩摩藩の鉄砲隊に遭遇した。
鐵舟はそのまま単身ずかずかと本陣に入り、「朝敵徳川慶喜家来山岡鐵太郎大総督府へ通る」と一喝した。
篠原は山岡の剣幕に圧倒されて手も出ず、口もきけなかったという。
そうやって鐵舟は紅海を渡ったモーゼのように官軍のまっただなかを突っ切って、神奈川駅の西郷のもとにたどりついたのである。
江戸は「徳川幕府」の世界である。多摩川の西は「官軍」の世界である。
このふたつの世界は別のロジック、別の原理で機能している。
その「あわい」で適切にふるまうためには、幕臣としての忠誠を貫いても通らないし、官軍の威勢に屈しても通らない。
そのとき、鐵舟はそのどちらでもない条理に基づいて行動してみせた。
「朝敵家来」という鐵舟の名乗りは、彼が幕臣としての自分の立場に固執している限り、決して出てくるはずのないことばである。
これは官軍から鐵舟を見たときの彼の立ち位置である。
その「朝敵家来」という「他者からの規定」を引き受け、かつそれを論理によってではなく「朝敵家来が現にここに存在して、官軍将兵を圧倒している」という事実によって否定するという大技を鐵舟はここで繰り出してみせた。
西郷との会談でも鐵舟はそのトリックスター的天分を発揮してみせる。
西郷の提示した和平条件を鐵舟は呑み、恭順の意志を示した幕府をさらに追撃するのは「王師の道」にはずれる行動であろうと西郷を牽制する。
だが、条約の一条に含まれていた徳川慶喜の「備前預かり」を鐵舟は一蹴する。
「君臣の情」として忍びがたいというのである。
慶喜の処罰をなお求める西郷に鐵舟は「あなたと私と位置を換えて論ずることにしよう」ともちかける。
「今かりにあなたの主君の島津公が誤って朝敵の汚名を受け、官軍が討伐に向かったとして、あなたが私の地位となって主君のために尽力したとしたならば、命令だからといっておめおめ自分の主君を差し出し、安閑としてそれを傍観しておられるかどうか。君臣の情としてあなたにそれができますか」と詰め寄る。(小倉鉄樹、『おれの師匠』、島津書房、1998年、143頁)
「王師の道」としてことの理非を明らかにし、「君臣の情」として非とされたものに殉じる覚悟を述べる。
複数の視点から同じ問題をみると、見える風景が変わってくる。
鐵舟は「王師の道」から問題を論じ、「君臣の情」から問題を論じ、幕臣の立場から論じ、西郷の立場から論じる。
そのような自在な視点の転換ができるということ、矛盾を矛盾のまま引き受けることができるという点がトリックスターの知のありようなのである。
私たちの時代の不幸は、このような「無規範状態の条理」の探求を人間的成熟の目標に掲げる習慣を失ったことにある。
その現代日本に登場したグローバリスト・トリックスターは「王師の道」も「君臣の情」もすべては「金」という統一度量衡でカバーできると考えた。
価値観を異にする複数の世界のインターフェイスでどうふるまうかという真に人間的な問いは、「世界中どこでも欲しいものは全て金で買える」という「イデオロギー」の瀰漫によってかき消されてしまったのである。
ライブドア事件が私たちにもたらしたもっともきびしい教訓はこのことではないかと私には思われる。

投稿者 uchida : 10:01 | コメント (7) | トラックバック

2006年02月01日

東奔西走

入試の採点。
たいした枚数ではないので、すぐに終わる。
すぐに終わるのはうれしいのだが、それは志願者が減ったということであって、大学経営上はいささかもうれしいことではない。
1月30日現在の本学の志願者数は前年度比82.2%。
まだ確定した数字ではない。
文学部は前年比91.6%と健闘しているし、音楽学部は舞踊専攻を新設したので、110%だが、人間科学部の66.4%が痛い。
総合文化学科は前年比でプラスになった。
それが不思議である。
正直申し上げて、人間科学部はさまざまな新しいプログラムに意欲的かつ組織的に取り組んでいるのに対して、わが総文はそれほど組織だったことはしていない。
三年ほどまえにカリキュラムをかなりさわったが、できることはだいたいやってしまったので、もう「打つ手がない」というのが本音のところである。
とりあえず、日々の教育活動をていねいにする他にはすることがない。
しかし、それが意外に奏功しているという考え方もできる。
新学部新学科新プログラムというのは、志願者に対するアピールである。
「これからこんなすばらしい、時代のニーズにキャッチアップした教育が行われますよ!」と対外的なパブリシティに力を入れるということは、在学生に対して「キミたちは時代のニーズに遅れた、あまりぱっとしない教育を現に受けているということだよね」と告げているのにひとしい。
実際にそんなふうにへそをまげる学生はいないだろうけれど、対外的にアピールするために限りある教育資源を投じてしまうと、在学生に対する気づかいがその分目減りすることは避けがたい。
この「さじ加減」がむずかしい。
総文は志願者を増加させるためのアピーリングな事業をあまりやっていない。
総文叢書というものを出しているけれど、地味な出版事業だから、高校生にその学術性が評価されるとは考えにくい。
三年ほど前から、一年から四年までの全期間にゼミを必修として、クラス担任のようにゼミの教員がかなり細かく面倒をみるシステムを導入したけれど、「かなり細かく面倒みてます」というだけのことであって、あんまり面倒みてない教師ももちろんいるし、「干渉してほしくない」というインディペンデントな学生さんもむろんおいでになる。
その教育効果を数値的に示せといわれても、困る。
個人的には、廊下ですれ違うときに「あ、先生、こんちは」と挨拶する学生の数が増えたし、「相談があるんですけど」と言ってくる学生が増えたし、「先生のうちに行っていいですか」とわが家を宴会場がわりに使う学生の数が増えたということは事実としてあるけれど、こんな数値を統計的に処理して文科省に提出するわけにゆかない。
でも、私は存外「そういうこと」がたいせつなんじゃないかと思っている。
本学程度の規模の大学の場合、卒業生が「やあ、なかなか楽しい四年間だったなあ」と思ってくれて、それを機会があるときに「ぽろり」と周囲に漏らす程度のパブリシティで、そこそこの志願者は集めることができる。
別に何万人も要るわけじゃないんだし。
どうしようどうしようとあれこれ工夫することもたいせつだけれど、今いる学生たちと日々愉快に過ごす方が結局長いスパンでは有効なのではないかという気が私にはする。
こっちも楽だし。

それでも何か「ありもの」の組み合わせで新機軸を出しましょうということになって、副専攻プログラムというものを教育開発センターのU野先生を中心に起案している。
私はなぜか「アートマネジメント副専攻」というもののコーディネイターに指名されてしまった(相方は指揮者で識者のナカムラケン先生)
さいわい、うちの長屋には国立劇場のヤナイさんがいるし、「アート」といえばコバやんとともちゃんに講師で来てもらっているし、音楽学部の先生たちはパフォーマーとして現場に日々かかわっているわけだから、人脈はいくらでもある。
そういう先生方をリンクして、将来的にアートマネジメント関係のお仕事なんかやってみようかな・・・という学生諸君に専攻の他に10単位ほどの特設科目の単位を取って頂くという趣向である。
うん、なかなかいけるんじゃないの。
お金がほとんどかからない、というところが特によい。
「メディア・コミュニケーション」副専攻の仕切りはナバちゃん。「ホスピタリティ・マネジメント」の仕切りはコトコ先生とD口先生。
それだけでは数が足りないからもう一つとU野先生に頼まれて、私がとっさに考えついたのが「ボディ・サイエンス」副専攻。
舞踊専攻にはシマザキ先生がおられるし、人間科学部にはお医者さまたちが揃っているし、もちろん体育の先生もいる。
客員教授に甲野善紀先生と池上六朗先生をお招きして、三砂ちづる先生に集中講義に来てもらって・・・とあれこれ考えると、なんだかずいぶん楽しそうなプログラムである。
考えるだけならタダなので、ふわふわと空想をめぐらせる。

採点が終わって家に戻ると、『ミーツ』の取材と撮影。
スーツについての一家言を述べ、あわせてコルネリアーニのスーツでびしっと決めたところを写真で撮るというご趣向だそうである。
あ、そうですか。
スーツ着るの?
めんどくさいなあ。
とはいえ、大迫力と書いて「おおさこちから」と読むオーサコくんの「身内」からの依頼であるから断るわけにはゆかない。
ウチダはオーサコくんといい越後屋さんといい「身内からの依頼」に弱い。
『チャングム』におけるチェ尚宮的「身内びいき」体質なのであろう。
カメラマンの石本さんにしゃかしゃかと写真を撮ってもらってから、次の取材先の北野に向かう車で、元町の大丸まで送ってもらう(「よいカメラマンは仕事が速い」の原則を今日も確認)。
壊れた鞄の修理をお願いしてからとって返して肥後橋へ。
ゼミの卒業生で長屋に「だからどうだっていうのよ日記」を書いているタダヒロコくんを江さん青山さんとお引き合わせするためである。
前日平川君も来たという喜作にて、前日平川君も食べたという「するめの天ぷら」を食べつつビールと焼酎をいただく。
江さん青山さん、販売部長の中島淳と書いて「ナカジマ・アツシ」と読む中島さん、それに取材帰りのオーサコくんも加わって、なんだかよくわかんない宴会になる。
平川・ウチダを相手に連夜の宴会では、みなさんさぞや心理的にも胃袋的にもお疲れになったことであろう。
ごめんね。
この決着は4日の「甲南麻雀連盟第二回例会」で。

投稿者 uchida : 12:16 | コメント (2) | トラックバック