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2006年01月30日

出ました。バートン・クレーン作品集

前にお伝えしました石川茂樹くんプロデュースの「バートン・クレーン作品集」が発売になりました。
昭和のはじめにの帝都東京に彗星のように登場した「日本語で歌うアメリカのシティ派お気楽シンガー」というなんだかよくわからない空前にして絶後のパフォーマー、バートン・クレーン。
先般ご紹介の通り、ふだんはクラーク・ケントと名乗ってメトロポリスの『デイリー・プラネット』じゃなくて、本名でJapan Advertiser という英字紙の新聞記者に姿を隠し(てないか)、一旦緩急あるとマイク片手に”クレーン節”で満都を爆笑の渦に誘ったという怪しいお兄さん。而してその正体はその後New York Timesの経済記者として来日し、GHQの占領政策にもかかわったという知日派インテリゲンチャだったのです。63年没。
日本語をのせたその本歌はアメリカのジャズやフォークソング。
ということは「40年早く来たはっぴいえんど」?
そのルーツ・ミュージック探しに石川”ナイアガラー”茂樹の血ははげしく騒ぐのでした。

監修:瀬川昌久(戦前ジャズ評論家)
音源制作:郡修彦(音楽史研究家)
解説:山田晴通(東京経済大学助教授)
製作:バートン・クレーン発行委員会・石川茂樹(the Niagarer)
おねだん:2000円
収録曲:「酒がのみたい」「家へかえりたい」「ニッポン娘さん」「おいおいのぶ子さん」「人生はかない」「雪ちゃんは魔物だ」「よういわんわ」「誰方がやるじゃろ」「のんきなパパさん」「のんきなママさん」ほかタイトルからそれと知られる脱力系の25曲

お申し込み、お問い合わせはこちらまで

投稿者 uchida : 18:55 | コメント (3) | トラックバック

「すみません」の現象学

土曜に兄ちゃんが来た。
新規ビジネスの打ち合わせのためである。
関西での仕事のついでに麻雀やりたいというたってのお申し出であったので、甲南麻雀連盟の重鎮である江さん、釈先生においでいただく。
わが家にて名刺交換、鉄板焼き宴会のあと、さっそく卓を囲む。
本来は来週の2月4日が第二回例会で、今回はエクストラの「接待麻雀」であるが、兄ちゃんも「メンバーに入れといてね」ということなので、今回の戦績も連盟公式記録にとどめることにする。
半荘三回で「終電がなくなりますから」とひとり勝ちの江さんが帰ることになって解散。
兄ちゃんは「さあこれから」と腕まくりしていたところだったので「ええええ、もう帰っちゃうのお」とがっかりしていた。
これからは関西にくるたびにメンバーを招集してちょうだいねと頼まれる。
お安い御用ですとも。
平川君も関西に来るときはお声をかけて下さいね。
わが家にお泊りになるときはメンツ揃えます。

日曜日は入試があるのだが、学長と入試部長のおはからいで私はお休み。
ゆっくり朝寝して、兄ちゃんとのんびり朝飯(ご飯、豆腐とわかめのみそ汁、納豆、卵、キムチ)を食べつつ、ライブドア問題、パレスチナ自治政府問題など喫緊の社会問題についてスルドク意見交換。
横浜に帰る兄を「じゃね」と送り出してから、まず『ミュンヘン』の映画評をさらさらと書いて讀賣新聞に送稿。
天気がいいので、おふとんを干して、バイクで大学へ。
『チャングム』のDVDの束を「韓流ドラマ鑑賞会」のU野先生にお返しする約束があったのである。
お昼時でご飯を食べている同僚諸君とひとしきり無駄話をして、入試業務が始まったのですばやく逃亡。
家に戻って『態度が悪くてすみません』の「まえがき」の続きを書く。

「態度が悪くてすみません」というタイトルは三日前お風呂にはいっているときに思いついたのであるが、よくよく考えるとなかなかに滋味深いタイトルである。
「態度がわるくてすみません」と謝罪している私はいったい「何」について「誰」が「誰」にむかって告げていることばなのであろうか。
「態度が悪い」というのはすでになされてしまった行為について下される評言である。「すみません」というのは、その「すでになされてしまった行為」について、現に私が発していることばである。
この短い文のうちには二種類の時間が含まれている。
「態度が悪かった」のはむろん私である。
「過去のある時点での私」である。
「すみません」と言っているのも私である。
これは「現在の私」である。
「態度が悪くてすみません」というフレーズには、「過去の私」と「今の私」は、同一の私であるけれども、一方の行為を他方が非として認め、その責任を取ることを宣言している。
ここに「時間」と「他者」が生成するのである。
わかりにくいことを申し上げてすまない。
「私」というのは「変わらないものである」という考想をかつてレヴィナス老師は「同一者(le Me^me)と術語化された。
同一者の世界には「未知のもの」が存在しない。
すべては「想定内」の出来事である。
「こんなことは織り込み済みです」という言い方は「私は無時間的に同一者である」と宣言しているに等しいのである。
未来はあらかじめ把持され、過去は完全に理解されている。
そのような人間には「前代未聞のこと」は何も起こらない。
このことばを好んで口にした人物の運命は周知のとおりである。
老師はこの「未知なるもの」を構造的に排除する知のありかたを「光の孤独」と名づけた。
「光はこうして内部による外部の包摂を可能たらしめる。それがコギトと意味の構造そのものなのである。思考はつねに明るみであるか、あるいは明るみの予兆である。光という奇跡がその本質をなしている。光によって、対象は、外部から到来してくるものであるにもかかわらず、対象の出現に先行する地平を通じて私たちにすでに所有されている。対象はすでに知解された『外部』から到来し、あたかもわれわれに起源を有するもの、われわれが自由意志によって統御しうるものであるかのような形姿をまとうのである。」(『実存から実存者へ』、Emmanuel Le´vinas, De l’existence a` l’existant, Vrin, 1978, p.76)
「光の孤独」というのは、すべての出来事が「想定内」「織り込み済み」のものとして出現するような知の絶対的孤独のことである。
そのような知にとっては未知も、異邦的なものも、外部も、他者も存在しない。
だが、その孤独の徹底性は「他者がいない」ということにあるのではない。
実のところ私たちは外在的な他者なんかいなくても、けっこうやっていけるからである。
ひとりでいても、まるでオッケーなのである。
だからこそ現に「あなたの世界には他者がいない」とか「あなたは他者からの呼びかけに耳をふさいでいる」というような批評の文言が成立するわけである。
「他者がいなくてもぜんぜんオッケー」だからこそ、「他者のいない世界」が繁昌する。
「他者がいなくては困る」というのが本当なら、みんな必死になって他者との出会いを求めるに決まっている。
みなさんが「他者抜き生活」を過ごされていても、特段の不自由を感じられているようには見えないということは、私たちがそれなしではすまされない「本質的他者」、「絶対的他者」というのは通俗的に了解されているような意味での「他者」ではないということを意味している。
私たちがそれなしではすまされない「絶対的他者」とは(驚くなかれ)「私」のことである。
「私ではないんだけど、私」であるような「私」のことである。
私たちは一秒ごとに変化している。
人間の全身の細胞は三日で全部入れ替わるといわれているから、三日経つと生理学的には100%「別人」である。
爪を切っても、ご飯を食べても、お酒を飲んでも、映画を見ても、セックスをしても、そのつど、私たちは「それをする前とは別人」になっている。
にもかかわらず、私たちは「同じ人間である」と思っている。
これについて養老孟司先生がいきなり本質的なご指摘をされている。
「目が覚める、つまり意識が戻ると、たちまち『同じ自分』が戻ってくる。一生のあいだ何回目を覚ますか、面倒だから計算はしない。しかしだれでも数万回目を覚ますはずである。ところがそのつど、
『私は誰でしょう』
と思うことはいささかもないはずである。つまりそのつど『同じ自分』が戻ってくる。それなら『同じ自分』なんて面倒な表現をせず、『自分』でいいということになり、いつの間にか『自分』という概念に『同じ=変わらない』が忍び込んでしまう。」(養老孟司、『無思想の発見』、ちくま新書、2005年、39頁)
「面倒な表現をせずに」、「そのつど自己同定された自分」と「永遠不変の自分」をまとめて同一名称で「自分」と呼んでしまう人間の「怠惰」のことをレヴィナス老師は「同一者」と呼んだ。
レヴィナス老師が私たちに求めたのは、いわば、目が覚めるたびに「私は誰でしょう?」と問いかけるような「知性の次数」の繰り上げである。
目覚めるごとに「私は誰でしょう?」という自問を行う人は、「そう問いかけている人」と「そう問われている人」のあいだの「ずれ」に引き裂かれる。
その「引き裂かれてある」という事況そのものを「主体性」と呼びませんか、というのが老師からのご提言だったのである。
「私は私である」という自己同一性を担保しているのは、私の内部が光で満たされており、私が所有するすべてのものがすみずみまで熟知されているということではない。
そうではなくて、「自分が何を考えているんだかよくわかんない」にもかかわらず、平気で「私が思うにはさ・・・」と発語を起動させてしまえるというこの「いい加減さ」である。
言い換えれば、「私のうちには、私に統御されず、私に従属せず、私に理解できない〈他者〉が棲まっている」ということをとりあえず受け容れ、それでは、というのでそのような〈他者〉との共生の方途について具体的な工夫を凝らすことが人間の課題なのである。
「私である」というのは、私がすでに他者をその中に含んだ複素的な構造体であるということを意味している。
「単体の私」というものは存在しない。
私はそのつどすでに他者によって浸食され、他者によって棲まわれている。
そういうかたちでしか私というのは成立しないのである。
私の自己同一性を基礎づけるのは、「私は私が誰であるかを熟知している(あるいは、いずれ熟知するはずである)」ということではなく、「私は自分が誰だかよくわからない(これからもきっとよくわからないままであろう)」にもかかわらず、そのようなあやふやなものを「私として引き受けることができる」という原事実なのである。
私の過去と未来には宏大な「未知」が拡がっている。
私たちの未来は「一寸先は闇」ですこしも見通せないし、過去は一瞬ごとに記憶から消えてゆき、残った記憶も絶えず書き換えられてゆく。
そのただ中に「私は誰でしょう?」という自問を発する主体がいる。
その問いが抽象的なものにとどまらず、具体的なものとなるため必要なのは、朝目覚めるごとに「私は誰でしょう?」と問いながらも、「いつまで寝てんの!朝ご飯よ!」と呼ばれると「はい」と返事をして食卓につき、「あなた、ゆうべ寝言うるさかったわよ」と言われたら「すみません」と謝ることのできる「能力」なのである。
人間の人間性を基礎づけているのは、この「私が犯したのではない行為について、その有責性を引き受ける能力」である。
老師が「倫理」と呼んだのは、そのことである。
それは別にとなりの山田くんがガラスを割ったのに、「ぼくがやりました」と嘘をつけということではない。
自分がやったことであるにもかかわらず、その行為の動機についても、目的についても、その理路についても、うまく思い出せないようなことはいくらでもある(というか、それによって私たちの人生は満たされている)。
それについて涼しく「すみません」と宣言すること。
それは過去の私の犯した罪について、現在の私がそれを「私の罪ではないが、私の罪である」というしかたで引き受けることである。
それが倫理ということばの意味である。
老師はそのことのたいせつさを教えられたのである。
「絶対的他者」とは、「私がその人のために/その人に代わって『すみません』と言う当の人」のことなのである。
「光の孤独」のうちに幽閉されている同一者はそのような意味での他者を持たない。
だから、彼らは「すみません」ということばを決して口にしない。

投稿者 uchida : 12:23 | コメント (2) | トラックバック

2006年01月29日

極道評論家の予言

ライブドア事件がだいぶきな臭くなってきた。
(社長1名、社員ゼロ、売り上げゼロの)休眠会社を買収したときに、その会社の株式2万株(無価値)とライブドアの新株70万株を交換した。そのライブドア株は海外の投資会社に売却され、売却益は海外の銀行口座に振り込まれ、その口座は堀江貴文前社長が管理している疑いが強いということである。
検察はこれを犯罪収益の隠匿のための「マネーロンダリング」であると見て、堀江前社長への組織犯罪処罰法適用の検討を始めた。
実はこの話はアンダーグラウンドでは以前から知られた話のようである。
ライブドアが広域暴力団Y口組のマネーロンダリングを請け負って急成長したという「風聞」を私が拝聴したのは極道評論家(「極道な評論家」でありかつ「極道についての評論家」)のM上さんからであった
M上さんによれば、それ以外にもXXXやOOO系ファンドからも裏金が流入しており、それらのブラックな資金力をバックにした新興財閥の登場に、「旧態依然」たる日本の財界人がはげしい拒否反応を示したというのがこの間のライブドア問題のスキームだそうである。
ライブドアが近鉄買収や仙台での新球団の創設などを模索したときにプロ野球機構(財界スポーツ振興部門)はきわめて政治的な排除行動をとりながら、それについていっさい説明を拒否した。
ナベツネは「あんな変なTシャツを着たやつなんかにプロ野球球団は任せられん」と放言したそうだが、まさかそのような薄弱な理由でプロ野球参入を拒否することはできないことは誰にもわかる。
ニッポン放送の買収のときも、「白馬の騎士」の登場を財界は強く要請した。
ライブドアの手荒なビジネススタイルが感覚的に不快であるとかいう程度のことで合法的なM&A活動を財界ぐるみで阻止するというようなことはあるはずのないことである。
いずれも、そこには「口にはできない理由」があったからである。
さらにM上さんの「コンフィデンシャル極道情報」によると、ライブドア排除のときに財界が支援を要請したのは他ならぬS価学会だそうである。
Y口組やXXXと五分に渡り合える組織は日本にはK産党とS価学会しかないのだけれど、まさか経団連がK産党に助力は依頼できない。
「日本のアンダーワールドの奥は深いんですね」とワイルドターキーの水割りを手に、私が嘆息をつくと、M上さんは「堀江はいずれつかまるよ」と小さくうなずきながらごくりと水割りを飲み干したのである。
一年ほど前の話。

投稿者 uchida : 11:11 | コメント (1) | トラックバック

2006年01月28日

身の程を知れ

お昼から『週刊ポスト』のインタビュー。
ポストの読者は30−40代の「おじさん」たちだそうであるが、そのかたがたに「ご提言を」をという要請である。
はあ。そうですか。
先般は藤原正彦先生が「日本人よ、惻隠の情を持て」とご提言されて、たいへん好評だったそうである。
というわけで、私も「日本人よ」というワーディングで何かひとことと三秒考えたのち「日本人よ、身の程を知れ」とご提言申し上げる。
「身の程を知る」とか「分際をわきまえる」とか「身の丈にあった望みを持つ」という謙抑の美徳はすでに忘れ去られて久しい。
しかし、私の見るところ、この「自己評価の適切さ」に対する配慮の欠如は現代日本人の不幸のかなりの部分について原因となっているように思われる。
私たちの不満の多くは自己評価と第三者評価のあいだの「ずれ」によってもたらされる。
ほとんどの場合、私たちの自己評価は第三者評価よりも高い。
「なぜ、私のような卓越した人間がそれにふさわしい敬意と威信を得られないのであろうか?」ということばづかいで私たちの社会的不満は形成されている。
これはもう、どなたも同じである。
その結果、「どうして私だけがこんな不当な目に・・・」という上目づかいの口への字という表情のかたがたが社会のマジョリティを占めることになるのである。
「みんな同じ表情」をしているので、みなさん「それがふつう」とお考えのようであるが、それは違う。
日本人がみんな同じような恨めしげ物欲しげな表情になったのは、比較的最近のことである。
グローバリゼーションとこの「不満顔」は同時的に生起した。
グローバリゼーションとは、アメリカにおける国民統合の装置のことである。
かの国は移民国家であるので、国民各位はもともと人種も言語も宗教も習俗も異にしている。それを単一国家に統合するに際して、アメリカはふたつの「共通基盤」を採用した。
ひとつは「星条旗に対する忠誠心」、ひとつは「ドルに対する信頼」である。
「神はアメリカを嘉したもう」と唱和することと、「金持ちは貧乏人よりアメリカ社会への適応が進んだ人間である」と認めることがワンセットになってアメリカのシチズンシップは形成されたのである。
これは「もともと共通の度量衡をもたない集団」を統合するための装置である。
目的はあくまで「統合」であり、比較考量はその副次的効果である。
しかし、そのローカルな事情を忘れたまま、グローバリゼーションは日本に輸入されて、「日の丸に対する忠誠心」と「金もちは偉いという価値観」に読み換えられた。
よけいなことをしたものである。
いまさら言うまでもないことだが、日本はほかのどの国民国家と比べても、きわだって均質性の高い社会である。
均質性が高いという共通の基盤があったので、その上にローカルでヴァナキュラーな習俗やライフスタイルや価値観が豊かに展開されてきたのである。
本来「均質性のない社会集団」を統合するための装置として要請されたグローバリゼーション圧を日本のようなもともと均質性の高い社会にかけた場合、どのような結果がもたらされるのか。
そのネガティヴな結果について考えた人はいなかったのだろうか。
きっといなかったのだろう。
その結果、日本は世界に類をみないほど均質的な社会になってしまった。
かつては性が違い、年齢が違い、地域が違い、職業が違い、社会的立場が違うひとは、それぞれ固有のエートスを保持していた。
それぞれの社会集団が、それぞれ固有のエートスを保持している限り、そこに単一の度量衡をあてがって、「どちらが社会により適応しているか?」「どちらがより成功しているのか?」というようなことを問う人はいなかった。
しかし、今は1億3千万人の日本国民を「年収」だけを指標にして一元的に考量することが可能であると考える人々がマジョリティになった。
そうやって、ひとびとは「身の程をわきまえる」という規範を失った。
「身の程」というのは、自分がそれを基準にして生きている規範の地域性・特殊性のことである。
自分が規範としているものは、他の社会集団には適用されない。
だから、自分と同じ規範に従っている人の言動については、ことの良否を言うけれど、自分の規範とは違う規範で行動している人については、礼儀正しい不干渉を保つ、というのが「身の程を知る」ということである。
今、日本人たちは「権力、財貨、情報、文化資本の占有を求めることがすべての人にとっての生きる目標である」と信じている。
それが日本的グローバリゼーションの帰結である。
それは繰り返し用いる比喩を使っていえば、連休にディズニーランドに行って、「なんでこんなに人が多いんだ」と怒っている人間のあり方によく似ている。
彼は他人と同じ行動をすることによってしか快楽を得ることができないのであるが、「他人と同じ行動をする」という当の事実が、そのつど彼が快楽を得ることを妨げるのである。
「他の人が欲しがるもの」を欲しがるというかたちでしか欲望を起動させることができないので、彼は物欲しげな顔になり、「他の人が欲しがるもの」はまさに当のその理由によって彼の手には入らないがゆえに、彼は構造的に恨めしげな顔になる。
全員が似たもの同士になった日本社会に住む人間たちが、「うらめしげでかつ物欲しげ」な表情を顔にはりつけてしまったのはだから当然の成り行きなのである。
私が「身の程を知れ」というのは、そのことばの通俗的理解が意味するように「他人の顔色を伺って身を縮めて生きろ」ということを言いたかったからではない。
他人と違う行動をすることから快楽を得るような生き方にシフトした方がいいんじゃないですかとご提言申し上げたかっただけである。
「礼儀正しい不干渉」とか言ってるわりには、よけいなお世話でしたけど。


投稿者 uchida : 14:54 | コメント (2) | トラックバック

2006年01月27日

「みんな」の呪縛

角川書店のエッセイ本(そろそろタイトルを考えないといけない)の「あとがき」をこりこり書いていたら電話が鳴って、M日新聞から京大の元アメフット部員三人が集団強姦で逮捕された事件についてのコメントを求められた。
翌日の朝刊に事件が報道されるので、それにつき「識者のコメント」としてひとことお願いしたいと言う。
電話取材でのコメントというのは、かなりじっくりとユニークな解説を展開しても、記者が「その程度のことは誰だって気がつく」平凡な感想にまとめてしまって、結局名前を出された本人が満天下に恥をさらすことになるので、あれはよしたほうがいいよと以前に忠告されたことがある。
だから、電話取材に対しては「やです」とすばやく断る。
「どうして、ダメなんですか?」と訊くので、「だって・・・」と上記のごとき理由を告げる。
「いや、20行くらいは取りますから」
「でも、勝手にわかりやすく書き換えちゃうんでしょ?」
「多少はそうですけど、一応原稿送りますから、それに手を入れて結構です」
最終的にチェックができるなら、まあいいかということで15分ほど感想を述べる。
私が言いたかったのは、こういうのは「大衆社会」に固有の現象だということである。
大衆社会にはさまざまな特徴があるが、その一つは「視野狭窄」である。
どうしてそうなるのかというと、大衆の行動基準は「模倣」だからである。
オルテガが看破したように、「大衆とは、自分が『みんなと同じ』だと感ずることに、いっこうに苦痛を覚えず、他人と自分が同一であると感じてかえっていい気持ちになる、そのような人々全部である。」(『大衆の反逆』)
彼らの行動準則は、「他人と同じであるか、どうか」だけである。
何らかの上級審級に照らして正邪理非を弁ずるということをしない。
「みんながやっていること」は「よいこと」で、「みんながやらないこと」は「悪いこと」というのが大衆のただひとつの基準である。
これはある意味では合理的な判断である。
上位審級(法律とか道徳とか宗教とか哲学とか)だって、ある程度までは「みんな」の支持を取り付けないと実効的には機能しない。
少数の人間が「絶対これがいい」という選択肢と、多数の人間が「別にこれでもいいけど」という選択肢があった場合には、後者を選んでおく方が安全、というのはたしかな経験則である。
だから、大衆社会の人々がほんとうに「みんな」がやっていることを是とし、「みんな」がやらないことを非としているのであれば、(オルテガ先生に逆らうようで申し訳ないけれど)、実は大衆社会というのはかなり住みよい、条理の通った社会なのである。
では、なぜ大衆社会がこれほどあしざまに批判されるのかというと、問題は「みんな」という概念のふたしかさに起因するのである。
るんちゃんが子供の頃、おもちゃを買って欲しいと言ってきたことがあった。
「どうして?」と訊くと、「みんな持ってるから」と答えた。
「みんな、って誰?」と重ねて訊くと、「うーんとね、なっちゃんとね・・・なっちゃんとね・・・なっちゃんとね・・・」
そのときの「みんな」は一名様だったわけである。
問題は「みんな」がどれほどの個体数を含むのかが「みんな」違うということなのである。
ある程度世間を見てきて、世の中にはいろいろな人間がおり、いろいろな価値観や美意識や民族誌的偏見やイデオロギーや臆断があるということを学んできた人間はめったなことでは「みんな」というような集合名詞は使えないということがわかってくる。
逆に、世間が狭い人間は軽々に「みんな」ということばを使う。
彼の知っている「みんな」が考えていることは、その事実により「常識」であり、「みんな」がしていることは、その事実により「規範」たりうるのである。
大衆社会がそこに住む人間にとって必ずしも安全でも快適でもないのは、「みんな」ということばの使い方がひとりひとり「みんな」違っており、それゆえ、「みんな」の範囲が狭い人間であればあるほど、おのれの「正義」とおのれの判断の適法性をより強く確信することができるからである。
無知な人間の方がそうでない人間よりも自分の判断の合理性や確実性を強く感じることができる。
それが大衆社会にかけられた「呪い」である。
逮捕された京大生たちは「いずれも容疑を否認している」そうである。
彼らには犯意がなかったらしい。
その場にいた三人全員でやった以上、「みんな」がやったことだから、咎められるはずはないという大衆社会固有の推論に基づいての判断だったのであろう。
彼らは学生たちの狭い社会の外側に「刑法」という上位規定によって規制されている社会が拡がっていることを(知識としては知っていても)、実感したことがなかったのである。
というようなことをたしかに20行にはまとめられないね。

角川新書のエッセイ集のタイトルを発作的に『態度が悪くてすみません』に決定。
E澤さんは『身体復権』とか『身から出たご縁』とか、なかなか渋いタイトルをご提案くださったのであるが、そのようなご提案を無視して、勝手にタイトルをつけたりして、態度が悪くてすみません。
というように私の日ごろのすべての言動に適用することのできる、たいへん汎用性の高いタイトルなのである。
音も「た」で始まって、「ん」で終わり、8モーラ、5モーラでぴったり。

投稿者 uchida : 09:38 | コメント (2) | トラックバック

2006年01月26日

『ミュンヘン』を見に行く

授業が終わってから、眠り続けている。
朝起きて朝食を食べて、新聞を読んでいるうちに睡魔に襲われ、またベッドに潜り込む。昼頃起き出して、昼食を食べて、テレビを見ているうちに睡魔に襲われ、またベッドに潜り込む。夕方になって起き出して夕食の買い物をしてお風呂に入って夕食を食べて、お酒を飲んでいるうちに睡魔に襲われ・・・
起きるのがつらい。
全身の細胞から「疲労物質」がじゅるじゅるとしみ出しているのがわかる。
仕事がレギュラーにある期間は、疲労のシグナルは抑圧されている。
「疲れた疲れた」と愚痴っても、やらなければいけない仕事の量が減るわけではない。それなら、黙ってやる方がいい。
それが「もうすぐ休みだよ」というシグナルを感知すると、じゅるじゅるとしみ出してくるのである。
朝起きるときがいちばんぐったり疲れている。
身体が起きあがらない。
べりべりとベッドから引きはがすように起きる(ゴミ捨てがあるからね)。
93年に過労で倒れて3週間入院したことがあった。
そのときは卒業式まではなんとか持ったけれど、卒業式が済んだとたんに全身に発疹が出て、高熱を発し、ちょうど春休み分3週間だけ入院していた。
入院しているあいだはただひたすら眠っていた。
仕事をしすぎである。
『憲法本』を書き終えたと思ってほっとしていたら、『私家版・ユダヤ文化論』の校正に取りかかって下さいねと文春のO口さんからキックが入る。角川新書からはエッセイ集のゲラが届いて、「1月末までに『まえがき』と『あとがき』も書いて返送のこと」と厳命されている。3月末締め切りの岩波書店の身体論はまだほとんど手つかずである。
スケジュール表を見ると、春休みもいつのまにか「真っ赤」になっている。
ぜんぜん「春休み」じゃないねえ・・・
火曜日は一日寝ていたら、夕方ゼミの四回生たちが乱入。
来月のゼミ旅行の打ち合わせと称して宴会。
彼女たちの話題はひたすら恋愛と結婚についてである。
私とて求められれば、卑見を陳ぶるにやぶさかではない。
将来エナミくんが「ハワイでたこ焼き屋」をやる際には、みんなで食べに行きましょうと衆議一決して散会。
水曜日も一日寝ている(というか起きられない)。
夕方よろよろと起き出して、IT秘書(仕事を辞めたのですっかり幸福そうに太っている)のイワモトくんと厚生年金会館に『ミュンヘン』の試写会に行く。
越後屋さんがお出迎え下さり、「関係者入り口」から入って、「関係者席」に着く。
ヘビーな映画であった。
秘書は1972年のミュンヘンオリンピックのときにはまだ生まれていないので、「ブラック・セプテンバー」のことを知らなかった。
それは困った。
PFLPやバーダー=マインホフやジョルジュ・ハバシュやゴルダ・メイヤという名詞が何を意味しているのか知らないと、映画の登場人物たちが何の話をしているのか、よく(というかぜんぜん)わからない。
秘書は同世代の中では物知りのほうである。物知りでもこれくらいということは、二十代の一般観客はこの映画の中で口にされる固有名詞の90%くらいが理解不能ではないかと思う。
日本の若い観客(特に映画観客の大半を占める20代—30代女性)の政治史関連知識が非常に(悲劇的なまでに)浅いという現状を鑑みるに、この映画が日本で十分な興行的成功を収めることができるかどうか、スピルバーグの天才的な映像と作劇術をもってしても予測は困難なのである。

投稿者 uchida : 09:39 | コメント (2) | トラックバック

2006年01月24日

まず隗より始めよ

週末が試験でつぶれたのに月曜も一日仕事。
会議が四つに試験が一つ。
最初の会議は1時20分に始まり、最後の会議が終わったのが8時45分。
どうしてこんなに会議が多いのだろう。
二つめの会議は大学体育館をどうするかについての会議。
別にごくビジネスライクな意見交換だけで終わりそうな話なのであるが、今大学体育館に数億円を投じて作ることはそれほど投資として優先順位が高い事業なのかという話になってきて、学内合意がなかなか成立しない。
たしかに経営者的視点からすると、在学生というのは「入学時に約束されていた以上の教育サービスを提供する必要のない人々」である。
大学入学をある種の「契約」と考えれば、入学時に校舎がボロだった場合、四年間その「ボロ校舎」に通学することに不満を唱える「権利」は学生にはない。
理屈としてはそうである。
だから、学生たちから徴収した授業料収入は「次年度以降の志願者」を増やすためには、(体育館のような「地味な」教育施設ではなく)「対外的にアピーリングな」事業に優先的に投資すべきである、というのが経営者的な発想である
考え方としては間違っていない。
けれど、在学生の側からすると気持ちがすこし片づかない。
「まず隗より始めよ」という古諺もある。
燕の昭王が天下の賢者を集めて、そのブレーンにしようとしたことがあった。
そのとき、臣下の郭隗が、「そういうときはまず今お仕えしている私どもをもっとだいじにしてください」と進言する。王が怪しむと、隗は「私のような三流の人士であっても昭王は厚く遇しているという風聞が世間に伝わると、賢者たちは『隗程度の者でも優遇されるのであれば、私などはどれほどの敬意をもって遇されるであろう』と期待して、進んでおしよせるでありましょう」と答えた。
遠大な事業をなさんとするときは、まず卑近な事から始めよという教えである。
と教科書や辞書には書いてあるが、私はその真意は別にあると思う。
というのは、この程度のパブリシティで「私などはどれほどの・・・」と思ってやってくる学者たちはよく考えると「隗程度の者の策略に乗ぜられた」という事実から推して、あまり賢いとは思われないからである。
「あまり賢くない賢者」というのは形容矛盾である。
つまり、これは「賢者を集めるコツ」について述べているかに見えて、実は「賢者はつねに足下にあり」ということを言おうとしているのである。
禅語に言う。「脚下照顧」。
落語『こんにゃく問答』に言う。「三尊の弥陀は眼下にあり」
私も先賢の驥尾に附してこう申し上げる。
在学生に対する教育サービスの充実をまず優先的に配慮することは、何年か先の志願者の頭数を皮算用でふやしてみせることよりもよほど大切なことである。
いまいる学生の一人一人が私たちの「隗」である。
まず隗より始めよ。
志願者をできるだけ多く集めることは経営上たいせつなことである。
けれども、そのための投資を在学生に対する教育サービスの質を低下させることでトレードオフしてはならない。
ということを会議の席では申し上げたつもりであったが、途中からつい「なにいってやがんでえべらぼうめ」と江戸っ子啖呵でまくし立てたせいで会議は要らぬ大騒ぎになってしまった。
反省。

会議が終わって家によろよろと帰ってきたら、「憲法本」の原稿の感想が三人から届いていた。
編集者の中野さんと、共著者の平川君。もうひとりは、ちょうど一昨日のブログ日記に「日本はアメリカの植民地だ」と書いていた鈴木晶先生である。「おお、シンクロニシティ!」というので、「ちょうど同じ頃にこんなん書きました」と添付ファイルでお送りしたのである。
みなさん「たいへんおもしろい」というご感想であった(「たいへんおもしろい」と言って下さるに違いない「世の中の仕組みがよくわかっている方」にのみ選択的にお送りしたのであるから当然のことであるが)。
中でも平川君の「腰が浮くほどおもしろい」という評語にはたいへん感動した。
平川君の憲法論は戦後日本の市民的エートスの変遷に焦点をあてたもので、テンションの高い達意の名文である。
『憲法本』はたいへん面白い仕上がりになりそうですから、みなさん出たら買って下さいね。


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2006年01月22日

センター試験が終わった

二日続きで早起きしたのでたいへん眠い。
今日は朝八時から夜の七時まで入試本部詰め。
なにごともなくセンター試験の全作業が終わり、答案をスチールの箱に詰めて、施錠する。
警備の刑事さんが二人来る。
コンテナ車が来て、荷積みする。
これを私どもの大学では「出棺」と呼んでいる。
がちゃんとコンテナ車のドアが閉まる音を聞いて、最後まで残っていたみなさんと「合掌」で見送る。
それから「お疲れさま」と拍手。
どんな仕事でも、最後まで協力しあって、ことがきちんと終わると、深い満足感がある。
11時間も詰めていたのでけっこう疲れたけれど、なんだかいい気分になって、ゆらゆらと岡田山を降りる。
途中で人間科学部のY先生といっしょになったので、今後の大学教育のありかたについてたいへんまじめな議論をしながら帰る。
私はときどき発作的にたいへんまじめな議論をする人間なのであるが、不思議なことにそういうときには決して相手の言い分に違和感を覚えないで、「そうですそうですおっしゃるとおりです」という展開になる。
別に迎合的になっているわけではない。
私はまじめになるとなにごとによらず同意的な人間なのである。
ということは、私と意見が合わない人というのは、私がふまじめなときに限り選択的にお会いしているということになる。
うーむ、それも問題かも。
家に帰って、スパゲッティを啜りながら「憲法本」の最後の修正をして、「もう、いいや」と中野さんに送稿する。
これまで私が書いてきた憲法についての私見の「まとめ」のようなものなのであるが、それにつけてもどうして私の書くものはこのように多くの人々を怒らせるものになるのであろうか。
たぶん私の知的パフォーマンスは「こんなことを書くと読んだ人がさぞや怒るであろう」という条件が加えられると飛躍的に向上するのであろう。
あれ、さっきと話が違うな。
ま、そんなことはどうでもよろしい。
「憲法本」はなかなか面白い本に仕上がりそうなので、みなさんどうぞご期待ください。
「そうそうそのとおり」とうなずくもよし、「なにいってやがんでい」とお怒りになるもよし。
どちらにせよ、平穏な気持ちでは読み終えることができないということだけは保証致します。
はい。


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センター試験とバッシーの結婚式

センター試験の初日。
雪が降るのではと心配されたが、晴れてくれてほっとする。
センター試験の受験生は本学を志願するわけではない「お客様」であるので、粗相のないようにしなければいけない(別に本学の志願者には粗相があってもよいということではない)。
全国一律の試験なので、わずかなミスでも全国紙に麗々しく報道されて「粗忽な教職員のいる大学」というネガティヴ・キャンペーンを行われてしまうからどの大学も必死である。
そういう「恐怖のシステム」を作り上げることそのものが共通一次導入の文科省の政治的ねらいの一つであったわけであると考えるなら、このプランはみごとに奏功したことになる。
今年から新たにリスニングが導入された。
学習指導要領の改訂に伴って、高校でのリスニング教育が義務づけられたことに伴う措置である。
文科省がいくら「オーラル重視の英語教育をやれ」と言っても、現場の教師が「そんなことは必要ない。英語はまず読み書きだ」と思えば、役人には手が出せない。
だが、「センター試験にリスニングを出す」ということになれば、受験生は教師の教育理念よりもわが身がかわいいから当然「リスニングの授業をもっとやってください」と言い出す。
文科省と生徒に挟撃されては、教師もおのれの教育理念を譲らざるを得ない。
一方では市場原理の導入によって「弱肉強食」の淘汰競争の中に放り込み、他方で学校を文科省の思惑をつねにうかがわねば生きてゆけない存在として規定する。「誰にも保護されずに生存競争を強いられている弱者」ほど官僚から見てコントロールしやすい存在はないわけであるから、文科省の学校支配の政略はみごとに成功したと言わねばならない。
拍手。

本学の本年度の志願者数は(明日まで最終結果が確定しないが)、前年比90%というあたりである。
18歳人口の自然減を勘定に入れると、ほぼ前年並み。前年比50%というような大学が多い中では善戦というべきであろう。
私立の中には志願者が10万人減、5万人減というようなところもある。
10万人減の大学は受験料収入だけで35億からの収入減になったということである。
これらの大学はどこも新学部新学科を作ったり、高校を系列化したり、土地の買収をしたり巨額の先行投資をしているから、その矢先に冷水を浴びせるような志願者減はダメージだろう。
全国550校の四年制大学のうち、定員割れの学部学科をかかえていない大学はすでに約100校にまで絞り込まれた(本学はその中に踏みとどまっているが)。
受験料収入・授業料収入がそのように減少し続ける中で、巨大私学はどこも「拡大路線」を選んだ。
「チキンレース」である。
最初に悲鳴をあげたところの負けである。
負ければそれまでの先行投資がすべて水泡に帰すわけであるから、どこの大学でも意地を張り続けて、あるだけの金をつぎ込む。
そして、業績が悪化すればするほどハイリスク、ハイリターンの「起死回生」の大博打を打とうとするだろう。
つまり、このチキンレースで負けたプレイヤーの「負け方」は(どのような規模のものになるのか私にはうまく想像がつかないが)半端なものでは収まらないということである。

お昼で統括本部を抜け出して、北野のSOLAへ。
96年卒のI橋K子さんの結婚式。
ゼミ同期生のH巣(旧姓I谷)さん、I森さんの二人が来ているので久闊を叙す。
それぞれ千葉、島原からの遠路の旅である。
同期生には先日ご主人を亡くした赤澤牧子さん、ベルギーのカナ姫、イタリアのブタさん、今はオハイオ、シンシナティのI藤さん、この春英文の通訳コースの修士課程を終えるN谷、五島列島に嫁に行ったK原などたいへんに賑やかな諸君がそろっていた。
彼女たちが3年生のときに震災があり、すぐに安否の確認をしたのであるが、ひとりだけ返事のないやつがいて、バイクに乗って芦屋の南の方まで安否を尋ねて探しに行ったことがあった(N谷くん、君のことだよ)。
卒業旅行にはバッシーことI橋の引率でマレーシアのランカウイに行った。
鹿児島のY川くんの結婚式に出てから遅れて合流した私はこのリゾートには一日泊まって海岸で少し泳いだだけだった。
その十年後に竹信悦夫くんが同じ場所で亡くなることになった。不思議な因縁を感じる。
このときのバッシーの仕切りはまことにみごとなものであり、私はこの神戸シティガールのリッチでアーベインな未来を確信したのであるが、案の定バッシーは理想の結婚相手を見つけ出して、「いかにもバッシーらしい」ハートウォーミングでスマートな結婚式を挙げた。
披露宴のあと、ふたりの旧ゼミ生をつれて三宮駅まで戻り、「ちょっと一杯」ということでRe−setに立ち寄る。
土曜の6時半というのに店が閉まっているので、びっくりしていたらいいタイミングで国分さんが現れたので、お店を開けてもらって、人手不足で11月から9時開店になったという話を聞く。
銀色夏生さんと行った時にしまっていたのはそのせいだったのである。
Pちゃんのリクルートに真顔になっているのも当然である。
冷たいワインを二杯飲んで、ひとしきり神戸「牛肉事情」「ワインバー経営の要諦」などについて専門的な意見の交換を行っているうちに、「じゃ、オレの行き着けの店に行こうか」と誘ってエレベーターで7階まで上がったら店が閉まっていたときに二人が私に向けた冷ややかな視線はだいぶ緩和されたのである。
やれやれ。


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2006年01月20日

また締め切りに遅れてしまった

月曜日締め切りの原稿が三本あった。
二本はなんとか書き上げて送稿。今月から連載する通信社と新聞社の月一エッセイである。
送稿してやれやれと思っていたら、新聞の方はそのまま通ったけれど、通信社からは書き直しを求められた。
「はめる絵がない」からという説明であった。
新聞に寄稿を求められるときに面倒なことのひとつは、「挿絵」をいれるので、挿絵画家が構想を練って執筆する時間分だけ前倒しで締め切りが設定されることである。
説明的な挿絵なんかなくていいですと言っても取り合ってくれない。
文章に説明的な(あるいは比喩的な、あるいは批評的な)絵をつけることはたしかにうまくゆけばある種のコラボレーションとして成立する。
『ミーツ・リージョナル』に「街場の現代思想」を連載していたとき、挿絵(というか四コママンガ)を書いてくれたのはアジサカコウジ画伯であった。
このときは毎月、画伯がどんなマンガで応じてくるのか、本を開くのが楽しみであった。
ほとんどの場合、私の本文より画伯のマンガの方が面白かった。
今回、新聞の方の挿絵は山本浩二画伯に頼んだ。
本の装丁と同じ感じである。
私の文章と山本画伯の絵はそこに並べて置かれるだけで、なんとなく「話が通じる」。
画伯のカタログの解説に私は「タブローの力 山本浩二の芸術」という文章を書いた。
これは「挿絵」ならぬ「挿文」であるけれど、本体の絵のじゃまにならず、なかなかよくなじんでいる。
しかし、こんなコラボレーションが成立するのはレアケースである。
だから通信社には「挿絵は止めて、写真にして」と頼んだ。
写真なら通信社にいくらもストックがあるだろうから、その中からトピックに合った適当なものを選んでくれれば挿絵画家の執筆時間だけ締め切りが楽になる。
そう考えたのであるが、最初に送った原稿は内容が抽象的すぎて「はめる写真」がなかったそうなので、書き直しを求められた。
『方法序説』のことを書いたのだが、それに「はめる絵がない」ということは、デカルトの写真が通信社のアーカイブにはなかったのだろう。
ホリエモンとか小泉首相とかなら写真はすぐにみつかるんですけど、と編集者は言っていた。
なるほど。
仕方がないので書き直して、誰でも知っている世俗の人たちのことを書くことにする。

毎日新聞社の『憲法本』はだいたい書き終わった。
枚数はだいぶオーバーしたけれど、書き足すことがあと少し残っている。
締め切りまでにちゃんと書き上げて送稿してきたのは平川君だけ。
町山智浩さんからも、小田嶋隆さんからもまだ原稿が届いてない。
果たして本は予定通り出るのであろうか。
中野さんはさぞや気をもんでいることであろう。
出たら、これはかなり「珍しい本」ということになるだろう。
このラインナップで本を出すという企画はこれまで誰も思いつかなかったのだから、けっこう売れそうな気がする。
「町山智浩の本が出たら必ず買う」という人と、「小田嶋隆の本が出たら必ず買う」という人と、「平川克美の本が出たら必ず買う」という人と、「内田樹の本が出たら必ず買う」という人を単純に足し算するとけっこうな部数に達しそうな気もするのだが、問題は、この読者たちがかなり「かぶっている」可能性があることである。

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2006年01月18日

投資家と大衆社会

ライブドアが証券取引法違反で強制捜査を受けた。
会計監査を担当した監査法人の監査調書の文中にあった取引の違法性を指摘した文言の削除を求めた事実も明らかになった。
株価は暴落。関連7社の株価総額は一日で8700億円減った。
ライブドア発行済み株式の25%を超える2億5930万株の売り注文がまだ積み残されているが、昨日一日で売買が成立したのが80万株だから、これらの株券はすでに紙くずである。
「ヒルズ族」の梟雄の栄華の夢もどうやらこれで終わったらしい。
堀江貴文というひとがメディアに出てきたときにどうしてこんな人物が注目されるのか理由がわからず、堀江と面識のある平川君に「どんな人なの?」と訊いたことがあった。
「金の話しかしない退屈な男だった」というのが平川君の評言だった。
しかし、世間はそうは思わなかったらしく、そのあとの活動の華々しさはご案内のとおりである。
なかなか話題性のある人物だし、自己演出も巧みであるから、メディアがもてはやすのは理解できるけれど、彼の事業に投資した投資家たちはいったい何を考えてそんな無謀なことをしたのかいささか不可解である。
だって、誰が聴いてもあれは「詐欺師の声」である(もうひとり、「誰が聴いても詐欺師の声」をしている投資グループの総帥がいますね)。
おそらく多くの投資家たちもそれはある程度わかっていたと思う。
とりあえず、「詐欺」が成功している間は「勝ち馬」に乗って儲けさせてもらい、司直の手が入る前のぎりぎりのタイミングでライブドア株を高値で売り抜ける計画だったかもしれない。
数日前に最高値でライブドア株を売り抜けたクレバーな投資家も何人かはいたはずである。
彼らの炯眼を称えたい。
でも、99%の株主は目の前で株券が紙くずに変わる「逆錬金術」のプロセスをこれから砂かぶりで眺める他ない。
株で儲けるというのはつまらないことだと先日兄上が語っていた。
株というのは「みんな」が欲しがると値が上がり、「みんな」が要らないと言い出すと値が下がる。
儲けるためには、「まだ」みんなが欲しがらないうちに買い入れ、「まだ」みんながほしがっているうちに売る。
ただ、それだけのものである。
「みんな」と歩調を合わせないといけないようなことなら、私はやりたくない。
兄上の意見に私も同感である。
株取引という経済行為はそのほとんどの時間を「みんなの欲望」と同期することでしか大きな利益を得ることができない。
値上がりする「直前」に買い、値崩れする「直前」に売るのがもっとも効果的な資金運用である。
言い換えれば、同期しない時間差(「まだ」である時間)ができるだけゼロに近い投資家がもっとも賢い投資家だということになる。
愚鈍な投資家とは、値上がりした株を見てあわてて買いに走り、値崩れしたのを見てあわてて売りに出るような投資家のことである。この愚鈍な投資家の数が多ければ多いほど株価は大きく動き、賢い投資家の儲けも大きい。
つまり、賢い投資家は、愚鈍な投資家と「できるかぎり近接した時間差を保って、できる限り似たふるまいをする」ことによってしか利益を得ることができない。
「バカのふり」をしないと儲からないというのが投資家の切ないところである。
だが、「みんな」と足並みを揃えておいて、素知らぬ顔で一歩だけ「出し抜く」ものが巨利を得るというこの投資のスタイルは、構造的には大衆社会にジャストフィットのものである。
大衆社会の大衆の夢は、99%「みんなといっしょ」で、ワンポイント1%の「個性の差」だけで際だつことができるというあり方だからである。
大衆社会化が進行するほど株式市場は繁昌する。
これはバブル経済のときに身に沁みて経験したことである。
私は日本の株価がこれからも上昇するであろうという経済学者の説には十分な根拠があると思う。
でも、それは日本の経済活動が今後とも堅調に推移するだろうと予測しているからではなく、日本人がこれからどんどんバカになるという見通しに同意するからである。

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2006年01月17日

ゼミのみなさんへ業務連絡

ゼミ生へのお知らせ

新三回生のみなさんへ:
内田ゼミ2006年度3回生のみなさまへ
ゼミの進め方についてHP上でご案内をしております。そちらを御覧ください。
それと、「名刺代わり」の春休みの宿題があります。
レポートタイトルは「これで日本は大丈夫?」(毎年同じ)
字数は2000字程度。
「こんなことで日本は大丈夫なのだろうか・・・」と思われるトピックをひとつ取り上げて、
(1)それが現にどのような「問題」を引き起こしているのかを示し、
(2)それがどのような「文脈」の中で生成してきたのかについて、歴史的な分析を加え
(3)これからどうなるのかについて「予測」を述べる/または、これから「私」はそれにどう取り組むつもりなのか「決意」を述べる
という「現在・過去・未来」形式でひとつお願い致します。
レポートはこのHPで一般公開(ただしハンドルネームで)しますので、名前考えてくださいね。
それから自己紹介の文章もお願いします。これは同期のゼミ生にのみネットで配信します。
いずれも3月末日までにメールで下記宛にお送りください。
t-uchida@mail.kobe-c.ac.jp
uchida@tatsuru.com
その他、どんなことでも質問はご遠慮なくメールでどうぞ。

新四回生のみなさんへ:
みなさんの春休みの課題は「卒論計画」です。
卒論というのはほとんどの人にとって生涯に書く最初で最後の「学術論文」です。
これまでに書いたどのようなものとも違います。
今まで皆さんが書いたのは「レポート」です。
「レポート」は指定された主題について「調べたこと」の報告書です。
平たく言えば、「私はこんなに一生懸命勉強しました」ということが査定者(先生)に理解できればいいわけです。
これまでその主題について論じられたことを適切に要約し、問題の所在を明らかにすれば、それで合格です。
別に自分のオリジナルな意見なんか必要ではありません。
「このような現代社会の危機的兆候を座視してよいのだろうか」とか「日本の将来を考えるといささか暗澹たる気持ちになるのである」とか、まあそんな「根岸の里の侘び住まい」みたいなフレーズを最後にちょこっと書けばオッケーと。
卒論はそうはゆきません。
卒論に必要なことは(これまでも何度も言ってきましたけれど)ふたつあります。
(1) リーダー・フレンドリーと
(2) オリジナリティ
です。
学術論文とレポートのいちばん大きな違い(つまり学術性ということですけれど)は何だと思いますか?
データの厳密さ?
論証の合理性?
知識の深さ?
うーん、そういうものも重要なファクターですけれど、それらはあくまで「いちばん大きな違い」の派生物にすぎません。
あのね、レポートにはなくてもよいけど、学術論文に必要なものというのは「読む人への愛」です。
レポートは「これだけ勉強しました」ということを教師にわからせればいいのです。
査定者である教師だけに向けて書けばよくて、教師以外の誰かが読むということは考慮する必要がありません。
学術論文は違います。
読者がいます。
というか、一人でも多くの読者に、少しでも長い期間にわたって「読み継がれる」ということ、それこそが学術論文の価値を構成するのです。
まだ見ぬ読者に向けて書くこと。
その心構えに学術性のアルファからオメガまでが含まれます。
きちんとしたデータを示すのも、典拠を明らかにするのも、合理的でていねいな論証をするのも、できるだけ多くの先行研究や関連研究に目配りするのも、すべて「読者のため」です。
どういう読者かというと、「あなたと同じ主題で卒業論文を書くつもりでいる、5年後、10年後の内田ゼミのゼミ生」をあなたの卒論のとりあえずの読者として想定してください。
そういうゼミ生が今のあなたがたと同じように、卒論を書くという状況になったときに、とりあえず「どんなもの」を読みたいと思いますか?
その主題を「山」だとすると、「登山のためのガイドマップ」のようなものですよね?
最寄り駅はどこで、どんな装備が必要で、山頂まではどれくらいかかって、どこに難所があって、どこに山小屋があって・・・
そういうことがきっちり書いてあって、そこに行ったことのない人でも、なんとなく「こういうふうにすれば山頂にたどりつけるのか・・・」がわかるし、山頂から見える景色もなんとなく想像ができて、読んでいるうちにわくわくするようなものが「よいガイドマップ」ですね。
そうでしょう?
卒論を書くときにあなたが読みたくなるのも、「そういう論文」のはずです。
この主題はどのような重要性を持つものか(山の高さとか谷の深さとか、そういうことですね)
この主題を考究するためには、どんな道筋をたどってすすめばよいか(「道筋」というのが同一主題についてこれまで蓄積されてきた「先行研究」のことです。山に登るときに、階段が切ってあったり、崖に鎖がかけてあったり、迷いそうなところには標識が立っていますね。あれです)
研究を始めるためにまず必要なデータや文献資料がきちんとリストアップしてあると、これから始める人はすごく助かりますね。
すぐれた学術論文というのは、「あなたがもしその問題に興味があるけれど、まだよくわかっていない」初学者だったときに「ぜひ読みたい」と思うし、「読んでよかった・・・」と思えるような論文のことです。
書いてくれたひとに「ありがとう」と言いたくなるような論文のことです。
贈与なんです。
学術性の本質は。
だから、自分のために研究する人(名誉や威信が欲しいとか出世したいとか頭がいいことを誇示したいとか金を儲けたいとか・・・)そういう動機で研究する人は、本質的な意味で学術的な人ではありません。
あなたがこれから書くのは「未来のあなた」(つまりその卒論を書き終えた1年後のあなた)から「現在のあなた」への贈り物になるようなものでなければならないのです。
「未来の自分」から「現在の自分」への贈り物になるようなテクストを書くこと。
それが学術的知性のもっとも生成的な働きです。
知性の本質はそういうふうに時間を「フライング」することだからです。
むずかしいことを言ってすみません。
というのが「原理的な話」です。
具体的に「卒論研究計画書」には次のようなことを書きます。
(1) 研究テーマ
(2) なぜあなたはその研究テーマを選んだのか(個人的な理由があるはずですよね)
(3) そのテーマについて、これまでどんなものを読んだり調べたりしたことがあるか(これが「先行研究の吟味」という作業です)
(4) それらのものを読んだり聴いたりしてきて、「なんか、違う・・・」とか「意味わかんない」とか「もっと知りたい」思ったことがあるはずです(他人の書いたものを読んで、「まったくその通りだ!私も前からそう思っていたのだよ」と思ったときには、そのことについて研究しようという気にはなりません)。
(5) 他の人の話を読んだり聴いたりして感じたこの「なんか足りない」「どこか違う」という感覚を時間をかけてていねいに観察してみてください。そこからオリジナルな研究が始まります。そこからしか始まりません。あらゆる科学的仮説は先行する理論ではうまく説明できない「反証事例」の発見から始まってかたちづくられるからです。まあ、そんなむずかしい話はいまのところは忘れてもいいです。
とりあえず、以上の5点に配慮して、2000字ほどのペーパーを書いてみてください。
先行研究としては少なくとも「二点」の文献資料(できればもっと多くの方がいいんですけど)を探し出してください。
参考のために、今年提出の卒論のうちで「できのいいもの」を添付ファイルで配信しますので、「読みたい」という人は内田までメールください。

投稿者 uchida : 19:25 | コメント (3) | トラックバック

即戦力といわれても

「企業や社会が求める人材育成を強化する大学が増えている」と毎日新聞が報じていた。
「終身雇用が崩れ、転職に有利な資格を求める学生と、新入社員をゼロから育てる余力のない企業の双方が、偏差値よりも大学の人材育成の内容自体に関心を寄せ始めている」
そのために、大学はカリキュラムを「即戦力形成」にシフトし、その一方で経営陣にビジネスマンを引き込んで会社経営のノウハウを淘汰期を迎える大学に導入しようとしている。
大阪経済大学の前理事長(井阪健一・元野村証券副社長)はこう言い切る。
「大学は産業社会の要求にあまりに無頓着だった。学生の付加価値を高め企業へ送り出すのが使命だ」
おそらくこういう物言いが経営危機に怯える大学の中でこれから幅を利かせてゆくようになるのであろう。
だが、私にはあまり賢い考え方のようには思われない。
私はもともと「キャリアデザイン」とか「キャリアパス」という考え方を好まない。
平川君の名言を引くならば、「資格や肩書きがものを言うと思っている人間」の前には「資格や肩書きがものを言うと思っている人間たちだけで構成されている社会」への扉しか開かないし、「金で買えないものはない」と思っている人間は「金で買えるものだけ」しか存在しない社会の住人になる他ない。
しかし、愛も敬意も知己も知性も胆力も感受性も師も・・・総じて私たちの生活のもっとも根幹をなすリソースのうち、威信や財貨によっても購うことのできるものは一つもない。
そもそも「即戦力」形成という発想がナンセンスであるということは玄田有史さんが『働く過剰』(NTT出版)でつよく主張している。
「しかし、いったいだれが、グローバル化社会のなかでの人材戦略とは、即戦力人材の活用であると言い出したのだろうか?」(8頁)
業績優良企業の人材戦略は「即戦力人材」とまったく逆である。
「企業競争力を決定するのは、結局のところ、人材であり、そのための教育にある(・・・)逆に、業績の悪化した企業にかぎって、最初に削減するのが教育であり、人材としては即戦力を謳うようになる。即戦力志向とは、つまるところ、育成軽視の別表現にすぎない。」(8−9頁)
即戦力とは言い換えれば「金を出せば買える人材」のことである。
それは「どこの会社でも汎用性のあるスキル」であり、どこの会社でも同じようなパフォーマンスを発揮できる人間ということである。
そのような人材をどれほど集めても、他社との差別化は果たせない。
だって、そんなものは「金を出せばいくらでも買える」んだから。
「わが社のことを最も熟知し、会社と個人のあいだで強い信頼関係を形成している、わが社にしかいないような人材を、自前で育成することでしか、本当の意味での差別化は不可能なのである。したがって、最終的には、即戦力の調達だけでは限界があり、人材の育成を重視する企業だけが、ビジネス上、優位に立てるのだという、当たり前の結論に到達することになる。」(9−10頁)
私自身のささやかなビジネス体験も玄田さんの意見を裏づけている。
平川君と私が始めた翻訳会社は急成長の過程で、「即戦力」人材と「ゼロから育てる人材」を両方採用した。
別に確たる人材戦略があったわけではなく、「入れてください」と頼まれると断れない平川社長の温情のせいで行き当たりばったり的な人事が行われたのである。
だが、十年ほど経ってみると、会社の中核をなしていたのはすべて「ゼロから育てた」若者たちであった。
「即戦力」のみなさんはみんなどこかへ消えてしまっていた。
会社が見切りをつけられたのか、会社に見切りをつけられたのか、どちらであるかはわからない。
だが、限定的なプロジェクトのためにアドホックに採用された「即戦力」の多くがその後「はなはだ使い勝手が悪い」社員になったことは間違いない。
「私はこんな仕事のために雇われたんじゃありません!」というようなことを彼らは口を尖らしてよく言っていた。
だけど会社というのはジョブ・デスクリプションにはない「こんな仕事」や「あんな仕事」がどんどん発生してくる現場である。
「即戦力」のみなさんは「自分に相応しくクリエイティヴな仕事」だけをやりたがり、「雪かき仕事」を厭がった。
でも、会社の仕事の90%は「雪かき仕事」である。
誰もやりたがらないけれど、誰かがやらないとみんなが困るタイプの仕事。
そういう仕事がいつのまにか片づいている職場と、業務命令してもみんなが厭がっていつまでも片づかない職場では、短期的にパフォーマンスの差がはっきり現れる。
資格や能力があって、それを「売り」にしている人間はたいてい「雪かき」をしてくれない。
だから、そんな人間ばかりを集めた場所はそれぞれの「オレの領分」だけが片づいていて、それ以外の「パブリックスペース」はすべてゴミだらけになる。
どこだって事情は同じである。
人材育成のコストを切り捨てて即戦力を求める企業とは玄田さんを信じるなら、「先のない企業」である。
そんなところに就職した諸君の前にあまり明るい未来は開けないように思われるのだが。
だから、今さらながらに「即戦力形成」というようなことを口走っている大学経営者こそ「産業社会の要求にあまりに無頓着」なのではないかと私は思う。

大学経営にビジネスマンを導入することについても、私は手放しでは歓迎できない。
一定数のビジネスマンがビジネスマインデッドな助言をしてくれることはありがたいことであるけれど、これらの人々に権限が集中することは教育にとって危険だと思う。
管理部門が肥大化し、教授会の決定権が狭められると、結果的に「ビジネスマンの経営者が『教育サービス』する従業員を頤使する」かたちになる。
だが、それはもう言葉の厳密な意味での「学校」とは言われない。
「師への欲望」が励起されない場所は、どれほど建物が立派でも、ITインフラが充実していても、財務内容がゴージャスでも、「学び」は起動しないからである。
だが、「市場とは何か?」「貨幣とは何か?」「交換とは何か?」「欲望とは何か?」といった根源的な問題を決して問わないことを習慣づけられてきた凡庸なビジネスマンは「学びとは何か?」といった根源的な問いを自らに向けたりはしない。
そんな人間がこれから大学で幅をきかせることになるだろうとメディアは予言している。
困ったことに、悪いことについてはメディアの予言もときどき当たる。

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2006年01月16日

鬼婆と集団的狂気

大忙しの週末が終わる。
土曜日は合気道のお稽古を途中で抜け出して、神戸文化ホールへ神戸観世会の新春能を見に行く。
下川宜長先生の『安達原』を拝見するためである。
一昨年の会で私は素謡『安達原』のシテをやったので、詞章はまだ覚えている。
このとき役作りにいろいろと工夫を凝らして、「鬼婆と山伏のエロティックな関係」を構想して詞章の解釈に挑んだことはご案内の通りである。
今回の下川先生の解釈はまったく違うもので、私は「いかにも下川先生!」と感動してしまったのだが、下川先生の鬼婆解釈は「鬼であることは婆であることよりも気持ちがいい」という「疾病利得」をふまえたものだったのである。
考えてみれば、『安達原』の劇的構成はどうも論理的に「変」である。
山伏一行を陋屋に泊めた老女は、真夜中に薪を採りに山へ出かけようとする。
まずこれが変。
真夜中ですよ。
もう山伏たちは眠り込もうとしているときに、なんでわざわざ。
さらに出かけに言わずもがなのことをいう。
「や。いかに申し候。わらわが帰らんまでその閨の内ばし御覧じ候な。」
最後の「な」は「なああああああ」とホリフィックなリバーブをかけるのである。
「構えて御覧じ候な」
ともう一回リバーブ。
しつこくもうひとりの山伏にも重ねて
「此方の客僧も御覧じ候な」
ふつうこれだけ執拗に「覗くな」というのは、「覗け」と命令していることとほとんど変わらない。
実際に間狂言では「覗くなと言われたら覗きたくなるのが人情・・・」と狂言師演じる強力が閨を覗く口実を述べている。
老女は腐乱死体が充満している閨を覗きたくなるように山伏たちの欲望を点火する。
それは、彼らが禁じられた部屋を覗くことが後ジテの「いかにあれなる客僧、止まれとこそ。さしも隠しし閨の内を。あさまになされ参らせす。恨み申しに参りたり」という変貌のトリガーになるからである。
それまで「げに侘人の習いほど。悲しきものはよもあらじ。かかる憂き世に秋の来て。朝けの風は身に沁めども。胸を休むることもなく。昨日も空しく暮れぬれば。睡む夜半ぞ命なる。あら定めなの生涯やな」と気息奄々、息も絶え絶えにしおたれていた婆が、「胸を焦がす焔。咸陽宮の烟、紛々たり」といきなりスーパー・チャージャー付きの鬼婆パフォーマンスを展開するのである。
下川先生のシテは「鬼であることは、婆であることよりもフィジカルに気分がいい」というこの段差をはっきりと全身で表現していた。
橋がかりに鬼婆が出てきたところで、私は「ああ、そうか」と深く得心したのである。
どうして、人間が鬼になるのか。
「鬼になって人を食らう」というのはあきらかに深く精神を病んでいるということである。
しかし、人間は決してただ精神を病むのではない。
「見返り」がある場合しか人間は狂わない。
これは春日武彦先生から教えて頂いた重要な知見である。
鬼婆の疾病利得は「フィジカルな快感」である。
鬼になると、それまで萎えていた四肢の力が蘇り、エネルギーが湧きだして、原野を疾駆せずにはいられない。
下川先生の鬼は「いきいきとしていた」のである。
私は『安達原』の舞台を何度か見ているが、はじめてなぜ彼女が鬼婆になったのか、その理由を理解した。
正気の老女でいることより、狂気の鬼婆であることの方を彼女はどこかの時点でみずから選んだのである。
気持ちがいいから。
だから山伏に祈り伏せられた鬼婆が退治されるわけでも、改悛するわけでもなく、ただ「夜嵐の音に失せにけり」とされる結末も当然なのである。
I’ll be back
気持ちのいいことは止められません。


家に戻って、『憲法本』の続きを書く。
締め切りは月曜なのだが、とても間に合わない。
しかし、「正気で苦痛に直面するよりも、狂気を病むことの方を人間は選ぶことがある」という下川先生の鬼婆解釈を奇貨として、私は突然、日本人がどうして「憲法九条」と「自衛隊」を「矛盾している」という解釈をするのか・・・その理路が見えたので、その話をさらさらと書く。
日本人は集団的に「発狂」したのである。
だって、憲法九条と自衛隊はまったく無矛盾的なものだからである。
これが矛盾していると思っているのは世界で日本人だけである。
「憲法九条」は日本人に戦争をさせないための制約であり、日本の軍事的無害化をめざしている。
「自衛隊」は日本人にアメリカの後方支援部隊として「従卒」的な軍事的行動に限定的に利用するための装置である。
どうしてこのふたつが矛盾していると日本人は思ったのか?
まず「無害化」して、それから「従卒」として雇用する。
これは「主」の側からすればまことに首尾一貫した対日政略である。
自衛隊は「如意棒」であり、憲法九条は「緊箍児」である。
このふたつが揃っているからこそ日本は「従者」としてアメリカの役に立つ。
このふたつの「日本を支配するための道具」をどうして「両立不能な制度であると日本人は思い込もうとしたのか?
理由はもうおわかりだろう。
「日本が支配されている」という意識化することが不快な事実から目を背けるためである。
真の問題は日米関係にではなく、日本国内の身内の争いにある。日本にとって最大の政治問題は「内政問題」なのだ。それさえ決着がつけば万事うまくゆく。
私たちはそう自分に言い聞かせてきた。それが「55年体制」と呼ばれるものである。一方に自民党=保守があり、他方に社会党共産党=革新があり、この非妥協的な対立のうちに日本がうまくゆかないことのすべての原因がある。私たちはそう自分に言い聞かせてきた。
55年体制が破綻したあともこの説話原型は変わっていない。
保守と革新の対立に代わって、勝ち組と負け組、グローバリストとローカリスト、「政治的に正しい人」とナショナリスト、セクシストとフェミニスト・・・というふうに対立項はよりどりみどりだが、これらはすべて国内的なファクター間の矛盾と葛藤のうちに日本がうまくゆかないことのすべての原因があるという文型を共有している。
私たちがこれほどまでに同一の文型で語ることに固執するのは、「日本の国内的矛盾のうちに日本がうまくゆかないことのすべての原因がある」という発想そのもののうちに日本がうまくゆかないことの真の原因があるという真実から目をそらしたいからである。

日曜日は下川正謡会新年会。
素謡『弱法師』と仕舞『天鼓』の他に、素謡の地謡で『景清』、『安宅』、『鉢木』、『砧』。仕舞の地謡に『鵜之段』『玉之段』『笠之段』がついて目の回るような忙しさ。
どの曲も何度目かの地謡なので、だいぶ慣れてきた。
終わってから冷たいビールで乾杯。
下川先生と映画と麻雀の話がはずむ。
下川先生のフィルム・ファボリはクリント・イーストウッドの『ハートブレーク・リッジ』と『フーテンの寅』(シリーズ第一作)と『二十四の瞳』(高峰秀子の)である。
クリント・イーストウッド・ファンはみなさんベストに渋いタイトルを選ぶ(ワーナーのババさんのチョイスは『ブロンコ・ビリー』だったし)。私はやっぱり『ダーティ・ハリー』だなあ。
家に戻ってお風呂にはいってから、三宅先生にもらった焼酎のお湯割りを飲みながら、三宅先生にもらったカラスミを囓りながら、「KC韓流ドラマクラブ」のU野先生からお貸し頂いた『チャングム』のDVDを見る。
『チャングム』は鎌倉の鈴木晶先生が絶賛されていたので前から見たいと思っていたのであるが、涙が出るほど「ベタ」なつくりで見出したら止められない。

投稿者 uchida : 11:11 | コメント (3) | トラックバック

2006年01月11日

現代中国論打ち上げ

大学院の現代中国論の最終回。
広州から留学中の丁先生と張さんが出てくれたおかげで、この一年間たいへん内容のある中国論ゼミが出来た。
出席してくださった院生聴講生のみなさんに深謝。
別にそのトピックの専門家がいなくても、みんなで知恵を絞って考えれば、メディアで専門家が論じている程度の学的考察は十分可能であることは前年度のアメリカ論で検証済みである。
もちろん、メディアで発言している中国ウォッチャーたちは私たちとは比較にならないほどの専門的知識を備えており、私たちにはアクセスできない情報を知っている。
けれども、だからといって彼らの中国論の方が素人の中国論よりも現状分析や展望において適切かというと、必ずしもそうではない。
「非専門家以上に情報が多い」ということから彼が「非専門家以上に適切に状況判断している」という結論は論理的には導くことができない。
例えば、1966年文化大革命の勃発のとき、実に多くの中国問題専門家がそれについて専門的知見を語ったが、その政治的事件が十年後にどれほどの規模の破壊の末に、どういうかたちで収束するかを予見できた中国問題専門家は私の知る限りひとりもいなかった。
そのとき、専門的知識がどれほどあっても人は予測を誤るということを私は学んだ。
もう一つ、専門家というのは、彼らが判断を誤ったという事実からほとんど何も学ばない人々であるということも学んだ。文化大革命の後に、「あのとき私が書いたことはまったく的はずれでした。ごめんなさい」と反省のことばを述べた中国問題専門家は私の知る限りひとりもいなかったからである。
それゆえ、私は現在の中国専門家たちもその先輩たちと同じように現状分析においても未来予測においても多くの誤りを犯すであろうし、そのことを将来反省も謝罪もしないであろうと予測するのである。
そう推論することは、「2006年の中国専門家は1996年の中国専門家よりもはるかにすぐれた知性と倫理性の持ち主である」推論するよりもおそらく蓋然性が高い。
しかし、私はそれを責めているわけではない。
人間というのは「そういうもの」だと申し上げているだけである。
専門家たちの多くは彼らの「主観的願望」を語っている。
彼らが「中国はこうなる」と断言するのは、ほとんどの場合、「中国がこうなったらいいなあ」と思っているからである。
人間である以上、誰であれ隣国の事情を紹介するときの口調に主観的バイアスがかかることは避けられない。
繰り返し言うが、私はそれを責めているのではない。
しかし、自分が「客観的情報」を提供しているつもりでいるときに、記述に必ず「主観的願望」が入り込むことを彼らが「勘定に入れている」かどうかについては吟味を怠らない方がよいと思う。
自分の欲望を勘定に入れ忘れて推論をする人間は、「私の予測は他人の予測よりも当たる確率が高い。なぜなら私が『当たるといいな』と望んでいるからである」という推論を自分がしていることを忘れている。
そのような推論の仕方がごく「人間的」なものであることを私は喜んで認めるが、それを「科学的」なものと呼ぶことには同意しない。
先日送ってもらったある総合誌を読んでいたら、何人かの論客が中国を論じていた。
彼らはほとんど例外なしに、中国の中央政府のガバナンスが機能せず、経済が破綻し、環境が劣化し、人民解放軍の暴走が始まる近未来を「予測」していた。
その予測はかなりの程度まで信じてよいことなのかも知れない。
しかし、彼らのその文章には「そのような事態」が到来することへの彼らの「期待」(ほとんど「願望」)が伏流していることに彼らが無自覚であることに私はつよい不安を抱いた。
アジアにおける中国の失墜が相対的にわが国の「国威発揚」に結びつくと彼らは信じているのであろう。
その気持ちはわからないでもない。
だが、彼らは行間から自分のそのような無意識的な欲望が「だだ洩れ」になっていることに気づいていない。彼らは「科学的で中立的な事実」だけを語っているつもりでいる。少なくとも、そのような人間であると読者から思われたがっている。
私は人間が利己的な欲望に駆動されることを決して悪いことだとは思わない。
しかし、自分が利己的な欲望に駆動されて行動していることに気づかないことは非常に有害なことだと思う。
中国が嫌いな人が中国の国家的破綻を願うのは自然なことである。
たいせつなのは、そのときに自分が中国を論じるのは「アジアの国際状勢について適切な見通しを持ちたいから」ではなく、「中国が嫌いだから」(そして「どうして自分が中国を嫌いなのか、その理由を自分は言うことができない」)という自身の原点にある「欲望」と「無知」のことは心にとどめていた方がいいと思う。
逆に言えば、自身の「欲望」や「利己心」や「愛」や「悪意」が自分の思考や判断に大きなバイアスをかけていることを自覚している人間は、しばしばそうでない人間よりも科学的に推論する。
わが子が罹った不治の病の治療法を探し求める医学者の思考法は間違いなく「科学的」である。
自分の子供がかかった難病の治療法を探求している医学者は決して「治験データの改竄」などしないからである。
誤りの多い耐震強度設計のビルを建てて巨富を築いた社長がいたが、彼がそうやって得た金で自分の家を建てようとするときに、どのようなデータの改竄も許さないはずであるし、そもそも自分の知り合いには決して建築を委託しないであろう。
グルーチョ・マルクスがみごとに言ったとおり、「私を入会させるようなクラブには私は入会したくない」というのが、「欲望を勘定に入れる習慣をもった人間」の基本的な構えなのである。
目的そのものが過度に「主観的」であることを熟知している人間は、その目的を達成するためのプロセスにおいて「リアルかつクール」であろうとする。
素人が玄人よりもしばしば科学的でありうるのはそのような理路によるのである。

演習のあと、最終回の録音に来たNTT出版のM島くんもいっしょに「鳥半」にて打ち上げ宴会。
飲んで焼き鳥食べておおいに語る。
最後は川上先生の「蘇州夜曲」できっちりと締め。
来年はみんなで丁先生、張さんのいる広州にご飯を食べに行きましょうという話がまとまる。
みなさん一年間ほんとうにありがとうございました。


そろそろ来年度の大学院聴講生の募集が始まります。
大学院の来年の演習のテーマは「現代日本論」です。
聴講希望の方はどうぞ下記要領でお申し込み下さい。

博士前期・修士課程 一般聴講
2006年度の要項を掲載しています。

出願資格
次のいずれかに該当する者。
大学を卒業した者または文部科学大臣の定めるところにより、これと同等以上の学力があると認められた者。

受付期間
2006年2月13日(月)・14日(火)・15日(水)
郵送に限る。受付期間内消印有効。

審査料
5,000円。但し本学院設置の諸学校卒業生は不要。

選考方法
神戸女学院大学・神戸女学院大学大学院の卒業生は書類審査のみ。
その他の志願者は、2006年2月24日(金) 15時(予定)より面接。

入学時期・在学期間
入学は学年の始めのみとし、在学期間は1年とする。

履修を認める単位数
履修できる単位数は、1年間に12単位(3科目)以内とする。
ただし、授業担当者の判断によって聴講を許可しない場合がある。

聴講料
1単位につき7,500円(演習は4単位なので、年間30000円。演習の開講数は年間30回だから、1回(100分)1000円という計算になる。1分10円・・・これを高いと考えるか安いと考えるか。判断は微妙である。

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2006年01月09日

いかにして男は籠絡されるか/弱雀小僧 is come back

7日は合気道の「鏡開き」。
集まったのは25人(くらい)。
恒例の「おぜんざい」を作り、御神酒で乾杯。
午後4時から始まった宴会では、Pちゃんのカルボナーラとチャーハンを食べた一同がそのあまりの美味さに「会社を辞めてコックになりなさい」という「ヤメロコール」を連発。
お肉をもって遊びに来た国分さんも「うちに来なよ」と誘うのだが、なかなか決断がつかないようである。
続いて、「男の騙し方」について私が経験的に説得力のある自説を展開。
適齢期の女性たち(ということほぼ全員ということである)が群がってきて、注意深く傾聴している。
このむさぼるような理解への渇望が合気道の稽古においても等しく発揮されることを祈念したいものである。
私の結論は、「男を騙すのはまことに簡単」ということである。
せっかくなので、宴会に参加されなかった一般読者のかたにも知見の一端をご紹介しておきたい。
男が「弱い」ポイントは「才能」のひとことである。
「あなたには才能があるわ。他の人には見えなくても、私にはわかるの」
と上目遣い斜め45度の視線プラス「かなぴょんのポーズ」でまず80%の男は落ちると断言してよろしいであろう。
「才能」のひとことであえなく陥落する男たちは「自分には才能があるはずなのだが、世間のひとが認めてくれない」という事実にフラストレーションを抱いているからこそ、このひとことで籠絡されるわけであるが、そのような「自己評価」と「外部評価」のずれがある場合、高い確率で外部評価の方が適切であるということが難点と言えば難点である。
「才能」の甘言をもって陥落しない20%の男というのは、「自分には才能がないはずなので、この女は嘘をついている」と考える人間か、「自分にはあまりに才能がありすぎるからこそ世人の評価になじまないのであって、こんな女ごときに私の才能がわかるはずがない」と考える人間のいずれかであるが、前者は猜疑心が強すぎ、後者はバカなのでいずれも配偶者とするには足りないので無視してよろしいのである。
ただし「才能」路線で攻めた場合、これはあくまで「自己評価と外部評価に落差があること」が条件となっており、実際にはある程度社会的経験を積んで、適度に「練れてきた」男の中には「自分のバカさ」についてかなり適切な自己評価を下しているものがおり、その場合は、はかばかしい反応を示さないことがある。
だが、このような「練れた」男こそ配偶者にはふさわしいわけであるから、さらなる二次攻撃が展開されねばならないのである。
「才能」で落ちない男も落ちるのは「ルックス」についての賞賛である。
すべての男は(驚くなかれ)、自分の容貌にある種の期待を抱いている。
「こういう顔が好き」という女性が世界のどこかにいるかもしれない・・・という儚い期待を胸にすることなしに男は一秒とて生きることのできない悲しい生き物なのである。
だから、「あなたには才能があると思うの・・・」で落ちなかった男も、「私、あなたのルックスが好きなの」にはあっというまに崩れ去る。
嘘だと思ったら、やってごらんなさい。
やれば、わかる。
なぜこれほど「ルックスへの言及」が効果的であるかというと、才能については外部評価が「学歴、IQ,年収、名声、威信」などという考量可能な指標で示されうるけれども、容貌には外部評価が存在しないからである。
「きれい」と思えば、「毛虫だってきれい」なのである。
容貌についての評価は「評価する者」と「評価される者」の対面的状況においてのみ意味をもつものであり、余人の容喙する余地はない。
断固として、ない。
私は若かりし頃、ある女性に「ウチダくんて性格最悪だけど、顔が好き」と言われたときにそのまま昏倒しそうになったことがある。
この女性はあるとき私のTシャツ姿をしみじみみながら「私、ウチダくんの三段腹が好き」と言ったこともある。
オトコゴコロのかんどころを抑えた端倪すべからざる女性であると言わねばならない。
「いい人だけど顔はイマイチ」と言われるのと「ワルモノだけどいい男」と言われるのと、男たちはどちらを選ぶか。
答えは明かである。
というわけで、配偶者をお求めの女性諸君には、標的とされた男性については、まず「隠れたる才能を評価し」ついで「ルックスを称える」という二段構えで攻略した場合、たいへんに高い確率で所期の成果を挙げうるということをご教示しておきたい。
言っておくが、「人間的な暖かさ」とか「器量の大きさ」とか「優しさ」などというものについては、いくらほめられても男は微動だにしないので言うだけ無駄である。
なぜなら、そのような資質が自分にはゆたかに備わっていることをすべての男性はゆるぎなき自信をもって信じているからである。
「顔は便所のスリッパみたいだし、知能指数はネコレベルだけど、優しくて暖かいひとなの」などと言われて喜ぶ男は世界に存在しない。
男が待望しているのは、「それが備わっているのかどうか、ちょっとだけ自信がない」美質についての「保証」のひとことだけなのである。
しかるに多くの女性は(ほとんどの、と申し上げてもよろしいかもしれない)、親しくなった男性に対しては、まず「その浅学非才を指弾し」、つづいて「チャレンジドな容貌を嘲弄する」という挙に出る。
これをして「インティマシーの表現」と誤解している方が多いので、ここに声を大にして申し上げるが、男にむかって「あんたはバカなんだから」とか「ブッサイクな顔して」とかいうようなことを(たとえそれが事実であるにせよ)告知することは当該男性との良好な人間関係の構築には百害あって一利なしということを改めてご指摘させていただきたいと思うのである。
あまりに話が白熱し、終電を逃した5名そのままうちに泊まる。
翌朝私が下川先生の稽古始めから戻ってきたら、ようやく起き出したその5人が朝ご飯を食べ終わった後だった。
泊まり組が帰ったあとにただちに甲南麻雀連盟「打ち初め」の準備にとりかかる。
忙しいなあ。
江さん、ドクター、カンキチくんがはかったように定時に登場して、3時J1第一試合がキックオフ。
釈老師はお正月はビジネス(といってよろしいのであろうか)のハイシーズンなので、今回は無念の欠席。
越後屋さん、平尾選手、青山さん、シャドー影浦くんと会員たちが続々登場して、はやくも3時半に花園で第二試合キックオフ。
『麻雀王』、『麻雀力』(これは平尾選手からのご寄贈の由)などというハードコアなタイトルを冠した書物で理論武装して臨んだ青山さんであるが、本日も「未勝利」のまま地団駄踏みつつ次なるお仕事へ移動された。
東京から帰ってきて途中参加されたI田Y子先生との「遺恨試合」は今後も引き続きJ2リーグにホットな話題を提供してくれることであろう。
そこに本山の“弱雀小僧”野崎次郎選手が連盟戦に初登場。
次郎くんとは19歳のときから22歳にかけて、それこそ飽きるほど麻雀を打ったが、私はかつてこれほど弱い打ち手に会ったことがない。
「感動的なまでに弱い」あるいは「美しいほど弱い」ということも世の中にはあるということを若き日の私に教えてくれたのはジローくんである。
隣町にいながら、多忙のためにこれまで連盟戦への招待をパスしてきたジローくんであるが、今回満を持して「必敗」の意気も高らかに芦屋スタジアムに登場されたのである。
33年ぶりに打ち合ったジローくんは昔と少しも変わらぬ「あーん、どれすてていいか、わかんないよお」と身もだえしつつ、あり得ない当たり牌をねらい澄ましたように叩き込むのであった。
いい男である。
打ち初めの戦績は以下の通り。
「J2の帝王」シャドー影浦がダントツの109。これは次回はJ1で「おとなの麻雀」をこってり教えてやらないといけない。
二位は「遣り回し」やや不調の江さんがそれでも渋めの49
三位はJ1に定着した平尾選手の30。
四位はJ1戦初勝利を飾ったカンキチくんの29
五位は私の25(これは二抜けで「J2落ち」したときに、そのファーム独特の重苦しい毒気に当たられて大敗したのが祟ったのである)。
「負け組」については名誉のために詳細は記さないが、“弱雀小僧”以上に弱い打ち手が一人いたことを新春の椿事としてここに書き留めておくのである。

投稿者 uchida : 13:37 | コメント (6) | トラックバック

2006年01月06日

「人のいい」内田さんたちの世代

毎日新聞の夕刊を拡げたら「団塊を知らない子供たちへ」と題して養老孟司先生と橋本治先生の両巨頭が対談をなされていた。
おお、濃いなあ・・・と企画者の胆力に感心しつつ読み進んでいたら、自分の名前が出てきて吃驚した。
お二人で全共闘世代の心的傾向について鋭い分析をされている中での言及である。
養老「団塊の世代は文化面で成熟してきましたよ。筒井清忠さんや内田樹さんら、やっと仕事がまとまってきた。橋本さんは彼らよりずっと早く世に出た例外ですが」
橋本「大学闘争の時に大学生だった世代と、内田さんみたいに高校生だった世代では全然違います。内田さんたちの世代は、人がいいから成熟に時間がかかるんでしょう。僕は東大でしたが、入試中止の翌年から、がらっと空気が変わった。その前の写真見ると、みんな老けてて先生と生徒の区別がないんですよ。でもその年から、明らかに生徒の顔したのが入ってきた。」
橋本さんと対談したときも、1968年入学と1970年入学の間には深いクレヴァスがあるのだよ・・・という話を聞いたことを思い出した。
たしかに私たちが「生徒の顔」をしていたこと、これはまことにご指摘の通りであるし、その後も「成熟に時間がかかった」こともご指摘のとおりである。
だが、果たしてその原因は「人がいい」という表現に尽くされるものであろうか。
むしろ橋本さんの論脈からは「経験の質が甘いから」というような言葉がふさわしいように思われる(実際にはそう発言されたのを「マイルドな表現」に訂正したのかもしれない)。
1948年生まれと1950年生まれのあいだには、ある種の世代論的落差があったのである。
だが、いかなる落差であろうか?
興味深い論件である。
ひとつ思いつくことがある。
私たちの世代の「子供顔」の理由のひとつはこのわずか二年のビハインドのせいで、私たちの世代が「原点的経験」を持つことができなかったということがあるような気がする。
68年の東大入学者は相対的にはまだ静穏なる政治的状況を保っていた時期に大学に入った。そして、東大医学部で始まった学内の抗争が全学に飛び火し、ある日駒場にも「機動隊導入」というかたちで「日常的なキャンパスライフ」が瓦解した・・・という原体験を有している。
彼らは不意に日常生活に闖入してきたその「出来事」に応接すべく、それぞれの固有の私的な立ち位置から政治闘争へのコミットメントのかたちを模索することになった。
結果的に、かなりの学生たちはレディメイドの政治言語を学習し、レディメイドの政治党派に組み込まれてゆくことになったわけだが、とりあえずは「固有名において政治にかかわる」ことがこの世代の方々には不可避の過程として経験せられたのである。
だが、70年入学の学生に「固有名」において語れる領域はもうほとんど残されていなかった。
私たちがどんな政治的ふるまいをしようとも、それらはすべてがすでに「商標登録済み」であり、私たちが口にする政治的言説のほとんどはすでに網羅的にカタログ化されていた。
だから、「あのー、オレが思うには・・・」と一言口を開いたとたんに、私たちは「なんだ、お前は**派なのか」というふうに(場合によってはその名前も知らない政治党派に)同定されるか、「そういう発言自体がお前のプチブル的本質を露呈させてんだよ」というふうに決めつけられて沈黙することを強いられるか、どちらかだったのである。
自分が「オリジナルなことば」を語っているつもりでいるときに、必ず「できあいの台詞」を語らされているということを思い知らされているうちに、私たちの顔つきは急速にねじれくたものになっていった。
そういうものである。
あまり若い人をそういう逃げ道のない仕方でいじめるものではない。
私たちの世代の中の比較的しぶとい諸君は(私もそのひとりだったが)、「原点的経験がないということ自体を原点的経験とする」というトリッキーな返し技に出た。
つまり、「フェイクとしての政治闘争」を「フェイクだからこそ大まじめにやって何が悪い」と口を尖らせてみたのである。
これがのちに「ポストモダン」と呼ばれることになる思想型の先駆的形態であったことを、私たちはまだ知らなかった。
例えば、私たちの二年前の世代にとって「この場に結集されたすべての学友諸君!」というのはその語義とおりの「呼びかけ」であった。
だが、1970年において、「この場に結集されたすべての学友諸君!」というのは、「私は私がその実効性を少しも信じていないし諸君がまじめなものとして取るはずもない空疎で過激な政治的常套句をこれから語るであろう」という「あらかじめそれが意味するところの取り消しを求める抹消符号」のようなものとして口にされ、耳に届いたのである。
私たちはそういうことばづかいにだけ選択的に熟達した。
不幸なことである。
まあ、昔話はよろしい。
その二年間のタイムラグのあいだに私たちの成熟を妨げたものがある。
私は橋本先生のこの診断に同意する。
その落差の深さは世代を隔てる年数にはかかわらない。
二年が半年でも、「そういうこと」は起こるし、二年が二十年でも、「そういうこと」が起こらないときには起こらない。
1968年から1970年のあいだに「何か」があった。
私は「遅れてきた」世代であるから、そこにたどりついた時には「もうなかったもの」を言葉にすることができない。
たしかなのは、その「うまくことばにすることができないもの」によって私たちの成熟への動機は深く損なわれたということである。

投稿者 uchida : 18:44 | コメント (1) | トラックバック

GHQと小番頭はん

1月4日は恒例の「親子水入らず温泉旅行」。母兄と三人で箱根湯本の河鹿荘へ。
「じゃあ、私たちは『水』だと、こう言いたいわけなのね」とお怒りになる近親者の方々が少なからずおられるわけであるが、こういうのはただの言葉のアヤなので気にされないように。
地上六階のベランダにある露天風呂に浸かって寒風吹きすさぶ峡谷を望む。
よい気分である。
われわれがふだん「温泉麻雀」で愛用している「よし行け」旅館が眼前に見下ろされる。
風呂で暖まってから、それぞれ静かに読書、原稿執筆などに励む。
毎日新聞社の「憲法本」に取りかかる。
『憲法がこのままで何か問題でも?』というタイトルを思いついたところで仕事の半分くらいが終わった気になる。
憲法と自衛隊の関係について、対日占領政策を起案実行したGHQの軍人の気持ちになって考察する。
私はわりとこの方面には詳しい。
私の姻戚に平野力三という政治家がいた。
片山哲内閣のときに農相を務めた社会党右派の重鎮である。
この人が公職追放になって、中央政界での政治生命を失った。
なぜある日GHQがこの古いタイプの社会主義者の追放を発令したのか。平野力三氏はその理由が知りたくて、アメリカの公文書館が1970年代に当時のGHQの内部資料を公開すると同時に自身に関するすべての書類を請求し、それを精査した。
その数百頁のドキュメントの精査と翻訳の作業に当たったのが、アーバン・トランスレーションを起業したばかりの私と石川茂樹くんである。
千鳥町の石川君の家に段ボール箱にいれた資料を持ち込んで、60年代ポップスを聴きながら(いつもこればっかだな)明けても暮れても私たちはGHQの内部文書を読み続けた。
3週間も経つと、私たちはケーディスとかウィロビーとかホイットニーという人々がそれぞれにどういうロジックをもって対立しているのかをサラリーマンが自分の会社の「専務派」と「常務派」の内部抗争について知る程度には知るようになった。
私たちは平野と社会党右派内で熾烈なヘゲモニー争いをしていた西尾末広・曽根益からGHQに提出された平野の戦中の天皇主義的言動を密告する資料を発見して、公職追放の直接の原因はこの密告であるというレポートをまとめた。
平野力三氏はそのあと、この資料に基づいて当時のジミー・カーターアメリカ大統領に「名誉回復」と「二億円の賠償請求」の訴訟を起こした。
賠償請求は却下されたが、大統領から「遺憾のメッセージ」だけが届いたそうである。
そういうわけで私はGHQの政治政策の全体については教科書的知識以上のものを持たないけれど、彼らがどういう「語法」で日本占領政策について語っていたのかは飽きるほど読んだので、よく知っているのである。
どこの世界でも役人たちというのは、「一般人には意味がわからない」ことはいくらでも書くが、「上司が読んでも意味がわからない」ようなことは書かない(そんなことをしたら、出世できない)。
だから、下僚から上司に提出されたレポートを読むのが、組織で何が行われているのかを知るための捷径である。
世に謀略とか陰謀と言われるようなものの過半は「事情を知らない人間にはそう見える」だけであって、実行者の視点に即して見れば、きわめて合理的かつビジネスライクに遂行されているものなのである。
「アメリカの占領者たちはできるだけ合理的・効率的に占領政策を遂行しようとしていた」というのが数百頁のGHQ内部資料を読んで得た印象である。
その印象は今でも変わらない。
憲法九条と自衛隊はいずれもGHQが日本におしつけたものである。
この二つが同時に制度化されたということは、彼らにはそれが二つながら「日本を効果的に占領する」ための政策の合理的な帰結だと思われたからである。
日本人から見ると「矛盾」であり「ねじれ」であり「整合性がない」と言われるこの二つの政治制度は、占領軍から見ればきわめて合理的でコヒーレントな「日本占領政策」である。
九条は「日本を軍事的に無害化すること」を目指している。
直近の戦争で30万人の死者を出した後にアメリカがまず日本を弱体化することを最優先したことは当然である。
自衛隊はその後、いったん武装解除した日本をもう一度限定的な軍事目的のために「従属的に」頤使するために再建された。
ソ連中国との臨戦態勢にあったアメリカにとっては当然の選択である。
日本が「もう無害」になったと判定されたので、「限定的な軍備を限定的に利用すること」が許可されたのである。
この二つはどう考えても「ワンセット」である。
もし、アメリカ軍の後方支援のみという自衛の「限定」をはずした「軍事的なフリーハンド」「軍事的な独立」をアメリカが日本に許す日が来るとしたら、それは「日本がアメリカにとって100%無害な国」、アメリカに決して逆らうことのない「精神の属国」になったということを証明してみせたときか、日米安保条約を廃棄して「ありうべき対米戦争」の準備を始める決意を日本国民がかためたときか、いずれかしかない。
そして、今日「九条の廃棄」を呼号している人々が選ぼうとしているのは、「属国化」による「のれん分け」の道なのである。
私は「番頭であること」それ自体は恥じるべきことではないと思う。
貧乏育ちなんだから仕方がない。
ただ、丁稚手代とこつこつつとめあげて、ご褒美に「のれん分け」してもらって小商いを始めた「小番頭はん」が昔から大店の旦那だったような顔をして桜宮あたりに屋形船を出したり浄瑠璃をうなったりしたがるのはとても恥ずかしいと思うのである。
想像的に「旦那」の身になって「番頭」の行状を眺めてみると、ものすごく「恥ずかしい」のである。

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2006年01月04日

ことしもいつものお正月

1日の午後から神奈川の実家に戻る。
新幹線の中で「甲野善紀先生との対談本」の校正。
校正といっても、安藤さんが「このへん書き足してください」とあちこち朱を入れているので、かなりの部分は「書き下ろし」である。
「対談本」は往復書簡形式でなされた部分と、実際に二度対談した部分とからなっている。
時間的にも最初のものはもう二年以上前に書かれているので、内容的に「いつの話?」というようなトピックも散見されるし、身体論についての知見も、今の私の考えと二年前ではずいぶん違っている。
そのへんを少し調整しながら添削をする。
年末締め切りだったのだが、泣きついて「新年仕事始めまで」に締め切りを延ばしてもらったのである。
安藤さんの仕事始めって、いつからだか聞いていなかったので、とりあえず1月4日ということにしておくのである。

2日はるんちゃんと会ってお年玉を上げて、自由が丘ハイアニス・ポートでお茶をしつつ、「読むべき漫画」や「今後のお仕事の方向性」などについてお聞きする。
「ボーイフレンドいるの?」という私の問いかけに、るんちゃんは力強く「ともだちならいくらでもいるけどさ」とお答えになる。
「ステディは?」と訊くと、顔をこちらにまっすぐ向けて「お父さん、いまどきの私と同じ年くらいの男の子って、どれくらい幼稚だか知ってる?」と聞きかえされてしまった。
はあ、そうなんですか。
「こっちだって自分のことで精一杯なのに、なんで男の子のエゴをなでてあげなくちゃいけないのよ。男の子が望むことって、ちやほや甘やかしてえばらせてくれっていうだけなんだよ。二人分の人生抱え込むほど体力ないよ」
は、そうですか。そうですよね。まったく最近のオトコどもときたらねえ。
しかし、考えてみるとそういう男の子たちの親というのはまさしく私と同世代の皆さんなのであり、私が仮に男児を得ていた場合には、そのような脆弱なる青年を育て上げてしまった可能性もにわかには払拭しがたいのである。
先般京大で集中講義をしたときに言葉を交わした青年たちはいずれも好感のもてる方々であったけれど、総じて「繊細でやさしい少年たち」という印象が残った。
私やヒラカワくんやヤマモトコージ画伯が同年齢のときに「やさしい少年」という印象を五十代の大学教員に与えた可能性は多めに見積もってもゼロである。
それだけ青年たちのありようが変わったということなのであろう。
渡辺京二『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)をスーさんと平川くんに同時的に推奨されたので、新幹線の中で読んでいるのであるが、渡辺さんが言うとおりなら、明治初年以来日本人は劇的に変わった。
その「ろくでもない変わり方」のあるいは私たちの世代が頂点であって、私たち以後の「やさしい少年たち」はむしろオールコックやモースが描いた古きよき日本人の原型に帰還しつつあるのでは・・・という気がしなくもない。
人口も減っていることだし、あるいはそういうふうに再び「妖精の国(エルフランド)」に回帰することが、日本にとっての幸福な選択ではないのであろうか。
るんちゃんと別れてから平川くんと年賀のご挨拶並びに新春放談。
3時間半にわたって「弁士注意!」の暴走的放談。
この話をそのまま録音して本にすればよかった。
毎日新聞社から今春『憲法本』を出す。
執筆メンバーは平川克美、小田嶋隆、町山智浩、そして私の四人である。
まことにハードにしてコアな執筆陣である。
どうしてこのメンツが毎日新聞社の企画会議を通ったのかよくわからない。
16日が締め切りなので、これから二週間で私の担当分50枚を必死に書かねばならない。
平川君はもう書き終わってしまったそうである。いいなあ。

三日は恒例の多田先生宅へのお年賀のご挨拶。
東大気錬会の諸君とご一緒である。
わがほうからはかなぴょんとウッキーと白川主将。
多田先生にご挨拶して、キャンティが乾杯してから、新婚の工藤くん、内古閑のぶちゃん、おひさしぶりのK野くん、ジェルで髪の毛つんつんの伊藤主将らと歓談。
多田先生の前の席に腰をすえてお話を伺う。
多田先生のもともとの出身は対馬である。
秀吉の朝鮮出兵での伝説的武功で知られる多田監物は先生の祖先である。
維新まで多田家は対馬藩主宗家の家老職だった。
明珍の甲冑とか、三条の小鍛冶宗近の剣などは幕末維新の動乱で散逸焼失したそうであるが、武人の血統は脈々と多田先生のうちに伏流しているのである。
ワインが回ってふらふらしてきたので、日が暮れるころにお暇する。
実家に戻り、母の話のお相手をしているうちに強烈な睡魔に襲われ、8時半に就寝。そのまま爆睡して、目が醒めたら朝の7時。10時間半眠っていた計算になる。
年末からの疲れがどっと出たのであろう。
今日はこれから例年の通り、箱根湯本で母、兄と三人でのんびり湯治である。
まことにのどかでルーティーンなお正月であった。

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2006年01月01日

老師たちからのお年玉

新年あけましておめでとうございます。
西暦2006年、平成18年、戦後61年。私は9月に56歳となる。
人生の「秋」がしだいに深まってゆく。
「初雪」が来る前には浮世の勧工場の出店を畳んで、甲南山麓にささやかな道場を建て、晴耕雨読の隠遁生活の準備を始めたい。
とりあえず2011年年度末を以て世俗のお仕事からはリタイヤする予定であるから、年期が明けるまであと5年のおつとめである。
この「カウントダウン方式」というのは私が好んで採用するところのものであるが、たいへん使い勝手のよいものである。
「カウントダウン」というのは、先取りされた「終わった時点」から「想像的に回顧された過去」として「現在」を見るということである。
わかりにくい書き方ですまない。
例えば、私は「リタイヤ」を2011年3月末日に設定している。そのとき私は60歳である。
「カウントダウン」というのはこの「60歳になった私」が「思い起こせば、2006年のお正月のブログ日記に、そういえばあんな気楽なことを書きつけていていたな・・・ははは、そのときはいっぱし先が見えたつもりでいたが、そのあと、『あんなこと』や『こんなこと』が我が身に起ころうとは、いやはや、神ならぬ身の知る由もなし。まったく思いもせなんだわ」というような想像的な語法で「今」を思い出すということである。
私たちは未来について考えるときにどうしても「現在」という固定的な視座に腰を据えて、そこから「未だ来たらざるもの」を推量しようとする。
「未来」というのは定義上、「何が起こるかわからない」ものである。
そのことは理屈ではわかっている。
けれども、「現在」に腰を据えていると、「できることなら、我が身には可能な限り『わけのわかったこと』だけが選択的に起こってほしいものだ」という無意識の欲望の浸潤を防ぐことができない。
この無意識の欲望はかならずや「まさか、『こんなこと』が起こるとは思わなかった」ことの到来の予兆を過小評価するように私を導く。
現在の視座に腰を据えている限り、私たちはすでに起こったこと、すでに知っていること、すでに経験したことを量的に延長することでしか「未来」を考想することができない。
だが、未来は決して「現在の延長」ではない。
そのことは骨身にしみてわかっているはずなのに、私たちはそのつど未来を「現在を量的に延長したもの」として把持しようと空しく努力する。
レヴィナス老師は『時間と他者』にこう書いている。
すでに何度も引用した箇所であるが、「哲学的お年玉」と思って拳拳服膺して頂きたい。
「未来の外在性は、未来がまったく不意打ち的に訪れるものであるという事実によって、まさしく空間的外在性とは全面的に異なったものである。(…)未来の先取り、未来の投映は、未来というかたちをとった現在にすぎず、真正の未来ではない。未来とは、捉えられないもの、われわれに不意に襲いかかり、われわれを捉えるものなのである。未来とは他者なのだ。」(原田佳彦訳、法政大学出版局、1986年、67頁)
美しいことばである。
「未来とは他者なのだ」
私が採用している「カウントダウン方式」というのは、他者に応接するときのもっともプリミティヴなやり方である。
それは太古の人々が鬼神を敬う儀礼において、鬼神の「仮面」をかぶって、その所作を演じて、「人間ども」をいたぶり、救い、迷わせ、導いてみせたのと同じことである。
「他者のふりをして、現在の私を見つめる」
「カウントダウン」というのは、そのことである。
所詮は、「私」が演じる「他者」であるから、これが真正の他者であるはずがない。
それは能楽で鬼神を演じるシテ方が、真正の鬼神ではないのと同断である。
しかし、それ以外に他者を世俗の人事に介入させる方法がないときは、「嘘も方便」ということがある。
俳優たちが古来より特異な身分に置かれ、世俗と異界の「グレーゾーン」にすみかを定められていたのは故なきことではない。
私たちが「他者からの声」を聴き取るためには、そのような技術的な迂回をするほかなかったからである。
私が採用している「カウントダウン」方式というのは、それに類するものである。
いわば「ひとり二人羽織」のようなものである。
あるいは「自分の『ものまね』芸のものまねをするものまね芸人」のようなものである。
不思議な芸であるが、その芸を見ているのは当の自分なのであるから、それでよいのである。
そのような芸がどのような効果をもたらすか、想像すればわかる。
「オレって、いったい誰なんだ・・・」
という深甚なるアイデンティティ・クライシスに襲われる、ということである。
そのときに、さらに内省的な精神は「『オレって、いったい誰なんだ・・・』という問いを発しているこの『オレ』って、いったい誰なんだ・・・」という問いに取り憑かれる(以下同文)。
『ちびくろサンボ』の虎たちのように、自分のしっぽを追いかけ始めた虎たちは、やがて「バター」になってしまう。
「虎がバターになる」というのが、この「『オレ』って誰?」という終わりなき問いの手柄である。
この種の内省は、ある閾値を超えると、「虎」が「バター」になるように、質的転換を果たす。
「ま、そんなこと考えても埒があかないから、もういいや、ラーメンでも食おう」
という日常的なリアリティへの帰還の必然的であることを導出するために、ここまで手間ひまをかけて哲学的内省はなされてきたのである。
古来この「日常への帰還」の肝要であることを多くの哲学者が力説してきたが、残念ながら、これをまじめに受け取る読者の数は決して多くない。
私が先賢に代わってきっぱり申し上げるが、終わりなき哲学的考究に哲学者たちが勤しんできたのは、「もういいや、ラーメンでも食おう」というひとことに千鈞の重みを与えるためなのである。
『方法序説』にデカルトはこう書いている。
「自分の住む家の建て直しをはじめるに先だっては、それをこわしたり、建築材料や建築家の手配をしたり自分で建築術を学んだり、そのうえもう注意深く設計図が引いてあったりする、というだけでは十分でなく、建築にかかっている間も不自由なく住めるほかの家を用意しなければならないのと同様に、理性が私に対して判断において非決定であれと命ずる間も、私の行動においては非決定の状態にとどまるようなことをなくすため、そしてすでにそのときからやはりできるかぎり幸福に生きうるために、私は暫定的にある道徳の規則を自分のために定めた。」(野田又夫訳、中公世界の名著22,1967年、180頁)
さすがデカルト、言うことに間然するところがない。
哲学的考究とは、いわば「自分の住む家の建て直し」をすることである。
「自分の家」とは階級意識でも、形而上学的臆断でも、民族誌的偏見でも、父権制的イデオロギーでも、なんでもよろしい。とにかく、「自分がそこに棲みついている」ところの「ドクサ」のことである。
それをいったん解体して、土台やら構造やら材質やらを点検しないことには哲学は始まらない。
だが、そうやって「自分の家」を壊してしまうと住むところがなくなる。
どうしたって、「建築にかかっている間も不自由なく住めるほかの家」がなくてはすまされない。
それが私のいうところの「とりあえずラーメンでも食うか」である。
デカルトの「ラーメン」はつぎのようなものである。
「第一の格率は、私の国の法律と習慣とに服従し、神の恩寵により幼児から教え込まれた宗教をしっかりともちつづけ、ほかのすべてのことでは、私が共に生きてゆかねばならぬ人々のうちの最も分別のある人々が、普通に実生活においてとっているところの、最も穏健な、極端からは遠い意見に従って、自分を導く、ということであった。」(同書、180−181頁)
これがデカルトの「バター=ラーメン=仮住まい」である。
レヴィナスの「未来は他者である」とデカルトの「最も穏健な意見に従って自分を導く」は、人間について語られた最も深遠な省察のことばのひとつであると私は思っている。
話を「カウントダウン」に戻す。
「ははは、2006年の正月にはずいぶん気楽なことを考えていたものじゃ」という「想像的に先取りされた60歳のウチダ」の視座は「未来の他者性」をなんとか現在に繰り込むための「方便」であるが、それがもたらす現実的効果はたいへんリアルなものである。
それは、「ああ、お正月って、いいなあ。外は静かだし、暖かいし、朝酒のんでも、誰からも文句言われないし。さて、年賀状でも取りに行くか・・・」というこの「判で押したような正月風景」の「かけがえのなさ」が痛切に、涙がでるほどありがたく身に沁みるということなのである。
皆様どうぞよい一年を。

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