桂米朝の落語を聴きながら年賀状にネコマンガを描く。
さらさら。
一枚当たり所要時間5秒。
ネコマンガを描いて、「元気?」とか「今年もよろしく」とか「ごぶさた」とかフキダシで書き込む。
口上に芸はないけれど、ネコの顔が一枚ずつ違うのが手柄である。
250枚かける5秒とすると20分ほどで描き終わる勘定である。
勘定通りにゆかないのが難点である。
BGM米朝の落語は通販で購入したCDである。
釈老師から『百年目』をMDにコピーしたものを先般頂いた。
米朝演じる船場の大旦那のやわらかい関西弁が素晴らしい。
店を抜け出して芸者幇間と桜宮まで屋形船を仕立てて昼酒を食らっていた番頭が、その醜態を大旦那に見つかってしまう。
翌朝大旦那がその番頭を呼び出す。
あれはお得意さまのお供で・・・と言い訳する番頭に大旦那が味のある説教をする。
「時に昨日はえらいお楽しみじゃったな・・・ああ、お供かいな。いやいや、お供であれ、おつきあいであれ、ああいうときは使い負けせんようにな。先さんが五十円使いなはったらこっちは六十円、六十円使いなはったら八十円というぐらいにな。負けんようにいかなんだら、いざというとき商いの切っ先が鈍りますで。まあまあ昨日の様子では、そんな不細工な真似はしてないとは思うがな。」
この「商いの切っ先が鈍りますで」というフレーズがこの落語のハイライトである。
「切っ先」があるような「商い」のありようを尊ぶエートスは江戸前落語にはない。
『火焔太鼓』の大道具屋も『唐茄子屋政談』の唐茄子屋も商売はきちんとしているし、それなりの「商売哲学」もあるけれど、その商いに「切っ先」はない。
なるほど、大阪には紛れもなく固有の商都の文化、商人のエートスが存在するのであるなあと感心したのである。
ネコマンガを描きつつ、米朝の落語を聴き続ける。
『帯久』、『たちぎれ線香』、『はてなの茶碗』
本日は残りのネコマンガを描いて投函してから、外回りのお掃除。
それから「仕事」である。
次々と送信されてくる卒論草稿を読んで、コメントをつけて返送する。
これが15人分。
年内に書き上げなければいけない原稿が一本あって、これは昨日のうちに書き上げた。
年内に仕上げなければいけない校正が一冊分。これはほんとに今日中に終わらせないといけない。
1月16日締め切りの憲法論原稿が50枚。
仕事は後回しにして、とりあえず大晦日恒例の「今年の重大ニュース」を発表。
1)大瀧詠一師匠とついにお会いする。
これが私的重大ニュースのダントツの筆頭である。
『別冊・文藝』の「ナイアガラ特集」のために対談をセッティングしていただいた。場所は去年橋本治先生とはじめてお会いしたのと同じ山の上ホテルの奇しくも同じ部屋。
同じく30年来のナイアガラーの友、石川茂樹くんをまじえて、昼過ぎから深夜まで時間を忘れてお話しを聴き続けた。
二十五歳以降に私がもっとも強い影響を受けたのは、エマニュエル・レヴィナスと大瀧詠一の両師匠からである。
そのような恩人とふたりながら直接お会いできたということはひとりの人間として例外的な幸運という他ない。
2)多田塾甲南合気会発足(これは4月1日のこと。これまでの神戸女学院合気道会を発展的解消して名称を改めた。ドクター佐藤に事務局長を引き受けて頂いた。合気道県連にも加盟。)
3)甲南麻雀連盟発足(10月1日。土曜の合気道の稽古のあと、突然ドクター佐藤が「谷口さんが麻雀やりたがってますけど」と言い出した。江さん釈先生に携帯電話を入れると「すぐに行きます」と言う。さあ、たいへんというので、大急ぎで麻雀牌、こたつ、座椅子を買い入れたが、麻雀マットだけが揃わなかった)
個人的愉悦という点では、これが第二位。
4)教務部長を拝命。四月から管理職となり、毎朝、教務部長室に「出勤」する常勤サラリーマン的勤務形態になる。会議の数がそれまでの十倍くらいに増える。
これはべつに少しもうれしい話ではないのであるが、「本務で忙殺されている」ということを関係各位に周知徹底すべく大書しておくのである。
5)本を7冊出す。3月釈徹宗老師との共著『いきなりはじめる浄土真宗』『はじめたばかりの浄土真宗』(本願寺出版社)、4月名越康文先生との『14歳の子を持つ親たちへ』(新潮新書)、7月池上六朗先生との共著『身体の言い分』(毎日新聞社)、8月春日武彦先生との共著『健全な肉体に狂気は宿る』(角川書店)、10月『街場のアメリカ論』(NTT出版)、12月『知に働けば蔵が建つ』(文藝春秋)。『街場のアメリカ論』はゼミでのディスカッションの、『知に・・』はブログ日記の仕立て直し、あとは対談と往復書簡。
6)そのほかの仕事としては、「脱力する知性」(小田嶋隆『人はなぜ学歴にこだわるのか』、光文社文庫解説)、「卑しい街の騎士」(加藤典洋『敗戦後論』、ちくま文庫解説)、「史上最弱のブロガー」(『ユリイカ』4月号、「ブログ作法」)、「ナイアガラ・ライフ30年」(『別冊文藝・大瀧詠一とナイアガラ30年史』)、『文學界』1月号から9月号に「私家版・ユダヤ文化論」を連載。『ミーツ・リージョナル』4月号から2006年1月号に平川克美くんとの往復書簡、「悪い兄たちが帰ってきた・東京ファイティングキッズ・リターン」を連載。讀賣新聞『エピス』に毎月映画評を連載。
その他、細かい原稿は数知れず・・・よく働いたなあ。
7)友人たちを鬼籍に送る。川崎ヒロ子(6月20日)、吉田城(6月24日)。
いずれも同年の友である。
ヒロ子さんは30年来の友人野崎次郎くんの愛妻。私は六甲山で行われた彼らの結婚式の司会を務めた。
吉田くんとは北大の学会のシンポジウムのあと、クラーク像の前で高校時代に知り合ってから最初で最後のツーショットを撮った。
彼の最後の仕事になった身体論の論集に寄稿を求められていたのであるが、時間が取れずについに書けなかった。まことに申し訳ない。私が書くことになっていた原稿は次のレヴィナス論には必ず収録して吉田城くんに献じるつもりである。
もうひとり赤澤清和くん。鮮やかな青年だったけれども、神々の愛でにし人は夭逝する。
8)BMW320iを購入。
七年乗ったスバル・インプレッサWRXワゴンをコバヤシさんにお譲りして(代価は松茸と山菜天ぷら「一生分」という圧倒的に有利なバーゲンである)、年来の夢であった「シャコタンのベーエム」を買う。
1987年に今鳥取大学にいる松本雅弘君といっしょにフランスをドライブしたことがあった。ヴァルラス・プラージュからピレネーを越えてバルセロナに向かうオートルートをルノーで150キロでかっとばしているとき、黒いBMWに「すっっこーん」と抜かれた。
柔らかい紙を鋭利なナイフで切り裂くような抜かれ方であった。
そのとき、私のうちの「鎮めがたい欲望」に火がついたのである。
とりあえずこれで8大ニュース。
まあ、そんなもんでしょう。
では、みなさん、よいお年をお迎え下さい。
年賀状の印字が終わったので、とりあえず一服して、福井晴敏原作、阪本順治監督『亡国のイージス』を観る。
前半のタイトな畳み込みは悪くなかったが、後半のご都合主義的な収束のつけかたがちょっと・・・
でも、映画の出来不出来とは別に、「国防とはどういうことか」という戦後日本が単にメカニカルかつ数値的にしか考慮してこなかった問いをあらためて突きつけたことは高く評価したい。
この映画の中で重要な台詞がふたつある。
ひとつは、予告編でもよく使われた「よく見ろ、日本人。これが戦争だ」という中井貴一のテロ宣言のことばである。
これは日本人が「戦争」についての備えを怠っていたということを言うのではない。
軍備について言えば、日本の防衛費は数値的には一貫して世界的水準にある。
だが、「ハード面」での備えが整っているということは日本が「戦争をすることができる国」だということを意味しない。
「戦争ができる国」というはその政府が「戦争ができる」世界戦略を持ち、その国民が「戦争ができる」メンタリティーを備えている国のことである。
日本は戦争ができない国だ。
テロリストはそう言い切る。
それは軍備がないからでもないし、憲法九条が規制しているからでもなく、日本人が「戦争とはどういうものか」を少なくともこの30年間ほとんど考えずに来たからである。
「戦争ができる」というのは、一面から言えば、「自国民が死に、自国の都市が破壊される」という限定的な損害を認めた上で、それよりも「メリット」が多い軍事的オプションを逡巡せずに選択できるということである。
そこを破壊することが戦略的に重要である都市であれば、自国民もろとも破壊することを辞さないようなメンタリティーをもつ人間しか戦争を遂行できない。
原爆は米軍捕虜をも焼き殺したし、ドレスデンにも連合国の市民は何人もいただろう。
現代の日本人にそれができるか。
それは村上龍の『半島を出よ』の主題でもある。
北朝鮮テロリストに占拠された福岡の街を自国民もろとも破壊する決断をする政治家がいないせいで、日本政府は屈辱的な領土割譲に応じることになる。
「戦争ができる人間」とは、軍事的バランスシートの上ですべてを計算して、そこに「人間の顔」を見ないでいられる人間のことである。
そんな人間は今の日本にはいない。
たしかに、今の日本には、経済的バランスシートの上ですべてを計算し、そこに「人間の顔」を見ないですませていられる人間はいくらもいる。
彼らは他人が経済的に破滅することの代償に自分が利益を得ることには少しの疚しさも痛みも感じないでいられる(つい先日も、証券会社の誤発注で短時間に巨富を築いた投資家たちがいた)。
けれども、「経済的なバランスシート」と「軍事的なバランスシート」のあいだには乗り超えることのできない深淵がある。
「金を儲けたい」というのは尽きるところ個人的な欲得だからである。
「自分さえよければ、それでいい」と彼らは考えている。
日本が軍事的に危機になれば、彼らはあたふたと個人資産を抱えてカナダにでもオーストラリアにでも逃げ出すだろう。
だが、「国を守る」という行為は個人的なものではありえない。
日本が軍事的危機に陥ったときに、われさきに安全な外国に逃げ出すような人間には戦争を遂行することはできない。
ここに「戦争ができる人間」のもうひとつの条件がある。
「戦争ができる人間」というのは、「自分が死んでも、同胞を守る」覚悟のある人間のことである。
同胞を守ることの代償として自らの命を捧げることができるような「共同体への愛」を深く身体化させ得た人間のことである。
その「同胞」のうちには、彼と政治的意見を異にする人間たちも、信仰や価値観を異にする人間たちも含まれている。
そういった人々を含めて、「同胞を命に替えて守る」覚悟のある人間にしか戦争はできない。
そんな人間は今の日本にはいない。
そのような人間を形成するための制度的基盤は日本社会のどこにも存在しない。
国防の喫緊であることを熱く語っていた政治家が先日逮捕された。
この男がどれほど政治的に高邁な理想のためにそうしていたのか私は知らない。
けれども、「戦略的な思考ができない」政治家であることは小銭を稼ぐことの代償として弁護士資格を失い、政治生命を失ったという「間尺に合わない」事実から推して間違いないだろう。
しかるに、この「戦略的に思考する習慣を致命的に欠いた政治家」は日本の核武装を求め、領土問題における近隣諸国との強硬な外交を主唱する政治的運動の重鎮であった。
この事実から推して、現代日本の「国防の喫緊であることを熱く語る」人間たちの間では「戦略とは何か」ということを省察する習慣が根づいていないらしいと推論することは間違っていないだろう。
そのような人間たちに国防にかかわる議論を任せることを私は望まない。
『亡国のイージス』では、真田広之の演じる中間管理職サラリーマン的な先任伍長がファナティックで病的な愛国少年兵とコンビで日本を襲った軍事的危機を救う。
真田広之が敵にむけてためらわず銃撃する少年兵をたしなめて言う。
「撃つ前にためらうのが人間だろう。撃つ前に考えろ」
その忠告を受け容れて、動作に一瞬の「ためらい」を挟んだ少年兵は、こんどは「ためらわない」テロリストに撃ち殺されてしまう。
真田は「言われた通り、撃つ前に考えた」とつぶやく瀕死の少年兵にこう言う。
「考える前に考えるんだ」
よいことばである。
最適な戦略的選択をためらわない冷血さと同胞に対する制御できないほどの愛情という矛盾を同時に引き受け、それに引き裂かれてあることを常態とすること、それが「戦争ができる人間」の条件である。
その「引き裂かれてあること」を徹底的に身体化するというのが、「考える前に考える」ということである。
私はこのことばをそんなふうに理解した。
「国を守る」ということを多くの人は「憎悪」や「怨恨」や「競争」といったネガティヴな感情に動機づけられたふるまいだと考えている。
現に国防の喫緊であることを語る論客はほとんどの場合「怒声」を挙げて自説を開陳する。
愛国心や国防について声高に語る日本人を私が信用しないのは、彼らの多くが戦略的思考を欠いているからであるが、理由はもう一つある。
ジョン・レノンは言った。
All you need is love
これを「愛こそはすべて」と訳した人がいるけれど、それは違う。
「君に欠けているのはね、愛だよ、愛」
大掃除は最終日で本棚の整理。
これは時間がかかる。
書棚のどこにどういう本を配列するかで、おおげさでなく、それから一年間のアウトプットの「傾向」が変わってしまうからである。
とりやすいところに並んでいる本はその背表紙が繰り返し目に触れ、なにげなく手に取る機会も多いので、いきおいそこに「磁力」のようなものが発生して、その磁力に感応する種類の情報や知識がふだんから無意識的に選択される。
とりあえず机の上にレヴィナスとラカンの本を並べる。
「仕事書棚」には教育、ニート、脳、葬制、時間、睡眠にかかわる本、背中は「レフェランス書棚」になるので、哲学と精神分析関係の本を並べる。
それから「自分の本」をひとまとめにしておく。25冊くらいある。
ずいぶん書いたものである。
今年は「なかよし本」というコーナーも新設する。
ジャンルにかかわらず、私が「なかよし」に認定した方々の本を並べる。
中には会ったことのない「なかよし」も、もう会うことのできない「なかよし」もいる。
平川克美、松下正己、山本浩二、竹信悦夫、難波江和英、鈴木晶、増田聡、三砂ちづる、柴田元幸、加藤典洋、銀色夏生、湯川カナ、小池昌代、名越康文、養老孟司・・・
甲野善紀先生の本は「身体論」コーナー。池上六朗先生の本もそちらにまとめる。
高橋源一郎、橋本治は「アイドル」ジャンルなので別枠。
ここには村上春樹、矢作俊彦、小田嶋隆の五人が収められているが、これに町山智浩を加えた6人がウチダの2005年度の「マイ・フェヴァリット・オーサーズ」である。
本の整理が終わるとすでにとっぷり日は暮れている。
これにて大掃除はおしまい。
あとは大晦日に外回りの掃除をして、飾り物をするだけ。
掃除をしていると、捜し物が見つかることがある。
どこにいったかな・・・と前から探していた『ことばから見える現代の子ども』という冊子が見つかった。
「エ」音のことをこの冊子で読んだからである。
みつかったので、またどこかへゆかないうちに再録して、諸賢のご高覧に供するのである。
「エ」音のことに言及しているのは渡辺恵美さんという東京の公立小学校二年生の担任の方である。
こんな話。
「私の学校は去年から児童会で、『え段を使わないようにしよう』という『やさしいことばキャンペーン』をやっています。『てめえ』『しね』など、最後がえ段になっていることばを使わないということです。家庭が殺伐として、親も含めて、そういうことばの世界だと思います。『食え』とか日常言っています。だからといって、すごい親かというと、そうでもない。しかし、そのことばは限られた小さな世界のなかで通用することであって、一歩外に出た時にその言語を使って、人間関係がつくられていくのかということも、教師のなかで心配していることです。(・・・)
ここ数年気にかかることは『自分のことばを引き取らない』ということです。『たぶん』、『かもね』などのことばを最後につけて、あとから追及がこないようにしています。断定で『そうです』ということばも使わないですしね。こうしたことは、家庭が学校化している子どもに多いのではないかと思います。」(『ことばから見える現代の子ども』、日本作文の会、百合出版、『作文と教育』55巻7号、2004年、8頁)
私は京大の集中講義の途中で、この「え段」の逸話を思い出して、「え段」が教室でドミナントな音韻になったら、それは学級崩壊のシグナルである・・・というようなことを申し上げたが、これは少し先走りしすぎた発言であって、渡辺先生はそこまでは言っていなかったのである(「受け売り」はつねに強度を増して再現される)。
それにしても、この渡辺先生という方はたいへんするどい観察眼をもっておられて、この教員たちの座談会の中でも、彼女の現場報告のなかには「どきっ」とする指摘が多い。
さらに採録。
「今の学校の子どもたちも共通しているのですが、低学年の語彙の少なさを感じます。『むかつく』と言えば、それで済んでしまう。この年ではこの程度は知っていなければならないと思うことばが、なかなか子どもたち全体のものになっていない。
ことばを考えると、単語が飛び交っている生活言語と、学習言語があると思います。生活言語の範囲がすごく狭くなっている。生活に困らない程度の単語の数だから、情感を表すようなことばが減ってきている。親子関係もあまり情感のない関係になってきているのではないかとも思えます。
たとえば、学校にはたくさんの行事がありますが、参観した親からいろんなことを言ってもらえるんじゃないかなと私などは思います。
次の日に聞くと、『何も言われなかった』と子どもたちは言うのです。その子は言われたことを忘れちゃったのかと一時は思っていましたが、親が何も言わない、運動会が終わっても、運動会のことが全然話題にならない家庭があります。情感を養う部分が生活のなかで薄くなってきているから、そこを獲得できないのかなと思います。」(同書、12頁)
これもまことに重要な指摘である。
子どもの語彙の貧困は、その子どもの生活圏でゆきかう言語の貧困をそのまま映し出している。
それは子ども自身の責任ではない。
日本語が痩せているということがすべての問題の底流にある。
それはメディアに執筆しているときに痛感することである。
私の原稿はしばしば「むずかしい漢字が使ってある」とか「なじみのない外来語が使ってある」という理由で書き直しを命じられる。
私は原則として修正に応じない。
「読者に読めない漢字があってはメディアとしては困るんです」と言うけれど、そのロジックを受け容れてしまうと、メディアはその読者のうち「最低のリテラシー」をもつものの水準に合わせて使用言語を絶えず下方修正しなければならなくなるからである。
現にそうやって戦後日本のメディア言語は痩せ細ってきた。
例えば、「語彙」ということばを使わせてくれないメディアがある。
これは「語い」と書かなければならない。
私は「語い」とか「範ちゅう」という表記を見ると、肌に粟を生じる。
そういう文字を見ても「平気」というような言語感覚の人間が使用文字について公的な決定権を持っている。
以前に「はなもひっかけない」と表記した原稿を「身体部位の欠陥かかわる表記はやめてください」と差し戻されたことがあった。
「はなもひっかけない」というのを「鼻が低いので、ものがひっかからない」という意味だと解釈したせいらしい。
「はな」は「鼻」ではなくて「洟」である。
「はなみずもひっかけてもらえないくらいに、てんで相手にされない」という意味である。
その程度の語彙さえ持たない人間が言語表記について適否の判定を行っている。
「片手落ち」という表記も「身体障害者差別になるから」と拒否されたことがあった。
私がよく使う「短見」というのも「視覚障害者差別になるから」という理由でいずれ拒否されるだろう。
「狂人」や「白痴」や「気違い」などの語はそもそもATOKに登録されていない。
「政治的に正しいことばづかい」をメディアや文科省は久しく唱道してきた。
そのこと自体に文句はない。
けれども、それはただ「使える言葉をひたすら減らす」というかたちでしか行われてこなかった。
「美しいことば」「響きの良いことば」「意味の深みをたたえたことば」を増やすという方向には、戦後日本のメディアも教育もほとんど何のアイディアも持たなかった。
日本語の痩弱に歯止めがかからないのは、「ことばなんかいくら使用制限しても日常生活に少しも不便はない」という(渡辺先生のいう)「生活言語」の全能への信仰が現代社会に瀰漫しているからである。
「瀰漫」と私はよく書く(カンキチくんは「びまん」という読み方が最初はわかりませんでしたと正直に告白していた。今は読めるということは、ちゃんと広辞苑をひいたということである。よいことである。次に奨学金が入ったら、白川静先生の『字通』を買いましょう)。
これもおそらくメディアに投稿したら「び漫」と直されてしまうのであろう。
けれども、「瀰漫」は「蔓延」や「波及」や「一般化」とはニュアンスが違う。
どのような他の語をもってしても「瀰漫」の語のはなつ「瘴気」に類したものは表すことができない。
この「瘴気」だってそうだ。
「毒気」では言い換えることができない。
これを「しょう気」と書き直されたとき、誰がその原義にたどりつけるであろうか。
でも、そのようにして、メディアは日本語の語彙を減らすことに全力を尽くしている。
それは「最もリテラシーの低い読者」の読解力に合わせて無制限に下方修正を繰り返すということを意味している。
その結果が、現在の索漠たる言語状況である。
勘違いしているひとが多いが、「現代人は情感が乏しいので、情感を表す語彙が貧困になった」のではない。
「情感を表す語彙が乏しくなったので、情感が乏しくなった」のである。
ことの順逆が違うのだ。
言語の現実変成能力がどれほど強力なものか、それをほとんどの日本人は理解していない。
とりわけ理解の遅れた人びとが現代日本の「国語」を宰領している。
私がメディアからの寄稿依頼を断り、それに倍する量の文字をブログに書き付けているのは、ここには「使用語彙の制限」がないからである。
煤払い三日目は冷蔵庫の「ジャンク」を掃除するのと、ガスレンジの汚れをこそぎ落とすのにえらい時間がかかってしまい、居間の床掃除にたどりつけないうちに「ピンポン」とチャイムが鳴った。
まずカンキチくんが登場。
そう、本日は栄えある甲南麻雀連盟の「打ち納め」の例会なのである。
九月に発足して以来、たちまちのうちに私の周囲には時ならぬ「麻雀ブーム」が起きた。
「私も、私も」と手を挙げて参加を求める人々が列をなし、彼らを受け容れるために、ついにわが同盟は「J2」制採用に踏み切ったのである。
それというのも、釈老師から「牌」と「麻雀卓」のご恵与を賜ったおかげである。
いつもおみやげを手に登場される釈老師であるが(今回は私に「松竹梅」の盆栽という季節感あふれるおみやげをご持参いただいた)、その法界無辺の御慈悲は私ばかりでなく、雀友のひとりひとりの上にあまねくゆきわたっている。
老師の「これですね」というほほえみとともに卓に打ち付けられる当たり牌に「はい、老師、それでございます。チーロンパ」と応じる衆生の頭上には施行の点棒が豊かに投じられ、私どもはこれを「釈老師のバクシーシ」と呼んで、われさきにその法恩に浴すべくテンパイを競っているのである。
すでに老師はわが同盟に「麻雀マット」をご恵贈されており、マット裏には「釈老師より雀贈。甲南麻雀連盟はいつまでもその雀恩を忘れない」と黒々と大書されているのであるが、それに加えての牌と卓のご恵与である。
甲南麻雀連盟にはその用具に至るまで弥陀のご加護が刻印されているのである。
合掌。
カンキチくんに続いて、その老師が登場。
四人目を待ちながら、まずビール。
スペインの湯川さんから麻雀における非言語的コミュニケーションのあり方について鋭いご意見を頂いて脳が活性化したウチダは「人生は麻雀の縮図だ」(@釈老師)ということばの新解釈についてここで一家言を述べる。
麻雀において、意識的活動は「卓」の上の「牌」のやりとりに集中している。
牌はそれ自体が言語記号であり、私たちはこれを用いて、統辞的に整った「手」というセンテンスを構築すべく努める。
つまり、卓上で営まれているのは、記号形成活動そのものなのである。
ということは、そのとき牌をさばいている打ち手の口から出る言葉は定義上「言語」ではありえない。
それは「無意識のシニフィアン」である他ない。
私の亡父は、麻雀の卓を囲むとき、他人の打牌を見て「はあ、はあ・・・母の三回忌」とつぶやく不思議な口癖を有していたが、そのとき父の無意識にいかなるトラウマ的情景が去来していたのか、おそらく父自身も言語化することはできなかったであろう。
風牌をポンしたときに必ず江さんがつぶやく「そこにーはただ、風が吹いているだけー」(@はしだのりひこ)や、放銃のあとに罵詈雑言を発する打ち手に「過ぎてしまったことは、しかたないじゃないのー」と低く歌うドクターの行為を私はあえて「言語活動」とは呼びたくない。
この無意識のシニフィアンの特徴は「同期」である。
風牌をポンしたときに、残る三人が同時に「そこにーはただー」と歌い始めるとき、そこには中枢的なコンダクターは存在しない。
私はこれを「自己組織化」あるいはスティーヴン・ストロガッツにならって「SYNC」と呼びたいと思う(「SYNC」というのは考えてみると「CSNY」のアマルガムなのであった。「CSNY」などと言っても若い方はご存じあるまいが、Crosby, Stills, Nash & Young の略称である。思えば、昨日の麻雀でもBGMは彼らの音楽であった。おおなんというsynchronicity)
ともあれ、麻雀の現場というのは非言語的=無意識的行為が無数のシンクロニシティをおびき出す異様な空間なのである。
「おお、これが当たり牌だ」という確信がしばしば打ち手には訪れるが、この判断にはほとんど外形的な根拠はない。
しかし、なぜかそれが「わかる」のである。
それはある種の「共身体」を打ち手が共有したことの効果である。
だから、早い順に立直をかけたにもかかわらず、三人ともぴたりと当たり牌を止めて流局になることがしばしばあるが、それはコミュニケーション的にはきわめて「よい場」が成立したことの証拠なのである。
現に、そのような場が成り立ったときの麻雀は、勝ち負けを超えて、「よき雀友」に出会えたことの高揚感と愉悦をもたらしきたすのである。
というような話をしているうちに四人目のシャドー影浦が登場して、さっそく開始。
そこに少し遅れて江さんが来て、神鋼スティーラーズの平尾さんが来て、「女流名人」飯田先生が来て、まなじりを決した青山さんが来て、ドクター佐藤が来て、出張でご不在の越後屋さん以外の全会員が揃い、ついに甲南麻雀連盟は栄えあるJ2開幕戦を迎えたのである。
J2では飯田先生、青山さんの「女の戦い」が激烈な展開。
その結末については礼儀上ことあげを慎むことにしたい。
爆笑のうちに深更に至って、無事打納めて、シャンペンとスモークサーモンで乾杯。
さて、この四半期の最終成績であるが。
おほん。
ダントツのトップはこの日連続四回トップを取って大勝を収め、ついに勝率を3割9分に乗せた私である。
前回までの累計166に178を加えて、トータル344。
なはは。
二位は江さん。
一時は勝率4割を超えて、無敵を誇った岸和田ごんたくれ麻雀であるが、東京シティボーイのクールでソフィスティケートされた麻雀に一歩及ばずの208。
ぐふぐふ。
江くん、いつでも来たまえ。お相手しよう。
三位は何と本日初参加で6割6分7厘という驚異的な勝率を残した輝けるジャパンのウィング平尾剛史選手のプラ49。
プラスは以上3名のみ。
J1メンバーについてのみ記すならば、ドクター佐藤は「酔拳」麻雀で大勝したものの、「あれは翌日がつらいです」ということで、必勝のスタイルを発見できぬままマイナス54。
どこかで弥陀のご加護が天上的な介入を果たすのでは・・・と不安視された釈老師はマイナス57という節度あるカルマ落としを達成されたのである。
甲南麻雀連盟のみなさん、また来年もよろしくね!
煤払い二日目。
今日は寝室、廊下、トイレ、洗面所、風呂場の掃除。
寝室は別にそれほど散らかっているわけではないが、絨毯に綿埃が目詰まりしているので、それを歯ブラシでこそぎ出す。
床にぺたりと腰を下ろしてビーチボーイズの『ペットサウンズ』を聴きながら、絨毯を小さな歯ブラシでそぎそぎする。
もう年の瀬なのね・・・
となぜか「おんなことば」になる。
どういうわけか知らないが、大量のアイロンかけをしたり、老眼鏡をかけて半襟をさくさく縫いつけたり、総じて「床にぺたりと腰を下ろして」家事をしていると気分が「母」になる。
ふう、とつくため息もなぜか湿気を帯び、針仕事の針は無意識に髪の毛の脂を探り、疲れてくると片手が襟元に延びて軽く衣紋を抜くしぐさまで、どこから見ても『麦秋』の杉村春子か『晩春』の高橋豊子である。
いつのまに私の中にこのような身体運用の「文法」が刷り込まれたのであろう。
この家事労働をつうじて生じる身体的なジェンダー・シフトはフリー・フォールするエレベーターの落下感に似たものがあり、「母」になった私は世俗のくさぐさのことが急にどうでもよくなってしまう。
その「わしどうでもええけんね」感を私は深く愛するのであるが、この「母っぽい気分」が好きという家事の身体感覚をわかってくれる男性は少ない(私の知る限り、鈴木晶先生くらいしかいない)。
寝室からずるずると平行移動して、次はトイレと洗面所の床を磨く。
遠目でみるときれいな洗面所の床も、隅の方には綿埃と髪の毛と洗剤の粉が凝固したかなりタフなゴミが付着している。
そぎそぎ。
『エマ』を読むと、こういう「雪かき」仕事はぜんぶ「メイド」がしている。
ご主人さまたちはご飯をたべたり、葉巻を吸ったり、散歩をしたり、情事に耽ったりしている。
だが、こういう仕事をまったく経験しないまま一生を終える人間は、「何か」に触れ損なったことにはならないのだろうか。
家事は「シジフォス」の苦悩に似ている。
どれほど掃除しても、毎日のようにゴミは溜まってゆく。
洗濯しても洗濯しても洗濯物は増える。
私ひとりの家でさえ、そこに秩序を維持するためには絶えざる家事行動が必要である。
少しでも怠ると、家の中はたちまちカオスの淵へ接近する。
だからシジフォスが山の上から転落してくる岩をまた押し上げるように、廊下の隅にたまってゆくほこりをときどき掻き出さなければならない。
洗面所の床を磨きながら、「センチネル」ということばを思い出す。
人間的世界がカオスの淵に呑み込まれないように、崖っぷちに立って毎日数センチずつじりじりと押し戻す仕事。
家事には「そういう感じ」がする。
とくに達成感があるわけでもないし、賃金も払われないし、社会的敬意も向けられない。
けれども、誰かが黙ってこの「雪かき仕事」をしていないと、人間的秩序は崩落してしまう。
ホールデン・コーフィールド少年は妹のフィービーに「好きなこと」を問われて、自分がやりたいたったひとつの仕事についてこう語る。
「だだっぴろいライ麦畑みたいなところで、小さな子どもたちがいっぱい集まって何かのゲームをしているところを、僕はいつも思い浮かべちまうんだ。何千人もの子どもたちがいるんだけど、ほかには誰もいない。つまりちゃんとした大人みたいなのは一人もいないんだよ。僕のほかにはね。それで僕はそのへんのクレイジーな崖っぷちに立っているわけさ。で、僕がそこで何をするかっていうとさ、誰かその崖から落ちそうになる子どもがいると、かたっぱしからつかまえるんだよ。つまりさ、よく前を見ないで崖の方に走っていく子どもなんかがいたら、どっからともなく現れて、その子どもをさっとキャッチするんだ。そういうのを朝から晩までずっとやっている。ライ麦畑のキャッチャー、僕はただそういうものになりたいんだ。」(J・D・サリンジャー、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』、村上春樹訳、白水社、2003年、287頁)
高校生のときにはじめてこの箇所を読んだとき、私は意味がぜんぜん分からなかった。
何だよ、その「クレイジーな崖っぷち」っていうのはさ。
でも、それから大きくなって、愛したり、憎んだり、ものを壊したり、作ったり、出会ったり、別れたり、いろいろなことをしてきたら、いくつかわかったこともある。
「キャッチャー」仕事をする人間がこの世界には絶対必要だ、ということもその一つだ。
「キャッチャー」はけっこう切ない仕事である。
「子どもたちしかいない世界」だからこそ必要な仕事なんだけれど、当の子どもたちには「キャッチャー」の仕事の意味なんかわからないからである。
崖っぷちで「キャッチ」されても、たぶんほとんどの子どもは「ありがとう」さえ言わないだろう。
感謝もされず、対価も支払われない。
でも、そういう「センチネル」の仕事は誰かが担わなくてはならない。
世の中には、「誰かがやらなくてはならないのなら、私がやる」というふうに考える人と、「誰かがやらなくてはならないんだから、誰かがやるだろう」というふうに考える人の二種類がいる。
「キャッチャー」は第一の種類の人間が引き受ける仕事である。
ときどき「あ、オレがやります」と手を挙げてくれる人がいれば、人間的秩序はそこそこ保たれる。
そういう人が必ずいたので、人間世界の秩序はこれまでも保たれてきたし、これからもそういう人は必ずいるだろうから、人間世界の秩序は引き続き保たれるはずである。
でも、自分の努力にはつねに正当な評価や代償や栄誉が与えられるべきだと思っている人間は「キャッチャー」や「センチネル」の仕事には向かない。
適性を論じる以前に、彼らは世の中には「そんな仕事」が存在するということさえ想像できないからである。
家事はとても、とてもたいせつな仕事だ。
家事を毎日きちきちとしている人間には、「シジフォス」(@アルベール・カミュ)や「キャッチャー」(@J・D・サリンジャー)や「雪かき」(@村上春樹)や「女性的なるもの」(@エマニュエル・レヴィナス)が「家事をするひと」の人類学的な使命に通じるものだということが直感的にわかるはずである。
自分でお掃除や洗濯やアイロンかけをしたこともなく、「そんなこと」をするのは知的労働者にとっては純粋に時間の無駄なんだから、金を払って「家事のアウトソーシング」をすればいいじゃないか・・・というようなことを考えている「文学者」や「哲学者」たちは「お掃除するキャッチャー」の心に去来する涼しい使命感とはついに無縁である。
世間はクリスマスだが、私にはそのようなお気楽な時間は一刻とて与えられていないのである。
煤払いは25日から28日まで四日かけて行う予定である。
初日が納戸、二日目が寝室と廊下とトイレと風呂場、三日目が居間と「娯楽の殿堂」(和室)、四日目が外回り。
3LDKの部屋に四日かけるのも大仰な、と思われる方もおられようが、とにかくゴミの量が半端ではないのである。
毎日、宅配便で段ボールの荷物がじゃんじゃん届く。空き段ボールを納戸に放り込んでおくと、すぐに足の踏み場もなくなる。
送られてくる本や雑誌もこの一年でやたらに増えた。自分で買い込んでいる本と合わせて生活空間をじわじわと浸食している。
昨日は納戸(4畳)の掃除をしただけで一日終わってしまった。
掃除機をかけると、なんだか小さな黒いものがたくさん絨毯の目に詰まっている。
よくよく見ると、小さな虫の屍骸である。
どこから発生したのか・・・と発生源を調べると「お米」である。
真空包装のはずのコシヒカリの袋の中に無数の虫が増殖していて、袋を食い破って部屋中に拡がっていたのである。
ホリブル。
部屋中のものを運び出してから、老眼鏡をかけなおして、絨毯を文字通り「しらみつぶし」にチェックしてゆく。
おおおおおお、ファンタスティイイイッック。
お食事中の方もおられるだろうが、これ以上の詳述は自制するが、米から湧く虫の繁殖力がこれほどとは思わなかった。
以前「カレー粉」でも同種の恐怖を味わったことがあるが、どうして「あんなところ」で子孫を繁殖しようという気になるのか、その生きる姿勢というか、人生(虫生だな)観について一度きっちり伺ってみたいものである。
がっくり疲れて下川先生の今年最後のお稽古(若手特訓)に。
ドクター、飯田先生、ウッキー、畑さん・・・と「若手」が勢揃いしている。
老生も下川社中では「若手」に算入して頂いているのである。
平均年齢がどれほどかはそれをもって想像がつくであろう。
楽の「カカリ」をお稽古するが、七拍子のリズムが取れなくて、何度もやり直しさせられる。
汗びっしょりになる。
みなさんとクリスマスケーキを頂いてから帰宅。
晩飯前に、前日に届いたスピーカーセットを組み立てる。
床に座り込んで、アンプ、DVDプレイヤー、スピーカー5個をコードで繋ぐ。
1時間ほどで「ホームシアター」完成。
音響チェックのために『エイリアン』のDVDをかけてみる。
「ドドドドドド」という下腹に響くような重低音がウーハーから出てくる。
後ろからも音がきこえる。
これはすごいや。
夜中にホラー映画を一人で見ているときに、後ろの方から音がしたら、飛び上がってしまいそうである。
今朝の毎日新聞によると、第二次世界大戦中に日本を空襲した爆撃機に搭乗して捕虜となった米英軍兵士583人のうち母国に帰ることなく死亡したもの少なくとも254人。うち処刑されたのが117人。その大半は軍律裁判抜きのものであった。
飛行機の不時着や落下傘での着地直後に殺された者15,傷病で回復の見込みなしとして毒殺されたもの15人、友軍の爆撃や原爆投下で死んだ者64人。
この数字をどう解釈すべきか、しばらく考えた。
しばらく考えたのには理由があって、つい三日前に『大脱走』を見たばかりだからである。
『大脱走』は実話に基づく冒険活劇映画であるが、これはドイツ軍の占領地域に不時着、墜落した米英軍空軍兵士たちだけを収容した捕虜収容所の話である。
映画の冒頭で、脱走組織のボスであるビッグXことバートレットが親衛隊とゲシュタポから空軍に「移管」される場面がある。
そこで、収容所のルーガー空軍大佐とゲシュタポの取調官の管轄権についてのきびしいやりとりがある。
空軍兵士の捕虜は空軍が管理する。
空軍兵士捕虜の扱いについてはたとえ親衛隊やゲシュタポといえども容喙を許さない、とルーガー大佐は断固として彼らの介入を退けるのである。
なるほど、そういうものかと私は子供心にずいぶん感心した覚えがある。
同国人よりもむしろ敵国の兵科を同じくする軍人の方に親近感を覚えるというのは考えてみればありそうなことだ。
ジャン・ルノワールの『大いなる幻影』は第一次世界大戦のフランス人捕虜を扱った物語である。
この中ではドイツ人の貴族(フォン・シュトロハイム)が、同国のドイツ人の無学でがさつな軍人たちよりもむしろ自分と同階級に属するフランス人の貴族(ピエール・フレネ)の学識と趣味に対して深い親近感を示すという「倒錯」が物語の縦糸になっている。
おそらくそれに類する「国境を越えた同種意識」というものがヨーロッパには伝統的に存在するのであろう。
もしかするとEUというような政治構想が可能なのはそのせいかもしれない。
EUの原形的なアイディアはすでにオルテガが1930年に書いた『大衆の反逆』の中で素描しているが、こういうことは「私と同じ程度に理性的に思考できる卓越した知性」とは国境を越えて連携可能であるという確信がなければ思いつくものではない。
フランス語にはRe´publique des Lettres (学知の共和国)という言葉がある。
学問のある人間たちは国境を越えてラテン語で自由にコミュニケーションすることができた中世以来の知的ネットワークを指していう言葉である。
ヨーロッパにおいては、伝統的に「階層の差違/知性の差違/趣味の差違」はしばしば「国境線」以上に強固であり、排他的であった。
東アジア共同体(AU)がもし可能であるとすれば、やはりこのEUモデルを踏襲するしかないと私は思う。
だが、アジアの場合はどうやら、それは「国境を越えた金持ち同士の利害の一致」の方が「同国の貧乏人に対する同郷意識」よりも優先するというかたちを取る他ないように思われる(残念ながら、アジア諸国を見渡しても Hommes de Lettres 「知識人」が国政を領導しているような国民国家はどこにもないからである)。
だから、来るべきAUはRe´publique des Bourses 「財布の共和国」というようなものになるであろう。
それでも戦争よりはよほどましであるが。
閑話休題。
『大脱走』で驚いたのは、この戦争が奇妙な「ルール」によって律されていたことである。
ルーガー大佐の「おとなしく終戦まで快適な捕虜生活を楽しみたまえ」という忠告にイギリス空軍のラムゼイ大佐は「かなう限り脱走を企て、できるだけ多くの敵兵を捕虜の監視と追跡のため割かせて、前線に配備する戦力を減殺せしめることこそ軍人の本務である」ときっぱりと拒絶する。
脱走計画の起案と実行そのものは、いかなる意味でも「逸脱」ではなく、正規の軍務日課の遂行として観念されているのである。
だから、脱走者たちが親衛隊に銃殺されたと聞いて、ルーガー大佐はラムゼイ大佐以上に落胆する。
脱走の企てとその阻止はこの二人の高級軍人の頭の中では「想像的な戦闘」として展開していたからである。
これは彼らの間での「ルールに則ったゲーム」だったである。
麻雀をやっている時に私が江さんに「ロン、西ドラ6」と言われて逆上し、台所から出刃包丁を持ち出して刺殺するのはあきらかに「ルール違反」である。
江さんが死んでしまうと次の半荘に入れないからである。
いっしょに卓を囲んでいる釈先生もドクターも「ウチダ先生、それはないでしょ」とお咎めになることは必定である。
親衛隊の所業はそれに類する「ルール違反」のようにルーガー大佐の目にはおそらく見えたのである。
スティーヴ・マックイーン演じるヒルツ空軍大尉があれほど大暴れしながら、命を長らえることができた理由はひとつしかない。
それは敵国領土内でアメリカ軍の記章を携行していたからである。
スイス国境の鉄条網でバイクごと転倒したヒルツが起きあがって、シャツの襟の記章を示しながら「ヒルツ大尉」と偉そうに名乗るのは、この小さな金属片が象徴する「軍装」の記号によって、彼の生命がウイーン条約で保護されることを彼が知っていたからである。
逆に、偽造パスポートを所持し、軍服を脱ぎ捨て、記章を棄てて、民間人に変装していた捕虜たちはスパイ容疑で容赦なく銃殺される口実を提供したことになる。
ヨーロッパ人たちは、現に殺し合いをしていながら、それでもなお「タンマ」が効くようなルールを当事者が共有している。
少なくともそのようなルールがあった方が「負けたとき」に困らないという点についての合意がひろく成立しているのである。
欧米の戦争観と日本人の戦争観はその点において根本的に違うのように思われる。
日本の軍人は自分が「負けたとき」や「捕虜になったとき」にどういうふうに遇されたいかということも勘定に入れて戦争のルールを決めるというようなことを思いつかなかった。
戦陣訓に言う。
「恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。」
「負けるのは恥ずかしい、だから負けない」というのは「適切な負け方」を全く考えないということである。
戦陣訓の他の箇条も徴候的である。
「第六条・攻撃精神」はつぎのようである。
「凡そ戦闘は勇猛果敢、常に攻撃精神を以て一貫すべし。 攻撃に方りては果断積極機先を制し、剛毅不屈、敵を粉砕せずんば已まざるべし。防禦又克く攻勢の鋭気を包蔵し、必ず主動の地位を確保せよ。陣地は死すとも敵に委すること勿れ。追撃は断々乎として飽く迄も徹底的なるべし(略)」
「第七条・必勝の信念」
「必勝の信念は千磨必死の訓練に生ず。須く寸暇を惜しみ肝胆を砕き、必ず敵に勝つの実力を涵養すべし。 勝敗は皇国の隆替に関す。光輝ある軍の歴史に鑑み、百戦百勝の伝統に対する己の責務を銘肝し、勝たずば断じて已むべからず。 」
勝つぞ勝つぞと呼号するのはいいけれど、戦争は勝つ側と負ける側があるから戦争になるのである。
「百戦百勝」というのは病的妄想である。
歴史上「百戦百勝」であった軍隊などひとつも存在しない。
であれば、帰納法的な推論ができる知性があれば、この戦陣訓は「祈り」ではありえても、戦闘のためのマニュアルとしては機能しないことはすぐわかるはずである。
この文章は日本軍が「かつて一度も存在したことのない軍隊」でありうることの蓋然性の証明のためには一語も費やしていない。
その結果何が起きたかについてはルース・ベネディクトがその『菊と刀』で活写したとおりである。
百戦百勝のはずの日本軍は実際には局地戦ではぼろぼろ負けた。
戦争なんだから負けることがあるのは当たり前である。
別に恥ずかしいことでもないし、それで世界が瓦解するわけでもない。
『大脱走』の諸君のように、捲土重来を期せばよろしいのである。
しかし、日本軍の捕虜たちはそうはしなかった。
彼らは捕虜になったとたんに人格を一変させてしまったのである。
ベネディクトが驚いたのは、これほど「勝者に媚びる捕虜」たちを見たことがなかったからである。
捕虜たちは嬉々として自軍の内情、兵の配備状況をことこまかに具申し、中には米軍の偵察機に同乗して、「あそこが弾薬庫で、あそこが司令部です」と逐一報告した兵士さえあった。
この変節の理由は簡単である。
戦陣訓がいうとおりに「勝敗は皇国の隆替に関」するというのがほんとうなら、皇軍が負けるということはイコール「皇国は滅亡した」ということである。
ならば皇軍を打ち破った軍隊こそが「百戦百勝の新たなる皇軍」であることは論理の経済が私たちを導く合理的結論である(現にその論理に従って、日本は戦後60年間アメリカに仕えてきたではないか)。
「いや、勝敗というのは最終的勝敗ということであって、局地戦で一度や二度負けたくらいのことで皇国の隆替にかかわってたまるものか」という言い分もあるかもしれない。
だったら、はなから「百戦百勝」などということは書かない方がよかったのである。
「百戦百勝」しないと「皇国の隆替」にかかわるなんて書いてしまったから、それを真に受けた軍人たちは「一敗」しただけで、ああ皇国は終わった・・・と思ってしまったのである。
米英軍の捕虜を殺害した人々のメンタリティもおそらくそれと同質のものと思われる。
彼らが捕虜となっているのはテンポラリーな戦況の中でおきた「たまたまの出来事」であって、局面が変われば、捕虜交換があるかもしれないし、条件つきでの本国送還もあるかもしれないし、ことによると「捕虜虐待」で国際法上の罪に問われるかもしれないし、自分だって敵地で捕虜になる可能性だってあるし・・・というふうにリーズナブルに思考することができれば、捕虜を殺すことについても強い心理的規制がかかったはずである。
そのブレーキが利かなかったということは、この捕虜殺害にかかわった諸君の多くが「日本は絶対負けない」と思っていたということである。
でも、日本は負けた。
というか、そんなふうに思っている人間があまりに増えすぎたせいで負けたのだと私は思っている。
戦争についてのルールを作るのは、勝つためではない。
負けたときにあまり不愉快な思いをしないですむように、人間はルールを作るのである。
そして、お忘れの方が多いようだが、「勝負」というのは「勝ったり負けたり」するものではなく、ほとんどの場合「負けたり負けたり」するものなのである。
京大での集中講義四日間がようやく終わる。
三日目は『北北西に進路を取れ』、四日目は『ゴーストバスターズ』.
ハリウッド映画をトラウマ、抑圧、代理表象、転移などにからめて論じるというスタイルはこれまでの映画論と同じだけれど、今回の集中講義では「同期」、「閾下知覚」、「暗黙知」、「無意識的言語活動」といったことに軸足を置いてみた。
講義を始める前には、そんな論件に触れる気はなかったのだが、初日の朝に、寝床の中で「アナグラム」の話を急に思いついて、どろなわでそれを資料に付け加えたところから話の筋道がどんどん変わってしまった。
すでにアナグラムについては何度か話したことがある。
それが識閾下でのある種の言語活動であることはとりあえずわかっている。
それが、コミュニケーションにおいて死活的に重要であることまでは分かっていたのである。
だが、時間意識の形成とアナグラムをつなぐ理路がよくわからなかったのである。
それがぼんやりわかってきた。
アナグラムは「閾下の言語活動」であり、そこでは時間も空間も意識次元とはまったく違う仕方で展開している。
この識閾を適切にキープする能力が人間の人間性をどうやら最終的に担保している。
そんな気がしてきたのである。
識閾を設定し保持する力こそが、実は人間の知性の核心なのではないか。
識閾というのは、フロイトの術語を使って言えば「無意識の部屋」と「意識の部屋」を隔てる、あの番人のいる「扉」のことである。
この「扉」の管理がしっかりしてはじめて人間は「論理」とか「時間」とか「自我」とか「他者」といったものを維持することができる。
この扉の開け閉めが緩んで、無意識の心的過程がダダ漏れになってしまうと、時間も論理も自我も、みんなまとめて吹っ飛んでしまう。
無意識と時間意識のかかわりについて考えるきっかけになったのは先日春日先生にうかがった統合失調症の「幻聴」の話である。
幻聴というのは、自分の思考が声になって聴こえるという病症である。
幻の声が自分の思考を「先回り」して言い当ててしまう。
本を読んでいると、本のまだ読んでいないところを幻の声が読み進んで筋をばらしてしまう。
これを患者は「宇宙人からの指令が聴こえる」とか「脳内にチップを埋め込まれた」といった定型的な作話によって「合理化」しようとする。
でも、よく考えたら、「そんなこと」は誰にも起こる、まるで当たり前の出来事なのである。
アナグラムの例から知られるように、私たちは瞬間的に一望のうちに視野にはいるすべての視覚情報を取り込んで処理することができる。
本を開いた瞬間に見開き二頁分の視覚情報を入力するくらいのことは朝飯前である。
だから、私たちは実は頁を開いた瞬間に二頁分「もう読み終えている」。
しかし、私たちは「すでに読んでしまった文」を「まだ読んでいない」ことにして、一行ずつ本を読む。
なぜ瞬間的に入力された情報を段階的に取り出すような手間ひまをかけるのか。
私にはその理由がまだよくわからない。
よくわからないままに、直感的な物言いを許してもらえれば、たぶん、それは「手間ひまをかける」ということが「情報を適切に処理すること」よりも人間にとって重要だからである。
「手間ひまをかける」というのは言い換えると「時間を可視化する」ということである。
おそらく、無時間的に入力された情報を「ほぐす」という工程を通じて人間的「時間」は生成する。
一瞬で入力された文字情報をあえてシーケンシャル処理することは、知性機能の「拡大」ではなく、機能の「制限」である。
私たちの知性はおそらく「見えているものを『見えていないことにする』」という仕方で「能力を制御する」ことで機能している。
それに対して、統合失調の人たちはおそらく「見えているものが無時間的にすべて見えてしまう」のである。
かれらは「〈超〉能力が制御できない」状態になっている。
発想の転換が必要なのだ。
私たちは精神病というものを知性の機能が停滞している病態だと考えている。
人間の認識能力が制御されずに暴走している状態が統合失調症なのである。
私にはそんな気がする。
私たちの中では実際に無数の声が輻輳し、無数の視覚イメージが乱舞し、私たちの理解を絶した数理的秩序が支配している。
その中の「ひとつの声」だけを選択に自分の声として聴き取り、「ひとつの視野」だけを自分の視線に同定し、理解を絶した秩序の理解可能な一断片だけに思念を限定できる節度を「正気」と言うのではあるまいか。
この「理解を絶した数理的秩序」を私たちの貧しい語彙をもって語ろうとすると、それは「宇宙人の声」とか「CIAの監視」といったチープでシンプルな物語に還元されてしまう。
だから、それについてはあえて語らないというのが知性の節度なのではないか。
ウィトゲンシュタインが言ったように、「語り得ないものについては沈黙すること」が知性のおそらくは生命線なのである。
アナグラムという現象は人間の言語活動のうち、少なくとも音韻選択は識閾下でも活発に活動していることを示している。
アナグラムについて書かれた詩学書が一冊も存在しないという事実は、アナグラムが人間の知性が統御すべき領域の出来事ではないということを意味しているのではないか。
おそらくそのことを古代人は知っていたのである。
というようなことを考えて映画を見る。
映画の中には無数のでたらめな表象が飛び交っている。
とくにハリウッド・バカ映画の場合、映画を中枢的に統御している「作者」はもう存在しない。
フィルムメーカーたちが映画作りにかかわる動機はきわめて多様である。
あるものは金を儲けるために、あるものは政治的メッセージを伝えるために、あるものは宗教的確信を告白するために、あるものはテクニックを誇示するために、あるものは懺悔のために、あるものはふざけ散らして、あるものは疚しさを抱えながら・・・それぞれがてんでかってな仕方で映画の現場に参加している。
そこにどのような意味でも「秩序」というようなものが打ち立てられるはずがない。
しかし、それらの娯楽映画を分析的に見ると、すべてのファクターがある種の「数理的秩序」に類するものに従って整然と配列されていることがわかる。
いったい「誰」がその秩序を用意して、どうやって数百人数千人のスタッフ、キャストをその「意」に従わせたのか?
私には説明ができない。
たぶん誰にも説明できないだろう。
おそらく、ある種の「同期」がそこに生成したのである。
最終日は池上先生ご夫妻と三宅先生がお見えになる。
京大の講義を聴きにおいでになったのである。
お忙しい先生方に長時間教室にお座り頂くのは申し訳なくて、「いいから京都観光に行って下さい」と懇願したのであるが、ぜんぜん聞き入れられずに、教室の最後部に鎮座されて、にこにこ笑いながら授業を聴いておられた。
講義が無事に終わり、四日間おつきあい頂いた学生院生諸君カンキくんミギタくんらに別れを告げ、杉本先生にご挨拶をして、京大を後にする。
今回は、池上先生のための慰労の集まりと恒例年末「三宅先生のカルマ落とし」の儀礼も兼ねているのであるというか、それが本来の目的であって、私の集中講義はその「前座」なのである。
祇園ホテルに荷物を放り込んで、三宅先生の奥様も加わって五人で祇園の「花吉兆」に繰り出す。
「おおお、これが京都だぜい(きっと)」という感じのお店である。
私のような人間には乗り超え不能のハードルの高さのお店であるけれども、三宅先生のような粋人とご一緒であると、どんなところでもどんどん入れてしまうのでまことにありがたいことである。
蟹、すっぽん、ぶり、大トロ、柿なます、牡蠣ご飯など続々と出てくる料理をひたすらむさぼり食い、お酒をぐいぐいのんで、池上先生、三宅先生と歓談しているうちに、さすがに四日間の疲れが「どっと」出てきて、午後8時に激しい睡魔に襲われ、まぶたが半分下りてくる。
そのまま半ば意識不明の状態でよろよろとホテルに戻り、池上先生に手ずから治療して頂いているうちにあまりの気持ちのよさに本格的に意識が遠のき、這うようにして部屋にもどって爆睡。
寝たこと寝たこと。
9時間とんでもない寝相でベッドを転げ回って眠る。
2005年最後の「大仕事」が終わったので、全身がほとびてしまったらしい。
集中講義二日目。
ふだん目覚ましで起きるという習慣がないので、りりりという音を聴いて目が覚めるとなんだか理不尽な目にあわされているような気になる。
9時15分の新快速で京都へ。
地下鉄に乗り換えて今出川。そこからタクシーで800円で京大である。
京大というのは「最寄り駅」がない不便なキャンパスなのである。
京阪の出町柳という駅があるけれど、ずいぶん遠い。
それに私は京阪電車という鉄道には「トラウマ」があるので、できることなら乗りたくないのである。
1969年に私は京阪沿線のある駅(名前を忘れた)に住んでいる従兄のつぐちゃんの下宿に四日ほど滞在したことがある。
京大入試を受けるためである。
どういうわけかホテル代を節約するために従兄の下宿(かなり狭いところだったけれど)に転がり込んだのである。
前日に新井啓右くん、吉田城くん(ふたりとも鬼籍に入ってしまった)といっしょに入試会場の下見に行った。
火炎瓶が飛び交う京大キャンパスで入試ができず、たしか京都予備校というところが私たちに振り当てられた試験会場であった。
入試の初日、大雪が降った。
京阪の駅に行ったが、電車が来ない。
ポイント凍結で止まってしまったのである。
京阪電車はそのまま1時間半ほど来なかった。
ようやく来た電車は300%くらいの詰め込み状態でのろのろと京都に向かった。
京都につく前に試験開始時間は過ぎてしまった。
京都駅からバスに乗るのだが、そのバスも雪で遅れて、会場についたのは試験開始を1時間半ほど過ぎたころだった。
私は全身ずぶぬれのまま吹きさらしの廊下で一般受験者の半分ほどの時間で試験を受けさせられた。
寒くて、かじかんだ指にようやく血が回る頃に試験終了のチャイムが鳴った。
もちろん試験には落ちた。
あの日、京阪電車のポイントが凍結していなければ私は69年に京大法学部に入学していた可能性が高い。
そのあとの人生は今とはまったく違ったものになっていただろう。
そう思うと、不思議な気がするが、ポイント凍結が人生の岐路、というのがなんとなく気持ちが片づかない。
というわけで、それ以後、京阪電車には近づかないようにしているのである。
京大での集中講義第一日目。
京大での集中講義は去年はじめてお招き頂いたもので、そのときは「超・身体論」というものを講じた。
光岡先生に一日おいでいただいて(守さんも、野上さんもヴォランティアで来てくださった)、站椿の実習付きという豪華メニューであった。
そのせいで、レポートはほとんどが「光岡先生ショック」について書かれたものであった。
今回は映画論。
映画を見て、あれこれ能書きを垂れていればとりあえずよろしいわけであるので、まことに楽な仕事である。
すでに過去に名古屋大学、鹿児島大学と二度集中講義でやったネタであり、その後『映画の構造分析』に書いた。
そう聴くと、「なんだ。また同じ話か。進歩のない野郎だ」と思われる方がいるかもしれない。
だが、それは短見というものである。
私は自慢じゃないけど「飽きる」ことに関しては人後に落ちない「スーパー飽きっぽい人間」である。
毎日ルーティンを繰り返していることを自慢しているのに話が違うじゃないかと言うかたもおられるかもしれない。
勘違いしてはいけない。
私がルーティンを繰り返しているのは、それが「変化」を検出する上でもっとも効果的な方法だと信じているからである。
毎日違うことをしていると、「同じ人間が目先を変えただけで同工異曲を演じている」のか、「人間そのものが変わっているのか」がわからない。
しかるに、毎日同じことを繰り返していると、「同じ人間が同じことをしているのか」「違う人間が同じことをしているのか」が一目でわかる。
私は「自分に飽きる」のであって、「自分がしていることに飽きる」のではない。
そこのところをご理解頂きたい。
自分が日ごとに微妙に別人になるのであれば、外形的に「同じこと」であっても、その意味は微妙に変化する。
私はその変化を玩味したい。
それゆえ、「同じこと」を執拗なまでに繰り返すのである。
映画論は毎回同じネタである。
しかるに、そのネタを論じる私自身の視点や視野は微妙に変化している(といいのだが)。
初日は「アナグラム」と『エイリアン』をつなげるという荒技を試みた。
バルトの「鈍い意味」といわれるのは、ポランニーのいう「暗黙知の次元」における「意味」ではないか。
そして、ソシュールのアナグラム研究が顧みられることなく久しいのは、それがめざした「暗黙の修辞学」を語るだけの学術的語彙が1910年代には存在しなかったからではないのか。
というような、「落としどころ」のない話をぶつけてみる。
帰り道に養老孟司先生ご推奨のラマチャンドランの『脳の中の幽霊、ふたたび』を読んでいたら、いま話してきたばかりのことにかかわるエピソードが出てきてびっくりする。
脳の中には意識にのぼる事象と、意識に前景化しない事象がある。
例えば、隣に座っている人と話をしながら、無意識的に車の運転をすることは誰にでもできる。
しかし、その逆に運転に意識的な注意を向けて、無意識的に会話をすることは誰にもできない。
つまり、意味のある言語使用に関する計算は意識の介在を必要とするが、運転に要する計算は意識の介在を必要としないのである。
私が今日やったのは、「語義的に一貫性のある言語使用ではない種類の言語使用」というものがあって、その計算には意識の介在が必要ではないのではないか、という仮説の提示である。
語義的に一貫性のある言語を語る場合には、たしかに意識の介在が必要であるだろう。
けれども、そのメッセージが「相手に届くかどうか」というような遂行的課題は、語義レベルでは解決できない。
メタ・コミュニケーションレベルでの言語使用がかかわるのは、「音の響き」や、「倍音」や、「音韻の快不快」の選択であり、それはどちらかというと無意識的になされる「運転」にも似ている。
昨日、『弱法師』の音韻について書いたけれど、この音韻選択を、作者である観世元雅が意識的にやっていたように私には思われない。
音韻の選択はおそらく無意識的になされている。
しかし、謡曲の「美的感動」には語義レベルよりむしろ、この無意識的レベルにおける音韻選択にかかわっているように私には思われるのである。
この話の続きはまた明日京大で。
江さんのことを書いたら、すぐに電話がかかってきた。
「センセ、あんなことブログに書かれたら困ります。もう朝からじゃんじゃん電話が鳴りっぱなしで・・・」
これは失礼。
ただちにIT秘書室がテクニカルに処理して痕跡を消されたようであるので、いったい私が何を書いたのか、昨日読まなかったひとには秘密なのである。
土曜日は合気道部の稽古納めのあと、甲野善紀先生をお迎えしてのひさしぶりの武術講習会。
ミリアム館をお借りして、合気道の技を中心に、杖、剣、介護などさまざまな技法を実地教習していただく。
例によって、一人一人に技をかける甲野先生のあとを全員がぞろぞろと付いて歩き、ときどき列からはぐれる学生たちは守さんが引き取ってこちらはこちらで站椿をご教示くださるという、「バザール方式」の稽古である。
前回の『中央公論』の対談のときも終わったあとにも少しお手合わせして頂いたが、なにせ名越先生のクリニックの居間であるから、あまり大がかりなことはできない。
今回は空間が広いし、ちゃんと道衣も着けているので、いろいろな技で投げたり、極めたり、固めたり、あれこれ技をかけて頂けた。
「両足の裏が水平離陸し、足が浮く分体が落下するその力を利用して・・・」というのがこのところの甲野先生の術理的な主題である。
「空中で仕事をすませる」というのは武術ではよく言われることだが、そのときに「身体の中でいくつかの定滑車、動滑車を動かす」という甲野先生がときどき使われる比喩の意味がよくわからない。
いや、意味はわかるのだが、どうやって身体の中に滑車を作ってそれを操作するのか、それがわからない。
とはいえ、介護の技法は習ってすぐに出来る人が現にいるわけであるから、武術的な展開もできないはずはないのである。
大きな宿題を頂いたので、しばらくは頭の中がそれで一杯である。
今回の稽古納めにはひさしぶりに平尾剛史さんが見えた。
タックルの処理やハンドオフやラックでの「平蜘蛛返し」や大腰筋を使ったサイドステップなど甲野先生がラグビー応用編をいろいろとご教示される。
体重85キロ平尾さんは甲野先生に浮かされ、抜かれ、崩れるたびに「おおお」と喜びの笑顔で応じている。
ぜひ甲野先生の術理をラグビーの練習に取り入れた平尾さんの大活躍で、来期の神鋼スティーラーズは捲土重来を果たして頂きたいものである。
あっというまに3時間が経ち、そのままわが家に結集して懇親会兼合気道納会へ。
ぞくぞく人々が集まり、最終的に39名。またも新記録更新である(これまでの最高記録は37人)。
床を踏みぬかないようにご注意申し上げる。
今回の納会の持ち寄り一品料理のテーマは「B級グルメ」。
私は例によって「おでん」と「鳥釜飯」。
飯田先生の「味噌煮込み」とPちゃん作の「水菜のスパゲッティ」がたいへん好評であった。
二間に39名も詰め込むと、もう満員電車の中で宴会をしているようなものである。
ほとんどの人は立ったまま飲み食いし、その間で甲野先生がどんどん技をかけて人を転がしたり、真剣を抜いて振り回したりしている。
もうなにがなんだかわからないまま爆笑のうちに今年の合気道イベントも大団円を迎えることになった。
一年間みなさんご苦労さまでした。私はたいへん楽しかったです。
また来年も老生と遊んでくださいね。
お忙しい中本学までお越し下さった甲野先生、遠路はるばる丸亀からうどんと意拳の極意メモも届けてくださった守さんにもお礼申し上げます。
どうぞ来年もよろしくお願い致します。
ひさしぶりの何もない日曜なのでだらだらしていたら、ドクターから電話がかかってきて、「先生、今日はお稽古の日ですよ!」と連絡を頂く。
おお、忘れていたぜ。
ぱたぱたと下川先生のところへ。
三週間ぶりくらいのお稽古である。
さっそく『弱法師』の謡。
先生に「たいへんよくなりました」とおほめ頂く。
毎日行き帰りの車の中でばっちりおさらいしているのである。
無本で謡えるようになって、節が入って、謡は「それから」ということが稽古しているとだんだんわかってくる。
謡で好まれる母音は圧倒的に「オ」と「ウ」の音である。それから「ア」。「イ」の音をひっぱって聴かせるところは少なく、「エ」はもっとも少ない。
つまり、「オ」と「ウ」の音はそれだけ鼻骨や頭骨などとの振動の親和性が高いということである。
逆に「エ」の音が避けられるのは、音韻的におそらく「不安」だからであろう。
古語で「エ」の母音で終わるのは「なりて」とか「候ひて」とかいう非終止形であるから、どうも「すわり」が悪い。
試みに『弱法師』シテ謡の冒頭部分は。
「出入りの月を見ざれば明け暮れの」(オ)
「夜の境をえぞ知らぬ」(ウ)
「難波の海の底ひなく」(ウ)
「深き思ひを人や知る」(ウ)
という非常にゆったりとした微妙な旋律である。
それがサシになると、あきらかに母音構成が変わる。
「それ鴛鴦の衾の下には」(ア)
「立ち去る思ひを悲しみ」(イ)
「比目の枕の上には」(ア)
「波を隔つる憂ひあり」(イ)
「況や心あり顔なる」(ウ)
「人間有為の身となりて」(エ)
「憂き年月の流れては」(ア)
「妹背の山の中に落つる」(ウ)
「吉野の川のよしや世と」(オ)
「思ひも果てぬ心かな」(ア)
「浅ましや前世に誰をか厭ひけん」(ン)
「今また人の讒言により」(イ)
「不孝の罪に沈む故」(エ)
「思ひの涙かき曇り」(イ)
「盲目とさへなり果てて」(エ)
「生をもかへぬこの世より」(イ)
「中有の道に迷ふなり」(イ)
17ある「聴かせる」母音の中に「オ」がひとつしかない。
「イ」が6回。ほかではほとんど出ない「エ」が3回。
このサシの部分は詞章は説明的で、音楽的にもやや冗長である。
ここは「きかせどころ」ではなく、どちらかというと話を「先へ進める」ための「つなぎ」の場である。
そのような物語構成上、詞章の「運び」を速めるために、「イ」や「エ」のような「非終止的」な音韻をたたみ込むように用いるのではないかと推察せられるのである。
「イ」や「エ」の母音が非終止的であるせいで、センテンスを「宙づり」にする音韻的効果を持つことは経験的にはたしかなことである。
この数年、若いスポーツ選手などがインタビューを受けるときに、質問に対して必ず最初に「そうですねー」と「エ」音をひっぱって聴取者を「宙づり」にするところから始めるという話型を採用していることには多くの人が気づかれていると思う。
あるいは、「・・・だしい」「・・・ですしい」というふうに「イ」音をセンテンスの最後に持ってきて、「オレの話はまだ終わってないぞ」という意思表示をする発語の習慣も若い人にはひろく行われている。
あるいはもう中高年層さえも使い出した、あの「半疑問文」(名詞止めの最後の音をはねあげる)も聴取者を「宙づり」にする効果を狙っている点では同様である。
これらの非終止形の連打がもたらす効果はとりあえず、自分の次のセンテンスが始まるまで、対話の相手を「沈黙」状態にとどめ置くことにある。
つまり、好んで非終止的音韻をセンテンスの最後に持ってくるのは、できるだけ発語権を独占して、相手に口をはさむ機会を与えないという、自己中心的な発話者に典型的に見られる習慣なのである。
以前読んだ本の中で、小学校の先生たちが、教室の中で生徒たちの発語に「エ」音が増えてくるとのは学級崩壊の徴候だという指摘をされていた。
「うるせー」、「うぜー」、「だせー」、「ちげー」、「くせー」・・・といった「エ」の長音が教室に蔓延するようになったら、そこではもう授業は成立しないだそうである。
これは「エ」音が「対話の拒絶」の音韻的なシグナルであると考えれば理解できる話である。
日本語の音韻のメッセージ性について、または脳の音韻受容部位と情緒を司る部位の連関について研究している方がいたら、ぜひご教示願いたいと思う。
来年のゼミの選考が終わり、今日、メンバー発表があった。
内田ゼミは今年は希望者が例年よりずいぶん多く、半分以上の希望者を落とさなければならなかった。
『エースをねらえ!』で宗方コーチの後任の西高テニス部のコーチになった太田くんが「オレは今日、テニスをやりたいというやつを100人落とした。切ないなあ」と半ベソかきながら宗方コーチとお酒を飲む場面があるが、私も同じ気持ちである。
まことに切ない。
83名面接したけれど、どの学生もみんな面白い子たちだった。
ずいぶん長い時間話し込んだ学生たちは、あんなにわいわいしゃべってたのに、どうして落とされちゃったんだろう・・・と気持ちが片づかないだろう。
できることなら、希望者を全員入れたいのだが、学科の決まりでそうもゆかない。
何人かの学生から「なんとか入れてもらえないでしょうか」というメールが届く。
「ごめんね」と返事を書く。
私の下で勉強したいという熱意のある学生を切り捨てなければいけないのである。
酒が苦い。
今年最後の教授会で、懸案の教員評価システムが教授会決議で採択されることになった。
自己評価委員長として素案を出してからここまで来るのにまる4年。
決議まで持ち込めたのは、断固たる決意でこの案件に望んだ学長と、私のけんか腰のハードな議事運営のあとを引き継いで反対意見にていねいに応接して合意形成を成し遂げたE藤自己評価委員長のお手柄である。
お二人に感謝。
どんなにがんばっても、ひとりではなにもできない。
支援者がいなければ、どんなことも組織的には実現しない。
たぶん私は自分で何かを実現するタイプの人間ではなく、誰かきちんとした人が何かを実現するために、あらかじめ下ごしらえをする「ジャガイモの皮むき」タイプの人間なのであろう。
教育というのは、そういえばまさに「下ごしらえ」そのものである。
才能を開花させるのは教え子たちひとりひとりである。
私は彼ら彼女らの「皮をむく」のである。
さくさく。
明日は甲野先生の講習会、そのあとわが家で懇親会兼納会である。
その支度のために、大根とジャガイモの皮をむく。
さくさく。
毎日新聞の「この一年・文芸」という回顧記事の中で、松浦寿輝と川村湊が今年一年の文学作品の棚下ろしをしている中に、例によって村上春樹が批判されていた。
川村 村上春樹さんの短編集(『東京奇譚集』)はやはり、うまいですね。
松浦 短編集という器の洗練のきわみを示している。でも、これはマスターキーのような文学だと思った。どの錠前も開くから、世界中の人を引きつける。しかし、日本近代文学の記憶の厚みがなく、不意にどこからともなくやってきた小説という感じ。
川村 インドの大学院生たちも、違和感がない、と言っていた。サリンジャー以降のアメリカの都会派小説の流れの中にあるんでしょうね。前の短編集『神の子どもたちはみな踊る』には謎めいたところを作っていたが、今回はそういうところはほとんどない。
松浦 言葉にはローカルな土地に根ざしたしがらみがあるはずなのに、村上春樹さんの文章には土地も血も匂わない。いやらしさと甘美さとがないまぜになったようなしがらみですよね。それがスパっと切れていて、ちょっと詐欺にあったような気がする。うまいのは確かだが、文学ってそういうものなのか。(毎日新聞、12月12日)
「詐欺」というのは奇しくも蓮實重彦が村上文学を評したときの措辞と同一である。
かりにも一人の作家の作物を名指して「詐欺」と呼ぶのは、その文学的営為を全否定すると同時に、その読者たちをも「詐欺に騙された愚者」に類別しているに等しい評語である。
私は村上春樹の愛読者であるので、そのような評語に接して平静な気持ちではいられない。
「どうして村上春樹は文芸批評家からこれほど憎まれるのか?」
それについて少し思うところを書く。
「世界中の人を惹きつけ」、「インドの大学院生たち」からも「違和感がない」と言われるのは、その文学の世界性の指標であると私は思っている。
そして、日本文学史の中でそのような世界性を獲得した作家はまれである。
折しも同じ作家の『海辺のカフカ』は12月1日にニューヨーク・タイムスの選ぶ「今年の十冊」のひとつに選ばれた。
十冊はフィクション、ノンフィクション各五冊である。
「パワフルで自信に満ちた」作家による「上品で夢のある小説」と評された『海辺のカフカ』がその年に出版された英語で読める小説の年間ベスト5に選されたことは、日本人として言祝ぐべき慶事だと私は思う。
しかし、批評家たちはそれを慶賀するどころか、その事実をむしろ村上文学の欠点として論っているように私には思われた。
「ローカルな土地に根ざしたしがらみ」に絡め取られることは、それほど文学にとって死活的な条件なのだろうか。
「私は日本人以外の読者を惹きつけることを望まない」とか「異国人の大学院生に『違和感がない』などと言われたくない」と思っている作家がいるのだろうか。
私の知見は狭隘であるから、あるいは、そのような排外主義的な物書きもいるのかも知れない。
たしかに、ウェストファリア条約以来、地政学上の方便で引かれた国境線の「こちら」と「あちら」では「土地や血の匂い」方がいくぶんか違うというのは事実だろう。
だが、その「違い」に固執することと、行政上の方便で引かれた「県境」の「こちら」と「あちら」での差違にもこだわりを示ことや、「自分の身内」と「よそもの」の差違にこだわることの間にはどのような質的差違があるのだろうか。
例えば、次のような会話をあなたはまじめに読む気になるだろうか?
A でも、これはマスターキーのような文学だと思った。どの錠前も開くから、東京中の人を引きつける。しかし、世田谷近代文学の記憶の厚みがなく、不意にどこからともなくやってきた小説という感じ。
B 目黒区の大学院生たちも、違和感がない、と言っていた。
奇妙な会話だ。
しかし、批評家たちがしゃべっているのは構造的には「そういうこと」である。
なぜ、「世田谷近代文学の記憶の厚み」はジョークになるのに、「日本近代文学の厚み」はジョークにならないのか?
そのような問いを自らに向けることは批評家の重要な仕事だろうと私は思う。
リービ英雄は「日本ふうの私小説の骨法を身につけた」こと、「二つの言語の間で揺れる自分を感動的に描いた」ことを二人から絶賛されている。
ここでリービ英雄が賞賛されているのは、彼の文学に世界性があるという理由からではない。「日本的であろうとしている」から、あるいは「日本的であろうとして、日本的になりきれない」からである。
私はリービ英雄自身がこのような賛辞に納得するかどうかわからない。
おそらくあまり喜ばないのではないかと思う。
もし私がフランス語で小説を書いて、フランスの批評家に「フランスふうの心理小説の骨法を身につけた」とか「二つの言語の間で揺れる自分を感動的に描いた」ことをほめられても、あまりいい気分にはならないだろうと思う。
何国人が書いたのかというような外形的条件を超えて、作品そのものが文学として「読むに耐える」のか「耐えない」のか、私なら「それだけを判断して欲しい」と思うだろう(作家じゃないからわからないけど)。
この作家は「病身なのに、よく健常者の身体感覚を書いた」とか「貧乏な育ちなのに、上流階級の描写に巧みである」とか「不幸な生い立ちなのに、幸福な家庭を活写した」とかいうことを批評家たちは「文学的ポイント」としてカウントするのだろうか?
私が改めて言うまでもないことだが、「誰」が書いたのかということは作品評価の一次的な判断基準にはかかわらない。
作品は作品そのものとして評価しなければならない。
作家の最大の野心がもしあるとすれば、それは「この作家の人種は何か?」とか「母国語は何語か?」とか「宗教は何か?」とか「政治的信条は何か?」といった外形的な情報が与えられない場合でもなおその作品が多くの読者に愛され、繰り返し読まれるということである。
私はそう考えている。
ある作家について、彼がそこに絡め取られていたはずの信仰の制約や民族誌的偏見やイデオロギー的限界を論じることがあるとしても、それは「それにもかかわらず世界性を獲得できたこと」の理由について考察するためであって、その逆ではない。
もし、村上春樹と「ローカルなしがらみ」の間に生産的な批評的論件があるとすれば、「どのようにして村上春樹はローカルなしがらみから自己解放し、世界性を獲得しえたのか?」をこそ問うべきではあるまいか?
村上春樹が無国籍的な書き手であることを目指したのはおそらく事実だろう。
だが、「無国籍的である」ということと「世界的である」ということのあいだには千里の逕庭がある。
この「千里の逕庭」の解明になぜ批評家たちはその知的リソースを投じないのだろう。
さすがに「生命エネルギーの前借り」が不良債権化したようで、立っていられないくらいに疲れてきた。
水曜日はオフなのであるが、会議があるので、よろよろと学校に出かける。
会議を終えてさらによろよろと家に戻ると、IT秘書のイワモトくんが待っている。
プリンタが故障したので、新品に買い換えてもらったのをセッティングに来てくれたのである。
「先生、死にかけてますね」
とクールに診断する秘書に、ひとこと
「やっといて」
と力なく告げて、私はソファーに倒れて寝ることにする。
「先生、終わりました」と静かに告げてくれたので、よろよろ起きあがって一揖。
そういえばテレビが壊れてしまったので、それを買い出しに行かねばならないのでつきあってもらうことにする。
階下のセイデンに行ってテレビを見る。
秘書が「先生、液晶買うならシャープの亀山工場製です」とテクニカルに断言する。
いつもであれば、秘書の専門的助言を聴くだけ聴いてきっぱり無視する性格の悪いウチダであるが、今回はイジワルをする体力気力ともに萎えて、「そ、そうだね、そうしましょ」と力なく頷いて、32インチのAQUOUS を購入する。
32インチでもう5万円高いモデルがある。
「これはどう違うの?」と訊くと、赤の発色がいいのと音がいいのだそうであるが、ものがないので、しばらく待たなければならないと言う。
「じゃ、今ある方でいい」に即決。
取り付けの工事に来てもらおうとしたが、私は昼間はほとんど家にいない人間なので、いつになるかわからない。
私はテレビっ子ではないけれど、テレビが壊れてしまうとDVDが見られない。
映画論を専門としている人間としては映画が見られないのは死活問題である。
そのままテレビを台車に積んで家に戻り、壊れたテレビを引き取ってもらい、設定は今日のうちに秘書にやってもらうことにする。
まことによく働いてくれる秘書である。
テレビの設営をお任せして、半睡状態でいると、秘書が「おおお」とか「あれまあ」とか叫んでいる。
IT秘書はテレビにはぜんぜん興味がない人なので、「地上波デジタル放送」というものがどういう画質でどういう利便性を備えているのかをご存じなかったらしい。
「先生、これすごいですよ」
と感心している。
私だって何も知らないので、拝見してびっくり。
「はあー、すごいねえ・・・、こんなことまで出来るんだねえ」
と口をあんぐり開けてデジタル放送というものを拝見する。
3時過ぎから8時近くまで黙々と働いたあと、私にリモコンの使い方を教えて、ラーメンを食べて秘書は夜の闇に去っていった。
まことによく働く秘書である。
私が「執事メイド論」に強く心惹かれるのは、現にこの「IT書生」に命を預けて生きているからであろう。
そのまま死に寝。
予定通り、新幹線車中で論文一本(10枚)を書き上げ、引き続き二本目を書いているところで東京着。
中央線で新宿に出て、バスで抜弁天の合気会本部道場へ。
今年最後の多田先生のお稽古に出る。
新婚のK藤くんにご挨拶。先日、お祝いにワイングラスをお贈りしたので、そのお礼の口上を受ける。まことに礼儀正しい青年である。
二時間半ほど久しぶりにころころと受け身を取る。
太刀取りの途中で、早引けのため多田先生においとまのご挨拶をする。
今年も一年間お世話になりました。先生もよいお年をお迎えください。
東京まで来てよかった。
抜弁天からタクシーを飛ばして池袋へ。
会場に行くと「元・美人聴講生」のE田くんが来ているので久闊を叙す。彼女はかつてこの表記を「元美人・聴講生」と分節を誤って読んでたいへん傷つかれたらしい。すまないことをした。
本日の主催者の角川書店とリブロのお歴々とご挨拶。
そこに春日先生が見えて、一年ぶりのご挨拶。わいわい話し込んでいるうちに開会の時間。
190名のお客さんで会場はびっしり。
話すことは別に決めていなかったのだけれども、最近の一連の犯罪と解離症状の話題を皮切りに70分間話し続ける。
どれほど破綻した家庭であれ、それによってバランスが取れて、バランスシート上は「利益」が「不利益」を上回っている場合、これを「異常」とみなすことが妥当であるかどうかという根源的な問題に突き当たる。
一家庭だけで「収支の決算」をして、「利益」を出すという発想そのものが病んでいるので