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2005年11月29日

今年もっとも忙しい一週間の二日目

あまり知られていないことだが、忙しすぎる「かえって楽」という倒錯が発生する。
心身が「めちゃ忙しい」モードになっているので、「今日は何かイレギュラーな約束があったはずだ・・・」というふうに絶えずスケジュール表をチェックしているので、ダブル・ブッキングとか約束忘れということが起こらない(だから「すみません」とあちこちに謝って回らずに済む)。
まったく休む時間がないと思っているので、休み時間ができると、それが10分間であってもたいへんうれしくなる。
スケジュールをこなすだけで精一杯で、クリエイティヴなことは何もできないと思っているので、原稿の十行も書けると「自分をほめてあげたい」気分になる。
結果的に中途半端に忙しいときより、めちゃめちゃ忙しいときのほうが疲労感が少ないという不思議なことが起こる。
なるほど。
これをして「ワーカホリック」と言うのか。
多忙過労の状態に嗜癖するということは、考えてみると、生理学的にも理屈にかなったことである。
というのは、作業能率を上げるために、私はいわば「燃料備蓄を先食い」しているわけであるから(「命を縮めている」ともいう)、短期的には燃料が「余っている」という状態もときどき起こるからである。
その「燃料過剰」がある種の「多幸感」をもたらすことがある。
力がみなぎって、何でもできそうな気がするのである。
10日分の燃料を5日で使い切るような消費の仕方をしているわけであるから、原資が潤沢なあいだはそれなりに「いい気分」になって当然である。
それに多忙過労は「自己憐憫」をもたらす。
「こんなに働いて、かわいそうなオレ・・・」
という自分に対する同情は、相手が熟知した人間であるだけに、まことに行き届いた、かゆいところに手が届くような気配りを伴う。
考えてみると、私は「自分をほめてあげたい気持ち」になったときに自分に贈り物をする場合には、「他人をほめてあげたい気持ち」になって他人に贈り物をするときよりもはるかに雅量豊かな人間になっている。
現に、私は自分に「よく働いたね、ごほうびに車を一台買ってあげよう」と口走ったことは二度あるが、他人にその努力を多として車を買ってあげたことはない。
つまり私が「ワーカホリック」的に多忙状態に嗜癖するのは、どうやらこの「自分をほめてあげる」条件を満たした場合の私の私自身に対する「大盤振る舞い」の味をしめたせいではないかと推察されるのである。
私どもが罹患する疾病のかなりは「疾病利益」を患者にもたらすがゆえに無意識的に選択されている。
逆説的なことだが、「病気になる」ことで私たちは生命を永らえているという言い方も可能なのである。
というのは「決して病気にならない」人間、つまり身体システムの不調を不快に感じない人間はあっというまに死んでしまうからである。
私の場合は、どうやら過労がもたらす多幸感が、過労がもたらす不幸感よりも量的にも質的にも大であるということが疾病利益を構成しているように思われる。
そして、この倒錯は結果的には私を健康たらしめている。
なにしろ、「過労」が多幸感をもたらすものであるならば、私が「過労かそうでないか」のみきわめにたいへん敏感になることは自明のことである。
それは「満腹」が多幸感をもたらす人間が「腹が減っているのか一杯なのか」を絶えず気遣うのと構造的には同じことである。
私が「いそがしいよー」とか「つかれたよー」とか年中騒ぎ立てているのを「煩わしい野郎だ」と苦々しく思われている方も多いであろうが、これは私が常人よりもはるかに「多忙」と「疲労」に敏感な人間であるからなのである。

午前中に朝カルの資料を作成して送信。
そのあと三宅接骨院で全身をほぐしていただき、来院されていたおいちゃんの母上にご挨拶。
ソッコーで大学へ行き、『AERA』のH田記者から『下流社会』についての取材。
1時から第一回のゼミ面接。
例年は廊下にあふれるほど人が並ぶのであるが、今回はゼミの紹介の席で「冷やかしの人は遠慮してね」と警告したせいもあってか、わずか6人しか来ていない。
あら。
30分ほどで面接終了。
時間があまったので、ひさしぶりに研究室の掃除をする。
本棚に何か面白そうな本がないかな・・・と思っていたら『アメリカ映画における子どものイメージ』(キャシー・マーロック・ジャクソン)という本があるのを発見。
なんだ、ちゃんとそういう研究があるんだ。
さっそく読み始める。
ついでに京大の集中講義用にネタになりそうな映画本を数冊鞄に詰め込む。
いずれも英語の本なので、とても集中講義までには読み終わりそうもないが、こういうものは適当に「ぱらり」と開いた頁に「おおお!」というようなデータが載っていたりするので傍らに置いておくとよいことがある。
ゼミは「高齢者虐待」。
なんと、幼児虐待に続いてDVは高齢者を標的にしているのである。
DV問題の遠因についてグローバリゼーションとリスク社会にからめて論じる。
おお、これはまんまあさっての朝カルに使えるではないか。
ゼミ生たちはまことに貴重なる情報源である。
ありがとね。
大学院の中国論は「中国の自然観」。
陶淵明の詩が資料に出ているのであるが、使用されたのは口語訳。
「東籬に菊を採り、悠然と南山を見る」が「東の垣根の菊を摘んで、悠然として南の山を眺める」ではなんというか、「気分」が出ない。
話が逸れて、どうして日本の中等教育は漢文を必修から外してしまったのかという問題について熱弁をふるう。
現代日本には英語まじりの文章を書く人間はいくらもいるが、漢語まじりの「ぱんぱんぱん」と叩き込むようなリズムの文章を書く人間は払底しつつある。
もし文章能力ということをほんとうに問題にするなら、漢文リテラシーの壊滅的な低下をこそ問題にすべきではないのか。
齋藤磯雄訳のヴィリエ・ド・リラダンは竹信くんご推奨の偉業であるが(まことに竹信くんは「良書」鑑定眼に卓越した人物であった・・・)、齋藤先生のように縦横に漢語を操ることのできる外国文学者は現代日本にはもう存在しない。少なくともフランス文学者には一人もいない。
この輝かしい文化的伝統を私たちの世代で途絶させてしまってよろしいのであろうか。


投稿者 uchida : 20:15 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月27日

素晴らしき日曜日(承前)

さらさらと『時間と他者』のレジュメを切っているうちに、重大なことに気がついた。
よくよく考えてみると、1時間ほどの口頭発表で、(いくらユダヤ学について造詣深いイス研のみなさまとはいえども)レヴィナスの時間論を、ほとんど予備知識のない状態からスタートして、ご理解いただくというのはまるっと不可能なことである。
例えば、私がまず解釈しなければならないのは『倫理と無限』でレヴィナス老師ご自身が自著を解題したときのつぎのようなフレーズである。

『時間と他者』は他者との関係を時間という要素を持つものとして考究したものです。時間そのものが超越であるということ、時間こそがすぐれて他者(autrui)および他者性一般(l’Autre)に向かっての開かれであるという着想が兆したのです。このテーゼは超越を時間の非連続性(dia-chronie)として考想したものです。時間が非連続的である限り、〈同一者〉は〈他者〉と「かかわりがあるのか、ないのか、わからない」(non-in-diffe´rent)。単なる同時性のうちで形式的な仕方で仮に〈他者〉と時間を共有していたとしても、それは〈他者〉を包囲したということにはなりません。未来の未知性は現在を起点に未来を望む限りは記述することができません。なぜなら、現在において未来は「到来すべきもの」(a`-venir)として予知されており、未来把持(pro-tention) によって先取りされているからです。

という話をマクラに振って、「周知のようにレヴィナスは『時間と他者』をこのように位置づけたわけです。ですから・・・」というふうに話を先に進めた場合、聴衆の過半はただちに深い眠りに就かれるものと推察される。
せっかく日曜半日つぶして仕込みをして、寒風の中京都まで行って、一時間熟睡されたみなさんに「ご静聴ありがとうございました」と一揖して帰ってくるというのも、思えば空しい話である。
そこで、急遽計画を変更して、この引用部分を「マクラ」ではなく「ふとん」として採用することにした。
つまり、この「ふとん」はどのよう使用すれば寝具として用いることが可能であるかを、いわばTVショッピングのセールスのお兄さんのように、すらすらと解説してさし上げようではないかというのである。
「はい、これね、一見すると、なんだかまったく意味のわからないカタマリなんですけれど。実は奥さん、これには秘密があるんですよ。例えば、『ここ』をこんなふうにひっぱると・・・」
「あら!」
「ね、奥さん、すごいでしょ。さらに『ここ』をこう開くと、ほら、こんなものが・・・」
「まあ、こんなの見たことない、ふふ」
という展開に持ち込もうというわけである。
こういう態度の悪い展開を考え始めると私の知性はたいへん効率的に回転しはじめるので、あっという間に発表の仕込みが終わってしまった。
時計を見ると午後1時半。
では、というので久しぶりに元町の大丸に買い出しにでかける。
まずコルネリアーニに行く。
コルネリアーニはミラノの紳士服屋さんであるが、私はアルマーニよりこっちの方が着心地がいいので、このところごひいきなのである。
ストライプのスーツとオレンジと紺のレジメンタル・タイとワイシャツを買う。
カードの計算書を見たら、スーツが考えていた値段の半額で、シャツが四倍であった。
私の商品鑑定眼はまるで頼りにならない。
さらに靴売り場に寄ってスコッチ・グレインのスエードのブーツを買う。これはバイク用。
ちらりと靴を見回すとなかなか「しゃきっ」としたいい靴がある。
近くに行って手に取るとフェラガモである。
やっぱりものはいいが、値段は85000円。
また今度ね。
ついでに小物売り場でサスペンダーを二本買う。
サスペンダー愛用者はあまりいないので、品数が少ない。
Takeo Kikuchi と Comme ca du mode(意味なしフランス語)。
私がサスペンダーを愛用しているのは、かつて多田先生がブラックスーツの下に着用されているのを拝見したからである。
弟子というのは師匠の「どうでもいいところ」を真似するである。
続いてジュンク堂に移動。
まずウチダ本の売れ行きをチェックする。
文春のヤマちゃん本(『知に働けば蔵が建つ』というのがほんとうのタイトルである)が新刊書のところに平積みになっている。
哲学現代思想のコーナーにゆくと「内田樹」という「べろ」ができていて、じゃんじゃん本が並んでいる。
『街場のアメリカ論』とか『ヤマちゃん本』を「哲学・現代思想」にカテゴライズすることが適切なのであろうか・・・と深甚なる疑問を抱くが、同一著者の本をまとめて置いておいてくれると買う方はたいへん便利であるから、ジュンク堂書店のみなさまのご配慮を多とするのである。
ジュンク堂への感謝を売り上げへのご協力として物質化すべく四階の「漫画売り場」にゆく。
途中で『文藝別冊』大瀧詠一特集が目にとまる。
おお、ついに出たか。
手に取ると、なんと「スペシャル・ロング対談 大瀧詠一×内田樹 ナイアガラ・ライフ30年」が巻頭から延々42頁続いている。
ぱらぱらと読み出すと面白くて止められなくなる。
そのまま最後まで立ち読み(買えよ)。
立ち読みのお詫びに、漫画本売り場で二ノ宮知子の漫画を大量購入。
『天才ファミリー・カンパニー』1巻から6巻まで(これだけで5000円)。
そのまま地階のHMVに降りて、DVDを次々衝動買いする。
『エイリアン1,2』、『マトリックス』、『ダイハード1、2』、『ホームアローン』、『エクソシスト』、『荒野の七人』、『羊たちの沈黙』しめて9本。
いずれも年末京大での映画論集中講義のネタである。
これまではビデオ屋や大学のAVライブラリーで借りたDVDを持って行ったのであるが、古い映画でもいざというときに意外に「貸し出し中」ということがあるので、保険のために買っておくのである。
『エイリアン』でミソジニーを論じ、『エクソシスト』と『ホームアローン』でペドフォビアを論じ、『羊たちの沈黙』と『サイコ』と『悪魔のいけにえ』でエド・ゲインを論じ、『北北西に進路を取れ』でラカンを論じる。
ラカン理論の最高の教材といえば、ディカプリオくんの『仮面の男』。
カメラアングル論をするとなると、『秋刀魚の味』は『裏窓』とセットにして見ないといけない。
俳優の身体論に言及すると『荒野の七人』を見落とすわけにはゆかない。
ベン・ジョンソンとケヴィン・コスナーのどちらが馬に乗るときの姿勢が美しいかとか、クラーク・ゲイブルとハリソン・フォードではどちらの服の脱ぎ方が美しいかとか、マニアックな話を始め出すともうときりがない。
映画ばかり見せていると、私がしゃべる時間がなくなってしまうが、それもよいかもしれない。
なにより私が楽だ。
重たい荷物をかかえてよろよろと芦屋に帰る。
ひさしぶりに日曜日らしい日曜日だったな。

投稿者 uchida : 17:46 | コメント (8) | トラックバック

素晴らしき日曜日

寝た寝た、10時間寝た。
ひさしぶりの週末である。
温泉麻雀の欠点は、朝8時に叩き起こされることである。
ドント・ディスターブで昼まで寝かせてくれる温泉旅館があれば、それこそ真のサービスというものであろうと思うが、日本の旅館は早く朝飯を食わせて、午前10時にはチェックアウトさせようとするのが、私のようないぎたなく朝寝をすることを愛する人間にはいまひとつ納得がゆかないのである。
あと晩飯のありようにもやや不満である。
湯上がりにどてら姿で手酌でビールをのみながら、よこではTVがついていて、がはがはと笑いながら・・・という状況でこじゃれた料理を食べるというのがなんだか落ち着きが悪い。
やはりこういう状況では「トンカツ」とか「すき焼き」とか「豚汁」とか、そういうラフな「一本勝負的」食い物をはぐはぐと食べて、仕上げにご飯とみそ汁とお新香というようなシンプルかつ力強いものが望ましい。
そういう「定食屋」的なパワフルな晩飯がチョイスできて、朝ぐっすり寝かせてくれて、そして、露天温泉から四囲の山々が見える・・・というような旅館を私は強く望むものである。
これについては同行の三人も同意見であった。
だが、そのような温泉旅館は現実には存在しない。
現実に存在させることが容易であり、かつ一定数のニーズがあるにもかかわらず、まったく供給される気配がない。
これは旅館の方々のマーケットリサーチの仕方にかなり問題があるのではないのかと案ずるのであるが、そんなことはどうでもよろしい。
この一週間はまことに忙しかった。
講演を二つ、インタビューを二つ、仕事の打ち合わせを二つ、校正を三本、原稿を一本、温泉麻雀で半荘10回やって、1500キロ移動して、銀色夏生さんに会って、ベルギー王立バレエ団(だったんですって)の子たちに合気道を教えて、その間にふだん通り会議と授業と稽古をしていたのである。
死ぬかと思った。
しかし、来週はそれを上回る仕事量である。
日常業務に加えて、ゼミ面接が始まるからである。
去年は面接者80名。
ひとり10分から15分の個人面談であるので、毎日毎日トータルで15時間くらい面接をした。
オフの水曜日も授業のない時間帯もすべて「ゼミ面接」で埋め尽くされる。
その間にインタビューが二件。原稿締め切りが一本。
さらに水曜に養老孟司先生と対談して、木曜が朝カルで、土曜が同志社女子大でイス研の発表が当たっている。
朝カルはぶっつけ本番で小咄を七つ八つつなげて逃げ出すつもりであるが、イス研は研究発表であるので、90分ほど何か専門的知見を語らねばならない。
いちおう「レヴィナス『時間と他者』を読む」と題名だけは送ったが、もちろん原稿は一行も書いていない。
ダイヤリーを見ると草稿を準備している時間は今週は一時間とてない。
ということは今日一日で仕上げるしかないということである。
現在日曜朝10時10分。
さいわい、本日は部屋の掃除とアイロンかけと布団干しとアンケート回答一本と冬物スーツの買い出し以外には何の用事もない「すんごく暇な日」なので、今日一日でレヴィナスの時間論を書き上げてしまうのである。

と書いてから、まず最初に東京新聞の「今年の三冊アンケート」に回答する。
この手のアンケートが来るのは三回目である。
最初のアンケートに何を書いたのかもう覚えていない。
二度目のアンケートは回答を忘れているうちに「もういいです」という断りが来た。
三番目のアンケートに書いたのは以下のごとくである。

『USAカニバケツ』(町山智浩、太田出版)。これは去年のクリスマス発売。つまり「今年のベスト」のリサーチが11月に行われる以上、構造的にどの年度においても選択されない書物である。米国在住の映画批評家町山智浩は私がもっとも信頼する現代の書き手のひとり。「三面記事」的現実からアメリカの民族誌的奇習を鮮やかに剔抉する。

『イン・ヒズ・オウン・サイト』(小田嶋隆・朝日新聞社)町山智浩と並んで私が絶対の信頼を置くもうひとりの批評的精神小田嶋隆の名物ブログからのコンピ本。この二人の本は今年もあまり売れなかった。「切れすぎる刀」を納める鞘をメディアの側が用意できないからだろう。

『拒否できない日本』(関岡英之、文春新書)親友の平川克美くんが「今年のベスト」と推奨してくれたのでさっそく購入。「年次改革要望書」は間違いなく2006年度上半期にメディアでもっとも頻繁に言及されるキーワードのひとつになる。

ついでに、角川の『野性時代』から来た「青春文学」についてのアンケート回答も貼り付けておく。これは今発売中の号に出ている。
私が選んだ「青春文学」は矢作俊彦と庄司薫。

『マイク・ハマーに伝言』(矢作俊彦・角川文庫)

処女作に作家の可能性はすべて出そろっていると言われるが、矢作俊彦のように処女作ですでに完成してしまった作家は希有である。四半世紀を隔てている『マイク・ハマーに伝言』と『ロング・グッドバイ』のあいだに違いを見つけることはむずかしい(私にはできない)。それを「進歩がない」というふうに否定的に総括する人がいるかもしれない。だが、私は「天才には進歩はない」という判断に与する。本人にとってさえ進歩や改善の余地が残されていない作品を最初から実現できるような人間のことをこそ「天才」と呼ぶのである。
 「『キャデラックは車の形をした昔だそうだ』克哉が口を開く。
 『どのくらい昔だい?』
 『知らんよ。ソール・ベローが言ったんだ』」
 こんな対話を書いた作家は日本文学史上矢作俊彦が最初であり、彼にはフォロワーさえいない。

『さよなら怪傑黒頭巾』(庄司薫・中公文庫)
 
青春を描いた作品では、作家自身の自己愛の生々しさがしばしば作品を腐らせる。庄司薫の連作が時代を経ていまだにそのような「腐臭」をまぬかれているのは、主人公の「薫」が作者の「分身」ではなく、技巧的に構築された「道具」だからである。「薫」の内部には何の闇もない。性欲でさえ「薫」の透明なまなざしの下ではまるで歯痛や深爪みたいに礼儀正しく語られる。
すでに社会のエスタブリッシュメントの中に組み込まれ、それなりの地位や威信を得た代償にもう十分に自由ではなくなった薫の「兄たち」の肖像のうちに庄司薫は(主人公より十歳年長の)彼自身の「敗北の肖像画」を描き込んだ。この屈折した自画像を描出するために「薫」という文学的虚構は要請されたのである。だから、「薫シリーズ」四つの連作の中で、「兄たち」を隠された主題に擬したこの作品だけがほんとうの意味での「青春」文学なのである。

投稿者 uchida : 10:22 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月26日

フランス語による合気道ワークショップ

アントワープからダンサーたちがやってきた。
本学の音楽学部には来年度から舞踊専攻が発足する。その記念イベントのひとつとして、本学の教授になったコレオグラファー島崎徹さんの振り付けで舞踊公演をすることになった。
二日前に十代のダンサーたちが14人、大学にやってきて、大学内の宿舎に泊まって、島崎先生のレッスンを受けている。
彼らを歓迎するために、学内でもいろいろと催しものがあり、その一つに「合気道ワークショップ」というものが企画せられた。
その他にも茶道とか華道とか、いろいろ体験されるようである。
はじめは合気道の練習を見せるだけかなと思っていたのであるが、島崎先生にお訊ねしたら、「あの子たちはとにかく身体を使うことは大好きですから、ぜひやらせてください」とおっしゃるので、一時間のワークショップをすることにした。
若手のプロのダンサーたちが合気道のエクササイズをどんなふうに楽しんでくれるか考えたらちょっとわくわくしてきた。
フランス語で指導せねばならないというのがいささか面倒であるが、ほかのことはともかく、レヴィナス老師について語る場合と合気道について語る場合に限り、私のフランス語運用能力は例外的に向上することが経験的には知られているので、「ま、なんとかなるでしょ」と、電子辞書を片手に会場に出かけた(電子辞書は説明の途中で「えーと、『横隔膜』って何ていうんだっけ」というような窮状に遭遇した場合に「ちょっと待ってね」と仏和辞典を引くためである)。
アントワープから来た少年少女たちが11時に会場のレッスン場にやってくる。
だいたい同数の合気道部員が揃ってくれたのでお出迎えする。
いささか眠そうな顔をした方も散見されたが、彼らとてどういう事情でこんなところに引っぱり出されたのかよくわかっていないらしく、「はい、靴下脱いで、あっちに座ってね」と言うと、「あの・・・ぼくたちもレッスン受けるんですか?」と訊ねられた。
当然である。諸君は道場では私の指令に従う他ないのである。
まず柔軟体操。
さすが。身体を動かし始めると、全員が一気に深いコンセントレーションに入る。
おお、両足が180度開くじゃないか。
ま、それも当然だが。
そして、呼吸法。
こういう状況では多田塾合気道の気の錬磨プログラムはたいへん汎用性が高い。
呼吸合わせをしたあと、四種類の転換を試みる。
転換動作を説明しながら、「運動には支点をもつヒンジ運動と支点を持たない運動があり、諸君は支点をもたない運動を習得せねばならないのである」といきなりややこしいことを言う。
さらに「接点は正中線上に保持せねばならない」、「転換動作の軸足は床についてはならない」、などとむずかしい注文をつける。
理想的には両足が空中にある状態で180度の体の転換を行わねばならない。
これはもちろん物理学的には不可能なことであるが、人間の身体というのは「そういうこと」ができるのである。現に、ほら先生はできちゃうでしょ。
さすがに日頃自分の身体能力をていねいに吟味し、十分な自信を有している若者たちであるので、「むずかしいこと」を課題にされると俄然熱くなる。
最後にウッキーを受に呼んで、何種類か合気道の技をご披露する。
合気道の技は相手を攻撃したり傷つけたりするためのものではなく、接触の瞬間に発生する「足が四本、手が四本、頭が二つ、体が二つ」ある複雑なる構築物に固有の構造法則、運動法則を瞬時に理解し、それを統御する技法である。そのために要請されるのはデリケートな身体感受性と二つの身体から成る複素的身体を統御する高度な技術なのである、という持論を申し上げる。
私の合気道術理は「たいへんややこしい」のであるが、どういうわけかこの種の「たいへんややこしい」ことを述べるためにはフランス語は日本語以上に適切な言語であるので、すっかりいい気分になってわはははとウッキーを投げまくる。
あっという間に一時間のワークショップが終わり、みんなで記念撮影。
ここぞと「三教のポーズ」「シリウスのポーズ」など定番の写真撮影用のわざを繰り出す。
まことに気分のよい若者たちであった。
彼らの短い日本滞在が愉快なものであることを祈念する。
彼らの公演は30日の水曜日、芦屋のルナホールである。(18時から)
まだチケットがあるはずだから、阪神間にお住まいの方はルナホールにぜひ行ってあげて応援してあげて下さい。


投稿者 uchida : 20:34 | コメント (0) | トラックバック

そして僕は途方に暮れる

銀色夏生さんと会う。
三宮の丸井の前で待ち合わせて、「やや、どうも」などと片づかない挨拶をしつつRe-setへ向かったが、なんと休業。
あらま。
「ややや、これは失礼」とさらに片づかない表情になって、次の候補であった「グリルみやこ」へ向かう。
グリルみやこは実はなかなかむずかしいロケーションにあって、私はかつて一度るんちゃんを連れて行って、ついにここにたどりつけなかったことがある。
そのときに、グリルみやこへの地理については空間的表象を断念して、「西村珈琲の角を曲がって左に折れる」という言語的な記憶を以後のよすがとすることにした。
銀色さんとてくてくと中山手通りを西に歩いてゆくが、行けども行けども西村珈琲がない。
とうとうNHKの前まで来てしまった。
これは行き過ぎ。
通りすがりの人に「あのー、西村珈琲ってどこでしたっけ?」と訊ねる。
この段階で銀色夏生さんの表情に「このひとについて行って大丈夫なんだろうか?」というかすかな不信の色が浮かんだとしてもそれを責めることは誰にもできない。
「あっちです」と東の方を指してくれたが、そこは私たちが今通ったばかり。
カフカ的不条理に困惑していると、「あ、西村珈琲、もうないんだ」と教えてくれた。
なんと。
油断も隙もない。
というより、半年に一度くらいしか街に出ない私が悪いのだが。
工事中のビルの横を曲がるとたしかに見覚えのある路地に出る。
やれやれ。
ひさしぶりのグリルみやこで神戸牛のカツレツを頼む(銀色さんはタンシチュー)。
冷たいワインで乾杯してから、さっそくインタビュー。
別にインタビューの仕事で会っているわけではないのであるが、有名人に会うと、つい「ではお話を伺います」というふうになってしまう。
今回の遭遇は銀色夏生さんの方から「こんど神戸に行くから会いませんか」というオッファーを頂いたのである。
なんと。
銀色夏生さんは私の愛読者だったのである。
信じられないことであるが、事実だからしかたがない。
とはいえ、先方はかつて大沢誉志幸、ジュリー、田原俊彦、キョンキョン、伊藤銀次くんなどに作品を提供した伝説の天才美女詩人である。
根がミーハーなウチダとしては、あれこれ聞きたいことが山のようにある。
ふむふむなるほど、驚くべきバックステージ話をお伺いする。
銀色さんは二十歳少し過ぎた頃、実家で寝ころんでテレビの歌番組を見ているときに「こんな歌詞なら私の方がもっといいものを書ける」と思い(そう思う人間は決して少なくないであろうが)、さらさらと100編ほどの歌詞を書き(これができる人間はほとんど存在しない)、電話帳でレコード会社の住所を調べて郵便で送ったら(ここまでやると遠藤実)、エピック・ソニーのディレクターから「会いたい」という電話がかかってきて、いきなりこの業界の超売れっ子作詞家になったのである。
「一夜明けたら有名人」というとまるでバイロンであるが、二十歳そこそこでそういう出来事に遭遇すると人間はどうなるのか、というのはたいへん興味深い論件である。
銀色さんはごく短期間華やかな音楽業界に身を置いたあと、商業主義的バビロンとオサラバして、いかなる注文仕事も受けず、自分が書きたいことだけ書くというスタイルを今日まで貫かれることになった。
銀色夏生さんの住所も電話番号もメールアドレスも業界の人は知らない。
メディアの担当者を経由してしかコンタクトが取れないという点では大瀧詠一師匠と同じである。
期せずしてアクセス困難アーティストと相次いでおめもじする機会を得たことになる。
なぜウチダのような過剰なまでに開放的な人間が「謎の人」たちより辱知の栄を賜ることになったのか、これまた興味深い論件ではあるが、別に私以外のひとにとっては興味のないことであろうから深くは追及しないのである。
それから約2時間、銀色さんと創作について、子育てについて、結婚について、たいへん深度のある話をさせて頂いた。
会ったばかりなのに、吸い込まれるようにいろいろなことを話してしまった。
銀色さんは独特の「ヴォイス」を持っている人である。
そういう人と話しているときには、具体的な個人に向かって話しているというよりは、そのような形象をまとった「非人称的なもの」に触れているような気がする。
なぜ、私のようながさつな人間が小池昌代さんや田口ランディさんや銀色夏生さんのような繊細な女性クリエイターと遭遇する巡り合わせになるのであろうか。
考えられる可能性のひとつは、私が「かつて少女であったおじさん」(ex-girl ojisan)という屈折した性同一性の持ち主であることが関与しているということなのであるが(ご案内のとおり、この屈折した性同一性を私は鈴木晶先生と共有しているのである)、このあたりの消息は名越康文先生か春日武彦先生に分析して頂くしかないのである。
三宮駅頭にてポートピアホテルにお帰りになる銀色夏生さんとお別れする。
一陣の風が過ぎ去ったようであった。
そして、僕は途方に暮れた(のだが、すぐに気を取り直してJRに乗って芦屋に帰ったのである)。

投稿者 uchida : 01:16 | コメント (1) | トラックバック

2005年11月25日

「責任を取る」という生き方

朝新聞をひらいたら、目に付いた記事が三つ。
西村真悟衆院議員の法律事務所の元職員が非弁活動で逮捕された事件についての同議員のコメント。
「非弁活動は知らなかった。それ以上申し上げることはない」
広島で七歳の女児が下校中に殺害された事件についての報道。
「『不審者情報があったのに、学校側は何の対応もしなかった』と、一部の親が厳しく問う場面もあった」
姉歯設計建築事務所による耐震データ偽造事件についての報道。
建築主の中からは「建築確認の責任は行政が負うべきだ」という声が出ている。北側国交相は賠償には言及せず、ある裁判官は、最高裁決定は「責任を自治体が負えといっているわけではない」と述べている。被害者は設計事務所にも、元請けにも、民間審査機関にも、施行主にも「賠償請求が可能」であるらしい。
これらのニュースに共通するひとつの「文型」があることに気づかれただろうか。
それは「お前が責任を取れ」という声だけがあって、「私が責任を取ります」という声を発する人がいないということである。
私たちの社会はいまそういう人たちがマジョリティを占めるようになってきた。
トラブルが起きるたびに「誰の責任か?」という他責的な語法で問題を論じることが、政治的に正しいソリューションだと人々は信じているようである。
前から申し上げているように、私はこのソリューションの有効性に対して懐疑的である。
「責任者を出せ」ということばづかいをする人間はその発語の瞬間に、その出来事を説明する重要なひとつの可能性を脳裏から消しているからである。
それは「もし、この件について自分にも責任があるとしたら、それは何か」という問いへむかう可能性である。
世の中に起きるトラブルで「単一の有責者の悪意ないし怠慢」によって起こるものはほとんど存在しない。
いくつかのファクターの複合的効果によってはじめて事件は起こる。
事件発生ぎりぎりの可能性があっても、「最後のひとつのファクター」が関与しなかったせいで、何も起こらないですんだ、ということはよくある。
車を運転しているとわかる。
先日私はめずらしく「ひやり」とする経験をした。
右折車線で信号が変わるのを待っているときのことである。
その車線は渋滞しており、信号が二度変わる間に私はまだ右折できずにいて若干イラついていた。これがファクター1。
青信号(直進右折ともに可)のとき私の前の車がするすると右折した。対向車線を見るとかなり遠くに直進車が一台いるだけである。「曲がれる」と判断して私は前車に従って右折動作に入った。これがファクター2。
すると前車が交差点中央過ぎで停車してしまった(横断歩道の歩行者がいたのである)。これがファクター3。
前方にいた直進車が自分の車線の信号が黄色に変わるのを見ていきなり加速してきた。その車の進路を私の車が塞いでいるにもかかわらず、その車は「どけどけ」とばかりに加速してきたわけである。これがファクター4。
前の車は停止したまま、横からは直進車。やむなく私は前車の右側の隙間(反対車線上の横断歩道)に車をねじ込んで難を避けた。すると、私がはみだしたその反対車線(右折レーン)に巨大な四駆が突っ込んできた。これがファクター5。
この段階でようやく私の前の車が動き出したので、ぎりぎりのタイミングで私は四駆との接触を避けることができた。
もしあのとき、まだ横断歩道上に人がいたら、私のBMWの横っ腹はがりがりに削られていたであろう。
さいわい何も起こらなかった。
この一連の出来事の中で私が犯した失敗は「曲がれると判断して、前車についていった」という判断ミスだけである。
そこに「とろとろ歩く歩行者」「とろい運転をする前車」「(前方に障害物があるのに加速する)イラチな直進車」「(停止線を越えて横断歩道上まで突っ込んでくる)同じくイラチな右折車」という四つの要素が絡んで事故寸前までなった。
ここまでネガティヴな条件が揃うことはまれである。だが、たまにはそういうこともある。
もし実際に衝突が起きた場合、「右側通行」をした私が責任を取らされることになったであろう。
それは仕方がないと思う。
私は「私ひとりのせいじゃない。責任は〈あいつら〉にもある」というようなことを言いたいわけではない。
「責任を取る」というのは「そういうこと」だと申し上げているのである。
「ひやり」とした経験から、私をそのような状況へと追い込んだ他のドライバーたちに対する呪詛を吐き出すよりも、自分の運転の仕方についての反省点を見出す方が生産的だというふうに私は考える。
「事故になりかかったじゃねーか。ったくひでえ運転しやがるな〈あいつら〉は」ではなく「事故になりかかったが、ならなかった。私は幸運であった。しかし、このような幸運が次も続くとは限らない。では、どのようにすれば今回のような危険を今後永続的に回避できるか?」というふうに私は問いを立てる。
私は「右折車に遮蔽されて横断歩道が見えない場合には、決して右折動作に入らない」というルールを自分に課すことにした。
「責任を取る」というのは、端的に言えば、「失敗から学ぶ」ということである。
「責任を取らせる」というのは、「失敗から学ばない」ということである。
失敗から学ぶ人間はしだいにトラブルに巻き込まれる可能性を減じてゆくことができる。
失敗から学ばない人間がトラブルに巻き込まれる可能性はたいていの場合増大してゆく。
そういうタイプの人間は、80%自分が悪い場合でも、残り20%の有責者を探して責め立てるようなソリューションにしがみつくようになる。
だが、他責的な人間が社会的な承認や敬意や愛情を持続的に確保することはむずかしい。
そして、周囲からの支援を持たない人間は、リスク社会においては、ほとんど継続的にトラブルに巻き込まれ、やがて背負い切れないほどの責任を取らされることになるのである。
「失敗から学ぶ」ことは「成功から学ぶ」ことよりも生存戦略上はるかに有利なことであると私は思っている。
しかし、現代日本ではこの意見に同意してくれる人は日ごとに減少している。
なぜ、人々は自分が「より生きる上で不利になる」方向に進んで向かってゆくのか。
私にはうまく理解できない。

投稿者 uchida : 09:23 | コメント (10) | トラックバック

2005年11月24日

つくばエクスプレス殺人事件

死のロード二日目。
学士会館で深い眠りより醒める。
学士会館には年間10回から15回ほど投宿するので、何というか「枕が合って」きている。
この場所は皇居の真東数百メートルのところであり、都内でもっともきちんと呪鎮がなされているエリアであるはずだから、寝心地がよくて当たり前なのである。
帝国ホテル、パレスホテルなど一流のホテルやGHQが皇居のすぐ横にあったのは、単なる地理的利便性によるのではなく、このエリアにいると「気持ちが落ち着く」ということが経験的に確証せられていたからではないだろうか(その割には「○紅」という冷静さにも倫理性にもいささか問題のある商社もこのエリアにはあるが、これは隣接する「将門首塚」の霊的影響であろうと推察される)。
学士会館からタクシーで秋葉原へ。
「つくばエクスプレス」に乗ってつくばまで45分。
つくば駅に高橋佳三くんがお友達の小磯さんとお迎えに来てくれる。
お二人と荒涼たるつくば郊外をドライブしてお昼を食べる。
高橋くんは甲野先生門下の俊英であるが、本業は筑波大学のバイオメカニクスの研究者なのである。今回の日本体育学会のホスト側の実行部隊のひとりである。
高橋くんのご案内でシンポジウム会場へ。
コーディネイターの清水諭先生、司会の高橋和子先生(一昨年の本学での身体文化学会においでいただき、私はそのときには舞台裏でお茶くみをしていたので旧知の人なのである)、パネリストの先生方とご挨拶ならびに名刺交換。
シンポジウムに先立って養老孟司先生の講演があるので、会場にゆき、養老先生をつかまえて「やや、先生、ご無沙汰をしております」とご挨拶。
そのあと先生の講演を拝聴。まことに明晰にして痛快な講演で、隣席の高橋君ともども腹を抱えて笑う。
その後シンポジウム。ボディワークの遠藤卓郎先生、柔道の野村忠宏選手(柔道オリンピック三連覇のあの野村選手)とナショナルチームの強化コーチである岡田弘隆先生、そして私という組み合わせで「身体からの体育スポーツ科学:トータルな実践知の構築に向けて」という主題で2時間。
何も事前に用意しないでいったのだが、昼飯を食べながら高橋君相手に学校体育の悪口をがんがんしゃべっていたので、その余勢を駆って勝手なことを述べ立てる。
だいぶ時間が超過してシンポジウムが終わり、講演に来ていた新潮社の足立さんと一緒に高橋くんの車でつくば駅まで送ってもらう(高橋くん、一日フル・アテンダンスでありがとうございました!)
足立さんとおしゃべりをしているうちに秋葉原。足立さんと養老先生とは来週の水曜に対談でこんどは大阪でまたお会いするのである。
東京駅まで走って行って、大丸の椿山荘で1時間ほどのインタビュー。
N産自動車がトヨタのレクサスに対抗して開発する上流階級オリエンテッドな高級車の需要についてのマーケットリサーチである。
どうして私のようなものに「超高級車の需要」についてご下問があるのかまったく意味不明であるが、先方がご意見を訊きたいといってくるものを「意見などありません」と木で鼻を括ったような応接をするのも良識ある社会人としてはいかがなものかを思ってお受けしたのである。
車というのが理想自我の記号的表象であること、象徴価値をおもな価値形態とする商品であること、消費者の欲望を喚起するのは「それを買うことができない社会集団からの羨望の視線」であること、「それを買うことができない社会集団」が自発的に創作する「ブランド神話」の密度が商品の付加価値を形成することなど、自明のことを申し上げて走り去る。
このようなバカコメントに大枚の取材費を投じていてはN産自動車がどれほど潤沢なパブリシティ予算を計上していても追いつくまいとひとごとながら心配。
新幹線の中で『中央公論』の甲野対談のゲラ直し。
もう一つ本日締め切りのゲラがあったのだが、これはメモリー・スティックから取り出す時間さえなかった。
綿のように疲れて12時に帰宅。

投稿者 uchida : 09:48 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月23日

学士会館夜話

たしか一日前に新幹線に乗っていたようなおぼろげな記憶があるのだが、また新幹線に乗って夜の東海道を東京に向かっている。
中一日で東京に舞い戻るのであれば、そのままいればよいではないかと思われる方もあるだろうが、こちらは宮仕えの身、その中一日と出発前に授業を四つやらなければならないので、そうもゆかないのである。
その移動中も眠っているわけにはゆかない。
三砂先生との対談の「あとがき」を書き、『中央公論』の甲野先生対談のゲラを直し、アントワープからくる14人のダンサーのための合気道ワークショップの「せりふ」を考える。
初心者に合気道の説明をするのはべつにむずかしいことではないのであるが、それをフランス語でやらなければならないというのが面倒である。
ご存知のように、私は活字オリエンテッドなフランス語術者であるので、目の前にフランス語話者が登場することを想定しないしかたで語学力が構築されている。
私がフランス語をすらすら話せるのは、日本人でかつフランス語を解さない人々を前にした場合(たとえば本学のフランス語の授業などは理想的な環境である)に限られており、フランス語を母国語とする人々を面前にした場合、私のフランス語運用能力は有意な低下を示す。
それゆえに私のことを「フランス語がへたっぴな人」という印象をもつフランス語話者が多いのはまことに遺憾なことである。
私はフランス語話者以外の前ではたいへんに流暢なフランス語を語るという事実を彼らが知らないために、「私は大学のフランス語の教師である」という名乗りに対して、彼らは一様にジョークを聴いたかのように腹を抱えて笑うのである。
たいへん不愉快なことである。
私はそれらの諸君がおそらくはその一行とて解さないであろうようなたいへんに難解にして深遠なるフランス語テクストを二行くらいは解するのであるが、その彼らの母国語における圧倒的なリテラシーの差を彼らに彼らの母国語をもって理解せしめるだけの手段を持たないことが悔やまれるのである。
しかし、仮にもフランス語教師として禄を食んでいる立場上、フランス語話者たちが大学を公式訪問したような場合に「腹が痛い」というような言い訳をしてトンズラすることは許されない。
しかたがないので仏和辞典を引きながら「肘を支点にして腕を使ってはいけない」とか「体軸を整えて後頭部を天に向かって伸ばす」というようなフランス語作文をする。
メールを開くと次々と仕事の依頼と面談の申し入れが来ている。
すべてお断りする。
唯一の例外はH水社のS山くんで、彼の場合は、うちのるんちゃんが彼のファンであるという関係があって「ご挨拶」に伺いたいというお申し出を快諾する。
S山くんは出版社勤務のかたわら過激なロッカーとして知られており、るんちゃん情報によると現在は「七色の髪の毛」をしているそうである。
そのようなファンキーな社員を許容しているH水社の度量の大きさに私は深い敬意を抱くのであるが、だからといってH水社の仕事を例外的に引き受けるというような公私混同は私の良識ある社会人としての節度が決して許さないのである。
返信メールに「不肖の娘がいつもお世話になっております」と書いてから「不肖」が「父に似ず愚かな」という意味であることを思い出す。
るんちゃんはそのような形容を決して許さないであろうから、あわてて削除する。
かといって「最愛の娘が」とか「才能豊かな娘が」というようなことを書くと、かりにそれが事実であったとしても(事実であるが)父として「非常識」のそしりをまぬかれえない(すでに非常識な発言を行っているが)。
「愚息」とか「豚児」とか「荊妻」といった語とともに「不肖」もいずれまた父権制イデオロギーをはしなくも露呈する語としてPC的禁句となるのであろう。
さ、明日は筑波大学で日本体育学会のシンポジウムである。
何を話すかまったく考えていないが、なんとかなるでしょ。
養老孟司先生の講演が私たちのシンポジウムの前にあるので、それが楽しみである。
今夜の宿泊はいつもの学士会館である。
学士会館といえば「デュークオクテット」である。
ここは10年くらい前まではお風呂が部屋についてなくて、共同浴場であった。
植木等さんの『Go!Go!Niagara』でのロング・インタビューはこの学士会館が進駐軍のオフィサーの宿舎であった時代の爆笑秘話で満たされているが、その中でもっとも印象深いのは、トランペットのハヤカワさんが、デクさんこと萩原哲晶さんの頭に「おしっこ」をかける浴場での逸話である。
まさか、このお風呂じゃないよね、と思いながら入る学士会館のお風呂はまた格別に風雅なものであった。

投稿者 uchida : 00:41 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月21日

極楽麻雀

恒例の温泉麻雀第三回。
ウチダは麻雀ばかりしてないか!という怒りの声が聞こえてきそうであるが、それは短見というものであって、温泉麻雀という名目で各界(ビジネス界、ナイアガラー界って、ふたつしかないや)の専門家からその底知れぬ知見を拝聴して明日の糧にしようという本来はきわめて教化的な集まりなのである。
今回私が深く自得したのは「単騎はオタ風地獄待ち」という古来の麻雀古諺がなるほど中国四千年の名言であること、「三面張より双ポン」、あるいは「貧者のチャンタ」、「ツキに見放されたら七対子」といった言い古された格言の実効性であった。
今回のセミナーの戦績はイシやんが圧勝のプラ200。ヒラやんがめっためたのマイ200。ウチダ“まむしのBros”は兄弟合わせてプラマイゼロ。
前回と同パターンである。
平川君は半荘平均マイナス20、トップなしという、涙なしには回顧することのできない惨敗ぶりに加えて箱根に来る途中での交通違反による免停、長時間の不自然な姿勢による腰痛と三重苦の二日間であった。
好漢の身にふたたび幸運の女神が微笑む日がくることを願うこと切である。
聴取した楽曲はウチダ兄の強い要求によりおもに1960年代ものが選択せられ、これを全員が「合唱」しながら麻雀を打つというたいへんに愉悦的な時間であった。
このメンバーは実はみなミュージシャンなのである。
日経のデータベースには記載されていないであろうが、辣腕ビジネスマンとして知られるウチダ兄はかつて「下丸子のタル・ファーロー」と異名されたジャズ・ギターの名手であった。
彼は「ギター買ってくれたら受験勉強する」という受験生がダメモトで口走る妄言を両親が「わらにもすがる」思いで信じたことでギブソンを入手して、それを抱えて(受験勉強どころか)キャバレーでバンドマンをしていた性悪の浪人生であった。
ヒラやんとイシやんはかつて「サザンヒルズ」というフォークバンドをやっていたことがある(バンド名は「南の小山」。イシやんが都立南高校、ヒラやんが都立小山台高校の在学生であったことから安直に命名されたのである)。
かくいう私は東京大学軽音研の伝統あるジャズバンド「イーストハード」の(二軍バンドの方の)ドラマーとして渋谷の「デュエット」のステージでSo what? を演奏したこともある。
そして、イシやんはそのあと30年にわたる長き「ナイアガラー人生」をこけつまろびつついてゆく私の手を引いて歩まれたわが「ポップス道の師」である。
彼のパワーブックに仕込まれた5000曲のポップスを聴きながら、中学生気分に戻って「アーイ、シュダノンベラウイザガライキュー!あ、中ポン」とか「プリーズ、ロックミアウェイ!七萬ロン!」などと高校生にもどって唱和しているうちに愉悦の時間は流れるように過ぎてゆくのであった。

投稿者 uchida : 23:20 | コメント (1) | トラックバック

2005年11月18日

会議な一日

言うまいと思えど今日も疲れたよ(痴楽)
柳亭痴楽なんて言ってもお若い方はご存じないであろうが、かの大瀧詠一先生の発声のスタイルをかたちづくった三賢人の一人である(あとの二人はエルヴィスと片岡千恵蔵)。
とにかくなんでも五七五で言って、あとに「痴楽」と続ければ、それだけで座が和むという時代が1956年頃に存在したのである。
よい時代であった。
おっと、こんなところで遠い眼をしている暇はないのだ。
言うまいと思えど今日も会議が六つ。
入試委員会、学務委員会、将来構想委員会、合否判定教授会、定例教授会、人事教授会である。
入試委員会と将来構想委員会で議決したことを学務委員会で承認してそれを教授会で承認するのである。
そのすべてに出席している人が12人くらいいる。
だから、その12人にとっては一日の残り半分は「デジャブ」状態なのである。
現実感覚は希薄となり、眼はうつろとなり、あらがいがたい睡魔が間歇的に訪れることを誰が責められよう。
「ねえ会議多すぎますよ。もう止めません、会議?」
と臨席のM田先生につぶやくが、先生は遠い眼をして「はあ、そうですねえ、はあ」とすべての希望を失った人間に特有の力のない笑いで応じるばかりなのである。
以前は教授会中に全時間爆睡するということも可能であったのだが、現在は席の関係で、私が居眠りしかけるたびに学長から「がつん」とひじ打ちが来る(これはあくまで「比喩的表現」であって、本学の学長はそのようなルードなことはなされない)。
思えば学長はそのすべての会議で議長をされているのであった。
なんと気の毒なことであろう。
その来年からの学長を選ぶ学長選挙が今日あった。
結果はまだ告知されていないが、どなたがなられたにせよ、その方は教授会メンバーの負託を受けたという誇りと同時に深い疲労感にとらえられたであろうことを思うと、非情なウチダも一掬の涙を禁じ得ないのである。
どのような組織体であれ、会議数がある閾値を超えることは組織的な危機の徴候であると申し上げてよろしいであろう。
会議はなるほど「民主主義のコスト」であるが、コストはそれがもたらすベネフィットを超えてはならないということもまた重要な真理である。
「あれをなにしといてください」「あ、はいはい」でことが済むなら、会議は要らない。
しかし、「この案件はどのような機関決定を経て決定されたのであるか、その経緯をつまびらかにして頂きたい(オレはきいてねーぞ)」というようなことを言い出す方が一定数以上存在すると案件の周知と審議のために会議を開かねばならない。
そして、しばしば、そのようなことを声高に言われる方に限って、会議の席にいなかったり、会議の席で爆睡せられたりしているのである。
本学の会議数はすでに「危険水域」に入りつつある。
「会議負荷」による疲労によって、組織が果たすべき本来の任務に割くべきリソースががりがりと削り取られている現状を私は深く憂うのである。
よろよろと家に戻る途中、コープで「クリームシチュー」の材料を購入していると、音楽学部のS崎先生とばったり会う。
「先生んち今日は何ですか?」「うちは鍋です」「うちはシチューです」
という心温まる会話をかわしてお別れする。
明日は朝から公開講座で一席ぶって、そのあと合気道の稽古をして、それから楽しい週末温泉である。
ではみなさんもよい週末を!

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2005年11月17日

動物園の平和を嘉す

3年生のゼミでは「憲法改定」という大きな題が出た。
「憲法改正の国民投票が間近に迫っています・・・」という現状分析から始まる大ネタであるが、まずその「前提」にびっくりした。
ちょっと待ってくれ。
いったい、いつから「国民投票が間近に迫っています」ということが国民的常識に登録されたのであるか、そこのところを明らかにしていただきたい。
たしかに、こういうのは「時代の気分」の問題であって、別に統計的根拠に基づくものではない。
おそらく先般の総選挙で小泉圧勝をもたらした「時代の気分」は憲法改定までを含めたドラスティックな社会構造の変化を渇望しているのであろう。
どのような変化であるかはさだかではないが、とにかくこの「停滞感」を何とかしてくれ、といううめき声のようなものがこの社会のあちこちから聞こえてくるのはたしかだ。
「憲法改定」はそのような「変化」の象徴である。
「何かを変えなければいけない」ということについては国民的合意がある。
私もそのことについては同意見である。
そのときに国民の約半数が「憲法を変える」ことで、この停滞感が「なんとかなる」のではないかという漠然たる期待を抱いている。
私自身はその判断に与しないが、判断の当否は措いて、そのような期待が現に「ある」ということは認める。
自民党の改憲案はいろいろなことが盛り込んであるが、端的に日本国憲法の改定は「九条第二項」の廃絶ということを意味しており、それに尽きると言ってよいだろう。
あらためて九条を読み返してみよう。
第九条 【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】(1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。(2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
ご存知の通り、九条一項は不戦条約の条文ほぼそのままである。1929年濱口雄幸内閣のときに日本はこれに調印した。
その第一条は次のようなものである。
「締約国ハ国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互関係ニ於テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ放棄スルコトヲ各自ノ人民ノ名ニ於テ厳粛ニ宣言ス。」
この不戦条約には他にアメリカ、イギリス、フランス、イタリア、ドイツ、ソ連など63国が署名した。条約には期限が明記されていないために、国際法上不戦条約はいまでも有効とされている。
にもかかわらず、署名諸国が今日に至るまで70年間「国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フルコト」を是として、戦争を繰り返しているのは、この条約が「自衛戦争」を禁止していないからである。
あらゆる戦争は自衛のために戦われる。
だから、「自衛のための交戦権を留保した不戦」というのは、「生命保持のための摂食権を留保した断食」「用事がある場合の外出権を留保した監禁」に類する言い方である。
つまり、憲法九条第一項というのは戦争抑止上無意味な条項であり、平和憲法の政治的機能は第二項にしかない。
こんなことは私が言わなくてもみなさんとうにご承知のことだからこれ以上論ずるには及ぶまい。
とにかく、自民党も民主党も、改憲を望む人々は第九条二項を廃絶したいと望んでいる。
戦争に関する「フリーハンド」を回復したいと望んでいるのである。
より厳密に言えば、「(本音のところでは)あまり戦争なんかしたくないけれど、『戦争になるかもしれない』という政治カードを自由に切ることができる国家になりたい」と望んでいる。
「戦争になるかもしれない」という緊張状態が国民的に広がることのうちにはほとんど数え切れないほどのメリットがあるからである。
私は護憲派の人間であるが、それでも「改憲して『戦争ができる国』になることにはメリットがある」という主張の一部には理ありとしなければならない。
改憲して、戦争ができるような国になるとどのようなメリットがあるか?
ランダムに挙げると、第一に「増税」が可能になる。
ご存知のとおり、戦時体制のときに増税に反対できる政治家はいない。
戦前、戦中でも軍備の拡充のための増税の国会決議はほとんどつねに「満場一致」であった。
「臨戦」気分の醸成は間違いなく国民の圧倒的支持を得て増税できるチャンスを提供するであろう。
現在の日本の国家財政は危機的であり、多くの財政通は増税以外に財政再建のオプションはないと語っている。
だが、増税を掲げて総選挙した場合、自民党が政権を失う確率はきわめて高い。
増税を導入し、かつ自民党政権を維持するためには、「国難」を煽ることによって挙国一致体制を作り上げ、「国民ひとりひとりが痛みを分かち合おう」というイデオロギー的熱狂によって反対世論を封殺することが必須である。
だから、私がいま自民党の財務部門の責任者であったら、必ず「改憲」を訴えるであろう。
第二も同じく経済的理由である。
「戦争があるかもしれない」という危機感の醸成によって、巨額の公共投資がノーチェックで可能になる。
「高速道路建設」「新幹線建設」「飛行場建設」「トンネル建設」などへの税金の投入への反対は「国防上の要請」の一言をもって一蹴することができる。
ゼネコン業界に限らず、すべての製造業者にとって「戦争間近」という市場の興奮はビッグビジネスのチャンスである。
だから、ビジネスマンたちが改憲を望むこと切である理由も私はよく理解できる。
第三の理由はもっと心理的なものであり、メディア知識人が改憲ににじりよっている理由はおそらくこれであろう。
それは「戦争があるかもしれない」という危機感の中で、日本の若者たちが「しゃきっとする」可能性があるということである。
生物の自然として、「安全」状態が長く続けば、感覚は鈍り、アクティヴィティは低下し、生命力が衰える。
逆に生命の危機に際会すれば、身体のそれまで眠っていたリソースが爆発的に開花する。
動物園のシマウマの眼は「どろん」としているが、サバンナのシマウマの眼は「くりくり」している。
当然ながら、動物園は「安全」だからいくらでもでれでれできるけれど、サバンナでは生物としてのパフォーマンスを最大化していないと、すぐにライオンやハイエナの餌になってしまうからである。
平和憲法下の60年間は日本人を「動物園の草食動物」のようなへなへなしたものに変えてしまった。
学力低下もニートも引きこもりもリストカットも解離症状も少子化も非婚化も少年犯罪も・・・これらはすべてある意味で「平和の代償」である。
「動物園症候群」と申し上げてもよろしいかと思う。
このような「あまりに平和であるために生命力が萎縮したことによる病的症候」は「戦争が近い」という大気圧下では雲散霧消するであろう。
多くの人々はひそかにそう期待している。
その期待にはそれなりの根拠があると私も思う。
戦時中の社会にノイローゼの人間はいない。精神科の待合室には閑古鳥が啼く。
これは疾病史的事実である。
重篤な精神病患者でさえ、死期が近づくと正気に返る。
生体が危機のときに、メンタルな問題で悩んでいられるほど人間はタフな生物ではない。
危機的状況に陥った人間は使えるすべてのリソースを「とりあえず飯を食う、とりあえずセックスする、とりあえず眠る」といったプリミティヴな活動に集中させる。
当然、身体能力も向上する。
男たちはみんなぎらぎらした眼をして、ハリネズミのように皮膚の感度を上げて都会を歩くようになる。女たちは「サバイバル能力」の高い、生物的に「強い」男であることを、年収や学歴やルックスや趣味のよさよりも配偶者の選択において優先的な条件とするようになるだろう。
おそらく多くの日本人はそのようなしかたでの「日本の若者の野生化」を歓迎するだろう。
外形的には今の「へなへな」の若者たちよりはずっと「まし」に見えるからだ。
不登校や引きこもりやニートは「銃後の守り」という勤労義務への重大な違背とみなされ、厳しい社会的指弾を受けることになり、尻を蹴飛ばされて勤労動員される。
「産めよ増やせよ」と厚労省は叫びたて、結婚率は急上昇し、出産育児は国民の義務を履行する行為としておおいに奨励される。
家庭でも学校でも地域社会でも企業でも、「目上の人間の命令」に従うことの重要性が全社会的な合意を得て承認される。
家父長権は復活し、学校での体罰が許され、でれでれしている青少年は街のおっさんから「この非国民!」とすれ違いざまに張り倒されるようになる。
だって、指揮系統を無視するような兵士は戦場では射殺されて当然だからである。
おいおい、そう聞くと、なんだかすばらしい世の中が来そうじゃないか。
なんだよ、憲法改正ってぜんぜん悪くないじゃないか。
そう思う方々がたくさんおられることだろう。
おられるからこそ、改憲ムードがこれだけ高まっているのである。
私はそのような期待があることを理解できる。
理解できるが私は改憲には反対である。
私は改憲して「サバンナのシマウマ」になるよりは平和ボケしたまま「動物園のシマウマ」でいることの方が100倍もハッピーであると確信している。
このことはあらためてきっぱり申し上げねばならない。
その理由を申し上げる。
このムード的改憲には重大な瑕疵があるからである。
それはこの改憲機運は「戦争が起こりそうになるけれど、実は起こらない状態から得られるベネフィット」のみを勘定して、「戦争がほんとうに起こってしまった場合のロス」については何も考えていないからである。
あるいは百歩譲って戦争が起きた場合でも「日本では起こらない」ということを不当前提しているからである。
誰でもいい、そこらにいる改憲論者を捕まえて、「あなたは『戦争』というとどんな情景を想像しますか?」と訊いてみるといい。
彼らはおそらく反射的に、中東の砂漠や中米のジャングルでのゲリラ戦や、アジアやアフリカの都市での市街戦や、シーレーンや領海付近での海戦のようなものを思い浮かべるだろう。
「戦争の被害」ということばからはベトナムやイラクでの非戦闘員の子どもや女たちの泣き顔を想起するかもしれない。
彼らが決して想像しないのは、「猛火に包まれた東京」や「略奪される自宅」や「敵兵にレイプされる妻や娘」の姿である。
戦争は「ここではないどこか」で起こるものであり、戦争で破壊されるのは「日本ではないどこかの都市」であり、戦争で殺されるのは「自分ではない兵士たち」である。
自分たちはテレビやネットで戦争報道にどきどきしたり、戦争がもたらすさまざまな利得を享受するだけであると改憲派諸君は信じている。
どうして、戦争が起こったら自分が殺され、自分の街が破壊され、自分の財産や自由が奪われるという想像がなされないのか?
理由は意外に簡単である。
それは改憲派の諸君が「戦争」という言葉を使うとき、それは「アメリカ人が『戦争』という言葉を使っているときの意味」で使っているからである。
『街場のアメリカ論』でも書いたことであるが、アメリカは戦争において他国軍に侵略された経験をほとんど持たない。
例外はシッティングブル率いるスー族にカスター将軍の第七騎兵隊が全滅させられた事件と真珠湾だけである。
ただし、スー族はその後帰順してアメリカ国民となったし、真珠湾は併合されたばかりのはるか太平洋の彼方のハワイ島でのできごとであった。
アメリカ人にとってそれ以外の戦争は米墨戦争も米西戦争も第一次世界大戦も太平洋戦争も朝鮮戦争もベトナム戦争もソマリアも湾岸もアフガニスタンもイラクもすべて国境線の外側での戦争である。
だから、アメリカ人はアメリカ領土内で、アメリカ国民を対象とし、アメリカ人の生命財産自由を奪うために行われる戦争というものを想像する習慣がない(911は「テロ」であって「戦争」ではない)。
アメリカ的な「戦争」概念は一種の民族誌的奇習にすぎないのだが、わが国の国際関係論や外交問題の専門家たちはこの特異な「戦争」概念を無批判に「一般解」として受け容れている。
平和憲法の「戦争の放棄」でさえ、「武力による威嚇又は武力の行使」を行いうる「主体」の側の決断としてなされるものであって、自らを戦争において「武力によって威嚇され、武力を行使される側」に擬して、「そのようなことは止めてほしい」と世界に向けて懇請しているわけではない(アメリカ人が採択した文言なのだから当たり前だが)。
「戦争」を論じるときに、つねに自分を暴力の「主語」に措定し、暴力の「目的語」としての自分をまず優先的に考慮するということを「しない」というアメリカ人の習慣を私たちは自明のものとして60年生きてきた。
私に言わせれば、これこそが戦後60年間の「平和ボケ」の最悪の症候である。
私たちはあまりに平和に慣れてしまったせいで、「平和でない」というのがどういうことであるかを忘れてしまい、「たまには戦争もいいじゃないか」というような妄語を口走るようになってしまったのである。
愚かなことである。
結論を述べる。
現代日本のさまざまなシステム不調のかなりの部分が「日本人の生命力の低下」に起因することを私は認める。
生命力は「生命の危機」に際会すると爆発的に発現するという事実も私は認める。
その上で、私は「動物園のシマウマの退屈」を「サバンナのシマウマの興奮」よりも得がたいものだと思う。
平和は退屈であり、あまりに長く続く平和は人間を苦しめるというのはほんとうのことである。
けれども、その退屈や苦痛は、戦争がもたらす悲惨や苦悩とは比較にならぬものである。
「戦争ができる国」になることによって日本人が今以上に幸福になるだろうという見通しに私は与しない。
「九条第二項を廃絶したら日本人は今よりもっと幸福になれる」と確信している人がいたら(たくさんいるらしいが)、とりあえずまず、私自身が今よりどんなふうに幸福になれるのかについて私を説得していただきたいと思う。
話はその後だ。

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2005年11月15日

忙中閑あり

杖道の授業を途中で抜け出して、どたばたとJRを乗り継いで森ノ宮の名越クリニックへ。
本日は『中央公論』の1月号の「教育特集」のために、甲野先生とみっちりと「教育論」を語るのである。
甲野先生と私の対談企画を持ち込んだのは中公の若い編集者I之上くんである。
「おふたりともたいへんお忙しい方なので、日程の調整がむずかしいかと思います」と言うので、「ふたりで相談して決めた方が話が早いよ」と返事しておいたら、すぐ甲野先生から携帯に電話がかかってきた。
甲野先生が福山から東京に戻られる途次、大阪でランデブーするということに話を決める。
対談する二人が勝手にスケジュールを決めて「じゃ、この日にやるから東京から来るように」編集者に指示するということは世上あまりないことではないだろうか。
しかし、今にして思えば、それは甲野先生と私で対談という人選をした段階ですでにI之上くんが犯した「最初のボタンの掛け違え」であり、以後どのような軌道修正を試みても、もはやおじさんたちの好き勝手放談地獄から逃れる道はなかったのである。
彼が「取り返しのつかない企画」を編集会議で通してしまったことに気づいたのは対談が始まって3分後くらいのことであった。
だが、若者よ、これも人生勉強だ。
対談はまず「これ編集でカットしてくださいね」という話から始まり、「わははは、編集でカットですわな、これは」という話題を大量に盛り込んだ末に、「これは・・・編集でカットさせて頂きます」という話を以て終わった。
優に単行本一冊分に相当する3時間の対談であったが、『中央公論』に採録されるのは、その10分の1くらいであろう。
このオフレコ部分を聴いて腹を抱えて笑っていたのはただひとりのギャラリーとして招かれたI田先生であった。
昨日は麻雀でびう、今日は甲野先生対談参観と、毎日ご苦労さま。
会場提供者の名越先生は東京でのお仕事で、対談には間に合わず、電話で近況報告だけ。
「名越先生、また遊びましょうね。なんか仕事にかこつけて」
仕事を口実にしないと会えない哀しい二人なのである。
こんどA日放送でラジオの仕事があるから、そのときに「名越・ウチダの劇薬人生相談」の企画を売り込もうかとふと考える。
毎週一回会って、2時間くらい他人の人生相談をネタにしておしゃべりをするのである。
楽しそうだ。
あれ・・これって、今毎週やってる「現代霊性論」と同工異曲・・・
そ、そうか。あれも授業に名を借りて釈先生と遊ぶついでに人生相談という企画だったんだ。

投稿者 uchida : 13:54 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月14日

頭が悪くて何か問題でも?

日曜といってものんびりできない。
昼からK談社の新雑誌のための取材。編集者とライターとカメラマンと三人おいでになって、「頭がいいとはどういうことか」についてインタビューである。
「頭がいいとはどういうことか」という問いについては私には長年の疑問がある。
「頭がいい」とはどういうことかについて知っていると称する人間は、当ながら、自分は「頭がいい人間と頭が悪い人間を識別できる」ほどに頭がいいと思っているということを意味するわけであるが、彼の「オレは頭がいい」という確信には、その名乗り以外にはいかなる根拠もないということである。
にもかかわらず、「彼は頭悪いね」というような評言について、「貴下はいかなる汎通的根拠にもとづいてそのような判定を下す権利が自分にあると信じられるのであるかを400字以内で述べよ」というような反問をする人間は存在しない。
存在してもいいはずなのであるが、存在しない。
これは過去30年間、あらゆる機会に「あいつはバカだ」とか「彼は頭いい」というような印象的放言を繰り返してきた私自身がそのような反問に一度として遭遇したことがないという事実によって経験的には確証せられているのである。
つまり、「頭がいい」とか「あいつはバカだ」といった知性にかかわる判定は「言ったもん勝ち」なのである。
「あなたの言っていることは間違っている」という指摘によって相手を黙らせることはほとんど不可能である。
「間違い」の指摘は猛然たる反論を覚悟しなければならない。
「あなたはこれこれしかじかの事実について知らない」という「無知」の指摘によって相手を黙らせることは、「間違いの指摘」よりは効果的である(『朝まで生テレビ』や『TVタックル』などでは、ほとんどそれしか有効な論争的利器は存在しないかのようである)が、それでも「それを知らないことがどうして私の命題の当否に決定的に関与していると汝は言いうるのか、その理路を明らかにせよ」というような反論は十分に可能である。
現に私はその反論によっていかなる点について無知を指摘されてもそ知らぬ顔で今日のこの日を迎えている。
それに比べると、「君は頭悪いね」という無条件的断定はいかなる反論も受け付けない最強の批評的ウェポンである。
どうしてこの「頭悪い」という評言がこれほどまでに有効であるかというと、この評言は「読者」あるいは「その場にいる人々」の無言の同意に向けて開かれているからではないかと私は考えている。
ある命題が間違っているかどうか、事情を知らないはたの人間は検証しようがない。
ある情報を欠いていることが致命的な瑕疵であるかどうかも、素人にはわからない。
けれども、「君は頭が悪いね」という断定をしている人間とそう断定された人間のどちらの人間が「頭がよい」のかの判定は、当事者間では検証できず、原理的に「第三者の査定」に向けて開かれているのである。
この「おう、こうなったら、てめえをおいらと、どっちの言い分が正しいか、ひとつ世間様にきめてもらおうじゃねえか」というディスクロージャーの構えが「君は頭悪いね」という評言には含まれている。
この「当否の審級を当事者間の確執から第三者評価に繰り上げる」開放性が、「頭悪い」という断定のもつ「強さ」を担保している。
私はかように考えるのである。
というようなことを述べたらよかったのだが、こういうのはすべてあと知恵なので、当日はぜんぜん違うことを話したのである。
さいわい、その前夜にたまたま西宮までおいでになった鈴木晶先生と一夕痛飲しつつ、「頭がいい」とはどういうことかについて長時間意見交換を行ったばかりだったので、鈴木先生から聞きたての「受け売り」を含めていくらでもネタがあったのである。
鈴木先生と私はあらゆる論点で、意見が合い、「それは違うんじゃないの」という議論というものをしたことがない仲良しなので、鈴木先生から聞いた話を私のコメントとしてお話しし、原稿料のみ私が占有するということがあっても、私としては特に心が痛むということはないのである。
鈴木先生どうもありがとうございました。

インタビューが終わる頃に続々と甲南麻雀連盟会員たちが参集してくる。
本日は7名が参加。
ということは、常時3名が卓外にあって順番を待っているということなのであるが、この方たちががんがんワインなんか飲まれるので、たいへんににぎやかであり、麻雀を話のネタに宴会をやっているというのに近い状態になっている。
例会も4回を数え、これまでのところ、江さんがダントツの一位。私がホストとしててがたくプラスの2位。残るみなさんは全員マイナスという階層化日本の縮図のような状況を呈している。
しかし、そろそろ釈先生が底力を出して逆襲してくる予感もあるし、ドクターが泥酔状態でぶっちぎりのトップを取って「なんだ、酔っ払ってれば勝てるんじゃないですか!」と必勝法を発見されたようでもあり、「江帝国の落日」が年内にきざすことはおおいに期待できるのである。
昨日は『麻雀入門』本を読んでルールを覚えてきたI田先生が麻雀でびうを飾り、「初上がり」というものを経験され、メンバー一同の暖かい拍手で迎えられた。
カゲウラ青年も初参加し、先輩雀士たちの「手痛い歓迎」(スポーツ欄の常套句だな、これは)を受けたこともここに書き留めておきたい。

投稿者 uchida : 18:04 | コメント (1) | トラックバック

2005年11月12日

小ネタ地獄

愚痴を言ってはいけないよ、とつねづね兄から諭されてはいるのだが、それにしてもあまりに忙しい。
昨日は一日だけで取材の依頼が2件と講演の依頼が1件と番組出演の依頼が1あった。
その前の日は取材の依頼が1件。
その前の日は連載エッセイの依頼が1件。
「もう書き下ろし本はむりです」と告知したせいで、さすがに「本を書いて」というオッファーは来なくなったが、その代わりインタビュー、講演、アンケート、エッセイ、対談といった「小ネタ」(とってはオッファーしてきた媒体に失礼だけど)で責め立てられている。
積もり積もれば、侮ることのできぬ仕事量である。
さすがに「大晦日にラジオ生放送で今年を回顧」というオッファーはお断りしたけど。
このあとの日程は・・・
12日が入試で、そのあと鈴木晶先生と晩ご飯。
13日がK談社の取材で、そのあと甲南麻雀連盟第四回例会。
14日が授業と会議のあとに大阪の名越先生のクリニックで甲野善紀先生と対談。
15日が下川先生のお稽古と授業が二つ。
16日がオフの水曜なのに会議が二つ、夜は文春と『私家版・ユダヤ文化論』の打ち合わせ
17日は授業が二つに合気道の稽古。
18日は授業がひとつと会議が三つ。
19日は朝から公開講座、そのあと合気道の稽古、そのままソッコーで箱根に移動して温泉麻雀。
その次の週はさらに破滅的な日程なのであるが、書くと気が滅入るから書かない。
鈴木晶先生とご飯をたべたり、温泉に浸かったり、麻雀したりすることはもちろん「仕事」ではないのであるが、そのような愉悦的時間が存在することによって、労働時間が刻々と圧縮されてゆくことは避けがたい。
にもかかわらず私はこのあと年内に講演を三つ(公開講座、朝カル、日本体育学会)、論文を二本(女子体育学会、総文叢書)、校正を三冊(甲野先生との対談本、三砂先生との対談本、ユダヤ文化論)、集中講義をひとつ(京大で映画論)しなければならない。
講演も論文も集中講義も(ご賢察のとおり)何の準備もできていない。
「さぼるなよ」と言われても困る。
私の人生に「さぼっている」時間など一秒も存在しない。
私は(休んでいる時間以外は)ずっと働き詰めである。
準備する時間が物理的に存在しないのである。
とういうわけで、昨夜通販で届いた「ジャンボ座椅子」にすわって「タンタカタン」を飲みつつ一日に許されたただひとときの安逸の時間を楽しんでいるときに電話がかかってきて、D女子大のN村先生から学会講演を依頼されたとき、私のなかで「このままでは死んでしまう・・・」という確信が深まったのである。
N村先生はイス研のお仲間であるから、これはお断りすることのできぬ筋のものである。
だが、どう考えても十分な準備をしてある程度のクオリティの講演をする見通しが立たない。
恥をかくのは私ひとりだが、内容のない講演をきかされて悶え苦しむのは善意の人々である。
論文の類にしても同断。
もう私には書くことがない。
すでに私の本についての書評には「ウチダ本はどれを読んでも同じことばかり書いてあってつまらん」という正鵠を射たご指摘が関係各方面から礫のように投げつけられている。
ご指摘のとおりである。
つまらない本を読まされる読者諸氏も不幸であるが、それ以上にこちらが「やりたくない」と言っている仕事を「いいからやってよ」と強いられて、あげくに「つまんないね」と言われる私も不幸である。
というわけで、本日をもって、「小ネタも含めて、今年度末までの新規の仕事はすべてお断りします」ということをここにきっぱりと宣言させていただくのである。
受けてしまったものはしかたがないけれど、それらについても「クオリティについては期待しないでいただきたい」というより「低品質には自信があります」ということを念押しさせていただくのである。

投稿者 uchida : 11:20 | コメント (3) | トラックバック

2005年11月10日

朝から誤記げん

『街場のアメリカ論』の誤植問題について、複数の方々から「あの間違いはウチダさんのフロイト的失錯行為ではないか」というご指摘を頂いた。
そこまで言われては誤植を公開するしかない。
私は「子ども嫌い」(pedophobia) と書くべきところに philophobia と表記したのである。
訳せば「愛嫌い」「愛すること恐怖症」である。
あらゆる失錯はその人の抑圧された欲望の代理表象であるというフロイト老師の説を信じるならば、私は「アメリカ人は愛することを恐れている」という(私自身にも意識されていない)抑圧されたメッセージをこの失錯を通じて迂回的に表現したのである。
誤記についてもうひとつ。
先般私は『下流社会』という本を紹介するときに間違えて『下流生活』と誤記した。
どうしてそういう間違いを犯したのか、これもまた分析的には興味深いことであるが、これには後日談がある。
大瀧詠一老師はときどき私のブログ日記をご高覧になられているのであるが、三浦さんのこの本を私が論評しているのを読まれて、おもしろそうだからアマゾンで取り寄せようとお考えになった。
アマゾンでちゃかちゃかと検索したところ、「下流生活」にヒットしたのは『ひとめでわかる!図解川釣り入門 渓流から下流・湖沼までたのしめる』であった。
その顛末を師匠からご指摘頂いて、恥じ入ったのであるが、さらに後日談があって。
その間違いご指摘メールの末尾に大瀧師匠は「センセの『街角のアメリカ論』も評判ですね」と書かれていたのである。

師匠!それは『街場のアメリカ論』。

追記:と書いたら、大瀧師匠から「ツッコミのネタ」のご恵与を賜ったので、謹んで再録させて頂きたい。

「師匠!『街角』って、ワタシぁデル・シャノンですかい?!」


投稿者 uchida : 15:54 | コメント (1) | トラックバック

2005年11月09日

誤植と自殺

『街場のアメリカ論』は誤植が多い。
初版からいろいろな方からご指摘を頂き、重版では直したのだけれど、またまた大誤植が発見されたのでこの場を借りてお詫びと訂正をさせて頂きたい。
「子供嫌い」というのは『街場のアメリカ論』の第六章のテーマであるが、この中で「子供嫌い」の英語訳として掲げた語が間違っている(どう間違っているのかはご自身で確認されたい)。
執筆時に、「子供嫌い」というのは英語で何というのだろうと考えた。
どうもそんな単語を見た記憶がない。
「女嫌い」はミソジニー(misogyny)という。
miso- というのは「・・・嫌い」という接頭辞である。
だから「議論嫌い」はmisology、「結婚嫌い」はmigogamy 、「新しいもの嫌い」はmisoneism などというふうにいくらでも造語ができる。
「みそ・子供」というのはどのように表記されればよいのであろうか、しばらく考えた。
思いつかない。
「子供好き」という言葉、これも実は英語にはない。
和英辞典をひくと、philoprogenitive という単語が得られるが、これは「生殖力を好む」という意味であって、日本語でいう「子供好き」とは隔たること遠い。
pedophilia という語があるが、これは「小児性愛」という病的な性的嗜癖を指す語である。
ほおお、英語圏には日本語でいうところの「子供好き」という概念が存在しないのか・・・と思い至ったところで、この第六章のアイディアが澎湃として湧出してきたのである。
この「小児性愛」を逆転した「pedophobia」がおそらくは「小児憎悪」「子供恐怖症」という病的傾向を表す語としてはふさわしいであろう。
英語話者がこの文字を読んだら、さぞや強い違和感を覚えるであろうと邪悪な笑みを浮かべつつさらさらとキーボードにその語を打ち込んだつもりであったが・・・
まあ、誤植は誤植である。
ゲラを飛ばし読みした私が悪い。
ほかの誤植は笑って済ますことができるが、外国語の誤記はすごく恥ずかしい。
おそらく私にもまだ「学者のはじらい」というものが一抹残存しているのであろう。

今朝はNHKの記者さんが取材に来た。
どういう案件かと思いきや、「自殺サイト」の学的考察についてのご意見を求められたのである。
どうして私にそのようなお門違いのお訊ねを・・・と記者さんにお聞きしたら、その前に取材に行った茂木健一郎先生から「ウチダさんとこに行ったらいいよ」とアドバイスされたからだそうである。
茂木さんのご紹介ということであれば、紹介者のメンツをつぶすわけにはゆかない。ない知恵を絞って必死になって語ること90分。
私の仮説は次のようなものである。
まず一般的な前提の確認として、
「死んだときの私」という想像的な消失点から現在を回顧的に見る力が、ほかならぬこの現実にリアリティを与えている。
それは私が「推理小説」を読んでいるときと同じメカニズムである。
ある出来事が起こる。
物語の中ではすべての出来事の意味は文脈依存的であるから、物語が読み終えられて書物を置くまでは、その出来事の意味は未決のままである。
にもかかわらず私たちが推理小説の未決(サスペンス)を愉悦することができるのは、その「物語を読み終えて、すべての伏線の意味を理解した自分」というものを想像的に措定しているからである。
もし、推理小説の場合に、「その小説が途中で『未完』で終わるかもしれない」とか「最後に探偵が『うーむ、わからん』とうめいて、すべては謎のまま終わる」という事態がしばしばありうるならば、私たちは小説を読むことの苦役に長くは耐えられぬであろう。
同じことが私たちの生そのものにおいても起きている。
日々我が身に起きている出来事の「ほんとうの意味」は「私という物語」を読み終えるまでは私は知ることができない。
にもかかわらず日々の出来事に感動できるのは、「『私という物語』を読み終えた私」を想像的に措定して、その仮設的視座から現在を回顧している未来を少しだけ先取りしているからである。
例えば、意を決して愛の告白をするときなど、私たちは自分を含む「映像」を思い描き、そこに「このときがぼくの幸福のあるいは絶頂の瞬間だったのかもしれない・・・」などというナレーションを勝手に入れている。
というか、そういうナレーションを想像的に入れないと、どれほど劇的な出来事だって、さっぱり盛り上がらないものなのである。
だから、劇的人生を好む人は(女性に多いけれど)、愛の告白の瞬間とか、別れのことばを告げるときとかに「鏡」や「窓ガラス」に自分の姿を映すことに強く固着する。
「ウチダくん・・・私たち、もう終わりだなと思うの・・・」
と告げる彼女の視線がどうも私を通り越して遠くを見ているので、なんでだろうと思って振り返ったら、彼女はガラス窓に映る自分に向かって「カメラ目線」で語っていたのである。
それを責めるのは筋違いで、人間というのは「そういうもの」なのである。
閑話休題。
とにかく、私たちは「物語的な結構」の中にリアルタイムの現実をはめ込むことによってしか、リアルタイムの現実の「現実感」を享受することができない。
そして、私たちの現在を「物語化」するためには、「『私という物語』を読み終えた私」、すなわち「死んだ私」というものを想定せざるを得ないのである。
「死んだ私」という想像的な消失点は想像力の強い人間ほど「遠く」に設定することができる。
きわめて想像力の強い人間は、個体としての自分の死を超えて、共同体の死、生物種の死、地球の死、宇宙の死・・・にまでこの無限消失点を後退させることができる。宇宙の死にまでこの想像的視座を後退させることのできる想像力をもつものは仏陀のような例外的な知者に限定されるだろう。
逆に、想像力の弱い人間は、個体としての自分の死さえうまく想像することができない。
成長し、さまざまな経験を重ね、愛したり、憎んだり、出会ったり、別れたり、得たり、失ったり・・・気の遠くなるほど長い歴程の「後に」、老いたり、病んだりして、いままさに死のうとしているときの「私の気持ち」を想像することができない。
そういう想像力の弱い人間であっても、「死んだ私」を想像すること抜きには、「いまのリアリティ」を確保することができない。
想像力がないために「今の私」とはまったく別の人間となった「私」を想像できない人間が想像する「死んだ私」というのは、「今の私のままの人間が死んだときの私」である。
それは成長も経験も出会いも変化も加齢も何も起こらない「無時間的な人生」が終わる瞬間の私である。
「無時間的な人生」というのは論理矛盾だが、ひとつだけそれを具体化できる契機が存在する。
自殺である。
自殺というのは「今の私」という無時間的存在者が、「今の私ならざるもの」へと私を拉致し去るかもしれない時間を支配し返すための唯一の方法である。
わかりにくくてすまない。
とにかく、「今の私」のままで「私という物語」を最後まで読み終えたいと願う人間には、自殺という方法がある。
あるいは、自殺という方法しかない。
それゆえ、「今の私」であることに固執し、かつ「今の私であることのリアリティの希薄さ」に耐えられない人間は、「今の私のまま死んだ私」という想像的消失点を立てることでかろうじて、今の無意味さと非現実性に耐えることができる。
だから、自殺サイトが繁昌する。
逆説的な話だが、「今この瞬間とやりすごすためには、自殺することを想像するしかない」という事況は「よくあること」なのである。
それは想像力の不足がもたらす出口のないループである。

投稿者 uchida : 18:28 | コメント (5) | トラックバック

2005年11月07日

la nuit violente en France

フランスで移民系の若者たちによる暴動が27日から続いている。
5日夜から6日未明にかけてフランス全土で1300台の車両が燃やされ、パリでも3区、17区で十台ほど自動車が燃やされた。
パリ西郊のエヴルー市ではショッピングモールが襲われ、覆面をした若者たちと警官隊の間で乱闘があり、負傷者が出た。
もっと詳しいことを調べようと『リベラシオン』を読んでみたが、政府もまだ事態をじゅうぶんには把握していないようであるし、警察による実力行使以外にはとりあえず打つ手がないようである。
日頃は対立関係にあるヴィルパン首相(日本の新聞は「ドビルパン」と表記しているが、フランスの新聞ではVillepin)とサルコジ内相も二人三脚で国内情勢の沈静化に必死ある。
『リベラシオン』にはマクドナルドに工事車両が突っ込んで店舗が破壊されたという記事も出ていた。
いつこういうことが起きてもおかしくないくらいにフランスの移民の若者たちのフラストレーションは鬱積していた。
6000万人のフランス人口のうち500万人がイスラム系移民とその子孫たちである。
その多くは北アフリカから移民してきた。
彼らがフランスに何を求めて来たのか、私は知らない。
就業機会を求めたのか、市民的自由を求めたのか、ヨーロッパ文化に浴すことを求めたのか、あるいはまったく何も求めず、絶望的な気分のままやってきたのか。
いずれにせよ、来てみたらあまり「いいこと」はなかった。

フランスは階層社会である。
階層社会でも、階層格差を表示する指標として重視されるものはいろいろある。
例えば、アメリカではそれは「年収」である。
「貧しいけれど教養はある」人間と、「教養はないけれど金はある」人間とでは、後者の方が社会的利得に浴する機会が多い。
フランスの階層格差の識別指標は「金」ではない。
もちろん「金」も重要な差異化の指標だけれど、それ以上にヨーロッパでは「文化資本」と「家柄」が階層間の「壁」を構築している。
むしろ、「文化資本」と「家柄」によって構築された「強者たちのネットワーク」が権力、情報、財貨の占有を可能にしていると言った方がよいだろう。
スタートラインにおいて「社会的弱者」に類別された者がフランスで社会的に上昇する方法は基本的には三つあり、たぶんこの三つしかない。
(1)「一代目」がまず金を儲ける。「二代目」に高等教育を受けさせる。「三代目」が豊かな財貨と潤沢な文化資本に恵まれて育ち、婚姻関係によって「上流階級」に仲間入りする。
(2)死ぬほど勉強してグランゼコール(エリート養成校)に入り、権力のイデオロギーを100%内面化した「出世主義者」になる(あるいは「なったふりをする」)。
(3)俳優か歌手かサッカー選手か作家になる。

(3)以外の選択肢がイスラム系の移民にとって郊外の団地(HLM habitation a` loyer mode´re´ 低家賃住宅)から逃れ出るためにはたいへんに高いハードルである理由は、それがフランス社会が「価値あり」とするものに同意署名することを要求しているからである。
19世紀末に東欧やロシアから流入してきたユダヤ系の移民たちは、この問題にそれほどは苦しまなかった。
ユダヤ人たち自身がフランス革命によって被差別状態から解放され、市民権を賦与された「革命の受益者」だっただからだ。
だから、ユダヤ系移民からはブランシュヴィックやプルーストやアロンやレヴィ=ストロースやレヴィナスのようなフランス文化の「精華」が続々と生まれた。

イスラム系の移民たちの場合には19世紀のユダヤ人のようなかたちでの「同化」を期待することはできないだろう。
フランスから特に受益した記憶がないからである。
アフリカ植民地にいた時代については、宗主国民に搾取され弾圧された記憶が、移民として移住してきたフランスでの生活については、フランス人に差別され収奪された記憶しか残っていない。
加えて、マイナスの条件がもうひとつある。
彼らに先行して「同化」の努力に孜々として勤しんで、それなりの国民的貢献を果たしたユダヤ系フランス人たちを、当のフランス人たちが獣を追い立てるような仕方で悪魔島やアウシュヴィッツへ送り込んだことを誰も忘れていないということである。
フランスは移民の受け容れにおいて過去に取り返しのつかない重大な失敗を二度も犯した(ドレフュス事件とヴィシー政府のユダヤ人狩り)。
フランスの国是に衷心から同意した移民でさえ「あんな目」に遭ったという歴史的経験は「ホロコースト」以降の移民たちにヨーロッパの国々への「同化」の意欲をつよく損なってきただろうと私は思っている。

フランスでは「同化」しない限り、社会的上昇のチャンスはほとんどない(「同化」してもチャンスは少ないが)。
そして、「同化」を促進するようなモラル・サポートはフランス社会の側にも移民たちの側にもほとんど、ない。
結果的に若いイスラム系の移民たちは、フランス人の提示するロールモデルに従って自己改造する意思を持たず、むしろ彼らが見たことも触れたこともない(その言語さえもう話すことができない)アフリカの民族的伝統や価値観に固執することでかろうじてプライドを維持しようとしてする。
このようなエスニック・アイデンティティの維持がもしかなりの程度有効であったならば、今回のような暴動は起きなかっただろうと私は思う。
ここまで問題が深刻化したということは、「フランス社会への同化」に対抗して立てられた「エスニック・アイデンティティ護持」という移民側の「自前のポリティックス」がもう実効性を持っていないことがあきらかになったということを意味している。
イスラムの信仰を守り、イスラムの習俗を堅持し、フランス的価値観を峻拒し、植民地主義的収奪の弱者として宗主国の倫理的責任を糾弾し続けてフランス社会内部にとげのようにささった「異族」としてあえて告発者の立ち位置を維持するという「告発のポリティクス」。
それは論理的には整合的である。
けれども、「異族」の若者たちはそれによってあまり幸福にはなれなかった。
正しいけれども、その信奉者たちをあまり幸福にしない社会理論というものは存在する。
「告発のポリティクス」はそのような社会理論のひとつである。
もし、その移民集団にすぐれた政治指導者がおり、自律的な社会制度をもち、宗教教育の機会や民族文化の深化発展の場が確保されており、大規模な「民族系マーケット」や「民族系資本」や「民族系ビジネス」のチャンスがあったならば、集団的な孤立は彼らの状況をそれほど絶望的なものにはしなかっただろう。
けれども、フランスのイスラム系移民社会は現在そのような自律的な「国の中の国」を構成してはいない。
移民たちの側にそのようなものを構成する気があったとしても、フランス政府はそのようなことを決して許さないだろう。
けれども500万人というのは、ノルウェーやデンマークの人口よりも多いのである。
ほとんど「一国」規模の集団なのである。
その人々が移民した先の国に同化することを禁じられ、民族集団として自律的に立ち上がることも禁じられているという「出口なし」の状況に集団的に追い込まれている。
どういう効果的な解決法があるのか。
私には想像がつかない。

投稿者 uchida : 11:49 | コメント (4) | トラックバック

2005年11月06日

大峰山炎上

大峰山のことを書いたら、この入山運動の支持者がかかわったサイトがすでに「炎上」しているということを教えて頂いた。
この入山の計画を立てたのは伊田さんという大学の先生で、その人が起草した天川村への質問書というのは次のようなものである。
http://blog.livedoor.jp/open_eyes/archives/50162214.html
まずそれを読んで頂きたい。
ここに転載してもよいのだが、私のブログに「こんな文章」を載せたくない。

お読み頂けただろうか。
この質問書を作った人はそれによって何らかの批評的行為をしていると思っているのだろう。
だがこんな質問書をつきつけられた天川村の人たちがどんなふうに気持ちを損なわれたのか、少しは想像力を働かせることはできなかったのだろうか。
この質問書の内容以上に私はこの文体につよい違和感を覚えた。
ここに横溢するのは「他人を見下した態度」である。
あるいは、口達者な中学生が寡黙な同級生を取り囲んで「笑いもの」にするときの病的な執拗さにも似たものである。
そういう口調が効果的な政治的場面もたしかにあるかもしれない。
けれども、性的禁忌やジェンダー規範と宗教性のような重要な人類学的論件を扱うときにこのような文体を採用することを私はすこしもよいことだと思わない。
この入山運動にかかわったサイトが「炎上」中である。
私はそれを当然だと思うと同時に、困ったことになったと思う。
フェミニズムはいま末期的状況にある。
これは繰り返し申し上げている通りである。
ある種の人権主義や市民派も相当に風向きが悪い。
それは、これらの社会理論が「弱者が『政治的正しさ』をかざしてふるう権力」に対する倦厭感を私たちの社会に瀰漫させたことに原因がある。
いずれ、この倦厭感はこれに類する無思慮な言動をきっかけにして「暴発」することになるだろう。
私がおそれるのは、そのときにフェミニズムや人権思想や市民主義のもたらした「最良の成果」が、「産湯と一緒に」棄てられてしまうのではないかということである。
守るべきものは守らなければならない。
そのためには、フェミニズムやジェンダー理論のうちで「放棄してもよいもの」と「守り抜くべきもの」を識別する作業を誰かがやらなければならない。
それは彼ら自身の仕事だろう。
大峰山の入山運動のようなものはフェミニズムやジェンダーフリー論の死期を早める以外のどのような政治的効果ももたらさないものである。
このような行動についてはきびしい内部批判を加えることこそがこれまでそのような社会理論をかかげて発言してきた人々の知的責務ではないかと私は思う。

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2005年11月05日

性的禁忌について

昨日の毎日新聞にこんな記事があった。
「修験道の根本道場として知られ、約1300年間女人禁制が続く奈良県天川村の大峰山(山上ヶ岳)の登山口で3日、全国の性同一性障害者ら約30人が、入山を認めるよう地元住民に求めた。初の試みで、住民の反対でこの日の登山は断念したが、改めて話し合いの場を持つことで合意した。」
戸籍上は男性だが、女性として生活しているという入山希望者のひとりは「さまざまな性のあり方を考えるきっかけにしたい」と言っている。
地元の人は「女人禁制は女性差別ではなく先人たちが守ってきた伝統。住民は行者の世話で生活してきた。寺や地元の合意ができるまで待ってほしい」と語っている。
「だんじり」についても先日似たような記事を読んだ。
すべての「だんじり」に女性が乗ることを認めよと訴えた本を書いた人がいて、岸和田の「だんじり」関係者を代表して、江さんが毎日新聞のインタビューに「岸和田では女性の参加は想定していません」と答えていた。
つねづね申し上げていることだが、私はこういうかたちで「性差別の撤廃」を謳う人たちに共感することができない。
彼らが何を求めているのか、正直言ってよくわからないからである。
大峰山に行かれた性同一性障害者のひとびとが修験道を修業して行者としての宗教的境位に達したいと望んでいながら、それが性的条件によって構造的に禁じられていることを嘆いているというのなら話はわかる。
「だんじり」の大工方とか前梃子になって「やり回し」に生き死にを賭ける「お祭り人生」を熱望している岸和田の少女が、祭りのためなら仕事も休む肋骨の二三本覚悟の上だと誓言するなら、江さんだってその純情に心を動かされることだろう。
「女人禁制」は「聖なるもの」についての禁忌である。
性的禁忌は「聖なるもの」を守るために採用された擬制である。
擬制であるということは、その人類学的機能を果たすものであれば、「なんでもいい」ということである。
とりあえず人間たちの共同体では「聖なるもの」への畏怖をあらわす社会的みぶりとしていくつかの禁忌を列挙した。
選ばれたものは世界中どこでもそれほど変わらない。
禁忌となるのは人間たちの世界に「いさかい」や「競争」や「嫉妬」や「羨望」をもたらすものである。
「聖なるもの」は共同体の紐帯を強めるために制度化されたものであるから、禁忌の対象として、共同体を解体しかねない力をもつものが選ばれる。
だから、「欲望」(性欲、食欲、物欲など)を解発する力をめぐって禁忌が構築される。
儀礼において最優先するのは「聖なるもの」に対する畏敬の念であり、それに尽くされる。
性的禁忌が「聖なるもの」を強化し、共同体の紐帯を強める上でどれほど有効であったのか、私にはよくわからない。他の全ての条件を同一にして、性的禁忌のみを解除した場合に「何が起きたのか」を知る方法がないからである。
もっと有効な方法があれば、古代の共同体はそれを選んでいただろうし、これから先の共同体が性的禁忌に代わる新しい方法を思いつけば、それを採用するだろう。
人間はそのようにして儀礼を作り育て、また廃絶してきたと私は考えている。
人類学的に言えば、ある共同体を基礎づけている宗教的な儀礼を否定する場合には、それに代わって、その共同体を一層堅牢なものとして基礎づけるような儀礼を「対案」として提示すべきである。
対案の提示をなさないままに、ある共同体に向かって「お前たちが維持しているのは陋習であるから停止せよ」と告げるのはかなり自己中心的なふるまいとみなされる。
世界には無数の「陋習」があり、無数の性的禁忌がある。
そのひとつひとつに向かって「愚かな真似はやめなさい」と告げて回ることそれ自体が「啓蒙的」な実践たりうると私は思わない。
「啓蒙的」であるためには、つねに「陋習」に代わる、より汎用性の高い、より実効性のある別の「擬制」を提示しなければならないと思うからである。

大峰山の入山希望者たちが、修験道に志し、大峰山の聖性につよく惹かれているにもかかわらず、その性的条件ゆえに入山を拒否されているのだとしたら、この禁忌は修験道の本旨に照らして懐疑せられてよい。
けれども、この入山希望者たちがこの行動をつうじて大峰山をいっそう聖化することを望んでいるということは、この記事からは伝わってこない。
そうだとすると、この人たちは、自分たちの奉じる社会理論の正しさを宣言することの方を、大峰山の共同体の信仰を否定することよりも優先させているということになる。
「性に関わるあらゆる禁忌が廃絶された社会」の到来がもたらす福利は、山村の一共同体の古代的信憑が地元民たちにもたらしている人類学的価値を凌駕してあまりある、というふうに考えているのかも知れない。
だが、もしそうだとするとこの人たちは深甚な論理矛盾を冒していることになる。
それは大峰山が現在も「女人禁制」を維持している例外的な地のひとつだからである。
つまり、地元の人々は性にかかわる「少数派」儀礼を守っている集団なのである。
「性にかかわる少数派儀礼を守っている集団」に向かって、「性にかかわる儀礼は全社会で斉一的に『正しいもの』でなければならない」と宣告する人々がいる。
これは政治的構図としては(賛成はできないが)理解はできる。
私に理解できないのは、ここで彼らの「政治的正しさ」を担保しているのが「性にかかわる少数派的あり方を守っている〈個人〉に向かって、性的ふるまいは全国斉一的に『正しいもの』でなければならないと強制することは正しくない」という社会理論だということである。
自分自身の主張が自分自身の論拠と背馳していることにどうして彼らは気づかずにいられるのだろう。
それが理解できない。

投稿者 uchida : 23:42 | コメント (3) | トラックバック

2005年11月04日

オリジナリティについての孔子の教え

2年生の文献ゼミのお題は「のま猫」問題。
「『のま猫』って何?」というご期待通りのリアクションをしてしまった。
これについては詳細な報告がネット上でお読み頂けるようなので、それをご参照いただくとして、要するに、「2ちゃんねる」上で活躍していた「AA(アスキーアート)」(「顔文字」というやつですけれど、これも知らない人にはまったく想像がつかないものでしょうね)の「ネコマンガ」をエイベックス社が商標登録してしまったために2ちゃんねるを発火点にして抗議の運動が起き、結果的にエイベックスが商標登録を断念した・・・
というのも説明になっていないけれど、とりあえずそういうことです(これに「恋のマイアヒ」という楽曲が絡んでいるのであるけれど、話がややこしくなるので割愛)。
ここには「オリジナリティとは何か?」という大きな問題が伏在している。
まず前提的なことを申し上げるけれど、繰り返し申し上げている通り、私は「オリジナリティ」とか「コピーライツ」とか「オーサーシップ」ということについては原則的に懐疑的な人間である。
ある意味で私たちが日々作り上げているすべてのものは先行する何かの「コピー」である、というのが私の持論である。
別に持論と言ってオリジナルを誇るほどのことではなく、孔子が今から2500年前に「述べて作らず」(私の申し上げることは先人のコピーであってオリジナルではありません)と宣言しているので、私はそれをコピーしているだけである。
「それだったら何も新しいことは出てこないじゃないか」
といきり立つ方がおられるかも知れないけれど、それは短見というものである。
逆説的なことであるが、「オリジナル」なものの多くはその初発の形態において「コピー」というかたちを取るのである。
「これはコピーです」という恥じらいをもって提示されるものは「これはオリジナルです」といばって提示されるものよりもほとんどの場合オリジナリティにおいて勝っている。
「オリジナルであろう」とする気負いはその人の蔵する真に前代未聞なるものの湧出を妨げる。むしろ気楽に「これ、コピーです」と言って差し出されるもののうちにしばしば恐るべき「斬新さ」が棲まっているのである。
こういう逆説は長く生きているとしみじみ骨身にしみるのであるが、お若い方にはなかなか得心がゆかないかも知れない。
孔子がどうして「述べて作らず」ということを言ったかということについては『街場のアメリカ論』に縷々記したけれど、未読の方も多いであろうから、その箇所を摘要しよう。

『孔子伝』に白川静先生はこう書いています。
「過去のあらゆる精神的遺産は、ここにおいて規範的なものにまで高められる。しかも孔子は、そのすべてを伝統の創始者としての周公に帰した、そして孔子自身は、みずからを『述べて作らざる』ものと規定する。孔子は、そのような伝統の価値体系である『文』の、祖述者たることに甘んじようとする。しかし実は、このように無主体的な主体の自覚のうちにこそ、創造の秘密があったのである。伝統は運動をもつものでなければならない。運動は、原点への回帰を通じて、その歴史的可能性を確かめる。その回帰と創造の限りない運動の上に、伝統は生きてゆくのである。」
(・・・)
孔子の「述べて作らず」(私はコピーしているだけで、オリジナルではありません)という立ち位置のうちに、国家の伝統の「創造的回帰」の秘密があります。孔子は遠く紀元前六世紀にその秘密をみごとに道破してみせました。それは「国の起源の栄光」なるものは、「あの黄金時代はもう失われてしまった」という泣訴を発する人によって遡及的に創造されるものだということです。
「周公の理想」というのは、はっきり言えば、孔子の「作り話」です。孔子以前にはそのようなものをありがたがって回想する人なんか魯の国にはいなかったのです。それを孔子が出てきて、「かつて理想の統治が行われていたのに、それはもう失われ、現代の政治家はすっかり堕落してしまった」と苦悩してみせたら、みんなも「それ」がかつてあったということを信じ始め、そのうちに「それ」が失われたことを孔子ともども嘆くようになったのです。

白川静先生はここで「無主体的な主体の自覚」という言葉を使っておられるけれど、こういう言葉は白川先生くらいの達人にならないとなかなかさらりと口を衝いて出てくるものではない。
創造の力は、「私は創造の主体ではなく、模倣者である」という名乗りによって担保される。
これは洞見である。
ロラン・バルトが「作者の死」で言おうとしていたのも、おそらく本質的には同じことである。
このことから私たちが引き出しうる知見はいくつかある。
そのひとつは「軽々に『創造者』を名乗るべきではない」ということ。
これはエイベックス社の方にはぜひ拳々服膺していただきたいことである。
もうひとつは、「模倣者は模倣をつうじてしばしば前代未聞のことを作り出している」という「創造の秘密」について熟考することである。

『文學界』の11月号に「インスピレーションの範囲—小池昌代さんの「創作」をめぐって」という論考が掲載されていた。
著者は片岡直子さんという現代詩人である。
その論の趣旨は小池さんの詩には「他の詩人の先行作品を連想させるものが含まれていた」というものである。
私は現代詩のことはまったく不案内であるので、この論の当否については判断を留保しなければならない。
しかし、小説については多少のことはわかる。
小池さんの小説について片岡さんはこう書いている。
「私が小説を書く時、身内から自然に立ち昇ったフィクションではなく、無理して虚構を組み立てると言葉数が多くなり、削ることがよくある。小池さんの小説はそういう箇所がとても多く、そのまま残されている。じっくり読むと表現の重なりや繰り返しが多く、全ての字面を追うことが苦痛になる。平田さんが、六行でさらっと描いたところを、これは私の表現・・・と、自分に信じ込ませるため、行数を積み重ねているように見える。」
平田俊子さんの詩集の一節と小池さんの小説の中の描写が似ているというのである。
煩瑣になるので割愛するけれど、小池さんの小説の17行(432字)が平田さん6行の詩(72字)を「自分の表現と信じ込ませるために行数を積み重ねた」ものとする推論にはいささか無理があるように私には思われる。
引用された詩の内容は母親が娘の日記や私信をこっそり読むというものである。
次のような詩である。

 四十代のこの人は
 娘の日記をこっそり読んで
 娘に来た手紙を勝手に開けた
 娘が幸せにならないように呪いをかけた
 呪いは実によく効いたので
 娘は毎日頭痛で悩んだ

もし、「母親が娘の日記や私信をこっそり読む」という場面を構想したことが平田俊子の発明であり、そのような状況設定やそのような経験によって人間がこうむる傷について書くことを「平田さんが、六行でさらっと描いたところ」を敷衍しているというふうに批判されるとしたら、おそらく多くの小説家が同じ批判を甘受しなければならないだろう。
だが、平田さんが2004年刊のこの詩を書くより前に、母親が娘の日記や私信を開封して、娘の幸福を阻害したというエピソードを書いた作家はおそらく千人はくだるまい。
ほとんどの人が読んで同じ印象を受けたと思うが、平田さんの引用した詩の「きかせどころ」は「呪い」と「頭痛」の相関という呪術的な身体感である。
小池さんの小説の問題とされた箇所には「呪い」の話も「頭痛」の話も出てこない。
「娘の日記や私信を読む母親」というのはある意味では定型的な過干渉のありようである。それが「呪い」やその実効にまで達したというところに「詩興」はあるのではないかと私は素人ながら思う。
なぜ、小池昌代さんがほとんど定型的な状況設定をしたこと(「手紙といえば、山子は思い出すのだが、死んだ母が、山子の手紙を片端から読んでしまうことひとであったことを。」『ニギヤカな岸辺』)がことさらに剽窃の批判を受けなければならないのか、私にはよく理路がわからない。
小池さんが(おそらくは片岡さんの批判を意識して)書いているように、表現というのは「過去に書かれた多くの詩や様々な表現と、根元のところで繋がりながら、その厚みの先端のところで華開いた状態をいうように思える」という理解はごく常識的なものだろう。
小池さんのこの状況設定が定型的なものであるという指摘になら私は同意する。
けれどもそれが創作の範囲を逸脱しているというふうには思わない。
村上龍はかつてすべての小説は「人間が穴に落ちる」「穴からはいあがる/穴の中で死ぬ」という話型でできていると道破したことがある。
そうだろうなと私も思う。
だからといって作家には独創性がないというようなことは言っても仕方がない。
文学史が教えるところではランボーの『酔いどれ船』は海なんか見たことのない田舎の少年が南洋物の三文小説を読んで書いた想像の風景である(ランボー少年が読んだ雑誌の記事も今では知られている)。
それをネタにしてランボーは「行数を積み重ねて」、奇妙な船の詩を書いた。
私たちが文学作品について判断基準にすべきなのは、それが何を模倣したのかとか、何をネタにしたのかということではなく、何を書いたかということだろう。
エヴァリーブラザーズの『キャシーズ・クラウン』とビートルズの『抱きしめたい』はコード進行がほとんど同じである。(と書いた翌朝起きて、『キャシーズクラウン』とコード進行が同じなのはI should have known better だったことを思い出した。謹んで訂正させていただきます。でもI should have known better の邦題って何でしたっけ?「後悔先に立たず」じゃないし、「サルのアトヂエ」でもないし・・・)
でもそのことが『抱きしめたい』(ここもご訂正ください)の音楽的価値を損なうと思っている人はいないだろう。
私はどちらの楽曲もそれぞれに愛している。
「それでいいのだ」と孔子は教えている。

さらに注:上に「抱きしめたい」じゃなくて、I should have known better だと間違いに気づいたのは「朝起きて」と書いたけれど、厳密に言うと、朝起きて出勤する前に確認のために(このへんがけっこう学者)、大瀧詠一・山下達郎ご両人が1981年にNHKFMで放送された「エヴァリーを歌う」のテープを聴き直して、確認したのである。
その中でCathy's clown とI should have known better のコード進行の一致について大瀧詠一師匠がご指摘されている。
「これを盗作とかね、そういうさびしい言い方をして欲しくないね」
と師匠はおっしゃっておられる。
テープを聴いて間違いに気づき、訂正したところでほっとしてメールチェックをしたら、何ととの大瀧先生ご自身から「from 仙人」というタイトルで、私の間違いをご指摘するメールが届いていた。
「『抱きしめたい』じゃなくて、『恋する二人』です」
おお、そうでした、先生「恋する二人」ですね。

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2005年11月02日

弱法師のランドマーク

ひさしぶりに連続して下川先生のお稽古に通う。
『天鼓』のお仕舞いを「おしまい」まで浚う。
つまみ扇、雲扇、枕扇と、扇を多用し、お水をじゃばじゃば頭から浴びる型あり、飛び返り(実際には飛ばせてもらえないが)が二度もあり、たいへんにカラフルで忙しい舞である。
一通り舞って汗をかく。
よく覚えてきましたね、と先生にお褒めのことばをいただく。
実は私はこういう「型」ものを覚えるのは子供のころから得意なのである。
続いて『弱法師』の謡。
これは説教節「しんとく丸」、文楽の『摂州合邦ヶ辻』、歌舞伎の『摂州合邦辻』などさまざまなバリエーションをもつディープ大阪の不思議な因縁物語である。
ほかの物語はかなりおどろおどろしいが、能の『弱法師』はどちらかというとシックな仏教説話。四天王寺の籬の梅の香や、境内から見える難波の海の夕景など盲目の俊徳丸が見えるように描き出すところがたいへん文学的な名曲である。
私たちはいま「天王寺」というと、「ミナミ」という地名を連想し、ただちに「わしがミナミのマンダだす。うちとこの利息ちいときつうおまっせ」と煙草の煙を吹き出すシルクシャツ姿の竹内力を連想してしまうという出口のないループに幽閉されているが、もともと四天王寺は聖徳太子建立の、本邦最古の寺院であり、浄土教におけるメッカのような聖地だったのである。
室町時代の大阪は「上町台地」という南北にかまぼこ状の台地があり、その西端は海岸線であったという。
その上町台地の南の端の丘陵の上に四天王寺がそびえ立っていた。
つまり、海路日本に到着したとき、大阪湾に入ってまず目に入ったのがこの堂々たる伽藍の屋根だったのである。
いわば、ニューヨークにおける「自由の女神」のようなランドマークだったわけですね、四天王寺は。
その台地が西に急峻な坂となって海に落ちたその海岸線が今日の松屋町筋(「まっちゃまちすじ」と読む)。
そののち台地の北端に石山本願寺が出来て、ここに浄土信仰の二大カテドラルが台地の南北に峨々として屹立することになったのである。
石山本願寺はのちに信長に攻め落とされ、やがてその跡地に秀吉によって大阪城が築城されるのだが、それはまた別の話。
重要なのは、大阪というのは、もともとは上町台地までが陸地で、あとは海だったということである。
浄土信仰というのはご存じのように阿弥陀如来による救済を信じ、西方浄土への往生を願う信仰である。
だから、人々は西を見るのである。
浄土信仰には「日想観」(じっそうかん)という行がある。
日没をみつめる瞑想行である。
日没をみつめるといったら、やはり海である。
「海が見たい、なんて言い出したのはキミの方さ」
と大瀧詠一師匠も歌っている。
「やっとみつけたよ」
「何を?」
「永遠を」
「それは太陽と溶け合う海だ」(C’est la mer alle´e avec le soleil)
とランボーくんもゴダールさんも言っている。(前日まで「海と溶け合う太陽だ」と和訳しておりましたが、仏文学者がそれでは恥ずかしい・・・)
どなたも日想観をなされていたわけである。
往時の四天王寺西門からはまっすぐ大阪湾ごしに神戸一ノ谷までが見えたそうである。
『高砂』で謡われている通り、高砂の相生の松から大阪湾を挟んだ住吉大社まではかつては文字通り「指呼の間」だったのである。

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2005年11月01日

「下流生活者」たち

『下流社会』三浦展(光文社新書)を読了。
ここで指摘されている貧富への階層分化の趨勢はすでに苅谷剛彦『階層化日本と教育危機』や山田昌弘『希望格差社会』でもおなじみの知見であるが、新たに出現してきた「下流社会」の意外な相貌を三浦さんはクールに活写している。
階層ごとの行動様式の差を戯画化したものにバブル期の傑作、渡辺和博の『金魂巻』がある。若い人はご存じないだろうし、年配のかたはもうお忘れだろうが、「○金」「○ビ」という二分法が80年代末の日本では一世を風靡したことがあったのである。
その伝でいけば、本書のは三分法で、「○上」「○中」「○下」である。
これまで私たちの社会は「上」と「下」はとりあえず脇に置いておいて、自分たち自身の自画像であるところの「中流生活」をアイロニカルに描くことを伝統としてきた。
国民のほとんどが「中」であった時代であれば、マジョリティを標的しないと批評性はたちゆかない。
だが、時代は変わった。
『下流社会』は「下」をターゲットにして、その風儀をひじょうに皮肉な筆致で描き出している。
これはこれまでの日本の言説伝統には見られなかったことである。
「貧乏自慢」には百鬼園先生や志ん生の至芸があるけれど、「他人の貧乏ぶりを笑う」というのは、どのような立場の人間がするにせよ、あまり品のよいことだとは思われていなかったからである。
ひとつには「貧しき人々」に対する人道主義的な配慮があったからであるし、ひとつには「社会的弱者はその社会の全矛盾の集積点であり、彼らこそが社会のラディカルな改革の主体となるべきである」という左翼的な社会理論がごく最近まで(いまだに?)支配的な言説の地位を占めていたからである。
人道主義も左翼的社会理論も、ふたつながらに影響力を失ってしまい、かつ「下」が消費文化やグローバリズム・イデオロギーの「主導者」であるという現今の特異な市場編制がおそらくは「下流社会」のクールでリアルな描写を可能にしたのであろう。
その「前代未聞」の仕事の中で三浦さんはいくつか掬すべき重要な指摘を行っている。
これは社会批判として(あるいはメディア批判としても)重く受け止めるべきものだろう。
「下」の趣味として三浦さんが引く統計は次のようなものを挙げている。
パソコン・インターネット、AV機器、テレビゲーム、音楽コンサート鑑賞、スポーツ観戦。
どこか「下」なのか?ちょっと不思議に思えるチョイスである。
三浦さんはこれをこう解説する。
「パソコンというと『デジタルディヴァイド』と言われて、お金のある人は持てるが、お金のない人は持てず、よって所得によってパソコンを使えるかどうかに差がつき、ひいては情報格差がつく、という懸念があった。しかし、今やパソコンは接続料さえ払えば何でも手に入る最も安い娯楽となっており、低階層の男性の最も好むものになっているようである。(・・・)パソコンを所有し、それで楽しむという点では階層差はなく、むしろ趣味がパソコン・インターネットである者は『下』ほど多いというのもまた事実なのである。」(179−180頁)
そして、「下」を表象する「五つのP」を三浦さんは提唱している。
Personal Computer
Pager
Play Station
Pet Bottle
Potato chips
(「ペイジャー」というのはもともと「ポケベル」のことだが、三浦さんは「モバイル通信ツール」というひろい意味でこの語を使っている)。
つまり「下流階層」の肖像として、「パソコンの前に座って、ペットボトルの飲料を飲み、ポテトチップスを食べながら、インターネットをしたり、ゲームをしたり、携帯でメールを打ったりしているという姿が浮かび上がってくるのだ。」(181−2頁)
三浦さんはここで、「彼らは果たして不幸なのか?」という問いを発している。
たしかに日給240円のニカラグアの小作農に比べると、彼らはほとんど「王侯貴族」の暮らしをしていると言ってよい。
客観的条件として彼らは「搾取されている」という説明にどの程度の妥当性があるのか、正直言って私にもよくわからない。
彼らが内的に幸福かどうかは、これはご本人たち次第である。
社会学者は客観的には搾取されていながら、内的には幸福でいられる大衆のありように警鐘を鳴らすが、三浦さんは「それで何か問題でも?」と反問する。
もし「下流」の人々が客観的に恵まれた社会的地位にいないことを受け容れつつ、「その程度の不幸なら瞬間的な盛り上がりやら何やらを介して適当にやり過ごすことができる程度にタフ」(186頁)であるなら、それほど内的には不幸ではないのかもしれない。
ただ、三浦さんが指摘しており、私も危機感を抱いているのは、こうして構造的に発生している「下層民」たちの「やり過ごし」のために企画されている「サッカーワールドカップなど」のメディア誘導型のイベントが過度に「装置化・管理化」されている点である。
先般の総選挙も、そのあとの小泉首相の靖国参拝もある種の「イベント」として功利的に活用されて、若年の「下」たちに強い牽引力を発揮したことは記憶に新しい。
三浦さんも「『下』は自民党とフジテレビが好き」であることを指摘している。
これは数字をお示ししよう。
対象世代は「団塊ジュニア世代」(1973−80年生まれ)。
「上」の自民党支持率は8.3%、民主党支持が16.7%、支持政党なしが75%。
「下」の自民党支持率は18.8%、民主党も同率、支持政党なしが60%。
はっきりと政治意識の階層差がこの世代には現れている。
つまり、階層が下になるほど資本主義的な、競争原理と市場原理、つまり社会的弱者である当の彼ら自身を排除と収奪の対象としている体制をより好むという倒錯が生じているのである。
なお、この統計で用いられている「上」とか「下」とかいう分類はあくまで自己申告による階層区分である。
「あなたの生活レベルは世間一般に比べてどのくらいですか?」という質問に「上」と「中の上」と答えた階層を「上」、「中の中」を「中」、「中の下」「下」と答えた階層を「下」に類別している。
だから、年収800万円で「中の上」だと思っている人もいるだろうし、「中の中」だと思っている人もいるだろう。
階層意識というのはかなりの程度まで主観的な問題なのである。
ジェンダー意識についてもたいへん興味深いデータが示されている。
「男は男らしく、女は女らしくあるべきだ」に「そう思う」と答えたものは「上」で29.4%、「下」で16.2%。
つまり「ジェンダーフリー」的な社会理論は社会的に「下」の階層で支持されているということである。
これはこれまでのフェミニストの考え方とはずいぶん隔たっている。
高学歴で、専門性の高い仕事をして、高収入であるような「勝ち組」の女性の方が、家事手伝いやフリーターの女性よりも「ジェンダー的因習」に対する容認度が高いのである。
これはなかなか興味深い事実である。
社会的に「下」の階層でむしろジェンダー規範が弛緩しているのは、権力、財貨、情報、社会関係資本などを「重要な価値」とみなす支配的なイデオロギーを内面化する傾向はむしろ「下」において強いということを意味しているだろう。
つまり「金がある」ということを無条件に「偉い」みなす人間は、男女の性差よりも「勝ち負け」の階層差の方をむしろ意識するということである。
それが父権制イデオロギーが解体してジェンダーフリーが達成された徴だと言祝ぐフェミニストはおそらくいないだろう。
けれども、繰り返し言っているように、「男女に均等な成功機会を」という提案は、「成功」(端的に言えば「金があること」)こそが至上の価値であるという支配的なイデオロギーに同意することを意味している。
そのようなイデオロギーに軽々に同意してよろしいのだろうかという懸念を私は何度も語ってきたが、あまり賛同の声が得られない。
とりあえず、ある種の「ジェンダーフリー」が現在の支配的イデオロギーをもっとも深く内面化した階層において実現したという統計的事実は記憶しておこう。
もう一つ、これもこれまでに何度か書いてきたことだが「自分らしさ」ということばがキーワードになっていることが「下」の特徴だということである。
団塊ジュニア世代で「個性・自分らしさ」をたいせつだと考えるものは、「上」で25%、「下」で41.7%。「自立・自己実現」は「上」が16.7%、「下」が29.3%。「自由に自分らしく生きる」を人生観として選んだのは、「上」が58.3%、「下」が75.0%。
つまり、下層の若者の方が「個性」や「自己実現」に高い価値を賦与しているのである。
三浦さんはクールに「そうした価値観の浸潤が、好きなことだけしたいとか、嫌いな仕事はしたくないという若者を『下』においてより増加させ、結果、低所得の若者の増加を助長したと考えることができる。」(160頁)と書いている。
私も同感である。
マルクスは『フランスにおける階級闘争』において、客観的にもっとも収奪されていながら、主観的に彼らを収奪する体制イデオロギーにもっとも深く親和している階層を「ルンペン・プロレタリアート」と呼んだ。
レーニンは『帝国主義』において、自らは収奪されている労働者でありながら、植民地住民からの収奪の余沢に浴しているせいで、資本主義イデオロギーを支配階級以上に深く内面化してしまった社会階層を「ブルジョワ的プロレタリアート」と呼んだ。
マルクス、レーニンのような天才でさえ階級理論との不整合にてこずって「別のカテゴリー」を作ってそこにねじ込まなければならなかった社会階層に似たものが現在の日本に発生しているのかも知れない。
21世紀の社会理論家たちは彼らを何と名づけることになるのだろうか。


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