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2005年10月31日

演武会打ち上げと甲南麻雀連盟第二回例会

学祭演武会二日目。
今日は人数が多い。
ゲスト招待演武は東大気錬会からのぶちゃん、Pちゃん、(タカオはお休み)。
甲南合気会から社長、ドクター、タニオさん。
OGはヤベッチとクーさんとセトッチとスミッチ(涙の負傷退場)。
歴代主将も九代かなぴょん、十代エグッチ、十二代ヤベッチ、十三代ウッキー、十四代なおたろう、十五代(当代)白川主将まで、お休みの十一代のシオちゃん以外は顔が揃った。
よいことである。
「合気道部に引退はない」
のである。
「入り口だけがあって出口のない世界」というのは倒錯系の趣味についてよく言われることであるが、合気道もその点では変わらない。
演武数30余、総演武時間2時間というたいへんに長い演武会であった。
長くなった責任は私にあって、師範演武、前日はちゃんとできなかったので、二日目は「いや」というほど延々とやらせて頂いた。
20分近くやっていたのではないかしら。
受けに何度も呼ばれたPちゃん、最後の方は気息奄々というありさまであった。すまないことをした。ごめんね。
その後てきぱきと後かたづけをして、午後6時頃よりわが家で恒例の打ち上げ。
総勢30名余。
今回は羽鳥さんから誕生祝いに頂いたシャンペンのマグナムボトル(3リットル)があったので、それをみんなでくいくいと頂く。
前回、「肉気が多くてデンプン質が少ない」という反省があったせいで、今回の一品もちよりは「デンプンもの」持参者が多く、膨満感においてかつてない満足感をもたらした。
全員満腹後、なおたろう撮影の「演武会ビデオ」鑑賞会。
かなぴょんの「納得の笑顔」とヤベッチの「足のもつれ」とクーの「自嘲の笑い」がたいへん好評。九代の諸君がステージ・エフェクトにおいて一日の長があることを痛感させてくれた。
合気道部杖道会の部員諸君、招待演武のみなさん、ほんとうにどうもありがとう。
まことに愉快な演武会でした。

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明けて日曜は一月ぶりの下川先生のお稽古。
稽古不足のウッキー、I田先生、O西さん、そして私が特訓に呼ばれた(ドクター佐藤は特訓の要のない模範生なのだが、こういうときもちゃんと寸暇を惜しんでお稽古に来る偉い子なのである)。
一月ぶりの仕舞のお稽古なので、『天鼓』の仕舞の全体の4分の3くらいを一気に仕込まれる。
40分ほどびしばししごかれて、汗びっしょりになる。
ふう。
それから『弱法師』の謡のお稽古。
こちらはテープでちゃんと稽古していたので、おとがめなし。
ドクターの『芦刈』の地謡をつけてから、ソッコーで帰宅。
夕方から甲南麻雀連盟第二回例会が開かれるのである。
参加メンバーは、オリジナルメンバーのドクター、江さん、そして釈先生。
みなさん、お忙しい身のはずなのであるが、「麻雀やりませんか?」というお誘いメールへの返信はどういうわけか異常に早い。
さくさくとセッティングをしていると定刻にみなさん結集。
会員候補のI田先生も観戦に来られる。
ワイン、チーズ、ビール、ソーセージ、おせんべいなど食料も盛りだくさんで、私以外のみなさんは聴牌のたびにビールのプルリングを引く「テンパイビール」状態。
釈先生ご恵贈の麻雀マットが整備されたために牌積み時間が短縮され、ぱたぱたと半荘四回をこなす。
本日の戦績は江さんが大勝、私が微勝。二回のトータルでは江さんがダントツである。
どうも学者や僧侶や医師のソフィスティケーテッド麻雀は岸和田スタイル「やりまわし麻雀」とは相性が悪いようである。
とはいえ、釈先生の「あー、麻雀て、ほんとにたのしいですねえ」という深い嘆息とともにしぼりだされる感懐に一同深くうなずいたのである。
どうも私の家はしだいに本来あるべき「学究の園」から急速に「娯楽の殿堂」と化しつつあるようである。
こうなったら、いずれは摂津本山の野崎ジローくんにも参戦していただき、30年ぶりにあの伝説的な負けっぷりのよさをご披露願いたいものである。


投稿者 uchida : 00:06 | コメント (1) | トラックバック

2005年10月28日

秋の演武会とエビオスの祟り

大学祭が始まった(といっても今日明日の二日間)。
恒例の合気道部・杖道会合同演武会を行う。
人数が多いので、番組をつくるのが一苦労である。
たぶん1991年の学祭が合気道部のデビューだったと思う(創部は4月)。
半年しか稽古していない人たちだけで演武会をやったのであるから剛胆というか無謀というか。
以来、途切れることなく今年で15回目。
しかし、世の中何が起こるかわからないもので、私はこれまで学祭のときは「教員はお休み」だと思い込んで、のんびり学祭を楽しんでいたのであるが(だいたい、学祭のときに来ている教師なんかほとんどいない)、実は金曜日はふつうの大学業務が行われており、行政職の先生方はちゃんと会議なんかもやっていたのである。
知らなかったぜ。
例年のごとく12時半開始で演武会日程を組んだのだが、1時から大学院委員会、2時半からは派遣学生の選考があると告知を受ける。
大学院委員会はフケちゃおか・・・と一瞬思ったのであるが、「出席者が少ないので定足数に達しない可能性がありますから、絶対来て下さいね」と、私の邪悪な下心を見通したかのように学長室から繰り返しダメ押しが入った。
では、1時に委員会にちょっとだけ抜けて、また戻ってきて、最後のところの師範演武に間に合えばいいか・・・と思ったら、今回の大学院委員会はたいへん議題が多いのでとても戻れないでしょうと脅かされる。
仕方がないので開始時間を30分早めて、巻きを入れて演武会を進めたのであるが、三分の二ほどしか終わらないところで会議出席の「お呼び」がかかり、仕方がないので、プログラムの途中に急遽師範演武を入れる。
説明も何もなしで、ただ大急ぎでぶんぶん投げておしまい。
汗をしたたらせ道着のまま会議室に駆け込んで、委員のみなさまから「白眼視」(というのはこういうものか・・・としみじみ実感)を浴びる。
演武会の方は私がいなくなったあとみんなが続けてくれたのだが、これだと「出棺したあとに焼香をしている」ような感じで、どうもことの順逆が整わない。
まことに宮仕えは切ないものである。
とはいえ、宮仕えしているからこそ、このような場所で昼間から演武会などして女子大生やOGたちと遊んでもいられるわけで、「いいことばかりはありゃしねえ」(@忌野清志郎)なのである。
明日は晴れてお休みなので、ゲストの気錬会のタカオくん、のぶちゃん、Pちゃんに甲南合気会のドクター、社長。そして、かなぴょん、やべっち、クー、すみっち、せとっち、大西さんなどもどやどやと参加して、たいへんにぎやかな演武会となる予定なのである。
御用とお急ぎのない方は、ぜひ岡田山まで遊びに来て下さい。

数日前に歯茎が腫れたと書いたらいろいろな方からお見舞いメールを頂いた。
ここにまとめてお礼を申し上げたい。
特によくコメント欄に寄稿してくださっているKenさんからは「エビオスとチョコラBBの大量投与」がこの手の病には効きますというサジェスチョンを頂く。
聞けば、エビオスには驚くべき副作用があって「X子がどばどば出る」のだそうである。
「X子」などがどばどば分泌された日には「煩悩の犬」がわんわん啼いてうるさくてかなわない。
とはいえ、歯茎の痛いのは商売に差し支える。
やむなく三日前からエビオスの大量投与を開始する。
本人に自覚症状はないが、私に仮に今後やや「レオン」系の言動が徴せられた場合には、それは「エビオスの薬効」であって、私のパーソナリティとはまったく関係がないということをあらかじめ告知しておくのである。

400万ヒットの前後賞、前回300万のときは前後賞1名からしか名乗りがなかったが、今回はちゃんと全員からオッファーがあった。
ネコマンガ本はこれから順次お送り致しますので、ちょっと待ってて下さいね。

次回は500万。
これは「大台」と申し上げてもよろしいので、「ネコマンガサイン入り本」の他に何か特別プレゼントをご用意しようかと思う。
このペースだと、来春3月頃だろうか。

投稿者 uchida : 19:32 | コメント (4) | トラックバック

2005年10月26日

『街場のアメリカ論』は誰が読んでるんだろう

『街場のアメリカ論』が意外によく売れている。
アマゾンの「社会・政治」エリアで8位。「外交・国際関係」で3位。
「意外に」というのもM島くんに失礼だけれど、やっぱり「意外」。
「外交・国際関係」のチャートをごらん頂ければ、私が「意外」という意味がおわかりになるだろう。
チャートは次の通り
1位「マンガ嫌韓流の真実」(別冊宝島)
2位「韓国人につけるクスリ−韓国・自覚症状なしのウリナライズムの病理」(中岡龍馬・オークラ出版)
3位「街場のアメリカ論」
4位「マンガ中国入門−やっかいな隣人の研究」(ジョージ秋山・飛鳥新社)
5位「驕れる白人と戦うための日本近代史」(松原久子・文藝春秋)
6位「『反日』解剖 歪んだ中国の『愛国』」(水谷尚子・文藝春秋)
7位「がたん ごとん がたん ごとん」(安西水丸・福音館書店)
8位「国売りたもうことなかれ 論戦2005」(櫻井よしこ・ダイヤモンド社)
9位「『ヨーロッパ合衆国』の正体」(トム・リード・新潮社)
10位「新・ゴーマニズム宣言スペシャル台湾論」(小林よしのり・小学館)
7位の安西水丸さんの本は「読んであげるならゼロ歳から」とある福音館の絵本だから、このランクに入っているのは何かの間違いだろう(もしかすると「ゼロ歳から読み聞かせる国際関係論」なのかもしれないけれど・・・まさか水丸さんが、そんな本を)
一瞥しておわかり頂けるとおり、これらはほぼすべてが「愛国本」あるいは「排外本」というカテゴリーに類別可能である。
私の『街場のアメリカ論』も、表層的には「アメリカへの悪口雑言」に満たされているわけであるから、ある種の「排外本」に区分される可能性はあるが、私のもともとの興味は(私自身を含めて)反米的なメンタリティが醸成される日本人の心理の成り立ちかたを分析的に考察することにある。
他の本を読んでいないままに批判的なことをいうのは失礼だけれども、表題を見る限りでは、著者たちが彼ら自身のエクリチュールを無意識的に統御している「不可視の構造」の解析に知的リソースを優先的に備給している場合に採用するタイトルであるようには思われない。
まわりくどい言い方をしてすまない。
要するに、彼らが「他人が間違っていること」を論証するために割いているのと同程度の知的資源を「自分が間違っている可能性」を吟味するために割いているのかどうか、タイトルからは懐疑的にならざるを得ないと申し上げたいのである。
すこしもわかりやすくなっていないが、本を読んでないんだから、これ以上ストレートな物言いは控えねばならない。
いずれせよ、本を買う人たちはタイトルを見ただけで「だいたいこんな本だろう」と当たりをつけて買うわけであるのだから、タイトルをつけた方々が「どういう本であると思わせたがっているのか」についてなら私も判断することが許される。
その上で申し上げるが、「このような思わせ方」をすれば本が売れると本の送り手たちが信じていられる日本の刻下の知的状況を私はたいへん遺憾に思う。
隣邦の各領域にできるだけ多くの知友と支持者を確保しておくことはわが国の安全保障上の要諦であり、国益を増大にもっとも資する政略であると私は信じている。
私のその感覚からすると、これらの「情緒喚起型」の書物がいったいどのような外交的利益を今後私たちの国にもたらすものなのか、私にはほとんど理解が及ばないのである。
このような本ばかりが売れるということは、私のようなタイプの功利主義者は遠からず「非国民」とか「売国奴」とか「中韓の第五列」とか呼ばれるようになるということであろう。
『街場のアメリカ論』を送ったら母から感想のファックスが届いた。
「二日かけて読み終へました。私にもよくわかるアメリカ論でたいへん勉強になりました。『ナルホド・・・』といろいろな疑問が次々と解けて、『ソーユーコトダッタンダ』と胸のつかえが取れたというか眼からウロコというか。私は世界史を戦争中で殆ど勉強していなかったので、とても面白かったです。」
母上、どうもありがとうございます。
79歳になる母が読んで「よくわかる」という感想はありがたい。
『ためらいの倫理学』を送ったときに当時89歳だった父が「なかなかまっとうな考え方だと思います」と書いてくれたこともたいへん心強かった。
「親に読んでもらってご納得いただけるような本」を書くということは私がものを書くときの基本的な条件のひとつである。
それは親たちの政治思想や信教や価値観の「枠内」で書くということではない。
私は両親とは政治的思想を異にするし、宗教についての考え方も違うし、家族観や社会観も必ずしも一致しない。
けれども、人間の個別的で多様なあり方をひろびろと包括する「人間性」という上位の整序があることを私は信じている。
だから私が『街場のアメリカ論』をいちばん読んで欲しいのはアメリカ人にである。
彼らがどういう感想を語るのか、私はそれをぜひ聴いてみたい。
もしアメリカのナショナル・アイデンティティの奇妙な成り立ち方について、少しでも内省的になったことのあるアメリカ人がいれば、この本のうちの何頁かは共感をもって読んでもらえるような気がする(無理かもしれないけど)。

あ、それから今日中に400マンヒットに達しそうですので、「4000000」を踏んでしまった人はその画面を何らかの仕方で保存してください(なんかやり方があるらしいけど、秘書が300万のときに書いていますので、それを読んでね)。わからない方はそのまま画面をプリントアウトしてくださってもいいです。
前後賞含めて3名さまに「ネコマンガ入りウチダ本」お好きなものを贈呈いたします。
たぶん今日の夕方6時頃に400万のカウンターが回るんじゃないでしょうか。
うっかり誤字訂正なんかしているときに自分で踏まないように注意しないとね。


投稿者 uchida : 10:55 | コメント (12) | トラックバック

2005年10月25日

霊的体験とのおつきあいの仕方

平川くんの歯茎のことを書いたら、その同じ箇所に炎症が起きて歯茎が腫れ上がってしまった。
共感呪術みたいだ。
口の開け閉めに痛みが伴うので、舌先三寸商売としてはたいへん困る。

前期卒業式に出て、卒業生の名前を読み上げてから、あわてて「現代霊性論」の教室に駆け込む。
30分ほど遅刻だが、釈先生がそのあいだにニューエイジ・ムーヴメントについて概論的なお話をしてくれたそうである(私も聴きたかった)。
ニューエイジや「精神世界」は「メタ宗教」なのか「もうひとつの宗教」なのか。
釈先生はこれらは「もうひとつの宗教」に過ぎず、既存の宗教を止揚するものではないという立場を取られている。
なるほど。
私は(友人知人に「こっち系」の人が多いせいもあって)、ニューエイジに対してはわりとフレンドリーな立場を取っている。
イルカに触れたり、ヨガや断食や瞑想で霊的な経験をされることを私は人間にとってごく自然なことだと思うからである。
霊が降りてくるとか、悪霊に憑かれるとか、神秘体験をするとか、呪いをかけられるとか、そういう種類の宗教経験は「精神病理」の術語をもちいて「科学的に」説明するか、ある種の詩的幻影のようなものに類別するか、いずれにしても「収まるところに収める」のが近代主義の骨法である。
でも、私はものが「収まるところに収まる」ということがあらゆる場合にベストのソリューションだとは考えていない。
「収まりの悪いもの」がそのへんにごろごろしていても、私は別に気にならない。

つねづね申し上げている通り、どのような理論にとっても「説明過剰」を自制することはたいへん難しい。
その理説が妥当する事例だけに踏みとどまれずに、その理説をむりに適用しなくてもよい事例にまで過剰適用しようとすることで、これまでさまざまな社会理論はその寿命を縮めてきた。
それは畢竟するに「収まりの悪いもの」に対する嫌悪感が過大であることに起因しているように私には思われる。
「よくわからないもの」があってもいいじゃないですか、別に。
「既存のカテゴリーにうまく収まらないもの」は既存のカテゴリーの「刷新」や「改良」を要求する生産的なファクターであって、いささかも嫌うべきものではないと私は思っている。

私自身は自分が奉じている理論(というほどのものもないけど)があらゆる事例をカバーできるなんて思っていない。
だから、その理論ではうまく説明できない事例に出会えば、興味を抱きこそすれ、無視したり、むりやり既知のものと同定したりはしない。

宗教的経験は「よくわからないもの」の宝庫である。
それはさまざまな仮説の生成をうながす栄養豊かな培養基のようなものだと私は思っている。
私がタレント霊術師のような方々を好かないのは、彼らが「話を単純にすること」に固執する点おいて、彼らの対極にある「科学主義者」と双生児のように似ているからである。
たしかに、「水子の祟りです」とか「トイレの方角が悪いからです」とかいうチープな物語に回収されることで救われる人がいることを私は否定しない。
切羽詰れば、人間「鰯の頭を拝め」と言われれば拝むものである。
拝んで治れば、それは正しい治療法だったことになる。
「よくわからないこと」をチープでシンプルな話型に回収することは、緊急避難的には許される。
それは医者が患者に「これで眠れます」とシュガー・コーティングした小麦粉のプラシーボを投薬するのと同じことである。結果的に患者が眠れて健康を回復できるなら、これくらいの嘘は方便のうちである。

だが、「一時しのぎ」はあくまで「一時しのぎ」であり、一般化すべきではない。
それは宗教的体験は「話を複雑にする」ことによって私たちの思考力と感受性のパフォーマンスを上げる絶好の契機だと私が信じているからである。
宗教的体験を(否定するにせよ、肯定するにせよ)「シンプルな話型」に回収するすべての人間に対して私は懐疑的である。

この領域での私の先達は池上先生である。
池上先生は「奇怪なる霊的グッズ」の熱心なコレクターである。
先生ご愛用の「ぐるぐる回るピラミッド」や「チャクラ・オープナー」はいったいどうしてそれが何に効くのか、原理がよくわからない治療具である。
「でも、いいじゃない。効くんだから」と池上先生は笑っている。
池上先生の治療理論はそんなふうに「ドアがあいている」。
「説明できないものは無視する」のでも、「説明できないものをむりやり説明してみせる」のでもなく、「説明できないものは説明しない」という節度が池上先生の思想と技法の科学性を担保しているのだと私は思っている。
池上先生は外国航路の航海士として世界各地で「何がなんだかわけのわからない経験」を山のようにしてきた方である。
その上で、「わからないことがあっても気にしない」とノンシャランスと「経験的に『効く』ことが確かめられたものなら、治療原理がわからなくても使ってみる」というプラグマティズムを身につけられたのだと思う。
そういう中途半端な立ち位置にある人は、中途半端であるからこそ、仮説の提示とその吟味のための実験を厭わないし、実験に耐えない仮説を廃棄することをためらわない。
実験と仮説に対するこの開放的な構えのことを「科学的」というのだと私は信じている。
現代霊性論の授業に一度池上先生においで願って、先生の世にも怪奇な経験の数々をご披露いただき、ついでに学生たちの肩こりや腰痛も治してもらっちゃおかしら。

投稿者 uchida : 11:39 | コメント (2) | トラックバック

2005年10月23日

がんばれ神鋼スティーラーズ

『文藝春秋』に「同級生交歓」というグラビアページがある。
私が子供の頃からずっとあるページだから、ずいぶん息の長い企画である。
小学校の頃、平川君と「いつか『文春』の『同級生交歓』に出ようね」と約束していたのだが、なんでも口に出して言っておくもので、そのオッファーが来た。
最初は温泉麻雀の時に露天風呂で秋空を見上げているカットを考えたのであるが、日程が合わず、平川君が大阪に来ているときに合わせて撮ることにした。
金曜日の教授会後に仕事を終えた平川君が大学に来る。
記者とカメラマンが合流して、研究室で撮るはずだったのだが、だいぶ遅くなったので西宮北口まで迎えに行ってそのまま芦屋のうちの居間で撮ることにした。
「同級生交歓」はご存じのように同窓会の後ホテルのロビーでとか卒業した学校の校門の前とか功成り名遂げた同級生の豪邸のプールサイドとかで撮るものであり、「ミッフィーちゃんのぬいぐるみ」とマンガ本が転がっている狭いマンションの一室で撮るというようなことはない。
「こういうのは例がないです」
と記者くんはいささか途方に暮れていたが、私と平川君はその後三宮に出て晩ご飯を食べる予定があり、こういう状態でイラついている私どもを「前例」とか「常識」とか「世間の手前」とかで規制することはたいへん困難である。
カメラマンに向かって、「一流のカメラマンって、撮るの早いよね」「そう、ほんとに数カットぱっと撮って終わりだね」「だらだらアングルを換えて撮るようなカメラマンに上手い奴いたことないもの」「そうそう」と激しくアオリを入れておいたので、一アングルから十数カット撮っただけで私たちを解放してくれた。
この写真は平川君の泣けるキャプションがついて『文藝春秋』の新年号に出る。
文春のお二人に別れを告げて三宮に出る。
『ミーツ』の江さん、青山さんと神鋼の増保輝則監督とラグビー・シフトでご飯を食べようという企画である。
「源平」からスピンオフした元町の「一慶」というお寿司やさん。
増保さんと平川君は初対面であるが、早稲田出身の平川君は増保選手が現役だった時代の早稲田ラグビー黄金時代に熱心なラグビー・ウォッチャーであったし、前のマンションにいた頃に仲の良かった隣人が「マスホ」さんという方で、この方が増保監督の父方の従兄弟に当たるという奇縁。
鯛、鰹、烏賊などを「美味しい美味しい」とぱくぱく頂き、お酒も飲む。
平川君は前回の江さんの出版記念パーティのときは歯槽膿漏でお酒が飲めなかったが、今回はその治療の過程で歯医者のドリルが歯茎を突き抜けて鼻腔に達し、そこに炎症が展開してえらい状態になっているそうである。
ほんとうに病気の多い平川くんである。
「医者に酒止められてるんだよね」と言って最初はおとなしくウーロン茶なんか飲んでいたが、やがてみんなが飲んでいるのに我慢できなくなって気がついたら燗酒をくいくい飲んでいた。「いいんですか?」と青山さんは心配顔だったけれど、平川君はけらけら笑っている。
ほんとうに丈夫な男である。
江さんのだんじり話、増保さんのラグビー話、平川君の空手話、それぞれの得意エリアの熱い話を酒肴に、青山さんと(途中から参加の「上海熱血OL」何さん(「なに」さんじゃなくて「か」さんね)に注がれるままに酒杯を重ねる。
いちおう病弱な二人ということになっているので、三宮駅頭で増保さんに「日曜日花園まで応援にゆきますね」と手を振って、おとなしく電車のあるうちに芦屋に戻る。
そのまま深更までおしゃべり。目が覚めると朝飯を食いつつおしゃべり。
メールチェックしていたら新宿の朝カルから講演の依頼があった。
「平川君、朝カルでない?」と訊いてみると「いいよ」ということなので、「平川君と対談なら出ます」と返信しておく。
平川君を送り出して昼からひさしぶりに芦屋で合気道のお稽古。
一汗かいてからIT秘書に来てもらってアンチウィルスの手当とPHSの解約手続きをする。
シグマリオンIIというモバイルを2年ほど前に導入したのであるが、これがその前身のシグマリオンと比べてたいへん使い勝手が悪く、そのあとにマックのノートを買ってしまったので結局ほとんど使わないまま「タンスのこやし」となりはてていたのであるが、PHSの使用料だけは払い続けていた。
「あれもったいないですから解約しましょう」という秘書の進言に従う。
なんにでも気のつく秘書である。
秘書は年内に仕事を辞めて、それからしばらくは「IT110番」のようなSOHO仕事をやる予定だそうである。
「インターネットに接続できない」とか「起動しない」とか「ソフトの使い方がわからない」とか、そういう(私のような)「重度のメカ音痴」の困惑を電話一本で駆けつけて解決してさしあげようというIT的にチャレンジドな人々にとっては親身サービスである。
「紹介者のあるクライアント」限定で商売する予定だそうであるから、そのうち「開業」したら、このブログでもアナウンス致します。
私と江弘毅さんと池上六朗先生ご推奨の「IT110番」ですので、その節はどうかごひいきに。
翌日曜はかねてのお約束で花園ラグビー場へ「神鋼スティーラーズvs福岡サニックス」の試合を観戦にゆく。
ラグビーを生で見るのは1974,5年頃に国立競技場で早明戦を見て以来である。
明治に松尾雄治、早稲田に藤原優という時代である。
ゼミ生三人とぞろぞろ近鉄奈良線(今回はちゃんと道案内がいるので間違えない)で生駒の麓の東花園まで行く。
花園ラグビー場の入り口のスティーラーズのブースでカンキくん大迫力くんに会う。青山さんも後から合流される由。
今回は平尾剛史さんにチケットを手配してもらった。S席4000円のチケット3枚を平尾さんから頂く。
お代を払おうとすると、「チームからのご招待です」ということで、全員で「平尾さーん」とすがりつく。

05102301.jpg 花園ラグビー場にて、平尾剛史さんを囲むウチダゼミの人々。

平尾剛史さんは性格はいいしルックスはいいし頭はいいしラグビーはうまいし、ほんとうに現代にまれなる好青年である。
残念ながら、故障が癒えず、今シーズンはまだ出場機会がない。
平尾さんがまたグラウンドを疾駆する姿を早く見たいものである。
試合は55-10とワンサイドゲームになったが、平尾さんに横で試合解説を聞きながら試合を見るというたいへん恵まれた観戦であった(なにしろラグビーのルールを知らないで来たのもいるから)
一同感激。
大畑くん、元木くん、斎藤くんのトライシーンも見ることができたし、気分よく花園ラグビー場をあとにした。
12月の試合もぜひスティーラーズの応援にゆきたいものである。
試合後の宴会が予定されていたが、まだ風邪が治りきらないので、今回はパス。
はやく風邪治らないかな。


投稿者 uchida : 22:28 | コメント (2) | トラックバック

2005年10月21日

富裕層の方々

知らない会社から電話がかかってきて、インタビューしたいという。
テーマは「富裕層の消費動向について」。
どうも代理店がらみの仕事のような気がする。
代理店がらみの仕事は前に一度だけやったことがある。
そのときに「今後二度と広告代理店がらみの仕事はしない」と堅く心に誓ったのである。
別に代理店でお働きになっている個々の方々に怨みがあるわけではない。
業界の風儀が私の肌には合わなかったというだけである。
別に一般論として「広告業界はよくない」などという非道なことを申し上げる気はない。
私はそちら方面の仕事は性に合わないのでやらないというだけのことである。
したい方はどんどんなされればよい。
私はそういうこととには不案内な人間なので、そちら方面には足を向けない。
東は東、西は西。
それに私に「富裕層の消費動向」を訊ねるというところに無理がある。
富裕層というのは六本木ヒルズとか御殿山の三井不動産のマンションとかに住んでいる年収数億とか数十億といった方々のことなのであろうが、私にはそのような階層の知り合いはいないし、見たことさえない。
見たことも聞いたこともない人の欲望のありかを私が知ろうはずもない。
そういうことはムラカミさんとかホリエさんとかソンさんとかミキタニさんとかに直接お訊ねになるとよろしいかと思う。
たぶん彼らが欲しがっているのは「金」だろう。
「そんなにお金があると何が欲しいですか?」
「金だね」
人間の定義は「交換するもの」である。
金で金を買うという行為は「交換」の定義に悖る。
そういうことができる方々のことは、もはや私のような古典的な人類学で涵養されたものにとっては遠く理解の埒外なのである。

と書いたあとにインタビューの「案」を読んでみたら「富裕層」というのは「世帯年収1500万円以上でかつ300万円以上の車を購入したいと考えている人および現オーナー」という定義があるのを発見した。
あら。
それが「富裕層」なのか・・・
どっちかと言うと、その辺の方たちの消費動向がいちばん「ビンボくさい」んじゃないかというような気もするので「富裕層」というのははばかられるのだが・・・そんなことを言うと敵を増やすだけだからスルーしてください。

投稿者 uchida : 10:17 | コメント (7) | トラックバック

2005年10月19日

会議飯とロハス

学務連絡会があるのを忘れていたので、ばたばたと大学へ行く。
昨夜遅くにも同じようなメンバーで「会議飯」を食べたようなつよい既視感がある。
私は会議が必要であることは認めるし、会議が時分時にさしかかるのであれば食事の手配をすることが作法にかなったことであることも喜んで認めよう。
けれども、同一の「会議飯」を食べ続けることに深い徒労感を感じるのは私ひとりではあるまい。
本学ではだいたい4種類のオプションの弁当がローテーションで支給される。
「葡萄屋の弁当」、「入試弁当」、「ちらし寿司」、「文学研究科弁当」である(呼称にカテゴリー・ミステイクがあることをあらかじめお許し願いたい)。
それから年に二度ほど「ビゴのサンドイッチ」がある。
昨夜のように、風邪気味で微熱があって寒気がしているときに「ちらし寿司」というのはあまり食欲をそそる献立とは言い難い。
だが、こういう会議の席で、開会の祈祷ののちに「カレー南蛮そば餅入り」とか「みそラーメンコーン大盛り」というようなものを学長の前で「ずずず」と啜り上げるという情景は想像することが困難なのである。
幸い、本日の会議は「会議飯」抜きのただの会議であった。
副専攻会議の後、クリエイティヴ・ライティングの会議。
「だからですね、これからはキャリア・デザインにきっぱりオリエンテッドした、学生諸君をエンパワーメントに向けてぐいぐいとエンカレッジするようなプログラムの策定が急務なわけですよ」
というようなことを力説する。
先週と言うことがずいぶん違うじゃないか・・・
ま、硬いことは言わずに。
クリエイティヴ・ライティングは私と難波江さんの宿願のプログラムで、私たちのような劫を経たおじさんたちが読んでもなおリーダブルであるようなテクストの「書き手」を養成し、できることなら芥川賞でも直木賞でも三島賞でも泉鏡花賞でもSF大賞でも乱歩賞でも取ってもらおうじゃないのという大胆不敵な企画なのである。
私たちはこと文学作品については半世紀にわたり賢愚玉石取り混ぜて腐るほど本を読んできたので「なんでも鑑定眼」だけは備わっているのである。
研究所に寄って『街場のアメリカ論』を「業績配布」のフォーマットと共に差し出す。
研究所の職員さんは無言で受け取る。
先月配布が3冊。
今月が1冊。
来月が1冊。
「ウチダって、毎月本出してるね」
「ぜったい変だよ。そんな書けるわけないもん。ゴーストライターとかに丸投げしてんじゃないの」
「ほんとだ、内容おんなじだもんね」
というような会話が同僚諸氏のあいだで囁かれている可能性がある。
同僚たちの疑念もまことにもっともである。
これは「ウチダはウチダのゴーストライターをしている」というふうに解釈されるのがよろしいかと思う。
私自身そういう気になるときがあるくらいである。
帰り際に『コナン・ドイルの心霊学』と『霊術家の饗宴』を研究室から取りだす。
これは霊学研究についてのコメントのためのネタ本である。
ああ、本が読みたい。
本を書くばかりで、さっぱり読む暇がない。
柴田元幸先生からも月刊ペースで訳書が送られてくるのであるが、とてもじゃないけど読むのが追いつかない。
私が読む速度よりはやく訳しているんだ、柴田先生は。
大学にゆきがけにジュンク堂で『下流生活』という新書をタイトルに引かれて買う(私のマンションは階下にCOOPとセイデンとジュンク堂がある)。
それを信号待ちの車の中で読む(けらけら笑っているうちに、大学の行き帰りの信号待ちだけで半分読んでしまった)。
愉快な人物類型を行っている。
「ヤングエグゼクティヴ系」というのはこんなふうに描写されている。
「一流企業志向、商社、金融、IT系に多い。(・・・)消費面では、住宅、インテリア、財テク、旅行志向が強く、外車好きである。もちろんネットトレードはしている。しかし、自分自身の独自な個性的な価値観はなく、あくまで、人がよいと思い、欲しいと思うものをいちはやく手に入れることに喜びを感じるタイプである。よって、六本木ヒルズ、港区の三井不動産のマンション、BMW,ロレックス、タグ・ホイヤーなど、わかりやすいステイタスが好き。ビジネス用のバッグはお約束でTUMIかゼロハリバートン。」(74頁)
TUMIかゼロハリバートンのビジネスバックを買おうと思っていたので、どきんとする。
車がベーエム、住んでるところが芦屋というあたりは「ヤンエグ」(もう「ヤン」じゃないけど)系だが、鞄の趣味とそれ以外は一致点がない。
もうひとつ「ロハス」系というものも紹介されている。
「『ロハス』って何?」
と私も先日「ロハスのためのマガジン」であるところの『ソトコト』から取材に来たライターさんに訊いてしまったのだが、ロハスというのは、そのラテン的な音感とはまったく違って、
Lifestyle of Health and Sustainability
「健康で持続可能なライフスタイル」の略語である。
「サステイナビリティ」持続可能性ということばは最近ときどき見かけるけれど、要するに「環境にやさしい」ということである。
環境が再生産可能な低強度で開発される限度内の生活にとどまろうという心がけである。
一昔前の「エコ」系のことである。
ロハス系は「比較的高学歴高所得」であるが、出世志向は弱い。
「自分の趣味の時間を増やしたいと考えているが、とはいえ忙しいので、それほど趣味の時間が多く取れるわけではない。よって、雑誌、本などを見て代償する日々が続く。雑誌でいえば『ソトコト』『サライ』を愛読するタイプ。会社の仕事だけでなく、社会活動、NPOなどにも関心があり、環境問題についてのセミナーなどにも個人的に参加するようにしている。」(78頁)
なるほど。
「消費面では、有名高級ブランドには関心が弱いが、ひとひねりしたそこそこのものを買うのが自分らしいかなと思っている。外車が好きだが、ベンツやBMWではなく、できればジャガーやプジョーがよいと思っている。」
わかるねえ。
「品質、製造方法、伝統、文化などについての蘊蓄があるものを好む。よって無印良品もやや好き。(・・・)古本、骨董、真空管アンプ、中古家具、古民芸など、やや古めかしいアナログ趣味の世界に浸るのも好き。」
書いている人(三浦展さん)は明らかに「誰か」身近な人をイメージして書いてるね、これは。
まだいろいろ続くようだけれど、笑い過ぎたので今日はここまで。
果たしてウチダを収納してくれるようなカテゴリーは存在するのであろうか?

投稿者 uchida : 19:13 | コメント (5) | トラックバック

風邪癒えず

ぐえほぐえほ。
風邪がまだ治らない。
でもおかげで体重が減った。
73.8キロ。
「74キロの壁」が突破されたのである。
「ウチダくん、風邪ひいて、体重が減ったのを喜んでどうするんだ。バカかね、キミは」
ちがうって。
風邪ひいたら気分が滅入るじゃない、誰だって。
そういうときに「風邪を引いたことによってもたらされるよいこと」を列挙する、というふうに発想を切り替えることにしてるの、私は。
飯食わないから食費が浮く。
酒のまないから肝臓が丈夫になる。
煙草を吸わないから肺がきれいになる。
たっぷり寝て日頃の睡眠不足を解消できる。
いつもは読めないエンターテインメント本をベッドでごろごろ読める。
おまけに熱で体重が減る。
いいことづくめじゃないか。
ああ、風邪が引きたい。もっといつまでも引いていたい。
そういうふうに念じると、たいていの風邪は治ってしまうものなのだ。
「風邪の神さま」にしても私を喜ばせても業腹なだけだからね。

『街場のアメリカ論』が発売になる。
献本した先から「先ほど頂きました。けらけら笑っているうちに読み終えました」というメールがどかどかと届く。
どうも2時間くらいで読み終わってしまうらしい。
250頁で活字ぎっしり詰まっている本だし、中身だって、それほどすらすら読まれてよいはずのものではない。
もう少し読者のみなさんにも苦吟するなり輾転反側するなり歯がみするなりして頂かないと、憎々しげなことを書き連ねた甲斐がない。
「ふざけるな!」と本を壁にたたきつけるとか、焚書の刑に処すとか、そういうスペクタキュラーなリアクションを期待していたのであるが、いまのところそういう反応はない。
もしかすると、日本の読者諸君はみんな「私と同じこと」を考えていたのかも知れない。
それはそれでちょっと問題ではないかと思う。

投稿者 uchida : 10:37 | コメント (3) | トラックバック

2005年10月18日

風邪ひき頭で考えたこと

げほげほ。
風邪ひいちゃったよ。
土曜日にディープ大阪方面に行ったときにずぶ濡れになって、その翌日は「暑い暑い」とTシャツにクーラーで暮らしていたら、夕方から鼻が詰まってきて、月曜に起きたらばっちり風邪をひいていた。
部長会を欠席して、ぎりぎりまで寝て、4限の「現代霊性論」には這いずってでかけたが、微熱があるので、釈先生との漫談のお相手もままならない。
コナン・ドイルのことで、すごく面白いことを思いついたような気がしたのであるが、うまくことばにならなかった。
私の場合、あらかじめわかっていることを口にするのではなく、口が先に動いて、発語されたセンテンスを聴きながら自分が何を言いたかったのかを事後的に知るという「フライング」システムを採用しているので、「口が回らない」と話にならない。
「口が回る」かどうかということは、私の自己決定や決断や忍耐にまったくかかわりなく、回るときは回るし、回らないときは回らない。まるであなた任せのメカニズムなのである。
熱があったり、体調が悪いときは、ある程度以上複雑な論理構成のセンテンスは語ることができない。
「思考の肺活量」とでもいうべきものがてきめんに減じ、論理の「一回ひねり半」とか「後方二回ひねり」というような屈曲ができなくなるのである。
それでも必死でしゃべっていると、そのへんは甲羅を経た「餅屋」であるから、微熱もものかは、思いもよらぬアイディアが口を衝いて出てきたりすることもある。
昨日は「身体のメインフレームがいかれると、ふだんは知覚や判断には用いない身体部位がやむなくバイパスとして用いられることになり、それを『超能力』と誤認することがある」という説を突然思いついた。
断食をすると感覚が鋭敏になるのは間違いないが、それは断食を長期間続けると、基本的な体力が衰え、生物としては危機的状況になってくるからではないだろうか。
つまり、体力が減じているときは、「敵」と遭遇した場合に、逃走する脚力にしてもとどまっての格闘力にしても、ふだんと同じフィジカルな能力は期待できない。
その場合、知覚が鋭敏化して、「敵」の接近をふだんより早い段階で察知することができるようになることは生存戦略上有利なことである。
春日先生にうかがった話では、精神病患者は体の具合が悪くなると症状が緩寛し、危篤状態になるとしばしば正気に戻るのだそうである。
「健康だから狂気でいられる」という解釈もありうるが、このとき症状が緩寛するのは、「正気に返っている」のではなく、ふだんそのためには用いられていない身体部位(小脳とか脳幹とか)が生命の危機に際会して、「バイパス」として機能し、思考や判断を「脳に代わって」代行していることの効果であるという解釈もありえそうな気がする。
無理かな。
しかし、考えてみれば、人間の体というのは、全体としてひとつのシステムをなしている。
システムのセキュリティを優先的に配慮すると、個々の部位が単機能しか果たせないというのは、どう考えても生存上は不利である。
人間の身体はどこかの器官が機能不全になった場合は、別の器官が一時的にその機能を代補できるようになっているはずである(だからこそ、重要な器官は「ペア」になっているのではないだろうか?)
だとすれば、「苦行」の類は、身体機能の一部を作為的に機能低下させることで、「バイパス」を賦活させ、人間の「使われていない器官」の蔵する潜在能力の高さを覚知させるためのものだと解釈することができる。
人間の身体部位のうちでもっとも大量のカロリーを消費するのは大脳である。
断食は大脳をダイレクトに攻撃する。
その場合には、大脳以外の器官がこれまで大脳が統御してきた活動を一時的に代補しなければならない。
「生体の安全確保」のためにはこれまで大脳が行ってきた仕事のうちでは「外部知覚情報の解析」という仕事が最も優先順位が高い。
とすれば、これまでなら聞こえなかった音が聞こえ、これまでなら見えなかったものが見え、これまでなら感じられなかった気配が感じられるという知覚過敏が生じるのはある意味きわめて合理的な生体反応だといえる。
というようなことを発作的に思いつく。
こういうことを思いつくのも、熱のせいで大脳の機能が低下してきて、脳以外の器官が思考を代行しているせいかもしれない。
なんとか授業だけは終わらせたが、どんどん熱が上がってきたので、5限の体育はSAの白川さんにお任せし、夕方からの学部長会はご無礼して、とっとと家に帰り、パブロンを飲んで寝る。
げほげほ。

投稿者 uchida : 11:05 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月15日

近鉄大阪線「ウィロビー」駅

雨の中を河内小阪の大阪樟蔭女子大へ。
女子大連盟というコアな組織があって、その総会に行くのである。
「ウチダはこういうことに不案内だから」ということを熟知せられている学長室のK安嬢のご配慮で、芦屋から現地までの地図と時刻表がちゃんと送られている。
その指示に従って順調に鶴橋まで来る。
しかし、そこで、「近鉄奈良線」と「近鉄大阪線」のホームを間違える。
どういう頭の構造によるものか、私は瞬間的に「奈良線」というのは「下り」のことで、「大阪線」というのは「上り」のことではないかと判断してしまったのである。
奈良は「あっち」の方であり、難波や梅田は「こっち」の方である。
ならば「あっち」行きの電車に乗ればよいのだなと考えて、気づかずそこに来た「大阪線」の普通に乗ってしまった。
「河内小阪」は時刻表によれば準急で6分後に到着するはずである。
人文書院から送ってもらった杉田俊介『フリーターにとって「自由」とは何か』を読み続けて、駅につくたびに駅名をチェックするが、なかなか「河内小阪」に着かない。
やがて「俊徳道」とか「高安」とかいう『弱法師』ゆかりの地名が見えてきて、ついに「八尾」に来てしまう。
八尾と言えば朝吉親分の地元である。
準急で6分で着くはずの駅に各停で30分もかかるものであろうか。
そもそも、朝吉親分の地元に女子大があるというのはつきづきしくない・・・と疑団が生じ、立ち上がって路線図を見るが、どこにも「河内小阪」の駅名がない。
私はたしか近鉄に乗ったはずだが・・・どうして。
瞬間的にかつてTVのヒッチコック劇場で見た中でもっとも怖かった「ウィロビー」の物語を思い出す(覚えている人いますか?怖かったですよね、ウィロビーは「地獄」なんです)
とりあえず最寄り駅で降りて、駅員さんに「河内小阪」というのはいずれの多元宇宙に存在するのでしょうかと青い顔で尋ねて、ようやく真相を知る。
私は布施で乗り換えるべきところを遙かディープ大阪に来てしまったのである。
45分かけて小坂に戻り(ずいぶん遠くまで行ったものである)会場に着いたのは11時。
総会開始時間に30分遅刻してしまった。
遅刻者は私ひとり。
会議室で全員の冷たい視線を浴びながら、ずるずると指定席にはいずって行き、臨席の原田学長と東松事務長に陳謝する。
到着時には議事の第二号議案の審議中であった。
静かに議案に賛成しているうちにいきなり睡魔に襲われる。
ここで眠ってはさすが温良なる原田学長といえども、その逆鱗に触れることは必定である。
必死に目をこすって「睡魔退散睡魔退散」と心中に強く念じる。
無事に午前の部が終わり、全員で記念撮影(なんかするんですよ!)をしてから、昼食。
聖心女子大の山縣学長と相席になったので、ミッション系女子大の生きる道についてあれこれと親しくお話しさせていただく。
山縣学長は以前小林聖心(「おばやしせいしん」と読んでください)にもおられたそうで、そういうことなら阪急今津線の隣組である。
震災のときの話につい熱が入る。
話の流れで、東京で震災があった場合に大学はどう対処すべきかという実務的な話になる。
昼間に地震が起きた場合には、学生たちをそのまま帰すわけにはゆかない。
学内に引きとどめて、場合によっては二三日逗留させておく必要がある。
そのための最低限の生活資源の確保はどうすればよろしいのか。
たいへんな問題である。
聖心のような2000人規模の大学ならなんとかなるかもしれないが、早稲田慶応のような数万という大学はどうなるのであろうか。
午後は「キャリア教育」について協議。
女子大におけるキャリア・デザイン教育とエンパワーメントについて議論される。
正直なことを申し上げると、私は「エンパワーメント」とか「キャリア・デザイン」とかいうことばを好まない。
それが女子であろうと男子であろうと、「競争に打ち勝つ力」を大学時代にばっちり身につけ、「かねて予定通りのサクセス人生街道をまっしぐらに進む」というような生き方にリソースを優先的に備給するタイプの人間が好きじゃないからである。
「ウチダさんは男で、父権制社会において権力を享受している側だから、そんな気楽なことが言えるのだ」という反論があるのは承知の上で申し上げるが、私はガキの頃から「出世主義者」が大嫌いである。
日本は欧米に比べて、女性の官僚が少ないとか代議士が少ないとか上場企業経営者が少ないということを「後進性の徴である」というふうに簡単に言い切ることが私にはできない。
それは官僚とか代議士とか資本家というのが無条件に「すばらしいもの」だという価値判断を前提にしてしか出てこないことばだろう。
私はそういう判断には与しない。
中央省庁の女性官僚は、市役所の女性公務員より「偉い」とか、代議士は市会議員より「偉い」とか、上場企業の経営者は街の自営業者より「偉い」とか、軽々に判断してよろしいのであろうか。
昨日の読売新聞に、先日の「ポスト・フェミニズム」についてのインタビューが掲載されたが、私がその中で「男女共同参画社会」のイデオロギーを批判したのは、権力や財貨や威信や情報や文化資本を所有することそれ自体が「善」であることは自明であるとする発想に私が懐疑的だからである。
人間にとってもっとたいせつなものはいくらもあるだろう。
「人間にとってもっとたいせつなものはいくらでもあるだろう」と口走った瞬間に「セクシスト」というラベルを貼られることに私はいい加減うんざりしている。
権力や財貨や威信や文化資本を人生の目的として希求する人間が私は嫌いである。
そういうものを嬉々として希求する人間のことを「アリヴィスト」とか「俗物」とか「ブルジョワ」と呼ぶ、というふうに私はずっと思っていたし、いまも思っている。
今の私がもし人々の目から見て「アリヴィスト」で「俗物」で「ブルジョワ」と映ったとしても、それは私の自己陶冶の努力が足りなかったということであって、そうなりたいと思って営々として努力してきた誇るべき成果であるわけではない。

投稿者 uchida : 21:30 | コメント (9) | トラックバック

2005年10月13日

リメディアルな一日

水曜日は教員研修会。
お題は「リメディアル教育」。
リメディアルというのは「補習」ということである。
少子化による「全入」体制と中等教育の瓦解によって、現在大学には「分数の割り算ができない学生」や「英和辞典が引けない学生」がどやどやと入学してきている。
そのような学生諸君に国際共通規格の学士号にふさわしい学力を与えて卒業させるためには、中学高校で「やり残した学課」を大学が補習しなければならない。
情けない話であるけれど、それが日本の大学の実情である。
すでに理科系の大学を中心に入学後に学力に問題のある学生に補習を義務づけているところが出てきているのはご案内の通りである。
昨日の研修会では「リメディアル」の意味を理解してコメントをしていた教員は少数にとどまった。
あれこれ発言していながら、この語の政治的意味をまったく理解していなかった教員もいた。
それは本学では「リメディアル」の切実さをまだ教員が知らずにすませるほどに学生の学力が高いということであろうと私は楽観的に解釈している。
端的に言えば、「リメディアル」というのは戦後の教育行政の失敗の「尻ぬぐい」を誰かがやらなければいけない、ということである。
誰もやらないのなら、おおかたの日本人にとっていちばん最後の教育機関である大学が引き受けるしかない。
こういうときは「どうしてこんなことになったんだ」とか「誰の責任だ」とか言っても仕方がない。
与えられた状況でベストを尽くすしかない。
船が座礁したときに、「誰のせいでこんなことになったんだ」と他責的な文型でことばを連ねても事態は改善されない。それより、手持ちの資材で「座礁した船」をどうやって動かすか考える方が前向きである(と池上先生に教えて頂いた)。
ブリコラージュというのは、こういう「あきらめ」方のひとつの様態でもある。
で、手持ちの資材でオレたちには何ができるの?
そう考えることにしよう。
だって、「オレたち」がやらなかったら誰もやってくれないんだから、リメディアル教育なんて。
私の意見は「座礁した船」を救う場合と同じである。
使えそうなものは救い出す。使えないものは棄ててゆく。
「すべて」を救うことはできない。
だって、もう「座礁」しちゃってるんだから。
ありあわせの資材を集めて「救命筏」を組み、積み込める限りの資産を救うしかない。
「リメディアル教育が必要な事態に立ち至った高等教育から〈最良のもの〉として何を救い出せるか」という戦略的な問いを最優先すべきだろうと私は思っている。
とりあえず教育者の良心として、私たちのもとにやってきたすべての学生は「救うべき最良のもの」を潜在的に有しているものと考える。
彼らに対して大学はいくつかのオプション(「命綱」だね)を提示する。
それをつかむ学生は「筏」に乗れる。
それをつかまない学生は「筏」には乗れない。
非情なようだが、教育資源に限界がある以上(それは救命ボートの「空き席」と同じことだ)、「救える見込みがある」学生にリソースを集中しなければ、全員「共倒れ」である。
私たちの教育資源はまだ十分に余裕があるし、学生たちはそれぞれに「最良のもの」を蔵しているということを私は信じている。
全員がにこやかに「筏」に乗れることを私は願っている。
問題は、私たちが「筏」だと思っているものに果たしてどれほどの航行能力があるか、ということである。
ぐったりと疲れて帰宅してから「文献ゼミ」の二年生の学生たちの書いた夏休みのレポートを一週遅れで添削する。
一読して喫驚。
たしか数時間前に研修会の席で「大学生の日本語運用能力は破滅的な状態です」というようなことを私自身も口走ったのであるが、どのレポートもすごく面白い。
文章にたしかな精神の力を感じる。
誤字もないどころか私の知らない漢字まで出てくる(思わず広辞苑を引いてしまった)。
これは学生たちの知力を侮ったことの天罰なのかそれとも天佑なのか。
むろん天佑と解すべきなのであろう。
ああ、ありがたいと神に感謝の祈りを捧げながらレポートを読み続ける。
そこに平川君から「東京ファイティングキッズ」の19便が送られてきたので、さっそくご返事を書く。
さらさら。

投稿者 uchida : 23:11 | コメント (1) | トラックバック

2005年10月11日

多田塾合宿から帰る

10月8日から10日の連休は恒例の多田塾合宿。
群馬の山奥、岩鞍スキー場の巨大体育館(1000平米)に170人の多田塾門人が集まって、年に一度の二泊三日の合宿である。
自由が丘道場、月窓寺道場、北総合気会、奈良県支部、志木合気会、桜台合気道クラブ、里見八顕会、八起会、川崎市役所合気道部、東大気錬会、早稲田大学合気道会・・・と多田先生門下の全国の道場の門人が一堂に会するのである。
もちろん、参加するのは各道場とも一部であるから、総員では多田塾生はどれくらいになるのか数えたことはないが、たぶん数千に達するのであろう。
甲南合気会&神戸女学院合気道部からは14名が参加。これまでで最大のデリゲーションである。
鳥も通わぬ(うそ)群馬の山中でまる48時間ほど、多田先生のお話を聴いては合気道の稽古をする(後は風呂・飯・寝る・ときどき酒)。
その間、配膳のおばさんのほかに多田塾関係者以外の人の顔を見ない。
TVも見ないし、新聞も読まない。
私は重度の活字中毒であるけれど、合宿のあいだはまったく活字に対する飢えを感じない。
活字に割く余地がないほど脳細胞がフル回転しているのか、それとも脳細胞がここを先途とお休みされているのか定かではないが、おそらくこの二つの状態が交互に訪れているのであろう。
心身ともにピュアな「合気道ワールド」に首まで浸かっていると、身体のみならず精神の構造も変性をきたす。
世に言う「浮世離れ」してくるのである。
ふだんなかなか口にすることのない、「神人合一」とか「アストラル体」とか「三昧」といった語が修辞的な空語ではなく、物質的な実感を帯びてくる。
おそらく二泊三日程度が限度であって、これを過ぎると社会復帰がかなり困難になるものと考えられる。

合宿で多田先生のお話を伺いながら、つくづく感じたのは、私の研究や物書き仕事の骨格のほとんどを私はこの30年間多田先生から学んできたということである。
先生の修業の根源的なモチベーションは、人間にはどこまでの潜在能力があるのかそれを究めたいという探求心だろうと私は思っている。
だが、その「能力」というのは、世間の算盤勘定にはなじまない。
「勝敗強弱を論ぜず」というのは、勝敗強弱が所詮はきわめて期間限定・地域限定的な閉じられたサークルの中での相対的な能力差しか検知できないからである。
しかし、世間の算盤勘定はこの相対的な能力差「だけ」にかかわっている。
例えば、偏差値というのは同世代集団の中での学力差の指標ではあるけれど、知力そのものについては何も教えない。
現在の偏差値50の高校生を30年前に連れて行ったら偏差値40以下にランクされるだろうけれど、そのことは誰も気にしない。
入試の競争相手は「その閉じられたサークル」にしかいないからである。
あらゆる競争は相対的な能力差を競うものである。
だから、その本質的難点は競争相手を含む閉鎖集団の絶対的能力が低いほど、勝つことは容易だということに存する。
勝つことにこだわる人間は、自身の絶対的能力を向上させることと、競争相手が低レベルの能力域に低迷することは結果的には「同じ」効果をもたらすことにすぐに気づく。
となれば、勝つことにこだわる人間が、自分の絶対的能力を向上させるのと同じだけの努力を、競争相手の(それはつまり同時代人全員の)能力を低下させることに傾注するようになるのは論理の経済のしからしむるところである。
強弱勝敗を競うことの最大の罪は、それが「自分以外の人間が低能力域にとどまること」から利益を得る人間を生み出すことにある。
合気道が求めるのは「すべての人間がその潜在能力を最大化すること」である。
競争というモメントがからみついた瞬間に、この文の主語は「私だけが」に置き換わる。
「能力の最大化」のための修業の技法や原理は変わらないけれど、主語が「すべての人間」から「私だけ」に変わる。
合気道は、すべての人間がその可能性を最大化し、相対的な競争を廃することを目指す武道である。

もちろん武術である限り、そこには「勝負」という契機が介在する。
なぜなら人間は「生き死にの極限」においてはじめて「絶対的能力」というきびしい概念に出会うからである。
それは別に「生き死にの極限」に際会したときに「火事場の馬鹿力」が出るので、「おお、オレにはこんな潜在能力があったのか」と驚くというような俗な意味のことではない。
「生き死にの極限」に置かれるということは、武道的な意味では「すでに敗北している」ということである。
出会うあらゆる種類の人間(やら野獣やらエイリアンやら細菌やら)に勝つことのできる人間は存在しない。
「天下無敵」のつもりで危険な場所にのこのことでかける人間は、裸で鮫の群れに飛び込む人間や、腐敗した食物をぺろぺろ食べる人間と同じである。
「そういうこと」はしてはいけない。
「そういうこと」をしなければならないような立場に立ってはいけない。
どうすれば「そういうこと」にならないで済むか、どのようにすれば「構造的に敗北する」事況を回避できるか。
それを知る能力を育てることが武道の修業である。

誰にでもわかるけれど、人間の潜在能力の最大のものは「予知」である。
どのような強健俊敏なる身体能力の持ち主も、「予知」能力のある人間の前では無力だからである。
「予知能力」が0.5秒先を予知できるなら、ほとんどの攻撃は紙一重でかわすことができる。
「予知能力」が10秒先を予知できるなら、ほとんどの攻撃に出会う前に「すれ違う」ことができる。
「予知能力」が10時間先を予知できるなら、核攻撃もゴジラの来襲も回避することができる。
これを「天下無敵」というのである。
このような能力の開発のためのプログラムは、「相手を倒す」という相対的な稽古プログラムとはまったく成り立ち方が違う。
「相手を倒す」というプログラムは、絶好調で準備万端整った状態にいる敵に不意の寝込みを襲われるというところから出発するのが標準的な初期設定である。
「敵からの予知できない」攻撃にどう即応するかという稽古法と、「敵の攻撃をできるだけ早い段階で予知するにはどうするか」という稽古法や、「そもそも『敵』というものが発生しないようにするにはどうすればいいのか」という稽古法とでは発想がまったく違う。
「予知」というのは、別に特殊な能力ではない。
ある意味では誰でも備わっている。
というのは、予知能力というのはほんとうは「これから起こること」を予見するのではなく、何かを「これから起こす」遠隔操作力のことだからである。
それが「気の感応」という稽古法の目的であるのだが、これについて話し出すともうきりがないので、この続きは岩波書店から来春出る『身体をめぐるレッスン』シリーズで読んで下さい。

とりあえず、甲南合気会&神戸女学院大学合気道部のみなさんご苦労さまでした。
今週からまたお稽古しましょうね。

釈徹宗先生の「インターネット持仏堂の逆襲」が始まりました。
持仏堂お掃除して、再開です。
みんな読んでね。

それからトリノのブタさんからひさしぶりに日記の更新が届きました。ブタさん、たいへんみたい。同期の諸君は励ましのお便りを出そうね。

スペインの湯川カナさんが新しい「長屋住人」として引っ越してきました(本体はマドリード)。日記のタイトルは「今夜も夜霧がエスパーニャ」。

ラテン系世界でご活躍の女性二人からのご報告です。

本日の体重76キロ(あんなに稽古したの太っちゃった・・どうしてなんだ)

投稿者 uchida : 10:29 | コメント (2) | トラックバック

2005年10月06日

タイガー、タイガー、有り難いガー

卒論中間発表。
発表のために借りた教室にゆくと、中が真っ暗である。
「んなろ、全員遅刻か」
とぷりぷりしてドアを開けたら、中ではケーキのローソクに点灯しているところで、全員で「ハッピーバースデイ」をご唱和くださった。
思わず老師の目に涙。
学生諸君からステキなプレゼントと寄せ書きを頂く。
一瞬でも「んなろ」などと口走った粗忽な先生を許しておくれ。
ウチダはかねて申し上げている通り、『二十四の瞳』以来、「せんせー」と声を上げて、児童生徒学生の類がわらわらと走ってくる風景を見ただけで涙腺がゆるむ「大石先生体質」である。
だから、こういう設定には非常に弱い。
涙をぬぐって、卒論中間発表を始める。
15名のゼミ生2人お休みなので、13名。
一人15−20分なので、正午スタートで、終わったら午後5時。
さすがにみんなぐったりしている(そのあとわが家で「打ち上げ」宴会があるのだが)。
今日発表してくれた卒論の主題は「ラグビー」「クローン」「無印良品」「ブロードウェイ」「化粧」「バレエ」「リストカット」「食生活」「ファッション」「NEET」「水曜どうでしょう」「サリンジャー」。
多種多様というよりは支離滅裂である。
個人的にいちばん興味を引かれたのは「リストカット」であった。
この症例については名越先生、春日先生との対談で、どちらにおいても話題に出たのであるが、そのときは深く追求することを怠っていたのである。
発表の中に「リストカット危険度自己診断チェックリスト」というものが「おまけ」で添付されていた。
みなさんも該当するところにチェックを入れてください。
(1) 私は周囲の人から見放されていると思う
(2) 私は自分を傷つけたことがある
(3) 私は自分が嫌いだ
(4) 私は人生に立ち向かう力がないと思う
(5) たいてい私は孤独だと思う
(6) 私は人生をやりなおしたい
(7) 自分がいない方が家族はうまくやっていけると思う
(8) なんとなく気分がすぐれず憂鬱である
(9) イライラして落ち着きがない
(10) 何かにつけて自分を責めたくなる
(11) 人生はつまらず、生きている価値がない
(12) 周りの人や事物について生き生きとした実感が薄れた
(13) 一度やったことを繰り返し確かめないと気がすまない
(14) すっかり違った自分になれたらと思う
(15) 何かにつけて自分を責め、頭の中で自分を責める声が聞こえる
(16) 母親が嫌いである
(17) 私は人から見捨てられている
(18) 自分自身を尊敬できない
(19) 気分がひどく変わりやすい
(20) 眠りが浅い
(21) 仕事や勉強に集中できない
(22) 何かにつけて自分を責め、頭の中で自分を責める声が聞こえる
(23) 自分のやってしまったことを覚えていないことがある
(24) 変な考えが頭に浮かび取り付いて離れない
チェック5項目以下は「正常」(ただし、2,3、4にチェックをした人は「要注意」)
チェック6—10は「リストカットの危険あり」
11−15は「カウンセリング・薬物治療の必要あり」
16以上は「重症。ただちに精神科で治療を受けること」
私は2項目にチェックがはいったので「正常」に類別されてよろしいであろう(どこにチェックが入ったか当ててください)。
「(23)でしょ!」
それは私のことを知っている人なら誰にでも当たることである。
私のことはどうでもよろしい。
ここに列挙された徴候が「何を」意味しているか、である。
ここに挙げられた徴候はいずれも「解離傾向」を指している。
解離というのは、人格を切り替えることによる問題回避であり、直面している難局を「やりすごす」ことができるという点では一種のソリューションでもある。
春日武彦先生から「処世術としての解離症状」ということを伺ったことがある。
先生はこう言われていた。
「わからないところがでてきたら、とりあえず飛ばしちゃえ、というのは、一つのやり方ではあるんですよね。ですから、方法論としてはそういうやり方もあり得るけれど、ただ普通はやっぱり気色悪いからやらないわけでしょ。それを平然とやってしまうというのは、わたしのところに来る患者さんにも見られる一つの特徴であって、精神科的に言えば、一種の解離症状で乗り切ってしまう、ということに近いんじゃないかと思います。
解離というのは、それまでの脈絡とかつながりを全部断ち切ってしまうということで、『わかりません』とか『記憶にありません』とか言って、それでOKになっちゃう。たしかにそれで物事を乗り切れるように見えるんですが、でも現実にはそれは通用しませんよね。(・・・)
『ひきこもり』にしても、こういう解離の問題にしても、どこかで誰かが通用させてしまうと、『あ、これも罷り通るんだ』ってみんなが思ってしまって、どんなとんでもないことにでも、必ず追随者が現れますよね。(・・・)
ただ、いずれにしても、これは一時的な回避法でしかなくて、正攻法ではないわけですから、いつかどこかで必ず歪みが出てきてしまうわけです。神経症だって一種の回避法なのであって、そのつけとして症状が出ているんですね。」(『健全な肉体に狂気は宿る』、23−25頁)
政治家がよく遁辞に用いる「1億円受け取った記憶はありません」というのはある種の解離症状である。
そのことを「記憶している私」と「記憶していない私」に便宜的に人格を分離し、いまあなた方の前にいるのは「記憶していない私」であり、その私は「記憶している私」のかかわった行為については関与しない。
「私は自分が嫌いだ」「何かにつけて自分を責めたくなる」「頭の中で自分を責める声が聞こえる」「私は自分を尊敬できない」といった一連の自己批判的言明は、一見すると自省的な知的態度のように聞こえるが、実際には「私」と「自分」を分離することによって、「私1の欠点を点検・批判できる程度に倫理的・合理的な私2の立ち上げ」を果たして、「私1」に責任を転嫁して、とりあえず「私2」を救出しようとする「解離ソリューション」である。
その結果、当然ながら「周りの人や事物について生き生きとした実感が薄れ」ることになる。
「私」はその場にはおらず、その場から離脱して、その場で屈託している「私」を見下ろしているわけであるから、「生き生きとした実感」がなくて当然である。
なるほど、それなら、「人生をやりなおしたい」「すっかり違った自分になれたらと思う」ということばも漏れるであろう。
解離症状はたしかに一時的には問題を回避することを可能にする(そうでなければ進んで神経症を患う人はいない)。
そして、有効性が証明されたソリューションは爆発的に蔓延する。
現在、リストカットの人々が増えているという事実は、解離症状による人間関係のトラブル・シューティングという「作法」が蔓延していることと関係があるように私には思われる。
この一週間毎晩『タイガー&ドラゴン』で楽しませていただいた。
宮藤官九郎の描く登場人物たちは「解離症状」を呈する人間が非常に多い。
主人公二人の初期設定そのものが「解離」である。
小虎(長瀬智也)は昼間は噺家、夜はヤクザという二重生活を別人格に解離することで生き抜いている。
同じように小竜(岡田准一)はダサいデザイナーと天才落語家という二重性を両者を別人格に解離することでしのいでいる。
彼らが、演じ分けている「ヤクザ」「噺家」「デザイナー」の性格づけや様態は過激なまでに「類型的」であり、それらを包摂できる統合的な自我を彼らは持っていない。
したがって、多重人格のうちもっとも状況に適応性の高い人格がそのつどの場面で選択的に出現することになる。
この二人の解離症状が最終的に「自己矛盾を包摂したゆるやかな単一人格への収束」というかたちで「緩寛」するまでの回復プロセスが物語の縦糸をなしている(すごい。これって、フロイト的トラウマ回復ドラマだったんだ)。
彼ら以外の人物、落語の師匠のどん兵衛(西田敏行)も、ヤクザの組長けんちゃん(笑福亭鶴瓶)も、ヤクザの二代目銀次郎(塚本高史)もみな「気分がひどく変わりやすい」という性質を共有している。
全員が二つの別人格を使い分けることで、そのつどの状況をやりすごしている。
毎回のエンディングでは、小虎がどん兵衛師匠に「師礼を尽くす」次の瞬間に手のひらを返したように屈辱的な罵倒を浴びせるというギャグが用意されている。
小虎は尊敬すべき師匠が同時に最低の債務者であるという困難な人間関係を、解離症状を呈することで切り抜けているのである(この症状はドラマの最後では「専一的に師事する」人間関係に収束することで消失する)。
マドンナ役のメグミ(伊東美咲)もかなり重度の解離症状を呈している。
そのつどの状況に応じて、そのつど別人になり、「私じゃないときの私」の言動については一切責任を取らないことを処世の基本とするこの女性が「病人」ではなくむしろ「かなり魅力的な女性」として描かれていることに私は時代の「空気」を感じた。
このTVドラマを見たあとに、「解離症状を呈することはソリューションとしては『あり』だ」ということに気づいた若者たちが多数発生したのではないだろうか。
そういう仕方でとりあえず「問題解決の先延ばし」をしている人々を社会的に「許容する」というマナーがこのTVドラマの視聴者の間にゆっくりと定着したということがあるならば、それは「よいこと」ではないかと私は思う(個人的には、そういうタイプの人がまわりにあまりたくさんいられても困るが)。
精神科医なら「病人」と診断するはずの人間を「わりとチャーミングな人間」に描き直すということが結果的には「健常」ラインを引き下げているなら、宮藤官九郎は一種の「救い」を日本社会にもたらしていることになる。
すぐれた物語作家は半チクな政治家よりもはるかに社会的コストの軽減に貢献している。
宮藤官九郎に文化勲章を。

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2005年10月05日

唐茄子屋メディア論

母からファックスが届いた。
数日前私がこのブログに書いたことへの感想のおことばである(79歳になる母はもちろんパソコンなどには触らない。私のブログ日記を兄ちゃんがプリントアウトして毎週母のもとに郵送しているのである)。
おどろいたことに、私と同時期に母も朝日新聞の購読を止めたのだそうである。
私はうまれてからずっと朝日新聞というヘビー・リーダーであることは先般記したとおりである。
ということは母もそれ以上に長期にわたる忠実なる朝日読者だということである。
その母が次のように書いてきた。
「結婚して以来六十年近く、新聞は朝日しか読んだことがありませんでした。朝起きて、顔を洗って、何よりも一番に新聞を隅から隅まで広告まで目を通すのが日課ですが、この頃、何か朝日を読んでいると気分がよくなかったのです。むつかしい意味はわかりませんが、何か腹が立って来るのです。」
そして、母は私とほとんど同じ日に「やめよう」と決断し、毎日新聞に換えることにしたのである。
私のブログを読んだ後ではなく、ほぼ同時に母も数十年にわたる購読を停止したのである。
「余りに面白い一致だったので一応ご報告します」
と母のファックスは結んであったが、これはかなり重要な徴候ではないかと私は思う。
先週、NHKから電話取材のオッファーがあったときに記者のS田くんと1時間くらい話し込んでしまったが、そのときに「メディアに対する不信」をメディア自身が払拭する努力を怠っているのではないか、ということを申し上げた。
朝日新聞は今回のNHK放送事件、捏造記事事件などでメディアへの信頼性を深く損なったけれど、それ以上に自己正当化の言を口走って「自己批判・自己点検」する能力のなさを露呈したことが致命的であったと思う。
おそらく朝日は現有の800万読者のうち200万くらいをこの2,3年のあいだで失うのではないか、という予測を話した。
もちろん当のNHKの受信料もがた減りしていて、信頼回復の見込みもない。
「朝日・岩波・NHK」は戦後日本の「良識」のセンターラインを形成してきたはずのメディアであるが、それらがいずれも機能不全に陥ってる。
岩波は別に不祥事を起こしたわけではないが、『世界』の発行部数は悲惨な数字となっている。
60年代には『世界』と『朝日ジャーナル』は「ちょっと知的な高校生」の必須アイテムであった。
私は過去十年間『世界』を読んでいる高校生に会ったことがない。
以前、高橋源一郎さんが岩波の編集者に「『世界』がぜんぜん売れないんですけど、何かいい企画はないですか?」と尋ねられたことがあるそうである。
高橋さんはしばらく考えてから、こう答えた。
「『世界の罪』というのはどう?戦後論壇で『世界』が世論をミスリードした事例すべてについて、詳細な自己点検と自己批判をして『申し訳ないことをしました』って謝罪するの。これなら毎月20万部は売れるんじゃない?」
もちろん編集者は取り合わなかった。
だが、さすがタカハシさん、これはばらしい企画である。
人間知性の信頼性は「おのれの誤りを他人に指摘されるより前に発見すること」に優先的にリソースを注ぐということ、ただそれだけによって担保されている。
兄ちゃんによれば、ビジネスの場合もそうだ。
すぐれた経営者は、自分が開発したビジネスモデルの限界を、誰よりも先に発見する。
みんながまだまだ「これでいける」と言っているときに、「いや、これはもういずれ使えなくなる」と見て、大胆に「撤収」を宣言できる経営者だけが生き延びることができる。
逆に、まわりが「社長、もうこれはいけません」と諫言しても、自分がつくりだしたビジネスモデルに固執する経営者は遠からず自滅する(最近も印象的な事例があったことはご案内のとおり)。
『世界』が『世界の罪』を真摯に自己剔抉する勇気と知性を示せば、ブランドの信頼性は一気に回復するだろう(私だって定期購読する)。
母が書いた「何か腹が立ってくる」という感覚は、コンテンツにかかわる苛立ちではないと思う。
そうではなくて、「メディアがこんな状態で、ほんとうにいいんだろうか?読者視聴者にいずれ見捨てられるんじゃないだろうか・・・」というまっとなジャーナリストなら当然抱いてよいはずの不安が、いまのメディアからは感じられないからである。
親からは勘当され、友人知人も離れだしているときに、左団扇で、「なあに、なんてこたあねえよ」と冷や酒くらって、「どうでえ、みんなでこれからナカへでも繰り出そうじゃねえか。なあに勘定なら心配いらねえよ」と大見得を切っているお気楽若旦那を見ていると「むかっ腹が立ってくる」というような種類の腹立ちを母は感じたのではないだろうか。
私はメディアの復活に対しては、基本的には楽観的である。
『唐茄子屋政談』の若旦那がわずか一日の「唐茄子売り」経験で真人間に戻ったように、「まっとうな商売を一からやり直そう」と決断しさえすれば、朝日だってNHKだって岩波だって、また「メディアの王道」を粛々と歩み始めることができる。
私はそう信じている。
だから私は、当今はやりの「メディア叩き」には加担する気がない。
一度腐りかけたシステムを「まっとう」な道に戻すことの方が、すべてを壊して新しいものを作るよりずっと困難な仕事であり、ずっと人間的な仕事だと私には思われるからである。
でも、そのためにはみなさんには「唐茄子売り」をやって頂かないとダメなんだけれど、果たしてメディアの方々にはそれがどういう「ふるまい」を意味するのかがわかるだろうか?

投稿者 uchida : 10:08 | コメント (3) | トラックバック

2005年10月04日

場の力と麻雀マット

現代霊性論の二回目。
これはご案内のとおり、釈徹宗先生と私の「漫才形式」の講義で、われわれの日常生活に瀰漫している無数の霊的現象について、これを宗教学的=現象学的=精神分析的アプローチによって解析しようという教化的な授業である。
第一回の先週は期待していたほどに学生が集まっていなかったが、二週目に入って、「おもしろいよ」と口コミで伝わったのか、先週より十数名受講者が増えていた。
学生諸君にしてみたら、まことにお気楽にして生産的な授業である。
私のオカルト=ヨタ話(猫の霊に祟られた話とか、UFOを見た話とか、岡田山の風水の話とか)を片方の耳で聴きながら、反対側の耳では釈先生の正統的な宗教学の講義も聴けるのである。
二度目の今日は釈先生による「霊性」概念の宗教史的解説から始まったのであるが、私がたちまち横やりを入れて、「塚」というのはありゃ「墓」のことですよね。ところで、このあたりには「塚」のつく地名が多いのですが、そういうところに住むと・・・というところから始まって、「名」による呪、場の力、スピリチュアル・カウンセリング、桑村先生仕込みの「目の動きによる人格三分類法」・・・と話頭は転々奇を究めて能くここに叙することができないのである(知りたい人は本を買いましょう)。
90分ノンストップの「漫才」を終えたあとに、釈先生が、「これをよそでやったら、ずいぶんお客が入ったでしょうね」とぽつりと漏らされた。
たしかに朝カルあたりで同じことをした方が私どもの労働時間あたりの単価は高そうである。
しかし、あえてクローズドの教育活動としてやることによって「内輪のギャグ」が暴発という利点もあるわけで、これはなかなか同日には論じがたいのである。
釈先生は「おみやげ」に「麻雀マット」をご持参くださった。
前回の甲南麻雀連盟発足記念大麻雀大会の唯一の瑕疵は「麻雀マット」が整わなかったために、手積み作業においてぼろぼろと牌をこぼすケースが見られたことである。
だが、「麻雀マット」というようなものがどこで売られているのであろう?
トイザラスにはなかった(ほとんど「けんもほろろ」という口調で私どもの質問は却下されたのである。「はあ?麻雀マット?なもんありません。」まるで「厚揚げあります?」と訊かれたアンリ・シャルパンティエの売り子のような表情であった)。
ホームセンターにもなかった(麻雀マットは「ホーム」の構成要素には算入されていないのである)。
家具屋にもなかった(麻雀マットは「家具」としては認定せられていないのである)。
どこにあるのであろうか?
どクターと越後屋さんと私はしばらく沈思黙考した。
「デパートですかね」
うーむ、だが三宮の大丸に行って、インフォーメーションの女の子に「麻雀マット、どこにありますか?」と訊いて「お客様、失礼ですが『まーじゃんまっと』とはいかなる形状、いかなる用途のものでございましょうか?」と反問されたあとに、私たちが「あ、もう、いいです」とすごすご立ち去る風景があまりにリアルに想像されたために、私たちは車をめぐらせて「今日は何か適当なものをテーブルの上に引いてやりましょう」ということになったのである(写真に写っているテーブルの上のマットは「浴室の足ふきマット」である。さいわい材質といい触感といい、麻雀マットにベストのマッチングであった)。
今後、各自がそれぞれのコネクションを駆使して、麻雀マットをゲットすることを甲南麻雀連盟の最初の責務として確認して散会したのであるが、たちまち釈先生がこれを発見されてきたのである。
とある古店の倉庫の奥に死蔵せられていたものを発掘された由。
あるいはこれが「日本で製造された最後の麻雀マット」かもしれない。
さっそくマットの裏にマジックで黒々と「本台は釈徹宗師よりご雀贈されたるものである。雀友一同この雀恩を末永く語り継ぐことを雀誓する。」
甲南麻雀連盟会員は、二字熟語には「雀」の字を冠しなければならないのである(今決めたんだけど)。

本日の体重74・0キロ(二時間半杖道の稽古したからね)

投稿者 uchida : 10:23 | コメント (7) | トラックバック

2005年10月03日

われらが不満の九月が終わり

徹マン明けのぼんやり頭で、まず『ミーツ』の原稿を書く。
大迫力と書いて「おおさこ・ちから」と読む大迫くんから「原稿まだですか」という泣きの督促メールがはいる。
私だって締め切りに遅れたくはなかったのだが、キミんとこの編集長ご自身が「さ、麻雀やりましょう、先生」と言いつつビール片手にわが家に来ちゃったんだから、締め切りに遅れたのは私の責任ではなく、むしろ『ミーツ』そのものの本態性疾患と言っても過言ではないのだよ。
すらすらと書いて送稿。
ただちに「文春のヤマちゃん本」(正式タイトルは『知に働けば蔵が建つ』)の校正に取りかかる。
校正といってもデータで来ているので、いくらでも書き直しが効く。
最初に草稿として届いたデータからはずいぶん内容が変わってしまった。
採録漏れの「政治ネタ」も何本か追加で入れたので、全体にだいぶ「硬い」本に仕上がっている。
たまにはいいでしょう、硬い本も。
午後1時から始めて、午後8時に終了。
さすがに肩がばりばりに凝る。
3週間ほど前も終日身じろぎもしないで本を一冊校正した記憶がある(そのあと三宅先生に「どういう生き方をしたら、こんなめちゃくちゃな身体になるんですか・・・」と絶句された)。おそらく同じおことばを明日の治療のときにもお聞きすることになるのであろう。
このような非人道的なペースで執筆を強要する出版社の方々の人権意識はどういうことになっているのか、一度真剣にお訊ねしたいものである。
イス研の書評原稿20枚も書き上げたので、9月末締め切りの三本の原稿はこれにてすべてめでたく脱稿したことになる。
これで当面急ぎの仕事はなくなった。
次は私が解放される日の来るのを忍耐づよく待って下さったバジリコの安藤さんの『甲野善紀先生対談本』の校正に取りかからねばならない。
これはほとんど書き上がっているので、何十頁か書き足すだけで終わる。
そのあとには同じバジリコの足立さん担当の『三砂ちづる先生対談本』の校正データも届くはずである。この本の私の加筆箇所はほぼ終わっている(ような気がする)。
それから『私家版・ユダヤ文化論』の新書化に当たっての校正が入る。これは一月刊行予定であるから、おそらく来月なかばには書き直しについての詳細なる指示メモが文春から届くであろう。
『東京ファイティング・キッズ2』もそろそろ単行本一冊分くらい原稿がたまったはずなので、ぼちぼち柏書房からお声がかかる頃合いである。
そういえば、高橋源一郎さんに頼んでおいた『読んでなくても大丈夫』の校正ももう上がって良い頃である。
なにしろ、去年の暮れにゲラのデータをお渡ししているのである。
たしかそのときには「三月末まで」にというご返事であった。
その次に五月にお会いしたときには「今月末には」というお答えであった。
その後七月にお会いしたときには「来週末には」というお答えであった。
だんだんインターバルが短くなっているので、次にお会いしたときには「明日までには」となり、その次にお会いしたときは「今夜中には」となり、その次にお会いしたときには「あと3時間後に」・・・というふうになることはほぼ予測がつくのである。
ご賢察のとおり、これは「アキレスと亀」の応用であるから、編集者である私は決して高橋さんに追いつけない構造になっているのである。
その高橋さんともう一回お会いしておしゃべりをすると、朝カルの分と、『竹信本』の巻末対談とあわせて、本一冊分になる。
これは誰よりも私自身が読みたい本なので、はやく実現したい。
講談社の『学びからの逃走・労働からの逃走』もできれば今年度中に書き上げたいものである。同ネタで二度も講演をしているので、書きたい材料は揃っているのだが、書く時間がなかったのである。
これが「当面急ぎの仕事がなくなって、ほっとしている」ウチダの現状である。
兄上からは「タツル、ブログで愚痴を書くなよ」とご叱正頂いているけれど、兄ちゃん、これは愚痴ではなくて、関係各方面への「アッピール」なんです。
関係各位はそれぞれの政治的文脈に即して私の意のあるところをご判読いただきたいと思う。

投稿者 uchida : 11:04 | コメント (2) | トラックバック

2005年10月02日

楽しい夜更かし

甲南麻雀連盟が発足することになった。
めでたいことである。
最近の若者は「麻雀」をしない。
うちのイワモト秘書などは「麻雀牌」というものを生で見たのがこれがはじめてだそうで、「こういう大きさのものだったんですか」とぽつりと感想をもらしていた。
『上海』のような麻雀牌を使ったビデオゲームがあるので、麻雀牌というものの形状はデジタルには知っているのであるが、ディスプレイでしか見たことがないので、材質や大きさは想像で補っていたのである。
甲南麻雀連盟は過日、高雄くんの帰国を祝って「氷」を食べているときに、ドクター佐藤から強く提唱された。
「先生、麻雀やりましょうよ」
ドクターはつねに決然とことばを発するので、おそらくその発言の前には長時間にわたる熟慮の日々が横たわっていたのであろう(というふうにみんな考えるのであるが、しばしばそれが「その場の思いつき」にすぎないことを私は知らないわけではない)。
とはいえ、「麻雀を打つ」というのは歴史的に考えても「よいこと」であると言わねばならぬ。
過日、『チャーリーとチョコレート工場』の試写会で、私は観客の95%が女性客であることに心を痛めた。
「若い男性諸君はどこに行ったのだ?」
まさか全員が引きこもっているか秋葉原にいるわけではあるまい。
女性たちはあるいはグループを作り、あるいはペアで、あるいは一人で、映画館のみならず、コンサート、演劇、歌舞伎能狂言、バレエ、オペラとあらゆるエンターテインメントの場を闊歩されている。
そういう場で「男性たちのグループ」を見かけることはほとんどない。
これはどういうわけなのか。
少なくとも若い男性が「つるんで」遊興的な行動するという習慣がなくなりつつあることは事実である。
困ったものである。
私たちの若い頃は(55歳となって、このような定型句が大手をふって使えるようになったことを私はたいへんうれしく思う)、男たちはしじゅうつるんで街場をのたくっていた。
どうしてつるんでいたかというと、「さっきまで麻雀をしていたから」、あるいは「これから麻雀をするから」、あるいは「麻雀をしたいけどメンツが足りないのですることがないから」、あるいは「麻雀をしていたんだけれどメンツが足りなくなったのですることがないから」というケースがたいへん多かったように思う。
例えば、夏場に海水浴に行くとか冬場にスキーに行くとかいうとき、私たちは必ず「四人」以上のメンバーを整えたものである。
土壇場になっても三人しか揃わないときには、「誰でもいいから、つれていこうぜ」ということになり、スキー旅行出発前夜に電話がかかってきて「ウチダ、何も言わずに明日から蔵王に一緒に来てくれ」というようなオッファーがなされることも一再ならずあったのである。
そのような切迫したリクルート活動の結果、私たちは「よく知らない連中」「友だちの友だち」のような方々としばしば長旅をともにすることになった。
もちろん、自宅で麻雀を行う場合も、メンツを揃えるためには好き嫌いを言っている余裕はない。
結果的に私の家には(私の家は自由が丘という足場のよいところにあり、格好の「雀荘」であった)、私が帰宅すると、見知らぬ数名の若者たちが「あ、お邪魔してます!」と麻雀を打っているということがしばしばであった(私の友人が私の留守宅を訪れ、しばし麻雀を打ったのち、彼の友人たちを残して去ってしまったのである)。
私は彼らを歓待し、お茶を出したり、ラーメンを作ってあげたり、ジャズのLPをかけて挙げたり、しばしば大量の点棒を献上して、富裕な状態にして送り出したりしたものである。
それは私たちの社交性を高める上でも、またコミュニケーションの訓練の上でも、友人のネットワークを構築する上でも、すくなからぬ貢献をしたのではないかと思う。
その美風はおそらく70年代の半ばを機に失われた。
私はそれを惜しむべきことだと思う。
「タツル、今度麻雀やんない?」
と兄ちゃんが私に告げたのは、昨年五月、日本海に沈む赤い夕日をみつめながら、塩の味のする山形の湯野浜温泉の露天風呂に浸かっているときであった。
「兄ちゃん、オレもいまそう言おうと思っていたとこなんだよ!」
私たちはかつて自由が丘のポップな若者たちの間で「まむしの兄弟」と異名された性悪な麻雀打ちであった。
あれから25年、私たちは久しく牌を握っていなかった。
どういう風向きで麻雀が復活することになったのか、その内面のざわめきを私はまだことばにすることができぬ。
だが、兄の伝言を伝えるべく、「ねえ、今度麻雀やんない?」と平川君、石川君に告げたときの彼らの顔に輝いた「光」を私は忘れることができない。
彼らもまた四半世紀牌の手触りを忘れていたのである。
「極楽温泉麻雀」がそのような経緯で復活したことはブログでもすでに述べた。
しかし、私たちよりずっと若い世代の間から澎湃として「麻雀復活」の声が上がってきたことを私はたいへんうれしく思う。
昨日午後、合気道の稽古のあと、ドクター佐藤はクールな声で兵庫県合気道連盟の総会での議事の報告をしたあとに、ふと「先生、今日、麻雀やりません?」ときっぱりとした声で私に告げたのである。
「いいけど、誰と?」
「タニグチさんがその気になってるんです」
「でも三人じゃない」
「探します!」
そして、かつて私たちをさまざまな無思慮な行動に走らせた、焦がれるような「四人目探し」を開始したのである(携帯電話というものが「メンツ探し」にこれほど効果的な利器であることを私ははじめて知った。1970年に携帯電話が存在していたら、私はおそらくあのときに投じた10倍の時間を麻雀に費やしていたであろう)。
麻雀をやるためにはまずわが家にまず麻雀牌、卓、座椅子を購入するところから始めなければならない。
そのあとの私たちの行動は驚くほど迅速であった。
三時間後、わが家は新品の牌、卓、座椅子、ドリンク、おにぎり、煙草、CDなどのセッティングを終え、メンツにはドクター、越後屋さん、『ミーツ』の江さん、如来寺の釈先生と五名が集まっていた。
「あら、二抜けで『ミーツ』の原稿書けるじゃないですか!」と私は喜悦の声を上げたのである(ちなみに私の『ミーツ』の締め切りはすでに一日過ぎていたのである)。
そして、「楽しい夜更かし」の幕は切って落とされた。
詳細については割愛させていただくが、午前3時過ぎ、すべてが終わったあと、冷たいビールと白ワインを喫しつつ、江さんも釈先生もは何度も何度も「ああ、おもろいなあ。最高やなあ。たのしいなあ」とつぶやきつづけていたのである。
十月一日はこうして「甲南麻雀連盟」発足の日として末永く記憶されることとなった。
さあ、これから毎月やるぜい!


051001_1839.jpg 「楽しい夜更かし」に集う甲南麻雀連盟の面々(みんな嬉しそう)

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2005年10月01日

態度の悪いバースデイ

Happy Birthday to Me
というのはウディ・アレンの『ハンナとその姉妹』の中で、誰も誕生日を覚えていくれていないのでダイアン・キートンが台所でひとりで泣きながらケーキを食べているときに口ずさむ歌である(という話は前もしたね)。
映画ではサム・シェパードが(例の前歯のスキマをきっちり見せる笑いとともに)台所のドアをノックして登場して、意外にハッピーな展開になるのである。
私の55歳の誕生日の夜もひとりでポトフを作ってぱくぱく食べて、『タイガー&ドラゴン』のDVDを見ているうちに終わってしまった(長瀬智也くんは芝居がますますうまくなってきた。「間」がよい)。
55歳といえば、源氏鶏太や石川達三のサラリーマン小説の時代であれば、停年退職の年である。
会社を辞めて、静に庭いじりなどをしなければならない年回りである。
『サザエさん』の父、「磯野波平さん」はマンガの設定では54歳であるから、ウチダはついに「波平さん」よりも年上になってしまった。
感無量である。
さまざまな方からバースデイ・プレゼント、バースデイ・カードを頂いた。
まとめてお礼を申し上げる。
ウチダのような態度の悪い男の行く末を気づかって下さって、どうもありがとう。
みなさまの負託に応えて、ますます世を騒がせる方向に純化してゆくことを改めてここにお誓い申し上げたいと思う。

55歳になったので態度をいっそう悪くしようと決意したところに朝日新聞の集金が来たので、「アサヒは明日から入れなくていいよ」と宣言する。
販売店のお兄ちゃんが「え、どうしてですか?」と困惑するので、「君が悪いのではない。アサヒの紙面がどうも気持ちが悪くて、朝新聞を取りに行くのが苦痛になってきたのだよ」と事情を説明する(これではわからないだろうが)。
わが家は生まれたときから朝日新聞で、私自身もずっと朝日新聞一筋のヘビー・リーダーなのであるが、その私が「もう読みたくなくなった」というのだから、ここ数年の朝日の紙面の質的低下はかなり顕著なものと言わねばならぬであろう。
コンテンツが悪いと申し上げているのではない。
「語り口」が気に入らないのである。
「イデオロギッシュ」なのである。
「イデオロギッシュ」といっても、偏向しているとか左傾しているとか、そのようなレベルのことを申し上げているのではない。
問題はコンテンツじゃないんだから。
内容ではなく、そのコンテンツの「差し出し方」が私の疳に障る、と申し上げているのである。
どのような問題についても「正解」があり、それを読者諸君は知らぬであろうが、「朝日」は知っているという話型に対する膨満感が限度を超えたのである。
もちろん、どのようなジャーナリズムもこの話型を採用しているし、「あなたが知らないことを私は知っている」というプレゼンテーションの仕方がビジネスでも教育でも医療でもきわめて効果的なものであることを私は知らないわけではない。
しかし、ものには限度がある。
こういう「技」はピンポイントで「ここ一番」というところで決め打ちで使うからこそ効果的なのであって、のべたんで紙面全体に「朝日は正解を知っている」というワーディングが瀰漫すると、さすがにうんざりしてくるのである。
前にも申し上げたことであるが、どのような社会理論にもそれがぴたりとあてはまる論件と、あまりうまくあてはまらない論件とがある。
その場合に、うまくあてはまる論件にのみ理論の適用を限定して、あまりうまくあてはまらない論件については適用を自制するというのはたいせつなマナーである。
そうすれば社会理論の信頼性はかなり「食い延ばし」が効く。
マルクス主義にしてもフェミニズムにしても、その全能性を過信して、適用しなくてもいい問題についてまで過剰適用したことによって理論としての生命を濫費してしまったと私は見ている。
「これについてはよくわからないので、判断を保留します」という節度は、メディアの生命にとってもたいへん重要なことである。
レヴィナス老師はかつて哲学の本務は「難問に回答することではなく、難問の下にアンダーラインを引くことである」と述べられたことがある。
メディアのマナーもそれと同じだと私は思う。
「資料が整い合理的に推論すれば答えることのできる問い」と、「材料が揃っていても軽々には答えの出せない問い」と、「おそらく決して人間には答えの出せない問い」については三色ボールペンでアンダーラインを引き分けるくらいの節度はメディアも持たなくてはならない。
ジャーナリストが決して口にしたがらないことばは「わからない」と「すみません」である(もし、はじめて会って五分以内にこの二語を口にしたジャーナリストがいたら、その人は信頼してよろしいかと思う)。
しかし、おのれの知力の限界についてクールな自己評価ができないもの、おのれの誤謬を他人に指摘されるより先に発見することに知的リソースを備給できないもののことばをいつまでも信じ続けられる者はいない。
朝日の後はしばらく毎日新聞を取る予定である。
朝日を止めて読売を取るというのも、朝日を止めてサンケイを取るというのも、どちらも定型的な反応でよろしくない。
「ビートルズとストーンズとどっち好き?」と問われたときは「デイヴ・クラーク・ファイヴ」と答えるのがナイアガラーの骨法であると大瀧詠一師匠はおっしゃっていたのでその風儀に従うのである。

つづいて同日午後にNHKから取材の申し込みがある。
お題は「少子化問題」。
電話をくれたのは若い記者の方で、少子化問題を論じるときの政策やメディアの議論の枠組みがどうも「変だ」という気がするのですが、「変」ですよね?というお尋ねである。
もちろん「変」である。
第一に、少子化問題の前提にある「少子化は問題だ」という発想そのものが不当前提である。
第二に、少子化の影響として年金、医療、労働力、老人介護といった「金」の問題しか誰も語らないのが変である。
少子化が問題だと言っている人々は、今のシステムを「現状のまま」に(政府のサイズも医療も教育も福祉も新幹線も高速道路もダムもこのままに)維持してゆくと、人が足りない金が足りないから「たいへんだ」と騒いでいるのである。
だが、人口が9000万人になったらどうして困るのか?
人口9000万人のときには、社会のサイズが人口9000万人規模であれば誰も困らない(現に、1950年代には「人口が少なくて困った」などと言う人間はどこにもいなかった)。
人口9000万人で人口1億3000万人サイズの今の社会システムを支えようとすれば破綻するのは当然である。
ヨーロッパの先進国がどれくらいの人口かご存じであろうか?
フランスは人口6000万、ドイツは8200万、イタリア5800万、イギリス6000万、スペイン4000万。
どの国からも「国民の頭数が少なくて困った」というような話は聞かない。
左翼の政論家がよく理想として語る高福祉国家北欧諸国の人口はそのような規模ではない。
スウェーデン898万人、フィンランド521万人、デンマーク512万人、ノルウェー457万人である。
つまりスウェーデンが神奈川県、フィンランド、デンマークが福岡県、ノルウェーは静岡県(380万)と世田谷(80万)を足したくらいの人口サイズなのである。
はっきり申し上げるが、高負担高福祉というような社会政策は「おたがいの顔が見えるサイズの社会」でしか実現できないのである。私の払う高額の税金は「この人たち」を支えるために費消されているのだということが実感される規模の共同体でなければ、高負担高福祉のようなことはできない。
そういうことは国の規模が小さいからこそ可能なのである。
日本のような大きな社会であれば、いくら税金を払っても、それが「困っている人たち」の手元に届く前に、介在する無数の官僚機構や特殊法人や中間組織によって費消されてしまう。
その不合理に日本人はうんざりし始めている。
だからこそ、「大きい政府にノー」という決断をこのたびの総選挙で有権者は下した。
どの評論家もそう評価している。
私も同感である。
ではなぜ少子化という趨勢が「大きな国にノー」という国民の審判であるとはお考えになれないのか?
それが私にはわからない。
民意というのは投票によってのみ示されるものではない。
日常の生活態度そのものを通じて民意は日々示されている。
日本国民は総意として「ダウン・サイジング」を選択した。
私はそう理解している。
少子化は「問題」ではなく「民意」である。
どうしてフランスやドイツ程度のサイズの国になることが未曾有の国難のように騒がれるのか、私には理解が届かないのである。
というような話をラジオですることになった。
朝の五時台の放送だそうである。

本日の体重74.8キロ(74キロの壁は厚い)

投稿者 uchida : 09:34 | コメント (17) | トラックバック