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2005年09月28日

めぐみ会からの招待

めぐみ会京都支部の秋の例会にお招き頂き、一席講じる。
「めぐみ会」というのは本学の同窓会である。
その会員たちのアクティヴィティの高さ、組織的結束力、母校への愛の深さはおそらく他に類例を見ないものと申し上げてよろしいかと思う。
そのめぐみ会京都支部の革島支部長から講演依頼を頂いたのは半年ほど前のことである。
「めぐみ会からの講演依頼」を断ることのできる本学教員はいない。
三日ほど前から酒を断って(うそ)、斎戒沐浴、きりりとアルマーニのスーツにアルマーニのネクタイを締めて、革靴をぴかぴか磨き上げて、京都のブライトンホテルまででかける。
会場には同窓会の錚々たるOGのみなさまがすでに集っておられる。
「ウチダ先生は昭和25年のお生まれ?じゃ、うちの婿とごいっしょね」というような圧倒的な貫禄の差に恐縮しつつ、型どおり賛美歌を歌い、祈りを捧げてから90分一本勝負の講演。
お題は「学びからの逃走、労働からの逃走」(夏のトップ・マネジメント・カフェのセミナーのときと同タイトル)。
大学淘汰の現状報告から始まって、教育危機、ポスト・フェミニズム、晩婚未婚問題、少子化、訴訟社会、他責的な人々、ニートとフリーター、「商取引」タームで語られる教育と労働・・・と日本の危機的現状の構造についてリアルかつクールな分析を加える。
たいへんにコミュニケーション感度の高いオーディエンスだったので、こちらのひとことひとことで座がさっと緊張したり、ふっと緩んだり、さざなみのように微笑がひろがり・・・とレスポンスが早い。
ついついドライブがかかって、こちらもいつもより1.2倍くらいの速度で舌がくるくる回ってしまった。
最後に「それでも(というか、それゆえにこそ)神戸女学院は不滅です」と獅子吼して締める。
身内なんだから、これくらいのアオリは許容範囲であろう。
家庭崩壊、教育危機などを論じた本論部においては一様に暗い顔をされていたみなさんも、結論部についてはほぼにっこりとご満足のようであった。
講演後、会食。
終戦直後の女学院寮生活とか、デフォレスト先生の思い出とか、こういう場でしか聞くことのできない貴重なお話を大先輩の会員の方々から伺う。
デザートのあたりで再びマイクが回ってきて、コーヒーを飲みながら質疑応答。
ビールをちょっと飲んだせいで地金が出てしまい、「岡田山に住んでいると、毛穴が開く」というような失言を重ねてしまうが、みなさん大人なので、笑って許してくださった(と思う、たぶん)。
帰りがけに会員のみなさんから「たいへんな時代ですけれど、がんばって女学院を支えて下さいね」と口々に激励される。
この敬虔でかつちょっぴりクリスプな阪神間ガールのエートス領する同窓会こそまさしく本学の「インビジブル・アセット」なのである。
革島さまはじめ京都支部のみなさん、どうもありがとうございました。
そういえば、今日も男性は私ひとりで、あとはすべて女性という性的に非対称的な場であった。
先般の香川大学付属病院のときもそれに近い状況であったけれど、どうやら私はこのような「世之介状態」においてたいへん知的パフォーマンスが上がる人間らしい。
思えば、小学生のときから、気が付くとまわりはみんな女の子で私ひとり男子で遊んでいるという局面が多かったが、三つ子の魂は百まで変わらないのである。

今日の体重 75.4キロ(ぜんぜん減らないじゃないか・・・)

投稿者 uchida : 20:46 | コメント (0) | トラックバック

2005年09月27日

現代霊性論はじまる

後期始まる。
愚痴を言っても仕方がない。始まった以上は肚を括って、にこにこ笑ってやるしかない。
初日には会議が三つ、授業が二つ。
講義科目は「現代霊性論」。釈徹宗先生との合同講義というか、漫才形式の哲学=宗教学講義である。
学生の前で、ふたりで霊性にかかわる現代的なトピックをかたっぱしから論じ尽くそうという企画のものである。
本学はキリスト教の大学であるから、もちろん宗教関連科目はいくつも開講されているのであるが、現実の大学生たちが日々の生活の中で経験している宗教問題(呪鎮、祟り、占い、霊感、超能力、喪の儀礼、死者とのコミュニケーション・・・)といった生々しい論件は必ずしも主題的には論究されていない。
しかし、私たちが生きている現実は「物語」として編成されており、そこで私たちは悪霊を恐れ、死者の祟りを鎮め、呪詛を送りまた祓い・・・という宗教的なみぶりを繰り返している。
どれほど科学的な人であっても、「人間は死んだらただの有機物だ」と言って、親の屍骸を「生ゴミ」に出すというようなことははばかる。
そこに何かに対する「冒涜」を感じるからである。
では、その「冒涜」の感覚において、その人は何を冒し、何を穢していると思っているのか?
手足をばらばらに切り刻んで「生ゴミ」に出しても、定型的な葬儀を通じて死体を処理しても、最終的に重油で焼かれて灰になることに変わりはない。
どこが違うのか?
問題は有機物の処理ではなく、かたちに見えない「何か」が死体に帯同しており、それをどう扱うかを配慮することを私たちは回避できないからである。
私たちはその「何か」を明示的な言語で名指すことはできない。
できなくて当たり前なのである。
その「名指し得ぬものを畏怖する」能力を獲得したことを通じて、人間はサルと分岐し、人間性を基礎づけたのだから。
「それ」そのものはどのような意味でもevidence-based な学術の対象にはならない。
私たちができるのは、人間が「それ」をどのように「避けた」(つもりになっている)のか、どのように「鎮めた」(つもりになっている)のか、それを考究するだけである。
いわば、透明人間が雪の上に残した足跡をたどって、透明人間の「歩き癖」を推測するようなものである。
しかし、これはこれで一つの学問であると私は思っている。
本日の現代霊性論はいきなり「靖国問題」から入る。
政治と宗教、近代的霊性と前近代的霊性、ナショナリズムとコメモレーション、呪詛と名付け・・・といった本質的な論点がいきなりばりばり出てきてしまったので、私と釈先生は学生のことをほとんど忘れて熱い議論に耽る。
学生たちはしんと水を打ったようになって、誰ともなく、ノートを取り出して必死になって二人の会話を書き写し始める。
やっぱり大学の授業というのはこうでなくちゃね。
ほとんどの学生たちは、知的高揚というものを「見たことがない」。
見たことがないものはなかなか自分では経験できない。
知的に高揚している人間の身体がどのように変容するのか、表情がどう変わり、肌がどう紅潮し、声がどう響きを変え、場の空気がどのように密度を増すか・・・ということは、現場に居合わせないとわからない。
逆に言えば、現場に居合わせさえすれば、(たとえ内容が理解できなくても)身体的に同調することで、知的高揚感というものは共有されるのである。
教壇から講義しながら、なお知的に高揚するというのはたいへんむずかしい(できないことではないが)。
二人いると、そこに対話が成立する。
意見の微妙な食い違いがあり、ことばの解釈の違いがあり、発見があり、創造がある。
この合同講義、合同演習という形式の有用性をずいぶん前から主張しているのであるが、同僚の方からはあまりはかばかしい反応がない。
ふつうの方は傍らに自分と考え方の違う人間がいると、気分が悪くなるのかもしれない。
この「現代霊性論」講義録は「インターネット持仏堂3」として、本願寺出版社から出版される(かもしれない)ので、”魔性の女”フジモトくんが聴講に来ている。
さっそく本日分の録音MDをお渡しする。
これはきっと面白い本になりそうである。
釈先生よろしくお願いしますね!

投稿者 uchida : 09:35 | コメント (1) | トラックバック

2005年09月25日

痩せなきゃ

上智大学で『他者と死者』の読書会。
赤羽先輩が幹事で、久米博、中山眞彦両御大、西川直子先生、佐々木滋子さんという都立時代の先輩方、早稲田の吉田裕先生はじめ研究会のお歴々の前に出ると不肖ウチダもまだまだ若輩者であるので、おとなしく同書の執筆意図や歴史的文脈についてご報告申し上げる。
さっそく内容について諸先生方からきつい質問や疑義がびしびしと叩き込まれる。
私の文章の理路が混乱しているとか言葉の使い方が間違っているといった指摘については「へへ、どうも」と謝れば済むが、「レヴィナスはいったい何が言いたいのか」というご下問となるとさすがそうもゆかない。
いや、老師がおっしゃりたいことは、不肖ウチダが拝察いたしますには・・・と脂汗を流しながら返答さしあげることになるが、私のつたない説明ではなかなかご納得いただけない。
私自身、二年がかりで本一冊書かないとどう読んでいいのかわからなかったし(いまだによくわからない)老師の理説である。一問一答ではいはいとご説明できるというものではない。
赤羽さんがときどき助け舟を出してくれるが、ひとりで応戦しているうちにだんだん頭がオーバーヒート、脳がガス欠になってくる。
さいわいウチダ本の「愛読者」という方もおられて、その方たちの「わからなかったけど、わくわくしました」という励ましで何とかもちこたえる。
5時半になったところでレフェリーの赤羽さんが打ち切りを宣言してくれて、3時間半にわたる口頭試問(だよな、これは)が終わる。
やれやれ疲れた。
台風の影響での横殴りの雨の中、四谷の居酒屋にぞろぞろ赴いて、打ち上げ宴会。
宴会ではうって変わって、ネット右翼のこと、先般の選挙の総括、大学セクハラ事情といったシビアな話になる。
さらに佐々木さんに誘われてもう一軒。
明日が朝から仕事なので、あまり飲まないつもりだったが、同行の上智大学の仏文の若手のみなさんの話が面白くて、ついつい腰をすえて長広舌をふるい、結局看板までねばってしまった。
学士会館に戻って、11時就寝。
午前5時にぱちりと目が覚める。
突然、10月8日に多田塾合宿と出版記念パーティのダブルブッキングをしていたこと思い出した。
どうして寝ているときに突然そんなことを思い出したのか不思議であるが、「10月8日」という数字が何か「変」だという印象が意識下にずっとあって、それが山本画伯から来た「いま池上先生といっしょです。君も来ない?」(そのころ私は打ち上げのさなかでありました)というメールを寝しなに読んだのに触発されて、寝ているあいだに観念が結びついたのであろう。
「10月8日より多田塾合宿」という記事はダイヤリーに手書きしてあり、携帯のスケジュールには10月8日「AO入試」「出版記念パーティ」と入力してある。
スケジュールをそれぞれをばらばらに見ていたので、二つの行事が同一日であることが意識に前景化していなかったのである。
もともと8日はAO入試があって合宿初日には参加できないことがわかっていたので、出版記念パーティのお話があったときには「その日は空いてます」と申し上げたのである。ところが、先週の木曜に突然AO入試の試験官の仕事を免ずるというお知らせをいただき、「なんだ、合宿行けるじゃないか!」と喜び勇んで飛行機のチケットを手配したのである。
そのときに「10月8日午前9時のANA513」のチケット発券を待ちながら、「10月8日って、どこかで聞いた覚えのある日付だなあ・・・」と思いながらそれが何の日なのか思い出せなかったのである。
『身体の言い分』の出版記念パーティはすでに過去三回やっており(最初は信州の温泉で、二度目は牡丹園別館で、三度目は青山ブックセンターのあとのイタリアンで)、今度が四回目である。
イベントとしてのインパクトがやや弱く、私のこのところたいへん機能低下している記憶力にとどまることができなかったのであろう。
主催者の三宅先生にも遠くからおいでになる池上先生にもまことに申し訳ないけれど、今回はそういうことでひとつ・・・
このような非道なダブルブッキングを乱発していると、そのうちに周囲の人々に見限られて、ついには社会生活が営めなくなってしまうのは時間の問題である。
しかし、ひとことだけ言い訳させていただくならば、すべては私のプアーな記憶容量をはるかに超えるタイトなスケジュールのせいなのである。
現に明日の月曜だって、私は12時50分から臨時教授会に出て、そのあと13時50分から部長会に出て、そのあと14時55分から16時25分まで釈先生と授業をしている間に16時から施設関係の会議に出て、そのあと16時35分から18時5分まで体育の授業をしている間に18時からの学部長会に出て、18時5分から19時までの杖道のクラブ指導をしなければならないのである。
ごらんのとおり、通常の教育活動に二つの会議がすでに「ダブル・ブッキングされている」のである。
一人の人間は同時に二つの場所にいることはできないと思うのだが。
早朝にダブル・ブッキングのミスに気づいて、何とも気の滅入る朝食であったが、やってしまったことはしかたがない。これから関係各方面に土下座して回るだけである。
9時45分に『月刊ソトコト』(「ロハスピープルのための快適生活マガジン」なんですって)というたいへんお洒落な雑誌の取材がある。
取材にいらしたのは月本裕さんという作家の方である。
先般の総選挙に見られた「弱者による弱者バッシング」という倒錯した現象についてコメントを求められる。
政治的価値というのは最終的にひとりひとりの政治実践者の実存的企投に担保されるものであるから、ネット上で政治的言説を匿名で発信している人間たちが何十万いてもそれが身体性や固有名を引き受けないものにとどまるかぎり本質的な意味での「政治運動」にはならないという話をする。
若い方々はあまりご存知ないようだけれど、政治運動は社会理論と同じくある種の「生物」に似ていて、「誕生」があり、「成長期」があり、「開花期」があり、それから長い「没落期」があり、最後に「死」が訪れる。
物理的な時間幅だけ見れば、政治活動家というのは、そのほとんどの期間で実は「後退戦」を戦っているのである。
いわば櫛の歯が抜けるように、ひとりまたひとりと「同志」が戦列を離れ、振り返るともう誰もついてこない・・・というようなたいへん気の滅入る局面である。
しかし、誰がなんと言おうと、政治運動というのはその過半が(場合によっては全期間の90%が)そういう情けない「落ち目」の局面なのである。
それでも誰かがこの後退局面を引き受けて、しんがりとなって悪戦を戦い抜き、最後に政治運動が息を引き取るそのときに臨終の証人としてその場に居合わせなければならない。
そのときにはじめて、誕生から死までのその政治運動全体の歴史的な意味と価値が確定するからである。
そのような喪の儀礼を引き受けるのは最終的には固有名を持つ個人である。
「喪主」が存在しない政治運動(つまり、高揚期が過ぎた瞬間に運動の後退戦の引き受け手がひとりもいなくなってしまうような運動)は(弔いする人間のいない死者が悪霊になるように)生腐りのまま放置され、いつまでも悪臭を放って、その運動にかかわったすべての人間にとって刺さったまま抜けない棘のような「恥」となる。
政治運動にコミットするということからほとんどの人は、ゼロから運動を作り出してゆく草創期の高揚感と、運動が一気に祝祭的なエネルギーを獲得してゆく瞬間の興奮のことだけを考えるけれど、それは短見というものである。
政治的主体の果たしうるもっとも重要な仕事はそのような「サニーサイド」にはない。
「凋落する政治運動」の「死に水を取る」人間がどれほど誠実にその仕事を完遂したかによって政治運動の真の価値は決定するのである。
それは私たちが愛する人の凋落と老衰と死を看取るという経験とほとんど変わらない。
もし、自分の親が健康で収入があるときには親しむが、病気になって貧窮になったら見捨てるという(リヤ王の子供たちのような)人間がいたら、私たちは「それは人間としてまずいんじゃないか」と言うだろう。
自分の妻が美貌である間は愛するけれど、皺が寄って腹に肉がついたら棄てるという男がいたら、やはり「それは人間としてまっとうなやりかたじゃないよ」というだろう。
親子や夫婦の関係のほんとうの価値は、「楽しい時代」にどれほどハッピーだったかではなく、「あまりぱっとしない時代」にどう支えあったかで考量される。
政治運動だってある意味それと同じである。
落ち目のときに誰がどんなふうにその運動に付き合い、誰がどんなきちんとした葬式を出したかということは運動の価値に決定的に関与するのである。
「蔵前一家」がどのような博徒集団であったかということを決定したのは一家の草創期の逸話でも、全盛期の縄張りの版図でも寺銭の総額でもない。すべての身内が四散したあとに、最後に残った花田秀次郎がただ一人一家のけじめをつけるために「唐獅子牡丹」の旋律に送られて殴りこみに行ったことによってである。
彼の行為はパセティックな復讐心だけではなく、「喪主」としての義務感によっても動機づけられているのである。
「ある運動集団の凋落局面における少数者の責務」、ほとんどそれだけを主題にした『昭和残侠伝』が60年代にあれだけの圧倒的支持を獲得したのは、政治の本質が「滅びてゆくもの」の弔いのうちに存するということを、当時の政治少年たちが無意識のうちに看取していたからだと私は思う。
「おとしまえに時効はない」というのはその頃無名の活動家がアジビラに書き付けたことばの中で印象的なものの一つだが、まことにことの本質をただしく衝いていたことばである。

続いて10時半から読売新聞のインタビュー。
お題は「ポスト・フェミニズム」
二人の記者(ひとりは女学院中高部卒業生のニシダさん)を相手に二時間ほど熱弁をふるう。
この話題については話し出すとめちゃめちゃ長くなるので、またいずれの機会に譲りたい。
その一部は読売新聞の特集で来月の初め頃に読むことができるはずである。
午後2時から6時すぎまで本部道場で、多田先生の講習会。
久しぶりにたっぷり汗をかく。
5時少し過ぎにはもう足腰立たない状態となり、10分ほど休憩する。
普段受身を取ることがないので、受身を取るとぐったり疲れてしまうのである。
体重がオーバーウェイト気味なのもよくない。
猛省して、72キロまで痩せること、体力回復のためにふだんのお稽古でもまじめに受身を取ること、酒を控えることなどを堅く決意する。
だから、今日は稽古で2キロくらい汗をかいたはずなのだが、新幹線の中でもお茶を飲んでいるのである。
はたして、この誓いはいつまで続くのであろうか。


投稿者 uchida : 23:31 | コメント (9) | トラックバック

2005年09月23日

夏休み最後の日

休日だが、もちろん休む暇とてない。
まず『エピス』の原稿。
今回は『シン・シティ』。
これはたいへんに面白かった。
『チャーリーとチョコレート工場』『シン・シティ』と楽しい映画が続いて、映画評を書く方としてはたいへんありがたい。
書くことがたくさんある。
ほんとうはタランティーノとサム・ペキンパの説話的類似性について書きたかったのだけど、それを書き出すと紙面一枚使い切りそうなので、断念。
さらさらと書き上げる。
つづいて『潮』の原稿。
好きなことを1200字書いていいというお気楽な条件なので、これもさらさらと書く。
続いて、『ユダヤ・イスラエル文化研究』に寄稿する書評にとりかかる。
私はイス研の理事なのだけれど、理事会には一度きりしか出ず、学会のお仕事に何の貢献もしていないので、書評くらいは書かないと、学会員の方々に会わせる顔がないのである。
レオン・ポリアコフの『反ユダヤ主義の歴史1』(菅野賢治訳、筑摩書房)について書けと命じられている。
オリジナルの仏語版を20年前くらいに読んだきりなので、とりあえず再読する。
午後2時から6時まで身じろぎもしないで読了。
途中NTTのM島くんから再校のファックスが来る。
んぐんぐぐと音を立ててファックスからべろんと紙が垂れる。
たいへん人を不安にさせる音である。
さいわい、50センチくらいで終わる。
『文學界』の校正ファックスはいつも3メートルくらいあった。
疲れ切って家に帰ったときに床に数メートルのファックス用紙がぐちゃっと広がっていると、気分が深く沈むものである。
連載が終わってほんとうによかった。
ファックスとメールで届いた校正箇所を直してすぐに送信。
350頁一気読みするとさすがに首がばりばりに凝る。
風呂に浸かって首の凝りをほぐす。
夕食を作る元気もなく、近くのモスバでロースカツバーガーとチリドッグを買ってきて、ビールを飲みながら食べる。
疲れすぎて味がしない。
そこにvaioのノートが届く。
明日の東京行きに持ってゆくことにして、初期設定する。
インターネット接続は秘書にやってもらうことにして、とりあえず出先で原稿を書けるようにしておく。
vaioのノートは1.25キロ。こりゃ軽い。重たいパワーブックを持ち運ばなくてよくなったのは助かる。
明日は上智大学で研究会。『他者と死者』についての読書会である。
何も準備していないので、行きがけの新幹線の中で何か話すことを考えないといけない。
自分の書いた本のことだから、何とかなるとは思うけど。
わざわざ関西から呼びつけておいて、みんなで手ぐすねひいて袋だたきにするというような非道なことはまさかされないとは思うが、いささか心配である。
日曜日はインタビューを二つやってから、本部道場で多田先生のお稽古に出る予定。
晩に新幹線に乗るときはおそらく半死状態になっていることであろう。
そして月曜からは新学期。
結局、この夏休みはほとんど休めなかったことになる。
昨日の教授会で隣にすわっていたワルモノ先生も夏休みはほとんど休めなかったとためいきをついていた。
おたがいこういう生き方をそろそろ改めないとね。

投稿者 uchida : 23:44 | コメント (1) | トラックバック

2005年09月22日

邪悪なアメリカ論

『別冊文藝』の大瀧詠一特集号の対談の校正を片づけてから、『街場のアメリカ論』の校正を一日で終わらせる。
あああ、疲れた。
大瀧さんとの対談での私の発言は「へえ」とか「なるほど」とか「そ、そうなんですか」というようなものばかりなので、校正ではそれを「へへへへえ」「な、なーるほど」「そそそそそそうなんですか」というふうに「しゃっくり唱法」的に音韻をふやせばいいだけなので、たいへん楽ちんである。
すぐに終わる。
『街場のアメリカ論』の方はいったいこれがまともな研究書なのか、トンデモ本なのか、書いた本人には判定できない。
読み返しても、やっぱりよくわからない。
わかるのは、非常に多くの人がこの本を読んで腹を立てるだろうということだけである。
「物議を醸す」というようなレベルに止まらず、「罵倒の十字砲火を浴びる」「学者生命の終わりを宣告される」「読んだらバカになると断定される」「ついに馬脚をあらわしたと嘲弄される」といったかなりアグレッシブな反応が予想されるのである。
NTTのM島くんがあれほど「この本はいいです」と断言されるのは、内容がいいという意味ではなく、批判の嵐、ネガティヴ・キャンペーンが全国展開されるおかげでNTT的にはパブリシティにお金を使う必要がなくてラッキーという意味だろうと推察される。
なにしろ考えられる限りの領域のアメリカ研究者の「虎の尾」を踏みまくっているんだから、そりゃ関係者のみなさんはさぞやお怒りになるであろう。
英米文学関係の友人は多いが、彼らとて、この本を一読したあとは、私とは二度と口をきいてくれまい。
あの寛大なるナバちゃんでさえ、「ウチダさん・・・これはひどいよ」と絶句されるであろう。
まちがいなく私の書いたなかではいちばん態度の悪い本である。
なにしろ、私はアメリカ論のシロートであるから、どんなことを書いてもアメリカ研究関係の学界から放逐される気遣いがないのである(学界にメンバー登録されてないから)。
「このようなろくでもない本を決して読んではならない」という批評を関係者各位から受けた場合にも、ご存じのとおり、読者というのは「読むな」と言われると「そこまで悪口を言われる本なら、いちおう後学のために読んでおこうか・・・」というふうな反応をするものであるから、批判はさらなる災厄を広げることになりかねない。
唯一クレバーな反応は「無視する」ということである。
しかし、ここまで態度の悪い人間を「無視する」だけでは、煮えくりかえった腹はなかなか収まるものではない。
結局は、どのように怜悧な論者も批判のことばを禁じ得ないのである。
そのときの批判は「まさにウチダの語り口こそは日本人に典型的なアメリカに対する無意識的な悪意と欲望が露出したものに他ならない」という語形をとらざるをえないのであるが、この本は「日本人がアメリカを語るときにどのような無意識的な語り口を採用することを強いられるのか?」という問いについて日本のみなさんいっしょに考えましょうということをご提案しているので、その切り口からの批判は私を喜ばせるばかりなのである。
となると事実誤認をきびしく指摘するくらいしかやることがないのであるが、残念なことに本書は、南北戦争で南部が勝った場合の20世紀世界とか、ワイアット・アープは『ギャツビー』を読んだか?とか、『スターシップ・トゥルーパーズ』を日本で映画化したらこんな映像になるはずであるとかいう、誰にも論証することも反証することもできない「起きなかった出来事」についての話で埋め尽くされているので、事実関係の反証もなかなか容易なことではないのである。
といふうに人を怒らせるだけ怒らせておいて、振り上げた拳のやり場をみつけるの一苦労、という構成をして「態度が悪い」と申し上げているわけである。
『街場のアメリカ論』はNTT出版より10月中旬発売。
「世間をなめて生きる」人間の末路を知りたい方は必読だ!

投稿者 uchida : 21:25 | コメント (5) | トラックバック

2005年09月21日

ブルーな火曜日

ついに学校が始まってしまった。
ひさしぶりにスーツにネクタイを締めるが、そんな日に限って暑い。
9月末なのに朝から28度もある。
一ヶ月ほど中身を見ていなかったブリーフケースに、携帯電話、名刺入れ、眼鏡、『街場のアメリカ論』のゲラ、手帳、メモリースティックなどを詰め込むと「豚を丸飲みしたアナコンダ」のような形状になる。
とぼとぼ炎天下を歩いてパーキングへ。
私のベーエムは部屋のほぼ7フロア分真下に鎮座しているのであるが、マンションからパーキングへの直行エレベーターがない。
乗り換えのエレベーターは建物を半分回らないと乗れないのだが、そのエレベーターも午前10時から午後8時までしか動いていない。
朝早いときと夜遅いときは遙か遠くの階段を利用しなければならないのであるが、この階段が怖い。
細くて暗くて曲がり角がいくつもあって途中に鉄扉が二つもある。
つねに無人であるので、曲がり角で出会い頭にジェイソンに会ったら、ひとはそのまま心臓発作で死ぬであろう。
前に一度、夜遅くにその階段からおりようとしたら、ちょうど私の前を歩いていた若い女性が私と同じパーキング入り口のドアを開けた。
自分が閉めたドアをすぐ後から来た男がまた開けて、背後から無人の階段をコツコツと足音を立てて降り始めたのであるから、その方の恐怖はさぞやと思われる。
こちらもはやく車のところに行きたいので、数メートルの距離をだんだん縮めてしまう。
鉄扉の前では恐怖のあまり先方の頭髪が逆立っているのがわかった。
とはいえ、こちらも「お嬢さん、怪しいものではありません」と話しかけるのもはばかられる(そんなことを言うといよいよ怪しいし)。
さぞや肝を冷やしたとは思うけれど、私のせいじゃないんです。
大学へ行って、本日はAO入試の書類選考と院試。
総文の40名ほどの志願者の「志望理由書」と「自己推薦文」を読んで、評価をしてゆく。
こういう書類の書き方はむずかしい。
「可もなく不可もなし」という書き方では志願者が多い試験では、試験官が同じようなものばかり読まされているうちにしだいにいらだってくる。
では、がんがん言いたい放題書けばいいかというと、「そういうのはキライ」という試験官に当たるとおしまいである。
むずかしいものである。
私としては、自分の好きなように書いて、それで合格すれば、その学校とは相性がいいということだし、好きなことを書いたら落とされたというのなら、相性が悪いということで、ご縁がない方がご本人にとってもむしろしあわせだったというふうに考えたらよろしいのではと思う。
院試は志願者が少ないので採点も面接ものんびりして楽ちんだったが、志願者が少なくてうれしいというのは私学の教員は思っても口にしてはならないことである。
5時過ぎまで働いて、採点仲間のF庄学科長、A木入試課長と大学の次期戦略についてあれこれと相談。
いきなりたいへんシビアでリアルな話になる。
そうだ、大学にいるというのはこういう身も蓋もない話をするということだったのだ、ということを思い出す。
髪の毛を染めたクボちゃんが遊びに来たので、中途半端な社会復帰はダメです。もっとまじめに休みなさいと説教する。
ひとに説教しているのか、自分に言い聞かせているのかわからない。
休み中にメールボックスを突き破るほどたまった本と手紙をかかえて、よろよろと家に帰る。
その中の一冊、岸田秀・三浦雅士の『靖国問題の精神分析』を読み始めるが、岸田先生、なんとなく元気がない。
岸田秀の「共同体のアイデンティティは自我のアイデンティティと同型的である」という洞見には25年ほど前に腰を抜かすほど驚愕した記憶がある。
社会有機体説というのは、人間は社会構造をつくるときも自分の身体構造以外にモデルにするものがないという考え方で、岸田理論はそれを転倒してみせたわけであるが、まさに問題はご指摘のとおりこれがループをなしているということである。
つまり、社会構造は人間の身体構造をモデルに構築されているのだが、その人間の身体構造の方も、自分を含む社会構造をモデルにしてイメージされているのである。
現代日本の社会構造は中間的な共同体が解体して、二極化が進行しているが、これはそのまま現代人の自我イメージと重なっている。
個人の身体においても緩衝帯としての「中間的なもの」が消失して、権力、情報、威信、資本が「脳」に集中し、「身体」はメカニカルな操作対象の地位に転落している。
つねづね申し上げているように、脳と身体を二極化するのはすでにひとつの「物語」であって、実際には脳は身体の一部であり、身体はすみずみまで脳化されていて、二極分化ということは「現実」にはありえない。
私の脳は「あんこもの」を食べると活性化し、眠くなったり過度の飲酒をした場合にはまったく非活性的になる。
おなじように、私は身体の不調をつねに外在的な「病魔」がイノセントでピュアな私の「身体」を侵略するという「物語」に即して解釈している。
脳はフィジカルな器官であり、身体は物語を生きている。
にもかかわらず、脳と身体の二極化ということが「実感」としてリアルであるという事実は、社会階層の二極化が(まだ現実化していないにもかかわらず)すでに「実感」としてリアルであるという事実と並行している。
ある種の政治イデオロギーが身体変容さえももたらすということは現実にしばしば起こる。
きわめてファナティックな政治イデオロギーの持ち主はやはり奇形的な身体をしている(過度に病的であるか、過度に健康であるかどちらかである)。
健全な社会理論の持ち主は、原理的に「弱い敵との共生」ということを優先的に配慮しているので、たいていは「軽度の疾患」や「軽度の不全」とうまくネゴシエイトする身体を持つようになる。
「一病息災」という俚諺があるが、これはほんとうの話で、「めんどうな身体的な不全」とやりくりしながら生きている人は「めんどうな他者」とのやりくりにも同じ技法を適用することができる。
「息災」を「破局の到来をたくみにヘッジすること」という意味と解するならば、まさにそのとおりなのである。


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2005年09月19日

極楽合気道

05092001.jpg シリウスのポーズ 05092002.jpg かなぴょんのポーズ
05092003.jpg 三教のポーズ 05092004.jpg かなぴょんのポーズを指導するかなぴょん

極楽合気道合宿から帰る。
出発間際に「連休明けまでにお願いします」とゲラの校正が二つ来たけれど、私自身は連休でもなんでもなくて、九月のこの時期は毎年神鍋高原で三日間合気道の合宿で、お稽古三昧である。
ひたすら稽古、風呂、飯、寝る、稽古、風呂、飯、寝る、稽古、風呂、飯、酒、寝る・・・という原生動物的な状態に惑溺している。
新聞も読まないし、テレビも見ない。稽古風呂飯宴会以外の時間は全員丸太のようになって寝ている。
当然そのようなところにパソコンを持ち込む人間などあるはずもないし、そもそも文庫本や雑誌でさえ門人諸君が読んでいる風景を私は見たことがない。
三日間に私たちの目に入る活字といえばせいぜい酒のラベルくらいである。
そのような生活が三日続くと全員「極楽ハイ」な状態となる。
妙齢の女子たちが稽古のあいまには、廊下、床、ソファ、などにごろごろと寝ころんで、眠っているか、食べているか、よしなしジョークを牛がよだれを繰るように垂れ流している光景の印象をひとことでいうならば「食べ物と酒が潤沢な難民キャンプ」というものがもしこの世にあれば(ないが)、それにたいへん近いと申し上げてよろしいであろう。
この極楽キャンプ暮らしを一度経験すると、なかなかこの魅力から脱することは困難なのである。
今回はひさしぶりにヤベッチがミネソタから帰ってきて合宿に参加した。
ヤベッチがミネソタでファンドレイズのために作成したという、前が「やきとり」後ろが「腹へった。」という脱力Tシャツを見た瞬間に「難民キャンプ」化が合宿の早い段階で達成されることは予測されていたのであるが、これほどまですみやかに初参加の一年生をも含めて全員が「極楽ハイ」になるとは思わなかった。
審査前夜は午前さままでお稽古していたため、審査後の花火大会と打ち上げ宴会では「寝不足ハイ」も加わってたいへん騒がしいものであった。
矢部くんが三段、スミッチが二段、越後屋さんが初段に昇段。
二年生が全員1級に昇級。タニオさんが3級。
一年生全員と健ちゃん鬼そりこみのタカトリくんとゴトーアイさんが5級。
みなさん、おめでとう。さらなる精進を期す。
帰途、例によって例のごとく「うさ餅」を購入、朝来で「黒豆アイス」を食す頃には、誰が何を言っても全員痙攣的に笑うばかりの状態。
このままでは社会復帰もままならないのではという不安を抱えつつ、日常に戻る。
それにしても合宿は楽しい。
明日から大学でお仕事がはじまる。
仕事なんかしたくないよー(泣)


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2005年09月16日

哀愁のポスト・フェミニズム

Y売新聞からインタビューの申し入れがある。
テーマは「ポスト・フェミニズム」。
おどろいて
「もう、フェミニズムは終わってしまったんですか?」
と訊いたところ、電話口の記者さんは怪訝な声で、
「だって、『フェミニズムはもうその歴史的使命を終えた』ってウチダ先生書いてるじゃないですか」
あれは戦略的にそう書いているだけですって。
「・・・はもう終わった」というのはいかなる意味でも理説への内在的批判ではない。
「言ってみただけ」である。
にもかかわらず、この「・・・はもう終わった」というのはきわめて毒性の強い評言であり、誰かがぽつりとその一言を言うと、その「誰か」が市井の、無名の、その批評性がとりわけ評価されているわけでもない人間であった場合でも、「そ、そうか・・・もう終わっちゃったのか・・・」ということが何となくしみじみと実感されるのである。
そして、メディアがにぎにぎしく報じるまでもなく、この「何となく的実感」は日本全国津々浦々に燎原の火のごとく、あっという間にひろまってしまう。
「・・・はもう終わった」プロパガンダの伝播力は恐るべきものである。
どうしてそういうことになるのか、その理路をご説明しよう。
私が「フェミニズムはもうその歴史的使命を終えた」と書いたとき、メディア上、論壇上、学術上、フェミニズムはいまだたいへん隆盛であった。
だが、「隆盛であるもの」には必ずコバンザメのようなタイコモチのような、「支配的な理説の提灯を持ってえばりちらすやつ」が付きものである。
フェミニズムがその威信の絶頂にあるときに、どのような反論批判にも「男権主義者」「父権制主義者」「ファロサントリスト」と鼻であしらって済ませる、頭の悪いコバンザメ的論客がそこらじゅうでぶいぶいいわせていた。
彼ら彼女らに対する倦厭感はそのときすでに社会全体に伏流していたのである。
これはフェミニズムの罪ではない。
支配的な社会理論には、それがどのようなものであれ、必ずそれを教条化し、その理説のほんとうに生成的な要素を破壊する「寄生虫」が付着する。
もちろんフェミニズム内部でも激しい相互批判や党内対立はあった。
今はサード・ウェイブ・フェミニズムだと言われているから、すでに先立つ二つの「偏向」(あるいは「先駆的形態」あるいは「修正主義」)は駆逐されたらしい。
けれどもそれがこの「寄生虫」を駆除するためのものであったことはない。
駆逐されたのはつねに主観的には純良なるフェミニストであり、彼らを石もて追い出すようなバッシングの主力部隊はつねに「寄生虫」たちによって編成されていた。
フェミニズム内部の理論闘争はご存じのようにたいへん非寛容で苛烈なものであったが、それはそのつど新たに登場した「より過激な理論」がほとんど一瞬にして勝負を決めるというかたちで終熄するのがつねであった。
「あとからやってきた理論」が短期間に多数派を形成するという経験を繰り返しているうちに、フェミニズムは「新しいムーブメントに乗ること」の生存戦略の有利さを論証してしまった。
結果的に、これがフェミニズム自身にとって命取りとなったと私は思う。
フェミニズムの実働部隊であり、提灯持ちであったコバンザメ諸君は、まさに「落ち目の党派的立場をいち早く見捨てて、勝ち馬理論に乗る」ことの政治的な正しさを刷り込まれてしまったからである。
この手のコバンザメ諸君にいちばん効くのが「・・・はもう終わった」というさりげないひとことである。
彼らは「当節のはやりもの」にいちはやくキャッチアップする流行感度に知性の有り金を賭けているから、バックステージで「こそっと」呟かれるひとことにきわめて敏感に反応する。
私が「フェミニズムはもう終わった」と書いたのは、フェミニストに告げたことばでもないし、アンチ・フェミニストに宛てたことばでもない。
「フェミニズムももう終わったしね・・・」ということばを誰に言うと出もなくつぶやいたのは、フェミニズムの旗振りをしていれば当面飯櫃の心配はしなくてすむと思っていたコバンザメ野郎たちの耳元においてである。
彼らはこういうことばにはほんとうに敏感である。
もし私が「フェミニズムを終わらせなければならない」と言ったのなら、彼らとて耳を貸しはしなかっただろう。
彼らは「遂行的言明」には興味がない。
彼らが耳を傾けるのは「事実認知的言明」だけである。
「終わった」という風聞を聞きつけたコバンザメは、気づかれないように、さりげなく、「主人」のもとから逃げだそうとする。
開票日当日の選挙事務所で、開票速報の結果がわかるにつれて「事務所は重苦しい空気に包まれています」という状態になると、一人また一人と事務所から消えてゆく人間がいる。気の利いたやつは開票が始まる前の、「出口調査」の数字が出たあたりで姿を消して、対立候補の事務所に、まるではじめからそこにいたような顔をしにゆくのである。
フェミニズムはいまこの「敗色濃厚な選挙事務所」のように見えている。
実際にそうであるわけではなく、そう見える人間の目にはそう見えているということである。
いち早く「次のトレンド」に乗ろうとしてフェミニズムを去る人々は要するにただのコバンザメ野郎であるから、こんなものはいてもいなくてもフェミニズムの本質とは何のかかわりもないことである。
フェミニズムはこのような権力追随的な人々が消え去ったあとに、むしろその本来の生成的な運動に戻ってゆくことができるだろう。
私が懸念するのは、「このような人々」がいなくなったあとに「じゃ、いまからフェミニズム運動再建しましょう」と振り返ってみたら、そこにはもう誰もいなかったということになりはしまいかということである。

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2005年09月15日

池上先生との一日

池上六朗先生との『身体の言い分』のトークイベントがあるので、東京へでかける。
学士会館にバッグを放り込んでから、半蔵門線で表参道へ。
この辺の地理はもうぜんぜんわからない。
おのぼりさん状態で青山ブックセンターを探す。
途中で森永さんと会って、「こっちでいいのかしら」と言いながら会場へ。
入り口でキモノすがたの中野さんがお出迎え。
池上先生とは先日「牡丹園別館」でお会いしたばかりで、来月も三宮で三宅先生主催の出版記念パーティがあるから、毎月お会いして治療をしていただけるのである(池上先生の治療は基本が立位なので、「あ、こんにちは」の次にはすぐ治療が始まる)。
毎日新聞社の出版部の偉い方々と名刺交換をして、暑いですねーと仕事の前にとりあえずカンパリソーダを飲んで勢いをつける。
タイトルのことが話題になったので、「『あ』ではじまって『ん』で終わる5ないし7モーラのタイトルがよい」という白石=藤本理論をご紹介する。
今回のタイトル「からだのいいぶん」は、「ka」ではじまって「n」で終わる8モーラ(8モーラは5/7/5リズムでは7モーラと同じ効果がある)なので、だいたい理論通りである。
NTTの本は『街場のアメリカ論』で「ma」ではじまって「n」で終わる。
文春の本は『知に働けば蔵が建つ』で7/5。
角川の本のタイトルはぜひきっちり理論通りにつけたいものである。
対談が始まる。
別に段取りについては決めていなかったので、ふだんのおしゃべりと同じように、「先生、あのですね、おとといのことなんですけど・・・」というふうに話し始める。
たいへんフレンドリーなオーディエンスだったので、気楽におしゃべりしているうちに、あっというまに1時間半が経つ。
そのあと買って頂いたみなさんにサイン。
140名の会場で120名の方がサインのために列を作ってくださった。
ありがたいことである。
手もちぎれよとネコマンガを描き続ける。
それから毎日の仕切りで青山のイタリアン・レストランへ打ち上げへ。
増田聡くんご夫妻と増田くんの友人のライターのオバタカズユキさん(私は初対面)を同道する。
池上先生の不思議なお話を聴きながら、たいへんに美味なるイタリアンを賞味し、一同大満足。気がつけばはや深更。
池上先生にお会いして触っていただいたあとは、いつも眠りが深い。
学士会館で9時までみじろぎもせずに爆睡。
アシュラム・ノバへ。
今度はじっくりと30分以上も池上先生に治療していただく。
肩胛骨も骨盤も相当に歪んでいたけれど、「許容範囲の病み方」というお言葉をいただいてひと安心。
おしゃべりしているうちに時分時となり、赤羽先生もごいっしょにお隣のハイアットにご飯を食べに行く。
40階のレストランで東京を見下ろしながら「天丼」を頂き、昼からビール。
歓談すること2時間近く。
いつものように治療して頂いた上にごちそうになり、たいへん幸せな気分で帰途につく。
新幹線に乗ると、たちまちまぶたが重くなり、京都まで爆睡。
池上先生と長い時間ごいっしょさせていただいていると、そばにいるだけでも心身がリラックスしてくるのがわかる。
「年上の男の人」で、その人には「気を遣わなくていい」という人は少ない。
なんとなく「気兼ね」であるとか、「気を張る」というのならまだしも、「甘やかす」というか「ご機嫌をとる」ということをしないといけない人が多い。
池上先生にはまったく気を遣わないですむ。
それはたぶん先生が「自分のしたいことしかしない」人だからである。
先生が「治療にいらっしゃい」とか「ご飯食べに行きましょう」とお誘い下さるということは、先生ご自身が「ぜひそうしたい」と宣言されているということであり、それが社交的修辞であったりリップサービスであったりするという可能性は排除してよろしいのである。
これは気楽。
「先生、こんなことしているけれど、退屈してるのかな」とか「ほんとうはもう帰りたのに、義理でつきあっているのかな」とか、そういう気配りは無用なのである。
池上先生は退屈するような場には決して行かないし、義理で何かをするというようなことは先生の辞書にはない。
「わがままな人は周囲をリラックスさせる」ということはあまり知られていないが真実なのである。
逆に「無用な気遣いをする人は周囲を緊張させ、しばしば不愉快にさせる」ということもあまり知られていないので、ここに大書しておくのである。
私もひとを不愉快にさせることについては人後に落ちないが、それは「無用な気遣いをした」せいではなく、ひとを不愉快にさせようという犯意がある場合に限られるからよろしいのである。
というわけで、池上先生を師表と仰いで、ますます「わがまま道」を邁進する決意を固める今日この頃のウチダなのである。


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2005年09月13日

勝者の非情・弱者の瀰漫

毎日新聞に次のような総選挙総括を寄稿した。

投票日前にいくつかのメディアから選挙の見通しを訊かれたときは「小泉首相圧勝」と当然のような顔で答えたけれど、これほどの議席数は想定外だった。
この結果については、首相の手法を評価する声が高い。私も首相が「先手を取る」ということについてほとんど天才的な感覚を有していることは認めなければならないと思う。
「先手を取る」ということばを「相手より早く動く」ことと理解している人がいるけれども、これは正確ではない。武術的な意味での「先手」は物理的な速度や時間とは関係がないからである。
目の前にいる人が「そうすることによって何をしようとしているのかがわからない」ときに、私たちは頭上に「?」を点じたままに、その場に凍り付いてしまう。これが「居着き」と呼ばれる状態である。「居着く」というのは、「相手は次にどう出るのか?」という待ちの姿勢に固着してしまうことである。一度、この状態に陥ったものは相手から「答え」が届くのをひたすら待つことしかできなくなる。これが「先手を取られる」という必敗の様態なのである。
首相は今回「郵政民営化、是か非か」というただひとつの切り口で選挙戦を展開した。これが「先手」であったと私は思う。というのも、まさにメディアや野党が力説してきたように、「郵政民営化」がほんとうは何を意味するのかが誰にもよくわからなかったからである。
公務員の削減なのか、資金の民間還流なのか、族議員の政治基盤への攻撃なのか、構造改革のとば口なのか、アメリカへの身売りなのか・・・ただひとつの政治課題にさまざまな解釈が与えられた。そして、そのどれが「正解」であるかを、メディアも野党の政治家も首相が「ほんとうのことをいう」のをじっと待ってしまったのである。
「あなたはそうすることによって何をしようとしているのか?」と問う人間は主観的には合理的な対応をしている。にもかかわらず、「謎をかけた」相手に先手を取られて、必ず負ける。合理的にふるまうことを通じて負けた人はこの「不条理な敗北」を合理的な仕方では受け容れることができない。岡田民主党代表の党の大敗をみつめる「不可解」な表情にその苦悩はよくにじんでいたように思う。
小泉首相のこの「先手必勝」の手法には若い有権者に強くアピールする要素があったように思われる。それは「負け犬を叩く」という嗜虐的な傾向である。
自民党の若い公募候補たちが党公認を得られなかったベテラン政治家を次々と追い落としてゆく風景に若い有権者はひそかな快感を覚えたはずである。
「弱者は醜い」、「敗者には何もやるな」。これが今回の選挙を通じて小泉首相が有権者に無言のうちに告げたメッセージである。そして、この「勝者の非情」に有権者たちは魅了されたのである。

毎日新聞では最初、私に連絡がとれないままに最終パラグラフの「弱者は醜い」をカットしたが、夜の9時過ぎに連絡がついたときに「その箇所を削られては意味が通らない」と申し上げたらまた原文が復活したそうである。
だから地域によって文面が違っている。
(と書いたのちに毎日新聞の担当記者からメールがあって、実際は輪転機にかけられる寸前に私に連絡が取れて、「残しておいてください」という私の要望を容れてくださったので、全国どの版でも同一文面だそうである。勘違いしてすみませんでした)
「弱者は醜い」という「勝者の美意識」に大都市圏の「弱者」たちが魅了されたという倒錯のうちに私はこの時代の特異な病像を見る。
先日書いたように、「弱者を守れ」という政治的言説はいままったくインパクトを失っている。
その声を「既得権益」を手放そうとしない「抵抗勢力」の悲鳴として解釈せよと教えたのが小泉構造改革のもたらした知られざる心理的実績である。
「野党」がそろって「守れ」を呼号するという逆説が示したように、いま日本の「革新」勢力はかつてロシアの共産党がそうであったように「守旧派」に類別されている。
それは「弱者」という看板さえ掲げればドアが開くという状況に対する倦厭感があらゆるエリアで浸透しつつあることを意味している。
自分がトラブルに遭遇すると、まず「責任者を出せ」と他責的な口調ですごむ「弱者」たちに私たちの社会はいま充満している。
そして、その「弱者の恫喝」に苦しめられている人々もまた「弱者」戦略のブリリアントな成功を学習して、別の局面では自分もまた「弱者」「被害者」「無権利者」の立場を先取りしようとする。
弱者であること、被害者であること、無権利であることはしばしばそうでない場合よりも多くの利益をもたらすということを学んだからである。
その「弱者の瀰漫」に当の「弱者」たち自身がうんざりし始めている。
当然のことながら、「弱者が瀰漫する」ということは「社会的リソースの権利請求者がふえる」ということであり、それは「私の取り分」が減ることを意味するからである。
「弱者に優先的にリソースを分配せよ。だが、それを享受する『弱者』は私ひとりであって、お前たちではない」と人々は口々に言い立てる。
この利己的な言い分に人々は(自分がそれを口にする場合を除いては)飽き飽きしてきたのである。
「弱者は醜い」という小泉首相の「勝者の美意識」はこの大衆的な倦厭感を先取りして劇的な成功を収めた。
開票日翌日の朝日新聞のいしいひさいちの漫画はこの選挙結果が「勝ち組・負け組の二極化からボロ勝ち組・ボロ負け組の二極化」への移行を意味しているということを正しく指摘していた。
こうるさく権利請求する「負け組」どもを、非難の声も異議申し立てのクレームも告げられないほど徹底した「ボロ負け組」に叩き込むことに国民の大多数が同意したのである。
日本人は鏡に映る自分の顔にむけてつばを吐きかけた。
自己否定の契機をまったく含まないままに「自分とそっくりの隣人」を否定して溜飲を下げるというこの倒錯を私は「特異な病像」と呼んだのである。

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2005年09月12日

総選挙終わる

衆院選挙。
結果はご案内の通りである。
選挙総括については、13日の毎日新聞にわりと長いものを書いた。
毎日新聞を取ってないひとのために、新聞掲載後にブログに転載しておきます。
いつもはたらたらお酒をのみながら選挙速報を見て、大勢がわかったところで寝てしまうのであるが、今回は総括の原稿を書くという仕事があるので、各チャンネルをザッピングしながら、12時まで見続ける。
MBSの、いかにも大阪ローカルという感じの、制作費の安そうな速報番組がいちばん面白かった。
筑紫哲也と久米宏と古館伊知郎の速報もときどきブツ切れで挿入される。
首相のインタビューでは久米宏と田丸美寿々が首相に嫌みなことをいろいろ言っていたが、「批評性がある」ということと「嫌がらせを言う」ことは違うんじゃないかと私は思う。
この種の「弱者切り捨て」論からするところの強権批判という定型がほとんど政治的言説としてインパクトをもたなくなったということが今回の選挙のきわだった特徴ではないかと思われる。
小泉首相の美意識は「弱者は醜い」ということにある。
これを私はつよく感じた。
今回の選挙でもっとも注目を浴びたのは、自民党公認を取れなかったベテランが、公募でやってきた若い何の組織力ももたない公認候補に追いつめられて敗北する場面であった。
この嗜虐的なドラマを有権者はおそらく喜んだのである。

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2005年09月11日

きっとこうなると思っていました

香川から帰ってきて、その足で合気道のお稽古へ。
大学のロッジの36畳の練習室に30名以上が詰め込まれて、もうたいへんな人口密度である。
この夏最後とおぼしき残暑の中で、全員汗びっしょりになってお稽古に励む。
平尾さんがラグビーシーズン開幕前最後の稽古に参加。
道着を着ると、さすがにさまになる。
平尾さん、Pちゃん、高雄くんと大きい人がふえてきたので、道場が狭く感じる。
たっぷり3時間余のお稽古のあと、高雄くんの歓迎会。
高雄くんは4年間のボストン暮らしののち、京大に職を得て帰国してきたのである。
というわけで今回の歓迎会のコンセプトは「ボストン」。
ウッキーは豚の角煮を作ってきて、「トンのボス」(ボスって何のことなんだろう)だと強弁していた。
私は鉄板焼きをご用意する。
「トン」が豚肉であることはウッキーと同じ凡庸な発想であるが、これを「かぼす」のポン酢で食べると「かぼす+豚」となるというあたりの工夫にダジャレ道における一日の長のあることが知られるのである。
他の人々は何も考えずに来てただ食べて飲むのみ。
多少の気遣いというものが欲しいものである。
この集まりが高雄くんの歓迎会であるという趣旨を知らず、ただの宴会のつもりで集まってきた人々も散見されたようである。
宴会中、M日新聞から電話があって、総選挙についてのコメントを求められる。
すでに新聞二社からコメントを求められて、どちらもお断りしているのであるが(「みんな選挙にゆきましょう」くらいしか特に言うべきこともないから)、今回のオッファーは「総選挙結果をふりかえって」というものなのでお引き受けする。
もう終わってしまったことについて後知恵で「私ははじめからこうなると思っていました」と言えばよいのであるから、こんな楽なことはない。
ウチダはどうしてうちの仕事は断ったのによその新聞の仕事は受けるのだとお怒りになる記者さんもおられるかもしれないが、出来事の事前にコメントするのと事後にコメントするのでは、知的負荷というものがまったく違うということをご諒察願いたい。
自慢じゃないけど「きっとこうなると思っていました」というコメントなら私はどのようなトピックについてもでも語ることができる。
11時に散会。
さすがに講演を二日続けてやり、香川往復自動車旅行のあとに稽古と7時間の宴会で、よれよれとなり、よれよれとベッドに倒れ込み。爆睡。


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「さぬきえんぬ」たちとの一日

9日は香川大学付属病院で講演。
お昼頃にばたばたと支度をして、どういうルートで行こうかなと考えて新幹線の時刻表をネットで検索。芦屋から新神戸まで行って、岡山に出て、乗り換えて高松まで行って、タクシーで大学まで行って・・・その旅程をずっとスーツにネクタイで旅行鞄を抱えて行くことを考えたら、ちょっとうんざりしてきた。
考えてみたら、高松なら車で行けば2時間半ほどのはず。
車なら涼しいし、音楽を聴きながら行ける。
さっそく愛車を取りだして阪神高速に乗る。
明石海峡大橋から時速140キロで淡路島を縦断。淡路島の高速道路は道幅が広く、見通しがよいのでたいへん走りやすい。
徳島から高松までの高松道は片側一車線なので、あまり飛ばせない。
12時少し過ぎに芦屋を出て、3時半ころに高松のホテルに着く。荷物を置いて、三木町の付属病院へ。
まずはお招きくださった森岡看護副部長に平身低頭でこのたびの不手際のお詫びを述べ、看護部長の瀬戸口さん、看護副部長のみなさんにご挨拶をする。
今回私をお招きくださったのは、この看護部のナースの方々である。
どうしてナースの方々が私をおよびになったかというと、何年か前に「看護学雑誌」のインタビューを受けたことがあり、そのときに「インフォームド・コンセント」は日本人には向いていないという話から始まって、だんだん調子に乗って、ナースと医師は治療者としての機能が違い、ナースは太古的な癒しの能力を備えた治療者なのであるというようなことを述べたのである。
「看護学雑誌」に載った私の看護論は多くのナースのみなさんの目にとまることになり、激務のためにバーンアウトする人の多いこの業界に対する外側からの「応援」のことばとして受け止められたようである。
私の話の多くは「何を口から出任せを言ってやがる」と専門筋からは酷評されるのがつねなのであるが(事実なので反論しない)、ごくまれにこのように暖かく受け容れられることもある。
その看護師(という言い方にまだなじめないけど)のみなさんとまずは懇談。
ご存じのように私は「周りが全員女性で、男は私ひとり」という性的に非対称な環境に投じられるとたいへん舌のまわりがよくなる「世之介」体質なので、さっそく看護の世界における今日的諸問題についてのディープなお話を伺う。
さすがにナースの頂点をきわめられた方々たちであるので、そのコミュニケーション感度のよさは驚嘆すべきものがある。
こちらのわずかなシグナルに対して即座に最適なリアクションをもって応じられるのである。
私もさまざまな職業のかたとお話をしてきたけれど、これほど構造的に「楽」な話し相手のあることをかつて知らない(この感覚にいちばん近かったのは精神科医の名越、春日両先生)。
患者がどのような周波数でシグナルを送信してきても、ただちにチューニングを合わせ、その意味定かならぬノイズから適切にメッセージを読み出す能力はナースという職業にとっては優先順位のとりわけ高いもののはずであるから、このコミュニケーションの快適さは考えてみれば自明のことなのであった。
1時間ほど歓談して、講演会場へ。
もともとは看護研修会の一環として予定されていた講演だったのであるが、一日ずれたためにドクターや病院職員や医学部の学生まで聴衆としておいでになる。
医学部の階段教室の底に陣取って、150人ほどの方々をお相手に「隠された知/コミュニケーション/他者」という論題で一席伺う。
私は桑村先生の分類されるところの「視覚型」人間なので、ものを考えるときに上目づかいになる(聴覚型は「横目」使いになり、触覚型は「下目つかい」になる)。
つまり、頭脳が活発に活動しているときには目が上方を向くのである。
この体質の人間にとっては階段教室は「頭の回転が速くなると、聴衆とのアイコンタクト機会が増える」構造である。
学者は総じて聴覚型なので、この教室設計でよろしいということがよくわかる。
しかし、内臓感覚をふりしぼるようにして、身体感覚に訊ねて叡智のことばを語る人は高みから聴衆を見下ろす設計の方が向いているのであろう。
仏教家の説教が「高座」でなされ、キリストの重要な教えが「山上の垂訓」であったように、宗教家にはおそらく触覚型知性の方が多いものと推察されるのである。
教室構造とコミュニケーションのあり方について、階段教室や教壇からの見下ろしをとらえて、あれは「非対称的・権力的」でよろしくないというようなことを言われる方がいるけれど、それは短見というものであろう。
講演には淡路島洲本高校の山田先生、豊田先生のお二人がお見えになる。
先般はタマネギどうもありがとうございました。
またハモ食べにつれてって下さいね。
講演後、瀬戸口看護部長にヨーカンをごちそうになってさらに歓談後、看護部のナースのみなさんにお別れして、肝いりの森岡さんに屋島の「淡海」という料理屋にご案内いただく。
まずは冷たい生ビールをごくごくと飲み干してから、つぎつぎともたらされる海の幸各種をぱくぱくと頂戴する。
ふつうは講演会ではじめてお会いした関係者とさしむかいでご飯をたべるというようなことはしないのだが(あんまり話題もないし)、森岡さんとはダブル・ブッキング事件のすばやい解決によって「窮地の間柄」となっているので、ご飯を食べながら告知の問題や医療事故の問題や散歩の効用などについて「そういうことってありますよねー」と旧知の人のように語り合う。
途中からもうおひとり看護副部長の中村さんが仕事を終えて合流されて、淡海の若女将も加わって、ぱくぱく食べて地酒をごくごく飲んでわいわいと話に興じているうちに気づけば店の他のお客がひとりもいなくなってしまった。
このお酒美味しいですと言ったらその地酒をおみやげにくださる。一升瓶を抱えたままほろよい機嫌で高松市内に戻る。
香川大学付属病院看護部のみなさん、お世話になりました。
屋島の淡海のみなさん、どうももごちそうさまでした(めばるの塩焼きとサンマの蒲焼き美味しかったです)。


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2005年09月09日

 『水曜どうでしょう』ばかり見ていたらダジャレが止まらなくなった

『街場のアメリカ論』脱稿。
最後の最後に、「まえがき」と「第一章」を大幅に書き換える。
まえがきに書き足したのは、このあいだのハリケーンについての日本のメディアの報道に伏流する、なんともいえない「お気楽」な気分について。
みなさんも気が付かなかっただろうか。
新聞記事やニュースキャスターがアメリカの防災体制の不備や、州政府連邦政府の動きの悪さや、人種差別や略奪を報道するときの、なんともいえない「軽い」調子に。
他国の社会的機能の破綻と国威の失墜をこれほど「うれしげ」に報道する国民的メンタリティーはいったいどのように構造化されているのか。
これは一考に値する主題である。
昨日書いた「まえがき」の最後の一部を採録しておく。

日米関係にかかわるメインストリームの政治的言説は「アメリカへの従属なしに、アメリカからの独立はありえない」というねじれたロジックを戦後六十年間繰り返してきた。それ以外のすべての言説もまた(経済を論じる場合でも文学を論じる場合でも映画を論じる場合でも音楽を論じる場合でも)、ひとしく同一の話型を忠実になぞっている。
それは誰に強いられたものでもなく、私たち日本人が進んで選び取ったものである。
私たちが「アメリカの圧倒的な力」と思いなしているものの一部は明らかに私たちが作り出した仮象である。それに抗うことができず、ただそれに依存し、ただその恣意に身を委ねることだけが私たちに選択できる唯一の生存戦略であるような「強大なもの」は、おそらくそれを欲して止まない私たちの側の懇請に応じて呼び出されているのである。
他国への従属のうちにのみ自国の独立の可能性を見るという背理的なナショナル・アイデンティティの持ち方は、アメリカが日本に「押しつけた」ものではない(どのような国もそのような「物語」を軍事力によって他国民に「押しつける」ことはできない)。それが可能ならアメリカはとうに全世界を「日本化」することに成功しているだろう。日本人はこれを自分で選んだのである。
私は本書で、この「従属」の諸相について語ることになるが、その私自身もまた「従属」を通じての「自立」という日本人に固有のねじれた語り口以外に使うことのできることばを持っていない。
私は本書の中でアメリカの政治、アメリカの文化、アメリカの社会構造を辛辣に批判するけれども、それは「こんなことを言ってもアメリカ人は歯牙にもかけないだろう」という「弱者ゆえの気楽さ」がどこかにあることで成立する種類の辛辣さである(中国や韓国の政治や社会を論じる場合なら、私はもっと慎重になるはずである)。
その種の「気楽さ」は私だけでなく、日本人の語るアメリカ論のすべてに伏流している。
私がこの「まえがき」に校正の筆を入れているのは二○○五年の九月中旬であるが、先般アメリカ南部を襲って被害者推定数千人といわれるハリケーンについての日本のメディアの反応に私が感じるのはその徴候的なまでの「気楽さ」である。日本のメディアはアメリカ社会が機能不全に陥り、防災体制が破綻し、被災地で略奪やレイプが行われているという事実をほとんどうれしげに報道していた。たぶん報道している記者やキャスターは気づいていないのだろうけれど、その表情には「主人の屋敷が焼け落ちるのを眺めている小作人の気楽さ」に類するものが漂っていた。
この「従者」のメンタリティーはおよそ日本人の語るすべてのアメリカ批判を覆い尽くしている。どれほど真摯なアメリカ批判も、このどうしようもない「気楽さ」の刻印をどこかに貼り付けている。それは他ならぬこの私がアメリカを救わなければならないという責務の感覚をもってアメリカを論じている日本人が構造的に存在しないということによる。
日本人はアメリカに対して実に多様な感情を抱くけれど、決して日本人がアメリカ人に対して抱くことができないのが、この「保護者の責務の感覚」である。アメリカの抱えるさまざまな問題について、アメリカ市民以上に当事者責任を感じ、アメリカの「善きもの」を死守することに賭け金を置く日本人は存在しない。
もし倫理というのがレヴィナスの言うように、「他者に代わって/他者の身代わりとなって受難すること」をその究極のかたちとするというのがほんとうだとすると、日本人の心性はアメリカに対して決して倫理的になることができないように構築されている。
日本人はアメリカを愛することもできるし、憎むこともできるし、依存することもできるし、そこからの自立を願うこともできる。けれども、アメリカをあたかも「異邦人、寡婦、孤児」のように、おのれの幕屋に迎えることだけはできない。「アメリカ人に代わって受難する」、「自分の口からパンを取りだしてアメリカ人与える」ということだけはどのような日本人も自分を主語とした動詞としては思いつくことができない。
日本人はアメリカ人に対して倫理的になることができない。
これが日本人にかけられた「従者」の呪いである。この呪いをアメリカ人がかけたのか、日本人が「かけられた」と思っているだけなのか、そのことはもう問題ではない。呪いが現に活発に機能しているということだけが問題なのである。
自分はアメリカに対して倫理的にかかわっていると思っている日本人もいるかも知れない。そういう方には失礼なことを申し上げたと思う。でも、私にはそんな真似はできない。私がアメリカを批判するとき、そこにはアメリカ市民に代わって、救国の処方箋を書き挙げなければならないという責務の感覚はまったくない。私は中国に対しても韓国に対しても、あるいはフランスやドイツに対してももっと「親身」になることができる。けれど、アメリカにだけはそうなることができない。
唯一の救いは、私は自分がそういう視点に釘付けにされ、そういう語り口を強いられていることについての「病識」を持っているということだけである。

以上。
どうして日本人はアメリカに対して「親身」になれないのか?
それについて長い長い分析がこれに続くのである。
『街場のアメリカ論』、なかでも「アメリカの子供嫌いの文化が生み出す〈子供嫌い映画群〉分析」と、「巨大ロボット漫画の説話構造にひそむ日米関係の〈ねじれ〉の分析」は、書いた本人が言うのもなんであるけれど、面白い。
「たいへんに面白い」と言っても過言ではない。
書いた本人が思わず息を呑んで「で、それからどうなるの?」と手に汗を握ってしまうというくらいに面白い。
『街場のアメリカ論』はNTT出版より、10月発売!
これは買わないとね(昨日と言うことが違うじゃないか)。

一冊脱稿したし、最後の最後になって「まえがき」にエッジの効いたオチがついたので(「まえがき」というのはいちばん最後に書くもんなんです)、たいへん気分がよくなり、一月半ぶりにスーツを着てネクタイを締めて、天王寺都ホテルにでかける。
本日は「大阪皮膚科症例検討会」という専門学会での講演である。
なぜ私が皮膚科の先生がたを前にして講演をしなければならないのか、私にはよく理由がわからない。
「これまでどういう方が講演をされたのですか?」と伺ったところ、「前回の講師は皮膚科の先生です」という当然のお答えが帰ってきた。
そりゃそうでしょう。
皮膚科の学会なんだから。
私に講演を依頼した井上先生を除く会場の方々はどなたも私が講壇に立っている理由がわからず、講師自身もまたわかっていないという状況において講演はスタートしたのである。
しかし、よくしたもので、人間の頭というものは、自分がその場にいる理由が「たいへんよくわかる」場合よりも「よくわからない場合」の方が回転速度が上がることになっている。
当然ながら、「私がその場にいる理由」をいままさに現場において投企的に構築してゆかないと、私がその場にいる理由がまるでなくなってしまい、講壇を下りておうちに帰らないといけないからである。
今回の主題は「EBMはほんとうにエヴィデントか?」という、医療関係者に対してはいささか挑発的なものである。
EBMというのはEvidence Based Medicine のことで、要するに、医師は実証的根拠のある治療法のみを選択すべきであるという考え方である。
これは池上先生の方法とちょうど逆になっている。
池上先生の治療原理は「なんでもいいからとりあえず、前と状態を変えてやればいい」ということである。
エヴィデンスなんかラ・フランス(洋梨)である。
病人の身体からはいろいろな「ひも」が出ている。
それをどれでもいいからひっぱってみる。
どれかが「あたり」で、「あ、治りました!」とご本人がいうなら、それでオッケーということである。
「鰯の頭は新人から」と俚諺にもいう(これは「鰯の頭のようなカルシウムの豊富な部位は、若い人たちにまず食べてもらおう」という意味である)。
病気にもっともふかく関与しているのは病人自身の「疾病への意思」である。
これは局所的・器質的な失調ではなく、「意思」にむかって働きかけなければならない。
というわけでレヴィ=ストロースの『野性の思考』における呪術的医療の有効性から説き起こし、ポランニーの暗黙知論、ソシュールのアナグラム論、ラカンの原因論、村上春樹の「うなぎ説」などをご紹介したのであるが、あまりに「変な」話だったせいか聴衆の中には爆睡しておられる方もあったようである。

家に帰って『水曜どうでしょう』のDVDの6枚目を見る。
「ベトナム縦断カブの旅」
見出すと止まらない。
三宅接骨院の若先生にお借りしたのである。
今年の卒論で『水曜どうでしょう』を主題にする学生がいるのだが、卒論計画書を拝見しても、報告を伺っても、現物の番組を見たことがないので、どうにもコメントのしようがない。
そのことを診療中に愚痴っていたら、『どうでしょう』のヘビー・ウォッチャーである若先生が秘蔵のDVDをご貸与くださったのである。
『サイコロ3』から見始めたのであるが、もうどうにも止まらず、この三日間は『13日の金曜日』を見て、『どうでしょう』で締める、というパターンが続いているのである。
「旅もの」というジャンルについて深く考えさせてくれるたいへんすぐれたTV番組である。
TV侮りがたし。

投稿者 uchida : 11:08 | コメント (7) | トラックバック

2005年09月08日

Go ahead, make my day

ハリケーン報道で銃社会の危険について書いたら、TBでいくつか銃社会の「利点」についての言及があったので、アメリカにおける銃の問題について、もう一度基礎的なデータだけ共有しておきたいと思う。
前回書いたように、アメリカの銃登録数は司法省が把握しているかぎりで2億2千2百万丁(ただし、民間人の所有のみで軍隊警官の所有する銃は含まない)。
もちろん密輸や闇ルートで入手された銃も含まれない。
公式統計だけで一人あたり1.2丁の銃保有率。
製造業者は約1000社、製造台数は一日9000丁。国内生産だけでは追いつかないので、毎日10,000丁の銃が海外から輸入されている。
銃による死者は年間3万人。銃による犯罪は年間60万件。
銃規制の動きは90年代から活発になって93年には銃購入に5日間の待機期間を設けて、その間に警察が素行調査を行って所有者の適性をチェックする時限立法ブレイディ法が導入されたがすでに期限が切れて失効している。
ブレイディ法は重罪の前科のある者、精神疾患のある者、麻薬中毒者、未成年者への銃の販売を禁止したのであるが、これがアメリカ人の人権感覚になじまなかったらしい。
94年には19種類の攻撃型マシンガン(殺人にしか用途がない銃)の民間人への販売を禁じる時限立法が制定されたが、これも失効。
アメリカにおける銃規制反対の最大の圧力団体はNRA(全米ライフル協会)。
NRAは権利章典に基づく「武装権」をあくまで主張している。原理的にこれに反論するためには建国の理念にまで遡ってアメリカにおける「武力」の意味を問い返す必要があり、これに対してはつよい心理的な抑圧が働いている。
コロンバイン高校の乱射事件、ワシントンでのライフル魔事件など受けて、新規購入の銃について線条痕を登録する(つまり銃一つずつの「指紋」を登録する)州法を定めるところが出てきたが、共和党とブッシュ大統領はこれに反対。
理由はプライヴァシーの侵害のおそれがあるから。
銃メーカーに対する製造物責任訴訟でも敗訴が続いている。
たとえば攻撃型マシンガンなどは目的が殺人しかないが、あるメーカーはこれにさらに銃把に指紋が残らないような特殊加工を施してそれをセールスポイントにしていた。このマシンガンによる乱射事件の被害者たちがメーカーに対して製造物責任訴訟を起こしたが敗訴。
銃メーカーに対する相次ぐ損害賠償請求に業を煮やしたいくつかの州では「銃メーカーについては製造物責任を免除する」という州法を制定た。
テキサス州ではブッシュが知事だった時代に銃メーカーの製造者責任を免じる州法を制定されている。
罪を犯すのは銃ではなくて人間である。だから銃規制は無意味だというのがNRAの主張である。
人間をどう規制すべきかについてNRAが何を考えているのかは知らない。
アメリカの銃規制がうまくゆかない理由は大きく二つある。
一つは「武装権」という憲法に由来する原理が存在すること。もう一つは銃製造業者、NRAの「ガン・ロビー」が議会に圧倒的な影響力を行使していること。
原理とビジネスが結びついてる限り、今後もアメリカの銃は増え続けるだろう。
それによってアメリカ社会が住みよくなり、より安全になるという見通しに私は同意しない。

投稿者 uchida : 10:33 | コメント (5) | トラックバック

2005年09月07日

エンドレス・ワーク・サマー

文藝春秋さまご一行が来阪される。
『文學界』の「私家版ユダヤ文化論」連載終了打ち上げと、その新書化の打ち合わせと、「山ちゃん本」の督促と、『寝な構』15刷り累計5万8千部(ちょっと切れの悪い数字ですけど)祝いである。
台風が九州に来ているので梅田の街も蒸し蒸ししている。
「あげさんすい」にてシャンペンで乾杯ののち、ぱくぱくと天ぷらを食しつつ、アメリカの災害報道について、日本人の潜在的反米感情について、靖国問題について、アジア戦略の今後について、南北朝鮮の統一プロセスについて、中国のガバナビリティについてなどなど、ホットな話題で盛り上がる。
グランヴィアのバーに河岸を変えて、さらにバーボンなどいただきつつ、現代日本人の家庭生活およびラブライフについて考察を深める。
みなさんたいへんコミュニケーション感度のよい方ばかりなので、話の展開が早い。
途中で江さんから電話がかかり、M日新聞の編集局長と飲んでいるのだけれど、その人が日比谷の同期ではないかということでお電話で紹介される。
I藤さんという方でラグビー部におられたそうだが、私も先方も記憶にない。
私は高校には実質1年間しか通っていなので、同期450人でも顔を見知っているのは同級生以外には一緒に麻雀をしたボンクラ高校生のみなさんしかいない。
大学も一緒なのであるが、なにしろ35年も前の話であるので、共通の友人の名前を思い出そうとしても、その名前自体が思い出せないのである。とほほ。
「山ちゃん本」は九月末締め切りだそうだが、それは『アメリカ論』と5週間インターバルをあけての発売ということをNTTのM島くんと決めたためらしい(聞いていないぜ)。
『アメリカ論』だってまだ終わってないし、9月末締め切りの原稿がまだいくつも残っており、20日からは大学も始まってしまう。
とてもじゃないけど、9月末なんて無理ですと申し上げる。
いくら無理だと言っても「無理だという方が無理です」「書けない本は出せないでしょう」「それを書いていただきたいと申し上げているわけで」とさっぱり埒があかない。
最後はだんだん哀しそうな顔になってきたので、気の毒になってくる。
朝起きてしかたがないので、『アメリカ論』の残り400頁を一気に校正する。
身じろぎもしないで校正していたら、肩がばりばりに凝って、凝りすぎてとうとう吐き気がしてきた。
それでもばりばり直して、全文終了。
このまま送稿してもよいのだが、まだ第一章の「切れ」が悪いので、これは明日もう一度書き直すことにする。
昔のように手書きでやっていたら、とうに過労死している作業量であるけれど、パソコンというもので書いているので、こういうことも可能なのである。
それにしても、一仕事終わったはずだが、何の達成感も何の満足感もない。
「一つ仕事終わる」ということはそのまま「一つ仕事が始まる」ということであり、その間に「インターバル」というものが存在しないからである。
昔は一冊本を仕上げると手の舞い足の踏む処を知らずといった調子でひとりでにこにこ祝杯を挙げたものであるが、今日この頃は本を書き上げても特段の喜びもない。
まあそうだろう。
年間10冊本を出そうというのだから。
毎月給料日になるたびにはね回って喜ぶサラリーマンがいないのと同じである。
どうしてこんなに大量に本を書かなければいけないのか、その理由がいまだにわからない。
どうして年二冊くらいではいけないのであろうか。
毎年二冊だって、けっこうすごいことだよ。半年ごとに本出すというのは。
10冊って、異常でしょ?
でもほんとに10冊なの。
『先生はえらい』『14歳の子供を持つ親たちへ』『インターネット持仏堂1,2』『身体の言い分』『健全な肉体に狂気は宿る』で6冊。
このあと『街場のアメリカ論』、『山ちゃん本(「知に働けば蔵が建つ」)』『角川本』『私家版ユダヤ文化論』で4冊。
これだけ書くと、自分の書いたものを読み返すのにも飽きてきた。
ねえ、もう止めませんか?
本出すの。
まじで。

投稿者 uchida : 21:19 | コメント (0) | トラックバック

2005年09月06日

カトリーナのもたらした災禍

アメリカのハリケーン「カトリーナ」の被害状況は一週間経ってもまだ全貌がわからない。死者数千人と言われているが、確認された死者は4日段階でまだ211人。あとは水没した家屋の中や路上に取り残されている。排水が完了したら累々たる屍骸の山が積み上げられるということになるのであろう。
今回の被害については行政の責任を問う声が高いけれど、私には単なる行政府の防災体制の不備というより、アメリカ社会そのものの本質的欠陥が露出した結果のように思われる。
その第一の徴候は、被災者が低所得階層の黒人たちで、彼らが防災上最も危険な地域に集住していたという事実である。
これは階層化された社会においては当然のことである。
階層化社会はそうでない社会よりも強くフィードバックが働くから、「勝つ人間は勝ち続け、負ける人間は負け続ける」ことになる。
低所得層、非白人に生まれた人間はすでにハンディを背負っているが、階層化社会ではそのハンディ格差が成長過程の全局面で(財力、学歴、教養、情報、社会関係資本・・・)強化される。
幼児期のわずかな格差が成長するにつれて拡大するというのが階層化社会である。
低所得層の黒人たちはアメリカ社会では構造的に社会の上層部には浮かび上がることができない。
それは誰かが悪意をもって彼らをスラムにおしとどめているからではない。階層化社会というのはそういうふうにクールに構造化されているのである。
それは社会そのものの本質であって、行政府にどのような善意の人がいても、階層化を是とする限り、改められることはない。
黒人の国務長官が任命されたり、黒人女優がオスカーを獲得したりするのをみて、アメリカでは黒人差別は廃絶されつつあるという印象を持つ人も多いが、実際には「上層黒人」と「下層黒人」のあいだの階層化が進み、「黒人」の間のデリケートな階層差を非−黒人が記号的に認知できるほどにアメリカの人種差別が「リファイン」されてきたということだと私は解釈している。
このような階層化は人種差別を廃絶すれば改まるというものではあるまい。
人種が差別化指標として機能しなくなれば、出身地でも、言語でも、宗教でも、学歴でも、教養でも、どんなものでもそれに代替することは可能であり、あらたな指標に基づいて人々は階層化される。
「年収」と「名声」という明徴的な尺度で国民を上から下まで序列化し、その序列をよじ登りたいという欲望を主要な社会的活力源としている限り、アメリカ社会は階層的であることを止められない。
第二の徴候はアメリカが銃社会だということである。
アメリカの民間人が所有している銃器数は2億2千万丁(警察官や軍人が所有している銃器を除いて)。つまり、赤ん坊から老人まで、国民一人が一丁以上の銃を所有しているのである。
銃による犯罪は年間60万件、銃による死亡者は年間3万人。過去20年間で60万人(これはシアトルの人口と同じ)が銃で死んでいる計算になる。
これは1791年に制定された権利章典の第二条で世界にも類のない「市民の武装権」(「国民が武器を保有し、携行する権利はこれを冒してはならない」)が認められているからである。
被災地では災害の直後から略奪、強盗、レイプが始まったと伝えられている。
このような凶悪犯罪が実効的に阻止できない最大の理由は「犯人が銃を持っている」からである。
阪神大震災のときの被災地では、それに類することは報告されていない。
私のいた芦屋山手町も、あたりの家は震災後無人となり、施錠もされていないまま(というか壁が崩れたりドアが閉まらなかったりで)放置されていたが、窃盗の被害のあったことは聞いていない。
震災直後に西宮のホームセンターにホワイトガソリンを買いに行ったとき、私のあとから中年のご婦人が雨漏りがするのでビニールシートが欲しいと言って買い物に来た。店員はブルーのシートを取りだして女性客に渡した。彼女が値段を訊くと、若い店員は「いいよ、ただで。困ったときはお互いさま」と答えた。
一方、私のホワイトガソリンは定価で売った。
この市民感覚は健全だと私は思う。
私はそのとき万全な防寒重装備をしており、250ccのバイクでばりばり瓦礫の中を走り抜け、料理用にコールマンのガソリンストーブの燃料を買いに来たのである。
「こういうやつからは金を取ってもいい」というのはまっとうな判断である。
アメリカでは事態は逆になっている。
無秩序な状態において、サバイバル能力の高い人間がサバイバル能力の低い人間をおしのけて、それを食い物にしている。
「市民」という概念がここでは内面的な規範としては機能していない。
警察力や行政や地域社会からの外的規制が効いているときはやむなく「市民的」にふるまうけれど、外的規制がなくなったとたんに「市民」の仮面を棄てて恥じないという人間が多数存在するということは、アメリカ社会がことばの厳密な意味で「近代市民社会」になっていないということである。
市民的成熟を妨げているのは第一の「他人を押しのけても勝つ者が祝福される」という階層化社会の原理であるけれど、第二の理由はやはり銃の存在だろう。
物理的な暴力装置が手軽に入手でき、それを誇示しさえすれば、物質的欲望が簡単に達成できる社会では、市民的成熟への動機づけは弱まる。
そんな迂遠なことをしなくても、欲しいものは手に入るんだから。
さらに階層化によって社会下層に釘付けにされた人々「地に呪われた者たち」にとって、略奪は「ブルジョワジーに収奪された財貨を奪還する革命的行為」として政治的に正当化することが可能であり、アメリカでも左翼的な知識人はおそらく略奪に同情的なコメントを発しているはずである。
このように二重三重の仕方で市民的成熟が妨害されている社会はこの先どうなってゆくのか。
被災者の受け容れ体制が整備されないまま、ハリケーンがさらに次々とアメリカ南部を襲うという予報が届いている。
市民的成熟を放置したことのツケが国際社会における敵勢力からの攻撃によってではなく、自然力への耐性の弱さというかたちで露呈するとは、まことに意外である。

投稿者 uchida : 11:41 | コメント (8) | トラックバック

2005年09月05日

ママなんか嫌いだい

原稿を一気に三本書き終わったので、ごほうびに三宮のジュンク堂に漫画を買いに行く。
『のだめカンタービレ』の6−12巻、同じ二ノ宮知子の『平成よっぱらい研究所』(これはるんちゃんの蔵書だったのでうちにはないのである)をゲット。
3Fの哲学コーナーを一瞥するが、むずかしそうな本がずらりと並んでいてめまいするので早々に逃げ去る。
ついでにHMVに寄って映画のDVDを購入。
クレイジーキャッツの映画を探すが、みつからない。
森繁の『社長』シリーズはわりと充実。
『13日の金曜日』のV−VII、『唐獅子牡丹・唐獅子仁義』、『小早川家の秋』というとりとめのないチョイス。
帰り道にセンター街のアウトドアの店Aigle でアノラックとTシャツをトートバッグを購入。どれもなかなかしっかりした作りである。
最近のメンズの店にあるのは「ちゃらちゃら」した軽量のものばかりで、ジーンズにダンガリーのシャツにワークブーツにダッフルコートで総重量5キロというようなヘビーウェイトな服は好まれないようである。
家にもどってとりあえず寝転んで漫画を読む。
漫画を読みながら晩飯を食べ(焼き鳥、冷やしトマト、厚揚げ、ざるそば)、そのまま寝転んで『13日の金曜日V』を見る。
感動的なまでにチープである。
安そうな俳優が森の中を逃げ回り、お約束どおりに女の子がシャワーを浴びるところにジェイソンが出てきて・・・総予算5万ドル、撮影日数一週間くらいか。
しかし、そういう骨と皮のような映画であればこそ、そこには『13金』の「本質」というべきものがいかなる装飾も抜きに剥き出しになっている。
『13金』の説話的本質とは何か?
これについては『街場のアメリカ論』で詳しく論じたし、『チャーリーとチョコレート工場』の映画評にもすこしだけ書いたので、興味のある方はそちらをお読みください。
予告編的にひとことで申し上げるなら、それは「息子の母親に対する憎悪」である。
アメリカ映画には「女性嫌悪」misogynyが伏流していることはつとにフェミニスト批評家によって指摘されていることであるが、「息子の母親に対する憎悪」がその女性嫌悪の核にあることは指摘する人が少ない。
でも、ほんとうはそうなのである。
アメリカ男性は「母親が大嫌い」なのである。
しかし、おのれの欲望充足を求めて息子を遺棄した母親に対する息子の憎悪は、「母性愛」幻想に抑止されて、直接母親にむかうことができない。
抑圧された憎悪は母親以外の人々に対して無差別に放出されることになる。
『13金』のジェイソン、『サイコ』のノーマン・ベイツ、『ホームアローン』のケヴィン坊や、『チャイルドプレイ』のチャッキー人形、そして『チャーリーとチョコレート工場』のウィリー・ウォンカ。
彼らを駆動しているのは「そこにいない母親」への殺意なのである。
男性が女性を嫌悪しているということをあれほど露悪的に批判したアメリカのフェミニストたちが、その原因として「子供を遺棄した母親に対する怨恨」の可能性だけを選択的に吟味し忘れたのは興味深いことと言わねばならない。
「子供を愛せない」と平然とカミングアウトし、母性愛幻想を完膚なきまでに破壊したあの恐れを知らぬフェミニストたちが、その当然の帰結として、「母親なんか大嫌いだ」という子供たちが組織的に出現することを予期しなかったのはなぜか。
おそらく「母親がどれほど子供を遺棄しても、子供は母親を慕うことを止めない」という信憑がひろくゆきわたっていたせいであろう。
たしかに「母親がどれほど子供を遺棄しても、子供は母親を慕うことを止めない」(「おっかさん、忠太郎でござんす」)。けれども遺棄されたことへの怨恨と憎悪のエネルギーは消えない。
その暴発というかたちで「シリアル・キラー」というものが出現すると私は解釈しているのである(同意してくれる人があまりおられないが)。
遺棄された息子がシリアル・キラーになるとして、では、遺棄された娘の方はどうなるのか。
もちろん母親に遺棄された娘は長じて子供を遺棄することで母への「仕返し」を完遂するのである。
こうしてアメリカ社会では男性は「シリアル・キラー」と女性は「シリアル・キラーのママ」に二分化することになるわけである。
もちろん良識ある人々は「そのような趨勢に無抵抗に流されてゆくのはいかがなものか」と心を痛めておられる。
そこでもう一度愛し合う親子関係を回復しようじゃないかということで、良風美俗の道徳再建運動の一環として『13金』のような「母たちの反省を促す映画」が組織的に制作されているのである。
事実、『13金』は「母親」がきわめて徴候的な役割をすることを特徴とするシリーズであるが、『V』も定法通り、そこで機能するのは「抑圧的で暴力的な、過剰に存在する母」と「子供を遺棄する、存在しない母」だけなのである。

投稿者 uchida : 11:54 | コメント (2) | トラックバック

2005年09月04日

剽窃と霊感の間

加藤典洋さんの『敗戦後論』の文庫版解説を引き続き書く。
さらさらさら。
長くなるばかりで、さっぱり書き終わらない。
筆を擱いて、お稽古へ。
合気道と下川先生のお稽古、二つ終えてから、家でワイン片手に『チャーリーとチョコレート工場』の映画評を書く。
さらさら。
これはあっという間に終わる。
共同通信から9月のエッセイの原稿まだですかと催促がくる。
これはもう終わっていて、「塩漬け」されていたので、とりだしてちょっと水洗いして送稿。
今日はこれから来週のふたつの講演のレジュメを作成しなければならない。
ダイヤリーをめくって仕事の日程と締め切りを確認していたらゆっくりと気が遠くなってきた。
いったい月末までにどれほどの量の仕事をしなければならないのであろう。
依頼された仕事はどれをとっても断ることのできない種類のものであるが、「断ることのできぬ種類の仕事」も積もれば山となる。
8月以降は仕事の依頼は一つを除いてすべて断った(岩波から頼まれた身体論だけは来年3月末締め切りというので受けてしまった。これは「岩波から仕事頼まれて断れる大学教師はいない」症候群と呼ばれる風土病のせい)。
お断りのご返事には「健康上の理由で」と書いている。
べつに今病気であるわけではないが、こんなペースで仕事をしていたらいずれ病気になることは確実であり、講演会場にはたどりつけず、原稿は落とすということになるから、ここは「健康上の理由」で正しいのである。
断るのに困った仕事のひとつにウチダ本の「ムック」を出したいというオッファーがあった。
これは私が何もしないうちに本が出るという美味しい企画なのであるが、私の本からのコピー&ペーストに図版や写真を入れて本を作るということの必然性がどうしても理解できず、結局ずいぶん苦労してダミーなど作って頂いたのに、お断りしてしまった。
先方はずいぶんわがままなやつだとお怒りであっただろう。ごめんね。
しかし、つねづね申し上げているように、コピー&ペーストやリライトはひとつの創作であり、そのコピーライツはコピペやリライトをした人に属すると私は考えている。
だから、私に気兼ねせずにどんどん出して頂いて、その人の著作ということで発表されればよろしいのである。
私の書いたことのコンテンツに共感されていて、それをひろく宣布したいとお考えであれば、ご自分の名前でコピペ本を出されればよいと申し上げているのである。
私がレヴィナス老師についてやっているのはまさに「そういうこと」である。
『レヴィナスと愛の現象学』も『他者と死者』も全体の85%は「レヴィナス、ラカンのお二方はこんなことをおっしゃっているが、これはこういう意味ではないか」という引用とその解説である。
だからといってこの本を「エマニュエル・レヴィナス/ジャック・ラカン共著」として出すわけにはゆかない。これは断じて私の著作である。
どうしてえばってそういうことが言えるかというと、私の解釈が間違っているからである。
間違った解釈だとわかっていて本なんか出すなとお怒りの方がおられるやもしれぬ。
だが、それは短見というものである。
だって、「解釈が間違っている」ということ以外に研究者にはオリジナリティを発揮する機会がないからである。
正解はどの問いについても一つしかない。誰が読んでもそこに到達するような解釈についてオリジナリティの存在する余地はない。
解釈者の固有性は唯一「誰にも真似ができないような仕方で正解を逸する」ということのうちにしか棲息できないのである。
バカを言うな、自然科学ではそんなことはないとさらに怒る方がおられるかもしれない。
そんなことはない。
どのような精密科学といえども宇宙の森羅万象ことごとくを理論的に解明できているわけではないからである。
世界は謎に満ちている。
宇宙の涯には何があるのか?
ビッグバンの前に時間はどのように流れていたのか?
誰も答えることができない。
だから、あらゆる科学的仮説は「世界についての不十分な解釈」であることを認めなければならない。
そして、科学者のオリジナリティはまさに「彼に固有の不十分さ」を示すというかたちでしか発揮することができないのである。
私が「剽窃」plagiarism ということの犯罪性を自明のものであるように語ることに対して、わりと懐疑的なのはそのためである。
私の書いている考想のほとんどは先賢からの剽窃である。
使っている日本語は私が作り上げたものではないし、私が頻用する修辞やロジックもすべて「ありもの」の使い回しである。
それでもなお私にむかって「ウチダは剽窃者だ」という批判がなされないのは、「先賢の考想を借用」しているつもりでいる私の借用の仕方が微妙に「他の人とは違う」からである。
私は聞いたとおりのことを繰り返しているつもりなのだが、必ずそれは他の聴き手とは違う聞こえ方で私に届いているのである。
この「他の聴き手とは違う聞こえ方」や「他の読み手とは違う読まれ方」を差配しているのは、私自身ではない。
私の中の「他者」である。
「剽窃者」とはこの「私の中の他者」が十分に他者でない人のことである(わかりにくいなあ)。
情報の伝達を汚す「私の中の他者」の未知度が高まると、それは「剽窃」ではなく「霊感」と呼ばれる。
私たちは模倣や反復を脱して真にオリジナルな知見や考想を語ることはできない。
これは原理的に不可能である。
私たちにできるのは、「私たちのうちなる他者」ができるだけ未知のものであることを願うことだけである。
統合失調症の人においては「私のうちなる他者」がたいへんリアルであるらしい。
けれども彼らの「うちなる他者」は「宇宙人」とか「電波」とかきわめて定型的なイメージに固着して、そこから出ることがない。
もし正常と異常のあいだに程度の差があるとしたら、それは「外部から到来する情報を汚す機能」としての「わがうちなる他者」を定型に回収させない、ある種の反発力のようなものの差であるように私には思われる。
わかりにくい話で済まない。
剽窃と霊感の間には程度の差しかない。
程度の差にすぎないけれど、同時に私たちの精神が向かう「方向」の差でもある。
あくまで「既知」を志向する精神と、「未知」に魅了される精神の間に、「剽窃」と「霊感」の、あるいは「狂気」と「正気」の境界線は存在するのではないか。

朝刊に江さんの『岸和田だんじり若頭日記』の書評が出ていた。
評者は鷲田先生。
まことに簡にして要を得た、間然するところのない解説であった。
これで江さんも全国区。
長屋のほかの住人諸君もぜひ江さんに続いてスピン・オフをめざして頂きたいものである。

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2005年09月03日

大富豪とチョコレート工場

城崎から帰ってきたら次はゼミのお泊まりツァー。
四年生のゼミ生たちが六甲セミナーハウスに集まるから教師も荷物運びやワイン供与のために参加するように命じられたのである。
四年生は卒論執筆中で、そのような余裕はないはずなので企図の奈辺にあるか怪しんでいたのであるが、案の定集まったのはゼミ生総勢15名のうち4名。
この子たちを車に乗せて六甲山上まで運び上げ、広い風呂に浸かって、温泉気分になり、家からもってきたホットプレートに肉や野菜を並べて鉄板焼きを食しつつ、ビールを飲む。
セミナーハウスまで私の家から車で25分くらいのものであるから、「ちょっとそこまで晩飯を食べにでかけた」と思えばよい。
食卓の話題はもちろん「恋バナ」。
女子大の教師をしていると、ほとんど職業的義務として女子大生たちのラブライフの詳細について熟知せねばならないことになる。
先日報じたように、このゼミ生たちは神鋼スティーラーズの若手と先般「合コン」というものをしたのであるが、その事後報告。
神鋼の若者たちも、網走合宿など多忙な日々のあいまをぬって、なかなか活発なアフターケアをされているようである。
食後のワインを飲みながらテレビでとんねるずの食わず嫌いを見ていたら学生たちからおよびがかかって、次は「大富豪」。
城崎温泉麻雀の夜のつぎは六甲大富豪の夜である。
このゲームも麻雀と同じく、「勝つ人間は勝ち続け、負ける人間は負け続ける」というフィードバック機能が内蔵されている。そこが実人生に深く通じる点がおそらくはカードゲームとしての人気が翳らない理由なのであろう。
エナミくんの負けっぷりのよさに感嘆してげらげら笑っているうちに気が付けばはや深更午前2時。

翌日は寝不足。
よろよろと日差しの下を芦屋までもどり、学生たちを阪急の駅でおろして家にもどってシャワーを浴びて二度寝。
途中何度も電話で叩き起こされる。あきらめて昼過ぎに起きるが頭がぼおっとしている。
シャワーで眠気を飛ばしてからコーヒー片手に加藤典洋『敗戦後論』の文庫版解説書き。
締め切りまであと3日。6000字という大仕事。
『敗戦後論』については『ため倫』に長文の評論を書いたことがある。
それを繰り返すのも曲がないが、かといって加藤典洋論を全面的に展開するほどの批評的力量は私にはない。
『敗戦後論』の全体に伏流しているのは高橋哲哉との論争であるので、この論争の「ほんとうの賭け金」はなんであったのか、ということについて思うところを書く。
こりこり書いているうちに(例によって)大幅に紙数が超過し、さらに話が収拾のつかない状態になる。
今日のところは諦めて、IMPホールの『チャーリーとチョコレート工場』の試写会にでかける。
『ブラザーズ・グリム』が「スカ」だったので、来月号の『エピス』の記事ネタがない。締め切りまであと6日。
ここは「ティム・バートンにはずれなし。ジョニー・デップにはずれなし」という俚諺を信じて『チャーリー』に賭ける他ない。
試写会会場はたいへんな人出。
谷口さんに「関係者席」に案内してもらう。
読売主催の試写会で、私は読売の「専属」映画批評家という立場なので、いちばんよい席をいただく。
こういう待遇に慣れるとだんだん人間としてダメになりそうな気がするが、老眼が進んだ身としてはスクリーンがよく見えるのはありがたい。
そこにウッキーやクーさんやヤベッチまでが「関係者」顔をして登場。
たしかに彼女らも谷口さんの合気道の「姉弟子」であるから、関係がなくはないのである。
映画はたいへんに面白かった。
ウンパ・ルンパのダンスと、リスのクルミ剥きの場面で全員椅子から転げ落ちるほど笑う。
ティム・バートンの映画としては『マーズ・アタック!』にテイストが近い。
あの映画が生涯のフェバリット・フィルムという人(あまり多くはないと思うが)にとっては至福の二時間となるであろう。
ジョニー・デップも『シザーハンズ』以来の怪演。
『シザーハンズ』のときのジョニー・デップの「白塗り」が好きという人(これもあまり多くはないと思うが)にとってもやはり至福の二時間となるであろう。
映画のあと、読売さまのご招待でワーナーのババさんはじめパブリシティの方々とお食事。
ウッキー以下の「姉弟子」たちも当然のように陪食。
この人たちはいったいどういう関係者でここにいるのか・・・という懐疑の表情が谷口さん以外の方々顔に浮かぶが、そのような視線もものとは、姉弟子たちは食べかつ飲みかつ笑う。
この師にしてこの弟子あり。
姉弟子たちを帰したあと、ワーナーのババさんのご懇望によりもう一軒まわって、バーボン片手に今度はもうすこし専門的に映画についてお話をする。
気づけば深更(毎晩これだな)。

投稿者 uchida : 11:39 | コメント (0) | トラックバック