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2005年08月31日

夢の城崎温泉麻雀

ゆく夏を惜しんで城崎温泉麻雀ツァーにおでかけになる浜松のスーさんご一行四名が往路に神戸にお立ち寄りになり、大量の「うなぎ」をお届け下さる。
さっそくウッキー、イワモト秘書、越後屋さんなどが集まって「ミニ鰻宴会」というものを挙行する。
私はそのまま翌朝からの「温泉麻雀ツァー」にもまぜて頂く。
考えてみると、M島くんやヤマちゃんが「まだですかまだですか」とせっついているので温泉麻雀なんかしている暇はないのであるが、私はこの夏休みに一度も遊びに行ってない(丸亀うどん&うなぎツァーは「遊び」じゃないし、南芦屋浜でゴミの間に寝ころんでいる人を「バカンシエ」とは誰も呼ばぬであろう)。
だから、一度くらい「行楽地」というところに足を運んでも天罰は当たらないのである。
快晴の播但道を愛車BMWを疾駆させて、まずは出石へ。
但馬の山奥のこの小さな城下町を訪れるのははじめて。
なかなか風情のあるよい町並みである。
老舗「大門」にて、「出石そば」を食す。
小皿にとりわけた冷たいおそばを「生卵、とろろ、葱、わさび」などで強化したたれで頂くのである。
14皿(一人前は5皿だから約3人前)つるつると呑み込む。
美味なり。
満腹気分で円山川を北上して城崎へ着いたのが2時過ぎ。
とりあえず外湯「御所の湯」へ。
ここは新築したばかりで城崎の外湯7カ所の中ではいちばん新しい。
城崎温泉にはずいぶん通っているので、外湯も駅前の「さとの湯」以外は制覇している。
その御所の湯は新緑の下の露天風呂で滝が豪快にざあざあと湯船の横を流れ落ちている。
城崎は海に近いので、泉質は透明ですこし塩辛い。毎年ゆく山形の湯野浜温泉の泉質に似ている。
湯船の中で手足を伸ばして、葉陰越しの晩夏の青空を仰ぐ。
快適である。
湯上がりに8分100円の「マッサージ機」でぐりぐりと背中をもみほぐしてもらう。
うーむ、これはよい。
発作的にマッサージ機購入を決意する。
「どれくらいするものですかね?」
とおたずねすると、私よりはるかに世情に通じているスーさんたちは口々に「ピンキリですが、ピンだと50万くらい」「でも、半年で飽きます」「買った人たちの家はどこでも部屋の隅でほこりかぶってます」「じゃまですよ」「重いし」「先生のところのマンションのドア通らないですよ」「床抜けますよ」と懇切丁寧に私の購入意欲を殺ぐのであった。
そうですか。
じゃ、やめときます。
といいつつ業務連絡。
このブログを読んだ「マッサージ機メーカー」のみなさん!
ウチダは「消費者モニター」になって貴社の製品を身を以て吟味し、その性能について詳細なレポートを送付するばかりか本ブログ上において当該製品がいかにすばらしいものであり、その支援によって私の苦しい毎日がどのように癒されているかについて繰り返し執拗に告知することにやぶさかではありません。
モニターをお探しのメーカーさまがありましたら、ご一考頂けると幸甚です。
からんころんと下駄を鳴らして、これ以上ないくらいにだらけた足取りで5人城崎の町を歩く。
「志賀直哉ゆかりの宿、三木屋」の前を通ったので、この間「どうだっていうのよ」のヒロコさんから聴いた「志賀直哉をめぐるほんとうにあった怖い話」をみなさんにご披露する。
「志賀直哉をめぐるほんとうにあった怖い話」というのは、「概ね」を「がいね」と読んで怪しまないある青年が、この三木屋の前で「志賀直哉の泊まった宿に私も泊まってみたいな」とつぶやいた同行の女性のひとりごとを聞きとがめて、「・・・シガナオヤって、お前のツレ?」と言ったという実話。
全員のけぞる。
いやーなかなか。最近の若い人は侮れませんなあとつぶやきつつ、「かき氷」を食べる。
美味い。
「かき氷機がよいからです」と理科のオノ先生が説明してくれる。「街の喫茶店なんかでフラッペなどと称して出てくるものとはちがって、これは『削り機』で削っているのでこのように粒子が細かいのですよ」
ほうほうと一同うなずく。
そのまま宿でさっそく麻雀。
「イーチャン、リャンチャン。やーめられない、とまらない」と歌いながらの楽しい夜更かしは午前零時は「宵の口」を通り抜けて、「宵の喉」午前3時まで続いた。
今回は新参者なので、「名刺代わり」にそれなりの点棒をみなさまにお配りして、新顔のご挨拶をさせていただく。
常識ある社会人としては当然の配慮と申さねばならない。
翌朝美味しい朝ご飯を頂き、食後のコーヒーを喫しつつ、日本の中等教育の将来を憂いつつ城崎を後にする。
スーさん、オノさん、オーツボさん、ヨッシーさんどうも遊んで頂いてありがとうございました。また来年も誘って下さいね(来年はもう「名刺」はくばんないからね!)

投稿者 uchida : 18:02 | コメント (3) | トラックバック

2005年08月30日

恐怖のダブルブッキング

やってはいけないことをやってしまった。
ダブル・ブッキングである。
それも一年も前から約束していた講演のダブル・ブッキング。
理由はシンプルで、一年前に日時を約束したときに、ダイヤリーの一日後の日の欄に「講演」と書き込んでしまったからである。
だから本来講演がある日のダイヤリーはずっと空欄になっていたのである。ところが、一月ほど前に「講演」の依頼があって、「二日続きはたいへんだな」と思いながら、会場が近場だったし1時間だけのことだから・・・と、その空欄を埋めてしまったのである。
昨日になってメールで最終的な日程の打ち合わせをしていて気が付いた。
メールの標題がダイヤリーの記載と違うので、電話で「メールの標題は一日違ってますよね?」と気楽に問い合わせたら、先方は「いえ、一年前からこの日です」ときっぱりお答えになる。
真っ青になって一年前の受信トレイをひっくり返したら、ちゃんと「9月8日にお願いします」と書いてあった。
やってもうた。
さあ、どうしよう・・・
もうどちらの講演も会場の手配も案内もぜんぶ終わっている。
講演開始もまったく同時刻。
しかし、電話口の香川大学付属病院副看護部長のモリオカ先生は少しも騒がず、「では9日に変更できるかどうか会場の方を確認してみます。少しお待ち下さい」と静かに話し終え、しばらくして「会場取れましたので先生の予定通り9日にお越し下さい」という連絡が入った。
「そのとき義経少しも騒がず」というが、ウチダはパニックになってしどろもどろになっていたのに、さすがに人の生き死にの現場に立つナースの統括者である。声も乱さず、怒りも失望も叱責のようすも見せずに、一秒後には「次の手」にシフトしていた。
そういうものなのである。
池上先生がお書きになっているように、船が座礁したときには、「どうしてこんなことになったんだ」とか「誰のせいだ」と言うようなことを言っても仕方がない。とりあえず、今何ができるかを考える。それがシーメンである。
おそらくナースも同じことを訓練されているのであろう。
患者の容態が急変したときに、「どうしてここまで放っておいた」とか「誰が責任者だ」とか議論してもはじまらない。まず蘇生のための手を探す。
そういうプラグマティックな発想の切り替えができる方たちなのである。
もちろん「誰が悪い」のだと言っても始まらないというようなことを「悪いのは私」には言う権利がない。
ないのであるが、一般論としてはウチダの粗忽を責めるよりは代替案を考える方が前向きであるということにはみなさんもご同意頂けるかと思う。
どちらにせよ、150人の聴衆全員に日程変更を伝えることになった香川大学付属病院看護部のみなさまには死ぬまで足を向けて寝られないウチダなのである。
モリオカ先生ありがとうございました。ほんとうに深謝致します。
こうしてダブル・ブッキング問題がモリオカ先生の機敏なご英断によって瞬間的に解決した。
しかし、改めて思うに、こういう解決不能の難問を瞬間的に解決できるような方からお仕事のオッファーがいただけるというあたりにも微妙にウチダの「運の強さ」は伺えるのである。
ご縁パワー恐るべし。

投稿者 uchida : 09:12 | コメント (3) | トラックバック

2005年08月29日

夏が終わる

朝起きてドアをあけると涼しい風が城山のほうから吹いてくる。
もう夏も終わりだ。

無事、歌仙会が終わる。
ドクター、ウッキー、I田先生、大西さんと、下川社中の合気道「閥」のみなさん、どなたもたいへんお上手になられて、私も7年くらいのアドバンテージではうかうかしていられない。
能のお稽古では「謡10年仕舞3年」といって、そこそこかっこうがつくまでには謡の方がずっと年数が要るとされているのであるが、若いかたたちの難しいはずの謡の進捗ぶりに驚く。
ドクターと大西さんの謡ははじめて拝聴したが、感心。たいしたものである。
朝の10時半から始まって、終わったら4時過ぎ。
その間、私は素謡『蝉丸』と『吉野天人』と仕舞3番と囃子以外はずっと舞台上。
最後にハイスピードで『土蜘蛛』の地謡を謡いきってからそのまま『高砂』の「千秋楽は民を撫で」を附祝言に雪崩れ込む。
能の舞台を見ていたころに、この最後の番組が終わってからの附祝言がほんとうにかっこよくて、「あれ、いつかやってみたいなあ」と念じていたのである。
打ち上げで軽くビールを頂いて、下川先生のゴルフ話能楽界バックステージ話に興じたあと生酔いで帰宅。
さすがにぼろぼろに疲れていたので、何する気力もなく、とりあえず下のコープで肉を買ってきて、ステーキにして、そのまま寝ころんで『アナコンダ2』を見る。
すべて「お約束通り」というたいへんハート・ウォーミングな映画であった。娯楽映画はこうでなくちゃね。

新聞に、外務省がアメリカで世論調査をしたらアジアのパートナーとして「中国」を選んだ人が激増、「日本」を選んだ人が激減・・・という記事が出ていた。
「アジア地域の中で最も重要なパートナー」はどこかという設問に「日本」と答えたアメリカ人は全体の48%で17年連続1位。だが、前年比17ポイント減と過去最大の減少。一方、「中国」と答えた人は38%で、前年比14ポイント増で過去最大。日中両国の差は前年の41ポイントから10ポイントに急激に縮小した。
中国を選んだ理由では、大半が挙げたのは「経済成長の可能性」。
一方、欧州やアジアの8カ国・地域について「米国と価値観を共有しているか」を質問したところ、日本は英国、ドイツに続いて3位となり、 7位の中国を引き離した。
日米関係を「極めて良好」か「良好」と答えた人の割合は83%と過去最高を記録。今後の日米関係も「良くなる」「変わらない」と する回答が全体の9割を超えた。
このアンケート調査について外務省は「日米関係は変わらない」と楽観的に総括しているようだが、私はそれほど楽観的にはなれない。
このアンケートが示すのは、日本は「アメリカと価値観を共有するけれど、あまり重要ではないパートナー」として認知されているということである。
以前に用いた外交関係四分法をもう一度使うと、外交的関係には「強い敵/弱い敵/弱い味方/強い味方」の四種類がある。
戦後一貫してアメリカが日本に要求してきたのは「弱い味方」というポジションである。
日本の保守の一部は「強い味方」(軍事的独立をふまえた対等のパートナーシップ)の地位を求めており、左翼は伝統的に「弱い敵」(軍事力も外交力もないが、アメリカの世界戦略に協力しない)であることを志向してきた。
左右両翼のあいだで綱引きがつづいた55年体制は両方の勢力が相殺されて「弱い味方」というアメリカにとってもっとも好都合な地位がキープされた。
それでも中国とロシアと北朝鮮という社会主義圏が肉迫している限り、極東では日本のサポートはアメリカにとって戦略的に不可欠のものであった。
しかし、プーチンとブッシュの利害がかつてなく一致し、“留美派”が政府中枢を占める中国がアメリカに急接近し、北朝鮮の無害化プロセスが進行中となると、日本のサポートの戦略上の重要性が相対的に低下することは避けがたい。
そのことがはっきり現れたアンケート結果であると私は思う。
このまま米中関係が大過なく進展した場合、1,2年後には中国が「アメリカにとって極東で最重要のパートナー」となり、大事な話はすべて日本の頭越しに北京とワシントンの間で取り決められ、日本は「蚊帳の外」に置かれるようになるだろう。
「蚊帳の外」もなにも、日本にはもともと「アメリカ抜きのアジア戦略」なんかありはしかなったのである。
今の日本の政界に「アメリカ抜きのアジア戦略」を展開できるような構想力をもった政治家はもう一人もいない。
悲しい話だけれど、このまま事態が推移すれば、日本はアメリカの「アジアにおける51番目の州」程度の外交的存在感しか持たない国になるだろう。
そのことを私たち日本人より先にアメリカ人が気づいているということに日本人は気づいていない。

投稿者 uchida : 10:44 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月28日

「関西って、まじディープだね、ジョバンニ」「ぼくらじゃ勝負になんない、逃げよう!カンパネラ」

前夜遅くまでしこたまシャンペン、ワインなどを頂きつつ談論風発してしまったので、目が覚めると少しくらくらする。
大量のビタミンC飲料を嚥下して、とりあえず体内のPHを整えてから合気道のお稽古に。
このところ見学希望者からのメールがずいぶん多い。
今日も新人がひとり入門。見学者が一人。
新人は自由が丘道場時代の後輩のI上くん。
たまたま私のHPを読んで、自由が丘道場時代のことを思い出して、十八年ぶりに道衣をひっぱりだしてきたのである。
自由が丘時代はスレンダーで憂いをおびた横顔の慶応ボーイであったが、いまは大阪で弁護士をされていて、当時より10キロくらい巨大化している。
動きは思いがけなく軽快であったが、夜はおそらくかなり筋肉痛に苦しんだであろう。
懲りずに来週も来て欲しいものである。
見学者は先週のゼミ卒業生宴会で「みはられ女」という哀しい通称を与えられたH中くんである。
どうして彼女が課長に「みはられる」立場になったかについては長く悲しい前史があるのだが、むろん個人情報保護の立場からこのような場所で公開することはできないのである。
二時間半汗をかいたら、だいぶ体内PH関係が安定してきたが、それでもふらふらするので、家に帰って1時間ほど爆睡。
よろよろと起きあがってシャワーを浴びてからドクター佐藤とJR芦屋駅で待ち合わせて、いっしょに江さんの『だんじり若頭日記』の出版記念パーティへ。
これは江さんの関係者が一堂に会するというたいへんカラフルなパーティで、私のテーブルには両隣がドクターと東京から来た平川君、向かいが神鋼の平尾さん、斜め前がタチバナさんと「新・街場の現代思想」の清田さん、二軒隣がカンキくんとフジタくん。これではどちらを向いて会話をしてよいのかわからない。
ゲストがまた多彩で、新地のママたち、岸和田のだんじり関係者のみなさん、バッキー井上さん、大西ユカリさん、的場光雄さんらが次々マイクをにぎって驚嘆すべき話芸と芸をご披露になる。私と平川君はあっけに取られてころげまわって笑うばかり。
私は「だんじり本」の大家であるので、来賓第一号でスピーチをさせられた。
最初でよかった。あの人たちの後にマイクを握って人前で話す度胸は私にはない。
とくに印象深かったのは世話人代表の的場さんという方。私は一瞬この人を鷲田先生と見間違えて、「あれ、ワシダ先生も来てるのかな」と思ってしまったのであるが、まったく別人。
その圧倒的な存在感に平川くん共々「大阪ってほんとにディープだねえ」と感嘆することしきり。
歯槽膿漏でお酒がのめない平川くんと翌日朝から歌仙会の私は二次会のお誘いや新地のママたちのオッファーを固持して、いつも元気な東京ファイティングキッズも今夕は江さん人脈の迫力に完全に気合い負けして、とぼとぼ帰路についたのであった。

投稿者 uchida : 19:28 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月27日

東奔西走北行南駆

「文春のヤマちゃん本」の「まえがき」を書き終わり、本文の校正に入る。
本文はブログのコンピなので、理路の混乱をふくめて書いたときの「勢い」というものがあって、あとからあれこれいじるとかえって読みにくくなる場合がある。
何しろ似たようなことばかりあちこちでしゃべったり書いたりしているので、だんだん自分の書き物を読むのに飽きてきた。
私のように自分の書き物に対してつねに好意的な評価を抱いている書き手において「飽きる」ということはかなり由々しい事態である。
この手の「コンピもの」が文春、K川、J文書院、C央公論(たしかそうだと思ったが思い違いだったかな)で同時多発的に進行中である。
同時進行ということは、だいたい同時に発売されるということである。
編集者諸君に重ねてご忠告申し上げるが、書いた本人でさえ読み飽きているような類の「同工異曲」というよりはほとんど「同工同曲」の書物を同時期に発売することが営業上あまりクレバーな選択ではないということは芸能界事情を一瞥すれば誰にでも容易に想像のつくことではあるまいか。
それでもなお同時期に同種の書物を並べることにみなさんが固執されるということは、按ずるに、それらすべての本が「大コケ」して、私の本が店頭から潮が引くように消え、すべてのメディアが私のことを忘れるという事態をおそらくは切望されているからであろう。
さすれば、誰一人おとのう人なき静穏な日々が私に再び戻ってくる。
それほどまでに私の心身の健康を気遣ってくださっているとは。
お気遣いありがたくて涙が止まらない。

夕方になったので、梅田まで試写会へ。
テリー・ギリアムの『ブラザーズ・グリム』。
ギリアム7年ぶりの新作ということで、これで『エピス』の原稿を書こうと思い、ちょっと(かなり)期待してでかけたのであるが・・・
多くを言うまい。
ハリウッド映画のフィルムメイカーたちは観客の精神年齢をおそらく12歳程度に設定しておられるのであろう。
たしかに私がいま小学校六年生であれば、『ブラザーズ・グリム』を大いに楽しんだはずである。
『オーシャンズ12』だって『ヴァン・ヘルシング』だってけらけら笑ってみることができたであろう。
大人の鑑賞に耐えないというような言葉は批評的には無意味なのである。
慎もう。

本日はオープンキャンパス。
本学のオープンキャンパスに来られた方がたは「日本一美しい」キャンパスの景観に圧倒されて、そのままふらふらと出願してしまう確率がたいへんに高いので、本日いかに多くの受験生を呼び集めるのがわれわれのがんばりどころである。
私は総文の「ミニ講義」というものを担当して、30分の講義を午前午後の二回行う。
お題は「大学で何を学ぶか?」
「まえがき」に書き連ねた知性論(マイケル・ポランニーの『暗黙知の次元』からお借りしたネタ)で一席伺う。
二度同じ同じネタではつまらないので、午後はe-learning やVODによるいわゆる「ユビキタス大学」構想批判をする。
空間と時間の重要性ということをお話する。
これは暗黙知とも関連するのである。
その前に「暗黙知」ということをご説明しておかないといけない。
私たちの知的活動には「明示的に知っている」というレベルと「暗黙裏に知っている」というレベルの別がある。
例えば「問題」というのがそれである。
私たちが「問題」を立てるのはそれが解答可能であるという「見込み」がある場合だけである。
ソクラテスはかつて「『問題を解決する』という言い方は背理である」と言ったことがある。(メノンのパラドクス)
もし問題を解決できることがわかっているなら、問題は存在しないことになるし、問題を解決できないことがわかっているなら、誰もそれを問題としては意識しないから、やはり問題は存在しないことになる。
多くのパラドクスがそうであるように、このパラドクスも「時間的現象」を無時間モデルに適用することによって背理となっている。
時間というファクターを入れるとパラドクスは解消する。
私たちが問題を立ててそれに解答するというのは「問題を解決できることが暗黙裏にはわかっているが明示的にはわかっていない」という時間的現象なのである。
たしかに私たちは「解答できることがわかっている問題」しか取り扱うことができないのだけれども、「暗黙裏にわかっていること」が「明示的にわかる」レベルに移行するまでには時間がかかるのである。
どんなエリアの研究者でも「この方向に行けば答えに出会える」という直感に導かれて研究を行う。
この直感が訪れないものはそもそも研究を始めるということができない。
けれど、私たちはその直感がどうして訪れたのか、その経緯については説明することができない。
前にマックス・ウェーバーについて書いたように、あることを説明できる能力と、「あることを説明できる能力」がどのように構造化されているかを説明できる能力は別のレベルに属する。
いかなる天才といえども、自分がどうして天才であるかを言うことはできない。
しかしこの「言うことができない」レベルに私たちの知的活動のもっとも重要な部分が含まれている。
ユビキタス大学という構想に私が懐疑的なのは、それが「暗黙知」の活動のための時間と場所を提供することにリソースを供与しようとしないからである。
知的活動とは暗黙知から明示知へ「何か」がレベル変換することに他ならない。
かつてソクラテスはそれを「産婆術」と称した。
知の胎児が産道をくぐってくるためには、逍遙と対話のためのゆたかな空間と時間が必須なのである。
ディスプレイに表示された設問に一問一答的に解答するような学習は理想的にはレスポンス時間ゼロをめざしている。
解答までできるだけ短時間であることを求めるものは、時間について考えたくないからそうするのであるが、時間を捨象しようとするのは知性にとっては致命的なことである。
レヴィナス老師はかつてこう言われた。
「時間とは私と他者の関係そのものである」
入力から出力までのタイムラグをゼロにすることを求めているものたちは、その欲望を通じて「私と他者の関係」を損なっているのであるが、彼らはそのことに気づいていない。

ミニ講義のあと走って下川先生のお稽古へ。
『羽衣』の謡はワキを謡っていただく長谷川さんとはじめて合わせる。
『高砂』の舞は拍子を間違えて覚えていたので、あわてて修正。

家に飛んで帰る。
夕方から毎日新聞の中野さんが歴史学者の山本尚志さんと奥さまのピアニストの渡辺泉さんをともなって芦屋に来られたので、三宮のRe-setにてご会食。
山本さんは『日本を愛したユダヤ人ピアニストレオ・シロタ』(毎日新聞社)という本を昨年秋に上梓した方である(レオ・シロタは憲法制定にかかわったベアテ・シロタ・ゴードンの父親)。
歴史学と音楽史と両方について深い素養がないと書くことのできない種類の希有の書物である。
どうして中野さんがご紹介の労をとってくれたかというと12月のイス研関西研究例会では私と山本さんの二人が発表者であることが発覚したからである。
なんと山本さんも「あの」イス研の会員であったのである。
イス研といっても椅子研究会ではない。
「日本イスラエル文化研究会」という日本のユダヤ学者を網羅しているコアでディープな学会である。
毎日新聞の奢りというのですっかり「大船に乗った気」になり、シャンペンやワインをばんばん抜きつつ歓談。
靖国問題、レイモン・アロンの思想史的重要性、中国のガバナビリティなど話頭は転々。気が付けば12時を回っていた。

投稿者 uchida : 10:04 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月25日

プールサイドで読書

朝夕涼しくなってきた。台風もばんばん来るし、もう夏も終わりである。
のんびり夏休みを過ごした気がまるでしないうちに明日からまたスケジュールが詰め詰めである。
行く夏を惜しんで、この夏四回目のプールに行く。
プールサイドでフランシス・フクヤマの『歴史の終わり』を読む。
評判になったのはもう数年前のことだから今頃読むのもあれだけど、そのときはぜんぜん読む気にならなかったのである。
アメリカ論を書き終わったところで急に読みたくなった。
読み始めるとたいへん面白い。
噛んで含めるような議論の仕方はアングロ=サクソンの学者特有のもので、私はフランスやドイツの哲学者の書くぐちゃぐちゃした書きものも好きだけれど、読者によけいな知的負荷をおしつけないリーダー・フレンドリーな本も好きである。
ただ議論の理路はちょっと単純過ぎるような気がする。
うーん、まあそういうことなのかなあ・・・と思ってだいぶ読み進んだら、反ユダヤ主義のことが出てきた。
フクヤマはさらりと「ホロコーストは1920から30年代のドイツに集中的にあらわれた歴史上特異な社会環境の産物だと考えたい」と書いている。
だが、20世紀反ユダヤ主義の思想的淵源はドリュモンをはじめとする19世紀末フランスの思想家たちだし、セルゲイ・ニルスのようなロシアの反動思想家も、ヘンリー・フォードのようなアメリカのビジネスマンもホロコーストには間接的にコミットしている。反ユダヤ主義は二千年にわたる西欧世界全体に根を下ろした現象であり、それほど簡単に特定の歴史的条件に還元することはできない。
私が記述として不十分だなと思ったのは、とりあえずはこの箇所だけである。
私がある程度専門的知識をもっている領域でフクヤマが論及したところはここしかなかった。
それ以外のラテン・アメリカの政治史やソ連東欧の経済史や中国論などについて私はまったくの専門外であるので、フクヤマの記述の当否を判断することができない。
しかし、自分がある程度知っているただ一つの分野での著者の判断に問題があった場合、他の分野でも判断に問題がある可能性はそうでない場合よりも高いと推論することは間違っていない。
でも、コジェーヴのヘーゲル読解を利用する手際にはセンスの良さが感じられる。
もうすこし判断保留して先を読むことにしよう。

投稿者 uchida : 17:34 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月24日

霊の件なんだけど

朝日新聞のための原稿を書き上げる。
これは文化欄への寄稿。
さらさらさら。
論題は靖国問題にからめて「服喪の本義について」。
最初はテロリスムと文化的多元主義の話を書くつもりだったが、いつのまに「霊」の話になってしまった。
昨日の朝日の夕刊で加藤周一が「幽霊との対話」という結構のエッセイをかいていたが、やはり季節柄、そういう話がつきづきしいのである。
「霊の話」のいいところは、誰も「霊とはしかじかのものである」と実定的に語ることができないので、「お前は間違っている」という批判が原理的に不可能だということである。
批判されたら「じゃあ、霊連れてきてよ」と言えばいいんだから。
「霊」の本義はなんだろう。
『字通』を開く。
サイズの問題があって(A4サイズで、今体重計で測ったら3.2キロある)手元に置く方は少ないが、『字通』こそはすべての心ある日本人が座右に置くべき書であると思う。
でも、かさばるんだよね。
どこかでCD−ROMにしてくれないだろうか。
フォントがないか。
白川静先生がことあるごとにお使いになる「サイ」(Dを90度回転させたかたちの象形文字で、巫者がもちいる呪具)なんかATOKじゃ出せないし。
『字通』で「霊」を引く。
旧字では「靈」。
上半分は「祝祷の器であるサイ(ほら出た)を列して、雨乞いを祈る意。
下半分は「巫」で、その巫祝をいう。
発生的には雨乞いの呪法に関係があるらしい。
雨は天から降ってくる。
「天の人に命ずるところを令といいまた命という」
だから「霊」は「零」と同音、同義。
「霊空」とは「そら」のこと。
「霊景」とは「日の光」のこと。
「霊府」「霊源」はいずれも「心」のこと。
うーむ。
これは奥が深い。

靖国問題についていくつかの関連書籍を徴したけれど、賛否両論その論ずるところは畢竟するに「正しく祖霊を祀らないと、祟る」ということにゆきつく。
靖国参拝反対派だって、そうなのである。
彼らもまた「正しい」慰霊のあり方を追求していることに変わりはない。
「戦争で死んだ人間のことなんてオレはどうだっていいんだよ。問題は政教分離の原則だ」とか「日本の国益だ」とか「安全保障だ」とかいう非霊的にクールな論者を私は見たことがない。
かりに内心でそう思っていても、そんなことを口にしたら誰もその主張に耳を傾けてくれないということくらいはわかっているからだろう。
靖国問題で日本政府を責め立てている中韓の人々も同じである。
外交的なゲームという側面もあるかもしれないが、彼らには彼らの死者があり、その慰霊の仕方を過つと彼らの国に災いがふりかかると彼らもまた信じている。
だからこそ、彼らは彼らの「死者たちのために/死者代わって」(pour le mort) 声を上げるのである。
「死者の代理人」たちはそれぞれに「正しい慰霊」の方法を「私は知っているが、お前は知らない」と言い立てる。
けれども、死者を安らかに眠らせるためには、どのような服喪の儀礼が「正しい」のかを判定する権利はほんらい死者にしか属さない。
だから、もし、この論争に最終的な決着をつけようとするなら、どこかで「死者」を呼び出す他はない。
けれども生者の都合で死者を眠りから呼び覚ますことほど服喪の儀礼の本旨から遠いことはないだろう。
だから、すこし静かにしませんか。
もし「死者の声」をほんとうに聴きたいと思っているなら。
というようなことを書く。

かつてレヴィナス老師はワルシャワのゲットーで死んだユダヤ人たちを追悼する短い文章にこう書き記した。
私はここに服喪者のあるべき節度を見る。
「私たちはそのことについては今から語る気はありません。たとえ世界の人々が何も知らず、すべてを忘れてしまったとしても。私たちは『受難中の受難』を見世物にしたり、この非人道的な叫び声の記録者や演出家としてささやかな虚名を得ることを自らに禁じています。その叫び声は永遠の時間を貫いて、決して消えないままに残響し続けるのです。その叫び声の中に聞き取れる思考に耳を傾けましょう。」(「神よりもトーラーを愛す」、『困難な自由』)


投稿者 uchida : 11:39 | コメント (8) | トラックバック

2005年08月23日

声の呪:月光仮面・大瀧詠一・ブルース・リー

TFK2の原稿と『ミーツ』の原稿をぱたぱたと書き上げたら、夏休みっぽい気分になったので、バイクに乗って市営プールへ。
秋風がそろそろ立つ頃の晩夏のプールはがらんとしていて、枯葉が水面に落ちたりして、とてもよい風情である。
夏の終わりに休みを取って海に行ったら台風で降り込められたとか、スキーに行ったらまだ雪が降ってなかったとか・・・そういう「季節をはずした」ときのいたたまれない感じが私はわりと好きである。
人生いつもグッドタイミングというわけにはゆかない。
満を持してロードショーに行ったらそのプログラムは昨日までで今日から「ピカチュウ」だったとか、「あそこ美味いんだぜ」と自慢げに友達を連れて行ったら店が廃業していたとか、そういうことは間々ある。
そういうときのとっさの反応で人の出来不出来は測ることができる。
いちばんよいのは、とりあえず「笑う」ということである。
どのようなトラブルに遭遇しても、とりあえずまず「笑う」。
これは大事なことである。
音声を意味で聴くひとは、音声そのもの持っているフィジカルな現実変成の力を軽んじるが、音声の力を侮ってはいけない。
古代中国には「嘯」という発声法があった。
「うそぶく」と訓じるが、もともとは口笛を吹くような鋭い音だったのではないかといわれている。
これは「破邪顕正」の呪法のひとつである。
「笑い」もそれに同じく、破邪の呪法である。
だから、鞍馬天狗や月光仮面や七色仮面や桃太郎侍や水戸黄門は登場するときには「はははははは」と哄笑したのである。
あれは何かおかしいことがあって笑っているのではない。
その場に漂う邪気を祓うために呪を行っているのである。
「笑う門には福来る」というけれど、厳密には「笑う門からは邪が去る」というのが本筋なのである。
一喝する、哄笑する、長嘯する、真言を唱える、九字を切る・・・これらの音声の現実変成についての信憑を持たない社会集団は存在しない。

このあいだ、大瀧さんと対談したときに、かなりの時間を割いて音楽における「音韻の力」についてご意見を伺った。
鼻音、鼻濁音、裏声、ヨーデルといったさまざまな特殊な発声法が楽曲にどのような効果を及ぼすのか、これは私がひさしく興味を抱いていた主題である。
大瀧さんは東北出身なので、中間母音と鼻濁音では無数のグラデーションを使い分けることができる。
私のみるところ(というか聴くところだな)その大瀧さんが得意なのは「が」の鼻濁音である。
『幸せな結末』は「髪をほどいた君のしぐさが 泣いているようで胸が騒ぐよ」という歌詞で始まるが、この「つかみ」のところで大瀧さんは彼が出すことの出来るもっともセクシーな音韻である「nga」の鼻濁音を二回用いている。
これは「狙ってますよね」という私の質問に「にやり」と笑った大瀧さんは、実はこの歌詞のキモは最初の「ka」の音にあるということを説明してくださった(硬質な音感をもつ「ka」から始まる日本語の楽曲は少ないのだそうである)。
音楽の分析において和音進行や歌詞についての研究は無数にあるが、音声・音韻の持つフィジカルな力に着目したものは少ない。
私はひさしくポップスの魅力の本質は「音声」そのものにあると考えてきた。
それは和音や歌詞はローカルな文化に属するけれど、音韻がもつ現実変成力はある意味で「超歴史的・超空間的」に同一であるような気がするからである。
私が50年代末にはじめてエルヴィス・プレスリーをラジオで聴いたとき、私は英語の歌詞をもちろん一語とて理解できなかったけれど、その「声」はダイレクトに身体にしみこんだ。
エルヴィスの発する音声はほかのどの歌手の出す音とも違っていた。
それは微妙に震動し、動物的な「ぬめり」があった。
私が聴いていたのは、歌詞でもないし、サウンドでもないし、リズムでもなく、「声」そのものだった。
前にも書いたことだけれど、90年の歴史をもつハリウッド映画には興行収入や観客動員数や文化的影響において華々しい記録をもつ無数の映画が存在するが、五大陸のすべてでヒットした映画はひとつしか存在しない。
ニューヨークでも北京でも、ナイロビでもホノルルでも、東京でもイスタンブールでも客が押し寄せた唯一の映画。
人種、宗教、言語、風俗を超えて圧倒的な支持を得た唯一のハリウッド映画、それは『燃えよドラゴン』である。
世界どこでも、映画館を出た若者たちは、そのまま空中に躍り上がって「アッチョー」と絶叫したのである。
ブルース・リーが発したこの「怪鳥音」と呼ばれた音声はあるいは中国古来の呪法の流れを汲むものではないかと私は想像している。
その「音」は観客をおそらくは分子レベルで震撼させたのである。
音は意味よりも深く遠い。


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2005年08月22日

リフター、クレイマー&ランカー

この間のゼミ生宴会で聴いた話で面白かったのはH急百貨店の某ブランドショップで働いている「えりりん」から聴いた「リフター&クレイマー」との戦い。
万引きによる被害というのはすさまじいものらしい。
店員が5人の店に6人で来店し、店員が全員かかりきりになっている隙に、フリーになった一人ががばがばと盗んでゆく。
全員が去ったあとに、振り返ると棚が「がらん」としているのを見て愕然とする。
ムートンのコートのようなかさのはるものをどうやって隠して持ち出せるのか不思議がっていた。
デパートの場合、ショップから持ち出しても、それだけでは万引き現行犯とはならない。「スーパーみたいにレジで精算するつもりだった」と言い逃れるからである。
だから私服のガードマンが百貨店の出口まで尾行する。
ドアを出たらそこで捕捉できる。
しかし、敵も然る者で、背後にガードマンの気配を察知するや、入り口のインフォーメーションカウンターに「これ買おうと思ったけど、気が変わったから返しておいて」と荷物を放り出してさっさと立ち去ってしまうとか。
防犯用のタグがつけてある店もある。
商品にタグがついたまま店外に持ち出そうとするとブザーが鳴る。
これもちゃんとだます手があって、店の出口ぎりぎりのところで「おとり」が商品をあれこれ取りだして歩き回る。すると防犯ブザーが反応して「がりがり」鳴り出す。
「すわこそ」と思うと、商品を手にした「おとり」が店内に戻ってくる。
これを数回繰り返すと店員がブザーの音に反応しなくなる。
その隙を縫って、「本体」が商品を持ち出すのである。
『おしゃれ泥棒』でピーター・オトゥールがやった手口である。
たとえ万引犯が家に持ち帰っても、むりやりタグを剥がすとインクが飛び散って服が着られなくなる・・・という自滅的な防犯タグも存在する。
店にとっては一文にもならないけれど、万引き犯に対するせめてもの嫌がらせである。
ところが期末に店内をチェックすると、この「防犯タグ外し機械」がちゃんと万引きされているのである。

クレーマーもすごい。
毎シーズンやってきて、何着か服を買って、さんざん着倒してから「これ、気に入らなかった」と引き取らせるのである。
この方法で必要なときだけブランドものの洋服を無料使用している女性は膨大な数にのぼる。
卒業式入学式の前後は礼服がごっそりとこの手の方々によって持ち去られてしまうのだそうである。
キャンペーンでキャンギャルに着せるそろいのコートを二十着もっていって、キャンペーン期間が終わると、たっぷり汚れたコートを「やっぱり気に入らないから」と持ってきて返金を求める業者とか、そういう方々が、私たちの想像を超えてあまたおられるのである。
返品されたものはのちに「理由ありセール」でたたき売られることになる。でも、中にはセールにさえ出せないほど汚れたものもあるらしい。
そのようにして、彼らが持ち去ったり、使用不能にしてしまった商品の損失分は別に店がかぶるわけではなく、結果的には一般消費者への売価に「上乗せ」される。
つまり、われわれ一般消費者が「万引き」と「クレイマー」の分の商品代金を支払っているということなのである。
だから、もしあなたの身の回りにそういうことをして「得をした」と喜んでいる人間がいたら、とりあえずはり倒してやってください。

いささか旧聞に属するが、Yomiuri Weekly の8月21日号に「女子大生77校就職力」の特集があった。
これは毎年なされている特集で、全国の大学就職課職員ははらはらしながら発売日を待っているのであるが、今年も結果が出た。
「就職力」というのはこの週刊誌固有の算定方法であって、「人気企業に何人卒業生が入ったか」ということを実数で比べるのではなく、「就職希望者」を分母にして除した分数比で示して比較するのである。
この算定方式だと卒業生1万人の大学と200人の大学の間でも、「人気企業への就職確率」を比較することが可能となる。
この就職力ランキングで本学は毎年好位置をキープしているのであるが、今年は全国19位であった。
「女子大生」ランキングであって、「女子大」ランキングではないので、ご注意されたい。
1位東大・2位慶応・3位一橋・4位学習院・5位学習院女子・6位上智・7位東工大・8位同志社・9位立教・10位聖心女子・11位ICU・12位成蹊・13位東女・14位白百合女子・15位関西学院・16位東京外語・17位早稲田・18位青山学院・19位神戸女学院・20位東洋英和(以下略ごめんね)
ごらんのように本学は女子大で全国5位。
関西ローカル・ランキングは以下の通りである。
1位・同志社(8位)
2位・関西学院(15位)
3位・神戸女学院(19位)
4位・甲南(28位)
5位・阪大(31位)
6位・神戸松蔭女子(33位)
7位・大阪市立(34位)
8位・神戸大(38位)
9位・立命館(39位)
10位・関西(41位)
関西の女子大ではダントツの1位である。
阪大、神大よりも上なのである。
入学時偏差値ランキングではたしかにこれほどブリリアントなスコアを残すことはできないのであるが、卒業時の評価はたいへんに高い。
ということは、本学のブランドイメージが依然として企業にとって好感されているということであるが、それは要するに卒業生たちがそれぞれの企業でたいへんがんばって働いてくれたおかげで、「神戸女学院の子はいいよねー」という評価を頂いているということである。
おとといの卒業生たちをみても、たしかにくるくるとよく働きそうである。
そして「神戸女学院生は英語ができる」というような(実情とはやや遠い)世評が定着しているために、英語での接客なども「あ、君行って」というふうに強要されるために、結果的にはそれなりに「出来る人」というふうに評価が底上げされていったりもする(らしい。「えりりん」情報)。
この「評価の底上げ」は教育効果の高いものであることが知られている。
人間はすこし高めに評価されると、無数のポジティヴ・フィードバック・ファクターが働いて、その評価と実質がいつのまに相応するようになるのである。
今年の四年生諸君も、これまでの卒業生たちからの贈り物であるこの「ハイ・ランキング」を次世代に継承できるように健闘頂きたいものである。

投稿者 uchida : 10:47 | コメント (2) | トラックバック

2005年08月21日

行く夏や明日も仕事はナイアガラ

長く生きているといろいろなことがある。
まさか大瀧詠一師匠にお会いできる機会が訪れようとは。
お茶の水山の上ホテルの玄関で、キャデラックで福生にお帰りになる大瀧さんを石川くんとお見送りして、ただいまホテルの部屋に戻ってきたところである。
午後3時から始まった対談は二次会のホテルのレストランから「営業時間終わりです」と言われて追い出されるまでなんと8時間半続いた。
いやー、話した話した。
30年間のナイアガラーとして大瀧さんに訊きたかったあのことこのこと、もう訊ける限り訊いた。
8時間半の話はとても文藝別冊『大瀧詠一/大滝詠一』特集号には収録しきれないだろうから、残念ながらみなさんにお読み頂けるのはそのごくごく一部である。
小学四年生のときの「右投げ左打ち」転向のことから始まって、中学高校時代のレコードライフへの耽溺、布谷文夫さん細野晴臣さんとの出会い、はっぴいえんど時代、『Each Time』からの15年の音楽活動、『幸せな結末』録音秘話、山下達郎、伊藤銀次両君にまつわる逸話の数々、音韻論にもとづく歌唱法、エルヴィスのオリジナリティ、楽曲を提供した数々の歌手の話、遠藤実、船村徹、星野哲郎、小林信彦、ムッシュかまやつ、高田渡、植木等、ハナ肇、上岡竜太郎さんらとのインタビュー・バックステージ話、竹内まりやとのSomething stupid 録音の経緯、太陽族映画と現代政治との関連性・・・と話頭は転々奇をきわめて録することがかなわない。
敬して止まない師匠の「分母分子論」以来の系譜学的思考のほとばしるような叡智のおことばを全身に浴びて、私はこの希有の人と同時代を生き、まみえることのできた喜びに手の舞い足の踏むところを知らなかったのである。
昨年の『ユリイカ』の「はっぴいえんど」特集に私は「大瀧詠一の系譜学」と題する短文を寄せた。
大瀧さんはこれをお読みになって私の述べるところを諒とされて、私と石川くんという「ナイアガラー第一世代」との交歓のひとときを快諾せられたのである。
実際にお話しを伺ってみて、私は自分がいかに大瀧さんのものの見方に深い影響を受け、その思想を知らぬまに血肉と化していたことを改めて思い知った。
このような機会を恵んで下さった編集の足立さん、ソニー・ミュージックの城田さんはじめ関係者のみなさんに御礼を申し上げたい。
なにより、『ユリイカ』に「大瀧詠一について書くなら、ウチダさんでしょう」と推輓の労をとってくれた増田聡くんにお礼を申し上げる。彼は私の人生の節目節目に登場して思いがけない出会いへと私を導いてくれる守護天使のような人であることがだんだんわかってきたよ。
そして、私のナイアガラー・ライフを30年にわたって支えてくれた石川茂樹くんの友情ある忍耐に感謝。

土曜日は朝一で山の上ホテルを飛び出して新幹線に飛び乗る。
新幹線では有名人遭遇率が高いが、今日の「私の前のシート」は石田純一。ヘッドレストから髪の毛だけが飛び出して見えるので、合気道部員へのおみやげに「石田純一のねぐせ毛」を携帯カメラで撮ろうかしらと一瞬(だけ)思う。
爆睡しているうちに新大阪。
走って芦屋に戻ってただちに走って合気道のお稽古へ。
さすがに「暑さの絶頂」は超えたらしく、青空にはうっすら鱗雲が浮いていて、道場の非人間的な湿度もかなり許容範囲におさまってきた。
家に帰ってばたりと昼寝。
1時間寝てがばっと起きあがり、梅田Bigman前へ。
今日は去年のゼミ卒業生たちの宴会である。
卒業生は同期15人ほどいたはずだが、集まったのはうち6人。
「だからどうだっていうのよ日記」連載中のタダさんと日記の常連登場人物である「おばけちゃん」、「えりりん」。あと三人は通称がネット上では知らされていないので個人情報保護の立場から「サラエボ女」「みはられ女」「ショコラティエールになるはずだった女」と記すにとどめたい。
他に同期には「ぷーのさっちゃん」や「女優イクシマ」らもいるのだが、ゼミ生全員に網羅的に声をかけての同窓会というわけではなく、定期的にご会食されている同期生たちの集まりに老師がお招き頂いたということのようである。
ハービスエントの「あげさんすい」にて天ぷらを食す。
まず「お店からのシャンペンでございます」というところからサービスが始まる。
伝説のソムリエ、タチバナさんと親しげに言葉を交わして慎重にワインを選ぶ(「タチバナさん、白の、美味しいの」というだけのことであるが)私をみつめるまなざしに学生時代には見ることのまれであった「敬意」の情が浮かぶ。
歓談すること5時間(毎日よくしゃべるよな)。
話題の中心は「おばけちゃん」の悲恋(というのだろうか)の物語。
全員で容赦ないツッコミを入れながらラブライフの詳細について伺う。
まことに年齢を問わず女性の恋愛についての洞察は深く鋭い。
とりわけ花の都は大東京で(「めざましい」というよりは)めまぐるしいキャリアパス形成途上にある「サラエボ女」のピンポイント絨毯爆撃(矛盾するようだが、そういうことができる希有の精神も存在するのである)に一同言葉をはさむ余地も見いだせず、ただ涙を浮かべて爆笑するのみ。
次回は秋も深まったころに、わが家で鍋でもつつきながら、「その後の仁義なき恋愛抗争」の報告会を開催することを約して散会。
みんな元気で老師はうれしいよ。

業務連絡もう一度

山、買いませんか?という告知をしたらさっそく女学院OGのN山くんが「京都の裏山に家を建てたかった」ということで手を挙げてくれました。
山を見におでかけになったようですが、その後の商談はどうなったのでしょう。
引き続き、山見学をしたい方を募集しております。
晩夏の美山町、緑がきれいですからどうぞ一度遊びに行って下さい。


おともだちの山林王から山の売り物が出ていますのでご紹介します。
物件:山ひとつ(里山・広葉樹林)
面積:6万坪
付帯するもの:小川ひとつ、林道一本
場所:京都府美山町(京都市内より70キロ)
価格:3000万円
こういうものはあまり新聞の不動産広告とかに出るものではなく、かといって業界的流通に委ねると一般市民の方にはアクセスする機会がないので、この場借りてひろく市民のみなさまに広告させていただきます。

山買って草庵結ぶなり、炭焼き小屋を建てるなり、山城を築くなり、石に枕し流れに漱ぐなり、好きにして頂いて結構です。
市街化調整区域とかじゃないですから、何を建てても大丈夫。
もちろん電気、ガス、上下水道なんかないですけど。
自然な広葉樹林を守るために植林しないでおいた最近ではめずらしい雑木林の山です。
6万坪まとめ買いしても結構ですが、数名でのグループ買い、あるいは「1万坪だけ」「5000坪だけ」というイレギュラーなオッファーにも応じてくれるそうです。

委細面談ということで、興味がある方はウチダあてにメールください。ランドオーナーに転送いたします。

uchida@tatsuru.com

山の風景はこんな感じです↓(フジイ君、写真貼っといてね!)

投稿者 uchida : 12:14 | コメント (3) | トラックバック

2005年08月19日

ナイアガラおのぼりツァー

鈴木晶先生のまねをして、海に行って、プールに行って、素麺を食べて、昼寝をして、夕方になったらビールを飲んで、寝ころんで映画を見て、仕事は少ししかしない、という本格的夏休み体制におとといから入っている。
いやあ、これはよい。
ごろごろして、たまに机に向かうと、仕事が実にはかどる。
「塩漬け」アメリカ論をちょろちょろ直し、「山ちゃん本」を書き足し、そのついでにK同通信のエッセイを書き上げ、『ミーツ』の漫画エッセイも書いてしまった。
なんか、ふだんより仕事の能率がいい。
今日はこれから東京。
ついに念願の大瀧詠一師匠との対談企画が実現したのである。
思えばNiagara Moon を手にとってからはや30年。
ラジオ関東の“Go!Go!Niagara“を毎週たのしみに聴いていた頃、私はまだ二十代の若者であった。
大瀧先生の分母分子論以降の音楽史研究はミシェル・フーコーの系譜学的思考の最良の実践例のひとつであり、私が師匠の「広義における音楽活動」からどれほど多くの影響を受けてきたか、ことばには尽くすことが出来ない。
今日は同じく30年来のナイアガラー・メイトである石川茂樹くんも対談の席にご一緒していただく。
私はたいへん怠惰なリスナーであるので、「えーとなんでしたっけ、あの、ナントカいうひくひくする曲・・・」というようなことばかり言ってさっぱり話が先に進まない可能性があるので、「歩くポップス大辞典」であるところの石川君にご同道を願い、「ウチダくん、キミが言いたいのはバディー・ホリーの『ペギー・スー』でしょ」「あ、それそれ」という展開に持ち込む予定なのである。
ではみなさん行ってきます。
Niagara Moon のLPにサインもらっちゃお。

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投稿者 uchida : 09:45 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月17日

海あり山あり

ようやく『街場のアメリカ論』の直しが終わる。
といっても三島くん、ただちに喜んではいけない。
終わったからと言って、そのままお渡しするわけにはゆかないのである。
こういうものは書いたあと、しばらく「塩漬け」にしておかないといけない。
「塩漬け」にしていると、そのうちにぽろぽろと剥離してくる部分がある。
文章においては「しばらくすると腐る」ところと「なかなか腐らない」ところがある。
「風穴」があいていると文章はなかなか腐らない。
「風穴」というか「地下水路」というか、とにかく「よくわからないところ」へ通じる怪しげな回路が開いている文章は時代が変わってもけっこうしぶとく生き続ける。
きちんとパッケージされていて、理路整然、博引旁証、間然するところのない文章であっても(そのようなものを私が書いているということではない、一般論として)、「風穴」があいてないと経時的変化とともに、「酸欠」になって、腐り始める。
その違いを説明するのはむずかしい。
「腐る」というのは言い換えると「経時的に汎用性がない」ということである。
つまり、例えば、いまから20年前の読者やいまから20年後の読者というものを想定したときに、その人たちにもこちらの言いたいことが「伝わる」かどうかということである。
メディアがもてはやす「切れ味のよい文章」はたいていの場合、「同時代人の中でもとりわけ情報感度のよい読者」を照準している。
20年前や後のことなんかあまり考えない。
でも、たいていの場合、その気遣いの欠如(それは外形的には「かっこいい」のだ)が文章を腐りやすくするのである。
同時代の中のさらに少数に限定するような文章が、時代的背景も常識も流行も違う場所で読解可能であるかどうか。
考えてみればすぐにわかる。
私が「周知のように」という挿入句を避けるのは、それがしばしば「腐臭」の発生源の標識だからだ(そういう言葉を平気で使える人間の文章はたいていの場合書かれたときにすでに腐り始めている)。
今回の『アメリカ論』の私の想定読者はだいぶ昔の人である。
すごく昔の人。
驚くなかれ、アレクシス・トクヴィルである。
トクヴィルの『アメリカにおけるデモクラシーについて』は170年前の著作であるが、ほとんど「腐っている」ところがない。
これはすごいことである。
それは彼がその「アメリカ論」を「アメリカのことをほとんど知らない読者」を想定して書いているからである。
だって、アメリカ合衆国に行ったことのある人なんか、彼の時代のフランス人読者のなかにほとんどいなかったんだから。
だから、噛んで含めるように書いてあるのだけれど、その「噛んで含める」というところにトクヴィルの批評性の原理的なところがくっきりと現れる。
「何も知らない読者」には170年後の「アメリカのことをよく知らない日本人」(私のことだ)も含まれている。
だから、読んでいて「あ、やっぱりそうなんだ!」とか「いや、私も同意見ですう」というようなリアクションをついしてしまうのである。
同時代の日本人のアメリカ論を読んでも、なかなかこういう経験することはない。
そのお礼というのも何だけれど、私は草葉の陰のトクヴィルさんに読んでもらった場合でも、「ふーん、なるほどね。あ、そういうことって、あるかもしれない」という反応が返ってくることを目指して書いたのである。
もちろんトクヴィルさんにはよくわからないこともあるかもしれない。
「『ジェイソン』て誰?」とか「『フェミニズム』って何のこと?」とか。
でも、たぶんトクヴィルさんが読んでもだいたいのことは類推できるように、それぞれかなり懇切ていねいな説明をつけて書いたつもりである。
170年前のフランス人が読んでも「だいたいわかる」ならその文章は腐らない。
十日ほど「塩漬け」にするのは、トクヴィルさんから「意味ぷー」と言われそうな箇所が剥離してくるのを待つためである。

とにかく仕事が一つ終わったので、「夏休み」を宣言する。
三宅先生のところに行って、ばりばりになった肩をほぐしてもらってから、バイクで海に行く。
海があるんです。芦屋には。
南芦屋浜という、沖に突き出た埋め立て地があり、その先端に小さな人工の浜辺がある。
もちろん海水浴場じゃないから、人はほとんどいない。
1キロほどの海岸線のあちこちに家族連れが散在している。
そこで寝ころんで、久しぶりに潮風を吸って、太陽を浴びる。
けっこう気持ちがいい。
水はあまりきれいじゃないけれど、人がいないのでゴミがないだけ須磨の海岸よりはましである。
たぶん鈴木先生が泳いでおられる鎌倉の海とどっこいというところである。
海岸で3時間ほど昼寝をする。
バイクで10分ほど走ると家に戻る。
鏡をみたら、ちゃんと日焼けしていた。
明日はサンオイルとレジャーシートとMDウォークマンを持って行こうっと。

業務連絡

山、買いませんか?

おともだちの山林王から山の売り物が出ていますのでご紹介します。

物件:山ひとつ(里山・広葉樹林)

面積:6万坪

付帯するもの:小川ひとつ、林道一本

場所:京都府美山町(京都市内より70キロ)

価格:3000万円

こういうものはあまり新聞の不動産広告とかに出るものではなく、かといって業界的流通に委ねると一般市民の方にはアクセスする機会がないので、この場借りてひろく市民のみなさまに広告させていただきます。

山買って草庵結ぶなり、炭焼き小屋を建てるなり、山城を築くなり、石に枕し流れに漱ぐなり、好きにして頂いて結構です。

市街化調整区域とかじゃないですから、何を建てても大丈夫。

もちろん電気、ガス、上下水道なんかないですけど。

自然な広葉樹林を守るために植林しないでおいた最近ではめずらしい雑木林の山です。

6万坪まとめ買いしても結構ですが、数名でのグループ買い、あるいは「1万坪だけ」「5000坪だけ」というイレギュラーなオッファーにも応じてくれるそうです。

委細面談ということで、興味がある方はウチダあてにメールください。ランドオーナーに転送いたします。

uchida@tatsuru.com

山の風景はこんな感じです↓(フジイ君、写真貼っといてね)

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2005年08月16日

靖国というコントローラー

15日には小泉首相の靖国参拝がなかったようである。
宮崎さんと握っていたら100万円持って行かれるところであった。
剣呑剣呑。
宮崎さんの解説では、8月末の6カ国協議の終わりに共同コミュニケが出るところまでは、これ以上東アジア情勢に混乱をもたらしたくないアメリカから小泉首相あてに「協議が終わるまでは靖国に行くな」というつよい要請があったから、ということであった。
これは納得のゆく説明である。
これまでも繰り返し書いているように、日中・日韓関係でのプレイヤーのふるまいを二国間の文脈だけに限定して見ても理解が届かない場合がある。
その場合は、別のプレイヤーの存在を勘定に入れなければならない。
アメリカの東アジア戦略は、「日中韓三国が戦争に至らない程度のフリクションを抱えたまま対立し、決してブロック形成に至らないこと」である。
だから三国間の緊張が高まればとりあえず鎮静を策し、友好関係が進展しかかると波風を立てるという「キャロット&スティック」外交を展開している。
アメリカの東アジア外交方針は首尾一貫して「首尾一貫していない」ということである。
「どっちつかず」の不安定状態というのは、ごくわずかな入力変化で機敏に状況に反応できるので、盤石の外交方針を教条的に死守しているより実ははるかに戦略上有効なのである。
その点でアメリカ外交はアングロ=サクソン帝国主義の血を豊かに受け継いでいる。
小泉首相の靖国参拝をアメリカが「看過」しているのは、ライス国務長官の「東アジア共同体の形成を許さない」という発言とセットにしてはじめて理解が届くふるまいである。
日中韓の関係がつねに不安定であることからアメリカはこれまで大きな利益を引き出してきた。
しかし、アメリカが抱えている「現場」は東アジアだけではない。
政情不安定なイラクがあり、ガザ地区からの撤兵が始まったイスラエルがあり、宗教的反動が進むイランがある。
いくら不安定要因がある方が戦略上好ましいといっても、マネージできるリスクには量的な限度というものがある。
とりあえず「しばらくのあいだ」東アジアは鎮静していてもらいたい、というのが今のアメリカの本音である。だから靖国参拝にストップをかけた、というのが宮崎さんの解説であった。
なるほど。
もっともなご説明であるが、私はこれ加えてもう一つのファクターがあるのではないかということを思いついたので、それについて書いておきたい。
首相の靖国の「ゴー・ストップ」は合衆国国務省の許諾を得て行われている。
私はつねづねそう考えている。
自国将兵の戦死に責任があるはずのA級戦犯が合祀されている神社に同盟国の首相が参拝するという「非礼」をアメリカがこれまで許してきたのは、それによってアメリカが心理的な不快を上回る政治的利益を得ているからである。
いかなる利益か。
それはメディアが報じるとおり、その点滅ひとつで東アジア情勢が操縦できるような「スイッチ」を手に入れたということである。
ジェームズ・エルロイの小説に、警察の夢は殺人も麻薬も売春も賭博も、すべての犯罪が単一の巨大犯罪組織によって統御されて行われることであるという言葉があった。
その場合は、警察は単一組織を監視するだけで犯罪の全体をコントロールすることができるからである。
危機には「デインジャー」と「リスク」の二種類がある、という話は前に書いたことがある。
「デインジャー」は統御不能の危機で、「リスク」はマネージしたりヘッジしたりできる種類の「危機」である。
政治の要諦は「デインジャー」を「リスク」に書き換えることであるということも申し上げた。
その書き換え方は犯罪の場合と同じである。
「大きなデインジャー」が「小さなデインジャー」を、磁石が鉄粉を吸い寄せるように併呑して、「単一の危機」になるというしかたでそれは実現する。
「人民の大海」を泳ぐスタンド・アローンのテロリストたちの群れは統御不能の「デインジャー」である。
だが、国際的ネットワークを形成し、中枢的な本部を持ち、「領土」を占有した場合、それは仮に動員兵力や火器の量や資金力において巨大なものとなっても、すでに「リスク」に変換されている。
いささか古いタームを使って言えば、「リゾーム」状態の運動を「ツリー」状態の組織に転換すること、すべての矛盾が一点に集約しているような「偏りの場」を作り出すこと。
それが「統御不能のデインジャー」を「統御可能なリスク」に変換するさしあたりもっとも効果的な方法である。
「社会矛盾のすべてはただ一点(プロレタリア)に集約される」という知見を最初に政治技術として説いたのは『へーゲル法哲学批判序説』のカール・マルクスであった(こういうところにマルクスの天才性は存する)。
もちろんこれは「つくり話」である。
「つくり話」なんだけれど、「そうだ」と言われ続けると、「そうかも」と信じてもらえるような種類の「つくり話」なのである。
東アジア情勢において、輻輳する矛盾を「ただ一点」に集約する「点」があると、それを操縦する権利を握っているプレイヤーは状況にたいしてかなり効果的なイニシアティヴを握ることになる。
小泉首相とアメリカ国務省は「靖国」をこの「スイッチ」にするという妙手をどこかで思いついたのである。
何度も何度も「よせばいいのに」というタイミングでそのスイッチを押し続けて世論を刺激しているうちに、ついに人々は「首相が靖国参拝すると激怒し、しないと無反応」というパブロフの犬的条件反射に慣らされてしまった。
そして8月15日、首相は満を持して「参拝しない」で、友好的なポーズの「談話」を発表する。
参拝を既成事実のように論じてきた日本のメディアや中国、韓国のナショナリズムは振り上げた拳のやり場に窮して呆然としている。
みごとなものである。
これをして「先手を取る」という。
武道でいう「居着き」とは、広義には「ある対象やある文脈に意識が固着して、それ以上広いフレームワークへの切り替えができなくなってしまうこと」を意味する。
いまの場合のように、ある特定の対象に関心が集中し、それ以外の回路からの情報入力が低下するのも「居着き」の一種である。
つまり靖国に世界の耳目を集めるというかたちで小泉首相とアメリカ国務省は東アジアの外交プレイヤーを 「返事を待つ」状態にとどめおき、これを統御可能な「リスク」化することに成功したのである。
小泉首相というのは今度の郵政民営化解散とその後の「刺客」作戦でも冷血ぶりを発揮したが、アメリカ国務省との二人三脚で靖国を「東アジアのリスク・コントローラー」に利用するという狡知を見るにつけ、本邦の政治家には得難いタイプの策士であることが知れるのである。
このまま推移すれば、総選挙は(自民党ではなくて)小泉首相の「ひとり勝ち」となるであろう。


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2005年08月14日

孤剣を撫す

朝から晩まで「街場のアメリカ論」を書き続けている。
演習のテープ起こしにブログの関連記事をコピペしたドラフトがワードのデータで届いていて、それをこりこり直しているのである。
演習で院生聴講生諸君を相手に「ここだけの話」で飛ばしているネタの多くは口からでまかせであるので、そのままでは使えない。
資料にあたって裏を取り、引用の文言を確かめ、理路の混乱をただし・・・ということをしていると、手間は「書き下ろし」とあまり変わらない。
なまじオリジナルのラインがあるだけ、それに制約されて思考の逸脱ができない。
私の場合は、ほとんど逸脱だけで書いているので、逸脱できないとあまり書くことがない。
ようやく80%ほど終わったけれど、もう目はしょぼしょぼ肩はばりばりである。
適当に書き飛ばして「はいよ」と渡せばよろしいのであろうが、あまりいい加減な仕事をしたくない。
私は意外なことに「手抜き仕事」というのができない人間なのである。
私の「まじめな仕事」がほぼ通常の方の「手抜き仕事」レベルであるので、私が手を抜くと私自身にも判読に耐えないものになってしまうからである。
私は自分の書き物の品質評価に対してはかなり寛大な人間であるが、それもいちおう「判読可能」でなければ品質を論じる次元に達しない。
とういわけで、裏をとるべく、あれこれのアメリカ論を取り出して飛ばし読みをする。
アメリカ論をやることになったときに目につく限りのアメリカ論を買い込んで積んでおいたので数だけは揃っている。
積んでおいただけでろくに目を通していないはずだが、本を開いてみると、どの本もあちこちに赤線が引いてある。
私はいつかは知らねど夢遊状態で参考書をこつこつと読破していたらしい。
おいおい睡眠学習か・・・と笑っているわけには行かない。
読んだのに忘れているのでは何のために読んだかわからない。
忘れているだけならまだよいが、読んだのに読んだことを忘れているということは、自分のオリジナルな意見のつもりでどなたかの知見をまるっとパクっている可能性がある。
これは物書き商売の知られざるピットフォールである。
強記博覧の読書家が、彼のオリジナルな理論にもっとも近い先賢の書名だけを失念しているということはよくあることである。
私の場合には、自分の前に書いたものをパクってしまうということがままある。
これはなにしろ自分で書いたものなので、私の意見にたいへん近い。だから読んだことを忘れてしまうのも怪しむに足りない。
ある主題で、ふと思いついたことをぐいぐいと書いていると、数ヶ月前に書いた自分の本のなかにまったく同一の文章を発見して愕然とする、ということがよくある。
中島らもに「同一原稿二度出稿事件」というネタがあり、読んだときにはげらげら笑っていたのであるが、こうなるとひとごとではない。
アメリカ論は実際に演習で一回しゃべっていることなので、既視感があるのは当然だが、実は演習の前やらその後に使い回したネタである場合も考えられる。
最近では、つい一日二日前に仕込んだつもりのネタを「ねえねえ知ってる?」と勢い込んでひとに話しても相手があまり感激してくれない場合には「あの・・・これもう話したっけ?」と訊くことにしている。
たいてい相手は悲しそうな顔をしてうなずく。
困ったものである。
という話もどこかでしたような気がするが、ブログで前に書いた話かもしれない。

朝から夕方までばりばり書き続けて、午後3時から6時まで居合の稽古会。
ドクター佐藤はじめ合気道会の有志諸君と刀の操法について研究する会である。
とりあえず全剣連の制定型を稽古して、今日で三回目。
本身の刀は三年ほど触っていなかったので、ひさしぶりに取りだしたときはどきどきした。
呉服山利則という銘のある江戸時代のものであるが、稽古ではずいぶん手を切った。
一番深い傷は「抜き打ち」という古流の型をしているときに鞘に切っ先が絡んで鞘引きのタイミングがずれて左手の親指と人差し指の間の「みずかき」部分をばっさり斬ったことがある。
すぐに外科医に行って9針縫ってもらった。
包丁で手を切って9針も縫ったら、痛みで寝られないものだが、この刀傷は手術直後には痛みが消え、翌朝にはもう肉がくっついていた。
刀傷は傷口がきれいなので回復が早いのである。
いまは手を怪我すると仕事に障るので、気をつけて刀を扱うようにしている。
刀はこちらがていねいに扱うとちゃんと応えてくれる。
その点ではほかのどんな道具よりもレスポンスがよい。
刀を撫して飽きないというのは、たぶんある種のコミュニケーションがそこに成立するからであろう。
みんなは模擬刀を使っているけれど、たいせつにするように各自愛刀に名前をつけることを命じる。
「どういうふうにつけるんですか?」と訊かれたので、幼名を当てることがあるらしいということをお教えする。
「〈膝丸〉を〈蜘蛛切丸〉に改名する話があったでしょ、『土蜘蛛』に」
「ミッフィー」とか「まるこ」とかいうのはダメだよ。


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2005年08月13日

牡丹園別館でフカヒレ、帝国ホテルラウンジでギムレット

11日は「四巨頭」会談。
場所は三宮牡丹園別館。
ここはオーナーご自身が三宅先生の患者さんであるので、たいへんご丁重なおもてなしを受ける。
お二人とも声望ある治療者だから、松本で池上先生にくっついて歩いているときも、阪神間で三宅先生にくっついて歩いているときも、行く先々で「先生!」と声がかかる。
当然、「あ、その後どう?」「は、おかげさまで・・・あ、先生、これはつまらないものですが」「いやいや、お気遣いなく」的な展開となるわけである。
で、私のような金魚の糞はその「お気遣い」の余慶に浴して「海老」とか「フカヒレ」とかをばりばり食す機会に恵まれたりもするのである。
水戸黄門に付き従う従者たちの数がしだいに増えるのと一般である。
今回は池上先生ご夫妻と悟朗さん、三宅先生ご夫妻と将喜さん、山本画伯と森永さん、そして私が「黄門さまご一行」。
会の趣旨上、「誰がいちばん頭が大きい」のか、「誰がいちばん自分勝手な人間であるか」のかについての考課がさっそく話題となる。
私と画伯が「態度の大きいのはウチダくんでしょう」「いやいや画伯には勝てません」と栄誉をおしつけあっていると、悟朗さんがその栄誉はぜひ父に・・・と割って入る。
聴けばご家族の方々はまことに尋常ならざる辛酸をなめてこられたようである。
池上先生の我が道を粛々と歩む孤影を仰ぎ、先生の「巨頭」ぶりは私ども若輩の遠く足下に及ぶものではないことを改めて思い知った一夕であった。
その池上先生にお会いしてすぐに治療して頂いたのであるが、「最近見た患者の中でいちばんひどいのが三宅さん、二番目がウチダ先生」と言われてしまった。
来週こそは休まねば。
三宅先生ご馳走様でした! 池上先生ありがとうございました。

12日は「いろいろな人に毎日会うシリーズ」第三夜(とりあえず今週はこれでおしまい)
第三夜のお相手は宮崎哲弥さん。
『ため倫』でのたいへんぶしつけなウチダ発言から先般の『インターネット持仏堂』への宮崎さんのたいへんありがたい書評に至る経緯についてはすでにご案内の通りである。
今回の対面のプロデュースは“憂い顔の”エディターの安藤聡さん。
宮崎・ウチダ対談本というものを企画されているらしい。
しかし、先方はプロの評論家であり、私は市井の床屋政談家。
長屋の熊さんが大家さんにお話を伺うような調子で「え、それ何ですか?」「え、それ誰ですか?」というような初歩的な質問ばかりで話がさっぱり前に進まないということになりはしないかと深く危惧されるのである。
現に昨夜の会談でも、宮崎さんの話題に出てきた人名の60%くらいは「名前だけ知っているけど、どんな人か知らない」人、30%は「名前も知らない」人であった・・・ってことは話がわかって相づちを打っていたのは10%だけで、残る90%は想像で隙間を補填していたわけである)。
まして言及される書物のほとんどについては私がその存在さえ知らぬものであった。
かかる情報の非対称性を放置したままの対談企画など進めてよろしいのであろうかと安藤さんの剛胆さにも一抹の不安を禁じ得ないのである。
帝国ホテルのラウンジでバーボンソーダを飲みながら歓談させて頂いたのであるが、途中でK同通信から電話が入って、「小泉首相は8月15日に靖国参拝するか」という問いに宮崎さんがコメントをしていた。
どうなんですかとお伺いすると「100%ない」と断言される。
理由はアメリカの「お家の事情」(詳細は新聞を読んでください)
私は参拝するんじゃないかと思っていたので、この予測にはびっくり。
「じゃ、賭けましょうか?」
とオッファーしたら、宮崎さん笑って「いいですよ。100万賭けましょう」
小心なウチダは肝をつぶして「じゃ、いいです」とただちに撤回。
でも、15日に「げ、あのとき握っておけばよかった!」と悔しがることになるかもしれない。
この日は『だんじり本』の打ち上げも兼ねることになっていたので、江さんが途中から登場。
ただちに大阪メディア事情についての話題になる。
宮崎さんは東京で4本、大阪で4本テレビラジオのレギュラーを抱えているそうで、毎週大阪に来られている。
先日はある番組で名越先生といっしょになり、そのときに名越先生に「今度会うんだけど、ウチダさんて、どんな人?」と訊いてみたそうである(酔っぱらうと暴れたりする人ではないかとひそかに懸念されていたのである)。
宮崎さんは「面白い人ですよって言ってました」と笑っておられたが、もっと「それ以外のこと」も絶対言ってるはずである、名越先生は。

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2005年08月11日

郵政民営化についてはよくわからない

郵政民営化について、いろいろな人が書き込みをしている。
私はこの問題についてはまじめに新聞記事や解説書を読んだことがないので、郵政民営化の是非については、よくわからない。
よくわからないけれども、なんだかそれほど緊急性のある政治課題であるようには思われない。
ほんとうはすごく緊急性のある政治課題であるにもかかわらず、私には「そのようには見えない」だけなのかもしれない。
むしろ、その方が問題だ。
緊急な政治課題であるにもかかわらず、それがそのように見えないということはときどきある。
なぜその主題が「喫緊の解決を必要としているか」について、「ほんとうの理由」を誰も言わない場合にはそういうことが起こる。

官僚も政治家も、総じて統治者は「統治はこれまでのところうまくいっている」ということを前提にして推論を行う。
「統治はうまくいっていない」ということを公言すると、自分たちが責任をとらなければならないと思っているからである。
しかし、もちろん統治システムは経年的に劣化するから、いずれ各所で破綻をきたす(これは別に誰が悪いということではなく、システムというのは「そういうもの」である)。
そのときに「この辺がいかれましたので、新しいのに替えます」とすらっと言えて、それに対して「誰の責任だ!」とすごむような人がいなければ、何も問題は起こらない。
担当者がクールかつテクニカルに故障箇所を修繕するだけのことである。
だが、官僚は原理的にそういうことを言わない。
「新しいのに替えます」という結論は言うのだけれど、前段の「この辺がいかれましたから」ということは言わないのである。
システムが破綻したということを言うとその責任を取らされると思っているから。
だから、言わない。
結果的に、すべてはたいへんうまくいっていて、なんの問題もないのだが、「新しいのに替えます」という唐突な政策的提言がなされることになる。
私が直接接触する機会のある行政機構は文科省だけであるが、私の過去十年ほどの経験で言えば、文部科学省はほとんど100%「そういう」スタイルで押し通している。
教育行政は戦後さまざまな失敗を犯した。
人間がすることだから、私は失敗を責めない。
しかし、文部官僚は決して失敗を認めない。
「このへんがうまくゆきませんでしたので、このへんを直します」とは決して言わない。
いきなり、「このへんを直します」という結論「だけ」を告知してくるのである。
「システムそのものには何の問題もなく、すべて良好に推移しているのだが、このへんを直すと、『もっといいこと』が起こるので、やりましょう」という不思議な言い方をしてくるのである。
沈没しかけた船で、「なんだか膝まで水が来てますけど・・・」という不安げな乗客に向かって、「ではただいまからお客様対抗水くみ競争をやります!水くみの一番早いのはどのチームかな?はは、楽しいですね!」とひきつった笑いを見せる船員に似ている。
船員たちは「なぜ水くみをしなければならないのか」の理由を決して明かさない。
けれども、乗客たちは言われるままに「水くみ競争」にけっこう本気で熱中したりするのである(泣)
郵政民営化を論じるときの難点は「致死的なシステム危機がある」ということ(いまの例で言えば「船が沈みつつあること」)についての理解が共有されていないことである。
「いますぐに民営化しないとたいへんなことになる」というリスク評価と「民営化なんかしたらたいへんなことになる」というリスク評価の間に共通のプラットホームがない。
ある船員は「もうじき沈む船に止まるのは自殺行為だ」といい、別の船員は「こんな丈夫な船を捨てて逃げるのは自殺行為だ」という。
どちらも自称「専門家」がそう言っている。
自称専門家たちの誰がいんちきで誰がほんものなのか、私たちにはテクニカルな判断基準がない。
専門家Aを「いんちき野郎だ」と判断している人は、その専門家Aから「いんちき野郎」と罵倒されている自称専門家Bの所見にしたがってそう言っているのであって、別にその人自身に大所高所の判断基準があってのことではない。
「目くそ」と「鼻くそ」の戦いにおいて、いずれの「くそ度」がより高いかという判断を現場で「くそ」まみれになっている人がすることはむずかしい。
みんなが熱くなっているときは、「バルコニーから大通りを見ている方がいい」と言ったのはレイモン・アロンである。
私も今回はアロン翁に賛成である。
この問題についての私の個人的印象は「情報がきちんと開示されて私のもとに届いてこない」というものである。
どこかにちゃんと情報が開示されていて、ただ私が個人的怠慢でそこまで調べにゆかないというだけなのかもしれない。
でも、「情報は法律に従って適切に開示されているのだけれども、アクセスしにくい」ということはある。
「職員へのヤミ給与の裁判資料ですか?もちろん公開してますよ。いちおう住民票と印鑑証明と実印ともってですね、隣の棟の地下倉庫探して下さい。1000坪くらいあってちょっとわかりにくいですけど、探せばどこかにありますから。あ、閲覧時間は一日15分ですから中にいて閉じこめられて餓死しないでくださいね!」
そういう場合はどこかで「情報開示すること」に対する規制が働いていると考える方がいい。
民主党は郵政を選挙の論点にしないらしい。
自民党の反対派も郵政を選挙の論点にはしたくないらしい。
郵政を選挙の主要論点にしたがっているのは小泉首相以下の自民党執行部だけのようであるが、彼らとて自らが責任を問われかねないシステム破綻の構造的な理由やそれが生じてきた歴史的文脈について言及する気はない。
誰もが問題の「病根」についてはできるだけ触れず、ただ「こうするとよくなります」という気の抜けたような政策提言以上のことをしていない。
「病根」についての言及がこれだけ組織的に忌避されるのだから、よほど根が腐っているのであろう。

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2005年08月10日

甲野先生が来る

H播磨高校の放送部の女子高生3人がやってくる。
ラジオ・ドキュメンタリーを製作しているスタッフの方々である。
いったい私に「なにをきくねん」と私自身もみなさん同様深い困惑のうちにお迎えしたのであるが、とりあえず私にとって「高校生」というのは「潜在的クライアントさま」であるので、私の態度のフレンドリーネス度はそれ以外の場合とは有意な差を示すのである。
うかがえば「人の話を聴けない症候群」というタイトルの私のエッセイが神戸新聞に載って、それを読んで興味をもたれて、さらにいろいろ訊いてそのテーマでのドキュメンタリーに編集する音源を取るべくおいでになったのである。
すでにあちこちで取材されており、それに私のインタビューも加えて「七分間のドキュメンタリー」を作るそうである。
「七分間!?」
七分というと、私の場合、「マクラ」の途中くらいであって、全然本題には入っていない時間帯である。
「あのね、私はひとたび口を開くと90分くらい止まらない人なんですけど・・・」
と申し上げるが、エンジニアの子がにっこり笑って「ちゃんと編集しますから、どんどんしゃべってくださって結構です」
私がどんどんしゃべるとえらいことになるのであるが、まあ、世の中には「そういう人間」もいるということを知るのも若いみなさんにとっては貴重なる人生勉強ともなろうから、委細構わずばりばりと現代人とコミュニケーション失調というテーマで1時間ほどお話する。
三人ともまんまるに目を見開いて、たいへん注意深く私の逸脱につぐ逸脱話をフォローされていた。
遠路のご苦労をねぎらうべく、スタジオ・ベリーニのフルーツゼリーと姫路名物抹茶アイス(毎年姫路のF塚くんがお中元に送ってくれるのである)をごちそうして、ばいばいとお見送りする。

明けて本日は朝一で下川先生のお稽古。
歌仙会はご案内のとおり、仕舞が『高砂』、素謡が『羽衣』。
『羽衣』の天女の声はなんとかさまになってきたが、『高砂』の拍子がうまく合わない。
あとから来られた帯刀さんが『鵜之段』の仕舞を稽古されているときに下川先生に命ぜられての一緒に地謡をつける。
下川先生の側で地謡をするとき、呼吸が合うと、先生の発する振動数にこちらの身体が共振して、グッドバイブレーションである。
ちょうど音叉を鳴らすと、他の音叉も共振して音を出すような感じで、私の身体が(喉ではないよ)振動しはじめるのである。
思わずエヴァリー気分となって、“Take it , Phil” とつぶやきそうになる(もちろんそのような失礼なことはしない)。

稽古の帰りに銀行に寄って「身体認証登録」をする。
私はご存じのようにこのような新しいテクノロジーにはたいへん無防備であり、十日ほど前に銀行に来たときに「手のひらの静脈のかたちで個体識別できるんですよお」と女性行員ににっこり笑いかけられただけで、気が遠くなり「はいはいはい」と手続き書類にぐいぐいサインしてしまったのである。
その新しいカードが届いたので、カードと免許証と印鑑と通帳を手にいそいそと銀行へ行き、窓口で機械を前に神妙に「手かざし」をしていると、急に背中から「ウチダさま!」と声をかけられる。
ふりかえると温顔の紳士がすぱっと名刺を差し出す。
名刺をみると支店長。
「あ、すみません・・・私、何かしちゃいました?」
と青くなるが、別にそういうことではなく、「HPを拝見しております」というご挨拶であった。
「や、それはどうも・・・」とこちらも片づかない挨拶を返すが、よくよく考えると、どうして支店長が私のHPをご覧になっているのか、またどうして必死に「手かざし」の行をしている私を見て、「お、ウチダが来ているな」ということを判別せられたのかがわからない。
あるいは窓口の女の子のカウンターの下に「この顔を見たら内線へ」というようなリストがあって、ひそかにシグナルが送られているのかもしれない。
銀行というのは底の知れないものである(銀行インサイドの人が秘密を知っていたら教えてください)。
さっそくATMで機械が私の静脈を認証してくれることを確認。
画面に「認証しました」という文字が出ると、なんだか偽のIDカードを使ってCIA本部に潜入に成功したスパイのような気分になって、ちょっとうれしくなる。

家にもどって、あたふたと支度をして、大阪のヒルトンホテルへ。
大阪に来られていて、今日の午後帰京される甲野善紀先生から「ちょっと大阪まで出てきませんか?」というお誘いを頂いていたのである。
甲野先生とは朝カル新宿で名越先生とのトークショーのあとにお茶して以来である。
あの後にだいぶ身体を悪くされて、主治医の野口先生から「稽古禁止、読み書き禁止」を言い渡されて、電話もメールも届かない山奥に身を潜めていらした・・・ということを風のたよりにうかがっていたけれども、お会いするとまるで元気そうである(とはいえ、ヒルトンのロビーの入り口で、訝しげな顔つきのホテルマンに「あの・・・どちらへ?」と詮索されていた。袴に高下駄に日本刀持ってでホテルのロビーに入ってくる人なんて、日本広しといえども甲野先生の他にいるはずないんだから、覚えておけばいいのに)。
甲野先生からここしばらくの活躍ぶりをお聞きして、最近の術技上の「気づき」を拝聴しているうちに、やっぱり(守さんが予言したとおり)ヒルトンのロビーで「実技」が始まってしまった・・・
そのまま歓談することあっという間に3時間。
し、しまった。この話を録音しておけばよかった・・・と後悔後に立たず(でしょう、やっぱり「後悔先に立たず」というのは実感と違うよ)。
また大学の方にも来て下さいねーと手を振って大阪駅でお別れする。


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2005年08月09日

政治家のことを考えると頭痛が

衆院が解散して、9/11に総選挙が行われることになった。
どういう経緯で解散ということになったのかよくわからない。
あまりよく理由がわからないままに国会が解散されて、政治的空白が生じ、争点も何だかよく分からない総選挙を巨額の税金を投じて「できる」というのは、それだけ日本のシステムが効果的に機能しており、政治家なんかいてもいなくても、国会なんてあってもなくても、あまり関係ないということなのであろうから、むしろ言祝ぐべきことかもしれない。
ただ、選挙になるとうるさいのが困る。
うちは駅の前なので、選挙期間になると駅前に何台も宣伝カーが並んで候補者たちが終日がなり立てる。
私はあのような発声法で語る人間を日本語の敵とみなして深く憎んでいるし、白い手袋をはめて窓から手を振るような鈍感さを見るとめまいがするので、選挙期間というのは気分がよろしくない。
政治は変わってほしいと思うのだが、選挙運動はやめてほしい。
苦しいジレンマである。
日本の高等教育の質は世界最低水準であると書いたけれど、考えてみたら、日本の政治家の質もまた世界最低水準であることを忘れていた。
私の知る限りの知的な若者のなかに「将来政治家になりたい」というものは一人もいない。
いったい、どこから候補者たちはリクルートされてくるのであろう。
たぶん非常にせまいエリアの中で「たらい回し世襲」されているのであろう。
鰻屋が「うちは寛永年間から続いた老舗です」と自慢するように、親子代々の政治家ですということを自慢する人がふえてきた。
政治にコミットする資格がある種の「家族の資産」のようなものになって、限定された社会関係のなかを行き来している。
その風通しの悪さのせいで、政治はしだいしだいに「芸能界」に近づいており、政治欄のニュースとワイドショーのニュースの「テイスト」が似てきているのかもしれない。
TVタレントが政治家になっても「さまになる」のは、本質的に似たところがあるからだろう。
日本の政治家の質はこの先どこまで下落してゆくのであろうか。
ふだんは国内政治のことをなるべく考えないようにしているのであるが(考えると気分が悪くなるから)、選挙になると日本の政治家の愚鈍さにダイレクトに直面しなければならないのがほんとうにつらい。
ただでさえ暑いのにね。

投稿者 uchida : 10:29 | コメント (4) | トラックバック

2005年08月08日

旅の終わり

8日夜、死のロードが終わる。
5日深夜に帰宅して、翌日は昼から稽古、途中で抜け出して野崎家でのヒロ子さんの49日法要に駆けつける。
ひさしぶりに葉柳先生にお会いしたので別れがたく、喪主次郎くんに誘われるまま9時近くまで黒服にネクタイでお酒を飲み続ける。
いささか疲れて、帰宅。
蒸し暑い寝室で輾転反側しているうちに胃痙攣の発作が起きる。
今回は前回よりもだいぶ重症でブスコパン1錠では収まらず、明け方にもう1錠。
ようやく6時頃眠りに就く。
9時半に集合をかけていたので、もうろうと8時半に起きる。
ドクター佐藤とウッキーとともに車で炎天下を丸亀へ。
守さん主催のコヒーレンス合気道講習会である。
1時開始のぎりぎり寸前に多度津の体育館に到着。
20名余のみなさんが私の合気道講習のために集まってくださっており、中には遠く東京や福岡からおいでの方もいるので、あとはウッキーとドクターに任せて私だけ昼寝というわけにもゆかない。
まだ胃にしこりが残っていて、何も食べられないので、清涼飲料だけ流し込んでとりあえず講習会開始。
道衣に着替えると、とりあえず気合いが入ったので、ばりばりお稽古を始める。
しかし、去年もそうだったけれど、多度津のこの体育館の湿度と温度は生物の生存にはあまり適していない。
体操をして呼吸法をして、基本の転換をしているだけで道衣が重くなるほどの汗。
1時間くらいのところで血の気が引いて一瞬気が遠くなる。
武道の講習会で講師が暑さで失神してはネタになってしまう。
冷凍のカルピス・ウォーターをがりがり囓って体温を下げる。
お稽古しているみなさんも汗だくでへろへろである。
それでも何とか3時間の講習会を無事に切り上げる。
やれやれ生きて夕方を迎えることができたと、ほっとして丸亀オークラホテルに荷物を投げ込んで、守さんたちご一行と懇親会の明水亭へ(世界一美味しいカレーうどんのあの明水亭である)。
常連の福岡の小川さんご夫妻、滋賀の水戸さん、謎のヒーラー桑村先生、みどりあたまさん、ゴスペルシンガー木村さんなどなど守さんがネットするところのフレンドリーな畸人のみなさんが集って、明水亭を貸し切りにしての大宴会。
最初はまだ体調がいまいちであったけれど、京都の「たんくま」とパリで修業された明水亭主人の調理するところの和食フルコースのあまりの美味しさに感動し、守さん桑村先生のお話にげらげら笑っているうちに胃の腑も快癒、最後のおうどんまでつるつる食べて、大満足。
守さんとはかれこれ4年ほどのおつきあいになるけれど、守さんが隣にいると、それだけで身体が芯の方からぽかぽかと温かくなってくる。
すべてを差配しているのだけれど、すこしもおしつけがましくなく、その場の全員が参加できるような話題だけをみごとに選択して、つねに座談の中心にいて熱く愉快に語っている。
去年は私はうっかり「守さんを丸亀市長に!」などと視野の狭い提言をしてしまったけれど、できることなら「守さんを日本のお母さんに!」と言いたい気分になった(そんなこと言われても困るだろうけれど)。
ホテルに戻って展望風呂に入って潮風に当たり、部屋に戻って9時半にばったり就寝。
寝たこと寝たこと12時間爆睡。
ひさしぶりに爽快な目覚め。
海辺のテラスで朝のコーヒーなどを飲んでいると、死のロードどころか天国リゾートである。
やあ、ようやく夏休み気分だぜい。
ドクターは前夜電車で帰られたので、残ったウッキーといっしょに守さんにA楽亭にご案内いただく。
A楽亭ご主人ご夫妻とは一年ぶりである。
相変わらずハイテンションでぶっ飛ばすご亭主さまに茶室にご案内いただいて掛け軸などを鑑賞、去年話だけに終わった「鰻重」を堪能。
ううううう美味い!
このA楽亭のマエストロのお作りになる「鰻重」は目に映るすべてのもの、肌にふれるすべてのもの、耳に触れるすべてのものを含めた食環境の総和において、まず我が生涯において食した最高の「鰻重」と申し上げてよろしいであろう。
食というのは味覚だけのものではなく、五感を総動員して味わうものであるという真理をA楽亭ご主人は熟知されているのである。
食の情報やイベント情報はマスメディアに一元的にコントロールされており、情報にキャッチアップしていればアクセスフリーであると信じられているけれど、「ほんとうにすばらしいもの」へのアクセスの敷居は高い。
そのような希少な文化的リソースへのアクセシビリティを担保するのは権力でも財貨でも情報感度でも文化資本の多寡でもない。
グローバリズムというのは、平たく言えば「金で買えないものはない」ということである。
言い換えれば「買われる側には買い手の選択権はない」ということである。
それはある意味でたいへん平等な、開放的な社会を約束しているともいえる。
けれども、「買い手を選択する自由」を決して手ばなさない人々もいる。
そのようなローカルなあるいはプライヴェートな「えりごのみ」を許さないというのが現代の風潮である。
でも、そういうものはあってもいいと思う。
「えりごのみ」を許すということは、「えりごのみ」の対象として査定される立場に身を置くことを受け容れるということである。
さまざまなローカルなあるいはプライヴェートな価値基準があり、ある場所で私は受け容れられ、ある場所では拒否される。
それは「金で買えないものはない」という単純主義よりも私にとってはずっとスリリングである。

BMWで高速道路を疾駆して2時間ほどで芦屋へ。
ひとやすみして杖道のお稽古へ。
酷暑の体育館にちゃんと3人来ている。
またまた汗だくになりながら2時間みっちりお稽古。
家に戻ってお風呂にはいって、バーズを聴きながらワインを飲む。
やっと旅が終わった。

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2005年08月06日

ロードの中日

死の(というほどもないけど)ロード三日目。
このロードは中一日おいて、3日から8日まで続くので、今日が中日である。
昼近くまで寝て、田園都市線・半蔵門線乗り継いで神保町へ。
P社、AERA,角川書房の三社と打ち合わせ&取材。
P社はタカハシさんとの対談本の話。
この間録音を切ったあとの文学と言語の話がたいへん面白かった。
あれを録音しておかなかったことが悔やまれる。
もう二度ほどタカハシさんと文学の話をすればたぶん一冊分くらいになるはず。
仕事という口実があると、忙しいタカハシさんのところに遊びにおしかけることもできるし。
AERAは「地方出身者と都会派」の人間的力の違いという不思議なテーマについてコメント。
そういうスキームであまり考えたことがなかったけれど、「都会に住みたい」という人にはたぶんある種の傾向性があるんだろうなと思う。
よく都会生活者は「匿名性」を求めるというけれど、人間は完全な匿名では生きていけない(番号でもハンドルネームでも、何らかの名前は必要だ)。
都会生活者は「匿名性」というよりはむしろ人格の「単一性」にこだわりがあるのではあるまいか。
ネット上の議論では「実名暴露」による議論の打ち切りということが時折見られる。
複数のアイデンティティを持っていることはキャラクターの脆弱性であるということが暗黙のうちに了解されているわけである。
リスクヘッジの方法としては複数の人格をそのつど使い分ける方が有効であるはずだが、人格の複数性をコントロールする仕方はどこでも教えてくれない。
だから、自己防衛的に人格を複数化しようとすると、いきなり解離症状を呈してしまう。
その点では地縁血縁でつねに監視されているような狭い共同体にいる人間の方が、人格の使い分けに幼少期から長じるということがあるのではないか・・・というようなことを考える。
角川書店は春日先生との対談本の「発行祝い」ということで(春日先生は医局の集まりがあって残念ながら不参加)、広尾に「フカヒレ」を食べに行く。
ステーキのようなサイズのフカヒレをばりばり食べる。
一生分のフカヒレを食べたような気がする。
いろいろと仕事の約束をしているということを思い出させようとされるのであるが、残念なことにすべて失念している。
向こうは3人がかりで「たしかにあのとき先生は『では「文學界」の連載が終わったらやります』と断言しました!」と証言をなされるのであるが、こういう問題については多数決というようなことはまったく適用されないのである。

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2005年08月05日

るんちゃん・健ちゃんと日本の高等教育の末路

8月3日午後に芦屋を出て、自由が丘でるんちゃんに会う。
ひさしぶりである。
誕生日プレゼントに「一生物のアクセサリー」を買って欲しいというので、意を決してカードを握りしめてきた。
入ったお店で、「前に見せてもらったサファイアとダイヤのネックレスありますか?」と訊くので、これはけっこうなお値段のものかしらと覚悟を決める。
値札を見て、あたまではじいたソロバンの三分の一くらいだったので、ほっとする。
たまたま東京にサンフランシスコの健ちゃんが来ていたので、健の息子のカイといっしょに四人でご飯を食べる。
健は私のex-wife の姉の息子であり、私が生まれて初めて得た「甥」である。
はじめてサンフランシスコから日本に遊びに来た健に会ったとき、健は14歳の中学生、私は30歳。
素直で快活でエネルギッシュで、生粋のカリフォルニア・ボーイである健がすっかり気に入って、あちこち連れ回して遊んだ。
間に太平洋があるので、それほど頻繁には会えなかったけれど、健は私のいちばんお気に入りの「親類の子」であった。
だから、健の結婚式を奈良の春日大社でやると知らされたときには、私はるんちゃんと一緒に「新郎側」の親戚みたいな顔をしていそいそと列席したのである(るんちゃんは健の従妹だからよいのであるが、私は「新郎の母親の妹の別れた亭主」というふつう結婚式なんかに呼ばれない縁遠い人間である)。
健と会うのはそれ以来7年ぶり。
かつての少年も、もう39歳の中年男となって、ちょっと驚いたけれど、話し始めるとむかしと少しも変わらない。
息子のカイはかつての健を彷彿とさせる一瞬もじっとしていないハイパーアクティヴ少年。
時の流れを実感する。
次に会うときには私たちはどんなふうになっているのだろう。

東京に来たのは実は業務出張である。
4日に淵野辺の青山学院で私立大学情報教育協会主催の「教育の情報化推進のための理事長・学長等会議」というものがあり、学長に命ぜられて、私と情報処理センターの出口ディレクターが派遣されたのである。
会議が「理事長・学長等会議」(私たちは「等」であるが)であるので、飛び交う話はダイレクトに文部科学省寄りであり、ダイレクトに世知辛い。
大学基準協会や私大連のセミナーよりもはるかに「ぶっちゃけた」話である。
会議のテーマは教育の情報化、e−learningとかコンソーシアムとかVODとかといった話である。
大学におけるITの基盤整備はどこでもだいたい終わっていて、これからはそれにどのような教育的コンテンツを載せるか、ということが話題の中心なのである。
だが、どうしてe−learningということを文部科学省がこれほど力を入れるのか、話を聞いているうちによくわかった。

第一は学生の止まるところを知らない学力低下である。
大学の正規の勉強だけではとても追いつかない。
リメディアル教育の他に、家に帰ったあと自学自習させないとどうにもならない(なにしろ連立一次方程式がとけない工学部学生とか、生物を履修していない医学部学生とかがざわざわいて、ついに小学校の算数からのリメディアルをはじめた私大もあるのだ)。
そのためにはweb上に教材を載せて、自宅でばりばり宿題をやらせるのが効果的ではないか・・・と文部科学省&私情協はお考えになったのである。
もちろん、その採点だの集計だのをしている暇は教師にはないので、それをすべて機械的に処理できるようなシステムを開発しましょう、というわけである。
ロボット家庭教師のようなものをご想像いただければよい。

そもそも「単位」というのは前から何度も申し上げているように国際的な標準規格であり、45時間のワークを指す。すなわち15時間の教室における課業と、30時間の自宅学習である。
現在、大学では90分授業15週で2単位を与えている。
学生さんが「90時間勉強した」ということにして2単位を認定しているのである。
しかし、現実にはすべての授業に出席しても22.5時間である。
ほとんどの学生は自宅での予復習時間が一日1時間以下である。
一科目あたりに割いているのはせいぜい15分というところであろう。
実際には授業を休み、休講もあり、遅刻早退があり、自宅学習時間ゼロの日もあるから、形式上90時間のワークとして認定されているものの内実はおそらく20時間たらず(講義を聴かずに居眠りばかりこいている学生の場合は数時間程度)の課業のみである。
つまり平均4倍以上のインフレ査定がなされているのが日本の大学の単位の実情なのである。
「単位」というのは「キロ」とか「メートル」と同じ国際標準規格である。
「日本の1キロはヨーロッパの200グラムのことです」というわけには参らない。
多少の地域格差は許容範囲でも、ここまで実勢との差が開くと、国際社会から「日本の大学の出す単位認定は怪しい」という疑いが出かねない。
単位の内実が4倍インフレということなら、「日本の大学卒業?ではうちの国の大学の二年次に編入してください」となっても不思議はない。
文部科学省がいちばん恐れているのはこのことである。
EUあたりで「日本の大学卒業資格は認定しない」ということになったとき(可能性は決して低くない)、文部科学省の役人は世間をはばかって、ドブ板をはいずって歩かねばならないであろう。
彼らとて必死である。

もう一つ、e−learningに力を入れる理由は、入学した大学がつぶれた場合でも、大学がコンソーシアムに加盟していて、講義科目がインターネット配信である限り、学生さんはとりあえず支障なく卒業できるからである。
キャンパスがなくなっても卒業できるためのe−learning。
世知辛い・・・

さらにくわえて「産学官連携」構想が語られる。
なぜここにきて産学官連携?
理由は簡単。
日本の資本主義企業の質は世界最高水準である。
日本の高等教育の質は世界最低水準である。
同じ日本人がやっていてどうしてこれだけの差が開くのか?
理由は、いろいろあるのだが、差しさわりがありすぎるので、こんなところでは申し上げられない。
「理事長・学長等会議」であるから、大学では聞けない種類の本音が漏れ聞こえる。
大学の教師の代わりに企業人に授業をやらせた方が教育効果は上がるのではないか・・・とまあ、誰でも考えますわな。
しかし、お忙しい企業の方々に大学にきて毎週ゼミや講義をしてもらうわけにはゆかない。
だいたい出講料としてお支払いするお金がない。
そこで、e−learning の出番となる。
ビジネスマンのオフィスまでインタビューに行って、一席ぶっていただいたビデオをVOD(Video on demand) でネット配信するとか、スタジオから全国に放送してリアルタイムで双方向的ディスカッションするとか。
発信者一対受信者多数というスタイルをねらったらe−learningがいちばん効果的である。
というような諸般の事情によって教育の情報化が推進されているのである。
聞けば聞くほど、日本の高等教育は末期的であるなあ・・・との感を深くして、重い足取りで淵野辺を後にした出口先生と私なのであった。

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2005年08月02日

甦るPCと児童虐待について

壊れていたはずのPCが突然生き返る。
いったいどうなっているのであろう。
でも、生き返ったものに文句をいうのは筋違いである。
うちのパソコンは理由がわからず頓死し、理由がわからず蘇生する。
「ねーなんでなのー」と訊ねてもIT秘書はクールな横顔を崩さぬままに「さあ・・・」とつぶやくだけである。
おそらく私の存在そのものがPCの深部に何か霊的な影響を与えているのであろう。
同僚のある先生のゼミには、その学生が研究室に入ってきただけで、作業中のパソコンが壊れ、その学生が近くに手を置いただけでFDのデータが読み取り不能になる「デストロイヤー」がいたそうである。
おそらく高圧の静電気を発しているデンキウナギみたいな人なのではないかと推察されるのである。

鈴木晶先生の日記を読んでいたら、羨ましい記述があった。
あまりに羨ましいので、そのままコピー。
「やっと夏休みになった。
毎夏同じことを書いているが、50をすぎても夏休みの過ごし方は小学生時代とほとんど変わらない。
朝起きたら庭のテーブルで軽い朝食をとり、タオルと水着とゴーグルとゴザを自転車のかごに放り込んで、プールにいってひと泳ぎ、家に帰ってかき氷を食べ る。あるいはスイカにかぶりつく。そうめんか冷やし中華を食べてからたっぷり昼寝。日が傾いてきたらビールに枝豆(この部分だけが小学生時代とは違う)。 夜はビデオをみて寝る。仕事は少ししかやらない。
8月の末まで宿題を放っておく、という点も小学生時代とまったく同じである。」
ううううううらやましい。
タカハシさん、読みました、これ?
お隣さんたら(じゃないんだ、もうタカハシさんは逗子に引っ越しちゃったから)こんな夏休みしているんですよ。
読んだあとに三宅先生のところに治療にバイクででかける。
ああ、帰りにこのままプールにいっちゃおかしらと2秒くらい思うけれど、無理だよなとため息をついて、せめて少しでも日焼けしようとシールドをはねあげて走る。
日に当たるのって、そういえばバイクで三宅先生のところに行くときと洗濯物を干すときだけだ。
あとは電車は駅まで30秒だし、車だとエレベーターまで20秒だから、私は日に当たってないんだ。
ノスフェラトゥじゃないんだけど。

接骨院で森永さんと会う。
こんど、池上先生、三宅先生、それに画伯もまじえて三宮でご飯を食べることになる。
森永さんの「快気祝い」らしい。
画伯と池上先生は初対面である。
森永さんが「四巨頭会談ね」とけらけら笑う。
そういえば、ほんとにこの会食者たちは「頭がでかい」。
ヤマモト画伯は顔も頭も態度もでかい。
三宅先生は身体もでかい分頭もでかい。
池上先生はそんな巨頭かなあ・・・とつぶやいたら、三宅先生が「池上先生は顔がでかいです」と力説する。
私自身はサイズ的にはそれほど巨頭ではないが、態度の大きさが顔の輪郭にあいまいなオーラを賦与している可能性は否定できない。
巨頭といえば、日比谷高校の同期の伝説的秀才、故・新井啓右くんと塩谷安男くんである。
このふたりはモアイ像のように巨大な頭部をしており、「小顔」の橋本せをじくんが雑誌部室の階段からバスケットボールに興じる両巨頭をみつめながら、「いいなあ、あの人達は、あたまでかくて。ぼくなんか、こんな小さな頭だから、あの人たちにはどうせかないっこないんだ・・・」と嘆いていたのを思い出す。
私の頭はなぜそのような役に立たないことだけを選択的に記憶しているのであろうか。

帰宅して、夕方まで『アメリカ論』。
今日は「児童虐待」のところ。
ヨーロッパ文化には「子供をかわいがる」ということは規範化されていないという話を書く。
今日書いたのはこんな話。

フィリップ・アリエスの『子供の誕生』によると、現在の私たちが用いているような意味での「子供」の概念は中世ヨーロッパには存在しておらず、十七世紀にようやく定着した。
ヨーロッパには「子供は無垢で愛すべき存在である」とみなす心性の伝統そのものが存在しなかったのである。
親子関係の葛藤を描いたもっとも古いヨーロッパの文典というと旧約聖書の「イサクの燔祭」である。
ここでアブラハムは一人息子のイサクを生け贄に捧げることを命じられる。
だが、『創世記』のその箇所を読むと、アブラハムが「悩んだ」とか「ためらった」とかいう記述はない。
アブラハムは「全焼のいけにえとしてイサクをわたしに捧げなさい」と言われると、別に期日の指定があったわけでもないのに、いそいそと翌朝早起きしてモリヤの丘までイサクを連れて行く。
そして、イサクとともに祭壇を整えたあと「自分の子イサクを縛り、祭壇の上のたきぎの上に置いた。アブラハムは手を伸ばし、刀をとって自分の子をほふろうとした」のである。
モリヤの丘の出来事にかかわる聖書の箇所を読んで驚くのはアブラハムの流れるような手際の良さである。
私たちはアブラハムは主の命に従うべきか親の情に従うべきか、恐るべき葛藤を経験したはずだと考える(キェルケゴオルもそう考えた)。
でも、ほんとうにそんな葛藤があったと言えるのだろうか(だって、何も書いてないんですよ)。
聖書には人間が守るべき戒律が網羅的に列挙されている。
『創世記』にも、『出エジプト記』にも『申命記』にも戒律の長いリストがある。
けれど、そのどこにも「子供に対する親の愛と保護」についての戒律はない。
あまりに当然すぎて書かれなかったのであろうか?
どうも、そのようには思われない。
エリザベート・バダンテールはその『母性という神話』の中で、中世の親子関係が私たちの想像するものとはずいぶん違っていたことを豊富な事例を挙げて教えている(鈴木先生、いい本、訳してくれてありがとうございます)。
中世に教会と国家がそれまで親の子供に対する懲罰権に次第に介入するようになる。
教会は子供は「神からの授かりもの」であるから、両親は子供を私有物のように扱うべきではないと訴えた。
教会が何よりもまず親から奪おうとしたのは「子供を殺す権利」だった。それは、教会の宗教的権威が干渉しなければ、その権利が制限できなかったということである。
バダンテールの示したデータの中でもっとも衝撃的なのは十八世紀末のパリの子育て事情である。
その頃、ブルジョワの家庭では子どもを母親が育てず、乳母を雇うか里子に出すのが流行していた(「この階級の女たちは、子育てのほかにすることがたくさんあると考え、そう公言してはばからなかった」からである)。
子供たちはパリから遠く離れたノルマンディやブルターニュにまで里子に出された。
一七八○年、「首都パリでは、一年間に生まれる二万一千人の子どものうち、母親に育てられるものは千人に満たず、住み込みの乳母に育てられるものは千人である。他の一万九千人は里子に出された」。
その一方で、貧しい家庭では子供の存在そのものがただちに親たちの生存を脅かすものであったから、親たちは手元不如意になると「子供を早く墓地に送る、さまざまな方法」に訴えた。
孤児院に送るかできるだけ安い乳母に預けるか、どちらにしても子供の生存確率は高いものではなかったのである。
だから、ジャン=ジャック・ルソーが『エミール』で「造物主の手から出るときすべてはよい、人間の手のなかですべては悪くなる」という「無垢な子供」という概念を提出したのは、彼の他の著述がそうであったように、まことに革命的なことだったのである。
ヨーロッパで「いたいけな子供を保護しなければならない」ということが「常識」に登録されたのはごく最近のことなのである。

アメリカもそのようなヨーロッパの「子供ってあんまりかわいくないんだよね」の伝統を引き継いでいる。
加えて、建国以来、自己実現の阻害者は暴力をもって排除してよいとする「暴力に対する寛容な伝統」がある。
だから、児童虐待が社会問題化したのがごく最近になってからだということもうなずける。
もちろん、現在のアメリカ国内では児童虐待に対する厳しい反省の上に、児童虐待はきびしい監視を受けている。
しかし、その反省もアメリカのどのような精神風土が児童虐待を生み出してきたのかということについての内在的な分析にまでは踏み込んでいないように思われる。

ジュディス・L・ハーマンの『心的外傷と回復』はPTSDと呼ばれる精神的な障害の主因が「抑圧された記憶」(その多くは幼児期の親によある性的虐待)であるという驚嘆すべき理論を掲げて、九十年代に全世界で圧倒的な支持を受けた。
そして、アメリカではカウンセリングを通じて、「抑圧されていた」幼児期の性的虐待の記憶がフラッシュバックして甦り、成人になった子どもが何十年も前の性的虐待について親を告訴するという事例が相次いで起こったのである。
代表的なのは、自分の父親が自分の友人をレイプして撲殺する現場に立ち会った記憶を抑圧していた女性が、二十年後に不意に記憶が甦り、その証言に基づいて、父親が殺人罪が逮捕告発されたジョージ・フランクリン事件(一九八九年)。
この審理に鑑定人として召喚された「偽造記憶」の専門家E・F・ロフタスは、原告女性が「思い出した」とされる内容がすべてメディアですでに報道されていた情報(誤報も含めて)から構成されていることを論拠として、彼女の言う「抑圧された記憶」なるものが、原告女性がカウンセラーの誘導によって創作した「物語」ではないのかと疑義を呈して、ハーマン理論を批判し、アメリカで一大論争を巻き起こした。

この論争はその後「わが子から偽りの告発を受けた」とする家族たちによる裁判闘争、さらにはいったん「抑圧された記憶が甦った」と証言した女性たちがセラピーを止めたあとに「偽造記憶を植え付けられた」として、今度はかつての担当医やカウンセラーを医療過誤で告訴するという何が何だからわからないような泥仕合の様相を呈している。
児童虐待が事実のレベルで存在したのかどうかは私たちには判定できることではない。しかし、児童虐待が形式的に言えば「親による子供の懲罰権の行使」であるとするなら、抑圧された記憶の回復によるPTSDの解消は「親からの懲罰権の奪還」であると言えるだろう。
つまり、「記憶戦争」と呼ばれたこの論争の真の賭け金は「真実」の開示というよりはむしろ「懲罰権」の帰属だったのである。
「罰する権利はどちらに属するのか?」これがある種の親子関係においてリアルで喫緊な問いであるような社会がどういうものか、私にはうまく想像ができない。
でも、それは「子供はかわいいよねー」ということが人性の自然であるような社会ではないような気がする。

というようなことを書いているうちに夕方になったので走って学校に行って、成績提出。
教務課のみなさんはもう帰り支度をしていたが、しばらく待って頂いてまとめて成績表をお渡しする。
やれやれ。

投稿者 uchida : 22:49 | コメント (3) | トラックバック

二日酔いで薪能

前夜、タカハシさんと午前1時半までおしゃべりして、ワイン4本も空けてしまったので、朝はさすがに頭がとろんとしている。
とろとろと起き出して、昨日の対談のMDを聞き返してみる・・・とこれがめちゃめちゃ面白くて、げらげら笑いながら最後まで聞いてしまう。
途中でふたりとも酔いが回ってきて、タカハシさんはだんだん話がゆっくりになり、私はだんだん早口になり、回転数の違うレコードを交互にかけているようである。
残念ながら、この対談は『ワンコイン悦楽堂』の巻末付録なので、全部は採録できないのである。
タカハシさんとの対談本企画はたしかどこかの出版社が手を挙げていて、企画そのものは「ゴー」のはずなのだが、私とタカハシさんが会う機会がなかなかないのでまだ本にならない。
昨日も新神戸でお会いしてから竹園ホテルに送るまで7時間ぶっ通しでしゃべっていたので、あれを全部録音しておけば・・・と後知恵を働かせる。
えーと、タカハシさんとの対談本の企画って、どこの出版社でしたっけ?O田出版でしたっけ?違ったらごめんなさい。
これからタカハシさんと会うときは必ずMD持参で行きますから。

さらに業務連絡。
この竹信悦夫の『ワンコイン悦楽堂』は竹信くんが朝日新聞のweb上に連載していた書評集である。
どうして「ワイコイン」かというと、彼が古書店をまわって「百円玉」一つで買い集めた「ちょっと前のベストセラー」や「まったく話題にならなかった駄本」を書評するという、「ふつうならまず書評の対象になることのないC級本」の書評集である。
12歳にして批評家としての文体を完成させ、そのあとランボーのような長い沈黙に入った天才が、知命をすぎた頃に書き始めた文章はいかなるものであったか・・・
この本はすでに編集が終わって、タカハシさんと私の「竹信悦夫の天才性の解析」をめぐる対談がまとまると出来上がるのであるが、まだ出版社が決まっていないそうである。
編集担当の太田さんから、出版社を紹介してくださいとお願いされているので、ここに告知するのである。
興味がある出版社、ウチダあてにご一報下さい。

夕方まで『アメリカ論』。
中世の日本の子ども観について、ルイス・フロイスの『日本史』から引用しようと思って本棚を探す。30分かかって結局見つからず。
もうちょっと本を整理しとかないとなあ。
その代わりに探してた網野善彦『異形の王権』が出てきたので、そこから「童子論」を引用することにする(行き当たりばったりだな)。
夕方になったので、長田神社の薪能へ。
下川先生が「井筒」の後ジテをされるのである。
暑いし、虫がいるし、市会議員のスピーチとかあるし・・・どうも集中できないが、さすがに下川先生が出てくると舞台もぴんと筋が通る。
でも、序の舞はあまり薪能向きじゃないみたい。
『船弁慶』とか『小鍛治』とか『安達原』とか、そういうアクション&ホラー系の演目の方が薪能向きのような気がする。夏の夜だし。
暑い中をよろよろ家に戻り、車でそこまででかけようとすると、なんとバッテリーが上がっていた。
昨日、タカハシさんを下ろしたときに、ライトを消し忘れて一日放置したらしい。
あらまあ。

投稿者 uchida : 11:41 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月01日

タカハシさんが来る

タカハシさんが来る。
小倉競馬の帰途の新神戸駅で待ち合わせ。
タカハシさんは死ぬほど忙しいはずなのだが、手を振りながら改札を出てくる足取りがずいぶん軽い。
「元気そうですね」と訊くと、「ひさしぶりに昨日寝たから」ということであった。
前日は『文學界』の原稿書きで(ほんとうは25日だから5日遅れ。ぼくはちゃんと締め切り守りましたよ)、その後NHKの生放送に出演するのでタクシーの中で原稿を書き、スタジオからメールで送ったそうである。
相変わらずタイトロープな人生を過ごされている。
連載15本に大学の授業5コマ(いまはようやく夏休み)のあいだに夏の間はTVで毎週小倉競馬の実況をやっているのである。
よく身体がもつなあ。
「丈夫なんですね」と訊くときっぱりとうなずいておられた。
ぼくもけっこうタフな方だけれど、タカハシさんには遠く及ばない。

今回神戸に来られたのは、故・竹信悦夫の遺稿となった書評集『ワンコイン悦楽堂』の巻末にふたりの対談を載せるので、その対談のためである。
東京から来た編集担当の太田さんをまじえて、わが家でシャンペン、ワインなどくみ交わしつつ、故人の風貌を語る。
タカハシさんは灘で12歳から18歳までの間竹信くんのもっとも親しい友人であり、私は大学入学後の19歳からのツレである。
大学で竹信くんと親しくしていたのは、私ともうひとり香港の濱田雄治くんがいる。
濱田くんの見ていた竹信くんはタカハシさんの知っている竹信くんとかなり相貌が近い。
それは「早熟の天才が二十歳ですでに老成した姿」である。
私は濱田君ほど観察力に恵まれていなかったので、「愉快で、寂しがりやで、遅刻魔の男」という印象ばかりが強い。
タカハシさんは竹信くんと文学の話と政治の話だけしていたらしいけれど、ぼくは竹信くんとは文学の話も政治の話もほとんどした覚えがない。
いったいあれだけの時間、何の話をしてのだろう。
会えば、子犬がじゃれあうようにただけらけら笑っていたような気がする。
12歳から「灘の竹信」という神話的な存在を通してきて、すこし疲れてしまった竹信くんは、ぼくのようなハッピー・ゴー・ラッキーな人間と遊んで彼自身の「ジャンプしてしまった子ども時代」を部分的に修復していたのかもしれない。

それでもタカハシさん同様にぼくもいつのまにか竹信くんの影響を強く受けていた。
タカハシさんが作家になったのも、ぼくがユダヤ人哲学者を研究するようになったのも、決定的な契機は竹信くんから与えられたのである。
彼と出会っていなかったら、ぼくたちはどうなっていたんだろう。

そういえば、昨日タカハシさんから聞いたいい話をひとつお教えしておこう。
人の嘘を見破る方法。
「昨日どこに行ってたの?」
と訊かれて、視線が右上を向くときは「昨日のことを思い出そうとしている」とき。
視線が左上を向くときは「なんとか言い繕おうとして言い訳を考えている」ときだそうである。
ほんとですかー、と笑ったけれど、やってみるとほんとうにそうである。
何かを思い出そうとするときに視線を左に送ると、うまく頭が働かない。
右の方をみながら嘘を考えてもうまい嘘を思いつかない。
ということは人を騙すときには右側に座ればいいということだな。
今度やってみよう。

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