『ヤマちゃん本』のデータが届いたので、とりあえず一瞥する。
ブログ日記から「大文字ネタ」を拾い集めたものである。
『街場の現代思想』にわりと近い感じである。
もうだいたい本のかたちになっているが「まえがき」を書けと指示がしてあるので、思わず書き出してしまう(「書いて」といわれると反射的に「書き始める」という体質が私の場合、事態を悪化させているのかもしれない)。
山ちゃんがつけた仮題は「思わずほほえむ教養講座」というものである。
8モーラ。7モーラであるので、音韻的にはオッケーなのであるが、ウチダ本にしてはタイトルにインパクトがない。
いろいろ考える。
キーワードは「教養」らしい。
で
「教養の強要」
「教養があって何か問題でも?」
「教養が好き!」
「教養がこわい」
「虚妄の教養主義」
「教養格差社会」
「教養の身体技法」
などなど書棚の本のタイトルをてきとうに切り貼りするがいまひとつ。
で、最後におもいついたのが
「知に働けば蔵が建つ」
ヤマちゃん、これで決まりね。
はっと気づくと昼。
あわてて芦屋の体育館へ。
今日はおいちゃんの送別稽古なので、30人以上の人がきていて、さすが70畳の道場も人で一杯である。
送別稽古では「送られる人」を受けに呼ぶことにしている。
武道の世界で「贈り物」というのは親しく技を伝えることに尽きるからである。
丸亀の守さんがひさしぶりにお稽古に参加され、N大の横地さんも遊びに来てくれたので、稽古後、みんなで氷を食べにゆく。
守さんの「韓氏意拳」話に耳を傾ける。
話題はいろいろと転々とするのであるが、そのつど守さんが「それは韓氏意拳で言うと・・・」と引き取ってくれる。
何か強い既視感を覚える。
江さんと守さんが出るラジオ番組を一瞬想像してみる。
「それだんじりでいうたら」「それは韓氏意拳で言うと」
ですべてのフレーズが始まる二人の回答者の人生相談。
守さんとは来週末にまた丸亀でお会いする。
講習会をしてから明水亭でビールを飲んでうどんを食べ、翌日はA楽亭でうなぎを食べるという「丸亀至福コース」である。
あわてて着替えて大阪へ。
森永一衣さんのソプラノ・リサイタルがフェニックス・ホールである。
森永さんは畏友山本浩二画伯の畏妻である(そんな言葉はないが)。
「畏」の二乗であるから、私との力関係は論ずるに及ばない。
リサイタルはすでに小さいものもふくめて大阪では4回になるはずである(私はもちろんフルエントリー)。
今回は御堂筋のフェニックス・ホールなので、ジャケットを羽織ってでかける。
しゃれたホールで、幕間にはフォワイエでワインなんか飲めるので、もちろん冷えた白ワインを飲む。
すると当然のように眠気が襲ってきて、プログラム最後の「ある晴れた日に」のアリアを聴きながら数秒間至福の眠りに落ちる。
能の癖がついて、音楽に身を委ねながら睡魔と戦うるのがどうにも気分がよい。
打ち上げはいつもの亀寿司中店へ。
中トロ大トロ穴子鰺烏賊鯛鮃雲丹などをむさぼり食い、サッポロラガーをごくごく飲む。
山本画伯にご協力頂いた『身体の言い分』はたいへんよく売れているようで、画伯が「みなさん聴いてください。私が装幀したウチダくんの本が23日刊行で、なんと刊行後4日で絶版になりました!」とご紹介下さる。
画伯あの、「絶版」じゃなくて「増刷」なんですけど。
「え?だって本がなくなるってことでしょ、絶版て」
ま、そういえばそうですけど。
畏友なので、反論しない。
三宅先生は『身体の言い分』を診療所で売りまくっているらしい(なにしろお一人で500部も買っちゃったんだからたいへんだ)
その読者(つうか「被害者」)の方から「感想はがき」が先生のもとに届き、それをファックスで転送してくださった。
文面にいわく
「電車の中、喫茶店でも思わず笑ってしまい、後半は片手で口を押さえ乍ら読んでいました。心から笑ったのは森繁久弥さんの映画『社長漫遊記』以来です。」
『社長漫遊記』は1963年の東宝映画であるから、この方は実に42年ぶりに「心から笑った」ことになる。
『社長漫遊記』と「同じくらいおもしろい」というコピーはいささか現代的訴求力に欠けるような気もしないではないが、とてもよい映画です(フランキー堺演じる「変な二世」が面白かったなあ)
夏休みのあいだに『街場のアメリカ論』だけは仕上げようと思っていたが、そこに『ニート論』の草稿が届いて、甲野先生との対談のゲラが届いて、加藤典洋さんの『敗戦後論』のゲラが届いて(文庫版の解説を書くので)、そこに昨日文春の『ヤマちゃん本』のデータが届いた。
講演、研究会、エッセイ、論文、書評などの依頼は一日一件ペースで来る。
断れるものは断り、立場上断れないものは仕方なくお受けする。
これだけ重なると、ひとつひとつのできあがりの質が心配である。
どうしても文章は雑になるし、調べものをして裏をとるのが面倒なトピックは飛ばしてしまう。
あきらかに仕事の質が下がるにつれて、仕事の依頼が増えている。
不思議なものである。
世の中というのはそういう仕掛けになっているのかもしれない。
たしか、これまでの出版企画は前年度末に全部「チャラ」にして、晴れて自由の身になったはずなのであるが、わずか半年で、いつのまにか朝から晩までかかっても終わらないくらいの量の仕事に追われている。
なぜこういうことになったのか。
少なくとも私が仕事のコントロールができなくなっているということは間違いない。
夏休みにはいったはずだが、朝から晩まで机にしがみついてひたすらキーボードを打ち続けている。
肩がばりばりに凝って、眼はだんだん見えなくなってきた。
「もう書けない」というところで仕事を止める。
それでもその日一日かけて終わらせたよりも多い仕事がその日のうちに入ってくる。
何かが間違っているような気がする。
でも、何が間違っているのか、わからない。
どうにかしなければいけないと思うのだが、とりあえずキーボードに向かって超高速で原稿を書く以外に事態を好転させる方途を思いつかない。
むかし、うちで宴会をすることになっていた日に発熱したことがあった。
38度を超える熱が出て、朝から臥せっていたのだが、あまりに苦しくて、お呼びしたみなさん一人一人に電話をして「すみませんが、今日は具合が悪いので、宴会はなしです」と訳を話して謝るだけの気力が出ない。
そのまま弱々しく倒れているうちに夕方になったので、結局起き出して、熱をおして料理を作り、酒を用意した。
誰も熱で赤い顔をしている私が病気であることに気がつかなかった(酔っていると思ったのである)。
そして、みんなが楽しい一夕を過ごして満足げに帰ったあとにまた病床に戻った。
そういうものである。
気力体力が充実していないと人間「断る」ということができない。
仕事が立て込んですっかり病み衰えている人間には「断る」ということ自体ができなくなるのである。
これを読んでいるみなさんにお願い。
もうウチダに仕事を持ち込まないでください。
おねがひ。
終日原稿書き。
『街場のアメリカ論』をごりごり書き進んで行く。
テープ起こしの草稿なので、ところどころ「がばっ」と抜けている。
これはMDが録音不良で聴取不能何であったのか、私の思弁が暴走して理解不能であったのか、あるいはM島くんが「つまんないすよ、これ」とばっさり削除されたのか、そのへんの事情はつまびらかにしない。
しかし、いかにも怪しげなマクラだけふってあって、そのあとの本論が「ない」というのは読んでいていささか切ない。
しかたがないので、抜けている箇所を適当に補う。
自分が過去にした話を想像的に補填しているわけである。
「創作」というか「改竄」というか、オリジナルとはかなり違うものになっているはずである。
この話をしている1年前の私と、それを校正している今の私は「同一人物」とは言えないからである。
自分がマクラだけ振っておいて続きが記録されていないセンテンスを書き綴っている「私」の中には1年前の「私」といまの「私」が輻輳している。
自分の書いた原稿のデータを校正する作業はなかなか楽しいけれど、それは推敲して文章を彫琢することが楽しいというのとは少し違う。
そうではなくて、「自分がどうしてこんなことを書いたのかわからない」フレーズに「私のアイデンティティ」の「隙間」のようなもの、「異界」へ通じる隘路のようなものを感知するからである。
村上春樹は長編小説を書いたあと、とんとんと原稿用紙の端をそろえて、また頭から全部書き直すそうである。
それは自分の仕事を「完成させる」ということよりもむしろ、「私は何で『こんなこと』を書いてしまったのだろう?」と思わせるような「私の中から出てきた謎」の跡を追って「見知らぬところ」に出てゆくことの愉悦を求めてではないかと推察されるのである。
自分の書く文章を完全にコントロールして、コンテンツを熟知しているような書き手の書くものは、読む側からすると、たぶんそれほどスリリングではないような気がする。
寝る前に村上春樹の『象の消滅』を読んで、そんなことを思った。
ここに収録されている17編の短編はすべて読んだことのあるものだけれど、編者であるフィスケットジョンのセレクションのセンスがよい。
私自身の村上春樹ベスト短編は「四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」と「中国行きのスロウ・ボート」と「午後の最後の芝生」であるが、その三つともちゃんと収録されている。
「四月の・・・」はものすごく身にしみる短編である。
アメリカ人の読者にもよくわかるのであろう。
私自身も街を歩いていて、「あ、いま、あっちから来る女の子がぼくにとっての100%の女の子だ」と電撃的確信を得たことがこれまでの人生に二三度ある。
もちろん確信を得ただけで、そのまま右と左にすれ違ってしまうのだけれど、その女の子とはやはりどこかでその後も「つながっている」ような気がする。
例えば、私の娘とその女の子の子どもが、何十年かあとに、どこかで仲のいい友だちになるとか・・・そういう仕方で。
はじめて会ったのにつよい「既視感」を覚えるひとがときたまいる。それは私自身の記憶にではなく、「誰か」の記憶に由来する既視感であるような気がする。
『アメリカ論』を書いているうちにアレクシス・トックヴィルの『アメリカにおけるデモクラシー』が読みたくなり、読んでいるうちにベンジャミン・フランクリンの『自伝』が読みたくなる。
それを読んでいるうちにマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』が読みたくなる。
この「芋づる式読書」が前も書いたけれど夏休みにだけ可能な至福の経験である。
「もしかして、『これ』って、『あれ』かな・・・」という思いつきで取り出した本には、100%の確率で、「鍵」になるアイディアがひそんでいる。
今回、マックス・ウェーバーというのはまことに偉大な人だということをあらためて思い知る(今頃思い知るのもどうかと思うが)。
問題を扱うときの「手つき」がすごく丁寧なのである。
「スキーム」がもう用意してあって、それに合わせてデータを切り取るのではなくて、データの整合性が破綻するかすかな「縫合線」のようなところをたどって、それを説明できるような「スキーム」を浮かび上がらせる・・・という手順をとるのである。
「資本主義の精神」という歴史的概念について、ウェーバーはそれをあらかじめ一義的に確定してから論を進めることを自制する。
そうではなくて、「資本主義の精神」は、それが歴史的連関の中で「有意」に機能しているような局面をひとつひとつ取り出してゆくプロセスを経て、概念的に把握されるというのである。
不思議な論法だ。
「資本主義の精神」というキータームの定義を確定しないまま、「資本主義の精神」が関与している歴史的現象を研究しようというのである。
凡庸な社会学者なら、「一義的に定義されていない概念を用いて、当の概念の定義を満たすというようなバカな話があるか」と一笑に付すかもしれないけれど、さすがウェーバーは社会学の祖だけあって、器が違う。
ほんとうに「そういうもんだ」からだ。
「なんだかよくわかんないけど、だいたいこんな感じ?」というようなキータームがあって、それで「ざっと」現象をスキャンして、「ひっかかったデータ」を吟味してゆき、そのデータに基づいて「何を『ひっかける』ようにこの概念は構造化されていたのか?」という問いに遡及的に答えてゆく。
非論理的に聞こえるかもしれないけれど、私たちが日常的に行っている推論とはまぎれもなく「こういうもの」である。
私たちはコンピュータのやるような「検索」をしているわけではない。
コンピュータの検索は、あらかじめキーワードを正確に入力しておかないと何も探せない。
人間の頭は違う。
「なんだかよくわかんないけど、だいたいこんな感じのもの」というようなアバウトな初期条件の設定でも、ちゃんと「ヒットするもの」にはヒットするのである。
そして、ヒットしたデータにもとづいて、キータームの「だいたいこんな感じ」が精密化されてゆく。
ウェーバーはこう書いている。
「われわれが今とろうとしている観点が、ここで問題としている歴史的現象を分析するための唯一可能な観点であるというのでは決してない。観点を異にするならば、ここでも別のものが『本質的』特徴となってくることは、一切の歴史的現象の場合と同様である。(・・・)それゆえ、本書において分析し且つ歴史的に究明すべき対象をやはりあらかじめ確定しておくべきであるとするならば、その場合問題となりうることは、それについての概念的な定義ではなく、さしあたりここで資本主義の『精神』とよんでいるものに対するたかだか最少限度の準備的な例示に止まらねばならない。」
すてきな文章である。
この「知性の節度」こそ偉大な学者のすべてに通じるものである。
私が「節度」と呼んでいるのは、ここで「たかだが最少限度の準備的な例示」と呼ばれるデータ(ベンジャミン・フランクリンのテクスト)をマックス・・ウェーバー自身が「どういう基準で選んだのか」を言えないということである。
「どうして、ここに鍵があるとあたなは思えたの?」という問いにウェーバー自身は答えることができない。
「知性の節度」というのは、「どうして私はこんなに賢いのか、自分では説明できない」という不能感のことである。
「どうして私はこんなに賢いのか」について得々と理由を列挙できるような人間はたくさんいるが、それは彼らが「理由が説明できる程度の賢さ(つうか愚かさ)」の水準にいるからである。
ウェーバーとかマルクスとかフロイトとかレヴィ=ストロースのレベルの人々は、「自分はどうしてこんなに頭がいいのかわからない」という「不能の感覚」がリアルに実感されるほどに頭がいい(んだと思う、知らないけど、想像するに)。
「たかだか最少限度の準備的な例示」を選んだときに、ウェーバーには結論までの理路が見通した上でフランクリンを引いているくのだが、「どうして私は結論までの理路が見通せて、そのためにはここで他ならぬフランクリンを引かねばならないということがわかっているのか」については説明することができないのである。
「私にはそれが説明できるが、なぜ『私にはそれが説明できる』のかは説明できない」
世界史的レベルで頭がいい人が抑制の効いた文章を書くようになるのは、この不能感につきまとわれているからである(と思う。なったことがないからわかんないけど)
スペイン映画鑑賞週間が続いている。
一昨日が『KIKA』(Pedro Almodovar: Veronique Forque, Peter Coyote,1993)。
昨日が『Talk to her (Hable con ella)』(Pedro Almodovar, Javier Camera, Dario Grandinetti, Leonor Watling, 2002)
どちらもペドロ・アルモドバル監督作品。
変な映画である。
始まってすぐに「あ、変」と思う。
どこか変なのか、うまくいえないけれど、変なの。
その点では小津安二郎やデヴィッド・リンチやジョン・ウォーターズの映画に通じている。
始まった瞬間に何か「不思議なもの」に触れる。
何かが過剰なのだ。
その分、何かが削り落とされている。
その削り方も過剰である。
「説明」的な部分が大胆に削り込まれていて、そうしてつくった隙間に「意味のよくわからない細部」がぎっしり詰め込まれている。
どうしてそういうことになるのよくわからないが、「新春放談」で大瀧詠一&山下達郎が言っていたことをふと思い出した。
ヴォーカリストがミキサーを兼ねると、録音された音源ではヴォーカルの音が小さくなるという話。
なぜかというと、ヴォーカリストは自分で歌っているので、歌詞を全部覚えているから。
ミキシングのときに、ヴォーカルの音がほかの楽器の音に圧倒されて聞こえにくくても、自分の声だからはっきりきこえる。
だからあえてヴォーカルの音を大きくしない。
それに似た感じがする。
アルモドバルはこんなふうに撮っているのではないだろうか?
まず監督自身にも俳優たちにもストーリーがはっきりわかるように映画を撮る。
その中のちょっと面白いディテールをじっくり撮り込む。
編集の段階で、ストーリーや人物関係を説明するため「だけ」のシーンやせりふを消せるだけ消す・・・
すると、こんなふうな細部が異常に細かく描き込まれて、「何が起きているのか」については漠然としていて、よくわからない映画ができる。
でも、それが現実の見え方に一番近いんじゃないだろうか。
伝言板
「カナダの方」、例の「翻訳」の件で連絡したいことがあります。
メールアドレスをどこかにしまいこんでしまったので、お手数ですが連絡ください。
どこにもゆかなくてよい日、誰にも会わなくていい日がいちばんうれしい。
もちろん、そんな日が何日も続いたら、それはそれで退屈するかもしれないけれど、物書き仕事に深く入り込んでいるいるときには、電話はもちろん宅急便もクリーニング屋も新聞の集金も、集中を切る介入に対しては激しい怒りを自制することができない。
封書やメールなら仕事の切れ目に、コーヒー片手にチェックすることができるが、電話と訪問はこちらでコントロールできない。
とくに電話というものを好まない。
電話がかかってきたせいで、「たまっていた仕事が片づく」とか「懸案が解決する」ということはまずほとんどないからである。
むしろ、ほとんどの場合、「仕事が増え」、「考えなければならないことが増える」。
「あ、ウチダくん?あの君が困っていた仕事ね、あれオレがやっとくよ」
とか
「あ、ウチダくん?君の悩みね、あれオレが解決しといたから、もう心配要らないよ」
ベルが鳴ったときに、そのような内容の電話である蓋然性はたいへん低い。
それでも電話でなければすまない用事というものもある。
その場合には、私が仕事をしていない時におかけになるとよろしいかと思う。
私はだいたい朝10時に机に向かい、断続的に午後8時までそれが続く。
この間には電話をされないほうがよい。
特に昼過ぎに昼寝をしているときに電話で起こされると、殺意を含んだ声で応答される可能性が高い。
午後8時過ぎも夕食中、夕食準備中は手が離せないので、「手が離せません」と切られる可能性が高い。
午後9時以降であれば、比較的上機嫌な声が聞けるが、それでも映画を見ている途中などであると、あまり機嫌はよくない。
午後11時半以降は、映画も見終わって、一日ではいちばんリラックスしているが、そのせいで電話で話した内容や、電話口で確約した約束などをまるっと失念される可能性が高い。
12時以降午前9時までは眠っているので、電話には出ない。
というわけで、電話は私相手のコミュニケーション手段としてはあまり便利なものとは思われないのである。
ではメールはというと、ジャンクメールが一日100通ほどくるので、機械的にスパムを削除しているうちに、用事のあるメールも削除してしまう可能性が高い。
通信手段としてはリスキーである。
手紙はどうかというと、毎日大量のDMが届き、それを郵便受けから取り出して、そのままマンション玄関にあるゴミ箱に捨てるので、DMの多い日に手紙が配達されると読まれずに捨てられる可能性が高い。
じゃあじかに会うしかないじゃないかと思われるであろうが、冒頭に書いたとおり、「誰にも会わないでよい日」こそが至福の時間であるので、それをスポイルされた場合に、にこやかな対応が期待されるはずもないのである。
というわけで総じて夏休みのあいだは「ウチダのことはほおっておく」というのがいちばんよろしいかと思います。
わが母によると、私は三歳くらいまでまったく口をきかず、ひたいに深いしわをよせて、部屋の隅で「ごみ」をおもちゃにして黙って日がな一日遊んでいたそうである。
兄ちゃんはおもちゃをたくさん所有していたが、弟にわかちあたえてともに愉しむというところまで思いおよばず(しかたないよね、子どもだから)、母に「あなたのオモチャをタツルにも貸してあげたら」と懇請されてようやく「空気の抜けた象の人形」を投げ与えた。
私はひたいにしわを寄せたまま(それでもちょっと幸せそうに)その薄汚れたゴム人形をずっと抱きしめていたそうである。
この原点的愉悦が私の中にビルトインされている。
私はひとりで部屋の隅で空気の抜けたゴム人形(「ごみ」でも可)をじっと抱いているときに深く満ち足りている人間なのである。
夏休みに、ひとりで誰も訪れない部屋でこりこりパソコンのキーを叩いていると、足下からゆっくりと至福の満足感がこみ上げてくる。
外は台風。
今日はどこにもでかけない。
誰にも会わない。
部屋にはニール・ヤングのCowgirl in the sand が流れている。
業務連絡でーす
丸亀のロレンツォ・守さんのところで合気道の講習会をやります。
「会場は前回と同じ香川県多度津町総合スポーツセンター武道場。
時間は13:00〜16:00。
会費はちょっと高めで申し訳ないのですが、一般の方は7,000円です。」
ということでした。
お近くのかたで「コヒーレンス合気道」や「三軸自在合気道」に興味のある方は遊びに来て下さい。
稽古のあとは明水亭で懇親会。「世界一おいしいカレーうどん」もあるぞ。
詳細についてのお問い合わせは
e-mail: ika529@niji.or.jp
いかりや呉服店 守 伸二郎
あてに。
暑いときに冷房の効いた部屋でこりこり仕事をしているのは幸せなことである。
朝から『街場のアメリカ論』を書き続ける。
これはもう一年以上前に教室でしゃべったことのテープ起こしなのであるが、自分の口述を読んでいるうちに、「お、こういう話の展開なのか・・・、ふーん、あ、そういえば」と思いついた話を書き足す。
すると、その数頁あとに私がいま書き足したのと同じことばづかいで、同じ話が書いてある。
不思議である。
「あ、そういえば」というときには、そこで論じられているのとはぜんぜん「違う」話を思いついているのである。
流れがつながって同じ話が出てくるのなら、私にもわかる。
でも、流れのつながりがない話なのである。
おそらく何らかの「トリガー」があるのだろう。
それに触れると、「かちり」と思考の転轍点が切り替わる。
面白いものである。
催眠中に暗示をかけておくと、覚醒したあとに、「トリガー」になる語を術者が口にすると、被験者は催眠中に指示されたとおりの行動を取る。
それに似ている。
一年前の演習のとき、自分が何を考えていたのかは想像の埒外である。
でも、ある種の問いに遭遇すると(たいていは答えの出ない問いである)、私の頭は「かちん」と切り替わって、同じような「変な話」を始める。
たぶん、私の頭の中の「わからないこと」の倉庫では、「わからなさが似ているもの」が「同じ棚」に置いてあるのだろう。
だから、ある「わからなさ」にヒットすると、同じ棚にある「わからない問題」が次々と脳裏に浮かぶ・・・
というように構造化されているような気がする。
「わかった話」というのはきちんとパッケージされていて、いつでも利用可能な状態になっている。
だから、いつでも「あ、あの話」で呼び出せる。
でも、「わけのわからない話」は「未処理」なので、棚ざらしのままなのである。
たまたまその棚を覗き込む機会が訪れないと、ふだんはそんなものが在庫にあることさえ忘れている。
仕事をしているとイワモト秘書が登場して、無事にネット接続がなされ、本日よりvaioが私のメイン文房具となる(はずであったが翌日早速故障・・・)。
ネット接続を祝って、午後から居合の稽古。
これは先月から始まった身内の研究会のようなものである。
体術でも「刃筋」とか「手の内」とか「押し斬り、引き斬り」ということをときどき言う。
もともと操剣の技法と体術は同じ術理で体系化されているので、剣が扱えれば、体術もできる。
剣の稽古の特徴は相手がいなくてもできるということである。
だから、いつでも、どこでも、何時間でも、どんなやり方でもできる。
それが体術に比べたときの剣の大きなメリットである(逆に言えば、体術の稽古のいちばんの愉しみは「相手がいる」ということである)。
剣を扱う稽古の目的は、効果的な殺傷道具の使い方を覚えるということではない。
そうではなくて、うかつに扱うと自分の手足がすぱすぱ切れ、横から叩けば折れ、固いものにうちつければ刃こぼれし、触れてよい身体部位がごく狭く限定されている細く脆弱な道具をミリ単位で扱うような細密な身体運用を覚えるためである。
抜刀納刀の時、刃と指のあいだにはほとんど隙間がない。鞘引きをいい加減にやると手が切れる。
剣を振る空間にはどこにも「目印」がない。
だから、自分の身体を規矩準縄として剣を操作するしかない。
その精密な身体感覚を練るために剣の稽古を体術の「補習」として取り入れたのである。
半年ほど前からドクター佐藤やPちゃんをはじめ何人かが「剣の操作を習いたい」と言っていた。
基本的な剣の扱い方と型をいくつか教えておけば、あとは一人稽古できるから、まず一人でお稽古できるようになるための初心者コースを始めることにした。
その二回目。
第一回には納刀でみんな苦労していたが、一月のあいだにご自宅でずいぶん稽古されたようで、なかなか手つきがよくなっている。
基本動作をしばらく稽古してから、全剣連の居合道型を四種類お稽古する。
私自身が最初に習ったときにはよく意味がわからないまま稽古していた身体運用も、さすがにあれこれ長くやっていると「なるほど、これはこういうことだったのか・・・」と納得がゆくことが多い。
身体を割ること、肩を使わないこと、深層筋を使うこと、動きを止めないことなどなど。
若い頃は稽古で汗をかき、剣の風切り音ががびゅんびゅんするのがいいと思っていたから、できるだけ疲れるような身体運用をしていた。
どうもそういうものではないらしいということがだんだんわかってくる。
お稽古を終えてから我が家に集まって、「おいちゃん送別会」。
ヤベッチの帰国の後を承けて、こんどはおいちゃんがミネソタのハイスクールに日本語の先生としておでましになるのである。
OGたち22名が集まる。
前回の新歓の47人に比べるとずいぶん家が広く感じる。
みなさんの持ち寄りのご飯を食べ、「送別コント」「送別漫才」などを見て腹を抱えて笑う。
いちばん受けたのは中瀬さんが持ってきた白川主将主演のDVD『合のソナタ』の予告編。
初冬の神戸女学院キャンパスを舞台に白川さんがペ・ヨンジュンで、前川さんがチェ・ジウ。二木さんがセーラー服姿に変身するところで全員床を転げ回る。
おいちゃんとの別れを惜しみつつぱちぱちと写真を撮る。
ぜひおいちゃん滞米中にミネソタ訪問ツァーを挙行したいものである。
元気で帰ってくるんだよ。
本日から合気道のお稽古に神鋼コベルコ・スティーラーズの平尾剛史(「たかふみ」って読むんだよ)選手が参加される。
ちゃんと正式に多田塾甲南合気会に入門されるのである。
これで平尾さんも多田塾メンバー。
これまでいろいろなスポーツの経験者に合気道をご指導してきたけれど、ナショナルチームのメンバーに運動のやり方を教えるというのはさすがにはじめてのことである。
子ども時代には運動が苦手で学校体育が大嫌いだった私が知命をすぎてからこのような出会いを経験するとは、まことに人生というのは油断のならぬ展開をするものである。
才能とか適性ということを二十歳やそこらで軽々に断定する方がおられるが、それはあまりに気が早すぎるというものである。
池上先生だって治療者になられたのは不惑を過ぎてからである。その前は外国航路の航海士とビジネスマンをしていたのである。
友人のK之園くんはコンピュータ会社につとめていたが、37歳のときに思い立って医学部に入っていまではアトピー治療の専門家になっている。
彼によると、人間は生涯に少なくとも二度は職業を変える方がよいということである。
「だって、生物の本質は変化だろ」
なるほど。
たいへん説得力のある論拠であったので、私もこのあと六十で学者を辞めて、市井の「武道家」として生きる予定である。
果たして平尾さんはコヒーレンス合気道からラグビーの身体運用上のヒントを得て下さるであろうか。
神鋼のためにもジャパンのためにもお役に立ちたいものである。
稽古のあと家にもどって、一昨日の夜から始めた『街場のアメリカ論』の校正の続き。
全文書き直しなので、ほとんど書き下ろしと変わらない。
でも「元ネタ」があるので、仕事はかなり楽である。
とりあえず全体の15%ほど終わる。
このペースなら予定よりかなり早く上がりそうである。
夜は東京から来た最上さんを迎えて三宅先生ご一家と芦屋川のベリーニへ。
シャンペンで乾杯してから、カルパッチオとか松茸のパスタとか鯛とかステーキとかばりばり食べて、ワインをがんがん飲んで、最上さんの「極道秘話」に聞き惚れる。
前回の信州旅行のときにI川会跡目問題について専門的なご意見を拝聴できると楽しみにしていたのであるが、残念ながらお会いできなかった。
今回は私の方からお願いして、「秘話」の続きを聴かせていただくために芦屋までご足労願ったのである。
盃事についての専門的なレクチャーののち、戦後日本侠客史を彩るカラフルな人物逸事について、東京アンダーワールドの驚くべき秘話の数々をお聞きする。
現代の極道が本質的に情報ビジネスであり、組織原理がゲマインシャフトであるということがお話を聞くと実によくわかる。
河岸を三宮のCharlie’s に移して、チャーリーさんの歌うイーグルスを肴に、今度はさらにマサキくんがもたらす海上保安庁秘話に耳を傾ける。
日本の海防はそのようなことでよろしいのだろうか。
世の中には求めずして「秘話」が集まるタイプの人というのがいるらしい。
私にはひとつもお聞かせするような「秘話」のストックがなく、お聞きするばかりでまことに申し訳がない。
『オープン・ユア・アイズ』(Abre los ojos, by Alejandro Amenabar:
Eduardo Noriega, Penelope Cruz、1997)
『蝶の舌』から始まった「スペインもの」探求の旅(つうほどでもないけど)が続いている。
今回は若手のアレハンドロ・アメナバール(でいいのかな、読み方)くんの話題作(といってもだいぶ前だけど)をチェック。
うーむ、スペイン映画侮りがたり。
革命直後のロシアとか、敗戦後の日本とか、解放後の中国とか、政治的・文化的な抑圧がはじけ飛んだ後に出てくる「娯楽」映画には特有の「勢い」がある。
この時期のスペイン映画にもそれに近いものを感じる。
ペドロ・アルモドバルの『All about my mother』も、60年代のフランス・ヌーヴェル・ヴァーグの最良の作品に通じる娯楽性と冒険心があった。
よい映画に共通するのは自分の映画史的・映画地政学的「立ち位置」についてのはっきりした認識を持っていることである。
自分がどのような「特殊な」映画を選択的に「見せられて」育ってきたのか、どのようなローカルな「映画内的約束事」を「自然」とみなすように訓練されてきたのかについての自覚があるということである。
フィルムメーカーとしての自分の「可動域」について、自分が作れる映画の制限条件について自覚をもっているということである。
そういう自覚を持っているフィルムメーカーは決して「まったく新しいタイプの映画」を作るというようなむなしい野心を持たない。映画による「自己表現」とか、映画をつうじての「メッセージの発信」というような愚かしいことも試みない。
自覚的なフィルムメーカーは映画的「因習」をむしろ過剰に強調することで桎梏を逃れ出ようとする。
伝統的な演出術以上にくどい演出をし、出会い頭に絶世の美男美女が恋に落ち、正義は勝利し、邪悪なものは天罰を受け、錯綜したストーリーラインが最後にすべて説明される「ご都合主義」という形容では収まらないほど好き勝手な話をこしらえる。
しかし、映画的「常識」に過剰に寄り添うことによって、不思議なことだが、彼は「映画という制度」に対する観客の無防備な信頼をむしろ揺るがせることになる。
「映画って、『こういうもん』だったっけ?」
というすわりの悪い疑問が観客の中にすこしだけ芽生える。
でも、観客は無防備だから「『こういうもん』ですってば」とささやかれると、「そ、そうだね」と簡単に信じてしまう。
そのようにして「映画」なるものの棲息可能条件をゆっくりと拡大してゆくこと、それが野心的なフィルムメーカーに共通する手法である。
その意味でアメナバールくんは、たいへん野心的なフィルムメーカーと私は見た。
本作は「あまりにご都合主義的な映画」である。
不条理なまでにご都合主義的なせいで、映画が逆にある種のリアリティを獲得するということがある。
「ありえなさ」が現実の不条理と同程度に不条理だとそういうことが起こる。
ここには「不条理映画」の因習的ファクターがたっぷりと入っている。
アメナバールくんがどんな物語を滋養にして育ってきたのかがよくわかる。
彼のシネアスト・ファヴォリは間違いなく同郷の偉人ルイス・ブニュエルと「不条理映画の巨匠」デヴィッド・リンチである。
会うたびに同じ女が別人になってしまうというのはブニュエルの『欲望の曖昧な対象』。
目が覚めるたびに自分が別人になってしまうというのはリンチの『ロスト・ハイウェイ』と『マルホルド・ドライブ』(そして、主人公セサール君の「壊れた顔」は『エレファント・マン』の造形から)
冷凍睡眠と仮想現実はフィリップ・K・ディックのSFの定番。『マトリックス』もその意味では同系列の物語である。
このスペイン映画はそのあとハリウッドでトム・クルーズ主演でリメイクされた。
「本歌取り」をきちんとしている作品には必ずフォロワーがいる。
これはジャンルを問わずにそうなのである。
自分がどういう檻の中に幽閉されているのかを知っている人間に人はついて行く。
そういう人間だけに「出口」を発見するチャンスが訪れることを知っているからである。
とりあえず、みなさんは『ヴァニラ・スカイ』と二本立てでごらんになってください。
「リメイク」と「本歌取り」はまったく次元の違うものだということがわかります。
ようやく「私家版・ユダヤ文化論」を脱稿。
最終回は結局二回にわたって分載することになったのだが、その二回目も数えてみたら50枚も書いてしまった。
これではとても新書には収まりそうもない。
それに最後がコーンとフロイトとレヴィナスとブランショの話なんだから『文學界』の読者もさぞやお困りになるだろう。
それは私にもよくわかる。
困るだろうが、ユダヤ人の話になると、どうしても話を簡単にするわけにはゆかないのである。
ユダヤ人のことを30年間研究してきた私が言うのだから、この点についてはご理解いただきたい。
私の論考は次のような言葉で終わる。
ユダヤ教、ユダヤ人について語ることは、端的にその人が「他者」とどのようにかかわるのかを語ることである。だから、ユダヤ人について客観的に語る言説というものは原理的にありえない。それはこれまで繰り返し書いてきたとおりである。
私たちがユダヤ人について語る言葉から学ぶことのできるのは、語り手がどこで絶句し、どこで理路が破綻し、どこで彼がユダヤ人について語るのを断念するか、ほとんどそれだけなのである。
そう書いて私は「絶句」したのである。
世の中には、「私」の語法をもってしては記述できない種類の思考というものがある。
言葉がそこで立ちつくし、それ以上先にはゆけない境位というものが存在する。
けれども言葉が尽き、思考が「息切れ」するところまで、這うようにしても書かなければならない主題がときにはある。
「書けること」についてはある程度汎用的な語法が存在する。
けれども、「書けないこと」について書くためのレディメイドの語法や「最適の語法」は存在しない。
そのためには自分の肉を削り、骨をたわめ、体液を滴らせて、『悪魔のいけにえ』でレザーフェイスが死体のパーツを組み合わせて手作りした奇怪な家具のような「一点もの」の語法を創り出すしかない。
「なんだよこれ、べとべとして気味わりーな」と言われたって、それしか使えないんだから仕方がない。
というわけで来月号の『文學界』ではウチダの「べとべと言語」による奇々怪々なるユダヤ人論が展開することになる。
どれほど「わかりにくい」話か、一見の価値はあるぞ。
佐藤和歌子『間取りの手帖』(リトルモア、2003)を読む。
「変な間取り」の貸間の間取り図だけを満載した本である。
これを見ると、世の中には変な人がたくさんいるということがよくわかる(こういう部屋を設計する人がいて、その設計図に「オッケー」を出す大家さんがいて、そういう部屋を借りちゃう人がいるんだから)。
一番わからなかったのは洋室15畳の真ん中にトイレとバスがある家。
孤島的なトイレとバスを「取り囲むように」して部屋があるのである。
何を考えてこんな家を設計したのかまったく理解できない。
私がこれまで見た一番変な間取りの家は浅草で見た「居間の真ん中にトイレが出ている家」である。
8畳ほどの居間の真ん中にトイレが「でっぱって」出ているのである。
私がその家に行ったときには居間でみんなが宴会をしていた。
誰かがトイレに行くたびに、豪快な排便の音が居間中に響き渡るのである(だってトイレの壁ってベニヤ一枚なんだもん)。
家の四隅にトイレのためのスペースはいくらもあるのに、どうしてど真ん中に・・・
私はその宴会のときに決してトイレにはゆくまいと念じていたのであるが、冷たいビールをがぶがぶのんでいるうちに腹が痛くなってきた。
冷や汗を流して我慢していたのであるが、限界がきた。
宴たけなわとなり、あちこちで献酬また爆笑というあたりをみはからって、そっとトイレに入った。
だが、あまりに長く排便をこらえていたため、腹圧は限界まで高まり、その排出音は水を流したくらいでどうにかごまかせるような音ではなかった。
私がトイレの扉をあけて居間に出てきたとき、人々は「しーん」として下を向いていた。
以来、私は「変な間取り」の家を警戒すること久しいのである。
『日曜日には鼠を殺せ』というタイトルの出典をご教示願いたいと書いたら、さっそくお知らせ下さった方がいる。
Richard Braithwaite (1588 - 1673)という人が“Barnabee Journal”というところで引用していたもので、そのさらにオリジナルもどこかにあるのだろうが、それは不明。
こんな戯詩である。
To Banbury came I, O profane one!
Where I saw a Puritane-one
Hanging of his cat on Monday
For killing of a mouse on Sunday.
「不信心なおいらがバンベリーに行った。
そこではおいらは清教徒のやつが
月曜日に猫を吊しているのを見た。
日曜日に鼠を殺したからなんだって」
(たぶん、そんな意味だと思います)
バンベリーがどういうところかは寡聞にして知らないけれど(バンベリー・バンという挽肉入りケーキが名物らしい)、安息日の日曜には猫が鼠を捕っても涜神行為とみなされるほどにストリクトな清教徒の街だったようである。
そこから転じて、「日曜日に鼠を殺した猫は月曜に清教徒に吊される」というのは「諸行無常、盛者必衰」を意味する英語の格言だったのである(嘘です)。
というわけで、映画『蒼ざめた馬を見よ』(Behold the Pale Horse)の原作小説のタイトルKilling a mouse on Sundayは『日曜日には鼠を殺せ』じゃなくて、『日曜日に鼠を殺すと』だったらよかったんですね。
越膳さん、ご教示ありがとうございました。
業務連絡です。
「さんじくひろば」というサイトができました。
アシュラム・ノヴァの「赤羽さんのペット」(@池上六朗)であるところの「そばアレルギー」の藤巻くんが作成するところの三軸修正法のためのサイトです。
『身体の言い分』についてのパブリシティもしてくれているので、みんな読んで下さいね。
http://blog.livedoor.jp/sanjiku_nova/
そういえば、松本でその「そばがらまくらで発作を起こす」藤巻くんをともなって、池上先生ためらうことなくまっすぐ「蕎麦や」に向かっていたな。
「邪聖」の称号はやはり池上先生のものだ。
『蝶の舌』を見て、内戦時代のスペインのざらっとした空気の感触を思い出した(って、そんな時代のスペインに私がいたわけじゃないんだけれど、『誰がために鐘は鳴る』とか『カタロニア賛歌』とかロルカとか、60年代の終わりころの極左少年は「30年代スペイン」に根拠のない共感を抱いたのである)。
政治的信条をかけて(「共和制か王政か、自由か圧政か」)市民たちが銃を執って立ち上がる・・・という「ラテン的なわかりやすさ」が少年たちの琴線に触れたのかもしれない。
DVD返しついでに「スペインもの」を探す。
そしたら『日曜日には鼠を殺せ』があった。
64年の映画がいまごろDVD化されている。
中学生のころ映画館で予告編を見て「暗そう・・・」と思った記憶だけ残っている。
内戦で敗れた共和派の闘士たちはフランスに亡命し、国境近くの街に蟠踞して、ときどきピレネーを越えてスペインの警察や銀行を襲っていた。
戦士たちはしだいに疲弊し、高齢化するけれど、スペインの政治状況は少しも変わらない。
そんな希望のないゲリラ戦の疲れ切ったリーダー、マヌエルがグレゴリー・ペック。
彼を20年間追い続けている警察署長ヴィニョラスがアンソニー・クィン。
闘争心を失いかけたマヌエルは故郷の街に残してきた母の訃報に接して、埋めてあった銃を掘り起こし、ヴィニョラスと雌雄を決するためにたったひとり雪のピレネーを越える・・・
という話だけ聞くと「けっこう面白そう」なのであるが、実はこの映画はまるでアクション映画ではない。
なかなか腰を上げないマヌエルの逡巡と政治的信条の揺らぎの方が主題なのである。
マヌエルは若い神父(オマー・シャリフ)から「国に戻るな。これは罠だ」という瀕死の母からの伝言を受け取る。
カトリック教会を敵として戦ってきたマヌエルは神父の言葉を信じることができない。
しかし、この若い神父もまた貧窮の育ちで、内戦の犠牲者であることを知るにおよんで、マヌエルの年来の革命的労働者としてのアイデンティティが揺らぎ始める。
私こそが理想的な被抑圧者であり、駆り立てられ、投獄され、拷問され、殺されてきたすべての同志たちの負託を受けた私こそが「正系の復讐者」であり、私のふるう暴力はそれゆえすべて「政治的に正しい」と言い続けてきた老ゲリラが直面する政治的確信の揺れ。
それがこの映画の主題である。
最後の「ピレネー越え」以降の展開は『昭和残侠傳』と説話的には同一であるから、60年代の日本の左翼少年たちの圧倒的支持を得てよかったはずのこの映画が当時彼らにほとんど評価されなかったのは、「革命的暴力は正しいのか?」という答えのない内省に主人公が踏み込み、自殺的なテロによってそれまで自分がふるってきたすべての暴力を「清算」して終わるという物語構成が少年たちには「痛すぎた」のだろう。
よい映画である。
当時はハリウッドでもこのようなレベルの映画を作ることができたのである。
いまハリウッドがリメイクしたら、「ピレネー越え」からあとの銃撃シーンだけで全体の25%くらい使う大冒険活劇にしてしまうであろう。
キャスティングは・・・マヌエルがブルース・ウィリス、ヴィニョラスがミッキー・ローク、神父はアントニオ・バンデラス(ハリウッド版では神父が最後に銃を執って警察官を皆殺しにしてしまうのである。おお、それはそれで、けっこう面白そうかも)
ところでこの題名の『日曜日には鼠を殺せ』というのはいったいどういう由来なのであろう。
原題はBehold the Pale Horse 「蒼ざめた馬を見よ」
『ヨハネ黙示録』6章8節の有名な聖句である。
「蒼ざめた馬を見よ。これに乗るものの名は死。黄泉これに従う。」
たぶん60年代には『蒼ざめた馬』といえばサヴィンコフ(五木寛之じゃないよ)ということになっていたので、このタイトルが避けられたというのはわからないでもないのだが、「日曜日には鼠を殺せ」がどういう典拠なのかわからない。
誰か知っていたら教えてください。
(ps:えーと、オリジナル・ヴァージョンでは大きなミスがありましたので、勝手に修正させていただきました。へへへ)
もう一回業務連絡です!
新宿朝日カルチャーセンター
「仏教ってこんなにおもしろい」 釈徹宗 7/30土 15:30〜19:30
会員 5,460円一般 6,510円 学生会員 2,000円
とご案内しておりますけれど、その後「本願寺のフジモトさんに聞いてきました」と窓口で申告すると「大幅な割引料金」が期待されるということになりました(たしかにちょっと高いですよね、6510円というのは)。
というわけで、おでかけのみなさまは「マジックワード」を忘れずに!
以上、業務連絡でした。
淡路島の洲本高校の豊田先生からタマネギをいただく。
日本でいちばん美味しいタマネギらしい。
さっそく今夜はカレー。
生でよし、煮てよし、炒めてよし、揚げてよし・・・ということであるが、私が一番好きな食べ方は「タマネギフライ」である。
美味しいんだよね。
豊田先生、ごちそうさまでした。
もちろん私一人で食べきれる量ではないので三宅先生のところにお裾分けを持って行く。
三宅先生にはもらってばかりなので、たまには贈与をせねば均衡が保てないのであるが、お返しに「特殊酵素」というものを今度下さるそうである。
これも塗ってよし、飲んでよし、目薬にしてよし・・・というたいそう汎用性の高いものなのである。
たのしみだ。
家に帰って『文學界』の原稿をがりがり書いていると電話。
J文書院の編集者のM岡くんという方から。
今日の午後待ち合わせをしていたのである(めずらしくちゃんと覚えていた)。
もちろん私に新規の書き下ろしなどをする余裕はないので、お受けするのは「ありものコンピ」だけである。
J文書院のコンピは「精神分析もの」である。
私の過去6年間のHP日記から分析的なトピックのものだけを選んで一冊を編もうというのである。
これはなかなかユニークな着眼点である。
考え見ると、これまで私は実に多くの「ありものコンピ」本を出しているのである。
『ためらいの倫理学』、『「おじさん」的思考』、『期間限定の思想』、『私の身体は頭がいい』、『女は何を欲望するか』(このメイン原稿は未発表だが、もともと紀要に書くつもりが書きすぎて掲載を断られてしまったのである)、『街場の現代思想』で6冊。
それに現在進行中が文春の『ヤマちゃん撰の《大文字》本』、角川の『雑誌掲載原稿のアンソロジー』。
それに今度のJ文の『分析本』で9冊。
『分析本』には紀要に書いたカミュ論二本も収録する予定。
黄変した紀要の抜き刷りの埃を払ってM岡くんにお渡しする。
こんなものが本になるとはね。
いま書いている『私家版・ユダヤ文化論』には20年前くらいの院生助手時代に書いた反ユダヤ主義研究論文の中身をまとめてつぎ込んだ。
これまで書いた研究論文ほとんどすべてを単行本に拾って頂いたことになる。
「在庫一掃」である。
これらのテクストのほとんどは今でもネット上で読むことができるし、紀要論文は図書館の相互利用を使えば郵送料だけで読むことができる。
いわば「パブリック・ドメイン」に放置してあるものである。
それを単行本にして印税を下さるという。
ほとんど「無からの創造」というか「ゴミで走る」エメット・ブラウン博士のタイムマシンに近いものがある。
不思議なことに、この低コスト高収益ライティングスタイルを実践されている方は同業者の中でもきわめて少数にとどまっている(小田嶋先生の近著『In his own site』はその例外的なものである)。
「データはパブリック・ドメインに放置しておく方が誰にとっても役に立つ」という真理がこのような個別的実践を通じてひろく共有されることを祈念したい。
私にこの「パブリック・ドメイン大切」の教えを伝えて下さったのは敬愛する大瀧詠一師匠である。
師匠の場合はさらに徹底していて、録音した音源をラジオではじゃんじゃん流すけれど、CDには収録しないのである。
聴きたい人間は放送を聞き逃すな、というのである。
自分でお金払ってスタジオ借りて、ミュージシャン集めて、好きな音楽を録音して、それを商品化する気がない。
リアルタイムで聴き逃しても金さえ払えばいつでも同一音源のものが聴けるという視聴者の怠慢を師匠は許されないのである。
この徹底性において、師匠に追尾しえる表現者がいくたりおられるであろう。
私はかつて『ユリイカ』において師匠の『日本ポップス伝』の業績を論じて、「ミシェル・フーコーの系譜学的思考の本邦における唯一の正系の継承者」と評したのであるが、考えてみると「ロラン・バルトのテクスト理論の正系の継承者」でもあったわけである。
さらに考えてみると、「ナイアガラー」という「“虚の中心”としての師匠を敬慕する以外のいかなる功利的ふるまいも許されない弟子たち」を育て上げた点において、「ジャック・ラカンの分析理論の・・・」ということにもなるわけで。
要するに大瀧師匠は「知られざる構造主義者だった」ということに帰着するのである。
思えば「リーヴァイスを穿いてレヴィ=ストロースを読もう」とつぶやきながら故・久保山裕司君が聴かせてくれたCSN&Yの『デジャヴ』に感激してニール・ヤングの『After the goldrush』へ、さらにBuffalo Springfield へと遡航して、はっぴいえんどに出会った私の音楽遍歴の全体が構造主義者たちと大瀧詠一との糾える縄のような宿縁を下書きしていたのであった。
長く生きていないと判らないことというのはまことにたくさんあるものだ。
夏休み三日目。
ほんとは試験期間なので、まだ夏休みじゃないんだけれど、気分はもう夏休みである。
どこにも行かなくてよい、誰にも会わなくていい、ということになると何が起こるかというと「時計を見なくなる」のである。
原稿を書いているとき、本を読んでいるとき、ふだんは絶えず時計を見ている。
「おっと、もう30分しかねえや」とか「いけね、1時間もこんな本読み耽っちゃったよ」と「おっと」「いけねえ」の類の間投詞ばかり口にしている。
それが夏休みだと時計を見ないでよいのである。
昨日は届いた『身体の言い分』(池上六朗先生との対談本、毎日新聞社、1500円、7月23日に店頭に配架予定)を読み出したら、あまりに面白くてそのまま最後まで一気読み。
装幀はいつもの山本画伯。
じつに美しい色の本である。ぜひ手にとってください。
笑っちゃうのは冒頭いきなり、池上先生が「話が噛み合わない人っていますよね」というネタをふるんだけれど、それを承けた私が「そうなんですよ、先生!自分のことばかり話して人の話聞かないやつって最悪っすよね」と言いながら、ぜんぜん違う話題にひっぱっていって、自分のことばかり話すところ。
これ中野さんぜったい「意地悪」で編集してるな。
全部で4,5回対談していたものを中野さんはそれを順序入れ替えているのだが、「最初はえらそうに演説しているウチダが、だんだん池上ペースに巻き込まれて、最後は(笑)と(爆笑)で受けるだけになる」という構成にしつらえている。
この「最初はがんばって話についてゆくんだけれど、いつのまにか池上ペース」というのは考えてみると、毎回どのセッションでも同じだったような気がする。
とにかく池上先生の話が面白いから、みなさん買ってくださいね。
それから『文學界』の「私家版・ユダヤ文化論」の続きを書く。
最終回なんだけれど、なかなか終わらない。またやたら長いものになりそうである。
サルトルのユダヤ人論の破綻のあとをたどってから、ノーマン・コーンのWarrant for genocide, 1966 から削除された最終章「《プロトコル》と集団精神病理学」の内容を要約する。
これは「ユダヤ人はなぜ憎まれるか」についての驚嘆すべき仮説なのであるが、おそらくはユダヤ人社会からの猛然たる抗議のせいで、私が読んだ81年の第三版では削除されている(私は67年の初版の仏語訳で読んだ)。
ぱらぱら読んではフロイトに寄り道し、ドレフュス事件のことを調べ、ヘルツルの『ユダヤ人国家』を取り出し、ベルナール=ラザールのユダヤ・ナショナリズム論を読み返し・・・という作業を時間を忘れてやっている。
この「時間を忘れて」というところが研究の愉悦である。
「あれ、もしかして、『これ』って『あれ』のこと?」
というブリコラージュ的連想が次々と働くときは家の中をうろうろして、あちこちの本棚から本を取り出して、そのまま床に座り込んで読み始め、またそこから違う本棚へ・・・ということが繰り返され、そのうちふと顔を上げると窓の外はとっぷり日が暮れているのである。
これができるのは夏休みだけである。
博士課程のときと助手の頃は、ほとんど毎日こうだったけど。
今は一年にほんとに2,3ヶ月しかこういう時間がない。
夜はひさしぶりにトンカツを揚げる。
こんな手の込んだ料理をつくるのも久しぶりである。
「時計をみながら」の暮らしではトンカツも作る気にならないのである。
ご飯を食べてから、ワインをのみながら『蝶の舌』を見る。
1936年のスペインを舞台にした映画である。
共和制が瓦解し、フランコ将軍たちによる軍事クーデタで内戦が始まる直前の不安な時代の地方都市の一年を子どもの眼から描いた映画である。
敬愛する先生が共和派の活動家として王党派のクーデタ勢力に逮捕されてトラックで連れ去られるのを見送る主人公のモンチョ少年が、自己保身のために「アテオ(無神論者)!赤!人殺し!盗人!」と叫ぶのに唱和する場面のストップモーションが痛切で美しい。
ヨーロッパ映画って、こういうところがほんとうに残酷なまでにリアルである。
ヨーロッパ映画は「子どもの純真」や「小市民の善意」を決して簡単には許さない。
子どもは無垢なほど邪悪であり、小市民は平気で人を殺す。
日常生活の中のファシズムという同じテーマを扱った映画はフランスにもイタリアにもある。
けれども、『リュシアンの青春』も『アマルコルド』も『蝶の舌』よりは明るい。
それはフランスでもイタリアでも、その映画の舞台になった時代の数年後には戦争が終わり、自由が戻ってくるからだ。
スペインはこのあと1975年にフランコが死ぬまで強権的な独裁体制が40年間続く。
だから先生は死ぬまで名誉回復することがないし、モンチョ少年にも自分の少年の日の忘恩のふるまいを謝罪するチャンスは決して訪れなかったはずなのである。
その時間の長さが重い。
歯を磨きながら篠田鉱造の『明治百話』を読んでいたら、面白い話が出ていた。
首斬朝右衛門こと八代山田朝右衛門吉亮は明治14年刑法で斬首刑が廃止されるまで生涯に300余人の処刑を行った。
斬首は三人の人足が死刑囚の手足を押さえているところを斬るのである。
死刑囚が興奮したり、恐怖心をもって動き回ると人足の方を斬ってしまう。
だから、斬る方は遠くの方で知らん顔をしていて、用意が調うとすたすたとそばにいって、一声かけて、いきなりすぱりと斬ってしまうのだそうである。
そのときに涅槃教を心の内で読む。
朝右衛門いわく。
「第一柄に手をかけ、右手の人差し指を下ろす時『諸行無常』、中指を下ろす時『是生滅法』、無名指を下ろす時『生滅滅已』、小指を下ろすが早いか『寂滅為楽』という途端に首が落ちるんです。」
素人の方はすらすら読んでしまうだろうけれど、すごいことである。
抜刀から斬首まで一呼吸の行程を四つに切り、さらにその四分の一行程を四字に下位分節しているのである。
ふつうの遣い手なら刀を上段にかざして振り始めたら、あとは「一直線」のフリーフォールである。
朝右衛門は刀が動き出す「諸」から首が落ちる手前まで16文字目の「楽」まで行程を刻んでいる。
私はこれを読んで佐々木正人の『ダーウィン的思考』(岩波書店、2005)の中にあった「マイクロスプリット」という概念を思い出した。
すぐれたアスリートの条件は運動の軌道決定をどこまで遅延させることができるかだと佐々木さんは書いている。
「『運動』が洗練されればされるほど、それが球や地面などの環境に接触する、その先端部分は分岐の可能性を潜在させるようになる。環境とどのように触れるのかという決定を、どこまで遅らせることができるのか、ということをあらゆるスポーツで身体は追求している。」(11頁)
朝右衛門にとって「環境」は「首」である。
おそらく朝右衛門の剣の刃は首に触れる最後の数十分の一秒まで、最適の切り口を探して「揺れて」いるのである。
マイクロスプリットの例で面白いのは、相撲の「股割り」である。
これは相撲の世界における理不尽な稽古法の代表とされているが、これは単なる柔軟性の獲得をめざすものではないらしい。
大相撲の世界では、投げを打ち合って同体で落ちたときには「身体の柔らかい者の方が『遅く落ちる』という逸話が信じられている。力士は、顔の土俵への衝突を手で防御しない。したがって組み合って落下するとき、どちらの力士の顔が先に地面に付くのかが勝敗を分ける。だから『遅く落ちる』柔らかい身体を持つ方が勝つというわけである。」(12頁)
つまり柔らかい身体をもつ力士は落下しながらも着地の直前まで細かく身体を震わせつつ「最適ライン」を探している。
そのわずかな空気抵抗が着地時間に有意な差をもたらすのである。
そうしたらふと気がついたことがある。
花田家は「お兄ちゃん」の方がワイドショーを見ている限り、弟よりも「遅く落ちる」身体能力が高そうですね。
まだ痛む足をひきずって二週間ぶりの合気道へ。
「風が吹いても痛い」「猫が歩いても痛い」といわれる最悪の状態にまでは今回の発作は至っておらず、とりあえずは足の親指をひどく突き指した程度の痛みまでで収まった。
エアサロンパスで冷やしながら2時間半のお稽古をなんとかもたせる。
前夜、安田登さんの『ブロードマッスル活用術』(『秘伝』を見てゲット)というDVDを見て、いろいろと自得するところがあった。
これまで「体幹部の筋肉」とか「内臓を支持する筋肉」というようなアバウトな名称で指示していた筋肉の位置や機能について知識を得たので、さっそくすぐに応用して、「大腰筋を手でコントロールする転換」というものを試みてみる。
おお、これはうまくゆくではないか。
大腰筋というのは、腰椎から骨盤の内側を抜けて大腿骨までを結んでいる大きな筋肉の束である。
こういう腹腔の内側に沈んでいる深層筋はなかなか「これ」として感知することがむずかしい。
しかし、実際に足捌きで方向転換に使っているのはこの深い筋肉の方なのである。
この深層筋のコントロールができると、甲野先生がよくバスケットやサッカーの「抜き」のときにやっているような、ある方向に身体が倒れ込みながら、違う方向に足が出て、瞬間的に方向転換するという芸当もできるようになるはずである(と甲野先生はご自身で説明されておられた)。
これができると、体術の術技が飛躍的に向上することが期待されるのである。
というわけで、しばらくは「コヒーレンス合気道」に加えて、「ブロードマッスル合気道」を研究するのである。
お稽古のあと、パソコンの管理について秘書に叱られたことは昨日報じた通りである。
そのあと、ひさしぶりに三宮にでかける。
神鋼コベルコ・スティーラーズのみなさんと内田ゼミ4回生の諸君との「合コン」なのである。
スティーラーズ側メンバーは平尾剛史さんにリクルートしていただく。
もとはといえば、うちのエナミくんが卒論にラグビーを取り上げるというので、「お、ラグビーか、いいなあ。先生は神鋼の平尾選手とは友だちなんだ。よかったら紹介してあげよう、ははは」とつい口走ってしまったことに始まった話である。
有名人と一回名刺交換したくらいで「あ・・・君ね、彼とはねよく飲むんだ、ははは」というようなふかしをこくのは弱い人間には誰にもありがちなことである。
ウチダもその点では凡夫の一人である。
青山さんのご紹介で一度ご飯を食べただけの平尾選手を「旧知の人」のごとく学生にむかって語って見せたのが運の尽き。
聞きつけたゼミの他の学生たちが「わたしもわたしもわたしも」と雪崩打つように攻め寄せてきた。
今さら「や、ごめん。そんな失礼なことを頼めるほどよく知っている人じゃないの・・・」と告白するわけにもゆかず、引っ込みがつかなくなったまま平尾さんに「どうか私の顔を立ててください、わーん」泣きついた。
かくして、瓢箪から駒、もののはずみで、スティーラーズと内田ゼミの合コンというイベントがここに実施されることになったのである。
まことに人間どこでどのような「もののはずみ」に巻き込まれるか予断を許さない。
双方6−7名の参加ということで、スティーラーズからは真っ黒に日焼けした元気いっぱいの若手ラガーメンが、本学からは「賢く見えるようにできるだけ黙っていること」「肌を露出する服は御法度」とさんざんウチダに脅されたゼミ生たちがメイクに気合いを入れて登場。
若者たちを紹介したあと、私と平尾さんは「添乗員」の仕事はこれでおしまい、ではあとは若い人同士でほほほ・・・ということでカウンターに移ってビールやワインなどをいただきながら、「こっちの話」に耽る。
カウンターにはなぜか「あら、先生奇遇ですね!」と私たちの登場を予見していたかのようにウッキーと谷尾さんが座っていて、なぜか色紙とサインペンまで用意して「平尾さん、サインしてください」とにじりよってくる。
そこにさらに汐ちゃんとPちゃんまで現れて、Re−setはいきなり「身内貸し切り状態」となったのである。
平尾さんを囲んで一同歓談すること4時間半。
平尾さんはいま眼の奥の骨を痛めて、ラグビーの方はコンタクトプレーの練習を控えておられるのであるが、このせっかくの休養期間に武道の身体運用をご研究されるべく合気道のお稽古に参加されることとなった。
喜べ諸君、多田塾甲南合気会はジャパンの輝ける俊足ウイング平尾剛史選手を道友としてお迎えすることになったのである。
国際的なレベルのアスリートと直接触れ合って体術を練るというのは同門の諸君にとってはどれほど得難い経験になることであろうか。
これももとをただせば青山さんのご厚情、さらにもとをただせば江さんのご登場、そのもとをただせば内浦くんの男気、そのもとは増田くんのひとこと・・・と運命は糾える縄の如くわれわれを宿命的なまじわりのうちへ導いて行くのである。
明けて夏休み第一日。
まず3時間かけて家の中をお掃除。
治ったはずのパソコンがまた壊れた。
症状は同じで、秘書が「貞子」と名付けた奇怪な濃緑色の霧がディスプレイを覆い尽くし、午前中に書いた原稿がしばらくデスクを離れて戻ってきている間に消えていた。
困ったものである。
早速秘書の携帯メールに「救難信号」を送る。
押っ取り刀で駆けつけた秘書はパソコンを一瞥するや「どうもこれはお疲れさまということのようですね」と診断を下す。
と聞いて、私は「じゃ、新品買いに行きましょう」と早速腰を浮かす。
私はなぜか問題を「金で解決」ということになると、とたんに元気になるのである。
池上先生は「悩み」と「問題」の違いについて、自分の努力ではどうにもならないものを「悩み」、自分でどうにかできるものを「問題」と定義されている。
かつて池上先生は知人に数千万円を貸したが返してもらえないときに事業の資金繰りに苦しむことになった。
これは「悩み」である。
「お金返して」と言っても、向こうに返す気がないならどうにもならないからである。
そこで池上先生はどうしたかというと、事業を止めてしまったのである。
そうすれば次は「明日からどうやって食べて行くか?」という「問題」が主題となり、「悩み」は雲散霧消する。
すごいね。
私もこの先賢の驥尾に付して、「貞子に取り憑かれたパソコン」という「悩み」を、「パソコン選び」という「問題」にすり替えることにしたのである。
考えてみれば、このIBMThink Centre も買って3年。
3年間のうち50%くらいの時間は通電して作動中というめちゃくちゃなヘビーユースだったのであるから、3年で壊れるのも当たり前かもしれない。
法人のPCだとだいたい2年で買い換えなのだが、私の使用はオフィス・ユースよりはるかにヘビーなのであるから、3年持っただけでも多をしなければならない。
車の中で、「じゃ、今度何買おうか?」と訊ねると、秘書の答えは「そうですね。NEC、富士通、日立というあたりでしょうか」
「ソニーはダメなの?」
「vaioはダメです。あれは時限爆弾がはいっていて、ある日頓死しますから」
「ふーん、そうなんだ。vaioはダメと・・・」
そして二人でサンシャインワーフのヤマダ電機にゆき、PCコーナーでブツをチェックする。
「あ、イワモトくん、これ、かっこいい。これにする」
「先生、それは買ってはいけないと言ったばかりのvaio・・・」
「やだやだこれがいいこれ買うんだもん」
「まあ・・・先生ご自身が時限爆弾のようなユーザーですから。先生が壊すのが早いか、vaioが壊れるのが早いか、いい勝負かもしれませんね、ははは」
「そうだね、はははは」
という不得要領な会話の末に、vaioのデスクトップパソコンを定価の3万円引き148、000円にてゲット。
前のIBMはたしか19万円くらいだったと思うけれど、ずいぶんパソコンも安くなったものである(今度のはHD36GBで、テレビ付き録画機能付きである)。
その19万円のIBMマシンでたぶん私はその数十倍の原稿料相当のテクストを生産したはずであるから、ずいぶん費用対効果にすぐれた文房具だったことになる。
このvaioはコーヒーをこぼして虫を湧かせたりしないように注意して扱うことにする。
たいへんあちこちにご心配をおかけしたが、イワモト秘書が登場して、biosというところに不具合があったということのようで、それを再インストールすることで、頓死したパソコンは不死身のように甦った。
このテクストがその蘇生の記念すべき最初のものである。
秘書に「ねえ、どこが壊れたの?」
と質問したのであるが、
「OSの土台のところが壊れてたんです。はい、説明おわり」というまるで幼稚園の先生が園児の執拗な質問を切り上げるようなクールな応答に終始する。
てきぱきと仕事を終えて、かばんに道具をしまいながら秘書はふと顔をあげて、
「先生、故障のトリガーとなったのは、先生のパソコンに対する愛情のなさです」ときっぱりと告げたのである。
「先生、パソコンデスクの上に、虫湧いてましたよ」
「え?」
「コーヒーのみこぼしたあと拭いてなかったでしょう。そこに小さな虫がうじゃうじゃいました」
「へえ、コーヒーから虫が湧くか」
「先生!そういう問題じゃないてく、コーヒーこぼしたら拭きましょうよ!ディスプレイも、キーボードもそこらじゅう埃となんだか汚いものでべとべとじゃないですか!」
「す、すみません」
「パソコンだって人間と同じで、使用者の愛情がないとぐれるちゃうんですから」
すまない。
秘書にもIBMのパソコンさんにも申し訳ないことをした。
これからはどら焼きを食べた指をこすりつけたり、ラーメンの汁を飛ばしながらキーボードを打つようなことはしません。
ごめんなさい。
許して。
どういうわけだが、原稿依頼に加えて、講演の依頼がどんどん来る。
最初はずいぶん先の話だからというので、なんとなく「いいですよ」と引き受けていたのであるが、どんどん増えてきて、ダイヤリーを開くと夏休み中のどの頁を開いても「締め切り」と「講演」という文字ばかり並んでいる。
なんだよ、これじゃぜんぜん「夏休み」じゃないじゃないか!
そんなに働いてどうするのかね?
もっと体をいたわりたまえよ。若くはないんだしさ。
墓に金は持っていけんぞ。
おっしゃるとおりである。
私だってみなさま以上にウチダの生き方には懐疑的なのである。
そんなに働いていどうするのだとみなさまともども問いかけたい気分でいっぱいである。
この四月からあと私がどれくらい稼いだのか計算したことがないからわからないが、ときどき思いついてネットバンキングで「残高照会」をすると、そのたびに数字がじわじわ増えている。
そりゃまあ、そうもなりますわね。
ただ仕事するだけで、学校に行く以外には家から一歩も出ないんだから。
食べてるのは、ヨーグルトとトマトとどら焼きとサッポロ一番みそラーメンくらいで、ユニクロにパンツ買いに行く暇もないんだから。
なんとか生きて夏休みを迎えることだけが悲願のそんなウチダのもとに、情容赦なく原稿依頼と講演依頼がやってくる。
断れるものならお断りしたい。
しかし、「愛読者なんです」という編集者や主催者のおことばを聞き、「ブログ読んでますんで、死ぬほどお忙しいのはわかってるんですけど…」とまで言われると、「そう、忙しいんですよ、はい。ではさいなら」というような木で鼻をくくったような対応はどうしてもできないのである(ウチダは多くの証言が語るように「意外といい人」なのである)。
それにこういうのには「判断停止の閾値」とでもいうべきものがある。
「一週間に2回講演やるなら、3回やっても同じようなものか」とか「どうせ週末までに40枚書かなきゃいけないなら、あと5枚くらい増えても同じか」といった「どうせ….なら、同じか」論法は、仕事の絶対量がある一線を超えてしまうと、不思議な説得力を持つようになる。
9月9日にはK川大学の付属病院で講演をすることになっている(なぜ大学付属病院の看護士のみなさんがウチダの話を聞きたいのかは不明)。
その前日の8日に大阪の皮膚科の先生たちの集まりで講演をお願いされた(なぜ大阪の皮膚科医のみなさんが・・・以下同文)。
二日連続というのが、医療ネタの講演を一度やるのも二度やるのも「どうせ同じようなものでは」という「判断停止の閾値」に触れたらしく、私の指は夢遊病者のように「やります」というご返事メールを叩いていたのである。
そんなわけで、私の夏休みはすでに「休み」というよりはむしろ「労働強化期間」の様相を呈しつつある。
教授会で教員評価システムについて二度目の議論。
今回で承認を取り付けるはずであったが、予想外の反対意見の多さに、2時間を超す議論の末に、「教員評価を導入する」という原則の確認をしただけで終わる。
数値的評価の導入に教員がどうしてこれほど反対するのか、私には実はこれまでよく理解できていなかったのであるが、今回ご意見を拝聴して深く自得するところがあった。
多くの方が「教育研究学務活動が点数化されたら、みんなやるべき仕事ややりたい仕事を放棄しても、点数が高くなる仕事をするようになるのでは」という危惧を述べておられたからである。
私は正直言って、点数(どう運用するかさえ決まっていないから、それまではただの「数字」である)をつけると言われたとたんに、「点数点数」とあたふたするような見識の低い人間は本学の同僚にはいないだろうという前提で話を進めていたのである。
人の話は聞いてみるものである。
なるほど、考えてみたら、大学教員というのはもとをただせば「受験優等生」なのである。
「点数」と聞いただけで身がこわばり、思考停止に陥り、点数への気遣いに居着いてしまうというのは、考えてみれば、たいへん蓋然性の高い展開だったのである。
私が「点数はただの点数です」といくら説明しても、「そんなこと言っても点数つけられたら、点数は〈一人歩き〉します」と真顔で切り返される。
だが、点数は「一人歩き」なんかしない(点数にそんな芸当はできない)。
点数は「一人歩きさせられる」のである。
点数に生命を吹き込むのは、点数とは世界の条理と個人の宿命が書き込まれている魔法の呪符だと信じている「点数物神」の信奉者たちである。
私は点数というのは「それを利用して何かするもの」だと思っていたが、点数物神を信奉する人々にとって、点数とは「それに利用されて、何か(意味のわからないこと、例えば受験勉強のようなことを)させられるもの」だったのである。
現代日本人をかくも深く蝕んでいる受験生エートスに思い至らなかったことをウチダは一生の不明としなければならない。
であるから、せっかく教員評価システムの導入は決まったわけだが、評価の数値化にはご同意いただけない風向きである。
「教員評価」とはいいながら、いかなる「評価」も含まない「生データの羅列」の開示というあたりが「落としどころ」になるのかもしれない。
「評価フリーの生データだけなら公開してもいい」ということにご同意頂けるなら、それなら一歩前進ではある。
だが、いかなる定量的・定性的評価も含まない、まったく中立的な「生データ」(論文数、担当クラス数、学内役職名など)を列挙したファイルを開示して、相互に評価していただくという場合、みなさんは「何」を比較考量されるのであろうか。
おそらく研究業績のある教員の業績リストは分厚いものになり、ない教員のものはぺらぺらになる。あれこれたくさん仕事をしている人の活動報告書は文字や数字がぎっしり書いてあり、そうでないひとのものは白っぽくなる。
コンテンツについての定性的評価を差し控えた場合、そのファイルを読む人間に許される比較考量はごくごく限定的なものにならざるをえない。
たぶん「おお、先生すごいですね。研究業績表が50行もあるじゃないですか!地域貢献活動リストもぎっしり真っ黒ですね」というようなコメントがなされることになるだろう。
だが、そのようにして、大学人の業績が「行数」や「明度」といったきわめてアバウトな「定量的」指標で評価されることが「数値化」に断固反対された方々のほんとうに望んでいることなのだろうか?
私にはそのようには思われない。
ならば結局、教員の業績についての評価を許すようないかなる情報も開示しないというところに結論は導かれるのであろうか?
そういえば、昨日、教員評価は個人情報の開示であり、個人情報保護法に抵触するからすべきではないという衝撃的な発言を拝聴した。
教員が大学で何をしているのかは個人情報なので開示されてはならないということのようである。
寡聞にして個人情報保護というのがそういうものとは知らなかった。
まことに学ぶことの多い教授会であった。
「ピンチ」というのは、いろいろなところが同時多発的に機能不全になることである。
風邪が治ったら痛風がこじれて歩行困難となり、授業も今日で終わり、やれうれしやこれから仕事に没頭できると喜んでいたら、パソコンが頓死した。
村上春樹によると、こういうときには
「そういうものだ」と「それがどうした」で応じるのが正解だそうであるが、頓死パソコンを前にこめかみに青筋が立つのを制し得ないウチダはまだ人間的成熟が足りないようである。
どうして数十万円を投じて購入し、必須の全情報を収蔵させた高額の情報機器が、このように他愛もなく「へこっ」と死んでしまうのであろうか。
そういうことが許されてよろしいのか。
今回は頓死ながらも「あ、すみません。死にそうかも・・・あ、死にます・・・死にます」と苦悶のシグナルがあっただけでも多とすべきか。
だけど、どうすんだよ、ハードディスクに入っているあの膨大な資料は。
フェイルセーフ用にPowerBookが用意してあるので、とりあえずの物書き仕事やネット仕事に支障はないが、今朝、メールを読んでいる最中にウィンドウズマシンが頓死したので、昨日の夜から今日にかけて私にメールをくださった方のメールは全部消失してしまった。
というわけで業務連絡です。
昨日夜半から今朝にかけてウチダあてにメールをくださったみなさん。
メールは届いておりませんので、緊急の御用の方はもう一度メール再送をお願い申し上げます(江さんのメールを読んでいる途中でパソコンが死んだので、江さんお手数ですが原稿もう一度お願いしますね)。
t-uchida@mail.kobe-c.ac.jp
に送信してくだされば大学のPCと自宅のPCの両方にデータが残るので、それがいちばん安全である。
その他いろいろたいせつな情報やらお約束やらのメールもあったがすべて消えてしまった。
イワモト秘書があるいはHDの残骸から情報を取り出してくれるかもしれないけれど、そのまま消失してしまう可能性もある。
私に何か仕事を頼んだけれど、何の音沙汰もそれからない・・・ということがあった場合は、原稿も原稿お届け先のメールアドレスもすべて失われてしまった可能性を考慮されるとよろしいかと思う。
日本大学生物資源科学部食品加工実習センターというところから大学宛に箱が届いた。
あけてみると「ミートソース」や「レバーペースト」の缶詰が入っている。
うれしい贈り物ではあるが、私には日大からお中元をいただく義理がない。
どなたかへの誤配ではないかと送り状を見るが、たしかにウチダ宛になっている。
私を毒殺しようとするほどに憎んでいる人間なら三人くらい思いつくけれど、私を陥れるためにこれほどの手間ひまをかけるくらいならむしろ私のことを一刻もはやく記憶から消したい・・・というふうにお考えになっているはずであるから、謀略説はしりぞけてよろしいのである。
それにしても理由のわからぬ届けものというのは気持ちが片付かない。
一夜明けて、メールボックスのDMをどんどんゴミ箱に放り込んでいたら、日大から郵便が来ていた。
おお、ここに回答があるに違いない。
今年度の入試問題に利用させていただきましたというお礼状であった。
ご丁寧なことである。
必ずしも入試問題に引用をしたすべての学校が著作権者に連絡をくれるわけではない。
まして、「お礼の品」を添えて・・・ということになると、私の経験した限りでは、日本大学と神戸女学院大学だけである。
日本大学が(本学もだけど)たいへん礼儀正しい大学であるということはこういうこまやかな気遣いから知れるのである。
おそらくは生物資源科学部で飼育されている健康な家畜さんたちから作られた純良にして無添加の食品なのであろう。あるいは大学発のヴェンチャー起業というようなことをなされているのかもしれない。
ともあれ日大の関係者のみなさまにお礼かたがたますますのご発展を祈念させていただくのである。
今晩はだからミートソース・スパゲッティ。
えー、業務連絡です。
『インターネット持仏堂』の相方をつとめていただきました釈徹宗先生が今月末に新宿の朝カルでご講話をされます。
迷える衆生のみなさんはお時間があれば講筵につらなって釈先生の仏教フォースを浴びて元気になってください。
要領は以下の通り。
新宿朝日カルチャーセンター
「仏教ってこんなにおもしろい」 釈徹宗 7/30土 15:30〜19:30(休憩あり) 1回 会員 5,460円
一般 6,510円 ゼスト・学生会員 2,000円
http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0507koza/A0201.html# 「よく仏教・キリスト教・イスラームを世界三大宗教などといいますが、人数から考えると仏教はずいぶん規模が小さく、ヒンドゥー教のほうが多いくらいです。でも、仏教がもつ意味は人類にとって、大変大きいと思います。
もちろん、仏教がキリスト教やイスラームよりすぐれているなどというお話をするわけではありません。今、私たちのこの社会が抱えている問題を仏教的視点で捉えなおしてみよう、というような内容を考えています。前半部は講義、後半部は質問を交えての解説などの予定になっております」
よろしくね!