二つ授業を終えて、三つ目の合気道の授業に向かうべく炎天下のキャンパスを道衣を入れた大きな鞄を抱えてよろよろ歩いていたら、I田先生に見咎められて「先生!なんかお疲れみたいですね」と声を掛けられる。
ご指摘のとおり、ウチダはへろへろです。
このところ朝起きて鏡をみると、顔が「赤白まだら」になっている。
41歳のとき、山手山荘で朝鏡を見たら25歳のときとぜんぜん変わってないので「おれって、このまま不老不死かも」と思ったことがある。
お肌つるつるだし、髪の毛ふさふさだし、筋肉もりもりだし。
それからしばらくして「厄年」に三週間入院したあと鏡をみたら、見たことのない中年男が映っていた。
時間は「蛇腹」で経過するものらしい。
最近は朝起きて鏡を見て、そこに映っているのが自分であるということになじむまで少し時間がかかる。
誰なの?このくたびれきった初老の男は?
まあ、そうだよな。
あと三月で55歳だし、55歳っていったら源氏鶏太のサラリーマン小説の時代だと「定年退職」の年だもの。
だいたい『サザエさん』の磯野波平さんて「54歳」なんだよ。
知らなかったでしょ。
そう、おいら「波平さん」の年なんだよ。
考えてみると、マンガ読んでるときに、登場人物のどの人に「同年齢」的な同一化をしていたかを考えると、子どものころは「カツオくん」というのは「年上のお兄さん」だった。
それがふと気づくと「マスオさん」と自分を同一化していて、ある日気がつくと「波平」になっていた。
哀号。
でもまだ4週間「おつとめ」が続く。
果たして生きて夏休みが迎えられるのであろうか(というフレーズを毎年この時期になると書いているが、今のところは毎年生きて夏休みを迎えている。今年もそうだとよいのだが)。
スケジュール帳の8月9月はまだ余白がかなり残っている。
この「余白」の間のどこか一日でよいからプールサイドでピナコラーダを喫しつつビーチボーイズのAll Summer Long なんか聴いて「ふにゃー」としたいものである。
今年はハワイにもバリ島にもゆく予定がない。
朝、浜松のスーさんから、8月末に城崎温泉にゆくので、途中で寄っていいですか「鰻の白焼持って行きます」というメールが来た。
「一緒につれてってください。温泉麻雀」とご返事メールを打つ。
でもきっとこの夏休みもずっと部屋にこもって原稿書いたりゲラの校正したりしているうちに終わってしまうんだろうな。
波平の夏は。
ある雑誌に「コミュニケーション失調症候群」というタイトルで短い文章を書いた。
その掲載誌が送られてきたが、字数計算を間違えていたので、半分くらいに削られていた。
雑誌自体も専門的なものでふつうの人はまず目にする機会がないであろうから、ここに転載して諸賢のご笑覧に供するのである。
大学でのセクハラ、アカハラにどう対処するのかということが問題になっている。
本学でもこれまでにいくつか事件があった。
これらの事件には私たちの社会全体に底流しているコミュニケーションについての深刻な「勘違い」が露呈しているように思われる。
人々はコミュニケーションについて、何か根本的な誤解をしてはいないだろうか。
「適切なコミュニケーション」とは「言いたいことを適切な言葉づかいで明確に語ること」だと思っている人が多い。でも、ほんとうにそうだろうか。
この種の事件でいちばん頻繁に聴く弁明は、「私はそんなつもりで言ったんじゃない」「私はそんなつもりでしたんじゃない」という言葉である。
「つもり」と「言葉」の乖離がすべての事件に共通している。
私自身を振り返っても、学生に向かって「ダメだよ、こんな論文、こんなものに学位は出せん」と冷たく言い放つこともあるし、「早く結婚した方がいいぜ」と忠告することもある。
これをして「教師の権威を嵩にきた人格的攻撃」であるとか「個人の性生活について言及する性的いやがらせ」と告発されては私としても立つ瀬がない。
当然「そんなつもりで言ったんじゃないよ」という弁明をしなければならない。
まさに問題はそこにある。
外形的な発言や行動だけを取り上げると、私の日々の言動の中には「ハラスメント」とみなされる可能性のあるものが少なくない。
私はしばしば「バカ」という評言を同業者についてさえ発することがあるが、これとても私が「斯界において豊かに享受している学術的プレスティージ」をかさに着てそういう発言をしているという解釈をされると立派なアカハラである。
問題は私が「斯界において学術的権威を豊かに享受している」ということが事実であるかどうかにはない(事実でないが)。
事実はあくまで副次的であり、先方が「ウチダには権威がある」と思っていて、現に心理的な圧力を感じていれば、私の粗忽な発言は「ハラスメント」として機能するということなのである。
今のところ、さいわいにも、私が各種ハラスメントの告発を免れているのは、私が「そう言うことによって何を言おうとしているか」がとりあえずは相手に伝わっているからである。
私が「ダメだよ、こんな論文」と言っているのが専一的に学力についてのみのコメントであって、彼女の生き方や人格についてのコメントではないことが相手に伝わっていれば問題は起こらない。
同じく、「早く結婚した方がいいぜ」という言葉も、当人の性生活への私的な興味や干渉ではなく、(「栄養取った方がいいぜ」とか「ちゃんと睡眠取った方がいいぜ」と同じような)人類学的「暗黙知」が、たまたま私の口を通じて表明されているにすぎないことを聴き手が察知していれば問題は起こらない(たぶん)。
つまり、コミュニケーションにおいて、メッセージの「解釈の仕方」は、語詞レベルではなく、非言語的なレベルにおいて受信される側に「察知してもらう」ほかないということである。
逆から言えば、表層的な語詞レベルのメッセージでは、言葉は無限の誤解の可能性に開かれている。
グレゴリー・ベイトソンは『精神の生態学』の中で、コミュニケーション失調の端的な徴候として「何を言うつもりでその言葉を言っているのかが判定できない」ことを挙げている。
例えば、「今日は何をするつもり?」という問いかけを「昨日みたいなバカな真似は止めてくれよ」という「問責」と取るか、「ねえ、いいことしない?」という性的な「誘い」と取るか、それとも語義通りに「質問」しているのかが判定できないのがコミュニケーション失調の症候である。
私たちは、ふだんは前後の文脈や表情やみぶりや声のトーンやあるいは「オーラ」によって、多数の解釈可能性のうちから、もっとも適切な解釈を瞬時のうちに採用している。
「暖かい波動」や「優しい波動」が身体的なレベルではっきりと受信されていれば、言語的メッセージが解釈次第では聴き手を傷つけるコンテンツを含んでいても、受信者はそのような解釈を採用しない。
だが、どうやらこの非言語的メッセージの送受信能力が近年とみに低下しているように私には思われるのである。セクハラ、アカハラ事件の多発はおそらくその兆候である。
「誤解される可能性のあることを口にして、現に誤解された」以上「そんなつもりで言ったんじゃない」という言い訳は通らない。
これが今日のセクハラ、アカハラ問題の判定基準である。
それは言い換えれば、メッセージの受信者には「複数の解釈可能性のうちから、自分にとって最も不快な解釈を選択する権利」が賦与されているということである。
コミュニケーション感度の高い人間とコミュニケーション感度の低い人間のどちらがこの権利を活用することになるのか、想像することはむずかしいことではない。
結果的に 私たちの社会はこれから自分宛のメッセージが含む複数の解釈可能性の中から、自分にとって最も不快な解釈を選択することを政治的に正しく、知的なふるまいとみなす人間たちを量産してゆくことになるだろう。
それによって社会が住みやすくなるとか、人々のコミュニケーション能力が向上するだろうという予想に私は与しない。
こういうことを書くと、「では、あなたはセクハラ、アカハラを放置しろと、こう言いたいわけですね」と口を尖らせて抗議する人が出てくるだろう。
私が言いたいのはそういうことではなくて、「あなたみたいな人が量産されるだろう」という予測なのである。
もちろんこんな言い訳は通らない。
東京のるんちゃんから「父の日のプレゼント」が届く。
仕事が忙しくてなかなか郵便局までゆく暇がありません、もうちょっと待ってねというメールがしばらく前に届いた。
夕方メールボックスにこぶりの包みが入っていた。
開くとハンカチが三枚とカードが二枚。
カードにはこう書いてあった。
「おいしいごはんをたべ、
しあわせなねむりにつき、
やわらかいおふとんで
美しい夢をみて、
その夢をまた形にするための
時間とお金を
いつも与えてくれて
ありがとうございます」
カードの余白にはご飯を食べて、おふとんで寝て、夢を見て、元気に歩いている女の子の絵が描いてあった。
落涙。
神さま、すてきな娘を恵んでくださってありがとうございます。
ウチダは若い頃から悪いことばかりしてきましたけれど、父親としてはほんとうに幸福な男です。
「時間とお金」というあたりのリアリズムがまことにるんちゃんらしい。
よっしゃあ、もうすぐるんちゃんの誕生日だから気前よくがーんとプレゼントしたろかね。
「何が欲しいの?」
「うーんと、とりあえず現金かな」
というような頼もしい応答が期待されるタフなるんちゃんである。
さすがおいらの娘だよ。
がんばれ。
ひさしぶりのオフなので、一月ぶりに下川先生のお稽古にゆく。
夏の歌仙会は謡が「羽衣」のシテ(天女だよ)、仕舞が「高砂」のキリ(「千秋楽は民を撫で、万歳楽には命を延ぶ」)と告げられて、まず「羽衣」のお稽古。
ウチダが演じるわけであるから、役作り的には「タカビーな天女」だな。これは。
帰ってからたまった原稿を片づける。
まずは「東京ファイティングキッズその14」
「労働と時間」というヘビーなテーマ。
レヴィナスの『時間と他者』をマルクスの『資本論』とからめて解読し、時間と欲望と交換と記号とエロスを一気に論じきるという「レヴィナス三部作最終章」の構想上不可避の論点である。
書き上げて送稿。
こんなネタを振られて平川くんもたいへんだ。
エピスに『スター・ウォーズ エピソードIII シスの復讐』の映画評を送稿。
『エピソードIII』の映画評をめぐっては町山智浩さんのブログでたいへんな騒ぎがあり、今日からブログが閉鎖されている。
町山さんは小田嶋隆先生とともに私が「現代日本を代表する批評的知性」として深い尊敬の念を抱いている方である。
これほどに冴えた知性と厚みのある人間性を備えたこの二人の批評家をどうして日本のマスメディアは重用しないのか、それが私にはひさしく謎である。
その町山さんのブログを読むのは私の毎日の楽しみの一つであったのだが、それが心ない「荒らし」のせいで、一時的とはいえ閉鎖に追い込まれた。
町山さんの無念を思い、一日も早いブログ再開を祈念する。
でも、私の『エピソードIII』評は町山さんの政治的文脈での読みとはだいぶ違う。
町山さんも私も「映画を映画外の事象と関連づけて論じる」というスタンスは少し似ているけれど、私は「できることなら、誰も思いつかないくらいに無縁な映画外的事象」とのリンケージを探す癖がある。
今回、私が『エピソードIII』のうちに発見したのは・・・
詳細は来月の読賣新聞エピスをご覧ください。
この映画評にはさしもの「シス」の魔の手も及ぶことはないでありましょう。
次に江さんの『だんじり本』の「解説」にかかる。
これは話が話だけにたいへん書きやすい。
さらさら。
二時間ほどで書き上げてただちに送稿。
共同通信から頼まれたエッセイを書くのを忘れていた。
1200字。
今日のうちに書こうかなと思ったけれど、お腹が減ってきたので明日まわし。
いろいろな企画が届く。
わくわくするのは、Y老先生との対談と、M崎哲弥さんとの対談と、もうひとつ「幻の」O瀧師匠との対談企画。
Y老先生とは去年一度対談させて頂き、年末には「今年の三本」に拙著を選んで頂いたご恩がある。
できることならY老先生のクリスプな毒舌をまたたっぷりと堪能したい。
ああ、たのしみ。
M崎さんとの対談は想像するだにかなりスリリングである。
靖国とか改憲とか、そういうヘビーな話題になるのかなあ。
『ユリイカ』の「はっぴいえんど」特集のときに実はO瀧師匠と私との対談企画が上がったのであるが、調整がうまくゆかず、「O瀧詠一の系譜学」という長文の論考を書いて寄稿するにとどまったのはご案内の通り。
その私の渾身のO瀧論を師匠がお読みくださり、改めて対談の可能性をご検討くださったようである。
ありがたや。
もし可能なら、石川茂樹くんといっしょの「ダブル・インタビュー」でとお願いする。
ともに30年来のナイアガラーとしては実現すれば「生きててよかった(涙)」企画である。
朝一で三宅先生のところに行くと光安さんがいる。
久しぶりですねとあれこれ話す。
光安さんはドッジボールをやって人差し指を剥離骨折してしまったそうで指に「添え木」をしていた。
まさか指の治療に来ているのでは・・・とお訊ねすると、ちがいます首がくりくりして・・・とお互いに加齢の苦しみについていたわり合う。
大学に着いてBMWのドアをばたんと閉めると、「せんせー」という声が聞こえる。
はてなと振り返ると、日傘をさしかけた妙齢の女性が顔全体を笑いにして、あとの体幹部を消すという「チェシャ猫」状態で手を振っている。
誰かしら・・・と目を細めて見るが、それはどう見ても「ここにいるはずのないやつ」である。
これは亡霊か、それとも単にビザが切れたのか。
私がこの地に存在することを他者に洩してはなりませぬよ、と高らかに笑うと「ここにいるはずのないやつ」は西宮北口方面に去っていった。
学長にまで「ウチダ先生にはいわないでね」と口止めをしていたそうであるが、そこまでして私を驚かせようと企んだわりにはこらえ性のないやつである。
C央公論の若手編集者である小野くんが来る。
新しい本の企画であるが、もちろん既発17冊の企画をすべてチャラにして逃走中の私に書き下ろし新企画などというものが業界内部的にも許されるはずもなく、もとよりそのような時間は逆さに振っても絞り機にかけても、捻出することは到底不可能なのである。
ということは「ありものコンピ」という『ため倫』以来の「おはこ」である。
すでに現在「ありものコンピ」企画は文春と角川で進行中である。
文春はブログ日記からのコンピ、角川はあちこちに書き散らした原稿をとりまとめたもの。
C央公論の企画はブログ日記からのコンピものなので、文春の山ちゃんの企画ともろにバッティングする。
こういうのはご縁のものであるから、先に始めた山ちゃんにプライオリティがある。
小野くんは山ちゃんの「食べ残し」から一冊拾わなければならない。
とはいえ6年分のHP日記であるから、一二冊分拾っても、似た話はそこらにごろごろしているのである(書いているのは同じ人間だから、同じようなことを何度も何度も書いている)。
どちらも「大文字ネタ」(政治、社会、教育などにかかわる問題)を扱うらしい。
繰り返し申し上げてい
るように、コンピレーションの出来は音楽の場合と同じで、ひとえに「選曲の妙」にかかっている。
それぞれ若い編集者がどのような素材をどんなふうに料理してくれるのか、楽しみである。
ゼミは三回生が「難民」、大学院が「日中比較近代化論」。
どちらもぐっと手応えのあるテーマである。
大学院には今日から中国からおいでの研究員であるT先生がお見えになり、いきなり内容がディープになる。
T先生からは中国の阿片戦争以後の近代史が「正視したくない過去」として現代中国人からは意識されていること、毛沢東がその反近代主義的傾向によって中華思想を鼓舞して中国人民の琴線に触れたことなど、現場の人からしか聞くことの出来ない貴重なお話を伺う。
もともとこのゼミは「全員非専門家」で行われている。
十数名のゼミ生のうちに中国問題に「ちょっとくわしい」というのは、日本語教師をしていて中国からの留学生に教えたことがある/中国で教えたことがあるお二人だけ。
あとは全員シロートである。
しかし、この「全員シロート」体制というのは教育的にはきわめて効果的なものであることが三ヶ月やってきてよくわかった。
教師がその主題についての専門的知識を独占的に所有しているということになると、聴講生たちは教師が誘導しようとする結論に誰も的確には反論することができない。
「キミたちは、『こんなこと』も知らんのだから、黙って私の言うことをききたまえ」ということになってしまう。
しかるに、教師の知識がゼミ生と「どっこい」ということになると話がまるで変わってくる。
発表者によってその日にあらたに与えられた情報を、これまでのゼミ発表で仕込んだ情報と組み合わせて、「ということは…こういうことじゃないの?」という仮説を立てる権利は全員にほぼ平等に分かち与えられている。
つまり、ここから先は「知識量」の勝負ではなくて、断片的知見をどのような整合的な文脈のうちに落とし込むかを競う「文脈構成力」の勝負になる。
誰も正解を知らないクイズ番組みたいなものである。
いちばんみんなが納得のゆきそうな仮説を立てた人間がその回の「さしあたりの正解者」のポジションを得ることができる。
ただし、あくまでテンポラリーな正解者であり、翌週にその仮説を覆すような新たな知見が提示されれば、いやでも「正解者」の席を降りなければならない。
これは中国についての「ただしい知識」を身につける方法としてはかなり迂遠なやり方であるけれども、全員に主体的にゼミに参与させる教育方法としては「これ以上のものはない」というほどによくできた方法である。
現に、三ヶ月前はごく平均的日本人のレベルにあったゼミ生たちの中国リテラシーは見違えるように向上し、「華夷思想が清末の洋務運動に与えた影響はそういうんじゃないと思う」とか「愛国主義教育によって江沢民の党内基盤は強化されたんだろうか?」とか「改革・開放路線と毛沢東思想のフリクションはどうやって思想的整合性を獲得するかな」というようなぐっとコアな質疑応答が飛び交うようになった。
この調子で一年が経ったら、ゼミ生全員が中国問題専門家として学部の講義の三回分くらいは担当できるようになるのではないだろうか。
本日の日中近代化比較は、「日本の幕藩体制は明治維新以後の近代化のための知的インフラを整備したものであり、この270の『国』があったという日本の特殊性がアジアにおいて例外的なスピードでの近代化を可能にしたのである」という不肖ウチダの仮説が多くの支持を集めて、「本日の正解」となったのである。
でも、べつに私が毎回「正解者」である必要は少しもない。
むしろ、私の提示する仮説が反論によって破綻される場面を見ることの方が教育上はずっと有意義なことだろう。
ふつう私たちは「専門的知識を備えた人間が指導しなければ教育は成立しない」と考えがちだが、そういうものではない。
仮説の提示と挙証、その反証という手順についてルールをわきまえたレフェリーさえいれば、どのような分野の主題についても学生たちは実に多くのことを学ぶことができる。
逆に、知識はあるが文脈構成力のない教員に指導されている限り、学生はたぶん何も身に付けることができない。
蒸し暑い京都に黒いスーツを着てでかける。
先週の木曜に川崎ヒロ子さんの葬儀に出て、それから一週間も間をあけずに、今度は旧友吉田城くんの葬儀に出ることになった。
去年の竹信悦夫くんから始まって同世代の友人たちが次々と鬼籍の人となる。
訃報を知らせてくれたのは本願寺のフジモトくんである。
告別式の場所や時間や行き方まで懇切に携帯メールでご教示くださった。
お知らせ頂かなければ、昨日の朝刊の死亡欄を見落としたら葬儀に間に合わなかったかもしれない。
世界的なプルースト研究家であるにもかかわらず、そのような威信を少しも鼻にかけないほんとうに愉快でフレンドリーな人だったから、葬儀にはおそらくは彼の学恩を受け、彼の学風を慕っていた若い方たちが列をなしていた。
会場で吉川一義先生にお会いする。
吉川先生は東大の大学院時代から30年余にわたる同じプルースト研究の同学の士であり、このおふたりが日本の90年代以後のプルースト研究を牽引してきた。
吉川先生は繊細にして洒脱にして磊落、都立大時代からひさしく兄事してきた偉大な先輩であるけれど、その気質には吉田くんにどこか通じるものがあった。
そのせいか吉川先生の弔辞には「パートナー」を失ったひとの肺腑をえぐるように悲痛な音調が伏流していた。
弔辞の中で吉田くんの過去十年ほどのほとんど超人的ともいえる仕事ぶりを紹介されて、言葉を失う。
30歳になったばかりで腎臓に重い病を得て、週3回の透析を義務づけられるという苛酷なハンディを背負いながら、国際的なスケールの仕事を次々と世に問い、大学の仕事をこなし、後進を指導し、すてきな奥様とかわいいお子様たちと温かい家庭を作り、そのかたわらで私のようなお気楽な友ともちゃんと遊んでくれた。
日比谷高校同期の伝説的秀才たちのうち新井啓右くんは27歳で夭逝し、いままた吉田城くんを失う。
どうしてこれほどの才能を天ははやばやと召してしまうのだろう。
Those whom Gods love die young
吉田くんのような人をはやくに失ったことの重みを私たちの社会はこれから痛切に感じることになるだろう。
京都駅までの帰り道を杉本淑彦先生ととぼとぼ歩きながら、吉田くんの最後の日々についてぽつりぽつりとお聞きする。
杉本先生とは今年の冬に京大の集中講義でお会いするはずだった。
ふたりとも異口同音に「こんなところでお会いするとは思いませんでしたね…」とつぶやく。
箱根奥湯元の「はつ花」でトップマネジメントカフェのセミナー。
平川くんの主宰する経営者セミナーの講師にお招き頂いたのである。
5時半起きして7時半新大阪発の新幹線で新横浜へ。小田原に一駅分戻って、箱根登山鉄道で箱根湯元まで、そこからさらに旅館の送迎バス。
猛暑にへろへろになって11時半ころに現地に着く。
主宰のビジネスカフェ・ジャパンの渡会さんにご挨拶しているところに平川くんが登場、先週会ったばかりだし、湯元は恒例の「極楽麻雀」の拠点でもあるので、仕事とはいえ気楽なものである。
箱根はつ花にて平川克美君と
はつ花は緑の峡谷の谷に立つ、たいへんスリリングな旅館である。
窓からは「木々の緑と青空」だけしか見えないので、なんだか遠近感が狂う。
続々とセミナー参加の経営者のみなさんが登場。
キリン・ビバレッジ元社長の阿部洋己さん、やサン・マイクロシステムズ・ファイナンスの長谷川将社長はじめ何人かには『反戦略的ビジネスのすすめ』と『東京ファイティングキッズ』の出版記念パーティでご挨拶したことがある。
昼食後すぐにセミナーがはじまる。
「学びからの逃走、労働からの逃走」と題して、私がキーノート・スピーチを2時間ほどして、それから平川君の司会でフロアと質疑応答。
経営者のみなさんも学校教育の危機とNEET問題にはつよい関心をもっておられることがわかった。
とくにNEETの出現が経済合理性の追求に社会の価値観が一元化したことの必然の結果であり、彼らこそもっとも「経済合理性に忠実な消費主体である」という私の主張(ネタもとは苅谷剛彦さんと諏訪哲二さん)とNEETを生み出さないような教育はどうあるべきかに質疑が集中した。
産業構造の転換、身体性の回復、師弟関係エートスの復権、親密圏の構築、リスク社会からセーフティネット社会へのシフト、自然の中での教育、反戦略的育児・・・などみなさんが提示した論点はどれも先端企業の経営者の口から聞こうとは思わなかったほどラディカルでかつ洞察に富んだものであり、刺激的な5時間のセッションであった。
セッション終了後、打ちそろって露天風呂に。
風呂の中でも話は続き、そのまま宴会場へ、さらには二次会会場へとエンドレスで教育と家庭とさらには修行や宗教教育をめぐって談論風発、気がつけば12時を回っていた。
参加者はほぼ全員が社長さんであり、多くは生き馬の目を抜くIT業界の方なのだが、そのたたずまいは長老格の阿部さんはじめみなさん実に思索的である。
「それでなんぼもうかりまんのんか?」的な表層的なビジネス・リアリズムはこのセミナーには片鱗もない。
さすが「反=戦略の人」平川君の主宰する場である。
というわけで「ビジネスマインデッドな大学教員」と「教養主義的なビジネスマン」の出会いは思いがけなく幸福なしかたで成就したようである。
このセミナーでのスピーチがとりあえず講談社の「教育論」のコアになるが、労働、交換、時間、他者、エロス、といった論点は時間がたりなくて、十分に掘り下げることができなかった。
データにしたあとにほぼ全面的に改稿しなければならない。
そのあと、平川くんと学びと労働について集中的な議論をかわして、それで一冊に仕上げるつもりである。
でも、これは私にとってたいへん重要な著作になるはずである。
翌朝、セミナー参加者のみなさんと別れて、平川くんの車で箱根の「ポーラ美術館」へ。
美しい森の中の美術館である。
ここで印象派の展覧会をやっている。
モネ、マネ、ルノワール、シスレー、スーラ、ゴッホらの佳作を拝見する。
オランジュリーがずっと工事中だったので、長いことモネの「睡蓮部屋」を訪れていなかったが、「単品」の睡蓮を二作品拝見して、「渇望」がすこし癒える。
心が洗われるようである。
そのまま平川君と文学と哲学と経営について終わりなくハイブラウな対話が続く。
平川君と話していると、どんどんアイディアが湧いてくる。
まことに得難い友人である。
新横浜まで送ってもらって、別れを惜しみつつ新幹線で帰途につく。
いささか疲れたけれど、収穫の多いセミナーであった。
新横浜駅で携帯の電源を入れると、吉田城くんの訃報が入っていた。
一昨日亡くなったようである。
死因は腎不全。
青年期からの長い闘病生活の暗さをまったく感じさせずないで、いつも笑みを絶やさない「人生の達人」であったけれど、最後は病魔に屈した。
去年の学会に吉田くんの司会でワークショップをやって、そのあと吉田夫妻や若い院生たちとご飯を食べて札幌駅前で手を振ってわかれたのが最後になった。
冬に京大で集中講義をする機会にいっしょにご飯でも食べようと思っていたのに、それももうかなわない。
またひとり懐かしい友人を鬼籍に送らなければならない。
去年の夏の集中講義のとき、学会のワークショップのためにぼくと連絡を取ろうとしていた吉田くんと京大文学部のエレベータの中で会った。
扉が開いたときの「え、ウチダくん、どうしてここにいるの?君のことずっと探していたんだよ」というびっくりした顔を思い出す(彼が何度家に電話しても私をつかまえることができなかったのは、私が彼の研究室のある棟で講義をしていたからだったのである)。
そのうち「あの世」のエレベータの扉が開いたときに、もう一度同じことを言ってくれるかもしれない。
吉田城くんの魂の天上での平安を祈ります。
残された奥様とご遺児の上に神の豊かな慰めと癒しとがありますように。
昨年の学会の時北大のクラーク博士の胸像の前で、吉田城君と写した最後の写真
朝一で『文學界』の原稿を書き上げる。
今月号で最終回のはずであったが、思考が暴走し始めて、「もうどうにもとまらない」状態になり、「最終回のその続き」を来月号に書く羽目になる。
話がどんどんわけのわからない方向に展開して、書いている本人もどのあたりに着地することになるのか予測できない。
困ったものである。
ところが、この「私家版・ユダヤ文化論」に意外な読者がいる。
かの養老孟司先生である。
養老先生が毎月ご笑覧くださっているという話を先日新潮社の足立さんから伺った。
別に先生がユダヤ文化に特段の関心があるというわけではなく、私が論証に際してしばしば「対偶証明法」を用いるのを、日本人で対偶を推論に活用する人は少ないということで珍重されているのだそうである。
へえ。そうなんですか・・・と足立さんの前ではうなずいてはみたが「対偶」が何のことだかわからない(文字を思いついただけでも多とすべきか)。
裏とか逆とか対偶とか、たしか数学でやったような気がするが、すべて遠い霧の彼方である。
さっそく帰宅後哲学事典やネットで調べてみる(調べる手間を惜しまないというのが私の数少ない長所のひとつである)。
するとおおむね次のようなことであった。
数学が苦手な人はパスしてくださって結構です(ウチダも苦手だけど、ゆきがかりじょう)。
全称命題「すべてのSはPである」の対偶は全称否定命題「すべての非PはSではない」である。
記号論理学でいうと、A⊃B(AならばB、つまり集合Aは集合Bに含まれる)の対偶は〜B⊃〜Aと書き表される。これは「Bでないならば、Aでない」つまり、集合「非B」は集合「非A」を含むを意味する。
例えば、「すべての人間は生物である」という命題がある。
論理式的にいうと、「人間ならば生物」。
これは「人間」の集合は「生物」の集合に含まれるということである。
「人間であれば、絶対生物である」。
ここまでは私にもわかる。みなさんもわかりますね、もちろん。
この命題が真であるならば、その対偶はトートロジックに真である。
「すべての人間は生物である」の対偶は「生物でないなら人間でない」つまり「生物にあらざるもののうちに人間は含まれない」である。
というわけで、「すべてのSはPである」と「すべての非PはSではない」の真偽は一致するのである。
そこで、「すべてのSはPである」の真偽を判定するときに、「すべての非PはSではない」という命題を吟味するという証明法が使えるのである。
「すべてのSはPである」の真偽の判定はやたらに面倒だが、対偶の判定は意外に簡単ということはよくある(らしい)。
これを活用するのが対偶証明法である。
「高校数学の基本問題」というウェブサイト(なんでもあるんだ、ウェブ上には)にはこんな例があがっていた。
【問い】
x+y+z≧0のとき,x.y,zの少なくとも1つは0以上であることを証明しなさい
【答え】
x,y,z<0 ならば x+y+z<0
対偶が真であるから,もとの命題も真である。
この程度の説明なら私にもわかる。
みなさんにもわかるであろう。
でも、私の書き物のどこに対偶証明法が活用されているのかは、私には見当がつかない。
あるいは私は「それと知らずに」数学的に思考しているのかもしれない(「数学屋のメガネ」さんによると、私の推論形式はけっこう数学的検証に耐えるものらしいから。意外にも)
理科系出身の平川君によると、「そういえばそうだね」ということなので、そうなのかもしれない。
原稿を紀尾井町方面に送信してから、大急ぎで京都キャンパスプラザへ。
今日は私大連の「教員評価委員会第一回シンポジウム」の発題者として「神戸女学院大学における教員評価システムへの取り組み」についてご報告申し上げねばならないのである。
最初に教員評価のセミナーを聴きに行ったのは自己評価委員長になったばかりの四年前のことである。
その頃はまだセミナー参加者も二三十人ほどで、東海大医学部や岐阜薬科大の希少なる先行事例を伺うだけだった。
それがいつのまにか私大連加盟123大学の半数が参加する一大イベントとなった。
本学は2001年から導入にむけて動いたので、教員評価の取り組みにおいては私学では「先進校」であったのだが、評価表つくりに四年ももたもたしていたので、ほかの大学にどんどん追い抜かれてしまった。
今回は「教員評価に取り組みはしたものの、導入を前にいまだ学内の合意形成にもたついている大学」を代表してご報告をする。
教員評価導入について、どのような種類の抵抗が教員サイドからなされるかについて、今後導入される諸大学のために「前車の轍」としてご紹介する。
代表的な「抵抗」の理論としては次のようなものがある。
(1)「大学教員の研究教育活動は厳密に定量的には評価できない」
これがいちばんよく聞かれる反対論である。
たしかにおっしゃるとおりである。
しかし、それを言ったら教員諸君が日々学生に対して行っている「成績評価」というのもそうである。
出席数や試験やレポートの点数は必ずしもその学生の学力を厳密には表示していないことはご案内のとおりである。
だが、学生本人の努力によって操作しうる数値であり、客観的に共有しうるデータであるという利点を考慮すれば、これを評価に用いるのは適切なことである。
それと同じく、すべての研究教育活動はたしかに定量的に評価できるものではない。
だが、かなりの部分までは数値化できるし、なによりもその数値を被評価者自身の意思によってコントロールすることができる。
例えば、論文が掲載された学術誌のインパクト・ファクターを指数として掲載論文数に乗じた数値は研究の質を、労働時間数(マルクスによればこれこそ教員が創出した「労働価値」である)は教育活動の「価値」を、それぞれ近似的に表現している。
研究領域の点数を上げたければ、国際的な学術誌に投稿すればよいし、教育領域の点数を上げたければ、ゼミにたくさん学生が集ま、多くの学生院生たちから「ぜひ論文指導してください」と懇願されるような教育活動をこころがければよい。別にむずかしい話ではない。
「厳密に数値化できない」というデメリットは、「本人の努力で数値を変えることができる」というメリットによってトレードオフされるだろう。
(2)「近似的はダメで、完全な評価でなければならない(完全でないならやらないほうがいい)」
これは評価コストを青天井に吊り上げることで「評価意欲を殺ぐ」という反対の仕方である。
これは政治の季節にはしばしば口にされたものである。
「そんな微温的な闘争方針は体制を補完するものでしかないんだよ」というような切れ味のよい啖呵を切って「現状維持」を帰結するというなかなか高度な裏技である。
この手のことを言う人の中にほんとうに現状を憂え、改革することを望んでいる人間はあまりいないということを私は経験的に知っているので、相手にしないのである。
この場合には「評価に費やされるコストは評価によって得られるベネフィットを超えてはならない」という評価の原則を確認することで反論は退けられる。
地球環境を守る最良の方法は全人類を抹殺することであるが、それだと「何のために地球環境を守っているのか」わからなくなるのといっしょである。
(3)「業績評価は成果主義であり、成果主義の導入はワーク・モチベーションを損なう」
これは経営学の知見を引いた理屈である。
たしかに成果主義に反対する高橋伸夫さんは業績に対して給与ではなく「より質の高い仕事」で報いる日本型年功制度の利点を強調している。
しかし、これはあくまで「会社の話」である。
「業績に対してより高い質の仕事で報いる制度」が機能するためには、「部下の業績を適切に考課して、適切な部署に配置し、適切な業務を命じる上司」の存在が必要である。
高橋さんに倣って、教員評価を「成果主義的」であるとして退けるなら、同時に「上司による勤務考課」の導入を受け容れなければ話の筋道が通るまい。
それでよろしいのだろうか。
教員たちを「上司と部下」という固定的な階層組織に再編したいというふうに理解してもよろしいのか。
まさかね。
だが、成果主義には反対だが、上司による勤務考課にも反対であるということになると、残る選択肢は「いっさい評価をしない」ということしかない。
しかし、「人間は評価されない方がワーク・モチベーションが上がる」という知見を語っている経営学のあることを私は寡聞にして知らない。
そのような教育論なら存在するかも知れない。
だが、教育論を教員に適用した場合、「評価されない」ことによって「のびのびと育ってゆく」教員たちを「暖かく見守り、指導する先生」はいったいどこにいるのだろう?
ほかにもいろいろと反対論はあるが、どれも私にはあまり説得力があるようには思われなかった。
しかし、それでもなお来月の教授会で教員評価システム導入が否決される可能性は排除できない。
その場合、本学はおそらく日本で最初の「教員評価システム導入を教授会で否決した大学」になる。
それもまた一つの行き方だろう。
私は決して「そういうの」がキライではない。
「日本で最初に・・・をした人間」というような名乗りには(内容を問わず)高い評価を与えてしまうことについては人後に落ちないと申し上げてよろしいであろう。
その私が「日本で最初に教員評価システム導入を教授会で否決した大学」になることを拒む理由は一つである。
その決定の責任を引き受けてくれる人間がいないからである。
一大学が文部行政に反対する重要な機関決定を行ったのだが、その決定の趣旨を大学を代表して公的立場から語ることのできる人間がいない(学長もFDセンター・ディレクターも提案者の私も、誰も「導入を否決した機関決定の正しさ」について論じることができない)。
そのような決定は行うべきではない。
私はそう思う。
ヒロ子さんの告別式に行く。
場所は芦屋ホール。芦屋川の川下、市役所の南の、むかし松林があったあたりである。
いつのまにか斎場になっていた。
芦屋にはなんだか斎場が多いような気がする。
街そのものの高齢化が進んでいるせいで、目端の利いた資本が「葬儀ビジネス」に参入してきているのかもしれない。
「葬儀ビジネス」に新規参入者がふえて、自由競争でコストダウンやサービスの向上が見込まれるのは、ありがたいといえばありがたいし、そんなところで「商売」やってどうすんだよという気もするし。
よくわからない。
芦屋ホールは川沿いにある小さなコンサートホールのようなたたずまいの斎場である。
受け付けで立命館の川上勉先生と海星の事務長をされている本学のもと総務部長だった日比さんにお会いする。
川上先生はフランス政治思想史のご専門で、ミシェル・ウィノックの反ユダヤ主義研究の翻訳をされたり、大戦間期のファシズムや極右のこと研究されている「コア」なエリアの同学の先輩である。
一度機会に恵まれて、川上先生らが主宰する研究会でドリュモンの反ユダヤ主義思想について報告させて頂いたことがあった。
もう10年以上前のことである。
その後、学会誌の編集委員を同時期に一緒に務めたので、毎回学会でお会いしていた。
最近、学会に足が向かないので、先生の温顔に接するのはひさしぶりのことである。
式場では立命館での次郎くんの上司に当たる下川茂さんにお会いする。
下川さんとは東海大で非常勤をしていた80年から毎週講師控室でご一緒だった。
ずいぶんいろいろなことを教えて頂いたありがたい先輩であるが、一番恩義を感じているのは「橋本治」という人の存在を教えて頂いたことである。
ある日の休み時間に控室で『桃尻娘』という本を下川さんが読んでいた。
なんだかすごいタイトルの本ですねと言うと、下川さんは「これを書いている橋本くんというのは駒場で同級生だったんだけれど、とっても面白い子でね。彼が書い本だからきっと面白いと思うよ」とお薦め下さった。
私が橋本治信者になったのはこれがきっかけである。
葬儀は日蓮宗の祭式で行われた。
読経を聴いて、焼香をすませてから、棺の中のヒロ子さんにお別れをして、マイクロバスで岡本の火葬場に向かう。
いったん斎場に戻って昼食。
12年前の次郎くんの結婚式のときに三宮で痛飲した早稲田の諸君と再会する。
12年前は哲学や文学の話ばかりしていたのだが、今回は病気と健康法の話ばかりしている。
加齢の事実は話題の選択に表れる。
ふたたび火葬場に戻り骨上げを済ませてから斎場で初七日法要を営む。
終わると午後4時。
さすがに少し疲れた。
げっそり痩せてしまった次郎くんに「またね」と挨拶をして、とことこ家まで歩いて帰る。
シャワーを浴びて1時間ほど仮眠。
夕方から福島に出動。
ホテル阪神ロビーで新潮社の足立さんと仕事の打ち合わせ。
ラリー・トーブさんの本の翻訳をどういうふうに進めるか相談する。まだ翻訳権は取っていないのだが、それはトーブさんがつかまらないからである。いまドイツにいるらしい。
それから隣のイタリアンに移って、新潮社のご接待で名越康文先生と「打ち上げ宴会」。
名越先生との対談はいつもシャンペンを呑みながらであったので、二人とも何を話したのかよく覚えていない。
だからゲラを読むのが楽しかった。
今回も乾杯ののち、さっそく『ホムンクルス』をめぐるディープな話になる。
漫画原作者というのがいかに割に合わない商売であるかについて涙なしには聴けないお話をうかがう。
それから私と名越先生に共通の「女性性」の話になり、私たちはふたりとも「根がオバサン」体質であるということが判明する。
そこからエロス論、師弟論、映画論と話頭は転々奇を究め、よく抄出することがかなわぬのである。
今日の話を録音しておけばよかった…と足立さんがさかんに悔やんでいたので、また続きをやりましょうと名越先生と約束してお別れする。
野崎くんの家の仮通夜に行く。
仮通夜といっても、親族の方々は前夜に訪れて、昨日は次郎くんひとりで亡骸のそばで夜を過ごしていた。
ひとりじゃ寂しいから来てくれよという電話がきたので、シャンペンとビールのパックと大丸のデパ地下で購入した「おつまみ」類を抱えてでかける。
焼香してから、「三人」でお酒をのみかわし、昔話に耽る。
父が死んでからあと、親しい人が死んだ時には、死者が長い間「そこ」にいるという感じがずっとしている。
その人がその場にいたらきっと言いそうなこと、しそうなこと、怒りそうなこと、笑いそうなこと…そういうことをいつも「勘定に入れながら」残された人間はふるまってしまう。
彼女がその場に「いる」のとあまり変わらない。
私はそういうのはとても自然なことのような気がする。
「死者を勘定に入れて」ふるまう限り、死者は生きている私たちに「触れて」いる。
私たちの生き方にかかわり、私たちの生き方を規定し、私たちのひとつひとつの決断の判断基準になっている。
「存在しないもの」は「存在するとは別の仕方で」私たちに深くかかわる。
ふたりで歓談しながら、ときどき、ヒロ子さんはどう言うだろうと思うと次郎くんは亡骸の方を見やって、「ね、そうだよね」とか「いいでしょう、それでも」とか、笑いながら話しかける。
その口ぶりがとても自然なので、私もヒロ子さんがそこにいるような気になる。
「弔う」というのは、きっとこういうことなんだろうと思う。
水曜日はひさしぶりのオフなので、朝から原稿書き。
週末のトップマネジメントカフェのレジュメを書いて送稿してから、『私家版・ユダヤ文化論』の続きを書く。
今月で最終回のつもりだったけれど、なかなか話が終わらないので、今月は最終回「その一」ということにして、来月に「その二」を続けることにする。
だんだんわけのわからない話になる。
どう読んでも「政治的に正しい」ユダヤ人論ではない。
ユダヤ人問題については「つじつまのあった話」や「政治的に正しい話」だけを選択的に語ろうとすると、問題の核心にいつまでたってもたどりつかない。
どこかで自前の知的枠組みを放棄しないと先に進めない。
それはたぶん「知的」という概念と「ユダヤ人性」という概念がねじれたかたちで絡み合っているからだ。
私自身の「ユダヤ論」の骨格をかたちづくったのはレヴィナス哲学の読書経験である。
私は20年以上レヴィナス老師を「メンター」に擬して思考訓練をしてきた。
だから、私が「知的なアプローチ」だと信じているもののかなりの部分は老師から学んだ「ユダヤ的な作法」である。
「ユダヤ人のものの考え方」というような概念の切り取り方そのものをユダヤ人哲学者から学んだ人間の書くユダヤ人論が中立的であったり学術的であったりするということはありえない。
私が分析に使っている当の道具にしみこんでいる民族的「奇習」を、その道具を使って論じるというようなアクロバシーが可能なのだろうか。
よくわからない。
たぶんこのアプローチは破綻するのだろうけれど、その破綻の実状を「開示する」というかたちでしか私の「私家版ユダヤ文化論」は書き上げられない。
ややこしい理路だけれど、そういう「ややこしさ」に耐えなければどうにもならない論件なのである。
夕方から堂島のフェスティバル・ホールへ。
『スター・ウォーズ3』の試写会に越後屋さんからお招き頂いたのである。
来月の「エピス」のネタだし、やっぱり大きな映画館で祝祭的な雰囲気で見ておきたい。
武藏さんが「ダース・ベイダー」の格好をして舞台に登場。
「素」の武藏さんの暖かさが劇場をふんわり包む。
2000人からの観客を一瞬で「やさしい気分」にしてしまうというのは武藏さんのスケールの手柄だろう。
映画はたいへん面白かった。
町山さんがブログで書いていたので、けっこう「暗い」映画なのかなと心配していたけれど、考えてみたら、『スター・ウォーズ』6作通して見ると、めちゃくちゃ「暗鬱な」映画だったということに思い至る。
なにしろ、師弟の離反、親子の殺し合い、子棄て、母棄て、デマゴーグの跳梁、独裁者の待望、偏狭なナショナリズムの勝利、そして繰り返し映像化される四肢の切断…というめちゃめちゃ「濃い」ストーリーラインなのである。
物語的には「最終回」であるEpisode 6 『ジェダイの逆襲』のラストの「とってつけたような予定調和」にくらべると、興行的な「最終回」であるEpisode 3 『シスの復讐』のラストの「わりきれなさ」の方が『スター・ウォーズ・サーガ』の「締め」としてはたしかに「つきづきしい」。
結局この長編映画の中で最後まで、信じていた人間に裏切られなかった「無傷」な人はひとりもいない。
ハン・ソロだけが比較的無傷に見えるけれど、あれはハリソン・フォードのお気楽キャラの功績であって、ジョニー・デップとかブラッド・ピットが演じたらけっこう「神経症的」人格になったかもしれない(だって、長期冷凍されちゃうし、惚れたレイア姫は兄妹相姦一歩手前だし)。
『スター・ウォーズ』って悲劇だったんですね。
ところで明日あたり300万ヒットになりそうなので、300万および前後賞の方には本願寺出版社から「賞品」が提供されるそうです。
「当たり」の人はお知らせください(「お知らせ」の仕方については200万のときにIT秘書室からアナウンスがありましたね。忘れちゃいましたけど。やり方がわからない人はとりあえず画面をコピーしておいて下さい。詳細はIT秘書から・・・イワモトくん、あと書き足しといてね)
大学院の中国論では「江沢民の愛国教育」が論題。
先般の反日デモのときに、「あれは90年代に江沢民が行った愛国主義=反日教育の成果である」という説明がさまざまなメディアで流された。
ふむ、そうなのか…と思いながら、私自身(それほど熱心な中国ウオッチャーではなかったが、それにしても)90年代の「文化大革命に匹敵する規模の一大政治キャンペーン」として愛国主義的反日教育が隣国で行われていることを「まったく知らなかった」ということに驚いた。
だが、それは私ひとりのことではなかった。
「90年代の中国の反日キャンペーンって、覚えている?」という私の質問にゼミに参加していた人々の全員が「記憶にない」と答えた。
江沢民の愛国主義教育宣言は90年のものだが、全国的キャンペーンは95年の6月から9月にかけて終戦50年記念に合わせて行われた。
考えてみるとそのころは阪神大震災とオウム事件の直後である。日本のメディアが内向きになっていたから、隣国での反日政治キャンペーンの展開にメディアの関心も私たち自身の関心も向いていなかったということはありうることである。
しかし、聞いて驚いたことに、当時の日本政府も駐在大使館もメディアも…誰も中国政府に対して「反日キャンペーンは日中関係にとってよろしくないので、自制していただきたい」という申し入れをしていないのである。
反日キャンペーンの危険を最初に指摘したのは外国メディアである。
『ニューヨークタイムス』は直後に「反日キャンペーンは良好な日中関係を損なうので止めた方がいい」というオピニオンを掲げている。
私の記憶するかぎり、日本のメディアはそのような報道をしていない。
どうして?
私たちはふつう「自分が知っていること」に基づいて政治的意見を作る。
しかし、「自分が知らないこと」に基づいて政治的意見を述べるという方法も存在する。
「私はなぜこの事実を知らなかったのか?」というのはすぐれて分析的な問いである。
「日本のメディアは報道していない」というのは、おそらく私の勘違いで、実際には95年当時のメディアも中国における反日キャンペーンを報じていたはずである。
ただ、その「熱」が有意に低かったというだけのことである。
「みなさん、中国ではたいへんなことが起きてますよ!」というような喚起力のあるメッセージをメディアは発信していなかった。
なぜか?
おそらく政府(その頃は村山富市首相)がこの中国におけるマヌーヴァーを意図的に「軽視」しようとしていたからである。
なぜ日本政府は隣国政府が展開している有害性の高そうな反日キャンペーンをあえて無視したのか?
これは考えるに値する論件だ。
外交史的に考えると、この時期に急に反日キャンペーンがなされなければならないような日中関係上のフリクションは存在しない。
村山首相は戦後歴代の首相の中ではもっとも積極的に戦争責任について言及し、アジア人民への謝罪のことばを繰り返した人であるから、むしろ中国人の対日感情はこの時期に「小康状態」ないしは「かなり良好」であったはずである。
それが戦後50年「だから」というのでいきなり悪化したとは考えにくい。
その前の毛沢東、周恩来時代以来、日中のあいだで共有された「歴史認識」は「中国人民と日本人民はともに日本軍国主義の犠牲者である」という「物語」であった。
「悪いのは日本軍国主義」で、日本人民を責めるべきではない、という「物語」を採用することによって日中友好の礎は築かれた。
ということは、「日本軍国主義は悪い」という歴史観そのものに日本は(現代の日本国民を免罪してもらう代償として)公式に同意してきたのである。
だから終戦50年を記念して、中国が「日本軍国主義の悪行凶行」をことさらに誇示するキャンペーンを展開したときも、それが半世紀前の歴史的事象である「日本軍国主義」を標的にする限り、日本政府には「現代日本国民を代表して」それに異議を申し立てる外交的根拠がなかったのである。
そう考えると江沢民がなぜこの時期に反日キャンペーンに熱を入れたのか、その理由がわかる。
89年のソ連崩壊と胡耀邦総書記の死をきっかけに起きた社会主義圏の崩壊、民主化運動、天安門事件、新彊ウイグル地区での反乱の勃発、党内闘争の激化…という危機的状況の中で、政権基盤の脆弱な江沢民が「抗日戦争の記憶」をケルンにした国民精神再統合運動を企画したというのは(ベタな政策だが)、十分にありうることである。
その「窮状」を察知した、当時の村山内閣が「中国の反日キャンペーンはあくまで『日本軍国主義』に対するそれであって、現代日本を標的にするものではない」という中国政府のエクスキュースを受け容れたというのはありそうなことである。
隣国におけるこの全国規模のマヌーヴァーを「中国が内乱状態にまで分裂することは日本の国益にならない。ここは愛国主義でもなんでもいいから、とりあえず中央政府には政治的統合を維持できる程度のハードパワーを回復していただきたい」という政治判断から日本政府が「あえて軽視する」という政策を採択したというのは、十分にありうることである。
だから、外務省もメディアもアメリカ政府も、なるべくその問題にはおおきく触れないように、「そ知らぬ顔」をしていた…
という理路だったら私にも納得がゆく。
おそらく私たちが90年代の江沢民の反日キャンペーンを日中関係に重大な影響を及ぼす政治的事件として記憶していなかったのかのはそのせいなのだろうと思う。
だが、結果的にこの「ベタな政策」は国内的には統合のファクターとして機能して、内乱的危機の回避には成功したが、その代償として、中国国民のなかに根強い反日感情を扶植してしまった。
自分で撒いた「反日のタネ」の処理に、そのあと江沢民自身はかなり苦労したはずである。
7年前の江沢民の訪日のときの歴史認識問題での発言はほとんど「異常」なまでに執拗なものであり、日本政府はこれに対して「何を言うか」的な原則的な対応に終始した。
「日中の歴史問題というのはあくまで『日本軍国主義は悪い』という話であって、いまの日本の政策をその文脈では批判しないというのが日中友好条約以来の暗黙の了解だったじゃないですか」
というのがおそらく日本政府の言い分だったのだろう。
現に、このときの江沢民発言については、海外のメディアも日本のメディアも、「自分で点火してしまった反日キャンペーンのつじつまをあわせるため」という中国国内向けの政治的なパフォーマンスであるという評価でだいたい一致していた。
これに限らず、中国政府の政策決定は決定プロセスが不透明なので、いったいどういうファクターの複合的な結果なのか判定するのがなかなかむずかしい。
89年から97年にかけて、中国国内がきわめて政情不安定であった時期に中国政府はどのような政治的ファクターを考慮しつつ政策決定をしてきたのか、それについて十分な情報がないと、政策の当否については軽々に判断を下すことはできない。
ということを実感させられた発表であった。
それにしても、「全員が中国問題の素人」のゼミにしては、いつも中身が濃いのに感心する。
朝、野崎次郎くんから電話があり、癌で闘病中だった奥さんの川崎ヒロ子さんが今朝の6時20分に亡くなったという知らせをうけた。
享年55歳。
次郎くんとは19歳のときからの友人である。
バイト先で知り合ってからかれこれ30年余つるんで遊んできた。
私が神戸女学院に職を得て移ったのに前後して、彼も神戸海星におつとめの同業の仏文学者であるヒロ子さんとの結婚を機に、住み慣れた新宿を後にして関西に移住してきた。
六甲山で行われたふたりの結婚式の司会をおおせつかった縁で、ご夫妻とはずっと親しくさせていただてきた。
2001年の夏、語学研修の付き添いでパリのバスティーユ広場の近くに逗留していたときに、ご近所にいた野崎夫妻とご飯を食べに行ったり(そういえばこのときは「万博のさっちゃん」もいっしょだった)、コンサートにいったり気楽なバカンスを楽しんだ。
それが元気なころのヒロ子さんと遊んだ最後の機会になった。
そのあともおふたりで「阪神間仏文学者忘年会」には参加してくれていたが、一年半前に肺癌が見つかり、去年の暮れのわが家での忘年会に少し体調が戻ったといって来てくれたのが最後の思い出になった。
先日お見舞いにいったときはもう意識が混濁して、かろうじて名前をつぶやいてくれただけだった。
ほんとうに仲の良い夫婦だったから、半身を失った次郎くんの落胆を思うと胸が痛む。
通夜は22日(水)午後6時から、告別式は23日(木)午前11時から、芦屋ホール(阪神芦屋駅から南に徒歩3分。芦屋市役所向かい)にて。
ヒロ子さんの魂の天上での平安を祈ります。
残されたご遺族の方々のうえに神の豊かな慰めと癒しがありますように。
いささか暗い気分で大学へ。
アイオワのグリンネル・カレッジという大学の訪日教授団をお迎えするという公務があったので、はやめに大学にでかける。
「横飯」か、めんどくさいなあと思っていたら、隣に座ったのがジョレンビーさんという日本文学の専門家で今回の訪日団のリーダーのたいへんフレンドリーな女性だったので、
ほかのアメリカ人の先生もまじえて日本語英語ちゃんぽんで訪日の成果について伺う。
みなさんは広島や靖国神社にも行かれたそうである。
たいへんリベラルな大学らしく、私が話したふたりの先生がたは第二次世界大戦末期のアメリカの原爆投下や東京大阪の大空襲を「あんなことをアメリカはなすべきではありませんでした」と沈痛な面持ちで語り、「でも、アメリカの一般市民は自国の軍隊が日本に対して何をしたのか、ほとんど何も知りません…」と自国の歴史教育の不備についてきびしい自省のことばを漏していた。
バイブル・ベルトのど真ん中にあるアイオワの大学人がそんなことを考えているのか…と私はいささか驚いたが、ジョレンビーさんは「私たちはアイオワでは孤立した〈島〉なんです…」と苦笑していた。
そのような〈島〉を財政的に支える強固な支援者がいて、そこでリベラルアーツ教育がきちんと機能している。
アメリカの「底力」はやはり侮れないと改めて思う。
持つべきものは友である。
平川ブログに先夜の顛末が記してあったが、そのときにふたりで話した「どういう場合に会議はストレスフルなものになるのか?」という論件について、たいへんクリアカットなお言葉が記してあったので、再録しておきたい。
「それにしても、のたうちまわるほどのストレスを抱える仕事があるってのは、大変なことである。
いや、仕事が大変なのではない。
どうでもいいようなことを、クリアしないと、どうしてもやらなければならないことに駒を進められないという事態が、やりきれないのである。
ウチダくんの呻吟の委細は知らないが、主要な論件をめぐって議論が角逐することは
タフなことには違いは無いがストレスはあまりたまらない。
どうでもいいことで議論が空転することの空しさがボディに効くのである。
どうでもいいようなことにこだわり続ける人というものがいる。
面子。原則。被害者意識。ポリティカルコレクトネス。厳密な定義。自分の感情への誠実。
これらのことが、重要な場合もある。
しかし、遂行的な場面においては、ほとんどどうでもいいことである。
ビジネスにおいてふたつの戦略のどちらを選ぶかといった議論を何度もしてきた。
俺はほとんどの場合、どっちだっていいじゃねぇかなのである。
だって、未だ実現されざる未来について厳密な議論をしたところで、それが未来を保証するわけではないことを経験的に知っているからである。
とくに、判断が二分している場合には、どちらにも、すこしはいいところがあり、どちらにも、瑕疵があるということである。
いや、未だ実現せざることについての話である。
やってみなけりゃわからない。
どっちが正しいかというような正邪の文脈の話ではないのである。
むしろ、将来の成果に決定的な影響をあたえるファクターは、「誰が」それを担うかということだろう。
そいつが、信用のおけるやつであり、情熱をもってやりたいというのなら、もう、半分以上は道筋が見えていると言うことである。
「いんじゃないの。」
「ま、じゃあやってみっか。」
「で、俺は何をすればいいの」
こんな感じで、何十年もやってきて、決定的な過失は無かったように思う。
だいたいでいいというのは、いいかげんということではなく、「あたり」はついているということなのである。
遊撃隊の任務を分担せよ。
遂行的な場面で重要なのはこれ以外には見当たらない。」
まったく間然するところのない「会議論」である。
私は平川くんのこの考え方に深く共感するものである。
とくに問題の核心は議論の認知レベルでの整合性ではなく、その遂行性のうちにある、という指摘は重要である。
これまでも繰り返し書いてきたとおり、方針にかかわる議論が決着しないのは、そこに「未知」のファクターが入っているからである。
当たり前だけど、先のことはわからない。
だから、論者はそれぞれの「未来予測」と「遂行的決意」込みでその主張を語らざるをえない。
教員評価システムの場合、
(1) 文部科学省と認証評価機関から評価システムの導入が「強く」指導され、違反者に「ペナルティ」が課される
(2) その場合に、「自己評価」ではなく、所属長による「勤務考課」にウェイトを置く考課表が「強く」リコメンドされる
(3) 人件費削減のために理事会が「上司による」勤務考課制度の導入を要求する
という3点を(多少の時間差はあれ)「かなり確度の高い未来」として私は予測している。
私はこれまでの数年間かなり集中的に文部行政の「シグナル」(観測気球)と「施策」(法制化)のあいだのラグをリサーチしてきた。
その経験からすると、(1)(2)については、すでにはっきり「シグナル」が示されているから、実施に至るのは「時間の問題」であるというのが私の判断である。
(3)は次期理事長が誰になるかで変動するので、見通しは不明だが、現在の理事会の「人件費削減への旺盛な意欲」をふまえるならば、かなりの確度で「起こりうる」未来である。
このような「考課」のともなう「恣意性・権力性」と「評価負荷」を考慮すると、「(学科の特性を考慮して)自前でつくった」「配点を自己選択でき」「(公開情報に基づく客観評価だけなので)評価負荷がミニマム」のシステムを選択することは、「悪くない」判断であると私は思っている。
現に、原案に反対する人たちの中にも、この(1)(2)(3)について異論を唱えた人はいなかった。ということは、私の未来予測の蓋然性については、ご同意頂いているということである(たぶん)。
では、残る「未知」の要素とは何か。
私が記憶している限り、教授会で言及されたものはひとつしかない。
それは「評価システム導入されたことによる勤労意欲の減退」という未来予測である。
反対を唱えたほぼ全員がそれを口にした。
だが、「数値化されたらやる気がなくなる」というのは「未来予測」ではない。
それは「決意表明」である。
だって、主語は「私は」なんだから。
教員評価システムの導入に私は反対である→なぜなら、それは教員の「やる気」を損なうからである→私は教員である→システムが導入されたら、私は「やる気をなくす」であろう
要するに「その施策が不適切である」ということの論拠を「私自身が未来においてその施策の失敗のために努力を惜しまないであろう」という「宣言」に置いているわけである。
これは反論することのむずかしい立場である。
教員評価システムは、その名分においては、「教員のアクティヴィティを高める」ための施策である。
そのような施策によっては「アクティヴィティは高まらない」ということを主張する教員たちは、「ご自身のアクティヴィティを下げる」ことによって、その主張の正しさを証明することができる。
というか、「それしか」できない。
というのは、もしシステム導入後に彼自身のアクティヴィティが上がってしまうと(仮にそれがまったく別の理由からもたらされた効果であったとしても)、それはシステム導入が政策的に「正しかった」ことの証拠として(ウチダによって)認知されてしまうからである。
自分が反対した施策の正しさを(「その施策の正しさを理解できないほどに判断力を欠いていたという事実」を)身銭を切って証明してみせるというのは、たいへんに不愉快な経験であろう。
熟知されているように、大学教員の相当数は「所属する共同体にとって有意義な活動をすること」よりも、「自分の推論の正しさを証明すること」の方を優先させるタイプの人々である。
このタイプの教員たちが、この先、研究教育学務のすべてにおいて「手を抜けば抜くほど」自説の正しさが証明できるという誘惑的環境におかれた場合、どのようにふるまうことになるか、想像するのはそれほどむずかしいことではない。
そういう意味で、私はこの「決意表明にもとづく未来予測」はなかなか論駁するのがむずかしいと考えているのである。
だが、その反対に、「もし、教員評価システムが導入されて、かりに他の教員たちがそのアクティヴィティを低下させても、私は私自身のアクティヴィティを下げるつもりはない」という「決意表明」をする人々もいる。
まちがいなくかなりの数の本学教員はそのような決意をされているように思われる。
そのような教員たちが多数派を占めるならば、「暗鬱な未来予測」は「断固たる主体的決意」によって覆されることになる。
いずれの場合も、「アクティヴィティが下がる」という未来予測の蓋然性はそれを語る人間の主体的決意にほぼ100%依存している。
私たちは文部科学省や中教審や大学基準協会の採択する教育行政方針を個人の主体的決意によって変えることができない。
しかし、自身のアクティヴィティの質は主体的決意によって変えることができる。
そうであるから、「変えることがむずかしい」要素を「認知的常数」とし、「変えうるもの」を「遂行的変数」として未来予測を行うことを私はお勧めしているのである。
わかりやすい話だと思うのだが。
全学教授会で「火だるま」となる。
身の不徳の致すところであるから仕方がないといえば仕方がないのであるが、職務上の立場から公的に提案していることがらについてウチダ個人の人格にかかわる批判まで受けるとさすがにこめかみに青筋が立ってくる。
繰り返し言うけれど、私はやりたくて「こんなこと」をしているわけではない。
今「これ」をやっておかないと、いずれ「もっとやりたくないこと」をやらなければならないことになる蓋然性が高いと判断したので、やったらいかがでしょうかとご提言しているわけである。
事情をご存じない方には何のことだかわからないであろうが「教員評価システム」の導入ことである。
日本の大学教員というのはこれまでほとんど「評価」フリーの特権身分であった。
川成洋先生が『大学崩壊』で示したデータによれば、大学教員の25%は過去5年間に一本の論文も書いていない。
学内行政や入試事務を「雑務」と称して、多くの教員が「私は研究者なので雑務はやりたくありません」とうそぶいている。
もちろん、一方に研究熱心な教員、学務に心身をすり減らしている教員、教育に命をかけている教員もいる。
提案させていただいた本学の教員評価システムは、そのような「がんばっている教員」と「それほどがんばっていない教員」の業務の差を目に見えるかたちで数値化し、がんばっている先生には励ましを、がんばってない先生には反省を、という趣旨のものである。
文部科学省はそういうシステムを早く作れとせっついているし、大学基準協会もそういうシステムを持ってないと認証評価での大学格付けに影響が出ますよ、と繰り返し指摘してきている。
認証評価において高い信用格付けを得られるかどうかは、大学淘汰の時代に大学の存続にダイレクトに関与する。それは私たち自身の雇用確保上死活的に重要なことである。
そう考えて、教員評価システムの整備を自己評価委員会で四年にわたって案を練り、二度の大学研修会でも長時間をかけて審議した。
そして最終案を提示したところで、やはりまた「こんなものを作って何になる」「こんなもので大学への貢献を数値化されるのはごめんだ」「だいたい、話の順番がちがう」というようなもろもろのご反論が寄せられた。
そういった反論にはこれまで何度もお答え申し上げてきたはずである。
いったい同じことを何度言わなければならないのであろうか。
おそらく「聞きたくない答え」は先方の耳には選択的に聞こえていないので、それゆえ同じことを何度でも訊ねられるのであろう。
働いても働かなくても同じ給料がもらえ、研究してもしなくても同じ潤沢な研究費が支給されるようなのどかな職場環境はいま日本のごく一部の大学にしか残されていない。
さいわいなことに、本学はその「ごく一部の大学」のひとつである。
ずっとこのままでいたいという願望を私はよく理解できる。
でも、それはむずかしいだろうと思う。
非常にむずかしいだろうと思う。
この研究環境がハードな仕方でクラッシュしないようにするには、外からの淘汰圧に対するある程度の「備え」が必要である。
その「備え」の一つとして教員の自己評価のシステムを立ち上げることは戦略的には適切な判断であると私は考えている。
その「常識」がなぜか多数の方の同意をすみやかに得るというふうには展開しないのである。
それはこれまで学内でウチダが同僚に対して働いてきた「悪事」や「暴言」の清算を迫られているという側面も(すごく)あるので、他人を責めてばかりもいられないのであるところがちょっと切ないが。
ぐったり疲れて帰宅。
平川くんが来ているので、夕食をご一緒する。
生ビールで乾杯して、つまみを二品三品つまむうちにきりきりと胃が痛みだす。
1時間半「針の筵」の上に座っていたので、さすがに私のタフな胃もストレス許容限界を超えたらしい。
食事を途中でやめて、あたふたと家に戻り、持薬のブスコパンを探し出して服用。
30分ほどで薬が効いて、胃の痛みが収まる。
やれやれ。
こんなことで寿命を縮めるとは、まことに割に合わない渡世である。
しかし、胃の痛みも癒えて、あらためて一献傾けつつ平川くんと歓談爆笑しているうちにしだいに寿命が回復してゆく(のがわかる)。
持つべきものは友である。
一夜明けて、東京へ帰る平川くんを「男やもめの所帯はきたねーな」という印象的な言葉を聞き流しつつ送り出す。
私だってほんとは「きれい好き」なんだけど、掃除している時間がないんだよお。
寿命のさらなる延長をはかるべく三週間ぶりの芦屋の合気道のお稽古へ。
30人近くが道場にひしめいている。
コヒーレンス合気道正面打ち一教に新たな「気づき」があって(腕の旋回)、それをあれこれと工夫してみる。
気持ちのいい汗をかく。
合気道はいいなあ。
お稽古のあと、神戸のKAVCホールにイクシマくんの芝居を見に行く。
イクシマくんは「ぷーのさっちゃん」の同期生で、脚本も書くし、演出もするし、芝居もするマルチタレントな演劇少女(もうだいぶ大人)である。
ego-rock という劇団を主宰しているが、今回は劇団VADAというところの公演にシナリオライター&女優として参加している。
卒業生のパフォーマンスはできるだけフォローすることを「卒業後教育」の一環として自らに課しているので、神戸まででかける。
女優で出ている河田幸子さんも本学の今はなき「創楽座」のメンバーである。
IT秘書室長のフジイもたしかむかしは芝居の演出をしたことがある。
かくいう私も二十代には代役で六本木の旧俳優座劇場の舞台を踏んだことがある。
そのときの私の怪しい演技を見たNHKのディレクターからしばらくしてTVドラマへの出演依頼があった。
私はフランス文学研究者なのであって、あれは「たまたま」人がいなくて出ただけなんですとお断りした。
私にオッファーされた役は結局状況劇場にいた小林薫さんにキャストされた。
あのときTVドラマに出て、そのまま俳優になっていたら、私の人生はどうなっていたのであろう。
いまごろは小津映画の北龍二みたいな「大学教授の役」ばかりやる俳優になっていたかもしれない。
人生にはさまざまな岐路があるものである。
イクシマくんは脚本も練れているし、芝居も微妙に狂気がにじんでいるし、美貌だし、そのうち関西演劇界のアイドルになるかもしれない。
明日までだけどお近くの方は見に行ってやってください。
劇団VADA第13回公演「最後の朝食」
神戸アートヴィレッジセンターホール(新開地から5分、JR神戸から10分)
明日は13時と17時の二回
当日2400円。
問い合わせ078-842-6574(劇団VADA)
三年生の専攻ゼミのお題は「ファッション」。
女子大生は好きなんですよ、このテーマが。
いきおい、それで卒論を書く学生も多いが、揃ってできはよろしくない。
それも当然で、ファッションやモードやブランドについて彼女たちが参照する言説はそのすべてが(と申し上げてよろしいであろう)「消費の活性化とターゲットの限定」をめざす「業界」の文法に貫かれているからである。
それは宝塚歌劇については「その擁護と顕彰」に奉仕する劇評以外存在しないのと同型的である。
なぜ、若い女性は時給750円のバイト200時間で稼いだ金をヴィトンのポーチに投じるというような無謀な消費行動をとるのか。
そのような消費行動を規定しているファッション言説の生成システムに肉迫する研究に私はまだ出会ったことがない。
研究は「ラディカル」でなければならない。
ラディカルというのは根源的という意味だよ(とマルクス老師はおっしゃった)。
ものごとはその根源に立ち返って考えなければならない。
以前書いたように、ルイ・ヴィトンの年間生産量の50%は日本人が購入している。
これはどう考えても「異常」である。
ヴィトンのバッグはボードリヤールが言うように「象徴価値」をもつ商品であって、その趣意は「所有者の社会的階層を指示すること」である。
ところが、日本では時給750円のビンボー娘がヴィトンのバッグを持っているのであるから、ブランド商品は「所有者の所属階層を指示する記号」としてはまったく機能していない。
記号としてはたしかに機能しているのだが、それは「階級」というようなおおざっぱなもの識別指標としては機能していない。
日本社会におけるブランド商品や流行感度はもっと「微細な」差異を指示する記号なのである。
日本人の記号操作のきわだった特徴とは、ひとことでいうと「米粒に千字書く」ような「微細な差異の感知能力」にある。
非日本人にはまず感知できないようなわずかなグラデーションの違いのうちにくっきりとした記号的分節を発見できる能力。これが日本人の記号操作を特徴づけており、日本における流行商品の消費動向全体を規定する条件なのである。
その結果、日本ではどういうことが起きているかというと
(1)ファッションにおける記号的差異があまりに微細であり、かつ頻繁に変更されるので、消費者は暗号解読のための「コードブック」を参照する必要がある
(2)ごくわずかな物質的差異が記号的に有意なので、「生産コストが安くすむ」
「ファッション雑誌」という膨大な量の言説は消費動向を規定するプロパガンダであると同時に、「着こなし」や「チョイス」の差異が「何を意味するのか」を公共的に確認するための「暗号解読表」としても機能している。だから、若い女性はむさぼるようにファッション雑誌を読むけれども、あれは競馬ファンが「血統」をそらんじたり、博徒がサイコロの「出目」をそらんじているのと同じく、「文脈」を暗記しているのである。
このような消費者サイドの滅私奉公的協力があるので、業界サイドは大幅なコスト削減を達成できる。
コストダウンというのは、素材が同一であり、デザインが同一である商品を大量に作成することで達成される。
日本の消費者は「ファッション雑誌熟読」のおかげで、わずかなデザインやコーディネイトの差異のうちに「流行感度のきわだった違い」を感知できるたいへんに差異コンシャスネスの高い人々であるので、商品を提供する側としては、「細部をほんのちょっと変える」だけで「まったく別の商品」を作り出すことができる。
つまり、メーカーさんは生産ラインの99%を同じにしたまま、1%を変えるだけで「流行遅れ」の商品を「流行の先端をゆく」商品に書き換えることができるのである。
こんなことはスカート丈の1センチの違いや襟幅の5ミリの違いを「記号として感知できる消費者」の協力なしにはありえない事態である。
しかし、日本人はそれができる。
これによってもちろんメーカーはわずかな投資で毎年新商品を展開できるというメリットを享受しているわけだが、同時に消費者も大量生産によるコストダウンのおかげで良質の商品を相対的に安い値段で入手することができる。
そして忘れてはならないのは、日本人が世界に誇る「付和雷同体質」である。
あるファッションアイテムがわずか数週間のうちに全国を席捲し、「流行感度のいい女の子」たち全員が同じ格好をするというようなことは欧米ではありえない。
この「トレンドに乗る感覚」は欧米の消費者が経験することのない種類の「宏大な共生感」を日本の消費者たちにもたらしている。
そういう点で日本の若い女性がファッションを享受している仕方は独特である。
流行というのはむずかしいもので、ある服装をしたり、ある持ち物を選ぶことが「流行感度の先端性の記号」であるということが理解されるためには、「流行感度の先端性」を解読するリテラシーが「すでに」大衆的に共有されていなければならない。
「あら、お洒落ね!」と「受けて」くれる人がいない限り、どのような先端的なスタイルも記号としては機能しない。
「それが何を意味するかがすでに知られている」ものでなければ、どのようなものを着用携行しようと、それは流行感度の記号としては認識されない。
そして、「それが何を意味するかがすでに大衆的に認知されている」ということは、逆説的なことに、それが「すでに先端的ではない」ということを意味しているのである。
流行が魅惑的なのは実はこの一点にかかっている。
それ自体の先端性を否定することなしには、先端性として認知されないという「脱構築」的な宿命ゆえに、〈流行〉はすぐれて人間的な現象なのである。
というような話をしたかったわけではなくて、ファッションを論じるのであれば、それがそのまま日本文化論になるような掘り下げを期待したいということを申し上げたかったのである。
健闘を祈る。
靖国神社参拝の是非を論じたら、いくつかコメントやTBがあり、いろいろ議論がされている。
目を通したけれど、その中に小泉純一郎の「戦略」についてまじめに論じたものはどうもひとつもなさそうである。
だが、私が訊いたのは、それ「だけ」である。
どうして、誰も答えてくれないのだろうか。
私の設問の仕方が悪かったのかもしれないし、どなたも「そんなこと」には興味がないのかもしれない。
「興味がない」のは、おそらく靖国参拝賛成派の方も反対派の方も「小泉が何を考えているか、私にはわかっている」と思っているからである。
参拝反対派の方の中には「小泉首相が何を考えているか、わからない」と率直に言う方もある。けれどもそれに「わかりたい」という言葉は続かない。
私はそういう態度はいささか危険ではないかと思う。
彼は場数を踏んだ政治家であり、下馬評をひっくり返して自民党総裁のポストをゲットし、圧倒的な追い風ブームを作り出して選挙に連戦し、戦後最良の関係を日米間に築き上げた手練れの外交家である。
彼がまさか「強気に出ないと相手になめられる」というような路地裏政治力学のレベルで日中関係というデリケートな外交的難問に対処するほどに知性を欠いた人物だと私は思わない。
もしかしたらほんとうに「何も考えていない」のかもしれないけれど、私はこういう場合にはそういう安易な回答への誘惑を自制することにしている。
自分がその行動を理解できない人間の動機について忖度する場合には、「そこには容易に常人の想像のおよばない深い理由があるのでは・・・」と考える方が、少なくとも私にとってはスリリングである。
どちらにしても、それによって失われるのは私の時間であって、誰の迷惑にもならない。
というわけで、誰も私に代わって想像してくれる人がいないようなので、自分で小泉純一郎は何を考えているのかについて想像をめぐらせてみることにした。
以前にも書いたことをもう一度繰り返すが、日本国首相がA級戦犯が合祀されている靖国を公式参拝することについて、権利上まっさきに異議を唱えるはずの国がある。
アメリカ合衆国である。
アメリカは直前の戦争で、「日本軍国主義」と戦い、硫黄島で29000人、沖縄戦で12000人の戦死者を出した。
アメリカ大統領は、太平洋戦争で日本軍に殺された数十万の米軍兵士たちの「英霊」への配慮から、「軍国主義の指導者」が合祀されている神社への総理の参拝に強い抗議を申し入れてよいはずである。
「アメリカ人を殺した日本兵士たちを一国の首相がすすんで慰霊するということは、二度目の真珠湾攻撃のための心理的準備を行うことに等しい」というような理屈をつけて。
だが、アメリカ大統領はそういう申し入れをしない。
私たちが注目すべきなのは、中国韓国から「クレームがつく」ことではなく、むしろアメリカから「クレームがつかない」ことの方である。
靖国参拝賛成派の多くは、南京虐殺を理由に広田弘毅、松井石根を処刑した「東京裁判」の不当性についてもあわせて言及するのがつねであるが、その東京裁判を主導したのはほかならぬアメリカである。
その東京裁判の「不当」を言い立てる世論に乗って、アメリカ人将兵の死に直接責任があるとアメリカ自身が認定した戦争犯罪人を祀っている靖国参拝を繰り返す政治家に、もっとも不快を感じる国があるとしたら、常識的に考えて、アメリカである。
胡錦涛よりも先にまずジョージ・W・ブッシュが「公式参拝をやめろ」という強いメッセージを出してよいはずである。
しかし、ブッシュ大統領もアメリカ国務省もこの問題に対しては沈黙している。
「牛肉を買え」というような手前勝手なことについては日本の国民世論をいくら逆撫でしても言いつのる国が、なぜ日本国首相の靖国参拝という「外交的非常識」についてはこれを座視するのか?
そのことをどうして人々が「不思議だ」と思わないのか、それが私には不思議である。
アメリカが首相の靖国参拝を座視する理由は論理的に考えればひとつしかない。
アメリカは小泉首相の公式参拝を彼らの東アジア戦略上「有利」なカードであると評価しているからである。
外交問題を感情の次元で議論するなら、アメリカ合衆国の態度はまったく不可解である。
しかし、戦略の次元で評価するなら、アメリカの判断はごく合理的で適切なものと私には思われる。
彼らにとって60年以上前に太平洋で死んだ自国兵士の「英霊」たちはとりあえず副次的な問題でしかない。
喫緊の問題は「今後の」アメリカ合衆国の東アジアにおける政治的・軍事的プレザンスをどうやって確保するかである。
アメリカは東アジアにおける彼らの政治的プレザンスがしだいに「危機的」なものになりつつあることを感知している。
21世紀に入ってから、日中韓の三国の経済的・文化的リンケージは急速に(おそらくアメリカの予測を上回るスピードで)深まった
「日中韓東アジア共同体」ブロックの創成が具体的な政治日程にのぼってきた。
今年の12月には「東アジア共同体サミット」が開催され、ここで政治的な合意が果たされ、共同声明が発表された場合、地域内での共同体をめざす世論は一気に加熱する。
それは南北朝鮮の統一や台湾の「プレイヤー」としての承認を含む劇的な東アジア秩序再編という「不可避の」トレンドの水門が開くということを意味している。
アメリカがもっとも恐れているのは「そのこと」である。
3月に来日したライス国務長官が残した重要なメッセージは「東アジア共同体の創設を許さない」ということばであった。
なぜなら、東アジア共同体の創設は、そのままアメリカが東アジア政治のキー・プレイヤーである時代が「終わる」ということを意味しているからである。
彼らが望んでいるのは、アメリカを含んだ「パン・パシフィック・ブロック」である。
ブロック内パートナーとして中国を内側からコントロールするという立ち位置と、太平洋の反対側から「アウトサイダー」として東アジアを統制しようとするのでは外交の効率が違う。
現在、世界戦略の最重要エリアは東アジアである。そこにキー・プレイヤーとして踏みとどまることにアメリカは外交的リソースを集中的に投入している。
「アメリカ抜き」の東アジア秩序の再編はアメリカにとって最悪のシナリオである。
いかなる手段を用いても、それを阻止し、ブロック内の最重要メンバーとして東アジア