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2005年04月29日

受難するリベラルアーツ(じゃキャッチコピーにならないな)

連休初日は教員研修会。
午前9時から出勤。
○クルートの大学関連系のシンクタンクのみなさんがどどどと登場して、パワーポイントを駆使して、「これでもか」の大学改革の「ここがツボ」の乱れ撃ち。
本学の大学サバイバル戦略にはツボにはまっているところも多少はあるものの、ツボから大いに逸脱している点もあり、そもそもそこに「ツボがある」ということさえ覚知されていなかった点もあり、太平の眠りを覚ます「黒船的」プレゼンであった。
予期されていたこととはいえ、近隣の各大学のどの学部が「いつ」定員割れを起こすかのシミュレーションを拝見したときは、魂消える思いがした。
なにしろ、危険水位を超えて当該学部が「沈没」するときに、パワーポイントは小さな「ドッボーン」という効果音を発するのである。
「貴学については、このようなシミュレーションはしておりません」と講師の方はおっしゃっていたが、老狐ウチダはそのようなことばを軽々に信じるほど初心ではない。
講演後、階段横で講師の方をつかまえて「ほんとはしたんでしょ?」とぐりぐり脇腹を肘でつつく。
「ね、ほんとのところはどうなんです」
「ま、それはですね、ここだけの話、ごにょごにょ」
「何、『ごにょごにょ』ですか」
「というか、ごにょごにょごにょ」
「ほおお…」
伏せ字部分については賢明なる同僚諸氏の想像に委ねるとして、さまざまな状況的与件が不確定である以上、未来は依然として霧の中である。
リ○ルートのみなさんと、遠藤FDセンター・ディレクター、荒木課長と会食。
会食中も「あの、ここだけの話ですが、○○大学の○○学部ありますね、あれ、どうなんですか」「あ、あそこはですね…」というような生臭い話が続く。
あえて一般論にまとめると、「創意」のあるところに道は開け、「模倣」するものに未来はない、というのが私の総括的印象であった。
世の中というのはなべてそういうものである。

今日のプレゼンで本学について示されたデータのうち、もっとも興味深かったのは本学の知名度が想像以上に低いということであった。
それはもう、驚くべく低い。
競合校であるK女子大やD女子大やM川女子大に比べても「がくん」と低い。
しかるに、「神戸女学院を知っている」「興味がある」集団だけを対象にしたアンケートでは大学評価が高い。
たいへんに高い。
つまり、本学について何らかのことを知っている人間が伝える情報においては本学の評価が高いのである。
で、情報を伝えられない人は何も知らない。
当たり前だけど。
浅草の路地奥の排他的な天麩羅屋みたいな「知る人ぞ知る」大学なのである。
微妙な立ち位置である。
「脱=路地裏」路線を選択して、「カフェ気分でリーズナブルなランチは半天丼にエスプレッソ付きで680円!」的にカジュアル展開するという手もある。
「べらぼうめ、うちは寛永元年からの老舗でい。半チクな野郎に食わせるネタはねえよ」的にあくまでミステリアスなオーラ頼りのインビジブル・アセット勝負という手もある。
悩ましいところだ。
老舗がじたばた「若作り」をしても、空回りすることが多い。
しかし、暖簾だけでしのげる時代でもない。
この「細うで繁盛記」的葛藤そのものを、けれん味なしに、すなおに開示してゆくというのがおそらくは本学のパブリシティの王道なのであろう。
そして、「受難するリベラルアーツ・荒野に屹立するキリスト教教育」の矜恃を保ち続けることがおそらく本学教職員に共通することばにならない願いであるように私には思われた。
あるいは、そのような「あいまいな立ち位置」そのものが、退路を断って太平洋を渡ってきた二人のアメリカ人女性宣教師によって明治初頭の神戸に建てられた女学校の130年の本来的エートスにもっともふさわしいものなのかもしれない。

投稿者 uchida : 22:56 | コメント (1) | トラックバック

2005年04月28日

拭いたティッシュが五万枚

『冬のソナタ』全20話を見終わる。
今頃こんなところに感想を記すのはまことに時宜を得ない発言であることは重々承知であるが、あえて言わせていただく。
泣いた。
ずいぶん泣いた。
ユジンが泣くたびに、チュンサンが泣くたびに、私もまた彼らとともにハンカチ(ではなくティシュだったが)を濡らしたのである。
『冬ソナ』は日本の中高年女性の紅涙を絞ったと巷間では喧伝されていたが、そういう性差別的な発言はお控え願いたいと思う。
五十余年の劫を経た老狐ウチダでさえ、「それから10年」というタイトルが出たところから(第一話の終わりくらいからだね)最後まで、暇さえあればむせび泣いた。
心が洗われるような涙であった。
「ユジン、戻り道を忘れないでね」
というところでは、頬を流れる涙を止めることができなかった。
ミニョン、おまえ、ほんとうにいいやつだな。
一方、サンヒョクが「ユジン、もう一度やり直さないか」と言うたびに、チェリンが「ミニョン、私のところに戻ってきて」と言うたびに、私はTV画面に向かって「ナロー、これ以上うじうじしやがると、世間が許してもおいらが許さないぞ」と頬を紅潮させて怒ったのである。
ともあれ、一夜明けて、われに帰ったウチダは、映画評論家として、この世紀の傑作についてひとことの論評のことばを述べねばならない。
私は自分が見る予定の映画については映画評というものを事前には読まないことにしている。
だから、『冬ソナ』について私がこれまで得た知識は、三宅接骨院の待合室でめくる女性誌の「ヨン様」関連記事だけであった。
さいわい、女性誌の提供する情報は、どのようなものであれ作品鑑賞上益するところも害するところも全くない(ということを今回しみじみ実感した。世にあれほど「情報的に無価値」な情報を提供するメディアが存在するということも驚嘆すべきことではあるが)。
女性誌の報じるとおり、ペ・ヨンジュンくんが本邦で「ヨン様」と呼称され、彼に関するいかなる貶下的コメントも熱烈なるファンたちから断固として排撃せられてきたその理由が私にはよくわかった。
それ以外に私はこの作品についての体系的批評というものを読んでいない。
唯一の例外は兄上さまから拝聴した「韓流ドラマ四つのドラマツルギー上の秘法」すなわち「身分違いの恋」(これは『初恋』についてのものであり、『冬ソナ』には適用されない)「親の許さぬ結婚」「不治の病」「記憶喪失」がドラマの綾となるという知見のみである。
しかし、私は今回韓国TVドラマおよび韓国恋愛映画に伏流するドラマツルギー上の定型が何であるかを確信するに至った。
それについてご報告申し上げたい。
それは「宿命」である。
宿命というと大仰だが、言い換えると「既視感」である。
「同じ情景が回帰すること」
それが宿命性ということである。
フロイトはそれを「不気味なもの」と名づけた。
重要なのは「何が」回帰するかではなく、「回帰することそれ自体」である。
わけもなく繰り返し訪れる「同一の情景」。
それに私たちは呪縛される。
同じ状況が意味もなく繰り返されるという事実のうちに私たちは人知を超えた何ものか、「神の見えざる手」を直感するのである。
「宿命」について、かつてレヴィナス老師はこう書かれたことがある。
宿命的な出会いとは、その人に出会ったそのときに、その人に対する久しい欠如が自分のうちに「既に」穿たれていたことに気づくという仕方で構造化されている、と。
はじめて出会ったそのときに私が他ならぬその人を久しく「失っていた」ことに気づくような恋、それが「宿命的な恋」なのである。
「初恋」が「二度目の(あるいは何度目かの)恋」として、眩暈のするような「既視感」に満たされて重複的に経験されるような出会い。
私がこの人にこれほど惹きつけられるのは、私がその人を一度はわがものとしており、その後、その人を失い、その埋めることのできぬ欠如を抱えたまま生きてきたからだという「先取りされた既視感」。
それこそが宿命性の刻印なのである。
だから、どのような出会いも、作為なく二度繰り返され、そこに既視感の眩暈が漂うと、私たちはそこに宿命の手を感じずにはいられない。
『猟奇的な彼女』も『ラブストーリー』もそうだった。
『冬ソナ』は全編が「同一情景の回帰」によって満たされている。
そういう意味ではきわめて経済効率のよい脚本である。
なにしろ「同じ情景」が二度繰り返されると、みんな感動しちゃうんだから。
私だって、「その手はもうわかった」とうめいたこともある。
しかし、二度の交通事故、二度の「入院」による関係の断絶、そして繰り返される二人の偶然の出会い(一度目はチュンサンとして、二度目はミニョンとして、三度目はチュンサンとして、四度目は…)という「これでもか」とたたみかけるような「同一情景再帰の手法」の前にウチダはなすすべもなく、ただ滂沱の涙で応じるばかりだったのである。
ラストシーンで私はまた泣いた。
必ずや二人は偶然の糸に導かれてまた会ってしまうに違いないと知りつつ、その偶然の糸をウチダは「作為」ではなく「宿命」と呼びたくて、「宿命」の甘美さに、泣いた。
わかっちゃいるけどやめられない的に泣いた。
この確信犯的な「宿命の乱れ撃ち」に、条理をもって抗することは不可能である。
なんとでも言うがよろしい。
私はDVDを買うことにした。
おそらくこれから先、心が凍てつく夜が訪れる度に、私は「予定調和的な宿命」というドラマの不条理に「やっぱ人生って、こうじゃなくちゃ」と深く頷きつつ、熱い涙を注ぎ続けるであろう。

投稿者 uchida : 22:28 | コメント (3) | トラックバック

2005年04月27日

ラリー・トーブ&鷲田清一両先生との一日

ブログ日記には何でも書いておくもので、Lawrence Taub さんのことを書いたら、いろいろな人からどっと情報提供があって、トーブさんのHPを教えて頂いた。
さっそくそこにあったアドレスにメールを送ったら、すぐにご返事が来た。
トーブさんはいま日本にお住まいで(来年半ばに離日されるそうであるが)、『Spiritual Imperative』はなんとご本人のところに申し込むと手ずから現品をお送り下さるそうである。
さっそく書留で代金をお送りして、本を手配する。

興味のある方は他にも多々おられるであろうから、ここにご案内しておく。
Website without ads:
http://www.larrytaub.com
http://www.spiritualimperative.com
Website with ads:
http://larrytaub.tripod.com
Article in Asia Times, April 7, 2005 http://www.atimes.com/atimes/China/GD07Ad07.html

トーブさんは日本語もおできになるそうで、私の先日のブログ日記もそこに書き込まれたコメントやTBの記事も読んでおられたそうである。
天網恢々疎にして漏さず。
「同じ時期に日本にいらっしゃるなんて奇遇ですね」と書いたら(もちろん英語で書いたんだよ)、トーブさんも「不思議なご縁を感じます」と書き送ってきた。
こういう「ご縁もの」というのは、わりと「当たり」なのである。
たまたま大学院の授業は中国研究であるから、当然のように昨日の演習では『Spiritual Imperative』の話をご紹介する。
たまたまNTT出版のM島くんがゼミに遊びに来ていて、その話を聴いているうちに「どこもまだ翻訳権取ってないですよね…」とすでに中腰姿勢に入っている。
なことをブログに書くと、あちこちの出版社の人が同じように中腰姿勢になるかもしれないので、M島くんは翻訳権の確認を急いだ方がいいかもしれない。

ゼミでは渡邊さんに「中国の政治的エートス」という主題で先週に引き続き一覧的なしかたで中国の政治史について概説してもらう。
中心的な論点のひとつは日中交渉史であるが、その中の「清算できない過去の侵略の歴史」ということについて、どうも私たちは力みすぎているのではないかという話になる。
別に保守派の論客たちが言っているように「もう外交的決着はついているんだからがたがた言うな」とういうたぐいの議論をしたいわけではない(そんなこと私が言うはずがない)。
外交的決着がつき、条約的には「手打ち」が終わっているにもかかわらず、「謝罪と補償」の問題が繰り返し浮上するのは、問題が外交レベルには「ない」ということを意味している。
本質的な確執が外交レベルにはない問題を、外交レベルでは「決着ずみ」だと言ってみても始まらない。
この場合の「本質的な確執」は歴史的「事実」の問題ではない。
歴史的事実の「解釈」の水準の問題である。

例えば、靖国神社への参拝が中国や韓国の人々が言うように「軍国主義的過去の正当化」であるというのが事実であるとすれば(かなりの程度まで事実だと私は思うが)、敗戦国の首相がそのような挑発的な政治的ジェスチャーを繰り返すことに対して、同じように強い不快の念を表してもいい戦勝国が他にもあるはずである。
アメリカ合衆国である。
アメリカは直前の戦争で、「日本軍国主義」と戦い、硫黄島で29000人、沖縄戦で12000人の戦死者を出した。
当然、ジョージ・W・ブッシュ大統領は、太平洋戦争で日本軍に殺された自国の数十万の戦死者たちの「英霊」の天上での平安を護るべき立場からして、小泉首相に強い抗議を申し入れてよいはずである。
「ふざけたことをするな」と。
「アメリカ人を殺した日本兵士たちを一国の首相がすすんで慰霊するということは、次なる対米戦争、二度目の真珠湾攻撃のための心理的準備を行うことに等しい」と。
だが、アメリカ大統領はそういう申し入れをしない。
どうしてアメリカはしないが、韓国や中国はするのか。
私は別にアメリカがしないんだから、韓国中国もするな、というようなことを申し上げたいのではない。
アメリカからのそういうクレームは理論的には「あり」だと私は思う。
にもかかわらず現実には「ない」。
私たちが注目すべきなのは、中国韓国から「クレームがつく」ことではなく、むしろアメリカから「クレームがつかない」ことの方なのである。

シャーロック・ホームズとミシェル・フーコーはともに「『どうしてその出来事が起きたのか?』ではなく『どうしてその出来事は起きたのに、それとは別の出来事は起きなかったのか?』を問うこと」を彼らの推理術の重要な技法として駆使した。
私も両家の驥尾に付して、同じ推理を行ってみたいと思う。
どうして、アメリカは日本の首相が自国民を殺害した兵士たちを慰霊することに対して「別に、どうでもいい」という態度を示しているのか?
それは日本がアメリカ領土を侵略したことがないからではない(現に真珠湾を攻撃した)。
アメリカ人を殺さなかったからではない(現にたくさん殺した)。
アメリカ人を虐待しなかったからでもない(現に米兵捕虜虐待の事例が多く報告されている)。
それにもかかわらず靖国神社の公式参拝にアメリカ大使館が強く抗議し、日米同盟の廃絶カードをちらつかせるということをしないのは、戦争が終わったときに、「そのこと」はとりあえず忘れておくことに日米が合意したからである。
「そのことをとりあえず忘れておく」ことのもたらす利益の方が「そのことを折に触れて持ち出す」ことの利益よりも大きいということについて、日米両国民のマジョリティの間で暗黙の合意が成立していたからである。
他に理由はない。
「歴史的出来事」というのは生きている側の都合で「棚上げ」されたり、「忘れられたり」「思い出されたり」する。
良い悪いではなく、「そういうもの」なのである。

典型的なのはキリストの受難だ。
キリストに死刑を宣告したのはローマ総督ピラトである。
キリストを磔刑に処したのはローマ兵である。
このことは四つの福音書すべてが証言している。
しかし、今日、イタリア人に向かって「イエスを殺したのはあなたたちの祖先なんですよね」というひとは誰もいない。
世界中の人が熟知している歴史的事実なのに。
それは「イタリア人がイエスを殺したこと」を「とりあえず忘れておくこと」の方が、「そのことを折に触れて持ち出す」ことよりも利益が大きいという政治的判断を世界のマジョリティが共有しているからである。
イタリアのカトリック信者にとってもバチカンにとっても、それは「決して触れて欲しくない忌まわしい過去」である。
だから、人々はイタリアのキリスト教徒を気づかって、「そのこと」は知っているけど、知らないふりをしているのである。
人間というのは「そういうこと」ができる生き物である。
人間のそういう能力を「ずるい」とか「弱い」とか「非倫理的」とか断罪しても仕方がない。
トラウマ的経験を忘却するか思い出すかを決定する差異はトラウマ的経験それ自体に内在するわけではない。
それはその経験が置かれる文脈に依存する。
歴史的な出来事の回帰と忘却の力学は文脈依存的である。

私たちは他人を傷つけた経験を選択的に忘れるばかりでなく(中国や韓国における植民地主義的侵略の経験を私たちは忘れたがる)、自分が傷つけられた経験もまた忘れることができる(敗戦の直後の日本人たちは日米の死闘がまるで悪夢でもあったかのような柔和な微笑をGIたちに向けた)。
問題はその能力の「善し悪し」を論うことではなく、その「非倫理的な」能力から引き出しうるもっとも「倫理的な」アウトカムは何か?というふうに問いを立てることである。
というふうに私は考えるのだが、もちろん、こういう考え方に同意してくれる人間は驚くほど少ない。
メディアでにぎやかに外交を論じている人間の中にはほとんどひとりもいない。
しかたがないので、ブログ日記にさくさくと書き記すのである。

演習が終わって小走りに梅田へ。
『ミーツ』の「哲学・上方場所」の収録最終回を中之島のリーガ・ロイヤルのリーチ・バーでやっているので、その打ち上げにお招き頂いたのである。
レギュラーの鷲田清一先生、永江朗さんに、晶文社の安藤さん、『ミーツ』の江さん、青山さん。そに私とM島くんが乱入。
最終回のテーマはメルロー=ポンティ『知覚の現象学』。
メルロー=ポンティは私の卒論のテーマであり、『知覚の現象学』は私が大学時代にもっとも長い時間をかけて読んだ書物の一つである。
私たちが到着したときはすでに3時間余にわたる対談が終わって、全員宴会状態となっていた。
鷲田先生に遅ればせながら、先般のBSでの『東京ファイティングキッズ』ご推挽のお礼を申し上げる。
鷲田先生からは小池昌代さんの話を伺う。
朝日の書評委員会でよくご一緒になるそうである。
実物はテレビ画面以上に美しい方であるらしい。
「その小池さんがウチダさんのファンなんやもんなあ。口惜しいわ」
「一度平川と一緒に小池さんご招待して、シャンペンでも差し上げようと思ってるんですけどね」
「ええなあ…」
そのあと岸和田人清原和博の話、父子家庭における母性愛について、婚姻と他者性について、などハイブラウな話題が続く。
鷲田先生と今度一緒に「ラジオのDJ番組」をやりましょうかという企画が突発的に盛り上がる。
毎週1時間ほど鷲田先生と私がとりとめもなくおしゃべりをするのである。
鷲田先生は「はんなり」とした京都弁で話され、私は噛み気味の東京弁であるのだが、この水と油のように思える語法の違いは、実際に話してみると、意外なことにたいへん相性がよろしい。
ときどきゲストに遊びに来てもらう。
あ、まず小池さんに来てもらおう!
果たしてウチダのDJレギュラー化はいずれ実現するのであろうか?
つうか、そんなことしている時間が私にはあるのだろうか?

投稿者 uchida : 16:31 | コメント (3) | トラックバック

2005年04月26日

次の総理はこの人

文藝春秋から10500円の振り込みがあった。
中途半端な数字である。
いったい文藝春秋で何の仕事したっけ…と考えたが思い出せない。
明細をみたら「文藝春秋5月号・次の総理」と書いてある。
そういえば、何日か前に『文藝春秋』が送られてきたけれど、どうして送ってきたのかわからないまま机の上に置いてあった。
ぱらぱらと目次をひらくと、おお、たしかに「各界著名人が推す・次の総理はこの人」というアンケートがあるではないか。
もしかして、私は「各界著名人」の一人として誰かを「次の総理」として推したのであろうか…
しかし、いったい誰を?
と、はやる心を抑えて頁をめくると…
あ、あった。
内田樹(神戸女学院大学)
タイトルは「浮かんだことがない」
一読すると、いかにも私が言いそうなことが書いてある(書いた覚えはないんだけど)。
しかし、書いた覚えがないこと、言った覚えがないことでも、「いかにも私が言いそうなこと」については発言の責任を取る、ということを私はルールとして自らに課しているので、この原稿料は頂いてよろしいのである。(逆に、実際に書いたり言ったりしたことでも、「そんなこと言うはずがない」と思われることについては、どのような挙証をされても私は一顧だにしない)。
私はいくら酔っていても、書いた原稿をハードディスクに保存することを忘れるほどお気楽ではないから、書いた覚えがないのは、おそらく寄稿依頼が封書で来て、その場で手書きで回答したものを返送したからであろう。
何はともあれ、「書いた覚えはないが、いかにも私が書きそうなこと」を読むのは面白いものである。
64人のみなさまはどなたもたいへんまじめに回答されていて、まじめな回答をしていないのは立川談志と私だけであった(談志師匠と「同じくらい態度が悪いやつ」ということで、私の名は文春読者の方々に記憶されることになるのであろう)。
読者諸氏のために、ここに再録するのである。
「次の総理はこの人
残念ながら思いつきません。別に今の日本の政界には人物がいないからという意味ではありません。考えてみたら選挙権を頂いてから三十年『次の総理大臣に最もふさわしい政治家』の名が脳裏に浮かんだことは一度もなかったんですから。その間も日本は大過なく生き延びてこられたわけですから、今適切な総理候補者の名が思いつかなくても、さしたる不安はありません。むしろ『理想的な政治家などいない』という期待の少なさのおかげで大衆的人気に乗じるデマゴーグ型政治家の出現が阻まれてきたと考えることだってできます。『政治家は有権者よりも知的にも倫理的にもすぐれているわけではない』ということが常識になったことによって、政治がもたらす害悪はあるいは軽減しているのかもしれません。『小成は大成を阻む』と言います。それを倣って言えば、『小さな不幸が大きな不幸の到来を阻んでいる』のが日本の姿とは言えますまいか。」

投稿者 uchida : 10:31 | コメント (2) | トラックバック

2005年04月24日

そうだ、マルクスさんに訊いてみよう

「気宇壮大」と「荒唐無稽」のあいだに実定的な境界線はない。
第二次世界大戦以前に「戦後、独仏の同盟関係を基軸にしてヨーロッパ連合ができるだろう」と予測していた人間はごく少数だった(オルテガ=イ=ガセーはそのような予言をなした例外的な一人であったが)。
同時期に「日米の親密なパートナーシップが今後半世紀以上にわたって世界戦略の基軸となるだろう」と予測した人間もきわめて少数であった。
これらの「ヨーロッパ連合」論者や「日米同盟」論者は、リアルタイムでは周囲の「リアリスト」たちからは「気宇壮大と荒唐無稽を混同するな」と一笑に付されたに違いない。
しかし、経験が教えるのは、未来予測に関して言えば、「リアリスト」たちはかれらが自負するほどには高得点を上げられていないということである。
言い換えると、国際関係のようなあまりに多くのファクターが関与する複雑な系については、「十分なデータとそれを解析する適切な思考力がある人間は、そうでない場合よりも蓋然性の高い予測をする可能性が高い」とは言えない、ということである。

なぜ、そのようなことが起きるのか。それについて考えてみたい。
それは、「十分なデータとそれを解析する適切な思考力がある人間」は必ずしも「そうでない人間」よりも政治的現実に干渉する力が強いわけではないからである。
「情報の多い人間」は「情報の少ない人間」よりも世界政治の方位決定に関与する力が強いわけではないからである。
「リアリスト」のピットフォールはそのことを認めたがらない点に存する。
愚かしい幻想が合理的な分析よりも強い力を持つことがある。
「ほんとうのリアリスト」は、この「愚かしい幻想」のもつ政治的なポテンシャルを決して過小評価しない。
例えば、マルクスはそういう意味で「ほんとうのリアリスト」だったと私は思う。
マルクスは「幻想」の力について次のようなみごとな文章を書き残している。

「人間は自分じしんの歴史をつくる。だが、思う儘にではない。自分で選んだ環境のもとではなくて、すぐ目の前にある、あたえられた、持ち越されてきた環境のもとでつくるのである。死せるすべての世代の伝統が夢魔のように生ける者の頭脳をおさえつけている。またそれだから、人間が、一見、懸命になって自己を変革し、現状をくつがえし、いまだかつてあらざりしものをつくりだそうとしているかにみえるとき、まさにそういった革命の最高潮の時期に、人間はおのれの用をさせようとして、こわごわ過去の亡霊どもをよびいだし、この亡霊どもから名前と戦闘標語と衣装をかり、この由緒ある扮装と借り物のせりふで世界史のあたらしい場面を演じようとするのである、」(『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』)

マルクスが1848年から52年までのフランスにおける階級闘争の「リアルな」分析を通じて確証したことの重要なひとつは、人間が「いまだかつてあらざりしもの」をつくりだそうとしてするまさにそのときに、「過去の亡霊」が計ったように出現する、ということであった。
すぐれた歴史家はその不思議な「回帰性」のことを知っている。
「すべての世界史的な大事件や大人物は二度あらわれるものだ。一度目は悲劇として、二度目は茶番として」と看破したのはヘーゲルである。
どうして大きな出来事は「回帰」するのか。その理由を誰もうまくは説明してくれない。
たぶん、人間は「自分で思っているほどには創造的でない」からだろう。
でも、ある種の「幻想」は回帰する力をもっている。そのことは忘れない方がいい。

合理的ではないけれど起きてしまうことは歴史上無数に存在する
フランス革命とナポレオン帝政と王政復古と七月革命という世界史的な変動を生き抜いて、十分な政治的成熟を果たしたはずのフランス市民が選択した政体は詐欺師まがいの人物を皇帝に頂く「第二帝政」という時代錯誤なものであった。
第一次大戦の敗北と恐慌とワイマール共和国の破綻と革命闘争の暴発という世界史的出来事に耐えたドイツ市民が選択した政体はパラノイア的な人物を総統に頂く「第三帝国」という妄想的なものであった。
「第二帝政」も「第三帝国」もいずれも「荒唐無稽な政治的幻想」であることに私は喜んで同意する。
しかし、「荒唐無稽な政治的幻想であるから、そのようなものが現実化する可能性は低い」という判断には与することができない。
現実化してしまったのだから。
そして、私が指摘しておきたいのは、それらがいずれも(「第二」「第三」という名称が示すように)ある種の「回帰性」の幻想に駆動されていたことである。

私はTaubの「儒教圏」の話の続きをしているのである。
「儒教圏」という構想は「リアリスト」からは「荒唐無稽」な幻想に見えるだろう。
私はそれが「荒唐無稽な幻想に見える」ということには喜んで同意する。
しかし、「荒唐無稽な幻想はそうでない未来計画よりも現実化する可能性が低い」という命題には同意しない。
理由は上に述べた。

「中華圏」という政治=文化圏、中国大陸の内陸部を中心として朝鮮半島から日本列島、インドシナ半島に放射状にひろがる政治=文化圏がかつて存在したのは事実である。
そこで人々は漢字を共同使用し、儒教、仏教、老荘思想のような文化的リソースを共有し、長く中国の朝廷に朝貢していた。
その後も、中国大陸、朝鮮半島、日本列島に興った政治単位はカオティックでアモルファスな境界線をつくったり壊したりしながら、融合と解離を繰り返してきた。
この地域が「そこに住むひとびとを引き寄せ、対立させる磁力」とでもいうべき地政学的な引力・斥力のともに強い場であることは動かせない歴史的事実である。
私は2000年にわたって持続してきたこの「凝集と解離の力」が一、二世代程度の政治的フリクションで失われることはないと思っている。

1945年から続いた60年間にわたる「解離」の時代がひとまず終わって、アジア諸国はふたたび「凝集」の方向に向かっているというTaubの見通しに私も同意する。
私はそれが持続的な政治圏の構築に至るというところまで楽観的になることはできない。
しかし、一時的な解離や反発を含みつつ、総体としては「儒教圏凝集」の力学が強く働くという予測を私は支持する。
とりあえず理由は二つある。
ひとつは現実的な理由である。
それはアジア諸国の人々が「現状に飽き始めている」ということである。
日中関係はじめ、韓国の動きも台湾の動きもすべてが「温度を上げる」方向に向かっている。
リジッドな境界線があちこちでほころび、いろいろな次元でトランスボーダーなものの出入り始まっている。
それがいつどうして始まったのか、私は知らない。
でもその底流に、アジア諸国の人々の「現状に飽きた。仕組みを換えたい」という無言の欲望があることははっきり感知できる。
ふたつめは幻想的な理由である。
政治的状況が流動化するときに大きな力を発揮するのは「回帰性の政治的幻想」である。
そのことをマルクスは150年前にただしく指摘していた。
私はTaubのいう「儒教圏」はそのような「回帰性の政治的幻想」のひとつでありうると思う。
ものが「幻想」であるから、それが今後どのような消長を遂げるのか、データや数式をもって論じることはできない。
ただ、そういう強い幻想がこれから先アジア圏におけるさまざまな政治的・経済的・文化的ファクターに関与してきて、人々の政策決定に影響するであろうこと、それは間違いない。

村上龍の『半島を出よ』には朝鮮半島からきた支配者に嬉々として迎合する日本人の姿が活写されている。
半島からの侵略者たちの侵入経路は2000年まえにひとりの列島住民が「漢委奴国王」と彫られた金印を受け取った島を含んでいる。
私はここに現代アジアに伏流する「反発を含んだ融合プロセス」の動きを感知した作家的直感を見る。

投稿者 uchida : 12:27 | コメント (3) | トラックバック

2005年04月23日

Taubさんに聞いた「儒教圏」構想

カナダの方からメールを頂いた。
先日「チャイナ・リスク」について私が書いたものを読まれて、地元紙で報じられたある記事の内容と通じるものがあるように感じたと書いてあった。
どんな記事ですかとお訊ねしたら、コピーをお送りくださった。
4月18日のVancouver Sun 紙の記事(by Jonathan Manthorpe)で、Lawrence Taub という「未来学者」の 書いた《 Sex, Age and the Last Caste 》という書物の書評である。
興味深い箇所のみ訳出してみる。

「Taubは2020年までに『儒教圏』(Confucian Union)と呼ばれるもの(中国、再統一された南北朝鮮、台湾および日本)が世界最大の経済的・政治的ブロックになるだろうと予測している。

最近の新聞のヘッドラインを読む限り、この予測は愚かしいものに思える。
例えば、中国では政府の情報員と治安当局によって注意深く組織されたデモ隊が日本に対して敵意の声をあげているところである。彼らの目には日本は60年以上前にアジアに対して行った軍国主義的侵略行為にたいして適切な謝罪を行っていないものと映っている。
かつて日本の苛酷な支配を受けた植民地であった韓国は中国の反日感情に共感を示している。とはいえ、私的な会話では、韓国の人々は暴走する中国のナショナリズムと日本軍国主義の復活の対立に巻き込まれることに不安を感じている。
一方の日本はアジア諸国の怒りに無反応である。第二次世界大戦後に締結されたさまざまな条約によって過去の行動とのあいだに一線は画されていると主張して譲らない。政府の公式見解によれば、そのことは過去60年間の日本の平和主義的なふるまいによって検証されるべきものである。
中国は台湾がもし北京の主権を拒否することがあれば、この孤島を侵略する用意があると恫喝を加えている。
その後景には北朝鮮の問題が覗いている。核兵器開発への決意と、権謀術数入り乱れるキム・ジョン・イル体制の瓦解を示す徴候の増大。その帰結は予断を許さない。

Taubはこの短期的にはきわめて寒々しい光景に目を止めるべきではないと告げる。
「敵同士はほとんど一夜にして同盟者となる」とTaubは“Asia Times”とのインタビューの中で語っている。彼の学説がアジアの有力者たちの想像力を惹きつけてから以後、各国のメディアからTaubへのインタビューが続いているが、その中の一つである。

Taubが指摘するのは独仏関係である。第二次世界大戦後十年もたたないうちに独仏両国は今日EUと呼ばれることになった組織の建設に着手した。
極東諸国をつなぎ止めている儒教文化と精神的な結びつきは、彼らを対立に向ける力より強い。Taubはそう主張する。
激動の過去と長引く不和にもかかわらず、この三国は同一の文化的言語を語り、その経済の結びつきはますます深まっている。去年、中国はアメリカを抜いて日本の最大の貿易相手国となった。
日本と中国は一本のロープで繋がれたふたりのアルピニストに似ている。

Taubによれば、『儒教圏』の構築に至るドミノ倒し的展開の最初に倒れるドミノ牌は南北朝鮮の再統一である。1945年に分断された国が再統一へ向かう動きは来年には強化し、2007年に南北朝鮮は統一されるとTaubは予測している。
この地域の統合へむかうドミノはすでにかなり並べられてきている。投資、製造、貿易における結びつきは地域的なネットワークを構築しており、もはや『…製』ということがそれがどこで設計され、どこで製造されたのかの指標としては機能しなくなっている。(…)
Taubがもし正しければ(彼はマクロ歴史学的な与件を綜合して、70年代には来たるべきベルリンの壁の倒壊とイランにおけるイスラム革命を予見した)、最初のハードルは北朝鮮だということになる。いまのところ、このハードルは乗りこえ難く見えるけれど…」

というものである。
『ヴァンクーバー・サン』の方が日本の大新聞よりもだいぶ知的水準が高そうだ。
さっそくアマゾンで検索してみたが、Taubの本は残念ながら一冊もヒットしなかった。
辛抱強く探していれば、そのうち読めるだろう。
どんな人だか知らないけれど、日本のメディアや政治評論家のちまちました現状分析にくらべて、まことに気宇壮大である。
幕末や明治の政論家たちはこれくらいの「マクロ歴史的」な話が好きだった。
私もこういうスケールのお話が好きである。
保守派の論客たちには維新の志士や明治の政論家が好きな人が多いが、そのわりに彼らの話が坂本龍馬や中江兆民や宮崎滔天のスケールに達した例を私は知らない。
「リアリスト」というのは現代日本では「話がせこい」「肝が小さい」ということと同義なのであろう。たぶん。

投稿者 uchida : 10:53 | コメント (5) | トラックバック

2005年04月22日

諸先輩と武藏さん

管理職サラリーマンになって3週間目。
お給料が出たので、明細を見たら「役職手当」がついていた。
一日3000円。
そ、そうか。
時給500円のバイトなんだ。教務部長職って。
はは。と虚ろな笑いをしてから、ぺたぺたと書類にハンコを押す仕事に戻る。
いろいろな人がオフィスに遊びに来る(「遊び」じゃなくて、「仕事の打ち合わせ」なのかもしれないけれど、アーバン以来、私は「遊び」と「仕事」の区別がうまく出来ない人間なのだ)。
職務上、これまでは知り得なかったさまざまな「機密」に接する、
「おおおお」
と嘆息する。
歴代の前任者のみなさんも、こうやって「おおお」と嘆息しながら、「ま、こういうことを希望に満ちた若い人に知らせちゃうと意気阻喪するかもしれないからね。ま、おじさんの胸のうちにしまっておこう」と「ぱたん」とファイルに閉じていったのであろう。
そういう「おじさん」たちがときどき遊びに来る。
私がこの大学に来た時の教務部長だったY本先生が、真っ黒な顔をにこにこさせながら「どう?やってる?」とドアから顔を覗かせる。
「せんせー!」とすがりついて、「しんどい仕事ですねー」と泣きを入れる。
破顔一笑、Y本先生は「ま、がんばって」と去って行く。
その次の教務部長だったK田先生が、ごま塩になった頭をゆらしながら「や、ウチダさん。ご苦労さま」と顔を出す。
「せんせー!」(以下同文)
私が着任したときのチャプレンだったS先生も顔を出す。
「せんせー!…をなんとかしてください!」
「それはウチダくん、あなたの仕事でしょ」(高笑い)
学長が顔を出して、「ふふ、ウチダ先生の仕事ぶり拝見に来ましたわ。あら、机小さいですね。先生、もっと大きい机に換えないと、机から電話機落ちそう。ま、がんばって下さいね」
みなさん、私が泣きを入れると実にうれしそうに笑ってゆかれる。
そうか、私が泣きを入れることによって諸先輩たちは「私たちの仕事のつらさがわかったかね」ということを確認されているのである。
なるほど。
私たちは他人の仕事ぶりを批判するときには、実に気楽である。
その職務に自分が就いたら「もっとうまくやれる」とどこかで思っているからである。
でも、そういうもんじゃないみたいです。
三週間やって、ウチダも少しだけわかりました。

水曜日に三宅先生にベリーニにご招待頂いた。
ベリーニの名物ソムリエ、久保さんが心臓の手術から回復されて店に戻ってこられたので、その「快気祝い」をかねての宴会である。

050420-224610.png

今回もK−1の武藏さんとご一緒である。
武藏さんとベリーニでお会いしたのは、もう二年ほど前のことである。
そのときに伺った「時間の中を動く技法」のネタは、そのあと『死と身体』ほか、なんだかんだで10回くらいさまざまな書き物に使い回しさせて頂いた。
まず、そのお礼を申し上げる。
武藏さんとは三宅接骨院でよくお会いする。
いつもあの大きな体を小さく縮めて、ニットキャップを目深にかぶってソファに座って、じっと順番を待っている。
「あ、武藏さん、こんにちは」
とご挨拶すると、上体をぴんと立てて、「あ、どうも。ご無沙汰してます」とていねいに挨拶を返される。
武藏さんは声が深くて、ゆっくりことばを選んで話す。
他の人たちが大きな声で話しているときでも、武藏さんが低い声で話し出すと、いつのまにかみんな自分たちの話を止めて、武藏さんの話に耳を傾けるようになる。
そういう知的でディセントな人である。
いっしょに何時間かお話ししたが、武藏さんが人の批判をするのを聞いたことがない。
K−1は骨身がきしむようなリアル・ファイトだし、巨額のお金が動くシビアなビジネスでもある。
そういうトラブルサムな場所の真ん中にいる人なのに、武藏さんのまわりだけ時間がゆっくり豊かに流れている。
話すことはさまざまな格闘家の愛すべきエピソードと旅先での愉快な経験と映画のこと。
意外にも武藏さんはコアな映画ファンであった。
ふたりでずっと映画の話をする。
クリント・イーストウッドの映画が大好きで(ババさんも聞けばお喜びになるであろう)、その話で盛り上がる。
読賣新聞の「エピス」という映画評欄を担当しているんですけれど、最終回に特別企画で、武藏さん、ぼくと映画対談しませんか、と越後屋さんに代わって勝手に企画を立てる(谷口さん、なかなか渋い企画でしょ?)
『ミリオンダラー・ベイビー』を武藏さんがどんなふうに評するか楽しみである。

投稿者 uchida : 20:32 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月20日

メディア・リテラシーについて

一年生の基礎ゼミの最初のレポートに「就きたい職業」というものを課してみた。
「就きたい職業」について、「その仕事に就いている人はどんなことに幸福を感じると思うか?」「その仕事のいちばん苦しい点は何か?」「その仕事に就くために自分に欠けているものは何か?」「その仕事に対する自分の適性は何か?」の四つの設問に答えつつ作文をしてもらった。
16通のレポートが届いた。
どれもたいへん面白かった。
いちばん希望者が多かった職業は何でしょう?
たぶん、だいたいご想像がつくと思うけれど、「メディア関係」である。
アナウンサーが3名、ナレーターが1名。
やっぱりね。わりと平凡だね、という感想を持たれかもしれない。
だが、実際にレポートを熟読してみると、話はそれほど簡単ではない。
アナウンサー志望の1名とナレーター志望の1名が書いていたのは、「声の力」ということであった。
よい着眼点である。
彼女たちは「女子アナ」というきらびやかな職業に憧れているというよりは、むしろ自分の「声」に人々が耳を傾け、それによって人々の意思や判断に変化が生じるという状況に憧れている。
なかなか野心的で奥行きの深い欲望である。
人にことばを届かせるために必要なものは何か?
彼女たちはそう自分に問う。
そして、「正しい日本語運用能力」「積極性」「滑舌のよさ」「幅広い知識」「自信」「英語力」などを挙げている。
もちろん、そういうものも必要だ。
けれども、ことばが「届く」ためには、もっと重要な条件がある。
というわけで、赤ペンを手にレポートの余白にさらさらと感想を書き込む。

ことばが聴き手に届くために必要な条件とは何だと思いますか?
それはなによりも「聴き手に対する敬意」と「メディア・リテラシー」です。
そして、このふたつは実は同じことなんです。
メディア・リテラシーとは日本語で言えば「情報評価能力」ということだと思います(たぶん。私の理解ではそうです)。
「情報評価能力」なら、メディアが報じる情報の真偽や信頼性について適切な判断ができる力、というふうにふつうは思いますね。
でも、私はそれはちょっと違うんじゃないかと思うんです。
たいせつなメディア・リテラシーは「外から入ってくる情報」に対する適切な評価ができるかどうかじゃなくて、むしろ「自分がいま発信しつつある情報」に対して適切な評価が下せるかどうかではないでしょうか?
自分が伝えつつある情報の信頼性について、重要性について、適所性について、きちんと評価が下せるかどうか。
自分が伝える情報は真実か?それは伝えるだけの価値のあることか?それはいつどのような文脈の中で差し出されることで聴き手にとってもっとも有用なものになるか?
そういう問いをつねに自分自身に差し向けられること、それが情報評価能力ということではないかと私には思われます。
どうしてかというと、人間は他人の言うことはそんなに軽々には信じないくせに、「自分がいったん口にした話」はどれほど不合理でも信じようと努力する不思議な生き物だからです。
ほんとですよ。
「お前のためを思って、言ってるんだ」
というのは人を深く傷つけることばを告げるときの常套句ですが、このことばを口にしている人は「私はこの人を傷つけるために、あえて傷つくようなことを言う」という「真実」を決して認めません。
ご本人は「お前のためを思って」という(端から聞くと恥ずかしいくらいに「嘘くさい」)フレーズを心から信じているんです。
「自分がいったん口にしたことば」だから。
それだけの理由で。
不思議な力です。
「どうして私みたいな善良で無垢な人間がこんな不幸な目に遭わなくちゃいけないの!」ということを言う人がときどきいます。
この種のことばの呪縛力は強烈です。
こういうことばをいったん口にしてしまった人はもう「自分の悪意が他人を傷つける」可能性の吟味には時間を使わなくなります。
怖いものです。
自分の発したことばが自分の思考や感性を呪縛する力の強さを侮ってはいけません。
だから、メディアにかかわる人間の「情報評価能力」はまずもって自分自身の伝えるメッセージの「真偽」と「重要性」と「適所性」について向けられなければならない、私はそう思います。
その評価の努力は「聴き手に対する敬意」によってしか担保されません。
いくら滑舌がよく、博識で、英語ができて、自信たっぷりな人でも、その人が「自分の話を頭から信じ込む」タイプの人であれば、その人のメディア・リテラシーはきわめて低いと断じなければなりません。
そして、その人のメディア・リテラシーの低さは聴き手に対する敬意の欠如ときれいにシンクロしているんです。
だから悲しいことですけれど、いまのマス・メディアには、そういう意味でのメディア・リテラシーを備えた人はほとんどいない、ということですね。
まことに残念ですけど。

投稿者 uchida : 18:27 | コメント (1) | トラックバック

チャイナ・リスクの四つの要因

大学院の最初のお題は「中国の経済」。
プレゼンテーターは京大の博士課程で経営学を研究している元『ミーツ』の担当編集者のカンキくんである。
カンキくんが進学のために『ミーツ』を辞めたあと後釜に座ったのがこの大学院の男子聴講生募集に応じた第一期生のオーサコくんである(彼はゼミの教室で江編集長にリクルートされてエディターになってしまったのである)。
私が『ミーツ』に対して有意に態度が大きいのは窓口が「ゼミ生」だからである。
03年度の第一期生はその『ミーツ』の江さん、ワタナベ・エディトリアルの渡邊さん、ドクター佐藤、読賣新聞の谷口さん、浜松のスーさん、ジョンナム・ナガミツ、光安さん、“ほんとはいいやつ”ミヤタケなど多士済々であった。
今年は第三期。男子聴講生数はだいぶ減って、第一期以来三年連続はワタナベさんとカゲウラくんだけとなった。
オーサコくんに代わってカンキくんが登場したので『ミーツ』系は1名枠をキープしている。
新顔は「えこま」のフクイさんと、「歌う牧師」カワカミ先生。
学部の学生にも「盗聴」を許可しているので、ゼミの四回のムネイシくんが遊びに来た。
もちろん大学院の演習であるから本学修士博士の諸君がぞろりと揃っている。
なかなか壮観である。
さっそくプレゼンを拝聴する。
このチャイナ・スタディーズ・セミナーはご案内のとおり「中国問題の専門家」がひとりもいない。
だから、最初のうちは経済、政治、歴史、社会などについて総攬的・通史的な概況を示してもらい、それから個別的なテーマに入って行くというプロセスを考えている。
「あのー、先生。『文、書く』って何度もおっしゃってますけど、何の文を書けばいいんですか?」
「トーショーヘーって、広東の名物料理のことですよね?」
というような問いかけが秋頃に出されると困るからである。

とりあえず第一回は焦眉の問題である中国の経済問題を通覧する。
カンキくんがスマートなプレゼンで問題点をいくつか提示してくれる。
そのあと私が「チャイナ・リスク」について私見を述べる。
私は「チャイナ・リスク」には四つのファクターがあると考えている。
第一は、多くの中国ウォッチャーが指摘しているように、中国では急速な資本主義化が進行しているが、経済活動の規模に対して、組織原理や職業倫理といったそれを支える「見えない資産」が十分に成熟していないという点である。
「見えない資産」(invisible assets) というのは平川くんがよく言うように、「信用・老舗の看板・顧客とのむすびつき・〈一回半ひねり〉のコミュニケーション」といった直接経済効果としては数値化されないけれど、人間がビジネスを継続的に展開し、そこに愉悦を見いだすためにはなくてはすまされないファクターのことである。
日本の近代資本主義企業は江戸時代の「大店」の組織原理をほとんどそのままに踏襲した。
「ご主人」が「社長」に、「大番頭はん」が「重役」に、「小番頭はん」が「部長」に、「手代」が「課長」に、「丁稚どん」が「ヒラ社員」になっただけである(『小早川家の秋』の山茶花究と藤木悠の会話シーンは衣装を換えれば、そのまま江戸時代の造り酒屋の帳場の会話である)。
日本の近代企業の労働者の「エートス」は賃金以外の準・家族的結びつきによって複雑に練り上げられた「伝統の逸品」である。
それが明治以降の驚異的な近代化と経済成長を支えていた。
それに類する「アセッツ」が中国資本主義には熟成していない。

「チャイナ・リスク」の第二のファクターは2億人といわれる失業者である。
彼らは年率8−9%という経済成長の勢いの中にとりあえず紛れて問題化していないが、経済成長が7%を切った段階では社会の重要な不安定要素になると言われている。
経済成長率が7%を切ったら「社会危機」というのは、時速50マイルを切ったらバスが爆発というキアヌ・リーヴスの『スピード』の状況に似ている。
中国は成長し続けなければならない。
しかし、成長し続けられる社会は存在しない。

第三のファクターは二億五千万に達した「中間層」である。
これだけの規模の中産階級が登場したのは中国史上はじめてのことである。
彼らの階層的な欲望や戦略が不透明で、先が読めない。
現在までのところ、この中間層は「生産主体」、「消費主体」としての有用性においてのみ語られてきた。
現在の反日デモの主体はこの階層の出身者だと言われている。
それはこの中間層が「政治主体」としても中国社会の表舞台に登場してきたということを意味している。
遠からずこの層は「言論の自由・信教の自由・集会結社の自由・移動の自由」など先進国における基本的人権を要求しはじめるだろう。
それは中国共産党の一党独裁が否定されるということである。
はたして中国共産党は多党化・民主化に向けて舵を切って、自己の存在そのものを否定するという政策を採択できるだろうか?
中国共産党が飽くまで一党独裁に固執した場合に、どのようなフリクションが生じるのか?
そんなことは、誰にも予測できない。

第四のファクターは中国政府のガバナビリティに対する不安である。
ただし、ここでいう「ガバナビリティ」というのは、みなさんが想像している「統治能力」というのとはだいぶスケールの違う話である。
胡錦濤−温家宝政権はかなり効果的な治績をあげている。
だが、人類史上13億人の国民を効果的に長期的に統治しえた政体は一つとして存在しない。
だから、中国の為政者はその統治戦略において「モデル」というものを持っていない(「大唐帝国」や「大モンゴル帝国」の統治システムは21世紀の世界に適用することができない。当たり前だけど)。
現代中国の為政者が政策決定に際して勘定に入れなければならないファクターはおそらく日本の為政者が勘定に入れなければならないファクターの数倍から数十倍だろうと私は想像している。
考えてみればわかる。
中国では、近いうちに現在の統治システム「そのもの」を否定する運動が登場する可能性が高い。
つまり、為政者が政策を誤った場合に、「政権の交替」ではなく、「政体そのものの交替」を選択しなければならないということである。
日本の為政者はどれほどの失政を犯した場合にも、野党に政権を奪われるという可能性は想定できるが、「天皇親政に戻る」とか「藩幕体制になる」とか「普通選挙が廃止されて、制限選挙が行われる」とか、そういう種類の社会の根底的変化への備えを講じる必要がない。
中国では政府中枢のハードパワーが落ちてきた場合に、西部地域やモンゴル地域で「独立運動」が勢いづく可能性がある。
日本の場合、政府がどれほど愚策を重ねても、それを理由に北海道が独立するとか九州が独立するという可能性を考慮する必要はない。
しかし、中国の政府首脳は政策決定に際して、ほとんどそれに類する「SF的想定」をつねにシミュレートしておかなければならないのである。
私たちは簡単に「日中関係」とか「日中首脳」というようなことばを口にして、このふたつの政治単位がまるで同種の国民国家、同水準にある政治システムであるかのように論じている。
だが、私はそれは危険な類推だろうと思う。
日中の首脳では抱えている問題・解法がわからない政治的難問・勘定に入れなければならない不確定要因の「桁」が違う。
日本の為政者と中国の為政者では「失政」によるリスクの「桁」が違う。
日本を効果的に統治できる政治家なら中国を効果的に統治することができると考える人間がいたら、その人は致命的に想像力が足りないといわなければならない。
私が「ガバナビリティに不安がある」というのはそういう意味である。
現代世界でもっとも優れた政治的才能をかき集めてきても、いまの状況的与件の中で、中国を効果的に統治して13億の国民の生活を安定させる施策を立案させ続けることは絶望的に困難である。
誰がやってもできそうもないことをやらなければならないという意味で私は「中国政府のガバナビリティに不安がある」と申し上げているのである。
それは中国政府や個別的政策に対する批判ではない。
統御不能なほどに多数のファクターを単一の政治単位が統御しなければならないという事況そのものに対する不安を言っているにすぎない。

投稿者 uchida : 11:21 | コメント (2) | トラックバック

2005年04月19日

銀座の恋のソナタ

『初恋』を見終わる。
全66話。一話70分。
計77時間。
よくぞここまで。
終わってしまうと、「続き」が見たくなる。
身もだえするほど。
他のカップルはともかく、一番気になるのは、ソン・チャヌ(ペ・ヨンジュン)とカン・ソッキ(チェ・ジウ)の恋のゆくえである。
そのまま走ってビデオ屋に行き、『冬のソナタ』の貸し出し状況をチェック。
韓国語版DVDは一本もない(日本語版のVHSはあった。でも、この状況で萩原聖人の吹き替えにあなたは耐えられるか?)
あのさ。
もうだいぶ前に韓流ブームとか終わってるわけでしょ。
困ったものである。
私は別に他意はないのである。
ソン・チャヌとカン・ソッキの「続き」が見たいだけなのである。
どうしてないの?
『冬のソナタ』を最初に借りに行ったのはもう2年前のことである。
芦屋のTSUTAYAにはきれいに一本もなかった。
ああ、流行っているのね、と私は静かに笑って、ブームが去るのを待った。
しかし、いつ行っても、ない。
ややこわばった笑いを残しつつ、私はさらにブームが去るのを待った。
そのまま二年が経った。
私は決して吝嗇な人間ではない。
ハーシェル・ゴードン・ルイスのDVDも、エド・ウッドのDVDも、ラス・メイヤーのDVDも私財を投じて購入することを厭わない人間である。
それだけで私がいかに映画マテリアルに対する投資において太っ腹な人間であるかということはご理解頂けるであろう。
しかし、二年待ったあげくにビデオ屋にないのでしかたなく私費でDVDを購入するというのでは、「待った二年間」がまるで無意味だったということになる。
私は吝嗇な人間ではないが、無意味な二年間を過ごしたという事実を認められるほど豪放な人間ではない。
『冬ソナ』は何があっても「借り」なくてはことの筋目が通らない。
ついに節を屈して大学のAVライブラリーに『冬ソナ』のDVDを借りに行く。
ビデオ屋の店員に「なんだよ、このおっさん、いまごろ『冬ソナ』かよ…」と思われるのは痛くも痒くもないが、仮にも「映画評論家」として偉そうなことを書き散らしている教員が「いまごろ」『冬ソナ』を借り出すところを職員や学生に知られたくはない。
「節を屈して」とは、そのことである。
借りたDVDのタイトルを学生に見られないように脇に抱えてあたふたと部屋に戻り、鞄にしまい込む。
夜半、人目がないのを確認して、『冬のソナタ』第一話を見る。
おお、チャヌ。
髪がずいぶん伸びたじゃん。
でも、また高校生?
おお、ソッキ。
君はまた放送部なのか?
いいよ、いいよ。
どんどんいこうじゃないの。
おおおお、車にはねられてしまった。
って、これってまるっと『銀座の恋の物語』?
チョウ・ユン・ファのアイドルが小林旭であったことはよく知られているが、韓国映画界にまで日活映画のコアなファンがいたとは。
日活恐るべし。

投稿者 uchida : 23:16 | コメント (1) | トラックバック

会議に懐疑

会議の一日。
午後1時から午後8時半まで、途中で杖道のお稽古に1時間ほど抜けさせて頂いた以外は、ずっと会議。
教務部長になると「会議漬け」ですよ、と事前にアナウンスされてはいたが、これほどとは…
もちろん、あらゆる問題が事細かにさまざまな委員会で議論される煩瑣な手続きこそが民主主義の基盤であることを私は喜んで認めるし、「賢明な独裁者による独裁」よりは「なかなかことが決まらない民主主義」に迷うことなく一票を投じる。
だから、私はにこやかに(でもないけど)会議に出席し、人々の議論に耳を傾ける用意がある。
しかし、それでも「これはこんなところで議論するべき話ではないのでは…」という案件にもしばしば遭遇する。
議事には「審級」というものがある。
あるレベルで審議されいったん結論を得た案件が、それより上位の議決機関から差し戻されて再理に付されるには、相応の理由が必要だ。
常識的には、原審級で重大な手続き上の過誤か重大な事実誤認がある場合に限られる。
そういう場合に再理が必要とされるというのは筋の通った考え方である。
しかし、いったん機関決定されたことが、それについて不満をもつ個人の異論によって覆されるということが本学ではしばしば起こる。
「…ということが前回決定しましたが」
「そんな話、私は聞いてない」(その日の会議に欠席したから)
で、審議が一からやり直しになるということがある(ほんとに)
「はい、では裁決の結果…と決まりました」
「あのー。裁決が終わったあとに言うのも何ですけど、私やっぱりその議決が納得できません」
で、その人が納得するまで、もう一度審議をやり直すということもある(ほんとに!)
ある意味では超—民主的な組織である。
一事不再理の原則よりも、組織の和を大切にしているという点では、まことに日本的な「ムラ組織」であるとも言える。
私は超—民主主義もムラ的ゲマインシャフトも決して嫌いではない。
むしろ、「好き」と言ってもいいくらいだ。
だから、こういうやりかたそのものに原理的に反対するものではない。
しかし、民主的=ムラ的人間であると同時に、私は骨の髄までビジネスマインデッドな人間である。
だから、ときどき「あのお、そういう超法規的措置もオッケーなんですけど、それって、今の局面では『コストパフォーマンス』が悪すぎませんか?」と言いたくなることがある。
組織の和もたいせつだが、時間や人間的リソースもたいせつだ。
私たちの労働時間は有限だし、使い回しできるエネルギーにも限度がある。
できることなら、有効利用したい。
手持ちのリソースを最大限に活用しなければ生き延びていけない状況の中に私たちは投じられている。
不幸なことだが、これはどうしようもない。
そうである以上、「どの問題」に最優先的にリソースを集中するのかについての合意形成にはあまり超—民主主義的な手間暇をかけることはできない。
このような局面での最悪の選択肢は、「どの問題に最優先的にリソースを集中するかについての合意形成に長時間の議論を割いたせいで手持ちのリソースを使い切ってしまうこと」である。
「諸君には残り時間1時間がある。それをどう使おうと諸君の自由である」
と言われて、「残り時間1時間をフルに使って、『残り時間1時間の使い方』を議論する」というのはたしかになかなかパラドクシカルな時間の過ごし方ではある。
「残り100万円の運転資金をどう有効利用するか?」という議案で経営会議が延々と続いているうちに、気がついたら会議の弁当代で100万円を使い切ってしまったというのもなかなかクリスピーなソリューションではある。
私たちはこれに類する「残り一時間・残り100万円」的な状況にしだいに追いつめられつつある。
そのことを率直に認めなければならない。
私たちには限られたリソースしかない。
時間も人間も予算もシステムも空間もマテリアルも。
それを最も高いコストパフォーマンスで活用しなければならない。
そのときに、「こう使うのがいちばんコストパフォーマンスがいい」「いや、そうではなくて、こう使うのがいい」「なにをおっしゃる…」というような議論に多くの時間と人間的リソースを投じるのはたいへんコストパフォーマンスが悪いということを私は申し上げたいのである。

多田先生はかつて「他の人の技を批判してはならない」という道場心得を説かれたことがある。
そのとき、まだ新米だった私は不審に思って、思い切って先生に「どうして他人の技を批判してはいけないのですか?」と訊ねたことがある。
多田先生はにっこり笑って、こう答えられた。
「他人を批判しても、合気道はうまくならないよ」
まことに得難いお師匠さまである。

投稿者 uchida : 11:01 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月18日

火事場の夢想

大学淘汰の波がだんだんと足元をぬらし始めてきた。
「全私学新聞」(そういうコアな業界紙があるのだ)によると、文部科学省は今後、私立大学の経営悪化・破綻」それにともなう在学者の就学機会喪失という一連のカタストロフを見越した「私立大学経営支援プロジェクトチーム」を発足させることになった。
いよいよ、という感じがする。
すでに私立大学の30%が定員割れを起こしており、単年度の帰属収入で消費支出を賄えない学校法人もすでに全体の3割に達した。
その中での経営支援プロジェクトだが、もちろん傾き始めた私大に投入できるような原資は文部科学省にはない。
だから、文部科学省が行うのは「経営分析を踏まえた助言・指導を通じて学校法人の自主的な経営改善努力を促す」ことであり、それでも沈没しそうな大学には「在学者の就学機会の継続確保」のための法的措置を講じるというものである。
「仮に近い将来、学校の存続が困難になると判断される場合でも、まずは在学生が卒業するまでの間、学校を存続し授業を継続できるよう、最大限の努力を促す。」
そして最終的に大学が破綻した場合には「近隣大学等の協力を求め、転学を支援する」のである。
つまり助言や根回しはする、在学生の就学機会の確保も手伝うけれど、教職員のことはあずかり知らない。雇用確保のための自助努力はあなたたちご自身でやりなさい、ということである。

京都の大学コンソーシアムをはじめ単位互換を行うグループはだんだん整備されてきている。表向きは「いろいろな大学で興味のある科目が学べるよ」という学生フレンドリーな制度であるけれど、内向きの事情は「うちの大学が破綻したときのために、在校生の就学機会を確保しておく」という「保険」の意味も含んでいる。
すでに多くの大学が「大学の経営破綻」を勘定に入れて、破綻にハードランディングしないですむような手立てを講じ始めた。
繰り返し言うとおり、「破綻への備え」の公共的に認知されている最優先課題は学生の就学機会の保障である。
教職員の雇用機会の保障ではない。
教職員の雇用機会の保障は誰もしてくれない。
文部科学省もメディアも学生も保護者も地域社会のみなさんも、誰ひとり「つぶれる大学の教職員の雇用」に配慮する気はない。
そのことを全日本の大学人諸氏にはぜひお覚え願いたいと思う。
私たちの雇用は私たち自身が確保しなければならない。
それはこの大学淘汰状況において、経営的にきびしい大学のスタッフにとっては「労働強化を受け入れる」「賃金の切り下げを受け入れる」「福利厚生その他のサービスの劣化を受け入れる」というようなことである。
給与を上げますから、その分教育サービスの質を上げてくださいというのはリーズナブルな申し出である。
給与を下げますけど、教育サービスの質を上げてくださいというのは飲み込むのがむずかしい要請だ。
しかし、経営的に大磐石という一部の大学を除くと、日本のほとんどの大学教職員はこの「教職員の労働強化と実質的な賃金切り下げ」の逆風の中で、教育サービスの質的向上を果たすことを義務づけられている。
そんなの不条理だ、という人もいるだろう。
しかし、この不条理に耐え抜くことのできない大学は遠からず淘汰される。
不条理に耐えても雇用を確保するか、条理を通して路頭に迷うか。
選択に迷う人はいないと思うが、そうでもない。

先日のある大学のある委員会で私は不思議な発言を何度か聞いた。
それは「金の話なんかしたくない」というものであった。
私たちは教育者だ。
夢のある教育活動や新しいプロジェクトについて語りたい。
「立派な教育プログラムですが、原資がないので実施できません」というような教育者をディスカレッジするようなことを言わないでほしい。
そうおっしゃった先生方が何人かいらした。
金がないとできないことがある。
たしかにディスカレッジングリーにリアルだ。
しかし、この「ディスカレッジングなリアリティ」は私たちが大学の教育プログラムについて新たな計画を構想するときに、勘定に入れ忘れることのできない与件である。
大学教育は大学が存在する場合にしか行うことができない。
だから、「大学をどう存続させるか」というのは大学人にとってたいへん緊急性の高い論件である。
その話をしているときに、「そういう話は聞きたくない。大学教育の中身について語りたい」という気持ちを私は理解できないわけではない。
私だって金のことなど考えずに、夢のような教育プロジェクトについて語れ、それで雇用に不安がないなら、どれほど幸福だろうと思う。
しかし、それは家が火事になりかかっているときに「消火活動については聞きたくない。それより新しい家具の購入計画やその配置について話したい」といっているのに似ている。
ファンタスティックだ。

投稿者 uchida : 16:03 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月17日

晴れた日曜、道頓堀に芝居を見に行く

大迫力と書くが読みは「だいはくりょく」ではない『ミーツ』のオーサコくんから歌舞伎のチケットを二枚頂いたので、ドクター佐藤をお誘いして道頓堀の松竹座まででかける。
歌舞伎を平土間で見るのはうまれて始めてである(歌舞伎座の天井桟敷で見たことは何度かあるけれど)。
出し物は「菅原伝授手習鑑」。
たいへんに面白い。
片岡愛之助の松王丸がすっきりしていいてよい感じだった(口跡はやや不明瞭だけど)。
中村扇雀は「車引」では桜丸、「寺子屋」では千代の二役。
女形がすばらしい。
扇雀というと私たちの世代は父親のおしょうゆ顔を思い出すけれど、先代の扇雀はいまは鴈治郎である。
でも、小津安二郎の『浮草』と『小早川家の秋』の中村鴈治郎以外に同名の人がいるということを私はうまく受け容れられないのである。

それにしても、どうして歌舞伎の女形はごく自然に「女性的」なのに、宝塚の男役は技巧的にしか「男性的」たりえないのであろう。
もしかすると、「女である」ということは性別を超えて人間にとって「自然」なことであり、「男である」ということは性別を超えて人間にとって「不自然」なことであるのではないだろうか。
なんだか、そんな気がしてきた。
だとすると、フェミニズムのボタンのかけ違いは、「女性の男性化」という戦略によって性差の解消をはかったことにあったのではなかろうか。
むしろ、彼女たちは「男性の女性化」による性差解消をめざすべきだったのではないか。
その戦略のうちに「救い」を見いだした男性は想像以上に多く存在したのではないだろうか。
私自身も子どものころは女の子とままごとをして遊んでいる方が好きだったし、長じてからも久しく父子家庭で「母親」をやっていたし、ややもすると「おばさん化」する女子大の男性教師の中にあってさえ私の「おばさん化」傾向は突出している。
このような私の半世紀にわたる一貫した「女性化」スタンスをフェミニスト諸姉はかつて一度として「性差の解消のための努力」としては評価してくださらなかった。
むしろ諸姉たちご自身は「権力と銭金と威信を愛するおじさん」化路線を驀進せられていたのである。
あるいはこの「女性の男性化」という路線に対する生理的な嫌悪感が、私の「アンチ・フェミニズム」の根にあるのかもしれない。

というようなよしなしごとを考えつつ道頓堀にさまよいでて、ドクターと心斎橋の明治軒で「オムライスと串カツ」を食べて昼ビールを飲む。
日曜の昼に道頓堀で芝居を見て、帰りに昼酒をきこしめすというのは、なんとなく『細雪』的愉悦である。
昼ビールは少しだけ背徳の味がした。
オーサコくん、ごちそうさまでした。また歌舞伎のチケットあまったら、くださいね。


投稿者 uchida : 16:22 | コメント (2) | トラックバック

2005年04月14日

ここはシュ、シュ、シュ。

朝起きたら(そういうことはよくあるのだが)、不意にあるフレーズが浮かんできて、それがいつまでも頭の中でリフレインする。
今朝のフレーズは「シュガータウンは恋の街、ザルツブルクは塩の街」
というものであった。
ナンシー・シナトラとスタンダールの双方に思い入れのある日本人にしか思いつかないフレーズである。

というようなよしなしごとを毎日ブログ日記に書いている。
その文体についてひとつ書いておきたいことがある。
ブログは「メモ代わり」という使い方をされる方がブロガーの中にはたくさんおられる(らしい。私はほとんどほかのブログを見ないので、伝聞で知るばかりであるが)。
というのも、先日の『ユリイカ』のブログ作法特集の巻頭の座談会で著名なブロガーのみなさんがブログ文体についてこんなことを話していたからである。

「栗原裕一郎:エディタで書けばいいじゃないですか(笑)
仲俣暁生:いや、それだと面倒で、たぶん更新が続かない。直接書いているから、ガシガシ書けるんだよ。エディタで書くと、なんだか仕事用の原稿を書くのと同じ姿勢になっちゃって、丁寧に推敲をはじめたりしちゃうでしょ。そうすると、もともと思いつきで書いているものだから、いろいろアラが見えてきて、ボツにしたくなる。
栗原:オン書きに近い感覚ですか。
仲俣:そう。むしろ、しゃべっているのに近いかもしれない。
吉田アミ:しゃべり言葉に近くなりますよねー。更新が楽だと。思いついてから書いて発表するまでのスパンが自ずと短くなるので、ふつーなら見せられないような草稿もうっかりアップしてしまうって罠が。まあ、そこがオモシロイところでもあるし、危険なところでもありますが。私はその迂闊さがセクシーだと思っているのでバカを晒すためにもバンバン書いて、書くハードルを低く見積もっていく傾向にあります。これぞインプロ!ってことで。」(76-77頁)

なるほど。
私は読んで、ちょっと不思議な気がした。
「もったいないよ」と思ったからである。
私はワードで書いて、推敲して、場合によっては一日寝かせて、それからアップしてから実際の画面で読んで、さらに数回直す。
だから、アップ直後に読んだ人の中には、あとでアクセスしたら文面が変っていたことに気づいた人もいると思う。
調べ物もよくする。
気になったことについては、とりあえず資料に当たって裏を取る。
この「裏を取る」手間をかける時間を少しも惜しいと思わないのが学者というものの奇癖である。
というか、あるデータの裏を取るために読み出した資料をそのまま読み続けて、途中でいったい自分が何のためにこの資料を読んでいるのか、その当初の目的を忘れてしまう…というのは学者の「ひそかな愉悦」の一つである。
私にとってブログ日記のライティング・ハードルはかなり高めに設定されている。
言い換えると、「ブログ日記がそのまま単行本として出版されるような文体で書く」ということである。
だから、原則として文中にリンクを張らない。コメントやトラックバックを参照しないとわからない話もしない(紙媒体では、そんなことできないから)。
紙媒体に最終的に採録されることを前提としてブログ日記を書くというのは、かなり奇妙なスタンスに思われるかもしれないけれど、実はこれは私のオリジナルでもなんでもない。
私はこのやり方をバーナード・ショーに学んだ。

バーナード・ショーは「書きスケ」(@江弘毅)であった。
彼はありとあらゆる問題について、一言言わずにすまない「一家言のひと」であった。
それゆえ、彼はそのつどの政治的事件について社会問題について芸術について毎日その所見を記した。
そして、彼はそれを毎日『タイムス』の「読者投書欄」に送ったのである。
『タイムス』編集部も最初は喜んだ。
文豪バーナード・ショーの「日録エッセイ」が無料で(!)毎日届けられてくるのである。
しかし、いかな文豪の筆とはいえ、他の投稿者への配慮もあり、そう毎日投書欄に「バーナード・ショーさんの今日のご意見」ばかりを掲載するわけにはゆかない。
新聞に掲載させていただくのはせいぜい隔週くらいでご勘弁願うしかない。
しかし、そうやって投書のほとんどがボツになるのも気にせず、ショーは毎日投書を続けた。
そして、数年経ったところで、彼はそれまでの投書エッセイを撰して単行本として出版したのである。
毎日の投書をタイプで打つときにカーボンコピーを取っておいたから。
私はこの話を聞いたときに、「はた」と膝を打った。
この手があったか。
ご存知のとおり、『ためらいの倫理学』以来の私の著作の過半は、ネット上で既発のテクストを採録したものである。
私はこのシステムをひそかに「バーナード・ショー方式」と名づけている(というのは嘘で、いま思いついたんだけど)。
現在進行中の『悪い兄たちが帰ってきた』はブログに連載して、『ミーツ』で編集して、出版社から単行本で出すことになっている。
ブログ日記本体のエッセイは文春のヤマちゃんが面白そうなものを拾い集めて単行本にするべく編集中である。
「チャイナ・スタディーズ」はNTT出版から『街場の中国論』として出版が予定されている(まだ始まってもいない演習の講義録を青田買いするM島くんもまことに豪放な人物であるが)。
ブログはカジュアルなメディアだからメモ代わりにガンガン書いて、ガンガン棄てるというテクスト戦略もあるし、カジュアルなメディアだからこそ、それを「丁寧に使って、無駄を出さない」というやり方もある。
私はことばというのは単なる「メッセージの運搬基」ではなく、それ自体がある種のフィジカルな力を持っていると考えている。
その「フィジカルな力」は、繰り返し舌先で転がし、筆先でこねまわし、修辞に配慮し、韻律を調音してるうちに、しだいに書き手の意図を離れたところにゆっくりと向かってゆく「本然の趨向性」を蔵しているような気がする。
気がするだけですけど。

投稿者 uchida : 21:36 | コメント (2) | トラックバック

2005年04月13日

中国の狼少年

演習が三つ連続すると、さすがに疲れる。
でもうまく時間割が組んであって、最初が三、四年生対象のフランス語ゼミ。次が三回生の専攻ゼミ、最後が大学院の比較文化ゼミで、だんだん「楽になる」。
教員の中にも勘違いしている人が多いが、授業がいちばん楽なのは大学院である。
いちばんきついのは1年生の一般教養科目大教室講義である。
大学院は教師がじっと押し黙っていても院生や聴講生たちがそれなりのレベルの議論を進めてくれる。
一年生相手の講義では私語したり眠ったりしているテンションの低い学生たちを相手に、孤独な90分汗だくのステージ・パフォーマンスが要求される。
疲労度からいうと10倍くらい違う。
しかし、制度的には、大学院の授業は「ひとにぎりの選ばれた教師」しか担当することが許されない「高級な」教育活動であり、学部の講義は「非常勤任せ」でもよいランクの低い教育活動である、という厳然たるヒエラルヒーが存在する。
少なくとも、文部科学省の教員審査基準ではそうなっている。
ほんとうは話は逆で、大学院の演習は大学院出たての若手研究者でもなんとかなるが、一年生相手の大教室講義は新米教師にはきびしい負担である。
大学院は修士号、博士号を発行する課程だから、指導教員に専門領域についての十分な知見が必要だということはわかるけれど、それでも日々の授業そのものは「楽」なのである。
楽してごめんね。

今年の大学院の演習は「チャイナ・スタディーズ」である。
一昨年は「現代日本論」をやった。
そのときに一年間現代日本の諸相を検分してみて、日本近代の基軸がペリー以来の「日米関係」であるということが骨身にしみてわかったので、昨年は「アメリカ論」をやった。
そしたら、日本の21世紀の世界戦略を考えるときの基本的な外交スキームが「日米中」の三国関係であるということが骨身にしみてわかったので、今年は「中国論」をやることになったのである。
私はもちろん中国問題の専門家でも何でもない。
院生聴講生の中にも中国問題の専門家はひとりもいない。
全員素人である。
去年のアメリカ論もアメリカの専門家はひとりもいなかった。
でも、一年間ゼミをやってわかったのは、「全員素人」で「床屋政談」をやっていても、まったくカテゴリーもレベルも違うランダムなトピック(政治・外交から宗教・犯罪・食文化・性文化・家族・教育…)を毎週論じていると、「アメリカを読む筋目」というものがしだいにくっきり浮かび上がってきて、演習参加者の全員に共有されてくる、ということであった。
それは社会心理学的にいえば「アメリカの無意識」であり、人類学的にいえば「アメリカの基本構造」である。

そのときに、日本人のアメリカ研究の専門家、アメリカ・ウォッチャーの書くものにほぼ例外なく「無意識的なバイアス」がかかっているということもわかった。
このアメリカ専門家たちは、アメリカが世界の覇権国家であり、英語が世界の公用語であり、アメリカ経済が活動的であることから、個人的に「利益」を得ている。
それは彼と同程度にある国の文化に深く通暁している専門家、例えば、「モンゴル共和国ウォッチャー」が期待することのできない種類の「利益」である。
それゆえ、彼らは無意識的にその「利益」(それは具体的にはメディアからの出演依頼寄稿依頼の多さとか大学やシンクタンクからのポストのオッファーの多さというかたちで現れる)が今後も継続するとことを切望する。
つまり、アメリカ・ウォッチャーたちは、どれほど批判的なスタンスにある場合でも(むしろ批判的なスタンスにある場合こそ)「つねにアメリカが話題になること」を無意識的に切望するようになるのである。
そして、少し考えればわかることだが、ある国が「つねに話題になる」というのは、必ずしもその国が「よいこと」をなし続けるからではない。
アメリカが安定的に統治され、為政者たちが賢明で謙虚であり、経済が節度ある繁栄定を保ち、社会全体が穏やかな調和のうちにあるとき、「アメリカ専門家」に対する私たちの側からの需要は有意に減少するだろう。
そんな国のこと、別にどうだっていいからだ。
むしろ、その国が「劇的な愚行」や「劇的な失敗」を犯すことの方が「話題喚起力」は大きい。
その国が「他国から見てきわめて安全な国」であることより、「他国から見てきわめて危険な国」であることの方が、「話題喚起力」は大きい。
だから、アメリカ問題専門家たちは、アメリカが「劇的な愚行」や「劇的な失敗」を犯し、他国からみて「危険」な国になることを無意識的に欲望するようになる。
彼らは、その徴候を示すデータを選択的に収拾し、アメリカが実際にそうであると私たちが信じ込むように世論をリードし、アメリカが「よりスペクタキュラーな失敗」をする方向に棹さすべく、できる範囲での協力を惜しまないようになる。
どうしてそんなことを断言できるのか、と鼻白む人もいるだろうが、私自身が一年間アメリカ研究をやってきて、ちょっとだけ「専門家」になって、アメリカ本を出すことになったあたりで「私自身がそうなった」から身に染みてわかるのである。
「アメリカ本」を書いているうちに、アメリカが「賢明で温和な国」であることよりも「愚鈍で暴力的な国」であることから出版社も私もより多くの利益を得られるということに気がついた。
そのバイアスが必ずや私自身のアメリカ論の記述に影響して、ある種のデータを読み落とさせたり、形容詞の選択に関与したりしているに違いない。
そのことに気づいたのである。

これを私は「狼少年のパラドクス」と呼んでいる。
「狼が来た!」というのは村落の防衛体制整備の喫緊であることを告げる警世的・教化的アナウンスメントである。
しかし、繰り返し「狼が来た!」と告知しても村落の防衛体制の整備に人々が十分な関心を払わない場合、やがて少年は無意識的に狼がほんとうにやってきて村人たちを喰い殺すことを切望するようになる。
そのときこそ少年の予見の正しさが万人によって承認されるからである。
やがて、少年は、「狼が村を襲いやすい」ように、それと知らぬうちに、防壁の崩れを放置し、鶏や羊が無防備に歩き回るのを黙過するようになる…
この「狼少年のパラドクス」をまぬかれる「専門家」はおそらく存在しない。
どのようなイッシューの専門家であっても、それが「話題」になることで専門家自身が利益を得る場合、彼は必ず彼の専門分野の中心的ファクターが「より強い話題喚起力」を持つように無意識的に行動するようになる。
そして、「より強い話題喚起力」はしばしば「より悪い事態」によって引き起こされるのである。

私たちは今年中国問題に取り組む。
ねらいは去年と同じく、「中国の無意識」あるいは「中国の基本構造」とでもいうべき原型的なエートスを探り当てることである。
そして、その作業行程で私たちがいちばん気づかわなければいけないのは、情報の欠如や考察の不足ではなく、「中国問題がより〈喫緊で重要な〉マターになるように」問題そのものの「激化」を願ってしまう私たち自身の無意識的なバイアスをそのつど「勘定に入れる」ということである。

投稿者 uchida : 11:07 | コメント (1) | トラックバック

2005年04月12日

業務連絡

すみません。うっかりして業務連絡をアップするのを忘れておりました。
本日から始まる大学院の演習。
「チャイナ・スタディーズ」の教室はJD103.時間は4時35分からです。

場所がわかんないよーという人はD館の教務課窓口で「どこですか!」と叫んでください。内田が出て応対します。

投稿者 uchida : 12:46 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月11日

港町ブルース

『ミーツ』の江さんがNAGAYAにたいへん痛快なエッセイを書いている。
「都会的なるもの」と「街的なるもの」の違いについての考察である。
私は江さんの感覚がとても好きだ。
私は「街」ということばではなく、「都市」ということばをつかう。
その定義は江さんの「街」とはたぶん微妙に違う。
それについて書いてみたい。
10年ほど前、日本における「都市」の定義というものを思いつき的にしたことがある。
そのとき私が考えた条件は一つだけ。
それは「チャイナ・タウンのある街」というものである。
ここでいう「チャイナ・タウン」は比喩的な意味のそれである。
「チャイナ・タウン」のある街というのは「港町」であるということである。
この場合の「港」は地理的に海岸を意味するわけではない。
川沿いであろうと、内陸部であろうと、山のてっぺんであろうと、排除的な境界線が効果的に機能しないために、「入ろうと思えば、どこからでも入れる」ならば、そこは「港」の条件のひとつを備えていると言ってよい。
ある街が「港」として機能するためには、境界線のアバウトさの他に第二の条件が続く。
それは「ハーバーライト」が存在すること、である。
つねに変わりなく暗夜に信号を送る「輝く定点」がなければ、船は港に戻れない。
「ハーバーライト」には「おーいらみーさきのー」と静かに灯を守る人間(佐田啓二)がいなければならない。
いくらボーダー・コントロールがアバウトでも、誰ひとり「定点」を守る人間がいない土地は「港」としては機能しない。
私はそのような役割を引き受ける人間のことを「見守る人」(センチネル)と呼んでいる。
港町には「異族」が住みつく。
これが第三の条件である。
「異族」が住みつくことのできない街は「港町」とは言われない。
彼らは「故地」を離れて来た人間たちである。
「レフ・レハー」(私があなたに示すその地に至れ)という言葉を聴き取って、父祖の地を離れてきた人間である。
ここでいう「異族」は人種とも国籍とも関係がない。
異郷に旅立つことが、いつか故郷の島にもどって、その驚くべき冒険譚を語り聴かせるための「帰ることが予定されている旅」ではなく、「帰らない旅」であるような旅を選んだ人々を私は「異族」と名づける。
「異族」は「港町」に住みつく。
そこしか彼らが安住できる土地がないからだ。
そして、しばしば彼らは「ハーバーライトを守る」仕事に「原住民」(アンディジェーヌ)よりずっと真剣に取り組む。
それは彼ら自身がかつて暗夜の海をあてどなく航海したときに、「港」の明かりがどれほど温かく見えたかを記憶しているせいだろう。
私はそういう街が好きだ。
故郷を離れてきた人間が、その街の灯りを絶やさないために黙々と「センチネル」をつとめるような街。
過去を持たない人間が静かに護る「逃れの街」。

東京は「港町」ではない。
たしかに、そこにはさまざまな出自の人々が自由に蝟集している。
排他的な境界線が機能していないという点では「自由な街」なのかもしれない。
けれども、東京には「センチネル」がいない。
そのような役回りの人間を敬する精神的土壌が東京にはない。
もちろん、江戸時代から何代にもわたって土地に根づいている人はいる。
けれども、彼らは暗夜に向けて灯りを送る仕事を自分の責務だとは思っていない。

村上春樹の造形した人物の中で、私がいちばん好きなのは「ジェイズ・バー」のジェイである。
彼は過去を語らない「中国人」であり、「僕」と「鼠」にとって、帰りたいときに(結局彼らはそこに帰ることはないのだが)帰ることのできる場所を指し示す「ハーバーライト」の役割を静かに引き受けている。
この人物が私にとって「港町」というものを端的に表象している。

ジェイズ・バーは『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』と『羊をめぐる冒険』における記述を仔細に検討するならば、芦屋の国道二号線から少し入ったところに存在する。
私が「芦屋の国道二号線から少し入ったところ」に居住することに固執するのは、そこに私にとっての理想的な「港町」があるような気がするからである。

投稿者 uchida : 22:14 | コメント (0) | トラックバック

「強い政治的意見」と「弱い政治的意見」

政治的なイシューについて書くと、コメントとトラックバックが急に増える。
隣国のことについて書くと、「私はあなたと意見が違う」ということを言ってくる人間の数がとくに多い。
私はこれを興味深い現象だと思っている。
私がアメリカやフランスの政治について書いたときには、たとえ自分と意見が違っても、とりわけ意見の違いを際だたせたいという意欲が湧かないが、隣国についての議論だと自説との違いを強調したくなる、というのはどういう事情によるのであろう。
たぶん人間の政治的意見には「強い政治的意見」と「弱い政治的意見」の違いがあるからだろう。
いずれも経験的知見や研究調査によって得られたデータや他のイシューについて論じたときの理路との整合性などを配慮して構築されているという点では変らない。
にもかかわらず、政治的意見のうちには「ぜひ言いたい」ものと「それほどでもない」ものの違いがある。
「できるだけ声高に主張し、できるだけ多くの方に承認していただきたい自説」と「まあ、これはあくまでぼくの個人的意見なわけで、みなさんが違う考えをおもちになっても、それはそれということで・・」の違い言ってもいい。
「強い政治的意見」というのは、その人にとって万人が傾聴すべき「公論」として観念されており、「弱い政治的意見」というのは、別に誰に知られることなく終わっても別に構わない「私見」として観念されている。
そして、彼の政治的意見が「公論」であるか「私見」であるかの差別化は、その意見に十分な資料的基礎づけがあるかどうかや論理的整合性があるかどうかにはかかわらない。
十分な資料的裏づけがあり、論理的に首尾一貫しているが「あえて私見にとどまる政治的意見」というものがあり、それとは逆に、情緒的で論理的に混乱しているにもかかわらず「公論としての威信を要求する政治的意見」というものがある。

中国と韓国・朝鮮については多くの人が「強い政治的意見」を語る傾向にある。
ことこの問題になると、「これはあくまで私の個人的な意見ですが…」というふうに控えめに自己限定し、できるだけ他人の意見に耳を傾けるようとすることがむずかしくなるのである。
「強い政治的意見」は、他の意見に対して非寛容で、おのれ客観性を過大評価する傾向にある。自説と異なる立場との「対話性」や「開放度」がいちじるしく限定される。

私はこのような言説生産のプロセスそのものに一抹の不安を感じるのである。
というのは、まさにこれらの「強い政治的意見」がきわだった仕方で現れるのは、「自分と異なる政治的立場との対話性や開放度がいちじるしく低められた政治的関係」が論件になる場合においてだからである(ややこしい言い方ですまない)。

中国・韓国・朝鮮との政治的関係はそれぞれの国が「自分と異なる政治的立場」を配慮したり、「先方のご事情」を察知したり、未来に対して開放的なヴィジョンを構築しようという意欲が各国国民においても政府間においても、きわだって低い関係である。
そう申し上げてよいだろう。
そのような「対話性も開放度も低い政治的関係」についてコメントする人々が「対話性も開放度も低い意見」を語り続ける。
そういう言説生産が構造化されている。
その結果がどうなるか。
考えるまでもない。
ますます対話の可能性は低くなり、コミュニケーションのチャンネルは狭隘なものになる他ない。
その結果、それらの言説によって形成される世論の圧力に応じて、政府間の関係も一層排他的・非妥協的なものになる。
そのようにして一層排他的・非妥協的になった政治的関係についてコメントする言説は当然ながらますます「政治的に強いもの」になる。
そして…(以下同文)

私はこの悪循環をどこかで打ち切るべきだと考えている。
もちろん一気にことが解決するような魔法を私が知っているわけではない。
でも、とりあえず一つだけ方法がある。
それは、「排他的・非妥協的な政治的関係については、『弱い政治的意見』を語る」というルールを自らに課すことである。
「強い政治的対立」についてコメントするときには、あくまで「私見」の水準にふみとどまり、「公論」の地位を要求しないこと。
その節度が思いがけなく重要ではないかと私は思っている。
その「自制のルール」がある程度の範囲に共有されたときに、はじめて「強い政治的対立」から「弱い政治的対立」へのシフトの可能性が見えてくる。
私はそんなふうに考えている。

しかし、そういう私の考えに同意してくれる人は少ない。
驚くほど少ない。

投稿者 uchida : 10:45 | コメント (7) | トラックバック

2005年04月10日

反日デモの伝える声

中国で反日デモが激化している。
北京の日本大使館に投石がされ、大使館公邸や日本企業の入っているビルのガラスも割られ、日本料理店が襲われた。
これだけの規模の反日デモが行われたのは、72年の日中正常化以後はじめてのことである。
小泉首相の靖国参拝、歴史教科書問題、領海問題などの政治問題で対日感情が悪化しているということが繰り返し指摘されている。
しかし、多くの中国ウォッチャーが言うように、現在の反日機運を中国人の総意であるとか中国政府の外交カードであるとか考えるのは控えた方がいいだろう。
日本のなんらかの具体的な政治的アクションに対する批判であるというよりも、この反日気運はこういってよければかなり「記号的なもの」であるような気がする。
つまり、それは「そうすることによって、あなたは何を言いたいのか?」という問いを引き出すための誘発性のメッセージであるように私には思われる。

こういう問題を考えるときにいつもそうするように、私は立場を換えて考えてみる。
もし、私が中国の大学の教員であり、(日本における私と同じく)「愛国者」ではあるけれど、政府の方針やマジョリティの心情とは必ずしも一致しない政治的意見の持ち主であるとしたら、この「チャイニーズ・ウチダ」の目に日本政府と日本人はどんなふうに見えるだろう。
これはどなたが想像してもだいたい答えはひとつところに落ち着くだろうと思う。
それは「何を考えているのか、わからない」である。

小泉首相にしても町村外相にしても、中国政府に対して言っていることは「原則的にこれまで日本政府が言ってきたことの繰り返し」であり、べつに新味があるわけではないと同様、とくに危険で挑発的なことを言っているわけでもない。その限りでは、「どうしてこれまでと同じことを言っているのに、急に怒り出すんだ。中国人は何を考えているのか、わからんね」というふうに首相や外相が思ったとしても不思議はない。
でも、テレビの画面で中国問題についてコメントするときの日本の政治家の顔つきと声を「中国人になったつもりで見ると」、日本人には感知されない種類の「薄気味の悪さ」がそこに出現してくる。
そこには自分の政治的メッセージを中国の人々に「理解してもらいたい」という思いがまったく感じられないからである。

死んだ魚のような目をした人間がうつろな目を中空にさまよわせながら、「ぼくの気持ちをわかってください。あなたを愛しているんです」とせりふを棒読みにしてみても、たぶん彼の気持ちを理解したい気分になる人はいない。
「だから、『悪かったって』謝ってんだろ。ったくよお」
というような「謝罪」をにこやかに受け容れる気分になれる人間はいない。
それに似ている。
言っている「コンテンツ」には特に破綻がない場合でも、メッセージをつたえるときの「マナー」が「コンテンツ」を理解しようとする受信者の意欲を致命的に損なうということはありうる。

中国問題についてコメントするときの日本の政治家や政論家に感じるのは、この「マナー」への配慮の(ある人間においては意図的な、ある人間においては無意識的な)欠如である。
中国の人々はこの「メッセージのコンテンツとそれを載せるマナーの間の乖離」に「薄気味悪さ」を感じているのではないか。
私はそんなふうに思われる。
靖国神社問題にしても、歴史教科書問題にしても、私はある種の愛国主義的心情がそういうかたちでコントロールを失って露出することは「ありうる」と思っている。多様な政治的意見が併存することに私は反対しない。それが政治的に非常に危険なものになるのでない限り、私自身はあまりナーバスにはならない。
しかし、現に多くの中国人がこれらの問題でナーバスな反応をして「日本の再軍国主義化」や「植民地主義的侵略」について「本気で」危機感を募らせているとしたら、これは真剣に考えるべき問題だろう。

日本が再軍国主義化して、植民地主義的な侵略を行うことを支援する国は国際社会には存在しない。
アメリカもEUもASEAN諸国もロシアも誰も日本の軍国主義化を支持しない。
国際社会に誰も支持者のいない外交的オプションをあえて選択して、国運をかけてそれを貫徹するだけの政治力も信念も日本政府は持っていない。
これは断言してもいい。
国内的にはどうか。
国歌や国旗へ敬意を払えとか、教育基本法の改定とか、一部の政治家があらわに右傾化していることはまぎれもない事実である。だが、これが軍国主義化するところまで行くという判断に私は与しない。
刻下の経済状態で軍事強化を政治的な優先課題とするということは、社会的インフラ整備も教育も福祉も保険も年金もぜんぶ「後回し」にして、国民の物質的・精神的窮乏を代償にして軍事的威信を構築すること、つまり日本を「北朝鮮化」するということである。
このような政治的選択を掲げる政党が総選挙で日本国民の過半数の支持をとりつけられるという見通しに私は与しない。
ネット上で好戦的なナショナリズム言説を吐き散らしている若者たちは「徴兵制」の施行を求め、彼ら自身が一刻もはやく入営して青春の日々を軍事教練で過ごしたいと切望しているというふうに私は考えない。
つまり、国際社会も国内的状況も、日本が軍国主義化し、植民地主義的な侵略を展開する客観的情勢にないということが冷静に考えれば誰にもあきらかであるにもかかわらず、中国の人々がなおそのような政治的オプションへの道を進む日本のすがたを想像することを止められないとするならば、理由はたぶん一つしかない。
それは、日本の政治家の対中国メッセージに「なんだか薄気味が悪いもの」が伏流していると彼らがいつも感じているからである。
おそらく日本人政治家が無意識的に垂れ流している「なんだか薄気味が悪いもの」を平均的な中国人は彼らの「既知」に還元することで、名付けようとしているのだ。
そのときに呼び出される「既知」がおそらく「日中戦争の記憶」なのである。
日本人が中国にもたらした最悪の災禍に同定することで、この「なんともいえない薄気味の悪さ」は具体的なイメージに置き換えられる。
そうやって、「最悪の事態」を想像することで、彼らは「納得」しようとしている。
たぶん。

中国や韓国に対するときの日本の政治家や官僚の「木で鼻をくくったような」非人称的な語り口が隣国ではげしい反発をまねくのは、言っている「内容」以上に、その「語り方」に対話への志向が欠けているからである。
私はそう考えている。

すべての国には「刺さって抜けないとげ」がある。
アメリカとイギリスは「旧宗主国」と「植民地」の関係であり、独立戦争のときの血なまぐさい殺し合いをアメリカ国民も英国民もたぶん忘れてはいない。
そのアメリカでは北部諸州と南部諸州は国土を二分して壮絶な南北戦争を戦った。戦闘が終わったのは明治維新のわずか3年前のことである。
フランスとドイツは普仏戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦と国境をはさんで両国とも数十万から数百万人の戦死者を出す殺し合いを80年間に3回経験した。しかし、その両国のパートナーシップがいまのEUの核になっている。
どこでも「とげ」は抜けていない。
しかし、今のところ、英米間や独仏間あるいはアメリカの南北州間で「怨念」や「謝罪」についての感情的な議論が前景化する見通しはない。
過去に抑圧的な植民地支配があり、抑圧があり、差別があり、殲滅戦に近い殺し合いがあっても、そのあとに親しい同盟関係や共同体を構築することは可能である。そのことをこの歴史的事実が証明している。
だが、日本と隣国のあいだには、それができない。
とすれば、それは「事実」のレベルの問題にはないということである。
条約の整合性や外交戦略の首尾一貫性とはかかわらない次元の問題だということである。
それは「過去の事実」をどのような政治史的文脈のうちに位置づけるかにかかわる共同的なヴィジョンの次元、政治的幻想の次元の問題である。
日本の政治家にはそのようなヴィジョンがない。
彼らは過去の政府見解を棒読みで繰り返す。
彼らが政府見解を棒読みするのは、もし彼らの外交戦略が失敗しても、それは過去の政府の責任であり、彼らの責任ではないと考えているからである。
このメンタリティは不良債権で銀行をつぶした経営者や、在任中に事件化しなければいいと不祥事も申し送りして退職金を受け取って逃げ出した多くの企業経営者と似ている。
ほとんど同じと申し上げてよい。
私たちの国の何年か前の首相は、自分が受け取った1億円の政治献金について「忘れた」と言い続けて刑事訴追を免れるつもりでいる。
「責任を取りたくない」というのがこの人物の政治戦略の基本である。
この元首相をかばいつづける現在の為政者たちもきっと本質的には彼の同類であろうと私は思っている。
「責任を取りたくない」人間が語ることばを隣国の人々に「未来をひらく対話のためのシグナル」だと信じさせることはたいへんに困難である。
絶望的に困難であろうと思う。

中国の「反日デモ」は記号的な出来事ではないかと私は最初に書いた。
それは「そうすることによってあなたがたは何を言いたいのか?」と私たち日本人が問うことを求めている。
私はそう思っている。
そして、私が聴き取った彼らからの声は「日本人よ、私たちに届く声で語ってはくれまいか?」というメッセージである。

投稿者 uchida : 12:27 | コメント (8) | トラックバック

2005年04月09日

カジュアルなメディア

合気道のお稽古をお休みして、NHKに行く。
ラジオの生放送に出るためである。
「かんさい土曜ほっとタイム」という1時半から5時近くまでやるNHK第一の全国放送の「おもしろ人物ファイル」という番組にお呼び頂いたのである。
去年の暮れに話があったが、土曜というので稽古休みたくないなあ…と四の五の言っているうちに話が立ち消えになってやれやれと思っていたら、またオッファーが来た。「二顧の礼」を尽くされてむげに断るのも常識ある社会人としてはいかがなものかと考えて、お受けしたのである。
私はテレビに出ないということをプリンシプルにしているが、ラジオというメディアには好感をもっている。
前も書いたけれど、テレビというのは「テレビ放映をする」ということ自体が自己目的化していて、何を放送するかということについては副次的な関心しか払われないメディアである。
それもしかたがない。
制作費がものすごくかかるからである。
制作者やスポンサーが求めるのはプログラムのクオリティよりも、何はともあれプログラムが予定通り放映されることである。
きわめてタイトなスケジュールのなかで、とにかく破綻なく時間内に収録を終えるということにスタッフの技術的関心のほとんどが向けられる結果、スタッフにとってさえ、コンテンツについての興味が相対的に低いのである。
一度だけテレビに出たけれど、そのほとんど誰も見ない「朝日ニュースター」でさえ、制作のスタッフたちは機材の調整とタイムキープに関心の95%を集中しており、ゲストの話に耳を傾ける余裕はなさそうであった。
制作スタッフが放送している当のコンテンツに関心を持つことが構造的に困難なメディアというのは、どこかが病んでいる気がして、爾来私はテレビに出ないことにしたのである。
ラジオはその点、カジュアルである。
初期投資以外、放送にかかるコストは電気代だけである。
放送技術も半世紀くらいぜんぜん変っていない。テレビやネットにくらべたら、ほとんど「牧歌的」なテクノロジーである。
だから、スタッフたちも放送内容をちゃんと聴いて、それに対してひとりひとり個人的なリアクションをすることができる。
メディアはやっぱりこうでなくちゃ。
生放送の30分前にスタジオに入る。
別に打ち合わせらしいものもない。
話題が切れたら音楽でもかけましょうかね、何がいいですか。うんと、ジェームス・テーラーとボビー・ヴィーがいいですねというくらいのラフな打ち合わせである(結局話がぜんぜん終わらなくて音楽を入れる暇がなかったけど)。
第一、インタビュアーのおふたり(佐藤アナウンサーと遙洋子さん)はスタジオで本番中だから打ち合わせなんかできない。
そのまま時間になってスタジオに入る。
NHKラジオのスタジオは窓の外に大阪城が見えて、たいへん眺望がよろしい。
遙さんは上野千鶴子のお弟子さんであるので、「あ、ども、上野先生にはいつも失礼なことばかり申し上げて、さぞやお腹立ちでございましょうが、ま、これもいろいろ事情がございまして…」とごにょごにょ言っているうちに放送が始まる。
遙さんは私の本をずいぶん読んでらして、適切な質問をしてくれるし、佐藤アナウンサーはすごくリラックスした受け答えをしてくれるので、ふつうに喫茶店でおしゃべりをしているような感じで、あっというまに1時間が経って、生放送が終わる。
やあ、面白かったです。音楽入れる暇なかったですね、とディレクターの周山さんに言われて、はあ、どうも、お疲れさまでした。じゃあ、とそのまますたすたとスタジオを出て、地下鉄に乗って、家に帰る。
また出て下さいねと言われたけれど、平川くんか名越さんか高橋さんと,だらだらおしゃべりさせてくれる企画だったらいいなあ。

投稿者 uchida : 20:51 | コメント (1) | トラックバック

2005年04月08日

「この球は唯一無二の一球なり」

金曜は一週間でいちばん忙しい日である。
今日はまず朝一のチャペルアワーで新任教員歓迎の礼拝に出席。
今から15年前に私も新任教員として、この礼拝でご挨拶をした。
そのときに「関西出身の友だちから、『関西は東京とは別の文化圏で、東京生まれのウチダにとって関西人はエイリアンに見えるだろう』と来る前にアドバイスされました」と挨拶して、満座の失笑を浴びたことを懐かしく思い出す。
そうアドバイスしてくれたのは灘高出身の故・竹信悦夫である。
東京ファイティングキッドである私が阪神間のこの大学にソフトランディングできたのは、この竹信くんの大学在学中からの懇切な関西文化講義をつつましく受講していたおかげである。
関西には「吉本」というものがあって、典型的関西人は毎週土曜の午後放映の「吉本新喜劇」のオーラを幼少期から浴びているということも彼から教わった。
私はもちろんそのようなものの存在さえ知らなかった。
彼の身ぶり手ぶりの解説に感動した私たち(私と植木正一郎くんや浜田雄治くんら東京シティボーイズ)はつれだって75年の春休みに武庫之荘の竹信くんの家に泊まり込んで、「吉本思想を学ぶツァー」と称して数日神戸や大阪を歩き回った。
それが卒業旅行だった。
梅田花月の舞台で間寛平という名の東京のメディアに出たことのない不逞な役者が舞台をさわがしく走り回っていてカルチャーショックを受けたことを覚えている。
30年前の南京町は汚い路地が縦横にめぐるアンダーワールドで、50円で2個の小さい肉まんを壁土のはげ落ちた薄汚い老祥記という名のあばらやで食べた覚えがある。
「これがうまいんだよ」とほくほくしている竹信くんの顔を思い出して、90年に関西に来てすぐに南京町に行ってみたら、その店の前には情報誌を手にした観光客が20メートルくらいの列をつくっていた。
その竹信くんがウェブに執筆していたエッセイ集が友人たちの編集でもうすぐ出版される。
私と高橋源一郎さんが「竹信悦夫を語る」という対談をして、「ふろく」につけてもらうことになっている。

今期最初の授業は一年生の基礎ゼミ。
このゼミの教育的目標はコミュニケーション能力の開発です、とご挨拶をする。
コミュニケーション能力というと諸君は適切なことばやみぶりを駆使して「自己表現する能力」ということを考えられるかもしれないけれど、それはすこし違う。
コミュニケーションの基本はまず「聴くこと」である。
君たちの耳にはとりあえず「ノイズ」にしかきこえないシグナルを「メッセージ」として読み解くこと、それがコミュニケーションの基礎である。
ノイズをメッセージに繰り上げるためには、聴く君たちの「理解のスキーム」のどこかに「外部へひらくドアをあける」ことが必要だ。
それは「理解できないことばに耳を傾ける」という構えによって示される。
他者から到来する「理解できないノイズ」に敬意をもって耳を傾ける習慣をもつことができる人間だけが、自分の中からわき上がる「理解できないノイズ」に敬意をもって接することができる。
自分の中からわきあがる「理解できないノイズ」をメッセージのかたちに組み立てる能力、それがそのまま「表現する力」に結実する。
そのためにはまだ諸君の語彙に登録されていないことばを探し当て、語りのトーンやピッチを選び出す作業が必要だ。
わかりにくい話ですまない。
しかし、こういう「わかりにく話」をひたすら浴びることによってしか、諸君のコミュニケーション能力は育つことがないのである。
という話をした数時間あとに、科別教授会で「基礎ゼミの心得」として、ナバちゃんが同じことを語っていた。
まことに得難い友である。

午後1時から教務委員会。
超ハイスピードで議事進行し、20分で会議日程を終わらせる。
人間科学部のN田先生は研究科委員会を15分で終わらせたことがあると伺っているので、いつかその記録をどこかの委員会で破りたいと思っているのだが、なかなかその機会に恵まれない。
さまざまな案件を片づけているうちに科別教授会。
総文のF庄学科長は人も知る「定刻主義者」であるので、会議は定刻に始まり、予告された定刻に終わる。
よいことである。
F庄先生は腰に古傷がある。
時々苦しそうに腰を抑えている。
いつか訊いたら「機動隊にやられたんだよ」と笑いながら教えてくれた。
30年前の古傷である。
私はあの時代にバンドエイドを貼るかすり傷を負ったこともない。
「私には守護霊がついている」と称して革命的警戒心のまったく欠如した日々を送っていたのであるが、まわりの学生たちの中には脳挫傷で苦しんだものも脊髄をやられて下半身不随になったものもいた。
なんだかその人たちの不運を代償にしているような気がして、やがて運を試すのを止めた。
名医がいますよ、とF庄先生に三宅先生をご紹介したら、それから週一で通っておられる。
だいぶ具合がよくなったそうである。

リラックスするにはどうしたらよいのですか?
という質問をメールで頂いた。
テニスをしている方からである。
こんな質問である。
「当方、趣味程度にテニスをやっている者ですが、仲間やコーチから『リラックスできていない』と言われます。
リラックスできていないから、動きがぎこちない、早いタマに反応できない、コントロールが乱れる、という現象が現れるというのです。
ところが『リラックスする』とか『リラックスした状態』というのが、いざ相手からのタマが飛んできている中でどうすればよいのかを『言語化する』、『イメージする』ことができません。具体的にどうすれば良いのでしょうか。
全く分野の異なる合気道でも、多分リラックスすることは重要だと思いますし、先生の近著『先生はえらい』のなかでの『居つき』の話は『!』と膝を打ちました。
お忙しいとは思いますが、どうかご助言をお願いします。」

身体運用の核心に触れる質問であるので、丁重にお答えする。
この方からのメールにはこうご返事した。

「質問のお答えになっているかどうかわかりませんが、『リラックスの逆説』についてお話したいと思います。
よく『リラックスしろ』と言いますよね。
でも、『リラックスしないと罰を与える』という条件でリラックスできる人間はいません。
テニスではリラックスできないとプレーの精度が上がらない、だからリラックスせねば・・・というのは、すでに文型そのものがストレス負荷的に構文されていますから、その条件下でリラックスするのは困難です。
『リラックスする』というのは『いざ相手からのタマが飛んできている中』でやることではありません。
リラックスというのは『すでにリラックスしている』という状態の動詞であって、『リラックスする』という遂行の動詞ではありません。
リラックスを担保する心的条件は『胆力』です。
『胆力』というのは端的に言えば、『時間意識』です。
『自分が死んだとき』まで想像力を延長して、そこから今の自分を回顧する『逆流する時間意識』をもつ人間はあまり驚いたり、不安になったりしません。
武道の場合は、そのつど『死ぬこと』を想定して、想像的に死んだ時点から動きを反省的に構築するわけです。
別に形稽古の最中に死ぬわけではなく、ほんとうにあと何十年かあとに死んだときの自分を想定して、そこから現在の自分が 『ここにいて、ある動きをしていること』の歴史的必然性を見いだしてゆく、という手順を踏みます。
つまり『ただしいときに、ただしい場所で、ただしいやり方』で生きている、ということについて確信が持てるならば、そのとき自分がしている動きは完全にリラックスしているベスト・パフォーマンスのはずなのです。
オレはこんなところでこんなことやってていいんだろうか?というような疑問を抱いている人間のパフォーマンスが高いということは論理的にありえません。
ですから、結論を言うと、あなたの解決すべき第一の問題は、いまテニスをしていることの必然性についてのどれほどの確信を持てるかどうかだと思います。
他の何を措いても、いま自分はこのプレイをするために生まれてきたというような確信をもつことができれば、とりあえずご自身にとってベストのプレイができるはずです。
『こんなところでテニスなんかしている場合じゃないんだけど・・・』というような気分のときにベストパフォーマンスができるはずありませんからね。
ご健闘を祈ります。」
えらそうなことを書いているが、これは受け売りである。
もちろん、ことがテニスである以上、私が準拠できる権威者は「あのかた」しかいない。
そう、宗方コーチである。

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2005年04月07日

ひとり使い回し男の悲哀

今日はクラブ紹介。
クラブ紹介の舞台に出てくる教員というのは、私が知る限り過去15年間、一人しかいない。
91年の4月のクラブ紹介のときにひとりで舞台に出ていって、「これからの女子大生は文武両道でなければいけない」と獅子吼して合気道部員35名をゲットした。
それが本学の合気道部の始まりである。
以来毎年講堂の舞台で新入生の勧誘をしている。
自分で作ったクラブであるから、自分で部員を勧誘する。
シンプルである。
だが、新入生にしてみると、入学式で黒いフレームの眼鏡をかけておごそかにマタイ伝を読んだ男が、次の日は冷たい声で教務部長訓辞を行い、その二日後には袴を穿いて舞台でウッキー相手に「ぎえー」と叫びながら杖の型を演じているわけで、「この学校って、『使い回し』なの?」という疑問を抱かれたかもしれない。
ご心配無用である。
「ひとり使い回し」をしているのはこの男だけである。
舞台の袖で出番待ちをしていたら、能楽部の子たちが通りかかる。
本学能楽部は上田貴弘先生が師範であり、私たちの師匠の下川先生は先代の上田照也先生の内弟子であるから、われわれはみな上田の同門である。
その能楽部は四年生が卒業して、二年生ひとりしかいない。
卒業生たち二人が応援に来ている。
この子たちは下川正謡会のときにバイトで受け付けや切り戸の開け閉めをしているので顔見知りである。
毎年京大の能楽部の男子諸君が応援に来てくれている。
今日も「蝉丸」の地謡のために京都から四人来てくれていた。
どうも同門のクラブの応援ありがとうございます。一つよろしくお引き回しのほどをと頭をぺこりと下げたら、中の一人が「ぼく、去年先生の授業出ました」と言う。
そういえば、去年の夏に京大で「超身体論」と題する集中講義をしたことがあった。
ワッタスモールワールド。
今年も冬に集中で映画論やるから来てねとついでに勧誘しておく。
同門のよしみで「蝉丸」の地謡にも出てあげればよかったのだが、新入生諸君がこの上紋付き袴の私の姿を見たら、「ひとり使い回し」にさらなる混乱を味わうであろうから、やはりここは自粛が正解。
どっちにしても、そのうちフランス語と体育の授業で顔を合わせるんだし。

道衣を着替えてから密談二件。
私はいろいろな人から「ここだけの話ですが…」という「密談」を持ちかけられる。
もちろん、それは私がたいへんに口の堅い人間であることが学内ひろく知られているからである。
ウチダにした話は外部に漏れない。
これは本学の教職員のほとんどに周知されていることである。
だが、その理由が、聞いた話を聞いたそばから忘れてしまうために、誰かに告げ口しようとしても、そのときにはもう何も思い出せないからなのであることをほとんどの人は知らない。

オフィスのネスプレッソでエスプレッソを淹れて飲む。
たいへんに美味である。
このエスプレッソ・マシンは既報の通り、「オフィスにコーヒーメイカーが欲しい」とここに書いたらネスプレッソの方がお送り下さったのである。
いっしょにコーヒー豆のカートリッジも三月分くらい送って頂いた。
毎日がぶがぶ飲んでいるので、そのうちなくなるはずだが、同封のマニュアルにはカートリッジの購入方法が書かれていない。
そのうちご教示頂けるとありがたいです。

夕方から合気道のお稽古。
新幹部の三回生がニキさん以外誰も来ていない。
本日は四月の最初の稽古であるから、新主将が私の受けを取る最初の日であるのだが、その新主将がいない。
さっきまでクラブ紹介のところにじゃらじゃらいたのにあの連中はどこに行ったのだと詰問するが、みんな下を向いて答えようとしない。
あのー、みんな『コンスタンティン』を見に行きました。
とウッキーがこっそり教えてくれる。
私が土曜日にばらまいた試写会のチケットを三回生諸君は活用されたのである。
私が「見に行ってね」と差し上げたチケットであるから、文句も言えない。
たしかにウチダとキアヌ・リーブスと「どっちの顔を見たい?」と訊かれて逡巡する女子大生はおらないであろう。

投稿者 uchida : 23:09 | コメント (2) | トラックバック

2005年04月06日

『ミリオンダラー・ベイビー』と憲法九条

サラリーマン出勤状態になったら、すごく疲れた。
拘束時間が長くなっただけで、別にエクストラの仕事が急に増えたわけではないのだが、「慣れないことをすると、疲れる」ということのようである。
六時まで仕事をして、オフィスを出て、梅田へ行く。
クリント・イーストウッド、ヒラリー・スワンク、モーガン・フリーマンがアカデミー賞4部門を制覇した『ミリオンダラー・ベイビー』の試写会。
アカデミー賞で話題になったので、公開が早まり、試写会も前倒しになったようである。
読賣のタニグチさんのご案内で、ウッキーおいちゃん白川さん中瀬さんら「合気道系秘書」四名を伴って梅田ピカデリーへ。
仕事の帰りにスーツ姿で映画を見に行くなんて、神南坂のアーバン以来20年ぶりくらいのことである。
試写会というのも、数えてみたら、生まれて4回目である。
3回目は二日前の東映本社の『コンスタンティン』、2回目は去年秋のフェスティバル・ホールの『ヴァン・ヘルシング』、1回目は1966年に誰かにもらった試写会チケットで行った、ジュリー・クリスティとローレンス・ハーベイの『ダーリン』(これは赤坂のTBSだったから、高校の友だちがチケットをくれたのかもしれない)。
30年間に4回しか試写会に行ったことのない人間が「映画評論家」を名乗るというのもずいぶんな話である。
私は年間300本の映画を観る「映画番長」(@タニグチ)であるが、そのうちの298本くらいは自宅でビデオかDVDで、もはやメディアが話題にしない古い映画を見ているのである。
『ミリオンダラー・ベイビー』の観客たちは終演後もしばらく「ショック」で(どういう種類のショックであったかはなんとなく想像がつくが、それは言わぬが花というものであろう)立ち上がれず、暗い顔つきでとぼとぼと10階からの階段を降りていった。
素晴らしい映画であったと思う。
私は「ヒラリー・スワンクとチャン・ツィイー」がmes actrices favoritesの人であるから、ヒラリー・スワンクが画面に出ているだけですでに上機嫌である。
でも、そういう観客はあまりいないようである。
『コンスタンティン』の映画評は来月の『エピス』に載るが、これは「『ぜんぜん似てない何か』に似ていると思ったら、村上春樹の『アフターダーク』とまったく同じ話であることに気づきました」で始まる。
『ミリオンダラー・ベイビー』の映画評はその次の月の『エピス』に出ることになるはずだが、これは「『まるでそっくりの話』があるなと思ったら、『あしたのジョー』とまったく同じ話であることに気づきました」で始まる予定である。
私の映画評が活字になる前に、当然にも映画評論家のどなたかが「これって、まるっと『あしたのジョー』じゃないか!」と言うと思うけれど、私もそう思ったので、まねしたんじゃないからねということをここで確認しておきたい。

ピカデリーを出て「亀寿司中店」に行ったらお休み。
ふらふらさまよっていたら、その昔ゼミのイシモリくんが連れて行ってくれた霧笛楼という居酒屋の前に出たので、そのままそこに入って、タニグチさんウッキーおいちゃんと、どの点が『あしたのジョー』かについて仔細な検討を行う。

爆睡して起きたら9時間眠っていた。
どうも、本格的に疲れているらしい。
スーツとネクタイとめくらばん(て使用禁止用語なのかな…とすると『無責任一代男』も放送禁止か)で疲弊し果てたのである。
よろよろと起きあがり、下川先生のところのお稽古に出かけて、たいへん真剣に舞囃子を舞う。
今日は徹底的にしごきますと宣言していた下川先生が一回だけ通して舞ったところで、「うむ、よくお稽古してきましたね」とお許しくださる。
実は「内臓を動かして不安定状態を作り、その不安定を解消するように歩を進める」という運足をこのところひそかにお稽古の課題としているのである。
「キネステジー仕舞」である。
どうやらなかなか汎用性の高い技法のようである。

家に戻ると文藝春秋の『諸君!』から憲法九条改正についてのアンケートについての問い合わせが来る。
昨日電話でオッファーを受けたので、「本務以外の原稿はもう書きません」と申し上げたら、「アンケートはどうですか」とおっしゃるので、アンケートに回答するくらいなら、とご返事したのである。
私は繰り返し書いているように九条の改定には反対する「護憲」の立場の人間である。
『諸君!』というのはコンサバ系の雑誌なので、私のような護憲の人間の意見なんか載せて「浮きませんか」とお訊ねする。
別に浮いても構わないという寛容なご返事だったので、『諸君!』の一部読者が怒り狂って「もうこんな雑誌二度と買わんぞ!」と天を仰ぐような原稿をさらさらと書く。
私の主張は単純である。
『東京ファイティングキッズ・リターン10』に書いたとおり、私は政治的信条の重みは語る人間がその信条にどこまで身体を賭けているかによってかたちづくられると思っている。
簡単に言えば、税金の使い道について論じる人間は税金を払っていなくてはいけないということである。
九条の改訂を求める人々は「戦争をしてもいい条件」をクリアーにすることをめざしている。
その場合は、政論を語る人間は「戦争をしている自分」を勘定に入れる必要があるだろう。
仮にその理路がロジカルにそれなりの説得力があるとしても、その人自身が戦場で人を殺し自分も殺される未来の風景をリアルに想像しえた上でそのことばを口にしているのでないならば、私はそのような政治的言説には耳を傾ける気はない。
森喜朗はたぶん自分が戦場で殺される可能性について一度も想像しないままに憲法改定を論じている。
「ときには血を流す必要がある」と熱く語る政治家が描いている「血」はたいていの場合彼自身の血ではない。
仮にもし今アメリカ合衆国憲法に「九条」があり、ジョージ゙・W・ブッシュが「九条第二項の廃絶」と自衛のための戦争の合法化を提言したときに、アメリカ国民は「徴兵を逃れるためにテキサス州軍に入って、そこからも任務を離脱した」大統領のことばに説得されるだろうという判断に私は与しない。

投稿者 uchida : 22:54 | コメント (9) | トラックバック

2005年04月05日

教務部長最初の説教

ようやく教務部長デスクのパソコンがインターネットにつながった。
さっそく最初のエントリを新しいパソコンから投稿することにする。
メールはまだできない。
パスワードを忘れたからである。
忘れたというのは正確ではない。
「KC-Netのパスワード」という手帖に控えてあるパスワードを打ち込んでも「ログイン拒否」されたというだけのことである。
私が間違ったパスワードを打ち込んでいるのか、それともシステムが誤作動しているのか。
かかる選択に際して、私は決して迷うことがない。
ことコンピュータに関する限り、つねに間違っているのは私だからである。
情報処理センターにパスワードの再発行を申請にゆく。
再発行を申請するのは二度目である。
新しいパソコンを購入し、新規にメールの設定をするたびに、私がパスワードだと信じているものはシステムによって拒絶される。
私のパスワードが生命を得て、闇夜にまぎれて自律的な変化を遂げていると聞かされても私は驚かない。

新入生諸君の前で、教務部長訓話というものを行う。
持ち時間20分。
新入生諸君に申し上げたいことが二点ある。
ひとつは大学においては「自学自習」ということが勉強の基本スタイルである、ということである。
いまひとつは大学における教育を商取引のメタファーで構想してはならない、ということである。

文部科学省の定めるところの大学卒業必要最低単位数は124である。
諸君はこれを四年間において履修せねばならない。
そのことは学習便覧に書いてあるから、諸君もご承知であろう。
しかし、諸君は1単位というのがどういう概念であるかをご存知であろうか。
おそらくご存知あるまい。
単位とは、センチやグラムと同じ国際共通の度量衡なのである。
知らなかったでしょ。
1単位とは45時間の労働のことである。
労働者が月曜から金曜まで一日8時間、土曜日に半ドン5時間労働するとして、その総和が45時間。
つまり、一週間にひとりの労働者が働く労働量をもって1単位と呼ぶのである。
学生の場合はどうか。
通常は、週1時間の授業を15週間受講すると1単位が授けられる。
計算が合わないね。
1×15=15
どう計算しても45時間にならない。
あとの30時間はどこへ行ったのか?
驚くなかれ、諸君。
大学生が教場で過ごす15時間に対して、1単位が与えられるのは、大学生が「1時間の授業について1時間の予習と1時間の復習を必ず行う」からである。
教場ですごす1の授業の準備と咀嚼に、つねに教場外で2の学習を割く用意のあるもの。
それが「単位」という語の前提をなすところの「大学生」の定義なのである。
大学とは「自学自習」を基本とするところである、と私が申し上げた理由がお分かりになるであろう。
諸君が124単位を履修して「学士号」を取るということは、きわめて散文的に言えば、45×124=5580時間の学習を行ったという「事実」の記号である。
そして、その事実を検証する外形的な制度は存在しない。
その事実を証明するのは、諸君自身だからである。
大学生とは、おのれの得た「学士号」の価値を、誰でもないおのれ自身で証明し、基礎づけることができなければならないし、できるものとみなされている。
国際共通規格としての「学士号」の意味はそこにあり、そこにしかない。
日本の大学生で国際共通規格に照らして、「学士号」に値するものは数%にも満たないであろう。
ドメスティックな基準での学士号はたしかにそのような内容をもっていない。
しかし、諸君がインターナショナルな基準でも「学士」と呼ばれるに値するものになりたいと望むなら、少なくとも個人的には国際共通規格を自らに適用することをめざすべきであろう。
大学生とは「自学自習するもの」であると私はさきほど申し上げた。
それはいいかえると、自分の得た学位の価値を、卒業証明書や免状によってではなく、おのれ自身の知的能力をもってその場で証明しうるものという意味である。
諸君の健闘を祈る。
「大学教育を商取引のメタファーで語ってはならない」という第二の忠告も第一の「単位」にかかわる忠告におとらず重要であり、大学教育全体はそれに基づいているのであるが諸君も説教でもう腹いっぱいであろうから、また次の機会にたっぷりお聞かせするのである。


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2005年04月04日

あなたの隣人を愛しなさい

入学式。
寒さ続きで、桜は間に合わないと思ったが、なんとか今日は三分咲き。
入学式・卒業式において、学院標語「愛神愛隣」のことばしるされている聖書の箇所を拝読するのは教務部長の仕事である。
朝、学校に行くと、いろいろな方から「ウチダ先生、聖書読む役なの、ご存じですよね?」と訊かれる。
よほど粗忽な人間だと思われているのであろう。
中には、「やだー、先生、聖書読まはるのー」といきなり笑い出す者もいる。
ずいぶんではないか。
私とてすでに本学に奉職すること十余年。
聖書に親しみ、賛美歌を歌い、合気道の合宿では食前の祈りを捧げ、蔦の絡まるチャペルで神に祈ったこととて少なからずある。
先年などは、六甲セミナーハウスにおいてありうべき高等教育について熱弁をふるったところ、感動したIチャプレンより「あなたがたこそ真のクリスチャンです」とウーロン茶による「洗礼」を受けたことだってあるのだ(そのときにはマルクシストである“ワルモノ”I川先生も私といっしょにおとなしく「洗礼」を受けたのである)。
式次第に従い、賛美歌412番を歌ったあとに、マタイによる福音書22:34−40を恭しく奉読する。
ご存じない方も多いが、私は「こういうこと」をやらせるとうまい人間なのである。
「こういうこと」というのは、話者と聴衆のコヒーレンスを合わせる、ということである。
つねづね申し上げているように、コミュニケーションの成立にとって「コンテンツ」は副次的な意味しかもたない。
「これはパロールだ」ということを聴き手が実感すれば、そのとき私がどのような意味不明のことばを口にしていても聴衆はそれを「パロール」として聴き取ることができる。

こんな話がある。
オデュッセウスの仲間たちはその冒険の途中で、豚に姿を変えられてしまった。
彼らは豚小屋でブーブーと悲しく泣き続けて、オデュッセウスになんとかメッセージを届かせようと試みた。
オデュッセウスはやがてその豚たちが彼の仲間たちであることに気がつく。
さて、どのような条件が整ったときに、オデュッセウスは豚の鳴声を「仲間からのメッセージ」として聴き取ることができるようになったのか?
ラカンはあるみぶりや音声が「メッセージ」として聴き取られるための条件をこう記述する。
「豚のブーブーという鳴き声がパロールになるのは、その鳴き声が何を信じさせようとしているのだろうかという問いを、誰かが立てる時だけです。パロールは、誰かがそれをパロールとして信じる正にその程度に応じてパロールなのです。」(「パロールの創造的機能」、『フロイトの技法論(下)』)
豚は「ぶーぶー」言っているだけである。
しかし、この鳴声をオデュッセウスは「パロールかもしれない」と信じた。
では、いったい豚の鳴声の中のいかなる要素が、オデュッセウスをして「これはパロールかも知れない」という問いへと差し向けたのか?
答えは、豚の鳴声には「オデュッセウスと豚のあいだのコヒーレンス」を成立させるようなある種の力があったから、である。
豚たちの声は「たたひとつのこと」だけを伝えることに全力を注いでいた。
そして、それは正しく伝わった。
豚が理解されるはずのない鳴声を通じて伝えようとしていたメッセージはただひとことに尽くされる。
それは「私たちは人間です」である。

私が入学式で聖書を拝読しているとき、聖書を読む訓練を受けたことのない多くの新入生にとって、その聖句の「コンテンツ」を語義的に理解することはむずかしかっただろうと思う。
でも、聖書を読み上げながら、私が彼女たちに送った「たったひとつのメッセージ」を受信することはそれほどむずかしくはなかったはずである。
私は「君たちを愛している」というメッセージを送った。
そして、彼女たちが今日から私にとっての「隣人」となる以上、そのメッセージを受信してくれた新入生は、聖句の「コンテンツ」をも同時にまたただしく聴き取ってくれたことになるのである。

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2005年04月03日

ニーチェとオルテガ 「貴族」と「市民」

ニーチェの超人道徳は現代の倫理に二つの重要なアイディアをもたらした。
ひとつは、倫理を静態的な「善い行為と悪い行為のカタログ」としては定立せず、「いま、ここにおける倫理的なる行動とは何か?」という問いを絶えず問い続ける休息も終わりもない絶望的な「超越の緊張」として、ひたすら前のめりに走り続けるような「運動性」として構想したことである。
いまひとつは、倫理を、万人がめざすものではなく、「選ばれたる少数」だけが引き受ける責務として、「貴族の責務」(noblesse oblige)として観念したことである。
ニーチェはこう書いている。

「高貴であることのしるし。すなわち、われわれの義務を、すべての人間に対する義務にまで引き下げようなどとはけっして考えないこと。おのれ自身の責任を譲り渡すことを欲せず、分かち合うことをも欲しないこと。自己の特権とその行使を、自己の義務のうちに数えること。(…)こうした種類の人間は孤独というものを知っており、また孤独がいかに強烈な毒を含んでいるかを知っている。」(『善悪の彼岸』)
 
義務についての激しい使命感、それが「孤独な」少数者にのみ求められていることについての自覚。このような意識のあり方を仮に「選び」(e´lection)の意識と呼ぶことにする。「選ばれた」人間は、倫理的な責務を「すべての人間に対する義務」にまで拡大することを求めない。それは彼ら「だけ」に求められている義務である。彼らに課せられた責務は「譲渡不能」であり、「分割不能」である。そのように過大な責務を割り当てられているという事実が、倫理的主体を「高貴」なものたらしめる。

このニーチェの考想は、オルテガにも部分的には受け継がれている。
ニーチェとオルテガの分岐点は、この「選ばれてあること」とは「他の人々よりも多くの特権を享受すること」とか「他の人々よりも高い地位を得ること」、つまり「奴隷」に対する「主人」の地位を要求する、というかたちをとらない点にある。それどころか、彼らにとって「選ばれてあること」の特権とは、他の人々よりも少なく受け取ること、他の人々よりも先に傷つくこと、他の人々よりも多くを失うこと、という「犠牲となる順序の優先権」というかたちをとる。

ニーチェが貴族の復権をむなしく説いてから30年後の大戦間期に大衆社会のあり方を冷徹に分析した一冊の書物が公刊された。
その書物が「超人道徳」と「倫理なき時代」を結ぶ、重要な論理的架橋を提供してくれる。
大衆社会論の古典とされるオルテガの『大衆の反逆』はニーチェが「蓄群」という名で罵り続けた社会階層「大衆」(masse)が、テクノロジーの進歩と民主主義の勝利によって、社会全体を文字通り空間的に占有するにいたった状況をかなり悲観的に論じた書物である。
だが、この中でオルテガはニーチェとは別の大衆社会論を展開する。

それは、社会を「大衆」と「エリート」に二分し、「大衆」を徹底的に批判し、「選ばれたる少数派」の高い倫理性に人間社会の未来を託そうとする考想であるというふうに読まれてきた。
オルテガをそういうふうに読んだ左翼的な知識人たちはこれを「エリート主義」あるいは「貴族主義」として批判の十字砲火を浴びせた。
しかし、すでに述べたように、私たちはオルテガの「精神の貴族主義」とニーチェの超人思想は似ているけれど、まったく別ものである思う。

オルテガは大衆社会の本質をこう語る。

「他人と違うのは行儀が悪いのである。大衆は、すべての差異、秀抜さ、個人的なもの、資質に恵まれたこと、選ばれた者をすべて圧殺するのである。みんなと違う人、みんなと同じように考えない人は、排除される危険にさらされている。」(『大衆の反逆』)

たしかにこの「大衆」は相互模倣を原理としている集団であるという点で、ニーチェの「蓄群」に似ている。しかし、彼らの精神構造は、強圧的な支配者(「父」)を自己の外部に想定し、それへの隷従を幸福と感じる「奴隷」のそれとはかなり様子が違う。というのは、「大衆」らは近代のテクノロジーが可能にしたさまざまな物質的利便さと、民主政治によって提供された人権のおかげで、きわめて快適に生活を過ごしているからである。彼らの欲望は着々と充足されており、この欲望充足の営みを規制しようとするものにはなんであれ(たとえ「父」からの強圧的命令であれ)大衆はまるで従う気がないからである。

「いま分析している人間は、自分以外のいかなる権威にもみずから訴えるという習慣をもっていない。ありのままで満足しているのだ。べつにうぬぼれているわけでもなく、天真爛漫に、この世でもっとも当然のこととして、自分のうちにあるもの、つまり、意見、欲望、好み、趣味などを肯定し、よいとみなす傾向をもっている。(・・・)大衆的人間は、その性格どおりに、もはやいかなる権威にも頼ることをやめ、自分を自己の生の主人であると感じている。」

「勝ち誇った自己肯定」はニーチェにおいては「貴族」の特質とされていた。オルテガにおいて、それは「大衆」の特質とみなされる。
ニーチェの「蓄群」は愚鈍ではあったが、自分が自力で思考しているとか、自分の意見をみんなが拝聴すべきであるとか、自分の趣味や知見が先端的であるとか思い込むほど図々しくはなかった。ところが、オルテガ的「大衆」は傲慢にも自分のことを「知的に完全である」と信じ込み、「自分の外にあるものの必要性を感じない」まま「自己閉塞の機構」のなかにのうのうと安住しているのである。
ニーチェにおいては貴族だけの特権であったあの「イノセントな自己肯定」が社会全体に蔓延したのが大衆社会である。

自己肯定と自己充足ゆえに、彼らは「外界」を必要としない。
ニーチェの「貴族」は「距離のパトス」をかき立ててもらうために「劣等者」という名の「他者」を必要としたが、オルテガの「大衆」はそれさえも必要としない。彼らは「外部」には関心がないからだ。

「今日の、平均人は、世界で起こること、起こるに違いないことに関して、ずっと断定的な《思想》をもっている。このことから、聞くという習慣を失ってしまった。もし必要なものをすべて自分がもっているなら、聞いてなにになるのだ?」

いまや大衆が権力者として「判断し、判決し、決定する時代」なのである。彼らは彼らの判断の妥当性を基礎づける上位審級をもう要請しない。

「サンディカリズムとファシズムの種族のもとに、はじめてヨーロッパに、理由を述べて人を説得しようともしないし、自分の考えを正当化しようともしないで、ひたすら自分の意見を押しつけるタイプの人間が現れたのである。(…)理由を持たない権利、道理のない道理である。」

自己充足と自己閉塞のうちにあるこの大衆の対蹠点に、オルテガは「エリート」を対置する。「エリート」というのは、まことに誤解を招きやすい語だけれど、オルテガによれば、その特性は自己超越性と自己開放性にある。

「すぐれた人間をなみの人間から区別するのは、すぐれた人間は自分に多くを求めるのに対し、なみの人間は、自分になにも求めず、自己のあり方にうぬぼれている点だ、(・・・)一般に信じられているのとは逆に、基本的に奉仕の生活を生きる者は選ばれた人間であって、大衆ではない。なにか卓越したものに奉仕するように生をつくりあげるのでなければ、かれにとって生は味気ないのである。(・・・)高貴さは、権利によってではなく、自己への要求と義務によって定義されるものである。高貴な身分は義務をともなう。」

なぜエリートが存在しなければならないのか。
オルテガはその問いに「野蛮」への退行を阻止するため、と簡単に答える。
大衆社会とは、自己満足、自己閉塞というふるまいの結果、個人が原子化し集団が砂粒化した状態である。この「分解への傾向」をオルテガは「野蛮」と呼ぶ。

「あらゆる野蛮な時代とは、人間が分散する時代であり、たがいに分離し、敵意をもつ小集団がはびこる時代である。」

私たちの時代における終わりなきテロリズムや血腥い民族的宗教的対立やジェノサイドを駆動しているのは、「純粋」化、「純血」化、つまり同質な者たちだけから成る閉鎖的集団への細分化の指向である。
そこで求められているのは、排除であり、差異化であり、断絶であり、内輪の言語である。そこには、自分とは異質な者と対話を試み、ある種の公共性の水準を構築し、コミュニケーションを成り立たせようとする指向が欠如している。
オルテガが「野蛮」と呼ぶのは、このような「内側」に向けた過剰な親密感・一体感と「外側」に向けた常軌を逸した排他性・暴力性が混淆した集団心理である。
ほんらい、「文明」とは「自分とは違うもの」を同一の共同体の構成員として受け容れること、そのような他者と共同生活を営めるようなコミュニケーション能力を基礎にして構築される。
他者との共同生活を可能にするもの。それは愛とか思いやりとか想像力とか包容力とかいう個人レヴェルの資質ではない。そうではなくて、公共的な水準におけるコミュニケーション擬制である。

「手続き、規範、礼節、非直接的方法、正義、理性!これらはなんのために発明され、なんのためにこれほどめんどうなものが創造されたのだろうか。それらは結局〈文明〉というただ一語につきるのであり、〈文明〉はキビス(civis)つまり市民という概念のなかに、もともとの意味を明らかにしている。これらすべてによって、都市、共同体、共同生活を可能にしょうとするのである。(・・・) 文明はなによりも共同生活への意志である。」

「共同生活への意志」をもつもの、それが市民であり、オルテガはそれを「エリート」「貴族」とも呼ぶ。
オルテガによれば、「貴族」の条件をなすものは血統でも権力でも資産でも文化資本でも特権でもなく、「自分と異質な他者と共同体を構成することのできる」能力、「対話する力」のことである。
つまり、「貴族」とはその言葉のもっとも素朴な意味における「社会人」のことなのである。というより、社会とはほんらい貴族たちだけによって構成されるべきものなのである。

「社会は貴族的である限りにおいて社会であり、それが非貴族化されるだけで社会ではなくなるといえるほど、人間社会はその本質からして、いやがおうでもつねに貴族的なのだということである。」

これを読めば、オルテガの「エリート主義」がニーチェの「貴族主義」とまったく異質のものであることがわかるだろう。
ニーチェは「貴族」を定義するときに、それが「何でないか」という否定形を重ねることしかできなかった。ニーチェ的貴族の条件は最後には「人種」概念にまで矮小化した。
いっぽう、オルテガは、はっきりと「貴族」がなにものであるかを語る。
それは人間の特殊な形態ではなく、人間の「本来の」すがたである。
だから、すべての人間が貴族になり、市民になり、公共性を配慮し、奉仕の生活を生きるすがたを「文明」の理想としてオルテガは語ったのである。
ニーチェのことばに比べると、オルテガの理説は凡庸に聞えるかもしれない。
現に当時の左翼知識人たちは、オルテガが社会を「大衆」と「貴族」を二分して、少数派の「貴族」に未来を託すという、まったく歴史的階級状況を無視した政治的提言をなした反動的思想家とみなして、その主張を一笑に付した。
ただ、彼らは一つ重大なことを見落としをしている。
それはオルテガが「大衆」とか「貴族」と呼んだのは、人間の「集団」のことではない、ということである。
オルテガが「大衆」とか「貴族」と呼んでいるのは、一人の人間の中に存在する複数の「ファクター」のことである。
だからオルテガは大衆社会は「勝利と死」「繁栄と没落」を同時に意味しうる両義性を刻印されているということを執拗に主張するのである。

オルテガはひとりひとりの人間のうちには「大衆的要素」と「貴族的要素」の両方が備わっていると書く。
貴族的要素とは、「努力する生」のことである。

「私にとっては、貴族とは努力する生の同義語であって、つねに自分に打ち克ち、みずから課した義務と要請の世界に現実を乗りこえてはいっていく用意のある生である。」
 
すべての人間のうちには、「努力する生」の胚珠が、つまり「貴族の血」が含まれている。問題は、それをどうやって保持し、どうやって開花させるか、である。

「今日の大衆的人間を定義するためには、この人間を、かれのなかにまじりあっている純粋な二形態に分けてみなければならない。つまり普通の大衆と、本物の貴族、いいかえれば、努力する人間とを、対置しなくてはならない。」

こうなると話は俄然ややこしくなる。
「努力する人間」と「努力しない人間」を差別するのがメリトクラシーであるという話を前に書いた。
メリトクラシーが前提にするのは、すべての人間は「努力する能力が等しく備わっている」とういことである。
これに疑念をつきつけたのが苅谷剛彦さんの研究である、ということを前にご紹介した。
オルテガの洞見はもっと徹底している。
オルテガはただでさえ非平等に配分されている「努力する能力」そのものを組織的に破壊する制度として大衆社会をとらえたからである。
「誰だって努力すれば成功のチャンスはある」というお気楽なメリトクラシーのはるか手間で、オルテガは「努力する生」がいかにレアなものか、それを守り育てることがいかに困難であるかについて省察しているのである。

オルテガがたどりついた結論は「努力」とは「自分自身との不一致感」によって担保されるという、平明な事実であった。
おのれのうちに「埋めがたい欠落感」を抱いている人間はそれを埋めようとする。
「ことばにならない欲望」を抱いている人間はそれを「ことばにしよう」とする。
おのれのうちで「聞き慣れないことば」が語ることを知っている人間は、「聞き慣れないことば」を語る他者からその意味を知る術を学ぼうとする。

オルテガのいう「貴族」とは、畢竟するところ「自分のことがよくわからず、自分が何を考えているのか、何を欲望しているのか、ついに確信できない人間」のことである。
となると理論的には「大衆」とは「自分のことを自分はよくわかっており、自分が何を考えているのか、何を欲望しているか、しっかり把握している(と信じている)人間」であるということになる。
貴族とは「自分のうちに〈他者〉を抱え込んでいると思い込んでいる人間」であり、大衆とは「自分のうちには〈自分〉しかいないと思い込んでいる人間」と言い換えてもいい。
 
そして、話はさらにややこしくなるのだが、「自分のうちにかかえこまれた〈他者〉」というのは、実定的な存在ではない。
「私の中に〈他者〉がいる」というのは、「私の中に〈隣の山田さん〉がいる」というような単純な事態ではない。
「隣の山田さん」であれば、その人相風体思想性癖などについて調べればすべて知ることが理論的には可能である。
そんなものを私どもは〈他者〉とは呼ばない。
そうではなくて、「私の中に〈他者〉がいる」というときの〈他者〉というのは、「〈他者〉というような洒落た術語をつかって自分自身のありようについて語ってみても、そのことばがぜんぜん自分のなかの違和感をうまく記述していないことに当惑する」という「自己との不一致そのもの」のことなのである。

オルテガが「貴族」という語に託したのは、外形的な「人間類型」や「行動準則」のことではない。
そうではなくて、自分の行動もことばもどうしても「自分自身とぴたりと一致した」という感じが持てないせいで、そのつどの自分の判断や判定に確信が持てない。だから、より包括的な「理由」と「道理」を求めずにはいられず、周囲の人々を説得してその承認をとりつけずにはいられず、説得のために論理的に語り修辞を駆使し情理を尽くすことを止められない…
という「じたばたした状態」を常態とする人間のことをオルテガは「貴族」と言ったのである。
自分が単独で生きている経験そのものがすでに「見知らぬ人間との共同生活」であるようなしかたで複素的に構造化されている人間だけが、公的な準位で「見知らぬ他者との共同生活」に耐えることができる。
つねにためらい、逡巡し、複数の選択肢の前で迷う人間。
オルテガはそのような「複雑なひと」のことを「貴族」と呼び、「市民」と呼んだのである。

長くなりすぎたので、もう話をきりあげるが、最後にオルテガのたいへん心にしみいることばを採録しておこう。

「じっさいの生は、一瞬ごとにためらい、同じ場所で足踏みし、いくつもの可能性のなかのどれに決定すべきか迷っている。この形而上学的ためらいが、生と関係のあるすべてのものに、不安と戦慄という、まぎれもない特徴を与えるのである。」

 
 
 
 

 
 
 
  


 
 
 

投稿者 uchida : 18:43 | コメント (2) | トラックバック

道場名改称のお知らせ

E阪歯科で奥歯の治療。
「いまから注射しますからね、ちょっと痛いですけど、我慢してください」
とE阪先生が言われる。
注射針が歯茎にずぶりと突き刺さるイメージがありありと浮かぶと痛みは有意に増加する。
注射とはいえ、実際には歯茎には鋭い圧感があるだけで、「先生が爪の先で圧している」と思えば、そう思えないこともない。
こちらは目を閉じているのであるから何をされているのかわからない。
せっかく「何をされているのかわからない」という「知らぬが仏」状態にあるわけであるのに、それをわざわざ痛切な現実に引き戻すこともない。
というので、
「先生、これから何するか、いちいち言わなくてもいいです」
と「ノン・インフォームド・コンセント」による施術をお願いする。
医療における治験には心理的なものが深く関与しており、医師の全能性に対する幻想的な信頼は治験におおきくプラス効果をもたらす。
口をあんぐりひらいて半睡半覚状態で「もう、好きにして・・・」と身を委ねているのが、いちばん痛みもなく、不安もない受診態度であると私は信じている。

奥歯に仮歯が入ったので、口腔に違和感がある。
「仮歯ですから、あまり左側ではたべものを噛まないようにね」
と注意される。
ようやく左の奥歯でがしがし食べ物をすりつぶす快感が甦ってきたところなのに、また当分「やわらかいもの」に逆戻りである。

合気道の稽古に行こうとすると、先週取材された『週間ダイヤモンド』の記者さんが自宅を訪れる。
東京からアポイントもなしに何しに来たのかしらと思ったら、記事中に誤植があったので、それをお詫びに来たのだそうである。
「誤植くらいのことで東京から詫びに来なくていいですよ」とお答えしたのであるが、記者さんは青ざめた顔をして、「いえ、とんでもない間違いを…」とうつむいている。
何かしらと思ったら、肩書きの大学名が間違っていた。
「神戸女子学院大学」となっている。
よくある間違いである。
神戸には神戸女学院大学と神戸女子大学と神戸学院大学という似た名前の大学が三つある。
私もよく「神戸女子大学のウチダ先生」と紹介される。
「ははは、そんなことくらいで。よくある間違いなんだから、気にしなくていいですよ」と鷹揚に笑って見せたのだが、表紙を見て納得。
だって、特集は「息子・娘を入れたい学校」なんだもの。
「うーむ、この先生はなかなかいいことを言っているなあ、ではぜひウチの娘を神戸女子学院大学に入れよう」
というようなことを思われた読者が(たぶん全国に3人くらいはいるのではないかと推察されるが)そのような大学が存在しないことを知ったときのショックを想像すると、私も少し心が痛むのである。

合宿明けの合気道のお稽古には20人くらいが来ている。
新年度の幹部たちも気合いが入っている。
毎年四月になると基本に戻す。
また足捌きと受け身から。
基本の「意味」は毎年繰り返す度に新しく発見される。
30年やっている私でさえ、「あ、この動きには『こういう意味』があったのか」とか「多田先生がいわれたのは『このこと』だったのか」という気づきが毎年ある。
あっというまに2時間半の稽古が終わる。
来週はNHKラジオに生出演なので稽古を休まなくてはならない。
あちこちにでかけるのは楽しいのだが、稽古を休むのはつらい。

ところで、四月一日をもって「神戸女学院合気道会」は「多田塾甲南合気会」に名称変更をすることになった。
「神戸女学院合気道会」は神戸女学院大学合気道部の「上部組織」で、学生の他に、同窓生、中高の生徒、教職員を核とする「社会人団体」として設立されたものであるが、設立15年目を迎えて、神戸女学院とは直接関係のない地域の市民たちがどんどん増えてきて、「神戸女学院」という名称が実体とだんだん離れてきたのである。
「芦屋男子組」の中核を形成するドクター、社長、秘書、越後屋さん、大迫力君らにとっては「神戸女学院合気道会」というのはなんとなくなじまない呼称であろう。
これではみなさんもいつまで経っても「間借り人」気分が抜けない。
ということで、多田塾○○合気会という名称に改称することを心に決めていたのである。
○○には地名を入れる。
地名の候補として浮かんだのは、「芦屋」「神戸」「兵庫」「阪神」「摂津」「麓南」「六麓」「六甲」「甲陽」「甲南」「武庫」「精道」「芦神」などなど。
「芦屋」はかなぴょんの「芦屋道場」とバッティングする。「神戸」は中尾さんの「合気会神戸支部」があるし、「兵庫」も「兵庫県合気道連盟」があって間違いやすい。「摂津」「武庫」「芦神」などは関西以外の人にはなじみがないし、「麓」を含む名は画数が多すぎる。
あれこれ思案の末、最終候補に「阪神」「精道」「甲陽」「甲南」が残った。
「阪神」は悪くないのだが、この名をつけるとどこにいっても「ところで、阪神ファンですか?」という質問をされるんだろうなと想像して却下。
「精道村」は芦屋市の旧称であるし、字体も音も悪くないのだが、他武道に「精道館」とか「精道会」といった会名のところがたくさんあるので、混乱しそうで却下。
「甲南」と「甲陽」はいずれも「六甲山の南側」を意味する地名である。
「甲陽合気会」と「甲南合気会」、どっちがいいかなと五秒ほど考えたが、「ん」が入る方が気合いが入るという「白石理論」に従うことにする。
「甲南」だと同じ合気会系の「甲南大学合気道部」と混同される可能性はゼロではないが、こちらは地域の社会人団体であって所属カテゴリーが違うし、「多田塾甲南合気会」と必ず「多田塾」を冠して名乗ることにすれば、それほどの混乱はないだろう。

会の名称を決めたので、続いて会則を作る。
「道場運営稽古指導にかかわる一切の決定は師範が専管する」「役職の置廃・役職者の任免は師範がこれを決する」「規定の改廃・謝金の改定は師範がこれを決する」など、すべて「師範が決する」非民主的な組織運営である。
さらに「会則・道場心得に違背した者、多田塾の品位を汚した者は破門に処す」という恐ろしい一条もある。
私の敬愛する内田百鬼園先生は乞われて法政大学の航空研究会会長を引き受けられたときに「会長ノ権限ハ絶対ナリ」に始まる会則を制定せられた。
本会則はその百間先生の遺訓を伝えるものである。
本会には総会とか運営委員会とか評議委員会とか、そのような議決機関は存在しない。
すべては私の一存で決せられるのである。
会の組織原則はかくのごとくきわめて非民主的・専断的・父権制的なのであるが、独裁的権力者である私自身は「お弟子様フレンドリー」な人間であるので、ノープロブレムなのである。

投稿者 uchida : 11:04 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月02日

ラス・メイヤーと世之介オフィス

梅田の東映本社試写室でワーナー配給のキアヌ・リーブス主演の「宗教映画」(っていうんだろうな、やっぱり)『コンスタンティン』の試写を見る。
試写室というところで映画を観るのははじめてである。
「ギョーカイ」の人たちがぱらぱらと来ている。
あとでワーナーのババさんに訊いたら、メディアの映画欄担当の人だそうである。
「お仕事」で映画を見ているわけなので、みなさん、なんだか「だるそう」であった。
私ははじめての試写室なのでわくわくしてしまって(映画館で映画を見るときはいつもそうなのだが)隣のタニグチさんにいろいろ話しかけてひとりでくすくす笑っていたら、「ギョーカイ」の人たちから「なんだよ、この場違いなシロートさんはよ」的な冷たい視線がびびびと飛んできて頬がちくちくした。

映画については…『エピス』を読んで頂くということにして。
終了後、タニグチさん、ワーナーのババさんにご案内されて「読賣新聞のご接待」で北新地へ繰り出す。
読賣新聞広告局の「きれいどころ」のおふたりが現地で合流、こちらも仕事帰りのドクター佐藤、IT秘書イワモト両君が登場して、なんだか「合コン」状態となる。
両君以外は全員「映画関係者」であるから、さっそく美酒美食を頂きつつ、ひたすら映画について話しまくる。
いろいろな話題が出たのであるが、ラス・メイヤー話がいちばん受けた(といっても映画を観ているのは私だけなんだけど)。
一本だけ見ると「あくびが出るほどスカ」(でも巨○がいっぱいでてくるから、それを見て我慢する)。二本見ると「あれ、これは…?」的疑問が随所に感じられ、三本見ると「なんか、ずいぶん徹底してるねえ」的畏敬の念が生まれ、四本目からあとはどのシーンを見ても「くすくす笑いときどき痙攣的爆笑」ということになる。
どうしてこういうことになるかというと、ラス・メイヤー映画の主演の好色巨○女優たちは全員「同一人物」だからである。
「悪徳警官」も、「マッチョな土方」も、「うぶな青年」も、「インチキ医者」も、「好色看護婦」も、全員が(名前や設定は違うけど)本質的に「同一人物」なのである。
これはゾラの『ルーゴン・マッカール叢書』やバルザックの『人間喜劇』と同じ結構だ。
ゾラやバルザックは19世紀の遺伝学的知見を踏まえて、環境と遺伝子的素因の違いがさまざまな生物種を生みだすように社会の淘汰圧が生みだした「人間の変異種」を網羅的に記述することを、彼らに課せられた仕事だと考えた。
ラス・メイヤーの映画群は「典型的に偏った人物たち」が人生のさまざまな状況においてどのような運命をたどるかを描いている。
ラス・メイヤーはその意味で「現代におけるゾラ=バルザック」的存在だということができるであろう。
ただし、ラス・メイヤーは「環境的=遺伝的素因」として「性欲」しか見ない、というところがちょっとだけ違う。
人間を条件づけるものが「性欲だけ」というところがすごい。
ふつうは「色と欲」というくらいで、どんな社会的にマージナルな人間でも、「性欲」のほかに「金」や「名誉」や「威信」をほしがるものだけれど、ラス・メイヤー映画に出てくる人々は全員「性欲」しかない(バルザック作品の登場人物の多くが「金」ばかり求めているのとは逆に)。
お金がからむ話もなくはないが(『ファースター・プシーキャット・キル!キル!』や『カモンロー・キャビン』)、そういうときでも「札束」はまるで「撮影されることをはばかられる禁じられた表象」であるかのように、瞬間的に「ちら」っと映るだけである。
つまり、ラス・メイヤー映画においては、表象的な水準で言えば、「巨○」がふつうの映画における「札束」で、「貨幣」がふつうの映画における「恥部」なのである。
まことに変な映画である。
ぜひ若手の研究者による本格的なラス・メイヤー論の登場を望むものである。
私が書いてもいいのだが、キータームである「巨○」が(本サイトの倫理コードにより)一字伏せ字となっているので、それもままならぬのである。

河岸を変えたあとは、ババさん(日本クリント・イーストウッド・ファンクラブの事務局長なのだ)とクリント・イーストウッド話に耽る。
ババさんのクリント映画のオールタイムベストは『ブロンコ・ビリー』(渋い!)
私は考えたすえに、『ダーティ・ハリー』を選ぶ。
私の基準は、クリント・イーストウッドの最大の魅力であるところの「まぶしそうな眼」をする表情の「決まり方」(『ダーティ・ハリー』では撃たれた同僚を見舞いに病院に行ったハリー・キャラハン刑事が階段を下りながら同僚の奥さんと話をして、日陰から日向へ出たときの「まぶしそうな眼」がとってもステキ)。
『荒鷲の要塞』で国防軍の制服を着て機関銃を発射する寸前の「まぶしそうな眼」も捨てがたい。
生ハムチーズなどを囓りつつ、かぱかぱとウイスキーの杯を重ね、よしなき映画の話だけをするという至福の時間であった。
でも、こういう「ご接待」ばかり味わっていると、人間が増長して、だんだん「ダメ」になりそうである。
たまに、にしておこう。

四月一日、新学期となり、本日をもって教務部長職を拝命する。
D館の教務部長オフィスに行って、まずは「ネスプレッソ」をセッティングして、エスプレッソを一杯作る。
美味である。
次に、山本浩二画伯の作品二点を飾る。
なんとなく「マイ・オフィス」っぽくなる。
次に、机の上に重ねてある「未決」書類にはんこを押して「既決」箱に入れる。
研究室から資料ファイルを運んできて本棚に並べる。
メールボックスに入っていたメモとDMを開封してどんどんとゴミ箱に放り込む。
捨てなかったのは「辞令」と会議の通知と時間割表だけ。
XPを載せたノートパソコンを買って貰ったけれど、まだLANに繋いでないそうなので、使えない。
することがないので、今日はこれでおしまい。
D館にはウッキーも教育開発センターの新人職員として本日から勤務している。
「フルハシと申します、よろしく」
「あ、ウチダです。どうぞお見知りおきを」
とご挨拶する。
D館を見回すと男性職員がぜんぜんいない。
事務長以下三人しかいないそうである。あとはぜんぶ専任も派遣もバイトもぜんぶ女性。
「世之介」オフィスである。

オルテガの話の続きを書くつもりだったが、これから歯医者に行って、それから合気道の稽古で、そのあと神戸新聞の取材なので、続きは夕方、仕事が終わってから。
ところで、私たちの世代は「オルテガ」という哲学者の名にある種の親しみを感じて発語することを禁じ得ないのだけれど、若い人はご存じあるまいが、それは「ジェス・オルテガ」という太ったブラジルのプロレスラーが力道山の「敵役」で毎度空手チョップで倒されていた1950年代末の世代的記憶の効果なのである。

投稿者 uchida : 08:09 | コメント (0) | トラックバック