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2005年01月31日

さまざまな訂正とお詫び

1月31日

コメントしようとしても「サインインできません」という無情なリアクションしか来ないので、自分のサイトなのに、自分でコメントできない。しかたがないので、こっちに書きます。
(1)「宝塚ホテル云々」というのはもちろんジョークです。今まで本学では採点のために泊まり込みをしなければならないほどの志願者がいたことはありません(泣)。27日の人間科学部の国語の採点なんて35分で終わってしまったんですから(号泣)。それにほとんどの本学教員は学校の近く(うっかりすると歩いていけるくらいのところ)に住んでます(私は原チャリで15分のとこ)。
(2)映画を2時間みて30分で映画評を書いた場合、一日の残り時間はどう計算してもあと21時間半ですね。

日記に歯医者のことを書いたら、さっそく歯科医の方から「歯周病による抜歯であれば、いまは抜かなくてもいい治療法があります」という耳よりな情報提供があったので、それをご紹介しておきたい。

「歯周病に対しては、新しい治療法があります。ジスロマックという抗生物質と、ハリゾンという抗カビ剤を使った治療法で、これらの2種類の薬を正しく使えば、歯周病を10日程度で治すことができます。
歯周病の原因は歯周病菌です。歯周病は歯周病菌の「感染症」なのです。(50代の方であれば、80%以上の人が感染しています。)感染しているかどうかは、歯垢を顕微鏡で観察して判断します。
上記の薬を使えば、お口の中全体の歯周病菌を除菌することができます。悪い菌がいなくなれば、歯ぐきはよくなっていきます。

薬による除菌の後は、再感染しないよう注意すれば効果は(おそらく一生)持続します。
除菌後の注意点ですが、具体的には
 1 歯を磨く(常識レベルの歯磨きで大丈夫です。)
 2 性行為の相手も除菌の治療を受ける。
      (歯周病の人とキスをすると再感染します。) 
 3 他人と同じ皿、同じコップで食事しない。
       (取り箸を使えばOKです。)
 4 年に2〜3回、顕微鏡で再感染していないかチェックする
くらいです。難しくはないと思います。

ちなみに歯周病患者の歯垢を顕微鏡で観察すると、おぞましい像を
示します。画像を動画で患者さんにお見せすると、たいていの人は気持ち悪がります。
トレポネーマという菌などが、ぐにょぐにょ動きまわるのです。ひどい場合には、ハエの大群が飛び回っているような像になります。
かなり気色悪いです。」

というたいへん心温まる専門的助言を頂いたのである。
しかし、ご一読なさった方の多くも私と同じ感想をもたれたと思うが、「除菌後の注意点その2」のもたらす社交上の制限を凡夫はどのようにクリアーすればよろしいのであろうか。その点に若干の問題が伏在しているように思われる。
この場合、除菌済みが確認された相手とのみ選択的にその種の行為を行うということになると、そもそもその種の行為を行うことによって達成されるべき本来的な愉悦というか人類学的意義というか、そういうものも併せて損なわれることになるのではないかという一抹の不安にかられるわけである。
この治療法がデファクト・スタンダードになった場合、私どもはその種の行為にとりかかる前に除菌処理の有無について事前のリサーチというようなものを行うことになるのであるが、ご同輩のみなさんも経験的に熟知されているとおり、かかる情緒的にやや高揚した局面で「医学的リサーチ」というようなことを差し挟むのは感興をいささか損なう可能性なしとしない。なお、当方が除菌済みであり、かつ先方が未処理であるということを自己申告せられた場合、かかる好機をばおのが歯茎の健康を配慮してむざむざ逸されるという方がどれほどおられるかというあたりにこの治療法の全国的展開を阻みかねない実践的難点が看取されるのである。
もちろんその種の行為は私にはいささかの関係もない世俗的事象であるので、関係ないといえば関係ないのであるが、未来永劫関係ないときっぱりと断言できるかどうかと真顔で詰め寄られるといささかの逡巡を払拭しきれないところに凡夫の限界を見る今日この頃なのである。
それに、この治療法をしちゃうと「鍋」もダメなんでしょうか?

銀色夏生さんが女性であるということを書いたら、あちこちから「ええええ男じゃないんですか!」という反応が相次いだ。
私が調査した限り、「銀色夏生さんて、ちょっとボーイッシュなきれいな女の人ですよ。だって本に写真出てるじゃないですか」という正確な情報を提供をしてくれたのは女性の1名(この方は80年代に銀色夏生さんが監督をする映画のオーディションの告知を『オリーブ』で見て、東京まで監督面接を受けに行って(落ちた)というレアな経験の方である)だけで、それ以外のアンケート対象の男性全員が「マツモトタカシを…」という私と同一の印象を持たれていたことが判明した。
しかし、どうしてここに「マツモトタカシ」の名が出てきたのか。
私は「はっぴいえんど」の古手のファンであるので、もちろん松本隆先生には敬愛の念以外のいかなる邪念も持たぬことをここに天地神明にかけてお誓い申し上げることができるのであるが、これはどうやら銀色夏生さんがそのデビュー時において松本隆先生と活動領域がかぶっていたことに遠因がありそうである。
そういわれてみると大澤誉志幸や吉川晃司の80年代のアルバムに銀色夏生さんは多くの歌詞を提供されていたように記憶している。
しかし、性別誤認による「あらかじめ失われた読者」をこれだけ多く数えながら、なお伝説的なセールスを記録したという事実そのものが銀色夏生さんのたぐいまれな才能を逆証することになるであろう。
この機会を借りて満天下の「銀色夏生=男性信憑」によって読書機会を阻まれていた男性諸氏に「つれづれノート」を書店店頭にて手に取られんことを祈念しつつお詫びのご挨拶に代えたいと思う。
付記:なお、銀色夏生さんが私宛の手紙に記されていたのは、「本を読むネコ」ではなく「本を読むこぶた」であるとの誤記の指摘がなされた。この点についても関係各方面に拝してご宥恕を乞う次第である。バカでごめんね。


投稿者 uchida : 21:39 | コメント (0) | トラックバック

ヨイショ批評宣言

1月30日

入試最終日だが私は監督にも採点にも当たらなかったので、大手を振ってお休みである。
まず山本画伯から頼まれた作品写真集の跋文を書く。
さらさら。
山本画伯がいかに偉大な芸術家であるかをほめたたえればよろしいのであるから、これは簡単。
私はこの手の「ほめたたえ」が得意である。
世間の「批評」というものを読むと、批評している対象についての「悪口」とまではゆかずとも「否定的側面の指摘」が必ずあり、もう手放しで「ほめたたえる」というものを読む機会は、『S教新聞』の書評欄におけるI田D作の著作評などを除くとまず存在しないと申し上げてよいかと思う。
おそらく、人間の知的能力というのは、なにかを「けなす」時に活性化するのであろう。
しかし、その反対の、なにかを「たたえる」時にもそれなりに知的能力が活性化するということはあまり知られていない。
私は「ヨイショのウチダ」と評されるほどの「賞賛批評」の名手であり、その特技を知っている編集者のいくたりかは彼ら自身が好きな書き手の著作の書評を私に依頼する傾向にある。
編集者だって人の子。偏愛する作家はいる。けれども批評的中立性を掲げている立場上、自分で賞賛するわけにはゆかない。誰かに代ってほめてほしい。けれども、「とりあえずほめる」批評家というのは非常に少ない。
そこで、私が白羽の矢を立てられることになるのである。
これはなかなかマーケティング的にもオッケーな展開ではないかと思うのであるが、私に後続する世代の中に次代を託すに足るほどの「ほめ屋」というのがなかなか登場しないのが残念である。
これは実は「ヨイショ」がかなり高度な技術を要することによるのではないか、と私は考えている。
誤解している方が多いが、「ヨイショ」と「阿諛追従」は違う。まったく違う。
「阿諛追従」はほめることによって何らかのリターンを得ることを期待して行われる。業界の権威とか政治的権力者とか、そういう人に阿ることで私利私益をはかろうとするのが「阿諛」である。
「ヨイショ」は違う。
「ヨイショ」もまた批評している当の人に「何か」をして欲しいという遂行的な動機でなされることに変わりはない。だが、私がその方にして欲しい「何か」はとは、私一個人の私利私益にかなうものではなく、むしろ広く「満天下」がそれによって益を得るところのものなのである。
芸術家も哲学者も「ほめられると舞い上がり、けなされるといじける」という点において凡夫に少しも変らない。
そして、私たちが彼らに求める唯一のことは、彼らがその才能を最大限度まで開花させ、それによって私たちの世界に少しでも多くの美と知恵と愉悦とをもたらすことである。
だとすれば、どうしてクリエイターたちを「ほめまくり、それによって世界を豊かにする」という戦略を批評家たちが回避するのか、私は訝しむのである。
おそらくそれは批評は批評として作品からは自立しており、批評家もまた芸術家や作家や哲学者と創造性において「タメ」なのであるという考え方を批評家たちがしているからであろう。
もちろん「タメ」で結構なのであるが、批評家の批評性は、批評されている当の作品からいかに「豊かなもの」を生成せしめるかという点にかかっており、そのためには必ずしも「寸鉄人を刺し、快刀乱麻を断つ一刀両断的評言」というようなものばかりが有用なわけではないだろう、と私は考えている。
私はほめたたえることを通じてクリエイターを勇気づけ、その生産性を高めることは批評家としての重要な仕事のひとつだと思っているのだが、共感して下さる方はあまりいない。

というわけでさらさらと山本浩二をほめまくる跋文を書き上げ、つづいてさらさらとそれを仏訳する。
この作品写真集は日本語、フランス語、英語、イタリア語の四カ国語ヴァージョンで発行され、私の日本語オリジナルを別の訳者たちがそれぞれ英語、イタリア語にされるのである。

さらさらと書き上げたので、つぎは『エピス』の映画評をこれまたさらさらと書く。
今回取り上げたのは『きみに読む物語』。
どんな映画かぜんぜん知らずに越後屋さんが夜陰に乗じてポストに投函していった「マル秘越後屋ビデオ」で鑑賞したのであるが、たいへんに面白かった。
どこが面白いかというと、これが「1920−40年代アメリカの、南部または中西部を舞台にした、身分違いの恋に身を灼く青年の爽やかな生き方をその父子関係を軸に回顧する」という話型をとっている点で『ビッグフィッシュ』とまったく同じだからである。
時代と舞台だけを取りあげれば『シービスケット』もそうだし、父子関係が軸という点では『ロード・トゥ・パーディション』もそうだった。
つまり、今アメリカの観客がいちばん見たいのは、「1920−40年代」(それは「ジャズエイジ」と「大恐慌」と「第二次世界大戦」を含む、アメリカ人にとってその人間的資質の深みとタフネスがもっとも厳しく問われた時代である)の「自然にみたされた美しい田園」(汚れた大都会じゃダメなのである)で、父が子供たちに敬愛され、母が優しく、恋愛が純粋だった時代の「一瞬のきらめき」を切り取ったような絵柄なのである。
というようなことを『エピス』に書く。
所要時間30分。
毎日映画評だけを書いて暮らせたらどれほどハッピーなことであろう。
毎日2時間映画を見て、30分で批評を書いたら、残りの22時間半は遊んでいればいいのである(映画を見たり、映画評を書いたりして!)

投稿者 uchida : 16:03 | コメント (1) | トラックバック

2005年01月30日

止まらない大学の凋落

1月29日

前期入試最終日。午前中だけ英語の試験監督。
受験生が少ないので仕事は監督も採点もらくちんである。
しかしこの「らくちん」はぜんぜんよいことではない。
できることなら、教室から受験生があふれ、トイレの前には長蛇の列、試験の採点のために三日三晩宝塚ホテルにカンヅメされた教員たちがノイローゼでつかみ合いの喧嘩…というような状況の方が経営的にはたいへん好ましいのである。
しかし、志願状況を拝見するに少なくとも関西エリアではそのような「うはうは」状態の記憶の彼方に消えたと申し上げてよいであろう。
関西の私学の出願状況については
http://shigan.kokokusha.co.jp/osaka.html
に詳細が出ている(ユーザーネームshigan パスワード2005でアクセスできます。あれ、いいのかな、こんな情報公開しちゃって…)
データによると、志願者数が前年比100%を超えた大学はほとんど存在しない。
28日段階で京都では同志社が117%で一人勝ち、「常勝」の立命館でさえ84%。あとはほとんど討ち死に状態である。
本学のライバル校である同志社女子大が79%京都女子大が74%。
もちろんこれらの数値はまだ最終的に確定したものではない。後期入試が残っている大学では、これにかなりの上積みがあると思っていただきたい。
大阪は悲惨である。
関西大学の91%が最高で、あとは軒並み前年比30−60%。
兵庫では関西学院大学が101%でダントツ(前年比100をクリアーしたのはここだけだ)。
阪神間の女子大を見ると甲南女子が66%、生活文化学科を新設した神戸松蔭が大健闘の94%、親和と神戸女子大が60%、武庫川が80%。
その中で本学は88%
これはまあ「健闘」と申し上げてよい数字であろう。
とりあえず京阪神エリアで受験生を競合する女子大(京都女子大、同志社女子大、武庫川女子大、本学)の中では一位を確保したことになる。

それにしても、関西私大の凋落ぶりはすさまじい。
2004年度ですでに相当数が前年比50%というような下落傾向だった。そのさらに50%ということは、わずか二年で75%のクライアントを失ったということである。
すでに全国私学の定員割れ学科数は30%に達しているが、今年は40%を超えるかもしれない。
定員割れが続けばいずれ確実に「経営破綻」する。
教職員数を大幅に減員したり、教育インフラへの投資を減額すれば、短期的には支出を抑えることができるが、そのようにして教育サービスの質を低下させた大学を選択する学生がいるはずがないので、これは自殺行為だ。
つまり、いまの教育環境を維持すればさらに採算割れし、経営を優先して教育環境を低下させれば志願者はますます離れて行く…・という「進むも地獄退くも地獄」状況にこのあと相当数の私学が追い込まれてゆくのである。
どうして「こんなこと」になったのか?
みなさんだって不思議だろう。
前から言っているとおり、大学のマーケットサイズは「18歳人口」であり、そのサイズはいまから18年前に端数まで明らかだったのである。
20年前から2005年には「こんなこと」になるのがわかっていたのである。
それでいながら、ほとんどの私学が有効な対策を講じないまま便々と歳月を過ごしてきた。
私学の経営者と教授会が思いついたのは「専門性に特化した(短期的に換金可能な資格や免許を出す)新学科」だけであった。
たしかにそういう新学科を新設すれば、一二年は物珍しさで学生が集まる。
しかし、見たとおり、ほとんどの場合、わずか数年で効果は消える。
残るのは先行投資の負債と、専門に特化した(ということは、それ以外の教育領域にシフトできない)「使えない教員」たちという「二重の負債」である。
どうして、そんな愚行をどこの私学も繰り返すのか?
もちろん理由はひとつしかない。
「ほかがそうしているから」である。
あきらかに見通しの立たない選択肢であっても、「ほかがやっている」ならオッケーなのである。
失敗したときに「ほかがやっていたから」というエクスキュースが通るからだ。
個人的責任を問われないのなら別に大学なんかつぶれても構わない。
そう思っている点では、銀行の頭取も企業経営者も官僚も政治家も同じである。
それが日本のエスタブリッシュメントの「標準」的なモラリティなのである。
この20年、そうやって多くの銀行がつぶれ、多くの企業がつぶれ、多くの第三セクターが破綻した。
しかし、大学はその経験から何も学ばなかった。

本学教授会が採択した戦略は「ダウンサイジング」である。
学生が定員割れしてから教育サービスを劣化させるためのダウンサイジングではなく、十分な倍率で志願者がある段階で選別を厳しくして、学生数を絞り込み、一人当たりの教育リソースの集中を高め、教育活動とそのアウトカムの質を向上させてゆく。
それによって大学に対する社会的評価を高める。
もちろん学生数の減少は端的に私学にとってはただちに収入の減少を意味するから、そのためには経営の「スリム化」が不可欠であろう。
「スリム化」というのは別に非人情なリストラのことではない。
削れる「贅肉」はいくらでもある。
それがきちんとできれば、この先のかなりきびしい状況下でも本学は生き延びていけると私は考えている。
しかし、見回すと、市場に先手を取られて「定員割れ」に追い込まれる前にすすんでダウンサイジングを選んだ大学は一つもない。
なぜ?
「そんなことをした大学がない」からだ。
十分に合理的な選択肢であるにもかかわらず、「前例がない」という理由でこの戦略を検討さえしなかった大学がいま志願者の激減という事実を前にして呆然自失している。
大学の淘汰、学校法人の解散、というのは日本教育史上に「前例がない」事態である。
その「前例がない事態」には「前例がない処方」で応じるほかないだろうと私は考えている。

ひとつ問題は、本学の志願者数が「相対的に多い」という事実である。
「今のままでもけっこういけるじゃないか…」という現状認識はほとんどの場合制度改革への意欲を殺ぐ結果をもたらすからだ。
もちろん、志願者が多いのはうれしいことなのだけれど、「小成は大成を妨げる」ということばも同時に噛みしめなければならないのではと私は思う。

投稿者 uchida : 10:09 | コメント (2) | トラックバック

2005年01月29日

銀色夏生さんからお手紙ついた(編集者ったら、読まずにしまいこんだ)字余り

1月29日

銀色夏生さんという詩人の方からお手紙が来る。
すごくかわいい字で「御本をたくさんよませていただきました」「これからもよませていただきます」「長生きしてくださいね」ほか心温まる文言が記されており、本を読むネコのマンガが五態細いペンで書き込んである。
日付をみると、これがなんと2004年9月13日。
K川書店の担当編集者が銀色夏生さんから預かってそのまま忘れていたらしい(ひどいやつだね)。
それがようやく私の担当編集者の江澤さんを経由して私の手元に届いたのである。
これこそ「迂回させられた/受難する手紙」 la lettre en souffrance である。
さっそくお手紙に記されていたメールアドレスにお礼とお詫びのメールを送る。
ところが、私はたいへんたいへん申し訳ないことに銀色夏生さんという方の書いたものを一つとして読んでいない。
もちろんご高名はかねてから存じ上げていたのであるが、私はなぜかこのひとをはなから「男」だと思い込んでいたのである。
「銀色夏生」というペンネームを選ぶ男…
私は瞬間的に「マツモトタカシをさらに『なよっ』とさせて、タケモトノバラをさらに『ナルシスティック』にしたような男」を思い浮かべてひとりで寒くなっていた。
まことに申し訳ないことをした(マツモトタカシさん、タケモトノバラさんに対してもあわせてご無礼をお詫び申し上げます。Don’t take it personal …)
ともあれ、痩身、ネコ毛、色白の男の人が小指を立てて紅茶を飲みながら、「岩場のこぶた」というようなタイトルの本を書いている場面を想像していただきたい。
このような愚かしい空想に取り憑かれた中年男の身を、K川文庫に並んでいる銀色夏生さんの本を手にとって拡げるという機会が恵まなかったことついてはご同輩の相当数も「やむなし」とご共感いただけるのではないかと思う。
まことにわが不明を恥じる他ない。
お詫びのお手紙と『先生はえらい』サイン入り本(が手元にないので、筑摩から献本してもらい、私は「ネコマンガ入りしおり」を郵送することにする。これで「合成サイン本」をご自宅で構築してもらおうというのである)をお送りする。
これで、小池昌代さんに続いて、女性詩人からお手紙をもらうのは二人目である。
私はご承知のとおり、詩想の片鱗もないがさつでワイルドな武闘系レヴィナシアンである。
それが透明で繊細な詩風をもつ女性詩人たちに「文人として認知される」ことになったわけである。
これはどういうことか。
もしかすると私のテクストには、書いている本人も気づかない「詩」のようなものが伏流している、というようなことがあるのであろうか。
たとえば、今書いた文の「伏流している、」というときの「、」の措辞というようなところに。
大量のインターネットテクストを書き飛ばしているうちに、私自身気づかぬうちに「詩人の魂」が私の筆先に宿ったのであろうか。
Poete sans le savoir あるいは poete malgre soi (これだと「いやいやながら詩人にされ」だな)というような何かに私はなってしまったのであろうか。
うーむ、わからん。
しかし、どのような破格にして冒険的な現代詩人であろうと、「うーむ、わからん」というような一行をその詩編の中に置くというようなことはありえないであろうから、私のエクリチュールが「詩的なものになった」という可能性はこの段階で除外してよろしいかと思う。
となると、あれかな。
かつて『聖風化祭』に私が哲学的なややこしい文章を寄稿していた頃、「石沢玄」くんが慰め顔で告げてくれたように、「ウチダの場合は、ロジックのうちに詩的なものがあるから、それでいいんだよ」ということなのであろうか。
文章はバリがさつだが、論理の骨格には一掬の詩魂がある。
というようなことがこの世にあるのであろうか。
なんだかあまりありそうもないような気がする。
ともあれ、女性の詩人たちと「文通」することができる身分になってウチダはたいへんうれしいのである。
本というのは出してみるものである。

投稿者 uchida : 17:42 | コメント (2) | トラックバック

夢の出版記念パーティ

1月27日

27日は平川くんの出版記念パーティ(兼ビジネスカフェ・ジャパンの新年会)が早稲田リーガロイヤルで開催されたので、私もゲストスピーカー兼共著者としてお招きいただいた。
集まったのはビジネスマンばかり80人。
大半が私たちより年長である。
そういう人たちを前にいったい何を話せばいいのか。
時間があれば、お客様のリアクションをみながら話題の調整をして、しだいに「おお、ここがツボだな」というところを発見できるのであるが、今回は司会の菊池さんをはさんで三人で20分ほどという短い持ち時間。
「反復と謎」という大ネタを振られて、私も平川くんも必死の答弁を試みる。
これはたいへん面白い主題なのであるが、「唐茄子屋政談」みたいな大ネタなので、「えー、ちょっと腰を据えて話させていただきます。いまのうちにトイレに行く方は用をすませちゃってください」というふうでないと、なかなか切り出せないのである。
それでも冷や汗をかきながら30分ほどのオツトメを終えて、あとはビールとご飯…と思っていたら、次々と未知のビジネスマンがあらわれて名刺交換をすることになる。
用意していた20枚ほどの名刺がたちまちなくなり、トランプができるほど名刺がたまった。
私のような人の名前も顔もぜんぜん覚えられない人間にとって名刺交換会というのはある種の地獄である。
平川くんもこと記憶力に関しては私とどっこいのはずであるが、それでビジネスのおつきあいができているところがすごい。どのような魔術を用いているのであろうか。
オムロンの副社長の市原達朗さんと、キリン・ビバレッジの元社長の阿部洋己さんと、ソニーの「プロジェクトX」の人だった(という説明でわかるのかな、わかるよね)郡山史郎さんという私たちよりはるか年長の「おじさん」たちのスピーチがたいへんに面白かった。
小津安二郎の映画の中では「おじさん」たちがなかなか味のあるスピーチをする。
私はあの「定型的だが、どこか視線が斜めで、わっと笑わせて、すぱっと落とす」スピーチが好きなのであるが、あの口承の伝統はきちんと世代を超えて受け継がれていたようである。
阿部さんというのは、私の『ため倫』を読んで、「独特だけど、まとも」というたいへんありがたいコメントをくださった方である。お嬢さんが女学院卒ということで、「やややどうもご父兄でしたか」と名刺交換しつつ平身低頭する。
なんだかもののはずみで、トップマネジメント・カフェというところで経営者のみなさんをお相手に一席ぶつような流れになる。
平川くんの頼みではお断りできようはずもないが、私のような人間から、生き馬の目を抜くトップマネジメントの方々が何を聴こうというのであろうか。
パーティには前日に引き続き光文社の古谷さんと『オニババ』本の編集担当だった草薙さん、『TFK』の元担当の五十嵐さん、現担当の淺田さん、『反戦略本』の担当編集者の洋泉社の渡邊さんら出版関係者。そして旧友石川茂樹くんと阿部安治くん、読者代表で角田さんが来てくれた。
石川くんからは「新春放談」のテープをいただく。阿部くんはご令息の友人が私の読者で「サインが欲しい」ということであったので、名刺にさらさらとネコマンガを描いて差し上げる。こんなことで喜んでいただけるなら、お安いご用である。
翌日朝一で神戸にもどって入試の採点なので、早々にホテルの部屋に退出。
考えてみると、ホテルで「出版記念パーティ」をやるのが私の長年の夢であったのだが、ひょんなことで共著本のパーティによんでいただいて夢がかなった。
平川くんならびにセッティングしていただいた有志のみなさま、ビジネスカフェジャパンのみなさまに御礼申し上げます。

投稿者 uchida : 16:12 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月28日

社会理論の汎用性と限界

1月26日(つづき)

ナバちゃんと光文社の古谷さんと会ったので当然ながら『オニババ化する女たち』をめぐる議論の中間的な総括が試みられた。
『論座』の田中美津論文がフェミニズムの歴史的凋落を告げる「弔鐘」の兆候であるという評価において、私とナバちゃんはそれほど違わない。
ナバちゃんは私とちがってジェンダー論やフェミニズムにはかなり理解の深い方であるが、それでもフェミニズムが社会理論としてドグマ化し、一部で抑圧的に機能していることには哀しみを隠さなかった。

誤解しないで欲しいのだが、ある社会理論がドグマ的になったり、抑圧的になったりするのはその理説が本質的にドグマ的であったり抑圧的であったりするからではない。
あらゆる社会理論はどこかでドグマ的、抑圧的なものの芽を抱え込んでおり、それを免れている理説は存在しない。
私たちが「教条性」や「権力性」と名付けるものはその理論に内在する何らかのネガティヴな「本質」ではなく、それが表出するときの「程度の問題」に関与して生じる何かである。
その理論が妥当性や適用範囲を「適切である以上に過大評価されること」を望むと理論はドグマ的になり、仮説の妥当性や適用範囲を「過大評価することを恥じる」と理論はあまりドグマ化しない。
「あまり」という副詞が示すように、こういうもののよしあしにデジタルな境界線はない。
「まあ、許容範囲でしょうかね」と「ちょっと、そこまでされると困るんですけど・・・」というあたりのみきわめは経験的なものである。
違いは、仮説を差し出すときに、論者の「頭が高い」か「腰が低い」かという点にしかない。
「頭が高い」理論はうまく妥当しない事例や適用しない方がいい場面に強引に進出し、言を左右にして過誤や失敗を認めたがらない。
「腰の低い」理説は妥当する範囲に踏みとどまり、反証事例が示されると「へへへ」と頭を掻いてすぐに撤退する。
ビジネスに喩えて言えば、巨大資本・単一のビジネスモデルで全国一律に巨大店舗を展開するスーパーチェーンと、地元のお客さんだけ相手に細々と商売をしている老舗の蕎麦屋くらいの違いである。
両者の間には「サイズの違い」しかない。
しかし「サイズの違い」というのは考えてられているよりもずっと質的な変化に関与するものなのである。
「大きい理論」はその理論が「どこまで広く適用可能できるか」という拡大の可能性に関心があり、「小さい理論」はその理論が「どこから先には行かない方がいいか」という節度のたしかさに関心がある。

繰り返し申し上げているように、フェミニズムが社会理論として抑圧的に機能しはじめたのは、その支持者の一部が、フェミニズムが適用できる限定的な範囲を超えて「万象を説明できる統一理論」であることを欲望したときに始まる。
そして私が知る限り、どのような社会理論もひとたび「統一理論」でありたいという欲望を持ってしまったあとは、いかなる努力ももうそれを引きとどめることはできないのである。

東京に行く新幹線の中で、上野輝将先生にいただいた「ポスト構造主義と歴史学−「従軍慰安婦」問題をめぐる上野千鶴子・吉見義明の論争を素材に」を読む。
上野先生が『日本史研究』に寄稿された論考の抜き刷りである。
上野先生は上野千鶴子によって「文書史料主義」と糾弾された歴史学者の側から、上野千鶴子の「ポスト構造主義的」歴史学批判を反批判している。
最初のうちは上野千鶴子批判を「ひとごと」のつもりで気楽に読んでいたのであるが、だんだん襟をただして粛然とした気分になってきた。
それは上野輝将先生の「ポスト構造主義的」な方法の批判がまっすぐ私自身の学術的な方法への批判にもつながっているように思えたからである。

ご存じの方も多いであろうが、この上野・吉見論争は上野千鶴子が「従軍慰安婦」問題についての先行する歴史学的研究を「文書史料至上主義」としてしりぞけたことに始まる。
その論拠を上野は次のように定式化している。
「公文書というものは、もちろん官が現実をどのようにコントロールしたかという記録にほかならず、被害を受けた人たちの現実については何一つ語っていません」(「ジェンダー史と歴史学の方法」)
「抑圧されてきた記憶や社会的弱者の語りというものは、まず第一に支配的な言説に自分を合わせようとする磁場のなかにおかれています。したがって、本当のこと、すなわちその人にとってのリアリティを聞き取るには、その語りのなかにある矛盾や非一貫性にこそ研究者は価値を認めるべきだ」(同)

上野千鶴子の「構築主義的」立場によれば、歴史的事実というのは、そのつどの歴史的文脈の中で遡及的に再構成されてゆくものであり、「視点が『事実』を構築する」。「正史」に対してはつねに「もうひとつの歴史」が対置され、「科学的で客観的な歴史など存在しない」。
上野輝将先生は、このような構築主義的な歴史相対主義に対して、吉見義明に与する立場から、次の点を指摘する。
(1) オーラルヒストリーを史料として重用することは歴史家の常識に属す
(2) どの史料に信頼性があるとするかは、そのカテゴリー(公文書か被害者の証言か)によるのではなく、当該史料がどの程度歴史的事実を明らかにし、整合的な説明をもたらしたかによって事後的に査定されるのであり、信頼性や価値は史料そのものに内在するわけではない
(3) 「視点が事実を構成する」というルールを認めると、どの現実をとるかは「それを構成する視点」のうちのどれを選ぶかによって決まり、それは個人の嗜好や信仰の次元に帰着する

といった指摘をふまえて、上野輝将先生は「表象」や「視点」や「パラダイム」といった用語で歴史をとらえることの危険性について稠密で執拗な反論を上野千鶴子に加えている。

その詳細は割愛するけれど、私はここで考えこんでしまった。
上野輝将先生の「視点」からすると、おそらく私もまた上野千鶴子と同類の「ポスト構造主義者」、「構築主義者」に分類されることになるのではないかと思ったからである。
というのは、私も上野千鶴子と同じく、「語るもの」の視点、「語り」の語法、「語るとき」の文脈に応じて、そこで提示される「事実」はめまぐるしく様相を変えると考えているからである。
だから、「何が事実か?」という問いに対しては、つねに「という問いを発しているあなたは、どういう視点からその問いを立てたのか?あなたが『事実』として見たがっているものは何か?どのような『事実』が見出された場合に、あなたはどのような『利益』をそこから得ることになるのか?その利益があなたの視点に無意識なバイアスをかけてはいないかという問いをあなたは自分に向けているか?」といった一連の「鬱陶しい」問いをもって応じてしまうのである。
しかし、このような「問いに対して問いをもって応じる」仕方は、たしかに歴史学者の眼には、ある種の不可知論への退行、客観的・中立的事実を探求することの放棄として映る可能性がある。

上野輝将先生の上野千鶴子批判は次のようなことばで締めくくられる。
「以上、言説=『表象』、『パラダイム』の転換と上野が使う認識論の用具が、『慰安婦』問題の具体的なケースでどのような矛盾に逢着するかを検証してきた。一方で自明な『事実』などないといいながら、その『認識論』自体が自明な『事実』から組み立てられていること。多様な『言説』の同格を言いつつ、他方で特定『言説』の説明不能な選択を行うこと。真偽の次元を超えてと言いながら、『証言』の真偽取り混ぜた『事実』に固執すること。『事実』よりもその捉え方の『変化』が問題だといいながら、『事実』以外にはその『変化』を説明できないこと、『視点が事実を構成する』と言いながら、ではその『視点』はどのようにして『構築』されるのかについては語らない(語れない)、等々。
 そもそも『視点が事実を構築する』という上野認識論では、『事実』=史料も歴史家によって構築され、研究主体と研究対象は分離できない。対象からの距離がないと分析はなりたたず、分析がなければ理性的な認識もありえず、残るは直感や論証なき決断の世界であろう。結局、上野の価値絶対主義的方法論と価値相対主義的認識論の同居は、分析なき『歴史方法論』と認識なき『歴史認識論』の合体であったと言う他ない。」(『日本史研究』、509号、2005年1月、17−18頁)

私はこの批判をとりあえず自分に向けられたものとして読んだ。
私もまたある種の不可知論の際に立って仕事をしている。
つねづね申し上げているように、私の判断の多くは「経験的事実」に裏打ちされた「直感」と「論証なき決断」によって構成されている。 
どの「事実」を「経験的にたしかなこと」として選択するかは私の判断に委ねられており、であれば、「事実が私の判断を基礎づけた」のか、「私の判断が事実を選択させている」のかを私自身は言うことができない。
この点において、上野先生が上野千鶴子に向けている批判はそのまま私にもあてはまる。
私がそれでも「いい加減なことをいうやつだ」という以上の批判を識者から受けることがないのは、私がぎりぎりのところで「自分がどれくらい信用できない人間であるか」の告知義務を果たしているからである。
私はたとえば、慰安婦問題のような問題についてはあまり偉そうなことは言わないようにしている(よく知らないから)。
おそらく上野千鶴子がここで歴史家たちから十字砲火を浴びたのは、上野先生が書いているように、「慰安婦問題」という「具体的なケースにおいて」、構築主義的視点がどのように「歴史学者の仕事を支援できるか」というふうに問題を立てずに、歴史家たちの仕事を(先行研究をあまり読まない段階で)いきなり否定するという挙に出たせいである。
たしかに上野千鶴子的な構築主義史観は、政治的立場が弱く、表現の方法が限定された「証人」たちのことばを「歴史的史料」として前景化したという点で評価すべきだし、これからも歴史家の仕事に貢献することができただろうと私は思う。
しかし、証言のリアリティーを前景化したという貢献をもって歴史家たちのこれまでの仕事へのラディカルな批判が遂行されたと信じるのは適切な自己評価とはいえない。

構築主義はたしかに有効な社会理論であるけれど、あらゆる社会理論がそうであるようにそれが「とりわけ有効である範囲」は限定されている。
そういう理論は「とりわけ有効である範囲」にのみ限定的に適用し、「あまり有効でない」領域では、一歩退いて「そこで有効な方法を支援する」という「雑巾がけ」仕事に専念したらよいと私は思う。
しかし、上野千鶴子は歴史学の領域においても「雑巾がけ」や「黒子」役での有用性に満足することができなかったらしい。
結局そのせいで、構築主義者は今後歴史家のかなりの部分からは「立場の違う共同研究者」ではなく「仕事の邪魔をするやつら」というふうな否定的評価をもって眺められることになる可能性が高い。
それは歴史研究にたいして構築主義がもたらしえた貢献を私たちは失ったということを意味する。
私は(ポスト構造主義「以前」の方法論にいまだに固執する)「構造主義者」としての立場から、このような研究者間の協力関係の断絶と、今後ありえたかもしれない成果の喪失を悔やむのである。

欲張りすぎると、手に入ったはずのものも失ってしまう。
上野がおそらく幼稚園の頃に読んだ絵本にも書いてあったはずの教訓を見落としたのは彼女の個人的な徳性や知性とはかかわりがない。
それは繰り返し言うように「あらゆる社会理論はその汎用性を過大評価する傾向にある」という法則がここでも作用したということにすぎない。

話が長くなったので、まとめにはいるが、上野輝将先生の論文を読んで、私が感じたのは、この上野千鶴子批判はほぼそのまま私にも当てはまるということであった。
それでも私がこの尊敬する同僚からの致命的な批判をまぬかれているのは、私が「できないことには手を出さない」「知らないことには口をはさまない」という保身術を実行していることと、それでも(欲が出て)手を出したり口を出したりする場合は、必ず「自分がどれくらい信用できない人間であるか」の告知を怠らないこと(それは「私の言うことの真偽判定はみなさんがしてください」という「訂正の回路」をつねに開いているということである)によって担保されているからである。
そう私は思っている。

しかし、この「自分のバカさをあらかじめ告知しておけば、何を言ってもへいちゃら」という理論の汎用性を私自身が過大評価した場合、私の身にはいったいいかなる天罰が下るのであろうか・・・

あ、その場合に私の身に天罰が下るのは私の理論の正しさを証明することになるわけだから、ぜんぜんオッケーなんだ。
なんだ、そうか。
こりゃ気楽でいいや。
正しくても間違っていても、どちらにしても正しい。
これは最強の理論だな。
たいへん汎用性が高い理論なのに、採用してくれる人がぜんぜんいないというのが唯一の欠点ではあるが。

  

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2005年01月27日

正しい歯医者の見分け方および昔のゼミ生と会ったときの適切な応対について

1月26日

ぼろぼろになって起き出して、とりあえず予約を入れていた歯医者に行く(メル友の鈴木晶先生もいま歯ではえらい目に遭っているようであるが、歯が痛いのはつらいですよね)。
小休止ではなく小臼歯が(ああ、この変換ギャグはキーボードを打つ前に予見されていた)ぐらぐらになっていて、「あ、これは抜きましょう」とずっぽり抜かれてしまう。
「あ、こっちの小臼歯もダメだなあ・・」
ということはどんどん歯がなくなっちゃうってことですか、E阪先生!
私の通っているE阪歯科は「看板の出てない歯科医」である。
あまりに名医なので、これ以上患者が来て貰っては困るので、ふつうの家で診療をされているのである。
だから「ご紹介」の方しか診療していただけないメンバーズオンリーの排他的な歯科医なのであるが、私は「名医は名医を知る」の法則に従って三宅先生のご紹介でこの希代の名医の治療を受ける恩恵に浴しているのである(E阪先生は三宅先生に職業病の腰痛を治して貰っている)。
歯科医についての名医の条件をひとつだけ申し上げるなら、「決して患者を責めない」ということである。
これまで私が通ったすべての歯科医は私の歯を診たあとに、「あのね・・・ブラッシング、ちゃんとやってないでしょ。歯垢がべったりついてるよ。ああ、こんな磨き方じゃもう何年もしないうちに歯なくなっちゃうよ。おら、鏡で見てご覧よ、このきったねー歯垢」というようなことをばりばり言われるのである。
先方の言うことはまったくごもっともなのであるが、こちらは「歯が痛い」、「仕事のあいまに必死に時間を作って診療に来ている」、「治療費を払っている」などもろもろのネガティヴ・ファクターをすでに抱え込んでだいぶへたっているのである。
それに追い打ちをかけるように「これはすべてあなたの自業自得である」と宣告されて、「では、これから未来永劫にこの歯科医について行こう」という意欲が湧くかというと、凡夫の悲しさで、そういうふうにはならないのである。
こちらも、「歯が痛くない」、「ひまでしょうがない」、「金がもらえる」などの条件が整っている場合であれば、かかる叱責を甘受するにやぶさかではない。
しかし、これでは「盗人に追銭」(これはちがうな)というか「弱り目に祟り目」(あ、こっちね)である。
歯科医に継続的に通院して適切な治療を受けるためには、「歯科医に行っても人格的欠陥を問責されない」という条件が欠かせないと私は思う。
人間は弱いものである。
「歯が痛い」と「私は愚かな人間だ」というふたつの事実(事実だから反論できない)に同時に直面できるほどタフな人間はあまりいない。
せめて一方の心的負荷だけは解除していただけないものか。
その点で、E阪先生は「名医」である。
先生はすべてを「歯のせい」にしてくれる。
「ああ、この歯はもうダメですね…弱い歯だったんですよ。でも、大丈夫、隣の歯は丈夫だから、これにブリッジしてインプラントでいけますよ」
というふうに患者である私と治療者である先生がともに「悪い歯」によって受苦する「共通の受難者」という立ち位置を取られるのである。
歯医者の治療行為というのは「痛い」ものである。
その「痛み」の責任は「痛がっている当人」が100%引き受けるべきであるという「物語」の文脈に身を置いて「痛み」を引き受ける場合と、その「痛み」は私とは無関係であり、私はむしろ歯の痛みの「被害者」なのであるという「物語」のうちで歯をがりがり削られるのでは、痛みの意味が違う。
その点で、E阪先生は名医であると私は思う。
先生はかなり痛い治療もおそらくはされているはずであるが、私はそれをあまり感じない。
それは「痛み」と「私」のあいだにE阪先生が断絶を設定してくれているからである。
『野生の思考』の冒頭でレヴィ=ストロースは呪術医療の治療効果は「物語」の力であるということを述べているが、物語の力が威力を発揮するのは近代医療においても少しも変ることはないのである。
治療を終えて、だらだら血が出る歯茎にコットンをあてて「ふぎのよはくはいふへふか」とぼそぼそとつぶやいていると、E阪先生の奥様が抗生物質を出してくれる。
「ごはんたへてもいいへふか」とお訊ねすると、にこにこ笑いながら「食べてもいいですよ、でも血の味がしておいしくないわよ」とご懇篤な知見を語って下さった。

はふはふしながら、次はK田くんと面接で修論のチェック。
この状態で「レズビアニスムのジェンダー論的意義」について論じるのは困難なのであるが、約束しちゃったものはしかたがない。
芦屋のカフェでK田くんを前に1時間半ほど修論の問題点を指摘して、すでに性化されている論者が「性化のメカニズム」について論じる場合の「バイアス除去法」について語る。
同性愛について論じているK田くんは、ご本人の意図と無関係に1980年代生まれの阪神間のお嬢さんで神戸女学院大学の大学院生というきわめてローカルな性規範のうちにすでにはめこまれている。
その性規範を批判する場合でも、「私にとってきわだって癇に障る性規範」を選択する自由はない。
性規範を批判する人間自身が、どのような性規範をとりわけ選択的に批判するように条件づけられているのかという問いを自分に向ける習慣があるかどうかが批評性を最終的に担保するのである。
というようなことをはふはふしゃべる。
滑舌が悪かったので理解しにくかったであろう。
K田くん、ごめんね。

26日は朝から自己評価委員会。
姉妹先生と良い先生(じゃなくて、島井先生と飯先生)と朝の10時から午後2時まで、教員評価システムの委員会原案を練る。
原案をあれこれいじりながら、ついでにあれこれととんでもない話をする。
あまりにとんでもない話なので、もちろんこのような場で公開することはできぬのである。
夜は光文社新書の『現代思想のパフォーマンス』の出版記念パーティ(っていうのかなあ)をハービスエントの「あげさんすい」にて開催。
ナバちゃんと光文社の古谷さんとご一緒に天ぷらを食べる。
どうもこの店にゆくといろいろな人に会ってしまうのであるが、今日はやあやあと店に入ってゆくといきなり若く美しい女性二人に嫣然と微笑みかけられて、やっどうもと片づかない顔をしていると「センセイ!私のこと覚えてないんですか!」と責められる。
あの…・どなたでしょう。
昔のゼミ生であった。
しかし、私も劫を経た教師であるからこういう時の逃げ口上はうまいぞ。
「あ、ムカイくんじゃないか。なんだ、すごく痩せちゃったから、わからなかったよ」
逆ヴァージョンは自殺行為だけど。

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2005年01月25日

霊的に濃い一日

1月24日

甲野善紀先生、名越康文先生を芦屋にお招きして、晶文社主催の「対談&鼎談」イベントが挙行された。

05012501.jpg 甲野先生、名越先生と

05012502.jpg 平野早矢香さんを囲んで(ドクターと私とウッキー)

はじめ「お囃子方」には守さんと飯田先生とウッキーの三人を予定していたのであるが、「お囃子方にまだ二三人空き席があります」とネットで告知したら、たちまち申し込みが殺到し、結果的になんだかものすごい人数が私の家の居間と和室にぎゅうぎゅう詰めになることになった。
武道関係はつくば大学の高橋佳三さん。スポーツ関係は卓球の平野早矢香さん(まだ19歳。こんなかわいい女の子が全日本二連覇したのである)とコーチの洲本高校の山田先生と豊田先生(仕事休んでこんなとこ来ちゃっていいんですか)。メディア関係はAERAの石川さん、毎日新聞の中野さん、角川書店の江澤さんと金子さん、途中から『ミーツ』の江さん。それにIT秘書のイワモトくん(彼も仕事を休んで来た)と主治医のドクター佐藤。夕方から参加の名越先生が秘書をおつれになったので、勧進元の晶文社の安藤さん足立さんを加えて瞬間最大人数は20人に達したのである。
それだけの人数がひしめくところで甲野先生がいきなり講習会をはじめてしまった。
「三畳一間あれば講習会はできます」とおっしゃった通り、甲野先生はいくら動いても足音がしない。二尺七寸の長剣をらくらくと抜き、杖をふりまわしても何にも当たらない。
でも、先生の動きを見ているうちに興奮して立ち上がって稽古をはじめちゃった人たちがいるからさあ大変。
階下の住人から「いったい何をやったらこんな音が出るんだ!」と怒鳴り込まれたらどうしようと生きた心地がしなかった。
講習会が一段落してから、いよいよ甲野先生とウチダの対談が始まる(これは名越先生を加えた鼎談とは別の本の企画なのである)。
しかし、「ちょっとこんな話してもいいのかなあ…これあとで編集でカットしてくださいね」という「言い訳」を一回許したのが運の尽き、もう絶対に活字にできないようなとんでもない話がじゃんじゃん出てきて(一番ヤバイ話をしたのは高橋さんだけど)、座は異様な盛り上がりを見せたのである。もちろん、そのような話は決して書物では読むことが出来ないのである。みなさんには気の毒だけど。
1時から6時まで講習会付き対談(といいながら守さんと高橋さんは私たちと同じくらいたくさんしゃべっていたので、四者会談かな)。
6時にいったん休憩をいれて、買い出しに出かけて、山田先生がご持参くださった山盛りの「ふぐ」を材料に「てっちり」と「寄せ鍋」を作成。
ビールで乾杯してから、これを全員でぱくぱく食べる。
そこに名越先生が登場されて、いよいよイベント後半の二年半ぶりの「邪悪なものの鎮め方」パート2。
オウム真理教の霊的格付け、S価学会の集団折伏の霊的パワー、911後の元宇佐神社における霊的戦争というような定番的なお題から始まって、名越先生から少年Aの治療経過やクリニックにおける壮絶な症例研究の話をきいているうちにあっというまに11時を過ぎる。
まことに中身の濃い話でありました。
しかし、さすがに甲野、名越という二大畸人をはじめ「めちゃ濃い」人々を十時間近く狭い空間にとどめおいて、全員が心的エネルギーを発したために、ラポルテ東館南棟にはあきらかに「気の偏倚」が生じてしまった。
これについてはすでに三宅先生から、「1月24日にはJR芦屋駅付近には近づかないように」という霊的警告が関係各方面に発されていたのであるが、うかつにもその警告を私はそれほど重くは受け止めていなかった。
甲野先生、名越先生が帰られたあとの12時過ぎから「残存霊気」の作用によって残ったメンバーの情緒が急激に不安定になる。
あの優しいドクターがまずすごくイジワルになり、いつもにこやかな江さんが怒りだし、中野さんが泣き出し、ウッキーは叫びだし、私までも飯田先生が「言っていないことば」を幻聴で聞いて烈火のごとく怒って飯田先生を泣かせ…最後まで冷静を保っていたのは足立さんだけであった。
あれだけ濃いメンバーをこのような気密性の高い空間に長時間閉じこめておくことの危険をもう少しはやく気がつけばよかった。
私の個人的な印象では、この日いちばん気の付置をはげしく動かしたのは名越先生のようである。
私はわりと「アース力」の強い人間で、場に凝縮した霊的エネルギーを「放電」するのが特技なのである。
だが、今度ばかりは甲野先生名越先生のお二人という強烈な人が霊的出来事にかかわる話題を数時間したわけである。
それに賦活された座の人々の無意識的な「発電」が私の「放電」容量を超えたために残存したエネルギーがその場にとどまった人々の情緒の壊乱をつうじて「リリース」されるというかたちになったようである。
翌日ぼろぼろになって三軸で治療を受けていたら、三宅先生が「そのメンバーだとラポルテのコープの野菜がかなり傷んだでしょうね…」とぽつりとつぶやいた。
なぜか昨日の夜の宴会中と本日の治療中に池上六朗先生からお電話がかかっている。
昨日は『先生はえらい』の感想をお伝えいただいたのであるが、池上先生のようなお忙しい方が特段の用事もないのに私にピンポイントで電話をくれるというのは、この場の「霊的異常」を感知されて、私に「リンク」を張ってくれようとしたものと思われる。

「こういう話」は分かる人には分かるし、分からない人には分からない。
分からないからといって別に不自由なことがあるわけではないので、「霊だの何だのと非科学的なことを大学の教師が言うな」と怒るひとを説得しようという気は私にはぜんぜんない。
でも、甲野先生が武術の経験から得た知見と、名越先生が精神病の臨床経験から得た知見と、私が哲学者から学んだ書物的知識が「こういう話」においてぴたりと符合するという事実を私は看過しようとは思わない。
『他者と死者』や『死と身体』は学術書として面白く読めるが、「こういう」うさんくさい話には耳を貸す気にならないという人たちがたくさんいるが、私はどこでも「同じ話」をしているのである。

投稿者 uchida : 21:42 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月24日

新しい愛人が来る

1月23日

京都の小林さんご一家がお見えになる。
インプレッサ引き渡しの儀を執行するためである。
まずご一緒に元町の香港茶楼にて、ゆきちゃんの誕生日祝いをかねて飲茶を喫し、しかるのちわが家に移動して、インプレッサをガレージから出して、キーをお渡しする。
午前中にトランクに積み込んであったがらくたやグローブボックスに押し込んであったカセットテープ類をおろして、洗車と車内清掃して、切れていたブレーキランプを換えておいたので、車はつるつる。
「ちょっと車貸して」というときにキーを貸したことはこれまでも何度かあるが、走り去るのを舗道で立ちつくして見送るのは、これが最初で最後である。
芦屋駅前から加速してJRの下を気分よさそうに曲がって行くのを見送る。
なんだか長く付き合った愛人と別れるような切ない気分になる。
きゅん。

今日もまた卒業生が登場。
学生や卒業生が大学院を受けるとき、専攻ゼミの指導教員は推薦書に「所見」というものを書かなければならない。
これがけっこう「駆け込み」でくる場合が多い。
「来週が締め切りなんです」というのはまだいい方で、いままでで一番ひどかったのは、研究室に走り込んできて「先生、いますぐ推薦状書いてください。今日中に郵送しないと間に合わないんです!」というのがいた。
それも英語で。
私が研究室にいなかったらどうするつもりだったのだろう。
ハシくん、キミのことだよ。

推薦状を三枚書いてぺこぺことはんこをおして、できあがり。
奈良まで帰るそのN川さんと駅前で別れてから、てくてく歩いてハットリモータースにBMWを取りに行く。
ディーラーに用事があってこれまで三度通ったが、いずれも原チャリか徒歩。
原チャリをキキキとショールームの前に停めて、BMW購入の「ご商談」をするお客さんというのはあまりみかけない。
「原チャリでベーエム買いに来るお客さんていないね」と営業のトモノくんに前に言ったら「は、でも、社員の中には自転車で通ってくるものもおりますから」というフォローにならない答えをしていた。
「あ、ウチダさま、歩いていらしたんですか?おっしゃっていただければお迎えにあがりましたのに」
だって、ここうちから歩いて五分じゃんか。迎えなんかいらないよ。
訊くところでは、新車購入をされるクライアントの中には納車どころか、試乗車を家まで持ってこい、というようなことを営業マン相手になさる方もままおられるそうである。
車一台買うくらいのことで何をそんなにもったいぶるのか、私にはよくわからない。
八百屋に向かって「キャベツ買うたるから、家まで三つ四つ見本みつくろってもってこいや」というような無法なことを言う顧客はおらない。
キャベツと車のどこが違うのであろうか。
よいキャベツは目と目があったときに「あ、これ」と買い物かごに入れる。
車もまた同日の談である。
私は実物を見ないで、カタログの小さな写真を見ただけで、「あ、これ頂戴」と決めたので、「写真見合い」の花嫁を迎える心境である。
「こちらでございます」
おおお、銀のシャコタンだ。後光が差している。
トモノくんにいろいろと諸計器の使用法の説明を聞く。
超ハイテク車なので、15年前に乗っていたミニとくらべるとコックピットでの手作業の種類は「馬車」と「ジェット機」くらいの差がある。
「これをこうして、さらに押し続けますとこうなります」
「おおおお」
「ここをぴっと押しますと、こんなものが出て参ります」
「やややや」
「ここをタッチいたしますと、これがぱこんと外れて」
「げ」
というようなやりとりを1時間ほど続けて、最初のうちに聞いたことのほとんどを忘れた状態でキーを受け取る。
カーナビで映画も見られますが、ご説明しましょうか?ということであったが、そんなものを見ていると命がいくつあってもたりないので、もういいですとお断りして、とりあえず車を道路に出す。
シャコタンなので、シートを一番下まで落として、ハンドルを最大まで伸ばして下におろすと、ちょっとしたレーサー状態になる。
オートマなんだけど、チェンジレバーを「ドライブ」のところから「M」にシフトすると、「マニュアル」っぽくにも運転できるらしい。(どういうメカニズムかは私の理解力を超えているが)
さて、アクセルをぎゅんと踏んで・・・ああああ快感。

新しい愛人

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2005年01月23日

最近の卒業生とだいぶ前の卒業生のこと

1月22日

「ぷー」のさっちゃん、ロペのながもっちゃん、SEのウェスの卒業生三人組が遊びに来る。
別に喫緊の用事があるわけではなく、老師の草庵を訪れて無聊を慰めるとかそういう積極的な趣旨でもないらしく、「へへへ」と頭をかきながら遊びにきて「センセ、辛いもの食べられません」とか「繊維質は歯にはさまるからダメです」というようなことを告げて、ごはんをぱくぱく食べる。
どうやらさっちゃんが「愛・地球博」(どうでもいいけどこの駄洒落は凍るね)のコンパニオンとして一時的に「ぷー」状態を停止することの奉祝行事であったようである。
先生は本たくさん書いてるんですね。ジュンク堂に平積みしてありました。
と口々に報告はしてくれるが、誰も「読んでます」とは言わない。
向学心の薄い教え子たちである。
しかたがないので、そこに積んであった『先生はえらい』の見本刷りをネコマンガサイン入りで手渡し、「これを帰りの電車の中で熟読玩味し、老師の教えを各自拳々服膺するように」と厳命する。
そこにそのさらに数年前の卒業生のイノウエさんが紛れ込んできて(これは文字通り、「紛れ込んできた」としかいいようのない驚くべき出現の仕方であった)、話題は転々奇を究めたのであるが、落ち着くところはいつもの「恋愛話」。

若い女性のうちに「おじさん的セクシュアリティ」がいかに浸潤し、それが彼女たちのやわらかい個性をどのように損なっているかについて諄々と説き聞かせる。
「おじさん的セクシュアリティ」というのは、厳密には「おじさんオリエンテッド・セクシュアリティ」、つまり世の「男性誌などが『男はこういうのが好きなんだよね』というイデオロギッシュな大気圧をかけまくっているところの定型的なセクシュアリティ幻想」を内面化することである。
私のHPにその種の固有名を記したくはないのであるが、「K姉妹」とか「Yキャブ」とか「D夫人」とか…そういうものが表象するところの「何か」がある。
何だかわからないけどさ。
その「何か」を「セクシュアルである」と判定する価値観があり、その価値観自体は男女双方に共有されている。
セクシュアリティの記号を送信する側と受信する側に「解読コード」が共有されていなければ、それは「セクシュアリティ」としては認知されないからね。
私はその解読コードのことを「おじさんオリエンテッド・セクシュアリティ」を名づけており、そのようなものが瀰漫することにあまりよい印象を持っていないのである。
おじさんオリエンテッドそれ自体が悪いと申し上げているのではない。
「瀰漫」が気に入らないと申し上げているのである。
セクシュアリティをある定型に回収しようとする(ほとんど暴力的なまでの)社会的圧力が気に入らないのである。

どうして性的嗜癖を定型的に集約することに、これほどメディアが熱中するかというと、もちろんそれはその方が資本主義の要請にかなっているからである。
「人の好みは十人十色」では資本主義は困るのである。
好みがばらけて離散的に安定してしまうと市場は停滞してしまうから。
「同じもの」に消費者の欲望が集中し、その欲望が絶頂まで亢進すると、ただちに次のものに欲望の焦点が移行し、それまでの欲望の対象が弊履の如く捨てられるというのが資本主義的な大量消費・大量廃棄プロセスにとってはベストの展開である。
性的嗜癖が一点集中的な仕方で連続的に推移することはファッションや化粧品やサービスのマーケットからすればたいへんありがたい状況である。
「おじさんオリエンテッド・セクシュアリティ」を歴史的に一望すれば、たしかにそこにはある種の「経年変化」というものが看取されるであろう。吉永小百合から栗原小巻を経由して天地真理(ああネタが古い!)というような。
それをして「性的嗜癖の多様性が実現された」と祝福される方もおられるだろうが、私はそれに同意することができない。
連続的に見たときに「ぱらぱらマンガ」的には変化があっても、同一時間帯内では多様性が確保されていないからである。
その点についてもうすこし世間のみなさま(って誰だ)はご配慮いただけないであろうか。

遅い年賀状のご返事が溝口百合さんから届く。
溝口さんは私が着任したころに神戸女学院の理事をされていた同窓会の重鎮のおばさまである。
知性と信仰と諧謔精神がみごとなバランスを保った「神戸女学院的なるもの」のある種の体現者である。
どういうわけか私はこの「生ける神戸女学院精神」のようなおばさまと十五年来粛々と年賀状を交換している。
最近は大病をされて読書もままならないようだけれど、年始から私の『他者と死者』を取り寄せられご高覧頂いたそうで、その感想が葉書にびっしりと記してあった。
あまりにありがたいお言葉であったので、ついうるうるしてしまった。
葉書の最後の方はもう文字を書く余白がなくなってこんなふうに終わる。
「すでに過去の人間は只祈るのみ。KC130年、戦後60年、私自身が阪神震災10年、大手術1年弱、ご著書拝読二週目(チェシャキャット)」
素敵な人だと思いませんか。

IT秘書から「明後日に200万ヒットになりそうですから、また『賞品』を出してください」という連絡が入る。
秘書の指示にしたがいまして、「200万」ジャスト賞の方と、前後賞の方には、『先生はえらい』のネコマンガサイン入りをお送りいたします。
えっとどうやって数字をゲットしたことを証明するのか、やり方を忘れてしまいましたので、それは秘書から聞いて下さい(イワモトくん、コメントに書いておいてね)。

投稿者 uchida : 11:44 | コメント (6) | トラックバック

2005年01月21日

『先生はえらい』!

1月21日

筑摩の吉崎さんが芦屋に来る。
『先生はえらい』がいよいよ出版されたので、その見本刷りをご持参下さったのである(ついでにもろもろのビジネス的交渉もなされた)。

先生はえらい 先生はえらい/ちくまプリマー新書 002

ご持参の「あんこもの」を頂きつつ、「首都大学東京」的な教育理念がどうして豊穣な成果をもたらし得ないのかについて、あれこれ語る。
『先生はえらい』という私の書物のコンセプトに即して言えば、「首都大学」的教育理念はひとことに尽くせば「先生はえらくない」である。
先生はえらくなく、大学はできれば学生がそこに立ち寄らない方がよい場であり、学術情報は「銀行預金」のようなものとして観念されているのであるとするならば、そこではいかなる「学び」も成立しないであろう。
もちろん、できるだけ少ない労力で学士号をゲットしたいというふうに功利的に発想する青少年のいくたりかは首都大学に集まるであろうが、何かを「学びたい」という欲望を喚起する力はそこでは構造的に損なわれている。
現に、大学の教員公募にはフルエントリーしているはずのM武くんも、なぜか首都大学だけにはアプライしなかった。
その消息をご本人は私あてのメールでこう述べている(勝手に引用してすまぬ)。

ちょうど就職活動する意欲が湧いてきた時期だったので、公募サイトで社会学系の求人をいくつかアップした中に、首都大、ありました。
片っ端から出すつもりで揃えたものの、無味乾燥で無個性なはずの公募情報の行間から、なーんか、実に、いやーな予感がしたんですよね。
・・・これはヤバイ大学だ、うっかり出して採用されたら大変だ、と、不遜にも選り好みして、出しませんでした。

マブダチのIは、とにかく就職したがってるので、「もしかして、首都大学、出した?」と恐る恐る聞いたら、「出してない。ヤバそうだもん」と即答。
見つけた公募は隣接分野まで全て応募、を旨とするIすら回避。

教員を大事にしてくれなさそうな公募条件でした。
意欲や自信や危険察知能力のある若者は、あまり応募しないでしょうね。
どんな人が応募していて、どんな人が採用されるんかな?
そういう点で、私にとっても展開が興味深いです。

というなかなかに興味深いコメントである。
首都大についてほとんど何の情報も持たないまま猟官活動に精を出している諸君にしてかくのごとく本能的危機を察知されているわけである。受験生諸君の直感はどのような反応をするのか、私も興味深いです。

『先生はえらい』は吉崎さんが筑摩に移って企画出版した最初の本だそうである。
当然、メジャー移籍初打席ホームラン、スペインリーグ移籍初ゴールを切望するのは人情のしからしむるところである。
私もできることなら彼の初夢をかなえて差し上げたい。
ともあれ、セールス的にはなかなか見通しは悪くないと私は思う。

第一にタイトルがよい。
「先生はえらい」
八文字であるが「せん」の「ん」は撥音であり「せい」は「せー」であるから、それぞれ0.5モーラずつ引いて、7モーラ(拍)とカウントしてよろしいであろう
よいタイトルの条件は「5モーラ」あるいは「7モーラ」である。
この法則は朝カル・プチ宴会の席で白石、藤本という二人のスーパー・エディターがすでに看破したものである。
なぜタイトルのモーラ数が問題になるかというと、5モーラ、7モーラのタイトル名は「言いやすい」からである。
友だち同士で本の話題をするときに、「言いやすいタイトル」の書物はあきらかに「言いにくいタイトル」よりも言及回数が有意に多い。
『燃えよ剣』は『燃えよ剣術使い』よりも、『ドラゴンボール』は『ゴルフボール』よりも、『身体と間身体の社会学』は『身体と間身体の科学』よりも言いやすい。
微妙な差ではあるけれど、「口頭に於ける被引用回数」において、5モーラ、7モーラあるいはその組み合わせによるタイトルはあきらかに有利なのである。
だから、同一の書物が『先生はえらいのである』とか『先生がえらくてなにか問題でも』いうようなタイトルになると、当該書物について話題にする意欲が微妙に殺がれるものなのである。

第二に、「先生」をほめる本というのは払底して久しい。
現代日本においては学校と教師と文部科学省の悪口はいくら言っても誰も咎めない、ということがメディアの「常識」となっている。
常識となったのには、それなりに悲しい「前史」というものがあるので誰を責めることもできぬのであるが、それにしても、そろそろ『学校は愉しい』とか『先生はえらい』とか『がんばれ!文部科学省』とかいう本が出てこないと世論の行き過ぎに対する補正というものができないのではないかと私は危ぶむのである(文部科学省から要請があれば、私とて『がんばれ!文部科学省』の企画を出版社にオッファーするにやぶさかではない。神戸女学院大学への補助金支給についてご高配いただけるのであれば、「やぶさかでない」を「前向きに検討」に書き換えてもいい)。
当然、そのような励ましのことばに飢えている日本中の「先生」たちがこのタイトルを書店で見たときの反応は想像に難くない。
私のようなリアルでクールな人間でさえ、仮に書店で『仏文学者は頭がいい』とか『合気道家に恋をして♡』というようなタイトルの本を見た場合には、とりあえず内容にかかわらず「これは購入して内容の当否について仔細な検討を加えねばなるまい」という決断をためらうことはないであろう。
日本中の学校の先生のおおかたの自制心を私と同程度と想定するならば、これは「非常にキャッチー」なタイトルと申し上げてもよろしいかと思う。
それゆえ、日教組と文部科学省が揃って本書を「指定推薦図書」にするという可能性も完全には排除できない。
「先生」について書かれた本で、日教組の悪口も文部科学省の悪口も書いていない本などというものはおそらく現存しないからである。
それどころか、この本には生徒学生諸君の素行を難じることばも、家庭教育の不備を憂うことばも、自民党文教族を咎めることばも、ひとつとして書かれていないのである。
そのような教育論はきわめてレアであると申し上げてよろしいかと思う。
では、いったいこの本は何を難じているかというと、
驚くべきことに、何も批判していないのである!
そのような教育論をあなたは読んだことがあるだろうか。
私はない。
既存のいかなる制度文物をも批判せずになお成り立つ教育論とはいかなるものか。
私だっていきなりそう訊かれたら、見当もつかない。
書いた本人が見当もつかない本なのであるから、まだ読んでいない人々がその内容を忖度することは絶望的に困難であろう。
そういう本をあなたは読まずに立ち去ることができるだろうか?
私ならちょっと読んでみたい。
本屋で立ち読みするくらいのことはしてもよい。
そして、この本のたちの悪いところは、本屋で立ち読みすると、そのままあっというまに最後まで読めてしまうことなのである(なにしろ薄いから)。
それでは本が売れないではないか、とご懸念される方もおられるであろう。
ご心配には及ばない。
最後まで読み終えて深いため息をついたときには、この本の最初の方には何が書いてあったのか、ぜんぜん思い出せないように書物は構造化されているのである。
なにしろ書いた本人が最後まで読み終えたあとに、「どうしてこういう結論になるんだっけ…?」と訝しく思って最初から読み直したくらいである。
さすがにそこまでゆけば、いくら寛容なるジュンク堂他の書店においても、「お客さん、二度読むくらいなら買って帰られたらいかがですか。760円なんだしさ」という購入促進行動を書店員諸君がためらうことはないであろう。
というわけで、『先生はえらい』はもうすぐ全国書店にて発売されるので、私のかかる販促発言の当否を検証すべく、書店において当該書物を手にされんことを祈念して出版のご挨拶に代えさせて頂くのである。

投稿者 uchida : 23:28 | コメント (1) | トラックバック

2005年01月20日

首都大学東京の光と影

1月19日

後期の授業が終わったが、私に休日は訪れない。
初日はまず東京都立大学の西川直子先生に「さよなら都立大仏文」の記念講演にお招きいただいたので、とことこ南大沢まででかける。
たいへんフレンドリーな雰囲気のなかで、気持ちよく1時間半ほどおしゃべりをさせて頂き、その後には仏文のみなさんにご懇篤なおもてなしを頂いた。
学期末ご多用の中、ご準備の労をとって頂いた西川先生はじめ都立大仏文の先生がたに感謝申し上げます。どうもありがとうございました。

05011901.jpg なつかしい都立大のみなさん

ご承知のように、東京都立大学はこの三月をもって大学としてはなくなる(移行期間の5年間は「旧制度」として名称は残るらしい)。代わって「首都大学東京」(略称「くびだい」)という石原慎太郎都知事のイニシアティヴのもとでの新しいタイプの大学に変貌する。
仏文はなくなる。
一キャンパス全体が「都市教養学部」という一学部になり、学長・理事長をトップとする上意下達システムで運営され、教授会ももうなくなるそうである。
首大がどういう構想の大学か、新学長と石原都知事のコメントを拝読してみよう。
まず、西沢潤一新学長のおことば。

このたび、計らずも首都大学東京の学長を2005年4月からお引き受けすることとなり、今更ながらその責任の重さをしみじみと噛みしめているところです。 明治以来、欧米流の学校教育が導入され、それまでの日本文化に基づいた学校教育の基礎の上に殆ど毎年改廃があったと云ってもよい程激しい改革が行なわれ、その結果、相当評価される境地に達することが出来たことが、明治以降の日本の大躍進を呼び起したと云えるのではないでしょうか。正に米百俵であったのです。
しかし、その後、全く新しい発想の下に出発していた私立大学ですら、一様に東京大学をその理想として画一化がはじまりました。特に戦後の新制教育が導入されてからは急速に進められたのです。差異の表現は只一つ、偏差値でした。
そもそも、公立大学は地元が欲する人物を養成する目的で、地元が設立したものです。東京は、長い間、日本の首都機能を果して来ました。そのノウハウは膨大なものがあります。そして今、日本の中のみならず、アジア全体が都市化に狂奔しています。此の時に当って、 東京は、その経験を人間的でありながら、効率化を実現する新しい都市構成を形成させるべき人材の養成と手法の向上に努めるべきではないでしょうか。
大体日本の思潮は相手の理解に基づいています。決して余分に時間をかけることを自慢するようであってはならないのですが、相互理解を進めて、妥協し合うのです。明石さんがカンボジアで推進されたことです。「世界中に只一人でも不幸な人が残っているうちは、個人 の幸福はあり得ない」と云う宮沢賢治の精神が、その基礎です。この北アジアの精神とも云うべきものが、賢治に集約され、新渡戸稲造先生が国際連盟を作られ、国際連合に引き継がれたのです。新渡戸先生は賢治精神の政治哲学における実践者だと思います。
この精神を東京市長の経験を持つ内務大臣として大震災後の復興に実現されたのが後藤新平先生です。昭和道路は有名ですが、三多摩地区においても、利用目的も見当らなかった土地を買い上げて市有地としました。今、汚染物質の発生しない土地として多摩の上水を 生じ、これが東京都民の水道源となっています。都民全体の生活を考えてこその着眼だったのではないでしょうか。都市工学の開祖です。 今、東京に集る若者が、先ず東京を日本文化に基づいた理想都市化する、これが新大学だと考えています。

これが新学長からのメッセージの全文である。
意味わかりました?
私には「意味ぷー」であった。
さしあたり私にわかるのは、この文章を書いた人間は、あまり日本語運用能力がないということと、論理的思考が苦手らしいということと、自分のことばを聴き手が理解してくれるかどうかということにはあまり興味がないタイプの人間だということであった。
そういうタイプの人間が教育事業に適性があるのかどうか、私はいささか懐疑的であるが、諸賢の印象はいかがであろうか。
新渡部稲造が「国際連盟を作った」ということもはじめて聞いた。
首都大学の入試で「世界史」「日本史」を選択する受験生諸君は慎重な配慮が必要と思われる。

「意味がわかる」という点について言えば、次の石原慎太郎のことばは西沢新学長のものよりずっとクリアーカットである。
では都知事からひとこと。

 来年の四月から、いよいよ既存の都立大学をはじめ四つの大学を束ねて「首都大学東京」という、今までになかった全く新しい形の大学をつくります。
 今、在学中の学生さんにも勿論そのまま続けて頂き、これから新入生になろうとする人たちに、この大学の新しい感触をぜひ知って頂きたいと思っています。
 今、大学に行っても、何かあまり面白くないと感じている学生が大勢いるでしょう。私自身、もう何十年も前ですけど比較的官学の中の私学と言われているような割と自由な大学を出ましたけれども、それでもあまり勉強はしませんでした。というのも、大学の先生も毎年同じ講義を繰り返している人ばかりでした。ただ、やはり、あの頃から一橋大学と東大の交換授業が始まり、学生の分際で生意気かも知れませんが、東大の経済学の先生の話を聴いて「こんな古くさいマルクス経済学を今頃東大はやっているのか」と、聴きながら馬鹿にしたような覚えがあります。東大の学生もそれで満足したのか不満足だったのかは知りませんが。
 いずれにしろ、もうそろそろ、学生を教えている先生そのものも自己批判して、自分がどんな授業をするかということだけではなく、それも含めて大学のカリキュラム全体のあり方を考えなければ、現代という非常に速く変化し様々なニーズが出てきている時代に、若者の欲求を満たすような大学にはなり得ないと思います。
 新大学には、色々な新しいシステムを取り入れます。例えば、学生の皆さんが大学に入った後思い立ち「よし、俺は青年海外協力隊で一年間カンボジアへ行ってくる」とか「アフリカへ行ってくる」という場合でも、それを得難い体験として修学と同様に評価し進学させたり、それを単位にしたりすることを考えています。
 また、他の学校の、あの先生の講義を聴いてみたいという場合には、その大学との約束も取りつけた上で、単位を銀行の預金のように蓄積して卒業の条件に叶えてもらうことも考えています。
 さらに、産学協同という言葉がありますが、研究の分野だけではなく一代にして自分の創意で大変面白い、新しい企業を創った経営者の人たちに専任講師になってもらい、集中講義をしてもらうことなども有益です。そのような人たちの話を聴いた方が余程面白いと思います。生活感覚もない先生の経済学や経営学の話を聴くよりも、例えば「百円ショップ」を創った人が、どうやって創ったとか、今、プロ野球で問題になっている、皆さんとそんなに歳も変わらないライブドアや楽天の経営者が、どうやって既存の企業に見切りをつけ、どういう発想で何を考えて何をやったかということを聴くことは、大変刺激になることでしょう。いちいち鉛筆で先生の言っていることを写すような授業よりも、はるかにアクティブで人生のためになると思います。
 私は、出来れば一年生や二年生は全員昔のように寮に入ったらいいと思っています。昔の旧制高校の寮をそのまま復活するつもりはありませんが、同じ屋根の下で一緒に寝起きし飯を食って酒を飲むという、そういう付合いというものが今の日本の社会ではなくなってきています。そういったことが、大学生たる若い皆さんの人生をどうやって形づくっていくか、それは非常に有効なものだと思います。
 そして、何といっても学長はあの東北大学を立て直した、特に文部省と東大の権威に真っ向から反対してきた西澤潤一さんという教育者としても卓見を持ったすばらしい方です。私は昔から存じ上げていますが、ようやくこの人をくどき落として学長に迎えることができました。西澤さんも「やるなら、まず東京からだ」と本当に新しい大学の創設に協力していただいています。
 しかも、都立大学に限らず、いろいろな大学を卒業し成功している大・中・小の優良企業の経営者の方々で日本の教育を憂いている人たちばかりが、新しい「首都大学東京」をサポートしていく、あるいは学生たちをサポートしていくチームを作ろうということで、この十月に東京Uクラブが発足しました。
 そういう点で、社会を広範囲に覆う人脈というものがその核に大学を据えた形で、新しい大学の運営というものを考えていきたいと思っています。とにかく奮って応募して頂くとともに、いろいろな人材がここから輩出していくことを熱願しています。

品格とか文彩というものを期待する種類の文章ではないけれど、それにしてもここに盛り込まれた教育理念の「貧しさ」にはどなたも一驚を喫されるであろう。
もし、これが現国の問題だとして「作者は何を言いたいのか?」という問いが出されたら、みなさんはどうお答えになるだろう。
私が予備校教師なら、熟慮の末に「私は東大が嫌いだ」と「大学生は自分の大学の教師からほとんど学ぶことはない」を「正解」とするであろう。

若いころから彼の書く文章には、東大がいかにろくでもない大学で一橋大学がいかによい大学かが繰り返し語られていたので、石原の東大嫌いを私は熟知しているが、七十歳を越してまだ「東大はダメで一橋がいい」ということを言いつのっているところをみると、これはもうほとんど「トラウマ」の域に達しているようである。
私も石原同様、東京大学というのがそれほどたいそうな教育機関だとは思っていない。だが、そんなことは日本国民のおおかたが熟知されていることのはずで、都知事が新大学の開校のメッセージにぜひとも書かなければならないほどのことではないように思われる。
他大学を名指しでけなすことばを開学の辞に含めるというのは、常識ある社会人のとる行動ではないだろう。

「大学生は自分の大学の教師からほとんど学ぶものがない」というのも、この文章の全体に伏流する主張であり、みなさんも私の読解に深く同意されると思う。
だが、その場合、それならどうして大学という制度を継続しなければならないのか、その理由が私にはうまく想像できない(どなたにも想像できないであろう)。
それよりはむしろ(これは前に書いたことの繰り返しになって恐縮だが)、「首都大」というサーバーを一個都庁の倉庫にでも置いてはどうか。
学生たちが「他の学校の、あの先生の講義」を聞きに行ったり、「カンボジア」に行ったり、堀江某の「金で買えないものはない」というような講演を聴きに行ったり、同年齢の友人たちとルームシェアして酒を飲むたびに、パソコンの端末から自己申告で「単位申請」を打ち込む。
そのように単位を「銀行に預金するように蓄積」して、124単位たまったら自動的に卒業証書がプリントアウトされるというシステムにすればよろしいのではないかと思う。
それなら、キャンパスもいらないし、教員もいらない。
サーバーのメンテをする派遣社員の二人もいれば十分である。
ときどき都知事と学長が「メッセージ」をHPに載せれば教育理念を周知徹底するには十分であろう。
それで学生一人から毎年数十万円の学費を徴収すれば、首都大学は都の財政負担を軽減するどころか、巨大な収入源になるはずである。
都の役人諸君にはぜひとも前向きでご一考願いたい。

憎まれ口はさておき、それよりも、私が気になるのは、この文章の「粗雑さ」である。
たとえば、次のような文章をみなさんはどう思われるか。
「私自身、もう何十年も前ですけど比較的官学の中の私学と言われているような割と自由な大学を出ましたけれども、それでもあまり勉強はしませんでした。」
中学生みたいな文である。
「比較的」という副詞は「自由な」におそらくかかるのであろう。
しかし「自由な」の前には「割と」といういささかくだけているが、「比較的」とほぼ同義の副詞が置かれている。
わが同僚の「赤ペン先生」ナバちゃんがこの文章の添削を委託されれば、ここは赤ペンでばしっと下線が引かれ、「同義の副詞を無用に反復してはいけません」というコメントが書き込まれるところである。
そのあとの「けれども、それでも」という接続の仕方も論理的ではない。
ここもナバちゃんなら、「『自由な大学』とそこで学ぶ学生の勉強量の多寡のあいだにどのような論理的関係があるのか、これではわかりません。『それでも』を逆接と取ると、あなたは『自由な大学では学生は勉強をよくする』ということを自明の前提としているようですが、その論拠が示されていません。もっと論理的な日本語の文章をたくさん読んで勉強してください」というようなコメントを欄外にがしがし書き込むであろう。
私はナバちゃんほどシビアな人間ではないので、気楽に読み飛ばしてしまったが、それでもひとつだけわかることがある。
それはこの文章を書いた人間は、書いたあとこれを読み返して推敲していない、ということである。
もし石原慎太郎が眼光紙背に徹するまで熟読玩味した末に「これ」を差し出したというのが事実なら、私はこの人物がかつて作家であったということを決して信じないであろう。
ということはおそらくこれは「知事、首都大のために開学のメッセージをお願いします」という秘書官の懇請に応じて「おう」と五分ほどで書き飛ばした文章だということを意味している。
都立の新しい大学の教育理念を全日本国民にむけて発信するメッセージを「五分で書きとばした」(のか「実は十分かかった」のか私には厳密に判定する術がないが)理由として、私たちが推論できることは一つしかない。
それは都知事がこの大学のことをあまり真剣には考える気がないということである。

日本語運用能力と論理的思考力にいささか難のある学長と、開設される新大学について(というよりそもそも「教育について」)真剣に考える習慣のない政治家によって領導される大学がこのあとどうなってしまうのか、推測することはそれほど困難ではない。

都立大学最後の「さよならイベント」にお招き頂き、なつかしい都立の先生たちを前にして、私は「文部科学省の高等教育再編構想と大学の機能分化について」1時間ほど語った。
論の性質上、首都大学東京の未来の見通しについても若干のコメントを述べさせて頂いた。
私の予測では、首都大学東京は日本の高等教育史に残る劇的な失敗例となるであろうというものである。
都立大学の教育理念を守るために悪戦してきた教員のみなさんや、そこで学びつづけなければならない学生院生の諸君にとってはたいへん気の毒なことであるが、私の予言は悪いことにかんしてはたいへん的中率が高いのである。

もちろん、私の予測を非とされて、首都大学東京の弥栄を念じている方もおられるであろうから、首大の「志願者数の前年比」や「合格者の平均偏差値の変化」については今後情報が入り次第ご報告して、私の見通しの当否については検証を行いたいと思っている。

ただ予言というのは、それ自体すでに遂行的なものなので、私のこのHPを読んで「首大受けようと思っていたけど、止めようかな・・・」という受験生も何人かはおられるであろうから、その点については予言の的中率を割り引いて頂かなければならないのである。

投稿者 uchida : 14:34 | コメント (6) | トラックバック

2005年01月18日

言論の自由と時間

1月18日

NHKの番組改変をめぐって議論がすこし熱くなっている。
これについては平川くんが「たいへん常識的な」(おそらく、それゆえ誰も口にしない)調停案を提言している。
私も同意見である。
政治的意見の公表についての私の立場はわりと簡単である。
「言う人」は好きなことを言いたいように言う。
その適否については「聞く人」に判断してもらう。
おしまい。
「言論の自由」というのは「そういうもの」だろう。
言論の自由というのは「言う自由」のことだけではない。
「言われたことば」の適否を判定する権利を社会成員が「平等なしかたで」分かち合うことも「自由」のうちにはふくまれている。
私が原則として検閲や自主規制というものに反対するのは、それが「適否を判断する権利」は「聞く人・読む人」の全員が分かち合うべきだという原則に抵触するからである。

今回のNHKの事件では、中川と安倍というふたりの政治家がいずれも自分たちには「言論の適否を判定する能力が、自分以外の人間よりも豊かに備わっている」ということを不当前提している。
代議士や与党幹部というのが、そんなに偉いものだったとは知らなかった。
中川昭一は朝日新聞とのインタビューでこう語っている。
—なんと言われたのですか。
「番組が偏向していると言った。それでも『放送する』と言うから、おかしいんじゃないかと言ったんだ。だって(民衆法廷は)『天皇死刑』と言っている」
—「天皇有罪」と言っていましたが。
「おれはそう聞いた。何をやろうと勝手だが、その偏向した内容を公共放送のNHKが流すのは、放送法上の公正の面から言ってもおかしい」
—放送中止を求めたのですか。
「まあそりゃそうだ」
—報道や放送への介入にあたりませんか。
「全然そう思わない。当然のことをやった」
中川という政治家はある意味で率直な人間だと思う。
私はこれだけ読んだときは、慇懃無礼なインタビュアーの口ぶりより、中川の言い方の方にむしろ好感を抱いたくらいである。
中川は「NHKの視聴者には番組で報道される言説の適否を判断する能力がない」ということを前提にしてしゃべっている。
これは民主国家の政治家がその政治活動の前提に採用してはならない社会観である。
中川は、「視聴者はバカだから、メディアがどんなことを報道しても、それを無批判に受け容れてしまう。だから選択的に『正しい』ことだけを報道させるように、私は監視しなければならない。それが政治家としての私の仕事の一部だ」と考えた。
「視聴者はバカだ」ということについては中川に近い判断を持っている人も多いだろう。
私も率直に言って、日本国民のメディア・リテラシーがそれほど高いとは思っていない。
視聴者は公共放送が発信する政治的に「偏向」したメッセージをそのまま頭から信じてしまうということも大いにありうるだろう。
しかし、「だから」以降については、私は同意することができない。
「選択的に正しいことだけを報道する」ということが原理的にありえないからである。
というのは、無数の無価値な情報、虚偽の報道、イデオロギッシュなメッセージの中から、何を聴き取り、何を「正しい」とするかを決定するのは国民ひとりひとりの不可侵の権利だからだ。
中川が「正しい報道」だと思うのは、「中川にとって正しい報道」であり、例えば「私にとって正しい報道」とは重ならない。
中川が永田町内で比較的影響力のある与党政治家であるというだけの理由で、報道内容についての「中川的正しさの基準」が「ウチダ的正しさの基準」より優先されるべきだということに私は同意することができない。
もちろん先方は有力政治家であり、私は無力な大学教員であるから、「中川的正しさ」が「ウチダ的正しさ」に「事実として優先する」のは当り前である(そうでなければ、必死になって選挙運動して国会議員になった甲斐がない)。
しかし、それが「原理的に優先する」ということは認めるわけにはゆかない。

私は「事実のレベルの問題」と「原理のレベルの問題」は同一次元で論じてはいけないということを申し上げているのである。
「視聴者には報道内容の適否を判断する能力がない」というのは「事実のレベル」ではかなり蓋然性の高い主張である。
しかし、「だから適否の判断を視聴者には委ねない(私が代わりに決めてやる)」というのは「原理のレベル」で受け容れることのできない主張である。

民主社会における私たちの人権は「誤り得る自由」も含んでいる。
「誤り得る自由」が認められず、「正解する自由」だけしか認められない社会というのは、人間が知的であったり倫理的であったりする可能性が損なわれる抑圧的で暗鬱な社会である。
そのような社会では、「正解」を語っている人間が、それを「正解」であると決定したときの手続きの適法性や妥当性について検証する権利は「誤りかねない人間」には決して認められないからである。

人々はしばしば判断を過つ。
それはしかたのないこととして受け容れなければならない。
というのも、今「人々はしばしば判断を過つ」と言ったが、そう言っている私の判断の合法性を私自身が基礎づけられないからである(間違っているのは「私」で、正しいのは「人々」の方なのかもしれない)。
「私が正解で、あなたがたは誤答をしている」と決定する権限が私にはないし、あなたにもないし、誰にもない。
じゃあ、誰が決めるんだ、と気色ばんでも困る。
なんとなく、「流れ」で決まるのである。
そういうものなのである。
昔から。
人類の祖先たちがはじめて葬礼を行ったときも、はじめて鉄器を使い出したときも、はじめて稲作を始めたときも、誰かが既成の「正しさの基準」に基づいて、「今日からわれわれは稲作というものを行うことにした、文句あるやつは死刑」というようなことをいったわけではない(たぶん)。
なんとなく、ずるずると始まったのである。
そのとき、「いや、われわれはキューリを主食にするべきだ」というような主張をした弥生人もいたかもしれない。
「南瓜がいいんでねーの」という人もいたかもしれない。
こういうことの適否を決定できる上位審級は当然ながら稲作文化の定着以前には存在しない。
しかし、そのうちに、誰が命令するでもなく「みんな稲作」になった。
投資する手間と回収できる利益のコストパフォーマンスを計測しているうちに、「ま、米だわな」ということになったのである。
私はこのような「長いスパン(100年単位)で考えたときの人間の適否判断能力」についてはかなりの信頼を置いている。
だから、当否の決定のむずかしい問題については「両論併記」や「継続審議」をつねづねお薦めしているのである。
「両論併記」というのは言い換えれば「誤答にも正解と同等の自己主張権を一定期間は保証する」ということである。
あまり知られていないことだが、「言論の自由」の条件の中には、適否の判断を「一定期間留保する」という時間的ファクターが入っている。
正解を急がないこと。
これが実は「言論の自由」の核となることなのである。
「正解を今この場で」と性急に結論を出したがる人は、「言論の自由」という概念を結局は理解できないだろうと私は思っている。
その点では、私は「民衆法廷」というイベントを企画して、戦時責任の問題に「今ここでの白黒の決着」をつけようとした人々の考え方にも個人的にはつよい違和感を抱いている。
「民衆法廷」イベントとその報道を妨害した政治家、一見すると対立して見えるこの二つの立場に私は似たものを感じるのである。
それは彼らのいずれもが「無時間モデル」でものごとを考えているということである。
けれども、それは私の個人的な懸念であって、とりあえず政治的準位においてはあまり緊急性のない論件である。
私は違和感をいだくけれど、彼らそれぞれがその政治的見解をひろくメディアを通じて発信する権利を支持する。
「民衆法廷」の番組はノーカット版で放映されるべきだと思うし、中川もあとから「そんなことは言っていない」などと弱気な弁明などせずにばりばりと強硬発言を続けて、批判を満天下に仰ぐという潔さを示して頂きたいものである。
私たちが「誤り」から学ぶものはしばしば「正解」から学ぶものよりも大きいのである。

投稿者 uchida : 11:05 | コメント (0) | トラックバック

震災から10年

1月17日

震災から10年が経った。
月日の経つのは早いものである。
本学でも震災十年の記念礼拝と「震災を語り継ぐ」というイベントが講堂で行われた。
私は震災の一証人として発言の機会を与えていただいた。
人間科学部の山本義和先生、震災当時の施設課長の中井哲夫さん、学院チャプレンだった茂洋先生といった、震災復興事業を先頭で指揮された方々にまじって私のような着任したばかりの三下が何事かをご報告するのは出過ぎたことなのであるが、飯チャプレンのご指名であるから仕方がない。
はじめに山本先生が当時撮影された大学キャンパスの様子を収めたビデオを約30分にわたって拝見する。
震災の5日後から4月27日の入学式までの大学キャンパスの様子がありありと記録されている。
その中に赤い野球帽をかぶって、震災のときにタンスで打ち付けた青あざを顔につくったまま、「せーの」とかけ声をあげて理学館の機材を押している私の姿も登場する。
若いね。
山本先生の映像へのコメントは「頭も口もよく動くウチダ先生は、身体もよく動く人でした」
というものであった。
最後の方には、受験生にチューリップを配る当時の合気道部員や有髪のW部先生の姿などもちらりと見える。
山本先生の次に登壇して、震災当時の学内の様子について断片的な印象を語ることにする。

私の芦屋山手町のマンションは震災で半壊状態となった。
散乱したガラスを片づけたあと、繰り返す余震に脅えて、私とるんちゃんは山手小学校の体育館に避難することになった。
大学にはもちろん電話も繋がらず、私が考えたのは「たぶん、今日は休講だろう」ということだけだった(それくらいに震災の被害の実状は知られていなかったのである)。
翌日、私は愛車GB250を走らせて大学に行った。
途中、夙川のところでコーナーを曲がった瞬間に、道がなくなって貯水池に陥没しているところであやうくコケそうになったが、なんとか30分ほどで大学にたどりついた。
そのとき大学に来ていた教職員はまだ十数名というところだったと思う。
私はとりあえず自分の研究室に行って、不眠のオガワくんに手伝ってもらって、床に落ちたパソコンを拾い上げ、書棚からこぼれ落ちた本をもとに戻して、二時間ほどで掃除を終えた。
どうして掃除をしたかというと、「これでゼミができる」と思っていたからである(それくらいに震災で本学がこうむった被害の規模を私は見誤っていたのである)。
そのあと研究室を出て、学内を少し歩き出して、私は愕然とした。
そのとき、私の思考回路のある線が「ぷつん」と断線してしまった。
とりあえず私は崩落しかけたD館に入って、落ちているガラスの破片を拾った。
私はそれからあとの一月ほど、ほとんど風呂にも入らず、着の身着のままに近い状態で、「土方」をしていた。
この期間のことについては、ほとんど断片的な記憶しかない。

この部分的記憶喪失は私なりの自己防衛だったように思う。
たぶん私は「被害の全貌」を知ることを止めたのである。
もしあのとき私が震災によって本学が蒙った被害の全容を認識したら、おそらくその無力感で一歩も動けなくなっていただろう。
被害総額50億、復興に3年半かかる被害に比べると、ガラスの破片を拾うというような作業はほとんど「砂漠の砂の上に手で掬った水を注いで緑化しようとする」努力に等しい。
そのような作業に集中したり、何らかの達成感をもつことのできる人間はいない。
だから、今思い出すと、あの復旧作業の間、山本先生や中井さんに率いられて学内で「土方」をしていた私たちは「ものすごく短期的で、ものすごく限定的な職務」だけに意識を集中していた。
ある研究室のドアがあかないので、それを数人がかりであけるとか、200キロほどの機材が横転しているので、それを起こすとか、そういうアドホックな任務だけに意識を集中し、それが終わると「やあ、やったね」と肩をたたき合って、一服して、お互いの健闘をたたえ合った。
それがほとんど九牛の一毛というような微々たる水準の達成であることが私たちにはわかっていたはずだけれど、そのパーセンテージは忘れて、とりあえず目前の石ころを取り除くことに集中したのである。

そのときに、こんな場当たり的なことをやってもしかたがない、まず全体の被害状況を把握して、優先順位の高いところに人的資源を集中する方法を採ろうと主張した同僚がいた。
まことに正論であると私は思ったけれど、その意見に従う「土方」は一人もいなかった。
そんな相談のために会議を開く暇があったら、目の前の瓦礫を片づけることの方がなんとなく優先順位の高い仕事のように思えたからだ。
その同僚は「ばかばかしくてやってられるか」と憤然と立ち去ってしまった。
その通りである。
「ばかばかしくてやってられないこと」を私たちはやっていたのである。
それを誰かがやらなくては何も始まらない以上、誰かがやらなくてはならない。

同僚たちの中には「土方」仕事のために大学に来るのは大学教員としての契約業務内容に含まれていないからという理由で、大学休校期間を「休業」だと思っていた人もいた。
この人たちは正しい。
土木作業はおっしゃるとおり大学教員の業務内容には含まれていない。
この人たちは交通機関が回復し、大学の瓦礫が片づいた頃にきれいな服を着て教員の仕事をするために現れた。
そして、震災経験から私たちは何を学ぶべきかとか、震災で傷ついた人々の心をどうやって癒したらよいのか、というようなことを教授会でしゃべっていた。
立派なご意見だと思う。
けれど、私はこの方々の言うことをあまりまじめに聞く気にはなれなかった。
それからあとの10年間ずっと、まじめに聞く気が起こらない。
そういう点で私は狭量な人間である。

震災で私はいくつかのことを学んだ。
一つはこのような「マニュアルのない状況」においても、きわめて適切なふるまい方を無意識的にできる人がいるということである。
例えば、山本先生や中井さんや藤原さんや東松さんや山先生や野嵜先生や上野先生や渡部先生…といった方々は、「震災」という言葉を聞くとまずその顔が脳裏に浮かぶほどに復興の場で活躍された同僚であるが、「まずその顔が浮かぶ」ということは、そのとき大学に来て復興事業に携わった人々の中で、私が「ああ、ここに誰か来合わせてくれないかしら…」とまごまごしている局面に、不思議にこの方々が「たまたまその場に居合わせて手を貸してくれる」ということが高い確率で起きたということである。
こういうのはある種の身体的感覚のようなものだと思う。

ときには、全体を俯瞰し、最適解だけを選び続けるスマートネスを断念しないと身体が動かないという局面があること。
どこで、誰が自分を必要としているかを直感する力、頼れる人と頼りにならない人を識別する感受性がこういう状況ではたいへん高くなるということ。
そういったことを私は震災経験から学んだ。
こういうことを「震災経験を語り継ぐ」というようなタイトルでメディアがセッティングする言説環境ではあまり口にする人がいないようなので、ここに記しておくのである。

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2005年01月16日

W−CLIC

1月15日

大学センター試験。
試験監督のため氷雨の中をひさしぶりにネクタイ締めて大学へ出勤(このところバイク通勤が寒くて、ずっと革ジャンにタートルネック、マフラーぐるぐる巻きだったのである)。

センター試験の監督は、マニュアルに書かれた通りに、機械的にやらなければいけない。
だが、これまで都立大時代をふくめて十年ほど監督者の様子を拝見していると、台詞を噛んだり、言い間違えたり、マニュアルにないよけいなことを口走ったりする大学教師がけっこう多い。
あるいは「機械的にマニュアルを読み上げる」という作業に無意識的な抵抗が働くのかもしれない。
私自身は「機械的に何かをする」ということに特段の抵抗がない。
というか、かなり好きである。
きっと私が非人情な人間だからなのであろう。

非人情な目つきで受験生を眺めながら、教室最後尾の椅子にすわって、その前の休み時間に学長から「読んでおいてね」と手渡された中期計画書に目を通す。
「監督者は読書をしてはいけない」という規定がマニュアルにはあるのだが、「大学中期計画書」をマーカー片手に読むのは、はたして「読書」に当たるのであろうか。
受験生の視点からは、「監督者手引き」を熟読している監督者と、「大学中期計画書」を熟読している監督者を識別することはできない。
たしかに、「読書」の場合であれば、熱中してしまうと、「解答やめ」の合図を忘れたり、読んでいるうちに「ぐふふ」と含み笑いしたりする可能性があるが、学長の起案された「大学中期計画書」を読んで、忘我の境に入ったり、わははと爆笑してしまう人間は存在しない。

計画書の冒頭に、本学の教育理念として次の五点が挙げてある。
「キリスト教精神/リベラルアーツ教育/国際精神・異文化理解(英語教育)/女子教育/キャリア形成意識の醸成」
うーむ。
もちろん教育理念に文句があるわけではない。
専任教員が自分を採用してくれた大恩ある大学の教育理念に文句を言ってはことの筋目が通らない。
そうではなくて、「覚えにくいな」と思ったのである。
実際に、よく会議の席で、教育理念のことが話題に上るときに、「本学の教育理念は・・えーと、キリスト教精神と、国際理解と、リベラルーアーツと…あとなんでしたっけ?」(というようなことが管理職のあいだでも口にされることがある)。
そういうときに、みんな顔を見合わせて…「えーと…」と考えているうちに、誰かが「女子教育じゃないですか?」と思い出す。
当たり前すぎて忘れていたのである。
これは問題ではないか。
で、学長レポート冒頭を一読、「教育理念をひとことで覚える」方法を考えることにした。
こういうコピーライティングは私はわりと得意なのである。
キリスト教精神…chiristianity
リベラルアーツ…liberal arts
国際精神…internatinality
女子教育…women’s education
キャリア形成…Career oriented education
というような適当な英語訳をつけておいてから、頭文字のC、L、I、W、Cをじっと眺めて、ただちに一案を得る。
W-CLIC (ダブル・クリック)
おお、これは覚えやすい。
というわけでHPをご覧の本学教職員のみなさん、本学の教育理念って、なんだったけ…と思い出せないときは、マウスを「カチ、カチ」とダブルクリックしてみてください。


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2005年01月14日

自立とは何か

1月14日

基礎ゼミ最後の日。
テーマは「自立とは何か?」
まことに毎回本質的なテーマを振ってくださる学生諸君である。
「自立とは何か」
ということについて、私はこれまで何度もいろいろな機会に語ってきた。
ひとことで言えば、それは「自分がどのような依存関係に含まれているかを俯瞰できる知性を持つ」ということである。
奇妙に聞こえるかも知れないが、「自立」を基礎づけるのは、「自立」という個別的な事実を宣言することではなく、「依存」という包括的な関係を意識することなのである。
「自立していない」存在を考えればすぐにわかる。
幼児は自立していないが、それは自分が「何に依存しているか」をことばにすることができないからだ。
幼児的な大人の場合には、自分が「何に依存しているか」をことばにできる場合もある(「家族」とか「会社」とか「教祖さま」とか「イデオロギー」とか)。
しかし、「幼児的な大人」は、何が「自分に依存しているのか」をことばにしようとする習慣がない。
自分がいることで何が「担保」されているのか、自分は他の人が引き受けないどのような「リスク」を取る用意があるのか、自分は余人を以ては代え難いどのような「よきこと」をこの世界にもたらしうるのか、といった問いを自分に向ける習慣がない。
生きている限り、私たちは無数のものに依存し、同時に無数のものに依存されている。その「絡み合い」の様相を適切に意識できている人のことを私たちは「自立している人」と呼ぶのである。
だから、自立している人は周囲の人々から繰り返し助言を求められ、繰り返し決定権を委ねられ、繰り返しその支援を期待される。
「私は自立している」といくら大声で宣言してみても無意味である。
自立というのは自己評価ではなく、他者からの評価のことだからだ。
部屋代を自分で払っても、自力でご飯をつくっても、パンツを自分で洗っても、助言を求められず、決定権を委ねられず、支援を期待されていない人は、その年齢や社会的立場にかかわらず、「こども」である。
別に私が言っているわけではない。
孔子さまだってそうおっしゃっている。
顔淵と子路が孔子に「先生は何が希望ですか」と尋ねたとき、孔子はこう答えた。
「老者安之、朋友信之、少者懐之」(「老者には安んぜられ、朋友には信じられ、少者には懐かしまれん」)(『論語』、公冶長篇)
二人の愛弟子がそれぞれ「自分は…となりたい」という文型で語ったのに対して、孔子だけはひとり「他者にとって…・となりたい」という文型によって語っている。
「私を定義するのは私ではなく他者である」というのなら、孔子とラカンはほとんど同じことを言っていることになる。

基礎ゼミの期末レポートは「35歳の1月7日の日記」。
大学一年生の少女たちに、いまから16,7年後のある一日の日記を書いていただくのである。
それまでの履歴を簡単に「あらすじ」で書いてもらい、その日何をしたのかを想像してもらう。
レポートというよりは、「短編小説」である。
2022年頃の日本社会がどうなっていて、彼女たち自身はどうなっているのか、いささかの想像力を発揮していただこうと思う。
もちろん、レポートに「正解」があるわけではない。
彼女たちが日本の未来とそこにおける自分の位置をどんなふうに想像しているのか、それを知りたい。
興味深い結果が出たら、このHPでご報告いたします。


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お気楽サラリーマンと「種の延命」について

1月13日

D館に立ち寄ったら、教務課長から、新年度のオフィスの備品について訊かれた。
あ、そうか。
四月から私は事務棟の中のオフィスに「出勤」する身になるのである。
瞬間的に四月をもって「サラリーマン」となることに決意する。
考えてみると、研究、教育活動「に加えて」、学内行政のもろもろの業務を「雑務」として負担させられる…という発想をするから「過労死寸前の教育研究者」というセルフイメージが浮かんで、それがつらいのであって、発想を転換すればよろしいのである。
自分のことを余暇に「研究、教育」をする「行政」職の人間と考えればいいんじゃないか。
そう考えると、学内管理職というのは「めちゃ暇なサラリーマン」である。
だって、適当な重役出勤だし、会議が多いといったって、せいぜい一日二回だし、書類を読んだり、はんこを押したりというような仕事だって、一日1時間もあれば終わってしまう。
それだけすればお給料がもらえて、あとの時間は「好きなこと」(学生を相手にヨタ話をしたり、オフィスのパソコンを使って有料原稿をこりこり書いたりして副業にいそしんだりすること)をしてよいのである。
なんてお気楽なサラリーマンなのであろう。
世のサラリーマン諸氏が聞けば、怒りの余り憤死されるであろうほどなお気楽稼業なのである。
実際にやっていることは「過労死寸前の大学教員」と「死ぬほど暇なサラリーマン」はまったく同じである。
それを「本務」である研究教育以外に一日数時間の「雑務」が過分に課される立場と考えるか、一日数時間「本務」をしたらあとは好きなだけ「趣味」の研究教育をして「遊んでもいい」身の上と考えるか、マインドセットを切り替えるだけで、「不幸な大学教員」は「幸福なサラリーマン」に転換する。
そう考えたら急に気楽になった。
「じゃあ、ノートパソコン買ってね」と教務課長にお願いする。
あと、液晶テレビとオーディオと冷蔵庫と昼寝用ソファーとコーヒーメーカーと観葉植物と青磁の壺とバカラのグラスとジノリのカップとかもね。
秘書もつけてくんないかな。
運転手も、できたら。

「火中の栗」を拾ったら、三砂先生から「やけど見舞い」メールが来た。
フェミニストからの三砂バッシングはなんだか壮絶な様相を呈してきたらしい。
私のように「アンチ・フェミニスト」を公称していて、どう考えてもフェミニズムにとって不愉快きわまりない人物をフェミニストは放置しているのに、三砂先生のような、女性の社会的地位の向上と女性性の意義の再評価を身を以て実践している人にむかって、フェミニストたちからほとんど感情的な攻撃がなされている。
ある研究会に「騙されて」招かれた三砂先生はそこで数名のフェミニストたちから十字砲火的な罵倒にさらされたそうである。
その顛末を語ったことばの中で、私が印象深かったのは、次の一節である。

「30代の若いフェミニストの教条的なやり方(5,6人はいたかな、みんな同じことをい
うので個体識別できない)に疲れました。
『フェミニズムの本にこう書いてあるから、オニババ本のここはおかしい』という反
論ばかりで、彼女たちの声が聞こえないのです。」

どのような政治的主張のものであっても(それが「正しい」政治的主張のものであっても)、私は「教条主義」を好まない。
それは三砂先生が言うとおり教条主義者が「個体識別」できないからである。
私は「個性」「唯一性」というものをたいへんに重んじる人間である。
それは別に理念的な理由からではなく、生物というのは適切な個体差を維持していないと、生存戦略上不利であると、私のDNAが告げるからである。
私がフェミニストに対して一貫して忠告しているのは、「構築主義的奪還論=能力主義的な社会の再編」のスキームでやっていると、最終的にすべての質的な個体差が消失し、ただ「均質なものの間の量的格差」だけが残ることになり、それは私たちのシステムにとって致命的に不利な選択であるということ、ほとんどそれ「だけ」である。
そのことを私は別に父権制や男権主義の立場から申し上げているのではなく、「一個体」として、「人類の延命」を求める立場から申し上げているのである。
しかし、私のこのような主張に対して、フェミニストからなされた唯一のリアクションは「あなたはバカなセクシストなのだから、フェミニストの本をもっと読んで勉強しなさい」というものである。
私が知る限りのフェミニストは「異口同音」にそう私に告げて、悲しげな目をして立ち去って行った(だから、個体識別できない)。
どうして彼女たちとうまく対話の回路がつながらないのか。
それは私の理想とする社会が、「すべての個体がそれぞれ適切に差異化されてエコロジカル・ニッチがばらけた社会」であるのに対して、彼女たちの理想が「全員が同じ目標にむかって邁進し、全員が同じ顔をして、全員が同じことばを唱和する無差異社会」の到来だからかもしれない。


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2005年01月12日

性的マイノリティと性の言説化

1月12日

四回生のゼミは昨年末で終わってしまったので、大学院のゼミだけ。
残り二回となった「アメリカン・スタディーズ」、ラス前の本日のお題は「アメリカ同性愛事情」。
きわめて稠密なレポートであり(カタギさんありがとうね)、同性愛についての修論を書いたばかりのK田くんも参加していたので、ぐっと濃密な演習となった。

誤解を恐れずに言うと(というようなマクラばかり振って私は書いているけれど、これって「できたら誤解してほしい」という私の無意識な欲望が露呈しているのだろうか?)、私は同性愛そのものを「社会的イッシュー」として論じることには興味がない。
まるで、ぜんぜん、興味がない。

私が興味をそそられるのは、「同性愛を社会的イッシューだと思って、熱っぽく議論している人たちはいったい何をしたくてそうしているのか」問題である。
これは大きな社会問題であり、エロスと権力にかかわる重要な論件である。
「指を見るな、月を見よ」
という言葉がある。
しかし、この問題については私はむしろ「月を見るな、指を見よ」という立場にある。
同性愛という論件「そのもの」に私は興味がなく、同性愛を論じることによって、論じている「その人」は、いったい自身のどのような「欲望」を達成しようとしているのか、どのような「空虚」を埋めようとしているのか、どのような「基盤」を構築しようとしているのか、それなら興味がある。

というのは、同性愛というもの自体は定義不能のものだからである。
人間の性的欲望は多形倒錯的であり、人間はどんなものにでもエロティックな欲望を感じることのできる、きわめて間口の広い生物である。
だから、同性に対する私たちの欲望もアナログなグラデーションを形成している。
権力関係は容易にエロス的なものに転化するし、師弟関係は容易にエロス的なものに転化するし、友情は容易にエロス的なものに転化するし、治療者と患者の関係は容易にエロス的なものに転化する。
というか、権力関係や師弟関係や分析関係や友情はエロス的な欲動をビルトインしていなければ、そもそも機能しない。
アメリカの医学会が制定している診断基準であるDSMが同性愛を精神障害の項目からはずしたのはもう20年も前のことだが、どこからどこまでが同性愛的ふるまいで、どこからどこまでが正常な同性間の友情やスキンシップであるのかを識別できる客観的的基準が存在しない以上、「異常」というカテゴリーを維持すること自体不可能なのだ。
「ブラザーフッド」「シスターフッド」と「ゲイ」「レズビアン」の間の「どこ」に明晰判明な境界線があるかについて客観的判定を下せる人間など、どこにもいない。
それは「午後5時31分の黄昏」と「午後5時32分の黄昏」のあいだの空の色調の違いのようなものであり、その間に有意な差別を設定することに、どんな意味があるのか、私にはわからない。おそらく何の意味もないだろう。

しかし、にもかかわらず同性愛や性的マイノリティについて論じているテクストの数は膨大であり、むしろ日に日にそれは増大しつつあるように思われる。
ホモセクシュアル、レズビアン、ゲイ、バイ・セクシュアル、トランスヴェスティズム、アンドロギュノス、性同一性障害、クイアー…と性的マイノリティにかかわる用語はどんどんふえる。
私にわかるのは、少なくともこれらの理説を説く人々全員が「性的嗜癖や性的行動のカテゴリーをできるだけ細分化し、詳細に報告することに対する義務感」を共有しているということである。

これは何かに似ている。
そう、フーコーが『知への意志』で解明してみせた、「近代性科学のあくなき分類への欲望」によく似ている。
『知への意志』の中でフーコーはたしかこう書いていた。

「本質的なことは、権力の行使の場における、性についての言説の増大である。性について語ることを、そしていよいよ多くを語ることを、制度が煽り立てる。権力の諸決定機関の場では、性について人が語るのを執拗に聴こうとし、権力自らが乗りだして来て、性について、はっきり口に出して言われた表現と、際限もなく累積してゆく詳細という形で、執拗に語らせようとするのだ。」

フーコーの『性の歴史』は性的マイノリティ研究者必読の「マスト・アイテム」である。
フーコーに言及していない理論書は存在しないといっても過言でない。
にもかかわらず、フーコーに準拠しているはずの当の理論書は、フーコーが「近代の病症」として鮮やかに剔抉した「自分自身に対し、他者に対し、しかもできるだけ頻繁にそれを言うという、ほとんど際限のない務め」としての「性の言説化」を聖務日課のように忠実に繰り返しているのである。

「自分の欲望を、自分のすべての欲望を、言説にしようと務めるべし」

フーコーによれば、それが近代の知/権力の本質的命令である。
そして、私の眼には、性的マイノリティに関する理論家たちは、ほとんど例外なしに、この「近代の知/権力の本質的命令」に従っているように見える。
性に権力がかかわるとき、それは必ず「性の言説化」というかたちをとる。
だとすれば、常識的に考えると、おのれの性的主体性に知/権力に関与させることを望まない人は「性については語らない」という仕方で性的な自由を確保しようとするはずである。
違うだろうか?
しかし、驚くべきことに、「権力との戦い」を呼号する社会理論家の中には、自分の性的嗜癖や性的行動を赤裸々に「告白する」ことを、「反権力的・秩序紊乱的」なふるまいだと信じている方が少なくない(「誰」とは言わないが)。
どうして、フーコーを読んだあとになおそのようなイージーな性の言説化が「反権力的」でありうると考えていられるのか、私には理由がよくわからない(ひとつだけ思い当たる理由があるが、それを言うと角が立つから言わない)。

私はゲイ解放とか同性婚とかクイアに市民権をといった議論をしている方々が、善意で無垢な人々であることに喜んで同意する。
けれども、その人たちのリテラシーや警戒心にはあまり高い評点を与えることができない。
性的マイノリティーがカミングアウトを通じて「市民的認知」を求めることは「政治的に正しいこと」としてされて、久しく勧奨されている。
どうしてそれが「よきこと」として勧奨されるのかも、私にはよく理由がわからない。

私はすべての人間は性的にユニークであり、マジョリティであれマイノリティであれ、集団的な定型に回収することは原理的に不可能だと考えている。

「性的マイノリティ」というのは社会集団であり、社会集団である以上、その成員に集団に固有の定型的なふるまい、定型的な感受性、定型的な思考、定型的な語法を要求する。
そのような定型に容易になじむことができ、嗜癖を共にする仲間たちと手を携えてパレードできる人間を「個性的」と見なす習慣は私にはない。

個性というのは、個人のうちにあって、誰にも理解されず、誰にも共感されないファクターのことである。
私はそう理解している。
私自身は私固有な性的嗜癖がひろく世間のみなさまに理解されたり、共感されたりすることを期待していないし、望んでもいない。
「私のことは放っておいてほしい」ということが私の性的嗜癖にかかわる唯一の社会的要請である。

もし私たちに性的主体性=性的自由の可能性があるとしたら、それは言説化される以前の「星雲状態のアモルファスな欲動」を渦動している状態のままに維持することにしかないだろう。
そして、そのようなものについて、他者からの共感や公的認知は原理的にあり得るはずがないのである。

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2005年01月11日

お気楽物書き稼業

1月11日

一昨日の日記のTBに「プロの物書きなら指定された尺に収めるのも芸のうちではないか」というご指摘がなされた。
まったくご指摘のとおりである。
ただ、ひとつご指摘に添えないことがある。
私は「プロの物書き」ではないということである。
私は大学の教師であって、ものを書くのは私の「趣味」である。
ふざけたことを言うな、原稿を書いて原稿料をもらい、本を出して印税を受け取るならプロの物書きだろうというご意見もあるかもしれないが、本人がそう思っていないんだから仕方がない。
私は原稿料を貰って書いた原稿の100倍くらいの量の原稿をこのHP上で無料公開している。
そもそも私の書いた有料テクストのほとんどは今でも(スクロールの手間さえ惜しまなければ)無料で読める。
書きますと約束した本を、「やっぱりめんどくさいから、書きません」と平気で言うし、7年かかって翻訳した本が翻訳権取り忘れたので出せませんと言われれば、「あらま」と泣き寝入りする。
とても「プロの物書き」などと言えない。
私はただの「お気楽な趣味の物書き」である。
そんな気楽な立場があるものかと言われても、「お気楽な趣味の物書き」になりたいとずっと思っていて、さまざまな努力を重ねたすえに、ようやく勝ち得たこのポジションである。「お気楽な立場」に立つための「それなりの努力」という対価を払っているんだから、その点はぜひともご了察願わなくてはならない。

だったら、どうして書いたものに有料頒布することに同意するのかというご意見もあるかもしれない。
でも、それは理由がある。
「人は無料で読めるテクストより課金されたテクストの方を真剣に読む」という経験則があるからである。
私は自分の言いたいことをできるだけ多くの人に(できれば真剣に)読んで欲しいと願っている。だから、課金したいという出版社からの申し出には、「あ、どうぞ」と応じているのである。

前にコピーライツとかオーサーシップというような近代的な概念は嫌いだと書いたら、「プロの物書き」という人から大学の教師風情がふざけたことを言うなというおしかりを受けた。
しかし、私自身の書き物のほとんど全部は先人からの「受け売り」であり、私が用いている日本語はすべて先人たちが営々として構築したものをお借りしている。
そのような作物に「知的所有権」を請求するようなことは、私にははばかられる。
私が印税などとしていただいているのは、いわば「受け売り」の手間賃、「ダイジェスト」のバイト代である。
だから、私の本やHPのテクストを誰かが切り貼りして本にして、その人の名前で出しても、その方に「受け売りの手間賃」の請求権があって当然だろうと思う(とずっと言っているのだけれど、誰もやってくれない…)

私は「ものを書くとはどういうことか」ということを高校生の頃から集中的に考えてきた。
その点について言えば、私は「ものを書くとはどういうことか問題」の専門家であると自負している。
その30年余の試行錯誤の結論が、「みんな、好きに書けばいいんじゃないの」というものである。
私は私の好きなようなやりかたで書き、みなさんはみなさんの好きなようなやりかたで書く。
読みたい人は読み、読みたくない人は読まない。
それがものを書く人にとっても、読み手にとっても、書かれるテクストにとっても、いちばん幸福な条件であると私は信じている。

といいながら、いきなり前言撤回するようで気が引けるけれど、私も字数指定が動かせないという原稿はきちんと字数通りに書いている。
そんなこと別に少しもむずかしいことではないからだ。
現に、日本中のメディアに毎日掲載されているテクストのほとんどは、書き手がプロであるかアマチュアであるかを問わず、字数指定の中で書かれている。
しかし、たまには字数指定を超えてでも、これだけは書いておかなければならないという気がすることもある。
一昨日はなにしろ相手が相手だから、そういう気がしたのである。
どうかご関係各位にはご海容を願いたいものである。


投稿者 uchida : 21:53 | コメント (0) | トラックバック

『オニババ』論争の火中に栗を拾う

1月10日

成人の日らしい。
TVのニュースでは、新成人たちが酒を飲んで暴れている風景ばかり映る。
でも、これって、メディアがそういう絵を喜んで放映するせいで、あたまの悪い子供たちが、「こういうことをすればTVに映る」と思って、意図的にやっていることなんじゃないかな。
だって現場のカメラマンは「そういう絵」を虎視眈々と狙っているんだから。
そして、日本の子供たちは、メディアの「期待」に応えて、「欲しい絵」を提供することにかけては、ほんとうに訓練が徹底している。
感動的なほど。
西宮戎の「福男」レースについても同じことを感じたけど。

『論座』という雑誌に田中美津さんという人が「徹底批判『オニババ化する女たち』」という論を寄せていると広告があったので、「帯文」を書いた責任もあるので、さっそく買って読んでみる。
批判が生産的であるためには、いろいろな条件が要る。
だが、その条件を満たしているような批判を書く人はあまり(ほとんど)いない。
だから、私はふつう「批判」というものは読まない。私に対してなされている批判は特に読まない。
しかし、今回は、他ならぬ三砂先生が当事者なので読まないわけにはゆかない。

読んで第一に思ったのは、田中美津さんの言っていることと三砂先生の考えは根本的なところでは違わないのではないか、ということだった。
女性の社会的立場に配慮しよう、身体性やエロスの問題をみつめなおそう、ということをこの人も書いている。
私もその意見には賛成である。
そももそも反対される人はどこにもいないだろう。
ということは、「徹底批判」を導く分岐点はそのような明示的な論理の準位にはない、ということである。
おそらくこの問題を語るときの「立ち位置」が、三砂先生と田中美津さんは違うのだろうと私は思った。
三砂先生の核心にあるのは、西宮の同和地区に隣接する場所で小学校時代を送ったときの経験だろうと私は思っている。
少女だった三砂先生は「貧困」と「差別」がもたらすマイナスのエネルギーに対しては市民的な「共感」や「同情」では太刀打ちできないということを思い知ったという話をご本人からうかがったことがある。
悲しみや怒りや屈辱感や恨みといったネガティヴな感情が強烈な大気圧を形成している空間や人間関係というものこの世にはある。
そのような場の圧力に拮抗しようとするときに、同情や共感や憐憫はほとんど無力である。
そのときに、少女だった三砂先生が選んだのは「全力をあげて愉快に生きる」という道だったのではないかと私は想像している。
はじけるような笑い声をもってしかはね返すことのできない種類の暗がりや瘴気というものがある。
私がはじめて三砂先生と会ったときに、「この人とは友だちになれそうだ」と思ったのは、その「何があっても、絶対に愉快に生きる」という強靱な生存戦略に敬意と共感を覚えたからである。

両者の対立点が比較的はっきりしている箇所を一つ引用してみる。
「そりゃ誰だって、女として幸せに生きていきたい。でもその実現はリプロダクティヴのヘルスだけでは難しい。ライツ(権利)の視点が必要なのよ。三砂さんにはそこが決定的に欠けている。
 ライツの視点がないということは、社会性に欠けるということです。だから、若いうちに結婚し、出産し、細々と働きながら子育てをして、四十五歳くらいに社会復帰すればいい、そうすれば『近代産業社会にとっても、非常に貢献できることです』なんて言える。夫ひとりの稼ぎでは生活できない現実や、四十五歳で再就職する困難が、彼女にはわからない。」
三砂先生の思想に「権利の視点がない」という指摘はある意味では正しいと思う。
三砂先生は出産育児を「生む権利」や「生む社会的責務」というような政治的スキームでとらえる限り、出産育児という経験のもっている本質的な豊かさは逸されるだろうということを、ずっと説いてきているからだ。
一方、ここで田中美津さんが言っている「権利」というのは、挙げている事例(「夫の稼ぎ」と「再就職の機会」)から見る限り、「ほんらい自分に帰属すべき(=収奪されている)社会的リソースを奪還すること」という古典的な「奪還論」の枠内にとどまっている。
けれども、奪還論的立場からそのような「権利」(平たく言えば「金」と「地位」のことだ)を優先的に配慮している限り、女はあまり幸福になれないのではないか、ということが三砂先生がくりかえし主張してきたことであり、この本を書かせたいちばん大きな動機ではないのかと私は思う。

それより、いまの引用で私が興味を惹かれたのは「細々と」という副詞と、「四十五歳」という名詞の強烈なコノテーションである。
イデオロギーは比喩のレベルに現れる。
この文章の書き手は「子育て」する女性には「細々とした」労働だけしか許されず、「四十五歳」の女は、社会的にも(エロス的にも)価値がないという臆断をほぼそのままに受け容れている。
彼女が打ち倒すべき社会矛盾は「そこにある」からである。
これまでも何度も書いてきたことだが、戦う人間は、「敵」を必要とする。
その戦う対象がどのような挑戦をも退ける無敵の「悪」であることが戦う人間のモチベーションを高めるからだ。
だから、戦う人間は皮肉なことに、いつしかその「敵」の延命を望むようになる。
奪還論的フェミニズムの立場に立つ論者は、必ず「育児出産は苦役であり、加齢は女の社会的価値を減殺し、市場経済のなかで人々が争奪し合っている財貨やサービスは善きものである」とするドミナントなイデオロギーに、すすんで同意署名してしまう。
これは論理の経済が要請することであって、個々の論者の知性や徳性とはかかわりがない。

誤解してほしくないが、私は奪還論が間違いだと言っているのではない。
そのような論理構成によってしかクリアーできない社会的難局があるということを私は理解できる。
しかし、そのような論理をもってしてはクリアーできない論件もある。
出産や育児や総じてエロスにかかわる諸問題は奪還論にはなじまない。
私はそう思うし、三砂先生もそのことをこれまで主張してきているのだと私は理解している。

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2005年01月10日

水の中の池上少年

1月9日

急ぎの原稿が二つある。
橋本治さんの『蝶のゆくえ』の書評。図書新聞に1600−2000字。
甲野善紀先生+田中聡さんの『身体から革命を起こす』の書評が1800字。
とりあえず一日締め切りが早い橋本先生の書評からさらさらと書き出す。
高橋源一郎さんの「明治の速度」という考え方にインスパイアされたので、「橋本治の速度」というテーマでさくさく書いてゆく。
調子に乗りすぎたらしく、字数を数えたら3600字もあった。
どうしよう。
削れといわれても…
えいとそのままメールで送稿して、「長くなりすぎたので、活字を小さくして、隅っこに載せてください」とお願いする。
HP日記に字数制限なしで好き放題なことを書いているうちに、書くものが節度なく長くなるようになってきた。
だから、『文學界』の連載も『ミーツ』の連載も、引き受けるときの条件は「字数制限なし」である。
態度悪いとは思うけれど、書き出すとどうにも止まらないのである。

夕方になったので、芦屋川畔のベリーニにでかける。
芦屋で池上六朗先生の三軸講習会があって、三宅先生にその打ち上げにお招き頂いたのである。
講習会に出ないで、ご飯だけ食べに行くというのもどうかと思うが、池上先生と会えると思うとついわくわくしてでかけてしまう。
池上先生ご夫妻、三宅先生ご一家に赤羽さん、花谷さん(前回の温泉旅行で「ハナちゃんと呼ばれる若者」とご紹介したの方)、そして福原さん。
会うといきなりプレゼントをくださる。
細長い紙箱である。
なんだろう…と思ってあけたら「尺八リコーダー」であった。
先生の猛追を逃れることは誰にも許されないのである。
ベリーニの久保さんはご病気で入院中とのこと。あの賑やかなおしゃべりが聴けないとちょっと寂しい。
でも、ベリーニのイタリアンは相変わらず美味しい。ぱくぱく食べて、ワインを注がれるままにくいくい飲み、談論風発。
池上先生に先日橋本治さんとした、子供時代の「快感記憶」が以後のすべてのレフェランスになるという話をして、「池上先生にとっての快感記憶の原点は少年時代のどこかで『水の中にいたとき』ではないですか?」という質問を向けてみると、これがみごとにビンゴ。
三軸修正法がどうして「水」のメタファーで満たされているのか、どうして正月に必ず小笠原へ治療者たちを連れて行って「水の中」に潜らせるのか、その理由が腑に落ちた。
三軸の「理想的身体」は、暖かい水の中に浸かって、信州の真夏の青空を見上げている池上少年の「あー、気持ちがいいなあ」経験が原点だったのである。

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拡大疑似家族宴会

1月8日

合気道の鏡開き。
まず家のお掃除をしてから、買い出しにでかけて「ぜんざい」を作る。
家で宴会をやることのよい点は、時間や人数を気にせず、美味しいご飯をたべて、美味しいお酒がのめることと、宴会前に掃除をするので、定期的に家がきれいになることである。
困るのは生ゴミと空き瓶が大量に出るので、次のゴミ出しの日にひいひい言うことである。
小豆とこしあんを煮て、ちゃっちゃっと「ぜんざい」を作る。
お餅は新潟のクスミ先輩から、新米コシヒカリのお餅をどっさり頂いたのがある。
あと、納会で食べ残した「パルマの生ハム4キロ」が冷凍してあるので、それを解凍する。
準備オッケー。
二週間ぶりのお稽古である。
今日は浜松のスーさんが寺田さんのお弟子さん三人を連れて遊びに来てくれた。
寺田さんは私の自由が丘道場の兄弟子である北総合気会の山田博信師範のお弟子さんであるから、私にしてみると「姪弟子」にあたる。
スーさんたちはその「姪弟子」のお弟子さんであるが、昇段級審査は山田師範がなされているので、「まわり盃」的に言うと「叔父-甥」の関係になる。だから、うちの部員たちとは「従姉弟」同士である。
武道の同門関係というのは「疑似家族」なのである。
30人近い「大家族」が集まって宴会をするということは、現代ではもうほとんどありえないことであるけれども、こういう伝統的な技芸の世界ではちゃんと残っている。そして、そのような集まりをみんなとても大切にしているし、必要としているように私には思われる。

家族の宴会なので、当然話は「Oいちゃん、いくつんなったね」「六ですよ。センセイ、いい人紹介してください」「Uコガくん、君んとこにいい人いないかねえ」「Kギはどうですか」「ああ、彼はいいねえ」・・・というような小津安二郎の『彼岸花』や『秋日和』のような会話が悠然と行われる(文中の人名は実在の人物とは関係ありません)

だいぶお酒が回ってきたところで、早稲田合気道会の伝統芸「アブラハム」の振り付けを去年の九段会館のビアパーティで見覚えたという見取りにすぐれた人々によって「アブラハム」の初公開が行われる。
「アブラハムにーは、七人の子、ひとりはのっぽで、あとはちび」
と歌いながら手足首をばたばたさせるという梶浦さんの至芸である。
これをウッキー、かなぴょん、岸田さん、くー、おいちゃんがくるくるまわりながら演じてくれたので、全員腹を抱えて笑う。
ぜひ今年の五月の九段会館では早稲田とジョイントで女学院の「アブラハム」を披露していただきたいものである。


北海道新聞からさらさら書いたエッセーが掲載された日の新聞を送ってきた。
北海道以外では読んだ人があまりいないだろう。こんなことを書いた。

「時代相2005年」 「失われた教養」は再構築できるか?

 間違えている人が多いけれど、「雑学」と「教養」は違う。いずれも基礎となるのが情報であることに変わりはない。けれども、情報の処理の仕方が「雑学」と「教養」では違う。  
「雑学」とは、「どんな知識や情報を所有しているか」が問われる「事実の問題」であり、「教養」とは自分が所有している知識や情報は「どうすれば人の役に立つか」を自らに問う「遂行の問題」だからである。
 今、「学力低下」や「教養崩壊」が私たちの社会の最弱の環であり、それが社会の知的インフラを根本から揺るがしかねない状態になっており、教養の再構築が喫緊の国民的課題であるいう判断に異論のある人はいない。けれども、そのとき「教養の再構築」の処方として諸賢がメディアで提言されているのははたして本当の意味での「教養」なのだろうか。私は懐疑的である。
 日本の教育はひさしく機能的分化を推し進めてきた。それは専門家が自分の専門のことだけに資源を集中するという、ある意味では効率のよい「分業」のことである。俚諺に言う「餅は餅屋」ということだ。
 だが、近年この分業が分業として機能しなくなってきた。
 当たり前のことだが、分業が成り立つのは、部分を担当している人間が全体の中のどのパーツを担当しているか知っているからである。専門家が社会的に有用なのは、自分が何の専門家であるかを非専門家に理解させることができる限りにおいてである。
 「餅屋」が「餅屋」として機能するのは、自分の売っている「餅」がどのような生態系の中で栽培可能となり、どのような農業形式で収穫され、どのような経路で流通し、どのようなレシピで料理され、どのような儀礼的伝統的食材として用いられているかを熟知しているからである。「餅」の材料にも生産様式にも流通経路にも人類学的意味にも興味のない「餅屋」は餅屋としては機能しない。
 だが、いまどきの「餅屋」は餅の分子構成や市場における「パン屋」との競合についてはたいへん詳しいのだが、どうして「餅屋」という専門業態がこの社会に存在し、それが他のどのような人間的活動と連携して、社会機構のうちでどのような機能を担っているのかを言うことにはほとんど興味を示さない。
 何のために警察があるのか、何のために第三セクターがあるのか、何のために病院があるのか、何のために政党があるのか、何のために国営放送があるのか。そういう基本的なことを非専門家に説明することのできない専門家に私たちの時代は事欠かない。
 自分の専門性の社会的意義を非専門家に理解させることができない人間とは要するに「自分自身と自分の隣の人間」しか見ていない人間である。隣の会社、隣の政党、隣の省庁、隣の研究室…との隣接性に基づいてしか自分を位置づけられないこと。私はこのような無知のあり方を「教養がない」と呼ぶのである。
 たしかにこれらの人々は専門にかかわる知識や技術にはたいへんお詳しい。けれども、それは所詮「雑学」にすぎないと私は思う。自分が何を知っており、何が出来るかは言えるが、それらの知識や職能が、それを持たない人々、それを知らない人々にとって「何の役に立つのか」を言うことができない。あるいはその説明責任そのものを感じていないなら、そんな人間には「専門家」を名乗る資格はないと私は思う。
 教養の再構築とは、別に新たに何かの知識や技術を身に付けることではない。そうではなくて、自分の持っている知識や技術が「他の人たち」にとって何の意味をもつのかと自問する習慣を持つこと、ただそれだけのことである。そう問う習慣を持つ人を私は「教養人」と見なしたいと思う。その人がかりに中学生であっても、「中学生がこの社会において担うべき役割は何か?中学生にしか出来ない仕事とは何か?それは他の人たちにいかなる『善きこと』をもたらしうるのか?」を自問する知性があれば、すでに堂々たる教養人であると私は思う。

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2005年01月08日

コミュニケーション論二題

1月7日

大学が始まる。
初日は1年生の基礎ゼミ。
今日のお題は「嫌いな人とのつきあい方」について。
嫌いな人とは付き合わない、というのが私から学生諸君へのアドバイスである。
つねづね申し上げていることだが、そばにいるだけで疲れる人、こちらの生命エネルギーが枯渇してくる人というがたしかに存在する。
そのような人間とも「共に生きる」というのはなかなか立派な心がけであるが、「共に」というのにはかなり解釈の幅があるわけで、必ずしも「べったり一緒に」という意味ではない。適正な距離を置き、できるだけかかわりにならない「共に」というのもだって「あり」だと私は思う。
「鬼神は敬してこれを遠ざく」と孔子先生も教えているとおりである。
おのれの力量をわきまえ、限られたリソースを配分する優先順位をよくよく考え、その中でのベスト・パフォーマンスをどうやって達成するか、それを考えるのが人間の仕事である。
「できないこと」をやろうとしても仕方がない。
「嫌いな人間とつきあう」というのは「できないこと」の一つである。
それを無理矢理やろうとすると、どこかに破綻が生じる。
それほどドラマティックな破綻ではない。
「嫌いな人間」を我慢して、「この人にもそれなりにいいところがあるんだ」とか、「嫌いな人間を我慢して受け容れることが人間の度量なんだ」とか自分に言い聞かせ続けていると、「何かを嫌う」という感受性の回路が機能を停止する。
だって、我慢している状態を「我慢している」と絶えず主題的に意識していたら、つらくて心身が持たないからだ。
これは我慢ではない。私は平気だ。私は何も感じない。
そうやって自分自身を騙すことなしには、我慢は続かない。
だが、恐怖と嫌悪は生物の生存戦略上の利器である。
「嫌う」回路をオフにするということは、コミュニケーション感受性をオフにするということであり、それは思っている以上にリスキーな選択である。
環境から発信される無数のシグナルのうちから「恐れるべきもの」「厭うべきもの」をいちはやく感知することで、生物は生き延びているからである。
その回路をみずから進んで機能停止にするということは、リスクにたいするセンサーを「捨てる」ということであり、生物学的には「自殺」に等しい。
「我慢する人」は、日々のコミュニケーションの中で行き来する非言語的シグナルの多くを受信できなくなる。
「こんにちは」という挨拶ひとつでも、それが儀礼的なものなのか、愛情や敬意のこもったものなのか、憎悪を蔵したものなのか…それを表情や速度や発声や姿勢から見分けることができなくなる。
「話の通じないやつ」「場の読めないやつ」というのは、要するにコミュニケーション感度の低い人間ということなのである。
コミュニケーション感度は生得的なものではない。
人は「イヤな仕事、嫌いな人間、不快な空間」を「我慢する」ために、みずから感度を下げるのである。
だから、「嫌いな人」と付き合ってはいけない。
じゃあ、好きな人とばかり付き合えばいいのか、気の合う人間とだけつるんでいればいいのか、そんな手抜きな生き方をしていて、人間的成長や他者への共感や想像力は育つのか…といきりたつ方がいるかもしれない。
それは短見というものである。
「気の合う人間」なんて存在しない。
「好きな人」なんて幻想でしかない。
これもまたあなたの生物学的なコミュニケーション感受性が選別している「コミュニケーション資源を優先配分した場合、リターンが比較的確実であると見込まれる個体」というにすぎない。
感度の悪いラジオで地球の裏側の短波放送を拾おうとしても無理である。
そんなことに四苦八苦するくらいなら、きちんと受信できる近場の情報に耳を傾けて、そこから世界の成り立ちと、自分の立ち位置を測定する方が賢明である。
そして人間は、機械と違って、適切な送受信を繰り返すうちに、感度も出力も上がる「自己組織化するラジオ」なのである。
若者たちは、まずクリアカットでロジカルで音楽的なメッセージを聴き取ることから始める。
ノイズを解析するのは、その次の、もっと大人になってからの仕事である。

午後、研究室に英文の新任のK先生をお迎えして第三者委員として面接をする。
人事教授会では専門委員が候補者の業績を紹介し、もう一人他学科の教員が第三者委員が候補者の人格についてコメントするのであることになっている。
私はこの第三者委員をよく頼まれる。
たぶん初対面の人ともすぐうち解けて、おしゃべりが苦にならない、という性格を見破られているのであろう。
K先生は翻訳・通訳プログラムの中心メンバーのひとりとしての採用予定である。
アメリカと日本で、翻訳会社をやっていたこともあるというので、それなら私のご同業である。話の接ぎ穂に困ることはない。
さっそく日米翻訳事情から始まって、英語教育の問題、カリキュラムのこと、女学院生の語学力、現代アメリカ新語事情など、興味深い話をたくさんうかがう。
30分ほどのつもりだったが、あまりにお話が面白いので、1時間以上あれこれうかがってしまった。
K先生はアカデミックな教育研究経験とビジネスの経験と両方バランスよく持っておられて、こういう先生はレアである。
だから、話が矛盾する。
変な話だが、「現場にいる」人の話は必ずどこかで矛盾をきたすのである。
それは現場そのものが矛盾しているから当たり前のことなのである。
話がすっきりしている人間というのは、現実と離れたところで理屈をこねまわしている人間である。
K先生の話はふたつの点で印象深い矛盾を語っていた。
一つは英語の変化ということ。
英語はたいへんな勢いで変化している。アメリカ英語もどんどん変っているし、イギリス英語、オーストラリア英語、アジア英語との乖離も深まりつつある。
その変化は変化として受け容れなければならない。
しかし、「標準的な英語」というものもまた存在しなければならない。
これはある種の幻想的な消失点である。
けれども、標準的な英語、誰が聞いてもロジカルに理解でき、誰が聞いてもそのアクセントやイントネーションに不快感を覚えないような「中立的英語」というものがありうるという信念がなければ、英語教育はたぶん成立しない。

もうひとつの矛盾は表現の適切性ということ。
学生にスピーチをさせると、いちばん印象的なのは「敬語」が使えないということだそうである。
パブリックスピーチの場合は、英語でするときも冒頭には「本日はこのような場で意見を発表する機会を与えて頂きましてありがとうございます。しばらくお耳を拝借して、私見の一端を述べさせて頂きます」というような定型的な挨拶をする。当然のことである。
だが、K先生のスピーチクラスで去年一年間、スピーチの冒頭で「挨拶」をした学生は一人もいなかったそうである。
would could should といった助動詞を使った「あいまいな表現」ももちろんできない。
「英語というのはきっぱりと言いたいことを言い切る言語である」ということをおそらく幼児期から教え込まれていて、「英語話者も人間である」ということを教え忘れたことの結果なのであろう。
コミュニケーションというのは、語り手が「言いたいことを言う」ためのものではない。
メッセージを送った聴き手に「何かのリアクションを起こさせる」ためのものである。
言いたいことをきっぱり言ったせいでことが紛糾するということがあるし、あいまいにぼかしたせいで、話が前に進むということもある。
問題はコミュニケーションに投じる資源のコストパフォーマンスである。
「敬語」はコミュニケーションのコストパフォーマンスを飛躍的に向上させる利器である。
だが、そのことを学校の英語教育では教えない。
言いたいことをきっぱり言い切らないことによって、してほしいことをしてもらう。
そんなことは大人の世界では当たり前のことだが、教育プログラムとしてこれを具体化するとなると、ほとんど不可能なのである。

K先生のお話はとてもリアルで、そして矛盾していた。
ああ、この人は「現場の人」なんだ、生身の人間を相手にしている人なんだということが私は深く腑に落ちたのである。
奇妙にきこえるかもしれないが、すっきりした命題からよりも、「言っていることが矛盾している人の言葉」からの方が私たちは多くのことを学ぶことができるのである。


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2005年01月06日

韓流ドラマの作り方

1月6日

母、兄と三人で箱根湯本の吉池に湯治に出かける。
父の在世中からの正月行事で、るんちゃんが小さい頃からのことだから、もうかれこれ15年ほど続いているはずである。
るんちゃんや甥たちが来なくなり、父が世を去り、この三年ほどは母、兄、私の三人だけの旅行である。
町田からロマンスカーで湯本まで50分ほど。そこから徒歩五分ほどのところに旅館がある。
前回は兄上、平川君、石川君との「極楽麻雀&60年代ポップスツァー」二泊三日というものを去年の夏にここでやった。
半年ぶりに、今度は冬枯れの箱根の山を眺めながら露天風呂に浸かる。
ご飯を食べ、お酒を酌み交わし、風呂に入り、よしなしおしゃべりに時を忘れる。
今回の話題は「韓流TVドラマ」。
兄は、たいへんにコアな「韓流TVドラマ」ウォッチャーである。
兄によると、韓国のTVドラマの特徴はとにかく「長い」ということに尽きるのだそうである。
なにしろ1回70分で全66回などという途方もない長さなのである。
韓流ドラマにはまる奥様たちというのは、借りてきたDVDを家族がでかけた午前中から見始めて、昼に一服、その後再び夕方まで見続け、家族が帰ってくる時間に渋々腰を上げ、あとはひたすら翌日の来るのを待つ…というような生活を数週間にわたって継続したあげくに、日常生活の出来事よりもTVドラマの中の出来事の方が濃密なリアリティを獲得する、という倒錯に陥り、もうそこから出られなくなってしまう…というのが兄の見解である。
これはネットゲームにはまって、日常生活のあれこれよりもヴァーチャルな世界の出来事を処理することの方が優先順位が高くなってしまう倒錯とよく似ている。
ネットゲーマー100万人が韓国で社会問題になったのはつい先日の話である。
あるいは隣国では、マダムたちがドラマにはまり、子どもたちがネットゲームにはまる…というかたちで、国民を挙げて「アディクト」されているのかもしれない。
で、韓国のお父さんたちは、何にアディクトしているんだろう。

兄によると韓流ドラマの定型的ドラマツルギーは
(1) 身分違いの恋
(2) 逆らうことの出来ない親の権威
(3) 白血病
(4) 記憶喪失
の4ポイントだそうである。
これだけおさえておけばオッケーらしい。
さらに兄の説では、このすべてが現代日本では失われてしまった、というのが日本のTVドラマ不振の理由である。
たしかに、わが国にはもう「身分違いの恋」などというものは絶えて聞かない。
「親の権威」は地に墜ちて久しい。
「白血病」や「癌」はかろうじてドラマに残されているが、「記憶喪失」は物語の伏線としてならともかく、こんがらがった物語を決着させる「デウス・エクス・マキーナ」として使うのは禁じ手である。
となると、たしかに日本のTVの恋愛ドラマが面白いはずはない。
だって、それは「波瀾万丈の恋が艱難辛苦を乗り越えて成就するまで」のどきどきするプロセスをまるっと抜いて、「もうくっついちゃった男女が、そのあと浮気したり、裏切ったり、嫉妬したり、疑ったりする話」なんだから。
つまり、高橋源一郎さん風に言えば、韓流ドラマは『野菊の墓』で、日本のドラマは『それから』や『こゝろ』だということである。
「恋が悲劇的に終わるまで」の話と、「悲劇的クライマックスの後に続く平凡で退屈な日々」の話とじゃ、たしかに勝負にならない。
『こゝろ』を小林薫(先生)と寺島しのぶ(奥さん)と岡田准一(私)で連続ドラマにしたら、あなた見ます?
私は見ちゃうけど…

一泊して、箱根でさらに三婆湯治の旅を続けるという母を残して、小田原から新幹線で五日ぶりに芦屋に戻る。
車中で晶文社の安藤さんから送ってもらった仲俣暁生『極西文学論』を読む。
ポスト村上春樹世代を代表する舞城王太郎、吉田修一、阿部和重、保坂和志、星野智幸の五人の作家を論じたもの。
私はこの五人の小説をまるで読んでないが(いちど書評を頼まれて、その中の一冊だけ読んだことがある)、日本の現代文学をロックやビートニク文学やドイツ映画などとリンクさせて、その世界史的なポジションを浮かび上がらせるという構想は「教養」主義的で好きである。
ただ、「ポスト村上」という枠組みの意味が私にはよくわからない。
前にも書いたけれど、私は歴史の審判力というものを信じていないので、「ポストなんとか」という枠組みでものを考える習慣がない。
人文科学に関して言えば、後から来たものは、たいていの場合、たまたま後から来ただけであって、原理的に先行者よりも優れているということはない。
百年前の作品であろうと昨日の作物であろうと、いいものはいいし、ジャンクはジャンクである。
どんな歴史的制約があっても、時代の枠組みを超える人は超えるし、超えない人は超えない。
仲俣さんの本は次のような結論で終わっている。
もちろん私にも何の異論もない。

いま私たちが立っているところが「アメリカ」なのか、「日本」なのか、それとも「J国」なのか、そんなことはどうでもいい。少なくとも、私たちは具体的なここに立っている。もし生きている人間がどこであれ足場をもっているなら、その場所がいかに弱い土壌に見えようとも、そこが言葉を植えるには値しない場所であるなどと誰にも言うことはできない。
私たちの足元には土地があるのだが、植えられる言葉だけがまだ足りない。私たちがいちばん必要としているのは、どんな土壌でも葉を伸ばしていけるような、強い強い言葉なのである。(229頁)

ただし、このとき仲俣さんが考えている「強い言葉」と私が思い浮かべる「強い言葉」はずいぶん肌合いの違うものではないかという気がする。
私がこの一週間のあいだに読んだ、いちばん「強い言葉」は次のようなものである。

予や年初めて十八、贄を先生の門に執る。今に及んで十余年、其教養撫育の恩深く心肝に命ず。而して未だ万一の報ずる有らず、早く死別の悲みに遭ふ。遺憾何ぞ限らん。平生事に触れ物に接して、毎に憶ふ先生の生前に至れば、其姿其音、夢寐の間に髣髴として、今猶ほ昨日の如きを如何せんや。(中略)描く所何物ぞ。伝記乎、伝記に非ず。評論乎、評論に非ず。弔辞乎、弔辞に非ず。惟だ予が嘗て見たる所の先生のみ、予が今見つつ有る所の先生のみ。予が無限の悲みのみ。予が無窮の恨みのみ。之を描きて豈に能く描き尽くすと曰はんや。即ち児女の泣に代へて聊か追慕の情を遣るのみ。

『兆民先生』序言、秋水幸徳伝次郎。明治35年の書き物である。秋水はその師に遅れること10年、明治44年に大逆事件で処刑された。享年40歳。
声に出して読んで頂きたい。できたら「明治の速度」の早口でね。
言葉の区々たる意味などどうでもよろしい。
力、あるでしょう?
わかんないかな。
私はきっぱりとした「勁さ」を感じる。
こういう「強い言葉」は現代の文学にはもうどこを探しても見ることができない。
たぶんこういう言葉は、いま「文学」が問題にしている「強い言葉」のうちにはカウントされないのだろう。


投稿者 uchida : 22:32 | コメント (2) | トラックバック

2005年01月05日

明治の速度

1月4日

るんちゃんと久しぶりにお会いする。
自由が丘駅頭にて「あ、ども」とふたりでぺこりとお辞儀して、年始のご挨拶を申し上げ、お年玉など差し上げる。
いつものハイアニス・ポート(ここは60年代アメリカンポップスしかかけないコアなカフェで、るんちゃんも私もお気に入り)で久闊を叙す。
るんちゃん今年の抱負は「起業」だそうである。
また、どうしてとお訊ねすると、「ナイスちゃん」という子と知り合い、最初ふたりとも相手の名前をニックネームだと思っていたら、ほんとうに本名が「るん」と「ナイス」だったので、びっくりして「変な名前をつける親の子ども」ということで仲良しになった、そのナイスちゃんといっしょに仕事を始めるのだそうである(わかりにくい話ですまない)。
私が平川君と起業したのは77年、26歳のときであるから、私より4歳若くしてビジネス界に入る(というほどでもないけど)わけである。
ぜひがんばって大成功して、老父にフェラーリなど買ってくださるとありがたい。

30分ほどでるんちゃんとバイバイして、今度は雪谷大塚駅頭にてその平川克美君と待ち合わせて、小学校のときの担任の手嶋晃先生のところにお年賀にでかける。
平川君は年末年始と風邪で倒れていたので、まだ本調子ではない。
やあやあとご挨拶する。
雪谷大塚駅のドトールコーヒーでTFK2の原稿を書きながら待っていてくれた。
「あんなことばかり書いて江さん困らないかな」
「いいんじゃない、別に」
「長すぎないかな」
「長すぎたら、江さんがカットするでしょ」
「ぜんぜん『若い奴らにばあんと説教』じゃないね」
「いんだよ、たまにはわけのわかんないもの読むのも人生修行のうちだよ」
どちらがどちらのせりふかはすぐわかりますね。

手嶋先生とお会いするのは平川君の結婚式以来だから30年ぶりくらいである。
頭髪に雪を置いた手嶋先生は、30代のころと声やたたずまいは少しも変わらない。

1時間半ほどおじゃまして、今度は武蔵小山駅前(駅前シリーズだな今日は)のペットサウンズで店番をしている石川茂樹君を訪れる。
昨秋会社を辞めて中年フリーターとなった石川君は「アメリカンポップス中古レコード屋の店番」という至福の時間を過ごしているが、このペットサウンズも駅前再開発の波に洗われて閉店らしい。
閉店セールで石川君お薦めのCDを二枚(コール・ポーター映画のサウンドトラックと「ルラル」)を買う。
石川君は私の「ポップス道」の師匠であるので、師匠の指示には素直に従う。
ペットサウンズの店長の森勉さんとご挨拶。
『ユリイカ』に書いた大瀧詠一論をほめていただく。
私のようなシロートがあのような大ネタを書いて大丈夫かしらと心配していたのだけれど、専門家的にもとりあえずはオッケーだったらしい。ほっ。
三人で鰻を食べて軽くビールをのんで、お別れする。

家にもどってから机に向かって「高橋源一郎の明治文学講義in神戸女学院」の校正。
ちょうど3日目の午後のところ。私はこの半日だけ用事があって席を外していたのである。
そのときの話が採録されている。
おおお、なんて面白いんだ!
その日の午前中に松田聖子の『野菊の墓』を見て、その午後にどうして1980年代になって明治文学の映画化が不可能になったのかについて高橋さんが考究されているのであるが、これが私のこれまで不思議に思っていたこととあちこちで符合するのである。
いちばんびっくりしたのは「明治の人は早口だった」という知見である。
実は私も前からそう思っていたのである。
最初にそれに気づいたのは、川上音二郎のパリ公演の録音というのを大瀧詠一の『日本ポップス伝』で聴いたときである。
異常に早口なのである。
川上音二郎と言えば「おっぺけぺ」の人である。
自由民権運動の闘士である。
こんなきいきい声なの?
はじめはレコードの回転数が狂っているんだろうと思っていた。
しかし、そのあと明治時代のどの音源のものを聴いても、みんな同じ早さなのである。
めちゃくちゃ早い。
実際に中江兆民の書いたものなんかを音読してみると、「すごく速く読み上げても(むしろ速く読んだ方が)意味がすらすら分かる」ということがある。
戦前の映画のせりふも速い。
音楽もそうだ。
大瀧詠一の番組では『影を慕いて』の戦前版(藤山一郎ヴァージョン)と戦後版(森進一ヴァージョン)を聞き比べて、森ヴァージョンのテンポがやたらに遅くなっていることが指摘されていた。
戦後になってアメリカ文化が入ってきて、生活のテンポが速くなった・・・というふうに一般には言われているが、実は人間の話す速度は遅くなっているのである。

そのところについての高橋さんのご高説を一部ご紹介しよう。(予告編ね)

で、これは、みなさん気付いたかどうかわかりませんが、『虞美人草』や『たけくらべ』との大きい違いは、もう一つあるんです。
明治に近づけば近づくほど、登場人物たちの会話が早口になるんです。みなさん、古いニュース映画とか古い時代のアナウンサーのしゃべりとかを、聞かれたことがあると思いますが、すごい早口でしゃべってると思いませんか?とても速いんです。
『虞美人草』でもそうだったと思うんですがね、早口なんですね、みんな。で、これは古い時代の落語家の録音を聞いてもそうですし、演説を聞いてもそうです。早口。どの時代からなのか、ちょっとわからないのですが、明治のある時期から、人々のしゃべりっていうのは現在の我々のしゃべりよりも、僕も今ゆっくりしゃべってますけれども、速かったんですね。でも、今、この速さで『野菊の墓』を朗読されると、悲劇感がなくなるでしょ。これは、あまり文学評論でも明治論でも出てこない話なんです。なかなか証明しづらいから。
僕は、遠い時代のものがだんだん遠く感じられる理由ってのは何かっていうことを考えるんです。もちろん、自分が知らない、とそういうようなこともありますが、スピードが違うんじゃないかっていう気がするんですね。『野菊の墓』の原稿七、八十枚というのは、ただ単に短いというだけじゃなくて、速いんです。やっぱり。スピードが。『坊ちゃん』も大変速い小説ですね。このスピードのまま映画化したら、何ていうんでしょう、早回しのフィルムを見ているようで、とても不自然に見えるんじゃないかと思います。
映画版の松田聖子や、政夫役の彼らは、ゆっくりしゃべりましたよね。あれを早口で言われると、これは恋愛のシーンか?っという。つまり、スピードが違うだけで、そこに発生しているエモーション、感情の感覚が違うわけですね。そして、スピードというものは実は、印刷できないんです。楽譜には速度記号がありますけども、文章には速度記号がないんです。僕はさっき自分流のスピードで読みましたが、実際にこれを書いた当時の作家や読者がこういう文章をどういう速度で考えていたかというのはわかりません。たぶん、相当速かっただろうと。そういう速い中で、彼らの世界が展開していたわけですね。
この速い世界を映画にする、それはたぶん『虞美人草』や『たけくらべ』の時代までは可能だったのかもしれませんが、カラーの時代になったときすでに、我々自身のスピード感が違っていた。ある意味ゆっくりしている。どういうスピードかっていうと、僕は、テレビ的スピードじゃないかと思うんですね。

さすが史上最強の批評家タカハシさんである。
映画の早口から、それが文学そのものが内在させている「物語の速度」にも連関していることを看破するとは。
この「明治文学の速度」という知見はきわめて多産なものであるように私には思われる。
意外なことに、この「明治文学の速度」を今に保っている作家が実はいまだに何人か存在するのである。
たとえば・・・橋本治!
橋本先生は「平成の明治人」だったのである。
知らなかったでしょ。
私も知らなかった。


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2005年01月04日

多田先生のお年賀に伺い、ヴァーチャル耳順に列せらる

1月3日

恒例の多田先生宅へのお年賀。
能州紬の着物に仙台平の袴、それに「高利貸しコート」と守さんから頂いた雪駄をつっかけて、巾着袋を提げてちゃらりちゃらりと吉祥寺へ出かける。
駅で工藤君ご夫妻(工藤くんは暮れの18日に入籍されたそうである。おめでとう)、のぶちゃんかなぴょんの内古閑君ご夫妻にばったり。
ドクター佐藤と待ち合わせて、シャンペンをお土産に駅から3分ほどの先生宅へ。すでに玄関は足の踏み場もないほどの靴。
今日は東大気錬会の諸君が年賀に来ているのである。
乾杯にご唱和してから、年の功で食堂の「幹部席」の「多田先生のとなり」の特等席をゲットして、そこに腰を据える。
さっそく工藤君はじめヒロタカ君、ヤマキョー君、高谷さんら気錬会幹部の諸兄諸姉を相手に、多田先生のお手になる「きんとん」「数の子」などを食しつつ、ワインをかぱかぱ酌み交わしつつ歓談。

050104-100354.png 多田先生とかなぴょん 050104-100714.png ひろたか君くどう君やまきょー君

多田先生はご自慢の「天狗舞どぼどぼ鶏のお雑煮」を作り終えるまでは台所からなかなか出てこられない。
先生お手製の「天どぼ雑煮」を頂くと「ああ、これで一年が始まる」としみじみ実感するのである。
坪井先輩が来られたので、台所から戻られた先生を囲んで、昔話をいろいろする。
月窓寺道場の最古参であった青木増盛さんが二日に亡くなったという話を聞く。
青木さんは定年退職後に合気道を始められたのだが、その温厚篤実な人柄でひさしく月窓寺道場の門人のまとめ役を担ってこられた多田塾の柱石のお一人である。
私もずいぶんご恩を蒙った。手にビール瓶を持ってにこにこ笑いながら近づいてきて、「やあやあウチダさん飲んでますか」と肩を叩く青木さんの優しい表情を思い出す。
先年の樋浦直久先輩に続いてが今度また青木さんが亡くなった。
寂しいものである。

それから先生の故地である対島の話になり、多田先生の対島の旧宅の裏が半井桃水の家で、桃水に幕末の多田家のことを描いた小説があるという話を聞いてびっくり。ちょうど、前の晩に高橋源一郎さんの明治文学史の原稿の樋口一葉と半井桃水のところを読んだところだったからである。
多田先生の祖先に多田監物という武将がいて、十五六歳のときに太閤秀吉の朝鮮出兵に参戦した。よほど剛胆な若武者だったらしく、敵の射た矢が右目に突き刺さったとき、家来が矢を抜こうとして、横になった監物の額に足を載せたのを「無礼もの」といって放り出し、眼球に矢を刺したまま騎乗して、自分を射た敵兵を追いかけ、槍で突き殺した。その胆力を秀吉が嘉して、轡を下賜した。その五三の桐の紋所の入った轡を先生に見せて頂く。
明珍の兜ともども多田家家伝の逸品の一つだそうである。

というような話から始まって、昭和のはじめの自由が丘の田園のたたずまいや昭和20年5月の自由が丘空襲のときの惨状など、多田先生の少年時代の興味深いお話をいろいろと伺う。
こういう話を伺う機会はお年賀のときくらいしかないので、一同耳をダンボにして聞き入る。
私はご存じの通り「徹子の部屋」的聞き上手であるので、「ほう、それは3月10日の東京大空襲のあとのことですか」とか「戦後、南風座という映画館ができましたね」とか「石井漠がおりましたね、あのあたりに」というような合いの手を入れる。
先生がふと不思議な顔をされておっしゃるには
「ウチダくん、戦中生まれだっけ?」
先生、ちがいます。

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2005年01月03日

性的マイノリティと松下くんちのお年賀

1月2日

昼近くまで爆睡。
のそのそ起き出して、K田くんから来た修論をチェック。
さすがに長い。ネタがウチダの苦手な「ジェンダー論」なので、途中でへこたれそうになる。

「ジェンダー」というのは「記号」であると私は考えている。
実定的な内容がなくて、差異だけが機能するという記号の定義に従えば、まちがいなくジェンダーは記号である。
ほかの言語記号との違いは、言語記号が理論的には無限に増殖できるのに対して、ジェンダー記号は「男」「女」という両極が決まっていて、あとはそれを「内側に」細かく切り分けるしかないということである。
色彩名称は無限に存在しうるが、「緑」と「黄色」が両極に決められている場合は、「黄緑」「緑っぽい黄緑」「黄緑っぽい緑」「黄緑っぽい黄色」「黄色っぽい黄緑」・・・などというまぎらわしい中間的な項を作り出すしかない。
別に、中間的な分類があることは少しもとがめ立てすることではないが、そのときに、「黄緑っぽい黄色」と「黄色っぽい黄緑」の差異を主題的に論ぜよというようなことを言われても困る。
ジェンダー論についても、それと同種の「めんどくささ」を感じてしまう。
性分類には、いろいろなものある。
「男性ジェンダーに同一化しているヘテロセクシュアルの男性」「男性ジェンダーに同一化しているホモセクシュアルの男性」「女性ジェンダーに同一化しているホモセクシュアルの男性」「女性ジェンダーに同一化しているヘテロセクシュアルの男性」「女性ジェンダーに同一化しているヘテロセクシュアルの女性」「男性ジェンダーに同一化しているホモセクシュアルの女性」「女性ジェンダーに同一化しているホモセクシュアルの女性」「男女以外のものにヘテロセクシュアル的に固着している男女」「男女以外のものにホモセクシュアル的に固着している男女」などなどまことに多様な形態がありうる。
人間というのは、あらゆるものに多形倒錯的にエロスを備給できるのである。
たいしたものだ、と私は思う。
それ以上の感想はとくにないし、そのそれぞれの微細な差異について論じるのもなんだか気が進まない。

しかし、この問題には政治的次元もある。
性的マイノリティには現在もなおいろいろと社会的抑圧や差別がある。
ジェンダー論者の中にはこのような性的マイノリティに対する社会的な差別や抑圧を解除し、性的平等を達成することを政治的目的に掲げている方々もおられる。

性的マイノリティと性的マジョリティの違いは一点しかない。
それは再生産するかしないか、それだけのことである(「男性ジェンダーに同一化したヘテロセクシュアルの女性」と「女性ジェンダーに同一化したヘテロセクシュアルの男性」というかなりレアな組み合わせの場合は再生産もありえないことではないが)。
だから、再生産についての要請が大きい社会では性的マイノリティはつよく意識されるだろうし、再生産についての要請の少ない社会では性的マイノリティはあまり意識されないだろう。
古代の中東の荒野で「オナン」が罰されたのは、その社会では「子ども」がある種の稀少財として観念されていたからである。

現代の日本は再生産についての要請の少ない社会である。
政府は「子どもを産んでくれ」と女性に懇願しているが、これは年金とか税収とか消費市場が破綻してしまうからという散文的な事情のためであって、別に「子どもは国の宝である」と思っているからではない。
だから、エンゼルプランとか男女共同参画社会とかいう政府の発想はすべて「出産は苦痛で、育児は苦役だ」ということを前提にした上で、その苦しみをどのようにして均等に分散するかということを提言している。
子どもをもつことが政府から民衆まで総じて「苦しみ」として観念されている社会は「再生産の要請が少ない社会」である。
私はそう考える。
そのような社会では当然ながら、性的マイノリティに対する社会的抑圧は緩和されるだろう。
しかし、たとえば、『ドーン・オブ・ザ・リビング・デッド』のラストではないが、人類消滅のカタストロフのあと、最後に残された数名の男女が、無人島から人類の再建を試みようという場合に、その中にホモセクシュアルの方が多いことはあまり歓迎すべき事態ではないはずである。
再生産に人々が副次的な関心しかもたない社会は性的マイノリティに対して寛容だろうし、再生産が喫緊の重要性をもっている社会では、それほど寛容ではないだろう。
日本はいま性的マイノリティに対してしだいに寛容な社会になりつつあるように私には思われる。
それは日本人たちが再生産に興味を失いつつあること、言い換えれば「いまのような日本社会」をこの先も続けて行くことに意欲を失っていることのひとつの表現だろうと思う。

修論を読み終わったので、外にでかける。
ご近所に松下正己くんがお住まいなので、ときどき思いついたように彼の家にお年賀にでかける。
松下くんとは中学二年生のときからの友だちであり、古さでいうと平川くんに次いで二番目。
「平川克美、松下正己、山本浩二、石川茂樹」が私のオーバー40年フレンズである。
平川君は私の小学校の同級生、松下くんと山本画伯と私はSFFC仲間、石川君は平川君の中学の同級である。
松下くんはいまでいうところの「ひきこもり」系元祖「ゴシック」少年であり、ナチスと黒魔術が好きなほんとうに「くらーい」中学生だった。
私がはじめて松下くんの家に遊びに行ったとき、松下くんの両親にすごく歓迎された。
帰り際に松下君のご母堂が私の顔をまじまじとみつめて、「正己とずっとお友だちでいてくださいね。あの子が友だちを家につれてきたの、ウチダさんがはじめてなんです・・・」と教えてくれた。
私は「はい」と元気よく返事をした。
爾来、松下くんのご母堂とお約束を守って40数年になるのである。
松下くんと会うと相変わらず絵の話と映画の話でげらげら笑っている。
四十年前とほとんど変わらない。

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2005年01月02日

新春のご挨拶

1月1日

あけましておめでとうござます。
本年が皆様にとってよき年でありますように、お祈り申し上げます。

雪のために恒例の春日神社の『翁』を見るのは止めて、家でぬくぬくとしながら町山智浩の『USAカニバケツ』(太田出版)を読む。
『底抜け合衆国』(洋泉社)とともに町山アメリカ論は2004年に書かれたアメリカの政治と文化に伏流する「ホワイト・トラッシュ」のメンタリティについて書かれたものの中では卓越したものだと思う(アーロン・マックルーダーの『ブーンドックス』の翻訳も重要な仕事だった)。
でも、メインストリームのメディアで町山のアメリカ論も(本業の映画論も)について正当に評価した記事を読んだ記憶がない。
これは小田嶋隆についても言える。
マスメディアの記者たちが単に不勉強なのか、それとも組織的に抑圧されているのか。

ときどきTVをザッピングして見るが、紅白はまるで見る気がしない。
格闘技のプログラムを交互に見るが、巨大な体躯をした男たちがグラウンディングしていると男性同士が正常位で交合(というよりレイプかな)しているように見えて、ちょっと恥ずかしくなる。

12時を回ったので、芦屋神社に初詣に行く。
1時間ほど並んで、「家内安全、五穀豊穣、学業成就、世界平和」などカテゴリー的にいささか混乱したお願いを申し上げる。
おみくじは「中吉」。
寒風の中をとろとろと家に戻り、熱々の「山菜卵入り年越しそば」を作って食べる。
美味なり。

早起きして、灘の酒心館の「初売り」にでかける。
誘われるまま「福寿」のオーナー主催の新年会の末席に連なり、とれたての新酒、味噌仕立てのお雑煮と、汲み出し豆腐などを頂き、灘の酒造家のみなさんと懇談。
私はこういう異業種の人の話を聴くのが大好きなので、ついつい話し込んでしまう。
そのときに、イワキさんという女性の「日本酒のソムリエ」の方とと話しているうちに、「ソムリエと言えば、私の友人で・・・」と橘さんのことをお話しする。
すると、(みなさんご想像のとおり)、「え、タチバナさんご存知なんですか?」ということになる。
橘さんはどうして阪神間の若い女性のあいだでこれほど著名なのであろう。
そういえば「あげさんすい」に最初にうかがったときに橘さんがサーブしてくれたお酒は「壱」というラベルが貼ってあったけれど、これは福寿の超レアものだったらしい。
足もとはよろよろと・・・芦屋に戻り、年賀状にご返事を書き、荷造りをして、新幹線に飛び乗る。
五日まで実家に帰省である。

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