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2005年01月31日

さまざまな訂正とお詫び

1月31日

コメントしようとしても「サインインできません」という無情なリアクションしか来ないので、自分のサイトなのに、自分でコメントできない。しかたがないので、こっちに書きます。
(1)「宝塚ホテル云々」というのはもちろんジョークです。今まで本学では採点のために泊まり込みをしなければならないほどの志願者がいたことはありません(泣)。27日の人間科学部の国語の採点なんて35分で終わってしまったんですから(号泣)。それにほとんどの本学教員は学校の近く(うっかりすると歩いていけるくらいのところ)に住んでます(私は原チャリで15分のとこ)。
(2)映画を2時間みて30分で映画評を書いた場合、一日の残り時間はどう計算してもあと21時間半ですね。

日記に歯医者のことを書いたら、さっそく歯科医の方から「歯周病による抜歯であれば、いまは抜かなくてもいい治療法があります」という耳よりな情報提供があったので、それをご紹介しておきたい。

「歯周病に対しては、新しい治療法があります。ジスロマックという抗生物質と、ハリゾンという抗カビ剤を使った治療法で、これらの2種類の薬を正しく使えば、歯周病を10日程度で治すことができます。
歯周病の原因は歯周病菌です。歯周病は歯周病菌の「感染症」なのです。(50代の方であれば、80%以上の人が感染しています。)感染しているかどうかは、歯垢を顕微鏡で観察して判断します。
上記の薬を使えば、お口の中全体の歯周病菌を除菌することができます。悪い菌がいなくなれば、歯ぐきはよくなっていきます。

薬による除菌の後は、再感染しないよう注意すれば効果は(おそらく一生)持続します。
除菌後の注意点ですが、具体的には
 1 歯を磨く(常識レベルの歯磨きで大丈夫です。)
 2 性行為の相手も除菌の治療を受ける。
      (歯周病の人とキスをすると再感染します。) 
 3 他人と同じ皿、同じコップで食事しない。
       (取り箸を使えばOKです。)
 4 年に2〜3回、顕微鏡で再感染していないかチェックする
くらいです。難しくはないと思います。

ちなみに歯周病患者の歯垢を顕微鏡で観察すると、おぞましい像を
示します。画像を動画で患者さんにお見せすると、たいていの人は気持ち悪がります。
トレポネーマという菌などが、ぐにょぐにょ動きまわるのです。ひどい場合には、ハエの大群が飛び回っているような像になります。
かなり気色悪いです。」

というたいへん心温まる専門的助言を頂いたのである。
しかし、ご一読なさった方の多くも私と同じ感想をもたれたと思うが、「除菌後の注意点その2」のもたらす社交上の制限を凡夫はどのようにクリアーすればよろしいのであろうか。その点に若干の問題が伏在しているように思われる。
この場合、除菌済みが確認された相手とのみ選択的にその種の行為を行うということになると、そもそもその種の行為を行うことによって達成されるべき本来的な愉悦というか人類学的意義というか、そういうものも併せて損なわれることになるのではないかという一抹の不安にかられるわけである。
この治療法がデファクト・スタンダードになった場合、私どもはその種の行為にとりかかる前に除菌処理の有無について事前のリサーチというようなものを行うことになるのであるが、ご同輩のみなさんも経験的に熟知されているとおり、かかる情緒的にやや高揚した局面で「医学的リサーチ」というようなことを差し挟むのは感興をいささか損なう可能性なしとしない。なお、当方が除菌済みであり、かつ先方が未処理であるということを自己申告せられた場合、かかる好機をばおのが歯茎の健康を配慮してむざむざ逸されるという方がどれほどおられるかというあたりにこの治療法の全国的展開を阻みかねない実践的難点が看取されるのである。
もちろんその種の行為は私にはいささかの関係もない世俗的事象であるので、関係ないといえば関係ないのであるが、未来永劫関係ないときっぱりと断言できるかどうかと真顔で詰め寄られるといささかの逡巡を払拭しきれないところに凡夫の限界を見る今日この頃なのである。
それに、この治療法をしちゃうと「鍋」もダメなんでしょうか?

銀色夏生さんが女性であるということを書いたら、あちこちから「ええええ男じゃないんですか!」という反応が相次いだ。
私が調査した限り、「銀色夏生さんて、ちょっとボーイッシュなきれいな女の人ですよ。だって本に写真出てるじゃないですか」という正確な情報を提供をしてくれたのは女性の1名(この方は80年代に銀色夏生さんが監督をする映画のオーディションの告知を『オリーブ』で見て、東京まで監督面接を受けに行って(落ちた)というレアな経験の方である)だけで、それ以外のアンケート対象の男性全員が「マツモトタカシを…」という私と同一の印象を持たれていたことが判明した。
しかし、どうしてここに「マツモトタカシ」の名が出てきたのか。
私は「はっぴいえんど」の古手のファンであるので、もちろん松本隆先生には敬愛の念以外のいかなる邪念も持たぬことをここに天地神明にかけてお誓い申し上げることができるのであるが、これはどうやら銀色夏生さんがそのデビュー時において松本隆先生と活動領域がかぶっていたことに遠因がありそうである。
そういわれてみると大澤誉志幸や吉川晃司の80年代のアルバムに銀色夏生さんは多くの歌詞を提供されていたように記憶している。
しかし、性別誤認による「あらかじめ失われた読者」をこれだけ多く数えながら、なお伝説的なセールスを記録したという事実そのものが銀色夏生さんのたぐいまれな才能を逆証することになるであろう。
この機会を借りて満天下の「銀色夏生=男性信憑」によって読書機会を阻まれていた男性諸氏に「つれづれノート」を書店店頭にて手に取られんことを祈念しつつお詫びのご挨拶に代えたいと思う。
付記:なお、銀色夏生さんが私宛の手紙に記されていたのは、「本を読むネコ」ではなく「本を読むこぶた」であるとの誤記の指摘がなされた。この点についても関係各方面に拝してご宥恕を乞う次第である。バカでごめんね。


投稿者 uchida : 21:39 | コメント (0) | トラックバック

ヨイショ批評宣言

1月30日

入試最終日だが私は監督にも採点にも当たらなかったので、大手を振ってお休みである。
まず山本画伯から頼まれた作品写真集の跋文を書く。
さらさら。
山本画伯がいかに偉大な芸術家であるかをほめたたえればよろしいのであるから、これは簡単。
私はこの手の「ほめたたえ」が得意である。
世間の「批評」というものを読むと、批評している対象についての「悪口」とまではゆかずとも「否定的側面の指摘」が必ずあり、もう手放しで「ほめたたえる」というものを読む機会は、『S教新聞』の書評欄におけるI田D作の著作評などを除くとまず存在しないと申し上げてよいかと思う。
おそらく、人間の知的能力というのは、なにかを「けなす」時に活性化するのであろう。
しかし、その反対の、なにかを「たたえる」時にもそれなりに知的能力が活性化するということはあまり知られていない。
私は「ヨイショのウチダ」と評されるほどの「賞賛批評」の名手であり、その特技を知っている編集者のいくたりかは彼ら自身が好きな書き手の著作の書評を私に依頼する傾向にある。
編集者だって人の子。偏愛する作家はいる。けれども批評的中立性を掲げている立場上、自分で賞賛するわけにはゆかない。誰かに代ってほめてほしい。けれども、「とりあえずほめる」批評家というのは非常に少ない。
そこで、私が白羽の矢を立てられることになるのである。
これはなかなかマーケティング的にもオッケーな展開ではないかと思うのであるが、私に後続する世代の中に次代を託すに足るほどの「ほめ屋」というのがなかなか登場しないのが残念である。
これは実は「ヨイショ」がかなり高度な技術を要することによるのではないか、と私は考えている。
誤解している方が多いが、「ヨイショ」と「阿諛追従」は違う。まったく違う。
「阿諛追従」はほめることによって何らかのリターンを得ることを期待して行われる。業界の権威とか政治的権力者とか、そういう人に阿ることで私利私益をはかろうとするのが「阿諛」である。
「ヨイショ」は違う。
「ヨイショ」もまた批評している当の人に「何か」をして欲しいという遂行的な動機でなされることに変わりはない。だが、私がその方にして欲しい「何か」はとは、私一個人の私利私益にかなうものではなく、むしろ広く「満天下」がそれによって益を得るところのものなのである。
芸術家も哲学者も「ほめられると舞い上がり、けなされるといじける」という点において凡夫に少しも変らない。
そして、私たちが彼らに求める唯一のことは、彼らがその才能を最大限度まで開花させ、それによって私たちの世界に少しでも多くの美と知恵と愉悦とをもたらすことである。
だとすれば、どうしてクリエイターたちを「ほめまくり、それによって世界を豊かにする」という戦略を批評家たちが回避するのか、私は訝しむのである。
おそらくそれは批評は批評として作品からは自立しており、批評家もまた芸術家や作家や哲学者と創造性において「タメ」なのであるという考え方を批評家たちがしているからであろう。
もちろん「タメ」で結構なのであるが、批評家の批評性は、批評されている当の作品からいかに「豊かなもの」を生成せしめるかという点にかかっており、そのためには必ずしも「寸鉄人を刺し、快刀乱麻を断つ一刀両断的評言」というようなものばかりが有用なわけではないだろう、と私は考えている。
私はほめたたえることを通じてクリエイターを勇気づけ、その生産性を高めることは批評家としての重要な仕事のひとつだと思っているのだが、共感して下さる方はあまりいない。

というわけでさらさらと山本浩二をほめまくる跋文を書き上げ、つづいてさらさらとそれを仏訳する。
この作品写真集は日本語、フランス語、英語、イタリア語の四カ国語ヴァージョンで発行され、私の日本語オリジナルを別の訳者たちがそれぞれ英語、イタリア語にされるのである。

さらさらと書き上げたので、つぎは『エピス』の映画評をこれまたさらさらと書く。
今回取り上げたのは『きみに読む物語』。
どんな映画かぜんぜん知らずに越後屋さんが夜陰に乗じてポストに投函していった「マル秘越後屋ビデオ」で鑑賞したのであるが、たいへんに面白かった。
どこが面白いかというと、これが「1920−40年代アメリカの、南部または中西部を舞台にした、身分違いの恋に身を灼く青年の爽やかな生き方をその父子関係を軸に回顧する」という話型をとっている点で『ビッグフィッシュ』とまったく同じだからである。
時代と舞台だけを取りあげれば『シービスケット』もそうだし、父子関係が軸という点では『ロード・トゥ・パーディション』もそうだった。
つまり、今アメリカの観客がいちばん見たいのは、「1920−40年代」(それは「ジャズエイジ」と「大恐慌」と「第二次世界大戦」を含む、アメリカ人にとってその人間的資質の深みとタフネスがもっとも厳しく問われた時代である)の「自然にみたされた美しい田園」(汚れた大都会じゃダメなのである)で、父が子供たちに敬愛され、母が優しく、恋愛が純粋だった時代の「一瞬のきらめき」を切り取ったような絵柄なのである。
というようなことを『エピス』に書く。
所要時間30分。
毎日映画評だけを書いて暮らせたらどれほどハッピーなことであろう。
毎日2時間映画を見て、30分で批評を書いたら、残りの22時間半は遊んでいればいいのである(映画を見たり、映画評を書いたりして!)

投稿者 uchida : 16:03 | コメント (1) | トラックバック

2005年01月30日

止まらない大学の凋落

1月29日

前期入試最終日。午前中だけ英語の試験監督。
受験生が少ないので仕事は監督も採点もらくちんである。
しかしこの「らくちん」はぜんぜんよいことではない。
できることなら、教室から受験生があふれ、トイレの前には長蛇の列、試験の採点のために三日三晩宝塚ホテルにカンヅメされた教員たちがノイローゼでつかみ合いの喧嘩…というような状況の方が経営的にはたいへん好ましいのである。
しかし、志願状況を拝見するに少なくとも関西エリアではそのような「うはうは」状態の記憶の彼方に消えたと申し上げてよいであろう。
関西の私学の出願状況については
http://shigan.kokokusha.co.jp/osaka.html
に詳細が出ている(ユーザーネームshigan パスワード2005でアクセスできます。あれ、いいのかな、こんな情報公開しちゃって…)
データによると、志願者数が前年比100%を超えた大学はほとんど存在しない。
28日段階で京都では同志社が117%で一人勝ち、「常勝」の立命館でさえ84%。あとはほとんど討ち死に状態である。
本学のライバル校である同志社女子大が79%京都女子大が74%。
もちろんこれらの数値はまだ最終的に確定したものではない。後期入試が残っている大学では、これにかなりの上積みがあると思っていただきたい。
大阪は悲惨である。
関西大学の91%が最高で、あとは軒並み前年比30−60%。
兵庫では関西学院大学が101%でダントツ(前年比100をクリアーしたのはここだけだ)。
阪神間の女子大を見ると甲南女子が66%、生活文化学科を新設した神戸松蔭が大健闘の94%、親和と神戸女子大が60%、武庫川が80%。
その中で本学は88%
これはまあ「健闘」と申し上げてよい数字であろう。
とりあえず京阪神エリアで受験生を競合する女子大(京都女子大、同志社女子大、武庫川女子大、本学)の中では一位を確保したことになる。

それにしても、関西私大の凋落ぶりはすさまじい。
2004年度ですでに相当数が前年比50%というような下落傾向だった。そのさらに50%ということは、わずか二年で75%のクライアントを失ったということである。
すでに全国私学の定員割れ学科数は30%に達しているが、今年は40%を超えるかもしれない。
定員割れが続けばいずれ確実に「経営破綻」する。
教職員数を大幅に減員したり、教育インフラへの投資を減額すれば、短期的には支出を抑えることができるが、そのようにして教育サービスの質を低下させた大学を選択する学生がいるはずがないので、これは自殺行為だ。
つまり、いまの教育環境を維持すればさらに採算割れし、経営を優先して教育環境を低下させれば志願者はますます離れて行く…・という「進むも地獄退くも地獄」状況にこのあと相当数の私学が追い込まれてゆくのである。
どうして「こんなこと」になったのか?
みなさんだって不思議だろう。
前から言っているとおり、大学のマーケットサイズは「18歳人口」であり、そのサイズはいまから18年前に端数まで明らかだったのである。
20年前から2005年には「こんなこと」になるのがわかっていたのである。
それでいながら、ほとんどの私学が有効な対策を講じないまま便々と歳月を過ごしてきた。
私学の経営者と教授会が思いついたのは「専門性に特化した(短期的に換金可能な資格や免許を出す)新学科」だけであった。
たしかにそういう新学科を新設すれば、一二年は物珍しさで学生が集まる。
しかし、見たとおり、ほとんどの場合、わずか数年で効果は消える。
残るのは先行投資の負債と、専門に特化した(ということは、それ以外の教育領域にシフトできない)「使えない教員」たちという「二重の負債」である。
どうして、そんな愚行をどこの私学も繰り返すのか?
もちろん理由はひとつしかない。
「ほかがそうしているから」である。
あきらかに見通しの立たない選択肢であっても、「ほかがやっている」ならオッケーなのである。
失敗したときに「ほかがやっていたから」というエクスキュースが通るからだ。
個人的責任を問われないのなら別に大学なんかつぶれても構わない。
そう思っている点では、銀行の頭取も企業経営者も官僚も政治家も同じである。
それが日本のエスタブリッシュメントの「標準」的なモラリティなのである。
この20年、そうやって多くの銀行がつぶれ、多くの企業がつぶれ、多くの第三セクターが破綻した。
しかし、大学はその経験から何も学ばなかった。

本学教授会が採択した戦略は「ダウンサイジング」である。
学生が定員割れしてから教育サービスを劣化させるためのダウンサイジングではなく、十分な倍率で志願者がある段階で選別を厳しくして、学生数を絞り込み、一人当たりの教育リソースの集中を高め、教育活動とそのアウトカムの質を向上させてゆく。
それによって大学に対する社会的評価を高める。
もちろん学生数の減少は端的に私学にとってはただちに収入の減少を意味するから、そのためには経営の「スリム化」が不可欠であろう。
「スリム化」というのは別に非人情なリストラのことではない。
削れる「贅肉」はいくらでもある。
それがきちんとできれば、この先のかなりきびしい状況下でも本学は生き延びていけると私は考えている。
しかし、見回すと、市場に先手を取られて「定員割れ」に追い込まれる前にすすんでダウンサイジングを選んだ大学は一つもない。
なぜ?
「そんなことをした大学がない」からだ。
十分に合理的な選択肢であるにもかかわらず、「前例がない」という理由でこの戦略を検討さえしなかった大学がいま志願者の激減という事実を前にして呆然自失している。
大学の淘汰、学校法人の解散、というのは日本教育史上に「前例がない」事態である。
その「前例がない事態」には「前例がない処方」で応じるほかないだろうと私は考えている。

ひとつ問題は、本学の志願者数が「相対的に多い」という事実である。
「今のままでもけっこういけるじゃないか…」という現状認識はほとんどの場合制度改革への意欲を殺ぐ結果をもたらすからだ。
もちろん、志願者が多いのはうれしいことなのだけれど、「小成は大成を妨げる」ということばも同時に噛みしめなければならないのではと私は思う。

投稿者 uchida : 10:09 | コメント (2) | トラックバック

2005年01月29日

銀色夏生さんからお手紙ついた(編集者ったら、読まずにしまいこんだ)字余り

1月29日

銀色夏生さんという詩人の方からお手紙が来る。
すごくかわいい字で「御本をたくさんよませていただきました」「これからもよませていただきます」「長生きしてくださいね」ほか心温まる文言が記されており、本を読むネコのマンガが五態細いペンで書き込んである。
日付をみると、これがなんと2004年9月13日。
K川書店の担当編集者が銀色夏生さんから預かってそのまま忘れていたらしい(ひどいやつだね)。
それがようやく私の担当編集者の江澤さんを経由して私の手元に届いたのである。
これこそ「迂回させられた/受難する手紙」 la lettre en souffrance である。
さっそくお手紙に記されていたメールアドレスにお礼とお詫びのメールを送る。
ところが、私はたいへんたいへん申し訳ないことに銀色夏生さんという方の書いたものを一つとして読んでいない。
もちろんご高名はかねてから存じ上げていたのであるが、私はなぜかこのひとをはなから「男」だと思い込んでいたのである。
「銀色夏生」というペンネームを選ぶ男…
私は瞬間的に「マツモトタカシをさらに『なよっ』とさせて、タケモトノバラをさらに『ナルシスティック』にしたような男」を思い浮かべてひとりで寒くなっていた。
まことに申し訳ないことをした(マツモトタカシさん、タケモトノバラさんに対してもあわせてご無礼をお詫び申し上げます。Don’t take it personal …)
ともあれ、痩身、ネコ毛、色白の男の人が小指を立てて紅茶を飲みながら、「岩場のこぶた」というようなタイトルの本を書いている場面を想像していただきたい。
このような愚かしい空想に取り憑かれた中年男の身を、K川文庫に並んでいる銀色夏生さんの本を手にとって拡げるという機会が恵まなかったことついてはご同輩の相当数も「やむなし」とご共感いただけるのではないかと思う。
まことにわが不明を恥じる他ない。
お詫びのお手紙と『先生はえらい』サイン入り本(が手元にないので、筑摩から献本してもらい、私は「ネコマンガ入りしおり」を郵送することにする。これで「合成サイン本」をご自宅で構築してもらおうというのである)をお送りする。
これで、小池昌代さんに続いて、女性詩人からお手紙をもらうのは二人目である。
私はご承知のとおり、詩想の片鱗もないがさつでワイルドな武闘系レヴィナシアンである。
それが透明で繊細な詩風をもつ女性詩人たちに「文人として認知される」ことになったわけである。
これはどういうことか。
もしかすると私のテクストには、書いている本人も気づかない「詩」のようなものが伏流している、というようなことがあるのであろうか。
たとえば、今書いた文の「伏流している、」というときの「、」の措辞というようなところに。
大量のインターネットテクストを書き飛ばしているうちに、私自身気づかぬうちに「詩人の魂」が私の筆先に宿ったのであろうか。
Poete sans le savoir あるいは poete malgre soi (これだと「いやいやながら詩人にされ」だな)というような何かに私はなってしまったのであろうか。
うーむ、わからん。
しかし、どのような破格にして冒険的な現代詩人であろうと、「うーむ、わからん」というような一行をその詩編の中に置くというようなことはありえないであろうから、私のエクリチュールが「詩的なものになった」という可能性はこの段階で除外してよろしいかと思う。
となると、あれかな。
かつて『聖風化祭』に私が哲学的なややこしい文章を寄稿していた頃、「石沢玄」くんが慰め顔で告げてくれたように、「ウチダの場合は、ロジックのうちに詩的なものがあるから、それでいいんだよ」ということなのであろうか。
文章はバリがさつだが、論理の骨格には一掬の詩魂がある。
というようなことがこの世にあるのであろうか。
なんだかあまりありそうもないような気がする。
ともあれ、女性の詩人たちと「文通」することができる身分になってウチダはたいへんうれしいのである。
本というのは出してみるものである。

投稿者 uchida : 17:42 | コメント (2) | トラックバック

夢の出版記念パーティ

1月27日

27日は平川くんの出版記念パーティ(兼ビジネスカフェ・ジャパンの新年会)が早稲田リーガロイヤルで開催されたので、私もゲストスピーカー兼共著者としてお招きいただいた。
集まったのはビジネスマンばかり80人。
大半が私たちより年長である。
そういう人たちを前にいったい何を話せばいいのか。
時間があれば、お客様のリアクションをみながら話題の調整をして、しだいに「おお、ここがツボだな」というところを発見できるのであるが、今回は司会の菊池さんをはさんで三人で20分ほどという短い持ち時間。
「反復と謎」という大ネタを振られて、私も平川くんも必死の答弁を試みる。
これはたいへん面白い主題なのであるが、「唐茄子屋政談」みたいな大ネタなので、「えー、ちょっと腰を据えて話させていただきます。いまのうちにトイレに行く方は用をすませちゃってください」というふうでないと、なかなか切り出せないのである。
それでも冷や汗をかきながら30分ほどのオツトメを終えて、あとはビールとご飯…と思っていたら、次々と未知のビジネスマンがあらわれて名刺交換をすることになる。
用意していた20枚ほどの名刺がたちまちなくなり、トランプができるほど名刺がたまった。
私のような人の名前も顔もぜんぜん覚えられない人間にとって名刺交換会というのはある種の地獄である。
平川くんもこと記憶力に関しては私とどっこいのはずであるが、それでビジネスのおつきあいができているところがすごい。どのような魔術を用いているのであろうか。
オムロンの副社長の市原達朗さんと、キリン・ビバレッジの元社長の阿部洋己さんと、ソニーの「プロジェクトX」の人だった(という説明でわかるのかな、わかるよね)郡山史郎さんという私たちよりはるか年長の「おじさん」たちのスピーチがたいへんに面白かった。
小津安二郎の映画の中では「おじさん」たちがなかなか味のあるスピーチをする。
私はあの「定型的だが、どこか視線が斜めで、わっと笑わせて、すぱっと落とす」スピーチが好きなのであるが、あの口承の伝統はきちんと世代を超えて受け継がれていたようである。
阿部さんというのは、私の『ため倫』を読んで、「独特だけど、まとも」というたいへんありがたいコメントをくださった方である。お嬢さんが女学院卒ということで、「やややどうもご父兄でしたか」と名刺交換しつつ平身低頭する。
なんだかもののはずみで、トップマネジメント・カフェというところで経営者のみなさんをお相手に一席ぶつような流れになる。
平川くんの頼みではお断りできようはずもないが、私のような人間から、生き馬の目を抜くトップマネジメントの方々が何を聴こうというのであろうか。
パーティには前日に引き続き光文社の古谷さんと『オニババ』本の編集担当だった草薙さん、『TFK』の元担当の五十嵐さん、現担当の淺田さん、『反戦略本』の担当編集者の洋泉社の渡邊さんら出版関係者。そして旧友石川茂樹くんと阿部安治くん、読者代表で角田さんが来てくれた。
石川くんからは「新春放談」のテープをいただく。阿部くんはご令息の友人が私の読者で「サインが欲しい」ということであったので、名刺にさらさらとネコマンガを描いて差し上げる。こんなことで喜んでいただけるなら、お安いご用である。
翌日朝一で神戸にもどって入試の採点なので、早々にホテルの部屋に退出。
考えてみると、ホテルで「出版記念パーティ」をやるのが私の長年の夢であったのだが、ひょんなことで共著本のパーティによんでいただいて夢がかなった。
平川くんならびにセッティングしていただいた有志のみなさま、ビジネスカフェジャパンのみなさまに御礼申し上げます。

投稿者 uchida : 16:12 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月28日

社会理論の汎用性と限界

1月26日(つづき)

ナバちゃんと光文社の古谷さんと会ったので当然ながら『オニババ化する女たち』をめぐる議論の中間的な総括が試みられた。
『論座』の田中美津論文がフェミニズムの歴史的凋落を告げる「弔鐘」の兆候であるという評価において、私とナバちゃんはそれほど違わない。
ナバちゃんは私とちがってジェンダー論やフェミニズムにはかなり理解の深い方であるが、それでもフェミニズムが社会理論としてドグマ化し、一部で抑圧的に機能していることには哀しみを隠さなかった。

誤解しないで欲しいのだが、ある社会理論がドグマ的になったり、抑圧的になったりするのはその理説が本質的にドグマ的であったり抑圧的であったりするからではない。
あらゆる社会理論はどこかでドグマ的、抑圧的なものの芽を抱え込んでおり、それを免れている理説は存在しない。
私たちが「教条性」や「権力性」と名付けるものはその理論に内在する何らかのネガティヴな「本質」ではなく、それが表出するときの「程度の問題」に関与して生じる何かである。
その理論が妥当性や適用範囲を「適切である以上に過大評価されること」を望むと理論はドグマ的になり、仮説の妥当性や適用範囲を「過大評価することを恥じる」と理論はあまりドグマ化しない。
「あまり」という副詞が示すように、こういうもののよしあしにデジタルな境界線はない。
「まあ、許容範囲でしょうかね」と「ちょっと、そこまでされると困るんですけど・・・」というあたりのみきわめは経験的なものである。
違いは、仮説を差し出すときに、論者の「頭が高い」か「腰が低い」かという点にしかない。
「頭が高い」理論はうまく妥当しない事例や適用しない方がいい場面に強引に進出し、言を左右にして過誤や失敗を認めたがらない。
「腰の低い」理説は妥当する範囲に踏みとどまり、反証事例が示されると「へへへ」と頭を掻いてすぐに撤退する。
ビジネスに喩えて言えば、巨大資本・単一のビジネスモデルで全国一律に巨大店舗を展開するスーパーチェーンと、地元のお客さんだけ相手に細々と商売をしている老舗の蕎麦屋くらいの違いである。
両者の間には「サイズの違い」しかない。
しかし「サイズの違い」というのは考えてられているよりもずっと質的な変化に関与するものなのである。
「大きい理論」はその理論が「どこまで広く適用可能できるか」という拡大の可能性に関心があり、「小さい理論」はその理論が「どこから先には行かない方がいいか」という節度のたしかさに関心がある。

繰り返し申し上げているように、フェミニズムが社会理論として抑圧的に機能しはじめたのは、その支持者の一部が、フェミニズムが適用できる限定的な範囲を超えて「万象を説明できる統一理論」であることを欲望したときに始まる。
そして私が知る限り、どのような社会理論もひとたび「統一理論」でありたいという欲望を持ってしまったあとは、いかなる努力ももうそれを引きとどめることはできないのである。

東京に行く新幹線の中で、上野輝将先生にいただいた「ポスト構造主義と歴史学−「従軍慰安婦」問題をめぐる上野千鶴子・吉見義明の論争を素材に」を読む。
上野先生が『日本史研究』に寄稿された論考の抜き刷りである。
上野先生は上野千鶴子によって「文書史料主義」と糾弾された歴史学者の側から、上野千鶴子の「ポスト構造主義的」歴史学批判を反批判している。
最初のうちは上野千鶴子批判を「ひとごと」のつもりで気楽に読んでいたのであるが、だんだん襟をただして粛然とした気分になってきた。
それは上野輝将先生の「ポスト構造主義的」な方法の批判がまっすぐ私自身の学術的な方法への批判にもつながっているように思えたからである。

ご存じの方も多いであろうが、この上野・吉見論争は上野千鶴子が「従軍慰安婦」問題についての先行する歴史学的研究を「文書史料至上主義」としてしりぞけたことに始まる。
その論拠を上野は次のように定式化している。
「公文書というものは、もちろん官が現実をどのようにコントロールしたかという記録にほかならず、被害を受けた人たちの現実については何一つ語っていません」(「ジェンダー史と歴史学の方法」)
「抑圧されてきた記憶や社会的弱者の語りというものは、まず第一に支配的な言説に自分を合わせようとする磁場のなかにおかれています。したがって、本当のこと、すなわちその人にとってのリアリティを聞き取るには、その語りのなかにある矛盾や非一貫性にこそ研究者は価値を認めるべきだ」(同)

上野千鶴子の「構築主義的」立場によれば、歴史的事実というのは、そのつどの歴史的文脈の中で遡及的に再構成されてゆくものであり、「視点が『事実』を構築する」。「正史」に対してはつねに「もうひとつの歴史」が対置され、「科学的で客観的な歴史など存在しない」。
上野輝将先生は、このような構築主義的な歴史相対主義に対して、吉見義明に与する立場から、次の点を指摘する。
(1) オーラルヒストリーを史料として重用することは歴史家の常識に属す
(2) どの史料に信頼性があるとするかは、そのカテゴリー(公文書か被害者の証言か)によるのではなく、当該史料がどの程度歴史的事実を明らかにし、整合的な説明をもたらしたかによって事後的に査定されるのであり、信頼性や価値は史料そのものに内在するわけではない
(3) 「視点が事実を構成する」というルールを認めると、どの現実をとるかは「それを構成する視点」のうちのどれを選ぶかによって決まり、それは個人の嗜好や信仰の次元に帰着する

といった指摘をふまえて、上野輝将先生は「表象」や「視点」や「パラダイム」といった用語で歴史をとらえることの危険性について稠密で執拗な反論を上野千鶴子に加えている。

その詳細は割愛するけれど、私はここで考えこんでしまった。
上野輝将先生の「視点」からすると、おそらく私もまた上野千鶴子と同類の「ポスト構造主義者」、「構築主義者」に分類されることになるのではないかと思ったからである。
というのは、私も上野千鶴子と同じく、「語るもの」の視点、「語り」の語法、「語るとき」の文脈に応じて、そこで提示される「事実」はめまぐるしく様相を変えると考えているからである。
だから、「何が事実か?」という問いに対しては、つねに「という問いを発しているあなたは、どういう視点からその問いを立てたのか?あなたが『事実』として見たがっているものは何か?どのような『事実』が見出された場合に、あなたはどのような『利益』をそこから得ることになるのか?その利益があなたの視点に無意識なバイアスをかけてはいないかという問いをあなたは自分に向けているか?」といった一連の「鬱陶しい」問いをもって応じてしまうのである。
しかし、このような「問いに対して問いをもって応じる」仕方は、たしかに歴史学者の眼には、ある種の不可知論への退行、客観的・中立的事実を探求することの放棄として映る可能性がある。

上野輝将先生の上野千鶴子批判は次のようなことばで締めくくられる。
「以上、言説=『表象』、『パラダイム』の転換と上野が使う認識論の用具が、『慰安婦』問題の具体的なケースでどのような矛盾に逢着するかを検証してきた。一方で自明な『事実』などないといいながら、その『認識論』自体が自明な『事実』から組み立てられていること。多様な『言説』の同格を言いつつ、他方で特定『言説』の説明不能な選択を行うこと。真偽の次元を超えてと言いながら、『証言』の真偽取り混ぜた『事実』に固執すること。『事実』よりもその捉え方の『変化』が問題だといいながら、『事実』以外にはその『変化』を説明できないこと、『視点が事実を構成する』と言いながら、ではその『視点』はどのようにして『構築』されるのかについては語らない(語れない)、等々。
 そもそも『視点が事実を構築する』という上野認識論では、『事実』=史料も歴史家によって構築され、研究主体と研究対象は分離できない。対象からの距離がないと分析はなりたたず、分析がなければ理性的な認識もありえず、残るは直感や論証なき決断の世界であろう。結局、上野の価値絶対主義的方法論と価値相対主義的認識論の同居は、分析なき『歴史方法論』と認識なき『歴史認識論』の合体であったと言う他ない。」(『日本史研究』、509号、2005年1月、17−18頁)

私はこの批判をとりあえず自分に向けられたものとして読んだ。
私もまたある種の不可知論の際に立って仕事をしている。
つねづね申し上げているように、私の判断の多くは「経験的事実」に裏打ちされた「直感」と「論証なき決断」によって構成されている。 
どの「事実」を「経験的にたしかなこと」として選択するかは私の判断に委ねられており、であれば、「事実が私の判断を基礎づけた」のか、「私の判断が事実を選択させている」のかを私自身は言うことができない。
この点において、上野先生が上野千鶴子に向けている批判はそのまま私にもあてはまる。
私がそれでも「いい加減なことをいうやつだ」という以上の批判を識者から受けることがないのは、私がぎりぎりのところで「自分がどれくらい信用できない人間であるか」の告知義務を果たしているからである。
私はたとえば、慰安婦問題のような問題についてはあまり偉そうなことは言わないようにしている(よく知らないから)。
おそらく上野千鶴子がここで歴史家たちから十字砲火を浴びたのは、上野先生が書いているように、「慰安婦問題」という「具体的なケースにおいて」、構築主義的視点がどのように「歴史学者の仕事を支援できるか」というふうに問題を立てずに、歴史家たちの仕事を(先行研究をあまり読まない段階で)いきなり否定するという挙に出たせいである。
たしかに上野千鶴子的な構築主義史観は、政治的立場が弱く、表現の方法が限定された「証人」たちのことばを「歴史的史料」として前景化したという点で評価すべきだし、これからも歴史家の仕事に貢献することができただろうと私は思う。
しかし、証言のリアリティーを前景化したという貢献をもって歴史家たちのこれまでの仕事へのラディカルな批判が遂行されたと信じるのは適切な自己評価とはいえない。

構築主義はたしかに有効な社会理論であるけれど、あらゆる社会理論がそうであるようにそれが「とりわけ有効である範囲」は限定されている。
そういう理論は「とりわけ有効である範囲」にのみ限定的に適用し、「あまり有効でない」領域では、一歩退いて「そこで有効な方法を支援する」という「雑巾がけ」仕事に専念したらよいと私は思う。
しかし、上野千鶴子は歴史学の領域においても「雑巾がけ」や「黒子」役での有用性に満足することができなかったらしい。
結局そのせいで、構築主義者は今後歴史家のかなりの部分からは「立場の違う共同研究者」ではなく「仕事の邪魔をするやつら」というふうな否定的評価をもって眺められることになる可能性が高い。
それは歴史研究にたいして構築主義がもたらしえた貢献を私たちは失ったということを意味する。
私は(ポスト構造主義「以前」の方法論にいまだに固執する)「構造主義者」としての立場から、このような研究者間の協力関係の断絶と、今後ありえたかもしれない成果の喪失を悔やむのである。

欲張りすぎると、手に入ったはずのものも失ってしまう。
上野がおそらく幼稚園の頃に読んだ絵本にも書いてあったはずの教訓を見落としたのは彼女の個人的な徳性や知性とはかかわりがない。
それは繰り返し言うように「あらゆる社会理論はその汎用性を過大評価する傾向にある」という法則がここでも作用したということにすぎない。

話が長くなったので、まとめにはいるが、上野輝将先生の論文を読んで、私が感じたのは、この上野千鶴子批判はほぼそのまま私にも当てはまるということであった。
それでも私がこの尊敬する同僚からの致命的な批判をまぬかれているのは、私が「できないことには手を出さない」「知らないことには口をはさまない」という保身術を実行していることと、それでも(欲が出て)手を出したり口を出したりする場合は、必ず「自分がどれくらい信用できない人間であるか」の告知を怠らないこと(それは「私の言うことの真偽判定はみなさんがしてください」という「訂正の回路」をつねに開いているということである)によって担保されているからである。
そう私は思っている。

しかし、この「自分のバカさをあらかじめ告知しておけば、何を言ってもへいちゃら」という理論の汎用性を私自身が過大評価した場合、私の身にはいったいいかなる天罰が下るのであろうか・・・

あ、その場合に私の身に天罰が下るのは私の理論の正しさを証明することになるわけだから、ぜんぜんオッケーなんだ。
なんだ、そうか。
こりゃ気楽でいいや。
正しくても間違っていても、どちらにしても正しい。
これは最強の理論だな。
たいへん汎用性が高い理論なのに、採用してくれる人がぜんぜんいないというのが唯一の欠点ではあるが。

  

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2005年01月27日

正しい歯医者の見分け方および昔のゼミ生と会ったときの適切な応対について

1月26日

ぼろぼろになって起き出して、とりあえず予約を入れていた歯医者に行く(メル友の鈴木晶先生もいま歯ではえらい目に遭っているようであるが、歯が痛いのはつらいですよね)。
小休止ではなく小臼歯が(ああ、この変換ギャグはキーボードを打つ前に予見されていた)ぐらぐらになっていて、「あ、これは抜きましょう」とずっぽり抜かれてしまう。
「あ、こっちの小臼歯もダメだなあ・・」
ということはどんどん歯がなくなっちゃうってことですか、E阪先生!
私の通っているE阪歯科は「看板の出てない歯科医」である。
あまりに名医なので、これ以上患者が来て貰っては困るので、ふつうの家で診療をされているのである。
だから「ご紹介」の方しか診療していただけないメンバーズオンリーの排他的な歯科医なのであるが、私は「名医は名医を知る」の法則に従って三宅先生のご紹介でこの希代の名医の治療を受ける恩恵に浴しているのである(E阪先生は三宅先生に職業病の腰痛を治して貰っている)。
歯科医についての名医の条件をひとつだけ申し上げるなら、「決して患者を責めない」ということである。
これまで私が通ったすべての歯科医は私の歯を診たあとに、「あのね・・・ブラッシング、ちゃんとやってないでしょ。歯垢がべったりついてるよ。ああ、こんな磨き方じゃもう何年もしないうちに歯なくなっちゃうよ。おら、鏡で見てご覧よ、このきったねー歯垢」というようなことをばりばり言われるのである。
先方の言うことはまったくごもっともなのであるが、こちらは「歯が痛い」、「仕事のあいまに必死に時間を作って診療に来ている」、「治療費を払っている」などもろもろのネガティヴ・ファクターをすでに抱え込んでだいぶへたっているのである。
それに追い打ちをかけるように「これはすべてあなたの自業自得である」と宣告されて、「では、これから未来永劫にこの歯科医について行こう」という意欲が湧くかというと、凡夫の悲しさで、そういうふうにはならないのである。
こちらも、「歯が痛くない」、「ひまでしょうがない」、「金がもらえる」などの条件が整っている場合であれば、かかる叱責を甘受するにやぶさかではない。
しかし、これでは「盗人に追銭」(これはちがうな)というか「弱り目に祟り目」(あ、こっちね)である。
歯科医に継続的に通院して適切な治療を受けるためには、「歯科医に行っても人格的欠陥を問責されない」という条件が欠かせないと私は思う。
人間は弱いものである。
「歯が痛い」と「私は愚かな人間だ」というふたつの事実(事実だから反論できない)に同時に直面できるほどタフな人間はあまりいない。
せめて一方の心的負荷だけは解除していただけないものか。
その点で、E阪先生は「名医」である。
先生はすべてを「歯のせい」にしてくれる。
「ああ、この歯はもうダメですね…弱い歯だったんですよ。でも、大丈夫、隣の歯は丈夫だから、これにブリッジしてインプラントでいけますよ」
というふうに患者である私と治療者である先生がともに「悪い歯」によって受苦する「共通の受難者」という立ち位置を取られるのである。
歯医者の治療行為というのは「痛い」ものである。
その「痛み」の責任は「痛がっている当人」が100%引き受けるべきであるという「物語」の文脈に身を置いて「痛み」を引き受ける場合と、その「痛み」は私とは無関係であり、私はむしろ歯の痛みの「被害者」なのであるという「物語」のうちで歯をがりがり削られるのでは、痛みの意味が違う。
その点で、E阪先生は名医であると私は思う。
先生はかなり痛い治療もおそらくはされているはずであるが、私はそれをあまり感じない。
それは「痛み」と「私」のあいだにE阪先生が断絶を設定してくれているからである。
『野生の思考』の冒頭でレヴィ=ストロースは呪術医療の治療効果は「物語」の力であるということを述べているが、物語の力が威力を発揮するのは近代医療においても少しも変ることはないのである。
治療を終えて、だらだら血が出る歯茎にコットンをあてて「ふぎのよはくはいふへふか」とぼそぼそとつぶやいていると、E阪先生の奥様が抗生物質を出してくれる。
「ごはんたへてもいいへふか」とお訊ねすると、にこにこ笑いながら「食べてもいいですよ、でも血の味がしておいしくないわよ」とご懇篤な知見を語って下さった。

はふはふしながら、次はK田くんと面接で修論のチェック。
この状態で「レズビアニスムのジェンダー論的意義」について論じるのは困難なのであるが、約束しちゃったものはしかたがない。
芦屋のカフェでK田くんを前に1時間半ほど修論の問題点を指摘して、すでに性化されている論者が「性化のメカニズム」について論じる場合の「バイアス除去法」について語る。
同性愛について論じているK田くんは、ご本人の意図と無関係に1980年代生まれの阪神間のお嬢さんで神戸女学院大学の大学院生というきわめてローカルな性規範のうちにすでにはめこまれている。
その性規範を批判する場合でも、「私にとってきわだって癇に障る性規範」を選択する自由はない。
性規範を批判する人間自身が、どのような性規範をとりわけ選択的に批判するように条件づけられているのかという問いを自分に向ける習慣があるかどうかが批評性を最終的に担保するのである。
というようなことをはふはふしゃべる。
滑舌が悪かったので理解しにくかったであろう。
K田くん、ごめんね。

26日は朝から自己評価委員会。
姉妹先生と良い先生(じゃなくて、島井先生と飯先生)と朝の10時から午後2時まで、教員評価システムの委員会原案を練る。
原案をあれこれいじりながら、ついでにあれこれととんでもない話をする。
あまりにとんでもない話なので、もちろんこのような場で公開することはできぬのである。
夜は光文社新書の『現代思想のパフォーマンス』の出版記念パーティ(っていうのかなあ)をハービスエントの「あげさんすい」にて開催。
ナバちゃんと光文社の古谷さんとご一緒に天ぷらを食べる。
どうもこの店にゆくといろいろな人に会ってしまうのであるが、今日はやあやあと店に入ってゆくといきなり若く美しい女性二人に嫣然と微笑みかけられて、やっどうもと片づかない顔をしていると「センセイ!私のこと覚えてないんですか!」と責められる。
あの…・どなたでしょう。
昔のゼミ生であった。
しかし、私も劫を経た教師であるからこういう時の逃げ口上はうまいぞ。
「あ、ムカイくんじゃないか。なんだ、すごく痩せちゃったから、わからなかったよ」
逆ヴァージョンは自殺行為だけど。

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2005年01月25日

霊的に濃い一日

1月24日

甲野善紀先生、名越康文先生を芦屋にお招きして、晶文社主催の「対談&鼎談」イベントが挙行された。

05012501.jpg 甲野先生、名越先生と

05012502.jpg 平野早矢香さんを囲んで(ドクターと私とウッキー)

はじめ「お囃子方」には守さんと飯田先生とウッキーの三人を予定していたのであるが、「お囃子方にまだ二三人空き席があります」とネットで告知したら、たちまち申し込みが殺到し、結果的になんだかものすごい人数が私の家の居間と和室にぎゅうぎゅう詰めになることになった。
武道関係はつくば大学の高橋佳三さん。スポーツ関係は卓球の平野早矢香さん(まだ19歳。こんなかわいい女の子が全日本二連覇したのである)とコーチの洲本高校の山田先生と豊田先生(仕事休んでこんなとこ来ちゃっていいんですか)。メディア関係はAERAの石川さん、毎日新聞の中野さん、角川書店の江澤さんと金子さん、途中から『ミーツ』の江さん。それにIT秘書のイワモトくん(彼も仕事を休んで来た)と主治医のドクター佐藤。夕方から参加の名越先生が秘書をおつれになったので、勧進元の晶文社の安藤さん足立さんを加えて瞬間最大人数は20人に達したのである。
それだけの人数がひしめくところで甲野先生がいきなり講習会をはじめてしまった。
「三畳一間あれば講習会はできます」とおっしゃった通り、甲野先生はいくら動いても足音がしない。二尺七寸の長剣をらくらくと抜き、杖をふりまわしても何にも当たらない。
でも、先生の動きを見ているうちに興奮して立ち上がって稽古をはじめちゃった人たちがいるからさあ大変。
階下の住人から「いったい何をやったらこんな音が出るんだ!」と怒鳴り込まれたらどうしようと生きた心地がしなかった。
講習会が一段落してから、いよいよ甲野先生とウチダの対談が始まる(これは名越先生を加えた鼎談とは別の本の企画なのである)。
しかし、「ちょっとこんな話してもいいのかなあ…これあとで編集でカットしてくださいね」という「言い訳」を一回許したのが運の尽き、もう絶対に活字にできないようなとんでもない話がじゃんじゃん出てきて(一番ヤバイ話をしたのは高橋さんだけど)、座は異様な盛り上がりを見せたのである。もちろん、そのような話は決して書物では読むことが出来ないのである。みなさんには気の毒だけど。
1時から6時まで講習会付き対談(といいながら守さんと高橋さんは私たちと同じくらいたくさんしゃべっていたので、四者会談かな)。
6時にいったん休憩をいれて、買い出しに出かけて、山田先生がご持参くださった山盛りの「ふぐ」を材料に「てっちり」と「寄せ鍋」を作成。
ビールで乾杯してから、これを全員でぱくぱく食べる。
そこに名越先生が登場されて、いよいよイベント後半の二年半ぶりの「邪悪なものの鎮め方」パート2。
オウム真理教の霊的格付け、S価学会の集団折伏の霊的パワー、911後の元宇佐神社における霊的戦争というような定番的なお題から始まって、名越先生から少年Aの治療経過やクリニックにおける壮絶な症例研究の話をきいているうちにあっというまに11時を過ぎる。
まことに中身の濃い話でありました。
しかし、さすがに甲野、名越という二大畸人をはじめ「めちゃ濃い」人々を十時間近く狭い空間にとどめおいて、全員が心的エネルギーを発したために、ラポルテ東館南棟にはあきらかに「気の偏倚」が生じてしまった。
これについてはすでに三宅先生から、「1月24日にはJR芦屋駅付近には近づかないように」という霊的警告が関係各方面に発されていたのであるが、うかつにもその警告を私はそれほど重くは受け止めていなかった。
甲野先生、名越先生が帰られたあとの12時過ぎから「残存霊気」の作用によって残ったメンバーの情緒が急激に不安定になる。
あの優しいドクターがまずすごくイジワルになり、いつもにこやかな江さんが怒りだし、中野さんが泣き出し、ウッキーは叫びだし、私までも飯田先生が「言っていないことば」を幻聴で聞いて烈火のごとく怒って飯田先生を泣かせ…最後まで冷静を保っていたのは足立さんだけであった。
あれだけ濃いメンバーをこのような気密性の高い空間に長時間閉じこめておくことの危険をもう少しはやく気がつけばよかった。
私の個人的な印象では、この日いちばん気の付置をはげしく動かしたのは名越先生のようである。
私はわりと「アース力」の強い人間で、場に凝縮した霊的エネルギーを「放電」するのが特技なのである。
だが、今度ばかりは甲野先生名越先生のお二人という強烈な人が霊的出来事にかかわる話題を数時間したわけである。
それに賦活された座の人々の無意識的な「発電」が私の「放電」容量を超えたために残存したエネルギーがその場にとどまった人々の情緒の壊乱をつうじて「リリース」されるというかたちになったようである。
翌日ぼろぼろになって三軸で治療を受けていたら、三宅先生が「そのメンバーだとラポルテのコープの野菜がかなり傷んだでしょうね…」とぽつりとつぶやいた。
なぜか昨日の夜の宴会中と本日の治療中に池上六朗先生からお電話がかかっている。
昨日は『先生はえらい』の感想をお伝えいただいたのであるが、池上先生のようなお忙しい方が特段の用事もないのに私にピンポイントで電話をくれるというのは、この場の「霊的異常」を感知されて、私に「リンク」を張ってくれようとしたものと思われる。

「こういう話」は分かる人には分かるし、分からない人には分からない。
分からないからといって別に不自由なことがあるわけではないので、「霊だの何だのと非科学的なことを大学の教師が言うな」と怒るひとを説得しようという気は私にはぜんぜんない。
でも、甲野先生が武術の経験から得た知見と、名越先生が精神病の臨床経験から得た知見と、私が哲学者から学んだ書物的知識が「こういう話」においてぴたりと符合するという事実を私は看過しようとは思わない。
『他者と死者』や『死と身体』は学術書として面白く読めるが、「こういう」うさんくさい話には耳を貸す気にならないという人たちがたくさんいるが、私はどこでも「同じ話」をしているのである。

投稿者 uchida : 21:42 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月24日

新しい愛人が来る

1月23日

京都の小林さんご一家がお見えになる。
インプレッサ引き渡しの儀を執行するためである。
まずご一緒に元町の香港茶楼にて、ゆきちゃんの誕生日祝いをかねて飲茶を喫し、しかるのちわが家に移動して、インプレッサをガレージから出して、キーをお渡しする。
午前中にトランクに積み込んであったがらくたやグローブボックスに押し込んであったカセットテープ類をおろして、洗車と車内清掃して、切れていたブレーキランプを換えておいたので、車はつるつる。
「ちょっと車貸して」というときにキーを貸したことはこれまでも何度かあるが、走り去るのを舗道で立ちつくして見送るのは、これが最初で最後である。
芦屋駅前から加速してJRの下を気分よさそうに曲がって行くのを見送る。
なんだか長く付き合った愛人と別れるような切ない気分になる。
きゅん。

今日もまた卒業生が登場。
学生や卒業生が大学院を受けるとき、専攻ゼミの指導教員は推薦書に「所見」というものを書かなければならない。
これがけっこう「駆け込み」でくる場合が多い。
「来週が締め切りなんです」というのはまだいい方で、いままでで一番ひどかったのは、研究室に走り込んできて「先生、いますぐ推薦状書いてください。今日中に郵送しないと間に合わないんです!」というのがいた。
それも英語で。
私が研究室にいなかったらどうするつもりだったのだろう。
ハシくん、キミのことだよ。

推薦状を三枚書いてぺこぺことはんこをおして、できあがり。
奈良まで帰るそのN川さんと駅前で別れてから、てくてく歩いてハットリモータースにBMWを取りに行く。
ディーラーに用事があってこれまで三度通ったが、いずれも原チャリか徒歩。
原チャリをキキキとショールームの前に停めて、BMW購入の「ご商談」をするお客さんというのはあまりみかけない。
「原チャリでベーエム買いに来るお客さんていないね」と営業のトモノくんに前に言ったら「は、でも、社員の中には自転車で通ってくるものもおりますから」というフォローにならない答えをしていた。
「あ、ウチダさま、歩いていらしたんですか?おっしゃっていただければお迎えにあがりましたのに」
だって、ここうちから歩いて五分じゃんか。迎えなんかいらないよ。
訊くところでは、新車購入をされるクライアントの中には納車どころか、試乗車を家まで持ってこい、というようなことを営業マン相手になさる方もままおられるそうである。
車一台買うくらいのことで何をそんなにもったいぶるのか、私にはよくわからない。
八百屋に向かって「キャベツ買うたるから、家まで三つ四つ見本みつくろってもってこいや」というような無法なことを言う顧客はおらない。
キャベツと車のどこが違うのであろうか。
よいキャベツは目と目があったときに「あ、これ」と買い物かごに入れる。
車もまた同日の談である。
私は実物を見ないで、カタログの小さな写真を見ただけで、「あ、これ頂戴」と決めたので、「写真見合い」の花嫁を迎える心境である。
「こちらでございます」
おおお、銀のシャコタンだ。後光が差している。
トモノくんにいろいろと諸計器の使用法の説明を聞く。
超ハイテク車なので、15年前に乗っていたミニとくらべるとコックピットでの手作業の種類は「馬車」と「ジェット機」くらいの差がある。
「これをこうして、さらに押し続けますとこうなります」
「おおおお」
「ここをぴっと押しますと、こんなものが出て参ります」
「やややや」
「ここをタッチいたしますと、これがぱこんと外れて」
「げ」
というようなやりとりを1時間ほど続けて、最初のうちに聞いたことのほとんどを忘れた状態でキーを受け取る。
カーナビで映画も見られますが、ご説明しましょうか?ということであったが、そんなものを見ていると命がいくつあってもたりないので、もういいですとお断りして、とりあえず車を道路に出す。
シャコタンなので、シートを一番下まで落として、ハンドルを最大まで伸ばして下におろすと、ちょっとしたレーサー状態になる。
オートマなんだけど、チェンジレバーを「ドライブ」のところから「M」にシフトすると、「マニュアル」っぽくにも運転できるらしい。(どういうメカニズムかは私の理解力を超えているが)
さて、アクセルをぎゅんと踏んで・・・ああああ快感。

新しい愛人

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2005年01月23日

最近の卒業生とだいぶ前の卒業生のこと

1月22日

「ぷー」のさっちゃん、ロペのながもっちゃん、SEのウェスの卒業生三人組が遊びに来る。
別に喫緊の用事があるわけではなく、老師の草庵を訪れて無聊を慰めるとかそういう積極的な趣旨でもないらしく、「へへへ」と頭をかきながら遊びにきて「センセ、辛いもの食べられません」とか「繊維質は歯にはさまるからダメです」というようなことを告げて、ごはんをぱくぱく食べる。
どうやらさっちゃんが「愛・地球博」(どうでもいいけどこの駄洒落は凍るね)のコンパニオンとして一時的に「ぷー」状態を停止することの奉祝行事であったようである。
先生は本たくさん書いてるんですね。ジュンク堂に平積みしてありました。
と口々に報告はしてくれるが、誰も「読んでます」とは言わない。
向学心の薄い教え子たちである。
しかたがないので、そこに積んであった『先生はえらい』の見本刷りをネコマンガサイン入りで手渡し、「これを帰りの電車の中で熟読玩味し、老師の教えを各自拳々服膺するように」と厳命する。
そこにそのさらに数年前の卒業生のイノウエさんが紛れ込んできて(これは文字通り、「紛れ込んできた」としかいいようのない驚くべき出現の仕方であった)、話題は転々奇を究めたのであるが、落ち着くところはいつもの「恋愛話」。

若い女性のうちに「おじさん的セクシュアリティ」がいかに浸潤し、それが彼女たちのやわらかい個性をどのように損なっているかについて諄々と説き聞かせる。
「おじさん的セクシュアリティ」というのは、厳密には「おじさんオリエンテッド・セクシュアリティ」、つまり世の「男性誌などが『男はこういうのが好きなんだよね』というイデオロギッシュな大気圧をかけまくっているところの定型的なセクシュアリティ幻想」を内面化することである。
私のHPにその種の固有名を記したくはないのであるが、「K姉妹」とか「Yキャブ」とか「D夫人」とか…そういうものが表象するところの「何か」がある。
何だかわからないけどさ。
その「何か」を「セクシュアルである」と判定する価値観があり、その価値観自体は男女双方に共有されている。
セクシュアリティの記号を送信する側と受信する側に「解読コード」が共有されていなければ、それは「セクシュアリティ」としては認知されないからね。
私はその解読コードのことを「おじさんオリエンテッド・セクシュアリティ」を名づけており、そのようなものが瀰漫することにあまりよい印象を持っていないのである。
おじさんオリエンテッドそれ自体が悪いと申し上げているのではない。
「瀰漫」が気に入らないと申し上げているのである。
セクシュアリティをある定型に回収しようとする(ほとんど暴力的なまでの)社会的圧力が気に入らないのである。

どうして性的嗜癖を定型的に集約することに、これほどメディアが熱中するかというと、もちろんそれはその方が資本主義の要請にかなっているからである。
「人の好みは十人十色」では資本主義は困るのである。
好みがばらけて離散的に安定してしまうと市場は停滞してしまうから。
「同じもの」に消費者の欲望が集中し、その欲望が絶頂まで亢進すると、ただちに次のものに欲望の焦点が移行し、それまでの欲望の対象が弊履の如く捨てられるというのが資本主義的な大量消費・大量廃棄プロセスにとってはベストの展開である。
性的嗜癖が一点集中的な仕方で連続的に推移することはファッションや化粧品やサービスのマーケットからすればたいへんありがたい状況である。
「おじさんオリエンテッド・セクシュアリティ」を歴史的に一望すれば、たしかにそこにはある種の「経年変化」というものが看取されるであろう。吉永小百合から栗原小巻を経由して天地真理(ああネタが古い!)というような。
それをして「性的嗜癖の多様性が実現された」と祝福される方もおられるだろうが、私はそれに同意することができない。
連続的に見たときに「ぱらぱらマンガ」的には変化があっても、同一時間帯内では多様性が確保されていないからである。
その点についてもうすこし世間のみなさま(って誰だ)はご配慮いただけないであろうか。

遅い年賀状のご返事が溝口百合さんから届く。
溝口さんは私が着任したころに神戸女学院の理事をされていた同窓会の重鎮のおばさまである。
知性と信仰と諧謔精神がみごとなバランスを保った「神戸女学院的なるもの」のある種の体現者である。
どういうわけか私はこの「生ける神戸女学院精神」のようなおばさまと十五年来粛々と年賀状を交換している。
最近は大病をされて読書もままならないようだけれど、年始から私の『他者と死者』を取り寄せられご高覧頂いたそうで、その感想が葉書にびっしりと記してあった。
あまりにありがたいお言葉であったので、ついうるうるしてしまった。
葉書の最後の方はもう文字を書く余白がなくなってこんなふうに終わる。
「すでに過去の人間は只祈るのみ。KC130年、戦後60年、私自身が阪神震災10年、大手術1年弱、ご著書拝読二週目(チェシャキャット)」
素敵な人だと思いませんか。

IT秘書から「明後日に200万ヒットになりそうですから、また『賞品』を出してください」という連絡が入る。
秘書の指示にしたがいまして、「200万」ジャスト賞の方と、前後賞の方には、『先生はえらい』のネコマンガサイン入りをお送りいたします。
えっとどうやって数字をゲットしたことを証明するのか、やり方を忘れてしまいましたので、それは秘書から聞いて下さい(イワモトくん、コメントに書いておいてね)。

投稿者 uchida : 11:44 | コメント (6) | トラックバック

2005年01月21日

『先生はえらい』!

1月21日

筑摩の吉崎さんが芦屋に来る。
『先生はえらい』がいよいよ出版されたので、その見本刷りをご持参下さったのである(ついでにもろもろのビジネス的交渉もなされた)。

先生はえらい 先生はえらい/ちくまプリマー新書 002

ご持参の「あんこもの」を頂きつつ、「首都大学東京」的な教育理念がどうして豊穣な成果をもたらし得ないのかについて、あれこれ語る。
『先生はえらい』という私の書物のコンセプトに即して言えば、「首都大学」的教育理念はひとことに尽くせば「先生はえらくない」である。
先生はえらくなく、大学はできれば学生がそこに立ち寄らない方がよい場であり、学術情報は「銀行預金」のようなものとして観念されているのであるとするならば、そこではいかなる「学び」も成立しないであろう。
もちろん、できるだけ少ない労力で学士号をゲットしたいというふうに功利的に発想する青少年のいくたりかは首都大学に集まるであろうが、何かを「学びたい」という欲望を喚起する力はそこでは構造的に損なわれている。
現に、大学の教員公募にはフルエントリーしているはずのM武くんも、なぜか首都大学だけにはアプライしなかった。
その消息をご本人は私あてのメールでこう述べている(勝手に引用してすまぬ)。

ちょうど就職活動する意欲が湧いてきた時期だったので、公募サイトで社会学系の求人をいくつかアップした中に、首都大、ありました。
片っ端から出すつもりで揃えたものの、無味乾燥で無個性なはずの公募情報の行間から、なーんか、実に、いやーな予感がしたんですよね。
・・・これはヤバイ大学だ、うっかり出して採用されたら大変だ、と、不遜にも選り好みして、出しませんでした。

マブダチのIは、とにかく就職したがってるので、「もしかして、首都大学、出した?」と恐る恐る聞いたら、「出してない。ヤバそうだもん」と即答。
見つけた公募は隣接分野まで全て応募、を旨とするIすら回避。

教員を大事にしてくれなさそうな公募条件でした。
意欲や自信や危険察知能力のある若者は、あまり応募しないでしょうね。
どんな人が応募していて、どんな人が採用されるんかな?
そういう点で、私にとっても展開が興味深いです。

というなかなかに興味深いコメントである。
首都大についてほとんど何の情報も持たないまま猟官活動に精を出している諸君にしてかくのごとく本能的危機を察知されているわけである。受験生諸君の直感はどのような反応をするのか、私も興味深いです。

『先生はえらい』は吉崎さんが筑摩に移って企画出版した最初の本だそうである。
当然、メジャー移籍初打席ホームラン、スペインリーグ移籍初ゴールを切望するのは人情のしからしむるところである。
私もできることなら彼の初夢をかなえて差し上げたい。
ともあれ、セールス的にはなかなか見通しは悪くないと私は思う。

第一にタイトルがよい。
「先生はえらい」
八文字であるが「せん」の「ん」は撥音であり「せい」は「せー」であるから、それぞれ0.5モーラずつ引いて、7モーラ(拍)とカウントしてよろしいであろう
よいタイトルの条件は「5モーラ」あるいは「7モーラ」である。
この法則は朝カル・プチ宴会の席で白石、藤本という二人のスーパー・エディターがすでに看破したものである。
なぜタイトルのモーラ数が問題になるかというと、5モーラ、7モーラのタイトル名は「言いやすい」からである。
友だち同士で本の話題をするときに、「言いやすいタイトル」の書物はあきらかに「言いにくいタイトル」よりも言及回数が有意に多い。
『燃えよ剣』は『燃えよ剣術使い』よりも、『ドラゴンボール』は『ゴルフボール』よりも、『身体と間身体の社会学』は『身体と間身体の科学』よりも言いやすい。
微妙な差ではあるけれど、「口頭に於ける被引用回数」において、5モーラ、7モーラあるいはその組み合わせによるタイトルはあきらかに有利なのである。
だから、同一の書物が『先生はえらいのである』とか『先生がえらくてなにか問題でも』いうようなタイトルになると、当該書物について話題にする意欲が微妙に殺がれるものなのである。

第二に、「先生」をほめる本というのは払底して久しい。
現代日本においては学校と教師と文部科学省の悪口はいくら言っても誰も咎めない、ということがメディアの「常識」となっている。
常識となったのには、それなりに悲しい「前史」というものがあるので誰を責めることもできぬのであるが、それにしても、そろそろ『学校は愉しい』とか『先生はえらい』とか『がんばれ!文部科学省』とかいう本が出てこないと世論の行き過ぎに対する補正というものができないのではないかと私は危ぶむのである(文部科学省から要請があれば、私とて『がんばれ!文部科学省』の企画を出版社にオッファーするにやぶさかではない。神戸女学院大学への補助金支給についてご高配いただけるのであれば、「やぶさかでない」を「前向きに検討」に書き換えてもいい)。
当然、そのような励ましのことばに飢えている日本中の「先生」たちがこのタイトルを書店で見たときの反応は想像に難くない。
私のようなリアルでクールな人間でさえ、仮に書店で『仏文学者は頭がいい』とか『合気道家に恋をして♡』というようなタイトルの本を見た場合には、とりあえず内容にかかわらず「これは購入して内容の当否について仔細な検討を加えねばなるまい」という決断をためらうことはないであろう。
日本中の学校の先生のおおかたの自制心を私と同程度と想定するならば、これは「非常にキャッチー」なタイトルと申し上げてもよろしいかと思う。
それゆえ、日教組と文部科学省が揃って本書を「指定推薦図書」にするという可能性も完全には排除できない。
「先生」について書かれた本で、日教組の悪口も文部科学省の悪口も書いていない本などというものはおそらく現存しないからである。
それどころか、この本には生徒学生諸君の素行を難じることばも、家庭教育の不備を憂うことばも、自民党文教族を咎めることばも、ひとつとして書かれていないのである。
そのような教育論はきわめてレアであると申し上げてよろしいかと思う。
では、いったいこの本は何を難じているかというと、
驚くべきことに、何も批判していないのである!
そのような教育論をあなたは読んだことがあるだろうか。
私はない。
既存のいかなる制度文物をも批判せずになお成り立つ教育論とはいかなるものか。
私だっていきなりそう訊かれたら、見当もつかない。
書いた本人が見当もつかない本なのであるから、まだ読んでいない人々がその内容を忖度することは絶望的に困難であろう。
そういう本をあなたは読まずに立ち去ることができるだろうか?
私ならちょっと読んでみたい。
本屋で立ち読みするくらいのことはしてもよい。
そして、この本のたちの悪いところは、本屋で立ち読みすると、そのままあっというまに最後まで読めてしまうことなのである(なにしろ薄いから)。
それでは本が売れないではないか、とご懸念される方もおられるであろう。
ご心配には及ばない。
最後まで読み終えて深いため息をついたときには、この本の最初の方には何が書いてあったのか、ぜんぜん思い出せないように書物は構造化されているのである。
なにしろ書いた本人が最後まで読み終えたあとに、「どうしてこういう結論になるんだっけ…?」と訝しく思って最初から読み直したくらいである。
さすがにそこまでゆけば、いくら寛容なるジュンク堂他の書店においても、「お客さん、二度読むくらいなら買って帰られたらいかがですか。760円なんだしさ」という購入促進行動を書店員諸君がためらうことはないであろう。
というわけで、『先生はえらい』はもうすぐ全国書店にて発売されるので、私のかかる販促発言の当否を検証すべく、書店において当該書物を手にされんことを祈念して出版のご挨拶に代えさせて頂くのである。

投稿者 uchida : 23:28 | コメント (1) | トラックバック

2005年01月20日

首都大学東京の光と影

1月19日

後期の授業が終わったが、私に休日は訪れない。
初日はまず東京都立大学の西川直子先生に「さよなら都立大仏文」の記念講演にお招きいただいたので、とことこ南大沢まででかける。
たいへんフレンドリーな雰囲気のなかで、気持ちよく1時間半ほどおしゃべりをさせて頂き、その後には仏文のみなさんにご懇篤なおもてなしを頂いた。
学期末ご多用の中、ご準備の労をとって頂いた西川先生はじめ都立大仏文の先生がたに感謝申し上げます。どうもありがとうございました。

05011901.jpg なつかしい都立大のみなさん

ご承知のように、東京都立大学はこの三月をもって大学としてはなくなる(移行期間の5年間は「旧制度」として名称は残るらしい)。代わって「首都大学東京」(略称「くびだい」)という石原慎太郎都知事のイニシアティヴのもとでの新しいタイプの大学に変貌する。
仏文はなくなる。
一キャンパス全体が「都市教養学部」という一学部になり、学長・理事長をトップとする上意下達システムで運営され、教授会ももうなくなるそうである。
首大がどういう構想の大学か、新学長と石原都知事のコメントを拝読してみよう。
まず、西沢潤一新学長のおことば。

このたび、計らずも首都大学東京の学長を2005年4月からお引き受けすることとなり、今更ながらその責任の重さをしみじみと噛みしめているところです。 明治以来、欧米流の学校教育が導入され、それまでの日本文化に基づいた学校教育の基礎の上に殆ど毎年改廃があったと云ってもよい程激しい改革が行なわれ、その結果、相当評価される境地に達することが出来たことが、明治以降の日本の大躍進を呼び起したと云えるのではないでしょうか。正に米百俵であったのです。
しかし、その後、全く新しい発想の下に出発していた私立大学ですら、一様に東京大学をその理想として画一化がはじまりました。特に戦後の新制教育が導入されてからは急速に進められたのです。差異の表現は只一つ、偏差値でした。
そもそも、公立大学は地元が欲する人物を養成する目的で、地元が設立したものです。東京は、長い間、日本の首都機能を果して来ました。そのノウハウは膨大なものがあります。そして今、日本の中のみならず、アジア全体が都市化に狂奔しています。此の時に当って、 東京は、その経験を人間的でありながら、効率化を実現する新しい都市構成を形成させるべき人材の養成と手法の向上に努めるべきではないでしょうか。
大体日本の思潮は相手の理解に基づいています。決して余分に時間をかけることを自慢するようであってはならないのですが、相互理解を進めて、妥協し合うのです。明石さんがカンボジアで推進されたことです。「世界中に只一人でも不幸な人が残っているうちは、個人 の幸福はあり得ない」と云う宮沢賢治の精神が、その基礎です。この北アジアの精神とも云うべきものが、賢治に集約され、新渡戸稲造先生が国際連盟を作られ、国際連合に引き継がれたのです。新渡戸先生は賢治精神の政治哲学における実践者だと思います。
この精神を東京市長の経験を持つ内務大臣として大震災後の復興に実現されたのが後藤新平先生です。昭和道路は有名ですが、三多摩地区においても、利用目的も見当らなかった土地を買い上げて市有地としました。今、汚染物質の発生しない土地として多摩の上水を 生じ、これが東京都民の水道源となっています。都民全体の生活を考えてこその着眼だったのではないでしょうか。都市工学の開祖です。 今、東京に集る若者が、先ず東京を日本文化に基づいた理想都市化する、これが新大学だと考えています。

これが新学長からのメッセージの全文である。
意味わかりました?
私には「意味ぷー」であった。
さしあたり私にわかるのは、この文章を書いた人間は、あまり日本語運用能力がないということと、論理的思考が苦手らしいということと、自分のことばを聴き手が理解してくれるかどうかということにはあまり興味がないタイプの人間だということであった。
そういうタイプの人間が教育事業に適性があるのかどうか、私はいささか懐疑的であるが、諸賢の印象はいかがであろうか。
新渡部稲造が「国際連盟を作った」ということもはじめて聞いた。
首都大学の入試で「世界史」「日本史」を選択する受験生諸君は慎重な配慮が必要と思われる。

「意味がわかる」という点について言えば、次の石原慎太郎のことばは西沢新学長のものよりずっとクリアーカットである。
では都知事からひとこと。

 来年の四月から、いよいよ既存の都立大学をはじめ四つの大学を束ねて「首都大学東京」という、今までになかった全く新しい形の大学をつくります。
 今、在学中の学生さんにも勿論そのまま続けて頂き、これから新入生になろうとする人たちに、この大学の新しい感触をぜひ知って頂きたいと思っています。
 今、大学に行っても、何かあまり面白くないと感じている学生が大勢いるでしょう。私自身、もう何十年も前ですけど比較的官学の中の私学と言われているような割と自由な大学を出ましたけれども、それでもあまり勉強はしませんでした。というのも、大学の先生も毎年同じ講義を繰り返している人ばかりでした。ただ、やはり、あの頃から一橋大学と東大の交換授業が始まり、学生の分際で生意気かも知れませんが、東大の経済学の先生の話を聴いて「こんな古くさいマルクス経済学を今頃東大はやっているのか」と、聴きながら馬鹿にしたような覚えがあります。東大の学生もそれで満足したのか不満足だったのかは知りませんが。
 いずれにしろ、もうそろそろ、学生を教えている先生そのものも自己批判して、自分がどんな授業をするかということだけではなく、それも含めて大学のカリキュラム全体のあり方を考えなければ、現代という非常に速く変化し様々なニーズが出てきている時代に、若者の欲求を満たすような大学にはなり得ないと思います。
 新大学には、色々な新しいシステムを取り入れます。例えば、学生の皆さんが大学に入った後思い立ち「よし、俺は青年海外協力隊で一年間カンボジアへ行ってくる」とか「アフリカへ行ってくる」という場合でも、それを得難い体験として修学と同様に評価し進学させたり、それを単位にしたりすることを考えています。
 また、他の学校の、あの先生の講義を聴いてみたいという場合には、その大学との約束も取りつけた上で、単位を銀行の預金のように蓄積して卒業の条件に叶えてもらうことも考えています。
 さらに、産学協同という言葉がありますが、研究の分野だけではなく一代にして自分の創意で大変面白い、新しい企業を創った経営者の人たちに専任講師になってもらい、集中講義をしてもらうことなども有益です。そのような人たちの話を聴いた方が余程面白いと思います。生活感覚もない先生の経済学や経営学の話を聴くよりも、例えば「百円ショップ」を創った人が、どうやって創ったとか、今、プロ野球で問題になっている、皆さんとそんなに歳も変わらないライブドアや楽天の経営者が、どうやって既存の企業に見切りをつけ、どういう発想で何を考えて何をやったかということを聴くことは、大変刺激になることでしょう。いちいち鉛筆で先生の言っていることを写すような授業よりも、はるかにアクティブで人生のためになると思います。
 私は、出来れば一年生や二年生は全員昔のように寮に入ったらいいと思っています。昔の旧制高校の寮をそのまま復活するつもりはありませんが、同じ屋根の下で一緒に寝起きし飯を食って酒を飲むという、そういう付合いというものが今の日本の社会ではなくなってきています。そういったことが、大学生たる若い皆さんの人生をどうやって形づくっていくか、それは非常に有効なものだと思います。
 そして、何といっても学長はあの東北大学を立て直した、特に文部省と東大の権威に真っ向から反対してきた西澤潤一さんという教育者としても卓見を持ったすばらしい方です。私は昔から存じ上げていますが、ようやくこの人をくどき落として学長に迎えることができました。西澤さんも「やるなら、まず東京からだ」と本当に新しい大学の創設に協力していただいています。
 しかも、都立大学に限らず、いろいろな大学を卒業し成功している大・中・小の優良企業の経営者の方々で日本の教育を憂いている人たちばかりが、新しい「首都大学東京」をサポートしていく、あるいは学生たちをサポートしていくチームを作ろうということで、この十月に東京Uクラブが発足しました。
 そういう点で、社会を広範囲に覆う人脈というものがその核に大学を据えた形で、新しい大学の運営というものを考えていきたいと思っています。とにかく奮って応募して頂くとともに、いろいろな人材がここから輩出していくことを熱願しています。

品格とか文彩というものを期待する種類の文章ではないけれど、それにしてもここに盛り込まれた教育理念の「貧しさ」にはどなたも一驚を喫されるであろう。
もし、これが現国の問題だとして「作者は何を言いたいのか?」という問いが出されたら、みなさんはどうお答えになるだろう。
私が予備校教師なら、熟慮の末に「私は東大が嫌いだ」と「大学生は自分の大学の教師からほとんど学ぶことはない」を「正解」とするであろう。

若いころから彼の書く文章には、東大がいかにろくでもない大学で一橋大学がいかによい大学かが繰り返し語られていたので、石原の東大嫌いを私は熟知しているが、七十歳を越してまだ「東大はダメで一橋がいい」ということを言いつのっているところをみると、これはもうほとんど「トラウマ」の域に達しているようである。
私も石原同様、東京大学というのがそれほどたいそうな教育機関だとは思っていない。だが、そんなことは日本国民のおおかたが熟知されていることのはずで、都知事が新大学の開校のメッセージにぜひとも書かなければならないほどのことではないように思われる。
他大学を名指しでけなすことばを開学の辞に含めるというのは、常識ある社会人のとる行動ではないだろう。

「大学生は自分の大学の教師からほとんど学ぶものがない」というのも、この文章の全体に伏流する主張であり、みなさんも私の読解に深く同意されると思う。
だが、その場合、それならどうして大学という制度を継続しなければならないのか、その理由が私にはうまく想像できない(どなたにも想像できないであろう)。
それよりはむしろ(これは前に書いたことの繰り返しになって恐縮だが)、「首都大」というサーバーを一個都庁の倉庫にでも置いてはどうか。
学生たちが「他の学校の、あの先生の講義」を聞きに行ったり、「カンボジア」に行ったり、堀江某の「金で買えないものはない」というような講演を聴きに行ったり、同年齢の友人たちとルームシェアして酒を飲むたびに、パソコンの端末から自己申告で「単位申請」を打ち込む。
そのように単位を「銀行に預金するように蓄積」して、124単位たまったら自動的に卒業証書がプリントアウトされるというシステムにすればよろしいのではないかと思う。
それなら、キャンパスもいらないし、教員もいらない。
サーバーのメンテをする派遣社員の二人もいれば十分である。
ときどき都知事と学長が「メッセージ」をHPに載せれば教育理念を周知徹底するには十分であろう。
それで学生一人から毎年数十万円の学費を徴収すれば、首都大学は都の財政負担を軽減するどころか、巨大な収入源になるはずである。
都の役人諸君にはぜひとも前向きでご一考願いたい。

憎まれ口はさておき、それよりも、私が気になるのは、この文章の「粗雑さ」である。
たとえば、次のような文章をみなさんはどう思われるか。
「私自身、もう何十年も前ですけど比較的官学の中の私学と言われているような割と自由な大学を出ましたけれども、それでもあまり勉強はしませんでした。」
中学生みたいな文である。
「比較的」という副詞は「自由な」におそらくかかるのであろう。
しかし「自由な」の前には「割と」といういささかくだけているが、「比較的」とほぼ同義の副詞が置かれている。
わが同僚の「赤ペン先生」ナバちゃんがこの文章の添削を委託されれば、ここは赤ペンでばしっと下線が引かれ、「同義の副詞を無用に反復してはいけません」というコメントが書き込まれるところである。
そのあとの「けれども、それでも」という接続の仕方も論理的ではない。
ここもナバちゃんなら、「『自由な大学』とそこで学ぶ学生の勉強量の多寡のあいだにどのような論理的関係があるのか、これではわかりません。『それでも』を逆接と取ると、あなたは『自由な大学では学生は勉強をよくする』ということを自明の前提としているようですが、その論拠が示されていません。もっと論理的な日本語の文章をたくさん読んで勉強してください」というようなコメントを欄外にがしがし書き込むであろう。
私はナバちゃんほどシビアな人間ではないので、気楽に読み飛ばしてしまったが、それでもひとつだけわかることがある。
それはこの文章を書いた人間は、書いたあとこれを読み返して推敲していない、ということである。
もし石原慎太郎が眼光紙背に徹するまで熟読玩味した末に「これ」を差し出したというのが事実なら、私はこの人物がかつて作家であったということを決して信じないであろう。
ということはおそらくこれは「知事、首都大のために開学のメッセージをお願いします」という秘書官の懇請に応じて「おう」と五分ほどで書き飛ばした文章だということを意味している。
都立の新しい大学の教育理念を全日本国民にむけて発信するメッセージを「五分で書きとばした」(のか「実は十分かかった」のか私には厳密に判定する術がないが)理由として、私たちが推論できることは一つしかない。
それは都知事がこの大学のことをあまり真剣には考える気がないということである。

日本語運用能力と論理的思考力にいささか難のある学長と、開設される新大学について(というよりそもそも「教育について」)真剣に考える習慣のない政治家によって領導される大学がこのあとどうなってしまうのか、推測することはそれほど困難ではない。

都立大学最後の「さよならイベント」にお招き頂き、なつかしい都立の先生たちを前にして、私は「文部科学省の高等教育再編構想と大学の機能分化について」1時間ほど語った。
論の性質上、首都大学東京の未来の見通しについても若干のコメントを述べさせて頂いた。
私の予測では、首都大学東京は日本の高等教育史に残る劇的な失敗例となるであろうというものである。
都立大学の教育理念を守るために悪戦してきた教員のみなさんや、そこで学びつづけなければならない学生院生の諸君にとってはたいへん気の毒なことであるが、私の予言は悪いことにかんしてはたいへん的中率が高いのである。

もちろん、私の予測を非とされて、首都大学東京の弥栄を念じている方もおられるであろうから、首大の「志願者数の前年比」や「合格者の平均偏差値の変化」については今後情報が入り次第ご報告して、私の見通しの当否については検証を行いたいと思っている。

ただ予言というのは、それ自体すでに遂行的なものなので、私のこのHPを読んで「首大受けようと思っていたけど、止めようかな・・・」という受験生も何人かはおられるであろうから、その点については予言の的中率を割り引いて頂かなければならないのである。

投稿者 uchida : 14:34 | コメント (6) | トラックバック

2005年01月18日

言論の自由と時間

1月18日

NHKの番組改変をめぐって議論がすこし熱くなっている。
これについては平川くんが「たいへん常識的な」(おそらく、それゆえ誰も口にしない)調停案を提言している。
私も同意見である。
政治的意見の公表についての私の立場はわりと簡単である。
「言う人」は好きなことを言いたいように言う。
その適否については「聞く人」に判断してもらう。
おしまい。
「言論の自由」というのは「そういうもの」だろう。
言論の自由というのは「言う自由」のことだけではない。
「言われたことば」の適否を判定する権利を社会成員が「平等なしかたで」分かち合うことも「自由」のうちにはふくまれている。
私が原則として検閲や自主規制というものに反対するのは、それが「適否を判断する権利」は「聞く人・読む人」の全員が分かち合うべきだという原則に抵触するからである。

今回のNHKの事件では、中川と安倍というふたりの政治家がいずれも自分たちには「言論の適否を判定する能力が、自分以外の人間よりも豊かに備わっている」ということを不当前提している。
代議士や与党幹部というのが、そんなに偉いものだったとは知らなかった。
中川昭一は朝日新聞とのインタビューでこう語って