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2004年10月31日

演武会・宴会・練習会・・・「会、ポン!」

10月31日

学祭演武会二日目は東大気錬会から内古閑伸ちゃんと常田Pちゃん、芦屋系男子部からはドクター佐藤とIT秘書がんちゃんが参加。OGたちもかなぴょん、くー、おいちゃん、えぐっち、せとっち、シオちゃん、大西さん、久保ちゃん…と各代から多数の参加者が来てくれて、演武番組が22もある大演武会となった。
HPで告知した甲斐あって、本田秀伸さん、街レヴィ派の小林さん、芦屋系の大迫力くん右田くんも遊びに来てくれた。
殊勝な主将ナオタロウの指揮よろしきを得て、在学生大活躍で、設営撤収もたいへんすばやく片づいた。
みなさん、どうもありがとう。
さっそく河岸を移してわが家で打ち上げ。
翌日が下川正謡会の秋季練習会なので、夜更かしはできない。10時散会をあらかじめ告知してあるので、スタートは早い。
ウチダは「待たされる」ことと「列を作る」ことが死ぬほど嫌いなので、うちで宴会をやる場合のルールは「私がいれば開宴」である(自宅以外の宴会でも、しばしば定時より前に、「私が到着したので、じゃ始めましょうか」と宣言することがある。意外なことに、この提案に反対される方はほとんどおられない。とくに到着しているのが私ひとりの場合には)。
したがって、私が家にたどりつくと同時に到着していないと「開会の乾杯」には間に合わない。
つきあいの長い諸君はそのへんの消息は熟知しておられるので、必死に交通手段を確保して私と同時到着をめざすことになる。
通常、いちばん高いシャンペンを抜いて最初の乾杯するので、このタイミングに合ったものだけがこの恩恵に浴することができる。
今回はPちゃん、ドクター、がんちゃん、ウッキー、I田先生がグッドタイミングで結集された。
以後、どどどど20数名が乱入。
一人新顔が来るたびに「おつかれさま」の乾杯をする。理論的にはいちばんあとに到着したものがいちばん多くの人々から祝福を受けることになるので、これはこれで合理的なルールなのである。
「一品持ち寄り」宴会なので、ものすごい量の食材が並ぶ。
昨日の持ち寄り品では「さといもコロッケ」(@前川さっちゃん)と「さといも明石焼き」(@えぐっち)のさといもシリーズ、一年生合作の「合気道オムライス」がたいへん好評であった。
私はいつもの「激辛颱風カレー」を提供。
これはかなぴょん、くー、おいちゃんの好物で、一瞬のうちになくなる。
シャンペン5本、釈先生からのいただきもの特吟を含む「呉春」二本などがまたたくうちに空になる。
5時間があっというまにすぎ、10時に「撤収!」の合図が出たが、あまりに大量の洗い物とゴミが出たためと、翌日の仕舞「玄象」の道順を忘れたI田先生のために型付集を取り出しての稽古などがなされたために、全員撤収したのは11時。
みんなが帰ったあとは台所がぴかぴかになっていた。

本日は下川正謡会の秋季練習会。
今回はドクター佐藤を見学に強引におつれする(こうやって既成事実を積み重ねて、しだいしだいに足抜けできない状態にしようという計画である)。
私は素謡『安達原』と仕舞『巻絹』のほか、『正尊』、『船弁慶』、『松風』、『砧』、『紅葉狩』、『櫻川』、『頼政』などの地謡がついて、70%くらいは舞台上。さすがに足がしびれた。
しかし、下川先生の横で地謡をさせていただくと、先生の声にこちらの身体がびりびりと共振して、わくわくする。
番組の最後が私がシテの『安達原』で、終わったところで『高砂』の付祝言「千秋楽は民を撫で、万歳楽には命を延ぶ。相生の松風颯々の声ぞ楽しむ颯々の声ぞ楽しむ」で締め。これもまたたいへんに気分のよろしいものである。
というわけでこれをもって殺人的多忙の10月も無事に終了。
生きて霜月が迎えられることになった。ありがたや。

投稿者 uchida : 23:20 | コメント (0) | トラックバック

2004年10月29日

祭りの準備

10月28日

フランス語と専攻ゼミを終わらせてからスーツを道着に着替えて、学祭の準備。
今年は在学生の人数が多いので、畳運びも楽ちんである。
学祭は合気道部の年に一度の「おひろめ」イベントである。
過去14年間、学祭に全日出勤している教員はたぶん私ひとりであろう。
お祭りと聞くと、なんだかわくわくしちゃうのだ。
会場設営後、稽古と演武会のリハーサル。
わいわい遊んでいるうちに日がとっぷり暮れてくる。
18時から「学習会」が始まるので、後事をかなぴょんとウッキーに委ねて、ふたたび「アルマーニの人」となる。
KO法律事務所のK田弁護士をお招きして、大学組合と「呼びかけ人」主宰の裁判闘争のための「学習会」がある。
私はこれまでさいわいなことに一度も裁判の被告になるという目にあったことがないのであるが、生まれてはじめての裁判に原告としてかかわることになった。
どうして私が裁判の原告になるような羽目になったか、ということの詳細はここでは申し上げることができない。
いずれ公的な事件となれば、その経緯をみなさんが知る機会もあるかもしれないが、とりあえずは、私の方から公表することは自粛したい。
裁判に持ち込む前に、和解交渉ができればよかったのであるが、先方が「こちらのやったことは適法である」とあくまで言い張るので、「それでは第三者の判定を受けなければなりません」と申し上げたら「受けて立つ」とおっしゃったので、適法違法の決着を司法に委ねるしかなくなったのである。
言っておくが、レートをつり上げたのは先方である。
K田弁護士が列挙してくださった最高裁判例を見る限り、勝訴の確率はかなり高そうである。
しかし、ほんとうの問題は個別的な事案に黒白をつけることではなく、こういうややこしい事件を繰り返し惹き起こしてしまう組織の体質をどうするかということにある。
K田弁護士が「こんな事件、あちらが『どうもすみません、間違えました』と言えば済むことなんですけどね…」とぼそっとつぶやいておられたけれど、まさに「どうもすみません、間違えました」ということを「言えない」という点が、現代日本におけるエスタブリッシュメントたちの知的・道徳的荒廃の徴候なのである。
そのことはこれまでも繰り返し書いてきた。
最初の小さな「ボタンのかけ違え」を「あれはかけ違えではない」と強弁しているうちに、収拾のつかない混乱が引き起こされる。
銀行の不良債権問題も、リーディングカンパニーのモラルハザードも政治不信も構造は同じである。
適当な言い逃れをして、責任を後任者に順送りにしているうちにことをうやむやにする…ということがある種の「ソリューション」だと信じられている限り、この荒廃はとどまらない。
そういう知的・道徳的荒廃の風土をどうにかしようと思うなら、傷んだ土壌を掘り返し、小さな種を忍耐づよく植えてゆくしかない。
裁判はそのために担わなければならない「負荷」であると私は考えている。
気の重い話だが、これは「権利の行使」ではなく、「義務の遂行」なのである。
学習会のあと、K田弁護士を囲んで、原告団団長(になる予定)のワルモノ先生と、二組合の執行委員長と、「私にはもう失うものは何もない」とけなげなことを言うM先生とプチ打ち上げ。

業務連絡!

10月30日(土)午後12時半より、神戸女学院大学文学館L−24教室にて、神戸女学院大学合気道部の演武会が開催されます。

かなぴょん、おいちゃん、クー、ドクター佐藤、IT秘書、ウッキーなどが「なま」でごらんいただけます。

HP日記を読んで、「この人たちはいったいどんな相貌の方々なのであろう・・・」と深甚な疑念をお持ちのみなさん、時間があったら遊びに来てください。

ウチダの「長説教付き説明演武」もたっぷり。

投稿者 uchida : 21:34 | コメント (0) | トラックバック

2004年10月27日

『文学はいかにして可能か?』といわれてもねえ・・・

10月27日

オフ。三宅先生のところに行って、朝一でもみほぐしていただき、股関節の正しい使い方について若先生から講習を受ける。
こ、これは、目ウロコ。
家に戻って、『エピス』の映画評を書く。
1000字の原稿なので、さらさらと1時間で書き上がる。
「あのー、私どもが期待しているのは、こーゆー感じのもんじゃなかったんですけど…」というような泣きが越後屋さんから入る可能性の高そうな原稿である。
だが、私に寄稿を頼んだ時点で、すでに彼は「人を見る目がない」という最初の「ボタンの掛け違え」を犯してしまったのである。そうである以上、このあとどのような部分的修正を加えようと、本質的過誤はもはや訂正不能なのである。
気の毒だが、これも「人生勉強」ということで、越後屋くんのさらなる人間的成長に期するのである。
次は『インターネット持仏堂』の校正。
本文は終わったが、注を書く気力が出ないので、そのままそっと本棚の奥の方にしまいこむ。
私が締め切りを忘れても藤本さんは忘れないから大丈夫なのである。
引き続き『ポーラン/ブランショ』本の校正。
編集の清藤さんが超レア本、ジョゼ・コルティ版『文学はいかにして可能か?』のコピーを送ってくれたので、早速テクスト・クリティックにとりかかる。
88年に論文を書いた頃には、コルティ版なんか見る機会がなかった(なにしろ1941年に限定350部発行の薄っぺらな同人誌みたいな本なのである)。
そのコルティ版とガリマール版を一字一字付き合わせて異同をチェックする。
さいわい『文学はいかにして可能か?』はコルティ版で19頁しかない短いテクストなので、照合はすぐに終わる。
驚いたことに、コルティ版からガリマール版への転載に際して、かなりの削除修正がなされていた。
削除されているのは要するに「くどい」箇所である。
「くどい」というのは「話がくどい」ということでもあるし、「そこまで書くと、底が割れる」ということでもある。
ブランショの『文学はいかにして可能か?』はナチス占領下のパリで出版された、ジャン・ポーランの文学論『タルブの花』の「解説書」である。
当然、そこでは文学が論じられているはずであるが、私はそうではあるまいと睨んだのである。
私の主張は、『文学はいかにして可能か?』は文学論を擬装してはいるが、実は『コンバ』時代のブランショの仲間の二種類のテロリストたち(『コンバ』分裂後にヴィシーに身を寄せたティエリ・モーニェ一派と、パリで対独協力をしたロベール・ブラジャック一派)のあいだの内輪もめの理路を文学的対立にこと寄せて総括したもので、最終的にはその両派に対して、「キミたちのやりかたじゃダメなの。革命っていうのはね、頭使わなきゃダメなの、頭」というイヤミな説教をかました政治パンフである、というものなのであった(論点がはっきりしない論文だな)。
書いた当時はわれながら「すごい推理」と感心していたのであったが、今回コルティ版の削除箇所を読んでみたら、「これは『コンバ』時代の仲間割れについて書いたものです」とちゃんと書いてあったので、脱力。
端からネタばれしてたのなら、私が気負い込んで論文書く必要なんかなかったのである。
とほほ。
しかし、この私の論文に「『コンバ』の内輪もめの話だって?(笑)ウチダくん、荒唐無稽の妄説を語るのはやめたまえ」と説教してくれた同業者も発表当時はいたのである。
その方たちにはぜひ猛省を促したいものである。
ブランショ本人が「あれは『コンバ』の内輪もめの話です」って書いているんだからさ。

がっくりしているところに「S伝会議」というところからお仕事の打ち合わせにO越さんという青年が登場する。
ここでやっている「ライター養成講座」で「書くことの心得」というようなテーマについて講演をしてほしいというお話である。
講師陣紹介パンフを拡げてみたら、江さんの顔があった。
江さんは講座の人気講師だそうである。さもあらん。
江さんと一緒のところなら…ということでお引き受けする。
し、しまった。
また仕事を増やしてしまった。


投稿者 uchida : 18:17 | コメント (6) | トラックバック

節度と半襟

10月26日

大学に着いたら、ウッキーが学会誌への投稿論文の草稿へのコメントを求めてきた。
三日ほど前にメールで来たのだが、赤ペンで添削しているうちに直しようがなくなって、そのまま放置していたのである。
「ダメだね、あれでは」
と冷たく言い捨ててすたすたと研究室に行こうとすると、「そんなー」と泣き顔になる。
しかたがないので、研究室に呼び寄せて、長説教。
あのね、キミは学術論文のフォーマットというものがわかっていない。
「モノグラフ」というのは「論点は一つ」と決まっている。
一つの論点を選び、それについての仮説を提示し、それを論証してみせる。
ただ、それだけのことである。
いったい何が論点なのか、それが明示されなければ論文ははじまらない。
しかるにキミの論文は何を論証するのだがよくわからない。
論点は手塚治虫のヒューマニズム論なのか、手塚のジェンダー・ブラインドネスなのか、『ブラックジャック』作品論なのか、「登場人物=記号」論批判なのか…
私にもわからない。
わずか20枚ほどの論文では、それらすべてを論じることはできない。
なぜ、論点を一つに絞るという「節度」が保てないのか。
ある種の知的な学生さんたちの書き物の特徴は、この「節度のなさ」である。
論点ひとつに絞るというのは知的な「節度」を持つということである。
どれだけ多くの参考資料を渉猟したとしても、論点から外れることについては触れない。
「あれも読みました、これも調べました…」と手柄顔で列挙していると、結局何が論点なのかがわからなくなってしまう。
あまり知られていないことだから、この機会に申し上げておくが、「よくできる」学生さんの書く論文が陥る最大の欠点は「証明過剰」ということである。
その仮説が「当てはまる事例には当てはまる」というところで踏みとどまれずに、「すべての事例に当てはまる」という方向へ前のめりになってしまうのである。
残念ながら、「すべての事例に当てはまる」ような仮説というのは、ほとんどの場合「雨が降る日は天気が悪い」というような無意味な同語反復にすぎない。
節度を失った仮説は必ず凡庸化する。
そして誰でも知っており、誰でも同意する仮説に学術的価値を認める人はいないのである。
だから、凡庸でありたくないと望むなら、「限定的事例にのみ妥当する奇妙な仮説」にあえて踏みとどまらなければならない。
この間、春日武彦先生に教えて頂いたのだが、ある種の統合失調症患者は「世界のすべての事象を説明できる単一の方程式を発見する」ことへの固執を示す。
宇宙の真理のすべてが「ワンフレーズ」に収まることを彼らは切望するのである。
言い換えると、「世界のすべての事象を説明できる単一の方程式」への欲望を自制できることが「健常な知性」の条件だということになる。
モノグラフが成立するか否かは、ひとえにこの「自制」にかかっている。

さっちゃんからゼミの卒業生たちで遊びに行きたいけれど、空いてる土曜日はありますかというお問い合わせメールが来たので、ダイヤリーをめくってみたら、なんと年内空いている土曜日はクリスマスの夜しかなかった。
あとはすべてスケジュール詰め詰めである。
合気道の土曜の稽古も、よく見たら年内は1回しか行けない。
「週末がない」というのはけっこうきびしい。
水曜がオフなので、その一日でなんとか夏物冬物整理とか散髪とか窓ふきとか風呂掃除の時間はぎりぎり確保できるけれど、仕事の打ち合わせが入ったりすると、ルーティンの家事以上にはもう手が回らない。
そんなふうにしていると、ゆっくり澱がたまるように、家の中の秩序が不可避的に崩壊してゆく。
それが、すごくつらい。
一人暮らしの難点は、私が掃除しない限り、部屋がきれいにならないということである。
月一の「瓶のゴミ出し」の日に続けて二度東京に行っていたので、台所には二ヶ月分の酒瓶が並んでいる。
秩序を失いつつある家の中を見回すと、「罪悪感」に似たものを感じてしまう。
誤解されている方が多いが、私は本質的に「主婦」の人である。
家をきれいに整えて、誰かを歓待する用意をしているときが、いちばん幸せである。
寒い夕方、空腹をかかえてとぼとぼと貧しい屋根裏部屋に帰ると、部屋の中では暖炉があかあかと燃え、きれいな家具が並んでいて、美味しいご飯がテーブルに並んでいる…というシーンが『小公女』の中ではいちばん好きだった。
もちろん、「小公女」の立場になりたかったのではなく、屋根越しに入り込んできて、汚い屋根裏部屋を小さな宮殿みたいにぴかぴかにしてしまうインド人の従僕の仕事はどれほど愉快だろうと思ったからである。
私は「サービスされること」よりも「サービスすること」の方がずっと好きだ。
でも、一人暮らしだから、この欲求はもっぱら「自分で自分にサービスする」ことによって解消する他ない。
「週末がない」とか「仕事が立て込んでいる」とかいうことになると、この「自分で自分にサービスする」ための時間が取れなくなってしまうのがつらいのである。
今日は午後に少し時間があるので、日曜の会のための着物のお手入れと半襟の縫いつけ作業をする。
針仕事というのは時間の経つのを忘れるほど愉しいことなんだけど、意見の合う人は同性にはあまりいない。

投稿者 uchida : 13:34 | コメント (0) | トラックバック

2004年10月26日

越後屋哀歌

10月25日

bk1の「人文・社会・ノンフィクション」部門で『死と身体』が6位、『TFK』が11位。
トップ20に二冊入った。
『死と身体』は「科学・医学・技術・建築」部門でも5位。
「おてもやんロック」が「ロック・チャート」と「民謡チャート」で同時にチャートインしたときの平尾昌晃の気分に近いといって過言でないであろう。
『他者と死者』も店頭に並ぶ頃である。
イラチ系の方は本欄左の『他者と死者』の表紙画像をクリックすると、ジュンク堂のインターネット書店にリンクする(もちろん私にそのような面倒な設定ができるはずもないので、すべては芸術監督フジイくんのご高配によるものである。どうもありがとね)。

本が売れるのはいいが、仕事が増えて困る。
講演や講義の依頼がどかどかと来る。
本務があるし、お稽古もしたいし、原稿も書かないといけないので、年度内の日程はきわめてタイトなのであるが、「うーむ、これはなかなか面白そうなテーマだなあ」とか「お断りすることのできぬ筋の方からのご依頼」などもあり、ついつい受諾してしまう。
きっぱりお断りできるのはTV出演だけである。
あるTVプロダクションから番組で『TFK』を紹介するから顔写真を貸してくれという電話があった。
写真くらいいくらでもお貸ししますとご返事する。
そのプロダクションから以前番組出演依頼があったのを断ったことがあるらしい(忘れていた)。
「どうしてウチダさんはTVに出ないんですか」と改めて訊ねられたので、理由を申し上げる。
私が考えるに、現代日本において「有名人」と「一般ピープル」の境界線は「TVに出るか、出ないか」にある。
TVにでる人は「有名人」である。
別に私が決めたわけではなくて、本邦ではそういうことになっているのである。
そして、「有名人」になると「有名税」というものが課税される。
これは「不特定多数の人間からの根拠のない憎悪」というかたちで賦課される。
「不特定多数の人間からの根拠のない憎悪」にも一応の「根拠」はある。
それは「やたら金回りのいいやつ」に見えるか、「TVに出て、ちゃらちゃらしてる」か、どちらかに該当するということである。
そして、人間が「やたら金回りのいいやつに見える」のはたいていの場合「TVに出てちゃらちゃら」したりするからなのである。
さいわい、私は今のところかかる事態を回避できている。
しかるに、「やたら金回りのいいやつ」になりたいという方向に今後事態が推移することについては私の側に特段の抵抗があるわけではない。
むしろ歓迎したいとさえ思っている。
となると、残るリスクはひとつだけである。
というわけで私はTV出演をお断りしているのである。
というようなことを申し上げる。
あまり納得してはいただけなかったようであるが。

二度目の「ユダヤ文化論」講義。3週間連続で月曜日が休みだったのである。(4日は学会で北海道、11日は祝日、18日は東京で竹信くんを送る会)
何を話すか決めていないままふらふらと教場へ赴き、「なぜユダヤ人は国際的ネットワークを有していると信じられているのか」というテーマについて話し始めているうちに、国民国家論になり、ウェストファリアシステムの終焉という話になり、パリのチャイナタウンでは死体が出ないという話になり、ついには21世紀中盤の世界を支配するのはユダヤ人と中国人であろうというトンデモ歴史観を披瀝する羽目になる。
なんだかユダヤ禍論と黄禍論をミックスしたような妄説であるが、国民国家が解体してゆく国際社会の再編過程では、リスクを回避し、混乱から最大のメリットを引き出すことができるのは「国民国家による管理と支援」に幻想を持たない社会集団であろうという私の見通しは、それほど的はずれでもないはずである。
おお、そうだこの話をまんま『文學界』に書けばよいのだ。
一回分できちゃったな。

杖道の授業とお稽古。
まず太刀の使い方を教える。
女子学生諸君はもちろん「刀で人を斬る」ためにどのように身体を操作するかについては、ほとんど何もご存じない。
「鞘」とか「鍔」とか「峰」とか「柄」という名詞さえご知らないのである。
とりあえず携刀から帯刀、抜刀、上段、八相、脇構、下段、納刀までの一連の動作を練習する。
みんな真剣な顔をして木剣を擬している。
しかし、刀がないと「鞘引」とか「刃筋」という概念がなかなか理解できないので、来週から居合刀を使うことにする。
太刀のあと、一の杖の相合せ、それから着杖。引き続き杖道会の稽古で雷打と正眼。杖道会でも来週から居合の稽古を始める。
したいことは山のようにあるが時間がない。

家に帰って晩ご飯を食べてから、ワイン片手に「裏ビデオ」の続きを見る(越後屋さんが「完全版」を届けてくれたのである)。
そのT口さんからメールがあって、昨日の昼過ぎ某配給会社に行ったら、「やあ越後屋サン」と声をかけられたそうである。
「越後屋活動」は一応秘密情報活動なので、こういうHPみたいなところで公開されちゃ困ります…と泣き言が縷々書いてあったが、私は他人の不幸にはあまり同情的な人間ではない。
そもそも私のような人間に「裏ビデオ」を回したということが「人を見る目がない」ことの動かぬ証拠である。
「あわわお代官さま…そんな、私ども一蓮托生でございましょう」
「なにを愚かな、越後屋。罪を一身に背負ってお前ひとり死ねば、わしの身は安泰なのじゃ、わはは」
「お代官さま!そ、そんなご無体な」
ふつうはこのへんで桃太郎侍が出てきて、悪代官もまとめて斬られてしまうのであるが、現実の世界に桃太郎侍は存在せず、悲しい思いをするのは越後屋ひとりなのである。
しかし、映画配給会社のみなさんまでがこのHPまでチェックしているとは、まことに油断も隙もない業界である。
私の「邦題をなんとかせんかね、配給会社の諸君」というような憎まれ口もちゃんとフォローしているということである。
おおテリブル。
「裏ビデオ」完全版は残り3分くらいで終わってしまった。
あのあとどうなるだろうと昨日の夜はわくわくと妄想をたくましくしていたのであるが、結局何も起こらなかったのである。
妄想を抱いたままのほうが幸せだったかもしれない(映画そのものも、そういうような話だったし)。

投稿者 uchida : 10:09 | コメント (3) | トラックバック

2004年10月25日

めちゃんこかわいいチャン・ツイイーちゃん

10月24日

気持ちの良い秋晴れの一日。
こういう日は、空を見上げながら川縁を歩いたり、本屋に寄ったり、秋物の服を買ったり、街角でコーヒーを飲んだり、映画館にふらりと入ったり、ビーフカツレツを食べたり、ワインバーで美味しいワインを飲んだりして、都会生活者的な時間のつぶし方をしたらずいぶん気分がよさそうだ。
もちろん私の人生にそのような悦楽的時間は存在しない。
なにしろゲラが四つ机の上に鎮座しているのである。これらを処分しない限り「私の時間」というものは到来しない。
ベランダ越しに秋の青空をうらめしげに眺めながら、終日「赤ペン先生」。
まず『現代思想のパフォーマンス』の三校。2時間かけて20箇所くらい誤植がみつかる。これはメールで送信。
『ヒッチコック/ラカン』は担当箇所が少ないので、2時間ほどで終わる。そのままポストに投函。
『ポーラン/ブランショ』はテキスト・クリティックをやらないといけないので、関係ないところだけチェックして、あとはペンディング。
『インターネット持仏堂』は自分の書いたところの校正だけでなく、あちこちに「注」を書き足すようにというご指示がある。とても二日三日では片づきそうもない。とりあえず本文だけ校正。
ふと顔をあげるとすでにとっぷり日は暮れている。
結局一日机にしがみついて、仕事は半分しか終わらなかった。やれやれ。
階下のコープに買い出しに行って、今夜は「おでん」と「炊き込みご飯」に決める。
ご飯を仕込んでから、お風呂に入って、湯上がりに冷たい白ワインを啜ると、少し人間らしい気分になる。
寝ころんで日本シリーズ第六戦と『新撰組!』をザッピング。
江口洋介の坂本龍馬が暗殺される場面。
龍馬は小銃が不発で、床の間の刀掛けにある刀を鞘ごと頭上にかざして斬撃をよけようとしたが、ざっくり頭蓋を割られた。殺害者は不明。三谷脚本では見廻組佐々木只三郎という定説をとっている(佐々木は清河八郎の暗殺者である。清河は私の高祖父、内田柳松の「上司」だった人である)。
龍馬がこのとき死ななかったら、そのあとの日本の歴史はずいぶん変わっていただろうと想像する。
みんなそう思うんだろうけど。
彼が慶応三年に京都で暗殺されなかったら、戊辰戦争はもっと限定的なものだったかもしれないし、維新後に薩長藩閥というものがあれほどの政治力を持つことはなかったかもしれないし、西南戦争もなかったかもしれないし、明治の立憲君主政もずいぶん感じの違うものになってかもしれない。
「坂本龍馬が生きていた場合の明治維新」をシミュレートしたSFを書いてくれる人がいないかしら。あれば絶対読むのにね。
ごそごそと『裏ビデオ』を撮りだして『2046』を見る。
映画評のために映画を見る、というのはあまり愉しいものではない。
はじめから映画評のために見に行った映画は『踊る大捜査線2』しかないけれど、見落としとか事実誤認があるといけないので、どうでもいい場面までけっこうまじめに見てしまったので、あまりリラックスできなかった(別にそんなにまじめに見るような映画じゃなかったんだけどね)。
そのせいか、『キネマ旬報』で酷評してしまった。
だらだら見てたら「なんだ、けっこうおもしろいじゃない」ということになったかもしれないのに。すまないことをした。
その轍を踏まないように『2046』裏ビデオをワインを片手にだらだらと見る。
映画の中でトニー・レオンがくわえ煙草でお酒ばかり呑んでいるので、こちらもトニー・レオンといっしょにくわえ煙草でお酒ばかり飲む。
チャン・ツイイーちゃんが、またまためちゃんこかわいい。
私だって若いときにこんな女の子と会ったらぜったい宿命的な恋をしちゃいそうである(そして死ぬほど不幸な目に遭うのだ)。
でも「『あのとき、彼女を引き止めておけば、別の人生がオレにはあったかも知れない…』というような種類の悔恨を男が生涯抱いていけるような仕方で男を不幸にする女」というのは定義上「よい女」である。
「よい女」は必ず男を悔恨のうちに取り残す。
出会った瞬間に、その人がある種の「満たされなさ」を私のうちに残して去って行くだろうということが直感できる女、それが「よい女」なのである。
というわけで、いまウチダがいちばん注目の旬の女優さんはチャン・ツイイーちゃんと、ヒラリー・スワンクちゃんなのである(ヒラリーちゃんは『ボーイズ・ドント・クライ』のあと作品に恵まれないが…)
残念ながら、『2046』は残り20分くらいのところでビデオテープが「ぷっち」と切れて、ラストがどうなるのかわからぬまま終わってしまった。
ラストがどうなるかわからぬ映画について映画評を書いてよいものかどうか、五分ほど悩んだあとに、「そういうことも、あるかもしれない」という結論に達する。


投稿者 uchida : 09:38 | コメント (3) | トラックバック

2004年10月24日

物書き自己破産のお知らせ

10月23日
秋晴れ。
ひさしぶりに爆睡。10時に起き出して、洗濯と掃除とアイロンかけ。
気持ちが良いので布団も干す。
机の上にはゲラが四つ並んでいる。
『現代思想のパフォーマンス』の再校、『いきなりはじめる浄土真宗』の初校、『ヒッチコック/ラカン』の初校、『ポーラン/ブランショ』の初校。
頭がくらくらする。
最初の二つは、比較的最近の書き物であるので、校正はわりと簡単だが、『ヒッチコック/ラカン』は一年以上前の翻訳仕事、『ポーラン/ブランショ』に至っては15年ほど前に書いた論文である。
ということは、校正でチェックが入っても、参照すべきオリジナルテクストが手元に存在しない、ということである。
一年前のものもないのかと驚かれるであろうが、私は仕事が終わると、本はともかく参考資料のコピー類は全部棄てちゃうのである。
ましてや15年前のブランショの研究資料など遠く恩讐の彼方である。
ジョゼ・コルティ版とガリマール版のエディションの違いについて編集者から問い合わせの付箋がついているが、どちらも手元にないので答えようがない。どうしよう。
ここにゲラが四つある。このほかに『先生はえらい』と『応用倫理学講座』の校正をしたから、あと6冊本が出るということになる。
これまでに『街場の現代思想』『TFK』『死と身体』『他者と死者』と今年は4冊本が出た。単著が5,共著が4,共訳が1。実際には、これ以外に翻訳1がある(日の目を見ずに終わったが…しくしく)。
まことによく働いたものである。
来年は、『先生はえらい』(ちくまプリマー新書)と『いきなりはじめる浄土真宗』(本願寺出版社)が年明けに出て、池上六朗先生との対談本『right time right place』(毎日新聞社)、名越康文先生との『14歳の子をもつ親のために』(新潮新書)が春先に出て、『はじめたばかりの浄土真宗』、『ユダヤ文化論』(文春新書)…と6冊出る。
いくらなんでも、書きすぎである。
この状況で、さらに私に「書き下ろしを書け」と迫る編集者のみなさんのヒューマニティならびにマーケティング・センスに深甚なる疑念を抱くのは私ひとりではあるまい。
とりあえずは『読んでなくても大丈夫−高橋源一郎の明治文学史講義 in 神戸女学院』(冬弓舎)の編集を仕上げたら、暮れからは明窓浄机に端座して、渋茶を啜りながら『レヴィナス三部作』の第三部怒濤の完結編『時をかける他者』(発作的仮題)の執筆に専念することにする。
それ以外の出版企画については、編集者のみなさんはどうかご放念頂きたい。
不良債権は債権放棄。これがニッポンの常識である。
犬に噛まれたと思って諦めましょう、ね。
というようなことを毎年のように書いているが、少しも事態は好転しない。
これは私のこういう泣き言を編集者諸氏はあまり真剣に顧慮していないということかもしれない。
あるいはHPなんかぜんぜん読んでないとか。
泣きながら校正。
Y賣新聞で来月から映画評を始めるので、何かネタ仕込みのために街に映画を見に行かなくてはいけないのだけれど、その時間がない。
と愚痴を書いたら担当のT口さんが新作映画の「裏ビデオ」を持ってきてくれた。
「こういうものは『ない』ということになっておりますので、ひとつご内聞に」
「ふふふ越後屋おぬしも悪じゃのう」
というような会話を耳ざとく聞きつけたウッキーが「あ、それはもしかしてKムタクの登場シーンを多く編集したという日本用劇場公開版?見たら貸してください」
Kムタク好きじゃないって日記に書いてなかったか、ウッキー。


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2004年10月23日

レヴィナスの末裔たち

10月22日

基礎ゼミは「葬儀」の話。
先週は「殺人」の話、その前は「負け犬」の話。
何でも好きなテーマで研究発表をしていいよと言ったら、学生さんたちが持ってくるテーマのヘビーなこと。

葬儀というのはこのところの私の念頭を去らぬ研究テーマである。
さっそく葬儀の人類学的意義からはじめて、あらゆる葬礼が「存在者」と「存在しないもの」の中間に「死者」というカテゴリーを創出することをめざしているという『他者と死者』、『死と身体』での持説を展開する。
「死者はいるけど、いない」というわかりにくいテーゼに学生たちは深く頷いてくれる。

このような重いテーマが18歳の少女たちにとって「切実」なものと感じられているということのうちにある種の「地殻変動」の徴候を私は感知するのである。

文春のタナカくんが『死と身体』の「死者論」は、もしかすると片山恭一の『世界の中心で、愛をさけぶ』と同じ話をしているのではないかという鋭いご指摘メールをくれる。
洛陽の紙価を高めたこのベストセラーを私は未読なのであるが、『文學界』に片山さんが寄せた自作自注によれば、この小説のアイディアの源流にはレヴィナスがあるそうである。
だとすれば、『死と身体』と『セカチュー』が「レヴィナスの末裔」ということで「同系の物語」というのも蓋然性の高い話である。
さっそく読んでみることにしよう。

午後は会議がふたつ。
二つめの会議が終わったところで昼休みにあった執行部選挙の結果を松田先生が教えてくれる。
松田先生は入試部長再任ということで、がっくり肩を落としておられる(激務なのである)。
私は教務部長に選ばれたそうである。
何かに「当たる」のではないかという懸念はあったのであるが、やはり…
二人並んでがっくり肩を落として、とぼとぼと岡田山を下る。

しかし、こういう「割り前」は年の順に引き受けなければならないものである。
私が若い頃は、年配の先生方が管理運営に携わって、ご自身の研究時間を削り、プライヴェートを犠牲にして、私たち若い教員が研究教育活動に専念できるように大学を支えていてくれていた。
自分もその年回りになったら「ご恩」を返さなければならない。
世の中、そういうものである。
私は学者なんだから研究だけする、学内の「雑務」なんぞ御免だね、というようなことを放言する教員はまだ少なくない。
けれども、その人が「自分のもの」だと思っている研究時間は、他の教員が自分の研究時間を削って確保してくれているのである。

重い足をひきずりながら、梅田に出て、朝日カルチャーセンター秋季連続講義の第一回に出かける。
お題は「身体・記憶・物語」。
半年ぶりの朝カルである。
例によって、ぶっつけ本番。
コミュニケーションを起動するのは「誤解」である、という昨日の医学会での講演のマクラをそのままひきずって、「正しい思いなしとは知と無知の中間にあるものである」という『饗宴』の中のディオティマのことばを手がかりに、「無-知」(non-savoir)のダイナミズムについて思いつきをしゃべる。
「ものを知らないからこそ欲望は起動する」「ひとの話を誤解することこそコミュニケーションの本質である」という説を丁寧にご説明する。
「何の話かわからない話をすることの形而上学的意味」についてお話しているのであるが、どういうわけか私が話すと話がどんどんわかりやすくなってしまうのが難点といえば難点なのである。
またまた医学書院の白石さん、本願寺の藤本さん、釈先生、ウッキー、街レヴィの小林さん、三軸の福原さん、聴講生の川崎さんら、おなじみの皆さんが陣取っている。
当然、講演あとは、いつもの通り「プチ打ち上げ」。
藤本さんがゲラの束を抱えてきて、『いきなりはじめる浄土真宗』の校正打ち合わせ。
年明け早々にちくまの新書よりも早く出したいと意気込んでいるけれど、大丈夫かしら。
ゲラを鞄にしまい込んで、とりあえず生ビールをくいくいと呑んで月曜日から続いた「死のロード」の無事終了を祝う。
やれやれ。
来週は学祭、裁判のための学習会と下川正謡会の練習会といくつかイベントがあるが、どれも「仕事」ではないのでだいぶ気楽である。
とりあえず生きて霜月は迎えられそうだ。

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2004年10月21日

台風だから難波江さんの本でも読もう

10月21日
共済医学会での特別講演のために上京。
どうして私が医学の学会で講演をすることになったのか、その理由は私にもよくわからない。
今回の学会主幹である三宿病院の紫芝良昌院長がウチダ本の愛読者ということでの「独断と偏見」による人選らしいが、『看護学雑誌』に「インフォームドコンセントはよろしくない。ナースはえらい」という私の暴論が掲載されたことも一因らしい。
その記事を読んだ各地のナースのみなさんが、「このウチダというのは、シロートにしてはなかなかよいことを言うではないか」ということもあってお引き立てにあずかったのである。
「とにかく好きなことを話していただいて結構です」という大変ありがたいオッファーなので、お引き受けすることになった。
格式高い医学会であるので、新幹線を降りるとちゃんとお迎えが来ている。車で会場のお台場の日航ホテルへ。
そこで紫芝院長とご挨拶をしてお礼を申し上げ、一緒にお食事。
養老先生もそうだけれど、自然科学の研究者のみなさんは、話が実に明快にしてロジカルであり、聴いていてすぱすぱと決め所に話が決まって、たいへんに心地よい。
学術におけるプロモーションとクリエイティヴィティの負の相関について、いろいろと語り合っているうちにすぐに時間となり、会場へ。
300人ほどの聴衆の前で、お話をさせていただく。
タイトルは「身体と倫理」だったのだけれど、マクラに振った「コミュニケーションは誤解の幅を残して構造化されている」という話がなかなか片づかなくて、本題に入る前にタイムアップ。
あと2時間くらいあればちゃんとオチがつけられたのであるが、続きは「本を読んでください」という禁じ手で冷や汗をふきつつ高座を下りる。
ウチダ本の読者であるドクターのみなさんにご挨拶をして、ぱたぱたとホテルを出て、また車で紀尾井町の文藝春秋まで送ってもらう。

文春訪問の目的は新書の嶋津さんと『寝ながら学べる構造主義』5万部突破のヨロコビを分かち合うというのが一つ、『文學界』の連載の打ち合わせが一つ、単行本の文庫化についての打ち合わせが一つ。
嶋津さん、山ちゃん、田中くん、『文學界』の大川編集長さん、担当になる山下さん、文春の編集各セクションの重鎮たちがお見えになり、粛々と名刺交換。

『文學界』からは「あんなことをHPに書かれたのでは立つ瀬がありません。もう連載の話はなかったことに・・・」というようなお断りがあるかなと期待していたのであるが、ぜんぜんそういう展開にはならず、来春1月号から高橋源一郎さんも新連載が始まるそうで、話の勢いで、「では、高橋さんと同時スタートにしましょう」ということになる。
源ちゃん、ウッチーのニコニコ文學界。
北村透谷、樋口一葉に遡る『文學界』もだいぶ様変わりである。

この『ユダヤ文化論』(仮題)は完結後に新書になる。
嶋津さんはさらにその続きもとせっつくので、発作的に新書で『お化けの現代思想』(仮題)というものを書くことにする。
現代思想のすべての考想を「死者とのコミュニケーション」という観点から読み直すという思いつきである。
考えてみると、ハイデガーもフッサールもフロイトもレヴィナスもラカンもフーコーも、全部これでいけそうである。
これはけっこう面白そう。

『文學界』の山下さんが居合経験者なので、居合の話や殺陣の話でしばし盛り上がって時間を忘れかけるが、そうものんびりできず、みなさまにあわただしくさよならを告げて新幹線に飛び乗る。
とりあえず鰻弁当をビールで流し込んで、長い一日が終わる。
ああ、疲れた。
でも、明日は朝カル初日。
まだまだ「死のロード」は終わらない。

10月20日

台風来襲。
それにしてもよく台風の来る年である。
いったい、上陸した台風がいくつになるのか知らないけれど、発生した数でいうと、これで24号。
水曜なので、私はオフだが、たぶん学校も休校になっているのだろう。
午前中はまだそれほど風も強くなかったので、大雨の中を下川先生のお稽古にでかける。
ひとしきり台風話でもりあがる。
前回の台風で徳山の下川先生のマンションでは11階のベランダに置いてあったスチール製の物置が6階の屋根まで飛んだそうである。
そんなものが当たった日には即死である。
雨の中、帯刀さんがいらしたので、一緒に「安達原」(帯刀さんがワキをしてくださるのである)のおさらいをして、仕舞「景清」の地謡をつける。
帯刀さんのようなベテランと並んで謡うと自分の声の軽さにうんざりする。しかし、芸歴が50年以上違うんだから、しかたがない。
雨風がひどくなってきたので、午後のお稽古は中止になり、帯刀さんを石屋川まで送って、家に戻る頃にはますます風が強くなっている。傘をさしたとたんに傘の骨がぐにゃりと曲がってしまった。
これはたいへんというのでびしょ濡れになって家に飛び込む。
もうどこにも出かけられないので、腰を落ち着けて、たまった仕事を片づける。
まず『現代思想のパフォーマンス』の「新書版あとがき」。
さらさらと書き上げてから、難波江和英さんの『恋するJポップ』(冬弓舎)の書評。これはライトなタイトルとは裏腹に、とても奥行きの深い論考である。
特に「Jポップ」の歌詞には「他者」が存在しない、という指摘は鋭い(もちろん、難波江さんは、そんな哲学用語の使用は自制しているけれど)。
コミュニケーションも自由も未来も、すべては「他者」への超越ぬきにはありえない。「私」のいらだちや、渇望や、心許なさといった「欠如の感覚」を、新奇なる「他なるもの」をもって満たすという発想法を取る限り、「私」は孤独のままである。
『時間と他者』や『存在するとは別の仕方で』でレヴィナスが説いたこととほとんど同じ知見を、難波江さんはJポップの歌詞の構造的な「貧しさ」を解析しながらていねいに取り出して行く。
よい本である。
しかし、この本の本質的な深みを理解できる読者はあまり多くはいないだろう(現に、これまでポップミュージック研究者からの書評で好意的なものは、ほとんどなかったらしい)。
若い読者の中にもこの本の意味がわからない人が多いかもしれない。
それは難波江さんが「やさしい人」だからである。
でも、「やさしい人」が若者にさしのべる「救いの手」を当の若者たちが振り払う、ということは十分にありうるのだ。
「そんなもの」を彼らはこれまで見たことがないからだ。
彼らがこれまで聞かされてきたのは、叱責か命令か要求の語調で語られたことばだけである。
難波江さんのことばはそのどれとも違う。
彼は救命ボートの船縁から身を差し伸べて「この手をつかめ」とおぼれる若者たちに合図を送っている。
でも、彼らはそういう種類の「好意」に触れたことがない。
「この人のやさしさには、なんか下心があるんじゃないの。なんか売りつけるとか、なんとか宗教に勧誘するとか?」
と鱶のような三白眼でにらむだけで、たぶん難波江さんの手にすがろうとはしない。
他者に向けて差し出された心づくしの贈り物の受難。
「やさしい人」はその点が気の毒である。
私は難波江さんのようにやさしくはない。
でも、溺れている諸君に多少の同情はしている。
救命ボートにまだ余裕があるなら乗せてやるにやぶさかではない。
でも、寒い水の中に手を浸けるのはできたら勘弁願いたい。
だから、私は漂流者に背を向けてボートの中で「宴会」をやる。
こちらが山海の珍味を喫しつつ高歌放吟していると、あっちの方から「なんか、愉しそうだな・・・」と放っておいてもにじり寄ってくる。
「乗せて」と言えば乗せてあげる。
「なんか下心あるんでしょ?」というような無礼なことを言うやつは、そのまま海に蹴り返す。
こういうのはスタイルの違い、生き方の違いで、どちらがいいとも悪いとも言えない。
たぶん私と難波江さんがペアで「救助隊」を組織しているのが、いちばん効率がいいのであろう。
それにだいたい私の乗っている「ボート」がそんなに安全なものかどうか、私たちにだってわかってないんだから、「是非乗せてください」というやつ以外はむりに誘わなくてもいいんじゃないのナバちゃん、と私は思うんだけど。
というようなことをさらさらと書評に書く。
1時間ほどで書き上げたので、次は『先生はえらい』の校正を仕上げる。投函しようと思ったが、風が強すぎて表に出られないので、断念。
三つも仕事をしたので、すっかり気分がよくなり、ゆっくりお風呂に浸かる。
湯上がりにワインを飲みながら、夕べ作ったポトフの残りを食べる。
味がしみて、たいへん美味である。
寝ころんで『デイ・アフター・トゥモロー』を見る。
表では風がゴーゴー、映画の中でも風がゴーゴー。サラウンド方式で大迫力(「おおさこ・ちから」ではない)。
明日は東京で共済医学会の特別講演という仕事がある。
9時の新幹線に乗らないといけないので、切り上げて早寝。


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2004年10月20日

竹信悦夫くんを送る会

10月18日

東京へ。
午後1時半から、本郷の医学書院にて、精神科医の春日武彦先生と対談仕事。
春日先生は『はじめての精神科』(医学書院)『何をやっても癒されない』(角川書店)などの著作のある、ダイハードな現場の精神科医である。
『はじめての精神科』は白石さん、『何をやっても癒されない』は角川時代のヤマちゃんが担当である。
期せずして、ウチダの担当編集者が二人そろって担当者であるというところから推して、「同系」の方であることは容易に類推されるのであるが、とりあえず初対面である。
春日先生が著書で述べられていることは、「精神疾患とは時間が停止することである」とか、「援助とは中腰のまま耐えることである」とか、ワーディングまで私と深く相通じるところがあるので、おそらく話が合うであろうとわくわくして本郷まで出かけたのである。
著書からなんとなく白髪温顔、痩躯鶴のごとき老医師を想像してでかけたら、対談会場で私を待っていたのは、茶髪温顔堂々たる体躯の若々しいお医者さまで、ちょっとびっくり。
でもお話を始めたら、予想にたがわず、かゆいところに手が届くように話が通じる。
時間と他者性、アナログ的知性とデジタル的知性、交換と好奇心など、私がまさに今考えている当の主題を春日先生が振ってくださるので、勢いづいてわいわいとしゃべりまくる。
この対談は医学書院の医学関係の新聞(担当は鳥居くん)にそのうち掲載される予定である。
これで名越康文先生と春日武彦先生という東西を代表する現場的精神科医のお話をじかにうかがう好機を得たことになる。
ウチダの机上の空論がこのようにして現場的知見によって検算してもらえるというのは、とてもありがたいことである。

お話が終わって、タクシーで一橋の学士会館へ移動。
チェックインしたあと、少し時間があったので、高橋源一郎さんの集中講義の講義録の編集をする。
MD録音した講義録をさっちゃんがテープ起こししてくれたのを、私がばんばん刈り込んで行くのである。なにしろ4日間の講義であるから、そのまま活字にするわけにはゆかない。削るのが惜しいフレーズばかりで、泣く泣く削ってゆく。
それにしても面白い。
高橋さんの講義録が活字化されるのは、これが最初である。
あのフレンドリーでかつ挑発的な語り口を採録した本邦最初のテクストが神戸女学院総文叢書のラインナップに並ぶわけである。
光栄であるとともにセールス戦略上たいへん好ましい事態でもある。

ぱしぱしキーボードを打っているうちに「竹信悦夫さんを送る会」の時間となる。
私が泊まっているのは学士会館4階で、会場は2階。
シャワーを浴びて、ダークスーツに着替えて、階段を下りる。
すでに会場はいっぱいである。
香港から浜田雄治くんが来ている。あたりを見回すが、大学時代の友人の顔は、あとは太田泰人くんしか識別できない。
開会の挨拶のあと、竹信くんの恩師である板垣雄三東大名誉教授の弔辞と朝日新聞社社長のしみじみとした弔辞があり、そのあとに大学時代の友人を代表して私が弔辞を述べる。
ほんとうは灘校時代の友人代表として高橋源一郎さんが弔辞を述べて、私が続くというクロノロジックな式次第だったのだが、高橋さんは山ノ上ホテルで文芸賞の授賞式があって、そこで祝辞を述べたあとに駆けつけることになっていたので、時代順がずれて先に大学時代の友人として私が挨拶をすることになった。
葬儀の席で弔辞を述べるというのは、はじめての経験である。
ふつうは遺影に向かって語りかけるのであるが、竹信くんに向かって「君は・・・」というようなことを言うのは、照れくさくて、とてもできない。しかたがないので、マイクを手にして、参会者に向きなおって竹信くんの思い出を語る。
オテル・ド・ラ・ヴィーニュのこと、朝日ニュースターのこと、遅刻のこと、ユダヤのこと、「寝ながら学べる・・・」タイトル命名のことなど、とりとめもない思い出を語る。
話しているうちに泣きたくなってくる。
献花のあと、会場を移してワインなどを飲みつつ、浜田くん、太田くんと歓談。
遅れてきた高橋さんがそこで中学高校時代の友人について、味わい深い思い出を述べる。
聞きながら、16歳のころの竹信くんと高橋さんの相貌が思い浮かんでくる。
みんな、それぞれに「私の竹信くん」の思い出を抱きしめて生きてきたのである。

散会後、仕事がある浜田くんと別れて、太田くんといっしょに、灘校のみなさんと、佐野泰雄くん(灘時代の竹信くんの同期生で、私の仏文時代のご同輩)のご案内で向かいの如水会館へ。
そのあと、さらに高橋さんと野木正英さんと三次会へ。
竹信くんの政治とのかかわりや、彼の「抑制の美意識」について、十代のころの彼の知られざる相貌を思い浮かべる。
高橋さんと一緒のときには、なんだかいつも竹信くんのことが話題になる。それだけ二人とも彼から深く強い影響を受けたということなのであろう。
野木さん、高橋さんの貴重な証言を拝聴し、ワインの杯を重ねながら、三人で、竹信悦夫というのは、どういう人だったんだろうね、謎だね、という話をいつまでも繰り返す。
死者は「存在するとは別の仕方で」私たち生者のふるまいにいつまでも影響を及ぼし続けるのである。


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2004年10月17日

法科大学院と「もうひとつの日本文学」

10月17日

朝刊を開いたら、「法科大学院志願が激減」という見出しが一面トップだった。
あら、やっぱり。
全国で68もの法科大学院はどう考えても法曹市場の需要に対応していない。
遠からずその過半は市場から撤退することを余儀なくされることは自明であると私は考えていた。
しかし、「遠からずその過半が市場から撤退することを余儀なくされること」が自明であるにもかかわらず、日本中の法学部をもつ大学のほとんどがかなりの設備投資をし、法律専門家のリクルートに巨額の人件費投資を行った。
理不尽なようだが、主観的な理由づけはたいへん簡単である。
「ほかがやっているのに、うちだけやらないわけにはゆかない」からである。
このわが国固有の「村的」メンタリティを日本の法律関係者もまた豊かに共有されていたということである。
その結果、全国に68校も法科大学院が開校した。
そんなに作ったら、どうなるか。誰にだって結果は見えている。
誰が考えたって、「法科大学院卒業生の7−8割が司法試験に合格する」というような気楽な事態が到来するはずがない。
法科大学院卒業生全体で司法試験合格者はせいぜい3割と予測されている。
低いところでは合格率数パーセントというところも出るだろう。そんな大学院には翌年度出願する者がいるはずがないから、そのまま立ち腐れする他ない。

法曹にはさまざまな知的資質が期待されているが、そのうちの一つは「社会の変化の趨勢を見通す力」である。
めまぐるしく変化する社会情勢に適切に法条文を解釈適用するためには、歴史的趨勢を見通す能力は不可欠である。
この程度に自明な未来予測に失敗したという事実からして、日本の法科大学院設立者たちに、はたして法曹を育成するだけの知的資質が十分に備わっていたのかどうか、私はいささか危ぶむのである。

何度も申し上げていることだが、「少数の先駆的な人間だけしかやっていないときには生産的で効率的な事業」でも、そこにわさわさと人が集まってしまうと、同程度の生産性や利益は期待できない。
当たり前のことである。
ゴールドラッシュで一攫千金を求める人々がカリフォルニアに殺到したとき、金はすでに掘り尽くされていた。
そういうものである。
多少とも理知的なビジネスマンは「ほかがやっているから」ではなく、「ほかがやっていないから」という理由で新しいビジネスモデルを開拓するのである。
同じように、多少とも理知的な大学人は、「ほかがやっているから」ではなく、「ほかがやっていないから」という理由で新しい教学プログラムを考案する。
そういう人がなかなか多数派になりえないという点で、私は日本の大学の未来についてもあまり楽観的になることができないのである。

新聞を読み終えたので、秋晴れの空の下、甲南大学までバイクででかける。
日本アメリカ文学会全国大会で高橋源一郎さんが「翻訳と文学」と題した特別講演を行うからである。
講演前に高橋さんにご挨拶をする。
昨晩ご令息の夜泣きで一睡もしていないそうで、ずいぶん眠そうである。
最初は、けっこうつらそうだったけれど、話が進んで、「百年の孤独」と坪内逍遙の話にかかるあたりからドライブがかかってきて、聴いている私の頭もだんだん発熱してくる。
高橋さんによれば、近代文学はどうやら終焉を迎えたようだけれど、それは「物語を作り出す」人間の切実なる欲求が消えたことを意味するわけではない。
高橋さんは、坪内逍遙や『虞美人草』の夏目漱石から分岐した(かもしれない)「もうひとつの近代日本文学の可能性」について言及していた。
それは「自我」や「内面」や「青春」や「革命」や「セックス」が主題として選択されることが不可避であるような、制度としての近代文学とは「違う文学」である。
いったい、近代文学には現にあったようになる他にどんな「進化」のプロセスがありえたのか、それを想像しているうちにどきどきしてくる。
明日は東京の学士会館で竹信悦夫くんの「送る会」がある。
高橋さんは灘校時代の友人として、私は大学時代の友人として、それぞれ弔辞を読むことになっている。
高橋さん、また明日。

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2004年10月16日

賢者は良賈に似たり

10月15日

『文學界』に連載を頼まれたので、いいですよと申し上げたら、三月ほど前から『文學界』が送られてくる。
自分で買ったことのない本なので、ぱらぱらとめくってみると、いろいろとびっくりすることが書いてある。

今月の『文學界』の特集は「討議:絶えざる移動としての批評」というもので、柄谷行人、浅田彰、大澤真幸、岡崎乾二郎というみなさんが批評についてハイブラウなお話をされている。
座談はこんなこんな感じ進む。

「柄谷:90年代に入って定期的に海外で教えるようになってから、僕は自分の仕事が変わってきたと思う。この間自分の生きている場所が半ば日本の外にあったわけです。日本にいて西洋からの思想を受け取ってどうのこうのと議論しているのではなく、僕にとってはそのような思想家たち自身がライバルであった。彼らを倒してやろうと思っていた。それは誰も日本語なら読まないからというので偉そうにやっつけるというとは違いますよ(笑)。向こうも僕のことを知っているのだから。ここ十何年間そういう感じでやってきたのですが、ここ数年間何か決定的に変わったような気がするのです。(…)
浅田:柄谷さんがイェール大学に行った頃はポール・ド・マンがいたしイェール学派もいた。フランスに行けばデリダのみならずドゥルーズもフーコーもいた。ところがド・マンやサイードといった人たちも亡くなり、アメリカに行っても本当に話の通じる相手をみつけるのがむずかしくなった。(…)
大澤:ある時までは、世界の方でもしっかりとしたスタンダードがあって、それを日本に輸入してうまくゆくという相互的な関係があったんでしょうね。
柄谷:だから僕は一人になっちゃったと思うんです。自分と比べる人やライバルと思う人が外国でもいなくなってしまった。考えてみたら、僕の本を読んでほしかった人たちがもういない(笑)。」

一読、みなさんも驚かれたであろうが、私もびっくりした。
では、いったい柄谷行人はこれから出す本を誰に読んでもらう積もりなのであろうか訝しく思ったからである。
おそらく、「僕の本を読んでほしかった人」ではなくて、「別に読んでほしくもないが、読むべきである人」というのが彼の今後の読者として想定されているのであろう。

現に、柄谷は自著について次のような自注を加えている。

「英語版の『隠喩としての建築』は英米で建築に携わる人たちのあいだでは一種の必読書になっています。建築の分野では技術的で専門的な本が多いけれど、中にはもうちょっと哲学的に建築を考えたい人がいるでしょう。そういうものとしてはたぶん僕の本が一番ふさわしいと思いますね。」

なるほど。
ここでは書き手と読み手の関係は完全に非対称的なものとして前提されている。
書き手は「(どうせ読んでもわからないだろうが)読ませてやる」立場で、読み手は「(どうせ読んでもわからないかもしれませんが)読ませていただく」立場なのである。
はた、と私は膝を打った。
いや、これはたいしたものだ。
こういう非対称性は民主的でないとか、ディセントでない、と思って憤慨される方もおられるかもしれないが、それは皮相なご理解というものである。
実は、これはたいへん正統的なセールス戦略なのである。
私はかつて『NAM原理』という柄谷の著書を評して、その卓越した経営者能力を高く評価した一文を草したことがある。今を去ること4年前の話である。
お読みになった方もあるかと思うが、当時の日記をそのまま採録する。

「教授会のあいまに柄谷行人『NAM原理』を読む。
うーーーーむ。何だろうねえ、これは。
誰か教えて下さい。
私には意味がよく分からない。
読んでないひとのために簡単にいうと、これは21世紀の「共産党宣言」である。資本主義と国家制度を超克する組織論が書いてある。
そのキーコンセプトは地域通貨と生協とインターネットとくじ引きである、というのである。
私が「うーーーむ」と唸るのも分かるでしょ。
いや、これが例えば「COOPの未来」とかいう題名で愛宕山ミニコープのレジ脇においてあるパンフであれば、私も「おお、けっこう神戸のコープさんは過激だなあ」と感心して、「ねえ、ねえ、すごいよ神戸のコープは地域通貨を出して、共産主義革命をするみたいだよ」と大学の同僚たちに触れ回ることであろう。
しかし、柄谷行人が苦節40年マルクス主義思想を省察した帰結として、「賛助会員一口1000円以上」の「組織」つくりを提言とする、ということの意味が私にはいまひとつよく分からない。
柄谷がマルクスを研究して得た「未来像」は「要するにマルクスは国家によって協同組合を育成するのではなく、協同組合のアソシエーションが国家にとって代わるべきだといっているのである。そのとき、資本と国家は揚棄されるだろう。そして、そのような原理的考察以外は、彼は未来について何も語っていない。」(p.59)ということである。
協同組合とは、「資本制下で労働力を売らない」、「資本制生産物を買わない」人たちが、それでも生活できるための「受け皿」である、と柄谷は説明している。
「労働者=消費者にとって、『働かないこと』と『売らない』ことを可能にするためには、同時に、働いたり買うことができる受け皿がなければならない。それこそ、生産−消費協働組合に他ならない。」(p.36)
このような組織が全世界的なネットワークを形成したとき、資本主義と国家は揚棄されるであろう、と柄谷は予言する。そしてこれが現在可能な唯一の運動形態であり、かつ「現状を止揚する現実の運動を共産主義と名づけている」とマルクスが定義している以上、これこそが「共産主義」なのである。
困ってしまったなあ。
柄谷の言っていることは正しい。
正しいんだけれど、変である。(「正しいが変」ということってあるのだ。)
私には少なくとも二つ柄谷が言い落としていることがあると思う。
一つはこのような「原理的」な運動を唱道し、それに賛同している人間たちは、いまのころ全員が「資本制」と「国家」の受益者であり、それを「揚棄する」ことより、それがとりあえずしばらくは「順調に継続する」ことによって、より多く利益を得る、という逆説を生きている、ということである。
つまり、この「原理」という本が価格1200円で書籍流通の構造の中でベストセラーになり、運動に多くの学生市民が参加し、みんなが「ナムナム」と言い出し、「ナムにあらざれば知識人にあらず」的なムードが高まり、アソシエーショニストであることの「文化資本」が高騰し、「賛助会費」が(地域通貨じゃなくて、円で)NAM事務局の金庫を満たす、ということをとりあえず(不本意ながら)NAM運動は目指しているわけである。
つまり、NAM運動は、それが揚棄すべき資本制市場経済を「基盤」にして立ち上がるわけであり、そのシステムそのものが柄谷をはじめとするアソシエーショニストの諸君の消費生活を当面は支えて行くわけである。
しかし、そのような「ねじれ」はどこかで廃棄されねばならないだろう。
それは、いつ、どのような仕方でなされるのだろう?
「資本制生産物は買わない」ことを第一のスローガンに掲げる運動のファンドが(『原理』という)「資本制生産物」を資本制マーケットを流通させて、できるだけ多くの人に「買わせる」という形態で獲得されるほかないという矛盾はどの段階で「揚棄」されるのであろう?
おそらく、協同組合が柄谷たちの消費生活を支えるだけの構成員数を抱えたときに、すべての「ねじれ」は解消されるのであろう。
しかし、「資本制生産物」を買わないで、なお日々を楽しく暮らすだけの「消費生活」を基礎づけるためには、衣食住の確保だけではすまされない。
消費生活には、映画館や娯楽小説や音楽CDやゴルフ場や能楽堂や居酒屋やハンバーガーショップやヨットハーバーやゲーセンなどなど、私たちがそこで消費行動を行っているサービスが含まれる。それらの過半を協同組合が提供していなくては、資本制市場からの「離陸」は果たせない。
でもそのためにはいったい何人くらいの組合員が必要なのだろう?
100万人くらいだろうか?
それくらいいれば、資本制市場と独立したかたちで生産と消費をまかなうことはできるかもしれない。
しかし、そこに至るまでの過程で、この運動は市場経済のメカニズムと国家の管理ときちんと折り合っていかなくてはならない。
そして、もし「資本制市場経済」と「国家システム」の下で、すくすくとNAMが育っていくのだとしたら、そのとき私たちは深甚な疑問に逢着することになる。
だったらどうして資本主義と国家を揚棄する必要があるの?
だって、君たちまさしく資本主義と国家というシステムの中で、みごとに共産主義組織を作り上げることができたじゃない?
ここで私の頭は混乱する。
自分がやりたいことをやらせてくれないシステムだから、このシステムを揚棄する、というのなら話は分かる。
自分がやりたいことを少しも邪魔しない(どころかときどきアシストしてさえくれる)システムをあえて揚棄することの意味は何なのだろう?
NAMは資本主義を禁じるが、資本主義はNAMを禁じない。
どちらが「正しいシステムか」と問われたら、私は答に窮する。
どちらが「でたらめなシステムか」と問われたら、私は迷わず「資本主義」と答える。
そして、正直言うと、私は「でたらめなシステム」がけっこう好きなのである。
もう一つ柄谷が見落としているのは「欲望」である。
仮にNAMの運動が順調にすすんで、1000万人程度の構成員を擁する巨大な生産−消費協同組合ができたとする。この組織はどのような「商品」を生産、流通、消費させる予定なのだろう。
後期資本主義社会の市場について私たちが学んだことの一つは、私たちは「必要がある」からものを買うのではなく、「欲しいから」買う、ということである。
私たちの「欲しい」という気持をかきたてるのは、商品の「使用価値」でも「交換価値」でもない。
用語の解説をここでさせていただきますが、「使用価値」というのは、モノ自体が「何かの役に立つ」という場合の価値である。(亀の子だわしは「フライパンを洗う」のに役に立つ。)「交換価値」というのは、モノそれ自体の価値ではなく、需給関係によって生ずる価値である。(ゴムボートの使用価値(水に浮く)はどの市場においても同一であるが、「タイタニック号沈没間際」と「初秋の湘南海岸において」では交換価値が異なる。)
さて、資本制市場において私たちの欲望を喚起するのは商品の使用価値でも交換価値でもない。
それは商品の「象徴価値」である。
象徴価値をボードリヤールは「その商品がもつ社会的な差別化指標としての価値」と定義している。
分かり易く言い換えよう。
「ローレックス」と「スウオッチ」はどちらも計時能力という使用価値においてはほとんど優劣がない。しかし、一方は100万円、一方は9800円。「どちらが欲しい?」と尋ねれば、多くの人は「ローレックス」と答えるだろう。
どうして?
もちろんローレックスをはめていると、見た人が「わ、すげー」と驚くからである。
見た人の目に「興味と懐疑と畏怖」の表情が浮かぶからである。
ローレックスをはめている人は、このような高額の商品を彼に供与しうる「なんからの回路」(濡れ手で粟の金融商品とか「リッチなパパ」とかヤクザとか)にアクセスしているという事実がこの「興味と懐疑と畏怖」の感情を構成する。
それが「差別化」ということの内実である。
差別化とは、端的に言うと「ここから先はオレは行けるけど、あんたはダメ」と言うことである。
つまり、象徴価値をもつ商品とは、「それを通じて迂回的にしか表象されえないものの存在を暗示する商品」のことである。
「不可視のもの」を背後に蔵していることによってはじめてある商品は「象徴価値」を帯びるのである。
お分かりだろうか。
だから、ある社会において高い象徴価値を持つ商品とは、「不可視のもの」あるいは「外部」とのつながりを暗示する商品になるのである。
例えば、占領下の日本において象徴価値が高い商品は「キャデラック」や「ジッポ」や「レイバン」であった。それはその所有者がそれを誇示することによって「米軍」という「不可視の外部」とのコネクションを暗示することができたからである。
いま若者たちが例外的な欲望を示している対象は携帯電話である。すぐお分かりになるとおり、それはまさしく「見えない外部との連絡」の記号そのものである。つまり、携帯電話はいわば端的に象徴価値「だけ」で構成された商品なのである。
話を元に戻すと、人間がある限り(それがNAM社会であれ)、人々は必ず象徴価値を持つ商品を渇望する。
柄谷はNAMにはどのような秘密も、どのような権力も存在しない、と主張する。
NAM社会はその「外部」に「資本制市場」と「国家」を叩き出す。
だとすると、論理的に言うと、「NAM社会」においてもっとも高価な商品、その構成員が切望する商品は、「資本制市場と国家と秘密と権力へのアクセスを表象するモノ」だということになるだろう。つまり、「NAMの外部」と連絡を有することを記号的に表象するモノに人々は最高の価格をつけることになるだろう。
理性的な社会では「狂気」がもっとも欲望を昂進させる商品になる。「正しい社会」では「邪悪なもの」がもっとも欲望を昂進させる商品になる。
柄谷のような怜悧な理性がこのような単純な事実を見落とすはずはない。
柄谷が構想している未来社会において、柄谷は自分自身を「内部」と「外部」のインターフェイスに位置づけようとしている。彼は協同組合の運営という内部的な実務作業にはまったく関心を示さない。彼が興味を示しているのは、「資本制市場と国家」を「揚棄する」作業−つまり「邪悪なもの」とのインターフェイスだけである。
つまりこういうことだ。
柄谷は、いま資本制市場の「内部」において、「資本制を揚棄する」という本を書いて、彼自身が「外部」との回路であることを示してその象徴価値を高めることに成功した。そして、資本制市場と国家の「外部」である「来るべき共産主義社会」においては、資本制と国家の境界面で、その「センチネル」としてアソシエーショニストたちの欲望の焦点であり続けることを計画している。
つまり、柄谷の理想社会とは、柄谷自身がつねに「その社会においてもっとも欲望をそそる商品」であるような社会なのである。
おおお、なんと賢い人なのであろう。」(2000年12月16日)
ということを四年前に書いてから、しばらく柄谷行人のことは忘れていたが、『文學界』のおかげで思い出した。
柄谷行人は依然としてアクマのように賢い。

四年前に書いたとおり、商品が欲望の焦点になるときの大きな理由のひとつは「その商品がどうしてこの価格で売られているのか、その理由がわからない」ということである。
四年前と同じ例を挙げて恐縮だが、100万円のローレックスの計時機能は1万円のスウォッチとそれほど変わらない。
では残り99万円の差額の積算根拠は何かというと、それが「分からない」のである。(四年前と話が違うじゃないかとお怒りになってはいけない。私だって、いろいろ考えるんだから)
実は、「どうしてローレックスはこんなに高いのか?」という問いに誰も答えることができないという事実がローレックスの商品性格を形成しているのである。
もし、ローレックスのムーブメントの精密さがこれこれで、使っている宝石の原価がこれこれで、制作に携わっている職人の月給がこれこれで、アフターケアがこれこれで、パブリシティの経費がこれこれで・・・と価格の費目明細が明らかになったら、どうなるであろう。
人々は必ずやこう思う。
「なるほど、これだけのコストがかかっているのか。だったら、100万円は少しも高くないな」
「少しも高くない時計」に誰が100万円を投じるであろう。
ローレックスが売れるのは、それが100万円相当の商品であることの理由が明らかであるからではなく、100万円相当の商品であることの理由が誰にも知られていないからである。
なぜ、その商品が欲望されるのか、その合理的理由を誰も言うことができないときに、その商品は欲望される。
「諸君は私の本を読まねばならない。なぜなら、私の本を諸君はなぜ読まなければならないのか、その理由を諸君は知らないが、私は知っているからである」
というのはセールス戦略としては「正解」である。
私はその点で「賢者は良賈に似ている」と申し上げたのである。

ところで、四年前にあれほど大騒ぎしたNAM運動はどうなったのかと思ったら、どうやら(当然ながら)あまりうまくゆかなくて、2003年に解散したんだそうである。
その失敗を柄谷はこんなふうに総括していた。

「まあ、僕は運動家じゃないのは初めからわかっているので、二、三年で誰か実践的なリーダーが出てきたら引っ込もうと思っていましたが、僕が悠然と引っ込めるような体制にはなりませんでした。NAMがうまくゆかなかった理由のひとつは、まずインターネットのメーリングリストに依存しすぎたことです。それは基本的に海外にいることが多い僕の都合から出てきたやり方で、それが失敗につながっていたと思う。本当にやるつもりだったら日本にずっといないといけないし、実際に人に会わないといけないでしょう。それをやらないで自分の場所に都合の良いように運動を起こしたために、結局そのことの弊害を僕自身が受けることになった。もうひとつは、運動に経験がある未知の人たちに会って組織すべきだったのに、僕の読者を集めちゃったわけね。インターネットでやればどうしてもそうなる。それで、柄谷ファンクラブみたいになってしまった(笑)」

これが「資本と国家を揚棄」することをめざした21世紀に可能な唯一の共産主義運動頓挫についての総括である。
敗因は「メーリングリスト」と「ファンクラブ」だそうである。
私は四年前に「この運動は柄谷を欲望の焦点にすることにいずれ帰着するだろう」と予想していたが、ご本人からもご承認頂いたことになる。この点ではたいへん満足を覚えている。
ただ、この中の「本当にやるつもりだったら」という一行はいささか気になった。
「本当にやるつもりだったら」という非現実仮定は、「本当にやるつもりはなかった」という場合にしか使われない。
「本当にやるつもりがなかった」運動を組織することによって柄谷が「本当は何をやりたかったのか」。
私にはうまく想像することができない。
繰り返し言うが、私は柄谷行人が例外的に怜悧な知性の持ち主であることを喜んで認める。けれども、それは柄谷行人の本を読んで、その説くところを信じている読者の知性を認めるということとは次元の違う話である。


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2004年10月15日

神戸牛にはもってこいの日

10月14日

先週のフランス語の授業は授業時間を間違えて突発的休講にしてしまったので、まずそのことを教室で平身低頭して詫びる。
どうして間違えたかというと、先週の木曜は朝一でアセンブリーアワーというものがあり、そこで聖書にまつわるお話をひとくさりするというお仕事を仰せつかったからである。
人前でおもいつき話を繰り出すのは私の特技であるので、その点では問題がないのであるが、チャプレンや全学のよきクリスチャンの方々を前にして、という条件がつくと、それほど気楽にもいかない。
「コミュニケーション不全」というテーマで話をしますとだけ宗教センターに伝えておいたら、飯チャプレンが「バベルの塔」の話を引いて下さった。
これ幸いと、「誤解の余地を残すように構造化されたことによってコミュニケーションははじめて人間的なものとなった」という変痴奇論を展開する。
語ること9分。指定時間ぴたりに終わったのであるが、どっと疲れてしまい、「木曜の仕事は終わった」という深い達成感を得てしまった。
人間は達成感を得るとしばらく「次の仕事は?」という自問を失念してしまうものなのである。
12時過ぎに我に返って「あ、2限にフランス語の授業があったんだ!」と思ったときにはときすでに遅かったのである。
学生さまたちにはまことに申し訳ないことをした。ごめんね。

午後は専攻ゼミ(1)で、Y川くんがサリンジャーの『バナナフィッシュ』を論じる。
たいへんおもしろいプレゼンテーションだったのであるが、惜しむらくは残りのゼミ生十数名の中にこの作品を読んでいるものが一人もいなかったことである。
まさか『キャッチャー』を読んでないということはないだろうね…と不安になって訊ねてみると、これもゼロ。
ま、まさか…と『ギャツビー』を読んでいる人を訊ねてみると、これもゼロ。
『キャッチャー』とか『ギャツビー』とか『トニオ・クレーゲル』とか『異邦人』とかって、高校二年の夏休みあたりに必ず読むものではなかっただろうか?
うちのゼミの諸君は決して知的にチャレンジドな方々ではない。
ディスカッションはたいへん愉快だし、毎回課しているエッセイには、ずいぶんエッジの効いたもの含まれている。
しかし、どこか「突き抜けた」感じが足りないなあ…と思っていたのであるが、やはりそうであったか。
彼女たちの想像力は日本のマスメディアが提供するヴァーチャルな風景の外にはなかなか出ることがないのである。
発作的にゼミの読書リストに『ギャツビー』と『キャッチャー』と『日はまた昇る』を加える。

さらさらと小テストの採点をしていると院生のS田くんが、修論の相談に来る。
学術論文のライティングスタイルとして規範化されている作法がどうも肌に合わないというご相談である。
学術論文のスタイルには「アングロサクソン型」と「大陸型」の二種類がある。
社会科学系の論文は(理科系の論文に準じて)アングロサクソン型で書かれるのが普通であるが、宗教や哲学や文学などについて論じる場合は、論文を書きつつある主体自身の思考や文体そのものの被投性を遡及的に問うという面倒な作業を伴うために「大陸型」(フーコーやデリダやレヴィナスやラカンのような書き方)で書かれるのが普通である、ということをご説明する。
「大陸型」の書き手は「アングロサクソン型」の書き物をすらすら読めるが(だってわかりやすいんだもん)、「アングロサクソン型」の書き手は「大陸型」の書き物を理解しようとする努力を惜しむ傾向にある。
S田さんは宗教的経験・霊的経験について論述する予定であるようだが、こういう論文では鍵語(「神」とか「霊」とか)を一義的に定義することができない。鍵語を定義しないままで、「鍵語を定義しえない人間知性の限界性」そのものを問い返す作業をアングロサクソン型の論述で進めるのはかなりむずかしい(できないことではないが)。
学術性を確保しながら、学術性の基礎づけそのものを問い返すためには、言語的なアクロバシーが要求される。
まず「言葉を操る技術」がなければ、何も始まらない、というようなことをお話しする。
お役に立てたであろうか。

合気道のお稽古のあと、ぱたぱたと三宮に出かける。
鈴木晶先生がバレエを見に三宮までいらしているので、久闊を叙しつつ一献差し上げるということになったのである。
鈴木先生とお会いするのは高橋源一郎、加藤典洋両氏とごいっしょに鈴木家のワインセラーを急襲した「鎌倉、雨のBBQ大会」以来である。
鈴木先生はいつもテニス焼けでつやつやと輝くようなお肌をしていて、眼は黒々と輝いている。
ウチダの黒く隈取りされた「めばちこのジキル博士」顔と好対照である。
ずいぶん忙しくお仕事をされているようなのに、いつもにこにこ元気でうらやましい限りである。
Re-setのカウンターで国分さんと話相手に、シャンペンなどを呑みつつ、神戸牛のこと大学のこと翻訳のこと旧友のことなど笑いながらわいわい話しているうちに、あっというまに終電の時間を過ぎてしまう。
鈴木先生また鎌倉でバーベキューやりましょうね。
国分さん、グラタンご馳走さまでした!

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2004年10月14日

ダース・ベイダーvs 弾丸坊主

10月13日

朝起きると眼の下にくろぐろと隈ができていた。
8時間半寝たはずだけれど、まだ体の芯が重い。
大学行政にかかわることに時間を使うと、疲れが澱のようにたまって険悪な表情になる。
それはこと組織問題になると、必ずウチダの「フォース」の「ダークサイド」が露出するからである。
私はこの「ダークサイド」の扱いにしばしば困惑する。
「ダークサイド」が出てくると、私の社会的パフォーマンスがぐっと好調になるからである。
アナキン・スカイウォーカーであるときよりもダース・ベイダーであるときの方が強くなるというのは、ジョージ・ルーカスの言うとおりである。
大学行政にかかわる問題になると、私としても戦闘力を上げるしかない。
しかたなく、一日「ダース・ベイダー」をやっていたら疲れてしまったのである。
ハイド氏になった翌日のジキル博士の気鬱な目覚めのような後味の悪い感じである。

秋には来年度の大学行政の執行部の選挙がある。
これまで「ウチダのような猛悪な人間には権力を委ねてはならない」という同僚諸氏のご賢察によって、私は大学行政に無縁の人間でいられた。
ぜひ今秋の選挙も無事に逃げ切りたいものである。
昨日の教員研修会では精一杯「権力的で冷酷な行政官僚ぶり」をアピールしたので、「ダース・ベイダーをそういうポストに就けると恐怖政治が始まるのではないか…」という印象を同僚諸氏は強く抱かれたかと思う。
まことにご懸念の通りである。
そうなることはほとんど火を見るより明らかと申し上げてよろしいかと思う。
選挙にあたって同僚諸氏が賢明なご判断をされることを祈念してご挨拶に代えさせて頂くのである。

ひさしぶりの休日なので、掃除、洗濯、アイロンかけなどをして、たまった手紙に返事を書く。
E阪歯科に行く。奥歯の根本的治療は年明けからということになり、しばらくお休み。
午後は『ダカーポ』のインタビュー。東京からわざわざ二人の編集者が取材にお越しになる。
なにも、遠路はるばる来なくても…
特集は「バカ論」というもので、「バカの本質規定を」というなかなかむずかしいご質問を受ける。
「バカ」というのは実定的な資質ではなくて、ある種の「状況」のことであるという思いつきを語る。
1時間半ほどおしゃべりをしてから、お二人とも私の本の読者だというので、未読の拙著三冊を差し上げて、そこにネコマンガをさらさらと書く。
家に戻ると『他者と死者』が届いている。
三日ほど前に 『裸者と裸者』という小説が発売になった。
ノーマン・メイラーの小説のタイトルを真似た本が同じ週に二冊出るというのも、不思議なシンクロニシティである。
『他者と死者』は山本浩二画伯の装幀がたいへん美しい。
これまでの彼の装幀の中でベストかもしれない。
ソファに寝ころんで読んでみる。
原稿を書いているとき推敲のとき、校正のときとで、おそらく十数回読んでいるはずであるが、不思議なもので読み出すと「この話は、これからどうなるのか…」とどきどきしてしまう。
ずいぶん強引な展開のようにも思えるけれど、ラカンとレヴィナスの言っていることが、だんだんシンクロしてくるあたりはなかなかスリリングである。
とくにラカンの理論は『エクリ』冒頭の一文にすべて書いてあるという断定に驚く。
あの、そんなこと気楽に断定しちゃっていいんですか?ウチダ先生。
と思わず不安になってしまったが、後の方を読むと、それなりに強引につじつまが合わせてある。
きっとダース・ベイダー化しているときに書いた部分なのであろう。

突発的にカレーが食べたくなったので、今年最後の「夏野菜カレー」を作る。
カレー制作中にたいへんおぞましい事件が起きたのであるが、あまりにおぞましい事件であったので、ただちに記憶から抹殺する。
一度作ったカレーを全部棄てて、再度作り直しを行う(こういうとき階下がスーパーだと便利だ)。
今度はすべての調味料を点検しつつ慎重に制作し、たいへん美味なカレーができる。
満腹したので、チョウ・ユン・ファの『バレットモンク』を見る。
原題はBulletproof Monk (耐弾丸性僧侶)であるが、コピーには「弾丸坊主」と書いてある。
じゃあ、Waterproof watch は「水時計」か?
ヨミウリのT口さんによると、最近は映画会社の意向で、邦題にうるさいクレームがつくので、配給会社も面倒くさくなって、原題のままカタカナ表記にして「これでいんでしょ、これで。ふん」と投げ捨てるようにタイトルを付けているそうである。
でも『バレットモンク』じゃ意味不明だろう。
いいじゃないか『弾丸坊主』。好きだよ、私は、こっちの方が。
Bulletproof というと『荒野の七人』のクリス(ユル・ブリンナー)であるが、これはたしかにある種の人間には備わった才能なのである。どういう才能かというと…
おっと、これは次の朝日カルチャーセンターの「つかみ」に使うことにするので、こんなところに書いてしまうわけにはゆかないのである。


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2004年10月12日

ああああ忙しい

10月12日

昨夜遅くに多田塾合宿から全身筋肉痛で帰ってきて、そのまま死に寝。
今日は朝から教員研修会。
夢から一転、なまなましい現実に直面する。
昨日までは道着姿で気錬会や早稲田の諸君と投げたり投げられたりして遊んでいたのだが、今日はアルマーニのスーツに黒縁眼鏡で、アクレディテーションとアセスメントの教育行政的な差異や少子化による大学淘汰圧や管理プロセス評価などについて、再建企業に出向してきた銀行員のようなリアルでクールなプレゼンを行う。
朝の10時から午後4時まで研修会で基調報告と司会をして、そのあとも8時まで会議。
昼も夜も仕出しの会議弁当。
家に戻ると「校正を早く送れ」というメールが二通。「講演のレジュメを早く送れ」というメールが一通。対談の確認が三通。ファックスからは3メートルほどの紙がべろんと舌を出している。
みなさんの気持ちはわからぬでもないが、こちらも眼は二個、手は二本しかないので、同時多発的にはご要望にお応えできない。
明日には、なんとかします…とつぶやきつつ、ワイン片手に10通ほどのメールに返信をする。
多田塾合宿での夢のような日々がもう遠い昔のことのようである。
たしか二年前にも同じようなことを書いたような気がするけれど、発作的に不良債権化しているバックオーダーについては、すべて忘れてしまうことにした。
おそらくそのうち編集者諸君も配置転換とか定年退職とか家庭不和とか諸般の事情によってウチダ本の企画など忘れてしまう日がくるであろう。
とりあえず私は忘れてしまうことにした。みなさんも忘れてください。その方が、双方の健康にとってよろしいのではないでしょうか、少なくとも私の健康には。

白石さんからメールが来て、『死と身体』が3000部増刷になりましたという連絡をいただく。増刷までの医学書院の最速記録を更新したそうである。

『他者と死者』も刊行されたようである(合宿に行っていたので、宅急便の不在通知を二通みただけだけど)。
山本浩二画伯のかっこいい装幀がどんな本に仕上がったのか楽しみである。

これだけ仕事してるんだから、「もっと書け」というのは酷ですよ、ほんとに。

投稿者 uchida : 22:42 | コメント (4) | トラックバック

2004年10月06日

悪魔の洗脳教師

10月5日

卒論中間発表会。
というものを後期第一週に行う。
卒論のおよそ半分の量(「全体の構成」と「研究史概観」と「序論」まで)をこの段階までに書き上げて頂く。
締め切りが1月中旬であるから、まだ3ヶ月の余裕がある。
大胆な軌道修正も今ならまだ間に合う。だから、こちらとしても「こんなんじゃダメです」という乱暴なコメントをつけることもできる。
今回は「書き直し」を命じなければならないような不出来なものはひとつもなかった。ほとんど書き上がっているものさえあった。
初稿ができていると、こちらも「あれを論じろ、これを調べろ」と好き放題な注文ができる。当然、論文の完成度も高くなる。

卒論の主題選択の経年変化を定点観測していると、「いまどきの若い女性」の思念をとらえているものが何か、その趨勢がよくわかる。
みなさん、2004年度の卒論テーマはいったい何に集中していると思います?
なんと、これが「共同体の再生」と「身体と霊性」なのである。
全体の80%がこのいずれかの(あるいは両方の)主題にリンクしている。
「共同体の再生」は家族論、結婚論、コミュニケーション論などのかたちをとって語られているが、核にあるのは「いかにして健全な親密圏の再生を果たすか?」という問いであり、彼女たちがそれに対して用意しようとしている答えのひとつは「伝統的な文化(とりわけ身体技法)の再評価」なのである。
「霊性論」は呪術、身体加工、葬送儀礼などの主題に分散しているが、ここでも身体がある種の超越的準位への回路として機能していることが論の鍵になっている。
「ウチダくんのゼミ生はやることがばらばらだね」とよく言われるが、こうやって総括するとばらばらどころか、まさに私の当面の関心領域とぴたりと重なり合っているではないか。
1年半も毎週私のヨタ話を聴かされているうちに、彼女たちもそれと気づかぬまま「洗脳」されていたのであろうか。

5時間かけた中間発表が終わり、そのまま芦屋に移動して打ち上げ宴会。
準備時間がないし、みんな腹ぺこなので、「すわったとたんに食べられる」鉄板焼きメニューでご機嫌を伺う。
餃子、ソーセージ、イカ、焼きそば、キャベツ、茄子、豚肉、牛肉などを順不同に鉄板に並べて、それを焼ける端から食べて、ビール、ワイン、酎ハイなどをぐいぐい飲む。
仕上げは「山芋たっぷりお好み焼き」。
満腹したあとは車座になって、だらだらとおしゃべりをする。
みんな卒論が半分終わったというので、だいぶご機嫌である。
話題は当然のように「結婚」のことになる(女学院生との宴会では必ず最後はこの話題に帰着する)。
早く結婚してばんばん子どもを生み舅姑などの他人と愉快に親密圏を構築しうる社会性を育成することが女としての急務であるといういつもの暴論を語る。
驚くべきは、「センセイのそういうセクシスト的発言こそが父権制社会の抑圧的なジェンダー構造を強化しているんです」というような教条主義的反論をする学生がすっかりいなくなってしまったことである。
ほんとうに地を掃うようにいなくなってしまった。
すべてを父権制社会の責任に帰するジェンダー論はたいへんにわかりやすく、使い勝手のよいものであったので、ひさしく人口に膾炙してきた。
たしかにその理路によれば事態はクリアカットに「説明」される。
だが、どれほど「説明」が鮮やかでも、それによって事態が「改善」されるかどうかは別の話だ。
そのことに若い人々は気づいてきたのである。
マルクスはかつて大切なのは「世界を説明することではなく、世界を変えること」であると書いた。
レーニンはそれを言い換えて「革命について語ることより、革命をすることの方がずっと楽しい」と書いた。
エロスの問題やリプロダクションの問題は、それについて理路整然たる百万語を費やすよりも、とりあえず手探りしながらでも実践躬行してみる方が、間違いなく学ぶことは多い。
みずからの知性と身体を通して強く深く学ぶこと。私が学生諸君に求めるのは、そのことだけである。


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2004年10月05日

そのイクラ、How much?

10月4日

爽やかな秋晴れの札幌を後にして新千歳空港へ。
空港で時間待ちのあいだに、吉田くんオススメの「ラーメン道場」の「時計台」にてラーメンを食す。美味なり。
ホッケ、イクラ、イカの一夜干しなどなどおみやげを買い揃えて機上の人となる(おお、定型的な表現)。
大阪についたらまだ夏だった。
家に戻ると再校ゲラが二つ来ている(ということはこれからさらに本が二冊出るということである)。

本学研究所では教員の出版物については学術活動支援のために、まとめてお買い上げしてくださり、それを希望者に無料配布するというたいへんありがたい制度がある。
先日、研究所に3冊本を持ち込んで、おずおずと「まだあと二、三冊出ますけど…」と差し出す。
大学予算をウチダ個人に集中的に投じることにどれほど研究振興の意味があるのかというご批判の声が必ずや研究所委員会で上がることと思う。まことにもっともなことである。
だが、私にも言い分はある。
同僚の中で私の本を読んで下さる方々はみなさん「ウチダくんの本はタダで読めるから本屋では買わない」というきっぱりした態度を採られている。
したがってこの無料配布をやめてしまうと、100名からいる同僚のみなさまは私がどのような本を書いているか、まったくご存じなくなるという状況になる(誰が私のヨタ話を読むために私費を投じるであろうか。いつでもタダで聴けるんだから)。
私がキチガイじみたペースで本を出していることが同僚に知られないと、いずれ「ウチダくん、キミ暇なんだろ、これやっといて」というような人もなげな業務命令に遭遇しかねない。
やはり、ここは心を鬼にしても、みなさまにウチダ本を「これでもか」と無料配布させていただかねばならないのである。

荷物をほどくと、そのままバイクにまたがって大学へ。
なんとか5限の杖道の授業に間に合う。
KCハイスクールに留学しているアメリカ少女と大学にサンシャインコースト大学から交換留学で来ているオージーガール二名が杖道に参加したいと言ってくる(サンシャイン娘のうちのひとりのブランチくんは先週から合気道にも参加)。
どうも武道ブームは環太平洋一帯に広がっているようである。
武道の稽古というものは通常のphysical education とは違って、礼に始まり礼に終わる。さらに初心者にいきなり「極意」から教える(だからできない)というのが決まりである。
彼女たちはそのような教授法というものに接したことがないので、きょとんとしている。
しかし、ここが異文化コミュニケーションのかんどころである。
私は不可解なるオリエンタル・スマイルをたたえつつ、「杖は存在するが存在しない。杖は道具でありかつ障害物である。身体は諸君の可能性でありかつ限界である」というようなことを述べて、少女たちにストレスを加圧する。
だが、この程度の異文化障壁でへこたれるようではなかなか他者には出会えぬぞ、諸君。健闘を祈る(でも、来週はもう来ないかも)。

夜はあつあつごはんにおみやげのイクラを「どっ」とかけて食べる。
うううう美味い。

投稿者 uchida : 10:39 | コメント (0) | トラックバック

2004年10月03日

Sapporo revisited

10月3日

日本フランス語フランス文学会秋季大会に北海道大学へ。

編集委員をやめてから、学会には足を向けなくてなっていたけれど、旧友吉田城くんのお招きで久しぶりに学会にゆくことになった。

合気道の稽古を終えてからソッコーで荷造りをして伊丹へ。
18時半発のJ−AIRの小さな飛行機で新千歳空港へ。9時過ぎに札幌の京王プラザに投宿。小腹が減ったので、ホテルのレストランでビールとチーズとソーセージで軽食。
朝が早いので即寝る。

日曜は快晴。
札幌はもう秋深く、気温は10度くらい。背広の上にコートを着る。北大に来るのははじめて。
どこにあるのか知らなくて、ホテルから札幌駅まで歩いて、そこでタクシーを拾ったら、ホテルのすぐ裏が北大の正門だった。

広くて美しいキャンパス。
そういえば、従兄のツグちゃんの長女のアカリちゃんが北大の歯学部の学生だったことを思い出した。

早く着きすぎたので、構内を散歩して、池の鴨を眺めて時間をつぶす。

私の出るワークショップは10時40分から二時間ほど。
吉田くんが司会で、京大の多賀茂先生と私がパネラーで、テーマは「文学と身体 規範と逸脱」。
学会でのワークショップというのは初の試みで、同時に三会場で行われる(あとの二つは「自己を語るエクリチュール」と「『ソーカル』事件を考える」)。
三会場のパネリスト9名のうち、高橋純、大平具彦、赤羽研三の三氏は都立大の先輩、小倉孝誠さんは都立大時代の同僚。吉田くんは日比谷高校の同期生、多賀さんは神戸女学院に非常勤に来て頂いていたことがあるという(ウチダ的には)「身内のパーティ」である。

うちの会では、多賀さんが「怪物と奇形」の話をして、私が「身体と時間」の話をして、吉田くんが「舞踏と文学」の話をする。
どこがどうつながるのか危ぶまれるところであったが、司会の吉田くんのみごとな手綱さばきで、ちゃんと話がまとまった。

るんちゃんのバンド友だちであるところのS水社のS山くんが茶髪にサングラスというファンキーな格好で聴取されていたので、「あ、どうも娘がいつもお世話になっております」と平身してご挨拶をする。
「さっそくですが、弊社の***にご執筆をお願いいただけませんか」と切り込まれる。
娘が世話になっている手前、ほかの編集者相手のときのように木で鼻をくくるような態度をするわけにはゆかない。「は、前向きに取り組まさせて頂きます」と直立不動でお答えする。

2時間のセッションが終わり、自動的に北海道に来た用事が終わる。

懇親会に出て久闊を叙するつもりでいたのだが、学会日程が(私が3年も学会に出ない間に)変わってしまい、懇親会は土曜日に終わっていたので、明日の朝の飛行機まですることがなくなってしまった。

ほかにすることもないし、人に会う予定もないので、明日の朝までどうしたらいいんだろうと呆然と歩いていたら、赤羽さんに呼び止められて「これからどうするの」とご下問頂いた。
「すっことないんです。赤羽さん、遊んでください」とお願いする。
赤羽さんは編集委員なので、これからお仕事があるけれど、終わったら携帯に電話するから晩ご飯を一緒に食べましょうと言っていただく。

やれうれしや晩飯の相手がみつかったと歩いていたら、吉田城君ご夫妻ご一行に追いついたので、「いっしょにお昼ご飯にゆきましょう」と無理矢理身内にまぜていただく。
ふたりでクラーク博士像前でにっこりツーショット。
高校のときの友だちとこんなところでこんなふうに写真を撮っているとなんだか不思議な気分になる。

札幌駅のなんとかタワーでお昼をいただく。
札幌の街を見下ろしながら、北海道名物料理を食べるつもりであったが、なかなかそうはゆかないものである。

食事をしつつ談論風発。若い院生お二人がいっしょだったので、ついおじさん二人は「長説教」体制に入る。ごめんなさいね。初対面でいきなり説教かましてしまって。

お散歩にでかけるみなさんと別れて、ホテルに戻り、ゆっくりと風呂につかり、寝間着に着替えて昼寝。二時間爆睡。さすがに多少は緊張していたらしい。

夕方起き出して、平川君の『反戦略論』の「あとがき」の往復書簡の続きを書いて送信。

ちょうど仕事の終わった赤羽さんと連れ立って「すすきの」に繰り出す。
ご家族とのポルトガル旅行帰りの赤羽さんとは、ついこの間、シャルルドゴール空港で帰りの飛行機を待っているときにもばったりお会いした。
赤羽さんは修士のときからお礼の申し上げようもないくらいにお世話になっていて、足を向けて寝ることのできない大先輩である。
どういうわけだが、私が学会のあとに飲みに行く相手がつかまらなくて呆然自失しているときに限って私のそばを通りかかり「あ、赤羽さん、ご一緒させてくださいよお」と泣訴されて、つきあってくださるという不運にして寛大な先輩である。
「すすきの」交差点において、身体感受性を最大化して、「美味しい店」を看板だけで判定するという高等技術を繰り出す(これは私の特技の一つである)。
「ここ」と白羽の矢を立てた店に自信たっぷりにご案内して、赤羽さんと「ソーカル問題」「デコンストラクション」「都立大問題」「バイリンガル教育」「フェミニズムの鎮魂」「仏文学者の社会的責務」など多彩にしてハイブラウな話題を展開しつつ、さんまの刺身、あわびの刺身、いかソーメン、ホッケ、うにイクラ丼を生ビールと地酒で流し込む。
まことに美味ですなあとにこにこしながら札幌の夜は更けて行くのであった。


投稿者 uchida : 22:21 | コメント (2) | トラックバック