9月30日
Happy Birthday to me
というわけで今日は私の54回目の誕生日である。
関係各方面からお誕生日のお祝いメッセージ、お祝いの品々をいただく。
まことにありがとうございます。
お礼申し上げます。
合気道部の諸君からは「ミッフィーちゃんの巨大ぬいぐるみ」と「ハンチング」を頂いた。ミッフィーちゃんのぬいぐるみは「黄色いものを家の南方面に置いておくと運が開ける」という風水的配慮によるものだそうである。
ハンチングはどういう意図によるものかよくわからない。たぶん「これをかぶって学校に来てね」ということなのだろうが…
大阪の羽鳥さんからは大学事務室宛に「あやしいものではありません」と書かれた封筒が届いた(それだけで十分怪しい)。
中身は葉巻セットであった(開けるときに「先生、それ爆弾じゃないですか」とヒラヤマさんが机の下に身を隠そうとした)。
ヒラヤマさん、私はそこまで人に恨まれる覚えはないよ。
羽鳥さん、どうもありがとうございます。
角田優子さんからは「銀座のお寿司」をいただいた。ごちそうさまでした。
ブルーノくんはフランスから誕生祝いの電話をくれた。
ウッキーからは靴下をもらった。
「頭寒足熱」というコメントがあったが、意味がよくわからない。いい加減頭を冷やしたらどうかというサジェッションなのかもしれない。靴下をもらうのは二度目であるが、前回は合気道部からの贈り物で、そのときには「先生、このあいだ穴あいた靴下履いてたから」という、たいへんダイレクトな贈与品選択理由が提示されていた。
飯田先生からは「牛肉炒りの辛子味噌」をいただいた(誕生祝いじゃなくて、韓国旅行土産なのかもしれない)。
ヨシカワさんからはマドレーヌをもらった(誕生祝いじゃなくて、シャルルドゴール空港で貸した20ユーロの利息なのかもしれない)。
高雄くんからはビールとビーフジャーキーをもらった(誕生祝いじゃなくて、アメリカ土産なのかもしれない)。
イワモトIT秘書からはワインをもらった(誕生祝いじゃなくて、ただ手ぶらで来ると失礼かなと気を遣っただけなのかもしれない)。
三宅先生からは「三軸修正法ビデオ」をもらった(誕生祝いじゃなくて、「いつものおみやげ」だったのかもしれない)。
モリカワさんからは「モーツァルトチョコ」をもらった(誕生祝いじゃなくて、「旅行のおみやげ」ですと断言していた)。
るんちゃんからは「カード送りました」というメールをもらった(涙)。
るんちゃんからは何をもらっても泣いてしまう。
でも、みんなまとめて、あ・り・が・と・う。
9月29日
台風が接近してきて、じゃんじゃん雨が降っている。
三宅先生の治療を受けにゆく。
昨日一日机にむかって身じろぎもしないで仕事をしていたので、身体が歪みきっている。とくに頸椎のつまりがひどいらしい(これは目の疲れ)。
くいくいとほぐしてもらう。治療が終わったときには視界が急に明るくなっていた。
おみやげに池上先生ご出演の三軸ビデオをもらう。
最近、東京でも「三軸修正法」を名乗る診療所がだんだんふえてきたらしい。
池上先生の講習を一二度受けたくらいで、池上先生が名前も知らない人がそういう名乗りをすると、あれこれややこしい問題が起きそうだと三宅先生が暗い顔をしている。
困ったものである。
だからといって「三軸修正協会」みたいな法人をつくって承認のパスを出すようなことになると、膨大な事務量になるし権益も発生する。
そうなると治療と関係ないビジネスマンがつられて入り込んできて事務局長とか理事長とかにおさまり、協会を私物化、派閥抗争、訴訟合戦、ついに池上先生「私は三軸協会とは何の関係もありません」と怒りの声明…というような不安な未来が透けて見える。
どうしたもんでしょうね、と三宅先生がいうので、とにかく法人化はよしたほうがいいですよ、ということを申し上げる。
会社を大きくして収益を上げて社員をふやして自社ビルを建ててIPO…というふうに考えていたのはバブル期までの「好天型」経営モデルである。
横町の天ぷらやとか下丸子の鉄工所くらいの「おじさんひとり」の自営業がこれからいちばん先端的な経営スタイルなのである(ほんとかね)。
とりあえず、速効的な解決法を思いついたので、首をぐりぐりしてもらいながら三宅先生にお伝えする。
「池上先生の方が、名前替えちゃえばいいんですよ。三軸プラス時間軸で、四軸修正法」
だめかしら。
すこし回復したので、「よっしゃあ」と気合いを入れて大学へ。
理事会と教授会有志との懇談会。
私が着任してから14年のあいだで、教授会メンバーと理事会メンバーがさしで話し合いの場をもつのは、これがはじめてのことである。
おそらくそれ以前にもあまりなかったことだろうから、これはある意味では画期的な「情報開示」機会である。その点については話し合いの場をもちたいという教授会の意向を、そのまま受け容れてくださった松澤理事長に深く感謝をしたい。
しかし、「話し合いの場をもちたい」という要望があがったのは、「どうも、理事会との意思疎通がうまくいっていないのではないか」という懸念がこの数年教授会メンバーのあいだにつよく根を張ってきたからである。
そう懸念するにはそれなりの原因があるのだが、それについてはかかる場で詳述するわけにはまいらない。
ともあれ、大学教職員の多くは「どうも理事会は教育研究の現場でいま何が起きているのか、あまりご存じないらしい」という印象を抱くにいたった。
私は「聖域なき自己点検」を職務とする自己評価委員長という役職上、この問題をいろいろと検討し、関係各方面への聴き取りなども行った上で、「この意思疎通の障害は学内理事数を増員すれば解消されるであろう」という結論を得た。
それを理事長に「委員長私案」として具申したのが春先のことである。
本学の理事数は15名。うち学内理事は3名(院長、学長、中高部長)。つまり、大学代表者は15分の1にすぎない。
学内理事の比率がそもそも他大学に比して例外的に低い上に、大学代表が1というのは、やや不均衡のそしりをまぬかれないであろう。
本学は収入の80%を学生納付金に依存している。
つまり大学は本学の「税収」の80%を負担しているにもかかわらず、その「税収」の使途を決定する「国会」には定員の7%の議員しか送ることができないのである。
これはあまり民主的な比率とは言えぬであろう。
「代表なければ課税なし」というのは、アメリカ合衆国の独立戦争のスローガンであり、アメリカの大学を出られた方の多い理事会メンバーはみなさま熟知されているところであるが、残念ながらこの原則を本学に適用することは自制されたようである。
これまでそのような非対称があまり問題にならなかったのは、現場からの要望がほぼそのまま理事会に受け容れられてきたからである。
しかし、ここ数年、理事会と大学教授会のあいだではひとつの深刻な状況理解の齟齬が生じ来た。
それは「少子化にどう対応するか」という問題をめぐる意見対立である。
この日記でも繰り返し書いているとおり、大学マーケットであるところの18歳人口は1992年の205万人をピークにして、2020年には112万人にまで42%の減となる。
マーケットが6割にシュリンクしつつあり、かつ日本の青少年の学力が先進国間の国際比較でほぼ最低レベルにまで低下しているときに、高等教育の質を維持向上させるためには、「マーケットと一緒に大学もシュリンクしてゆき、その中でゆきとどいた少人数教育を行う」というのが不可避の選択であると私は考えている。
私が考えているだけではなく、これは教授会が教員削減を機関決定したときの前提であった。
ところが、理事会はこれに同意してくれない。むしろ、できることなら今以上に学生数を多く採っていただきたいという。
なぜなら、学生数が減ると収入が減るからである。
それくらいのことは私にもわかる。
しかし、誰でもわかることだが、志願者が減る中で、入学者数を増やすということは、これまでなら本学に合格しなかった学力レベルの学生を受け容れるということである。
それがどのような結果をもたらすかは誰にでも想像できる。
「神戸女学院?ああ、誰でも入れる学校ね」
ということになる。
そのような世間の風評などは収入確保というリアルな要請の前には問題ではないというのなら、しかたがない。
しかし、「誰でも入れる学校」に来たがる受験生はあまり多くない。
おそらくそのような風評が定着した段階で、本学受験者はネガティヴ・フィードバック的に激減するであろう。
定員割れをして閑散としたキャンパスに、「あまり来たくなかったけれど、ここしか受からなかったから」という学生たちが暗い顔をして歩いている…というのはあまり心楽しい風景ではない。
本学で学ぶ動機づけのない学生を教える現場の労力と心痛は、そうでない場合とは比較にならない。へとへとになった教員たちはもっとモチベーションのある学生たちのいる他大学に、チャンスがあれば移りたいと思うだろう。
学生も教員も「そして、みんないなくなった」というしかたで大学はその天寿を全うするのであろうが、私はできることなら、そのような日が到来することを一日でも先送りしたいと願っている。
ダウンサイジングを選択しない場合にも本学がこの熾烈な大学淘汰の時代を生き延びられると、どうして理事会のみなさんが信じていられるのか、私にはうまく理解できない。
残念ながら、話し合いの後でも私はうまく理解できないままである。
ビジネスマインデッドな理事のみなさんはどうやらこの期に及んで「攻めの経営展開」というものを構想されているようであった。
優秀な学生がどんどん集まってくるような「新機軸」をどうして大学教授会は提言してこないのか、とかなり不機嫌な声を私は聞いた。
悪いけど、それは「ビジネスマンの発想」である。
たしかにビジネスにおいてマーケットは原理的には「無限」である。
一年前に買ったパソコンをゴミ箱に棄てて、新機種に乗り換えるというような嗜癖的な消費行動を前提にして日本の資本主義はまわっている。
消費者の欲望に点火しさえすれば、モノはいくらでも売れる。
「新機軸で一発起死回生」というのはビジネスの世界では「常識」である。
しかし、それは大学では常識ではない。
大学のマーケットは有限だからだ。
大学を毎年「買い換える」人はいないし、生涯に何度も大学に「出入り」するひともいない。同年齢集団の約半数が生涯に一度だけ入る、というのが大学マーケットのサイズである。
それが急減している。2020年までの数値を挙げたが、その先の減少傾向にも歯止めはかからないだろう。
その趨勢の中で教授会が考えた「新機軸」は、戦後60年間続いた「右肩上がり」幻想に別れを告げ、「本学建学の原点に立ち戻り、ほっこりとして知的なカレッジライフを提供する」というダウンサイジングの選択であった。
私たちは数年にわたってこのプログラムを検討し、本学のもてるソフトハード両方のリソースを最大に効果的に用いるのは、これしかないだろうという結論を得た。
残念ながら、理事会はこの「新機軸」を検討に値しないものと退けた。
「会社のダウンサイジング」というのは、ビジネス的には「敗北宣言」に等しいから、ビジネスマンご出身の理事のみなさんが「もってのほか」という拒否反応を示すことは私にはよく理解できる。
しかし、大学はそういう種類の「ビジネス」ではないということは繰り返し申し上げねばならない。
理事のみなさんはしばしばアメリカの私学の経営モデルを参照されるが、そのときに重要なファクターをひとつ勘定に入れ忘れてはいないだろうか?
それは、アメリカは欧米ではまことに例外的な「人口増加国」だということである。
私たちが教学の現場で問題にしているのは、まずはマーケットのサイズの絶対的減少という与件である。
すべてはこの与件から出発している。
そして、この問題について「正解」を処方した大学は歴史上まだ存在しないのである。
その他、理事会について申し上げたいことは多々あるけれども、それは大学教育一般にかかわる議論の水準にはないことなのでここには書かない。
がっくりと疲れて台風の予兆の強風の中を家路につく。
業務連絡
まず大事なことから
10月は休講がばたばたあるので、連絡しておきます。特に遠くからお越しのみなさん。間違えて来ないでくださいね!
大学院演習:9月28日(火)、10月5日(火)、10月12日(火)すべて休講となります。5日から開講予定でしたが、「卒論中間発表会」があるのを忘れておりました。12日は本学の創立記念日で休日となりますので、みなさんにお目にかかるのは19日からとなります。後藤さん、東京から深夜バスで来て「休講掲示を見て愕然」ということにならないようにご注意ください。渡邊さん、光安さん、大迫くんも「仕事休んで来たら休講かよ…ンナロー」ということになりませんように。
この業務連絡を見た院生・聴講生の方はただちに「了解」のメールを内田あてにお願い致します。またこのホームページ掲示を見ていなそうな学友には確認メールを送って、「休講掲示見た?」とささやいてあげてください。(いい加減にML作らないといけませんね。これを機会に作成いたします)
「了解メール」の宛先は
uchida@tatsuru.com
学部は「比較文化学特殊講義:ユダヤ文化論」が10月4日(月)、11(月)、18(月)休講となります。4日は学会、11日は祭日、18日は友人の葬儀のため。
月曜5限の体育(杖道)はTAのウッキーが代講してくれるので、時間割通りに実施されます。
10月21日(木)のF121フランス語、専攻ゼミ1も休講。(東京で講演のため)
こんなに私用で休講しちゃうと教務部長から譴責処分を受けるかもしれないなあ…
9月28日
オフなので一日仕事をする。
この「休日なので、一日仕事をする」というパターンからいい加減に足を洗う必要があるなあ。
しかし、オフの日に一気に片づけないと、両肩にのしかかる原稿負荷は私の背骨をへし折るであろう。
朝の9時から夜の7時半まで、ほとんどみじろぎもしないで(家から一歩も出ず、ごはんも前の晩につくった「豚汁」を暖め直して朝昼晩と三度食べる)、『先生はえらい』の最後の書き直しをする。
うう、肩凝ったぜ。
『先生はえらい』はすでに日記に何度も書いているとおり、橋本治先生企画のちくまプリマー新書(来年初春より刊行)の一冊である。
日本の未来を担う青少年たちにおじさんおばさんたちがこってりと説教をかましたろやないけという企図は壮大だがセールス的には楽観を許されないプロジェクトである。
橋本先生は創刊に当たり「敬語論」『ちゃんと話すための敬語の本』を書き下ろされる。
まずはモデルとしてその橋本先生の草稿を拝読しつつ、粛々として書き直しをする。
先生の語り口というのは、
「だから私は『自信をもって分かんない』などという図々しいことを言います。私はそういうへんてこりんな言い回しが好きなので、嬉々として、『俺、もうなんにも分かんない。自信をもって分かんない。ああ楽だ』などと、とんでもないことを言うのです」
という、あれですね。
ご存じのように、私は文体的には小田嶋隆、村上春樹、椎名誠、高橋源一郎、ジャック・ラカンといった偉大なる諸先輩の影響を濃厚に受けてきたわけであるが、とりわけ『桃尻娘』以来の橋本先生の薫陶を受けて久しい。
であるから、橋本先生のテクストをかたわらに自作原稿に加筆修正するというのは、私にとってほとんど「臨書」に類する自己啓発的経験なのである。
『先生はえらい』というのは、タイトルからおわかりいただけるように師弟論である。
「先生はえらくない」ということを声高に主張する書物は巷間広く流布しているが、「先生はえらい」と主張する本はあまりない。おそらくほとんどない。もしかしたら一つもないかもしれない。
「教育基本法を改正せよ」「教育勅語を復活せよ」などと言われるみなさんはもちろん、「教師だって生身の人間だい」「教師は労働者である」という方向に力点を置かれるみなさんも、とりあえず「先生はそんなにえらいもんじゃないです、別に」ということについては衆議一決されている。
先生方のお気持ちも、あるいは先生方を罵倒される方々のお気持ちも、ウチダはわからないでもないが、そういうことだけで果たしてよろしいのであろうか、という警世の一石を投じるのが私の趣旨である。
私の「先生はえらい」論は、「えらい先生とはこれこれこういうものである」というような認知的なものではない(そんなことを言っても何も始まらない)。あるいは「いいから黙って先生の言うことを聞きなさい」というような政治的なものでもない(そんなことを言っても誰も聞きゃしない)。
そうではなくて、「先生」というのは定義上「えらい」ものである。あなたが「えらい」と思う人、それが「先生」であるという同語反復を断固主張するところの書物なのである。
同語反復してどうするんだ、という反論もおありだろうが、長く人生をやってきて分ったことのひとつは、人間に関する実効的な命題のほとんどすべては「同語反復」だということである(これについてはかのウィトゲンシュタイン先生も私と同意見である)。
「これまでの先生はえらい/えらくない」論は、おもに「先生」の方に軸足を置いた議論であった。
「どういう先生だったら生徒は言うことを聞くのか」とか「どういう先生だから生徒はなめてかかるのか」というような「先生」の実定的条件を論じるものが「教育論」のかなりの部分を占めていた。
私はそういう方法を採らない。
採りたくても、採れない。
だって、教育現場の事情をよく知らないから。
20年ばかりの大学教師経験から教育一般を論ずるのは「葦の随から天井覗く」に等しい。
私が行ったのは「えらい」の構造分析である。
「他者を『えらい』と思うのは、どういう心的状況、いかなる権力的付置のことか」という分析的・権力論的アプローチである。
これなら私も理論的に熟知している。
というのは、私がこの三年ほど集中的に読んできたレヴィナス老師とラカン老師はどちらも「えらい」の専門家だからである。
このことに気づいた研究者はあまりおられないが、実はそうなのである。
あの方たちは「えらい」というのはどういうことで、それがどのような教育的・分析的効果をもつのかということを、ほとんどそのこと「だけ」を考究され、書き残されているのである。
知らなかったでしょ。
私も最近まで知らなかった。
そうじゃないかな、とうすうす疑ってはいたのであるが、ラカン老師の次のことばを読んだときに目から鱗が剥離したのである。
ラカン老師は、ほとんどパリの全知識人およびウッドビー知識人がエコール・ノルマルの階段教室にひしめいたあの伝説的なセミネールの開講に当たって、こう言われた。
自身の問いに答えを出すのは弟子自身の仕事です。師は「説教壇の上から」出来合いの学問を教えるのではありません。師は、弟子が答えを見出す正にその時に答えを与えます。(「セミネールの開講」、『フロイトの技法論(上)』)
ああ、やっぱりそうだったのか。こ、これこそが「えらい」の本質構造だったのか…とウチダは頁をめくる手を震わせながら烈しく喘いだのでありました。
ともあれ、そのようにして目から鱗が剥離したあと、私は両老師のご高説をすべて「えらい」の構造分析というアプローチから眼光紙背に徹するまで読み直し、ついに「『先生はえらい』だって、『えらい人』のことを『先生』ていうんだもん」という必殺の同語反復に到達したのである。
「えらい」の構造分析を通じて、師弟関係の力学的構造が解明されれば、まあ、あとは原理的には「赤子の手をひねる」ようなものである。
ビジネスでいうところの「レバレッジ」(梃子)というやつである。
「われにレバレッジを与えよ、さらば宇宙を動かしてごらんにいれよう」とまではゆかないが、「えらい」のレバレッジ・モデルの解明を通じて、やがて日本の教育はあらたなフェーズに入ってゆくものと確信しつつ、新刊案内のご挨拶に代えさせて頂くのである。
業務連絡
まず大事なことから
10月は休講がばたばたあるので、連絡しておきます。特に遠くからお越しのみなさん。間違えて来ないでくださいね!
大学院演習:9月28日(火)、10月5日(火)、10月12日(火)すべて休講となります。5日から開講予定でしたが、「卒論中間発表会」があるのを忘れておりました。12日は本学の創立記念日で休日となりますので、みなさんにお目にかかるのは19日からとなります。後藤さん、東京から深夜バスで来て「休講掲示を見て愕然」ということにならないようにご注意ください。渡邊さん、光安さん、大迫くんも「仕事休んで来たら休講かよ…ンナロー」ということになりませんように。
この業務連絡を見た院生・聴講生の方はただちに「了解」のメールを内田あてにお願い致します。またこのホームページ掲示を見ていなそうな学友には確認メールを送って、「休講掲示見た?」とささやいてあげてください。(いい加減にML作らないといけませんね。これを機会に作成いたします)
「了解メール」の宛先は
uchida@tatsuru.com
学部は「比較文化学特殊講義:ユダヤ文化論」が10月4日(月)、11(月)、18(月)休講となります。4日は学会、11日は祭日、18日は友人の葬儀のため。
月曜5限の体育(杖道)はTAのウッキーが代講してくれるので、時間割通りに実施されます。
10月21日(木)のF121フランス語、専攻ゼミ1も休講。(東京で講演のため)
こんなに私用で休講しちゃうと教務部長から譴責処分を受けるかもしれないなあ…
この「休講掲示」はしばらく毎日掲載しておきます。
9月27日
後期開講。
「ユダヤ文化論」の講義が今日から始まるので、あわててノート作り(そういうことするなよ、その日の朝に)。
あまり知られていないことだが、私はユダヤ文化論の専門家なのであった(本人も忘れていた)。
担当コマ数は6つあるのだが、演習ばかり4科目で、総文の専門講義科目というのをひとつもやっていない(演習の他にはフランス語初級と体育)。
それでは他学科の学生さんに私の専門的知見をご披露する機会というものがないということに思い当たって、今年は後期だけ講義をすることにしたのである。
来年はこのコマで「現代霊性論」というのを釈先生と対談形式の合同講義で行うことになっているので、ユダヤ文化論は今年でおしまい。
このユダヤ文化論はたいへん生産性の高い科目で、教室ではこのノートをネタに授業を行い、ノートをばら売りして『B學界』に連載し、連載終了後はそのままB春新書にしてしまおうという「一粒で三度美味しい」企画なのである。
考えてみると、私はなにごとによらず「一粒で二度、三度」という効率的な時間の使い方を好む傾向が強い。
「どうも授業の担当コマ数が多すぎて武道の稽古時間が足りないなあ…」と思ったときには「あ、武道を授業でやればいいんだ」というアクマのごとき知恵が閃いたし、「名越先生とときどき美味しいものを食べながら、おしゃべりなんかしたいなあ…」と思ったときには、「あ、名越先生との対談をどこかの出版社に売り込めばいいんだ(ただでシャンペンが飲めるじゃないか)」というセコイ知恵が閃いた。
もともと松下正己との『映画は死んだ』にしても、松下くんと電話で映画についての終わりなきバカ話をしているときに、「これをそのまま本にしたら…」ということで思いついた企画だった。
ナバちゃんとの共著『現代思想のパフォーマンス』も、大学の授業で「20世紀の批評理論」を1年間やったときに作ったノートをほとんどそのまま流用したものだし、その『現代思想のパフォーマンス』のさらに短縮版が『寝ながら学べる構造主義』である。
池上先生との対談本でも、会えば先生に山のようにご馳走になって、三軸自在で治療を受けて身体の歪みを補正してもらって、ついでにおみやげまでもらって帰ってくる。
先週の朝カル対談だって、「三砂先生にたまにあっておしゃべりしたいな…フジイくんの顔も見たいし」ということででかけたのであった。
態度悪いよな。
そのユダヤ文化論には「ブザンソン組」が何人か来ている。
おそらくフランス滞在中の私の言動を間近に見て、「ウチダ与し易し」と看破したのであろう。
「ウッチーなら単位ぜったいもらえるよ。甘いもん、ウッチー」
というようなアンダーグラウンド情報が飛び交ったのやもしれぬ。
続いて杖道。
こちらは「業務命令」で合気道部、杖道会のメンバーの履修を義務化したので、知った顔ばかりである。
ここにもブザンソン組のキノシタがいる。
ヒロセという名札をつけた服を着ているので、「キミはいつからヒロセくんに改名したのかね」と訊ねたら、すました顔で「はい、今日からです」と答える。
あきらかに「ウチダ与し易し」という人物評価がフランスにおいて定着してしまったようである。
その杖道のお稽古をA日新聞が取材に来る。
先般のインタビューの続きで、「武道するウチダ」の絵が欲しい、ということでまたまた「ヤラセ映像」を撮影する。
16日は帰国翌日の時差ボケ頭。顔にはアブラが浮き、赤白の斑点だらけで、こんな顔が新聞に出たら街を歩けないと思っていたのであるが、昨日は後期開講日、顔には「まるちゃん」の縦線が入った状態であり、ますます表を歩けない。
9月26日
土曜日は朝日カルチャーセンターで三砂ちづる先生との対談。
合気道の稽古をお休みさせていただき、昼過ぎに新幹線に乗り込む。
テーマは「オニババ化する社会」と勝手に決める。それなら、私はただ三砂先生のお話を「ほうほう」とうかがっていればよいので、まことに気楽である。
車中で橋本治先生の『ああでもなくこうでもなく3』を読む。
さすがに「濃い」。
感動した箇所は多々あるのであるが、次のところがいちばん「来た」ので採録させていただく。
「クロートというのは『技術』によって成り立っていて、その『技術』とは仮面のようなものである。(…)クロートというのものは、自分の技術で『自分』を覆い隠してしまう。だから、クロートには『自分』がない。有能な技術者が家に帰ったら『無能なお父さん』になってしまうことがあるのもそのためで、有能なクロートの専業主婦が、ときどき『私の人生ってなんだったの?』と悩んでしまうのもそのためである。しかし、それでいいのである。クロートにとって『自分』とは、『自分の技術』という樹木を育てる土壌のようなもので、土壌はそれ自体『自分』ではないのである。一本の樹木しかないことが寂しかったら、その土壌からもう一本の樹木を育てればいいのである。それを可能にするのが『自分』という土壌で、土壌は、そこから芽を出して枝を広げる樹木ではないのである。だから、クロートは技術しか問題にしない。クロートの自己表現は技術の上に現れるもので、技術として昇華されない自己は、余分なものでしかないものである。(…)
ところがしかし、シロートは技術を持っていない。技術を持っていないからこそシロートで、そのシロートは『自分』を覆い隠すことが出来ない。すぐに『自分』を露呈させてしまう。ただ露呈させるだけではなく、露呈させた自分を問題にしてしまう。『自分とはなんだ?』などと。
クロートはもちろん『自分とはなんだ?』なんてことを考えない。それは、シロートだけが考える。クロートは、考えるのなら、『自分の技とはなんだ?』と考える。『自分のやってきたことはなんだ?』という悩み方をする。クロートが『自分とはなんだ?』と考えてしまうのは、自分を成り立たせて来た技術そのものが無意味になってしまった廃業の瀬戸際だけで、そんな疑問が浮かんだら、時としてクロートはそれだけで自殺してしまう。」(橋本治『ああでもなく、こうでもなく3 「日本がかわってゆく」の巻』、マドラ出版、』2002年、347-8頁)
どうして「来た」かというと、ほとんど同じことばを「ビジネスのクロート」である平川くんの『反戦略論』(もうすぐ洋泉社から発売)の中で読んだばかりだからである。
平川くんはこう書いている。
「あるときわたしが社長をしていた会社の女子社員のひとりが、会社を辞めたいというので、ではそのわけを聞かせてくれないかということになりました。
彼女が言うには、『この会社では自己実現できない』というものでした。『えっ? 自己実現て何なの』というのがわたしの最初の反応でした。
当時社員数は20人ぐらいだったでしょうか。わたしの会社はおそろしく定着率の良い会社で、いわゆる寿退社以外にはほとんど会社を辞めようなんていう人はいませんでしたので、この女子社員の小さな『反乱』はちょっとした風を社内に持ち込みました。
自己実現とは、自己の能力や可能性の全てを開花させるというような意味なのでしょうが、それがどのようにすれば『実現』できるのかについては、誰も答えをもっていないような欲求であるといわねばなりません。
なぜなら、能力も可能性も、それが実現してみて初めて了解できるものであり、事前にそれぞれの人に登録されているリソースではないからです。
『この会社では自己実現できない』と言った社員は、『別の会社でも自己実現できない』はずです。自己実現は、その定義からして環境によって実現しうるものではなく、自己実現といったものを実感したときには、すでに環境も変化しているというように、すべては事後的にしか実感できないものであるからです。
いや、事後的にも実感できないといった方がいいのかもしれません。自己実現とは将来実現する能力や可能性なのではなく、ただ、現在の欠落感としてしか実感できないものであるといえるのではないでしょうか。」
「自己実現」とか「自分探し」ということばが、現代において支配的なイデオロギーの産物であり、これはあまりよい結果をもたらしていないということは、私もこれまであちこちで書いてきたけれど、期せずして私の敬愛するふたりの書き手も同じことを述べている。
「自己」というのは橋本先生が言うとおり「土壌」のようなものである。
あるいは「繁殖能力」(fe´condite´)といってもいい。
そこ「から」かたちあるものが出てくるのであって、それ自体は「エネルギー」や「トラウマ」と同じく、ある種の「仮説」であって、「はい、これ」と言って取り出せるようなものではない。
「そこから出てきたもの」を見てはじめて事後的に「こういうことができる素地」というかたちで「自己」は認証される。
でも「素地」というくらいだから、どんなものだかよくわからない。
定量的に語ることはたぶん誰にもできない。そこから生えてきた樹木のクオリティを見て、土壌としての生産性や通気性や保水力を推し測ることができるだけである。
「この会社では自己実現できない」という言明を発した人の場合、「そういう会社をみずから選択して、そこで『無駄な日々』を便々と過ごしてきた自分」というのが、とりあえずはそのひとの「樹木」である。そして、そのようなものしか育てることができなかった「土壌」がそのひとの「自己」である。
人間はその意味では、そのつど「すでに自己実現してしまっている」のである。
もし、そこで実現したものがあまりぱっとしないと思えるなら、樹木が生え来た当の足下にある「土壌」の肥沃化のためのプログラムをこそ考慮すべきだろう。
「土壌の肥沃化」なんていうと、すぐにあわてものは「化学肥料」や「除草剤」の大量投与のようなショートカットを思いつくだろうけれど、そういうのがいちばん土壌を痛めつけるのである。
土壌を豊かにするための方法はひとつしかない。
それは「繰り返し」である。
若い人にはわかりにくいだろうけれど、ルーティンをきちきちとこなしてゆくことでしか「土壌を練る」ことはできない。
土壌肥沃化に特効薬や即効性の手段はない。
土壌そのものが繁殖力を拡大再生産するようにするためには、一見すると「退屈な日常」としか見えないようなルーティンの繰り返ししかないのである。
その忍耐づよい労働をつうじて土壌の成分のひとつひとつがやがてゆっくり粒立ち、輝いてくる。
「練る」というのは、そういうことである。
「技術」というのは、千日万日の「錬磨」を通じてしか身に付かない。
ハウツー本を読んでたちまち身に付くような「技術」は三日で剥がれるし、バリ島やニューヨークに行ったり、転職するだけで出会えるような「ほんとうの私」からはたぶん何も生えてこない。
なことを考えながら東京へ。
新宿住友ビルの朝日カルチャーセンターに三砂先生、白石さん(医学書院)、足立さん(晶文社)という「いつものメンバー」が集合(安藤さん(晶文社)は「娘の誕生日」で欠席。「キャリアより家族がだいじ」という対談の結論を先取りしたような賢明な選択である)。
対談は『安達原』と「オニババ」のシンクロニシティ話から始まり、爆笑のうちに定時を過ぎてもさっぱり終わる気配がなく、30分オーバーしてようやく終演。
それでも二人ともしゃべり足りないので、三砂軍団の美女のみなさんにフジイもまじえた10人で新宿の「西湖」にどどどと乱入し、『オニババ化する女たち』と『死と身体』の刊行を祝って乾杯。
三砂先生に対しては「40−50代のフェミニスト」からのバッシングがすごいらしい。
たぶん彼女たちがこれまでのやってきたことを否定されたように感じるのかもしれない。
若い編集者が三砂先生の本の企画を上げると、「50代マルフ」の上司が「こんなもん出す気なの」と氷のような視線をするのだそうである。
おおテリブル。
しかし、フェミニズムを否定したり、戦ったりしてはいけないというのが私の持論である。
マルクス主義やフェミニズムのような対抗的イデオロギーは「それに反対する立場」の存在によって活力を補給し延命するという構造になっている。だから、その歴史的使命を終えたフェミニズム・イデオロギーに退場願いたいと思うなら、それをきびしく批判するのではなく、むしろ静かにその歴史的功績をたたえる「祝福」のことばをこそ送るべきなのである。
「イデオロギーの鎮魂」というのはとてもたいせつなことである。
わいわいしゃべっているうちにあっというまに12時となり、学士会館の門限を過ぎる。あわてて電話して「玄関あけておいてください」と懇願して、タクシーを飛ばして帰る。
三砂先生とは12月にまたこのつづきがある。こんどは私も着物を着てゆく。
早朝起床。ただちに新幹線に身を投じて芦屋に戻る。
車中、平川くんの『戦略論』の「おまけ」の巻末往復書簡(こればっかだね)を執筆。
家にもどって昼寝。
夕方ぼんやりと起き出して、シャワーを浴びて目を覚ましてから大阪へ。名越康文先生との対談の最終回である。
場所は福島のVarier ここは『ミーツ』のお薦めレストランということで、新潮社の足立さんが予約してくれたのである。
名越先生が秘書のかたを伴って登場(いいなあ、秘書がいて)。さっそくシャンペンで乾杯。
話題はもちろん名越先生出演の人気TV番組「グータン」の裏話。
「えええ、あの人って、そうなんですかああ」
的な「ここだけの話」がばんばん聴けて、たいへん幸福な気持ちになる。
もちろんテレビの話はまるごとカットなので、本にはならない。
しかたなく構想通り『14歳の子どもをもつ親のために』という教育的かつ分析的話題にもどる。
飯も美味しいしワインもうましで、だんだん舌の運びもなめらかとなり、日本社会は「とことんまで矛盾を拡大しておいて、最後にもうどうしようもなくなって一気にひっくり返す」という危険なやり方(私が「総長賭博方式」と呼ぶもの)で構造改革を実現しようとしているのでないかということで名越先生と意見の一致を見る。
4時間半わいわいしゃべって、お店の人の「営業時間とっくにすぎてんだけど…」的視線がちょっと冷えてきたので、やむなく話を畳んで対談を打ち上げる。
いやあ、面白かった。
名越先生とはまた違うかたちでぜひジョイントの仕事をしてみたい。
9月23日
三砂先生から送って頂いた『オニババ化する女たち』を読む。
「オニババ」を三砂先生は次のように定義する。
「社会のなかで適切な役割を与えられない独身の更年期女性が、山に籠もるしかなくなり、オニババとなり、ときおり『エネルギー』の行き場を求めて、若い男を襲うしかない、という話だったと私はとらえています。
この『エネルギー』は、性と生殖に関わるエネルギーでしょう。女性のからだには、次の世代を準備する仕組みがあります。ですから、それを抑えつけて使わないようにしていると、その弊害があちこちに出てくるのではないでしょうか。」(3-4頁)
すごいな、三砂先生は。
ひとことでいえば(ひとことで言うのは失礼だけれど)、三砂先生の主張は、「はやくセックスしなさい」「誰でもいいから結婚しちゃいなさい」「とりあえず子どもうんじゃいなさい」ということになる。
こ、これはすごい。
「大人になると何が楽しいかといえば、昔は『セックスができる』ということにつきたわけです。」(211頁)
「つきたわけです」と言い切ってしまうところがすごいです。
「めかけのすすめ」とか「卵子の気持ち」とか「子宮を空き家にしてはいけない」とか、もう縦横無尽。
「負け犬」論争にも言及して、三砂先生はあそこで「負け犬」を自称している女性たちは社会的には「強者」であると看破している。
「今までずっと優秀で来て、勉強も仕事も見事にこなしてきたけれど、ふと気づくと結婚していなくて、キャリアウーマンになってしまっているので、あえて『負け犬』と自称しているという感じですよね。そしてそれはごく少数の、インテリ層の人たちの目に映っているような『エリート女性』の話で、ごくふつうの女性の話ではないと思います。」(139頁)
なるほど。
「負け犬」諸君も内心では「ちょっと条件を緩和すれば、結婚することなんて簡単なんだけど、なんか、安売りしたくないのよね」と思っているわけか。
マインドセットを切り替えさえすれば、いつでも「負け犬」状態はリセット可能であると思っているからこそ、にこやかに「負け犬なんですう。きゃいん♡」と言っておられるわけである。
三砂先生が問題にしているのは、そういう余裕のある方々ではなく、本格的な性的弱者である。
「放っておいたら、自分で相手もみつけられないような人たちのほうが、本当は数がおおいのだと思います。弱者という言い方をすると非常に語弊があるのですが、メスとして強くない人、エネルギーがそんなにない人たちのほうが本当は多いのではないでしょうか。」(139頁)
女性性を開花させる機会を逸したまま「オニババ化」するこのタイプの女性たちがもたらす社会的害悪をどのように最小化するか。三砂先生はそのように問題を立てる。
だから、「いいから、結婚しちゃいなさい。男なんて、まあ、どれも似たようなもんなんだから」とむりやり所帯を持たせた方がよろしい、というのが三砂先生のご意見である。
こういう考え方はフェミニストからは「女性の自立と自己決定を損なう父権制イデオロギー」として猛然と批判されてきたわけだけれど、少なくても「女として生きろ」というメッセージは発信してきた。
しかし、いまの女性たちには「女として生きろ」というようなはっきりした指針はもう誰からも示されない。
「好きにしていいのよ」
「そうそう、結婚なんかしなくていい。ずっと家にいればいいじゃないか」
「結婚なんかしても、いいことなんか、なんにもないんだから、ね、お母さんを見てるとわかるでしょ?」
「…」
という仲が悪いわりには妙に物わかりが良い親たちの囲い込みの中で、若い女性たちは組織的に「女として生きる」機会そのものを奪われている。
ここで「女として生きる」というのは、エロス的な活動を中心にして生きるということである。
エロス的活動というのはセックスや結婚には限られない。育児だってそうだし、親密圏の構築だってそうだ。
どのようなものであれ、「世代間で、何かたいせつなものを受け渡す」場に当事者としてかかわっているときに、人間は自分の中に「軸」や「芯」が通るのを感じる。
時空を超えて、長いリンクにひとつの環として自分はいま連接しているという実感を覚える。
もちろん経済活動だって、コミュニケーションの一種であり、私たちはたしかにそこで「他者とつながっている」という感覚をもつことができる。
というより、「他者とつながりたい」がために人類は貨幣を発明し、株式を発明し、マーケットを発明したのである。
しかし、経済活動だけではやはり人間の「他者とつながっていたい」という根本的な飢えを満たすには足りない。
ご存じのとおり、レヴィ=ストロースは「他者とのつながり」に三つの水準を設定した。
財貨サービスの交換、メッセージの交換、そして「女の交換」である。
経済活動、言語運用、親族制度。
この三つの水準で交換がバランスよく果たされているときに、人間は自分を「人間らしい」と感じることができる。
というか、人間の定義そのものが「この三つのレベルで交換を行うことに愉悦を感じる動物」というものなのである。
レヴィ=ストロースによれば、「男は『他の男が娘または姉妹として所有していた女』を受け取った反対給付として、自分の娘または姉妹を他の男に提供しなければならない」というのが「女の交換」の基本原理である。
フェミニストがどうして「男の交換」ではなくて「女の交換」なのか、それこそ男性中心主義的発想であるとさんざん批判したけれど、そんなこといわれても困る。
だって、「男の交換」では親族は形成されないからである。
「男の交換」とは「奴隷の交換」であり「労働力の交換」であり、所詮は経済活動である。
男はリプロダクションのリソースではないからだ。
当然でしょ?
次世代を再生産するためには、相当規模の社会集団でも、男は「種オス」が一人いれば足りる。
男の交換価値は「奴隷」としてのそれに限定されており、男には人類学的な意味での性的価値はないのである。
だから男なんかいくら交換しても親族は形成されない。
「女として生きる」というのは、この人間的コミュニケーションの場で、自分を「財貨・サービスの提供者」としてよりむしろ「親族形成の主体」として立ち上げるということである。
おっと堅い話になってしまった。これは明日三砂先生との対談でお話するとして、あとひとつだけ、大笑いしたところを引用。
「身の回りでよく見ることですが。たとえば看護婦として病院で働いている女性で、三十代半ばでとても綺麗で独身で、という人は、だいたい医者のそういう相手がいます。『いつかは君と一緒になるから』って言われていますけど、『なんないよっ』って言いたくなります。」(214頁)
とにかく抱腹絶倒の目ウロコ本であるので、若い学生諸君はただちに書店で購入するように。
それからフェミニストのみなさんからの熱い反論をお待ちしています。
9月22日
一月ぶりに下川先生のお稽古。
ブザンソンに『巻絹』と『安達原』のテープと舞扇まで持参したのであるが、ついに一度もホテルの部屋でお稽古する機会がなかった。
やっぱ、フランスの秋の空と能楽はちょっとミスマッチだったか。
道順をほとんど忘れていたので、早起きして1時間半ほど謡と『巻絹』の仕舞の稽古をする。
リビングはフローリングでそこそこのスペースがあるので、仕舞のお稽古はやろうと思えばできるのである。でも、ここにもうすぐソファーが入ってしまうので、もうお稽古はむずかしくなる。
必死に予習していったので、先生には「なかなかしっかり稽古していましたね」とおほめいただく(泥縄なんだけど、ほんとは)。
10月の末に内輪の練習会があって、そこで『巻絹』の仕舞と素謡『安達原』のシテをやることになった。
『巻絹』は巫女が神懸かりしてトランス状態になるという舞。
これもむずかしいが『安達原』もむずかしい。
これはご存じ鬼婆のお話である。
私は「ふつうのリラックスばーさん」「警戒心をもったばーさん」「色気の出たばーさん」「挙動不審のばーさん」「鬼婆」を謡い分けなければならない。
ほかはともかく「色気の出たばーさん」というのが難物である。
なぜかというと、ちょっと長い話になる。
能の曲を見ていると、「一夜の宿を貸したまえ」という申し出に、宿の女主人が「いやです」とまず断るが、「そこをまげて」と押されると、やむなく一夜の宿を貸すことになり、そうなるとなんだかいきなり旅人さんと女主人がインティメイトな物語を始める…という展開が非常に多い。
今回役の解釈上『安達原』を熟読玩味した結果、これはもしかして「一夜の宿を貸す」ということは、あちら関係のことをも含意していたのではないかと想像されたのである。
鬼婆は最初は旅の僧の止宿をこう言って拒む。
「人里遠きこの野辺の。松風烈しく吹き荒れて。月影たまらぬ閨の内には。いかでか止め申すべき」
「月」が女性のmenstruationを意味することは古事記以来の用語法である。「たまる」は「停止する」である。
「閨」はむろんベッドルーム。
つまり、「私はまだ現役です」とこの鬼婆は申しておるのである。
これに対して旅の僧が「ただ泊まらんと柴の戸を」ごりごり押すわけである。
しかたなく鬼婆は「さすが思へば傷はしさに」と根負けする。
これに地謡が「さらば留まり給えとて。樞を開き立ち出ずる。異草も交じる茅筵。うたてや今宵敷きなまし。強いても宿を狩衣」と続くのである。
「異草も交じる」ですよ。
そのベッドマットを「あらまあ今夜も敷くのかしらん…」「ふふふ、いやとはいわせんよ」という展開なのである。
そうして「今宵留まるこの宿乃。主の情け深き夜の」「月もさし入る」「閨の内に」というものすごくエロティックなデュエットが始まるのである。
網野善彦さんの本か何かで読んで驚いたのだが、中世において「旅をする」人間は性的には世俗的な規制を受けなかったらしい。
女性の一人旅が多く、それが安全に行われ得たのは、中世の治安がよかったからではなく、原則として、一人旅の女性がどこかで一夜の宿を借りるというのは、一時的アジールの提供の代償に、宿主と性的交渉を持つことが前提とされていたからであるというのである。
そういう中世における性規範を勘案すると、この『安達原』という物語が単なる恐怖譚ではないことが伺い知れるのである。
つまり、この陸奥深くに棲まう女性は性役割を逆にして考えると、「一時的アジールの代償に性交渉をすることを自明とする」旅の男たちと一夜かぎりの契りを繰り返してきたのである。
そして、そのときだけ男たちはちょっと「やさしいこと」を言ったりする。
『安達原』だと「かかる浮き世にながらへて。明け暮れ暇なき身なりとも。心だに誠の道に叶いなば。祈らずとても終になど。仏果の縁とならざらん」というふうに僧が鬼婆(ということはまだばれていない時点で)に「あんたかて、あんじょう念仏となえはったら成仏できまっせ」というふうに甘いことを言うのである。
そして、男たちはそういう甘い幻想に女をいっときひたらせておいて、払暁には必ず宿を去ってゆく。
そういうことを繰り返しているうちに、おそらく彼女は男たちを引き止めておきたくなったのであろう。
Ne me quittez pas ベイビー、ドント・ゴーである。
しかし、男をとどめおく方法をこの芸のない「賤が女」は思いつかない。
彼女は何をしたのか。
おそらく男たちが旅を続けられず、そこにとどまる他ないように身体の一部を(おそらくは足を)切断したのであろう。
そうやって死んでいった男たちの死骸が「数知らず、軒と等しく積み置きたり」というのである。
そうやって思うと、鬼婆伝説はまことに切ないほどにエロティックかつホリブルな物語なのである。
素謡ではだいたい「飛ばす」ところがある(全曲やると時間がかかりすぎるからであると説明されている)。『安達原』では「賤が績麻の夜までも」から「音をのみひとり鳴きあかす」までの部分がショートカットされるのであるが、これはウチダ的解釈による物語の構成上で言うと、要するに「されているあいだ」なのである。
つまり、R指定だったんですね、これが。
三砂ちづるさんから本が送られてきた。題名は『オニババ化する女たち』。
おお、これは何というシンクロニシティ。
おそらく三砂先生が「オニババ」と呼んでいるのもまた、その性的衝動がうまく社会関係に表象されず、暴力性や排他性に転化した女性のことなのではないのかしら(まだ読んでないんだけど)。わくわく。
今週の土曜日は東京の朝日カルチャーセンターで三砂先生と対談なんだけれど、もしかすると「オニババ談義」になるかもしれないな。
網野さんのどの本か気になったので(私は記憶がいいかげんで、書いていないことを読んでしまうことがある)上のテクストをアップロードしたあとに、手元の本を調べてみた。
ちゃんとあった。
出典は『異形の王権』(平凡社ライブラリー)。関連箇所を少し引用しておく。
私はこうした一人で旅をする女性の場合、性が解放されていたのではないか、と考える。『御伽草子』の「物くさ太郎」に「辻取とは、男もつれず、輿車にも乗らぬ女房の、みめよきを、わが目にかかるをとる事、天下の御ゆるしにて有なり」とあることは周知の通りである。道を行く女性に対する女捕、辻捕は『御成敗式目』をはじめ法令でしばしばきびしく禁じられているにもかかわらず、一方では天下の公許ともいわれているのである。これは供も連れず、輿にも乗らないで道を歩く女性−一人で旅する女性が、男に「捕えられる」ことをむしろ当然とする慣習があったことを前提にしなくては理解できない。(・・・)ルイス・フロイスは『日欧文化比較』で、「日本では娘たちは両親にことわりもしないで、一日でも数日でも、ひとりで好きなところへでかける」「日本の女性は夫に知らせず好きなところに行く自由をもっている」といい、また「日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても、名誉を失わなければ、結婚もできる」と嘆かわしげに書いているが、これは女性の一人旅の社会的背景をよく物語っているとともに、家父長権とむすびついた女性の貞操観念は、かなりのちにならないと固まらないことを示唆している。(91−93頁)
「一夜の宿を貸す」ということがエロス的関係をつねに含意していたのかどうか、それはわからないが、侠客映画の世界では、「一宿一飯の恩義」の代償がしばしばずいぶん高くつくことから推察して(健さんはたいていそのせいで「あんさんには何の恨みもござんせんが」と言いつつ大木実や菅原謙次を斬ってしまう)、「宿を借りる」というふるまいが起源的には単なるBed & Breakfast 以上のぬきさしならない関係を指示していたと考えることはできるだろう。
9月21日
合気道秋合宿無事終了。
例年になく暑い合宿だったけれど、参加者38名は過去最高。
現役学生はモリカワ主将以下16名。
かなぴょん、エグッチ、岸田さん、ウッキーと歴代主将が顔を揃える(ヤベッチはコロセウム前で自動車事故にあったために今回は不参加。ミネソタで休養中らしい)
最近一大勢力となりつつある芦屋男子部の面々も全員が参加して強烈なプレゼンスをアピールした。
名色高原ホテルは今回われわれのために「バーベキューハウス」を新築してくれた。
初日はまだ時差ボケが抜けず、午後8時にすでに就寝体制に入ったために師範命令によって「宴会はなし」を一方的に宣言。
二日目は無事に昇段級審査も終わり、みなさんご機嫌でバーベキューをむさぼり喰い、ビールを痛飲。たちまち放歌高吟談論風発落花狼藉の宴会モードとなる。
宴会終了宣言後も、和平に反対する一部過激派の諸君は後方支援なき焼酎痛飲戦線での無謀なゲリラ戦に突入した。翌日、戦線のスポークスマンからは「損害は軽微であり、士気には何の影響もない」との声明がなされたが、予想外の強靱な抵抗に遭遇し、I田先生の肝臓方面には相当の被害が出たものと推察される。
今回の合宿での昇段者は“ドクター”佐藤。晴れて栄光の「ザ・ブラックベルツ」入りを果たし、1年生7名と3年生2名、芦屋組の“株屋の美女2号”谷尾さんとともに「ザ・ハカマーズ」メンバーとなった(ぱちぱち)。
これで、芦屋男子組からの昇段者は石田“社長”に続いて二人目。
このほかウチダの「フランス人弟子第一号」であるところのブルーノ・シャルトンくんも今回推薦での初段昇段が内定している。
“社長”石田、“ドクター”佐藤、“IT秘書”がんちゃん、“パリ市警”ブルーノくんの黒帯四人を相手の演武を来夏芦屋でやってみるかな。これ、けっこう愉しそうだね。
22日から仕事始め。
夏休みはもう終わってしまったのだ。
この夏休みの間には「今日は何もすることがないなあ、プールでも行って、ワルター・ワンダレイの『サマーサンバ』を聴いて、日向でビール呑んで、ヘミングウェイでも読もうかな」というような日が一日もなかった。
そういう日ばっかりだった夏もむかしはあったのに(しくしく)。
どうしてこんなに忙しくなってしまったのだろう。
電話やファックスやメールで次々と仕事の依頼が来る。どんどん断る。
断りたくないけれど、どうやりくりしても時間の都合がつきそうもないから仕方がない。
9月最終週から11月第一週のあいだはわが人生最多忙の一月になりそうで、いまから想像するだけで気が滅入ってくる。
果たして生きて霜月を迎えることができるのであろうか。
『はじめての精神科』の春日武彦先生と対談しませんかというオッファーが医学書院から来る。これは「もちろん!」と快諾。
筑摩書房のY崎さんからは「ちくまプリマー新書」の創刊イベントとして、私とあの!H本Oむ先生との対談の企画があるというメールが来て、これは快諾などという以前に腰を抜かす。
こういう企画は話だけで実現しないことが多いけれど、(石川茂樹くんと私の“ふたりナイアガラー”がダンボ耳聴き手の「O瀧A一:ロング・インタビュー」も幻の企画に終わったし)、お話があっただけで「いい夢をみさせていただいた」ウチダはとてもハッピーなのである。
そういえば、昔、新潮社の「カンヅメホテル」でH本先生と村上春樹さんが同時期に数日をともに過ごされたという話をエッセイで読んだことがある。
H本先生は夜行性で、村上さんは人も知る「早寝早起き」なので、村上さんが朝ご飯を食べに食堂におりるときに、就寝に向かうH本先生とすれ違う。
「エコロジカル・ニッチが違う人なのね」というふうに村上さんは思ったそうであるが、現代を代表する二大作家の出会いの一瞬を関川夏央と谷口ジローのマンガで私は読みたかった。
私の「五大文学アイドル」というのは村上春樹・村上龍・高橋源一郎・矢作俊彦・橋本治なのである。この五人の中では「ダブル村上」と「高橋・矢作組」に個人的交流があることが知られているが、あとの組み合わせはあまり見た記憶がない。
「村上春樹・高橋源一郎 阪神間キッズの『芦屋って、パン屋多いですよね(ベンツも)』対談」を『ミーツ』でどうかね。大迫くん企画書を書いてみたら?その号だけで30万部はいくぞ。
今日は大学院の秋季入試。
朝起きて、今日やる仕事をメモに書き出す。
A4の用紙が一杯になる。
数えたら21項目あった。
短いものは10分程度で済むが、長いのは1時間くらいを要する。
それ以外に、メモしなくても絶対に忘れない仕事(院試の監督とか採点とか面接とか研究科委員会とか大学院博士後期課程の申請の相談とか学長との教員研修会の打ち合わせなど)がある。
こういう状態で「ウチダくんは頼んだ用事をなかなかやってくれない」と文句を言う人がいるけれど、そんなこと言われてもさ。
パリのホテルで60ユーロ貸した少年から1万円と塩昆布を送ってくる。
帰国二日前の朝早くにホテルのレセプションから部屋に電話がかかってきて、「日本人の旅行者が困っているので、ちょっと降りてきてくれ」という。
何かしらと思ったら、若い兄弟がホテルの支払いをカードでしようとしたら限度額を超えてしまって40ユーロ足りないのだという。残りの現金がシャルルドゴール空港までの電車賃15ユーロしかないので、清算できない。飛行機の時間は迫ってくるし…と半べそ状態である。
「そういうことはおじさんに任せておきなさい」と40ユーロと空港でのお茶代20ユーロをお貸しして、「そのうち返してね」と名刺をお渡ししておいたのである。
ついでに説教もちゃんとした。「ジャック・ニコラウスは『出かけるときは、忘れずに』とアメックスのカードを持って出たが、クレジットカードは『これは使えません』といわれたら、それっきりである。旅には(腹巻きに)現金。これが大人のジョーシキである。よろしく拳々服膺するように」
さいわい律儀な青年で、「けっ、60ユーロぽっちのことで、説教かましやがって」というふうにはならずに、ちゃんと大学宛に1万円と塩昆布を送ってきたのである。
60ユーロといえば8000円ほど。それが1万円と塩昆布。「わらしべ長者」的展開である。
青年からのメールによると、ホテルの受付のおじさんに「親切そうな日本人がいるから、その人に頼んでみたら」と言われたそうである。
朝夕クールかつニヒルに「ボンジュール」と言って足ばやにロビーを横切る私を見ただけで(話しかけられるとフランス語を語らねばならぬので、それをできるだけ回避していたのである)、「親切そうなおじさん」であることを看破したラ・トゥール・ノートルダムのレセプショニストの眼力恐るべし。
これでは「邪道道主」の看板を下ろさねばならぬではないか。
9月17日
午前10時にベッドに戻る。眠りに落ちかけるたびに電話が鳴り、宅急便が届き、なかなか眠れない。
11時ころにようやく眠りに落ち、1時半まで眠る。
2時に『AERA』のI川記者がインタビューに来るのでベッドから身を引き剥がし、シャワーを浴びて目を覚ます。
お題は村上春樹の新作『アフターダーク』。
『AERA』?と不思議に思われるだろうが、『AERA』のコア読者層(30代女性)はムラカミファンとまるっとかぶっているのである。
なるほどね。
どうして文芸批評家たちは村上春樹をあれほど嫌うのか、という話から始まる。
村上春樹の仕事を積極的に評価している批評家は加藤典洋さんくらいしか見あたらない。
あとの批評家の過半は「無視」または「否定」である。
『すばる』の蓮實重彦の発言を見せてもらったけれど、すごい。
「村上春樹作品は結婚詐欺だ」(そのときだけは調子のいいことを言って読者をその気にさせるが、要するにぼったくり)というのは、批評というよりほとんど罵倒である。
シンポジウムの締めでの蓮實の結論は「セリーヌと村上春樹ならセリーヌを読め、村上春樹を読むな」というなんだかよくわからないものであった。
別にセリーヌも村上も両方読めばいいと思うんだけど(どっちも面白いし)。
そもそもある作家を名指しして「こいつの本は読むな」というのは批評家の態度として、よろしくないと思う。「まあ、いいから騙されたと思って読んでご覧なさい。私の言うとおりだから」という方が筋じゃないのかな。
批評家たちや作家たちがこれほど村上春樹を批判することに熱中するということは「村上春樹が評価される」ということと「批評家たちの仕事が評価されない」ということが裏表でワンセットになっているからである。
なにしろ、村上春樹は「批評というのは馬糞のようなものである」として、自作についての一切の書評を読まないことを公言しているんだから。
という世間話から始まって、「どうして村上春樹は評価されないのか」という根源的な問いへ進む。
もちろん、それは批評家たちの批評基準が、文学における「方法論的自覚」とか、「前衛性・革命性」とか、「自己剔抉の徹底性」とか、「被抑圧者のまなざしに肉迫」とか、そういう定型にいまだにとらえられたままだからである。
そのフレームワークから見れば、たしかに村上作品は「シティ文学」とか「リゾート文学」とかいうような、いかなる前衛性も革命性もないところの「知的消費財」にしか見えないだろう。
しかし、もし蓮實が言うように村上文学が単に現代日本の皮相な感性を操作するだけの「結婚詐欺」的なものにすぎないのだとしたら、彼の作品がまったく文化的なバックグラウンドを異にする各国言語に訳されて(フィンランド語訳まで出ているのだ)、アメリカの若い作家の中から「村上フォロワー」も登場しているという事実を説明することは困難になる。
蓮實は村上を罵倒する前に、どうして『表層批評宣言』が世界各国語で訳されて、世界各国から続々と「蓮實フォロワー」が輩出してこないのか、その理由についてせめて三分ほど考察してもよかったのではないか。
私見によれば、村上文学がワールドワイドなポピュラリティを獲得しているのは、それが知的ヒエラルヒーや文壇的因習を超えて、すべての人間の琴線に触れる「根源的な物語」を語っているからである。
他に理由はない。
村上文学は「宇宙論」である。
その基本的な構図はすでに『1973年のピンボール』に予示されていた。
「猫の手を万力で潰すような邪悪なもの」。愛する人たちがその「超越的に邪悪なもの」に損なわれないように、「境界線」に立ちつくしている「センチネル(歩哨)」の誰にも評価されないささやかな努力。
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』という小説が村上春樹に与えた最大の影響は「ライ麦畑のキャッチャー」というのがある種の人間にとって「天職」として感じられるという経験であったと私は思う。
村上春樹はおそらく青年期のどこかの段階で、自分の仕事が「センチネル」あるいは「キャッチャー」あるいは「ナイト・ウォッチマン」である、ということをおぼろげに感知したのだ。
『アフターダーク』は二人の「センチネル」(タカハシくんとカオルさん)が「ナイト・ウォッチ」をして、境界線のぎりぎりまで来てしまった若い女の子たちのうちの一人を「底なしの闇」から押し戻す物語である。
彼らのささやかな努力のおかげで、いくつかの破綻が致命的なことになる前につくろわれ、世界はいっときの均衡を回復する。
でも、もちろんこの不安定な世界には一方の陣営の「最終的勝利」もないし、天上的なものの奇跡的介入による(deus ex machina)解決も期待できない。
センチネルたちの仕事は、ごく単純なものだ。
それは『ダンス・ダンス・ダンス』で「文化的雪かき」と呼ばれた仕事に似ている。
誰もやりたがらないけれど、誰かがやらないと、あとで誰かが困るようなことは、特別な対価や賞賛を期待せず、ひとりで黙ってやっておくこと。
そういうささやかな「雪かき仕事」を黙々とつみかさねることでしか「邪悪なもの」の浸潤は食い止めることができない。
政治的激情とか詩的法悦とかエロス的恍惚とか、そういうものは「邪悪なもの」の対立項ではなく、しばしばその共犯者である。
世界にかろうじて均衡を保たせてくれるのは、「センチネル」たちの「ディセント」なふるまいなのである。
仕事はきちんとまじめにやりましょう。衣食住は生活の基本です。家族はたいせつに。ことばづかいはていねいに。
というのが村上文学の「教訓」である。
それだけだと、あまり文学にはならない。
でも、それが「超越的に邪悪なもの」に対抗して人間が提示できる最後の「人間的なもの」であるというところになると、物語はいきなり神話的なオーラを帯びるようになる。
この勤労者的エートスに支えられたルーティンと宇宙論がどうやって接合するかというと、もちろんそれは「うなぎ」が出てくるからなんですね、これが(何?「うなぎ」のことをご存じない?困ったなあ)。
ともあれ、私たちの平凡な日常そのものが宇宙論的なドラマの「現場」なのだということを実感させてくれるからこそ、人々は村上春樹を読むと、少し元気になって、お掃除をしたりアイロンかけをしたり、友だちに電話をしたりするのである。
それはとってもとってもとっても、たいせつなことだと私は思う。
明日から神鍋高原での合気道夏合宿。こんどは三日間PCのない生活です。ばいばい。
9月23日追記
『アフターダーク』はなんとなく『1973年のピンボール』と地下水脈でつながっているような気がしたので、『ピンボール』を読み返してみた。
そしたら、ありましたね。
「鼠」というのは、いわば「僕」の「ピュアサイド」というか「ダークサイド」というか「純粋さゆえの弱さ」を表象している登場人物である。
『風の歌を聴け』で「僕」が「鼠」の運命論にたいして「強い人間なんてどこにも居やしない。強い振りのできる人間が居るだけさ」と反論するときに、「鼠」はことばを失ってしまう。
「ひとつ質問していいか?」
僕は肯いた。
「あんたは本当にそう信じてる?」
「ああ。」
鼠はしばらく黙りこんでビールグラスをじっと眺めていた。
「嘘だと言ってくれないか?」
鼠は真剣にそう言った。
「嘘だと言ってくれないか?」という懇請のことばを最後に、「鼠」は永遠に「僕」の前から姿を消す。
そのあとも、『ピンボール』にも『羊をめぐる冒険』にも「鼠」は繰り返し登場するけれど、「僕」とことばを交すことはもうない(『羊』のラストで「僕」の前に登場する「鼠」はもう死んでいる)。
その「鼠」が決定的にかつて「僕」といっしょに夏をすごした海辺の街から消えるのは『ピンボール』の終わり近くだけれど、彼が「僕」のいる世界から消えるのは、まさに「深い眠り」によってなのである。
これ以上は耐えられないというポイントを推し測って鼠は立ち上がり、シャワーに入り、朦朧とした意識の中で髭を剃った。そして体を拭き、冷蔵庫のオレンジ・ジュースを飲む。新しいパジャマを着てベッドに入り、これで終わったんだ、と思う。それから深い眠りがやってきた。おそろしく深い眠りだった。
そうやって「鼠」は「僕」の前から消えて、「別の世界」に行ってしまう。
そのようにして「鼠」を失ったことが「僕」の外傷的経験の核となる。
だから、『アフターダーク』では、眠り続ける女の横にすべりこんで、涙を流す人間を配したことは、「鼠」における「僕」の失敗を二度と繰り返さないという決意をこめた新しい「ナイト・シフト」なのだと私は思う。
『アフターダーク』と『ピンボール』にはもうひとつまったく同じフレーズがあった。気づいた人もいるかもしれない。
「おやすみ。」と鼠は言った。
「おやすみ。」とジェイが言った。「ねえ、誰かが言ったよ。ゆっくり歩け、そしてたくさん水を飲めってね。」
9月16日
ね、ねむい。
しかし、まるで眠れない。
15日の午前8時に関空に着いた後、まるで眠れず。二回短い仮眠を取ったけれど、そのつど電話で起こされる。
夜になってベッドに入っても、まったく眠れない。午前3時に起き出してしかたなく朝ご飯を炊いて食べる。
納豆、生卵、お豆腐とわかめのみそ汁、浅漬け。
美味しい。
満腹の勢いで午前5時に再度睡眠に挑戦。今度はうまく眠りにつく。
午前9時にめざましでたたき起こされた、ほとんど半睡状態で大学へ。
なぜかこんな日に教職員健康診断なのである。
ぼーっとしたまま健康診断を受け、事務室のメールボックスにたまったDMを紙袋に詰め込み、合宿用のもろもろの道具を合気道部の部室と体育館のロッカーから車に積み込む。
家に戻ってシャワーを浴びて、二度寝を試みるが、30分置き四本の電話にそのつどたたき起こされる。
昼間寝るというのには根本的に無理がありそうだ。
あきらめて起き出して仕事。
ろくに寝てないので、目がずきずきする。
メールをチェックすると、『インターネット持仏堂』の最後の原稿(8月24日に出発間際に書き飛ばしたやつ)をフジモトさんに送信していなかったことが発覚(フジモトさん怒髪天を衝く状態)。
青くなって送信。
岩波書店の『応用倫理学講座』の「セックスワーク論」の再校をして、そのまま投函。
引き続き『現代思想のパフォーマンス』の校正。
夕方、朝日新聞の取材。
睡眠不足で目が赤く、頬はふくれ、顔に斑点が浮いている状態なのに、顔写真をばしばし撮られる。
カメラは一年ほど前に岡田山ロッジで合気道の写真を撮っていただいたT本さんという女性。いままででいちばんいい男に撮ってくれたカメラマン(PC的にはカメラパースンつうの?)なので、お願いだからデジカメのデータ修正して男前になおしておいてねと懇願する。
寝不足ハイで何を言っているのかわからないまましゃべり続け、つづいてRe−setに会場を移す。
「神戸の哲学バーでたまたま立ち寄った近隣の若者たちに道を説くウチダ先生」というヤラセ映像を作成するためである。
もちろんそんなに都合良く「たまたま立ち寄ってウチダを敬慕のマナザシで見上げる青年たち」などというものがあつらえられるわけもない。パリでその撮影趣旨をうかがったおりに、「そんな都合よくはいきません」と申し上げたのであるが、そういう絵柄がどうしても欲しかったらしく、朝日のK林記者は『ミーツ』の江編集長に相談。江編集長は私の担当だった大迫くんに「エキストラ召集」を指示、大迫くんがウッキーへ、ウッキーから合気道部つながりS津さんへ、S津さんからゼミつながりで「酒好き・小西真奈美似」のS々木さんへと電話が回り、Re−setに到着するとなんと四名の「近隣の青年たち」が目をきらきらさせていたのである。
途中からIT秘書イワモトくんも登場して、結局12時近くまでK林記者を囲んで、「新聞メディアに明日はあるのか」暴走トーク(内容が漏洩すると、取材費が経費で落ちなくなる可能性があるのでとくに秘す)。
結局5時間半にわたるロングインタビューとなった。K林さん、お疲れさまでした。あれだけのおしゃべりをまとめるのはほとんど拷問だろうなあ。
家に戻って午前1時にベッドに入る。
午前5時にぱっちり目が覚める。
しかたなく起き出して、村上春樹の新作『アフターダーク』を読む。
今日の午後、『AERA』の取材があって、その話をすることになっているので、泥縄である。
睡眠時間は15日が6時間、16日が4時間。
いつもは9時間眠るわたくしがこのような睡眠時間で生きていけるのであろうか。
明日から合気道の合宿。
9月15日
やっと日本に帰り着いた。
初秋の肌寒いパリから、残暑の芦屋へ。
関空まで国際交流センターの川村さんにお出迎え頂き、学生とは関空にてお別れ。
皆さん、お疲れさまでした。
寝ぼけ頭のまま、川村さんとおしゃべりしながらリムジンバスで尼崎まで戻り、JRに乗り換えて芦屋へ。
フランスと日本は時差が7時間。行きは朝出て、夕方着いて、そのまま数時間がんばってばたりと眠ってしまえば、翌日からは普通に活動できる。ちょっと夜更かししたと思えばよいのであるが、帰りはそうはゆかない。
パリを午後1時に出て、12時間後にたどり着いた日本はおひさまにっこりの朝8時。体内時計は眠さ絶頂の午前1時。日本のレギュラーな就寝時間まで20時間くらいある。
この帰国当日が実につらい。
家に戻って、トランクの整理をして、洗濯物をして、たまりにたまった郵便物を順番にみているうちに頭がぼうっとして目がずきずき痛くなってくる。
しかたがないので、パジャマに着替えて、午前11時にベッドに入るが、何度も電話がなってさっぱり寝られない。
午後2時に顔を腫らして浅い仮眠より起き出し、とりあえず床屋へ。
いつもなら床屋で爆睡するのであるが、ここでも眠れない。
戻ってくると午後4時、少し空腹になり、「帰国後最初の日本食」を何にするか熟慮する。
うどんか丼ものかそばか冷や麦か、いろいろ考えたが、答えはやっぱり「味噌ラーメン」。
しかし、炎天下に出かけてラーメン屋から汗だくで戻ってくるのも気が重い。
涼しい部屋でラーメンを食べて、そのままずるずると昼寝の体制に入るということになると自分で作るよりない。
階下のコープに出かけて、キャベツ、もやし、鶏の挽肉、コーン、メンマなどを購入。
自力で「野菜たっぷり味噌ラーメン」を作成する。
汗をかきつつ最後の汁の一滴まで飲み干す。
満腹したので、少し眠気が出てきて、再びパジャマに着替えてベッドへ。
午後6時までたいへん浅い仮眠。
電話やファックスがじゃんじゃんかかってくるので、しかたなく起き出す。
仕事が二件。
とりあえずファックスで来た校正ゲラが急ぎなので、目を通す。
『ミーツ』の「哲学・上方場所」の「レヴィナス篇」である。
永江さんが3時間近いおしゃべりを4頁にまとめてくれた。
ふつうなら、インタビュー記事は(記事を起こしてくれた編集者には失礼ながら)ほとんど全部書き直してしまうのだが、さすが永江さんの仕事は手際が良く、朱を入れるところが一箇所もない。
担当の大迫くんに、校正なしと電話して、一件落着。
あと大至急の校正が4件…
週末からは合気道の合宿だし、こんな仕事、いったいいつ、やればいいんだろう?
こういう時にはとりあえずお酒を呑んで、面倒なことは忘れて「ま、明日があらあな」で眠ってしまえばいいのだが、時差ボケのときにお酒を飲むと、真夜中に「泥酔状態で覚醒」という最悪の状態を迎えることがあるので、本日はアルコール断ち。とほほ。
9月13日
パリ最終日。
さすがに「死のロード」三週間のホテル暮らしは疲れる。
胃がしくしくと痛んでくる。
起きると曇天。肌寒い。
出かける気もしないので、机に向かって朝から仕事。
昼近くになって、お掃除が接近してきたので、部屋を出てポンピドゥ・センターへ。
おなじみのブラック、モディリアニ、カンジンスキー、ミレー、ミロ、レジェ、ダリなどを見て回る。
マルセル・デュシャンの「泉」その他の作品もポンピドゥ・センターの所蔵になっている。
しかし、ひどいよな、これは(「泉」というのは男性用小便器を横に置いただけのしろものである)。
ピカソの「雄牛の頭」は自転車のハンドルとサドルを重ねただけのものであるが、芸術性という点では天地の差がある。「雄牛の頭」からは雄牛の生命力があふれるばかりにほとばしっているけれど、デュシャンにはそういうものはなにもない。
ダリやマグリットもここで見るといやにあざとく感じられる。
今回いちばんよかったなあと思ったのはカンジンスキーとウジェーヌ・ルロワ。
ルロワの作品は絵の具を2センチくらい塗り重ねたぐちゃぐちゃのタブローなのだけれど、「こういうふうに油絵の具を塗りたくらずにはいられなかった」衝動がびしびしと伝わってくる。
7ユーロで現代美術史を2時間で通史的に見られるというのは、まことに恵まれた芸術的環境である。
そのポンピドゥ・センターの前の広場でへたくそな似顔絵を描いている連中がいるけれど、君たちは恥というものをしらんのか。
広場ではモンゴルの三人組が二弦の楽器を弾きながら「ホーミー」をやっている。
生でホーミーを聴くのはこれが初めてである。
気錬会のヤマキョー君がホーミー奏者であるという話をQ田さんの日記で知ったが、いいよね、これは。2曲聴いて3ユーロを投じる。
寒空の下をとぼとぼ歩いてホテルに戻り、シャワーを浴びて昼寝。
五時にブルーノくんがホテルまで迎えに来てくれたので、15区の彼のアパートまで夕食をごちそうになりにゆく。
お土産にモエ・エ・シャンドンを持って行く。酒屋で35ユーロ。日本より高いじゃないか。
ブルーノくんのアパートはブザンソン時代と同じく「日本的デコレーション」。『ティファニーで朝食を』のユニオシさん(ミッキー・ルーニー)のアパートの内装を思い出していただけると当たらずといえども遠からずである。
夕食はヨシエさんが作ってくれる。
トンカツとキムチとラーメン・ライス。
トンカツに「ブルドックソース」をかけて食べる。美味なり。
ラーメンは「シマダヤの醤油ラーメン」。これまた美味なり。
玉置浩二と桑田佳祐の曲をバックにフランス人はなぜ離婚するのか(離婚率は60%を超えたそうである)について語る。
意外にもサザンの曲はパリの日没にたいへんよくマッチする。
今回いろいろと聴いてみたが、秋風の吹くサンミシェル通りを歩くときにはジャズがたいへんよく合った。
9月12日
9・11テロから3年経った。
カフェで『リベラシオン』の特集記事を読む。
フランスのメディアはブッシュの中東戦略には一貫して批判的である。
日本でもすでに報道されていたとおり、9・11テロについては事前にさまざまな情報機関がかなり具体的な情報をつかんで対策の必要を訴えていたが、ホワイトハウスはこれを無視し続けたらしい。
6月にアルカイダのテロ計画が加速しており、「何かきわめてきわめて大規模なこと」が準備中であることが報告されたが、ホワイトハウスはこれを無視した。
7月には「ビン・ラディンの攻撃計画は2ヶ月遅延するが、計画自体は放棄されていない」という報告が上がったが、ブッシュ大統領はテキサスで休暇中であった。
8月にはアメリカ本土を標的にするハイジャックによるテロ計画が進行中であることは、ほぼ確実視されていたが、依然としてホワイトハウスは「行動を起こすには情報が不十分」として静観し続けた。
テロリストのうち二人は8月段階ですでに監視下にあり、ミネソタでボーイング747の操縦法を学んでいた一人はビザの期限切れで別件逮捕されていたが、それ以上の調査は行われなかった。
反テロ対策の無策で露呈したアメリカ政府と情報機関の機能不全がそのまま今日のイラク戦争の泥沼化と世界的なテロの拡大につながっている。
という論調である。
国内に400万人のイスラム教徒(カトリック信者についで、第二位の宗教集団である)を抱えるフランスの「イスラム過激派」への懸念は私たち日本人の想像を超えるものがある。
いかにしてイスラム系市民の「過激化」を抑止するか、いかにして国際的テロリスト・ネットワークの浸潤を阻止するかはフランスの現在最優先の政治課題である。
そのためにフランスはイスラム系市民の「フランス社会への統合」という政治方針を推進している。
イスラム系市民を孤立化させないこと、排除や迫害の対象にしないこと、市民としての権利を擁護する代償に市民としての義務の履行を求めること。
これはかつてフランス革命のとき、議会でアベ・グレゴワールがユダヤ人解放令に際して「市民としてのユダヤ人にはすべてを与え、国家としてのユダヤ人には何も与えない」と宣言して以来のフランス政府の対マイノリティ政策の基本である。
公立学校での宗教的服装を禁じた法律は先週大きな抵抗もなく無事に施行された。
これによって「宗教はあくまで私事である」として市民社会の原理を貫いたフランス政府の次の悩みの種は、来年からビザなし滞在が許可されることで予想される中国人の大量流入である。
中国人たちは宗教的なセクトを形成するわけでもないし、テロリズムを呼号することもない。しかし、中国人たちはかなり排他的な社会を形成しており、経済活動には熱心だが、市民的義務の履行にはあまり興味がないらしい。
パリ市警に勤務するブルーノくんによると、チャイナタウンは非常に治安が悪いにもかかわらず、ほとんど殺人事件が起こらないのだそうである。
「だったら治安がいいってことじゃない?」と言ったら「そうじゃなくて、死体が出てこないんですよ」とぼやいていた。
自由を愛するすべての人々の祖国であると宣言して、移民の受け容れを進めてきたフランス人たちであるが、ここに来てずいぶん苦しそうである。
などということを考えつつ、秋晴れのパリを散策。
ノートルダムでミサに出て、ついでにお灯明を上げ、ピカソ美術館へ。
ピカソを堪能しての帰り道に、新しくマレーにできた「ユダヤ美術・歴史博物館」を訪れる。
ものがものだけにセキュリティが厳しい。身体検査があったが、「日本人です」と言うと、「じゃ、いいよ」とあっさりと入れてくれる。
サービスの丁寧さと館内の清潔さは他の公立施設と段違いである。
あるいはこういうところから「日本人とユダヤ人の同質性」という発想が出てくるのかもしれない。
「仮庵の祭り」の「仮庵」とか「ハヌカ」の燭台の実物をはじめて見る。ユダヤ教の本を何冊も訳してきたにしては、まことに不勉強な学者である。
9月11日
午前9時45分にロビーに集合して、バスでブザンソン駅へ。TGVに乗って、ガイドの今津さんと日仏セキュリティ事情についてあれこれとおしゃべりしながら、1時半にパリ、リオン駅着。バスでサン・ジャック通りのラ・トゥール・ノートルダムへ。
ブザンソンのIbis の部屋の広さは半分。3畳間くらいのシングルである。(これで一泊155ユーロ、約20000円。ブザンソンのホテルは一泊58ユーロ、約8000円である)。
さすがパリは諸式が高い。
荷物を広げるスペースもないので、そのままパソコンを取り出して狭い机の上で仕事の続き。
そういえば前回のパリではホテルからほとんど出ない薄暗い部屋の中でひたすらレヴィナスの『困難な自由』の翻訳をしていたのであった。
仕事が一区切りついたので、シャワーを浴びて軽く昼寝。
夕方になってざんざん雨が降ってきた。
雨の中メトロでQuatre Septembre まで移動して、いつものようにリュ・サンタンヌの「ひぐま」の味噌ラーメンと餃子とハイネケン。
学生6名もご同行でみなさん塩ラーメン、キムチラーメン、ねぎラーメンなどを無言でむさぼる。
麺を汁ともどもに「ずずずずず」と啜り上げるこの切迫した感覚というのは、なかなかスパゲッティをもっては代替できない。
メニューには他に「カツ丼」「カツカレー」などもあるが、結局いつも味噌ラーメンを毎日食べに通うことになるのはなぜであろうか。
別に美味いラーメンではない。日本のラーメン屋で出されたら、ちょっといかがなものかというような味なのであるが、どうにもその「ずずず」感の誘惑に抗しきれないのである。
学生諸君のリクエストで、トロカデロまでエッフェル塔のイリュミネーション点灯の瞬間を見に行く。
Palai Royal の駅で切符を買おうと思うが窓口が閉まっていて、自動券売機しかない。しかたなく、はじめて券売機を使用する。
マウスを使ってまず購入するチケットの種類を指定してクリック。ついで枚数をクリック。「レシート要らない」をクリック。それから10.5ユーロを硬貨で投入という段取りである。
ディスプレイの下にあるころころ動くものがマウスで、両側のボタンがクリックボタンであるということを理解するとやり方はのみこめるのだが、「マウス」という概念を知らないクライアントにとってはほとんどカフカ的不条理のマシンであろう。
利用者のコンピュータ・リテラシーということをぜんぜん顧慮していない。
乗客の90%はカルネ(10枚綴り)を購入するのであるから、自動販売機と同じような「カルネ券売機」を置いて、紙幣でも硬貨でも買えるようにしておけば、ほとんどの業務はそれで済むと思うのであるが、どうしてわざわざこんな面倒な仕掛けをつくるのであろう。理解に苦しむ。
それだけ複雑な仕掛けなのに、紙幣は使えないのである。
私がディスプレイのフランス語を解読しながらなんとか「貨幣を投入してください」までたどりついたら、手持ちの硬貨が足りないことに気がついた。学生さんに借りてことなきを得たが、一人だったら、後ろに人を待たせておいて、おたおたと機械を操作した果てに、切符も買えずに終わるところだった。
「ユーザー・フレンドリー」というのはフランスの客商売に致命的に欠けているものである。
もちろんフレンドリーな商売人もいるが、彼ら、彼女らは「フレンドリーに接する相手」(要するに「VIP待遇」ということですね)を先方のそろばん勘定で「選んでいる」のである。
私はそういうものを「ユーザー・フレンドリー」とは呼ぶことができない。
トロカデロに駆けつけるが、一歩遅くてイリュミネーション点灯の瞬間には間に合わなかった。しかたがなくカフェでキールなどを喫しつつ次の点灯時間まで待つ。
10時のイリュミネーション点灯を拝見して、またまた暑苦しいメトロでサンミシェルに戻る。
9月10日
ブザンソン最終日。
学生諸君の授業は今日で終わり。無事みなさんcertificat をいただいてフランス語の単位を獲得したわけである。
これまでのところ、病人もけが人もなく、事故も盗難もなく、無事に過ごしてきた。あと3日をやりすごして、飛行機に乗せてしまえば、私の仕事はおしまいである。
朝起きてとりあえず荷造りをする。
いつのもように、今回も「もうこれは捨てよう」と思った服だけを戸棚から選び出して持ってきた。これだと旅をしながら気楽に汚れ物をどんどん捨てられる。どうしても滞在中に荷物が増えるので、服を捨てて帳尻を合わせるのである。
汚れた綿シャツやらパンツやら靴下やらをどんどんゴミ箱に捨ててゆく。
旅にはぼろ服。これは海外旅行の基本である。
襟のすりきれたぼろシャツを着て、フランス語の新聞を小脇にかかえてのたのた歩いていると、「ビンボーな東洋系移民」だと思われて、日本人観光客ねらいのスリや置き引きや物売りの標的になる確率も少ない。
経験的にそのことが熟知されているので、今回のスタージュの学生諸君にも事前の説明会で「旅行にはできるだけビンボくさい服装で来るように」と言い含めておいた。
関空で学生諸君にお会いしたときに、にっこりと「やあ、みんなぼくの言ったとおりに・・・」と言いかけて失敗に気がついた。あやうく学生全員を敵に回すところであった。剣呑剣呑。
原稿仕事のあと、ブルーノくんとの最後の稽古にガルシエ道場へでかける。
7時半までみっちり2時間半。呼吸法、体捌き、呼吸投げ、二教、小手返し。それから杖の基本動作。著杖、水月、引提ゲ、斜面、四種の型をおさらい。
やはり呼吸法と体捌きがいちばん重要だということがよくわかった。
抑えたり、固めたり、極めたり、投げたりということは腕力さえあれば、誰にでも「それらしいこと」はできる。
しかし、それでは「術」にはならない。
立っていれば術になり、一歩動けば術になるということを目標にして稽古するのと、相手を捕まえて、それをどうこうするということを目標にして稽古するのでは、稽古の目的が違う。どちらがいいとかどちらが効果的であるかということではなく、めざすところが違う。
ブルーノくんには最後に私が多田先生と光岡先生から学んだ次のことばを贈った。
Le but du l’exercice de Budo est d’e^tre au moment juste, a` l’endroit juste et de la manie´re juste.
武道修行の目的は正しい時、正しい場所に、正しい仕方で存在することである。
術技の本質もまたこの定義に尽きるのである。
ブルーノくん相手のお稽古も、計7日間、20時間ほどやったことになる。いつもだと夏休み中はほとんど稽古らしい稽古ができないのだけれど、今回は毎晩、美味しいビールと夕食を愉しむことができた。
まことに持つべきものは道友である。
ブルーノくんには来週の合宿のときの昇段審査の入段者と併せて、推薦で初段を進呈する予定である。とびとびとはいいながら、もう9年もお稽古されているのであるから、