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2004年08月24日

内田ゼミ三回生諸君へ!

渡仏前、最後の業務連絡です。

内田ゼミ3回生に宿題を出すのを忘れておりました。(ひどい教師だこと)

さきほどムネイシくんから「宿題をホームページに掲載すると言っておきながら、掲載されていないではないか」というご叱正メールをいただき、「はっ」と思い出しました。

出発前でよかったね。あやういところでした。

宿題は次の通りです

次の本のうちから一冊を選んで、その書物を素材に「日本人が失ったもの」という主題で思うところを述べなさい。
字数2000字程度。

森鴎外『渋江抽斎』
森銑三『明治人物閑話』(中公文庫)
谷崎潤一郎『陰影礼賛』
中島敦『山月記・李陵』(岩波文庫)
吉田満『戦艦大和ノ最期』(講談社学術文庫)
夏目漱石『虞美人草』
樋口一葉『たけくらべ』
太宰治『お伽草紙』

文庫名がないものは岩波、新潮などあちこちから出てます。

ではBon courage!

おお、そうだ。同期の人でホームページを見てなさそうなやつがいたら、メールしてやってくれい。

では、先生は遠い国へいきます。ばいばい

投稿者 uchida : 19:10 | コメント (1) | トラックバック

2004年08月23日

酒と薔薇の日々:讃岐編

出発直前で荷造りやら、原稿書きやら、行く前に出す校正やらに追いまくられているのにもかかわらず、香川の守さんに招かれて「讃岐うまいもんツァーついでにちょびっと講習会付き」というイベントにでかける。

土曜の合気道の稽古が終わったあとにドクター佐藤のベンツに乗して(ウチダが勝手にドライバー兼助手として同行を命じたのである)、ソッコーで明石海峡をわたり、鳴門海峡をわたり、讃岐平野を疾走して、丸亀まで二時間余。
坂出のインターまで守さんがお迎えに来てくれたので、とりあえずオークラホテル丸亀に投宿(ここは前回、守さんにお呼びいただいて商工会のおばさまがたを相手にデタラメ講演会をやった会場である)。

遠く東京からおいでになった「ちりめん作家」(というのがどういうご職業のなか、結局最後までよくわからず、帰りの車の中でもドクターとふたりで思案するも結論が出ず)の高橋よう子さんとおっしゃる上品で端正なたたずまいの「おとなのおんなのひと」とごいっしょに丸亀でもっともトンガッタ料理を出すというA楽亭におじゃまする。

くくくと生ビールをのみほし(稽古が終わってから飲まず食わずで丸亀まで来たんだから)、冷たいワインを呑みつつ、ご主人が私たち四人だけのために造ってくれたスペシャルメニューをいただく。
あわびと桃の冷製から始まって、はも、湯葉、べら(べらがこんなに美味しい魚だとは知らなかった)、穴子ご飯と絶品揃い。
香川におけるゲイピープル事情、養殖魚ビジネスの恐るべき裏面、日本海溝の底にわだかまる「巨大なるクイーンうなぎ」の悪夢など…ご亭主のスパイシーなトークに涙をこぼして爆笑して、3時間半も長居してしまった。
ご飯とお話、どちらもごちそうさまでした。

天才的なひらめきを感じるお料理であったが、ご主人はあまりぞろぞろお客に来て欲しくないみたいなので(「めんどくさいから」らしい)、名前はあえて伏せさせていただき、一般人にはけっして探り当てられないように、あえて「丸亀のA楽亭」とするにとどめておきたい。

翌日は守さんに拉致されて、またまた高橋さんドクターと朝一で合宿免許から「一時帰宅」してきたウッキーと(どこが「帰宅」なんだよ)五人で、こんどは「明水亭」に「世界一うまいうどん」を食べに行く。

『東京ファイティング・キッズ』にも記したが、私は青春の一時期を「カレー南蛮そば」というものに淫した過去をもつ人間である。一度などは「朝昼晩」と三食、代々木の増田屋の「カレー南蛮そばもち入り」というのを食べたために、「カレー南蛮そばのオーヴァードーズ」による膨満感を経験したことさえある。
その後、関西移住を機に、でんぷんの基体を「そば」から「うどん」にシフトしつつ、「カレーなんとか」嗜癖を継続的に深化してきたのであるが、今般、守さんのご案内により、伝説の「世界一うまいカレーうどん」を摂取する機会を得たのである。

同行のひとびとはそれぞれ「世界一うまい地穴子の釜揚げうどん」とか「世界一うまい雲丹とろろぶっかけうどん」などを選択されたが、ウチダは迷わず「カレーうどん」。
これが期待していた形態とまったく違うものなので、まず一驚を喫する。
なにしろ「西洋料理の深めのグラタン皿」にデミグラスソース状の濃厚なカレーソース塗布した純白のうどんが鎮座し、その横にはエリンギのフライとヒレカツがそれぞれ二きれ添付されているのである。

「おおお、カツカレーうどん!」

これには意表を衝かれた。
カツカレーはハイブリッド食品であり、カレーうどんもまたハイブリッド食品である。
「カツカレーうどん」というものが、「メタ・ハイブリッド食品」というかハイブリッド食品のアウフヘーベンというか、とにかく世間の常識を蹂躙するものであることに違いはない。

で、お味はというと…
こ、これは…・めちゃうまいではないか!
この衝撃を味わいたい方はぜひ丸亀明水亭にお運びになって「世界一うまいカツカレーうどん」を発注せられよ。決して後悔することはないでありましょう。

もうすっかり満足して、「講習会なんかどうだっていいから、このまま帰っちゃおうか」状態(これは昨年、浜松でも「うなとろ」を食したあとにウッキーと私の口から同時に漏れたことばであった)になった一行であるが、満腹の腹をゆすりながら、のろのろと多度津の市民武道館に赴く。

講習会は日頃甲野善紀先生や光岡英稔先生の講習会にも参加されている守さん人脈の「武術フリークス」の中国四国九州方面のみなさん、およびウチダ本の読者のみなさん併せて40名ほどである。
洲本高校の山田先生ご夫妻、七月の光岡先生の女学院の講習会にいらした福岡の小川さんご夫妻や徳島のみどりあたま山下さんも見えている。
みなさん遠くからありがとうございました。
講習時間は3時間。
甲野先生や光岡先生の実技を見慣れている方々の前で、あれこれやってみせるとボロが出るだけなので、気の錬磨を中心とする多田塾合気道の術理について、「トーク半分・実技半分(実技も呼吸法、瞑想法、足捌きなど、ウチダの武術的実力がばれないようなプログラムを巧みに組み立てる)」。
それでも3時間はあっという間。
あれもやりたいこれもやりたいと思っていることの半分もできないうちにタイムアップ。
私はすごく愉しかったけれど、参加したみなさんはどうだったのであろう。

講習会後、「ビールビール」と呆けたようにつぶやくウチダを守さんがお連れ下さったのは猪肉の専門店「ことなりや」。
講習会参加者20名ほどの宴会。
イノシシの串カツ、ハンバーグ、お好み焼きなど、これまた冷たいビールによく合うものばかり。全員ひたすら笑いつつ食べつつ呑む。

この宴席において「守伸二郎さんを丸亀市長に」キャンペーンの開始をウチダが発議し圧倒的な拍手をもって迎えられた。
さらに守さんの文化活動への献身的パトロネージュへの感謝をこめて、以後守さんを「地上最強の呉服屋の若旦那」改め「丸亀のロレンツォ・デ・メディチ」と呼称したいという提案に対しても、満座を圧倒する「ブラヴォー」の声がわが耳を聾すばかりであったことも満腔のヨロコビをもって併せてご報告しておきたい。
いずれにせよ、21世紀の讃岐一円の文化的活動が守さんをキーパーソンに展開することは間違いないであろう。
守さん、どうもありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします!

出発前の最後の仕事『インターネット持仏堂』の「あとがき」をすさまじい勢いで書き上げて、やれやれこれであとは『他者と死者』の再校だけだ・・・とほっとして、ワイン片手にあちこちのネット日記を眺めていたら、高橋源一郎さんの日記におもしろい話が出ていた。あまりに面白いので、再録させていただきます!
矢作俊彦さんから高橋さんが聞いたというお話。

矢作さんの話の中では、1989年、ゴルバチョフがパリ祭のために演説をしに来るというので、取材に行った矢作さんが、「ドゥマゴ・カフェ」で、ぼんやり、本を読んでいたら、隣の席のピンクのスーツを来た男の毛むくじゃらの手が見え、しかもその男、やたらと落ち着きがないので、ちらりと本から視線をあげたら、なんと長嶋茂雄! という、信じられないような事件が面白かった。パニックに陥った矢作さんが「長嶋……だ」と呆然としつつ呟くと、長嶋さんはいきなり矢作さんの手を握って「お久しぶりです!」といったとか(長嶋さんは初対面の人にでも、そういうらしい、と矢作さん)。テレビの仕事で来ていた長嶋は、そのまま、テレビ局の人間と消え、矢作さんは、なにも話せず、ただ見送っただけだったそうだ。もったいない!

というお話。
佳話ですね。

誰にあっても「お久しぶりです!」なんて、長嶋さんてほんとに素敵な人ですね。

投稿者 uchida : 15:06 | コメント (2) | トラックバック

2004年08月21日

いろいろなお知らせ

おしらせ

ウチダは8月25日から9月15日までフランスに行っており、不在です。フランスではインターネットに接続しませんので、日本との交信は「なし」です。その間に私宛に送られたメールはたまりたまって帰国時にはおそらく千通を超えるものと思われますが、それをすべて読んで返事を書く暇も元気もへろへろになっているウチダにはありませんので、そのまままるごと廃棄します。
滞仏中に私あてにメールを送信された方は、「ご縁がなかったもの」とお考えください。

滞仏中にものすごく緊急にご用のある方はウチダのレンタル携帯あてにお電話ください。
当然、誰も携帯の番号を知らないわけですが、そういう場合は「ウチダの携帯の番号を聞いていそうなやつ」(なんとなく想像がつきますよね、あの人とか、あの人とか…)を探し当ててください。Bonne Chance!

それほど急がない用事の場合は、大学宛に手紙を書いてください。9月末頃には開封されるはずです。

では、みなさんさようなら(と言ってもまだ三日いるんだけど)

業務連絡

内田ゼミ卒業生のイクシマくんがまた芝居をやります。
同期の諸君は見に行くように!
さっちゃんも行ってあげてね。おお、そういえばキミに「次の仕事」があるのだ。こんどは平川くんの『絵画的精神』のデータ起こし。
Ego-Rock 第五回公演『美しい痙攣』
とき:9月11日(土)19:00-/12日(日)14:00−・18:00−
ところ:神戸アートビレッジセンター(KAVC)地下一階シアター(高速神戸新開地駅下車南にまっすぐ歩いて2分くらいのとこ)078-512-5500
前売り希望の方は:090-9884-1167またはego-rockandroll-215@sepia.ocn.ne.jp あてにご連絡を。
イクシマくん、がんばってね。ブザンソンから応援してるぜい。

もひとつ。
大学のサーバーが痙攣的に故障しているようで、大学宛のメールの何割かが自宅に転送されていません。
t-uchida@mail.kobe-c.ac.jp
あてに重要な用件を送信されて、ぜんぜん返事が来ないので「ウチダのやろー、シカトしやがって…」とお怒りの方、それは読まれていない可能性があります。
じゃあ、どうすればいいのか…それは上記と同じく「ウチダの私的アドレスを知っていそうなひとをつかまえて…」ですね。Good Luck!

投稿者 uchida : 11:19 | コメント (1) | トラックバック

2004年08月20日

旅行代理店哀話

ぼやぼやしているうちにフランス行きの日が近づいてきた。
ブルーノくんと連絡が取れたので、パリで何かあってもすぐに現役警察官が飛んできてくれる危機管理体制が整ったし、ブザンソンでの遊び相手もみつかったので、ほっとしている。
外国旅行は現地に信頼できる友人知人がいると安心度がずいぶん違う。
現地の人じゃないとわからない「システム」があって、これにいきなり直面するとカフカの「城」的な不条理のうちに陥る。
外国に行って困惑するのは、ことばが通じないというより、おもにシステム(というか「ゲームのルール」)がわからないせいである。
それは日本にいても同じである。
自動券売機や自動改札のシステムがわからない人は、誰かに手取り足取り教えてもらわない限り、たぶん永遠に電車に乗ることができない。

私ははじめて神戸に来たとき、新開地にホテルを取ったことがある(どうしてそんなところにホテルを取ったのか、よく理由がわからない。たぶん地名から推してそこが神戸の中心だと思ったのであろう)。
そのとき三宮から新開地まで阪急で来たので、また三宮に戻ろうと思って、同じ線の反対側ホームから電車に乗ったら、知らない駅(元町)について、「おお、ここはミステリーゾーンか」と恐怖したことがある(阪神に乗ってしまったのである)
考えてみれば、自由が丘駅からだって東横線に乗れば渋谷に着き、日比谷線に乗れば北千住まで行ってしまう。
住んでいるときは、そんな「ルール」があると意識したことさえなかったが、「ルール」を知らない人がぼんやり電車に乗り込んでしまい、ふと目を上げたときに、まるで違う景色を見たときの不安はなかなか筆舌に尽くしがたいのである。
外国旅行において味わう不安の多くはそれに類するものである。

クアラルンプールの空港でトランジットのときにトイレに入った。
う○ちをしてから、ふとあたりを見回すと紙がない。
紙が切れているのではなく、トイレットペーパーのホルダーそのものがしらじらとした壁面上に存在しないのである。
このときのパニックもかなり深刻なものであった。
飛行機の時間は迫ってくるし、あああどうしようと悩んでいるうちに、「水でじゃばじゃば洗う」という解決策に思い至った。
結果的に局部の衛生状態は確保されたのであるが、下着もジーンズもびちょ濡れになってしまった。
トイレに入ったら紙がない…というようなトラブルは日本にいても日常茶飯事であり、パニックになるほどではないのであるが(でもないか)、外国の空港でそういう目に遭うと、なんというか胃の腑がせり上がるような不条理感にとらえられるのである。
「な、なんでやー。ここは国際空港やろがー」

アメリカとか香港とかを旅行しても、あまり「パニック!」ということがないのは、システムが日本と同じであり、システムが不調になる仕方も、だいたい日本と同じだからである。
パニックというのは、単なる失調ではなく、その失調が何に起因しているのか、それが何を意味するのか「わからない」という事況に陥ることである。
フランスはもう9度目なので、「なんじゃ、これは!」というようなことはあまりなくなったが、それでも「先方のルール」がわからないでへどもどすることが多い。

今度の旅行ではどのようなパニックに遭遇するのか、考えるとどきどきしてくる。
でも、こういうどきどき感は海外旅行ならではのものであるから、これもまあ一興である。
今回はブザンソンに語学研修の付き添いでゆくのであるが、そのブザンソンの宿泊先が予約されていなかったことが昨夕発覚した。
旅行代理店のミスである。
出発の6日前に困ったものであるが、こういうトラブルは海外旅行ではほとんどまぬかれることのできぬものであるので、しかたがない。

私はよく学生に、「結婚するかどうか決断しねている相手がいたら、いっしょに海外旅行をすればよい」と忠告している。
海外旅行は必ずトラブルが起きるからである。
スーツケースがなくなる、ホテルが予約されていない、列車の席がダブルブッキングされている、パスポートがなくなる、財布が盗まれる、レストランでぼられる、生水を呑んで腹を下す、帰りの飛行機が飛ばない…などなど。
こういうときに、どうふるまうかで人間の「器」というものはよくわかる。
私が知る限り、ほとんどの人はこういう状況に追い込まれたときに、「誰の責任だ?」という他罰的な文型で問題を「処理」しようとする。
でも、こういう局面で「責任者」を探しても、そんなのまるで時間の無駄である。
「はい、私が責任者です。今回の件は私が悪うございました。すべて私が責任をもって後始末をぜんぶしますから、ごめんなさいね」
というような人間が「責任者出てこい!」と言ったらすぐに出てくるようなきっちりしたシステムであれば、そもそもこういうトラブルが起こるはずがない。
だから、海外でトラブルに巻き込まれたときは、「誰のせいだ?」というような後ろ向きな問いをいくら繰り返してもまるで時間の無駄なのである。
それより「この窮状からどう脱出するか?」という前向きの問いにシフトしないといけない。
この「他罰的問い」から「遂行的問い」へのシフトができるかできないかにリスクマネジメントの要諦はある。
人間の生存能力の高さは、このような局面において、どれほどすばやくかつ快活にこのシフトを果たせるかによって計測できる。

世に「成田離婚」というものがあるが、だからあれはわりと合理的な判断なのである。
旅行中に起きたトラブルに際して、「誰の責任だ」という問いを立てたがるカップルは最終的に
「だいたいキミがこんな代理店に頼むから…」とか
「そもそもこんなとこに来たいって言ったの、あんたの方じゃない!」
というふうに当事者間での責任のなすりつけ合戦に帰着する。
他罰的な文型で「処理」できる問題とどうにもならない問題がある。
最近の若い人たち(おじさん、おばさんもそうだけど)の中には、トラブルの責任をよそに押しつけることを「解決」だと思っている人が多い。
だから、ことばの上でよそに責任を押しつけることができても、事態は何も好転しないという当たり前の現実に遭遇したときに、幼児的なパニックに陥ってしまうのである。

旅行代理店という業態がなぜ存在するかご存じであろうか?
代理店なんか通さなくても、いくらでも格安チケットは手にはいるし、インターネットで海外のホテルの予約も簡単にできる。
それでも旅行代理店は必要である。
あれは「怒られ役」なのである。
海外旅行先で起きたすべてのトラブルについて「どうしてくれるんだよ!そっちの責任だろうが!」とどなりつける相手が他罰的な人々には絶対に必要である。
すべての責任をそこに押しつけることによって、旅行者当事者間での軋轢を回避するというあれは擬制なのである。
まことに人間というのはいろいろなものを考えつくものである。

「何?ブザンソンの宿が確保されていない?ふざけんじゃないよ。そっちの責任だぜ。おう、責任もってホテル取れよな。なことじゃ、金はらわねーぞ、こら」
と私は心おきなく日○旅行の下○くんを電話口でどなりまくっているのである。
下○くん、意地悪言って、ごめんね。
でも、ほら、それがそっちの商売なんだからさ。

投稿者 uchida : 11:46 | コメント (0) | トラックバック

2004年08月19日

吸血鬼対狼男対フランケンシュタインの「ぼくたち仲良し、トランシルバニア・ファミリー!」の巻

『エピス』の初仕事で『ヴァン・ヘルシング』を見にフェスティバル・ホールにでかける。
映画評の仕事を引き受けたら、それからばんばん試写会の案内が送られてくるのであるが、見たい映画があまりない。
試写会のチケットを使うのはだからこれが始めて。
『ヴァン・ヘルシング』は題名からして吸血鬼ものだし、監督は『グリード』(Deep rising)を撮ったB級兄ちゃん(Stephen Sommers)だから、爽快にけらけら笑って見られるかと思ってでかけたのであるが…
考えてみたらフェスティバル・ホールでプレビューをするということ自体警戒すべきであった。
割り当てられた席は二階席の壁の三つ前。
スクリーンとおぼしき白い四角がはるか50メートルくらい先にかすかに明滅している。
客のほとんどは女性。
みんなロビーでパンを食べている。いかにも場なれた感じだ。
おそらく女子の中には試写会の招待券の類をゲットすることにきわだった固着と才能を持つ人がいるのであろう。

映画が始まる前に甲高い声の女が大音量で前説をする。
あまりの音に耐えきれず「ううう」と両耳を抑える。
周囲の人々はその大音量を平然と聞き流している。タフだなあ、都会生活者は。
何の予備知識もなしに映画を見るというのが私のスタイルであるのだが、変な前説のせいで、主演が『X−メン』でもみあげを生やしていた暗い顔の兄ちゃん(Hugh Jackman)であることが判明して、急速に期待感がしぼんでゆく。
どうしてこの男が「世界で最も美しい男ベスト50」に選ばれたりするのか、よく理解できない。
ヒロインのKate Beckinsaleもただの意地悪なヒス女にしか見えないし…
主演の二人が喧嘩したり、仲直りしてキスしたりしても、まるで、ぜんぜん、何の興趣も起こらない。
「割れ鍋に綴じ蓋ってか…」と小さな声でつぶやく。

でも、イントロの出来は悪くない。
30年代のユニヴァーサル映画や50年代のハマー・フィルムの三文ホラーを思わせるセピアの画面にコテコテの演出。
画面は昔っぽくいのけれど、音響だけめちゃめちゃよい。
なるほど。

30年代のホラー映画(『キングコング』とか『ノスフェラトゥ』とか)を音響だけばりばりのドルビーシステムにして再上映したら、変なリメイクよりずっと面白いんじゃないかな。
でも、テンポがよかったのは、ノートルダム寺院でヴァン・ヘルシングがカジモド=ハイド氏と戦うところまで(冒頭シーンの「途中まで出来かけのペンキ絵風エッフェル塔」がウチダ的には気に入ったけど)。

ヴァチカンの地下にMやQがいてジェームズ・ボンドに次のミッションと秘密兵器の説明をするというあたりから「引用」の過剰さにちょっとうんざりしてきた。
あとはときどき時計を見ながら「いつ終わるんだろう…」と時間を数えていた。

この監督の映画は『ハムナプトラ』もそうだけど、(それにしてもひどい邦題だなあ。原題は『ミイラ』(The Mummy)と『ミイラの逆襲』(The return of the Mummy)。いいよね。こっちの方が判りやすくて)テレビでやるなら見ても良いけど、とてもお金を出して見に行く気にはならない。

こういうタイプのバカ映画は、「へへへ、バカですんません」というふうにこそこそとご政道の裏街道をはいずってゆくのがつきづきしいありかたであって(それだったら、私も一肌脱いで応援してもいいぞ)、大新聞に広告を打って「オープン興行収入41カ国で世界新!」というようなど土派手な宣伝をして上映するようなのは、なんだか楽しみ方の筋が違うような気がする。

映画が終わった後、観客たちは暗い顔をして無言のままとぼとぼと四つ橋線の駅に向かって歩いており、プレスシート付き、おまけのヨーヨー付きの格安前売り券を買っている人間はひとりもみかけなかった。

いつも書いていることだけれど、邦題をもう少しなんとかする気はないのであろうか?

タイトルをつけるのは私の特技であるから、配給会社が依頼してきたら、タイトルなんかいくらでもつけて差し上げる。

『ヴァン・ヘルシング』はいくらなんでもタイトルとして無芸だろう。

ドラキュラ狩りの専門家はブラム・ストーカーの『ドラキュラ』以来「ヴァン・ヘーシング」と言い慣わされてきた。

古くはピーター・カッシングの当たり役(なんと五回もヘーシング教授を演じている。ついでにフランケンシュタイン博士の役も五回やっている)。
コッポラの92年版『ドラキュラ』ではアンソニー・ホプキンスがヘーシング教授を演じた(このコッポラ版ドラキュラはほんとに豪華な配役で、ドラキュラがゲイリー・オールドマン、不動産屋のハーカーがキアヌ・リーブス、スクリーミングクイーンがウィノナ・ライダー、ドラキュラの花嫁がモニカ・ベルッチ)。

どうして聞き慣れた「ヘーシング」を「ヘルシング」に変更したのか、その必然性がよく判らない。Helsing の l は母音化しやすい子音だから、これが「ヘォシング」とか「ヘゥシング」という音に聞こえるのは音韻論的には必然的なことだ。
だから「ヘーシング」の方が「ヘルシング」よりも原音に近い表記だと思うのだが、どうしてわざわざそれを変更したのか…

やっぱりここはきっちりと内容をふまえて『吸血鬼対狼男対フランケンシュタインの怪物大戦争!』とやるのがタイトルの王道ではないのか。

お、そういえば、この登場人物たちって、まるっと『怪物くん』のキャラじゃんか。
じゃあ、いっそ『怪物くん(たち)』でもよかったんだ(藤子・F・不二雄先生と吉本隆明先生のお許しが出ればだけど)
というわけでタイトルについては配給会社の見解をお聴きしたいものである。

投稿者 uchida : 15:51 | コメント (4) | トラックバック

2004年08月18日

Bream Catcher

する仕事がないとぼやいていたら、すぐに柏書房から『東京ファイティング・キッズ』のゲラが送られてきた。
でもこれは再校なので、できれば直しを入れないで、ただ「眺めているだけ」にしてほしいというコメントつきである。
あ、そうですか。
というわけで、じっと眺める。
自分で言うのもなんだけど、たいへんに面白い。
『東京ファイティング・キッズ』というタイトルはどこから取ったのですか、という質問をよくいただく。
「東京ナントカキッズ」というタイトルはわりとよくある「ありもの」である。
ネタもとはストーンズ(Street Fighting Man)。
最初は『東京ストリート・ファイティング・メン』というタイトルを考えたのであるが、長すぎるのではしょって、ついでに「メン」を「キッズ」にしたのである。ぼくたちがストリートを徘徊していたのはガキのときの話だからね。
私は本のタイトルをつけるのが好きである。
得意芸のひとつと申し上げてもよいかと思う。
「猫に名前をつける」のもひとつの芸である(これについては伊丹十三と村上春樹がそれぞれ掬すべき名言を語っている)。
私は本を書く前にまずタイトルを決める。
かっこいいタイトルが決まると、それだけでもう一冊本を書き上げたような気分になる。
最近の「納得タイトル」はこの『東京ファイティング・キッズ』と、『インターネット持仏堂』。
『インターネット持仏堂』はたいへん気に入っているのであるが、本願寺出版社の方からは「ぜひ『浄土真宗』の語を入れていただきたい」という要請があり、困っている。
『インターネット浄土真宗』ではなんのことかわからないし。
しかたがないので、本願寺新書(というものが創刊されて、これはその新書二冊分上下巻発売)の第一号を『いきなり始める浄土真宗』、第二号を『いきなり始めた浄土真宗』とするという奇策を提言した。
ただこれだと読者が「る」と「た」を見誤って、同じ本を二度買いしたり、同じ本だと思って一冊しか買わなかったりする可能性もあるので、第二案として、第一号を『これから始める浄土真宗』、第二号を『さきほど始めた浄土真宗』という案も用意している。
あるいは『浄土真宗なんかわからなくてもいいもん症候群』と『浄土真宗なんかわかっちゃったもん症候群』というのはどうか。
でも、本屋で書店員に「『浄土真宗なんかわかっちゃったもん症候群』ありますか?」と訊くのはちょっと恥ずかしいな。

その『インターネット持仏堂』の「締めの対談」のために釈先生とフジモトさんが小雨降る中、芦屋に登場された。
さっそく二時間ほどこれまでの往復書簡の中で語り残した点について、もう少し踏み込んだ話をする予定であったが、なんだか宴会っぽくなってしまった。
そこに装幀(予定)の山本画伯が登場して、画伯にイタリアンを作っていただき、ワインなどを酌み交わしつつ、「ベストセラーの前祝い」をしているうちに本格的な宴会になってしまった。

さまざまな有用な知見がご披露されたのであるが、ぜひ特記しておきたいことがある。
釈先生はじつは曾祖父の代までは「釈氏」姓だったそうで、「釈氏」というのは真宗の僧侶には非常におおい姓なのだそうである。

で、この「釈氏」というのが「猫も杓子も」というときの「釈氏」の語源だそうである。

では、「猫」って誰のことかというと、これが「猫」じゃなくて、「禰宜」(ねぎ)なのである。

「禰宜」というのは神社の神官のことである。

つまり、「猫も杓子も」とは「禰宜も釈氏も」つまり、「神官も僧侶も、神道信者も仏教徒も」、すなわち「誰でも」という意味になるのである。

日本は統計によると、神道信者と仏教徒をあわせるとそれだけで2億人になるそうである。ということは「禰宜も釈氏も」はたしかに「すべての日本人」を意味しうるのである。

それに、どう考えても、「猫」と「杓子」を同一カテゴリーに括りこむことができる共通点なんて存在しないしね。

どうして「猫」と「杓子」が同列に論じられることを疑問に思わずに来たのか。
わが不明を恥じることしきり。

と、書いてアップロードしたあとに、あれは「葱もパクチーも」の転訛ではないかという思いが浮かんだので、ここに書き留めておくのである。

投稿者 uchida : 11:48 | コメント (1) | トラックバック

2004年08月17日

『リベラシオン』を読んで、外国語教育について発作的に考える

医学書院のゲラを出してしまったら、とりあえずいそぎの仕事がなくなった。
ちくまの新書の書き下ろしが夏休みいっぱいなので、それを書かないといけないのであるが、それはフランス滞在中の「おたのしみ」にとってある。
「とりあえずいそぎの仕事がない」というのは過去3年ほどほとんど一度もなかった状態であるので、呆然自失する。
これが世に言う「ワーカホリック」というやつだな。
することがないので、とりあえずフランス語の練習をする。
ときどき発作的にやっている「天声人語フランス語訳」である。
これはなかなかよい勉強になる。
何をいいたいのかよくわからない文章(「天声人語」はその好個の文例である)を仏訳するというのは、論理的に明快な文章の仏訳よりは語学力の向上に役立つ。
ふと、ナベツネのことをフランスのメディアはどう報じているのか気になって『リベラシオン』をひもといてみる(ひまだなー)。
ざんねんながら「ナベツネ」で検索したら何も出ず。
「ヨミウリ」で3件だけヒットした。「ヨミウリ」は「発行部数1400万部の保守系紙」だそうである。ついでに、「アサヒ」は「左翼紙」、「サンケイ」は「非常に保守的」と類別されていた。
なるほどね。
そのまま記事を読んでいたら、(ひまだから)「電子紙・電子インク」についての記事があったので、ずるずる読む。

「書物の町神田からわずか移動すると、突然風景が一変する。そこはエレクトロニクスのメッカ、秋葉原である。キチガイじみたネオンサインが点滅するこのバザールではニッポンの『オタク』(仮想世界に生きる子どもたち)les otaku,les 《 enfants 》 du virtuelが日本株式会社の最新のガジェットを前にして興奮している。」

フランス・ジャーナリストの日本特派員の中には、ウィリアム・ギブソンやフィリップ・K・ディック好きな人が多いようで、彼らの配信する秋葉原関係の記事はいつ読んでも、どことなく『ニューロマンサー』か『ブレードランナー』風である。
「otaku」は「kamikaze」とともに、おそらく現在もっとも頻繁に海外メディアに登場する「日本語」だろう(不思議なことだが、「カミカゼ」を「自爆テロ」と「翻訳」するのは日本のメディアだけである)。

意外だったのは(考えてみれば意外でも何でもないんだけれど)「飽くことを知らない活字愛好者である日本人は世界のいかなる国よりも大量の書物を消費している」という一文。
そうなのである。
最近の若い人は本を読まないとよく言われるけれど、マンガや雑誌を含めて考えれば、日本人の読書量はそれでもダントツで世界一だ。
電車の中、バスの中、地下鉄の中、ありとあらゆるところで人々は活字を読む。
平均週2冊の本を読んでいるそうである。
ふーん。
そうなんだ。
変な話だけれど、外国にしばらくいって外国の新聞雑誌を読んで暮らしていると、日本のことがよくわかるような気がする。
フランスにいる間、日本についての報道は非常に少ないけれど、その代り「潮目の変化」だけにピンポイントして報道がなされるので、その社会でいま何が起きつつあるのかを、日本国内にいてTVや新聞雑誌からの情報を浴びているときよりもクリアに把握できる。
私たちが「特殊」だと思っている事態が案外「ふつう」であり、私たちが「ふつう」と思っている事態がとんでもなく「異常」であるということは、外国のメディアを通してみないとなかなかわからない。
インターネットでこうして外国の新聞報道をリアルタイムで読むことができる時代になったのに、若い人でこの特権的な情報回路を活用しているひとは決して多くない。
外国語が「読めない」からである。
もったいない話である。
外国語教育の基本はまず「読むこと」であるというのは私の年来の持論である。
インターネットの時代はまるごと文字情報の時代である。だから、外国語の「リテラシー」の差がそのまま情報格差となる。
けれども、いまどき外国語教育というと、ほとんどのひとは「オーラル・コミュニケーション」の重要性しか言わない。
しかし、考えればわかることだが、オーラル・コミュニケーションでは、「目の前にいる人」としかコミュニケーションできない。
私たちが自分たちの生き方に決定的に重要な影響を与えるような外国語話者を「目の前」にする機会が一生に何回あるだろう?
「読む」というのは、「ここにいない人」と「好きなときに」コミュニケーションできる方法である。
「ここにいない人」というのは単に地理的に遠くてなかなか会えない人というにとどまらず、原理的に絶対にお会いする機会が得られない人(すなわち死者たち)も含まれている。
「受信しうるメッセージの質と量」に限って言えば、「聴く能力」と「読む能力」では受信できるメッセージの桁が違う。
どう考えても、「まず」リテラシーの涵養から始めるというのがコミュニケーションのコスト・パフォーマンスを考えたらいちばん合理的な選択のはずである。
しかし、現在の外国語教育は「まず」ネイティヴの発音を聴き取ることから始めることを当然としている。
なぜ、このような不合理な教育戦略が採択されているのか。
これについて話すとすごく長い話になるので、駆け足で要点だけを言う。

「読む」とき、読み手はテクストに対してかなりの自由裁量権を発揮できる(前の頁に戻ったり、わからない単語を辞書で引いたりすることは読み手の自由に属する)。
もちろん、「何を書いているのか、わからねーぞ、んなろ」と言ってばたんと本を閉じる権利もまた読み手のものだ。
その点だけについていえば、読み手と書き手は(幻想的な準位においてではあるけれど)、「対等者」として向き合っている。
しかし、外国語を「聴く」ときには、聴き手にはそれほどの自由は許されない。
理解できない単語は理解できないまま宙に消える。
辞書を引く暇なんか与えられない。
「すみませんが、もう一度」と要請することは、しばしば聴き手の知的劣位を告白していることにひとしい。
もちろん、「何言ってるかわからないぜ」といって、相手を「消す」こともできない(自分がその場から「消える」ことしかできない)。
つまり、「読ませる教育」と「聴かせる教育」では、圧倒的に「聴く」教育の方が「送信者」の知的威信が高いのである。
私はネイティヴの綴り字の間違いや文法上のミスを指摘することができるが、彼らの発音の間違いを矯正することはできない。
というより、そのような権利は学習者には与えられていない。
オーラル・コミュニケーションを外国語教育の中心にする限り、ネイティヴ・スピーカーは絶対不敗の知的威信を構造的に確保されている。
だから、植民地主義的発想で外国語教育を行うすべての旧帝国主義国家は、まずオーラル・コミュニケーションの習熟を植民地人民に求めるのである。
それはリーディングから先に教えると、できのよい植民地の秀才が短期間に「宗主国民」よりも知的に上位に立つ可能性があるからである。

日本について言えば、英語をオーラル中心に学ばせるということは政治的には「英語話者の知的威信が構造的に担保される」体制を堅持するということである。
私は英語であれフランス語であれ、「学習者の知的水準がつねに劣位に固着されているコミュニケーション」にはどうも気が進まない。
それは私の性分のなせるわざだから、拡大適用することは控えるけれど、「英語話者の知的威信が構造的に担保され、ノン・ネイティヴがつねに劣等感を覚えるような教育システム」を採用していることの政治的な意味について、ときどき考えることは必要だろうと思う。

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2004年08月16日

ブルーノくんからメールがきた

パリのブルーノくんからメールが届く。
ひさしぶりの連絡である。
ブルーノくんは私の合気道フランス人弟子第一号(第二号以下がいないんだけど)である。
たしか97年のブザンソンでのフランス語研修のときに知り合った知日派青年である。
うちの学生の一人がバスを乗り間違えて、ブザンソン郊外の山の中のバスの終点で降ろされておろおろしているときに、「どうしましたか?」と日本語で訊ねてくれた人がいた。日本の武道と日本文化が大好きで、私どもの研修先でもあるCLA(フランシュ=コンテ大学応用言語センター)で日本語を勉強していたブルーノ・シャルトンくんの知遇を得たのはそれがきっかけである。
翌日ブルーノくんにお会いして、学生を助けてもらったお礼を申し上げた。
そのとき、「どうして日本語を勉強してるの?」とお尋ねしたら、「実は日本の武道が大好きで…」という話になり、お礼もかねて彼が稽古をしていたガルシエ道場をお借りしてマンツーマンで合気道の稽古を行うことになったのである。
ブルーノくんは当時柔道初段であったが、合気道については「そういうものがある」という程度の知識しかなく、呼吸法と基本技をいくつかお教えした。
勝敗強弱を論じず、よく生きよく死ぬために、人間ひとりひとりの蔵している潜在能力の開花をめざすという武道の考え方が、それまでスポーツ武道しか経験したことのなかったブルーノの「ツボ」にはまったらしく、「今日からお師匠様と呼ばせていただきます」という話になった。
私は「師弟関係」というのは実定的な技術や情報の授受関係ではなく、「知っていると想定されている主体」が「弟子=分析主体」の欲望の焦点となる「転移」現象であるするラカン派の立場にあるので、私を「先生」と呼ぶすべての人々に「はい、はい」とにこやかにお答えすることにしている。
「弟子」というのは、「外部から到来するものに対して開放的であること」ということに他ならず、そういう構えができる人は、こちらがほうっておいても、教えていないことまでどんどん学んでしまうものだからである。
ブルーノくんはその後ブザンソンで警察に入り、順調に出世され、三年ほど前からはパリ警察にお勤めである。警察学校卒業のときは「武術では首席でした」とヨロコビのお手紙をいただいたことがある。
その後、ブルーノくんは日本に武道修業に来て、わが家にしばらくホームステイするはずだったのだが、出発間際シャルルドゴール空港から「空港でパスポートと財布を盗まれ、数年来たのしみにしていた日本旅行ができなくなりました」と涙声で電話がかかってきた。お巡りさんがスリにあっちゃダメでしょ。
前回2001年のブザンソン滞在のときは現地到着から出発まで、ブルーノくんにはフルアテンダンスでお世話になった。
合気道修行中の日本人留学生のコッシーくん(元気ですかー。福岡のラーメン美味しいですか?)、ユリちゃんらにも女学院のスタジエールの面倒をみて頂いた(ユリちゃんは、帰国後自由が丘道場に入門し、ゴンちゃんやウッキーと仲良しになった)。
というふうに因縁浅からぬブルーノくんであるが、お会いするのは3年ぶりである。
いまはパリにちゃんと日本人の彼女がいて、8区のアイゼンハウアー通りの警察署にお勤めである。
今回はもうフルアテンダンスというわけにはゆかないけれど、パリ滞在中にはお会いできるし、私たちがブザンソンにいるあいだにバカンスを取って帰省するそうであるから、向こうでも遊べそうである。
パリには同時期に飯田先生も来ているし、女学院卒業生の小野さんも待っているし、なんだかずいぶん賑やかなことになりそうである。

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2004年08月15日

オリンピックがはじまったらしい

るんちゃんが芦屋に来ているが、昼夜逆転生活を営んでおられるので、なかなか会えない。
私が起きるころに寝て、私が寝る頃に先方は活動のピークなので、三日間一つ屋根の下にいながら、会話した時間はまだ30分くらい。
ご飯もいちどもご一緒したことがない。
お元気に過ごされているのであればよいのであるが。
やっほー、元気?

ようやく夏休みらしい日が始まったので、合気道のお稽古のあとに、とりあえず医学書院のゲラを片づける。
これは去年の8月から今年の3月にかけて朝日カルチャーセンターでやった身体論の講演をテープ起こししたものである。
話しっぱなしで終わってしまうはずのものが、こうやって活字になって残るというのは不思議なものである。
あきらかに、その場で思いついて適当にしゃべって、そのまま忘れかけたアイディアが散見されるのだが、ゲラを読み返してみると、いちばん面白いのは、そういうところである。
講演はその場のひとだけを相手にしているので、「ここだけの話」(Entre nous)という一種の親密性があって、文字に書いて公開することがいささかはばかられるようないい加減な話もつい口をついて出てしまう。
でも、通読していちばんわくわくしたのは、「沈黙交易はコミュニケーションの始原的形態である」と「現象学は幽霊学だ」というふたつのヨタ話であった。
このあいだの高橋源一郎さんの集中講義でも、「その場で思いついた話」をしているときがいちばん面白かった。
「その場で思いついた話」と「かねて準備をしてきた話」を聞き分けるのにはコツがある。
分りやすい指標は「その場で思いついた話」は「くどい」ということである。
「くどい」というと語弊があるが、同一のテーマが繰り返し形式を変えながら演奏されるのである。
それは山登りにも似ている。
登り道は山の周りをスパイラル杖にくるくる回っている。
だから定期的に「同じ景色」が見える。
「なんだよ、さっきと同じ景色じゃないか」と文句を言ってはいけません。
実際にはぐるぐると回っているあいだに高度は少しずつ上がっているのである。
そのうちに気がつくと、「同じ景色」だったはずのものがまるで「違う景色」になってしまうのである。
自分のゲラを読んでいても、その場で思いついた話はくどい。
同じことばが何度も繰り返される。
酔っぱらいが、カウンターで同じ話を最初から最後までもう一度繰り返すのとちょっと似ている。
あれは自分の話に本人が「感動」しちゃっているのである。
いい映画を見ると、もう一度はじめから全部見直したくなるのといっしょである。

赤ペンで真っ赤になったゲラをクロネコヤマトで医学書院に送って、今日の仕事はおしまい。
るんちゃんご推奨の『池袋ウェストゲートパーク』を見る。
たいへん面白い。
長瀬くん、妻夫木くんはじめたいへんに「つきづきしい」キャスティングであるが、とりわけ窪塚洋介くんを「そのあと飛び降りる人」だと思って見ると、「いかにも」という感じがする。

業務連絡
能のチケット(10、000円)が二枚あまっています。会の当日が合気道の合宿なので、私は行けません。このままでは無駄になってしまいますので、興味がある方に差し上げます。ご連絡下されば、先着二名さまに郵送します(もちろん無料)。「チケット希望」と書いてメールでご住所ご氏名をお知らせください。

観正会定式能別会
とき:9月18日(土) 午前11時始め(10時開場)午後5時ころ終演予定
ところ:湊川神社神能殿
番組:能:『清経』(上田大介)・『木賊』(笠田稔)・『望月』(下川宜長)狂言:『鳴子遣子』(茂山千之丞)ほか仕舞8番。(下川先生は私の能楽の師匠であります。これは必見)

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2004年08月14日

哲学上方場所・番外編

『ミーツ』連載の「哲学上方場所」の特別編。テーマは「レヴィナス」。
鷲田清一、永江朗ご両人のレギュラー対談に、今回はウチダが乱入して・・・という企画である。

040812-223603.png 鷲田清一先生とRESETの前で

プロデューサーは東京から来た晶文社の安藤さんと『ミーツ』の江弘毅編集長。そして、Re−setの橘さん、ウッキー、読売新聞の山口さん、『ミーツ』の青山さんがまわりを取り囲む。
「哲学上方場所」は哲学書の「決めの」1パッセージを持ってきて、それをネタに永江さんがいろいろと質問をして、鷲田先生がそれに「はんなりと」お答えするというたいへん教化的かつフレンドリーな企画である。
前回のフッサールのときにウチダも打ち上げ宴会にお招き頂いたのであるが、仕事が詰まっていてご無礼してしまった。次回は必ず遊びにゆきますと電話口でそのとき鷲田先生にお約束したのである。じゃあ、次はウチダくんが来るからレヴィナスをやろうということになった(らしい)。
鷲田先生、永江さん、どちらもウチダは初対面である。
名刺交換など通常の儀礼的行動ののち、乾杯して、ただちにアルコール摂取行動をともないつつレヴィナスの『全体性と無限』をテーマにした鼎談が始まる。
最初のうちは、永江さんのインタビューに対して、不肖ウチダがレヴィナス老師の意のあるところを代弁するというかたちで静かに進行したけれど、私ごときに老師の無窮の叡智を代弁できるはずもなく、しだいに途中から「なこと訊かれても、わっかんねっすよお」的な知性崩壊が表面化しかけるが、なんとか「没収試合」をまぬかれることができたのはひとえに鷲田先生の時宜を得た助け船のおかげである。
今回の結論は「レヴィナスがあんなにむずかしいのは、日常生活の深みと錯綜をそのまま哲学的言語に置き換えようとしているから」というもの。
これは私の持論であるが、ひとびとが信じているのとは反対に、「哲学は簡単すぎ、現実は複雑すぎる」のである。
考えてみれば当然である。
どのように包括的な哲学でも、私たちの生きている現実のごく一部を切り取ることしかできない。
「愛する」という動詞は哲学的命題の中では一義的に用いられるけれど、実際の生活の中では「キミを愛している」というのと「母を愛している」というのと「あんパンを愛している」というのと「モーツァルトを愛している」というのとでは、「愛している」ということばの意味が違う。そのことばを口にしたときの情動も違うし、身体反応も違う。高揚感も愉悦も心拍数も発汗も体温もみんな違う。
「キミを愛している」という同じことばだって、恋に落ちて三日目の恋人に向かって言う場合と、結婚15年目の妻に向かって言う場合では、ニュアンスが違う。
どう考えたって、ことばだけで編み上げられている哲学が現実の厚みに追いつけるはずがない。
でもなかには野心的な哲学者がいて、哲学のことばで現実のとらえどころのない厚みに肉迫しようとする。
レヴィナスは、そういう野心的な哲学者のひとりである。
だから「顔」とか「他人」とか「殺す」とか「不眠」といった日常語を哲学用語として使うという「非常識」をあえて犯すのである。
「『顔』なんていわれても意味わかんないよ、『顔』って、あの顔のこと?」
そうです。あの「顔」のことです。
でも、よく考えてごらんよ。顔って、日常生活の中でさえ、一義的なものじゃないでしょ?
「顔を洗う」というときと「顔がいけてる」というときと「顔貸せや」というときと「このへんじゃ、いい顔」というのと「世間さまに顔向けできない」というときとでは、「顔」の意味って違うでしょ?
レヴィナスは「顔」をたかだか二つの意味で使っているにすぎない。
いっぽう、私たちが日常的に使い分けている「顔」の意味は二つでは収まらない。
どちらが複雑かといったら、哲学用語と日常語では、日常語の方がずっと複雑な構造になっている。
私たちの生の日常に肉迫してくればくるほど哲学はわかりにくくなり、机上の空論になればなるほど哲学はわかりやすくなる。
存在的に近しいものほど存在論的には難解であるというのはかのハイデガーの卓見である。
逆に言えば、存在論的にわかりやすいものとは存在的には疎遠なものなのである。「わかりやすい哲学」が論じているのは私たちが日常で触れることのないものである(神や地獄や奇跡を主題にした哲学はたいへん簡単である)。
私たちが日常で経験していること(眠り、疲れ、食欲、エロス、労働、暴力・・・)を論じると哲学はとたんに難解になる。
それは現実が哲学用語ではカバーしきれないほど宏大だからであって、哲学用語が人知の及ばぬほどに難解だからではない。
レヴィナスの難解さは現実に密着しているがゆえの難解さである。それゆえ書斎の哲学者よりもむしろ「街のレヴィナス派」がレヴィナスのうちに親しみを覚えるということが起こりうるのである。
というような話をすればよかった・・・
次々と注がれるシャンペンを飲みつつ語ったので、すっかり酩酊。途中からどんどん脱線して、後半は鷲田さんと江さんの「大阪文化論」がヒートアップ。三宮の夜はしんしんと更けてゆくのでありました。

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2004年08月12日

北海道で会いましょう

新横浜でるんちゃんと待ち合わせをして、「シウマイ弁当」を食べながら、三日ぶりに芦屋に戻る。
新幹線の中でるんちゃんから「我々」というバンドのCDを聴かせてもらう。
これはるんちゃんがイベントで知り合った方々であるのだが、そのバンドのドラムをしている金髪赤サングラスのおじさんが「キミ、ウチダるんちゃんなの?お父さんにこのあいだ連載頼んだら、断られちゃったよ」と話しかけてきたそうである。
このエディター兼務のドラマーは『ふ○ん○』編集部のS山くんであることが判明。
世間は狭い。
さっそくCDを聴かせてもらう。
「諦念共和国国家」と「サンリューライター」ではS山くんがリードヴォーカルを取っている。
すごい。
一度聴いたら二度と忘れられそうもないリフレイン。
「お父さん、S山さんと会うことある?」
「こんど北海道で学会があるからね。もしH水社のブースにS山くんがいたら、耳元で『国家』を歌ってやるよ」

北海道の学会には行かないつもりだったけれど、京大の吉田くんのお招きでワークショップに出ることになった。
学会には編集委員を辞めてから一度も行っていない。
委員のときに8回連続で学会発表を聴いて、気が狂いそうになってしまったからである(あまりにつまらなくて)。
確か四国での学会の後、よろよろと分科会会場から転がり出て、「仏文はもうおしまじゃ・・・」とうめいたことを覚えている。
若い連中が権威を独占する爺連中に毒づく気概をなくしたら、その業界は「もうおしまい」である。
若い研究者というのは「喧嘩売って、顰蹙買ってナンボ」のもんである。
『レッドオクトーバーを追え』(よい映画である)でショーン・コネリー演じるラミウス艦長が言っているように「小規模の革命がときどき起きるからシステムは健全でいられる」。
爺さんたちに喧嘩売るのはシステムの健全のためなのである。
頼みますよ。ほんとに。


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2004年08月11日

交換と欲望

相模原なる母のところにお盆のご挨拶に伺い、ついでに「上納金」を献上する。
私は印税が入ると、その「あぶく銭」の一部を母上に定期的に上納している。
これは別に私が親孝行であるとかそういうことではなく、これを「呼び水」として、さらなる貨幣の流入を策しているからなのである。
いわば私利私欲のための利他的行為。ホッブズやロックが聞いたら泣いて喜ぶ「近代市民」的マナーを私は粛々と演じているのである。

貨幣は退蔵してはならない。
というのは、お金はその本性上「運動」を好み、「停滞」を嫌うからである。
お金は「フロー」しているところに集まり、「ストック」されているところから逃れる。
これは貨幣というものを人類が発明したことの本来の目的を考えれば当然のことである。

貨幣は交換を加速するために発明された。
貨幣の本質は経済学者たちがただしく指摘しているように「それを別の何かと交換しない限り、何の意味も持たない」という商品性格のうちにある。
たとえば、私が1円玉を所有しているとする。
1円玉が机の引き出しの隅にシャープペンシルの芯とかインクの切れたボールペンなどとまじって転がっていても、私はそれを交換の場にただちに投じなければとは思わない。
まあ、いいよ1円くらい、と退蔵して惜しまない。
ところが、ここに3億円あって、それが居間の片隅にジュラルミンのケースにはいって転がっていると、まあ、いいよ3億円くらい、というわけにはゆかない。
泥棒にはいられても困るし、火事になっても困る。『水屋の富』じゃないけど、心配で仕事も手につかないし、外出もままならない。
だから、とりあえず銀行に預けるとする。
これは貨幣を居間の片隅に放置している「ストック」状態から金融市場という「フロー」に投じたということを意味する。
預けた本人は気づいていないが、銀行に預けるというのは、「口座から引き出して私的に費消する以外のすべてを他人に与える」というのとほんとうはあまり変わらないのである。

で、1円と3億円の本質的な違いはどこにあるかというと、「消費するまでの切迫度」の違いにある。
私が臨終のときを迎えたときに手元に1円残っていてもぜんぜん口惜しくないが、使い残しの3億円が残っていたら、すごく「損した気分」になる(と思う、なったことがないからわからないけど)。
3億円の貨幣とはそれを「フローに投じたい」とする切迫感が1円玉の3億倍激しい商品ということである。
だから、「日本銀行券は明日から使えなくなります」と言われたときに使い残しの3億円紙幣があった場合、私はぜったいそれを燃やすか海に投じるか、せめて物理的に「別のかたちのもの」にすり替えようとするはずである。
貨幣の本質はまさに「それをそれ以外のものにすり替えなければならない」という切迫のうちにある。
だから貨幣には使用価値のないものが選択されてきたのである。
「貨幣で貨幣を買う」投機的な活動が本質的に反=人間的であるとされるのは、それが「別のもの」を欲望することを止めてしまったからであるが、それはまた別の話。

交換を加速するものが好まれるという点では、言語的メッセージの場合も変わらない。
言語的メッセージとして「価値があるもの」とは、そのメッセージを受信した人が「反対給付」の義務感をつよく感じるものである。
「反対給付」とは要するに「応答」のことである。
「ふーん」という気のない応答しか呼び起こさないもの(もっとひどい場合は、受信したことさえすぐに忘れてしまうようなメッセージ)と、受信者が「へえええ、そうなんだ、ふーん。あ、そうか、なるほど、似た話、ぼくも知ってるよ。それはね・・・」というふうに話を転がしたくなるようなメッセージでは、後者の方が交換加速性が高いということはどなたでもおわかりいただけるであろう。
多くの人々は言語的メッセージの価値は、それが内在させている真理や言明の整合性によって決まると思っているが、それは短見というものである。
そうではなくて、より多くの応答メッセージを喚起するメッセージこそが、「交換」という尺度で考えた場合には「価値のあるメッセージ」なのである。

学術の世界では、論文の価値の尺度として「被引用回数」というものが用いられることがある。
それは当該論文の学術的な精密さや客観性と直接にはかかわらない。
かりに批判的な文脈での引用であっても、ある論文が繰り返し引用されるのであれば、その論文には、ある種の問題群を前景化させ、「論じやすいかたちに整えた」手柄が帰せられる。
「被引用回数」の高い論文の特徴は、「誰にでもアクセスできる論件」(だからこそ、多くの人が論駁、追試できる)を「他の誰もしなかった切り口で論じた」(だからこそ、他ならぬその論文が引用される)ことにある。
開放性と独自性、ユーザーフレンドリーとユニークさという両立のむずかしいものを両立させること、それが「反対給付の欲望」に点火するメッセージの特質なのである。
それはビジネスでも恋愛でも変わらない。

業務連絡です!

香川の「地上最強の呉服屋の若旦那」守伸二郎さんが、ウチダを呼んでのイベントを企画しています。メインは「宴会」なんですけれど、宴会の前にちょろっと一汗かくほうがビールも美味しいんじゃないかということで、「おしゃべり7分、実技3分」くらいの講習会をやります。
四国中国地方にお住まいの御用とお急ぎのない方は「丸亀うどんツァー」のおついでに遊びに来てください。
参加ご希望の方は下記の守さんのアドレスあてにメールをお願い致します。

《香川稽古研究会特別企画》
◎内田 樹神戸女学院教授『気の錬磨の講習会』−身体を通しての学び−
  日時:8月22日(日)13:30〜16:30まで
  場所:香川県仲多度郡多度津町総合スポーツセンター 武道場
http://www.52983.net
Tel:0877-22-3371
Fax:0877-22-3372
e-mail: ika529@niji.or.jp
担当:いかりや呉服店 守 伸二郎(もり・しんじろう)


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2004年08月10日

愉しい夜更かし

「楽しい夜更かし」ツァー。
兄ちゃん、平川くん、石川くんと箱根湯本に湯治麻雀に出かける。
二泊三日で、宿の一室に立てこもって、60年代ポップスを聴きながら、終日麻雀をやり、温泉に浸かり、山海の珍味を堪能するという究極の極楽ツァーである。
どうして急に麻雀がやりたくなったのか、理由はよく分からない。
とにかく30年ぶりに無性に麻雀牌を握りたくなったのである。
学生のころは、ほんとうによく麻雀をやった。
朝学校に行っても教室には行かず、とりあえず駒場の駅前の草むらに腰を下ろして、通学してくる学友たちを勧誘する。
「ね、麻雀やらない?」と言うと、さしも堅固なる学友たちの学的向上心もたちまち日向のアイスクリームのようにとろけてしまう。
まず一人ゲットすると、こんどは二人がかりで「ねえねえ」と知り合いに声をかける。
三人目までみつかるとあとは一瀉千里。
三人に囲まれて、「ようようやろうぜ、授業なんか、いいじゃない。フケちゃおぜ」とすごまれると、まずこれに抵抗できる者は少なかったのである。
卒業したあとも、兄ちゃんとはウエキくんやマサヤくんヒサシくんたち自由が丘の諸君とよく卓を囲んだ。
平川、石川両君とは「雀鬼」イワタくんの家に『聖風化祭』のメンバーでよく集まってはさんざんカモにされたのも懐かしい思い出である。
16歳で麻雀を覚えてから、足を洗うまでの10年間はなんだかやたら麻雀ばかりやっていたような気がする。
それ以外のより生産的なことに集中していれば、どれほど私自身のためにも世間のためにもなったかもしれない数千時間の貴重な青春を私はドブに捨てるように浪費したのであった。
その後、四人とも25歳くらいを境にぱたりと麻雀を止めた。
以後30年近く、ほとんど一度も牌に触れることなく歳月は流れた。
去年の正月にこの四人で会ったときに、「麻雀やりたいね」とたしか兄ちゃんがふいに言い出して、それから何となく「やりたい」ような気がしてきた。
日記にも書いたように五月に風邪をひいて高熱を発しているときに、何度か麻雀をしている夢を見た。
阿佐田哲也の『麻雀放浪記』を読み返して、「ああ、そうそう、こういう遊びがあったんだよな」と心がざわめき始めた。
それからとんとんと話が進んで、今回の「楽しい夜更かしツァー」の実現の運びとなったのである。
いやー、愉しかった。
四人とも30年近くぜんぜんやっていないので、やり方をずいぶん忘れている。
山を積むときに牌をばらばらこぼすし、骰子を転がしたあと、「6って、どっちの山だっけ?」と当惑し、山を切った後も、どちら周りで牌を取るのか分からなくなり、最初にあがった兄ちゃんも点数が計算できずに、四人がかりで、「えーと字牌の暗刻が8符でしょ・・・、リャンメン自摸ったら4符?で40符3翻て、いくらになるの・・・」「さあ・・・」と3分くいら考えてしまった。
しかし、さすがに30年前とはいえ、数千時間を無駄に投じただけあって、1時間もしないうちに全員むかしながらの軽口を叩きながらのシビアの打ち手に復帰。

040810-232535.png 「麻雀は運だよ」とウチダにほほえむヒラカワ君

石川くんが仕込んできた数千曲の60年代ポップスを合唱しながら、(題名あて歌手あてクイズも同時並行にすすめつつ)すばやい手さばきで牌を卓に叩き付け、点数も「はい、ニーロク通し」「はい、クンロク二本場一万とんで二百点」などと快調なペースで半荘を重ねていった。
一荘やっては温泉に浸かり、おそばをたぐり、温泉まんじゅうを囓り、半荘6回やっておしまい。
戦績は平川くんが4回トップでダントツの100点。兄ちゃんがプラ37,石川くんがマイナス38,私が一度もトップをとれず、ダンペのマイ99。
27持ち3万返し、5,10のウマというロースコア設定だったので、あまり差がつかなかったが、25持ちの3万返し、10,30のウマという30年前のきつめのルールでやっていたら、私の負けは200を優に超していたであろう。危ないところであった。
無人の温泉にゆったりつかりながら、全員で「いやー、麻雀は愉しいね」と大満足。
60年代ポップスを合唱しながら、麻雀をやって、温泉に浸かるというのは老後の楽しみとしてこれ以上のものはないというほど結構なものである。
今後も「愉しい夜更かしツァー」の定例開催を約して散会。
次回は来春である。
今度は勝つぞ。んなろー。

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想像力の問題

8月8日

テレビのニュースをつけたら、北京の若者が口を尖らせて「日本は侵略行為を反省していないんだから、ブーイングされて当たり前だ」と偉そうな顔をしてテレビカメラに向かっていた。
違うチャンネルでは石原慎太郎が「民度が低いんだからしょうがないね」と語っていた。
「独裁政権が維持するためには仮想敵をつくらなきゃいけない、それが今回は日本なのだ」とテレビカメラにむかって目をしばたたいていた。
言うことがよく似ているなと私は思った。
ある国のナショナリストとその隣国のナショナリストは言うことがよく似ている。
ある国の職業軍人と敵国の職業軍人のメンタリティがよく似ているとのよく似ている。
この種の人々は、しばしばそのままそっくり「入れ替え可能」であるくらいにお互いによく似ている。


アジアカップの中国での反日ナショナリズムについて私が書いたときに、いろいろな人がコメントしてくれたけれど、こういう問題について考えるとき、私が自分に課している条件はいつも同じである。
それは、「中国の大学でフランス哲学を教えているひとりの功利的ナショナリスト」(「中国的ウチダ」である)を想像してみて、その人の「同意」がとりつけられるように書くということである。

「中国的ウチダ」は人民中国建国二年目に北京で生まれた私自身の「似姿」である。
この人物は文化大革命のときには高校を止めて紅衛兵運動に身を投じて「造反有理」などと呼号して北京の街を走り回ってさんざん大人たちに迷惑をかけ、その後「こういうのって、ちょっとまずよいな」と反省して、大学に戻り、フランス哲学を学んでレヴィナスを知って驚倒し、さらに伝統的な中国武術の名人と出会ってその門人となって、だいぶ人当たりのよい人物となる。同じ頃、開放政策に乗じて少年時代の友人(中国版ヒラカワくんね)と企業を興し、ビジネスを経験し、そのあとやっぱり書斎が愉しいわと大学に戻って教鞭を執って今日に至るという、変わり者の中国人である。
とりあえずそのようなヴァーチャル・キャラクターを想定して、その彼が読んだときに、「そうだよな。オレもそう思うよ」と言ってくれそうなことを選択的に語る、というのが外国とのかかわりについて書くときの私の基本的なスタイルである。
フランスについて書くときも、アメリカについて書くときも、韓国について書くときも、その姿勢は変わらない。
私は「自分と入れ替え可能なひとりの中国人」を探しており、それが必ずいるはずだという信念を支えにして書いている。

「小泉反動政権が統合力を維持するためには仮想敵をつくらなければならない、それが今は中国なのだ」という国際政治理解に基づいて、「そんなマヌーヴァーに踊らされるくらいに日本人は民度が低いのだ」とうそぶいている中国人はいくらもいるだろう。
日本人のナショナリストたちはおそらくそのような「自分と入れ替え可能な中国人ナショナリスト」がいることを知っているし、そのような人間が何を言うかを容易に想像することができるはずである。
なぜなら、それは彼ら自身が中国に生まれていたら、「いかにもいいそうなこと」であるからである。
だが、自分が隣国に生まれたら決して「同意」することができないような言明を自分がしているということについては想像力を節約しているのである。

土曜日は本田秀伸さんのノンタイトル戦があり、大阪府立体育館に応援にゆく。
香川から「地上最強の呉服屋の若旦那・守さん」ご夫妻をはじめ意拳関係者ご一行が来ている。
地元からは飯田先生とウッキーと私。
本田さんが光岡先生に就いて意拳を始めて、そろそろ1年。そのあいだにボクシングスタイルがずいぶん変わった。
世界戦を二度経験している世界ランカーのボクサーが、その技術的な頂点にあって、ボクシングスタイルを変える、というのはたいへんな決断である。
それを平然とやってのけるというのは、本田さんにとっては、一つの試合の勝敗よりも、精密な身体運用と人間のもつ潜在可能性を開花させるための技法の発見の方が優先順位の高い人間的課題だからである。
勝敗よりも、汎用性の高い「生き方の技術」の発見の方を優先させるという点に私は本田さんの知性の健全さを見るのである。

040807-231404.png 試合終了後の本田秀伸さんと

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2004年08月07日

こんな先生に習いたかった

高橋源一郎さんの集中講義が終わってしまった。
なんだかすごく濃い、夢のような四日間であったので、門戸厄神の駅前で、「こんどは東京で遊びましょうね」と約して手を振ってお別れしたあと、なんだかすとんと虚脱した感じになる。
とくに最終日はものすごくドライブのかかった文学論=物語論で、文字通り「手に汗握る」5時間であった。
これほど知的に興奮したのは、ほんとうに久しぶりのことである。
高橋さんは現代を代表する作家であり、「地上最強」の批評家であることはみなさんご案内のとおりであるが、教師としても卓越した資質を持った人であることが、「生徒」として四日間教壇を見上げていて、よく分った。
私のいちばん率直な感想は(笑われるかも知れないけれど)「こんな先生に習いたかった」ということである。
中学生のときでも大学生のときでも、どこかで高橋さんに生徒として出会っていたら、私はもう少しまともな文学研究者になっていたかもしれない。
教師にいちばん必要なのは、知識でも批評性でもなく、「愛」である。
というか知識も批評性もラディカリズムも、どれも「大いなる愛」がないと人を動かす力は持たないということである。
ソクラテスは「産婆術」ということを言ったけれど、高橋さんはその意味で「マザーシップ」の人だった。そのことがよくわかった。
「マザーシップ」(マザーフッドじゃなくてね)というネオロジスムに固有の含意については『東京ファイティング・キッズ』に書いたけれど、高橋さんは「文学のお母さん」であった。
それは最後の時間に、生徒たちが(おそらくほとんどの人が生まれてはじめて)書いた「小説(のようなもの)」について高橋さんが、厚みのあるゆったりした声で朗読し、それらの断片が潜在させている可能性のひとつひとつをピンセットで拾い上げるように、ていねいに光にかざし、その最良の部分を示してくれる手際において際だっていた。
そうかー、今の日本に決定的に欠けているのは「マザーシップ」なんだ・・・ということを私は深く深く得心したのである。
どう得心したのかについては、これから後、いろいろな主題について折に触れて書くことにしたい。
高橋さんほんとうにありがとうございました。
ウチダは半世紀にわたる長い蒙昧から今回ようやく少しだけ目が覚めました。
私は「おじさん」の看板をおろして、今日から「お母さん」になることにします。

集中講義が終わった足で池上先生との対談本の「部分取り」で、毎日新聞の中野さんと三宅先生ご夫妻と三宮の「伏見」へ。
おいしいお寿司をぱくぱく頂きながら、三軸自在と合気道の関連についていろいろとおしゃべりする。
高橋さんの講義の余韻がまださめない軽い躁状態なので、なんだかやたらと舌がよく回る。
9時過ぎまでおしゃべりをしてからあわてて家に戻る。
日本縦断徒歩の旅の途中で、兄ちゃんが来ているのである。
今回は呉から広島への旅。
日本人はどうしてこんなになっちゃったのか・・・ということについて兄弟でまたまた熱く語ってしまう。

兄ちゃんを送り出してから、「お母さん」としての最初の仕事はゼミと京大の集中講義のレポートの採点。
なんだかいつもよりずいぶん点が甘くなってしまった。
マザーシップというのは、別に「甘い」ということじゃないんだけど、まだ「新米お母さん」だから、やり方がよくわからないのである。
京大のレポートは三分の一くらいが「光岡先生の話を聴いて、ものの見方がまったく変わった」という感想を述べていた。
百聞は一見にしかず。
光岡先生の動きを見て、その温顔と驚嘆すべき知力と勁力に触れて、京大生諸君が「身体に対する敬意」を持ち始めてくれたというのであれば、岡山から遠路お越し願った甲斐があったというものである。
光岡先生、ほんとうにありがとうございました。お礼申し上げます。

高橋さん、三宅先生、兄ちゃん、(ヴァーチャル)光岡先生と、短い時間のあいだに強烈な個性と立て続けにコンタクトしたので、なんだかくらくらする。


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2004年08月03日

タカハシさん登場

高橋源一郎さんが神戸女学院にいよいよ登場。
高橋さんは灘の文芸部だったので、神戸女学院高校の文芸部と交流があって、高校生時代に(竹信くんらとともに)何度か岡田山を訪れたことがあり、爾来35年ぶりの Babylon revisited。
今回の集中講義のテーマは「明治文学史」。
『日本文学盛衰史』と『官能小説家』のタカハシさんに漱石や一葉を論じてもらうのである。
これは喩えて言えば、タイガー・ウッズにクラブの握り方を教えてもらうとか、ジョン・レノンにビートルズのコード進行を教えてもらうようなものである。
しかし、このレアな機会のほんとうの意味をわかっている学生院生が本学には20名ほどしかいない・・・というのがまことに切ない。
それでもM杉K子先生やI田Y子先生らコアな文学研究者が全身を耳にしてかぶりつきで聴講している。
初日は漱石論。
溝口健二の『虞美人草』(これはびっくり)と清水宏の『金色夜叉』(これは爆笑)を見てから、どうして漱石は映画になりにくく、尾崎紅葉は映画になっても(というか映画の方が)面白いのかという本質的な問いへと向かってゆき、「地上最強の批評装置」タカハシさんをナマで堪能する。
感動さめやらぬまま、一同歓迎の宴へ移動。
会場は、『ミーツ』今月号で山本画伯がサラダを食べている武庫之荘のイタリアン『グロリア』。
タカハシさんをM杉先生、I田先生、ナバちゃん、ジローちゃん、山本画伯それにウッキーというまことに「濃いー」メンバーで囲んで怒濤の会食となる。
5時に始まって、5時間にわたり談論風発鯨飲馬食。
話頭は転々、奇を究めて、とても筆舌に尽くしがたいのであるが、結婚話(とくに「ドバイの花嫁」話)で盛り上がった。
ちなみに、参加者のうち未婚のウッキーを除く7名で、結婚回数の総計が13回、離婚回数の総計(こういうものって足し算するものじゃないような気もするが)が10回、そして子どもがいるのが二人だけ・・・というかなり傾向的な集団なのである。
『負け犬の遠吠え』というようなものではなく、ほとんど『マンモスの咆哮』みたいな壮絶な展開であった(この座談を録音しておいて出版したらかなり売れただろうな)。
それにしてもご飯とワイン(画伯提供)がすばらしかった!

下の写真はタカハシさんを囲む、ジローちゃん、私、画伯。ナバちゃんは携帯カメラの写真のサイズが足りなくてアップできませんでした。ごめんねナバちゃん。

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二日目は樋口一葉。
本日の映画は美空ひばり(!)主演の五所平之助監督の『たけくらべ』(1955年)。
これがいかなる珍品かと思いきや、実にウェルメイドな傑作映画。
市川染五郎(現・松本幸四郎、まだ初々しいミドルティーン)が田中屋の正太郎。大黒屋が柳永二朗、信如の父が佐々木孝丸、美登利の姉が岸恵子(美しい・・・)、駄菓子屋のおばさんが山田五十鈴(怪演)、その他、中村是好、吉川満子、坂本武、山茶花究、桜むつ子・・・と錚々たる配役。
昭和30年は明治と地続きであり、ということは江戸時代とほとんど地続きであったということが、この映画を見るとよく分る。
タカハシさんの一葉論は『たけくらべ』と『蹴りたい背中』『蛇にピアス』の説話的構造の同一性、さらには驚くべき高橋家秘話へ、日記に隠された一葉の謎・・・と暴走を遂げ、あっという間の知的悦楽の数時間でありました。
でも、この講義を聞き損なった諸君も心配するには及ばない。
ちゃんと本になるからね。
さあ、明日はどうなるんだろう。わくわく。

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投稿者 uchida : 23:19 | コメント (0) | トラックバック

2004年08月02日

宝塚で源ちゃんとご飯

ようやく「夏休み」らしくなる。
ゆっくり新聞を読んで、洗濯をして、買い物にでかける。
三宮のジュンク堂でフランス語の会話本を買う。
CD7枚付きで9000円。
25日から3週間フランスに語学研修の付き添いで行くのであるが、私は日常会話の語彙が極端に少ない。
ゴキブリとかオタマとか鼻毛とか爪切りとか団扇とか、そういう単語を知らない。
知っているのは「先験的主観性」とか「それが意味することの取り消しを求めるシニフィアン」とか、そういうのばかり。
条件法過去完了や接続法の活用形もよく知っているのだが、そんなものはふつうのフランス人もよく知らないので、知っていてもしかたがない。
しかたがないので、「日常でよく使うフレーズ」を8時間分集めたCDを購入してきたのである。これを浴びるように聴いて、「フランス人なら誰でも言いそうなストックフレーズ」を無意識的に反復できるようにするのである。
こういうのはある意味でそのまま先方の「ものの考え方」まで刷り込まれることになって、洗脳みたいなもので、あまり好きじゃないのであるが、業務上これくらいは我慢しないと。
ついでにジュンク堂でマンガを大量に購入。
池上遼一の『スパイダーマン』の書評を朝日新聞で読んで、懐かしくなったので、探したらちゃんとあった。全五巻を購入。
池上スパイダーマンはまことに暗い。
ねころんでマンガを読んでいたらドクターが「いりこ」と「さわらのみりん干し」とスコッチを携えて来る。
お中元だそうである。
いりこを食べると尿酸値があがるんですけど・・・と「痛風友の会」ならではの会話がある。
そうこうしているうちに日が暮れてきたので、アロハに着替えて、宝塚ホテルに高橋源一郎さんのお出迎えにゆく。
2日から5日まで集中講義。
こんどの集中講義は録音編集して、総文叢書の第三弾として冬弓舎から出版する予定であることは既報の通り。
福岡競馬から飛行機で来た高橋さんを出迎えて、軽く和食で一杯。
育児書の話、中島らもの死の話から(中島らもは高橋さんの灘での2年後輩に当たる)、脳内のケミカル組成ががらりと変わる「ライターズ・ハイ」の高揚感、さらには「うなぎ(@村上春樹)=中間的なもの(@モーリス・ブランショ)説」などについて専門的なご意見を伺う。
高橋さんはこのあと朝までに太宰の『御伽草子』の文庫本の解説を書かないといけないそうなので、早々においとまする。
さて、月曜からの講義が楽しみだ。

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2004年08月01日

重慶から遠く離れて

重慶でサッカーのアジアカップが行われているが、観客の反日感情がずいぶん盛り上がっている。
昨日のヨルダンとのPK戦でも、日本選手が蹴るたびに大ブーイング、ミスすると大喝采。
国歌演奏に対してブーイングするというのはマナーとして納得がいかないとジーコ監督が批判的なコメントを出していた。
でも、サッカーで観客のマナーが悪いのはほんらいニュースになるような話ではない。
アウェーで応援するとき、サポーターは「命がけ」、熱狂的なファンに「負けたのはおまえのせいだ」と撃ち殺された選手もいるし、中米ではサッカーから戦争が始まったこともある。
サッカーの観客にマナーを期待するのははなから筋違いである。
サッカーというのはもともと「そういうもの」だし、だからこそ人類学的に深い必然性を持って機能しており、見る人を熱狂させもするのである。
今回の重慶では日本のサポーターが日本の勝利が決まって日の丸を取り出して歓声を上げたら、まわりの中国人観客がゴミを投げつけて「帰れ、帰れ」と罵倒をあびせたそうである。
この程度のマナーの悪さはアウェーなら許容範囲内のできことだろう。

問題は、サッカー観客のマナーの悪さにあるのではなく、中国が「アウェー」だということにある。
直接の原因として朝日新聞が挙げていたのは、昨年8月チチハルで旧日本軍が遺棄した化学兵器で死傷事故が起きたこと、9月に珠海で日本人による集団買春事件があったこと、10月に西安で日本人留学生が卑猥な寸劇を演じたこと、尖閣列島の領有問題など。そのたびに中国では大規模な反日デモが繰り広げられた。
さきの江沢民主席は、6年前の来日のときに歴史認識問題について執拗な言及を行い、結果的に日中の外交関係の進展に強いブレーキをかけた。
「日本軍国主義は両国人民の共通の敵だ」という懐かしいワーディングで歴史問題を論じたが、これはいくらなんでも隣国のイデオロギー的状況の認識としては単純すぎるだろう。
日中戦争の被害者数についても、1960年代までは被害者総数1000万人とされていたのが、80年代に2100万となり、90年代には3500万人になった。
日中間で「歴史認識問題」と呼ばれているものは、事実の水準の問題ではなく、主に政治の(あえていえば幻想の)水準の問題である。

02年に国家主席となった胡錦濤は、「歴史認識問題を一番重要とするのではなく、適切に位置づけるよう調整した」と明言し、江沢民の強硬姿勢を現実的な方向に転換した。
この政策転換は、江沢民の政治的影響力を排除するための、今度は胡錦濤の側の内政向けのマヌーヴァーでもあるわけだから、日本はこれを中国全体の政策転換の徴候と手放しで喜ぶわけにもゆかない。
中国はこれからも外交の現実的政策としては日本とのパートナーシップを重視してゆくだろう。それは中国外務省きっての知日派である王毅(六カ国協議の仕切りをみても、いかにも能吏)を駐日大使に任命したことからも推察できる。
その一方で、チベット、ウイグル、モンゴル、満州では依然として不穏な動きがあり、驚異的な経済長の裏では、深刻な社会的格差が生じている(沿海部の驚異的な経済成長に比べて、内陸部特に農村地域の所得は低い。貴州省の平均所得は上海の8%にすぎない)。
この所得格差で13億の国民に「国民としての一体感を持て」といっても無理である。
所得格差に顕在化した国内の分裂の動きを押さえ込むために江沢民は「禁じ手」のナショナリズムカードを切った。
そして、江沢民時代の集中的な「愛国・反日教育」の成果で、現在の20−30代は日本に対してかなりイデオロギー的にコントロールされた敵対感情を扶植されている。

個人的には不愉快なことだが、かりにもしこの反日教育のせいで、江沢民時代に中国国内の政治的安定が保たれたという事実があるとすれば、日本はそれによって不利益よりもむしろ利益を得たと考えることもできる。
私はむしろそういうふうに考えようと思う。
中国が統御不能になったら、どれほどのリスクを周辺地域は負うことになるか、これはほとんど想像を絶している。
中国が効果的に統治されていて、13億の人心が安定していること、これが日本人である私が隣国に望む第一のことである。
「反日教育」が中国国民の一体化「幻想」の涵養に資するところが大きく、結果的に中国国内の政治的安定に寄与するものであったなら、私はこれを支持しても構わない。
イデオロギッシュな反日教育の影響で日本人が中国人に憎まれる方が、中国が統治不能になるより、日本人にとってはずっと「まし」な事態だからである。

それに、重慶は歴史的にも「アウェー」だ。
サッカー場で日の丸振ったらゴミをぶつけられるくらいのことは重慶では、我慢しなくちゃいけない。
なにしろ日本軍が200回の空爆で26000人の市民を殺した街なんだから。
まさか、そのことを知らずにサッカーの応援に行った日本人はいないと思うけど・・・

投稿者 uchida : 12:51 | コメント (109) | トラックバック