BlogNagayaLinkaGuestsColumnsBooklistMovieSeminarBudoPhoto|Archives|Profile|

<< 2004年06月 | メイン | 2004年08月 >>

2004年07月31日

ごごごー。風が泣いてるぜ、ごごごーって、言っても知らないか、

たしか「夏休み」というものが始まったらしいのであるが、私には何の実感もない。
ひたすら忙しい。
台風が来そうで、外では轟々と風が吹いている。
机にしがみついて『東京ファイティング・キッズ』の初校を仕上げて、宅急便で送稿。
ただちにとって返し、『ユリイカ』の「はっぴいえんど」特集号の大瀧詠一論を書く。
こういうのはほんらい「締め切りなので必死に書く」という種類のものではないのだけれど、いつのまにか締め切りになってしまったのだから仕方がない。
大瀧詠一の音楽史の方法をフーコーの系譜学に連なるものとして評価するという趣旨の論考である。
最初は「大瀧は・・・」というふうに書いていたのであるが、どうもなじみがよくない。
結局「大瀧さんは・・・」と敬称付きにして、文体も「ですます」の敬体に直したら、筆の運びがよくなった。
身近な誰かに話しかけているような文体だと、ものごとの説明の仕方が微妙に違ってくる。
身近な分だけ説明が「ていねい」になると、それと同時に「大胆」にもなる。
「ま、ここだけの話だけどさ・・・」的な暴走が始まるからである。
インティメイトかつワイルド、というのが「リーダー・フレンドリー」文体の手柄である。
不思議なものである。
6時間ほど、息を詰めるようにして一気書きする。
約束は20枚だったのであるが、いつのまにか30枚を越してしまった。
考えてみたら音楽論らしきものを書くのは生まれてはじめてのことである。
音楽については、ディープでトリヴィアルな知識の持ち主がうじゃうじゃいるので、うかつな知識を披瀝するわけにはゆかない。
大瀧詠一ご本人でさえ、ラジオ放送のあとには「こんなことも知らないのか」という投書がくるそうであるから、世の中は広い。
まして、今回のお相手はコアなナイアガラーのみなさんである。
この方々が熟知している分野に足を踏み込んでは勝負にならない。
メディアに寄稿するときは、そのメディアの読者層が詳しい話題を意図的に「はずす」のが戦術上の基本である。
情報誌には哲学のことを書き、学会誌にはホラー映画のことを書き、哲学書には武道の術理のことを書いていると、誰にも咎められずに「言いたい放題」ができる。
そして、専門家からのツッコミを恐れてびくびく書くよりは、怖い者なしで言いたい放題に書いたものの方が(学術的厳密性はさておき)、生産的なアイディアを含むことが多いのである。
11時近くまで書き続けて、ようやく初稿が出来上がる。
やれやれ。
ワインを一杯頂いてから、『ホムンクルス3』を読みながら寝る。
外はまだ風が吹いている。

高橋源一郎さんのホームページにおもしろい記事があったので、ちょびっと転載させていただきます(高橋さん、いいですよね?)
高橋さんは韓国に行ってたのだけれど、そのときの話。

韓国には徴兵制があって、その期間は2年2カ月ほど。ということは、大学生は大学在学中にほぼ必ず軍隊に行くことになる。つまり、いったん入学して、軍隊に2年、それから復学して、卒業ということになる。ということは、恋人がいると、2年ぐらい別れることになるわけです(面会もできるが、もちろん、滅多にはできない)。よって、その恋人たちが、復学後、別れる率は90%以上。復学してみると、入学した頃の知り合いもほとんどおらず(しかも、ガールフレンドには振られ)、孤独な自分を発見して愕然とする、というのが「ふつうの」韓国人大学生なのだ。しかも、軍隊での2年間はすることもないので、徹底的に人生について考えてしまう。だから、復学した学生は、たいてい「暗い」し、同時に「猛烈に勉強をはじめる」のだそうだ。そして、卒業して社会に出る頃には、25歳か26歳になっているのである。つまり、韓国人大学生は国家の手によって強制的に「大人」にされてしまうのだ。そこで最近増えているのは、海外(アメリカとかで)で韓国人男子と知り合った日本人の女の子(大学生)が、その「大人っぽさ」に引かれて、韓国に留学し、そのまま結婚してしまう例だ。「幼い」日本人の男の子と比べて、韓国人の男の子は、格段に社会や他人に「もまれて」いるのである。「それって、みんな、獄中体験があるようなものですよね」というと、スヒャンさんは「そうです!」とおっしゃった。ぼくも拘置所に10カ月入って、出て来たら、当時のガールフレンドに「別れたい」といわれたことを思い出した。あれを、韓国人学生はみんな味わっているのか! 正直、「それなら、日本でも、徴兵制を敷いた方がいいですね」といいそうになりました。 


投稿者 uchida : 11:41 | コメント (1) | トラックバック

2004年07月29日

がんばれ兵庫県警

夏休みのはずだが、朝から大学へ。
フランス語海外語学研修のための出発前講習の開講のご挨拶である。
講義自体はフランス人のシェラス先生にお願いしてあるので、私はただ、「では開講します」というだけである。
なんでこんな五分ですむ挨拶のために暑い夏の日に朝から学校へ呼び出されるのかよくわからない。
でもおかげで集中講義に出講前の山本浩二画伯と会うことができたので、先日のコンサートおよび亀寿司のお礼を申し上げる。
ついでに学長室に寄って小寺さんとプチ密議。
学校の帰りにドクター佐藤を拾って、下川先生のお稽古へ。
ドクターは湊川神社の正謡会の舞台を見ているうちにむらむらと能楽がやりたくなってしまったので、今般下川社中に入門することになったのである。
ご挨拶をかねて、お稽古見学。
一月近く稽古が空いてしまったので、『巻絹』の仕舞の道順を忘れてしまう。
いつのも下川先生ならびしびし叱られるところだが、今日はドクターが見ているので、「じゃあ、はじめからやりましょう」とちょっとやさしい。
おばさまがたにご挨拶してから車のところへゆくと、兵庫県警が「駐車禁止」のステッカーを貼っているところにでくわした。
兵庫県警は不祥事が相次いでいて、意気消沈しているかと思いきや、公務に余念がないのは欣快の至りである。
交通量がほとんどない道幅のひろい道路の、無人の家の塀にぎりぎりに寄せて停めている車をわざわざ探し出し、それを48分間見張って、駐禁にするというようなきめのこまかい目配りは県警ならではのサービスである。
兵庫県警のますますの活躍を祈念しつつ、15000円をお払いする。
七月八月のお月謝、お中元、別会チケット、免状+駐禁の罰金で、下川先生のお宅に1時間半立ち寄るあいだに**万円使ってしまった(あ、めまいが・・・)
能楽を嗜む人がいまひとつ増えない最大の要因は「お金がかかりすぎる」ということである。
その根源にあるのは「家元制度」という収奪システムのせいなのである。
しかし、これを言い出すと角が立つので、やめておく。

ドクターを芦屋までお送りして家にもどり、「使った分だけ稼ぐ」という資本主義的にたいへん前向きな姿勢を回復して、大瀧詠一論の続きをばりばりと書く。
ばりばりと書くというよりはばりばりと聴く。
聴くといっても、『ロンバケ』とか『レッツ・オンド・アゲイン』を聴くのではない。『新春放談』や『日本ポップス伝』を聴くのである。
大瀧詠一というのは本質的に「語る人」である。
「語る人」は受け答えの響きのよい人を相手にすると、ぐいぐいドライブがかかってきて、ご本人が言う気のなかったことまで話し出す。
『新春放談』が20年続いているのは、山下達郎という絶妙の「聴き手」がいるせいである。
大瀧詠一はすごく「声がいい」。
声がいい人は、「自分の語っている声に自分で聞き惚れる」ということが起こる。
これはかのモーリス・ブランショのいうところの「私が語っているときに、私と同じことを〈私と名乗る他者〉が語っている」状態に近い。
こういうときには何か〈私ならざる〉非人称的なものが〈私のパロール〉に来臨する、というようなことが起こるのである。
これはほんと。

午後五時になったので、竹園ホテルのLa Rueに谷口さんとの待ち合わせにゆく。
谷口さんは大学院の聴講生であり、かつ合気道のお弟子さんであるが、今回は仕事の話。
谷口さんはこの四月から読売新聞の映画関係紙面に担当替えとなった。担当する『エピス』というフリーペーパーに秋から映画評を、というお話である。
連載仕事はきついので基本的にお断りしているのであるが、お弟子さんからの依頼とあれば断るわけにはゆかない。
それにこの仕事を受けると、映画配給会社全社の試写会のフリーパスがいただける。
ウチダはぜんぜん街に出ない人間なので、当然映画館にもぜんぜん行かない。
そういうことで映画批評など書いてよいのか、という叱責は松下正己ほか関係各方面から殺到しているのであるが、街へ出るのが、めんどくさいのである。
それに映画館は完全に「デートコース」と化しており、ほとんどカップルしかいない。
そういうことろで女の子に半チクな映画解説をしている男の声をきかされたりすると殴り倒したくなるし。
しかし、試写会なら、そういうこともあるまい(もっとあったりして・・・)。

投稿者 uchida : 09:13 | コメント (0) | トラックバック

2004年07月27日

炎天下、カレーで飛ばす二日酔い

ナメカタくんが神戸に来る。
二年ぶりである。
ナメカタくんは大学1年生のクラス、悪名高き45LIII9D(ヨンゴーエルサンキューディー)の同級生である。
1969年に東大の入試が中止となったことはよく知られているが、東大がスラム化しつつあった1970年に、開校以来最も成績の悪い学生たちが入学したという歴史的事実の方はあまり知られていない。
「良い子」のみなさんは東大を敬遠されて京大とか一橋とかに行ってしまったので、柄の悪いのばかりがその年駒場には集まったのである。
LIII9Dはその最悪の学年の中のさらによりすぐりの悪ガキクラスであり、私はどういう因果か、磁石に吸い寄せられるように必ずそういうクラスに入ってしまうのである。
そのクラスで私は久保山くんや浜田くんや伊藤くんや松本くんやトンペーくんや梶井くんやナメカタくんと友達になった。
きな臭い時代で、ずいぶん危ない目にも遭ったけれど、さいわい二人とも悪運が尽きず、無事五十路を越し、いやいやどうもどうも神戸も暑いねと三宮の源平で寿司をつまみつつ冷たいビールなどを酌み交わすことができる年回りとなった。
ナメカタくんは激動の銀行業界の人なので、いろいろとご心痛の種が尽きないらしい。
まあ、浮き世の憂さをはらってご一献ということRe-setに河岸を替えてさらに献酬したせいで、今朝は久しぶりの二日酔い。
ナメカタくんは朝から銀行員としてお仕事をされていたはずである。さぞや苦悶されたことであろう。すまぬ。

よろよろと起き出して歯医者へ。
治療中の奥歯は「あと少し持たせましょう」ということになり、へろへろの前歯は「こりゃ、ちょっと危ないかなあ」ということで治療開始。
歯と目は私の弱点である。
歯がダメで、目もみえないということは、野生動物であったら捕食行動ができないということである。
さいわい人間であるおかげで、飢え死にしないですんでいる。
でも、人間以外の哺乳類に生まれたら「もう死んでいる」という身体的条件のもとで生きさせて頂いているという事実はよくよくかみしめておいた方がいいと思う。
まことにありがたいことである。

よろよろと家にもどって「まるちゃんの天ぷらそば」(これについては後乗せサクサクか、先乗せグチャグチャのどちらが美味しいかについてドクターが長文の研究を報告されていたが、私は「先乗せグチャグチャ」+生卵投入派である)。
お腹がいっぱいになったら、眠くなってきたので(毎日これだな)ずるずるとベッドにはいずっていって山田風太郎の『くの一忍法帖』を読みながら眠る。
こういう本を読みながらぐうすか眠れるというのが「爺」になることの醍醐味である。
小学校六年生で忍法帖シリーズを親の目に隠れて読んでいるころは、もう興奮しちゃって目が閉じられなかったからね。
しかし、寝てばかりもいられない。
午後3時から自己評価委員会。
きもちのいいベッドから引きはがすように身を起こして、会議の仕込みをしてから炎天下大学にでかける。
会議は2時間。
会議は長くやっても得るところはないというのが私の持論であるので、定刻に始めて定刻に終えて、ソッコーで家に戻り、夏野菜カレーをつくる。
鈴木晶先生の日記を見ているうちに、発作的に辛あああいカレーが食べたくなったのである。
大蒜、タマネギ、パプリカ、オクラ、茄子、マッシュルーム、鶏肉をバターとベーコンとぐいぐい炒め、そこにカイエンペッパー、レッドペッパー、ブラックペッパーをばさばさ入れて、悶絶的に辛いカレーを作る。
うう美味しそうだぜ。


投稿者 uchida : 20:08 | コメント (3) | トラックバック

2004年07月26日

食本鬼の哀しみ

最初の夏休みらしい休日。
どこにもゆかなくてよいし、誰にも会わなくてよい一日を迎えるのは、ほんとうに何週間ぶりのことか。
とりあえずぐうぐう寝る。
のそのそ起き出して、森永さんのCDでアリアを聴きながら、まず掃除と洗濯とアイロンかけ。
オペラを聴きながら家事、というのはなかなかよい。
とくに『フィガロ』は家事のテンポによく合う。
家の中がきれいになったところでお昼ご飯を食べる。
お昼ご飯を食べたらお腹がいっぱいになったので、ソファーにごろ寝して『アイヴァンホー』を読む。
なんで、いまごろそんなものを読んでいるかというと、『ユダヤ文化論』のために中世ヨーロッパにおけるユダヤ人差別のメンタリティについて書こうと思ったときに、『アイヴァンホー』にアイザックとレベッカというユダヤ人親子が出てきて、すごく意地悪される話があったことを思い出したからである。
そのとき、「アイヴァンホー」って誰だっけ・・・?と記憶に巨大な空白があることに気づいて読み返すことにしたのである(タイトルロールのわりには影の薄いやつなんだよね、これが)。
読み出すと面白い。子母澤寛の任侠小説みたい。
そういえば、『若草物語』の中に、メグがリンゴを囓りながら『アイヴァンホー』に読みふけっていて、ジョーが呼びに行ってもなかなか本を手放さないというシーンがあった。
少年少女世界文学全集には小磯良平画伯のきれいな挿絵があって、そのせいで「リンゴを囓りながら『アイヴァンホー』を読んでいる女の子」というのは少年ウチダの久しい理想像だったのである。
不幸なことに(あるいは幸運なことに)リンゴを囓っている女の子にはその後の人生において何度も出会ったのであるが、その中の誰一人『アイヴァンホー』を読んではいなかったのである。読んでいたら、そのまま求婚していたであろうに。
黒騎士とロビン・フッドがアイヴァンホーの囚われているフロン・ド・ブーフの城を攻めているあたりで眠くなり、そのまま昼寝。
二時間ほど至福のgolden slumber を堪能したのであるが、起きあがるとさすがに半日でれでれしていたことが悔やまれ始める。
根が貧乏性なので、一日ごろごろするということができないのである。
そういえば、『他者と死者』のゲラも、『東京ファイティング・キッズ』のゲラもまだ手を入れていないし、大瀧詠一論もまだ書き上げていないし、次の自己評価委員会のための討議資料も作っていないし、ユダヤ文化論のノートも書けてないし、池上先生との対談のデジタルデータもそのままだし、『安達原』の謡の稽古もしてないし・・と「やってないこと」を数え出すとたちまち深い焦慮と悔恨の虜囚となり、あわてて机にしがみつく。

このあいだナバちゃんに「ウチダさんが使えるはずの時間とアウトプットのあいだにどうみても相関関係がない」とエイリアンを見るような眼で見られた。
別に秘訣があるわけではない。
貧乏性なので、ゆっくりひとつことをするということができないのである。
絶えず複数のことを同時にしていないと気が狂いそうになるのである。
例えば、私は本を読まずにご飯を食べることができない。
ひどい近視であるから、本を顔のそばに近づけないと文字が読めないのであるが、そうすると口元にご飯を運ぶ箸と本がバッティングする。
やむなく、一時的に本を遠ざけて、そのあいだに食物を口中に放り込み、あわてて本を引き寄せるのである。その間の1秒が私には耐えきれなく長い無為の時間と思えるのである。
もちろんトイレに入るときは必ず本を読む。
トイレのドアをあけてそこにある「置き本」をちらりと見て、「あ、これさっき読み終わったんだ」と思うと、それだけで後悔の冷や汗が出てくる。
あわてて書棚に駆け寄り、とりあえずトイレの中で読むべき本を探す。
しかし、私はトイレにはいるぎりぎりまで仕事をしている人間なので、トイレのドアを開いた時点で肛門周辺はすでに「緊急事態」になっており「あと10秒で本船は爆破されます、ナイン、エイト、セブン・・・」というカウントダウン状態に入っている。その状態でなお書斎にとって返して読むべき本を探しているのである。『エイリアン』でシャトル脱出直前に本船に戻って猫を探しているリプリーの心境である。
しかるべき本をゲットすると、そのまま脱兎のごとくトイレに駆け込み、無事に排泄と読書をすませ(所要時間30秒)、ふたたび仕事に戻る。
読むべき本のないその30秒が私には無限とも思える無為の時間なのである。
当然、電車に乗るときは必ず本を読む。
途中で読み終えてしまったときの絶望を考慮して、忘れず「控えの一冊」も持参する。
駅まで着いてから鞄の中に読む本がないことに気づいたりするとパニックになり、待ち合わせ時間が刻々と迫っていても、とりあえず近場の本屋に飛び込み、「電車本」を購入する。

本を読むときも本に「没入」なんかしていない。
そんな悠長なことをできるくらいなら「貧乏性」とは呼ばれない。
本を読みながら、原稿を書いているのである。
本を読んでいるとき、しばしば本を読むのを止めて、本を手にしたまま,口を半開きにして、中空を凝視している。
その凝視が数分続くこともある。
これは本の中のある一行に触発されて、脳のなかで轟々と渦巻いた妄念が脳内テキストファイルに記録されている状態なのである。
映画を見るときだって、映画に没入できない。
『悪魔のはらわたパート2』や『13日の金曜日パート4』を見ながら、頭の中では「アメリカホラー映画論」の草稿がばりばりと書き進められているのである。
どうして、こんなにせわしない生き方をしなければならないのか、われながら情けない。


投稿者 uchida : 10:30 | コメント (0) | トラックバック

2004年07月25日

無拍子に打つべし。打つべし。打つべし・・・ってギャグがわかるのは50代以上だけか

というわけで本日から晴れて夏休みになったわけであるが、簡単に休ませてはいただけない。
よろよろと起きあがって、洗濯をしてからPCを起こしてジャンクメールをばしばしとゴミ箱に棄ててからメールにご返事を書き、日記を更新。
お昼になったので、芦屋の体育館に走り込んで、一週間ぶりの合気道。
光岡先生と会った直後なので、まだ身体に「意拳の残り香」が沈殿している。
合気道の基本的な動きをしていても、「おお、これも意拳の理合にかなっている・・・」という気づきが随所に感知せらるるのである。
「正しいとき、正しい場所に、正しい形で入る」という光岡先生のことばは単に身体運用に限らず、人間のあり方についての実に汎用性の高い知見を語っている。
「正しいときに」というのが少し理解にむずかしい。
「かたち」を見て取るためには、便宜上動きを「停止」させて、その静止画像を記憶に取り込むことが必要である。
でも、それだと「時間」が捨象される。
例えば、演武を見て形を取るときに、いちばん重要なのはおそらくどのような「とき」にどのような動きをしているかということなのだけれど、動きの「形」を写し取って記憶に保存することに夢中になると、いきおい「とき」のデータは希薄になる。
「拍子」ということが伝書ではよく書かれているけれど、これは「相対的な時間意識」ということに言い換えられるだろう。
柳生宗矩の『兵法家伝書』にはこうある。

あふ拍子をあしし、あはぬ拍子をよしとす。拍子にあへば、敵の太刀つかひようなる也。拍子がちがへば、敵の太刀つかはれぬ也。敵の太刀のつかひにくき様に打つべし。つくるもこすも、無拍子にうつべし。惣別のる拍子は悪しき也。

たとへば上手のうたひはのらずしてあひをゆく程に、下手鼓はうちかぬる也。上手のうたひに下手鼓。上手の鼓にへたうたひの様に、うたひにくく、打ちにくき様に敵へしかくるを大拍子小拍子、小拍子大拍子と云ふ也。

「拍子が合う」というのは、主客がともに同一の時間意識の中にいるということである。
同一のフレームワークの中にいるのであれば、あとは神経反射の速さや筋肉骨格の強さの勝負になる。
「拍子をはずす」というのは、相手の時間意識とずらすということである。
時間の拍動が変わり、遅速が変わると、私たちはそのような動きをうまくとらえることができない。
もちろん人間には時間に直接手を触れて、それをいじる能力など備わってはいない。私たちがいじることができるのは、人間の時間についての「意識」だけである。
相手の拍子を取り、相手の「乗り」をカウントできれば、その拍子の拍と拍の「あいだ」に打ち込むことができる。

ポール・マッカートニーはロックベーシストとしてはじめて64分音符を演奏したことで知られている。
一小節を64拍に割れるプレイヤーと8拍以上には割れないプレイヤーの違いは、演奏時間の遅速にはかかわらない(どちらも一曲を演奏するのに要する時間は同じである)。
けれども、64分音符を演奏できる時間感覚と身体感覚をもつプレイヤーにしか作り出すことのできない「オフ・ビート感」(グルーヴ感といってもいい)を、そうでないプレイヤーは再現することができない。
だから、もしこの二人が同時に演奏したら、8拍以上に割れないプレイヤーは必ず拍子が狂ってきて、自分が小節のどの音符を今弾いているのかわからなくなる。
「上手のうたひはのらずしてあひをゆく程に、下手鼓はうちかぬる也」と柳生宗矩が言うのはそういうことだと私は思う。
身体と時間を精密に細かく使う稽古の意味がわかっている人はまだそれほど多くないけれど、あきらかにこういう精密な稽古の方が、騒がしい稽古よりは愉しそうである。

稽古を終えてからイワモト秘書の人生相談を受ける。
私に人生の指針を訊ねるというのはまことに無謀なことであり、できるだけそういうことはなされないようにと若い方々にはつねづねご注意申し上げているのであるが、大胆な若者である。
当然ながら、「男一匹、米の飯とお天道さまはついてまわるものである。ま、気にせず、がんがんやりたまえ」という人生熱血一本道的忠告をする。

将来についての「最適解」を現在の時点で知ることは誰にもできない。
完全無欠の人生設計を立てて「よし、これで未来永劫オッケーだ」と勢い込んで走り出てそのままトラックにはねられてあえない最期を迎えるということだって人生にはある。
先のことはどうなるかわからない、というのが未来についてのもっとも適切な構えである。
「先のことはどうなるかわからない」から刹那的な快楽に身を委ね・・・という人間は実は「先」というのが「現在の無限の延長」だと思って「先のことがわかっている」人間なのである。
「今日の続きはまた明日」と信じていればこそ、「今日愉しければ、明日も愉しいはずだし、今日苦しいことは、明日も苦しいはずだ」いう無根拠な推論にも安んじていられるのである。
この推論は、時間だけが彼らの周りで流れて行き、彼ら自身の価値観や美意識や政治イデオロギーだけはこの先も少しも変わらないという前提に立てば正しい。
でも、この前提は間違っている。
「未来がわからない」というのは、未来の世界がどうなるかわからないということではない(未来の世界はかなり近似的に推論できる)。
そうではなくて、未来の「私」が「いまの私」とは別人になっているので、そのとき「別人である私」の眼にその世界がどう見えるか想像できない、ということである。
2050年には日本の人口が9200万人になるということはわかっている。
けれども、「私」がその9200万人の中に含まれているかどうかはわからない。
人々は「世界は変わり、私は変わらない」と信じて、将来の生活設計や人生の最適解について語る。
話は逆なのだ。
世界の変化はかなりの確度で予測可能だが、「私」の変化はまったく予測不能なのである。

だから最適な将来設計というのは、「私がどのように変化しても、対処できるようなフレキシビリティー」を備えるということである。
ある種の社会的能力(たとえば運転免許とか外国語運用能力とか武道の免許皆伝とか)を身につけると、「それがないとできないことができる」という点では社会活動の可動域が広がる。
けれども「それがあるせいでできないこと」や「それを体得するために犠牲にしたこと」を考量とすると、トータルでは選択肢の幅を狭めている可能性もある。だから、単純に学歴や資格を身につけたりすることが選択肢を広げるとは限らない。
「私の可動域」を最大化するための選択肢は、結局ひとりひとり自分の感覚で選び出してゆく他ないのである。

などという説教をかましているうちに時間となり、あわてて花束を抱えて桜宮まで走る。
森永一衣さんのソロリサイタルがある。
森永さんはオペラ歌手で旧友山本浩二画伯のご令室。「細川でふぐを食べる会」ほか、画伯の仕切るさまざまな美食行事でつねにご一緒させていただいているせいもあって、森永さんというと、「コージさん、これ、美味しい!」と言ってにっこりしている顔をまず思い出してしまう。
ミラノと東京と武庫之荘を行き来して音楽活動をされているのであるが、今回は大阪でははじめてのリサイタル(以前にクリスマスに教会でミニコンサートをしたことはあったけれど)。
ナバちゃんも来ている。
ナバちゃんは「細川・・・」のメンバーである他、森永さんとは「末端冷え症」同士で、指先まで温かい赤外線靴下とかそういうディープな商品情報を交換し合う仲である。

始めは最初の大阪オーディエンスを前に少し緊張気味であった森永さんであるが、プログラムが進行するにつれて、喉の湿りがよくなってきたのか、全音域でぐぐっと声につやと伸びが出てきた。終わりの方のロッシーニやプッチーニのアリアでは渦巻くような倍音がホールを圧した。
高音の伸びもすばらしいけれど、ウチダは個人的には、身体にフィジカルにしみこむような中音域のゆったりとした声が好きだ。とくにプログラムとアンコールの最期の三曲がすばらしかった。

演奏会の終了後、いつものように楠山さんご夫妻、尾中さん(本日は奥様とご一緒)らと亀寿司中店へ。
中トロをつまんでぐいぐいビールを呑んでいるところに山本森永ご夫妻とピアニストの篠崎愛恵さんが追いついて、みんなで乾杯。
例によって例のごとく、にぎやかに大阪の夜が更けてゆくのでありました。

投稿者 uchida : 13:12 | コメント (0) | トラックバック

2004年07月24日

集中講義終了

京大の集中講義が無事終了。
いやいや、みなさま暑い中、お疲れさまでした。
みなさんも疲れただろうけれど、私も疲れた。
四日の講義を終えて、杉本先生と最後まで残ってくれた何人かの聴講生にご挨拶をしてよろよろとエレベーターを降りてドアがあいたら、そこにミヤタケが立っていた。
「おお、ミヤタケ。なんでキミがここにいるのだ」
「先生こそなんでここにいるんですか!」
なんか、同じような会話を同じエレベーターの中で二日ほど前にも交した記憶がある。
京大文学研究科のエレベーターは「どこでもドア」なのかしら。
そのままミヤタケとイタリアン・カフェでビールを飲み、パスタを食べることになる。
生酔いで熱暑の中、さらによろよろとなって芦屋にたどり着く。
さすがに疲れた。
私の与太話のどこが気に入られたのか、来年も集中講義に来て下さいと杉本先生にまたお願されてしまった。夏はちょっと懲りたので、次回は冬にしていただくことにする。
というわけで、2005年度後期の集中講義は「アメリカンホラー映画論」を予定しておりますので、ご用とお急ぎのない方は、また遊びに来てくださいね。

既報のとおり、一昨日の三日目は光岡英稔師範に来て頂いた。
“大番頭”の野上さんと“最近は京都支店長”の曽我さんに、こういう場面には必ずいる赤星くん、それに新人のヨシノさん(カメラマン)という大人数である。
5時間のワークショップであるが、まずは光岡先生をゲストにお迎えして、『徹子の部屋』的トーク。
私が
「先生の武歴はどのようなもので?」
「ほう、それで先生、ハワイにはいつ頃から?」
「王向斎というのは、どんな方だったんでしょうか?」
「『一形一意』ということの意味をもうすこし詳しくお話いただけますか?」
というような質問をさせていただくのである。
一般のみなさんが知りたいことと光岡先生が言いたいことの「ナカほどあたり」が「徹子」的司会者の立ち位置である。
トークのあとは中庭で1時間半ほど形体のお稽古。
アシスタントのみなさんはこの講習のためにお越し頂いたのである。野上さん曽我さんがてきぱきと動きを直してゆく。
しかし、どうも京大生諸君の身体はかなり破滅的に歪んでいるようである。
私もがんばったせいで太ももが痛くなる。いてて。
再び教室にもどって質疑応答。
意拳は人間ひとりひとりが蔵する潜在可能性の最大化のための体系であるということをながながと話したあとなのであるが、「K−1やプライドのリングで戦って勝てますか?」と質問が出て、光岡先生の顔に「マル子の縦線」が浮かぶ。
あのね、たとえば私が半日かけてレヴィナスの現象学についてみなさんにご説明申し上げたあとに、「何かご質問は?」とふったときに、「先生、それは大学入試に出ますか?」と訊かれたら、私がどのような徒労感に襲われるかわかるでしょ。
別に大学入試がどうでもよいことだと申し上げているのではない。
それはそれで人生の重大事である。
でも、いまは「そういう話」をしているのではない。
キミたちがふだん価値判断に使用している度量衡とは「違う度量衡」でなければ考量できない「力」があるのだよという話を半日したあとに、「で、その力はふつうの度量衡で測ると何キロくらいあるんですか?」と訊かれると、疲れるでしょ?
前に養老孟司先生から伺った話。
ある講演で、「これからはマニュアルなき時代であるから、自分で判断してゆかなければならないのです」ということを先生が2時間講演された。
そのあと、質疑応答の時間になったら、フロアから「先生、『マニュアルなき時代』を生きるにはどうしたらいいんでしょう?」という質問があったそうである。
養老先生は演壇から滑り落ちそうになったらしい。

あの話がわかってくれたんでしょうか・・・と光岡先生も一時はやや不安な面持ちであったが、そのあと杉本先生のご案内で室町あたりの割烹に繰り出しビールワインなどきこしめすと、一堂もそれなりに元気になって談論風発。二時間があっというまに経ってしまう。

光岡先生は私のその日の「ほうほう!」「おや、それで?」という打てば響くの「徹子風」受け答えが気に入って下さったらしく、「こんど、ウチダ先生と対談して、それを本にしましょうか」というご提案をしていただく。
まことにうれしいお申し出であるが、引き受けてくれる出版社があるだろうか・・・というようなことをここに書いておくと「うちでどうですか!」というようなことを言ってくる出版社があるかもしれないので、さりげなく、そうとだけ記しておくのである。

ともあれ、京大二十世紀学研究室の杉本先生、お手伝いしてくださった島さん、聴講してくださった学生院生の皆さん、助っ人に来て話題を盛り上げてくれた神吉くん、右田さん、楠田くんら「身内の皆さん」、そして光岡先生と内家武学研究会のみなさん、どうもありがとうございました。集中講義無事に終わりました。ウチダはしばらく寝ます。ぐー。

投稿者 uchida : 11:49 | コメント (2) | トラックバック

2004年07月21日

ランゲルハンス島の魔性の女

東京は39.5度を記録したそうであるが、京都も暑かった。
集中講義二日目は、セックスワーク論から始まって、メタ・コミュニケーションから「大文字の他者」(@ラカン)と「うなぎ」(@村上春樹)と「中間的なもの」(@モーリス・ブランショ)へずるずると流れて、どういうわけか「居着き」と『張良』(@漢書)の話。最後は黒田鉄山の民弥流居合のビデオで締める。
いったい、なんの講義なんだろう。
話している私にもよくわからない。
よくわからないけれど、話しているのが同一人物である以上、これらの牛がよだれを繰るようにでれでれと流れ出る小咄のあいだには何らかの内的連関があると考えねばなるまい。

昨日考えたのは、人間存在がフローの状態にあって、運動の自由を確保しているということは、おのれ自身のうちに「異物」があって、その異物となんとか身をなじませようとして、「身をよじる」ようにしてじたばたしているということではないか、ということである。

例えば、あなたの背中が痒いとする。
「ううう、痒いぜ」ということで、我慢できずにじたばたする。
手を背中に必死で伸ばし、身体をねじ曲げ、摩擦を求めて床を転げ回る。
こんな角度でよく手が曲がるな・・・と本人が感心するくらいに身体がやわらかく動く。
これは身体の外側から何か刺激があって、それに「反応する」というときの動きかたと違う。
外側から到来する異物に「対処する」という場合の運動と、内側にある違和と「なじむ」ために身をよじるときの運動は質が違う。
運動に動員される身体的リソースの数は、おそらく桁違いに「内側の違和になじむ」ための方が多い。

つまりはそういうことじゃないかと思う。
たとえば、精神分析的対話ではトラウマ的体験について語る。
トラウマ的体験というのは、比喩的に言えば「内臓の痒み」のようなものである。
「膵臓の裏側が痒い」というようなことになったとしても、そんなところ掻きようがない。
掻きようがないけれど、めちゃ痒い。
必死でそこらへんを掻きむしり、輾転反側するけれど、どうにもならない。
でも、どうにもならないんだからあきらめて静かにしてましょうというわけにはゆかない。
しかし、この掻きむしり行動やどたんばたん行動によって、周囲の人も「こいつは、どうやら背中やお尻が痒いんじゃなくて、どうにも手が届かないところが痒いみたいだ」ということがわかる。
周りの人にわかってもらえると、少しだけ症候は緩解する。
「わかる?痒いの。おなかの下の方の裏っかわあたりが、すげー痒いの。わかる?」
「おお、わかるわかる。わかんないけど、わかる。きっとあれだよ。ランゲルハンス島に何かが漂着しちゃったんじゃないかな」
「そ、そうかな」
というふうに話が展開するわけである。
つまり、この「内臓の痒み」を奇貨として
(1) 言語化できない内的違和感を近似的に言語化し、他者とのコミュニケーションの回路を立ち上げる
(2) 内的違和に身をなじませるために七転八倒して、身体の可動域とフレキシビリティを最大化する
ということが到成せらるるのである。

どちらにしても「内臓の痒み」には最後まで手が届かない。
けれども、内部に抱え込んだ痒み=トラウマに身をなじませ、それと共生する方法を必死で探るうちに、人間はいつの間にかその言語運用能力と身体運用能力を飛躍的に向上させている。

内部に違和を保持すること。
村上春樹が「うなぎ」を呼び出すのも、ブランショが「ひとつのことを語るには二人の人間が必要だ」というのも、帰するところは、同じことではないだろうか。

黒田鉄山は「到達できない術技の境域」「実現できない身体運用」というものをいわば「虚数」としてその身体の中に抱え込み、それとの違和に苦しむことで、おのれの術技の継続的な向上を担保している。

どのようにしてこの「内的違和」や「虚数」をアクティヴの状態に保ち続けるか。
みなさんが考えているのは、どうもそういう問題のような気がする。
だから「話を簡単にしちゃダメ」とさいぜんから申し上げているのである。
絶えざる前言撤回によって、漸近線的には近づくけれど、決して十全には記述できない何かが「わがうちにある」という違和感、つまり「隔靴掻痒」性こそが人間を人間たらしめている根源的な要件ではないか。
ウチダは酷暑の京都でふとそんなことを思いついたのである。

講義の途中で、吉田Joくんにエレベーターの中でばったり会う。
Joくんは日比谷高校のときの同期生であり、69年に京大を受験に来たときには、飛び交う火炎瓶からいっしょに逃げ回った、業界ではいちばん古い友人である。
そのJoくんがなぜか前日から私に連絡をとろうとしていた。私からメールの返事がさっぱり来ないので困惑していたところに、目の前にぬっと私が登場したのである。その驚きやいかに。
「どうしてウチダくん、ここにいるの!」
「集中講義」
ということでお話を伺うと、秋の仏文学会で一仕事手伝って欲しいということである。
仏文学会には編集委員の年季奉公が明けてから一度も行っていないし、今年の秋の学会も行くかどうか決めていなかったけれど、他ならぬ吉田くんの頼みでは断るわけにはゆかない。
「いいよ」
と即答して講義に戻る。
げ、また仕事を増やしてしまった。

講義終了後、杉本先生にご挨拶してから京阪三条へ。
釈先生と本願寺出版のフジモトさんとウッキーと晩ご飯という、なんだかよく趣旨のわからないイベントである。
こちらは暑さと疲れで、ぼろ雑巾のようにくたくたであったが、カルビアーノのイタリアンをぱくぱく食べているうちにだんだん元気が回復してくる。
驚くべきことに、フジモトさんとミヤタケ(敬称略)は大学の写真部の先輩後輩であることが昨日発覚した。
ミヤタケ情報によると、フジモトさんは大学時代は「魔性の女」と言われていたそうである。
「いまでもそうですか?」とミヤタケに訊かれたが、こういう質問に答えるのはなかなかむずかしい。
「おお、すごいぜ」というわけにもゆかないし、「え、そうなの?どこが?」というわけにもゆかない。
しかたがないので「うーむ」と唸ってしのぐ。
「ミヤタケって、学生時代どんなでした?」とウッキーが質問すると、フジモトさんは「よく知らない」と答えていた。
なかなか含みのある「よく知らない」であったので、ウッキーと私は深く頷く。

『インターネット持仏堂』は本願寺出版から新書版で上下二巻にして出ることになりそうである。
装幀は山本画伯にアイディアを頼んでいる。採用されると、画伯のデザインがシリーズ全体に使われることになる。
本願寺信者1000万人であるから、この方々が全員700円の本を二冊お買い上げ頂くと、私と釈先生のところには巨額の印税が転がり込む段取りである。
「ははは、ではベンツをダースで買いますか」
と二人はすっかり上機嫌。
会食は釈先生のご招待であった。
釈先生ごちそうさまでした!


投稿者 uchida : 11:46 | コメント (3) | トラックバック

2004年07月20日

『お早よう』再見

京都大学の集中講義が始まる。
四日間で15コマというハードなお仕事である。
ウチダをお呼び下さったのは京大文学部の20世紀学専修の杉本淑彦先生。
「20世紀学」というのがどういう学術領域なのか字面からでは判然としないが、杉本先生のご専門はフランス社会史。表象と記憶とナショナリズムの絡み合いというなかなかわくわくする分野でお仕事をされている(最近は、日本の戦争映画の研究をされているそうで、『ハワイマレー沖海戦』とか『回天』といったマニアックなビデオがずらりと並んでいた)
お目にかかるのははじめてだが、たいへん温厚でフレンドリーな方である。漫画と映画が大好きなもの同士なので、その話でたちまち熱いトークが始まる。
今回の集中講義のテーマは「超-身体論」。
「身体論を超えて」ということだから、べつに身体に関係しなくてもよろしいのである。
この一二年考えているあれこれのとりとめのない主題について、小咄をいくつかつなげて、学生さんたちが狐につままれたような顔をしているうちに、「お後の支度がよろしいようで・・」とすたこら退散する予定である。
初日は「交換とコミュニケーション」の話。
午前中は、「知的酸欠状態を生き延びるための、肺活量の増大」について自説を展開する。
午後は交話的コミュニケーションの話。ヤコブソンの定義を紹介してから、「百聞は一見に如かず」で小津安二郎の『お早よう』をごらんいただく。
まことによくできた映画である。
40人ほどの学生さんたちのうち小津映画を見たことがある方は二人だけ。
日本映画の巨匠といわれている小津の映画だから、さぞや仰々しい芸術映画だと思って敬遠してきたのであろう。
その誤解を払拭しただけでも、この集中講義の効用はなかば達せられたと申し上げてよいかと思う。
みんなくすくす笑って見ていたが、平一郎と節子の駅頭の「良いお天気ですね」には爆笑。
これが映画史上に残るラブシーンである所以をそのあととくとくと説明する。
『お早よう』を見るのは、10回目くらいであるが、毎回新たな発見がある。
今回発見したのは二点。
ひとつは節子が子どもたちを探して平一郎のアパートに行くとき、玄関先で立ち話をする節子(久我美子)のコートと、背中だけ見える加代子(沢村貞子)のスカートが「同じ柄」だということ。そればかりか、平一郎を含めて三人とも「緑色の服」を着ている。
これはおそらくこの三人が遠からず親族関係で結ばれることを図像的に暗示している。
もうひとつは、この映画の「裏主人公」が次男の勇ちゃん(島津雅彦)だということ。
この子役のあまりに愛くるしい顔かたちに騙されてしまうけれど、勇は「最悪の人間」なのである。
彼は長男実(設楽幸嗣)の欲望を模倣するだけの鏡像的存在であり、それゆえ想像界の住人に固有の暴力性と反秩序性を色濃く刻印されている。
勇は左右のフックを繰り出す威嚇的な身振りを全編で繰り返し、映画のラストでは観客に向かって二丁拳銃を抜いて撃ってみせる。
ガス橋のかたわらでは立ち小便をし、その手を洗わぬままにご飯を手づかみで食べ、薬罐の水を手のひらでうけて飲む(実はやかんの蓋をお茶碗代わりにして、ご飯もいちおう「おにぎり」型にしてから口にする)。
そして、繰り返し彼が口にする「アイラブユー」のリフレイン。
模倣、暴力、エロス。そのすべての点で勇こそは「秩序にまつろわぬもの」すなわち「童子」の原型であり、この反秩序のかたまりのような幼児を馴致し、開明してゆくことの絶望的な困難さがエディプスの重い課題として暗に提示されてもいたのである。

今日はこれから二日目の講義。
明日は光岡先生が来られるから、コミュニケーションと交換の話からするすると武道的身体運用に話題をシフトしないといけないのであるが、このつなぎがなかなかむずかしい。
いかにして身体感受性を「フロー」の状態に保つかという話をして、「居着き」の話題に振って、それから午後の映像タイムには黒田鉄山の民弥流居合のビデオをごらんいただく予定である。
明後日は、それを承けて、コミュニケーションと武術的身体を統合する「死」のテーマに収斂して、最後はヒッチコックの『ハリーの災難』で締めるのである。
おお、これはなかなか練った構成だな。
このネタで当分集中講義には困らないぞ。

投稿者 uchida : 08:24 | コメント (7) | トラックバック

2004年07月18日

『物質と記憶』

ベルクソンの『物質と記憶』を読む。
たいへんに面白い。
ベルクソンという哲学者は、若い人たちの間ではあまり人気がないけれど、それはこのおじさんが徹頭徹尾「常識の人」だからである。
まことに「常識的」なことを、あきれるほどに精緻な学術的論証を積み重ねて検証するのである。
遠くモンテーニュから始まって、アラン、アナトール・フランス、ベルクソン・・・とフランスにはこの手の「該博な学識を駆使して、『当たり前のこと』を語る」知性が存在する。
若い頃に読んだときはぜんぜん面白くなかったベルクソンであるけれど、五十路を過ぎて読むとなかなか面白い。
『物質と記憶』は、観念論と実在論の極端な主張をおしとどめて、「ま、そうそうつっぱらずに、どうですここはひとつナカとって、表象よりは現実的で、事物よりは幻想的な、事物と表象の中間にあるものを『イマージュ』と呼ぶことにしては・・」という妥協を策したものである。
こういう「ナカ取って」というようなことをなかなかここまではっきりと口には出す哲学者はおらない。

そんなベルクソン先生の面目が躍如たるのは記憶の話。
どうして、大人になるとこうも物忘れが激しくなるのか、思い悩んでいたのであるが、先生によれば、これがまるで心配には及ばなかったのである。
先生のご意見はこうだ。

「たいていの児童に、自発的記憶が異常に発達しているのは、まさしく彼らがその記憶力を行動と連携させないところからくる。彼らはその場その場の印象を追うのが常であって、彼らにあっては行動は記憶の指示に従わないから、逆に彼らの記憶は行動に制約されない。」(『物質と記憶』、田島節夫訳、白水社)

私も覚えがあるが、子どものころは有用性というようなことを考えずに、なんでも記憶してしまう(私はプロ野球に興味がなかったのに、西鉄ライオンズのスターティングメンバーの打率を記憶していた)。
私たちがぜひとも記憶されるべきものと、どうでもいいものを差異化するのは、ある種の記憶を繰り返し甦らせることが生存戦略上有益であることが経験的に確証された「後」になってからのことである。

「子どもの方が容易におぼえるように見えるのは、彼らの想起がそれだけ弁別を伴わないからにすぎない。知能が発達するにつれて、一見記憶力が減退するのは、したがって、記憶と行動の組織化が増大するところから来る。そういうわけで、意識的記憶力は鋭さにおいて得るだけ、広さにおいて失うのである。」

なるほど。
私のような劫を経たおじさんになると、名刺を交換して仕事の打ち合わせをした方と、五分後に廊下ですれ違ってお辞儀をされても「誰だっけ?」と困惑するような極端な「記憶力減退」を病んでいる。
名誉のためにあえて名を伏せるが、同僚の先生はあるとき今津線の中で見知らぬ学生に話しかけられた。「ああ、うちの学生なんだな」と適当に相づちをうち、そのまま門戸厄神で降り、通学路を並んで歩き、正門をくぐり、坂を上ったが、学生がまだついてくる。JD館に入り、研究室のドアをあけてもまだそのままついてくる。なんと図々しい・・・と思ったら、自分のゼミの学生だった、ということがあるそうである。
まあ、ご同輩たちも私とだいたい似たり寄ったりということである。

ベルクソン先生のお説によるならば、どうやら、それは私たちが人と出会ったときに、その人とのかかわりが今後の私の行動にどのような連携を有するか、そこからどのような利益が期待できるかを考量し、「使う予定のない記憶」に脳のメモリーを喰わせないために記憶をどんどん「ゴミ箱」に棄てているからなのである。
忘れられた方たちの存在は「使う予定のない記憶」に類別されたということである。
まことに気の毒である。

だが、おじさんたちの記憶力減退を責めるよりも、みなさん方が「ぜひこの人と連携してゆきたい」という志向を喚起するというしかたでおじさんたちの記憶力を行動的に制約する方向に努力されてはいかがかと思う。
「これほど頻繁に会っているのに、どうして私のこと忘れちゃうんですか!」と私をなじる人がときどきおられるけれど、そんなことはない。私はちゃんと記憶している。その方と会うたびに、私の用事がふえ、私の時間が削り取られることを記憶しているからこそ、私は記憶からそのつどあなたの名前を消しているのである。
会うたびに私の用事が減り、私の悩みが解決するなら、私はけっしてその人の名前を忘れることがないであろう。

投稿者 uchida : 17:29 | コメント (1) | トラックバック

座頭市な日々

『街場の現代思想』のパブリシティのあり方について苦言を呈したところ、ミシマくんからメールが来た。
彼には彼の切ない事情というものがあったのである。
ウチダの一方的な言い分をのせてしまって申し訳ない。

その1
社内的には、コピーは比較的好評で(中には大絶賛してくれる人もいたり)したし、ミシマくんにはそれなりの成算があった上での選択であったそうである。
コメントにも「ナイーブな読者さん」からコピーの成果についての証言があったので、これについては陳謝させていただきたい。

その2
ミシマくんは、名前の下のスペースに肩書きを入れようとしてくれたのだが、「レイアウト上(隣の書籍とのバランスを考慮して)、ダメだと営業から言われたのです。何度交渉してもダメでした」ということであった。
そうか、そんなにがんばってくれたのか、ミシマくん、ごめんね。悪いのは営業なんだ。

東京都内でも、ずいぶん本探しに手間取った方々がいたようである。
浜松のすーさんも本が手に入らず、アマゾンに頼んだら「4-6週間かかります」というご返事だったそうである。
なんだか気の毒である。

たいした本じゃないんだけれど、それでも「読みたいのに読めない」というときのいらいら感はよくわかる。
去年デヴィッド・リンチの『ツインピークス』のTVシリーズを見始めたとき、続きが見たくて気が狂いそうになり、雨の中TSUTAYAを走り回ったことがある(結果的には香川の守さんがLDをどかんと送ってくれたのでなきを得たのである。守さん、その節はありがとうございました)。
先日、兄ちゃんも『冬のソナタ』の続きがみたくて、気が狂いそうになり、千代田区のTSUTAYAにまで在庫の確認の電話をかけたそうである(お住まいは世田谷区なのに)。
私も先日新幹線の中にトレヴェニアンの『ワイオミングの惨劇』を忘れてしまった。
中央線に乗り換えてから、続きを読もうと思って鞄から取り出そうとしたときに、新幹線の座席の前のネットのところに押し込んだまま出てきたことを思い出した。
それほど面白い本だとも思っていなかったのだけれど、「読みたいけれど読めない」という状況になった瞬間にこめかみが熱くなるほど読みたくなってきた。
人間というのはそういうものらしい。

マーロン・ブランドが死んだので、アマゾンでマーロン・ブランドの映画で未見のものを大量に発注する。
前から見たかった『ミズーリ・ブレイク』もDVD化されている。
『キル・ビル』のDVDを買ったので、エンドクレジットをじっくりスローで再生していたら、やっぱりspecial thanks to のところに Shintaro Katsu の文字があった。
そうじゃないかと思っていたのだ。
『キル・ビル』は深作欣二に捧げる映画だけれど、三隅研次『子連れ狼・三途の川の乳母車』(製作勝新太郎)からも大きな影響を受けている(『子連れ狼』シリーズはShogun Assasin という英題でロジャー・コーマンの手で公開されてアメリカで大ヒットしたのである)し、ユマ・サーマンの青葉屋での立ち回りにはあきらかに『座頭市二段斬り』の殺陣が流用されている。
そうなってくるとやはり『座頭市』全巻がDVDで出ている以上、これも買わないと・・・ということになって発作的にアマゾンに発注してしまう。
どかどかと荷が着いたので、まず『続・座頭市物語』を見る。
思い出しましたよ。
1962年頃、私は大映のプログラムピクチャーが大好きな変な中学生で、『眠狂四郎』と『座頭市』と『忍びの者』と田宮二郎の『犬』シリーズだけは(親の目を盗んで)隣街の鵜ノ木安楽座まで見に行っていたのである。
だから『続・座頭市物語』もリアルタイムで見ているのである。40年ぶりに見る。
これは天保水滸伝の後日談。
座頭市が飯岡の助五郎(柳永二郎)を斬ってしまうのである。
続いて『新・座頭市物語』。これも子どものときに見ている。
小津安二郎映画でおなじみの須賀不二男が出ている。彼の演じる「安彦の島吉」がすばらしい。アカデミー賞助演男優賞ものである。
大映はキャスティングが濃い。
『座頭市千両首』は島田正吾が国定忠治で、赤城山中にて小松五郎義兼を撫しながら、座頭市相手に大芝居をする。
私たちの年齢はこの「赤城の山も今宵限り」という台詞をそらで言える最後の世代であるが、それは三木のり平の江戸むらさきのTVCMと植木等の『面倒みたよ』の刷り込みのせいであって、島田正吾の忠治を私はこの『座頭市千両首』でしか知らないのである。
しばらくは「座頭市二本立て」の夜が続く。

投稿者 uchida : 12:19 | コメント (2) | トラックバック

2004年07月17日

コピーライティング心得

朝刊を開いたら『街場の現代思想』の広告と目が合ってしまった。
なんだかずいぶんでかい活字で
「教養がないこと」に気づくところからはじめよう!
というコピーが打ってある。
あのね、ミシマくん。
そんなこと言われて「あ、オレ教養がないかも、じゃ、この本買おうかな」と思うようなナイーブな読者がこの世にそれほどいるであろうか。
私は懐疑的である。
だいたい「いまこそ・・・でなければならない」とか「・・・しないと、あなたも時代に遅れる」というような文型がセールスコピーの定型だったのは、1980-90年代バブルの時代の話だ。
そういう強迫的な「キャッチアップ幻想」で消費者の欲望を喚起することができた時代はもう終わっているし、終わらせなければならない。

それに私の名前のところに「神戸女学院大学教授」の肩書きがない。
私は本務に割くべき時間と労力のかなりを犠牲にして(ゼミに遅刻するなどして)執筆活動の時間を確保している手前もあって、大学淘汰の時代を生き延びようとしている神戸女学院のパブリシティに一臂の力をお貸しして、その分の「借財」をご返済したいとけなげに念じているサラリーマンである。
そこのところの「せつない宮仕えの立場」というものをご理解していただきたい。
スペースがあれだけ空いているんだから、「神戸女学院大学教授」くらいの文字数なら入れたって、いいじゃない。減るもんじゃなし(減るか)。

私がジュンク堂と紀伊国屋書店のために書いたネコマンガに付したコピーは「買ってね」「読んでね」「面白いよ(ほんとだよ)」というシリーズである。
まるで芸のないコピーではあるが、著作にたいする愛着のにじみ出たなかなか名コピーではないかと思う。
というわけでNTT出版には、次に広告を打つ機会があったときには私が考えた次のコピーを採用するようにお願いしたいと思う。
「四の五の言わずに、書店に走れ」
強迫的というより脅迫的コピーだな。
でも、ちゃんと七・七になっている。
「四の五の言わずに」は八拍だけれど、日本語の七拍というのは(前にも書いたけれど)、ほんとうは八拍だからよいのである。
「勝った負けたと騒ぐじゃないよ」(これは七・七)
というのは文中の副題だが、これは水前寺清子からクレームがつくな。
「越すに越されぬバカの壁」(これは七・五)
というのも気に入っているコピーなんだけど、これも新潮新書からクレームがつきそうだ。
「子どもより、大人がえらいと、思いたい」
というのはどうかね。太宰治からクレームがつきそうだけれど、『桜桃』のコピーライツはもう消滅してるのかな。

とまれ、ミシマくんの献身的な営業努力により『街場の現代思想』は売れ行き好調である。
ミシマくんのチョー楽観的な見通しによると、来週には重版になるらしい(ほんとかしら)。
でも、12日に東京でお買い上げ行動に走ったある読者の方からの報告によると、昼休みに青山BCに行ったらもう売り切れで、「ジュンク堂に行ったら残っているかもしれません」と店員に告げられたそうであるから、あながち「チョー楽観的」とはいえぬかもしれない。
鹿児島のヤナガワくんからは、「キャラメルの箱みたいで、かわいい装幀」というコメントも頂いたことだし。

投稿者 uchida : 10:21 | コメント (3) | トラックバック

2004年07月16日

今日も熱いぜ

文献ゼミの試験が終わって、これで学校はおしまい。
来週からは集中講義で、それが終わると夏休みだ。
やれやれ。
出版企画委員会に呼ばれて「高橋源一郎本」の企画と進行状況はどうなっておるのかと訊ねられる。
「高橋さんと会ってから相談します。ははは、出たとこ勝負ですよ」と笑って受け流したが、内心私もちょっぴり不安。だいじょうぶかしら。
いちおうの心づもりでは、高橋さんが講義してくださる日本文学史のメインのお話は別の出版社から出るはずなので、それとかぶらないような、周辺のお話を拾って一冊にしようというものである。
つまり、あちらが「表本」なら、女学院ヴァージョンは「裏本」。
両方併せて読むといろいろなことがわかる、という仕掛けにしておけば、全国の高橋源一郎ファンがあらそって女学院本を買ってくれるはずである。
編集コストを冬弓舎の内浦くんに少し引いてもらって、その分印税で戻してもらうことを画策している。
もともと学科の出版助成予算は「売れない本の支援」のためのものであって、本が売れて印税が大学経理に戻入される可能性というものを想定していない。
しかし、実際には総文叢書の第一弾『知の贈り物』はけっこう売れてしまい、重版となってからは印税収入が発生して、大学経理へお金が環流したのである。
高橋本の売り上げはそれの比ではあるまい。
五万部、十万部という売り上げだって夢ではない。
となると、経理課には印税の戻入がざくざく・・・ということになると、
「おおこの財政難の時代にお金を稼いで送金してくれるとは、なんと親孝行な総文の教師たちであろう!」
というようなフレンドリーなことばが理事会から頂けるのも夢ではない。
残念ながら、学内的諸事情によって、理事会のみなさんが出版企画の委員長石川先生(理事会と熱く戦う元・組合執行委員長)とウチダ(理事会改革をうるさく呼号する現・自己評価委員長)に対してフレンドリーにしてくださる可能性はあまり期待できないのであるが・・・

委員会のあとは教授会。
何もなければ、途中で抜け出して京都まで加藤典洋さんの桑原武夫賞の受賞パーティにでかけるつもりでいたのだが、人事教授会でいささか聞き捨てならぬ論件が議題にのぼる。
黙って原案のまま採決に持ち込み、そのままソッコーで山を下りて新快速に乗れば、ぎりぎりでパーティの途中くらいには間に合う時間なのだが、どうにも我慢しきれず挙手して発言を求めてしまう。
案の定、私の不穏当なる発言がきっかけで教授会はいささか険悪な雰囲気となり、こちらも言い出した手前、引っ込みがつかなくなった。
結局、採決で私の動議とそれをサポートしてくれた松田先生の修正案が採択されたのであるが、パーティはもう無理である。
加藤さん、ごめんなさい。

投稿者 uchida : 20:05 | コメント (1) | トラックバック

意地張り男の夏スーツ

授業最終週となり、ひとつまたひとつと前期の科目が終わってゆく。このカウントダウンはなかなかよろしいものである。
夏休みになると、もうスーツを着なくてよいというのがうれしい。
大学教員というのは服装の自由がかなり認められているが、私は自らに課したルールとして、教壇に立つときは必ずスーツにネクタイと決めている。
カジュアルな格好で教壇に立つと、なんだか足下がスースーして不安になるのである。
この間、ウッキーの教育実習に行ったとき、高校の校舎に入るときにスリッパに履き換えさせられたのがすごくいやだった。
スーツにスリッパというのは「中年男の脇の甘さ」を図像的に表象しているような気がするからである(ジャージーに革靴というのも、そうだね)。
だから、イタリアンスーツに、磨き上げた靴、仕上げに「エゴイスト」をまぶして教室に行く。
全身から「なめたらあかんで」という戦闘的なシグナルがばしばし発信される(ような気がする)からである。
同僚の中には、かなりラフな格好をしている人がいる。
申し訳のようにネクタイを首にまきつけた「これでよかんべ」的な姿を見ると、なんだかもの悲しくなる。
私が学生だったら、教壇に立つ人はそれなり「気合いを入れて」いただきたいと思うだろう。
自分たちの前に立つためにこの人はそれなりの時間をかけてスーツを選び、シャツを選び、ネクタイを選んでここに来た、というのはわずかなことだけれど、学生たちは直感的にわかる。それが自分たちに対する一種の「敬意の表現」であるということもわかると思う。
しかし、暑い。
来週も集中講義があるから、あと四日間はいちおうそれなりの格好をしなければいけない。でも、そのあとは二ヶ月、半ズボンとアロハとゴムゾーリで過ごそう。

『現代思想のパフォーマンス』がさらさらと終わる。
20%まではゆかないが、かなりの量を削減。ラカンのところを中心に少し書き加える。
これで一丁上がり。
さて、ひとつ仕上がったから、週末は集中講義用のノート作りだ。
このノートをそのまま秋の朝日カルチャー・センターで使い回して、それをさらに『レヴィナス論第三部・時間/運動/記憶』に流用しようという「一石三鳥」計画なのであるが、果たしてそううまくゆくであろうか。
基本になるアイディアは「記憶は運動性のものである」というものなのであるが、どういうふうになるのか、まだよくわからない。
プルーストの『失われた時を求めて』に、マドレーヌを食べたら少年期の日が甦ったとか、けつまずいたらベネチアの石畳を思い出したとか、そういう話があった(ような気がする。遠い昔のことなので忘れた)。
それをネタにしようと考えているのであるが、うまくまとまらなかったら、そのままご放念ください。

投稿者 uchida : 10:13 | コメント (2) | トラックバック

2004年07月15日

『現代思想のパフォーマンス』改稿中

大学院の宴会を無事に打ち上げて、学期末宴会シリーズは無事終了。
さっそく本格的に仕事に取りかかる。
まず7月末締め切りで放置してあった『現代思想のパフォーマンス』の改稿作業。
これは難波江さんとの共著で2000年に松柏社という英米文学関係の本を多く出している出版社から出した本。
どうせ売れないだろうということで、2800円という法外な値段をつけられてしまった。
値段は高いし、著者はふたりとも無名だし、会社は別に宣伝もしてくれないので、2000部刷ったけれど、もちろんぜんぜん売れなかった。本屋さんでも見かけたことがない。
山本浩二の装幀ですばらしく美しい本だったんだけどね。
書評でも『英語青年』以外ではほとんど取り上げられなかった。

でも、最近岩波から出た「一冊でわかる」シリーズの『ポスト構造主義』(キャサリン・ベルジー、折島正司訳、2003)の「あとがき」のところに、訳者の折島さんが「日本で書かれたポスト構造主義解説本」の第一に挙げてくれた。

「まずは難波江和英・内田樹の『現代思想のパフォーマンス』。『現代思想のパフォーマンス』という題からも、『これはマニュアル本ではない』という帯の文句からも、この本の著者たちが『わかる』ことより『する』ことがだいじと考えていることがわかる。だがこの本はよくわかる。特にラカンを論じる章がよくわかる。ラカンを読んでから内田樹を読むよりも、内田樹を読んでからラカンをお読みになることを、強くお薦めしたい。」

と、強くお薦めしていただいたのである。折島先生、どうも、ありがとうございます。
「よくわかる」本を難波江さんも私も学生院生向きに書いたつもりだったが、こんな価格ではビンボーな学生さんは買ってくれない。それじゃ書いた意味がない。
しょんぼりしていたら、これを光文社が「新書で復刻したい」と言ってくれたのである。
ありがたいことである。
新書なら学生さんにも買える。

この本では難波江さんがソシュール、フーコー、サイードを。私がバルト、レヴィ=ストロース、ラカンについて「解説篇」と「実践篇」を書いている。
わかりやすい解説(少なくともわかりやすいことを標榜した解説)というのはよくあるけれど、実践篇というのは、実際にその理論をつかってテクスト解釈をしてみるとこんなふうになります、というシミュレーションである。これは新機軸。
ソシュールで『不思議の国のアリス』、バルトで『エイリアン』、フーコーで『カッコーの巣の上を』、レヴィ=ストロースで『お早よう』、ラカンで『異邦人』、サイードで『M・バタフライ』を読む・・・という趣向なのである。
現代思想の解説書は多々あるけれど、「実際に使うときは、こうやるんだよ」という手引きまでしてくれる本というのは珍しい(「これはマニュアル本ではない」と難波江さんは書いていたけれど、もちろんマニュアル本として読んでいただいてもまったく構わないのである)。
ただし、すごく厚い本(317頁)なので、このままでは新書にならない。
で20%くらい削りましょうということで、その作業の締め切りが今月末だったのである。
月曜から始めて、ほいほいと作業は順調に進んで、バルト、レヴィ=ストロースと片づいて、昨日一日でラカンの半分まで終わった。あと半日仕事である。
久しぶりに読み返してみたら、ラカンの解説がなかなか面白い。これだけ「噛んで含めるように」ラカンの基礎概念を解説した本は日本語で書かれたものでは他にないのではないだろうか。
『寝な構』でもラカンについては書いているけれど、いかんせん頁数が少ない。
というわけで、10月刊行(いったい10月だけで何冊本が出るんだろう)の光文社新書『現代思想のパフォーマンス』増補改訂版のご案内でした。買ってね!

投稿者 uchida : 09:00 | コメント (7) | トラックバック

2004年07月13日

やさしい日本人

参院選の結果について海外ではどういう報道がなされているのか興味があって『リベラシオン』を開いてみたら、記事がなかった。
なるほど、日本の参院選の結果に興味があるフランス人なんてあまりいないんだ。
30年前の夏に私はフランスにいた。ちょうど参院選があって、野坂昭如や青島幸男の当落が知りたくて毎日『ル・モンド』を買ったが、選挙の記事どころか、何週間にわたって日本についての記事そのものがなかった。
それに比べれば、『リベラシオン』には6月1日付けの、「小泉首相も年金未納」という記事があっただけ多としなければならない。
日本を見る目もこれでだいぶ細やかになってきてはいるのである。

『リベラシオン』が最近いちばん集中的に扱ったトピックはイラク人質事件とそのあとの「自己責任論」である。
救出に要した費用を人質の家族は弁済せよ、という議論がよほど興味深かったのか、その経緯がかなり詳しく紹介してあった。

「衰弱しきって帰国した人質たちは彼らの拉致と解放が引き起こしたネガティヴな反応の嵐に驚愕した。防災有事法制担当大臣の井上喜一は『家族はこの問題について釈明すべきである』と語った。
外務副大臣、相沢一郎は仲介者あるいは誘拐犯へ身代金が支払われたことを否定した。前日複数のメディアが20億円(1550万ユーロ)の身代金と報道したが、「絶対にありえない」と副大臣は述べて、『人質解放のために巨額の身代金が払われた』という民主党(野党)の一代議士に反論した。
総理大臣も人質に対しては腹にすえかねており、彼らが解放後もイラクにとどまって仕事を続けたいと述べたことについて、『どうしてそんなことが言えるのか』と激高した。」

この記事から漏れてくるのは、日本の政府は国民にたいして冷たいという批評よりも、政府と国民の「べたついた」関係にフランス人が抱いた違和感である。
政府の採択した外交政策から派生した人質事件という高度に政治的な問題について、「家族の責任」や「金」や「激高」といった水準を軸に議論がなされることに対する驚きが行間から伝わってくる。

日本の政治というのは、たぶんヨーロッパ人の目から見ると、とても「家庭的」に見えるのであろう。
いまの総理大臣がその職を得たのには、3年前の総裁選のときの田中真紀子の応援が与って大きかった。
今回、田中真紀子は舌鋒鋭く小泉純一郎を批判したが、3年前には「母のような妹のような」立場から情緒的な応援を行ったと述懐している。
この人はまたTVニュースを見る限りでは、自分の夫の選挙運動中にしばしば候補者を「パパ」と呼び、自分を「ママ」と呼ぶことに抵抗を感じない人のようである。
亀井静香は派閥の候補者の出陣式で「土下座」をして支持を訴えた。
たぶん「わが子」のために道行く人に取りすがる「母」の心情が有権者の琴線に触れることを願ったのであろう。
政治家が、その政治家的能力の高さを訴えるべき場で、「親族関係」のアナロジーに依存するという習慣はヨーロッパ人には理解不能のものだろう。
人質事件のときの「まったく世話かけやがって」という政府関係者やメディアの憤りは、よくよく見ると、不始末をしでかしたわが子を警察に請け出しに行って、警官に頭を下げて戻ってきたあとに、子どもをどなりつける親の感情表現のしかたに少し似ている。
そうか、日本はやっぱり「一家」なんだ。
「51議席を割ったら、責任をとります」と安倍幹事長は1週間ほど前に約束したが、それは「なかったこと」になったらしい。
これをして「けしからん」と怒るひとがいるが、日本の政治家は「みな家族」と考えると、それくらいの食言は許容範囲だ。
そう怒っている民主党だって、年金法案のことでも、イラク派兵のことでも、言うことがだいぶ変わったが、お互いにそのことはあまり追求しない黙契になっている。
家の中で、「あなたが一週間前に約束したことと、今日の発言は違うではないか。その政治責任を取れ」というようなことを互いに言い合ったら、家庭は持たない。
この何となくべたついた日本の政治風土を変えるべきなのか、このまま使い回していった方がいいのか、私にはよく判らない。
与党幹事長が一週間前に国民に向かって約束したことも「あれはあれ」でさらりと反古にできるということであれば、アメリカ大統領に向かって約束したことも「あのときはあのとき」でさらりと反古にして「これが日本の政治文化です。人生いろいろ」と居直るというのも「あり」ということにはならないのであろうか。
この点をぜひご検討願いたいものである。


投稿者 uchida : 11:36 | コメント (3) | トラックバック

2004年07月12日

『リバティ・バランスを撃った男』的風景

参院選挙があるので、とことこと大原集会所まででかける。
芦屋市の善男善女がはがきを手に投票所に集まって来る。
角を曲がるたびに道路を歩いている人が増え、それが一つの建物に吸い寄せられてゆく。
私はこの風景を見るのが好きだ。
「民主主義って、これだよね」と思う。

ジョン・フォードの『リバティ・バランスを撃った男』に、西部のとある准州の代議員選挙のために市民たちが酒場に一人また一人と集まってくる場面がある。
受付のところで保安官とドクターが選挙人登録を確認して、人々は期待に胸をふくらませて会場であるサルーンに入ってゆく。
ヨーロッパからの移民たちにとっても、これがおそらくはじめての普通選挙の経験なのである。
選挙で選ばれるのは「ワイルド・ウェスト」の原理を表象するふたりのガンマン、トム・ドニフォン(ジョン・ウェイン)とリバティ・バランス(リー・マーヴィン)ではなく、法と言論を表象する法律家(ジェームズ・スチュアート)と新聞記者(エドモンド・オブライエン)。やがてジェームズ・スチュアートは准州の代表者にも選出されて、上院議員への階段を上ってゆくことになる。
不遇のうちに死んだジョン・ウェインの葬儀のとき、長い回想を語り終えたジェームズ・スチュアートは、彼の半世紀にわたる政治的キャリアを支えたのがその法律家としての見識の高さではなく、「リバティ・バランスを撃った男」という誤伝であることを理解する。
アメリカの政治風土について深く考えさせられるたいへんすぐれた映画であった、という話ではなくて、「一人また一人」というのが私には民主主義の原点を示す風景のように思われて好ましい、というお話でした。おしまい。

夕方からゼミ三年生の宴会。
一品持ち寄りなのでたいへんなご馳走がテーブルに並ぶ。
5時から11時過ぎまで、わいわいと歓談。
猫の祟り、生き霊の飛ばし方、バレーと能楽の身体運用の共通点などの話題で盛り上がる。
みなさんお疲れさまでした。

投稿者 uchida : 12:05 | コメント (0) | トラックバック

2004年07月11日

締め切りと宴会のはざまで

あと一週間で夏休みだ。
なんとか生きてここまでたどりついたが、このあとがたいへん。
19日から京大の集中マラソン講義。
四日で15コマしゃべり続けというのは、単純に仕事量としてだけでも大変だけれど、ネタの仕込みをまだ何もやっていない。
あと一週間でどうやって準備できるのであろうか・・・

集中は23日に終わるが、もちろんそれで夏休みになるわけではない。
『ユリイカ』の大瀧詠一論を20枚(まだ1枚も書いてない)が7月末締め切り。『現代思想のパフォーマンス』の改稿(まだ一行もやってない)も同じく7月末締め切りである。
ということは、24日から31日までは寝る間もないということである。

もちろんこれは私がこれまでだらだらと遊び暮らしてきたということではない。
四月からあと、風邪で寝込んでいた一週間以外はほとんど一日も休まず仕事をしている。
本だって5冊書いた。
それでも私に寄せられる仕事関係のメッセージは「まだですか」という切迫と「いい加減にしてください」という叱責の二種類だけである。
そんなこと言われたってさ。
生身の人間にこれ以上は無理だって。

金曜日は平川くんとNTTの三島くんが来る。
おふたりは別々の用件ででいらしたのであるが、いい機会だから三島くんに平川くんを紹介しようということでいっしょに「花ゆう」で会食。
ほんとは並木屋でお寿司を食べるつもりだったのだが、残念ながら満員で「花ゆう」へ。
深更までおじさん二人で三島くんにたっぷりと説教(ごめんね、話がくどくて)。
三島くんは例の「先行ロードショー」の様子を見に来たのである。
三宮、西宮のジュンク堂と梅田の紀伊国屋にゆくと、今だけウチダ直筆「ネコマンガ」が見られる。(そんなもの見てもしょうがないけど)
『街場の現代思想』、売れ行き好調のようである。

土曜日は福岡の海鳥社の別府さんが『他者と死者』の装幀打ち合わせのために神戸に来る(ライオンとペリカンの会の杉本さんもごいっしょ)。
ひさしぶりにグリルみやこでカツレツを食べる。
そのあとRe−setで山本浩二くんと合流。
さきほどまでごいっしょに合気道のお稽古をしていたPちゃん、岸田さんがカウンターにいたので、あらまとご挨拶をしていると、さらにおいちゃん、くー、エグッチ、すみっち、大西さんらが登場、たちまち「合気道会貸し切り状態」になる。
『他者と死者』の装幀は『レヴィナスと愛の現象学』に続くシリーズなので、コンセプトは画伯に一任。どんな本になるのか楽しみである。
10月5日刊行予定。これはお薦めです。
終電まで痛飲して、よろよろと帰途に就く。

あけて本日日曜日は夕刻よりゼミ宴会。
一日おいて火曜日は大学院宴会。
それでやっと「学期末宴会シリーズ」が終わる。

編集者との打ち合わせは仕事であるし、ゼミ宴会は本務の一環であり、学生さんたちから「センセイ!ゼミの宴会やりましょう!」とせっつかれると、「締め切りが・・・」というような弱気な言い訳はできないのである。
「お酒飲んでるひまがあったら仕事をすればいいのに」と思われた方はゼウスの雷撃に打たれるであろう。

投稿者 uchida : 10:24 | コメント (0) | トラックバック

2004年07月07日

無料ファイル交換と系譜学

携帯破壊のせいで、新機種はカメラ付きとなる。
200頁ほどあるマニュアルが付いているが、ウチダは「マニュアル失読症」なので、適当にあちこちいじっているうちにカメラで部屋を撮してしまい、それが待ち受け画面になってしまった。
ま、いいか。べつに。
業務連絡を受けて、次々とメールが届く。それをせこせこと電話帳に登録してゆく。
しかし、この小さな機械にこれだけの機能が備わっていて、それが登録料2000円だけで手にはいるのである。
ほんとうに、そういうことでよろしいのであろうか。よく、わからない。

ヴァレリーの『カイエ』の身体論を読む。
京大の集中講義の「仕込み」である。
ヴァレリーとベルクソンとプルーストを「新ネタ」に使う予定なのである(なんだか仏文学者っぽいチョイスだな)。
「私は進む、私は行く、故に私は生きている。私の運動に当面必要ないものを無視することによって。(・・・)私が生きているのは、無限の細部に入り込まないからだ。」
さすがヴァレリー、間然するところがない。
モスバでロースカツバーガーを食べながら『カイエ』をこりこりと読み進む。

大学は「愉しい火曜日」。ゼミ二つ。
専攻ゼミは「無料ファイル交換問題」。大学院は「ペリー来航と日米関係の150年」。
ナップスターやWinny で事件化したこの問題について、これまでこのサイトでは発言したことがなかったので、ゼミ生諸君のご意見を伺ってみる。
私の立場はわりと簡単である。
「アーチストがやる気になる」、「音楽業界が売る気になる」、「リスナーが聴く気になる」という三つのファクターの最適解を探すことである。
ただし、「やる気」と「売る気」と「聴く気」は必ずしも一致しない。
アーチストの願いは、自分の音楽ができるだけ多くの人間に聴かれ、支持されることにある。
業界の願いは、できるだけ低いコストで、できるだけ高いベネフィットを獲得することにある。
リスナーの願いは、好きな音楽をできるだけ潤沢に享受することにある。
この三つが一致していたのは、たぶん1960—70年代のロックの全盛期とアナログレコードの時代だろう。
音楽の再生原理がデジタル化されたところで事態が変わる。
アナログレコードはまだ「モノ」的な要素が濃厚だった。
アルバムはでかく、厚みもあり、ブックレットや写真を含み、ジャケットデザインは部屋のデコレーションとしての装飾的な使われ方を前提にしていた。
つまりアナログレコードは再生音のソースである以外に書物や絵画としての有用性も兼ねていたのである。
だから音楽の頒布は、物品販売のアナロジーで語ることができた。
しかし、音楽のメディアが電磁パルスになったところで、話が変わる。
電磁パルスには物質性がほとんど感じられないからである。
手に触れることができないものについて、「所有」という概念を抱くことは難しい。
誰かが持っているレコードを「ちょっと貸してね」と持って行ってしまうと、持って行かれた方はレコードが戻ってくるまで音楽を聴くことができない。
けれども、誰かがもっている音楽のデジタルデータを「ちょっと複製させてね」と言っても、複製された方はそれによっていかなる現実的損害を蒙るわけでもない。
だから私たちはデジタルデータのやりとりに「モノ」のやりとりと同じように課金するという考え方にはなかなかなじむことができない。
「使うと減るもの」には使用者は対価を払うべきだということはわかる。
ラーメンを食べて勘定を払わないというのは許されないことである。
けれども、「使っても減らないもの」に使用者が対価を払うということには、なかなか実感が伴わない。
食べても食べても減らないラーメンに対しては、勘定を払ってくれと言われても、「でも、ラーメン減ってないじゃん」と言いたくなる。
デジタルデータに課金する場合は、結局そのつど「データがモノであった場合には・・・」という想像的な置き換えをしないと、人間は何が起きているのかをうまく理解することができない。
データをコピーしても何も減損しないけれど、コピーしたせいで「データが物品であった場合であれば、対価として支払われたかもしれない金額」が損金として計上されることになる。
この「電磁パルスを想像的に物品に置き換える」という手続きにおそらく多くの人々は納得がゆかないのであろう。
だって、ほとんどの人は、「タダだからコピーしたけれど、課金されるならそんなもの要らない」というような映像音声データをPCにため込んでいるわけであり、それは必ずしも「発生したかもしれない利益」を直接的に減殺しているとは言えないからである。

音楽CDの売り上げが90年代から激減してきていることはまぎれもない事実である。
そのため、海外盤の輸入禁止やCCCDによって音楽業界は利益の確保に必死である。
でも、それと無料ファイル交換のあいだには有意な連関はないという研究結果がアメリカでは公表されている(ハーバードビジネススクールのFelix Oberhoizerによる)。
日本の場合、CDが売れなくなった最大の理由は音楽市場のメインターゲットである若年層の人口が急激に減少しているせいだろう。
若いアーチストの創造力が低下していることも否めない。

このまま音楽業界が既得権益の確保のために、なりふり構わずふるまえば、おそらく日本のポップミュージックは急速に活力を失って、遠からず業界が崩壊し、市場は1960年代の規模までシュリンクするだろう。
私はそれで別に構わないのじゃないかと思う(音楽業界のみなさんにはお気の毒だけれど)。
その頃はどの家にもたいしてレコードなんかなかったし、そもそも再生装置そのものがなかった。
でも、みんなラジオから聞こえてくる音楽をよく聴いていたし、口ずさんでいたし、歌手や作家に対しても親しみや敬意を抱いていた。
そしてリスナーたちは、お小遣いをためてあこがれの小さな再生装置を買い、音質の悪いレコードやソノシートを文字通り、溝がすり切れるまで繰り返し聴いた。
そういうのがあるいは音楽のほんらいの享受の仕方ではないかと私は思う。

そういうふうにして聴く数少ない楽曲の方が、PCにファイルされていつでも読み出せる数千曲のデジタルでクリアーな楽曲ストックよりも、身体には深く強くしみこむものではないだろうか。

1950−60年代の方が音楽の作り手も聴き手も今より幸福だったような気がする。

大学院は渡邊仁さんの発表で「ペリーと日米関係の150年」。

歴史学と系譜学のアプローチの違いについてお話をする。
歴史学は、ある歴史的事実が継起したあとに、それらを貫く「鉄の法則性」を発見しようとする。
系譜学は、どうしてある歴史的出来事が起り、そうではない出来事は起らなかったのかについて、そこに関与した無数のファクターを考量する。
系譜学が教えるのは、ある出来事が起き、そうではない出来事が起きなかったのは、多くの場合「偶然」だということである。

歴史は複雑系である。
わずかな入力の変化が劇的な出力の変化をもたらす。
プリゴジーヌのいう「バタフライ効果」である。
もし、嘉永六年の来航したのが、マシュー・カルブレイス・ペリーではなく、別の人物であったら、提督は浦賀ではなく長崎に来航したかもしれないし、安政の大地震がなければ江戸の海防は整っていたかもしれないし、老中首座阿部正弘が1857年に若死にしなければ、その後の日米関係は変わっていたかもしれない。

歴史に「もしも」はないと言うけれど、それは「もしも」を言い出したら切りがないからである。
けれども、「もしも」を言い出したら切りがないほどに多様な可能性が歴史の分岐点には存在していたということは忘れない方がいい。
というのは、歴史は一直線で予定調和的に進行していると考える人間は、未来についても、「最適解は一つしかない」という臆断を抱くからである。
歴史の分岐点には無数の偶然がかかわると考える人間は、これから取りうる方途について、さまざまな可能性を吟味することができる。

坂本竜馬や高杉晋作が横死しなければ、伊藤博文や井上馨や山県有朋があれほど偉くなることはなかっただろう。
奇兵隊の一部隊長にすぎなかった足軽の山県が日本陸軍のドンになったのは、高杉や吉田松陰や久坂玄瑞や大村益次郎がばたばたと若死にして、「上が全部いなくなった」からである。
そのうちの一人でも生き残っていたら、あるいはその後「日本軍国主義」と呼ばれることになった政治体制は存在さえしなかったかもしれない。

そういう想像力の使い方は思いの外たいせつだと私は思う。

投稿者 uchida : 14:50 | コメント (4) | トラックバック

2004年07月06日

携帯を洗濯

業務連絡です。

ジーンズのポケットに携帯を入れたまま洗濯してしまいました。
当然ながら携帯はぶっ壊れ、データはすべて消えてしまいました。
さっそく朝一でdocomoに行って、新品と換えてもらいました。
電話の受信はオッケーなのですが、電話帳もメールアドレス帳もぜんぶ消えてしまったので、着信時に応答できなかった場合は誰からかかってきたか判りませんし(ウチダは電話帳に名前がない方からの電話にはcall back しません。だって「もしもしウチダですが、あなたは誰ですか?」って電話かけるの変でしょ?)手帖に控えをとっておいた方以外はこちらから携帯で連絡することができません。

というわけですので、お手数ですが、ゼミ生のみなさまならびに合気道関係者のみなさまならびに友人知人関係のみなさま、お手空きのおりに、私の携帯メール宛に、電話番号をご通知いただきますようお願い申し上げます。


投稿者 uchida : 12:07 | コメント (0) | トラックバック

『街場の現代思想』売れ行き好調

街場の現代思想 NTT 出版

『街場の現代思想』が7月1日から先行限定販売で、三宮と西宮のジュンク堂と梅田の紀伊国屋書店で売り出されている。
わりと順調に売れているようで、ジュンク堂のホームページでもトップページで『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』の予約受付よりひとつ先にご紹介していただいた。
『ハリポ』より先とは、またなんと名誉なことではないか。
これはもちろんジュンク堂のご好意のしからしむるところであって、先般の大阪のジュンク堂でのカフェセミナーで「ジュンク堂はいい書店です。皆さんジュンク堂で本を買いましょう」と販促活動に一臂の力をお貸ししたことがただしく評価されたのであろう。

カフェセミナーでのこのときのおしゃべりは全文が『人文会ニュース』の93号に掲載されている。
残念ながら、これは非売品なので、みなさんは読むことができない。
釈先生や江さんやドクター佐藤の名前が本文中に言及されているし、あとのお二人は写真にも撮られているのであるから、「ぜひ読みたい」と切望されるかもしれない。
たまたま、手元に余分に二部あるので、これをワイン一本とトレードするにやぶさかではない旨、お二人にはこの場を借りてお伝えしておきたい。

期間限定発売(好きだなー、このアイディア。M島くんのヒットだな)の『街場の現代思想』はソールドアウトしたらしい。次の配本は12日の予定であるので、もし上記書店に行って本がなかった場合は、もうちょっとお待ち下さい。
初版にはご存じのとおり、183頁に「お師匠さん」という痛い誤植があるので、はやく重版に持ち込んでこの箇所を修正したい。
ぜひ、みなさまにご協力を願いたく、この場を借りて拝してお願いを申し上げる次第であります。

『ユリイカ』の「はっぴいえんど」特集の企画ことで、この一週間どきどきすることがあったけれど、どきどきのままに終わってしまった。
73年からの古手のナイアガラーであるウチダにとって「こ、これは夢ではないか・・・」という話だったんだけど。
気を取り直して、「大瀧詠一論」をばりばり書くことにする。
タイトルはもう決まっている。
「知られざる構造主義者・大瀧詠一」
大瀧詠一のポップス論はフーコーの系譜学のもっともすぐれた実践例である、というお話。
でも、それを書く前に京大の集中講義のネタを仕込まないといけない(まだ、何もやってない)。
この集中講義にはゲスト講師を呼んでもよろしいということだったので、光岡英稔先生に一日ゲスト講師をお願いする。
7月22日は光岡先生と私が対談して、そのあと聴講生全員で意拳の講習会という、なんだかすごいイベントである。
私の講義では居眠りこいていた京大生たちも、光岡先生が登場したらびっくりして目を覚ますであろう。
というわけであるから、22日は聴講の学生院生諸君は、運動ができる服装で聴講するようにね。

投稿者 uchida : 00:01 | コメント (6) | トラックバック

2004年07月04日

淡路島おのころ神社に鱧を見た

淡路島の洲本市立図書館で講演会。
主宰は図書館なのだけれど、肝煎りは甲野先生や光岡先生の講習会でよくお目にかかり、私の朝日カルチャーセンターの講演も熱心に聴講してくださった洲本高校の山田先生と豊田先生のお二人。
炎天下、芦屋から洲本まで明石大橋をわたって1時間ちょっと。芦屋から梅田まで2号線でゆくのとあまり変わらない。
洲本のインターまでお迎えに来て頂き、会場の市立図書館へ、ここはカネボウのむかしの紡績工場跡を再利用した建物で、赤煉瓦の外壁がそのまま残ってたいへんシックである。
館長の近藤さんと豊田先生の主治医で漢方もやっておられる日笠先生にご挨拶をしてから(日笠先生ご本ありがとうございました)、さっそく講演。

演題は「子どもは判ってくれない」。
先生方からのリクエストで、おもに教育問題を中心にお話する。
ひごろの持論であるところの、「教養とはマップする力である」と「思春期におけるシャイネスの復権」というお話をさせていただく。
講演というのをこの二年間にずいぶんやった。なんでもそうだけれど、場数を踏んでくるとだんだんコツがわかってくる。
90分一本勝負的な大ネタをかけるのは聴衆に過分な負荷をかけることになって、よほどコアなオーディエンス以外は避けた方がよろしい。
大ネタだとどうしても途中で、抽象的な概念に頼った論理的な「いのちがけの跳躍」が必要だが、よほど助走をうまくつけて、「せーの」で飛ばないと、その部分でしばしば聴衆の大半が脱落してしまう。
「テイクオフ」で搭乗に失敗してあとに置いておかれたお客さんというのも気の毒であるし、ほとんど誰も理解されない話をしているこちらも不幸せである。
だから、講演では、10分単位くらいの一話完結の「小ネタ」を五つ六つ繋ぐことにしている。
小ネタとして選定されるのは、具体的な出来事に取材した「なんとなく気持ちの片づかない話」である。
サキの短編みたいな「不思議な味わいのする、オチのない話」がネタとしては最高なので、私はいつもネタを探している。
良質のネタに出会うとネタ帳につけておいて、「いつか使ってやろう」と熟成させておくのである。
講演では、今回最近仕込んだ「誤字ネタ」をご披露させていただく。
これは某ゼミ生のレポート中に出現してきたものであるが、当今の若者たちの自閉的傾向を論じた文中で、「外部に閉ざされた個人まりしたライフスタイル・・・」という一文に出会って一驚を喫したのである。
思わず「『まり』って誰なの!」とツッコミをいれたくなるところがまことにオープンでかわいい誤字である。
「個人まり」には数年前の「無純」とともに、「誤字大賞」を差し上げたいと思う。
(そのあとの懇親会の席で、とある先生から「しゅうしょうろうばい」という四文字熟語を書かせたところ「終章老灰」というドラマティックな誤字を記した高校生があることをうかがった。どこにもお茶目な子はいるものである。正解は「周章狼狽」)。

「最近の子どもは教養がない」のはどうしてなのかという問いから始めて、均質的な社会集団への収斂、異他的なものへとのコミュニケーション能力の低下、未婚晩婚化の加速・・・といった問題を「思春期におけるシャイネスと修養のたいせつさ」という(佐藤学先生からヒントをいただいた)結論に流し込む。

90分しゃべってから、山田先生の奥様のご案内で、日本発祥の地であるところの「おのころ島神社」に参拝する。
古事記によれば、イザナキノミコトとイザナミノミコトの二柱の神が、天の浮橋に立ち、天沼矛をさしおろして海水をかきまぜると、ひきあげた矛の先からしたたりおちた塩がかたまって、オノゴロ島ができ、ここから日本列島の形をなす大小八つの島、すなわち「八洲」が誕生したとされる。
謡曲『淡路』にはこうある。
「さればにや二柱の御神のおのころ島と申すもこの一島のことかよと。凡そこの島始めて大八洲の國を作り。紀の國伊勢志摩日向ならびに四つの海岸を作り出し。日神月神蛭子素盞鳴と申すハ。地神五代の始めにて。皆この島に御出現。」
というわけで、日本発祥の地というたいへんにめでたいスポットなのであり、せっかく近くまで来たのだから拝見したいということで寄り道をして頂いたのであるが、残念ながら、神社はたいへんに「個人まり」したもので、参拝者も私たち二人だけであった。
プチ観光ののち、南淡路ロイヤルホテルに投宿。部屋に荷物を置いてから、懇親会場の福良湾の海辺の寿司屋「一作」へ。
山田先生ご夫妻、豊田先生、近藤館長、日笠先生のほか、淡路の教員の方がたを中心に10名ほどのみなさんが集まっている。
今回は「鱧尽くし」である。
七月初旬の淡路島は鱧の季節。
鱧寿司、鱧の梅和え、鱧の南蛮漬け、鱧の天ぷら、はもすき・・・と、これまでの人生で食べた鱧の全量をしのぐほどの量の鱧を平らげる。
いやー、美味しい。
これまでに食べたどんな鱧よりもぷりんぷりんと太っている。
蛸といい鱧といい、瀬戸内海に棲まう獰猛なる魚介類はまことに美味。
おおいに談論風発、飽食してみなさんにお礼を申し上げて宿に戻る。
露天風呂にはいるとさすがに疲れてきて、10時過ぎにはやばやと就寝。爆睡。

早寝したので早起きする。
海岸道路を飛ばして快晴の鳴門海峡の風景を堪能しつつ、そのまま芦屋に戻る。ホテルから家まで1時間15分。

コーヒーをのみながら早速仕事。
快調に飛ばしていたのであるが、『ヴェニスの商人』の一節を引用しようと思って本棚を見るが、みつからない。
そういえば、文庫本は引っ越しのときに「適当に突っ込んでおいて」と引っ越しのお手伝いのみなさんに言って、あとで自分ひとりでちゃんと整理しようと思ってそのままにしていたのである。
これは困った。
マルクスと和辻哲郎と浅田次郎が並んでいるような分類では、端から全部見てゆかないと本が探せない。
しかたがないので、本棚大整理にとりかかる。
私の分類は「頻繁にレフェランスとして取り出す本」、「まだ読んでない本」、「ときどき昼寝のときに読み返したくなる本」、「トイレの置き本」、「一時期愛読したが、今は疎遠になった本」、「もう二度と手に取らないであろうが、なんとなく棄てられない本(献本だったりして)」。これに「哲学」「歴史」「身体論」「文学理論」「日本文学」「フランス文学」「アメリカ論」「マンガ」「死者の呪い」「ハードボイルド」などというでたらめな下位区分が加わる。
だから、同じ英語圏の作者の本であっても、シェークスピアは「英米文学」の書架にあるが、フィリップ・K・ディックは「エンターテインメント」の書架にあり、レイモンド・チャンドラーは「ハードボイルド」の書架に鎮座し、エドワード・サイードは「アメリカ論」の書架に・・・というふうに、余人には能くその配架の基準は知ることができないのである。
約二時間悪戦の末、書棚整理が終わり、最後の最後で『ヴェニスの商人』がみつかる。やれやれ。
なんで『ヴェニスの商人』を読みたくなったのか、忘れちゃったよ。


投稿者 uchida : 16:51 | コメント (0) | トラックバック

2004年07月02日

従軍慰安婦問題について考えた

久しぶりに午後何もない金曜日。
上野輝将先生による「従軍慰安婦問題をめぐる上野/吉見論争」の研究発表を拝聴する。
歴史家の立場から、上野千鶴子の「ポスト構造主義的」な歴史実証主義批判を反批判するスリリングな発表であった。
発表を聞いて感じたのは、どういう立場からものを言うにせよ、あまり話を簡単にするのはまずいね、ということであった。
話を簡単にして、「良いか悪いか」の二元論に流し込むことは政治的には有用なことだ。人々の関心を集め、世論を沸き立たせ、慣例を覆し、官僚や政治家を動かして、政治的な実効をあげるためには、「話を簡単にして、善玉悪玉をはっきりさせること」は政略的にはしばしば正しい。
しかし、短期的、地域限定的な正解といえども、さらに時間的空間的に大きなスパンを取った見た場合には、必ずしも正解とは限らない。

従軍慰安婦のような歴史的問題の場合は少なくとも三つのレベルを切り分けて考える必要があるだろうと私は思う。

第一は、政治のレベルの問題である。
この問題は日韓の歴史に刺さった「棘」のような高度に政治的な問題であり、その処理を誤ると今後の日韓関係に取り返しのつかない禍根を残すことになる。
だから、国益を考慮するならば、望ましい政治的決着は、日韓両国政府と両国国民がこの事件を奇貨として友好と信頼を深めることができるようなかたちのものでなければならない。
この国益レベルでの判断は、「結果として」外交関係が良好なものに転じるならば、極端な話、どんな解決策でもよい。
かりに従軍慰安婦問題についての歴史的事実の解明が完了していなくても、従軍慰安婦の中に個人的に「それでは納得がゆかない」という人がいても、両国民のマジョリティに「これで日韓関係は好転する」という見通しを保証するような決着案がみつかれば、それを選ぶに逡巡する必要はないということである。

第二は歴史学のレベルの問題である(今日の論点はこのレベルに限定されていた)。
それは公文書もオーラルヒストリーも含めて入手しうるかぎりの史料を網羅し、それに精密な史料批判を加え、「何が起きたのか」を可能な限り客観的に再構成する作業である。
この作業には政治的な「予断」が入り込んではならない。
「こんな史料を公開すると、日本の国益を損なうかもしれない」とか「こんな事実を発表すると、被害者の傷に塩をすりこむようなことになりかねない」とかいう主観的な斟酌を加えることは許されない。

第三は「トラウマ」のレベルの問題である。
真に外傷的な経験について、人間はそれを正確に記憶したり、証言したりすることができない。
「外傷」とはフロイトが定義するとおり、「私の正史に登録することのできぬ経験、私の言語をもっては語り得ぬできごと」である。むしろ、その経験に直面することを回避し、それを名づけることばを遠ざけることによって「私」の人格が構築されたような種類の体験である。
原理的にこの経験についての回想に「歴史的史料」としての客観性や一貫性や資料的裏づけを求めることは不可能である。
外傷的経験についての証言は繰り返すたびに矛盾し、一貫性を失う。むしろ、その事実こそが、その証言が外傷にかかわっていることの徴候ともいえるのである。

従軍慰安婦の被害者たちはその外傷的な原経験により、戦後その経験を秘匿せざるを得なかったことにより、さらにそれをカムアウトすることこそ「政治的に正しい」選択であるとするイデオロギー的圧力により、二重三重の抑圧を受けている。そのような心理的負荷の下で語り出される外傷的経験に文書史料に準じるような中立性や透明性を求めることはできない。
むしろ、フロイトやラカンが教えるとおり、それで外傷的経験が緩解するならば、「偽りの記憶」を物語ることさえ許されるべきなのである。

ごらんの通り、少なくとも三つのレベルで、私たちはそのつど違う判断基準で史料に対してふるまい方を変えなければならない

上野千鶴子のこの論件についての論の進め方には私も違和感を覚えたけれど、それは上野輝将先生がいうように歴史学の方法に対する無知ゆえにというよりは、「傷ついた人々への配慮」という「政治的に正しい」ふるまい方こそが歴史学の学的厳密性を担保するというルイセンコ主義的なその政治性に対してである。
証言者の倫理的な正しさはその証言の歴史的史料としての正しさを担保しないし、政治的な効果の適切性も担保しない。関連性はあるが、それらは「別の話」である。

上野千鶴子と歴史学者との対立点は、言い換えると「効果の達成」と「事実の解明」のいずれに優先的に軸足を置くかについての判断の差によるもののように私には思われた
トラブルは、おそらくこの問題について論じる人々が、自分はどのレベルを優先しているのかについての立場の選択にあまり自覚的でないことから生じている。

どのレベルで歴史的事件に向き合うかによって、そのつどの歴史的史料の読み方は変わってくるし、最適判断も変わってくる。
変わって当然である。
国益の確保、学術的厳密性の重視、傷ついた人々への配慮の三つの要請を同じ一つのみぶりで片づけようと考えること自体に無理がある。
国益の確保のための最適解と、歴史史料の読み方の最適解と、被害者への癒しのための最適解はそれぞれ違う基準で考量される。
それらが一致することもあるだろうが、たいていの場合は一致しない。

例えば、「新しい歴史教科書をつくる会」の諸君は、国威の発揚、愛国心の涵養を一般解として「それがふつうの国の良識ある国民のふるまい方だ」としている。
なるほど、そうかもしれない。
だが、まことにおっしゃるとおりなら、彼らがもし仮に韓国民であった場合には、同じ原理によって「従軍慰安婦問題を教科書に掲載しない日本の腐れ右翼どもに民族の怒りの鉄槌を!」というふうに呼号するはずである。
それが「ふつうの国の良識ある国民のふるまい方」だと彼ら自身が認めているのだから、そうしなければ話の平仄が合わない。
しかし、その場合、自分たちと同じ原理、同じロジックを語っているこの韓国の愛国者たちに日本の愛国者たちは諸手を挙げて同意することができるだろうか?

「立場が変わったら同意できないこと」を私たちはしばしば主張している。
それを止めろと言っているのではない。
自分は「立場が変われば同意できないことを言うような人間」であるということをいつも念頭に置いていた方がよいと申し上げているのである。

「私人としては反対だが、公人としては賛成」ということはあるし、「個人的にはそうしたいけれど、立場上できない」ということだってよくある。
「じゃあ、賛成なんだな!」とすごまれれば、「いや、一個人としては反対なんですけどね」と言わざるを得ないし、「やりたくないんだな!」と詰め寄られれば「いや、ほんとはやりたいんですけど」と弱気な言い訳もさせて頂きたい。
こういう言い訳は、けっこう大切だと思う。
「私は立場が違えば、これと違うことを言うかもしれない」という認識を持った上で「これをする」人は、自説の過大適用を自制するものだからである。

このような問題について、私が自分に課しているルールはわりと単純なものである。
それは私が今語っていることに「韓国の女子大の先生であるウチダ」は同意できるか、という問いを自分に向けて、同意してもらえそうなことだけを選択的に語ることである。
そうすると、こういうふうにたいへんに歯切れの悪い物言いになってしまうのである。
けれども、この「歯切れの悪さ」こそが知見の汎通性を支えると私はひそかに信じている。


投稿者 uchida : 20:19 | コメント (3) | トラックバック