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2004年06月29日

福音主義と靖国の祭神

大学院ゼミは「アメリカの宗教」
おもに福音主義の歴史的展開と、それがアメリカの政治的エートスに与えた影響についてディスカッションする。
私のネタはほとんどがリチャード・ホーフスタッターの『アメリカの反知性主義』の第二部からの受け売りである。
この話はこのホームページ日記に一度書いたことがあるけれど、なかなか興味深い話であるので、しつこくもう一度採録しておく。

『アメリカの反知性主義』第三章・「福音主義の歴史」はアメリカにおけるプロテスタント諸派の独特な宣教活動について貴重なことを教えてくれる。

高校の世界史ではぜんぜん習わなかったことなので、諸賢のために、ここに概略を記す。

アメリカン・ピューリタンの第一世代には多くの知識人が含まれていた。

彼らは切り開いた開拓地のはずれでまだ狼の遠吠えが消えないうちから、すでに大学を作り、アリストテレスやホラティウスやヘブライ語を教え始めた。

ハーヴァード大学の初期の卒業生の50%はそのまま牧師になった。

しかし、1720年に「大覚醒運動」が起こり、「学識ある牧師」にかわって、無学だが宗教的熱情に駆られた人々が宣教の前衛となる。

ウィリアム・テネントという長老派の牧師は熱情的に開拓地を遍歴して、ほとんど文化的な要素のない生活をしている開拓民たちに魂の救済を熱狂的に説いた。

テネントは説教のときに絶叫し、野獣のような怒声を上げ、夜の雪の中を発作的にのたうちまわり、それを見に集まった数千の会衆たちは狂乱状態のうちに「霊的再生」を経験したのである。

こうしてピューリタンの時代が終わり、福音主義の時代が始まる。

大覚醒運動は南部西部のフロンティアにおいて、「より原始的で、より感情的な恍惚感を強調するものに変わっていった。学識のない説教師が増え、回心の手段として、肉体的反応をあまり抑制しなくなった。つまり平伏する、痙攣する、吠えるといった動作がひんぱんにみられるようになる。」(66頁)

彼らは「ますます増えて行く、教会をもたない非宗教的な人々、教会で聖化されない『結婚』と節度のない生活、過度の飲酒、野蛮な喧嘩」と戦い、開拓民の魂を浄化する必要があったのだから、ある程度フィジカルにインパクトがある説教態度をとったことはやむをえない。

巡回説教師たちがいなければ開拓時代の「流動性の高い会衆を回心させること」は不可能だった。 (だから『ペイル・ライダー』のクリント・イーストウッドが牧師なのに気楽に銃をぶっぱなして悪漢たちを殺してしまうのは福音主義の宣教師の伝統からすれば、それほど異常なことではなかったのだ)。

福音主義の宣教師に求められたのは、なによりも会衆をひきつける話術とパフォーマンスだった。

「スター説教師」たちが続々と生まれる。チャールズ・フィニー、ドワイト・L・ムーディ、ビリー・サンディ、ビリー・グラハムと続く系譜がそれである。

フィニーは1820−30年代に活躍した説教師だが、その武器は「鋭くみつめられるとしびれるような、強烈で狂気をおびた預言者の目」であった。会衆たちは彼の説教を聴くと「椅子から転げ落ち、慈悲を求めて叫び、ひざまずき、ひれ伏した」。

もっとも活動的だったのは初期メソディストの巡回牧師たちであった(すさまじい嵐の夜には「こんな夜に外にいるのは鴉かメソディストの説教師くらいだ」という言い方があるくらいに彼らは不撓不屈であった)。

1775年に3000人だったメソディストはその80年後に信徒150万の大会派になったが、その成功をもたらしたのは何千人もの無学だが宗教的熱情あふれる牧師たちの献身的な布教活動だった。「だが、そのうち一般的な英語教育以上の教育を受けているのは、おそらく五十人もいないだろう。その教育すら受けていない者も多い。まして神学校や聖書研究所で訓練を受けたものなどひとりもいまい」とあるメソディストの牧師は誇らかに語っている。

このあとにドワイト・L・ムーディが登場する。

靴の卸業者として成功したあと、ビジネスから宣教活動にシフトしたこの人物は1873年にイギリスで活動を行い250万人を動員し、帰国と同時に名声の絶頂を迎えた。彼は無学で「彼の説教を批判する者たちがずっと言い続けていたように、文法すら知らなかった」。しかし、一分間220語語るそのすさまじい早口と大音量の説教で、巨大な会堂の聴衆を一挙に救済に導く技術においてこの時代最高のパフォーマーであった。

ムーディは「聖書以外には一冊の本も読まない」と広言してはばからなかった。学問は霊の人の敵であり、「知識なき情熱は情熱なき知識にまさる」というのがムーディの一貫した立場だった。

けれどムーディはもうテネントのように転げ回ったり咆哮したりはしなかった。かれはばりっとしたスーツで登壇し、まるで有能なビジネスマンのようにまくしたてたのである。

ムーディに続くのが19世紀末から1935年にかけて圧倒的なポピュラリティを獲得し(1914年に『アメリカン・マガジン』で「アメリカでもっとも偉大な人物」投票で第八位になった)たビリー・サンディである。

彼はジャズバンドを引き連れ、ストライプのスーツ、ダイヤのタイピン、ぴかぴかのスパッツで登場して、低俗なレトリックと曲芸あり音楽ありのステージパフォーマンスで会衆を魅了した。

彼の説教はあまりに人が集まったので、既存の教会では対応できず、しばしば「大講堂」が彼の説教のために建設されたほどである。

そうやって大量に回心させた信者から一人当たり「回心料」2ドルを徴収して、ビリー・サンディは大富豪になった・・・

ホーフスタッターの本から福音主義の歴史をながながと採録してきたのはもちろん理由がある。

「トリビアル」な知識を披瀝したいからではない。

私は「関連性のあること」にしか興味がない(@大瀧詠一)

この記述が二カ所で私の「記憶の琴線」に触れたからである。

記憶の片隅を「つんつん」とつつかれのは、ドワイト・L・ムーディが1886年にシカゴに設立した「ムーディ聖書研究所」で学んだひとりの日本人のことを思いだしたからである。

中田重治(1870−1939)が1897年から98年にかけて、ここで学んでいる。

中田は日本ではメソジストの教育を受けたのち渡米し、この聖書研究所でアメリカのコアな福音主義に触れて「回心」を遂げる。帰国したあと、メソジストを離れ、1917年、教会46を擁する「東京宣教会ホーリネス教会」を設立する。

そして連続講演「聖書より見たる日本」を通じて「キリスト再臨と日本とユダヤ人のあいだには特殊な関係があることを発見」し、聖書中に「日いずる国」とか「東」とあるのはすべて「日本」のことであり、日本こそはキリストの再臨とユダヤ民族の回復の鍵を握る「選ばれた民族」であるという理説を発表し、日本における「日猶同祖説」イデオロギーの最初の一歩を踏み出すのである。

「日猶同祖論」といってもみなさんはたぶんご存じないだろうが、「日本人とユダヤ人は同じ歴史的使命を持つ」(極端な場合は、「同じ祖先から由来する」)と説き、大正年間から第二次世界大戦まで、日本の福音主義派のキリスト者、陸海の軍人、外交官、極右の一部に隠然たる勢力をもって伏流していたオカルト・イデオロギーである。

中田重治(中野重治じゃないから、まちがえないでね)は日本民族の使命は、世界に散在するディアスポラのユダヤ人を糾合し、彼らをしてパレスチナの故地に帰還せしめ、そのようにして神の摂理を成就することにあると考えた。

「東より起こる人は向こうところ敵なき勢いで諸国を征服するとあり、東から西へ西へ、大陸に向かつてグングン伸びてゆくことを預言している。大陸にむかつて武力をもつて発展してゆくのである。そして最後に偽キリストに与する王たちを押さえつけるのである。私はいたずらに日本の大陸政策を謳歌するのでもなければ、軍部に媚びるものでもない。これも聖書の光であるから、かく言うのである。肉の考へからして日本が偉いと言うのではない。神の摂理の中にかくなつていると言うのである。神はこの民族をして、その使命を果たさしめようとして、過去2500年間、外敵の侮りを受けることのないようにしたもうた。これみな摂理の中にあつたことで、全能の神がこの日いづる国をして大陸にその手を伸ばさしめんがために、深いみこころの中にかくなしたまうことであると信じている。」(「聖書より見たる日本」、デイヴィッド・グッドマン、宮澤正典、『ユダヤ人陰謀説−日本の中の反ユダヤと親ユダヤ』、講談社、1999年、125頁)

なぜ、このようなオカルト・イデオロギーがそれなりの社会的影響力を持ち得たのかを論じ始めると本を一冊書かないといけないので、ここではこれ以上触れないが、結果的に日本の帝国主義的領土拡大を悲惨な戦争を招来することになった軍国主義イデオロギーの生成に、アメリカの福音主義の「スター説教師」がちょろっと一枚噛んでいたということは記憶しておいてよい歴史的事実であるように思われる。

思い出したもう一つの話も、だいぶ「遠いところ」の出来事だ。

ビリー・サンディは説教のあと「回心した」会衆たちを「審問室」に出頭させ、その「霊的状態」をチェックし、「霊的再生」が果たされたことを確認されると「決心カード」というものを発行した。

回心した諸君がそのあとどんな使命に従事したのか、ホーフスタッターの本には書いていない。

でも、私は回心者の「末路」を別の本で読んだような気がする。

ナンビクラワ族と暮らし始めたレヴィ=ストロースは、彼が来る五年前に同じナンビクラワ族と接したプロテスタントの宣教師たちの話を聞く。

彼らはインディアンと険悪な関係になり、投与したアスピリンで一人のインディアンが死んだあと、ナンビクラワ族の男たちはそれを毒殺されたと思い込んで、復讐を果たした。

六人の伝道団が虐殺されたのである。

レヴィ=ストロースはこの虐殺の加害者であるインディアンたちが「この襲撃の模様を楽しそうに語る」のを聞かされる。

レヴィ=ストロースの証言をそのまま引用しよう。

「私はたくさんの宣教師を知っており、その多くの者が果たした人間的な、あるいは科学的な役割を尊敬している。しかし、1930年ころに、中部マト・グロッソに入り込んでいったアメリカのプロテスタントの宣教団は、特異な種類に属していた。これらの宣教団の人たちは、ネブラスカ州や南北ダコタ州の農家の出であるが、そこで若者は、文字どおり、地獄と、油の煮えたぎる釜への信仰のなかで、育てられるのである。ある者は、保険の契約でもするようなつもりで、宣教師になった。こうして、自分たちの魂の救済については安心してしまった彼らは、それに値するために、もうなにもしなくてよいと考えたのである。職務に従事して出あったさまざまな出来事において、彼らは、反逆的な冷酷さと非人間性を示した。」(『悲しき熱帯』538頁)

手元に原文が見あたらないのだが、川田順造さんが「反逆的な冷酷さ」と訳されたのはもしかするとcruaute revoltane ではないかと推察される。だとすれば、revoltant は「反逆的」ではなく「胸がむかつくような」である。

よほどひどいことをしたのであろう。

レヴィ=ストロースはの虐殺の加害者を「とがめる気にはなれなかった」と書いている。

時代を勘案すると、この宣教団がブラジルの奥地にまで入り込み、そこで「回心」しようとしない原住民に対して「胸のむかつくような残酷さと非人間性」を示して、ついには彼らの憎しみを買って虐殺されるに至った歴程のどこかで、ビリー・サンディが何らかの役割を演じていたと推論することは、それほど当を失してはいないように思われる。

世界の歴史は不思議な「結び目」で繋がっている。

(以上、引用おわり)

今日の脱線で面白かったのは、靖国神社のA級戦犯分祀の話。
日本の神社の主なる宗教的機能は死者たちが生者に災いをなさないように封印する呪鎮にある。
だから平安京に災いをなす菅原道真の悪霊は北野天満宮に祀られ、天皇に叛旗を翻した平将門の悪霊は将門神社に祀られている。
つまり、神社に祀られているものの多くは「悪霊」なのである。(ゴジラの天敵である怪獣アンギラスだって、たしか「バギダラ神社」の祭神「バギダラさま」であった)
ならば、近代以降に建立された神社に祀られるのは、心ならずも横死した死者たちのうちでも、とりわけ甦ってきたらわが国に災禍をもたらす可能性の高い死者たちであるはずである。
靖国神社はもともと戊辰戦争での戦死者を慰霊するために建てられた東京招魂社にはじまる。のちに幕末のペリー浦賀来航以来の政争や内戦で死亡した「国事殉難者」をあわせ祀り、西南戦争以降は外国との戦争での戦死者も祭神とする神社として靖国神社となった。
たしか坂本龍馬や高杉晋作も靖国の祭神のはずである。
靖国神社からA級戦犯を分祀せよという主張があるけれど、これは神社本来の機能を考えたらおかしな話だ。
むしろ、日本に災禍をもたらし(あるいは災厄をもたらした元凶と見なされているせいで)うっかり甦ると「悪霊」になりかねないA級戦犯こそ丁重に祀られるべき死者ではないのか。
分祀するとしたら、それほど戦後日本社会に恨みを抱いていなさそうな坂本龍馬ほかのみなさんを別の神社に移す方が神社の機能としては本道だと思うけれど、なぜかそういうことを主張される方はどこにもおられないようである。

投稿者 uchida : 23:05 | コメント (10) | トラックバック

2004年06月28日

「お師匠さま」と「お師匠さん」

合気道部・杖道会の合同新歓コンパ。
前期末の「連続宴会シリーズ」の第一弾(このあと、大学院ゼミ、3年生ゼミ、4年生ゼミと7月11日まで宴会が続く)。
引っ越ししてすぐあとの合気道の宴会のときは28人集まって、真夜中近くに全員で「クックロビン音頭」を踊ったりしたので階下の住人から猛然たる抗議があった。
「いったい、何人集まればあんな音がするのか!」と修辞的な問いをしてこられたので、「28人」と正直に答えたら、先方も絶句されていた。
ふつうの民家に28人が上がりこんで宴会をするということはあまりない。
これまでウチダ家で行われた宴会の参加人数最多記録は山手山荘で記録した32名である。
今回はなんとそれを5人上回る37人という大宴会となった。
3LDKのマンションによく入ったものである。
騒音を自制すべく、全員に「移動に際してはすり足」を厳命し、「踊り」も禁止(そういえば業平町のときは「ディスコ・ステップ大会」というのもやったな・・・)。
今回の一品持ち寄りお料理テーマは「元気の出る料理」(私はいつもの「水餃子」)。
今年の新入部員は合気道部が8名、杖道会が1名。
ふだんのロッジの稽古でさえ36畳の道場に20名を超えることがあって、もうたいへんである。
芦屋の道場の参加者も着実に増えているし、合気道の方はたいへん結構なのであるが、杖道を始める人が少ないのが残念。
剣と杖の使い方をきちんと習っておくと、体術は飛躍的にうまくなるのだけれどね。

日曜はさすがに疲れて半日死に寝。
夕方起き出して、『ミーツ』最終回の原稿を送稿。これで『続・街場の現代思想』は終了。
毎日新聞の1ヶ月連載エッセイも終わったので、ひさしぶりに「連載締め切り」というものと無縁になる。やれやれ。ありがたや。
ついでに『東京ファイティング・キッズ』の「あとがき」を「まえがき」をさくさくと書く。
原稿を書いているうちに空腹となり、冷蔵庫をあけると、みんなが放置していった食材がいろいろあるので、それをどんどん食べる。
『街場の現代思想』の見本版が届いたので、ぱらぱらと読む。
なかなか洒落た装幀である。
本になったのを読むとまたゲラのときとは違う感じで、面白い。
ところが、あっと驚く誤植を発見して、顔面蒼白となる。

183頁
「『強く念じたことは必ず実現する』という合気道のお師匠さんの多田宏先生のお言葉を励みとして・・・」
というところである。
これは再校までは「『強く念じたことは必ず実現する』という多田先生のお言葉を励みとして・・・」となっていた。
それで校了したあと、編集のミシマくんから電話があって、「ここで急に『多田先生』という固有名詞が出てくるので、読者のために少し説明を入れていただけませんか」と言ってきた。
なるほどそうかもしれないと思い、「では、『合気道のお師匠さまの』と入れておいてください」と電話口で返事をしたのである。
それを彼は「合気道のお師匠さんの」と聞き違えて、そう印刷してしまったのである。

えらいことである。
「お師匠さま」と「お師匠さん」はまるでニュアンスが違う。
ご主人さま」と「ご主人さん」、「旦那さま」と「旦那さん」、「お殿さま」と「お殿さん」は意味が違う。
「さま」は敬語だが、「さん」はしばしば貶下的・嘲弄的なニュアンスをともなっている。
「ご主人さま」という敬語は主従関係の中で用いられ、「ご主人さん」というのは、その主従関係と無縁な第三者が口にするものである。
「ご主人さま、お呼びでしょうか?」と言うのは使用人であり、「おたくのご主人さん、しわい人やね」というふうに言えるのは無縁の人である。
多田先生は私の師匠である。
「多田先生って、ウチダくんのお師匠さんなの?」
「はい、私のお師匠さまです」
というふうに直接師弟関係にあるかないかの立場の違いがこの「ん」と「ま」のあいだには記号的に表象されているのである。
そうであれば、私が多田先生を第三者のように、「お師匠さん」と呼ぶはずがないではないか。
師に対して、このような呼称を使う人間であると思われたら、私の武道家としての見識が疑われてしまう(私のそのほかの人格的諸要素については「見識を疑われる」ことはすこしも気にならないが、これだけは困る)。

顔面蒼白となったあと、「こ、これは印刷やり直しせねば!」と立ち上がったが、頭を冷やしてかんがえると、いくらニュアンスの差を私が力説しても、出版社サイドは「ん」と「ま」の違いなんてどうだっていいじゃですか、重版のときに直しとけばいいでしょ?と相手にしてくれまい。
7月1日配本だから、本はもうとっくに刷り上がっている。
いまさら「ん」じゃダメ、全部廃棄しろというのもずいぶんと環境破壊的なふるまいだし、電話口で「じゃあ、あとは任せました」と言って、最終的な文字稿のチェックをしなかった私自身の責任はいずれにせよまぬかれられない。

というわけですので、この場を借りて、全国の『街場の現代思想』ご購入予定のみなさまに「正誤表」をアナウンスさせていただきます。
183頁10行目、「お師匠さん」は「お師匠さま」にご訂正ください。
ぜったいに訂正してくださいね!

それから、だいぶ旧聞に属しますけれど、このホームページのカウンターで100万人目と100万1人目に当たったお二人の方。ご連絡を頂いたときに、「次の本が出たら、サイン本をお送りします」とご返事を差し上げたと思います。お送りしますので、お手数ですけれど、メールでもう一度送付先のご住所をお知らせ願えますか?


投稿者 uchida : 14:54 | コメント (7) | トラックバック

2004年06月26日

アクレディテーション

大学評価セミナー出席のために東京へ日帰り出張。
こういうのがこのところ多い。
世間の方はあまりご存じないだろうが、大学に対する「第三者評価」というものがこの4月に学校教育法の改定にともなって義務化された。
歴史的流れでいうと、1991年に大学設置基準の「大綱化」というものがあった。
大学を新たに作るとか、学部学科を新設再編するとか、カリキュラムを改訂するというようなことについて、それまで文部省がきびしい規制をしてきたのが緩和されたのである。
大学にフリーハンドが与えられ、そのかわり「護送船団方式」から「市場による淘汰」に原理がシフトしたのである。
平たく言えば、「大学は好きにやってよい。そのオプションの当否は文部省ではなく、マーケットが決定するであろう」ということである。
いわゆる構造改革、規制緩和(もうなんだか「死語」化しているけど)という流れのできごとである。
その背景にあるのは、第一に少子化(マーケットそのものの不可逆的シュリンク)、第二に教育マーケットのグローバル化(ぶっちゃけて言えば、世界の大学同士の「食い合い」のことであるが、「食い合い」ゲームがフェアに遂行されるためには、「統一ルール」が必要だ)。

大学の第三者評価(accreditation)というのはこの流れのなかで登場してきたものである。
大学は事前規制が緩和されてから、「設置バブル」の趨勢にある。
審査が甘くなった分、中にはかなり怪しげな大学や学部学科もある。
ほんらいは市場が判断して、質の悪いものは淘汰されるのであるが、大学の場合はそうはゆかない。
なぜ、ゆかないのか。
その理由についてはこれまでも何度か書いたが繰り返す。
大学の場合、主たる市場はそこ教育を受けることを希望する「受験生」であり、ついで、卒業生を「製品」としてお買いあげになる「就職先」である。
いくら就職先企業での評判がよくても、受験生が集まらなくては、大学はつぶれる。
逆に、受験生さえ集まれば、大学はいくら手抜きな教育で、粗悪な「製品」を世に送り出しても当面安泰である。
ここに「ねじれ」がある。
通常の工業製品のようなものの場合、市場というのは「消費者」のことであり、材料は金さえ出せば、いくらでも買える。
ところが、大学の場合では、「材料」自身がどの「工場」で加工されたいかを選ぶのであり、「工場」が「材料」を買うことはできない。
ここが通常の工業製品の製造プロセスと違うところである。
「材料」が集まらなくては、いくら立派な製造ラインができていても、どれほど消費者がその製品を渇望していても、その「工場」は淘汰される。
いきおい、大学は、いかに受験生に選ばれるかを優先的に配慮し、どのような教育を行ってすぐれた最終製品を世に送り出すかということはとりあえず副次的な関心事となる。
映画のオープンセットではないけれど、建物の正面だけはやたら立派だが、一歩入ってみたら、ベニヤ板に描いたペンキ絵だった・・・ということが大学の場合しばしば起るのはそのせいである。
そういう「オープンセット」的な体質をもともと持っていたところに、規制緩和の設置バブルである。シュリンクしたマーケットを奪い合って、この「前面だけ煉瓦造りで、中はベニヤ」みたいな教育サービスがわさわさと出現してきた。
それというのも、受験生というのはまことにナイーブなみなさんで、「ベニヤ板のペンキ絵」のようなものにでも(というか、ペンキ絵のようなものにほど)ころりと騙されてしまうからである。
たしかに、予備校や受験産業は大学情報を提供してはいるが、それは「入りやすさ、入りにくさ」についてのデジタルな情報としては正確だけれど、その大学における教育のクオリティについては、ほとんど言及していない。
『大学ランキング』のような本もあるけれど、偏差値と就職率という「入り口と出口のデータ」は示されているが、大学四年間の教育サービスの内容そのものについての公正な評価は望むべくもない。

そこで第三者評価というものが要請されることになったのである。
第三者評価の起源は、遠く18世紀の英国で、海外航路を運行する船舶の保険料を決める「格付け」のためにロイドが始めたのが最初と言われている。
大学の第三者評価は19世紀のアメリカで、大学が乱立し、ついに「金で学位を売る」いわゆるdegree mill (学位工場)というものが出現してきたので、これを規制するために「格付け」をする必要が生じたところから始まった。
日本における第三者評価も、基本的なねらいはマーケットが「正しい選択」をできるように教育のクオリティについての適正な情報を開示することにある。

しかし、この質保証ということについては、ほとんどの大学人はまだその意味を理解していない。
第三者機関による質保証(アクレディテーション)というのは「プロダクツ」についてではなく「プロセス」についてなされるものである。
たとえば、財政評価という項目があるが、ここで優先的に評価されるのは、「金があるかないか」ではなく、「財務内容についての情報が開示されているか」「公正な監査システムが機能しているか」である。
なぜなら、「今、財政的に余裕がある」ということは、それだけでは「将来も余裕がり続ける」ということを担保しないが、「財務についての情報が開示され、公正な監査がなされている」ならば、「将来的にはいまよりも財務状態が好転する」蓋然性が高いからである。
アクレディテーションというのは、この「反省的契機をビルトインさせているために、質の向上についての蓋然性が高い」という事実についてなされるのである。
比喩的にいえば、質保証というのは、「微分」的なものである。
あるいは、ヘーゲル的な意味での「自己意識」のことである。
といえば、わかる人にはすぐわかるが、わからない人にはわからない。
この話をしだすと長くなるから、また今度。

葉柳先生の日記を読みに行ったら、たいへん教育的なことが書いてあったので、ここに採録しておきたい。
学生諸君は刮目して読むように。(途中に「十来る読めば」というフレーズがあるが、これはどういうことか私にもわからない)

(ここから引用)
私が大学に入った次の年(だったと思う)に、浅田彰の『構造と力』と中沢新一の『チベットのモーツアルト』が出版され、ニューアカ・ブームなるものが湧き起こった。だが正直に告白すれば、『構造と力』は第一章(大学論のようなもの)を除いてはよくわからなかったし、『チベット…』もカスタネダが出てくるところあたりまでしかついていけなかった。
 学生寮の上の階に住んでいた我が人生の師青木秀樹さんに、相談すると、「構造主義や記号論についての基本文献を読んでいないと、浅田や中沢のようなポスト構造主義の論客の議論は理解できないよ」と教えてくれた。
 そこで、まずはレヴィ=ストロースやソシュールの翻訳書を手に取ったのだが、これまた部分的にしかわからない。
 青木さんに再度悩みを打ち明けると、山口昌男や丸山圭三郎の著作を紹介してくれた。

 山口の『文化と両義性』や丸山の『ソシュールを読む』は頭の中にすんなりと入ってきた。日常生活の中で漠然と感じたり考えたりしていたことが、「中心と周縁」、「意味するものと意味されるもの」といった概念装置を媒介にすることで、くっきりとした輪郭をもって浮かび上がってくるというのは実に印象的な経験だった。
 それからしばらく私は、こうした概念装置の手助けを借りて、自分の生活世界の様々な現象を説明することに熱中した(たぶんうっとうしいやつだったと思う)。

 (半年くらい経って、浅田や中沢の著作を再読してみると、今度はあまり抵抗なく読み進むことができた。レヴィ=ストロースやソシュールも十来る読めば、理路を終えるようになった。最初に読んだときどうしてあそこまでわからなかったのか、わからないほどであった。)

 しかしながら、しかるべき概念装置を手に入れれば生活世界の全てが説明できる、という高揚感はそう長くは続かなかった。概念とは見るための道具であると同時に、見ないための、さらに言えば、抑圧の道具であることが「見えて」きたからだ。

 それでもしばらくは、衣装/意匠を変えながらも、概念装置を用いで現象を説明しつくしたいという欲望を完全に捨て去ることはできなかった。しかし、この衣替えという行為を通じて、「選択と排除」、「見えることと見えないこと」のメカニズムを体感することができた。

 このようにして私は、概念装置を通じて現象の全てを説明することは原理的に不可能であるということ、何かを見ることは別の何かを見ないことと同時的に生起するということ、そして、この自己限定こそが研究という行為を可能にするのだということを理解した。このとき初めて私は素人から脱却するための初めの一歩を踏み出したのだと思う。
(以上引用終わり)

葉柳さんはこのところ一貫して「研究者とは何か?」という原理的な問題を追い続けている。
若い研究者諸君ならびにウッドビー研究者諸君は彼のサイトを熟読すべし。
http://hayanagi-semi.web.infoseek.co.jp/cgi-bin/omotediary/ezjoho.cgi

投稿者 uchida : 07:56 | コメント (3) | トラックバック

2004年06月24日

予告編と新刊ご案内

風邪でペースダウンしていた仕事が、体調が上向きになってきたので、順調に片づき始めた。
『他者と死者−ラカンによるレヴィナス』(海鳥社)の初校が終わる。大きな直しはもうないから、あとは山本画伯の装幀を楽しみにするばかり。
ウチダの「レヴィナス三部作」の第二部にあたるこの本は9月頃に刊行予定。
ドムナック『構造主義とは何か』の解説のネタも実はこの本の第二章で触れる「ラカンとレヴィナスの同時代性」からアイディアを流用させてもらったのである。

医学書院『死と身体』の「まえがき」40枚もやっと書き終わる。
身体と時間の関係を考えているうちに出てきた「時間は逆流する」というアイディアと、ほんとうに重要な概念について人間は必ず「相反するふたつの意味を同時に含む語」を当てるという経験則を、「えいや」とばかりに鍋にたたき込んで、ぐつぐつ煮たような論考。
論としての完成度は低いが、着眼点のとんがり具合は、ここ数ヶ月でいちばんである。

というわけで、「まえがき」のさわりだけ、予告編でお見せしましょう。

わかりにくいまえがき

科学者というのはいつも世界が単純にできていると思いたがる。そして、その期待は決まって裏切られる。
   Gregory Bateson, Steps to an Ecology of mind

1・あべこべことば

 「適当」というのは正確にはどういう意味であるのか明らかにせよと、以前スイスから来ていたエリザベス君に問いつめられたことがある。
 「適当な答えを選べ」という場合の「適当」は「的確な」とか「正しい」という意味だけれど、「適当にやっといてね」とか「適当なこと言うな」とか言う場合の「適当」は「あまり的確でない」とか「あまり正しくない」という意味である。いったい日本人諸君は何ゆえに、このように同一語をして相反する意味に用いるのであるのか、そのあたりの理路を整然と論ずべし、と畳みかけられて困(こう)じ果ててしまった。言われてみれば、ご指摘の通りである。こちらもうっかり気づかずに使っていたが、たしかに「適当」というのは、ずいぶん「適当な」使われ方をしている。まことにいい加減なものですね、というときのこの「いい加減」も、「適正な程度」という意味ではなく、主に「適正でない程度」という意味で用いられている。というわけで、エリザベス君には、結局得心のゆくようなご説明をすることができずに終わってしまった。
その後も、ずっとこの問いがひっかかっている。
どうして、同一語が反対の意味を持つ必要があるのだろう?いったい誰がそのことからどのような利益を得ているというのだろう?そのことが、それほどに非合理的なことであるとしたら、どうしてその陋習(ろうしゅう)を改善しようと朝日新聞なりNHKなり文科省なりが提言してこないのか?
 どうも不思議である。
しかし、そう思ってあたりを見回してみると、私たちが日常使っている表現のうちには、反対の意味を同時に含意している語が思いの外に多いことに気がついた。
 例えば、人称代名詞。
 私が東京から関西に来て驚いたのは、大阪の人たちが「自分」を「あなた」という意味で用いることであった。「ジブン、騙されてんとちゃう」というのは、「あなたは騙されているのではないか」という意味である。
 『仁義なき戦い』で菅原文太が小林旭に向かって、「のうアキラ、こんなんが村岡の跡目ついだらいいじゃないの」というときの「こんなん」というのは、「こちら」というのが原義であろうが、文脈を勘案するに「あなた」の意らしく思われる。どうして「こちら」が「あなた」になるのかよく分らない。
 「手前」というのもそうだ。「てまえ」と読めば一人称、「てめえ」と読むと二人称になる。リバーシブルだ。
「あなた」にしても、本来は「彼方」の意であるはずだから、目の前にいる人の呼称としてそれほど適切とも思われない。
 考えるとどれも納得のゆかない話である。だが、別にこれは私だけがひとりこだわっていることではなく、日常生活における「変なこと」にたいへんこだわりのあったフロイト博士も、この点に着目されて、つねのごとき洞見を語られている。

 「多くの言語学者たちは、最も古い言葉では、強い−弱い、明るい−暗い、大きい−小さいというような対立は、同じ語根によって表現されていたと主張しています(『原始言語の反対の意味』)。たとえば、エジプト語のkenは、もともと『強い』と『弱い』という二つの意味をもっていました。対話の最、このように相反する二つの意味を合わせもつ言葉を用いるときには、誤解を防ぐために、言葉の調子と身振りを加えました。また文書では、いわゆる限定詞といって、それ自体は発音しないことになっている絵を書きそえたのです。すなわち、『強い』という意味のkenのときは、文字のあとに直立している男の絵を、『弱い』という意味のkenのときは力なくかがみこんでいる男の江を書きそえたのです。同音の原始語をわずかに変化させて、その語に含まれた相反する二つの意味をそれぞれにあらわす表記ができたのは、後代になってからのことです。」(S・フロイト、「精神分析入門」、懸田克躬、高橋義孝訳、『フロイト著作集1』、人文書院、1971年145-6頁)

 古代エジプト人はkenという発音を微妙にピッチや身振りを変えることで、「強い」という意味と「弱い」という意味に使い分けていたわけである。ずいぶんと七面倒なことをしたものだが、これは別に古代エジプトだけに限った話ではなく、同じ現象は、実は古今東西、言語のあるところではどこでも観察されるのである。
フロイトは同種の事例をいくつか列挙している。ラテン語のaltus は「高い」と「低い」の二つの意味があり、sacer には「神聖な」と「呪われた」の二つの意味がある。英語のwith は「それとともに」と「それなしに」の両方の意味をもっていたが、今日では前の意味でのみ用いられている(withdraw「取り去る」やwithhold「与えない」という動詞には「それなしに」という古義の名残りがとどまっている)。
 もちろん日本語にも同じ現象は存在する。
だいぶ前に見たテレビドラマで、主人公の少年(前田耕陽)が好きな少女(中山美穂)に向かって「オレのこと好き?」と訊ねる場面があった。中山美穂が「うん、好きよ」と答えると、前田くんはその答えに納得せず、こう言った。「その『好き』じゃなくて!」
 なるほど、と私は深く得心した(エリザベス君のご指摘以来、私はこういう事例にたいへんこだわる人間となったのである)。
「好き」というような、誤解の余地のありそうもないことばでさえ、言い方ひとつで、「異性として好き」という意味と、「異性として好きなわけではない」というまったく反対の意味を取ることができる。
しかるに、今のケースでは、少女の答えた「好き」が「人間としては好きだけど、異性としては興味がない」という意味であることを、少年はどうやって瞬時のうちに識別したのであろうか?
これはみなさんご自身の経験に照らして考えればすぐ分るはずである。
前田くんが中山さんの「好き」を「異性として興味がない」という意味であると一瞬のうちに判別できたのは、「好き?」という問いかけと「うん、好き」という答えの間の「間」が有意に短かったからである。
「オレのこと好き?」という問いに対して、「友だちとしては好きだけど、男として見たことないから」という場合には「うん、好きよ」。「異性として好き」という場合には「・・・うん、好きよ」と、こちらの場合は、「・・・」というわずかコンマ何秒の「ためらい」が入る。つまり、私たちは、問いかけに対する回答のわずかな遅速の差によって、それがエロティックな言明か非エロス的な言明であるかを識別しているのである。
ずいぶん面倒なことをするものである。
どうして、人間は「異性として好き」(「好き1」)と、「人間としては好きだが、異性としては興味がない」(「好き2」)に別の動詞を割り振ることをせずに、対立する意味を同一語のうちにとどめるに任せたのであろう?新語があふれるほどに発明されているのに、どうして「好き」のような、語義解釈の間違いがときに死活的に深刻な帰結をもたらす語についてだけは新語の創造をどなたも提言されないのか?
ここにはどうやら人間存在の根本にかかわる重要な問いがひそんでいるように思われる。私はこの問いを次のように定式化してみたいと思う。
人間はどうして、わざわざ話を複雑にするのか?

予告編おわり。
どうです、どこにゆくかぜんぜん見当のつかない話でしょ?
このあとグレゴリー・ベイトソンのダブルバインド理論、フロイトの夢判断、ラカンのパロール論、ニーチェの超人論、レヴィ=ストロースの「冷たい社会」論などをみんなまとめて「逆流する時間とあべこべことば」というスキームに流し込んで、あっと驚く結論に到達するのである。自分で読み返して、われながら面白かった。
『死と身体』も秋には出ます。これは『他者と死者』とともに本年度の超オススメ本。

『街場の現代思想』(NTT出版)今年最初のウチダ本もいよいよ7月1日に関西の書店三店舗で「先行発売」(そんなものがあるんだね)。
一般書店に出るのは7月12日から。
7月1日に「先行ロードショー」をしてくれるのは三宮と西宮のジュンク堂と梅田の紀伊国屋。
これは『ミーツ』に連載した「街場の現代思想」を加筆修正して、さらに書き下ろしを加えたもの。
笑えて、泣けて、ちょっぴり悩めて、それでお値段は1400円とぐっとリーズナブルだ。
来週の木曜発売。阪神間キッズ&ガールズは書店に走れ!

投稿者 uchida : 09:54 | コメント (3) | トラックバック

2004年06月23日

人工臓器とコピーキャット

火曜日の授業はたいへんに愉しい。
四年生のゼミは「人工臓器」、大学院は「シリアル・キラー」。
毎度、たいへんに刺激的な主題である。
人工臓器の話は転々として、「整形」はよいのか、「不老不死」を望むのはよろしいのか、「身体加工」はどこまでが可能か・・・と興味深い議論が展開したが、個人的にいちばん面白かったのは、「心臓移植をすると人格が変わる」という話。
これは臓器移植法案の審議のころにもときどきメディアをにぎわしていたが、心臓移植をされたレシピエントがドナー(誰だか知らないひと)の記憶や経験をフラッシュバックするという話を何度か読んだことがある(レシピエントの女性ができないはずのバイクの運転をしたとか)。
その説明として、心臓の細胞には感情や記憶が断片的に残っているという説があるそうである。
なるほど。
そういえば、「心が痛む」とか「心にしみる」とかいう表現は世界中の言語にある。
非常に強烈な感情を経験すると、私たちの心臓はどきどきする。
そのような経験を積み重ねれば、ある種の感情(それは内分泌の変化や神経系のパルスの変化をともなう)と心臓の細胞のあいだに習慣的なリンケージが形成されるというのはありそうな話だ。
パブロフの犬と同じで。
その心臓が移植されると、「心臓と感情のリンケージ機能」も断片的に移植されるということは理論的にはあってもおかしくない。
そう思いません?
私たちは「心で感じたり」、「肚を括ったり」、「腑に落ちたり」、「肝が太かったり」、「腰が砕けたり」、さまざまな社会的なふるまいと臓器の状態をリンクさせている。
こういう臓器をふくむ常套句には、たぶんそれなりの解剖学的根拠があるのではないだろうか。
むかしは「腹が立った」が、その後「胸がむかつく」になり、さらに「頭に来た」になるというふうに、怒りの感情とリンクする臓器も時代とともに変化している。
私が子どもの頃は「おへそで茶を沸かす」という言い方がまだもよく使われていた。
もう20年くらい、この表現を聞いたことがない。
若い方はご存じないだろうが、これは笑うと丹田が充実して、おへそのまわりだけ体温が上がるからである。
たぶん、「丹田が熱くなるほど笑う」という笑い方を日本人はもう身体技法としては失ってしまったのであろう。
「武者震い」というのは、戦場でいざ合戦というときになると、人間の身体は激しく震動することを言うが、このときには、鎧のパーツががしがしと触れあう。それが敵味方ふくめて戦場全体で同時に始まるので、「ごおおお」という金属音が戦場中に響き渡ったと言われている(見てきたわけじゃないけど)。
そういうふうに、いろいろな身体操作が失われると同時にある種のメンタリティや感情も失われてゆくわけである。
逆から考えると、ある種の身体部位が(たとえば臓器移植で)自律的に活動したときに、それまで自分が経験したことのなかった心性や情緒の断片がフラッシュバックするということは、たしかにありそうな気がする。
まあ、こういう発想は医療工学の人とか絶対しないでしょうけど。

大学院はアメリカではどうしてシリアルキラーが構造的に生まれるのかという話。
世界の人口の5%しかいないアメリカが世界中の連続殺人者の80%を提供している。
となると、これは一種の「風土病」と考えてよいだろう。
その原因についてはいろいろと意見が出たけれど、私はこれをある種の「コピー志向」ではないかと考える。
ご存じのとおり、シリアルキラーに関しては「プロファイリング」という捜査方法の有効性が知られている。
プロファイリングを基礎づけるのは、端的に言えば、「シリアルキラーは自分と人種、年齢、学歴、職業、家庭環境などが似ている先行者と非常に似た殺人方法を採用する」という経験則である。
シリアルキラーは本質的に、先行するシリアルキラーの「コピーキャット」だということである。
だからこそ「コピー」を「オリジナル」と照合すれば、犯人像を特定できるのである。
殺人というのが、ある種の「アート」だとするならば、シリアルキラーには「オリジナル神話」というものはない。
むしろ、いかにオリジナリティーを消すか、いかに殺人そのものと殺人者のパーソナリティが無関係か、殺人に必然性がないかが競われているようにさえ思われる。
先行者ばかりか、シリアルキラーは自分自身を無限にコピーすることにも固執する(だから「シリアル」になってしまう)。
でも、なんでコピーなんだろう?
たぶん、それは「コピーキャット」の方がオリジナルのシリアルキラーよりも「もっと邪悪」だからだ。
だって、そうでしょ?
怨恨とか利害とか一時の怒りとか、そういう「世俗的動機」で行われる殺人は情状酌量の余地がある。つまり、それほど「邪悪」ではない。
けれども、自分の何の関係もない人間、何の恨みも利害もない人間を、ただ「人まね」をするためだけに殺すということになると、これは「邪悪さ」の次数が一つ高い。
つまり、殺人においては「オリジナルであること」(それは殺人者のパーソナリティがどこかに関与するということだ)よりも「コピーすること」(そこには殺人者のパーソナリティはほとんど関与しない)の方が、いっそう非人間的であり、邪悪度において純粋だということである。
シリアルキラー=コピーキャットのみなさんは、そのように個性をかき消すことによって、「純粋な邪悪さ」を表象しようとしているのではないか。
なぜか?
それについてはさらに思弁が暴走したのであるが、それはまた今度。

投稿者 uchida : 19:05 | コメント (2) | トラックバック

2004年06月21日

台風なので原稿でも書くか

台風が来たので大学が全日休講となる。
今日は会議が一つと杖の稽古の予定だったが、どちらも中止。
やれやれこれで一日仕事ができる。
窓の外ですさまじい風が吹くのを聴きながら、急ぎの原稿を片づける。
毎日新聞に今月4回連載のエッセイ1000字(これでおしまい)。
ドムナックの『構造主義とは何か』が平凡社ライブラリーから復刻されるので、その解説を20枚ほど(10枚でいいと言われていたのだけれど、どうしても書きすぎてしまう)。
メールで送稿すると、折り返し二つ原稿依頼が来ている。
一つは「カミュ論」の新書書き下ろし。
たいへんありがたいお申し出だし、「今こそカミュ再評価が必要だ」編集者の熱意もびしびし伝わってくるのだが、いかんせん今の私には新しい仕事を受け付ける余力がない。
泣く泣くお断りする。
もう一つは『ユリイカ』から。
「はっぴいえんど」特集に大瀧詠一論を20枚というオッファー。
この特集は増田聡くんが企画に参加していて、増田くんから「大瀧詠一ならウチダさんが大ファンですよ」という情報が提供されたようである。
大瀧詠一については言いたいことが山のようにあるし、大恩ある増田くんからの仕事では、お断りできるはずもない。

でも、こうやって無節操に仕事をふやしていってよいのだろうか。
いま同時並行的にやっている本だけで
『他者と死者』(初校ゲラを校正中に、「終章」を全面的に書き直したいという欲求にかられて脂汗を流しているところ)
『医学書院本』(「まえがき」を書いたらおしまいなんだけれど、これがどんどん長くなって、いっこうに終わらない)
『東京ファイティングキッズ』(これは「あとがき」を書いているところで、あと少しで完成)
『インターネット持仏堂』(最後の「締め」の対談をすればおしまいなのだが・・・)
『Right time right place 』(池上先生との対談本、途中までのゲラが来たのだけれど、とても読む時間がなくて・・・)
と五冊がペンディングのまま。
その他に『現代思想のパフォーマンス』と『ちくまの子どもむけ新書』はどちらもたしかに8月に原稿を渡すと約束したような気がする(書く時間があるのか?)

果たして私は生きて夏休みを迎えることができるのであろうか。

個人的連絡:
N橋T子さんへ
どうも病気見舞いのお礼が遅れて申し訳ありません。
宅急便を頂いたあと「誰なんだろう、この人は・・・」と考えて、お礼状をどう書いてよいのか書きそびれておりましたら、さきほど袋の奥にお手紙があるのを発見。
葉柳さんといっしょに北野のフレンチに行ったことを思い出しました。どうもすみません。

誰かわからぬ相手にお礼状を書くべく住所を書いた紙を引きはがしてどこかに貼っておいたのですが、呆然と日々を送っているうちにそれもどこかへ失踪してしまいました。
まことに失礼をいたしました。
さぞ非人情なやつだとお思いでしょうが、単に物忘れが激しいだけなのでご海容ください。


投稿者 uchida : 19:27 | コメント (0) | トラックバック

2004年06月20日

光岡英稔師範の韓氏意拳講習会

光岡英稔師範による韓氏意拳講習会。
去年の7月に第一回を開催して、今回が二度目。
いつものように野上さんと着物姿の守さんとごいっしょに光岡先生が岡田山に登場。
ご挨拶も早々に、守さんに「桐の下駄」をいただく。
夏の塩沢の着物に合わせて下さいというご配慮である。
先日はおうどんを頂いたし、いつもすみません(エビちゃんが「いかりや呉服店」に浴衣を注文してくれたので、そのお礼もかねていたようである。エビちゃん、さんきう)。
前日に京都の稽古会があり、光岡先生は京都から。
京都の稽古会はまだ発足したばかりだが、本田秀伸さんと曽我さんが世話人(濃いメンバーだね)である。
本田さんはもうすぐ試合があるので、今回は残念ながら不参加。
本田さんとはじめてお会いしたのも、そういえば1年前のこの講習会のことだった(そのご縁で、本田さんとムニョスの世界タイトルを私は光岡先生とふたりで国技館まで見に行くことになった)。

HPで宣伝しただけだけれど、70名以上の参加者があって、大学体育館は満杯。
野上さん、守さんら、曽我さんら、珠海の韓競辰先生のところで実地に修業されてきた皆さんが「師範代」としてご指導に当たって下さった。
おかげでこの大人数でもなんとか講習会が成立した。
次回からはもう少し参加者を絞り込まないといけなくなるかもしれない。
でも、ご心配には及ばない。
光岡先生の韓氏意拳ネットワークの形成は着々と進み、今は東京、京都、大阪、香川、徳島、大分で月例の講習会が開かれている。
自分が主催者として名乗りをあげて、光岡先生をお招きすることだってできる。
そういう10−20名程度の小規模な講習会ネットワークがゆるやかに連携するかたちで光岡先生のご指導は当面推移することになりそうである。

講習では基本の形体8種、站椿2種(挙式、抱式)を4時間かけてゆっくりと行う。
光岡先生に站椿をご指導いただくのは、一昨年の大阪での甲野先生とのジョイント講習会と春の三軸自在講習会を加えて)四回目。
毎回、分らない、できないなりに「分らない、できない」という大きな宿題をいただいて帰る。
そのことが心にひっかかっていて、合気道の稽古でも杖の稽古でも、それをどう「解く」かが無意識的に課題になっている。

最初の講習会では「肩の詰まり」ということばを光岡先生の口から聞いた。
それまで私の武道語彙になかったことばだったけれど、そのときから合気道の動きの阻害要因の一つが「肩の詰まり」にあるのではと思い至って、その修正のための技術的方法をあれこれ考案することになった。
単語ひとつが1年余にわたる技法改善のきっかけになったわけである。

多田先生の講習会でも同じだけれど、行ったからといって、その場で何かが身に付く、何ができるようになる、ということはない。
そうではなくて、そのときに先生が口にする片言隻句の中に、必ず噛み砕けず、嚥下できず、消化できない技法上の「概念=動き」がある。
それが「解けない宿題」として身体のどこかにわだかまる。
「わからない・できない」ことを、「できっこない」とあきらめるのでもなく、「わかった・できた」と錯覚するのでもなく、「わからない・できない」ままにまっすぐ引き受けてゆくこと。それが修業においてたいせつなのだと思う。

「確認」と「体認」という概念を昨日ははじめて先生から伺った。
「確認」というのは、既知の体感を再認することである。
「体認」というのは、未知の体感に触れることである。
意拳が求めているのは、「理想の体感=未知の体感」を体認することである。
それは定義上、「ああ、この感じね」というふうにアイデンティファイできない。
そもそも体認されるべきは「その体感にいたるプロセス」であって「結果」ではないからだ。
達成されるべき結果も、そこに至る技術的回路も、自分がただしく体認したのかどうかを判定する基準も自分の内部に持たない状態で、なお稽古をするというほとんど「とりつく島のない状態」に立ちつくすこと。
その状態にぎりぎりまで踏みとどまることを意拳の修業は求めているようである。
守さんによると、その「わからない」感じが愉しいらしい。

講習会のあとは恒例の光岡先生を囲んでの懇親会。
45人ほどが集まって、足の踏み場もない。
途中で光岡先生が立ち上がって、「ナイフ取り」の講習が始まる。これは韓氏意拳術ではなく、カリ、シラット系の殺傷技術。
光岡先生は、この種の「ワルモノ系」の技術がけっこうお好きである(ベリーニでもやってたし)。
こうやると頸動脈切れますよね・・・とかいいながら、先生実にうれしそうである。
西宮北口までお送りして長い一日が終わる(そのあと二次会は「ウッキー教育実習打ち上げ宴会」のおまけ付き)。
光岡先生、野上さん、守さん、どうもありがとうございました。講習会に遠く東京や九州から来て下さいましたみなさん、どうもありがとうございました。
また次の講習会でお会いしましょう。

04081401.jpg 光岡先生の講習会で。守さんと野上さんと

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2004年06月17日

教育実習とミナミの宴会

ウッキーの教育実習のご挨拶に県立H高校を訪れる。
ゼミの指導教員はゼミ生が教育実習にゆくときは、大学のカタログ片手にお礼とご挨拶に伺うしきたりである。
8時45分に現地着。まずは教生の指導のS先生にウッキーのこの2週間の教育実習ぶりについてご報告を受ける。
これがベタボメ。
けっこうがんばっているだろうと予想はしていたが、これほど「絶賛」されるとまでは思わなかった。
ふつう教育実習生は教壇に立っただけで、「頭がまっしろ」になってしまって、50分間、何をしゃべっているのか覚えていないくらいに上がってしまう(これまでに何度か拝見したことがある)。
ところがウッキーは最初の授業から教室を一瞥して、「あ、そこのキミ。居眠りこかないように」と説教をかまして、ベテラン教師のように堂々たる授業ぶりであったそうである。
「たいしたもんですね」と言って頂いたので、すっかりいい気になって、「ふふふ、いつも胆力をつけるように武道を通じて修業しておりますから」とひとしきり武道修業の教育的効果について熱弁をふるう。
さらに「手塚治虫はなぜスポーツ漫画を書かなかったのか」というウッキーの学会発表の内容をご説明しているうちにS先生も熱烈な漫画ファンであることがわかって、漫画談義となり、1時間近くウッキーのことを忘れて漫画についてぐいぐい論じ合ってしまった。
S先生の次は教頭先生が登場して、今度は初等中等教育の壊滅的現状について現場の報告を拝聴しつつ、いったい日本はどうなるんだと盛り上がっているところに校長先生も参加して、マスメディアは学級崩壊や子どもたちの精神的荒廃をすべて学校のせいにしているけれど、すべて「学校が悪い」ですませているせいで、学校に対する社会的信頼の基盤そのものが崩れてしまったことへのマスメディアの責任はどうなるんだ、そうだそうだとさらに現場の先生がたは熱く語っておられたのでありました。
ウチダはいろいろな特技があるが、異業種の方から当該業界の今日的諸問題について話を伺う能力はその一つ。
私は「現場」の話を聞くのが好きなのである。
よく、ふっと我に返った相手から「こんな話、面白いですか?」と怪訝な顔をされることがあるが、ほんとに面白いのである。
歯石の話も石油採掘事業の話も弁護士業界の話もISO9001の話も、私はつねに満腔の好奇心をもって拝聴する。
そういう話は私にとって「社会の成り立ち」についての貴重なデータベースである。
大学と家を往復するだけの寡黙なる「山場の人」であるウチダが、それにもかかわらず「現代社会論」のようなものを論じていられるのは、これまでに蓄積された「異業種の方々からうかがった〈ここだけの話〉」の膨大なるストックがあるおかげである。
〈ここだけの話〉というのは、メディアには出ないし、インターネットにも載らない。
face to face の場面でしか聴取することができない。
だから、ふだん家から出ないウチダは、たまさか異業種の人と出会うと、乾いたスポンジのようにいそいそと話を聞くのである。
といっているうちにウッキーの研究授業の時間となり、2年7組の教室で、平城京とか和同開珎とか国分寺の話をウッキーから講じて頂く。
ウッキーはまことに堂々たる教師ぶりで、とても実習生とは思えない。
ふだん教育実習生の授業を聴くときはどきどきして人心地がしないのであるが、ウッキーの落ち着いた授業ぶりはなんだかこっちが眠たくなるくらい「高校の先生」であった。
S先生は「これなら来年からすぐにでも講師として採用できるくらいです」と太鼓判をおしてくださった。
ウッキーよかったね。
その話を合気の稽古のあとに部員たちにしていたら、「きっと、ウキ先輩のことですから、生徒の名前も生年月日も全部おぼてしまって、『じゃ次は獅子座のヤマダくん、読んでください』とか言って生徒たちの度肝を抜いてるんでしょうね」とS川くんが感想を述べていた。
そうかもしれない。みんなウッキーが3週間もいないので、寂しがっていたぞ。

というところまで書いていたら携帯が鳴って、晶文社の安藤さんからの電話。
今日は『ミーツ』の「哲学・上方場所」の収録で、鷲田清一さんと永江朗さんがミナミで対談をすることになっていて、その打ち上げにウチダも遊びに来いと江さんから誘われていたのであるが、合気道のお稽古のあとに食事の約束が入っていたので泣く泣くお断りしたのである。
その打ち上げ現場からの電話で、なんだか凄いことになっていた。携帯があちこち回って、鷲田先生とお初に電話でお話しする。
話のはずみで来月の「哲学・上方場所」はレヴィナスをテーマにして、そこにウチダが「乱入」して4頁という話になる(さすが『ミーツ』、出たとこ勝負だ)。

投稿者 uchida : 21:49 | コメント (2) | トラックバック

2004年06月16日

銃と弁護士

専攻ゼミは「弁護士」、大学院のゼミは「トランスパーソナル心理学」。

少し前には大学院で「参審制度」がテーマに出た。
学生諸君のあいだには司法制度を比較文化的な視点から考察したいという志向がどうやら芽生えているようである。
訊いてみるとその理由の一つは「弁護士を主人公にしたTVドラマがふえている」からだそうである。
なるほど。
『アリー』はずいぶん流行ったし、FOX—TVでも弁護士事務所ものの連続ドラマをやっていた。日本の民放でも最近いくつかドラマが続いたらしいし、「行列のできる・・・」という弁護士が視聴者の持ち込む事件を裁定するヴァラエティも高視聴率らしい(見てないけど)。
そのせいで弁護士という職業が身近なものに感じられてきたのだそうである。
そうですか。

弁護士問題は例によって日米比較。
アメリカは100万、日本は2万。
訴訟件数はアメリカが1800万(いつのまにか150万件増えてた)。日本が42万件。
いずれもほぼ50:1の割合であるから、ここに「弁護士数と訴訟件数は正の相関関係にある」という仮説が成り立つ。
弁護士の増員は訴訟件数の増加を結果するであろうが、それによってよりいっそう私たちの社会は公正で住みやすいものになるのかどうか。
私にはよく分らない。

もちろん島根県や鳥取県のように県内に弁護士が26人とかいうのはいくらなんでも無医村みたいでなんとかしたほうがいいとは思うけれど、その一方で、東京には9700人が集中しているのを見ると、弁護士の絶対数をふやしても、この比率そのものは大きくは変わらないような気がする(島根の弁護士数を100人に増やすあいだに、東京の弁護士は40000人に増える勘定だ)。
この極端な偏在状況はこの先どうやってコントロールするつもりなのか、よく分らない。

前回参審制度のことを書いたら、いろいろな方からご意見を頂いたので、しばらく考えてみたが、やはり法制度を考えるときに、「予防的」な発想を取るか「対症的」な発想を取るか、その見きわめがどこかで必要な気がする。

「予防的」というのは、社会的トラブルを「事前に回避する」ためのふるまい方の習得にリソースを優先的に集中させる考え方である。
「対症的」というのは、トラブルが「起きた後」に理非をあきらかにする信賞必罰制度の運用を優先的に配慮する立場である。
誰が考えても分るけれど「予防的」なシステムの整備と運用に要するコストは、「対症的」なシステムの整備と運用にかかるコストよりもはるかにわずかで済む。

例えば、暗い道を歩いて「ワルモノ」にホールドアップされるということがある。
この場合、迅速かつ効率的にワルモノを逮捕し、拘禁し、裁判を行い、刑を執行し、社会復帰させるまでに要する社会的コストと、「こんな暗い道を歩くと、ワルモノにホールドアップされる可能性があるから、遠回りだけど安全な道を通ってかえろ」とそろって判断できるようなリスク回避の方法を市民に学ばせるために要する教育コスト(プラス「遠回りする」ために費消する、ご本人の時間と体力のロス)を比較すると、誰が考えても、圧倒的に後者の方が安上がりである。
「暗い道で弱そうなやつを見るとついホールドアップしたくなっちゃうようなタイプの人間」を構造的に生み出すような社会的要因についての学術的研究とそのようなファクターの軽減が効果的に推進されれば、そもそもホールドアップ事例そのものが減少するはずであるから、教育コストも体力のロスもさらに少なくて済む。
つまり、犯罪に関して言えば、犯罪が起る「前」と「後」では、つねに「より前」に投資する方が有効だということである。

私は根っからビジネスマインデッドな人間なので、どうしても「費用対効果」ということを考える。
単独で検討した場合にどれほど整合的で議論の余地なく正しいソリューションであっても、「それよりもっとずっと安上がりなやり方があったら、そっちの方がいいんじゃないの?」という問いをつねに差し挟んでしまう。
話を訴訟に戻すけれど、アメリカでは、企業が訴訟で懲罰的な罰金を受けるケースが相次いだために、どの企業も製造者責任を問われて消費者から訴訟に持ち込まれないように対応策を講じている。
乾燥剤に「これは食べられません」と書いているのを見たときは「へえ」と思っただけだったけれど、薬局でもらった薬に「この包装は服用してはいけません」と書いてあるのを見たときは驚いた。
だって錠剤のカプセルの包装って、アルミ箔なんだから。
どこの世界に錠剤とアルミ箔をいっしょに服用する粗忽者がいるものかと思ったけれど、これが麗々しく印字されているということはどこかで(たぶんアメリカで)、アルミ箔を呑み込んだ消費者が製薬会社を訴えて莫大な賠償金をせしめたという事実があるからだろう。
しかし、こうやって食品薬品の包装に「これは食べられません」と印字し、プラスチック製品に「赤ちゃんの近くに置かないでください」と印字することによって企業が負担し(製品価格に上乗せされて、結局消費者が負担している)「しなくてすんだ」印刷コストは、トータルではその賠償金額をはるかに超えているはずである。
だから、「食べられません」と印字するのは、ぜんぜん「予防的」には機能していない。

この場合の、予防的な措置というのは、「食べられるか食べられないかよく分らないものを口に入れる時は、事前に年長者や専門家の忠告を仰ぐ」という習慣を子どものときから教えておく、ということである。
この習慣づけは汎用性が高いから、この教育投資から社会が受け取る対価は少なくない。

私が思うのは、アメリカ社会というのは「予防的」な発想というのがどうも構造的に「できない」国ではないか、ということである。
「すでに起きてしまったこと」について、これを事後的に調整する社会能力はかなり高いけれど、まだ顕在化していないリスクやロスについて、顕在化する以前にそれを回避することに社会的リソースを投入することには、なんだか「構造的に頭を使う気がない」ように思われる。

例えば、9・11の同時多発テロにしても、テロに先だって、その予兆があり、情報も上がっていたのに、司法省もCIAもFBIもほとんど真剣な対策を取らなかったことがしだいに暴露されてきている。
これを行政の怠慢であるとか、戦争待望論者による「情報の握りつぶし」であるとかする説明を聞くけれど、私はそういうのではないような気がする。
ある近代国家の治安維持システムが組織的に麻痺したという場合、ひとにぎりの政治家や官僚の「陰謀」によってこれを説明するのはどうしたって無理がある。
むしろこれはアメリカ社会が「〈事件〉が起きるまでは予防的措置は特に講じず、〈事件〉が起きたあとに、迅速かつ効果的にリアクトする」というリスクマネジメントのスタイルをほとんど宿業として背負っているせいではないかと私は考えるのである。

アメリカは銃社会である。
銃をアメリカ人は本質的に「予防的」なものであると考えている(それはそのまま「核抑止戦略」という考え方に通じている)。
銃がある「おかげで」(つまり「うかつな権利侵害はときに致死的な報復を招く」蓋然性がアメリカは世界のどの国よりも高いから)、起こりうるさまざまなトラブルが「事前に」回避されている、というふうにアメリカ人は考えている。
1791年制定のアメリカ憲法修正第二条では「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、国民が武器を保有し、携帯する権利は、これを侵してはならない」と定めている。
イギリスからの独立戦争を戦ったのは「アメリカ正規軍」ではなく「民兵」(militiaあるいはMinutemen とよばれた)だったからである。
1775年にイギリス正規軍と最初に銃撃戦を展開したのは、レキシントンの民兵たちである。
民兵というのはいわば「パルチザン」であり「ゲリラ」である。
ふだんはふつうの市民だが、一旦緩急あれば、武装して編成され、世界最強の軍隊とも五分で勝負できる・・・というのがアメリカ市民の武装についての基本的な考え方である。その武装権が憲法で保証され、今に残っている。
イギリスの圧政から逃れたばかりの市民たちは、武器を独占した職業軍人が権力的に機能するリスクを恐れて、自衛のための武器を所持することを市民の権利として請求したのである。
アメリカ市民たちは「銃が遍在している社会では、銃が偏在している社会よりも、市民の権利はより効果的に守られる」という判断を下した。
つまり「隣人がいつ私を殺す圧制者になるか分らない」というのがアメリカ憲法修正第二条の根底にある人間観なのである(前に書いたように、同じ発想は独立宣言にも横溢している)。
このシビアな人間観そのものはそれなりの経験的な根拠のあるもので、私はこれに異論はない。
けれども、「だから、致死的な報復装置を準備し、誇示することが抑止的に機能する」という発想には軽々に与すことができない。
「隣人がいつ私を殺す圧制者になるか分らない」から、「あらかじめ仲良くしておく」というオプションだってありうるし、「簡単には人が殺せないように、まとめて武器をどこかに片づけておく」という発想だってあると思うけれど、そういう選択肢はあまり検討されなかったらしい。
いずれにせよ、この始原における「ねじれ」がそれ以後のアメリカの「紛争制御」のすべての仕方に伏流しているように私には思われる。

司法の話にまた戻すけれど、私が言いたかったのは、アメリカにおいて訴訟は「口頭による決闘」であり、弁護士が有する法律知識は「知的な銃」とみなされているのではないかということである。
憲法修正第二条を持っているような社会と日本の法意識の隔たりは、想像されるよりはるかに深いと私は思うけれど、どうなのであろうか。

おっと、トランスパーソナル心理学について書くスペースがなくなってしまった(これも面白い話だったんだけど)。
それはまた今度。


投稿者 uchida : 20:35 | コメント (4) | トラックバック

2004年06月14日

頭がドライブ

下川正謡会の「反省会」とて、リッツカールトンで昼食会。
ゆうべ遅くまで『スラムダンク』を読んでいたので、寝不足。
『スラムダンク』はリアルタイムで単行本を途中まで買っていたが、完全版が出たのを機に、全巻買い揃えを企画した。ところが、13巻までいったところで、何巻まで買ったのかを忘れて、本屋に行くたびに「ううう」と迷って買いそびれていたのである。
というのは、それまでに『スラムダンク』で同一巻二度買いを二度も(!)経験したからである(あの本はカバーデザインが各巻そっくりなんだよね)。
『バカボンド』でも同一巻二度買いをしたことがあり、どうも井上雄彦の高額納税に私は貢献しすぎているようである。

これというのもコミックにカバーをかけて中を読ませないようにしているのがいけないのである。
一度「同一巻二度買い」の苦渋を経験すると、多くの消費者は「買い控え」に走る。結果的には立ち読み防止が総需要そのものを抑制しているというのはコピーガードのCDの場合とよく似ている。

おとといの夜に寝苦しくて、つい『スラムダンク』を1巻から読み出したらとまらなくなって、14巻からあとが読みたくてしかたがない。昨日三宮まで行って、14巻から20巻までまとめ買いをする(全24巻なのだが、重くて持てない)。ついでに名越先生原作の『ホムンクルス2』も買っておく。
山のようなマンガを『ジェイソンX』を観たあとに読み出したのが災いして、気がついたら午前3時。
ふらふら起き出して、朦朧としたまま反省会へ行き、社中のおばさま方、“不眠日記”のオガワくん、飯田先生たちと下川先生を囲んで昼酒を酌みつつ歓談。

下川先生と「教え方」の要諦についてお話ししているうちに興味深いことに気づいた。
私も合気道を教えているのでよく分るけれど、身体操法を教えるのは、ある意味で「簡単」である。
どれほど飲み込みの悪い人でも、どれほど動きの鈍い人でも、どうやったらうまくなるかという道筋は教えている方にはよく見えるからである。(下川先生はきっぱりと、「私の言うことを聴いていれば、誰でもうまくなれる」と断言されていた)。
おっしゃるとおり、どんな人でも、身体運用については師匠の指導に従っていれば、いずれ必ずうまくなる。
あるレベルまで達するのが早いか遅いかの違いはあるが、それは単なる時間の問題にすぎない。
こういう稽古をすれば必ずうまくなる、ということを教える側はきっぱりと断言することができるし、教わる側はその言葉を信じることができる。

なぜそういうことができるかというと、身体運用の場合は「うまくいった」ときの快感というのが強烈な身体記憶として、教える側にも教わる側にも個人的経験として共有されているからである。

前受け身がなかなかできないような人が結果的に高段者にまでゆくということはよくある。
それは、他の人がなんの努力もなしにできる前受け身を数ヶ月かかってようやく「できた!」というときには、その達成がもたらす身体的快感が強烈に記憶されるからである。その種の快感をそれまで経験したことがない人は、それを求めて熱狂的に稽古するようになる。

けれども、大学の専門の授業の場合は、それに類することはまず起らない。
例えば、私が教えている現代思想のような科目の場合、学生さんがその科目を1年間毎週受講した結果、何かが「できた!」というような強烈な知的達成感を味わうということは、まずない。
学問に人間を向かわせる動機づけになる強烈な身体的快感とは、強いて言うと「脳が加速する感じ」なのであるが、これは経験したことのない人間にはどうやっても説明することができないし、そもそもこの世にそのような快感があるということさえ学生たちは知らない。
でも、武道も哲学も集中的な修業や、それがもたらすブレークスルーを可能にするのは、ある段階で経験した強烈な快感の記憶であることに変わりはない。
身体運用を動機づけるのが「私の身体にはこんな動きができる潜在能力があったのか!」という発見の快感であるのと同じように、知性の運用を動機づけるのは、「私の脳にはこんなことを思考できる潜在能力があったのか!」という発見の快感である。
身体的な達成感を獲得する方途については多くの経験的データとそれに基づく適切な指導方法が存在するけれども、「脳が加速するときの快感」、鼻の奥が「つん」と焦げ臭くなり、思考に「アクセル」がかかる感じについては、書かれたものも語られたものもほとんど存在しない。もちろん、どうやったら「アクセルがかかるか」について書かれたものも存在しない。

世の中には死ぬほど頭のいい人がいくらもいる。
けれど、そういう人たちも「私は頭がいいのでたいへんハッピーです(金も入るし、ちやほやされるし、うふ)」というようなことは絶対に口にしない。たぶん、『頭がよいので、気持ちがいい』というような題名の本を書いたら、ほとんどの人が題名を見ただけで作者に殺意を抱くからであろう。

投稿者 uchida : 21:51 | コメント (5) | トラックバック

2004年06月13日

やっと晴れたのでお洗濯

ようやく晴れた。
私は「お天気病み」なので、雨が降って気圧が下がると「ぐだっ」となってしまって、家から一歩も出ないでごろごろして、何をする気も起らないが、今日はすかっと晴れているので、なんとなく朝から気分がうきうきしている。

医学書院のための「まえがき」を書く。
夢の話や『マクベス』の話を書いているうちに、何がなんだか分らなくなってきた。
書いている私自身が「何を書いているのか分らない」というのは、私自身の思考がある種のブレークスルーを経験しつつあるということである。
本人としてはもちろん愉しい経験なのだが、書かれていることを読み返すと、書いている本人にもよく理路がたどれない。
誰も言っていないようなことを書かないと、書く意味はない。
誰にでも分るように書かないと、やはり書く意味がない。
誰も言っていないようなことを、誰にでも分るように書くというのはまことに至難の技である。

昨日から芦屋駅前で政党の宣伝カーがうるさくなってきた。
参院選が近いせいだ。
英国では統一地方選でブレア首相率いる労働党が「歴史的敗北」を喫して自由党にも破れて第三党に転落したらしい。イラク派兵に対する英国民の批判票らしい。
参院選はどうなるのだろう。
これから一ヶ月の間に、もし中東の軍事情勢に劇的な変化があった場合、参院選で与党が「歴史的敗北」を喫する可能性もある。
中東でのテロ一つで日本国内の政局が一変しかねない。こんなかたちで国際外交と内政がここまで深くリンクしたのはおそらく戦後はじめてのことだろう。
非常に予測のむずかしい政治的ファクターにどんどんカードを「張り込む」ことによって、結果的に政治状況に対する主体的なコントロールを失い始めたことの意味を当の政治家たちはどれくらい自覚しているのだろうか。
彼らを見ていると、日本の政治家もこんなリスキーなゲームをするんだから、「国際政治のプレイヤー」として熟練してきたな、というような印象がどうしてもしない。
むしろ、もうこの先どうなるか分らないんだから、自己決定できる範囲をどんどん狭くして、「袋小路」に突入しよう。そうすれば少なくとも、どちらに行くか迷わずにすむ・・・というような幼児的な判断放棄の雰囲気をふと感知してしまう。

国際政治の用語で「デインジャー」というのは「統御不能の危機」のことであり、「リスク」というのは「管理可能な危機」のことである。
政治の要諦は畢竟するところ「デインジャー」を「リスク」に繰り込むことにある。
しかし、いまの日本の政治を見ていると、むしろその逆に「今ならまだコントロール可能なリスク」を「このままではコントロール不能になる可能性のあるデインジャー」に書き換えているように見える。

アメリカの世界戦略に対するコミットメントも、持続性のない年金法案も、三菱のリコール隠しも、整備新幹線も、道路公団民営化も出生率のデータ隠しも・・・リスクを「リスク」として認知し、その責任を引き受けることを回避し、リスキーな問題を「こんなもの、たいしたことないよ」と先送りにすることで一層コントロール困難なものに押しやるように、日本社会全体が合意したように見える。

業務連絡

光岡英稔先生の韓式意拳講習会の詳細

(1) とき:6月19日正午より午後5時
(2) 場所:神戸女学院大学・大学体育館(地図は下のURLでごらんください)
(現地へのアクセス)http://www.kobe-c.ac.jp/kotu.htm
(学内マップ)http://www.kobe-c.ac.jp/campus_map.htm(マップの16番「体育館」というのが会場です)
(3) 会費:講習料2000円(当日、受付にてお支払い下さい)
(4) 服装:運動ができる服装でおいで下さい。武道の道衣でも結構ですし、体操服でも結構です。体育館は土足では入れませんので、必要な方は上履きをご用意下さい。
(5) ビデオ撮影、写真撮影、録音などをされる方は受講者の集中を妨げないようにご配慮下さい。また、講習内容によっては、光岡先生から「オフレコ」の指示が出る場合もありますので、その場合は撮影録音をお控え下さい。
(6) 男性用の更衣室のスペースが足りませんので、男性の方は体育館でお着替え願うことになります(女子更衣室はちゃんとあります)。
(7) 講習会終了後、西宮北口の「民芸ふじや」において光岡先生を囲んでの懇親会を行います。会費3000円(予定)です。講習会受付のときにお申し込み下さい。
(8) その他、当日の詳細につきましては、内田宛メールでお問い合わせ下さい。
uchida@tatsuru.com

投稿者 uchida : 14:44 | コメント (1) | トラックバック

2004年06月10日

June Blind

まだ風邪が抜けきらない。
気候が悪いせいかしら。
じめじめしているし、蒸し暑いし。
ずいぶん長い時間寝ているはずだけれど、朝起きてもあまり爽快感がない。
日本の六月って、ほんと最低だな。
今朝も一度起きて朝ご飯を食べて朝刊を読んでいるうちにまただるくなって布団に戻る。
熱があったら学校休みたいなあと思って検温したら、36度7分。
うーむ、これでは休めない。
のろのろ起き出して、スーツを着て、学校へ出かける。
出かけに入試問題集の使用許可の手紙を投函。
このところ毎日のように、いろいろな出版社から入試問題集への使用許可願いが来る(今日だけで三通投函した)。ほとんどは『寝ながら学べる構造主義』からの引用。
去年だけで中学高校大学10数校で入試問題に使われたようであるから、たぶん2003年度で「一番入試によく出た本」のベスト10には入るであろう。
「ややこしい哲学的命題を試問題にしやすくリライトすること」があるいは私がいまのところ世間的に評価されている能力なのかもしれない。
喜ぶべきなのかどうなのか、よく分らないけれど、まあ、そういう人も必要なのであろう、きっと。

フランス語とゼミと体育の授業をする。
奇妙な話だが、フランス語がいちばん身体を使い、体育がいちばん頭を使う。
フランス語の授業は教室を歩き回り、板書し、フランス語を読み、文法を説明して90分間休みなしであるのに、体育の授業はほとんど腕組みをして無言で学生を睨んでいるだけである。
たぶんフランス語の授業をしているときよりも、合気道を教えているときの方が、彼女たちにとって何を学ぶことが喫緊に必要なのかがよくわかるからである。
ゼミのときは身体も頭もあまり使っていないで、その場にいるだけである。
でも、この「ただその場にいるだけ」という仕事は私にとってはけっこう面白い。
自分の存在がいったいこの学生たちにとってどういう意味があるのかをつい真剣に考えてしまう。
なんだかいてもあまり意味がないような気もするけど、それなりに意味があるような気もする。。
けっこういい先生であるような気もするし、まるでダメな先生であるような気もする・
よく分らない。

橋本治『シネマほらセット』を一気読み。
どういうふうに面白い本なのかは口では説明できない。とりあえず読んでいただくしかない。
たとえば、白石加代子とデミ・ムーアが競演する『ガラスの仮面』の話。
「かつてブルース・ウィリスとの夫婦共演の『レベッカ』で、タイトル・ロールのレベッカをデミ・ムーアが演じたまではよかった。そこで先代の奥様付きの家政婦に扮した白石加代子が『奥様、お待ちしておりました』と言って姿を現した瞬間、『勝負はあった』と言われて完敗してしまったデミ・ムーアであります。
 それ以来の因縁のライバルが、天才少女スター姫川亜弓と天才演劇少女北島マヤになって再度激突するのであります。『私は一度だってあの人(=北島マヤ)に勝ったと思ったことはないのよ』という姫川亜弓の劇中のセリフを読んで、思わずデミ・ムーアの全身は震えたという話でありますから、これはもう楽しみであります。
 共演は、姫川亜弓の母・大女優姫川歌子にローレン・バコール、ブロードウェイの幻の名作『紅天女』上演に命をかける往年の大女優・月影千草にキャサリン・ヘプバーン、“紫のバラの人”速水真澄にキアヌ・リーブスという、すごいんだかいびつなんだかよくわからない豪華キャストであります。
 呼び物は、格闘派デミ・ムーアと情念派白石加代子の両ヘレン・ケラーによる劇中劇『奇跡の人』の競演で、それがあるもんだからアン・バンクロフトはこの姫川歌子役を熱望したんだそうであります。ああ、階段からゴロゴロ転げ落ちた白石加代子の言う、『見ていてください、紫のバラの人、これが私のヘレンです』のセリフを早く聞きたい、見てみたい、早くしないとキャサリン・ヘプバーンが死んでしまう。」

全編こういう話。
ジム・キャリー主演の『エデンの東』(監督・テリー・ギリアム)は「父親に愛されたいと思う息子が、父親に受けようとしてギャグを連発するのだが、ぜんぜん受けない」話。映画の冒頭は、スーザン・サランドン(母役ね)がモントレーの街を歩いてゆくあとを、猫背で上目遣いのジェームス・ディーンのまねをしたジム・キャリーが歩いてゆくのである(すごいねー)。
キャストも凝っている。隻眼隻手の怪浪人、「毛ずねの上には赤い蹴出し、黒襟をかけた白地の着物には、ラテン語でヨハネ黙示録の散らし書き、ご存じ、丹下左膳!」はこれしかないアントニオ・バンデラス。『ブラピの天下の一大事』ではデニス・ホッパーが大久保彦左衛門で、ブラピが一心太助と将軍家光の二役。
『くの一忍法帖』もすごいぞ。最後は「忍法肉鞘」を使う伊賀忍者(ジョン・マルコビッチ)と「信濃忍法羅生門」を駆使するくの一(シャロン・ストーン)のR指定のSFX死闘。監督はラリー&アンディのウォシャウスキー兄弟。
中学生たちの親たちが一堂に集められ、そこで殺し合いを命じられる『バトルロワイヤルPTA』もすばらしい。(三浦友和、佐野史郎、赤井英和、内藤剛志、香川照之、小倉一郎、佐藤B作、いとうせいこう、梅垣義明、おりも政夫、林寛子、あべ静江、片平なぎさ、坂口良子、夏木マリ、萬田久子、小林幸子、天童よしみ、柴田理恵、小林綾子、藤田朋子、戸田恵子、角替和恵・・・など50人のPTAの殺し合い)
そのほか、フェリーニ監督の『鉄腕アトム』、アラン・ドロン主演の『源氏物語』、吉永小百合主演の(謀図かずお原作)『へび』など、怪作満載。

投稿者 uchida : 21:09 | コメント (0) | トラックバック

2004年06月09日

「オタク」と司法

風邪がまだ抜けない。
身体の芯の方に「疲れの塊」のようなものが蟠っていて、それがじくじくと「なんだか気分が晴れない波動」のようなものを全身に発信して、「さ、やるぞ。ばりばり」という意欲の形成を妨げている。

とはいえ、次々の原稿の締め切りだけはやってくる。
『ミーツ』の原稿を出したと思ったら、明日までにNTTの「あとがき」を書かないといけない。
熱にうなされてそういう返事をしたらしい。

知らない出版社の知らない編集者から「もうすぐ締め切りです」という催促のメールが入る。
いったい、どのような原稿を約束したのか覚えていないが、構造主義についての原稿らしい。
先方の話では私の原稿がただちに入稿しないと大変なことになるらしいが、そんなに大変な仕事なら、論題も締め切りの期日も執筆の可否さえ確認しないで放置しておかねばよいのにと思う。

柏書房の五十嵐さん、医学書院の白石さんからも軽くキックが入る。
どちらも原稿の本体は書き上がっており、あとは「まえがき」「あとがき」の類を書けば終わりなのであるが、なんだか「やる気」が出ない。

ご案内のとおり、私の書き物は文字通り「無からの創造」であり、材料なしでいくらでも書ける点がお気楽と言えばこれほどお気楽な商売はないのであるが、いまのように「やる気」が出ない時期には、いざ机に向かって書こうとしても、もとが「無」であるから、何も書きようがない。
ただ、呆然とキーボードの前でへらへらしているだけである。
へらへら。

しかたがないので、キーボードに向かって味のしないコーヒーを呑みながら、(石川茂樹くんに作ってもらった)スモーキー・ロビンソンのCDを聴く。
平川くんから電話があって、その石川くんのご父君が亡くなられたそうである。今日がお通夜で明日が告別式だが、とても東京までゆく元気がないので、お花を送ってすませる。
先年のご母堂に続き、ご両親を看取ったことになる。石川くんも、さぞやお疲れであろう。年回りとはいいながら、つらいものである。
お父上のご冥福を祈ります。

げほげほ空咳をしながら大学へ行き、四年生のゼミと大学院のゼミに出る。
天気が悪いせいか、ウチダが痴呆化しているという情報がすでに全国的に配信されているせいか、あまり出席者がいない。

今回のテーマは四年生が「オタク」で、大学院が「陪審制度」。
「オタク」とか「萌え」とか「やおい」いうのは私がもっとも苦手とする領域である。
たぶん、そのエリアの方々に「歴史」という視点が構造的に欠如していることに理由があるのであろう。

どのようなサブカルチャー活動もかならずそれが社会現象に顕在化するに至る「前史」というものがある。それが別の社会現象のかたちをとらず、いまあるような形態を取るに至ったのは、おおくの場合「偶然」にすぎない。
だから、ある社会現象の「本質」をつかむもっとも効果的な方法は、その現象が「何であるか」を実定的に言い当てることではなく、むしろ、「それ以外のどのような現象が、それと同じような社会的機能を果たしうるか?」という問いを立てることにある。

別に、私がそう言っているわけではない。

「記号というのは『それが何であるか』によってではなく、『それが何でないか』によって欠性的に機能する」と言ったのはソシュールである。

しかし、どのような文化活動についても、活動従事者ご本人たちは、自分たちの活動が「偶然」今あるようなかたちをとったにすぎず、歴史的なファクターがひとつ違うとまるで別様のかたちを取ったかも知れないというふうな想像を好まれない。

「オタク」の前史は「SF」である。
「オタク」という二人称の発生は1983年中森明夫命名による、と公式「オタク史」には書かれているが、SF関係者のあいだではつとに1960-70年代から用いられていた。
「コミケ」も同人誌活動も、もちろんその前身は「SF大会」とSFファンジンである。
しかし、この程度の歴史的事実さえ当今の「オタク」たちは知らない。
それも当然で、1960年代のSFファン活動などというものの歴史的ドキュメントなんかだれも記録して残していないからである。

でも、「こういう子ども中心のアンダーグラウンド的なネットワーク活動」がある日いきなりぽんと出てくるはずはない。
そういうものには必ず「前史」があり、それが今あるようなかたちをとったのには必ずある種の社会的ファクターの関与がある(私の見るところ、「SF」から「オタク」へのテイクオフは1960年代後期の少年文化の「過政治化」に対する反動である)。

けれども、そういう「おのれ自身を位置づける歴史的文脈」に反応する知的アンテナそのものが「オタク」の諸君にはほとんど構造的に欠落している。

「オタク」というのは、ほとんど自己言及だけで構築されている自閉的な文化活動なのであるが、そのような自閉的な文化活動が生成してきた歴史的プロセスについての自己言及だけはほとんど行わない。

自分の立ち位置について客観的に語ることのできない人間と話をするのはすごく消耗する。
だから、私は「オタク」が苦手なのである。

大学院のゼミは「陪審」制度。

どうして、こんな制度が日本に導入されることになったのか、私にはその歴史的意義がよく分らない(私のみならず、出席者の誰一人分らなかった)。
アメリカの司法制度を取り入れるということがよいとされているらしいが、なぜアメリカの司法制度を取り入れることがとりあえず「よいこと」なのか、私にはよく分らない。

日本とアメリカはご存じのとおり、司法のあり方が違う。
アメリカは世界に聞こえた訴訟社会であり、日本はそうではない。
年間の訴訟件数がアメリカは1600万件、日本は40万件。弁護士の数はアメリカが100万人、日本が2万人。
アメリカでは訴訟のほとんどが却下または略式判決によって早期終結しており、審理過程でも和解になって終結する場合が多い(判決にまでたどりつく率は3%)。つまりアメリカの訴訟事件の97%は「そもそも訴訟するほどの話ではなかった」ということである。
アメリカがこの不要不急の訴訟によってどれほどの社会的リソースを浪費しているかについては当のアメリカ人も自覚的である。
「訴訟を起こされるリスクがある」ことについてしだいにアメリカ人は「それなら、やらない」という選択をする傾向が強まっている。それがビジネスにおける発意や創造性を深刻に損なっていることをアメリカのビジネスマンも法律家も指摘し始めている。

かつてトマス・サスは、市民が身に起きるあらゆるトラブルについて、その責任者を訴え、賠償請求をできるような社会では、市民の側に「トラブルを事前に回避するための社会的能力」を育てるという動機づけが失われることを指摘した。

逆説的なことだが、「つねに悪が罰され、正義が勝利する」社会において、市民たちは、目の前で犯罪が行われ、不正が横行しても、それに対して鈍感になる。
だって、そうでしょ。
「正義の社会」では、ただちに犯人は捕縛され、不正は罰されることが確実なんだから。
目の前でどれほど残虐な犯罪行為が行われていても、見ている方は別に心が痛まないし、身を挺してそれを阻止しようという気も起らない。

だって、ほっとけばいずれ正義が執行されることが確実なんだから。

それは神が全能であり、すべての不正がただちに神によって罰される社会では、人間が倫理的である必要がないのと同じことである。

「トラブルは必ず解決される」という信憑はアメリカの「病気」である。

それはアメリカが「銃社会」であることと根本的なところで通じている。

銃は「これから起きるトラブルを回避する手段」ではなく、「すでに起きたトラブルを解決する手段」である。
銃による自衛権を憲法が保証している社会では、「トラブルを事前に回避する」ための市民的知恵の育ちようがない。

起こりうるトラブルを網羅して、そのすべてに対処できるシステムを作ることと、なるべくトラブルが起きないようなシステムを作ることのどちらがコストがかかるか考えれば誰にでも分ると思うけれど、日本はアメリカに倣って、次第によりハイコストの社会制度にシフトしようとしているようである。

どうしてそんな愚かな選択をしたがるのか、私にはよく理由が分らない。


投稿者 uchida : 10:54 | コメント (6) | トラックバック

2004年06月06日

あたまがぐるぐる

下川正謡会大会無事終了。

直前に大風邪を引き、申し合わせを欠席、直前2週間の間に稽古一回だけというたいへん不十分な準備で臨んだ大会であったけれど、なんとか終わった。

朝一に飯田先生の『鶴亀』やウッキーの『橋弁慶』,『紅葉狩』が並んでいたので、女学院関係者が大挙ご観覧いただきました。みなさん、どうもありがとう。
二人の初舞台もたいへんにおみごとでした。
二人とも「愉しそう」にやっていたのが、とてもよかったですね。

『融』は全曲12分くらいの長い舞囃子で、どっかんどっかんと七ツ拍子を踏みながら謡を謡い、手も忙しくお仕事をするというたいへんに作業量の多いコレオグラフィーなのであるが、さすが1年間営々としてお稽古を重ねてきた甲斐あって、何度か途中で頭が「まっしろ」になったけれど、白い頭のままでちゃんと身体は動いてくれた。

下川先生が最後に出番前の切り戸のところで襟首をぐいっとつかんで「ばたばた走ったらあかんよ」と死ぬほど怖そうな顔で凄んでくれた。
ふつうこういう場合は出番直前の弟子をリラックスさせようと、ひとこと気が楽になるようなことを言うのが世間の常のお師匠さまであるが、うちの師匠は出番直前に、弟子の襟首を締め上げながら死ぬほどおびえ上がらせてくれるのである。
まことに得難いお師匠さまである。
しかし、これは私を指導する方法としてこれ以上ないくらいに正しい方法なのである。
みなさまの感想を徴するに、結果的に、私はたいへん「初々しい」舞囃子を舞ったようである。
私から「初々しい」パフォーマンスを引き出すことのできる師匠は、世界ひろしといえども下川宜長先生を於いてほかにはいないであろう。
齢五十路を遠く越えて、まだ「叱られると怖い先生」がいるということは、まことにありがたいことである。

ご多用中の中、神能殿に来て下さったみなさまにお礼申し上げます。
清水先生、中川さん、イワモトくん、平山さん、溝口さん、ドクター佐藤、大迫くん、見満さん、青山さん、蔵屋さん、角田さん、小林さん、谷尾さん、石田くん・・・みなさん、どうもありがとうございました(ドクター佐藤は下川先生の仕舞に感動して、社中入りを決意されたそうです。おお、また仲間が増えたぜい)。

来年は『巻絹』です。また、きてくださいね!

投稿者 uchida : 23:26 | コメント (0) | トラックバック

2004年06月05日

蘇る金狼

がるるる。

トカゲの回復力を誇るウチダも一度はこれまでかと思ったが、明けない夜はないように、治らない風邪もない。鼻水もいつかは止まり、咳もいつかは鎮まるのである。

金曜になってようやく下川先生のお稽古にでかけられるまでに体力が回復する。

しかし、出かける前に体重計ではかると、なんと体重が71キロにまで落ちている。

病前から3キロ減ったことになる。ぜんぜんうれしくない病気ダイエット。

ひさしぶりに『融』を二度通して舞う。

ちょっとふらふらするが、これはまだ微熱が残っているせいである。

謡は声がまるで出ないが、無理をしてはいけませんと言われるので、小さな声におさえておく。

家に戻り、シャワーを浴びて、日曜日のために色紋付を出して、しつけ糸をほどいたり、袴のほころびを点検したりする。

ひさしぶりにワインを飲む。

6日ぶりである。

変わった味がする。

「ふむ、これが酒というものか・・・あまりうまいものじゃないね」

煙草も吸ってみる。げほげほ。こりゃ、まずい。

これを機に、酒も煙草も止めて、島井先生の旗下に馳せ参じて「学内完全禁煙運動」のミリタントになろうかしらと一瞬、むなしい夢をはぐくむ。

不思議なことに、病中酒も煙草も止めている間に、何度も麻雀をする夢を見た。

そういえば、一般にバクチと酒はトレードオフの関係にある(当たり前だけれど、酒を飲んでバクチをすると大負けをするからね)。

1週間の禁酒禁煙のせいで、私の中に眠っていた「麻雀本能」が蘇ったのであろうか。

そういえば、前に兄上から、今度、平川くん石川くんを誘って、四人でどこかの温泉に行き、そこで二日にわたり、朝から夕方まで麻雀を打ちまくり(夜は温泉に入って、ビールを飲んで歓談)、カセットで60年代ポップ聴き続け・・・という至福の48時間というものを過ごさないかというご提案を受けている。

夏休みにはいった最初あたり(ぼくは京大の集中講義がそのころあるんだけれど、それが終わってから)、箱根あたりでどうでしょう。

えー平川君、石川君、連絡をお待ちしています。

以上、業務連絡終わり。

そういえば、すーさんとも麻雀をやる約束をしていたな。

浜松でうなとろ茶漬けを食べてから合気道のお稽古をしてそれから麻雀というのも、なかなかよいな。
でも、中学の先生とかって、めちゃめちゃ強いんだろうな。なんか、わかるよね。つまんんそーな顔で「あ、そのサンピン、山越、ごめんね、ザンパースー」みたいな。

ああ、大負けしそう。

でも、やりましょうねすーさんも。


投稿者 uchida : 09:35 | コメント (3) | トラックバック

2004年06月04日

げほげほの日々

げほげほげほ

げひー、こんこん。

ううう、ひつこいかぜだぜい。鼻水も咳もとまらん。なんとかならんのかな。
ちょうど今日で一週間になる。
まだ微熱が身体の芯に残っていて、ふらふらする。

いよいよあさってが下川先生の会の本番なのであるが、この1週間もちろんまったくお稽古ができていない。

なにしろ声が出ない。声が出なくては能のお稽古はできない。

しかたがないので熱でぼやけた頭の中で何度も『融』の道順をおさらいする。

しかし、脳というのは不自由なもので、ふだんはさらさらできる所作も頭で考えると、分らなくなる。

「あれ、このとき右手はどうなってるんだっけ?」

というようなことを考えると、何が何だか分らなくなる。身体に任せておけば、ちゃんとやってくれるのだけれどね。

しかし、いまはその「賢い」からだの方がへばっているので、どうにもならない。

なんとか日曜までには体調が回復してくれることを祈願するばかりである。

というところでお知らせね

下川正謡会大会

とき:6月6日(日)午前9時半始め

ところ:湊川神社神能殿(JR神戸駅北側徒歩3分、高速神戸駅北徒歩1分)

私と不眠日記のオガワさんとのデュオ『通小町』、飯田祐子先生の独吟『鶴亀』、ウッキーの連吟『橋弁慶』、仕舞『紅葉狩』、などは朝一メニュー。
能は『羽衣』(午後3時ごろ)、私の舞囃子『融』は午後5時くらいでしょうか。

入場無料、出入りは自由です。タイミングがよいとお昼のお弁当がもらえます。

なお、楽屋見舞いの儀は堅くお断り申し上げます(当日はめちゃくちゃ荷物が多いので、何も持てないのです。ほんとに冗談ぬきで)

では、みなさんも私の健康回復をともにご祈念ください。


投稿者 uchida : 09:28 | コメント (1) | トラックバック

2004年06月02日

病臥の日々

これまでの人生でずいぶん何度も風邪を引いてきたが、今回の風邪はそのワーストスリーに堂々とランクインするほどの「性悪」な風邪であった(と過去形を使っているが、まだ咳がとまらない)。
金曜日の夜半にやや咽喉に違和感があり、「あ、風邪かな・・・」と思っていたが、翌日は朝からバザーの切符もぎり当番があり、午からは合気道、終わったら駆け足で東京へ行って池上先生との対談仕事の「夜の部」が予定されているので、寝付くわけにもゆかない。
バザーと合気道はなんとかこなしたが、新幹線の中で寒気がしてきた。
どこかで風邪薬を・・・と新宿駅をぐるぐる歩き回ったのだが、薬局というのはうんざりするほどそこら中にあるようでいて、いざ探すと意外に発見できないものである(だいたいなんでもそうだね)。変な化粧品売り場はそこらじゅうにあるのに。
結局薬局を探し当てることができぬままに対談の時間となり、池上先生、お二人のご令息(五朗さんと信三さん)、赤羽さん、毎日新聞の中野さんといつもの由庵でご会食。
「宴会人間」の宿業で、こういう場面になると体調不良で発熱しているのか、お酒に酔って頬がほてっているのは、定かでなくなり、なんだか機嫌よくトークは進行する。
しかし、三宅先生も参加しての二次会になる頃にはさすがに明らかに「酔ってろれつがまわらない」というよりは「高熱で意識が混濁している」状態となる。
這うようにしてホテルにもどり、フロントで風邪薬をもらって飲むが、市販の総合感冒薬程度ではもう収まるものではない。
翌朝の対談パート2はパスさせていただき、三宅先生に抱えられるように新幹線で芦屋へ戻り、そのままダウン。
夜中に体温をはかると39度5分。
あああと気が遠くなる。
月曜も朝から高熱が続き、身動きもままならない。とりあえずドクターの携帯に「Help me」というエマージェンシー・コールを入れ、事情を話して薬を届けてもらうことにする。
ドクターが解熱剤、鎮痛剤、抗生物質、胃薬などを大量に持ってきてくれる。ついでに簡単に診察してもらう。
「だいぶ炎症がきてますね」とのご診断。
まことにこういうときにご近所にホームドクターがいるのはありがたいことである。
解熱剤をのんだら、39度前後を行き来していた熱が少し下がって、いくぶん楽になる。
しかし、汗がすごい。
30分ほど寝て、目が覚めると、頭から水をかぶったように全身が濡れている。
よろよろと起きあがって、パジャマを着替え、シーツを代え、枕カバーを取り外し、タオルケットを換え・・・というような作業を三日間、何度となく繰り返す。
何も食べる気がしないが、空腹で薬を大量服用すると胃に悪そうなので、バナナと牛乳とヨーグルトをむりやり押し込む。
しかし、よくも汗をかいたもので、さきほどぬれたパジャマとTシャツを洗濯するときに数えたら、35枚あった。
Tシャツ35枚分の汗をかいたのであるから、体重だって10キロくらい減っていてよいはずなのだが、これは不思議なことに2キロしか減っていない。
なんだか理不尽な気がする。

火曜日は申し合わせとゼミ二つがあったのだが、まさに最悪の状態にあったので、どちらもパス。
水曜日になって、ようやく医者に行く元気が出る。
病気になったら医者に行け、と人々は気楽に言ってくれるが、医者に行くことができるのは、医者に行くだけの体力のある人間に限られることを忘れてもらっては困る。
なにしろ四日も風呂に入らずひたすら悪寒と発汗と痰咳の吐き散らし活動に専念従事していたわけであるから、身の汚さは言語を絶する。
医者に行く前に、とりあえず風呂に入って、髪を洗い、全身をきれいにお掃除する。
ふらふらとかかりつけの西川内科にはいずってゆく。
血のまじった痰も出ているので、一応お願いしてレントゲンを撮ってもらう。
最近のレントゲンは5分くらいで結果が分る。前に撮ったのと比較して、特に気管支にも肺にも特に危険な徴候はないということをうかがってほっと一安心する。これで悪性の気管支炎にでも罹っていると、日曜の下川正謡会以下すべての予定がわやになる。
解熱剤、抗生物質、咳止め、鎮痛剤など7種類の薬をもらって蹌踉と家に戻る。
シロップの咳止め薬がよく効いて、のどの痛みがすうっと引く。
やれやれ。
『ミーツ』の原稿の締め切りを二日のばしてもらったので、それだけ今日中に書き上げて、あとはおとなしく寝ていることにする。原稿はもうできているのであるが、字数を数えていなかったので送稿できなかったのである(原稿の字数を数える気力さえない、ということもあるのだ)。
明日もまだ熱が残っているようなら、無理せず休講にすることにする。
みなさんも夏風邪にはどうぞご注意下さい。


業務連絡

徳島の「みどりあたま」さんから光岡先生の講習会のご案内が来ました。本学の講習会の前週です。守さんが定期的にされている四国の講習会の徳島ヴァージョンだそうです。
興味のある方はぜひそちらにもご参加くださいますようご案内申し上げます。


『光岡師範韓氏意拳講習会in徳島』
(一応へも身共催)

日時:6/12(土)13:30〜16:30
場所:徳島県立中央武道館剣道場

事前の申し込みが必要になります。
問い合わせ、申し込みは、
http://www.52983.net/dan.htmの守さんまで宜しく御願いします。


投稿者 uchida : 14:26 | コメント (7) | トラックバック