BlogNagayaLinkaGuestsColumnsBooklistMovieSeminarBudoPhoto|Archives|Profile|

<< 2004年03月 | メイン | 2004年05月 >>

2004年04月30日

正しい日本のエグゼクティヴおじさん

4月30日

大学教員研修会。
連休の谷間であるが、この日は大学の授業は休講で、終日教職員の研修会が行われる。
教員研修会のテーマは「『特色ある大学教育支援プログラム』と本学の教育活動評価」。
私は自己評価委員長として、このイベントの現場監督役をおおせつかっている。

「特色ある大学教育支援プログラム」は当初「教育トップ100校」と呼ばれ、ついで「COL」(Center of Learning)と呼称され、最近では「GP」(Good Practice)と改称を求められている。

呼び名が二転三転したのは、その性格づけについて、実施主体のがわに十分な合意形成がなされておらず、文部科学省と実施委員会の先生たちのあいだに微妙な温度差があったことに起因していると私は見ている。

おそらく文部科学省は当初このプログラムを「大学の序列化と市場原理の導入による、『負け組』大学の淘汰」を加速する方向で構想していた。それに対し、実施にあたった絹川ICU学長以下の実施委員会メンバーは「大学の教育力の構造的な強化による、できるだけ多くの大学の生き残り」という反グローバリズム的な構えで応じた。私はそう見ている(違うかもしれないけど)。

一大学人としてもちろん私は「市場原理の導入による弱者淘汰」という単純な政治よりも、「できるだけ多くの大学のそれなりの生き残り」という複雑にして困難な課題に親近感をもつ。

どうせ骨を折るなら、「まだ誰も試みたことのない困難な課題」に取り組んで、前のめりに倒れる方が骨の折り甲斐がある。

しかし、この高等教育の明日を決定づけかねない重要性をもった教育戦略の歴史的意義について、まだ本学教員の間に十分な共通認識が形成されてはいない。

もちろん不肖ウチダも機会あるごとにその点についてはアナウンスはさせていただいているのであるが、なにせ不徳の致すところで、「ウチダが力説することなら、ろくなことではあるまい・・・」という「それはあんまり」なリアクションが散見(どころじゃないな)されるのである。

なべて私のこれまでの没義道な言動に対する教職員のみなさまの健全なるリアクションであり、私の側にはいささかも恨む筋はないのだが、狼少年だってたまにはほんとうのことを言う。

というわけで、「今起こりつつある高等教育のあり方の歴史的シフト」の方向と意義を本学のみなさまに正確にアナウンスしていただくべく、COLのレフェリーであり、1月のフォーラムで、その歯に衣着せぬご発言で私とナバちゃんの度肝をぬいた冨浦梓先生(東工大監事)に講師としてご足労願うことを原田学長に懇望したのである(思いがけなく、原田学長が冨浦先生と大学設置審議会でご昵懇だったので、話はとんとんとまとまった)。

冨浦先生はいわば「産業界を代表する大学ご意見番」という立場にあり、新日鐵の役員をされながら日本学術会議や学術振興会の委員を歴任された方である。
その風貌に小津安二郎の昭和30年代の映画に出てくる中村伸郎や北竜二の役どころを思わせる旧制高校的な「古き良き時代のエグゼクティヴ」の面影をとどめた方である。

冨浦先生は何度か自称して「技術屋」という言い方をされたが、これはある時代まで日本のサラリーマンが好んでもちいた区分である(明治生まれの私の父もまた「古き良き時代のサラリーマン」であったが、父は「事務屋」という自称を好んでいた)。

そういう「正統的な勤め人」と、当今「リーマン」と自嘲する方々のあいだには明らかにある種の「エートスの段差」がある。

前夜、宝塚ホテルでの学長と東松さんとごいっしょした接待のときのお話も、講演もシンポジウムのときのお話もたいへんに面白かったのであるが、私はむしろその「語り口」にすっかり聞き惚れてしまった。

こういう比喩は不適切かも知れないけれど、大学の教師というのは、どこか「一本どっこ」の侠客みたいなところがある。「てやんでえ、おいらはおいらでえ」というこの潔さが風通しがよくて私は好きなのだけれど、冨浦先生のような「大看板を背負って語る」という感じは大学の教師からはしない(「権威をかさに語る」学者はいるけれど、それはぜんぜん意味がちがう)。

「大看板を背負う」というのがどういうことなのか、私にはうまく言えないけれど、「とりあえず、いまの日本社会がこうあることについては、『私たち』がその責を負う」というスタンスの揺るぎなさが私には「なつかしい」感じがしたのである。

そういうふうな立ち位置から発言する「大人」の人がだんだん日本からいなくなったからかもしれない。

研修会は盛会であったし、私は有用な多くの情報を得ることが出来たけれど、冨浦先生のような「正統的な勤め人の(おそらく)最後の世代」の方のたたずまいをまぢかに見ることができたことが私にとってはこのイベントを企画したことの最大の収穫であった。

研修会のあと学長とごいっしょにしばらく歓談したのち、私の車で冨浦先生をJRの駅までお送りした。
「じゃあ、また会いましょう」と笑いながら一揖してすたすた駅の方に歩いてゆく冨浦先生の後ろ姿を見送りながら、私は「なるほど」と妙に気持ちが片づいた。

何が「なるほど」なのか、うまく言えないけれど。

多田先生がサラリーマンになっていたら(多田先生は大先生から「君みたいな人が合気道の専門家になればいいんだけどね」と言われるまで、早稲田を出たあとは先生のお父さんや伯父さんたちのように大企業のサラリーマンになるつもりでいたそうである)どんな感じになられたのかなあ、とふと考えた。


投稿者 uchida : 21:46 | コメント (1) | トラックバック

2004年04月29日

肩が凝ったので『キル・ビルVol.2』を見る

ダイアリーを見ると、何も書いてない。
おお、まるオフだ。

というので、とりあえずたまりにたまったメールを読んで返事を書く。ざっと20通。

ゼミの学生諸君の卒論計画を読んでコメントを書く。メールアドレスが分かっている人にはそのままメールで送る。

むかしはもっとずいぶん丁寧なコメントをしたものだけれど(そのまま本に採録したものもあった)、それだけの時間がない。

うう、つらいぜ。

NTT出版のゲラの校正は、自分の文章を読むことに飽きちゃったので、レヴィナス論の原稿を書くことにする。

やはりこっちの方が力が入る。ぐいぐいと書き足してゆく。

がりがり書いているうちに夕方になる。

もう肩がばりばりなので、原稿書きをあきらめて街へ出かけることにする(おお、珍しい!)

『キル・ビル vol.2』が始まったので、三宮まで見に行く。

混んでるかなと思って、少し早めにいったのだが、がらがら。(20人くらい)

タランティーノの新作にして、この入りとは・・・

前作は dedicated to Fukasaku Kinji であったが、今回はなんというかロバート・ロドリゲス風味が勝った感じ。

もちろん完成度は高いのだけれど、前作ほどの荒唐無稽ぶりがなくて、ちょっと渋め。

前作はLucy Liu とバトルがメインだったけれど、今回はどちらかというとケレン味抜きの「男くさい」ドラマである。

デヴィッド”こおろぎ”キャラダインとマイケル・マドセンの「しぶーい」演技を堪能。

映画が終わったあとにトイレで映画少年たちが「ビルの弟の役のやつ、かっこよかったね、あれ見たことないけど、誰?」「しらねー」というような会話を交わしていた。

諸君は『レザボア・ドッグス』見てないの?おーい。

どうしてデヴィッド・キャラダインが少林寺にユマ・サーマンを送り込むことになるのかという、そのあたりの事情は1970年代にTV見てない人にはわかんないだろうな。

それにしても、モノクロ画面を多用したり、クレジットを1950年代的なデザインで処理したり、全体にハリウッドの懐古趣味が前面に出ておりました。

こりゃ、モンロー主義は冗談じゃすまないな。


投稿者 uchida : 00:55 | コメント (5) | トラックバック

2004年04月27日

砂場の英語と『太陽の涙』

4月26日

爆睡後、がばっとおき上がって、原稿書き。
まず産経新聞から頼まれている書評1000字。取り上げたのは市川力さんの『英語を子どもに教えるな』(中公新書)。
バイリンガルに育てるということのリスクとコストについて論じた本で、共感する点が多かった。

外国で暮らしたり、インターナショナルスクールに入れたりして、英語話者のあいだに置かれると、子どもは仲間や先生とすぐに「ぺらぺら」話すようになる。
それを見て「ネイティヴのような発音だ」と親は喜ぶが、これはしょせん「砂場の英語」に過ぎない。

「砂場の英語」から「教室の英語」のあいだには乗り越えることの困難な段差がある。

それは「自分の経験や状況を共有している親しい特定の人」ではなく、「自分のことを知らない未知の不特定の人たち」にも通じることばの使い方を知るということである。

「あれ」と言えば分かる人に向かって語る「身内のための語法」と、「あれ」を知らない人に「あれ」が何であるかを適切に理解させるために用いる「他者のための語法」は別種のものである。

コミュニケーションとは「他者に届くことば」に至るための長い修業のことである。もちろんネイティヴのような発音ができることは貴重なことだが、その発音をもってしても「あれ」を「あれ」としか言えないのであれば、ことばは身内から先へはとどかない。

「『っていうかー、ぶっちゃけ、チョーむかつくじゃん』という次元の会話しかできない人々や暴言を繰り返す政治家などは、冗談ではなく、すべて『セミリンガル』といってもさしつかえないであろう」(82頁)と市川さんは書いている。

「中学生みたいにぺらぺらしゃべる」ことは「ネイティヴ中学生」ではない人間にはむずかしい。
けれども、そんな「砂場の日本語」だけでは私たちは「身内」以外の誰ともコミュニケーションすることができない。

そして、外国語を学ぶ意味があるとすれは、それが「身内の壁」を乗り越えるための「梯子」であるということ以外にはない。

しかし、現実には英語に限って言えば、むしろ「身内の壁」を強化するために、つまり、その言葉を使えない人間たちを「排除する」ことをめざして英語を学んでいる人々がずいぶん多いように私には思われるのである。

「英語ができると就職に有利」と言い方そのものが外国語運用能力の「排他的」な機能を表現してはいないのか。

1000字を15分で書いて、「一丁上がり」。
その足で三宅接骨院に行って、背中をほぐしていただき、お土産に10弦ギターの小川和隆さんという方のCDを3枚頂く。
治療に行って、身体を治していただいた上、帰りにお土産を頂いて帰る。
このお礼はやはり「三宅先生のカルマ落とし」に全力を挙げてご協力する以外にあるまいと決意を新たにする。

芦屋駅前のフレッシュバーガーでチーズバーガーを囓ってブランチ。

次はポーラ文化研究所というところから頼まれた身体論の原稿。これは15枚なので、15分というわけにはゆかない。

とりあえず、日曜の多田塾研修会の帰り道に、工藤くんとQ田さんを相手におしゃべりしたことをとっかかりに書き出す。

Qちゃんが日清食品の前の信号のところで、「多重人格とDVは同根の現象では」という卓見を述べられたので、それをそのままパクらせて頂く。

これくらいは「店賃」としてたまに回収させていただいても、いいよねー。

そのままぐいぐいと15枚書いて、おやつの前に書き上がる。これで二丁上がり。
続いて、本日三本目の『ミーツ』の離婚論その2にかかる。
さすがに時間切れ。
四時半になったので大学へ杖のお稽古に行く。
新人が3人(1年生が2人)来ているので、なんだかずいぶんと人数が多いような感じがする。
どうかこのままみなさんお稽古続けてくださいね。

杖と太刀の基本的な使い方を教えたあとに、合気杖、それから全剣連型の四本目をおさらいする。
2時間があっというまに経ってしまう。

雨が降り始めた。
家にもどって蛸ともずくと胡瓜の和え物を作って、ビールを飲みながらずるずると啜る。
夏だね。

お食後にお向かいのビデオ屋に行って、ブルース・ウィリスの『ティアー・オブ・ザ・サン』を借りてくる。

なんだか痛々しいほどアメリカの「被害者意識」が露出した映画だった。

ナイジェリアの内戦のときに、ジャングルの教会に取り残されたアメリカ人の医師を救出にゆく特殊部隊の話。

一昔前なら、悪ものに襲われて困っている良民を救いに騎兵隊が駆けつけると歓呼の声で迎えられるという話になるのだろうが、今はさすがにそんな映画は作れない。
特殊部隊はゲリラと同じように、戦争を飯の種にしている「暴力的なやつら」という冷たい視線で迎えられ、救出されるはずのアメリカ女性も「何しにきやがった」という態度でつんけんしている。

もちろん、最後は「あなたのおかげよ」ということでブルース大尉は女医さんにきっちりハグしてもらえるのだけれど、別に恋に落ちるとか、敬意を抱くとか、そういうことではなく、悪路を操縦してくれたドライバーに「どうも、ね」と握手する程度の愛情表現である。

その「どうもね」を獲得するために、ブルース大尉は部下のほとんどを死なせ、本人も重傷を負うことになる。

どう考えても、損得勘定の合わない戦争だ。
おそらくいまのアメリカの平均的市民の「戦争観」はこれにかなり温度が近いのだろうと思う。

これだけ犠牲を払っても、リターンはわずか。
感謝のことばも外交辞令程度のものにすぎない。
そんな分の悪い取り引きのために、何人ものアメリカの若者が死んでゆく。

もう止めないか?
世界なんかほっとこうよう。
「悪の枢軸」がジェノサイドをやろうと独裁をやろうと政治犯を虐殺しようと、もうほっとこうよ・・・好きにさせてやろうよ。
そんなアメリカ市民の「本音」が漏れ聞こえてくる。

なんとなく「モンロー主義」への後退を予見させる映画だった。
イラクのあと、アメリカは必ずモンロー主義的な孤立政策のうちにふたたび閉じこもるであろう。

ハリウッド映画の「徴候性」を侮ってはいけない(予言がはずれたら、ごめんね)。

投稿者 uchida : 11:14 | コメント (4) | トラックバック

2004年04月26日

今夜もバトルロワイヤル

たいへんに忙しい週末。

金曜日はめずらしく会議のない午後なので、ソッコーで帰宅して、ただちに仕事。

残りわずかの『困難な自由』の校正をこりこりと仕上げる。脚注をいくつか残したところでとりあえず校了。メールで国文社の中根さんに送稿。

数年がかりの仕事がようやく終わった。

『観念に到来する神について』を97年に訳し終えて、そのつぎにすぐとりかかった仕事だから、数えてみると7年かかったことになる。
ずいぶんひぱったものである。
中根さん、ほんとにごめんなさい。

『困難な自由』をおまちかねの全国300万のレヴィナスファンのみなさん、おまちどうさまでした。秋には出ます。ご期待ください。


6時に終わって、そのままばたばたと三宮へ。
田口ランディさんとの対談その2である。

晶文社の安藤さんのセッティングで、今回は「痴呆老人とレヴィナス」というなにがなんだか分からないテーマで話し合ってくれというのであるが、どうやってつなげたらいいの?

というわけで、安藤さんのご要望はまるっと無視して、旧居留地のオルフェというフレンチレストランのたいへん美味なるフルコースをぱくぱくといただきながら、ランディさんと好き勝手なおしゃべりをする。

このレストランはRe-setの橘さんのご紹介で、着席するとただちに「これは橘さまからでございます」と言って、シャンペンのサービスがあった。
こういうのって、たいへんに気分がよろしいですね。

二次会はいつものリセット。
ここに淡路島の病院におつとめの中山さん青山さんというおふたりのゲストとドクター佐藤さらに『ミーツ』の青山さんも合流。

いきなり「寝ゲロ」の話で始まったが、そのうちちゃんと予定通りに痴呆老人の話になって、「ボケたもん勝ち」というたいへん有意義な結論に落ち着く。

ワインをがぶがぶ飲みながらの対談(途中からバトルロワイヤル状態)であったので、何を話したのかまるで覚えていないが、そのうちにこのホームページ上で公開いたしますのでお楽しみに。

土曜日。
よろよろと起きあがって、まずは下川先生のところでお稽古。

謡のバイブレーションが全身に回ったおかげで二日酔いの酒気が抜けて、たいへん気分がよろしくなる。

合気道の方はウッキーに託して、ばたばたと支度をして新幹線に飛び乗り、鎌倉へ。

かねてお約束の「鈴木晶先生のうちを鈴木先生のうちから歩いて二分のところにお住まいの高橋源一郎さんと急襲して、鈴木先生の手作りのごちそうを食べ散らして、ワインセラーのワインを飲み倒す」会(略称「飲み倒す会」)である。

鎌倉はあいにくの氷雨。すごく寒い。

鈴木先生のおうちは鎌倉宮の裏側の護良親王の首塚の下という歴史的ロケーション。
あたりいちめん竹藪の中。
おまけに先生のおうちは高橋たか子さんの旧居なので、赤煉瓦造りの「フランスの修道院」みたいな感じのたいへんにシックな建物である。

そこで雨の中、鈴木先生と奥さまの灰島かりさんが予定通りにお庭でバーベキューの用意をしている。

さっそくシャンペンで乾杯。
焼きたての巨大ホタテ貝にお醤油をたらたらとかけてがぶりと噛みつく。
おお、じゅうしい。
うめっす、先生、めちゃうめっす。

にこにこしていると、歩いて二分の高橋源一郎さんが巨大なシャンペンをかかえて、ご令嬢の橋本麻里さんと、ちょうど高橋家に遊びに来ていた加藤典洋さんといっしょに登場。

そこに橋本さんのお友だちの武者小路千家の千宗屋さんも参加して、途中から家の中に河岸を移して、さらに鈴木先生のさばいたお刺身や蟹や生ハムなどをばりばり食べつつ、予定通り鈴木家のワインセラーを着々と空洞化しつつ、しゃべりにしゃべる。

それにしても、どこかの雑誌の企画ではないかと思うほど「濃ーーい」メンバーである。

加藤典洋さんとお会いするのははじめて。

加藤さんは『ため倫』をずいぶん早くに(ご本人によると、日本で一番早く)書評で取り上げて、ほめてくださった方である。

そもそも『ため倫』の戦争論は加藤さんの『敗戦後論』をめぐる高橋哲哉さんとの論争に触発されて書かれたのであるから、あの本が出たそもそものきっかけは加藤典洋さんにあるといって過言でないのである。

そのあとに、ある大学での日本史のシンポジウムのパネリストに呼ばれたことがあり、「どうして私のような歴史学の門外漢にお声がかかったのでしょう?」とお訊ねしたところ、パネリストのひとりである加藤典洋さんからのご指名であると教えていただいた(
残念ながら、そのシンポジウムには日程のつごうがつかなくて参加できなかった)。

福岡の海鳥社の別府さんと仕事の話をしていたときにも、「誰か対談したい人いますか?」というオッファーを受けたので、できることなら加藤さんと対談したいとお願いしたことがある(海鳥社は加藤さんの本を何冊か出しているのである)。

その話は加藤さんがめちゃめちゃ忙しくてとても時間がとれないということで調整がつかなかった。

今回はだから三度目の正直。

ようやく「恩人」におめもじできたので、おそまきながら『ため倫』のときのお礼を申し上げる。

日本を代表する作家と批評家が参加されたわけであるから、どれほどハイブラウな文学論が展開したのであろう・・・とみなさんは想像されたであろうが、もちろんそのような話はなされず、サラブレッドの種付けとか慰謝料はなぜ税金が控除されないのかなどという深刻な話題と、
「ここだけの話だけどね・・・」「えええええ!あの人って、そうなんですかあ!」「内緒よ」というみなさんには決して教えることのできない話題でぐいぐいと盛り上がったのである。

5時から始まった宴会は深更にいたっても終わる気配がなかったけれど、鎌倉駅前にとったホテルの門限が12時というので、後ろ髪をひかれる思いで鈴木邸を後にする。

さいわい部屋がツインのシングルユースだったので、おうちまで帰る電車がなくなった加藤さんと部屋をシェアすることにする。

結局、部屋でもビールを飲みながら、さらにおしゃべりが続き。翌朝も目が覚めてから横須賀線の品川駅頭でお別れするまで、ずうっと話し続ける。
まことに愉快にして有意義な一日であった。

高橋さんとは仕事の打ち合わせをかねていたのであるが、ぜんぜんその話はできなかった。ま、仕方ないよね。

鈴木先生、奥さま、どうもほんとうにごちそうさまでした。

ジジェク本が出たら、その出版記念にまたバーベキューやりましょうね!

こんどは鈴木さんと高橋さんと私がそれぞれ娘をつれてきて、父親と娘たちの6人バトルロワイヤル座談会という企画をどこかの雑誌に売り込んで、そのギャラでシャンペンを買い揃えませんか?


お酒が完全に抜け切れぬまま、ふらふらと新宿の合気会本部道場へ。
なんだかやたらに人が多いし、見知らぬ顔もいるので、へんだなーと思っていたら、いつもの多田塾研修会ではなく、一般公開の多田先生の講習会だった。

それでも坪井先輩、亀井先輩もいるし、気錬会の工藤くんや新主将のひろたかくんの顔も見えるので、ちょっと安心する。

研修会皆勤の浜松の寺田さんが来ていらしたので、「どうすか、すーさんはまじめに稽古してますか?」と鈴木先生の近況を伺う。

「うなとろ日記」に書かれているように、今年から教務主任に任ぜられたすーさんはお稽古もままならぬようであるが、いよいよ来月は初の昇級審査を受けることになっているそうである。

鈴木せんせー、がんばってくださいねー。

今回は多人数掛けと太刀取り。

考えてみたら、太刀取りを多田先生から習うのは29年合気道をお稽古してきて、これが初めて(昇段審査や演武会でやった技はすべて先輩に習ったのである)。

どぎまぎして、なかなかうまくできない。

しかし、この年になってまた新しい技を教えていただいて、新しいことを覚えることができるというのはまことにありがたいことである。

いつのまにか亀井先輩と二人で組になる。

すると若い連中が誰も近寄ってこない。
「5,6人一組で」と多田先生はおっしゃっているので、どこもそれくらいの人数なのであるが、亀井・内田組には誰も「入れてください」と言ってこないのである。

どーして?

やさしいおじさんたちなんだぜい。

そのまま最後まで亀井先輩にお稽古の相手をしていただく。
こんなに長い時間お稽古をつけていただいたのは、自由が丘道場のころ以来かもしれない。

ふたりともふだんは教えるばかりで受け身なんか取ったことないので、受け身が新鮮である。

座技の二教をしているときに、亀井先輩が「ああ、二教をかけられるのなんて、5年ぶりくらいかもしんない」と感動されていた。

それではというので、ごりごりと固めて差し上げる。
ごりごり。
「てて、いてえよ、ウチダくん」と亀井先輩はたいへんうれしそうに痛がっておられたので、さらにごりごり。

稽古時間が予定より1時間半ものびてしまったので、今日はいつもの「多田塾研修会の帰りに生ビールをのむ会」はパス。

ひろたかくんの主将就任祝いや雑賀くんの五段昇段祝いや工藤くんの婚約祝いなど祝い事が目白押しだったので、ごいっしょに祝杯をあげたかったのであるが、新幹線の時間が迫っているので、泣く泣く新宿駅頭で「これから生ビール」の諸君とお別れする。

というわけでいま新幹線の車中でビール片手に、シグマリオンでこれをぱかぱか打っているのである。

まことに充実した、おそらくわが生涯でいちばんスリリングな週末ベスト5に入るような三日間であった。

みなさん、どうもありがとう!

投稿者 uchida : 00:07 | コメント (0) | トラックバック

2004年04月21日

ゼミが始まったのだが・・・

4月21日

ゼミが始まる。
新四年生のゼミは初回から欠席者が6人というありさま。
卒論研究計画の提出日だというのに。
就職活動というのは、そんなにたいせつなものなのであろうか?

繰り返し言っていることだが、もう一度言わせていただく。
大学生である限り、就職活動は「時間割通り」にやりなさい。

諸君はまだ大学生である。
いま、ここで果たすべく期待されている責務を放棄して、「次のチャンス」を求めてふらふらさまよい出てゆくようなタイプの人間を私たちは社会人として「当てにする」ことができない。

当然でしょ?

いま、ここでの人間的信頼関係を築けない人間に、どうしてさらに高い社会的な信認が必要とされる職業が提供されるはずがありましょうか?

そんなこと、考えれば分かるはずである。

「おっと、こうしちゃいられない」

地獄への道はこの言葉によって舗装されている。
これは長く生きてきて分かったことのひとつである。
みんなそうつぶやきながら破滅への道を疾走していった。

古来、胆力のある人間は、危機に臨んだとき、まず「ふだんどおりのこと」ができるかどうかを自己点検した。
まずご飯を食べるとか、とりあえず昼寝をするとか、ね。

別にこれは「次ぎにいつご飯が食べられるか分からないから、食べだめをしておく」とかそういう実利的な理由によるのではない。

状況がじたばたしてきたときに、「ふだんどおりのこと」をするためには、状況といっしょにじたばたするよりもはるかに多くの配慮と節度と感受性が必要だからである。

人間は、自分のそのような能力を点検し、磨き上げるために「危機的な状況」をむしろ積極的に「利用」してきたのである。

「きゃー、たいへんよー!」
と言ってじたばたしていると人間の能力はどんどん低下する。

周りがみんなじたばたしていているときに、とりあえず星を見るとか、とりあえずハイデガーを読む、というようなタイプの人間を「胆力のある人間」というふうに私たちの社会は評価する。

そして、あたりまえのことだけれども、まともな企業の人事の人間が探しているのは、業績不振というような風聞をききつけて「きゃー、たいへんよー!」とあわてて就業時間中に求人誌をめくって転職先を探すような社員ではなく、落ち着いてふだんどおりに仕事をてきぱきと片づけてくれるタイプの社員に決まっているのである。

まともな大学の教師の学生評価基準と、まともな企業の人事の新入社員評価基準は、基本的に変わらない。

「えー、ぜんぜん違うよー」

あ、そう。

だとしたら、君はいま「間違った大学」に通っているか、これから「間違った企業」に入ろうとしているか、そのどちらかである。

そして、いずれにせよ、君の人生は、これから先も無数の「間違い」によって編み上げられてゆくことであろう。

大学院の演習の方はたいそうな人だかりである。
ゼミなのに30人近くいる。
ご案内のとおり、こちらはAmerican Studies である。

1年間ゼミをやって、その成果をまんまNTT出版から本にして出そうという、「一粒で二度美味しい」授業である。
だから、このゼミはこれからは録音されることになる。
そのためにICレコーダーも購入済みだ。

毎回ネタを院生聴講生諸君から「お題拝借」で頂いて、こちらはその場の思いつきをぺらぺらしゃべって一丁上がりという、アクマのごとき狡知なのである。

録音したデータはPCに取り込んで、それをメールでM島くんに送り、先方で編集していただき、年明けにゼミが終わった頃には一冊分の原稿が完成している・・・という段取りである。

「そ、それで印税は全部先生が独り占めなんですか!」

まさかね。
ゼミの打ち上げ宴会のビール代くらいはオレが持とうと太っ腹なところを見せているじゃないですか。

「ええ!ビールおごってくれるんですか!」

わははは。まあ大船に乗った気で。

「先生、その台詞、前にどこかで聞いた気が・・・?」

「おお、思い出したよ。M下M己から『映画のことば、映画の音楽』の原稿を預かったときに『必ず引き受けてくれる出版社をみつけてくるから、まあ大船に乗った気で』と請け合ったことがあったな」

「結局、その本は・・・」

「うむ。残念ながら、持ち込んだ全出版社で拒絶されてしまったのだ。そのおりにM下くんから『大船に乗った気で』と言っておきながら・・・とずいぶん責められたものだ」

「で、先生はどうやって言い逃れをしたんですか?」

「『大船に乗った気で』などと言った覚えはないときっぱりと前言撤回したのである。『オーボエに乗った気で』と申し上げたのである。まあ、たいていの人間はオーボエに乗ったら転ぶわな。」


投稿者 uchida : 11:39 | コメント (2) | トラックバック

2004年04月20日

『ル・モンド』の日本青年論

4月20日

『ル・モンド』にイラクで解放された日本の三人の人質の日本政治史上での徴候的な意味について長文の解説が掲載された。

彼らの「自己責任」を問う中傷と誹謗が日本の一部のメディアとウェブに行き交っているときに、フランスの(というか世界的にももっとも信頼性の高いメディアのひとつである)クオリティ・ペーパーがこの三人の「偉業」を称える長文の「日本青年論」を掲載したことは一驚に値する。

『東京ファイティングキッズ』にアメリカの世界戦略に追随しないと「国際社会の笑いもの」になるという定型的な床屋政談に対して、「国際社会」がどういうリアクションをしているのか分かった上でそういうことを言っているのか、とを嫌味を書いたところなので、参考のためにみなさまに「国際社会」の(もちろん、ごく一部にすぎないが)この問題に対するひとつのリアクションをご紹介したいと思う。

記事の一部は今日の朝日新聞の夕刊が紹介していたが、原文はたいへん長い(約3000語)。
私も全部訳すのはしんどいので、抄訳をここに掲載する。(えーと、こういうのはコピーライツ関係はお断りしなくてもいいのかしら?)

「日本:人道主義的熱気」

「神戸の震災以来、日本の経済成長の子どもたちの中で人道的活動やボランティアにかかわるものの数がしだいに増えてきている。イラクで人質になった日本人たちは、そのひとつの範例である。
人質になり、4月15日に解放された三人の日本人は、身を守るものとしてその善意だけを手に、いったいイラクの泥濘に何をしに行ったのだろう?
彼らは無意識だったのか、それとも無思慮だったのか?
彼らの冒険は、拘束された二人の日本人ジャーナリストの場合と同じく、日本の若者たちの一部を衝き動かしている愛他主義的な価値観がどのようなものかを間違いなく示唆している。
慎ましい日本の若者たちがいる。彼らは自分たちについて多くを語らない。けれども、ダークスーツを着たサラリーマンとけばけばしく夜の街を徘徊する『おしゃれな』若者たちのどちらにも属さないところに、まじめな顔つきのものも陽気なものもいるけれど、自分たちの身銭を切って自分たちの社会を何とか変えようとして行動に踏み込む若者たちもまた存在する。
この三人の最初の人質の経歴がそれを語っている。

高遠菜穂子(34)はインドでマザー・テレサが創設した組織でボランティア活動をした後にイラクに入り、ストリート・チルドレンにかかわる活動をした。今井紀明(18)は最年少で、この三月に高校を出たばかりであるが、反戦運動にかかわり、同盟軍の使用した劣化ウラン弾に被爆した市民の犠牲者についての記事を書くためにイラク入りした。彼はイラク派兵された兵士たちの基地のある出身地の北海道の旭川でルポルタージュを書いている。郡山総一郎(32)はフリー・カメラマンで、自衛隊員、運転手を経て、写真家の道に入った。

この三人はいずれも自分の眼で見たいという意志と、自分なりのてだてで、世界を変革しようとは思わないまでも、彼らが犠牲者であるとみなす人々に手を差し伸べようという意志を共有していた。(・・・)

1970−80年代にも、アジアの各地で日本のバックパッカーの姿がよく見かけられた。彼らは経済成長を謳歌する日本を離れて、インドやネパールに新しい地平を探し求めていたのである。それはごく少数に過ぎなかった。
しかし今日、世界各地のまさかこんなところに・・・というような空港や市街で私たちが出会う日本人の男女の過半はこの10年ほど日本で広がっているNGOのボランティアのメンバーたちである。彼らはアフリカやアジアの人知られぬ僻地で、人道的な活動に従事している。
たいていは休暇を利用している学生たちであるが、それを専業にしている人も増えている。

イラクの叛徒に捕らえられた人質たちは孤立した『夢想家』というにはほど遠い。そのことが日本の世論の一部を揺り動かしている。とはいえ、一部の人々は彼らの家族に向かって、子どもたちの無謀な『逸脱』を口汚く非難しているけれど、多くの親たちは、自分の息子や娘たちが、やがて同じような理想に衝き動かされて、同じような冒険に踏み出すのではないかと考えている。」

以下かなり詳細な日本におけるNGO活動の詳細についてのルポルタージュが続く。

記事を書いているフィリップ・ポンスの分析によれば、これは1970−80年代の物質主義に対する子どもの世代からの「ポスト物質主義的」な回答であり、日本社会のある種の「成熟」の証である。
その特徴は「国境を越えた」他者への気づかいである。
そして、それを動機づけるのは「自分たちは与えるよりも多くを受け取っている」という感情である。
最後のパラグラフを採録する。

「日本がその平和主義的なドクトリンを放棄しようとしているまさにそのときに、NGOは戦争と暴力と非寛容を拒否する新しい形態を運んできた。それはイラクでの三人の人質が担おうとしていた理想でもある。

連帯めざす運動が総じてそうであるように、この平和主義もまた孤立したものだ。現に、ヨーロッパで見られたような大規模なデモは日本では行われなかった。それは散乱した、ささやかな精神のきらめきのようなかたちでしか表示されなかった。
しかし、それがやがてひとつのうねりになる可能性はある。神戸の震災がその可能性を証明している。」

私は『ル・モンド』が国際世論を代表していると主張するほどナイーブな人間ではない。
しかし、このかなり行き届いた日本ウォッチャーが寄せた長文の「人質擁護論」がフランスを代表するクオリティ・ペーパーに掲載されたということの意味を日本人が無視してよいとも思わない。

現在の国際関係の文脈に即して考えるならば、ヨーロッパの知的なメディアの多くがアメリカの世界戦略に無批判に追随する日本の「リアリスト」よりも、慎ましく自分の時間と労力をアジアやアフリカの人々のために奉献しようとする日本の「イデアリスト」に好感を寄せるであろうということは、ほとんど自明のことである。
そのヨーロッパのメディアに対してなお「そんな気楽なことを言っているのは、世間知らずのガキだけだ」と言い放つほどの知見と情報を日本の「リアリスト」たちが有しているように、私には思えない。

投稿者 uchida : 23:52 | コメント (17) | トラックバック

トッドとトクヴィル

4月19日

エマニュエル・トッドの『帝国以後』を読む。
たいへん切れ味のよいアメリカ論である。
イラク戦争の膠着に徴候的に見られるアメリカの世界戦略の根本的な「ボタンのかけ違え」の構造がきちんと指摘されている。
私もおおすじでトッドと同意見である。
国際社会の急務は次のことばに集約される。

「アメリカの凋落というものをすべての国にとって最善のやり方で管理すること」

トッドはフランス人らしいエッジの効いた論法を用いるが、その一つは「真実の反対は真実にきわめて近い」という経験則である。
たとえばアメリカがあれほど自分のプレザンスを強調するのは、「アメリカの無用性」についてワシントンが基本的な不安を持っているからだという指摘はまことに正鵠を射ていると私も思う。

「1992年2月、クリントン政府の国務長官、マドレーン・オルブライトは、イラクへのミサイル発射を正当化しようとした際、アメリカ合衆国を不可欠な国として定義した。(・・・)アメリカ合衆国が不可欠であると公式に確言するというのは、地球にとってアメリカ合衆国が有用かということが問題になっているということである。」

「アメリカは世界にとって必要なのか?」という不安は建国以来のトラウマとしてアメリカに取り憑いている。

考えてみると、このアメリカ人のvulnerability(傷つきやすさ)についてはすでに170年前にアレクシス・トクヴィルが指摘していたことであった。

アメリカ人に向かっては決してアメリカの悪口を言ってはならない、とトクヴィルは警告している。

「アメリカ人は自国のすべての事件に関与しているから、アメリカの受ける批判はすべて弁護しなければならぬと信じている。攻撃されているのは国だけではなく、彼自身だからである。
 日常の交際において、アメリカ人のこの挑発的な愛国心ほどやっかいなものはない。異国人はアメリカのことを十分にほめるのに異存はあるまいが、いくらか批判させてもらいたい点もあろう。しかし、それは絶対にだめである。
 アメリカはまさに自由の国であるが、異国人がそこで誰も傷つけないようにするには、個人、国家についても、被支配者、支配者についても、公共の事業、私企業についても、結局おそらく気候と風土を除いて、出会うすべてのものについて自由に語ってはならない。」(『アメリカのデモクラシー』)

トクヴィルがアメリカを旅行していたのは、ちょうどアンドルー・ジャクソン大統領の時代であった。
この歴史上もっとも「アメリカ的な」大統領について青年は次のような人物批評を下している。

「ジャクソン大統領は、アメリカ人が統領として二度選んだ人物であるが、その性格は粗暴で、能力は中程度である。彼の全経歴に、自由な人民を治めるために必要な資質を証明するものは何もない。また、連邦の開明された階層の多数もつねに彼に反対であった。彼を大統領の地位につけ、いまなおその地位を維持させているものは何か。」

トクヴィルはそれを「二十年前、彼がニューオリンズの城壁の下でかちえた戦勝の思い出」であるとしている。

トクヴィルにいわせれば「きわめてふつうの戦闘」にすぎないこの局地的な戦功によってジャクソンは伝説化した。
それは、アメリカが地政学的に世界でもっとも安全な国であるがゆえに、戦争も、侵略も、征服も恐れる必要がなく、その結果アメリカ国民は「真の軍事的栄光」(もちろんここでトクヴィルが念頭に置いているのはナポレオンのことだ)というものを見たことがないからである。
だからこそ「きわめてふつう」の局地戦の指揮官を軍事的天才と見間違ってしまったのである。

「真実の反対は真実にきわめて近い」という経験則はこのフランス青年の推論の仕方にもあてはまりそうである。

なるほど。
今回のアメリカ大統領の予備選挙でも、候補者がどのような「軍歴」を有しているかがであるかが論議された。
はなやかな軍歴と統治者としての才能の間にはかならずや直接的な連関があるという信憑は、ジャクソン時代からずっとアメリカの有権者のうちに深く根づいているようである。

それにしてもわずか10ヶ月のアメリカ旅行(ボストンからメンフィス、デトロイトからニューオリンズまでの大半が騎馬での旅)での見聞から、この26歳の青年貴族は次のような結論をもって旅行記の筆を擱いたのである。

「今日、地球上に二大国民があり、出発点を異にしながら、同一の目的に向かっている。(・・・)その起点は異なり、とる途は違うが、それでも、おのおの、秘められた天意により、いつの日か、その手に世界の半分の運命を握るべく召されているかに見える。」

トクヴィルが「いつの日か、その手に世界の半分の運命を握る」であろうと予見したのは、アメリカ人とロシア人である。

おそるべき炯眼。

いま、150年後の国際関係についてこれほど適切な予測を立てることのできる知性が存在するだろうか?

投稿者 uchida : 10:56 | コメント (1) | トラックバック

2004年04月18日

ルーティンワーカーの悲哀

4月17日

学校が始まったので、生活が規則的になる。
きちきち。
私は規則的な生活、ルーティンワークが大好きである。
毎日、きちきちと授業をし、さくさくと原稿を書き、いそいそとお稽古に出かけ、決まった時間になると寝ころんで映画を見る・・・という判で押したような生活が、いちばん性に合っている。

ところが世の中には「判で押したような生活はイヤだ。毎日がめまぐるしく変化する冒険的な人生をつうじてこそ真の『自分らしさ』は発見されるのである」というようなことを言われる方がいる。
めくるめくような恋とか、寝食を忘れるような冒険とか、極限的なスリルとか、そういうものが「ない」ために、いまの自分の毎日は味気ないものになっているのだ、というふうに説明する方がいる。

こちらのみなさん(「冒険派」とお呼びすることにする)の方が主流派で、「ルーティン大好き」という私のような人間はむしろ少数派である。

こういうのは好きずきだから、どちらが「よい」とは一概に言えないけれど、「変化好き」という点では私のような「ルーティン派」の方がむしろ「変化好き」なんじゃないかなと思う。

「毎日判で押したように同じことをしている」と、その「同じこと」と「同じこと」のあいだの「違い」がくっきりと際だってくる。
それは天文学者が毎晩同じ時間に同じ天空を観察することで、星の動きを観察するのと似ている。
「同じもの」という「地」の上にはじめて、「違うもの」という「絵」が浮かび上がるのである。
それは、道ばたに咲く花の種類が変わったとか、キャベツが安くなったとか、そろそろスーツの替えどきかな・・・とか、そういう季節の変化の水準から、友人知人の経年変化まで、さまざまな水準にわたっている。

それは「冒険志向」派と発想がちょうど逆になっている。
「めくるめく恋・・」以下のさまざまな冒険を夢見ている人たちは、日々のルーティンの中に「かわりばえのしないもの」を選択的に見ようとする。
窓から見える同じ景色、まわりをとりまく同じ顔ぶれ、机の上の同じ仕事・・・そういうものにうんざりして、「こんなことで人生を無駄に過ごしていいんだろうか・・・」という反省の気持ちが生まれ、それがいつしか冒険へのおさえがたい思いに火をつけるのである。

「日々刻々と変わるもの」に注視するか、「まるで代わり映えのしないもの」にうんざりするか、これは主体の側の決断の問題である。

そして、冒険派の人々は、逆説的なことだが「うんざりすること」をその体質の基本としている。
当然だよね。
冒険というのは「例外的な出来事」なんだから、そうそう毎日起こってはたまらない。というか、毎日起こるようになったら、それこそ戦争にも天変地異にも必ず「退屈」してしまう・・・というのが「冒険派」の基礎的なメンタリティなんだから。

これは「勝負」の世界では「負け慣れた」人の方が有利であるという逆説によく似ている。

トーナメントでは、最後に勝ち残るひとり以外の全員は「負ける」。
ということは、トーナメント参加者は確率的にはほぼ全員「負ける」ために参加しているということである。
であれば、この種の催しに参加するのは、主として「負けても平気」なみなさんであるというのも理の当然である。
こういう試練を生き延びることができるのは、「負けた屈辱感をバネにする」とか「敗因を次に生かす」とか「気分をぱっと切り替える」ことができる諸君である。
彼らがその能力をさらに向上させるためには「勝ちにこだわる」ことより「負けても平気」「負けからプラスを引き出す」能力に富んでいることの方が有利である。

つまり、「勝負の世界」というのは、「負け方が上手であること」の方が「負け慣れていないこと」よりも、トータルでは大きな利益が得られる世界なのである。

それと同じ逆説が冒険派のみなさんについても言えるのではないかと私は思っている。
冒険派の人々こそが、おそらくはこの社会の多数派なのである。
なにしろ、彼らは「うんざりする」ことを日常感覚の基本的情動にしているからである。
よほど「うんざり」していないと、なかなか冒険を求める気持ちはわき上がってこない。

私のように、毎日のルーティンワークが楽しくて仕方がないという人間は決して「冒険の旅」とか「破滅的な恋」とか「おさえがたい欲望」とかに身を任せることはない。何しろ毎日楽しいんだから、他に求めるもののあろうはずがない。

私は実にさまざまな約束を忘れることで知られた人間である。
ふつうの人は「イレギュラーな予定」をはっきり意識しており、「毎日同じ出来事」は意識に前景化しない。
ところが私はその逆で、「毎日同じ」ことばかり考えているせいで、「イレギュラーな予定」をほとんど組織的に忘れてしまう。
「明日の朝ご飯のための納豆と豆腐」を買い忘れるということはまずないが、「明日は東京から来た編集者と仕事の打ち合わせがある」とか「明日はフレッシュマンキャンプで六甲セミナーハウスに泊まる」というようなことはほとんどの場合忘れている(かろうじて思い出したのは、その朝に石川先生から「今日の段取り」についての確認メールを読んだからである。メールを読んでも、何の話なんだかしばらく分からなかった)。

これはボケが入ったとか、そういうことではなく、私にとって「納豆と豆腐の朝ご飯」を食べることの方が、仕事の打ち合わせやお泊まりに行くことよりも主観的には「スリリング」な経験であるということではないかと思われる。

しかるに毎日のルーティンワークが楽しくてしかたがないせいで、生産性が高まりすぎ、その結果、イレギュラーな仕事がじゃんじゃん入ってきて、私の「毎日同じ人生」はさっぱり実現できないのである。

世の中うまくゆかないものである。

投稿者 uchida : 12:11 | コメント (1) | トラックバック

2004年04月15日

東京出張物語

4月15日

13日(火)は東京に業務出張。
まず市ヶ谷の私学会館に「特色ある大学教育支援プログラム」の第二回目の申請をしにゆく。
週末に西田昌司先生のお手を煩わせて、たいへんロジカルにして端正な申請書類が完成した。
私が書いた原案と西田先生の完成稿を読み比べると、両者の知的資質の違いがよく分かる。
ウチダがでたらめで西田先生のエクリチュールには節度がある、ということではなく(それもあるが)、私が「自分のよく知らないこと」を書きたいという欲望を抑制できないのに対して、西田先生は「自分が熟知していることだけ」を選択的に書こうとしているということが際だった差異として感知されたのである(というような「よくわかってないこと」をじゃらじゃら書いてしまうのがウチダ的エクリチュールの特徴なのね)。

ともあれ、無事に申請書類が提出できた。
長時間にわたって協議に参加し、データをあつめ、知恵を絞ってくださったWGのみなさんにお礼を申し上げます。みなさんどうもありがとうございました。おかげでなんとか申請できました。

行きの新幹線で偶然同じ車両に、文部科学省に行く人間科学部の高畑事務長と溝口さんがいて、そのまま隣に座り込む。
高畑さんも事情通なので、ふたりでいろいろと情報交換をして、「あれがこうなのは、じつはこれがああだからなんですよ」「ほうほう」と3時間にわたって「おばさんトーク」にふける。

市ヶ谷に申請したあと、ただちに神田一橋に移動。一橋ホールで「大学機関別認証評価にかかわるシンポジウム」にでかける。

こんなことを書いても、おそらく本学教職員でも意味が分からない方が多いであろうが、実は二週間前に学校教育法が改定されて、今年からすべての国公私立大学は認証評価機関による評価を受けることが義務づけられたのである。
法令だけが先行して、まだ認証評価機関そのものは試行段階である。

これまでは大学基準協会が加盟判定審査と会員校の相互評価を行ってきた(本学も2000年に基準協会の相互評価を受けて、「ちゃんとした大学である」というお墨付きを頂いた。その書類作りが第二次自己評価委員会までのメインのお仕事だったのである)。
だが、基準協会は任意団体であるし、組織の規模からしても、日本全国702校の大学全部の認証評価を法令が定めた7年間の期限内に片づけるだけの能力がない。
そこで、国立の大学評価・学位授与機構が評価認証機関の中核となり、これに私大協の「日本私立大学評価機構」が続き、とりあえず三つの評価機関が連携してことにあたることになったのである(私大評価機構はまだ財団法人申請中)。

評価というのは要するに「教育の品質について、国際的通用性のある規格を定め、うちの大学はそのグローバル・スタンダードをクリアーしてます」という「検印」を受けるということである。

もちろん、こんな国際規格が問題になってきた背景には、日本の大学生のあっと驚くほどの学力低下がある。
現在の日本の大学二年生の平均的な学力は、おそらく50年前の中学三年生の平均学力といい勝負、というあたりではないかと思われる。
まあ、平均寿命が延びているのだから、いまの20歳が半世紀前の15歳とイーブンというのでも、べつに国内的にはそう換算していれば誰も困らないのであるが、国際的にはいささか体面が悪い。

というわけで、「おたく、ちゃんと子どもに基礎的なこと、教えてますか?」ということをチェックするために、教育活動を重点的に大学評価を行うことになったのである。
困ったものである。
こういうふうにしてどんどん大学の仕事がふえてゆくのであるが、いいたかないけど、これはほんらい大学の責任ではない。
初等中等教育がきちんと機能してないので、そのツケを大学が払っているのである。

おそらくこれからあとの大学評価の中心的なチェックポイントは「導入教育」システムの整備ということになるだろう。
「導入教育」というのは、要するに「中学英語の文法が分からない学生、分数の計算ができない学生、カール・マルクスとグルーチョ・マルクスの区別ができない学生、矛盾を無純と書く学生」のような方々を「なんとかする」ための予備的教育を補習するということである。

そうやってどんどん大学教員の仕事はふえてゆくのであるが、いいたかないけれど、ほんらいこれは大学教員の仕事じゃないのよ。

しかし、愚痴を言っても始まらない。

がっくりと肩を落としてシンポジウム会場をあとにして、徒歩3分の学士会館に投宿。
夕方、「文春のヤマちゃん」(旧姓・カドカワのヤマちゃん)が迎えに来る。
文春のご接待でイタリアンを食するのである。
『レヴィナス入門』と『ユダヤ文化論入門』と『おじさんの系譜学』をそのうち書くことになっている(らしい)。
そっちのほう、どうなってますか・・・という斥候作業をかねてのご会食である。
ご接待であるから、生ハムを囓り、チーズを舐め、魚をせせり、パスタを啜り、ワインを飲むのに忙しくて、仕事の話はシカトを決め込む。

そのうちにヤマちゃんが懸案の『性愛論』に話を振ってくる。
セックスとかエロスとかいうテーマで一般論を書くことにはあまり意味がないと私は思っている。
「そんなの人の好きずきじゃん」でよろしいではないか。
そう申し上げたのであるが、ヤマちゃんにはそれなりに切ない事情があるようで、どうやら読者に読ませるというより、まずご自身がお読みになりたいようである。
では、というので口からでまかせに、いろいろとお話する。
最初はふんふんと人の話を聞いていたのだが、そのうちやおら手帖を取り出してぐいぐいとメモを始めた。
手帖にメモするような話とは思われないが・・・

学士会館で目覚めて、歩いて五分の神保町のTXTIDEに遊びに行く。
テクスタイドは松下正己くんがアーバンから独立して起業した編集プロダクションである。
私はその会社の筆頭株主なので、創業半年の営業内容のチェックと財務内容の点検に伺ったのである。
しかし、松下くんと話し出すと、例によって、ぜんぜんビジネスの話にはならない。
1時間ほどおしゃべりで仕事の邪魔をしてから辞去して新幹線で芦屋に戻る。
ああ、疲れた。

投稿者 uchida : 09:14 | コメント (0) | トラックバック

2004年04月12日

うなぎくん、小説を救う

柴田元幸さんからどかどかと本が送られてきて読むのが追いつかないという話を昨日書いた。
とりあえずいちばん最近届いた『柴田元幸と9人の作家たち』(アルク)から読むことにする。
これは柴田さんが9人の作家に会ってインタビューしたのをそのままCDにして本に付けてしまったという、大胆な本である。

9人目の村上春樹インタビューから読む。
面白い。
私が横からとやかくいうことではないが、思わず「おおお」とうなった箇所をそのまま採録。

村上:僕はいつも、小説というのは三者協議じゃなくちゃいけないと言うんですよ。
柴田:三者協議?
村上:三者協議。僕は「うなぎ説」というのを持っているんです。僕という書き手がいて、読者がいますね。でもその二人だけじゃ、小説というのは成立しないんですよ。そこにうなぎが必要なんですよ。うなぎなるもの。
柴田:はあ。
村上:いや、べつにうなぎじゃなくてもいいんだけどね(笑)。たまたま僕の場合、うなぎなんです。何でもいいんだけど、うなぎが好きだから。だから僕は、自分と読者との関係にうまくうなぎを呼び込んできて、僕とうなぎと読者で、三人で膝をつき合わせて、いろいろと話し合うわけですよ。そうすると、小説というものがうまく立ち上がってくるんです。
柴田:それはあれですか、自分のことを書くのは大変だから、コロッケについて思うことを書きなさいというのと同じですか。
村上:同じです。コロッケでも、うなぎでも、牡蠣フライでも、何でもいいんですけど(笑)。コロッケも牡蠣フライも好きだし。
柴田:三者協議っていうのに意表をつかれました(笑)。
村上:必要なんですよ、そういうのが。でもそういう発想が、これまで既成の小説って、あまりなかったような気がする。みんな作家と読者のあいだだけで、ある場合には批評家も入るかもしれないけど、やりとりがおこなわれていて、それで煮詰まっちゃうんですよね。そうすると「お文学」になっちゃう。
 でも、三人いると、二人でわからなければ、「じゃあ、ちょっとうなぎに訊いてみようか」ということになります。するとうなぎが答えてくれるんだけれど、おかげで謎がよけいに深まったりする。(・・・)
柴田:で、でもその場合うなぎって何なんですかね(笑)。
村上:わかんないけど、たとえば、第三者として設定するんですよ、適当に。それは共有されたオルターエゴのようなものかもしれない。簡単に言っちゃえば。僕としては、あまり簡単に言っちゃいたくなくて、ほんとうはうなぎのままにしておきたいんだけど。

「うなぎ」には私も意表を衝かれた。

でも、これはモーリス・ブランショが「複数的パロール」という概念で言おうとしていたこととすごく近いような気がする。
ブランショはこう書いていた。

「どうしてただ一人の語り手では、ただ一つの言葉では、決して中間的なものを名指すことができないのだろう?それを名指すには二人が必要なのだろうか?」
「そうだ。私たちは二人いなければならない。」
「なぜ二人なのだろう?どうして同じ一つのことを言うためには二人の人間が必要なのだろう?」
「同じ一つのことを言う人間はつねに他者だからだ。」(『終わりなき対話』)

あるいはレヴィナスが「第三者」(le tiers)という概念で言おうとしていたことにも、かなり近いのでは・・・

〈あなた〉の顔が私をみつめているあいだも、〈無限〉はつねに〈第三者〉すなわち〈彼〉としてとどまっている。〈無限〉は〈私〉に影響を及ぼすけれど、〈私〉は〈無限〉を支配することができないし、〈無限〉の法外さを〈ロゴス〉の起源(arch氏jを通じて《引き受ける》こともできない。〈無限〉はそのようにして〈私〉に無起源的(anarchiquement) を影響を及ぼし、〈私〉のいかなる自由にも先行する絶対的受動性において、痕跡としてみずからを刻印し、この影響が励起する《他者に対する有責性》として顕現するのである。(『困難な自由』)

うーむ、きっと、そうだ。

同じような生成的な機能を私は高橋源一郎が造形した「タカハシさん」という語り手のうちに見出して、それについてちょっとだけ書いたことがある。

でも「うなぎ」とはまた・・・なんと喚起的なメタファーだろう。

「アルターエゴ」とか「《私》と名乗る他者」とか、そういうややこしいことを言わないでずばり「うなぎ」と言い切るところが村上春樹の作家的天才だと思う。

こういうことばの選び方は、やはりreader friendly という村上春樹のマナーを反映していると思う。

それについてはこういう発言があった。

村上:僕は本当にできるだけ、小説というものの敷居を下げて書きたい。それでいて質は落としたくない。僕が最初からやりたかったことはそれなんですよね。
柴田:うんうん。
村上:とにかく、エスタブリッシュメントみたいな小説は書きたくないし、かといって、アヴァンギャルド的は反小説的な小説というのも書きたくない。そういう形で崩しはやりたくない、と。メインストリームに近いところで、敷居を低くしながら、いろんなものを作り変えていきたい。と。そういうのが僕の最初からのつもりですよね。
 変なたとえだけど、優れた映画というのは、ミニシアターみたいなところで、少人数で知的に見ないといけないと思っている人はけっこういるけど、たとえば『マトリックス』を見て、『マトリックス』のなかの何が面白いのかというのを皆にわかりやすく、すごくラディカルに説明できる人もいるわけですよね。僕はどっちがあってもいいと思うんです。(・・・)
 そういうものを、非知性的だ、大衆的だとばかにすることは、わりと簡単にできちゃうんです。(・・・)
 いい小説が売れない、それは読者の質が落ちたからだっていうけれど、人間の知性の質っていうのはそんなに簡単に落ちないですよ。ただ時代時代によって方向が分散するだけなんです。この時代の人はみんなばかだったけれど、この時代の人はみんな賢かったとか、そんなことはあるわけがないんだもん。知性の質の総量というのは同じなんですよ。それがいろんなところに振り分けられるんだけど、今は小説のほうにたまたま来ないというだけの話で、じゃあ水路を造って、来させればいいんだよね。と、僕は思うけれど、こんなこと言うと、また何だかんだ言われるかもしれないなあ(笑)。

 私は村上春樹のこの発言に全面的に賛成である。
 これはとても「まっとう」な考え方だと思う。
 ただ、この村上春樹のリーダーフレンドリーネスが、日本の既成の文学制度に対する激しい攻撃性に裏づけられていることも見落としてはいけない。
 このスタンスはデビュー当時からぜんぜん変わってない。

村上:よくね、日本でも「村上が日本文学をだめにした」とか言われるんだけれど。だってね、僕ごときにだめにされるような文学なんて、最初からだめだったんじゃないか、というふうに正直に言って思いますね。開き直って。

いやー。相変わらずムラカミ先生快調ですね。
というわけで、柴田元幸先生になりかわりまして、『柴田元幸と9人の作家たち』をつよくご推奨させていただきます。面白いぞ。


投稿者 uchida : 12:46 | コメント (1) | トラックバック

明日は休講!

4月12日

急告:明日4月13日は休講です(業務出張で東京に行くのです)。四年生のゼミのみなさん、大学院の院生、聴講生のみなさん。間違えなでくださいね!

今年からBlack board というe-learningのシステムが導入されて、シラバスも休講告知もアサインメントもぜんぶ自宅のパソコンから見られるようになった。
たいへん便利なものではあるのだが、便利すぎて学生たちのコンピュータ・リテラシーがシステムの進化に追いつけないようである。

明日の休講告知も先週のなかばにそのBlackboard に書き込んだのであるが、「見ました」という人がいない。

ユーザーネームとパスワードを打ち込まないとアクセスできないので、あるいは学生のなかにはまだパスワードをもらっていない人もいるのかもしれない。大学院の聴講生たちだと、そんなシステムの存在そのものを知らないということもありそうである。

困ったなあ。

とにかく、このホームページ日記がいちばん閲覧確率が高そうなので、ここに告知しておきます。

明日は休講。

聴講生のみなさんはおたがいに「明日、休講だよ」って、メールで確認し合ってくださいね。

東京から深夜バスでくるというひともいたけれど、絶対来ちゃダメですよ!
(ああ、心配だ。あとで電話しておこう)


投稿者 uchida : 11:56 | コメント (2) | トラックバック

2004年04月11日

おしごと、一丁上がり

4月11日

ようやくNTT出版の『街場の現代思想−基礎教養編』の初稿が上がる。

「ありものコンピレーション」なので、もっと早く出来上がるはずだったのであるが、なにしろ『困難な自由』の翻訳の詰めはあるし、医学書院からゲラが来るし、『他者と死者』はクライマックスだし、授業は始まるし、COLの申請書類は書かなきゃいけないし(書きましたよ、二日で20枚)、そのあいだにいろいろなメディアからどかどか原稿依頼はあるしで、とても手が回らなかったのである。

ほとんど養鶏場のブロイラーのような状態で原稿を書いている。
これで「筆が荒れた」とか「推敲が足りない」とか言われたら、私は泣くぞ。

実際、推敲する時間が絶対的に足りない。

私は一度書いたものをあとからあれこれ書き直すのがけっこう好きなので、たっぷり時間をかけて、いろいろ関連することを調べたりしたいのであるが、出版社からの矢の催促で、そんな悠長な仕事が許されない。

杜撰な仕事を乱発すれば、結局は自分で自分の首を絞めることになるのであるが、編集者に首を絞められているのとどっちが楽かというと、やっぱり自分で自分の首を絞めるほうが、手加減できるだけ楽なのである。

しかし、こんなめちゃくちゃなペースで本を書いてしまって、ほんとうのよいのであろうか。
私の程度の書き手なんていくらもいるわけであるから、書くもののクオリティが下がってしまえば、仕事はぱたりと来なくなるのは火を見るより明らかである。

あ、そうか。そうすればまた死ぬほど暇な日々が戻ってくるんだ。

なんだ、そうだったのか。
その手があるのを忘れていたよ。

忙しい忙しいと言いながら、身を削って何とか少しでもいいものをと思う心が仇だったのだ。

そんなことをしていたら、仕事が減るはずがないではないないか。

かといって、「じゃあ手を抜こう」ということができないのが、ミドルクラスの哀しい性なんだよね。
そういう「根がまじめ」なところを編集者は全部お見通しなんだろうな。
うう、見透かされていて、くやしい。

とりあえず、『街場の現代思想』が今年に入って、最初の「脱稿」である。
あとは『困難な自由』の翻訳のチェックを済ませて、『他者と死者』を書き上げて、『死と身体』のゲラのチェックを仕上げて・・・これで4冊。
それから『東京ファイティングキッズ』と『インターネット持仏堂』を打ち上げて・・・これで6冊。
ラカン・ヒッチッコックの翻訳が出て(鈴木先生、終わりました?)、これで7冊。
ちくま新書の『先生はえらい!』を書いて、8冊。
池上先生との対談本『ライトタイム・ライトプレイス』を仕上げて、9冊。
『現代思想のパフォーマンス』の新書改訂版を書き直して、10冊。
名越先生との対談本も出ちゃうから、11冊。
『ユダヤ文化論入門』と岩波の『クロノキネジア』(というかっこいい題名を思いついた。「時間=運動態」ね)を書いたら・・・13冊。

ううむ。すごい。
全部出たら、狂気の沙汰だ。

というところに柴田元幸先生からご本が届く。
柴田先生の出版ペースもはんぱじゃない。
もう今年になって3冊ご本を頂いた。
とてもじゃないけど、読むのがおいつかない。
くやしいから「私は今年9冊本を出す予定です。シバタ先生には負けないぞー」という子どもの喧嘩のようなお礼を申し上げる。

NTT本が書き終わったので、ばたばたと長田の上田能楽堂へでかける。
上田拓司先生のところの会。
『融』の舞囃子が出るので、下川先生に「参考のために、ちょっとほかの素人会も見ておきなさい」と言われたので、見学に伺ったのである。
自分が舞台に出ているような気分がして、見ているだけで、どきどきしてしまう。
最後は上田家のジュニア4名の競演による能『土蜘蛛』。
いちばん小さい女の子がじつにかわいくて、謡もなんだか気分よさそうで、いい調子である。
シテはご長男。「千筋の糸」をばんばん飛ばす後ジテの動きはさすが若いだけあって軽快そのもの。
こういうスペクタキュラーな能もよいものである。

投稿者 uchida : 22:23 | コメント (0) | トラックバック

Liberation を読んでみる

4月10日

海外ではどういうふうに報道されているのか気になったので、インターネットでLiberationを読んでみる。
「日本人」「誘拐」で検索をかけると二つの記事が出てきた。
関連箇所を訳出してみる。

「サダム・フセイン体制の崩壊以後、アメリカ合衆国は日一日と全土に広がる蜂起と、同盟国の居留民の誘拐に直面している。ファルージャのスンニ派拠点での戦闘はますます激化し、昨日海兵隊員二人が狙撃されて殺害され、バグダッドの民衆は包囲された都市での蜂起に対してしだいに連帯を強めつつある。
(・・・)さらなる不安材料として三人の日本人と二人のパレスチナ系イスラエル人が昨日誘拐された。英国人一人もナシリア近郊で月曜から消息を絶っている。一方、バグダッド−アンマン道路で誘拐された七人の韓国人は即時解放された。
 三人の日本人を誘拐したムジャヒディン軍団を名乗る未知のグループはアルジャジーラをつうじて放映されたビデオで『日本が三日以内にイラクから軍を撤退させないと三人の人質は生きながら焼かれるであろう』と告知している。
東京では三人の人質の映像を繰り返し放映している。このうち二人はNGOのメンバーであり、ひとりはフォト・レポーター。誘拐犯はこのうちの一人をナイフで切る真似をしている。政府はただちにイラクからの撤兵はないことを確言した。日本列島はテロ攻撃の恐怖で厳戒体制に入った。」

「イラクのスンニ派の叛徒は金曜バグダッド近郊で四人のイタリア人と二人のアメリカ人を捕捉した。イタリア人と言われる二人の新しい人質が目撃されている。一人は肩を撃たれ、二人とも泣いていたという。これでスンニ派地帯において最近誘拐された非イラク人人質六人(イスラエル国籍のパレスチナ人、カナダ国籍のパレスチナ人、英国の民間人コンサルタント、三人の日本人)に新たに四人が加わったことになる。日本政府はこれによってイラクから撤退することはないとを言明しており、同盟国は誘拐犯とは交渉しないことを明らかにしている。人質を捕捉しているジハード軍団という未知のグループはレバノンのテレビ局あての声明文の中でファルージャにおける同盟国軍隊の撤退を昨日要求した。」

興味深い報道である。

フランスの新聞に日本関係の記事が載ることは多くないが、これを読むと、フランスのインテリ読者が日本のイラク「支援」をどういう文脈でとらえているかある程度想像ができる。

記事を読む限り、自衛隊は「非戦闘地域」で「人道復興支援」に当たっている善意の人々であるというようなゆきとどいた理解は『リベラシオン』の特派員にはないようである。
それは「イラクからの撤兵はない」というときに自衛隊について「その国の軍隊」(ses troupes)という一般的な軍事用語を使っていることからもうかがえる。
関連記事も徴したが、自衛隊派兵の趣旨を「人道復興支援」に限定することで他の占領軍と識別するように読者に注意を促す言葉は今年の『リベラシオン』の記事には発見できなかった。

最初の記事の末尾の「日本列島はテロ攻撃の恐怖で厳戒体制に入った」というのも、本来この記事に使うべき情報ではない。
地下鉄やJRで警官の巡回が強化されたのは対日テロ攻撃の宣言がなされてからであって、この誘拐事件の直接の結果ではない。
しかし、この記者にはこの間の事件の連鎖は「誘拐」「撤兵拒否」「テロへの厳戒」というふうに「読めた」。

つまり、自国民が誘拐された。テロに屈しないという宣言を「ただちに」政府は行った。そして、これに対して報復的なテロがおそらくあるだろうという予測が日本国民に浸透し、「厳戒体制」(etat dユalerte)でテロと対決する姿勢を示している・・・というふうな流れがフランス人記者にはおそらく「見えた」のである。

これは現実と違う。
しかし、「首尾一貫した誤解」ではある。

もう一つの記事でも
「日本政府はこれによってイラクからの撤退はないことを宣言しており、同盟国は誘拐犯とは交渉しないことを明らかにしている。」
という箇所がある。これは普通に読むと、日本政府は撤兵を拒否し、交渉を拒否した(つまり誘拐された日本人を見殺しにする決断をした)としか読めない。

この文章では「日本政府」(Tokyo)と「同盟軍」(la coalition)はあきらかに同体のものとして扱われている。

これも事実と違う。

小泉首相が撤兵はないと宣言したときメディアに告げた主な理由はそれが「軍事行動ではなく、人道復興支援」だからというものであった。
政府は犯人グループとの交渉の可能性も含めて、人質救出に全力を尽くしているはずだが、それを伝える文言はどこにも見られない。

私が「興味深い」と書いたのはその点である。

フランス人の二人の記者は同じ「誤解」を共有している。
そして、おそらくそれは欧米の多くのメディアが(そしてイラクとその周辺国のメディアもまた)共有しているものだろう。

それは「日本政府は戦闘行為をする気がなく、ただアメリカに対するモラルサポートのつもりで、国内の反対を押し切って、象徴的に自衛隊を非戦闘地域での復興活動に送り出した」というややこしい家庭の事情をまるまる「無視している」ということである。

当然だと思う。
国際社会の常識として、そんなことは「ありえない」からである。
そのようなニュアンスに富んだ主観的意図を他人がこまやかに配慮してくれるいはずだと期待する方が無理である。

国際社会に対するふるまいにおいてたいせつなことは「先方に客観的にはどう理解(あるいは誤解)されるか」を一次的に配慮することであり、「こちらが主観的にどういう意図であるか」ということを言い立ててもあまり意味がない。

小泉首相は人道復興支援「だから」撤兵しないと言い、「戦没者の死を悼むことは人間として当然のことだ」と言って靖国神社に参拝している。
彼にとって最優先的に配慮されるべきなのは「自分の気持ち」なのであり、それが国際社会で「どう解釈されるか」ということには副次的な関心しかない。

この「自分の気持ち」を「他人からの解釈」よりも優先させる態度はわが国の首相に限らず、メディアで発言する人々にも、たいへん気の毒ではあるが、いま人質になっている三人の日本人にも共有されている。

そのことのもたらす災厄について、そろそろ真剣に考え始めたほうがいいのではないかということを『リベラシオン』を見ながら考えた。


投稿者 uchida : 10:58 | コメント (8) | トラックバック

2004年04月09日

イラク

4月9日

イラク情勢が泥沼化してきた。
占領軍兵士だけでなくジャーナリストや民間人を含めた外国人に対する無差別的なテロ、誘拐、拉致が始まっている。
サマワで自衛隊宿営地近くに砲撃があった翌日、民間人三人が誘拐され、三日以内に撤退しなければ人質を殺すという武装勢力からの脅迫がなされた。
これに対して小泉首相は「テロに屈しない」「人道復興支援なので撤退する理由はない」「米軍と協力して救出活動にあたる」と答えている。
これは要するに、多少遠回しではあるが、要するに武装勢力に対して「言い分はきかん、勝手にしろ」と言っているに等しい。
つっぱねられた誘拐犯たちがどう出るのか、正確には予測がつかない。
ただ、いまの米英占領軍にこのような同時多発的なテロ活動に適切に対応して事態を短期間に処理する能力がないことは現状をみれば明らかである。
収拾のつかない混乱状態に陥って、自国の兵士が毎日殺されているときに、日本の民間人を三日で救出するような「ミッション・インポシブル」的な作戦のために割ける軍事的リソースも心理的動機づけも占領軍にはない。
そもそも彼らの感覚で言えば、戦闘地域に入り込んで活動する民間人がどのような状況に陥っても、それは彼らの「100%自己責任」である。

報道によると、誘拐された三人は善意の人であり、イラクとの友好や親善の礎になることを主観的には切望していようである。
だが、そのような「個々人の内的な動機」を読みとるという作業がネグレクトされ、「敵か味方か?」の二分法でしか人々がものを考えなくなるような状態のことを「戦争」というのである。「主観的意図」や「願い」や「思い」が一顧だにされず、「事実」だけが意味をもつのが「戦争」である。

そのことを認めたがらないという点で、「人道支援で行っているのだから、撤退する理由がない」と宣言している日本の首相と、「善意でイラク入りしている民間人が誘拐されるのは理不尽だ」と考えている日本人は、私たちの「主観的意図」に対して、戦地で殺し合いをしている当事者からのきめこまやかな配慮を過大評価しているという点でよく似ている。

戦争というのは「敵と味方」しかいないような極端に単純化された事況である。
だからこそ、人々は複雑にからみあった問題解決の方法としてこの「もっとも単純なやり方」を選ぶ誘惑にしばしば屈服するのである。

戦闘の場というのは、「敵か味方か」を瞬時に判別できる人間は(その判定の当否にかかわらず)厳密な判別を期す人間よりも延命日数が長いことが経験的に知られている。
だから、米軍兵士は「敵対的地域」を決めると、そこを空爆して、女性も子どもも老人も殺している。
それは米兵にとって「死んだイラク人」こそは「敵対しないことが確実であるので、敵味方の判別をしなくてもよい唯一のイラク人」だからである。

そのような極限まで単純化された場において、「敵国人だが、敵対しない」人間や「占領軍の軍事作戦を後方支援しているが、戦闘行為にはコミットしていない」軍隊に対する「特別扱い」を期待することの方が無理であると私は思う。

日米同盟の重要性を掲げてイラク入りした以上、自衛隊はその主観的意図にかかわらず「占領軍」の一翼とみなされることをまぬかれない。
その自衛隊を送り込んだ国の同国人である以上、民間人であれ、あるいはイラクの支援のために入国した人でさえ、「占領軍」の第五列であるとみなされることはまぬかれない。

たしかに理不尽なことだが、戦争というのはそういうふうな理不尽なものである。
理不尽という代償を払っても問題を「単純化」したいというシンプル・マインデッドな人々が好んで選ぶ政治的選択が戦争なのである。
そして、この選択肢を選んだのはジョージ・ブッシュのアメリカであり、それに満腔の支持を表明したのがわが国の政府である。

中東がテロリズムの温床であるのは、そこでは敵味方がはっきりしているからではない。
中東がテロリズムの温床であるのは、そこでは敵味方がはっきりしていないからである。
あまりに複雑に利害が絡み合い、恩讐がねじれあっているからこそ、「敵味方の筋目をはっきりさせて、話を単純にしたい」という欲望が亢進するのである。

アフガンで対ソゲリラ戦を戦っていたオサマ・ビンラディンに武器と資金を供与したのはアメリカである。サウジアラビアの腐敗した王政を支援しているのはアメリカである。イラン=イラク戦争でサダム・フセインにミサイルを供与したのはアメリカである(ホメイニの宗教的独裁よりフセインの世俗的独裁の方がネゴシアーブルだと考えたのだ)。そのホメイニを敵視したのは親米のパーレビ王政をイスラム原理主義が崩壊させたからである。エジプトはアラブ革命の盟主から親米派に変貌した。リビアのカダフィ大佐はアメリカとの永久革命闘争を放棄して経済援助を懇願しはじめた・・・

私たちがこれらの歴史的事実からとりあえず言えることはただ一つしかない。

それは中東の国際関係ではつねに敵味方の筋目が「ぐちゃぐちゃである」ということである。
そして、敵味方の筋目がぐちゃぐちゃだから、シンプルマインデッドな人々は「敵をふやしてもいいから、筋目を通す」という「戦争」オプションの誘惑に抗しきれないのである。

市民に対する無差別テロは当然のことながら「味方をふやす」ための政治的行動ではない。
それまで敵味方の筋目をはっきりさせなかった人たちを「敵」に回すための政治的行動である。
私たちは「敵が少なく、味方が多い」ほうが外交としては有利であると考える。
しかし、それは私たちのような平和な国で暮らしている人間にとってだけの「常識」にすぎない。
敵がふえ、味方が減っても、敵味方の「筋目」がはっきりさせることの方を優先させたいと考える人々は存在する。
そして、私たちがいま問題にしている地域は、しばしば味方をつくることに長けた政治家より、敵を作ることに長けた政治家の方が高いポピュラリティを得ることができる政治的な圏なのである。

そういうことが全部分かった上で日本政府はイラク派兵に踏み切った。
その時点で、民間人の犠牲者が出る可能性は誰にでも予想できたはずである。
イラク派兵に賛成した方々はもちろんそのリスクを織り込み済みで派兵を支持したに違いない。
「かりにイラクの無政府状態が内戦状態になり、イラク国民も外国人もふくめて多くの人命が失われるにしても、アメリカとの同盟関係が堅持され、国際社会における威信が獲得できるならトータルではプラスだ」というクールかつリアルな計算をされたはずである。

そうであるなら、イラク派兵を支持した人が、メディアで「こんなひどいことは許せない」といって怒りに打ち震えるということが私には理解できない。
もし、ほんとうに「こんなひどいことがあってはならない」と思うなら、「こんなひどいこと」が起こると分かり切っていた政治的決断をなぜしたのかについてまずおのれの不明を恥じるべきだろう。

投稿者 uchida : 23:26 | コメント (8) | トラックバック

2004年04月07日

入学式とるんちゃんとカラオケ

4月6日

5日は入学式。入学式は「学位記授与」がないから、あっという間に終わる。
式のあとは夕方まで用事がないので、一度家に戻り、COLの原稿書き続き。
一応書き上げて、メールで学長室に送信。6時からの会議にでかける。
学部長会で、ほんらい私が顔を出せるようなレベルの会議ではないのであるが、4月30日の教員研修会の打ち合わせと、05年度からのFDセンターの立ち上げについて意見を求められたのである。
1時間半ほど会議に出て、私の関連する議題が終わったのですたすた帰る。みなさんはまだまだ長い会議が続きそうでお気の毒なことである。

6日は新入生ガイダンス。
新入生9名と花見をしながらおしゃべりをする。
9名のうち一般入試の入学者はわずか1名。あとはAO、公募推薦、指定校推薦。ということはみなさん女学院「専願」ということである。
ぜひ女学院大学に来たいということで、第一志望で女学院を選んで下さった方々である。
滑り止めで受けた大学にしぶしぶ来たという学生は、頭を切り換えて愉快な学生生活を送るようになるまで、かなりのタイムラグがある。
場合によっては卒業まで「こんなところに私はいるべきじゃないんだ・・・」と鬱々と楽しまないという学生もいる。
そういう学生は結局、勉強もしないし、友だちも作らないし、クラブにも自治会にも参加しない。
だから、「滑り止めでやむなく入学した偏差値の高い学生」よりは「偏差値は低いけれど第一志望で来た」学生の方が教えやすいというのは教師の本音である。

専願入学者の比率が高いということは、大学の雰囲気そのものが「期待感」に充満していて、なんだかわくわくする。
こういう雰囲気はひさしぶりである。
入学式に来た保護者の数もずいぶん例年より多く、座席が足りずに「立ち見」ということになった。
親御さんがお見えになるというのは、うちの大学に入学したのが「誇らしい」という気持ちがあるからであろう。
それだけ本学の教育に期待があるということである。
がんばらねば。

午後は院生の登録に立ち会い、履修指導と指導教員・主査副査の相談に応じる。
院生はなんだかずいぶん楽しそうにしている。
私指導に当たる院生は修士課程が1人、博士課程が3人。これはたいへん。

そのまま日の高いうちに帰宅(うれしいなあ)。
夕方までお仕事。今日はるんちゃんが来る。
いっしょにベリーニにお花見がてらご飯を食べに行く。
春のメニューで、からすみのパスタと桜鯛が美味しかった。
それからワインの酔いも手伝って、るんちゃんとカラオケへ行く。
カラオケに行くのは3年ぶりくらい。鈴木晶先生が女学院に講演に来てくださったとき、ナバちゃんを擁して「東西カラオケ・キング決定戦」というのをやったのであるが、それ以来。
ふたりで二時間歌いまくる。
るんちゃんは「音楽系のひと」(ときどきライブでギターとボーカルをやってるらしい)、カラオケはめちゃうまい。

私がリクエストしたのは『幸せな結末』『スピーチバルーン』(大瀧詠一)『ヘロン』(山下達郎)『アキラのダンチョネ節』(小林旭)『Dream of you』『元気を出して』(竹内まりあ)『探偵物語』(薬師丸ひろ子)『突然の贈り物』(大貫妙子)『時間よ止まれ』(矢沢永吉)『Our house』(CNS&Y)『勝手にシンドバット』『C調言葉にご用心』(サザン)『海を見ていた午後』『中央フリーウェイ』(ゆーみん)『空に星があるように』(荒木一郎)
ナイアガラ系でまとめてみました。
永ちゃんは「にいしくわぜがわらふうう」というふうに歌わないいけないのでむずかしい。『ヘロン』と『C調』は高音が届かず。『シンドバット』は「さっきまでおれひとりあんた思い出してた」からあとが舌がまわらず。感心したのは『空に星があるように』(1966)。30年ぶりくらいに歌ったはずなのであるが、ちゃんと覚えていた。

るんちゃんはこういう曲を子守歌代わりに育った80年代ベイビーなので、だいたい全部歌える。
ご本人はコニー・フランシスとかカーペンターズとか渋いリクエストをしていた。最後はふたりでジューシーフルーツの『ジェニーはご機嫌ななめ』を熱唱して終わり。ああ疲れた。

投稿者 uchida : 14:44 | コメント (2) | トラックバック

2004年04月05日

君が代再論

ノビさんという方からこんなメールがきた。
ご本人から「できればホームページ日記でご回答を」というご依頼であったので、以下にそのQ&Aを掲載することにする。

まずはご質問。

2004年03月31日の日記についての質問です
君が代の歌詞自体について内田先生はどう思われているのか、教えていただけたらと思いました。

歌詞について考えるのは、言葉狩りの一端のような気もして「そこまでこだわる?」と言われそうな気もして筆が、いやキーがちょっと重いのですが...

たとえば女性が自分の配偶者を第三者に対して話すとき「主人」を使う人がいます。
多勢だと思います。
「主人」と云う言葉を使う方のとっては、それがその人にとって身近な人が習慣的に使っている言葉だからだろうし、または「主婦」に対置する言葉として「主人」と云う言葉があると判断しているなら、使うことに何の抵抗もないと思います。

が、女性が配偶者を「主人」と呼ぶようになった由来(と思われるもの)を知ってしまったので、それ以来、「主人」の語を使わなくなった...という人もいます。確か「サラダ記念日」の歌人さんもそういったことを書いていたように思います。

私も文章の上では自分の「夫」を「主人」とは表記しませんが(いや、実際私にとって「主人」というイメージでもないので)、「主人」という言葉を使う女性に対して、いちいちそれを差別的な言葉だから使わないように云々 などとレクチャーしたことはないし、そんな気もありません。使いたい人は使えばいいと思っています。

語源的に差別に根ざした言葉はいっぱいあると思うし、自分もそれと知らずに使っていると思うので。(ハンディキャップ(障害者)という言葉は、「帽子を手に持つ」意で、もとは障害者が手に持った帽子にお金を恵んでもらうところに由来すると、どこかのサイトに書いてあった)

私は「言葉にこだわる」「うるさい」「まじめな」ほうなのかもしれません。(じつは内田「先生」と書いていいのか内田「さん」と書いたほうがいいのか迷ったのですが、前にコメントされている方に習いました。「先生と呼ばれるほどのバカじゃなし」という言葉もあるし、直接の師弟ではないので...)

それで、「君が代」の歌詞についてですが、私はコレを「天皇陛下(君)が統治する世の中がいついつまでも続きますように」という意味だと解釈しているので、国歌として歌うことにはひっかかっています。

どこかで、「君=あなた=お友達のこと」という意味で児童に教えているところもあると聞いたこともあるのですが、「君=お友達」というのは、逆に、歌に対する「冒涜」のように思いますが。

国歌斉唱で「君が代」を歌う(ことに抵抗のない)人はこの歌詞をどう考えているのか知りたいです。

考えられることとしては
(1)「君が代」の「君」は「君=あなた=お友達のこと」だと思うから、国歌としておかしいとは思わない。(「主人」を「主婦」に対置する言葉だと思って使うのと同様?)
(2)「君が代」の「君」は「天皇」だと解釈したうえで、それが国歌としてふさわしい歌詞だと思うから歌っている。(「主人」の明治時代頃の語源を知って、そのとおりだと思うから使う?)
(3)国歌だから歌うのであって、歌詞の意味について考えたことはない。(身近な女性たちが自分の配偶者を「主人」と呼ぶので、それに倣って自分も「主人」という語を使う?または「主人」という言葉について考えたことがない?)
(4)「君が代」の「君」は「天皇」だと解釈しているけど、国歌だから、しょうがないので歌う。(「主人」という言葉はおかしいと思うけど、皆が使っているので使う)
(カッコ内との比較は多少違ってるような気もしますが、とりあえず、近い感じを並べてみました)
内田先生はどれに該当するのでしょうか。

そして何故(自分の歌の解釈が正しいとしたら)「天皇の御世が続きますように」と歌うことに私が引っかかるかというと、それは、今の天皇の息子の奥さん(奥さんという言葉もサベツといえばサベツですが)の皇太子妃のかたに、「はやく立派な男の子を産んでください」と言うようなものだワサという気がするからです。(考えすぎですか?)(汗)
(直系でなく、傍系の男子が継ぐのかもしれないけど、国民の心情としての合意は得られるのかな。それとも、そのときが来れば、誰もが納得するような演出がなされるのでしょうか)

あの歌詞については、どう考えたらいいんでしょう。
いっそ「民が世」だったら、私も抵抗なく歌えると思います。

メールはもう少し長いのだが、とりあえず中心的な問いだけ採録させていただいて、以下に私からの回答を示す。

こんにちは。
問い合わせについてお答えできる範囲でお答えします。

「日の丸」や「君が代」は別に歴史的に根拠のあるものではないと思います。
「菊の紋章」に「ひむがしののにかぎろひのたつみえて」でもべつに支障はなかったでしょうし、いまから「五三の桐」と「青い山脈」に変えても別段誰が困るというものでもないでしょう。

「君が代」に曲をつけたのはイギリス人とドイツ人です。外国からの国賓を迎えるときに国歌吹奏がないとかっこがつかないというので明治初年にどたばたと即製したものだそうです。

いずれにせよ、国名とか国歌とか国旗というのは、「名刺代わり」のようなもので、それがないと国連とかボクシングの世界タイトル戦とかワールドカップとかいうときに、いろいろ面倒です。
とりあえず、そのことにはご同意いただけるかと思います。

極論すれば、国歌や国旗は「内田樹」という私の個人名の「字面」と「音」のようなものだと思います。
「内」も「田」も「樹」も、それぞれの文字の意味や音は私の人格性とは何の関係もありません。ただの字であり、ただの音です。
別に意味なんかありません。
でも、「内田」という姓を選んだ遠い祖先と、私に「樹」という名をつけた名付け親の淡い「願い」のようなものはあったのかもしれません。

「君が代」についてもそういうふうに考えています。
歌詞にも曲にも、たいして意味なんかない。ただ漠然とした願いのようなものがこめられている、と。

視点を変えて考えてみましょう。
「君が代」を英訳したらどうなるでしょう?
May your reign last forever
となるはずです。

この英訳詞を英語話者に見せて「どうです、軍国主義的・天皇主義的なひどい歌詞ですな」と言ってみても、たぶん同意してもらえないと思います。
「え、どこが?」
と反問されるのではないでしょうか。
キリスト教徒なら「このyouというのはもちろん『主』のことですよね?やあ、いい歌詞じゃないですか」と言うかもしれません。

天皇はまごうかたなきヒューマンビーイングです。
その人間天皇に向かって「last forever」(いつまでも死なないでください。100年も1000年も生き続けてください。地球が滅びても、太陽系がなくなっても、ずっと宇宙空間をさまよっていてください)なんて歌う人はいないはずです。
生きている人間に向かってその不老不死を予言することは、ほとんど「呪詛」に等しいからです。

このreign は論理的に考えて人間のそれではありえません。
古今和歌集から取ったこの歌詞は「天皇が神」であった時代(つまり、その永世を祈っても呪詛にならない時代)のものです。
「君が代」はですから「神の治世」と読むべきものでしょう。

カントローヴィッツという人は「王には二つの身体がある」という理説を語っています。

「王は二つの身体を持っている。つまり自然的身体と政治的身体である。彼の自然的身体は死すべき身体であって、自然や偶然によるあらゆる不確実性や、幼児期や老年期の虚弱性、他の人々の自然的身体に起こるのと同様の欠陥などに左右される。しかし、彼の政治的身体は、見ることも手を触れることもできない身体であって、政策と政府から成り、人々を導き、公共の福利を進めるためのものである。この身体は自然的身体が支配されているような幼児性、老化、およびその他の欠陥や弱点を完全に免れている。」(『王の二つの身体』)

17世紀の英国革命のとき、チャールズ一世は議会と戦って殺されましたが、議会はこの死を「チャールズ一世の名において」命じました。
チャールズ一世の政治的身体が、チャールズ一世の自然的身体を滅ぼしたのです。

私たちがLast forever を願うことができるのは政治的身体だけです。
いま皇居に住んでいて1933年生まれの(姓のない)明仁という名の人物の自然的身体は、日本国民がどれほど「君が代」を熱唱しても、いずれ老化し、損壊するでしょう。
永続するのは彼の(というより歴代の日本の「政策と政府」が統合軸に掲げてきた)政治的身体だけです。

「君が代」の「君」もまた、「今上天皇」という自然的存在ではなく、カントローヴィッツ的に言えば、「政策と政府から成り、人々を導き、公共の福利を進めるための」政治的身体(私たちの社会集団を守護してくれる地方神的存在)という意味に読み替える方が、解釈としては自然だろうと私は思います。


そういう漠然とした意味で「私たちの守護神さま、どうぞいつまでもこの地域をえこひいき的に守ってください」と歌うことは(身勝手な願いですけれど)、別に眼を光らせて咎め立てするほどの歴史的悪行だと私には思われません。

でも、私はこれまで日記で書いてきましたように、この国歌を歌うことに心理的な抵抗を感じています。

それは歌詞の個別的な字句にこだわりがあるからではありません。

「国歌」というのは世界中どの国の国歌でも同じ人類学的機能を果たしています。
それは「自分の国をほめたたえる」という機能です。

その本質は校歌とか寮歌が「自分の学校をほめたたえ」「自分の住んでいるエリアをほめたたえる」のと変わりません。
それは「そういうもんだよな」と思って聴いていれば何でもないけれど、「そういうのって、はずかしくないのかよ、おい」と思って聴くと、なんとも気恥ずかしいものです。

私はよその国の人が自国の国歌を歌っているのを聴いてもあまり不愉快にはなりません。でも、日本人が日本国歌を歌っているのを聴くと、ざわざわと寒気がします(自分で歌っているときも寒イボが立ちます)。

それは歌詞が軍国主義的だからではありません(ラ・マルセイエーズの方が「君が代」の何倍も軍国主義的です)。
歌詞が天皇礼賛だからでもありません(ゴッド・セイヴ・ザ・クィーンの方が「君が代」の何倍も王室賛美的です)。

「自分の国をほめたたえる」というふるまいが思い切り気恥ずかしいからです。

だから、仮に「君が代」が廃止されてかわりに「青い山脈」でも「東京行進曲」でも「東京ラプソディー」でも、そういう歌詞的にノープロブレムの歌曲が国歌に採用されても、私はやはり寒イボを立てながら歌うでしょう。

それは自尊心に膨れ上がり、自信にあふれ、自慢話をしまくるだけでは足りず、「自分をたたえる歌」を歌い、「自分の旗」をつくって振り回す人間を見たとき、あまり尊敬する気にならないのと同じ感情の働きです。

私が国歌に感じる抵抗は「君が代」の歌詞に対する思想的抵抗ではなく「国歌を歌う」という行為そのものに対する心理的抵抗なのです。

自国をほめたたえる「べきである」という議論と、自国をほめたたえる「べきではない」という議論のどちらにも私は与することができません。

私がこの問題について言いたいのは、自国をほめたたえる歌を高唱したり、自国の旗を振り回したりするのは「はしたない」という含羞の感覚が、人間社会を住みやすくするためには、けっこうたいせつなのではないか、ということに尽きます。

「君が代」を歌うこと、日の丸に敬礼することに私たちより年長の世代のなかにはつよい抵抗を感じる人々がいます。

彼らは別に歌詞にこだわっているわけではありません。
その国歌がうたわれたときの歴史的文脈や、その旗がうちふられたときの「情景」を思い出して、苦痛を感じているのです。

それは国歌や国旗の罪ではなく、その国歌を掲げて行動した、ある時代の「政治的身体」の罪です。

それがどんなふうに利用されたのか、その政治的・歴史的な意味について考えることの方が、歌詞の意味を問うことよりずっとたいせつだと私は思います。


それから追記ですけれど「ハンディキャップ」についてのインチキ語源を信じてはいけませんよ。
Handicap は「帽子(cap)の中の当たりくじを手(hand)で引いた者が罰を受けたゲーム」(hand in cap)が語源とどの英和辞典にも書いてあります。
「言葉にこだわる」ということには言葉についての新しい解釈や語義を示されたときは、とりあえず辞書をひいて「裏を取る」くらいの作業は含まれていると思いますよ。

投稿者 uchida : 15:40 | コメント (5) | トラックバック

2004年04月04日

能装束は重いぞ・名越先生ってテレビ好き・ワルモノ登場&マンガと文部科学省

養老孟司先生との対談のゲラが届いたので、さくさくと直す。
読み返すとほとんど私がひとりでしゃべっている。
そのときは養老先生の話を「へー」とか「ひえー」とか言って仰天しながら聴いていたような記憶があるのだが、どうもその「仰天」部分はほとんどカットされてしまったようである(そうだろうなー)
養老先生はまことに「恐れを知らぬ」人である。その視座が桁外れであるせいで話がまとめにくかった(というより公刊をはばかられた)のであろう。
リアルタイムで「生養老」が聞けてよかった。

合気道のお稽古にゆくとたくさん来ている。
春になると人々は「啓蟄」のように穴から出てくる。
なんだか身体がむずむずするのであろう。
みんなにこにこうれしそうにお稽古をしている。
そうか。そんなに私の教える合気道は面白いか。
よく考えたら、お稽古のあとにみんなはお花見にゆく予定なので、それでにこにこしているのであった。

お花見にゆく諸君と別れて、私は下川先生のお稽古へ。
今日は『融』の能装束をつけて、お稽古をするのである。
狩衣大口袴を着用し、冠をかぶり、面をつけると総重量は5キロ以上。うう重い。
面をつけると前は眼の穴から見て、足下は鼻の穴から見るのであるが、能舞台の5%くらいしか見えない(実際に目測を誤って舞台から転げ落ちる能役者がいる)。
その格好で二回『融』の舞囃子をお稽古する。狩衣の袖がじゃまでうまく舞扇が開けない。
下川先生に狩衣の袖の捌き方が下手だと叱られる。
なこといったって、狩衣の袖を捌きながら扇開いたことなんか生まれてから一度もないんですから、先生。「下手」って言われたって・・・(しくしく)

汗だくになってお稽古を終えてから帯刀さんの『野宮』(「ののみや」と読むのだよ)の舞囃子を見学。帯刀さんの謡はじつにつやがある。私もあと50年ほど稽古すればあれくらいになれるはずなのだが、その前に寂滅しているであろう。

家にもどるとすでに8時。
湯上がりにベランダでワインをのみながら「ひとり宴会」をする。
なにげなくテレビをつけたら名越康文先生が出ている。
このあいだ新潮社のおごりでご飯を食べたときに「テレビのレギュラーになって、ウッチャンの精神分析させられました」というお話をうかがっていたのだが、その番組である。
さっそく拝見。
ウッチャンが司会の女の子(むかし小室哲哉の歌を歌ってたシノハラなんとかというひと)といっしょに遊ぶところを数時間ビデオで撮って、そのディテールを分析するという趣旨の番組である。
名越先生の話では、ビデオを20分くらい見ただけでウッチャンという人の心理はだいたいわかってしまったそうである(こわいねー)
あ、そうか。私も名越先生に、会って20分で精神分析されちゃっていたんだ・・・
そういえば、最初にお会いしたとき、30分後くらいに名越先生、にっこりわらって「ウチダ先生も、かすってますね」と言われたことがある。
「かすっている」というのは名越先生と甲野善紀先生がご愛用の符丁で、「きわきわ」ということらしい。
「狂いすぎている人は発症しないんですよ」と続けて「はははは」と愉快そうに笑っておられた。私もつられて「わはははは」と笑ったのだが、あのときの「ウチダ先生も」の「も」はどういう意味だったのであろう。

お昼ごろに医学書院の「ワルモノ・エディター」白石さんがやってくる。
さすがに辣腕エディター。もう本が「仮綴じ」で出来ている。
すごいねー。いつのまに・・・

去年から今年のはじめにかけて朝日カルチャーセンターの東京と大阪でやった計7回の講演を刈り込んで、加筆修正したものである。

タイトルは『死と身体−コミュニケーションの磁場』。
かっこいいね。

タイトルを編集者につけてもらったのはこれがはじめてである。
「しとしんたい」でいちおう5音。(「たぃ」ってちぢめて読んでね)
イ音が続くので、タイトルを言ったあと口が両側に開いて「にい」と笑顔になるのがよろしい。
それに「死・・・」って字面は、やっぱりアイキャッチングで、インパクトあるよね。

タイトルは「あ」で始まって「ん」で終わるとよろしいということについてはプチ宴会でふたりのスーパー・エディターと合意が形成されたのであるが、なかなかむずかしいものである。
『あ、死と身体』ではどうかしら。

白石さんはタイトル付けの名人で、先日は『壁のバカ』という仰天タイトルを発表して、大受けしていた(これは「壁に向かって、『バカ・・・バカ・・・』と低くつぶやく悲しい男の物語」のタイトルだそうである)。

本体はもう出来ているのであるが、これに「まえがき」50枚を書かないといけない。
いろいろ相談して「分け組の思想」というものにする。

「分け組」というのは白石さんが昨夜京都のホテルで突然天啓を得て思いついた概念で、「勝ち組」「負け組」のほかに、「ま、ナカとって・・・」でことを収める「分け組」というものがあってはよろしいのではないか、というこれはびっくりの発想によるものである。
そ、それでいきましょう、ということになる。
詳細は本買って読んでね。

家にもどってから『通販生活』で購入した新品のお釜でご飯を炊いて、ひさしぶりに「納豆・生卵・おみそ汁」フルコースを食す。
美味なり。
お腹が一杯になったので、寝ころんで『ろくでなしBlues』の続きを読む。
ううう、面白い。
ついでに吉田秋生と川原泉も読んじゃう。
少女マンガはほんとに面白いなあ。
あ、いけない。
今日は文部科学省に出すCOLの書類を書く日であった。
泣く泣くマンガを本棚に戻して、パソコンに向かい、ぱこぱこと「官僚的作文」を起草する。
あああ、つまんねー。
でも「あああ、つまんねー」といいながら、どんどん作文が出来てしまう自分がコワイ。


投稿者 uchida : 11:17 | コメント (0) | トラックバック

2004年04月03日

ジュンク堂と沈黙交易

4月2日

春休み最後の一日。
何も用事がない日というのは結局春休みのあいだこの一日しかなかった・・・ので、謡本を買いに三宮に出かける。
『葵上』『屋島』『殺生石』『安達原』の四冊を購入。
なんだか恐そうな話ばっかり。

ひさしぶりに本屋に来たので、コミックを大量購入。
川原泉『甲子園の空に笑え!』吉田秋生『夢みる頃をすぎても』『ラヴァーズ・キス』森田まさのり『ろくでなしBlues』西原理恵子『鳥頭紀行』『アジアパー伝』。
川原泉や吉田秋生は、るんちゃんが洗いざらい東京に持っていってしまったが、ときどき発作的に読みたくなる。
川原泉の『銀のロマンティック・・・わはは』がウチダは好きなのである。
名越先生の『ホムンクルス』を探すがみつからないので、あきらめてAmazonで買うことにする。

そういえば、どうしてインターネット書店が「アマゾン」なんていうネーミングにしたのかについて朝日カルチャーセンターでの講演中に発作的に思いついたので、忘れないうちに書きとめておく。

インターネットでお買い物というのは「沈黙交易」の今日的な甦りであるという仮説である。

「沈黙交易」というのは、交易の起源的形態で、ある部族と別の部族の境界線上にぽんと物を置いておくと、いつのまにかそれがなくなって代わりに別のものが置いてある・・という、交易相手の姿も見えず、言葉も交わさない交換のことである。

ウチダの考えでは、この沈黙交易こそが交換の本質的・絶対的形態であり、これ以外の交換はすべてそれが堕落したものに他ならない。

交換というのは「私が欲しい物を君が余らせている。君が欲しいものは私が余らせている。おや、ラッキー。じゃあ、交換しましょう」というかたちで始まるものではない。
そういうのは「欲望の二重の一致」と言って、「ありえないこと」なのである。
交換においては交換される物品の有用性に着目すると交換の意味が分からなくなる。
交換の目的は「交換すること」それ自体である。
考えてもみたまえ。
どうして大航海時代なんていうものがあって、ひとびとが海図のない旅に乗り出したのか。
それはヨーロッパはすべてが「既知」になってしまって、もう「姿も見えず、言葉も交わすことができない交易相手」がいなくなってしまったからである。
そういう交易相手を探して、ヨーロッパ人はアジアやアフリカやアメリカにぞろぞろ押しかけたのである。別に胡椒やら砂糖やら煙草やらお茶やらが「欲しかった」わけではない。そんなものなしでそれまで何千年も気楽にやってきたのである。どうして命がけでそんなものを手に入れる必要があるだろうか。
人間は交易という行為そのものがしたいのであって、交易されている「もの」には副次的な意味しかない。

20世紀になって、地球上から「暗黒大陸」がなくなって、それと同時に「言葉をかわすことも、姿を見ることもない交易相手」は消滅してしまった。
そこにインターネットが出現して、私たちはふたたび沈黙交易をすることができるようになった。
だから、「アマゾン」なのである。
「マットグロッソ」の森に向けてそっと電磁パルスを打ち込む。しばらくすると宅急便の配達のお兄ちゃんが「ぴんぽん」をチャイムをならして「はい」と本やCDを届けてくれる。
アマゾンさんがどういう会社組織で、どこに本社があって、誰がそれで利益を得ているのか・・・私たちは知らない。というか知りたくない。
知らないからわくわくするのである。

私たちが交換に求めているのは純粋状態のコミュニケーション、すなわち「私の理解も共感も絶した他者と、私はなお交換をなしうる」という事実を確認することなのであり、そのような能力をもつことで人類は類人猿と分岐したのである・・・
という話。

だから携帯メールというのも新手の沈黙交易なんですよね、という話に繋がるのであるが、どういう理路でそうなるのかはみなさん自分で考えてね。

人文科学のコーナーで自分の本がどんなふうに配架されているのかチェックにゆく。
私の本は「西洋現代思想」のところに置いてある。
『子どもは判ってくれない』や『疲れすぎて眠れぬ夜のために』のようなお気楽エッセイがどうして「西洋現代思想」に分類されるのか。ジュンク堂さんの分類原則はミステリアスである。

家にもどってはっぴいえんどを聴きながら、西原理恵子をげらげら笑って読む。
ひさしぶりの休日気分。
でも、今日でおしまい。明日からは書類仕事が待っている・・・


投稿者 uchida : 11:42 | コメント (0) | トラックバック

2004年04月02日

はっぴいえんどと心霊写真とお花見

予約していたはっぴいえんどのボックス(ディスク8枚入り)がAmazon から届いた。分厚いデータブック付き。
さっそく「ゆでめん」から聴いてみる。
「ゆでめん」はアナログ盤を持っているのだが、レコードプレイヤーというものを久しく所有していないので、聴くことができなかったのである。
いつ聴いても、「12月の雨の日」と「春よ来い」はよい曲である。
今回はライブ音源の他、はっぴいえんどがバックバンドとして参加している曲もディスク8に収録してある。
はじめて知ったのは、高田渡の名曲「自転車に乗って」のバックをはっぴいえんどがやっていたことだった(あの「ほい」という気楽なかけ声は大瀧詠一の声だったのである)。

いろいろなアーティストの「好きな曲」というのを拾い上げてゆくと、それが同じスタジオの録音であったり、同じスタジオミュージシャンの演奏であったりするということはよくある。私たちは「曲」を聴いていたのではなく、「サウンド」を聴いていたのである。
そう考えてみると、1970年からあと、私が日本人ミュージシャンの楽曲として(それと知らずに)一貫して愛聴してきたのは、「はっぴいえんどの音」(それは「ナイアガラ・サウンド」であり、初期の「ゆーみん」のサウンド、山下達郎や大貫妙子のサウンドでもある)だったということが改めて分かった。
それとはまったく無関係なところで、バッファロー・スプリングフィールドのサウンドも大好きで(ビートルズの解散後は、CSN&Yとニール・ヤングばかり聴いていた)。これも、ちゃんと平仄が合っている(はっぴいえんどはバッファロー・スプリングフィールドのBluebird を練習してそのサウンドを完成させたのである)。

残念ながら、私はリアルタイムでははっぴいえんどを聴いたことがない(私が名前を知ったときにはもう解散したあとだった)。
岡林信康のカセットテープを兄ちゃんがもっていて、そのクレジットに「はっぴいえんど」というバンド名があったのを見たのが最初である。
76年、スキー旅行の夜、麻雀をしていた中のひとりが「楽しい夜更かし」をカセットに入れて「麻雀のテーマソング」にしていた。東京に帰ってすぐにレコードを買い、ラジオ関東のGo!Go!Niagara を毎週聴くようになった。
77年に渋谷で会社を始めたときに仲間の石川茂樹くんに「大瀧詠一って知ってる?」と訊いたら「私の師匠です」という答えが返ってきて、それから石川くんといっしょにコンサートに行くようになった。
山下達郎くんとの正月名物『新春放談』をはじめとするラジオ放送は石川くんがこまめにエアチェックして、いまでも定期的にカセットを送ってくれる(石川くんはGo!Go!Niagara を三年間全回分をテープに録音しているという伝説的なナイアガラーなのである)。
そのカセットを車に乗っているときには繰り返し聴いている。何十回聴いても聴き飽きるということがない。
『新春放談』20年分を全部収録したCDをどこか出してくれないだろうか。1980年代以降の日本社会とその文化について、これほど透徹した分析を語り続けた批評的知性を私は大瀧の他に知らない。

「風街ろまん」を聴きながら、『ミーツ』の原稿をさくさくと書く。
今回は「離婚について」。
またまた長くなりすぎて、「続きは来月」(これも『新春放談』ぽい)。

合気道のお稽古にゆくとU野先生が合宿のときの集合写真に「変なもの」が写り込んでいるのを見せてくれる。
たしかに私たちのまわりにふわふわと白い球状のものが浮いている。
ただし、それはドクター佐藤が写した分だけで、同じアングルで谷口さんが写したものには何も写っていない。
さすが「霊感政務次官」。

お稽古のあとベリーニの久保さんにお招きして頂いていたので、芦屋川河畔の「お花見宴会」に行く。
ベリーニは美味しいとこの日記で何度も書いたので、その「お礼」である。
芦屋のなんだかゴージャスなおじさまおばさまたちに立ち混じって「味噌おでん」や「バラ寿司」や「サザエの壺焼き」などを食べて、ビール、ワイン、日本酒などを飲む。
桜はみごとに満開であるが、例年のようなライトアップがない。
どうやら経費節減のために、やめたようである。
芦屋市は去年市長が代わってから、なんだかすごくけちくさくなった。市立の美術館を閉館するとか、ゴミの収集を一日減らすとか、ライトアップをやめるとか、せこい施策ばかりがめにつく。
そんなことをするとますます住民が減るばかりだと思うのだが。

投稿者 uchida : 11:26 | コメント (2) | トラックバック

2004年04月01日

朝日カルチャーセンター講演打ち上げ!

朝日カルチャーセンターの連続講演「身体的思考」全6回が無事終了。

この講演は日記にも書いているとおり、基本的に即興である。

当日のお昼ごろにネタを考えて、関連する資料をレジュメに打ち込んでメールでカルチャーセンターに送信、それからその話をどうやって「つなぐ」か芦屋から大阪までの電車の中で考える、というたいへん「綱渡り」的なパフォーマンスである。

しかし、人間「火事場のバカ力」とはよく言ったもので、準備がなければないなりに、その場しのぎの小咄をいくつがつなぐと、90分でちゃんと「オチ」がつくから不思議である。

人間というのは、毎日ふつうに暮らしているだけで、「必要な情報」とそうでない情報を無意識的に仕分けしている。

私の記憶庫にストックされている情報は実はすべて「私にとって必要な情報」なのである。

ただそれらの断片的なデータが「どういうふうにつながるのか」をデータをストックしている本人も分かっていないというだけのことである。

折り込み広告の買う気のぜんぜんない商品のスペックなどを熟読しているとき、自分はいったいなぜこのようなゴミのような情報を拾っているのか、ウチダ本人には理由が分からない。

そのときには分からないけれど、そのゴミ情報の中の何かが、それ以外の何をもってきてもリンクできないようないくつかの断片をつなげて、ひとまとまりの知見を構成することがある。

なるほど、そういうことか、と事後的に腑に落ちるのである。

本人は分かっていなくても、私に代わって「ウチダがいずれ必要とするであろうデータ」を集めている「ひと」(誰だか知らないけれど)にはちゃんと分かっているのである。

この「ひと」とはふだんはコンタクトをとることができない。

しかし、「火事場」になると出てくる。

あるいはレイモンド・チャンドラーや村上春樹がしていたように、毎日決められた時間に、決められた時間だけ、机に向かってじっと瞑目していると、自然に指先がキーボードを叩き始めるという仕方で「到来する」ことがある。

「私に代わって情報を仕分けしているひと」とコンタクトを取るための方法はひとによって違う。

たまたま私の場合は、「十分な下準備をしないで聴衆の前に立つと、『このひと』が助け船を出してくれる」ということが経験的に分かっているので、そうしているのである。

この講演は少し刈り込んで(なにしろ全部で9時間しゃべってるから)、医学書院で本にまとめてもらって、秋頃には出版の予定である。

最終回の講演を打ち上げて、エディター組、三軸自在軍団、街レヴィ派混成軍といういつものメンツでイタリアンのMUSICAでプチ宴会。

今日はちょっと気張ってスパークリングワインで乾杯。生ハムやスモークサーモンやパスタやピザを囓りながら、ワインをのんでわいわいとおしゃべり。
けっこう心理的には負荷のつよい仕事だったので、とりあえず大過なく終えることができて、なんだかずいぶんほっとして、舌もおのずとなめらかになる。

この連続講演を企画して頂いた朝日カルチャーセンターの河原宏さん、事実上のプロデューサーである医学書院の白石正明さん、毎回応援に来てくださった本願寺出版社の藤本真美さん、「インターネット持仏堂」の相方である釈徹宗先生、プロボクサー本田秀伸さん、街レヴィ派の堀埜浩二さん、小林和子さん、三宅接骨院の三宅将喜さん、福原秀夫さんをはじめとする“三軸自在軍団”のみなさん、 “いつもの”ウッキー、いちいちお名前を挙げることができませんが、これまで聴講してくださったすべてのみなさん。おかげで楽しい仕事ができました。どうもありがとうございました。

投稿者 uchida : 14:06 | コメント (3) | トラックバック