東京都教育委員会が、今月の卒業式で「君が代」に起立しなかった都立校の教職員180名に戒告などの処分を下した。
起立しなかった嘱託教員は今年度で契約をうち切る方針である。
東京都教育委員会にお聞きしたい。
あなたがたはこのような処分を敢行してまで、「何を」実現しようとされているのか?
愛国心の涵養?
まさかね。
繰り返し書いているように、「愛国心」というのは「自国の国益を優先的に配慮する心的態度」のことである。
「国益」とは理念的に言えば、国民の生命幸福自由の確保のことであり、リアルに言えば、実効的な法治と通貨の安定のことである。
私たちが国益を優先的に配慮するのは、「そうするほうが私的な利益を最大化できるから」である。
当たり前のことだが、独裁者が暴政を揮い、貪吏が私利を追い求め、盗人が横行し、通貨は紙くず同然、交通通信電気などのインフラが整備されていない社会に住むより、そうでない社会にいるほうが、私たち自身の生命身体財産自由が確保される確率は高い。
私たちが国益を配慮するのは、私たち自身の私利の保全を配慮しているからである。
というのが近代市民社会論の基本の考え方であり、この原理に異を唱える人は、とりあえず日本国憲法遵守の誓約をなしてから就職したはずの日本の公務員の中にいるはずがない。
もちろん東京都教育委員会のメンバーの中にもいるはずがない。
どういう手だてをとれば、国益を最大化できるか(それはただちに私自身の私利を最大化することに通じている)を考えることに優先的に頭を使うこと、それが「愛国心」の発露である。私はそう考えている。
しかし、その「愛国頭」が出した結論については、一義的な国民的合意はない。
あるはずがない。
国益は国際関係の文脈に依存しており、ある国が単独で決することができるような問題はほとんどないからである。
たとえば、日本の外交戦略がとるべきオプションは、アメリカの国際社会における威信や影響力が「あとどれくらいもつか」についての評価の違いによって、まったく変わってしまう。
しかし、「あとどのくらいもつか」は未来予測であり、未来について確言できる人間は世界にひとりもいない。
わずかな偶然的ファクターの介入によって状況が一変する可能性はつねにあるからだ。
だから日本が外交上とるべき「ベストのオプション」を確言することは誰にもできない。
できるのは誰の未来予測がもっとも蓋然性が高いかを、データを積み上げて吟味することだけである(それもしばしばはずれるけれど)。
それでも、私はこのような知的作業をていねいに行うことが「愛国心の発露」だと思っている。
というふうに国益と愛国心について基本的な確認をした上で、東京都の教育委員会におたずねしたい。
あなたがたは、今回の処分と「日本の国益のための最適オプション採択の蓋然性の向上」のあいだにどのような論理的関係があるとお考えなのか。
どう考えても、あるようには思えない。
「君が代」と「日の丸」は日本国の象徴である。
「君が代」と「日の丸」に儀礼的な敬意を払うのは、「日本国」に対する敬意を象徴的に表現するためである。
日本国に敬意をもつ人間であれば、誰に強制されなくても自然に国旗には頭を下げ、国歌には唱和する。
神社仏閣を訪れる人間は、誰に強制されなくても自然に頭を下げている。
別に誰かが「こら、頭を下げろ、さげないと処分するぞ」と命令しているからではない。
具体的に私たちに対して何の利益も不利益ももたらしていないような天神地祇に対してさえ、私たちはほのかな敬意を抱き、それを自然にかたちにする。
ましてや具体的に私たちの日々の平穏な暮らしを保障してくれている国家に対して敬意と感謝の念を抱くことがそれほどむずかしいことだと私は思わない。
私自身は、国旗に敬礼し、国歌を斉唱する。
私が生まれてから今日まで、とりあえず戦争もせず、戒厳令も布告されず、経済的なカタストロフも、飢饉も、山賊海賊の横行もなかったこの国に対して、私なりのひかえめな敬意と感謝の念を示すためである。
私が日本国に対して抱いている「ほのかな敬意」は、親日派の外国人が日本に対して抱いている「ほのかな敬意」に質的にはかなり近いのではないかと思う。
それは別にファナティックなものではなし、万感胸に迫るというようなものでもない。
けれども、経験に裏打ちされたものである。
そのような敬意を象徴的に表現することに抵抗を覚える、という方がいるとしても、私はそれはしかたのないことだと思う。
それは世界観の問題というより、経験と経験の評価の差によるものだからだ。
いま、この国の国民であることが、それ以外の国の国民であることより「かなりまし」であるということ、この国に生まれたことが「わりとラッキーだった」ということに気づくためには、それなりの「場数」というものを踏まないといけない。
政情が不安定であったり、経済が混乱していたり、インフラが整備されていなかったり、特権階級が権益を独占していたり、文化資本の階層差が歴然としている社会をあちこちで見て来たあとになると、なんとなく「ふーん、ま、ぼちぼちいい国なんじゃんか、日本も」という気分になってきたりする。
もちろん、まったくそういうふうに感じられない人もいる。
たとえば、個人的に行政や司法から理不尽な扱いを受けた経験のある人が「国家への敬意なんて、持てるわけがない」と思うことは誰にも止められない。止めるべきでもない。
国民国家における市民社会はつねに「私と意見の違う人」「私の自己実現を阻む人」をメンバーとして含んでいる。
その「不快な隣人」の異論を織り込んで集団の合意を形成し、その「不快な隣人」の利益を含めて全体の利益をはかることが市民の義務である。
国旗国歌に敬意を払うことを拒否する市民をなおフルメンバーの市民として受け容れ、その異論にていねいに耳を傾けることができるような成熟に達した市民社会だけが、メンバー全員からの信認を得ることができる。
そのようにして異論に耐えて信認された集団の「統合の象徴」だけが、メンバーから自然な敬意を受けることができる。
私はそう思っている。
自分に敬意を払わない人間を処罰する人間は、なぜ敬意を払われないのかについて省察することを拒絶した人間である。
ふつう、そのような人間に敬意を払う人はいない。
国家に敬意を払わない人間を処罰する国家は、なぜ敬意を払われないのかについて省察することを拒絶した国家である。
ふつう、そのような国家に敬意を払う人はいない。
今回の東京都教育委員会の行った処分によって、世界全体で「日本が嫌いになった」人間と「日本が好きになった」人間のどちらが多いかは問うまでもないだろう。
日本を嫌いになる人間を組織的に増やすことによって、東京都教育委員会は、日本の国益の増大にどのような貢献を果たしているつもりなのか、私にはうまく想像することができない。
31日の朝日カルチャーセンターのネタを仕込む。
いつもは当日のお昼に必死で仕込むのであるが、今回は二日前から準備をしている。
ずいぶんいい加減な人間だとお思いになるかもしれないけれど、あまり周到に準備をしてしまうと、話す私自身がその話に飽きてしまうのである。
今回のお題は「死の儀礼」。
他者という概念は死者を埋葬する儀礼の発生と起源的には同一であるのではないか・・・という人類学的にまったく根拠のない妄説を思いついたので、それを展開してみる。
いま書いているレヴィナス論『他者と死者』はそういうアプローチからレヴィナスの「他者」概念を解釈しようという暴挙なのである。
他者とは死者のことである。
だって、そうでしょ。
レヴィナスの定義によるならば、他者とは私の理解も共感も絶しており、かつ「存在するとは別の仕方」で(だから存在しない)、にもかかわらず「私」に「影響を与え」(affecter)、私が倫理的に生きることを「命じる」のである。
レヴィナスは他者に「触れられる」ときの経験をaffecter というかなり含意のある動詞で表現する。
翻訳するとわかるけれど、affecter というのは訳しにくい動詞である。
affeter は「つらい思いをさせる/影響を与える/害をなす/正負の符号をつける」というなんだかごちゃごちゃした意味がある。
レヴィナスはこういう言葉を選択するときに決して偶然に選ぶということをしない書き手である。当然、この「ごちゃごちゃ」な含意はすべてここに込められていると考えなければならない。
存在しないけれど、私たちにaffecter する存在。それは「死者」である。
驚いてはいけない。
およそ文学の世界で歴史的名声を博したものの過半は「死者から受ける影響」を扱っているということを文学史はあまり語りたがらないが、これはほんとうのことである。
近いところでは村上春樹の作品はほぼすべてが「幽霊」話である。(村上春樹の場合は「幽霊が出る」場合と「人間が消える」場合と二種類あるけれど、これは機能的には同じことである)。
夏目漱石だってそうだ。
『猫』は猫の一人称小説だけど、最後まで読んだ方はご存じのとおり、猫は『猫』の執筆時点ではすでに「死んでいる」のだ。
あれはテクスト全体が「死者(というか「死猫」だな)からのメッセージ」というオカルト小説なのだが、そのことの意味に気づいている日本文学者は少ない。
『こゝろ』もそうだね。
あれも第三部は「死者からのメッセージ」だ。
死者からのメッセージを受け取ったせいで「わたし」の人生ががらっと変わってしまうという話なのである。
死者は死んでもう存在しないから、私たちに何の関係もない、などというお気楽なことを言う人間には文学も哲学もわかりはしない。
死者は存在しない。存在しないけれど、存在しないことによって私たちをaffecterすることを止めない。
存在(Sein)は存在者(Seiende)ではない。存在を存在者としてとらえることはできない。存在者としてとらえられた存在は無である。それゆえ人々は存在を忘却する。
これはご存じハイデガーだが、この「存在者」を「生者」、「存在」を「死者」と書き換えて読んでみるとどうなるか。
「死者は生者ではない。死者を生者としてとらえることはできない。生者としてとらえられた死者は無である。それゆえ人々は死者を忘却する」
あら、ちゃんと意味が通っている・・・
おひまな方は『存在と時間』を取り出して、その中の任意の一頁をひらいて「存在」を「死者」に書き換えて読んでみてください。これがね、驚くべきことに「全部」意味が通るのだよ。
嘘だと思う?
じゃ、やってみようか。ぱらり。
「われわれはつねにすでになんらかの存在了解内容のうちで動いているということは、さきに暗示されていた。その存在了解内容のうちから、存在の意味を表立ってたずねる問いと、存在の概念に達しようとする傾向が生ずる。『存在』とは何のことであるのかを、われわれは知ってはいないのである。しかし『「存在」とは何であるのか?』と、われわれが問うときにはすでに、われわれはこの『ある』についてなんらかの了解内容をもっているのだが、この『ある』が何を意味しているのかを、われわれが概念的に把握しているわけではあるまい。」
ではまいるぞ。
「われわれはつねにすでになんらかの死者了解内容のうちで動いているということは、さきに暗示されていた。その死者了解内容のうちから、死者の意味を表立ってたずねる問いと、死者の概念に達しようとする傾向が生ずる。『死者』とは何のことであるのかを、われわれは知ってはいないのである。しかし『「死者」とは何のことであるのか/「死者」はどのように死んでいるのか?』と、われわれが問うときにはすでに、われわれはこの『死ぬ』についてなんらかの了解内容をもっているのだが、この『死ぬ』が何を意味しているのかを、われわれが概念的に把握しているわけではあるまい。」
ハイデガーの存在論というのは「そういう話」なのだ。
「『或るもの』の現れとしての現れは、おのれ自身を示すということを意味するのではけっしてないのであって、むしろ、おのれを示さない或るものが、おのれを示す或るものをつうじて、おのれを告げるということを意味する。現れることはおのれを示さないことなのである。」
「或るもの」を「幽霊」と書き換えて読んでみてください。
別に私はオカルト話をしているのではない。
私が言っているのは、「存在論」や「他者論」のような名前のついた理説を持たない社会集団は無数に存在するが、「死者論」「幽霊論」を持たない社会集団は存在しないという、ただそれだけのことである。
もし哲学が普遍的な学であろうと望むのであれば、それは「すべての」人間社会に汎用的に妥当する知見を語っているはずである。
「存在についての問い」「存在者についての問い」は欠性的な仕方で「死についての問い」「死者についての問い」になるほかない。
だが、フッサールの現象学が実は「幽霊学」であること、ハイデガー存在論が実は「死者論」であることに気づいている人は少ない。
まして、レヴィナスが「フッサール幽霊学はたしかに幽霊がどうやって出てくるかについての分析はなされているが、『幽霊の位格』や『幽霊からの謎かけ』についての考究が足りない。また、ハイデガー死者論は死者の根源性については十分な論及がなされたけれど、それだけでは死者がなぜ生者に倫理的に生きることを命じるか、その基礎づけができない」という視点から先行する哲学者を批判したことを理解しているひとはさらに少ない(というか、いないよな)のである。
というようなことを『他者と死者』では書きたいのであるが、もちろんそんなことを書いて本にしたら学界から永久追放されてもうどこの大学の教壇にも立てなくなってしまうので、しかたがないから、ホームページ日記に書いたり、朝日カルチャーセンターで「怪しい話」を聞きに来た人たち相手にこそこそしゃべったりしているのである。
なにはともあれ、ハイデガーは絶対に「幽霊を見たことがある」と私は思う。
そうじゃなければ、あれほど「見てきたように」は書けませんて。
合気道の合宿が終わって三日ぶりに芦屋に戻る。
合気道の合宿のあいだは、誰も新聞も読まないしテレビも見ない。世俗的な話題に論及されないというのではなく、そもそも合宿のあいだは「知的な会話」というものが交わされないのである。
もちろん長時間の稽古によって全員の脳が酸欠のために多少機能不全をきたしていることは否めないが、話題が限定的なのは全員が顔を合わせる機会が道場か食堂だけであることによる。
道場ではウチダひとりが指示を発し、注意を告げ、要諦を説き、極意を伝授しているわけで、私がパロールを独占しており、余人がこれに容喙することはもとよりあってはならない。
「せんせー、きこえませーん」とか「んなことできるわけないじゃんよ」というような私語を聞きとがめられたものはただちに袈裟斬りに斬り捨てられて、カンナベ高原の養豚場の餌にされてしまうのである。
食堂では酸欠の脳に湯上がりのビールなどが加わっているために多幸症的な痙攣的哄笑が座を圧しており、この騒音の中で三センテンス以上の文を聞き届けさせることは不可能に近い。
それ以外の時間はみなさん風呂に入っているか、歯を磨いているか、寝ているかのいずれかである。
というわけで、たいへんに幸福な原生動物的退行の三日間をすごして帰ってきたのである。
また世俗の活動に戻らなければならないと思うと悲しい。
今回の合宿では昇段級審査と幹部交代があったのでこの場を借りてご報告しておきたい。
参段:北川真優美・楠佳織・内古閑佳奈・溝口良子
二段:飯田祐子・瀬戸久美子
初段:石田大樹
1級:佐藤友亮
2級:岩本督徳・白川カヨ・二木佐知子・森千花・中瀬志保・前川さち
4級:谷口武史
5級:嶋津清香・鵜野ひろ子
みなさんおめでとう。
おいちゃん・くー・かなぴょんは二段取得後3年での昇段、これは合気道会の最短記録。三段は本会での最高段位である。全員の範となるようにみなさんの今後ますます精進を期す。(ヤベッチもはやくミネソタから帰ってこいよー)
石田さんは「芦屋派」からの最初の入段者である。合気道会「芦屋派男子部」の充実まことによろこばしい限りである。
スーパー一年生は全員揃って二級。これまた昇級の本学最短記録。来春の合宿での初段めざして一年間合気道部の中核としてがんばって頂きたい。
鵜野先生は英文学科長の激務のあいまを縫って熱心にお稽古を続けられ、今回晴れてウチダゼミ新入生の嶋津さんともども「ザ・ハカマーズ」入りを果たした。おめでとうございます。
2004年度の合気道部幹部は
主将:森川直
副将(会計):嶋津清香
副将(部長):白川カヨ
のみなさんにお願いすることに決定した。1年間がんばってくださいね。
宴会では例年の通り「追いコン」が行われ、恒例の「涙と笑いのミュージカル」で全員泣き笑い。
卒業生8名のうち、合宿に参加したのは岸田汐・大西美穂子・木葉裕香の三人だけといささか寂しい追いコンであったが、「合気道部に引退はない」ので、卒業後もお稽古に来るのだよ。
行事てんこもりの春合宿も、「うさ餅」集団購入行動・「黒豆ソフト」集団嗜食行動・「いけのや」メニュー点検活動をふくめて無事終了した。
最後に全行事をすみからすみまで監督統括してくれた第12代主将・ウッキーの大活躍にこの場を借りて心からお礼を申し上げる。ウッキーほんとにありがとね。
ああ、驚いた。
『通販生活』で購入した「ミラクル枕」で楽しく安眠していたら、夜半にいきなり胃に疝痛が。
それもなまはんかな痛みではない。
「お女中、どうされた?」
「じ、持病の癪が・・・」
というあれである。
ふとんから跳ね起きて薬箱にかねて用意のブスコパンを探りにゆくも、薬箱のある和室にたどり着く前に廊下で倒れてしまう。
こ、これはまずいというので寝室に戻る。
ベッドに身体を載せる前にまた激痛で失神。
数秒間意識を失っていたらしいが痛みの波がひいたので、ベッドに潜り込む。
早朝、少し痛みがおさまったところで薬を飲む。
昼頃まで寝ていたら、なんとか起きられるようになった。
鏡を見るとすごい顔をしている。
どうやら夜中に意識を失う前に、ドアか柱に激突したらしい。額と左目のところに青あざができている。
そんな痛みを感じないくらいに胃が痛かったということである。
もともと胃けいれんは私の持病で、死ぬかと思うほど苦しんだことが過去に二度ある。
最初のときはまるまる一夜痛み続けて、あたら二十歳そこそこで横死するのか・・・と覚悟したほどである。
それにくらべると昨夜のはだいぶましである。
理由を考える。
「柑橘類ダイエット」をしているので、食事の前にやたら腹を減らしていて、そこに「さ、食うぞー」といって刺激物をどんどん放り込むという、このところの食事の取り方に問題があるのかもしれない。
コーヒーも一日6,7杯飲むし。
それに昨日は医学書院に送る原稿を一気書きするために7時間くらいみじろぎもしないで机に座っていた。
最後のころは肩の痛みと首の痛みとの戦い。
身体は「もうやめよーよ」と悲鳴を上げているのであるが、脳のほうは「あとちょっとだからさ、がんばれよ」と叱咤している。
そうやって書いている原稿が「脳の支配を廃絶して、身体の悲鳴に耳を傾けましょう」という内容なんだから、笑っちゃうよね。
私だって身体の命令に従ってへなちょこに生きたいのであるが、世間と脳がなかなかそれを許してくれない。
しくしく。
反省。
とりあえず本日は飯抜き、酒抜きで胃をいたわることにする。
明日から合気道の合宿だし。
よろよろ起きあがって、レヴィナスの翻訳の最後の8頁をやる(こりない奴)。
412頁まで無事終了。
あとは全体のフォーマットの統一だけである。なんとか2003年度内に終了できそうだ。
まことにけなげなことではあるが、こんな生活態度では長生きはできそうもない。
「不良在庫リスト」を一瞥する。
残りあと24冊(なんだよ、少しも減ってないじゃないか)。
返しても返しても雪だるま式に膨らんでゆく借金地獄。
オーマイガ。
『インターネット持仏堂』の相方である釈徹宗先生がアンナ・ルッジェリさんというイタリア女性をともなって芦屋においでになる。
アンナさんは立命館の先生で専門は「武道と禅」。
ヴェネツィア大学東洋言語文学学科の卒論が『白隠慧鶴-教えおよび修行』、花園大での修論が『白隠和尚「遠羅天釜」の思想的研究』、大阪府立大での博士論文が『禅公案の思想的研究−白隠慧鶴を中心として』というお方である。武道は糸東流空手を13歳からやっていて、三段。西宮の道場で教えている。
そういう文武両道才色兼備のイタリア女性である。
以前に多田先生が「イタリアでは『夜船閑話』の翻訳も出ていて、『白隠禅師のこれこれの公案はどういうことでしょうか?』なんていう質問をしてくるのがけっこういるんだ。イタリア人の方がそこらの日本人よりよっぽど禅に詳しいよ」と笑って話してくれたことがある(たしか一昨年の五月祭のあと、気錬会の北澤さんともうひとりイタリアの方とごいっしょに先生に「天せいろ」をおごっていただいたときのことである)。
そのときは「ふーむ」と思っていただけだったが、今回アンナさんにお会いして、「なるほど」と腑に落ちた。
「修士論文はオラテガマです」なんて言われても、それが書名だということがしばらくは分からなかった。
よその国のひとの方が、こちらの文化について詳しく真剣に研究しているということはよくある。
私がフランスで「専門はエマニュエル・レヴィナスの哲学で、『タルムード講話』を日本語訳しました」なんて言うと、ほとんどのフランス人が今日の私のような顔(「いったい、なんでまた、そんなことを・・・」という顔)をする。
そういう文化理解の「ずれ」は(手前味噌になるが)じつはけっこう生産的なものなのである。
「日本の文化は日本人にしかわからん」などという夜郎自大な幻想をもつのはまことに愚かなことである。
そのアンナさんが釈先生のご案内でウチダに会いに来られたは合気道について聞きたいということであったのだが、どうやらアンナさんが知りたいのは大東流のことで、これはウチダの管轄外。残念ながらごくおおざっぱな歴史的経緯をご説明するだけで、現在の大東流がどのような術理に基づいて、どんな稽古をされているのか、はたまたどのような名人達人がおられるのか、ウチダは寡聞にして知らないので、とくに教えて差し上げることがなかった(すまない)。
しかし、せっかくの機会であるから、多田先生の教えておられる「多田塾合気道」とはどういうものかについて熱弁をふるう。
強弱勝敗を論ぜず、他流を批判せず、気の錬磨の修行を通じて生きる力を高める、汎用性の高い「兵法」であるという説明にアンナさんも納得してくださったようである。
アンナさん自身もイタリア時代から「競技としての空手」というあり方に疑問があり、「トーナメント」とか「ランキング」という発想にいまでもなかなかなじめないそうである。
本学の高橋友子先生ともお友達だということなので、女学院にもイタリア語の非常勤で来てくださいね・・・とお誘いする。ついでに合気道もごいっしょに。
二時間ほどの歓談を終えて、部屋に戻って、引き続きレヴィナスの翻訳。
ごりごりごりごり。
夜の9時までノンストップで訳し続けて、ついに402頁までたどりつく。あと8頁。
この8頁は前に訳したところだから文言の修正だけ。ゆえに、本日をもっていちおう翻訳初稿は完成である。
やれやれ。
しかし、最後の方はほんとに訳しにくい文章であった。
すでに十冊以上レヴィナス老師の本を訳しているはずであり、その用語法には慣れているはずなのウチダであるが、それでもまったく構文が取れず、意味不明の文が何十行も続くと、立ち上がって「ああああああ」と髪の毛をかきむしることになる。
先日も書いたが、老師のお書きになる文章では「一つの文が一つの意味」ということがほとんどない。
文は倒置で始まることが非常に多く、主語らしきものが出てくると、ほぼ例外なしに同格の名詞が続く。それに関係代名詞がつく。その関係詞節の中の名詞にさらに関係代名詞がつく。平均してひとつの文に動詞(その多くが条件法)が5個くらいある。どの動詞がどの主語に対応しているのかよくわからない。
どうしてこんなに「わかりにくく」書くのか。
それはセンテンスを書いている老師の頭の中で、句点にたどり着く前に、思考が分岐し、反復し、迂回し、天に舞い、地に潜り、時間を遡り、駈け下り・・・ということがなされるからである。
あらゆる言明には、その言明を可能たらしめる厳密な条件があり「・・・が・・・であるかぎりにおいてこの言明は成り立つ」という限定条件をできるかぎり精密かつ網羅的に一センテンスに盛り込もうとすると、いつのまにか「こういう文」になってしまうのである。
だから、訳者であれ読者であれ、レヴィナス老師の文を「静止点」から一望俯瞰するということはできない。老師ご自身が自分の思考を一望俯瞰するということを断念している(というより自制している)以上、私らにできるはずがない。
私たちは書き手である老師と「いっしょに」迷路のような関係代名詞節と副詞節のあいだをうろうろすることなしには、道を先へたどることができない。
だから、レヴィナスの翻訳は、翻訳する作業それ自体が「公案を歯が抜けるまで噛みしめる」ような「修行」のプロセスになっているのである。
まことに教師として行き届いた方である。
とにかく『困難な自由』が一段落し、2004年の最初の仕事が終わった。
sigh
さ、次は『他者と死者』だ。
寒い。
雨がじゃんじゃん降っていて、風もぴうぴう吹いている。
こういう日は部屋にこもってあたたかいコーヒーでものみながら、こりこり仕事をしていればよいのであるが、午後から会議で大学へ。
COL(お名前かわって、今度はGPプロジェクト)の申請のための最後の打ち合わせである。
今年も最終的な文案はウチダが起草する。おそらく採択されないであろうという諦念とともに原稿用紙24枚の申請書類を書くのは、ある種の「拷問」である。
締め切りは4月13日。その前に読み合わせがあり、その前にメールでWGの委員に回覧しなければならないので、来週中には書き上げないといけない。
死ぬほど仕事がたまっていて、焦慮が限界に達している中で、なおだれひとりとして期待して待つ「読み手」のいない書き物のために数日間を投じなければならないというのは、なんとも切ないことである。
しかし、こういう「雪かき仕事」のようなものは誰かがやらないといけない。
私が放り出せば、誰かがその仕事を引き受けないといけない。
私が着任したばかりの頃には、年長の先生方がこんな仕事をいまの私と同じように愚痴をこぼしながら、こりこりとなされていて、その努力で大学組織が運営されていたわけである。
そんな先生たちの苦労も知らず顔に、若い私はお気楽に研究したり、翻訳したり、お稽古をしたりしていたのである。
こういう仕事は「年回り」で引き受けるものなのである。
「雪かき」ということばが使われていたのは村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』のなかである。
私はこのことばがわりと好きだ。
雪かきは誰かが早起きしてやらないといけない。
でも雪かきされた道を歩く人は、その人が気持ちよく歩けるように雪かきしてくれた人のことなんかあまり考えないで、足早に立ち去ってしまう。
まあ、そういうものである。
私もこれまでずいぶん「雪かきされた道」をそれと知らずに足早に駆け抜けてきたわけであるからして、いずれ「お返し」をしないといけないのである。
冷たい雨に震えながら家に戻り、鵜野先生からいただいた牡蠣にレモンをかけて白ワインでいただき(ごちそうさまでした!)守さんからいただいた讃岐うどんを「ぶっかけ」にして食べる(これも美味!)。
お腹がいっぱいになると少し幸せな気分がもどってきた。
三軸自在講習会。今回は光岡英稔先生と私がゲストとしてお招き頂く。
光岡先生とお会いするのは去年の秋に、ごいっしょに国技館での本田秀伸さんの対ムニョスの世界タイトル戦を観戦して、そのあと新宿で池上先生とご飯を食べたとき以来である。
金曜の夕方、まず光岡先生から芦屋に着きました、池上先生が着くまでひまだから遊びましょ、というお電話をいただく。
投宿先は隣の竹園ホテルである。私の部屋からロビーまで徒歩2分であるから「ほいほい」とでかける。
さっそく光岡先生とお供の野上さんと久闊を叙し、毎日新聞の中野さんもまじえておしゃべりしているうちに、今回のプロデューサー三宅先生、そして東京から池上先生ご一行も到着。どどどと元町「帝」に繰り出す。
先回の「下見(というより「下食べ」)ツァーでお腹がちぎれるほど焼き肉を食べたので、今回は少し控えめにしておく。
今回のイベントは池上六朗先生との対談本の収録もかねているので、ご飯をたべてるあいだも、お酒をのんでるあいだも、三人がしゃべっている間はずっとテープが回っている。
最初のうちはテープ起こしをする人々のご苦労を配慮して、なるべくまじめな話題を選んでいたのであるが、そのうちにもうどうでもよくなって(中野さん、ごめんね)、「ごくごく」とか「ぱくぱく、こ、これうまいっすね」、「あ、どーも、どーも、ま御一献」というようなテープ起こしの人が空腹であったら殺意を抱くであろうような会話でテープが埋め尽くされる。
20日は朝の10時から夕方4時半まで三軸自在講習会。
朝全員ぞろぞろと竹園ホテルから会場の芦屋市市民センターへ向かう。
今回は参加者が101名。60名が専門の治療者(柔整、鍼灸、カイロなどのみなさん)、で残り40名がそれ以外の方々。
合気道会からは飯田先生、ドクター佐藤、ウッキー、IT秘書イワモトくん、谷口さんが参加(飯田先生以外はみんな三宅先生の患者)。
ウッキーとイワモトくんは、池上先生をまじかに見て「治療者」として生きるかどうかを決断するたいせつな機会である。(私がふたりに「君達は三軸を習って、専門の治療者になりなさい」と厳命したのである)。
前半の3時間が池上先生による三軸自在修正法の原理の解説と、実技。
午後2時過ぎから、光岡先生による意拳の基本動作のお稽古と、発勁の実際を経験する会。
なんども中国に行かれた光岡先生の発勁は前回拝見したときよりさらにますます凄みを増して、勁を受けた人がほんとうに宙を飛んで、うしろで支えている私たちまでいっしょに崩れてしまう。
光岡先生の勁力がこのまま強くなってゆくと、この先どんなことになるのかもう想像もつかない。
意拳の基本原理は「ただしい時、ただしい場所、ただしい形」である、と光岡先生は繰り返しておられた。これは意拳に限らず、人間が生きることの基本原理であると私は思う。
生き方がただしければ、人間はその潜在的なポテンシャルを最大化できる。
まことに平明な真理であるが、それを「まのあたりにする」という機会はなかなか求めて得られるものではないのである。
私もいちおうギャラを頂いているので、何かしなければいけない。
三宅先生からのご依頼は、光岡先生の意拳の理合を三軸自在の原理となんとかつなぐような「中を取り持つ巡航船」の役目をということであったのだが、池上先生の魔術的治療と、光岡先生の超人的発勁にウチダの「解説」などもとより不要のものである。
それでも何か話さないといけない。
こういう局面で私がある程度確信をもってしゃべることができるのは「私が思うには・・・」ということではなく(そんな話は誰も聞いてくれない)、すべてが「多田先生からお聞きした話」である。
多田先生からお聞きした話の中には、「なんだかよくわからなかった」ので、そのまま「宿題」として何十年も心に残っているものがたくさんある。
もちろん、そのときどきの段階でそれなりの解釈を加えて納得はするのだが、すぐに「それだけではない」ということが分かってくる。
そして、光岡先生の意拳の原理や池上先生の治療原理をパラフレーズしなければいけない、というようなせっぱつまった局面で、私にできるのは、多田先生からうかがったまま長い間「宿題」として残っていた「意味がよくわからなかったことば」の意味は「なるほど、こういうこと」だったのかという得心を語ることだけなのである。
「師匠を持つ」ということがどれほどありがたいことであるのか、身にしみて感じた一日であった。
講習会のあとは、本田さんや守さんはじめ旧知のみなさんや、池上先生のお弟子さんたちで私の本を読んでくださっている方々としばらく歓談したのち、打ち上げのベリーニへ。
ベリーニの久保さんに、「ホームページ日記に先生が『ベリーニは美味い』と書いてくれたおかげで、新しいお客さんが増えました」と感謝の言葉をいただく(お礼に秘蔵のお酒をごちそうして頂いた)。
ベリーニのお料理はすっごく美味しいです。久保さんは親切だし、「独身」です(ぜひこれを強調してほしいというご本人からの要望でした)。
わいわい呑んで食べているうちに、光岡先生はナイフを取り出して(どこにゆくときも、すぐにその場でお稽古ができるように、光岡先生はいつも「道具一式」を持ってゆかれるのである)会食の若い諸君を相手に「ナイフ取り」の稽古を始める。
どういう団体と思われたであろうか。
新幹線の最終で帰られる光岡先生と野上さんを竹園ホテルの前でお見送りしてお別れ。
次回の「光岡英稔先生意拳講習会」(於:神戸女学院大学)は6月19日と決定。
またホームページ上で正式に告知しますので、参加希望者はウチダまで申し込んでくださいね。
二大「超人」と二日にわたってごいっしょしたので、さすがにウチダも頭がくらくらして、家にもどるとそのまま爆睡。
『困難な自由』残り、あと25頁。
「先が三重県伊勢神宮」の近くの「赤福本店」くらいまでたどりついた。
しかし25頁というのは一日に一気にという量ではない。まず三日。
なにしろレヴィナス先生の文章はかつてコリン・デイヴィスをして「邪悪なまでに難解」といわしめたほど、ぐちゃぐちゃずるずると関係代名詞と否定疑問文で結びつけられており。さらに全体の三分の一は条件法で書かれている。
フランス語をご存じないかたには伝えにくいのであるが、「条件法」というのは英文法でいうところの「仮定法」のことである。簡単に言うと「ありえない仮定をした場合に、その結果生じるはずの、ありえない帰結」を述べるための法である。
例えば
Qui peut y repondre?(これは直説法)
Qui pourrait y repondre?(こちらが条件法)
はどちらも「誰がそれに答えることができるだろう?」という訳文になるのであるが、直説法は「誰かできるひといませんか?」という意味であるのに対して、条件法の方は「誰もできるやつなんかいるわきゃねえよ、けっ」という意味なのである。
つまり粛々と事実を述べているような口ぶりでありながら、レヴィナス老師のテクストの場合はテクストの三分の一は「んなことあるわけないんですけどね」というふうに、絶えず自分の言明そのものに「抹消記号」をつけながら進むのである。
想像できます?
そこに書かれていることの三分の一がご本人の意見でも客観的記述でもなく、書いている当人が「そんなことあるわけないでしょ」と書いては消しゴムで消すような文章で構成されているテクスト。
こんなものをすらすらすいすいと訳せるわけがないです。
だから、レヴィナスの訳文というのは、同一のテクストについても訳者が変わるともうまるで別の文章になってしまう。
それはレヴィナスが条件法を使って、「これはありえないことですよ」というふうに目配せしている「ありえないこと」が、「あってはならない」から「ありえない」のか、「あらねばならないのだが不可能」だから「ありえない」のか、「単なる思弁」だから「ありえない」のか、「前提が間違っている」から「ありえない」のか・・・そのへんのニュアンスは訳者が自分で「感じる」しかないからである。
レヴィナスはだいじなことはほとんど「抹消記号付きのことば」でしか語らない。
そして、私たちが訳に苦しむのは、「抹消記号付きのことば」の「ことば」の方じゃなくて、「抹消記号」の方のニュアンスなのである。
ラカンの$(=Sbarre) (抹消記号付きの主体)もそうだけれど、「主体」という文字はペケの下にはっきりと読めるけれど、「どうして『主体』はペケなのか」について抹消線は何も語ってくれない。
そこは読み手が主体的に関与してゆかないとどうしようもないのである。
そういうふうにして言葉をある種の「開放状態」にしておいて、読者がそこに自由に踏み込み、そこから無限に解釈を汲み出せるようにしておくこと。
それがレヴィナスの言説戦略なのである。
でも、この「開放状態」を訳書のうちに毀損せずに転移することは限りなく不可能に近い。
だから、私の訳す『困難な自由』は結局は「ウチダ訳『困難な自由』」にすぎず、他の人が訳したらたぶんぜんぜん別の本になるだろう。
でも、それしかやりようがないし、それで「いい」と私は思っている。
レヴィナスの既訳のあるテクストでも気にしないで、いろいろな人がどんどん訳してみるべきである。
同一のテクストの訳が何種類かあって、読者がそれを好きに選べるという環境を提供することもやっぱり学者のたいせつな仕事のひとつじゃないかと私は思う。なわばりとか気づかいとかをこういう領域で気にすることはないよ。
ですから、全国のレヴィナス研究者のみなさん、ウチダの既訳レヴィナスについても、どんどん新訳を出してくださって結構ですからね。
「おう、なんじゃい。われは、わしの翻訳にアヤつけようってか、こら」みたいなことは言いませんから。
16日夜は難波江さんが仕事(『現代思想のパフォーマンス』の新書化)の打ち合わせをかねて「新居祝い」(目覚まし時計)をもって遊びに来た。
「遅刻しないでね」というメタメッセージなのであろうか。
そんなによく遅刻してるかなあ・・・
とりあえずシャンペンをのんでチーズを囓りながら、COLへの取り組みと鼻声シンガーの魅惑について熱く語っているところに山本画伯が登場。
画伯は数日間にお誘いしたときは、イタリア行きの前にタブローをあと数点仕上げなくてはいけないので、とても遊んでいる時間はないという、けんもほろろのご返事であったが、ワインとチーズとパスタの匂いにつられてか、「仕事のあいま」にふらりと顔を出した。
本日のメニューはいつもの「地中海風サラダ」(タコ、スモークサーモン入り、バジルソース掛け)とシーフードパスタ(イカ、海老、貝柱入り、トマトソース味)。それに、ビゴのパンと大丸の地下で買った各種チーズに合わせて、難波江さんの持ってきてくれたブルゴーニュの赤白をいただく。
ワインは絶品。料理もなかなか美味である。
画伯はグルメであるばかりかプロも裸足で逃げ出すほどの料理人であるので、画伯に食事をお出しするときはいささか緊張するのであるが、今回は「うまいね」とぱくぱく食べてくれた。ほっ。
食後に、引っ越し以来散乱したままの画伯のコレクション(タブロー1点、ドローイング2点、版画2点)を画伯みずから壁にかけていただく。
たちまちわが家は「山本浩二ギャラリー」となる。
すばらしい。
私は山本浩二のコアなコレクターであり、精選された作品をコレクトしている。
オープニングの日に行って、ひとびとがワインなどを飲んで社交的な会話をかわしているすきに、目に付いた作品に「売約済み」のステッカーをぺたりと貼って、個展に一般のコレクターが来る前に買ってしまうのである。
画伯の作品はずいぶん値が上がってきたようである。とりあえず、「購入時価格の50倍」まで値上がりしたら転売しようと思っているが、それまでにはまだだいぶかかりそうである。
いずれにせよ、画伯のそれぞれの時期の画風を代表する名作が揃っているので、画伯は私の家に来るたびに「里子に出した子どもの成長を遠くから見守る父親」のような慈愛と後悔のまじりあった複雑なまなざしで自作をみつめている。
ちょうど山本浩二・著 子どもたち・絵 三木健・デザインの『ちきゅう ぐるぐる』という本のゲラが届いたところで、私がそれの帯文を頼まれていたので、「こんなんでどうですか?」と文案をお見せする。
さらりと一瞥して、「あ、いいんじゃないの、これで」とお許しを頂く。
この本は身びいきで言う訳じゃないけれど、すばらしい本である。
四月に店頭に出るころに、このホームページでも広告させていただくから、ぜひ買って下さい。
17日は卒業式。
卒業式に出るのも91年3月から数えて13回目となった。
ずいぶん多くの卒業生を送り出したものである。
むかし女学院に来たばかりの頃、「私は教え子の子どもを教えたことがある」と自慢される先生に何人もあった。
甲羅に苔が生えるほど勤めてないと、そんなことはわが身には起こるまいと思っていたが、最初に送り出した卒業生は今年もう35歳になる。娘さんはうっかりするともう中学生である。こちらがぼやぼやしているとじきに大学生だ。
それだけウチダも甲羅に苔が生えてきたということである。
現に卒業式に見える親御さんたちがすでに私よりかなり年下である。
最近のお母さんたちはみなさん元気はつらつとされていて、後ろ姿をみるだけでは、どちらが親でどちらが娘だか分からない。
どちらかというと、学生の方がひょろひょろと足取りもおぼつかなく、影が薄いくらいである。
なるほどこれでは母親とは「勝負」になるまい。
60年代の「怒れる若者」世代のころ、ジョン・ウェインという作家の『親父を殴り殺せ』というタイトルの小説があった。
そのころは「息子と父親」の確執というか覇権闘争に「息子が辛勝する」というのが世代間の対立の基本スキームだったのである。
だが、どうやら当今は「娘と母親」のあいだのヘゲモニー闘争にシフトし、かつ戦績も「母親が圧勝」のようである。
若い男の子から仄聞するところでも、彼らを心理的に圧倒しているのは父親よりむしろ母親のように思われる。
しかし、「母親に反抗する」ということは心理的にはたいへんにむずかしい。
というのは父親が息子を抑圧するときは、わかりやすい「父権制的価値観」を強要してくるわけで、これに対してはことばで反論することもできるし、親が手を出してくれば、これに応戦することもできる。
ことばで負けて、腕力でも負けても、家以外のどこかにロールモデルとなるべき「父親の代理」(師匠や尊師や親分)をみつけて、それに帰依すれば迂回的に父親からは離脱することができる。
父親にぼこぼこにされても、「キャルってかわいそう・・・」とよしよししてくれるガールフレンドが出てこないとも限らない。
しかし母親による抑圧というのは、そのように明瞭に対立的な構図をもたない。
母をことばで論破してみても、腕力でうち勝ってみても、子どもの側には恥と哀しみと自己嫌悪しか残らない。
加えて、「母親に代わるもの」を家以外の場で見出すということは、もう絶望的に困難なのである。
だって、そうでしょ?
母親というのは平然と子どもの夢をふみにじったあとに、ぽろぽろ泣いて「あんたのことを思って言うのよ・・・」とうつむき、涙をふきつつ「ね、昨日の残りのトンカツあるけど、チンして食べる?」というような話題に瞬時に切り替えることのできるたいへんにタフで融通無碍な存在なのである。
そんなものを同性異性を問わず、軽々に家の外に見出すことができようはずもない。
母親との確執の困難さは、「母親的なもの」を家庭外に見出して、それを迂回して母親の大気圏から離脱するという戦略がなかなか採用しがたいことにある。
そこでウチダからのご提案なのであるが、全国の若い男性諸君(「結婚したいけど相手が・・・」の諸君ね)はここはいちばん「マザーシップ」を前面に押し立てて、若い女性の「お母さん代理」になるという戦略を採られてはいかがであろうか。
というのは、いまの若い女性がいちばん求めているものは、どうやら「お母さんから逃げ出すために、お母さんの代わりになってくれるひと」ではないか、とウチダには思われるからである。
母親の基本的責務は子どもになにはともあれ生理的満足を充当することである。
「ぐっすり眠れる場所」「肌触りのよい衣服」「美味しいご飯」「心地よい音楽」といったものを最優先的に配慮するのが「マザーシップ」である。
「いきがいって、何?」とか「ほんとうの私らしさって、何?」とかいう欲張りな探求は、とりあえず答えが与えられなくても生きていけるけれど、衣食住の「快適さ」はどんな形而上学的悩みをもっている女性にも、いますぐひとしく必要なものである。
しかるに、若い男性向けのメディアを徴する限り、そのように切実に若い女性が必要としているベーシックなものを正確にピンポイントして、それを提供することをリコメンドしている発言をウチダは寡聞にして読んだ記憶がない。
でも、20−30代の独身女性が、とりあえず緊急に必要としているのは、「オレらしさっつうの?」とか「オレ的なこだわりっつうの?」というような寝ぼけた自慢話ではなく、むしろ「トンカツ、チンする?」的な「マザーシップ」ではないのであろうか。
母親以外の人間から「とことん甘やかされる」という経験をしないと、たぶん母親の支配圏から逃れることはできない。
だから、若い女性を「とことん甘やかす」というのは、別にそれによって幼児退行させようというのではなく、「親離れ」させるための戦術的迂回として、むしろ積極的に勧奨されるべきであるように私には思われるのである。
ウチダゼミの四年生は全員無事に卒業された。ご卒業おめでとう。
卒業生のみなさんからイタリアワインとChritofleのゴージャスなワイングラスをいただいた。
みなさんどうもありがとう。さっそく今夜このグラスでワインをいただくことにします。
合気道部の四年生も8人無事にご卒業となった。おめでとう。
みなさんからはかっこいい「合気道部のユニフォーム」を頂く。
紺のウィンドブレーカーの背中に黄色でKCのエンブレムとKobe College Team Aikido の文字。
「どうしてAikido Club じゃないの?」
と訊くと、デザイン担当のM川次期主将が
「Aikido Club じゃ弱そうだから、Team Aikido にしろって、お母さんが言うの」
なるほど。
やっぱここにも「お母さん」の支配が及んでいるのであった。
ともあれ、気錬会の黄色いウィンドブレーカーに比べるとぐいっと品質が良い。
「ふふふ、これで気錬会に勝ったな」
と満足げにウッキーをふりかえると
「先生、合気道では勝ち負けを問題にしてはいけないのでは・・・」
ともっともな諫言をされてしまう。
いや、ご指摘のとおりである。
しかし、五月の演武会で揃いのユニフォームで登場したわれわれを見て、気錬会の諸君がどれほど悔しがるか(工藤くんの「あああ、ずるいですよ、こういうのは」という顔まで)ありありと想像できるので、つい頬がゆるんでしまうのである。くくくく。
COLの拡大委員会。
学長召集の全学的な委員会で、各学部の学部長、学科長、事務長、各センター長、館長、室長、各種委員会の委員長が集まったところで、03年度のCOL申請についての経緯と、04年度の取り組みについて、不肖ウチダがご報告をさせていただいた。
実施委員会はGP=Good Practiceという呼称への切り替えを進めているが、最初が「教育トップ100校」つぎが「COL」(=Center of Learning)つぎが「GP」というふうに通称そのものが短期間に三回も変わるということが、このプロジェクトがいかにとらえどころのないものであるかを示している。
この呼称の変化は、ウチダのみるところ、中教審の「教養教育重点大学」構想の延長でこのプロジェクトを立ち上げた文部科学省(つまり官僚たち)と、プロジェクトをじっさいに執行した実施委員会のメンバー(つまり大学人)のあいだの、高等教育の再編に対する「構えの違い」を反映している。
文部科学省は91年の大学設置基準の大綱化以来、基本的には「アメリカン・スタンダード」で押ししてきた。
つまりここ数年来本邦の言説市場をとびかったあの「勝ち組・負け組」のスキームである。
護送船団方式、親方日の丸の時代は終わった(それはとりあえず悪いことではない)。
あとは、生き延びられるものだけが生き延びる。マーケットが生き残る大学と滅びるべき大学を「正しく」選別するであろう、というのがアダム・スミス以来の古典学派経済学の原理である。
文部科学省は大学淘汰にもこの古典学派経済学の原則を適用しようとした。
「大学は淘汰されるべきである」というこの主張に声高に反論する人間は誰もいなかった(すくなくともメディアはそのような反論を取り上げようとしなかった)。
たしかに「大学はもういい加減にしたらどうか」というのは国民のうちに澎湃としてわき上がった天然の感情であった。
60年代には大学の構成員自身が「大学解体」を呼号し、その後は「レジャーランド」と化し、バブルのときには本業を忘れて財テクに走り、教職員たちはセクハラ汚職収賄背任横領産学癒着で社会を騒がせ、学生たちはレイプドラッグAV出演などで社会を騒がせた。
最高学府を「社会全体が護持すべき知と良識のよりどころ」であるとみなすような社会通念は21世紀にはいってほぼ死滅したと申し上げてよろしいかと思う。
だから、「大学は淘汰されるべきであり、その判定は市場が下すであろう」という文部科学省のあまりに古典的なソリューションに対して、明確な異議申し立ては大学人の側からもなされなかったのである。
私は当初COLをそのような文部科学省の淘汰戦略の一環であると考えていた。
大学の序列化によって、「ここはいい大学、ここはダメです」というふうにラベリングすることで、マーケット(つまり大学を受ける志願者と卒業生を受け容れる企業)による選別を加速させ、「ダメな大学」をすみやかに市場から退場させることを狙っているのであろうと考えていた。
だから私たちのWGの申請への取り組みは基本的に「サバイバルレースに勝ち残る」という競合的なメンタリティに領されており、WGでも、いかに実施委員会のレフェリングを「すり抜けるか」という戦略的な計算ばかりしていた。
しかし、このホームページ日記に何度も書いたように、不採択後、COLの評価のプロセスがあきらかになるにしたがって、私はわが不明を恥じたのである。
実施委員会のレフェリーたちは「どの大学を退場させるか」という経済的なスキームを、「どのようにして、いまある大学の教育の質を上げるか」という教育的なスキームにすり替えることによってこのプロジェクトを文部科学省の狙いとは別のものに「換骨奪胎」したことが分かってきたからである。
経済学の用語で言うならば、文部科学省はアメリカン・スタンダードの「分析主義」「個人主義」の枠組みでこの問題をとらえており、実施委員会は非アメリカ的スタンダードの「綜合主義」「共同体主義」の枠組みでこの問題をとらえている。
この対立はある意味で絵に描いたようにみごとに日米の資本主義の対立類型にはまっている。
「分析主義」というのはフォード・システムに代表されるように、すべてのプロダクツを規格化、標準化された「要素」に還元し、それを単純なマニュアルに従って、大量に生産流通させるシステムのことである。
「綜合主義」というのはフレキシブルでアモルファスな「ぬるぬるした」組織をつくっておいて、短期的に頻繁にスペックが変わる工程や、クライアントからのニーズの変動や、現場での自主管理に臨機応変に対応するシステムのことである。
「個人主義」というのは企業的な成果を個人の功績に還元して、そこで得られた利益を個人に報償として還付する評価システムのことである。
「共同体主義」というのは企業的な成功を個人に帰せず、それを支援した同僚や組織全体に帰し、得られた利益を企業の今後の発展のために投資するようなシステムのことである。
ここ10年ほどのわが国企業における経営問題・組織問題がこのふたつの資本主義、ふたつの経営原理の対立という図式のなかで推移してきたことはみなさんご案内のとおりである。
全体的な印象を言わせていただければ、前半はアメリカン・スタンダードの旗色がよく、後半にきて「やっぱり日本の企業は、日本的経営のほうがいいんじゃないの。結局、オレたちには終身雇用・年功序列のタテ社会が合ってるんだよ」というやや居直り的な「原点回帰」が優勢に立ちつつある。
このスキームがかなり近似したかたちで文部科学省と実施委員会のあいだのCOLプロジェクトに対する「構えの差」となって現れてきているように思う。
現に、文部科学省が当初このプロジェクトは「補助金事業ではない」と言明しておきながら、実際には年度中途で予算をつけ、採択校を経済的に優遇するという「勝つ者は勝ち続ける」ポジティヴ・フィードバックを試みたのに対して、絹川委員長は1月のフォーラムでは、あらわに不快の色を示していた。
文部科学省は「良質の個体だけ生き残る淘汰」をねらっており、実施委員会は「日本の大学全体の質的底上げ(それを敷衍すれば、すべての大学が何らかのかたちで生き延びること)」をめざしている。
大学人としては、実施委員会のめざす方向を支持すべきであるのは当然のことである。
それは言い換えれば、GPに採択されようがされまいが、「とにかく、よい教育を行いたい」という素朴な意欲を持ち続け、そのための工夫を重ね、実施委員会からの「アピール」に応えることだろう。
そのためには、「日本の大学なんて、所詮・・・」という日本社会全体に蔓延している「大学蔑視」をはね返すような、「愚直なまでにまっとうな」(@難波江和英)教育実践を積み重ねてゆくことのほかにないと思う。
派手なプロジェクトを花火のように打ち上げたり、豪華な設備を整えたり、すぐに換金できる資格を発行したりすることではない。
学生ひとりひとりとまっすぐに向き合い、その可能性と弱点をしっかりみすえて、それぞれの学生のリソースを最大化できるような「ていねいな」教育に徹することだ。
それができれば、たとえ道半ばにして大学そのものが「淘汰」されてしまったとしても、大学人はその使命を「果たしつつ」倒れたということを誇れるだろう。
04年度はそのような教育理念をふまえて、再度「少人数ワークショップ型授業」で申請を行う予定である。
採択はむずかしいであろうが、この申請の案件を議論する過程で、私たちはじつに多くのものを学んだのであるから、これはたしかに「参加すること自体に意味のある」プロジェクトだったと申し上げてよろしいかと思う。
と、ウチダ的には意欲を新たにした委員会であったのだが、出席者の中には眠っておられる方も、あるいは「ひとごと」だと思っている方も散見された。
学長は全学的な盛り上がりの不足にややご不満そうであったが、とりあえず05年度からはFDセンターも立ち上がることだし、前途遼遠とはいいつつも、大きな流れは正しい方向にむかっているものとウチダは確信している。
原田先生がんばりましょうね。
委員会が終わったので、杖道のお稽古に駆けつける。
30分も遅刻したのに、誰も来てない。
ときどきこういうことがある。
そういうときはゆっくり居合や杖の一人稽古ができるから、それはそれでよいのである。
居合を抜いていたら、ぽつぽつと人がやってきたので、今日は全剣連杖道型三本目「引提ゲ」をお稽古してから、居合刀をつかって礼法と抜刀納刀のお稽古をする。
居合を習っているころはあまり意識したことがなかったが、礼法と抜刀納刀を繰り返すのは、たしかにすぐれた稽古法である。
刀を速く強く抜くというような段階ではまだないけれど、とりあえず鞘の厚みや下げ緒の位置などを感知すること、抜刀納刀のときの左半身のこなしなどは、体術にすぐ応用できるような重要な身体の使い方のヒントを教えてくれる。
時間を忘れて稽古する。こういう「型」ものはあっというまに時間が経ってしまう。
家に戻ると一昨日あった朝日新聞の電話取材の記事の校正原稿がメールで届いていたので、ちょこちょこと直す。
1時間しゃべったことが2行にまとめられていた。(読む人は3秒とかかるまい)
なんかすごく損したような気分になる。
ゼミ生のM原くんが「女性と穢れ」をテーマにして卒論を書きたいのだが、何かアドバイスをとメールを書いてきた。
「穢れ」ね。
なかなか興味深いテーマである。
釈先生がつい先日「インターネット持仏堂」に「穢れ」とは「毛枯れ」のことであると書いておられた。
この場合の「毛」は毛髪のことじゃなくて、「二毛作」というときの「毛」の義で、「稲の穂のみのり、またひろく畑作物の総称」のことだそうである。
つまり「毛枯れ」とは「畑に作物が実らない状態」を指す。
なるほど。
「ケガレ」は「気枯れ」という説もあったし。
「穢れ」というのは、少なくとも発生的には、「不潔である」とか「汚れている」という衛生状態についての形容ではなく、「生産力が低下している」状態を指称したもののようである。
世界中ほとんどすべての社会集団で、服喪、産穢、月経などが「穢れ」に類別され、untouchable とされる。
これはいずれも「死と性」にかかわる人間的事象である。
こういう問題について、軽々に「女性は人類発生以来、あらゆる社会で差別されてきた。それが女性の社会進出を妨げてきた」というふうくくって済ませる思考の硬直性を私は評価しない。
そもそも「社会進出」というような概念は近代(ほとんど現代)になってはじめて出現してきたものである。
いまの私たちを共軛している「ドクサ」を基準にして、人類史全体を俯瞰できると思うのは愚かなことだ。
それは「いま・ここ・わたし」が人類史の知的最高到達点であるというエゴサントリックなイデオロギーを表白しているにすぎない。
私たちは私たちの社会を基礎づけているさまざまな制度の「起源」を知らない。
どうして言語があるのか、どうして交換をするのか、どうして生殖につながらない性的欲望をいだくのか、どうして親族を形成するのか・・・私たちはそのどれにも「人間は、そういうものだから」という以外に答えることばを持たない。
人類史の暗闇のなかにその起源が消失している制度について、いまの価値観(高い賃金や大きな権力や豊かな情報を占有することは「善」であるというイデオロギー)を適用して、説明しようとするひとは、原因と結果を取り違えている。
賃金や権力や情報に「価値がある」と信じ込むひとびとがいるのは、これらの人間的諸制度の「結果」であって、「原因」ではない。
賃金は貨幣の発明以後にできた概念である。権力は階級の発生以後にできた概念である。情報は遠距離交易の発生以後にできた概念である。
「穢れ」は貨幣よりも階級よりも交換よりも古い。
「穢れ」という概念をほかの動物は持たない。
ならば、「穢れ」という概念をもつことによって人類はほかの霊長類と分岐したのだと考える方が論理的だろう。
それは「すでに死んだ者」と「これから生まれてくる者」はuntouchable であるということを私たちに教える。
少なくとも、「穢れ」に関して、有史以来のあらゆる社会集団に共通して言えるのはそのこと「だけ」である。
untouchable という概念をおそらくほとんどの人は誤解している。
「何か」が存在し、それがある社会の実定的な価値基準に照らして「劣位」であったり「ネガティヴ」であったりするから「触れないところに遠ざける」というふうにふつうの人は考える。
死体は汚らわしい。だから埋める。
そんなふうに考える人間は、ここでも原因と結果を取り違えている。
死体を埋葬する習慣をもつ生物は人間だけである。
なぜ、死体を埋葬するのか?
汚いから?
そんなことはありえない。
生物の死骸なんか、それこそ「枯葉」から「バクテリアの死体」まで、地上にごろごろしているのに、どうして人間の死体だけが「汚い」とされるのか?
それはあえて逆説を弄するならば「人間の死体は生きている」からである。
人類は葬礼という習慣をもつことによって他の霊長類と分かれた。
なぜ、葬礼を行うのか?
理由はひとつしかない。
それは葬礼をしないと死者が「死なない」からだ。
死者は生物学的に死んでも、私たちのまわりにとどまる。
私たちは、死者の使った道具にその「魂魄」が残っているのを感じ、死者のいた部屋に入ると、その気配を感じ、死者に祈ると、その声がきこえる。私たちは死者の祟りで苦しめられ、死者の気づかいで護られる。
人間というのはほんらいそういうふうに「死者の切迫を感知できる」生物なのである。
おそらく、そのきわだった能力によって人間はサルと分岐したのである。
旧石器時代に、私たちの祖先は死者と生者のあいだに境界線を引くために葬礼の制度をつくった。
それは死者が「不潔」だから棄てるという衛生的配慮によるのではない。
そうではなくて、死者とは untouchable なものであるという仕方で、「新しいカテゴリー」を創出するためにである。
私たちには直接触れることができず、理解しあったり、共感しあったりすることもできない「何か」がそこに「存在」する(げんみつには「存在するとは別の仕方で」)。
死者は「存在しない」。だから、私たちは死者と「対話する」ことも「理解しあう」こともできない。
けれども、にもかかわらず「死者たち」は私たちの生き方に深く強く関与し、私たちのなかに「私たちは何のために生きているのか?」という存在論的な問いを起動させる。
ヘーゲル的にいえば、「死者」という概念をもつことによって、人間ははじめて「自己意識」を有したのである。
「死者」という概念を私たちの祖先がつくりだしたのは、死んだ人間は「モノ」ではないという人間特有の幽かな感覚を基盤にして、「他者」という概念を導出するためである。私はそう考えている。
「他者」という概念をもつものだけが共同体を構築することができ、「他者」を感知できるものだけが交換や分業や欲望や言語を創出することができるからである。
「他者」は、私たちと「同じカテゴリー」に属さず、言葉も通じず、共感の基盤もなく、私たちの糧でも道具でもなく、「存在しないのだけれど、存在する」というねじれたかたちでしか私たちにかかわることがない。
人間はそのような「他者」を感知し、欲望する能力を賦与されている。
葬礼はその「他者」という概念を導出するための制度的な迂回である。
そして「すでに死んだもの」を「死者」としてuntocuhable にしたのと同じロジックが「これから生まれてくる者」に対しても適用され、葬礼の「隔離」の制度に準拠して、生殖にかかわる隔離の儀礼が成立した、というのが「穢れ」にかかわることの順序ではないのかと私は想像する。
「人間である」とは「生まれる前」と「死んだ後」の中間の領域に暫定的にいるということであり、言い換えれば、死と誕生の「むこうがわ」には決して触れることができないという断念を通じて、死と誕生の「むこうがわ」を「その他者性を毀損しないままに概念化する」能力を賦与されてあることである。
分節し、切断することの目的は、「分節より以前」「境界線の向こう側」を欠性的に指示するためである。
女性の産穢や月経についての「穢れ」の感覚は「これから生まれてくるもの」の本源的他者性への畏敬を映し出すものであり、それは「すでに死んだ者」に対する畏怖の思いと鏡像的な関係になっているのではないか、私はそんなふうに考えている。
そのような起源的な「穢れ」が社会的な差別や排除の装置に「頽落」したのは、そのあとの人間たちが、そのときどきの「いま・ここ・わたし」の臆断に基づいて、葬礼や生殖を恣意的に「解釈」した結果であって、起源における「穢れ」の概念に差別や排除の意図があったからではないと私には思われる。(いったいそれによって誰がどのような利益を得るというのか?)
以上の思弁は半分ほどは私のデタラメ人類学であるが、あとの半分は老師の教えである。
死者と繁殖性について、現代の哲学者でいちばん遠くまで進んだのはレヴィナス老師だろう。
『全体性と無限』は繁殖性についての謎めいた議論で終わり、『存在するとは別の仕方で』は死者の鎮魂についての謎めいたエピグラフから始まる。
レヴィナスの人間論は「死んだ後の人間」と「生まれる前の人間」と人間はどうかかわるのかという問題を中心的な論件にしている。
この話は書き出すと長いので(もう十分長いけど)、そのうち出るはずの『他者と死者』を読んでくださいね。
レヴィナスの『困難な自由』の翻訳がようやく「先が三重県伊勢神宮」状態になってきた。
あと39頁。
年度内完成という当初の目標だけはかろうじてクリアーできそうである。(中根さん、よろこんでくださいって・・・むりですよね)
しかし、レヴィナス論の方は手つかずのまま春休みが終わってしまいそうである。(別府さん、ごめんなさい)
この種の論考は精神の集中が必要で、少なくとも二週間くらいそのなかに「没入」するような状態が確保されないと書けない。
だから、学校が始まってしまうともうダメなのである。
その「没入」の二週間がこの春休み中にはもう取れそうもない。
今日も17日締め切りの書評の原稿を書かないといけない。
たぶんそれで一日終わってしまう(それでも書き上がらないかもしれない)。
どうしてこんな仕事引き受けてしまったのかなあ。
もちろん引き受けるときは「お、面白そう」と思って引き受けたのである。
まあ、四五日あればできるかな・・・と予想して、ダイアリーをひらくと、そのときはまだ予定表もしらじらとしている。
そこで、「あ、いいですよ」と気楽に引き受けてしまうのであるが、そういうこまかい仕事でも、つもりつもるとしだいしだいに予定表はくろぐろと締め切りや対談や会議やインタビューやおでかけの予定で埋め尽くされ、執筆時間を捻出することが至難のわざとなるのである。
どうしてこんなに忙しいことになってしまったのであろう。
思えばはじめて芦屋に来た1990年ごろはまことに暇であった。
大学の授業は週に三日だけ。友人も知人もいない土地なので、遊びにゆくあてもない。
こちらもまだ友だちができないるんちゃんと二人で、山手山荘のがらんとした居間で、することがなくてオセロをしたりして時間をつぶしてた。
土日はふたりでよく城山にピクニックに行ったり、芦屋浜に寝転がりにいった。
それでも時間があまってあまって仕方がなかった。
訪れる人もなく、電話も鳴らず、もちろんインターネットなどというヤボなものは存在しなかった。
そのときは「退屈だなー」と思って、ごろごろと本ばかり読んでいたけれど、思えばまことに贅沢な日々を過ごしていたのだった。
あの日に帰りたい。
などと言いながらレヴィナスの翻訳をばりばりやってから、小泉義之『レヴィナス:何のために生きるのか』(NHK出版)の書評をさらさらと書いたら、2時間ほどで10枚書けてしまった(おお、らっきい)。
良い本の書評はらくちんである。
すこし遅くなったが、湊川神社の吟風会の「能と囃子の会」にでかける。
今日は下川宜長先生が正謡会の大先輩帯刀清彦さんの笛で『龍田』を舞われるので、それを拝見に行ったのである。
番組がすこし遅れていて、能『杜若』から、囃子と舞囃子を八番見る。
昨日のお稽古の時に、下川先生が「最近の若い女性はなかなか笛が上手である」とおっしゃっていた。
リズム感がよいのだそうである。
笛は多少音がでなくても、拍子さえきっちりあっていれば、囃子としてはなんとか成立する。
シテ方がいちばんこまるのは「音が出て、拍子があわない」笛だそうである(「拍子が合わないが、音が出ていないので、舞の邪魔にならない笛の方がまだまし」だそうであるが、それだと笛方はなんのために舞台に出ているのかわからないですよ、せんせー)。
たしかに先生の言うとおり、出てくる若い女性の笛方はみんなうまい(とくに『菊慈童』を吹いた松岡久子さんというひとのグルーヴ感はただものとは思われなかった)。
おめあての下川先生の舞囃子はまことに端正である。
ほとんど無機的といっていいほどに計算し尽くされ統制された動きの中に、ある種の「破調」が一瞬ぞくっとするような「色気」を漂わせるのである。
さすが、私のお師匠さまである。
能楽はよいなあ。
全国の青少年諸君には、ぜひ能楽を見ることをお勧めします。
ひさしぶりに三宅接骨院にゆくと、先生に「デブになりましたね」と言われる。
さらにたたみかけるように、「内臓が疲れ果てています」とも言われる。「これでは気分がだらけて何をする気も起きないでしょう。」
そ、そうかなー。
そうかもしれないなー。
極楽スキーで高脂肪高タンパクの食事を三食むさぼり食い、夜ごとの宴会でどんがちゃっかしていたわけであるから、多少デブにもなるだろうし、肝臓もいささかお疲れさま気味ではあるだろう。
うつむいて反省の表情のウチダに向けて、三宅先生はおごそかにこう告げた。
「二三日、お酒やめてください。それから高知のブンタンさしあげますから、これから柑橘類ダイエットしてください。ブンタンとグレープフルーツ以外のものは当分くちにしてはいけません。柑橘類は体内の脂を流す効果がありますから、『おおおお』と感動するほどうんちがでますよ」
うううう。
たしかにデブは補正したいし、感動的なうんちを鑑賞するにやぶさかではないけれど。
「あのー、先生。今日これから大阪帝国ホテルで会食があって、フレンチをむさぼりくってワインをがぶのみする予定なんですけど・・・」
「あ、じゃあ、明日からでいいです」(おお、なんと寛大な三宅先生)
というわけで、ゆうべは大阪帝国ホテルでの温情会で、しばらく味わうことのできないローストビーフや鯛のソテーなどをぱくぱく食べて、シャンペンやワインなどを飲む。
というわけで、本日から恐怖の「柑橘類ダイエット」である。
みてろよー。死ぬほど痩せてやるからなー。
痩せすぎて、泣くなよー(って誰に向かって言ってるんだ)(この決意表明もう五回くらい書いたな)
しくしく。
【今週のバカ映画星取り表】
『ゴーストシップ』(Ghost Ship by Steve Beck: Gabriel Byrne, Julianna Margulies) ☆☆☆ ほんとなら☆☆であるが、「ピアノ線で人体分割」の発想の妙と、イタリアの女歌手の色っぽさで、それぞれ0.5☆加点。
『ファム・ファタール』(Femme fatale by Brian De Palma: Rebecca Romijn-Santos, Antonio Banderas, Eric Ebouaney, Edouard Montoute, Gregg Henry, Jo Prestia!)☆☆☆☆☆
おお、ひさしぶりの「五つ星」映画だ。
まずブライアン・デ・パルマのストーリーの洗練と巧妙に脱帽。ネタもとは『邯鄲』か『聊斎志異』か(いま「りょうさいしい」と打ったら「良妻思惟」と出てきた。なんだか切ない文字並び・・)あるいは『クリスマス・キャロル』か、とにかく「未来を見てしまったことによって、運命が変わる人間の話」。ハリウッド映画はほんとにこのストーリーパターンが好きだな。
途中で人間が「入れ替わる」という仕掛けにちょっと「デヴィッド・リンチ」が入っているかも。
二分割画面カメラもたいへんスリリング。
キャストではレベッカ・ロメイン=サントスの「人の悪さ」と、アントニオ・バンデラスの「人の善さ」のバランスが絶妙。
レベッカ・ロメイン=サントスの「サービスヌード」もふんだん(エッチな踊り付き)。
『アレックス』でモニカ・ベルッチを9分間にわたってレイプしたあの「サナダムシ」野郎 Jo ”爬虫類顔”Prestia くんもまたまた「おおお」というところに出てくる。
ブライアン・デ・パルマは「悪くて、いい女」を描かせると、まことに天下一品。
極楽から帰ってきたら仕事が待っていた。
日仏哲学会の学会誌にレヴィナス論の書評を10枚書かないといけないが、まだその本を読んでない。
2月中に終わるはずだった『困難な自由』はまだ47頁残っている。
当然、3月中に終わるはずの『他者と死者』は一行も進んでいない。
そこに医学書院の白石さんから三砂先生との対談のテープ起こしのゲラが届いた。
ところへもってきてNTTの三島くんから本のデータが送られてきた。これを3週間で校正しないといけない。
そこに人文会の講演でジュンク堂でしゃべったもののテープ起こしのゲラが届いた。
あああああ。
しかし、これくらいのことでパニックになってはいけない。
パニックというのは、めんどうな仕事が「ダマ」になっている状態を指称することばである。
奇策はない。
仕事をひとつひとつ手近なものからこつこつ片づけてゆくしかない。
ながく仕事をしてきた分かったことのひとつは、「寝食を忘れて」仕事に打ち込むとよい仕事ができるというものではない、ということである。
ものすごく集中して仕事をすると、あとの反動がきつい。
それはただ人生のエネルギーを「前渡し」で使っているだけで、どこかで「精算」を求められることは避けられない。
そして、「前渡し」で使ったエネルギーについて「精算」時に求められる「利息」はかなり高くつく。
日々の家計と同じで、「その日にはいった日銭の分だけ使う」という「from hand to mouth 的無借金経営」が実はいちばん健全で、いちばん生産性が高いのである。
であるから、私はどんなに忙しく、どんなに締め切りがタイトでも、毎日同じ時間に仕事を始め、同じ時間に仕事を切り上げ、あとはお稽古に行ったり、お酒を飲んだり、バカ映画をみてけらけら笑ったりして静かに一日を終える。
無理はいけません。
というわけで、今日はまず午前中にレヴィナスの翻訳を5頁ほどやって、三宅先生のところでこりをほぐしてもらってからレヴィナス本を読みながら電車で梅田へ出て、大阪帝国ホテルでの温情会で美味しい晩ご飯を食べ、帰ってからビデオ屋で借りてきたブライアン・デ・パルマの『ファム・ファタール』を見るのである。
It's just another day.
極楽スキーが終わって、ふたたび勤労の日々に戻ってきた。
今年の極楽は「極楽の極み」的にパラディーゾな四日間であった。
なにしろ、全日ピーカン。
文字通り「雲一つない」青空が広がり、私たちの到着前日に降雪があって、雪面はベストコンディション。
悦楽的な硫化水素の香りを満喫し、山海の珍味に舌鼓を打ち、美酒に酔いしれ、「スキー・風呂・飯・ビール」の黄金の四連打をこれでもかこれでもかと心身にたたき込んだ、まことにゴクラキッシュな日々であった。
私は右膝故障のため過去二回極楽スキーを欠席してしまったのであるが、今年は膝もかなり回復したので、おそるおそるスキー板を履いてみた。
さすがに、雪面の悪いところで右膝に変な方向のひねりが加わるとつよい違和感があるが、ふつうにちゃらちゃら滑っているかぎりは問題ない。
もともと本会には「向上心をもってはならない」という不磨の会規約があり、「シュナイダー・牛首滑走禁止」が会員には言い渡されているので、「ちゃらちゃら滑り」に対して批判的なまなざしを向けることがあってはならないのである。
しかし、今回初参加のドクター・佐藤は岩手のご出身、幼児のころよりスキーをはいていた「雪国少年」であり、そのリズミカルで軽快な滑りが一部同志の無意識下に抑圧されていた「技術的向上心」に火を点けてしまったことはかえすがえすも遺憾としなければならない。
とりわけ鉄の会規約「技術は金で買え」を実践躬行されて「カモノハシ型カーヴィング」を導入され、本来であればちゃらちゃらスキーの領導をはたすべき飯田同志が「技術は金だけでは買えないのでは・・・もしかして・・私たちに足りないのは・・・『こゝろ』?」というような心情主義に屈服し、高斜度斜面におけるウェーデルン技術をドクターの指導下に会得されたことに対して、「ああいうことがあってよろしいのか」と書記局派内部にはつよい懸念の声があがった。
しかし、過去十年間、会員間に蔓延するあらゆる技術的向上の試みをそのつど萌芽段階で殲滅してきたわが書記局派と、ゲレンデにいかなるものであれシリアスな主題を持ち込むことに力強い「ノー」を告げてきたレーニン主義ワルモノ派の実力を侮ることはできない。武闘系レヴィナシアンと難波レーニン主義者の戦術的同盟に加えて、革命的状況の歴史的熟成にきっぱり背を向け、あらゆる連帯の申し出を拒絶し、ひたすら内観の日々に沈潜する「林間・柄沢」派ウエノ同志の無言の応援を得て、今年もまた「極楽スキーの会」のスポーツ・オリエンテッドな組織改革めざす動きが圧倒的な革命的警戒心の前に粉砕されたことをここに満腔のヨロコビをもってご報告申し上げたい。
というわけでシュプール号の廃止などさまざまな歴史的展開の可能性を秘めつつも、全会員が「ああああああ極楽じゃ」と悦楽のうめきをもらしつつ極楽スキーの会は今年度の活動の幕をおろしたのであった。
本年度のゴクラキスト9名のお名前をつつしんでご紹介しておく。
”難波レーニン主義者”ワルモノ同志(幹事ごくろうさま!)、ワルモノ同志ご令息(初日に右足首捻挫で、残る日々をマンガと昼寝で過ごすも、これもまたある種の「極楽」か)、”林間・柄沢派”ウエノ同志、”雪国少年”佐藤同志、”カモノハシ”飯田同志、”やまびこゲレンデの憂愁”三杉同志、”パラディーゾ”高橋同志、”キタロウ”櫻木同志。
また来年も”極楽”でお会いしましょう。
新潮新書のお仕事で名越先生とPonte Vecchio でイタリアンを食しつつ、4時間しゃべる(よくしゃべるなー)。
名越先生とのお話はいつもスリリングでいて、ほっこりしている。
「スリリングでほっこり」というのは矛盾しているようだけれど、そういうコミュニケーションというのはまれにある。
つまり「情報」レベルでは、こちらのフレーミングを変更しないと対応できないような「えええ、ちょっと、待ってくださいよ」的な驚くべきデータががんがん流れ込んでくるのであるが、その「情報」を伝達する「回路」そのものはたいへんフレンドリーなのである。
音質のソフトなオーディオで「エッジのきいた曲を聴く」とか、舌触りのやさしい銀のフォークとナイフで「激辛食品」を食べるとか、いしい・ひさいちのマンガで『精神現象学』を読むとか、まあ、そういう種類の経験であると思っていただければよろしい。
ご飯は美味しく、話はおもしろく、たいへん愉快にして有意義な一夕でありました。
新潮社のみなさんごちそうさま!
この対談はあと一回東京でやって、秋頃には新書になる予定である。もう終わりかと思うと、なんだか残念。
今回の新書は「こども」がメインのテーマだったので、ふたりとも大好きなマンガの話や武道の話や「あやしい人々」の話やUFOや悪霊の話はぜんぜん出なかった。
もっと続けたいので、どこかの出版社で「次の企画」を立てて下されば歓迎。
条件は対談のときに「美味しいご飯と美味しいワイン」をだしてくれること。
いま進行中の企画はほとんどが「対談もの」である。
この名越先生との「こども論」のほかに、平川克美くんとの「東京ファイティングキッズ」、釈徹宗先生との「インターネット持仏堂」、池上六朗先生との「治療論」、三砂ちづる先生との「身体論」、甲野善紀先生との「現代社会論」、名越先生、鈴木晶先生との「暴走トーク」、田口ランディさんとの対談本・・・
これはもちろん私が「書き下ろし」はむりですけど、「対談」や「往復書簡」ならできるかも・・と出版社サイドに言ったせいもあるのだけれど、それだけではないような気がする。
先日、関西電力のInsight の鼎談の司会をしていて分かったのだけれど、私は「何かと何かをつなげる」のがけっこう好きなのである。
私自身になにかぜひとも申し上げたいオリジナルな知見があるわけではないのだが、「何かと何か」のあいだに「関係」や「比」や「和音」を発見することは大好きなのである。
そう考えてみると、私の研究テーマが「レヴィナスと合気道」という、一見するとなんの関係もなさそうなもののあいだに「つながり」を発見することであるというのも納得がゆく。
私はレヴィナス研究者としても合気道家としても、まず「三流」どころである。
しかし、自慢じゃないけど、「レヴィナスと合気道」の「合わせ技」の領域については、堂々の「国際的権威」と申し上げてよいかと思う。
そんな領域を専攻している人間なんて、おそらく世界に25人くらいしかいないからである。
まして「レヴィナスと合気道と能楽」というふうにレフェランスを三つにすると「世界一」と申し上げて過言でない(一人しかいないんだから)。
しかし、この「合わせ技による専門領域の特化」という戦略をとる方は少ない。
なぜかほとんどの人は「人がやっている組み合わせ」を模倣する。
ピアノが弾けて、英語がしゃべれて、コンピュータにくわしい人間はおそらく世界に10億人くらいいる。
そういう中で「国際的権威」になることはきわめて困難であると言わねばならない。
しかし、胡弓が弾けて、フランス語がしゃべれて、和算にくわしい人間となると、たぶん世界に3人くらいしかいない。
ピアノが弾けるようになるために要する手間暇と、胡弓が弾けるようになるために要する手間暇のあいだにおおきな隔絶はない。英語とフランス語も同様。コンピュータと和算も同様。
おなじ手間暇をかけるのであれば、合算しても世界に10億人いるような「専門」よりは、世界に3人しかいない領域の「専門家」になるほうが(有利とはいわないまでも)、本人にとっては楽しいのではないか。
少なくとも、私は楽しかった。
ただし、合わせ技が有効なのは、コーディネイトが「意外」な場合に限られる。
「まさか、これとこれが結びつくとは・・・」
というようなびっくりの組み合わせでないと意味がない。
しかし、「意外すぎる」とそもそも「結びつき」が生じない(「フーリエ解析と『通販生活』の専門家」とか「ラッキョとたんつぼの専門家」とかには、あまり仕事がない)。
このへんのさじ加減がむずかしい。
私の特技はこの「意外なものと意外なものを結びつけるさじ加減」の調整能力にあった、ということ最近になって気づいた。
対談というのは「自分にはぜひとも言いたいことがある」という人同士がやっても、あまり面白くない。
「私のことはともかく、あなたのお話をぜひうかがいたい」という人同士がやったら、さらに面白くない。
そうではなくて、「私がよく知っていること」と「あなたがよく知っていること」の「あいだ」にそれまでふたりとも思いつかなかったような「架橋」が成り立つときに、対談は面白くなるのである。
私はどうやらこの「架橋」という仕事がたいへん好きらしい。
うまれついての「コーディネイター」なのかもしれない。
おお、そういえば、レヴィナスの翻訳が終わったあとに仕上げる本のタイトルも『他者と死者−ラカンによるレヴィナス』。
「他者」と「死者」のあいだには一見何の関係もなさそうだが・