消費税を払わなくていけない事業者になってしまったらしいという話を書いて、泣き言を並べていたら、いかなる天の配剤か、単位に「円」がつくと四則計算が不自由になる私のもとに神は税理士をお遣わし下さった。
かつて強度のマニュアル失読症であり、PCのメカニズムまったく理解しておらず(する気もない)にもかかわらず、最先端のIT環境で仕事をしたいと詮無いことを言っていたら天は私にIT秘書を遣わした。
なんでも言ってみるものである。
今回、あんなことを書いたら、さまざまな方が噛んで含めるように「あのね、消費税っていうのはね・・・」とご説明のメールを送って下さった(世界はよい人ばかりである)。
だが、その中に私の理解力がこと税務に関するときにどれほど低調になるのかを熟知して、小学生にもわかるような説明をしてくださった方は一人しかおられなかった。
その税理士の方はかねてより私の本やブログを読まれて私の財務処理能力の病的な低さに心を痛めていたのである。
その方のことばが私を感動させたのは、「あなたはわかんなくてもいいんです」という「無能に対する寛容さ」が伏流していたからである。
これは私のIT秘書たちにも共通するところの美質である。
「こっちでやっときますから、センセイはその辺で昼寝しててください」という彼らの甘言によって私の魂は久しい安寧を享受してきた。
私はそれでよいと思っている。
「餅は餅屋」「蛇の道は蛇」「好きこそものの上手なれ」と多くの俚諺が教えている。
ひとりひとりおのれの得手については、ひとの分までやってあげて、代わりに不得手なことはそれが得意なひとにやってもらう。
この相互扶助こそが共同体の基礎となるべきだと私は思っている。
自己責任・自己決定という自立主義的生活規範を私は少しもよいものだと思っていない。
自分で金を稼ぎ、自分でご飯を作り、自分で繕い物をし、自分でPCの配線をし、自分でバイクを修理し、部屋にこもって自分ひとりで遊んで、誰にも依存せず、誰にも依存されないで生きているような人間を「自立した人間」と称してほめたたえる傾向があるが、そんな生き方のどこが楽しいのか私にはさっぱりわからない。
それは「自立している」のではなく、「孤立している」のである。
私は自分で生活費を稼いでいるし、身の回りのことはだいたい一人でできるけれど、そんなことを少しもよいことだと思っていない。
できることなら私の代わりに誰かがお金を稼いでくれて、ご飯も作ってくれるし、洗濯もアイロンかけも、ゴミ出しもトイレ掃除も全部してくれる状態が来ればいいなと思っている。
だって、そうすれば、私は別の誰かに代わってお金を稼いだり、ご飯を作ったりゴミ出ししたりできるからである。
自分がしなければいけないことを誰かがしてくれるので、そうやって浮いたリソースで他人のしなければいけないことを代わりにやってあげる。
それがレヴィナスの言うpour autre (他者のために/他者の身代わりとして)ということの原基的な形態だと思う。
それが「交換」であり、それが人性の自然なのだと私は思う。
I cannot live without you
というのはたいへん純度の高い愛の言葉である。
このyouの数をどれだけ増やすことが出来るか。
それが共同的に生きる人間の社会的成熟の指標であると私は思う。
幼児にとってこのyouはとりあえず母親ひとりである。
子どもがだんだん成熟するに従って、youの数は増えてゆく。
ほとんどの人は逆に考えているけれど、「その人がいなくては生きてゆけない人間」の数が増えることが「成熟」なのである。
「その人がいなくれば生きてゆけない」と思える人の数の増加と、当人の社会的能力と生存確率の向上はあきらかに正の相関をなしている。
それはI cannot live without you という言葉が相互的なものだからだ。
というか、その言葉が相互的に機能しないと思えるような相手に対して私たちは決してそんな誓言を口にしないからだ。
投稿者 uchida : 2006年07月07日 20:03
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敬愛する内田樹先生のブログにまたまた目の覚めるような卓見が載っていた。一部引用。 I cannot live without you というのはたいへん純... [続きを読む]
トラックバック時刻: 2006年07月08日 20:30
» I cannot live without you。 from retroeater
内田樹さんのブログより。
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自分がしなければいけないことを誰かがしてくれるので、そうやって浮いたリソースで他人のしなければいけないことを代わりにや... [続きを読む]
トラックバック時刻: 2006年10月12日 18:59
まったくもう、なんてことを書くんですか。
I can't live without you.
たしかにそんなことをお互いに言えるように、
我々は生きていますよね。
まったくもう。
投稿者 suyama
: 2006年07月07日 21:25
> 自分でバイクを修理し
いや、先生、孤立は孤立でなかなか楽しいものですし、人間関係が不得手な人にはこれはこれで便利なものです。
時には技術や思索を深めることもできるでしょう。
残念ながら僕は孤立できるほどの能力者ではないので、やはり得意な分野を生かして生活したいと思っています。
女房が稼いで僕が使う。
女房がメシを作って僕が食う。
女房が働いて僕が遊ぶ。
女房が片付けて僕が散らかす。
まさしく理想的!
と思い提案しましたが、世の中はまだまだ拓けていないようです。女房はえらい剣幕でした。
ここはやはり先生にがんばってもらって、日本を早く一流の思想で開闢していただきたいと思います。
投稿者 nomad
: 2006年07月08日 00:00
自立出来るか出来ないかは
孤立するとは違う。
勉強になりました。
自分の仕事に役立てたいと思います。
投稿者 m0122110
: 2006年07月08日 16:55
内田先生今晩は。今日のブログを見て最近私が税金について思ってることがあったのでそれをお伝えしようと思いました。
私はサラリーマンの家庭で育ってサラリーマンと結婚しました。税金というのは持っていかれるもので、どうしようもないものだと思っていました。
ところがです。最近自営業の方達とお付き合いが増えたら、なんと彼らは「払いたくとも払えない人もいる」などといって、
税金を払ってない事も多いのです。
所得税というのはやめるべきです。食料品とその他の物とか、
教育にかかわるものとか色々細かく分けてでも消費税でやっていくほうが公平です。サラリーマンには基礎控除があるなんてまやかしを信じてはいけません。この国はサラリーマンが収入を片っ端から抑えられてそれで動いているのです。なら自営業になってみろとかそんな人生の選択に関してどうこう言いたいのではないのです。税金の不公平感は今に国の根幹を揺るがすと思います。ずうっと子供の児童手当の時からおかしいと思っていたのですが(だって狭い社宅に住んでる私達はもらえないのに大きなお屋敷の農家の人は児童手当をもらえるんですよ。)収入に応じて何たらこたらというのはやめましょう。世の中なんて不公平なものだという事も充分解ります。でもそろそろその不公平を少なくする努力を始めてもいいのではないでしょうか。「消費税なんか怖くない」というほうに目が行って
I cannot live without you のほうはまた今度にします。
cannot live ではないけれどI'm very onely.という事も沢山あるので。先生素直に税金を払ってる場合じゃないですよ!
ごめんなさい。I'm very onely.ではなく。I'm very lonely.です。
> 自己責任・自己決定という自立主義的生活規範を私は少しもよいも>のだと思っていない。
>自分で金を稼ぎ、自分でご飯を作り、自分で繕い物をし、自分で>PCの配線をし、自分でバイクを修理し、部屋にこもって自分ひとり>で遊んで、誰にも依存せず、誰にも依存されないで生きているような>人間を「自立した人間」と称してほめたたえる傾向があるが、
手前の知らぬうちに、「自立」の閾は随分と高くなったようで。
>それは「自立している」のではなく、
おお、安心致しました、手前のとるに足らぬ常識からすると、世の方々もそう思われているものと存じます。米を生産していないから自立していないとか、発電していないから自立していない等と非難されては堪ったものではございません。
>「孤立している」のである。
それに関しましては幾分なりと議論の余地があるのではないかと。
>「その人がいなくれば生きてゆけない」と思える人の数の増加と、
>当人の社会的能力と生存確率の向上はあきらかに正の相関をなしてい>る。
>それはI cannot live without you という言葉が相互的なものだから
>だ。
> というか、その言葉が相互的に機能しないと思えるような相手に対>して私たちは決してそんな誓言を口にしないからだ。
はて、「社会的能力」とやらをどのように数値化するのか、手前には理解の及ばぬ事でございますが、「その人がいなくれば生きてゆけない」と思える人の数の増加と生存確率の向上とは「負」の相関をなすのではございませんか?稚拙な例えを申し上げれば、日本の中からランダムに50人選んだ場合、一定期間中に、この中の一人が死亡等で失われる確率は日本の中からランダムに一人を選んでその一人が失われる確率の50倍ではありますまいか?
人間の能力には限界があり、いかに努力しても現在の我々には人間の生物としての死を免れない状況があるのではと愚考する次第。
いずれの場合でも当人は「その人がいなくれば生きてゆけない」のですから、このような人々が増えるほど生存確率は下がる道理、しかもこれが相互的となると原理的には一人の死が人類を絶滅させる事も・・
おお、これはしたり、「その人がいなくれば生きてゆけない」方が失われた場合は、I cannot live without you から、一語、not を削除すれば良いのですね!
その方が失われるまではI cannot live without you で最大の利益を引き出せる可能性が高くなり、生存確率もいきおい向上すると云うもの。
あとは、同等の機能を受け持ってくださる方を探せば良い、と。
まさに俚諺が教えている「君子豹変す」でございますね!
思い起こしてみれば先生は常々、素の自分を晒すなとも仰っておられました。
これぞ「成熟」。
これで平仄が合いました。
(誰かツッコンで〜)
はじめまして。出村と申します。
いつも内田先生のブログをよむのを、
とても楽しみにしています。
初めてのコメントですが、
雪国さんのコメントへのコメントという、
迂回的なものになりますことをお許しください。
雪国さんのコメント
>「その人がいなくれば生きてゆけない」と思える人の数の増加と生存確率の向上とは「負」の相関をなすのではございませんか?
に反論し、たとえば、こういう考え方もありはしませんかという話です。
「その人がいなければ生きてゆけない」と思える有り様の根底には、
その人は死んでもわたしからいなくなるわけではない、という確信があるように思うのです。もしくは、そう確信することで、むしろすっきりと「平仄が合う」と申しますか。
死者がイデアルな他者として、ありとあらゆるものを与えてくれ、また、こちらからもありとあらゆるものを贈ることができると、そう考えることの有益性は、ここ最近のブログで、内田先生が書いていらっしゃいます。つまり、死んでもいなくなるわけではない、と。
その筋にそえば、「その人がいなければ生きてゆけない」と思える相手は、死者となった後には、よりいっそう私を支えてくれるということになります。カードゲームでいえば、ジョーカー、ワイルドカードとして。
こう考えれば、雪国さんのおっしゃるような負の相関は、ただちに揺るぎない真理とは言えないのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
雪国さんのコメントの最後、notを削除するということの本意がよくわかっていないので、もしや上のようなことは言わずもがなだったのかもしれないのですが、そうであれば、ご容赦くださいませ。
投稿者 demura
: 2006年07月10日 20:33
出村さん、Resありがとうございます。
まず、ハンドルは「雪国」ではなく、「雪風」です。(「雪国のTT」というハンドルを使っている方がいらっしゃるようですので、宜しく御願いします。)
次に私は「揺るぎない真理」を主張したつもりはありません。あの(だれかツッコンで〜)の一語と、文体からご賢察ください。
「その人がいなければ生きてゆけない」というフレーズが「揺るぎない真理」を表してはいないと私は考えております。従ってそこから導きだした結論も「揺るぎない真理」である確率は低いと考えております。
notを削除するとは文字通り、I can not live without you. を I can live without you. と書き換える事を意味します。掌を返す、と言ってもいいでしょう。
これらの前フリとして先生のコメントにはPCの配線やら、金を稼ぐ事やらが出てきます。
死者はPCの配線もしてくれないし金も稼いでくれません。いくらその死者がそこにいるように振る舞っても一本の配線も繋げないでしょう。また、そのように振る舞うのは有益だからではなく、そうするしかないから、と私は受け取りました。
これなら、まあスルーしても良かったのですが、赤子が母親を必要とするという下りがあります。
社会的な補償が機能して、赤子が命を永らえれば良いのですが、そうでない場合には実際に命を落とします。
>死者がイデアルな他者として、ありとあらゆるものを与えてくれ、
>また、こちらからもありとあらゆるものを贈ることができる
と考える事のできる天才乳児だったとしてもです。
この例を拡大して行って、
>当人の社会的能力と生存確率の向上はあきらかに正の相関をなしている。
につなげる論や、統計的な用語を用いる事に違和感を感じ、投稿した次第です。
ちなみに、この論で「その人がいなければ生きてゆけない」というフレーズが「揺るぎない真理」を表していれば、私は「揺るぎない真理」(単純な算数と云う意味で)を述べたはずです。
最後にこれもお願いですが、出村さんの「カードゲームでいえば、ジョーカー、ワイルドカードとして。」が何を言っているのか理解できません。それを知る事で辻褄が合うようであれば、それは私にとってうれしい驚きとなるでしょう。
ご教示頂ければ幸いです。
読んで素直に幸せな気持ちになりました。
思わずここに書きたくなりました。
『ニューシネマパラダイス』を見てジーンと来た感覚が
15年ぶりぐらいに戻ってきた感じです。
内田さんありがとうございました。
雪風さん、ご返答、ありがとうございました。
お名前を間違ってしまい、大変失礼しました。
粗忽で、すみません。
それから「揺るぎない真理」と書いたのは、
筆が滑りすぎでした。
雪風さんのご返答にちゃんとお答えするほど
考えを詰めているわけではありませんし、
すこし私には荷が重い気もします。
かけるところだけ書いてみます。
「ワイルドカード」というのは、
つまりどんなものとしても機能する、
肩代わりしてくれるという意味で書きました。
ということは、自分で書いててなんなんですが、
これまでPCの配線をしていてくれた人が、
死者になると、そればかりか、なんでも
やってくれて、ますます、
「その人なしでは生きていけない」
状態になるということになりますね。
驚いたことに。
そういうこともあるかなと、
つい思ってしまったのですが、
いかがでしょうか?
たとえば、死者のことを思い出して、
つい自分でPCの配線をやってみて、
あれやこれやでできたりなんかして。
そういう場合は、自分でできたというんだよと
雪風さんはおっしゃるかもしれません。
私もそう考えるのが普通かなと思いながら、
そういう場合も、死者が肩代わりしてくれたと思いたいような
そんな気でいるのです。
と、おそらく全く、答えになっていませんね。
やはり雪風さんに上手く説明することは、
私には荷が重い気がします。
投稿者 demura
: 2006年07月11日 06:38
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