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2006年02月23日

不快という貨幣

讀賣新聞の西部本社から取材が来る。
「労働について」という硬いテーマである。
そういえばこのテーマで講談社から書き下ろしを出すことになっていたのであった。
よい機会であるので、問われるままに「なぜ若者たちは学びから、労働から逃走するのか」という問題について考える。
苅谷剛彦さんが『階層化日本と教育危機』で指摘していたことのうちでいちばん重要なのは、「学業を放棄することに達成感を抱き、学力の低下に自己有能感を覚える」傾向が90年代にはいって顕著になったことである。
苅谷さんの文章をもう一度引いておこう。
「比較的低い出身階層の日本の生徒たちは、学校での成功を否定し、将来よりも現在に向かうことで、自己の有能感を高め、自己を肯定する術を身につけている。低い階層の生徒たちは学校の業績主義的な価値から離脱することで、『自分自身にいい感じをもつ』ようになっているのである。」(有信堂、2001年、207頁)
苅谷さんはこれが90年代の傾向であること。中教審のいわゆる「自分探しの旅」イデオロギーと深く連動していることを指摘している。
グローバリゼーションと市場原理の瀰漫、あらゆる人間的行動を経済合理性で説明する風潮を考慮すると、「学ばないこと」が有能感をもたらすという事実は、「学ばないことは『よいこと』である」という確信が、無意識的であるにせよ、子どもたちのうちにひろく根づいていることを意味している。
「学ばない」というあり方を既存の知的価値観に対する異議申し立てと見れば、それを「対抗文化」的なふるまいとして解釈することはできない相談ではない。
彼らはそうやって学校教育からドロップアウトした後、今度は「働かない」ことにある種の達成感や有能感を感じる青年になる。
だが、どのようなロジックによってそんなことが可能になるのか。
骨の髄まで功利的発想がしみこんだ日本社会において、「働かない」という選択をして、そこからある種の達成感を得るということは可能なのか?
どう考えても不可能のように思われる。
だが、現にそういう若者たちが増え続けている。
としたら、こちらの発想を切り替えるしかない。
彼らが考えている「労働」はおそらく私たちの考えている「労働」とは別のものなのだ。
以下は「労働」の定義変更にかかわる私の仮説である。
私の仮説は「働かないことを労働にカウントする」習慣が気づかないうちに社会的な合意を獲得したというものである。
働かないことが労働?
どうして、そんなことが可能なのか。
このヒントをくれたのは諏訪哲二さんの『オレ様化する子どもたち』である。
この中で諏訪さんもまたたいへんに重要な指摘をしていた。
この本は去年出た本の中でもっとも重要な教育論の一つなのだが、メディアではほとんど話題にならなかった。先進的過ぎたのかも知れない。
諏訪さんが報告している中で印象深いのは「トイレで煙草を吸っているところをみつかった高校生が教師の目の前で煙草をもみ消しながら『吸ってねえよ』と主張する」事例と、「授業中に私語をしている生徒を注意すると『しゃべってねえよ』と主張する」事例であった。
これはどう解釈すべきなのだろう。
諏訪さんはこういう仮説を立てている。
彼らは彼らが受ける叱責や処罰が、自分たちがしたことと「釣り合わない」と考えている。
「彼および彼女は自分の行為の、自分が認定しているマイナス性と、教師側が下すことになっている処分とをまっとうな『等価交換』にしたいと『思っている』。(・・・)しかしここで『商取引』を開始する立場にはないし、対等な『等価交換』が成立するはずがない。そこで自己の考える公正さを確保するために、事実そのものを『なくす』か、できるだけ『小さくする』道を選んだ。これ以降、どこの学校でも、生徒の起こす『問題』の展開はこれと同じものになる(今もそうである)。」(諏訪哲二、『オレ様化する子どもたち』、中公新書ラクレ、2005年、83-4頁)
キーワードは「等価交換」である。
商品と対価が釣り合うこと。それが市場経済の原理なのである。
だが、この等価交換のやり方を彼らはどこで学んだのか?
もちろん家庭においてである。
だが、家庭内というのは通常の意味の市場ではない。
少なくとも家庭におけるサービスの交換は貨幣では精算されない(はずである)。
だから、子どもたちは家庭内で貨幣を使うことを通じて市場経済の原理を学習したわけではない。
貨幣を知るより前に、彼らは家庭内で「労働価値」をはかる貨幣として何が流通しているのかを学んだ。
現代の子どもがその人生の最初に学ぶ「労働価値」とは何か?
それは「他人のもたらす不快に耐えること」である。
こう書くと驚く人が多いだろうが、考えてみると、まさにこれ以外にないのである。
現代日本の家庭内で貨幣の代わりに流通させているもの、そして子どもたちが生涯の最初に貨幣として認知するのは「他人が存在することの不快に耐えること」なのである。
現代日本の典型的な核家族では、父親が労働で家計を支えているが、彼が家計の主要な負担者であることは、彼が夜ごと家に戻ってきたときに全身で表現する「疲労感」によって記号的に表象される。
ものをいうのもつらげに不機嫌に押し黙り、家族のことばに耳を傾ける気もなく、自分ひとりの快不快だけを気づかっている人間のあり方、それが彼が「労働し、家族を扶養している」事実の歴然とした記号なのである。
これに対して主婦は何を労働としているのか。
かつての主婦(私の母親の年代の主婦)にとって家事労働は文字通りの肉体労働であった。
家族の洗濯物を洗濯板と石鹸で手洗いし、箒とはたきと雑巾で家の中を掃除し、毎食ごとに買い出しに出かけ、風呂の水を汲み、薪で風呂を沸かし、練炭を入れた七輪で調理し、何人もの子どもを育てるというような家事はしばしば彼女の夫が会社でしている仕事以上の重労働であった。
子どもは母の家事労働の価値を、さっぱりした衣服や清潔な室内や暖かいご飯の享受というかたちでわが身をもって直接経験することができた。
けれども、家庭の電化が進んだ今、主婦の家事労働は驚くほどに軽減された。
育児を除くと、「肉体労働」に類するものは家庭内にはもうほとんど存在しない。
育児から手が離れた主婦が家庭内において記号的に示しうる最大の貢献は「他の家族の存在に耐えている」という事実である。
現代日本の妻たちがが夫に対して示しうる最大のつとめは「夫の存在それ自体に現に耐えている」ことである。
彼の口臭や体臭に耐え、その食事や衣服の世話をし、その不満や屈託を受け容れ、要請があればセックスの相手をする。
これは彼女にとってすべて「苦役」にカウントされる。
この苦役の代償として、妻たちは夫婦の財産形成の50%について権利を主張できる。
現代日本の家庭では「苦痛」が換金性の商品として流通しているのである。
子どもたちも事情は同じである。
彼らは何も生産できない。
生産したくても能力がない。
親たちの一方的な保護と扶養の対象であるしかない。
その「債務感」のせいで、私たちは子どものころに何とかして母親の家事労働を軽減しようとした。
洗濯のときにポンプで水を汲み、庭を掃除し、道路に打ち水をし、父の靴を磨き、食事の片づけを手伝った。
それは一方的に扶養されていることの「負い目」がそうさせたのである。
だが、いまの子どもたちには生産主体として家庭に貢献できるような仕事がそもそもない。
彼らに要求されるのは、「そんな暇があったら勉強しろ」とか「塾に行け」とか「ピアノの練習をしろ」という類のことだけである。
これらはすべて子どもに「苦痛」を要求している。
そこで彼らは学習する。
なるほど、そうなのか。
父親は疲れ切って夜遅く帰ってきて、会社から与えられた苦役に耐えている様子を全身で表現しているが、それこそが彼が真の労働者であり、家産を形成していることのゆるがぬ証拠である。
母はそのような不機嫌な人物を配偶者として受け容れている苦役に耐え、私のような手間のかかる子どもの養育者である苦役に耐えていることを家事労働のメインの仕事としている。
両親は私にさまざまな苦役に耐えることを要求するが、それはそれが私にできる唯一の労働だからなのである。
苦役に耐えること、他人がおしつける不快に耐えること、それが労働の始原的形態なのだ。
という結論に子どもたちは導かれる。
そして、子どもたちは「忍耐」という貨幣単位をすべての価値の基本的な度量衡に採用することになる。
「忍耐」貨幣を蓄財するにはどうすればよいのか。
いちばんオーソドックスなのは「不快なことを進んでやって、それに耐える」ことであるが、もうひとつ捷径がある。
それは「生活の全場面で経験することについて、『私はこれを不快に思う』と自己申告すること」である。
そうすれば、朝起きてから夜寝るまでのすべての人間的活動は「不快」であるがゆえに、「財貨」としてカウントされる。
つまり、「むかつく」という言葉を連呼するたびに「ちゃりん」と百円玉が貯まるシステムである。
朝は「いつまで寝てるの!」という母親の叱責でまず100円。
「げっ、たるいぜ」とのろのろ起きあがり、朝食の席で「めしいらねーよ」と告げて「朝ご飯くらい食べなさいよ!」と怒鳴られて50円。
「なんだその態度は、おはようくらい言え!」と父親に怒鳴られて200円。
「うぜーんだよ」と口答えしたら、父親が横面をはり倒したので、おおこれはきびしい1000円です。
けっと家を飛び出して、家の玄関のドアを蹴り飛ばしたら足の爪を剥がしたので、これは痛いよ500円。
そんなふうにして一日不機嫌に過ごすと、この子の「不愉快貯金」は軽く一日10000円くらいになる。
「ああ、今日もたっぷり苦役に耐えたな」と両親そっくりの不機嫌顔で彼は充実した労働の一日を終えるのである。
たぶんそうだと思う。
現代日本の「逃走する子どもたち」は実は彼らなりに一生懸命に働いているのである。
だから、彼らにむかって「どうして労働しないのか?」と問うても無駄なことである。
労働することは神を信じることや言語を用いることや親族を形成することと同じで、自己決定できるようなことがらではない。
労働するのが人間なのだ。
だから、労働しない人間は存在しない。
はたから労働しない人間のように見えたとしても、主観的には労働しているはずなのである。
私の仮説は、「労働から逃走する」若者たちは、大量の「不快の債権者」としてその債務の履行を待ち焦がれているというものである。
彼ら彼女らは幼児期から貯めに貯め込んだ膨大な額の「苦役貯金」を持っている。
それは彼らの幼児期の刷り込みによれば、紛れもなく「労働したことの記号」なのである。
ときどき預金残高が知りたくなる。
そういうときは、とりあえず「彼らの存在がもたらす不快に耐える人々」の数を数えてみる。
彼らの存在がもたらす不快に耐えている人間の数が多ければ多いほど、彼らは深い達成感と自己有能感を感じることができるのである。
たいへんよく出来たシステムである。
問題は、彼らの債権が社会的威信や敬意や愛情といったかたちでは決して戻ってこないことである。
けれども、とりあえず彼らのまわりに彼らが存在することの不快に耐えている人間がいる限り、彼らは生きて行ける。
不快と忍耐だけが通貨であるような世界での勤勉なる労働者たち。
逆説的な存在だ。
しかし彼らの自己完結した世界において、これはたいへん合理的な存在仕方なのである。

投稿者 uchida : 2006年02月23日 12:27

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コメント

興味深く拝読しました。
昔学習塾で中学生に教えておりましたときの体験を
少しだけお伝えしたく思います。
学校の試験前など、生徒たちが時にもらす言葉に
(クラスで優秀な)あの子は「勉強しなくても」よい成績が
取れるからうらやましい、それにひきかえ私は「一生懸命勉強しても」テストの結果では頭のよい子に遠く及ばない、
というものがありました。
中学生なりに、人には「ナチュラルに出来のよい幸運な人」が
存在するという認識を示したものと受け止めておりました。
内田先生の文章を読んで、「本当に優秀な人は努力しなくてもうまくやっていけるものだ」という考え方は、場合によっては
「努力したり、労力を出さなくても毎日を過ごせるならば、
それは私が優秀である証明となる」という錯覚あるいは思い込みにつながるのではないだろうか、と考えました。
もちろんそれは自尊心を維持するのが困難な場合に
苦しまぎれに取られる方策にしか過ぎないのですが。

投稿者 三村 [TypeKey Profile Page] : 2006年02月23日 14:35

耳にニガいお言葉ですね、でも『不快と忍耐』を通貨としている世代のひとりとして告白すると、わたし達はそんなに『周り』を気にしていないのです。

むしろウチダ先生が先日指摘されたところの『みんなの呪い』、仲間内の倫理コードに根拠のない万能感をもっているコトが『放棄&逃走』につながっているのではないでしょうか。

先生が描かれたような『他者のいない家庭』で成長する経験が、そうした『呪縛』へのはじめの一歩なのかもしれません〆

投稿者 バカヤマびと [TypeKey Profile Page] : 2006年02月23日 15:45

共働きの家庭や片親の家庭についてはどう説明されるのですか?

投稿者 加藤 [TypeKey Profile Page] : 2006年02月23日 18:27

私は単純にニート、待ち組といわれる現象は、モラトリアムやらピーターパン症候群をさらに推し進めたものというくらいにしか理解していませんでした。
『等価交換』『労働』『貨幣』というキーワードに乗っかって考えてみたいと思います。
『労働』を社会に差し出してその見返り=『等価交換』した『貨幣』を得るというのが資本主義社会のルールです。このルールを否応なしに是として受け入れ自己の行動規範にマッピングしているのが社会人、非ニートということになるのでしょうか。「働かざるもの食うべからず」=社会に対して生産労働しないものは生存する権利はない。これがニートに対しての常套句です。しかし、この資本主義が発達した社会で何が起こるのかというと、当然、資本家と労働者の階層の乖離で、特に金融が発達した現代日本ではより抽象化しながら勝ち組、負け組みたいなことが認識されはじめている。資本主義、階層化社会であるアメリカの成功方程式は40代とかでリタイアし後は好きなことをして過ごす。最近の日本ではライブドアが虚業だ風説の流布だとか結果的に社会に非難されながらも一時期はかなり時価総額が膨らんで社長は巨万の富を得ていたようだ。こうなると、是とした資本主義社会における労働と対価としての貨幣というのは何がなんだかわからない。なんだかわからないが、貨幣を集めるのがうまい集団がいるようだ。しかしその結果はけして是とされるべき「労働」による等価交換だとは傍目には到底認められない。まったく正当なものでないように思える。その是としたルールに則って富を築きリタイアした資本家は労働を社会に提供していないのではないか?その時点における生き様はニートと何が違うのか?という当たり前の疑問が沸きます。「肉体労働」が現代社会においてけして「貨幣」を得るための効率のよい「等価交換」の手法ではないというのも抽象性、うさんくささを高める要因になっていると思われます。
こういう「労働」と「等価交換」のうさんくさい方程式を自らの行動規範にマッピングするならば、おそらく今の調子ならばその与えられたルールにおいて「負け組」に分類されるとなるならば、とりあえず、わけがわからないし親が養ってくれるんだったら己の立ち位置としてはぜひ保留ということにして、もう少し様子を見ておきたい、理不尽なルールの社会に出るよりもピーターパンでいいじゃないか。だいたいそういう風に想像します。
外へ向かう事象としての貨幣獲得、等価交換を是として認めないのならば、内に向かう事象としての不快経済原則に従って行動する青年というのはなるほどなと読ませていただきましたが、逆に、そういう苦役と等価交換という図式を否定する、苦役というのは資本主義社会において換金効率の良いものではないなあと達観したタイプの青年というのもいっぱいいるんじゃないでしょうか?

投稿者 KEN [TypeKey Profile Page] : 2006年02月23日 22:18

私の下手な見解よりも、あちこちで見かける秀逸なコピペ寓話を引用させていただくと、


メキシコの田舎町。

海岸に小さなボートが停泊していた。
メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。
その魚はなんとも生きがいい。
それを見たアメリカ人旅行者は、「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」と尋ねた。
すると漁師は「そんなに長い時間じゃないよ」と答えた。
旅行者が「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」
と言うと、漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。
「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」と旅行者が聞くと、漁師は、「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」。

すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。それであまった魚は売る。お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティに引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」

漁師は尋ねた。
「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」
と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」

「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。どうだい。すばらしいだろう」


要するに、日本のニートはこの漁師のように働いていないものの、メンタリティとしては功利的日本社会のアンチテーゼとして、うさんくさいものに絡めとられて負け組とレッテル貼られるよりは好きなようにできるのならばやらせてもらうぜというアンチ苦役、アンチルールの養われていても食っていけて楽しければそれでいいという青年は多いのでは?ということです。

投稿者 KEN [TypeKey Profile Page] : 2006年02月23日 22:35

内田先生、いつも感心しながら「あ、なーるほど」等と拝読しております。でも今日のは解りませんでした。みんなそんなに
嫌な思いをして生きているのでしょうか。そして具体的に内田先生がそのような家庭をいくつも御覧になっておいでなのでしょうか。先生のお宅も例えば、るんちゃん様がいつもいつも「ちょー、むかつく」などとおっしゃっておいでだったのでしょうか。今まで、ブログとか御本を拝読して、決してそのようなことはなかったように感じられます。これは「比較的低い出身階層」の人達のことだからといわれれば、「そうなのか」とも思いますが、自分でそのような体験がないので、かつ、「比較的低い出身階層」が多いかもしれない地方小都市に暮らしていても実際に先生のおっしゃることを身近に見ることがないので、何だかよその国のことのように思います。マスコミもよく
今日の先生のような論調で書いていますけれども、ほんとにそうなのでしょうか。

投稿者 雪国のTT [TypeKey Profile Page] : 2006年02月23日 22:44

>「なぜ若者たちは学びから、労働から逃走するのか」

「ただし注意すべきは、「ニート」の増加を担っているのは完全に「非求職型」だ、ということです。(…)他方の「非希望型」に関しては、この10年間、見事なほど一定の人数で推移しています。つまり全く増えていないのです。この「非希望型」、すなわち働きたいという気持ちをもたない人たちというのは、よくいわれる「働く意欲がない」という通俗的な「ニート」のイメージにかなり合致する人たちですが、その数は過去10年間、まったく同じなのです。言い換えれば、働きたいと思っていない若者は、以前から、現在と同じだけの規模で社会の中に存在していたのです。」(本田・内藤・後藤『「ニート」って言うな!』p.27

「(「非求職型」の)残りの2/3の人は、働いていないからといってじっとうずくまっているわけではなく、それぞれ何らかの活動に従事しているごく「普通」の人たちなのです。たとえば男性の「非求職型」の中で一番多いのは「進学・留学準備中」で、3人に1人を占めています。(…)「非求職型」の男性で次に多いのは、「資格取得準備中」です。」(同、p.33)

[とにかく働いていない、今具体的に仕事を探していないというだけの定義でニート数が推計されて85万人と大々的に発表されるわけですが、実はその中には、深刻な問題を特に抱えていない方もかなりの数、含まれているのです。それを一括して「ニート」と呼んで、しかもすごくネガティヴなイメージが与えられていること、そういう乱暴な、実態とかけ離れた議論がまかり通っている」(同、p.34)

投稿者 加藤 [TypeKey Profile Page] : 2006年02月24日 07:52

さすがに仮説モデルが息をして歩いているようなヒトは我が子たちも含め私の周囲にはいませんが、にもかかわらず、不愉快貯金には納得してしまいました。ただし、かなり意地悪おじさんな思想なのかも。

『「ニート」って言うな!』の指摘は興味深いですね。「非求職型」の人々って、もしかしてブログのコメント欄の盛況を支えている人たちと重なるのでしょうか?

投稿者 ハットリ [TypeKey Profile Page] : 2006年02月24日 10:07

2002年の統計によると、「求職活動をしていない理由」は

「急いで仕事につく必要がない」4.9万人
「家族の介護・看病のため」1万人
「家事・育児・通学などのため仕事が続けられない」1.4万人
「病気・怪我のため」10.4万人
「知識・能力に自信がない」4.2万人
「希望する仕事がありそうにない」4.1万人
「仕事を探したがみつからなかった」5.3万人
「その他」11.2万人

なお、上記のいずれの分類でも「就職経験有り」の回答者が「就職経験無し」の回答者を上回っています。特に「病気・けがのため」では前者は7万人に達します。また、「非求職型」の者の1/3以上は半年以内の就業経験あり、すなわち、「少なくとも半年前は賃労働に従事していた」人が3割以上ということです。そして、この10年間で増加しているのは「非希望型」ではなく「非求職型」なのです。「働きたい」けれども諸々の事情で現時点では求職行動を取っていないというだけの、ごく普通の人々ではないか、というのが本田由紀さんの指摘です。内藤朝雄さんがそれを引き取って、「ニート」は「モラトリアム人間」や「パラサイト・シングル」などと同じく、年配者が自分の持つ漠然とした不安を青少年に投影した「青少年ネガティヴ・キャンペーン」なのであり、マスコミがそういう不安を煽っているのだと論じています。

ブログのコメント欄との相関は私にはわかりません。

投稿者 加藤 [TypeKey Profile Page] : 2006年02月24日 10:28

ウチダ先生、初めまして。大学からの友人がこのブログを激奨していた先週末以来の熱烈な読者です。大学時代先生の授業を受けなかった事が悔やまれます。90年に赴任されて以降の2年間一般教養は教えていらっしゃったのでしょうか。実家の本棚にしまわれたままのSyllabusを引っ張り出して確かめてみなくてはと思いながら、実行出来ずにいます。

という前ふりはさておき、「苦役貯金」説大変に興味深く拝見させて頂きました。ウチダ先生の議論は、2つの到底それらが繋がり得るとは思えない事柄を繋げ、そこに新たな意義を付与するやに見受けられ、これがまたブレイクスルーな事が多く、おお~っと感じ入るのですが、この「苦役貯金」説、ウチのダンナの言動を説明する概念として、さにありなんとはたと膝を打った次第です。成る程、彼奴の言動は「苦役貯金」を引き出していたのですね。


しかし、この苦役貨幣の流通、「悪貨は良貨を駆逐する」の諺が示す通り、感謝や労いや温情味と言った良貨の流通を低下させるものとして杞憂されます。せめて我が家からだけでも良貨を持って悪貨を駆逐せねばならぬと、心情を改めた次第です。

投稿者 シマウマ [TypeKey Profile Page] : 2006年02月24日 10:45

まず、個人が働かない、一時的にせよ働きたくない理由というのは、もちろん千差万別だろうし、他者がインタビュー、アンケートによってその実情を把握するという調査は原理的に限界があるということがあります。しかし、そんなことを言っておれば何もわかるはずはないとサジをなげるのと同じで、不確定不正確ながらも趨勢を把握したいというのがこういう統計の読み方なのでしょう。そこで注意すべきは、このような個人の意思、事情というものを数項目に束ねた数字から読み取れる趨勢によって、「非希望型」「非求職型」と単純に二元論的還元する切り分け方はどの程度、趨勢を把握するうえで正確なんだろうか?という疑問があります。果たして、その君はAであなたはBタイプですね。と白黒わけて、それを統計という客観的事実による分類であるからというのはどの程度説得力があるのか?AもBも互いに相関しているかもしれないし、AとBの中間というのもあるかもしれない。統計調査をある断面で切って、その切り口から考察すると、マスコミのバイアスがあるだろう、という結論はありかもしれません。しかしそれは所詮ひとつの切り口にすぎず、「非希望型」「非求職型」の定義、二元論的なグループの切り方の正当性も含めて、別の切り方もありえるだろうし、その場合の考察はまた別の結論を導きだすだろうと、そう考えます。

投稿者 KEN [TypeKey Profile Page] : 2006年02月24日 10:56

こういうアンケートの場合、複数の項目にたいして複数回答可だとすると、一個人の回答にも「非求職型」「非希望型」が混在する場合も多いのでは、と想像できます。

加藤さんが引用されている
>「非求職型」の中で一番多いのは「進学・留学準備中」で、3人に1人を占めています。(…)「非求職型」の男性で次に多いのは、「資格取得準備中」です。
という具体的な分類手法に注目してみると、
いわゆる典型的な非希望型ニートであっても、心理的にそういうエクスキューズを内外のスタンスとしてとっている場合も少なくないのではないでしょうか。たとえば社会的に進学準備中=浪人生と分類されるグループでも実質勉強もなんにもしていない。まだアルバイトでもしていれば「まし」ということになるのだが、それも個人の判断によってしていない、これは非希望型ニートとどう違うのか?このような個人の価値観、主観をインタビューする際にはそういうあいまいなゾーンが大きいので、この人たちはA、BでAの人数は変化していない、また増加しているというのは、また統計の罠にはまっているのではないかと考えます。

投稿者 KEN [TypeKey Profile Page] : 2006年02月24日 11:13

(「オレ」の稼ぎで「あいつら」を食わせている、と思っているサラリーマンはたくさんいる。
たくさんどころか「全員」と申し上げてもよい。
だからその方たちは家に帰っても、つい「誰の稼ぎで食っていると思っているんだ」という常套句を口にする衝動を抑制しきれない。http://blog.tatsuru.com/archives/000973.php)
これかな?「苦役貯金」って。

投稿者 yamazaki [TypeKey Profile Page] : 2006年02月24日 12:22

KENさまの指摘はごもっともです。本田さんがいわゆる質的調査を参照していないことは、本田さんの議論の一つの弱点ではあります。とはいえ、いわゆる「ニート」という概念が日本社会で注目されはじめたのはここ最近ですから、今後、社会学者による質的な調査報告も出てくるのではないでしょうか。

なお、先ほど紹介したデータはこちらに原文がありますので、リサーチ・デザインを再検討されるのであれば、第一部をご覧ください。
http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/shurou/shurou.html

投稿者 加藤 [TypeKey Profile Page] : 2006年02月24日 12:41

内田先生、はじめまして。意見を述べさせていただきます。

肯定
・わたしは、「トイレで煙草を吸っているところをみつかった高校生が教師の目の前で煙草をもみ消しながら『吸ってねえよ』と主張する」症状を真実否定シンドロームと名付け、ジコギー(自己欺瞞する人)と呼んでいます。堀江被告の「法に反していることをしているつもりはない」も同じです。これは年齢・世代に関係ないと思います。なぜなら迷惑ゴミ出しや騒音事件で、「これはゴミではない」「騒音と違う」という年配の人々を見ているからです。時代的なものだと考えています。

否定
・現代日本の「逃走する子どもたち」の行為は、たしかに本人にとって有為な活動ですが、それを「労働」とはわたしには呼べないと感じました。それを労働と呼ぶと、労働と呼べるものがこの世の中からなくなってしまうように思えるからです。

ありがとうございました。

投稿者 十海十波 [TypeKey Profile Page] : 2006年02月24日 12:41

(「学業を放棄することに達成感を抱き、学力の低下に自己有能感を覚える」傾向が90年代にはいって顕著になったことである。)
(苅谷さんはこれが90年代の傾向であること。)
(「むかつく」という言葉を連呼するたびに「ちゃりん」と百円玉が貯まるシステムである。)
-------------------------------
90年代の若者像といえばコギャルですね。

投稿者 yamazaki [TypeKey Profile Page] : 2006年02月24日 12:44

いつも興味深く読ませてもらってます。
「不快の債権」というのは、実体的な担保がなく、
幾らでも価値の捏造が可能な虚業であって、
債務が履行される見通しはないというのはそうだと思いますし、そうであるべきだと思います。
しかし、ニートに対する債務が履行されないにも関わらず、
「夫の在宅」自体がDVであると主張するような、専業主婦に対する債務が
ちゃっかり履行されているように見えるのは、
どういうからくりが働いた結果なのかよく分かりません。
また債務である「関白宣言」の裏返しとして、
債権の「関白失脚」も主張できるにもかかわらず、
世の男性たちがあえてそうしないのはどうしてなのか、ジェンダーの謎は秋よりも深まります。

投稿者 yining [TypeKey Profile Page] : 2006年02月24日 18:35

> 「不快貯金」

 たいへん興味深い説ですが……、これは、頭の良いかたがおちいりがちな「考えすぎ」の産物でしょう。

 結論から言いますと、
現行犯であっても「知らねえ」「やってねえ」と言い張るのは、ごく単純に
「 し ら ば っ く れ て る だ け 」
です。

 不良やヤクザ、あるいはそれに類する人々----いいえ、世間にもまれて生きている大多数の人々ならば、
「たとえ、悪事が露見しようが、現行犯でつかまろうが、証拠が山ほどあろうが、
ひたすら、知らぬ存ぜぬと『しらばっくれて』いさえすれば、たいてい切り抜けられる」
ということを知っています。

…いや、むしろ、これは「常識」の範疇でしょう。

投稿者 野沢陽一郎 [TypeKey Profile Page] : 2006年02月26日 02:13

> 「不快貯金」

 たいへん興味深い説ですが……、これは、頭の良いかたがおちいりがちな「考えすぎ」の産物でしょう。

 結論から言いますと、
現行犯であっても「知らねえ」「やってねえ」と言い張るのは、ごく単純に
「 し ら ば っ く れ て る だ け 」
です。

 不良やヤクザ、あるいはそれに類する人々----いいえ、世間にもまれて生きている大多数の人々ならば、
「たとえ、悪事が露見しようが、現行犯でつかまろうが、証拠が山ほどあろうが、
ひたすら、知らぬ存ぜぬと『しらばっくれて』いさえすれば、たいてい切り抜けられる」
ということを知っています。

…いや、むしろ、これは「常識」の範疇でしょう。

投稿者 野沢陽一郎 [TypeKey Profile Page] : 2006年02月26日 02:16

ニートなんて昔から居るじゃん。

高踏遊民

豊かになって高踏遊民が増えた。めでたい。夏目漱石先生も草葉の影から喜んでいることでしょう。

投稿者 k [TypeKey Profile Page] : 2006年02月27日 20:16

結構「痛かった」ですね。ばっさり見事に斬られたという感じです。
今は、口に糊するため働く事を厭いはしませんが、30代に入る頃までは、
明らかに「働きたくない」と思っておりましたし、
それがなんらかの「復讐心」に基づく事も意識していました。
それは債務の履行だったのか。そうわかったところで、当然ながら
別に嬉しいわけもなく、ここから先は自分で考える課題ですね。

投稿者 よこよこ [TypeKey Profile Page] : 2006年02月27日 23:01

結構「痛かった」ですね。ばっさり見事に斬られたという感じです。
今は、口に糊するため働く事を厭いはしませんが、30代に入る頃までは、
明らかに「働きたくない」と思っておりましたし、
それがなんらかの「復讐心」に基づく事も意識していました。
それは債務の履行だったのか。そうわかったところで、当然ながら
別に嬉しいわけもなく、ここから先は自分で考える課題ですね。

投稿者 よこよこ [TypeKey Profile Page] : 2006年02月27日 23:03

こんな入り組んだ理屈をつけないと、今の若者が働きたがらない理由は説明できない事態になっているのでしょうか・・(こういう事を若者本人ではなく内田先生が考え出すというのがすごい、と思いますが)
労働は苦役に堪えるという面も多いけれど、その中でちょっと自分のやりたい事をやってみるとか自分の力を試してみるとか、単純に他人の役に立って感謝される喜びを味わうとか、そういう事も多々あると思うのですが、
そういう事が上手く子供に伝わっていない、というのか、きっと生活の中でそういう事を実感、体験する場面がとても少なくなっているのでしょう。そんなちっぽけな喜びには価値を見出さない世の中でもあるかもしれません。でも凡人の生活の大部分は、多分そういうちまちましたことの積み重ねだろうと思うんですがね。

投稿者 nico [TypeKey Profile Page] : 2006年03月02日 05:35

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