Warning: main(http://www.tatsuru.com/head.html): failed to open stream: HTTP request failed! HTTP/1.1 404 Not Found in /var/www/vhosts/tatsuru.com/subdomains/blog/httpdocs/archives/001571.php on line 107

Warning: main(): Failed opening 'http://www.tatsuru.com/head.html' for inclusion (include_path='.:') in /var/www/vhosts/tatsuru.com/subdomains/blog/httpdocs/archives/001571.php on line 107

<< 韓国辛いものツァー初日 | メイン | 不快という貨幣 >>

2006年02月22日

韓国辛いものツァー二日目

9時半就寝。起きたら8時。
ずいぶんぐっすり眠ってしまった。
時差なしとはいえ、日本列島とは経度が違うので、体感的な時間差は1時間くらいある。だから、8時といってもまだ7時。カーテンを開けるとようやく夜明けのソウルの街をもう忙しく車が行き来している。
朝風呂に入ってからひとりゆるゆると街へ出る。学生諸君はもうてんでに観光や買い物にダッシュした後である。
今回のソウル・ツァーは卒業生の華ちゃんに会ってご挨拶するのと韓国の「空気を吸う」がメインの仕事だったので、一日目にして主要日程が終わったのであとは特にすることがない。
とりあえずさらにソウルの空気を吸うべく地下鉄に乗る。
地下鉄のシステムはだいたい日本と同じで、フランスのようなカフカ的不条理には巡り会わない。
最初に訪れた都市では、その都市の「根」に当たる部分にご挨拶をするというのが私のルールなので、景福宮(キョンボックン)を訪れることにする。
駅三(ヨクサム)駅の地下鉄の窓口で「キョンボックン」と告げるとちゃんと通じて切符を頂ける。1000ウォン。日本円で120円くらい。
景福宮(すごいね日本のワードは。「きょんぼっくん」と入力するとちゃんと「景福宮」と出てくる)の二つ手前の地下鉄の駅で降りて、ふらふらと歩き出す。
だいたいあっちの方角だろうと思って歩くと、なんだか浅草の仲見世のようなおみやげもの街に出る。
地図を見ると、ここは仁寺洞(「いんさどん」と打ち込むと・・・以下同様)。韓国の伝統工芸品の街であるらしい。
ひやかしながら歩いているうちに急速に腹が減ってきた。
学生諸君はスタバで朝ご飯を食べたらしいが、何もソウルまで来てスタバもないぜとあたりを見回して、目に入った韓国料理屋に入る。
メニューの写真を見て美味しそうなものを頼む。
出てきたものをガイドブックと照合すると、これは「ソルロンタン」というものである。
牛肉牛骨を煮込んだ煮えたぎった白濁したスープに牛肉と麺と葱が入っている。それにキムチとナムルとご飯。
美味である。
ぱくぱく。
すっかり暖まって満腹となる。
これで5500ウォン。700円くらい。
腹をゆすりながら景福宮に向かう。
ここは1996年まで朝鮮総督府の建物があったところで、それが撤去されてから、宮城らしい景観を回復したものである。
廷内の建物の多くが日本統治時代に失われて、かなりの部分が近年に考証にもとづいて再建されたいわば「ヴァーチャル旧跡」である。
「ヴァーチャルな旧跡」というのは形容矛盾のようであるが、ナショナル・アイデンティティというものが絶えざる「想像の共同体の再構築」というしかたで維持されるものであるとするならば、むしろ旧跡としては「正統的」なありようのものなのである。
景福宮の南で全景を遮っていた日本総督府の建物が96年に撤去されたので、宮城らしい姿をソウル市民の前に示してまだ10年しか経っていない。
入場料は3000ウォン。観光案内のトーキーを借りて、これが2000ウォン。
興礼門、勤政門をくぐると勤政殿(クンジョンジョン)がある。北京の紫禁城のややこぶりなモデルであるが、構図はまったく同一である。
勤政殿の前に文武官が整列するときの「正一品」から「従九品」までの石のめじるしがある。
従六品のところで「おお、ここがチャングムの・・・」としばし感慨に耽るが、知らない人には意味不明。
トーキーはたいへん流暢な日本語で解説がなされているが、ほとんどどのスポットについても、「ここにあった建物は日本統治時代に撤去され・・・」という説明がついているのが日本人観光客としては耳に痛い。
景福宮の各所では日本統治時代に破壊された建物の復旧作業が行われている。
日韓併合が日本の国家的存続にとって不可避の政治的選択であったのかどうかは(日韓併合がなされなかった場合の世界史を誰も知らない以上)誰にも論証はできないが、百年経ってもまだ日本支配の痕跡をすべて抹消せずにはおかないというところまで隣国の人々に屈辱感を与えるような統治形態しか選択肢がなかったという説明は説得力を持たないだろう。
なぜこの一衣帯水の隣国の民の国民的な誇りをそれほど踏みにじらなければならなかったのか。
対ロシアであれ、対米であれ、そのためのアジア諸民族の統合が喫緊であるときに、それが「日本化」でなければならないという理由はない。
たぶん、そのころの植民地官僚たちはそれは「日本化」ではなく端的に「近代化」だと思っていたのだろう。
その意味では彼らが「善意」のグローバリストだったという説明を私はしばらくは黙って聞いてもいい。
おのれの「善意」を信じていなければ、こんなひどいことはできないからである。
「善意」の人間しかできない種類の破壊がある。
そして、ほとんどの場合、自らの善意と開明性に確信を抱く人間の行う破壊がもっとも節度のないものとなる。
日本人はそのことを半島における植民地統治の失敗から学習したのであろうか。
いささか暗澹たる気持ちになって景福宮を後にする。

06022201.jpg 景福宮から西を望む

次は歩いて昌徳宮(ちゃんどっくん)に向かう。
途中で安国(あんぐん)から北に向かって、ソウル中央高校に寄ってみる。
ソウル中央高校は『冬ソナ』のユジンとチュンサンが通っていた高校のロケ地である。
高校の正門の左右はドラマの通りに急な坂である。
通学路もずいぶん狭い。こんな道に高校生が詰め込まれたらすごいことになるであろう。
ユジンとチュンサンが乗り越えた学校の塀はどこかと訊ね歩くが、まわりはぎっしり民家が建て込んでいて見つからなかった。
近くには「ユジンの家」もあるらしいが、それはスルーして昌徳宮に向かうが残念ながら本日は休館日。
さすがに9時半から4時間歩き続けなので、少し疲れて、ホテルに戻る。
ホテルに戻って冷たいビールを飲んで昼寝。
そのまま5時過ぎまで爆睡。
6時にロッテホテルで学生諸君と待ち合わせ。
2002年にうちの大学に梨花女子大から交換留学で来ていた李多恵(リ・タエ)さんとセイウチくんが寮生仲間で仲良しなので、いまはソウルでばりばりのキャリアウーマンになっている多恵さんとその婚約者の洪一権(クゥオン・イルホン)さんのご案内で、今夜は焼き肉。
多恵さんは本学に在学中に私のフランス語の授業を受講していたので私の教え子でもある。
それから在学中に彼女ともうひとり梨花からの留学生がちょっとしたトラブルに巻き込まれたことがあった。
私がそのときに役職上彼女たちのために一肌脱いで江戸前の啖呵を切ってことを解決した(というよりはさらにややこしくして)、結果的には彼女たちではなくて私が事件の当事者になることで事件をより解決不能な事態にして事なきを得たという、なんだかよくわからない出来事があって、そんなご縁のある方なのである。
彼女はそのときの私の手荒な介入を多とされて、今回の訪韓に際して一夕の宴にお招きくださったのである。
明洞(みょんどん)の有名焼き肉屋「景福宮」で炭火の七輪で焼いた骨付きカルビ、センドゥシン、プルコギ、ユッケとともにHITEビールや焼酎をぐぐぐと嚥下しつつ、お二人の幸福と日韓の友好を祈って繰り返し乾杯をさせていただく。
今日のお値段はひとり47000ウォン。6000円くらいである。

06022202.jpg 明洞で偶然、クォン・サンウと遭遇、久闊を除す

ロッテホテルのロビーで「韓国エステ」にゆく学生たちと二人の韓国の友人とお別れして地下鉄でホテルに戻る。
明日はもう最終日。
2時半にホテル出発なので、昼前に学生たちと買い物に行って、おみやげを買う。もう観光をしている時間はなさそうである。

06022203.jpg 仁川空港にてゼミの諸君と


投稿者 uchida : 2006年02月22日 17:36

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.tatsuru.com/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/1575

コメント

>隣国の人々に屈辱感を与えるような統治形態しか選択肢がなかった


おかしな話です。現行の大韓民国の制憲議会や、大韓民国の成立宣言も、件の旧朝鮮総督府で行われました。朝鮮戦争の際も、この旧総督府が両軍のターゲットとなり、軍政機関が置かれました。60年たってもなお「屈辱感」を与えているようなシロモノが、独立後すぐにこういった扱いを受けうるのでしょうか?しかも、日本統治時代よりも、独立後のほうが、はるかに長く建っていたのです。これは、とりもなおさず、かの国の政治的変化が、いかに極端かということを示しているにほかなりません(また、「植民地官僚」の「善意」をいぶかしんでおられますが、当の朝鮮人の内心(世界観・政治観)を問わず、一方的な感情(「官僚」においては“見下し”、先生においては“憐れみ”)を抱いている点、つまりは“下に見ている”点では、変わりがないように思えますが)

投稿者 truely_false [TypeKey Profile Page] : 2006年02月23日 12:28

いつも楽しみに読んでいます。先生のゼミでもういちど勉強したいという思いがふつふつとわいてきます。でも女子大だから中年のおっちゃんは門前払いなんでしょうね。私も今春ソウルを訪ねることを楽しみにしています。

投稿者 lee gun hwan [TypeKey Profile Page] : 2006年02月23日 15:22

植民地時代の建築物の撤去/保存については、当事者間でも意見対立が付き物のようですね。

投稿者 ハットリ [TypeKey Profile Page] : 2006年02月23日 16:46

内田先生の書かれていることは、「憐れみ」なんですかね?

「私たちの先祖たちが、大変失礼なことを・・」と思っているかんじに、俺には取れるんですが・・。まあ、もうちょっと引いて、「人類ってば賢くなってるんじゃろか・・」という諦念めいた部分も感じられますが。

「下に見る」ってのはとてもコミュニケーション能力に支障を来たす身振りですから、身体性のコミュニケーションにこだわっておられる内田先生にとっては、非常に気持ちの悪いことであるはずなので、あんまりあり得る話だとは思えません。

というわけで、たぶん「上だ、下だ」「バカにする、バカにされる」ってことにこだわりを持っておられる方の内側では、メッセージが読み替えられてしまうのでしょう。

ちなみに内田先生は、講演で見たり本を読んだりしたかんじでは、ご本人がバカにされても、「あ・・バレました・・?」というかんじの方だと思います。「え!バカなの!!」「うん。その方が楽チンだし。。」というような。。

投稿者 moly [TypeKey Profile Page] : 2006年02月26日 00:14

先生は、以前から“儒教文化圏”の可能性を大いに見込んでいらっしゃるようですが、そこでは、独立後50年間も、当国の為政に少なからず重要な役割を果たしてきたハズの建物が、いきなり「屈辱感」の源泉になったりするような、予測困難な(少なくとも日本にとっては)政治的変化が、ごく当たり前のように起こるというワケです(一方で旧台湾総督府は“美しい建物である”という理由で残されています)先生が、故意に「下に見ている」とは思いませんが、朝鮮が、世界も文明も知らない未開の桃源郷だったならばまだしも、近世初期においては、日本に世界観文明観を教授するほどの知的成熟があったにもかかわらず、その後の近代世界への対応に看過しがたい遅滞を招いたことの、その原因について一瞥でも与えていたならば、容易には、彼らの「屈辱感」への“共感”はなしえないと思われます。

投稿者 truely_false [TypeKey Profile Page] : 2006年02月27日 11:56

コメントしてください

サイン・インを確認しました、 さん。コメントしてください。 (サイン・アウト)

(いままで、ここでコメントしたとがないときは、コメントを表示する前にこのウェブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)


情報を登録する?