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2004年04月21日

ゼミが始まったのだが・・・

4月21日

ゼミが始まる。
新四年生のゼミは初回から欠席者が6人というありさま。
卒論研究計画の提出日だというのに。
就職活動というのは、そんなにたいせつなものなのであろうか?

繰り返し言っていることだが、もう一度言わせていただく。
大学生である限り、就職活動は「時間割通り」にやりなさい。

諸君はまだ大学生である。
いま、ここで果たすべく期待されている責務を放棄して、「次のチャンス」を求めてふらふらさまよい出てゆくようなタイプの人間を私たちは社会人として「当てにする」ことができない。

当然でしょ?

いま、ここでの人間的信頼関係を築けない人間に、どうしてさらに高い社会的な信認が必要とされる職業が提供されるはずがありましょうか?

そんなこと、考えれば分かるはずである。

「おっと、こうしちゃいられない」

地獄への道はこの言葉によって舗装されている。
これは長く生きてきて分かったことのひとつである。
みんなそうつぶやきながら破滅への道を疾走していった。

古来、胆力のある人間は、危機に臨んだとき、まず「ふだんどおりのこと」ができるかどうかを自己点検した。
まずご飯を食べるとか、とりあえず昼寝をするとか、ね。

別にこれは「次ぎにいつご飯が食べられるか分からないから、食べだめをしておく」とかそういう実利的な理由によるのではない。

状況がじたばたしてきたときに、「ふだんどおりのこと」をするためには、状況といっしょにじたばたするよりもはるかに多くの配慮と節度と感受性が必要だからである。

人間は、自分のそのような能力を点検し、磨き上げるために「危機的な状況」をむしろ積極的に「利用」してきたのである。

「きゃー、たいへんよー!」
と言ってじたばたしていると人間の能力はどんどん低下する。

周りがみんなじたばたしていているときに、とりあえず星を見るとか、とりあえずハイデガーを読む、というようなタイプの人間を「胆力のある人間」というふうに私たちの社会は評価する。

そして、あたりまえのことだけれども、まともな企業の人事の人間が探しているのは、業績不振というような風聞をききつけて「きゃー、たいへんよー!」とあわてて就業時間中に求人誌をめくって転職先を探すような社員ではなく、落ち着いてふだんどおりに仕事をてきぱきと片づけてくれるタイプの社員に決まっているのである。

まともな大学の教師の学生評価基準と、まともな企業の人事の新入社員評価基準は、基本的に変わらない。

「えー、ぜんぜん違うよー」

あ、そう。

だとしたら、君はいま「間違った大学」に通っているか、これから「間違った企業」に入ろうとしているか、そのどちらかである。

そして、いずれにせよ、君の人生は、これから先も無数の「間違い」によって編み上げられてゆくことであろう。

大学院の演習の方はたいそうな人だかりである。
ゼミなのに30人近くいる。
ご案内のとおり、こちらはAmerican Studies である。

1年間ゼミをやって、その成果をまんまNTT出版から本にして出そうという、「一粒で二度美味しい」授業である。
だから、このゼミはこれからは録音されることになる。
そのためにICレコーダーも購入済みだ。

毎回ネタを院生聴講生諸君から「お題拝借」で頂いて、こちらはその場の思いつきをぺらぺらしゃべって一丁上がりという、アクマのごとき狡知なのである。

録音したデータはPCに取り込んで、それをメールでM島くんに送り、先方で編集していただき、年明けにゼミが終わった頃には一冊分の原稿が完成している・・・という段取りである。

「そ、それで印税は全部先生が独り占めなんですか!」

まさかね。
ゼミの打ち上げ宴会のビール代くらいはオレが持とうと太っ腹なところを見せているじゃないですか。

「ええ!ビールおごってくれるんですか!」

わははは。まあ大船に乗った気で。

「先生、その台詞、前にどこかで聞いた気が・・・?」

「おお、思い出したよ。M下M己から『映画のことば、映画の音楽』の原稿を預かったときに『必ず引き受けてくれる出版社をみつけてくるから、まあ大船に乗った気で』と請け合ったことがあったな」

「結局、その本は・・・」

「うむ。残念ながら、持ち込んだ全出版社で拒絶されてしまったのだ。そのおりにM下くんから『大船に乗った気で』と言っておきながら・・・とずいぶん責められたものだ」

「で、先生はどうやって言い逃れをしたんですか?」

「『大船に乗った気で』などと言った覚えはないときっぱりと前言撤回したのである。『オーボエに乗った気で』と申し上げたのである。まあ、たいていの人間はオーボエに乗ったら転ぶわな。」


投稿者 uchida : 2004年04月21日 11:39

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コメント

イラク問題ばっかりコメントがあることに
少し違和感があるので・・・

良いことを聞いてしまいました
やはり、現状のことができていないとダメなのですね
午前の授業をサボったかいがありました

頬杖に乗った気で、NTT出版からの本を期待しています

投稿者 自転庫 : 2004年04月21日 12:12

進路に悩める大学4回生、フジタ(仮)です。
若干の誇張表現、またこれを読んで不快に思われた方(特に現在就職活動中の方)がいらっしゃったらごめんなさい。
最近稽古にご無沙汰で歯がゆい思いをしております(「ごめんなさい」とは言いませんよ、自分のことですから)。
何故稽古に行けていないか、私は就職活動が理由ではありません。卒研が面白くて仕方ないのです。卒論に限らず、私はゼミが大好きで春休みもそれに殆どの時間を割いていました。その頃私の同級生は髪の毛を黒に戻し、リクルートスーツを着て、「就活」を行っていた模様です。私は、どうなるのでしょう?(「誰に聞いているんだ」、の解は「自分自身に」です)
進学も考えています。しかし、それにはいろいろな問題が立ち塞がっています。進学後どのような職に就けるか、それ以前に我が家の経済状況、そもそも私の学力(特に語学)。
就職活動を全く放棄しているわけでもなく、4,5社にはエントリーシートを提出したり筆記試験を受けたりしました。説明会にも行きました。しかし、第1審査で落とされそれ以上進んだ企業はいまだありません。ゼミのほうに気を取られ、就活対策たるものを一切せずに何の知識もなく行き当たりばったりであることも一つの原因でしょう(私の人間性が企業に求められていないのかもしれませんが)。
大学教員である内田先生は書いておられます、「就職活動というのは、そんなにたいせつなものなのであろうか?」と。学生の私もそう思います。
私は進学にしろ、就職にしろ、どちらのスタートラインにも立っていません。就職に関しては、一度立ったものの後退した感がありますが。
一つ言えるのは今やりたいのは卒業研究である、ということ。しかし、それを現在最優先事項にしていると、私は卒業後の道が全く拓けていないことになります。おかしくありませんか?―ただ、私の場合、卒論にのめり込みすぎて、その先もし進学を決意した場合も、卒研の枠を越えられない危険性があります。事実、それでその先(修士or博士修了後)研究を一生やっていく力量が自分にあるか、全く未知数です。そして困ったことに生態学系の職に就きたいわけではないのです。ただ、今頑張りたいだけ。思う存分研究をやり終えた後(学士か修士か博士かわかりませんが)は企業に勤めてもみたい、などとかなり世間を甘く見た考えすら持っています。以上は自分で決めること、決めるべきこと。ただの悩み相談です。
―「卒論が学生生活の集大成である」と、私が1回生のとき、卒論発表会で、ある教授が仰っていました。進路(就活)は確かに自分の将来/一生を決定付けうるものですから、大事であることは認めます。しかし、それにしても卒論に打ち込めないとはいかなることでしょう。
先生もご存知でしょうが、現在就職活動の開始時期は年々早まっております。しかし卒論を取り組んで初めてその研究の面白さに気付く学生もいるはずです。私は幸か不幸か随分前から自分のやっていることがとても楽しいと感じ始めました。(不幸、とあえて書いたのは進路に悩んでしまったから)卒論のテーマが決定するまでは、研究の助走期間にも満たないかもしれません。そしてテーマが決定し、研究を始めても、最初は暗中模索・手探りの状態で自分が何をやろうとして、何をどうしたいのか判らない状態(今の私;既にわからないことが面白いのですが)。これ以上は私の推測(希望的観測?)ですが、卒論が終わる時期にようやく自分の研究内容を理解し始め、その奥の深さに感嘆するのです。その時になって「私はこれを続けたい」と思ったとしたら、思ったとしても、どうでしょう。現状は既に決定している進路に従うしかありません。そう思うと、就職活動ってなんなんだろうと思わずにいられません。大学生活の愉しみを縮めていることは間違いないと思います。しかし、私が言っていることは半年後ではなく今楽しいことだけをやっている、そんな気もします。所詮、自分の未来も決定できない中途半端な人間に映っても仕方ないのです。
P.S.ちなみに今日稽古を休んだのは同じゼミ生ですが自分の関与していない卒論の調査に同行していたためです。私は依存傾向がありますが、今の依存対象は食べ物(くすっ)とゼミですね。

投稿者 フジタ(仮) : 2004年04月24日 19:06

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