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2005年05月31日

松田優作と『ひよこどん』

加藤典洋さんの『僕が批評家になったわけ』にたいへん興味深い挿話が載っていたのでご紹介したい。
リドリー・スコットの『ブラック・レイン』における松田優作の演技について書かれたものである。

「この映画に出演した日本人の俳優には、監督から、あなた方にはシナリオにある通りの日本語の台詞を話してもらうが、北米で上映される際、それには英語の字幕がつかない、そのつもりで演じてほしい、との要請があったそうだ。考えてみれば、これは十分にありうる。というのも、リドリー・スコットといえば一九七九年の『エイリアン』で名をあげた監督であって、十年後に作られたこの映画も、これと同型の物語だからである。日本の狂犬のようなヤクザがニューヨークで殺人を犯した後、日本に護送される。日本に着いた途端、警官に扮したヤクザに騙され、護送にあたった二人の刑事は犯人に逃げられる(…)ここで舞台となる日本という異境を、エイリアンの国と置き換えてみよう。するとこれは、そのまま『エイリアン』である。
日本人のヤクザが、彼ら同士は意思疎通できるが、われわれにはまったく意味不明の言語を話す。そこで話されることはすべてちんぷんかんぷん。不気味。(…)
この指示は、日本人俳優たちには、禅の公案に等しいものだったようだ。
『このシナリオの日本語の台詞で忠実に演じること』
『しかしその台詞は観客に通じない』
『つまり字幕なし』
『そこのところよろしく』
たとえば内田裕也は、映像を見るかぎりこの公案をまったく理解していない。彼は日本の映画でやくざを演じるのと何一つ変らない仕方で、その映画のなか、日本語をしゃべっている。室田日出男、安岡力也しかり。ただ一人の例外が松田優作(…)
松田優作もまた、同じ脚本を与えられた。ただ彼だけがこの公案に答えた。ここにいわれる『松田の怪演』とは何か。彼の演技はどこでほかの日本人の俳優と違っていたのか。
東洲斎写楽の役者絵は歌舞伎の俳優を過度に紋切り型にデフォルメすることで役者の持ち味を版画に定着してみせた。松田の演技はところどころで写楽の役者絵を思わせる。(…)ほかの俳優がせいぜい、歌舞伎俳優のようにエイリアンとしての日本ヤクザをなぞってみせているとき、彼は、それ自体がなぞりであるところの写楽の役者絵的演技を造型し、いわばなぞりを過度化する形に米人観客にとってのエイリアンたる日本の気狂いヤクザを演じきることで、彼らに彼らの『紋切り型性』を送り返しているのである。」(78−80頁)

加藤さんのこの分析は「定型性」と「批評性」の絡み合いの本質を鋭く抉っている。
定型的なふるまいを微妙に過剰にすることによって、その定型を「ナチュラルなもの」として看過している人々の「紋切り型性」=イデオロギー的な被制性を逆照射してみせること。
これはたいへんリファインされた批評のあり方の一つである。
松田優作という俳優は「演技」をめぐるあらゆる定型的圧力につねに懐疑的なまなざしを向けている人だった。
「それらしい芝居」というのが嫌いで、かといって「自然な演技」(それだとモーガン・フリーマンみたいに、どの映画に出てきても「同じ人」になってしまう)も厭で、結局「それらしすぎる芝居」にまで突き抜けることで、スクリーンやブラウン管と観客との境界線を越えて、いきなり「異物」が突出してくるような存在感をもたらす俳優だった(彼の代表的怪演はこの『ブラックレイン』と『蘇る金狼』だと思う。『金狼』のダメサラリーマン演技は凄い)。
似た感じの演劇性をもった俳優というと、状況劇場にいた大久保鷹くらいしか思いつかない。

加藤さんの字幕の話を読んで、松下藍さんの映画デビュー作『ひよこどんとてれび』のことを思い出した。
松下藍さんは旧友松下正己の愛娘である。
親の因果が子に報いで、ご令嬢もデジタルハリウッド系の映画作家になった。
松下くん平川くん私の『聖風化祭』トリオは全員「一人娘」なのであるが、娘たちは揃って「アート系」の人となってしまったのである。おそらくは、それぞれの父親の生き方に対するラディカルなご批判の表現ではないかと思われるのだが、どのあたりがとりわけ強くご批判を浴びねばならない点なのかは定かにしないのである(定かにされても反省するようなオヤジたちではないが)。
『ひよこどんとてれび』は藍さんのデジハリの卒業制作作品で、先般「娘がこんなん作りました…」と笑顔の(たぶん)松下くんからDVDをお送り頂いたのである。

この短編映画の中で登場人物たちの台詞は「意味不明の外国語」であり、それに日本語字幕がついている。
これはとてもスマートなやり方だな、と思った。
私は総じて外国語字幕付きの映画の方が吹き替えよりも好きである。
その理由がこの映画を観ていてふとわかったような気がした。
それは字幕付きだと、「声を聴く」プロセスと「字を読む」プロセスが「別のもの」だということが意識化されるからである。
映画の中の音声は権利的に「スクリーンの向こう側の世界」に属している。
私たちはそこにはダイレクトにはアクセスすることができない。
字幕は違う。
字幕の文字は、戸田奈津子とかそういうすごくリアルな「業界の人」が、私たちの日常と地続きのところで作りだしている「こちらの世界」の作物である。
つまり、字幕付き画面を見ているとき、私たちは「直接触れることのできない世界」と「直接触れることのできる世界」の「あわい」に立つことになる。
あるいは「あわい」に立っていることを絶えず意識させられる。
この「どっちつかず」の立ち位置に観客を置くことで、あきらかにフィルムメーカーは観客を「操作する」ことが容易になる。
それは片足立ちしている人間なら指一本の力でよろめかせることができるのと似ている。
『ひよこどん』の中で語られている意味不明の外国語(それは機械的に処理されて、さらに「ありえない音声」となっている)は「私たちにはアクセスできない境位に実在する言語」であるかのような仮象を呈する。
それが字幕の効果である。
つまり「字幕」という「こちら側」を際だたせることによって、「画面の中の出来事」という「あちら側」は私たちから遠ざけられる。
遠ざけられることによって、かえってそのラフなアニメ絵の世界が、あたかも日常的な理解力をもっては「不可侵の領域」として、どこか遠い場所に実在するかのように思われてくるのである。
さすがに“映像の催眠術師” (彼の映画を観ているときに睡魔に抗することは誰にもできない) と畏怖された松下くんのご令嬢である。
今後のさらなるご活躍に期待したい。


投稿者 uchida : 11:00 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月30日

コンニャロ光線とのたたかい

朝、学校に行こうと思って道を歩いていると、いきなりガンを飛ばされる。
見知らぬ若い男が私の顔を穴が開くほどじっとみつめている。
なんだよと、こちらも軽くコンニャロ光線(@椎名誠)を送り返す。
部長会に出たら、何人かに「見ましたよ」といわれる。
何かと思ったら今日が朝日新聞の大学欄の掲載日だったのである。
私は爆睡のせいで頭が弱っていたので、新聞を半分まで読んだだけでそのさきを読む気力がでず、出勤してしまった。
おかげで、寝起きに新聞を開いたら自分の顔写真に遭遇して、口からコーヒーを噴き出すというような目に遭わずにすんだ。
私にガン付けした若者はおそらく「あれ、どこかで見た顔…」と思われたのであろうが、それがさっき読んだ新聞の写真の人物とは同定することができなかったので、いつまでもじろじろ眺め続けていたのであろう。
写真を撮られるときには黒縁眼鏡をかけて変装して撮影したので、素顔は容易にアイデンティファイされるはずがないのである(この黒縁眼鏡は厳母に「タツルはそれかけている方が賢そうに見えるから、いつもそれかけてなさい」と命じられた品である。あのー、おかーさん、それって「素顔のタツルはバカっぽい」ということだと思うんですけど・・・)
こういう余計な苦労をさせられるからメディアに写真を出すのはイヤだって言ってるのに。

メールボックスを見ると、いろいろなところから仕事の依頼が来ている。
システマティックにお断りするはずなのであるが、文面を読むとたいてい「先生の本の愛読者です」と書いてある。
私は「批判者」に強く、「愛読者」に弱い。
「読者からの罵倒や中傷」には完璧なガードを誇っているが、「読者からのはげましのおたより」には無防備なところがある。
「忙しいので原稿は書きません」というお断りの手紙を「自称・愛読者」であるところの編集者のみなさんが読まれた場合に、はたしてどういう反応を示されるであろうか。
「けっ、こっちが下手に出て原稿頼んでるのに、『忙しいから書けません』なんて、木で鼻を括ったような返事をよこしくさって…もうウチダの本なんか全部棄てちゃお」というほどに狭量な方はまさかウチダ本の読者の中にはおられないとは思うが、それでもちょっとは心配である。
だから、断りの手紙にはどうしても貴意に添えない切ない事情をていねいに書き記す。それはそれでけっこうな字数を費やしているのである。
というので、今日は600字ほどの原稿依頼だったので、寄稿の可否の問い合わせに原稿をもってご返事する。
これはウチダの得意技の一つである。
ひとつには「はい、書きます」とご返事して、そのまま忘れてしまって締め切り間際になって慌てるというリスクを回避するためであり、ひとつには「いいえ、書けません」という理由を縷々書き記している暇があったら、原稿を書く方が早いからである(原稿料ももらえるし)。

赤澤清和くんの手吹きガラス展が明日から始まる。
5月31日(火)から6月5日(日)まで。午前10時から午後5時まで。
場所は倉敷市中央1−6−8 クラフト&ギャラリー幹(086-422-7406)
事故の前に企画された展覧会なので、案内には「会期中作家在廊」とある。
「存在するとは別の仕方で」という副詞はここに書き加えられるにもっともふさわしい言葉だろう。

赤澤くんの簡単な経歴が記してあったのでご紹介しておきたい。
1973年 岡山市に生まれる
1991年 つくし工芸九州民芸村(福岡)に入社
1993年 石井康治先生に師事
1997年 岡山市高野尻に築炉し、作品制作を始める
1999年 岡山県美術展「奨励賞」受賞
      岡山市オリエント美術館「ガラス工芸-歴史と現在-」に参加「把手付き三連瓶を復元する
      NHK総合テレビ「ガラスの美-古代技法に挑む-」放映
2000年 岡山県美術展「奨励賞」受賞
2001年 岡山県美術展「県展賞」受賞
2004年4月より倉敷芸術科学大学専門学校非常勤講師

牧子さんが在廊しているそうなので、赤澤くんの仕事に関心を抱かれた方はぜひ倉敷まで足を運んでください。

投稿者 uchida : 20:38 | コメント (1) | トラックバック

『エデンの西』

死ぬかとおもったぜの五月最後の週末が終わり、10時過ぎまで爆睡。
このところ朝起きても身体のふしぶしに詰まりや凝りが感じられたが、今日はだいぶゆるんでいる。
それだけ会のメンタルストレスが大きかったということである。
今日からはたまった原稿(あれこれの「まえがき」)を書き始めなければならないし、自己評価委員会の引き継ぎも金曜日にあるので、その資料作成もしなければならない。
その自己評価委員会のなかむら・けん先生からメールで小委員会報告書がとどく。
お手数かけました。
メールの下の方に「小咄」がひとつ書いてあった。
こんな話。

我が家の近く、阪神魚崎駅付近というから、かなりの下町ですが、その駅近くには「エデン」という名の喫茶店があります。
漫画週刊誌とスポーツ新聞が転がる、昼は安い定食となるような、お世辞にもお洒落とはいえないところです。

先日、出かけようとしたとき、珍しくタクシーが通りかかり、小雨模様で、少々急いでもいたので、思わず手を挙げてしまいました。
乗ってみると個人タクシー、運転手は近所でなんとなく見たことのあるおじさん。
「運転手さん、この辺に住んではんのン?」
「ヘェー、阪神魚崎のちょっと西でんねん。」
「西って、坂の途中に古い喫茶店あるやん。近く?・・・」
「ヘェー、『エデンの西』です」

投稿者 uchida : 12:02 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月29日

忙しい五月の最後の週末

とっても疲れる五月の最後の週末が終わる。
28日土曜日は日本武道館で全日本合気道演武大会。
多田塾甲南合気会公式デビューの記念すべき日である。
前夜からの「持ち越し疲労」で朝から眼の下にぐっきり黒い隈をつくってよろよろと新大阪駅へ。
新大阪集合者はウッキー、ドクター、飯田先生、石田“社長”の五名。
7時53分の新幹線で一路東京へ。
合気道のイベントはつねに「現地集合現地解散・あとは自分の才覚でなんとかせよ」という自力更生な方針を貫いているので、いったい誰が何時にどこに来るのか最後までわからない。
いかなる手段を用いても、所定の演武開始時間までに武道館の畳の上にたどりつくこと、ということしか指示していない。
たどりつければオッケー。たどりつけない人にも別にペナルティーがあるわけではない。
人生というのはえてしてそういうものである。
誰もたどりつけないで私ひとりしかいないなら、それはそれで、たまたまその辺を歩いていた気錬会の運の悪い子(ヒロタカくんとか)をつかまえて、「おお、ちょうどよかった、受け、取って」と言うだけのことである。
地下鉄大井町の駅で神戸せいぶ館の中尾館長とばったりお会いする。
中尾さんは90年に私が神戸に赴任してきた最初の年(まだ自分の道場がなかった時期)に、合気会神戸支部精武館道場に「間借り」してお稽古させていただいたときに快くお受け入れくださったありがたい道友である。
精武館道場には女学院の合気道部ができたあとも、部員たちともどもずいぶんとお世話になった。
95年の震災で道場は全壊してしまったが、そのあと中尾さんは道場名を継いだ「せいぶ館」を神戸市内に自力で建てられ、創設された兵庫県の合気道連盟の中心メンバーである。
県連には何度か参加のお誘いを頂いたのであるが、大学のクラブに毛が生えたような小さな組織であるので、参加をご遠慮していたのである。
だが、今般「多田塾甲南合気会」と改称して地域の道場としての方向がはっきりしてきたこともあり、中尾さんとの再会を奇貨として(というか、「ウチダさん、あんた、入らなあかんよ」とヘッドロックされて)、県連にも参加しますとご挨拶する。
全日本合気道演武大会は今年が43回。
私はその15回目(日比谷公会堂から武道館に移った年)から参加しているので、今年が28回目に当たる。
鬼籍に入られた先代の吉祥丸道主や白田師範や山口師範が演武されている頃から一度も欠かさずフルエントリーである。
最初の年はたしか参加者が2000名だったと記憶している。
今年は6800名。
海外85カ国に支部があり、世界150万人の道友がいる。
合気道もその間に大きく成長したのである。
組織がだんだん大きくなって「知らない人」が増えてきたというのではなくて、やたらに「知っている人」の数がふえて、10メートル歩くごとに「や、どうも元気ですかあ」と挨拶したり握手したりハグしたりしなければならないというのが合気道の素晴らしいところである。
武道館前で「現地集合」の部員諸君と合流、小堀さん岡田さん今崎さん坪井さん笹本さん寺田さん小林さんジョバンニさんなどと会うたびに「ややややどもども」とご挨拶。
演武会は「いつものとおり」の全世界の合気道家の「お祭り」である。
この毎年「いつものとおり」という予定調和がほんとうに素晴らしい。
二年生諸君と白川主将(去年は骨折でリタイヤ)は今年が最初の武道館出演である。
高雄くんの友だちのN大の横地早和子さんがどういう魔術をつかってか10000人の観客の中から過たずウチダを発見して、部員一同への「おみやげ」を下さった。
どうして発見できたのか不思議だねとかたわらのウッキーに訊くと、「先生は背中から見ただけでわかりますから」とつまらなそうに答えるので、とりあえずしばき倒す。
「なんで怒るんですか…」と泣くので、そういえば別に悪口を言ったわけでもないのに済まないことをした。
自分たちの演武のあと、その横地さんを相手に演武の「解説」をする。
合気道のよいところは他人の術技を批判しないところです、と説明していると横地さんから「あの…さきほどからずっと他人の術技をめちゃくちゃ批判されているような気がするんですけど…」という痛い視線が突き刺さるので、反省。
多田先生の感動的演武を拝見したのち、恒例の武道館前記念撮影を終えて、どっと九段会館屋上ビアガーデンでの多田塾打ち上げへ。
気錬会の伊藤新主将を囲んで、“至宝”工藤くん、“王子”井上くん、早稲田の“新婚”宮内くん(奥様は私の本の愛読者だそうである。宮内くん、いい奥さんをもらったね)らと歓談。
翌日の五月祭演武会には残念ながら参加できないので、「うちの若いもんがお世話になりやす」と別れを惜しみつつあたふたと「下川社中」ご一同とともに東京駅へ。

日曜日は湊川神社の神能殿にて恒例の下川正謡会大会。
さすがに疲労困憊して朝起きるのがつらい。
私の出番は夕方4時頃なので、午後3時まで寝ていてもよいのであるが、社中のみなさまは早朝から(ドクターなんか朝8時半から)詰めているので、私ひとり寝ているわけにもゆかない。
8時半に起きて稽古。
神楽を舞い納めてから『葵上』の稽古もして、あわてふためいて神戸へ。
開会に20分ほど遅れてしまう。
すでに大西さんとドクターの出番は終わったあと(すまぬ)、飯田先生とウッキーの素謡『小袖曽我』にかろうじて間に合う。
みなさまの初仕舞を拝見してからロビーへ出る。
本願寺のフジモトくん、“元美人聴講生”の江田くん、“街レヴィ”小林さん、”社長”(せっかくの休日なのに・・・)、”IT秘書”イワモト、合気道部「居残り組」の溝口さん、くーさん、嶋津さん、卒業生の角田くん、蔵屋くん、三杉先生はじめ大学のみなさんも大挙してお越し下さっていた。
ひととおりご挨拶したが、なにしろ疲労困憊しているので社交的会話もしんどい。
そろそろと抜け出して神能殿内で寝られるところを探す。
楽屋では人目があって寝られないし、見所では寝心地が悪いし(そういう問題か!)、廊下の奥に人気のないソファを発見して、そこで爆睡。
2時頃にのそのそ起き出して、楽屋でのそのそ着替え。
不眠のオガワくんの『船弁慶』を中入りまで見所で見てから、楽屋でスタンバイ。
予定通り4時25分に舞囃子『巻絹』。
97年から数えて8回目の舞台であるが、これほど体調が悪かったのははじめてである(というのは嘘で、二年前の『養老』のときは足首を捻挫したまま舞囃子を舞ったのであった)。
でも、これほど疲れて舞台に出るのははじめてである。
しかし、ステージを前にしたときのアドレナリン放出というのは恐ろしいもので、切戸口の鏡で顔を見ると、ふつうの顔にもどっている(さっきまで眼の下に隈があったのに)。
おっしゃーと気合いを入れて舞台に出る。
申し合わせでは無人の見所を前にしてあがってしまって、それまでの稽古で一度も間違えたことのないところで拍子を踏み間違えたが、いざ舞台に出ると、わが家の(あまり掃除してない)フローリングよりも舞台の床の方がずっと足の運びが楽だし、囃子や地謡のグルーヴ感も生演奏ゆえに心地よい。
そのまま気合いで押して、一気に舞い終える。
やれやれ。
下川先生に「よかったよ」と肩を叩かれて、ほっとしてばたばたと着替えて、素謡『葵上』。
こちらはワキツレなので、だいぶ気楽である。
謡い終えて、見所に走って下川先生の番外舞囃子『高砂』を堪能する。
お師匠さまはほんとにかっこいい。
ほれぼれと見終えて、最後まで見て下さった見所のみなさま方にご挨拶。
川村さん、平山さん、三杉先生、角田さん(さっきのとは違う人ね)、小鼓の高橋奈王子さん、ゼミ生の佐々木さん田中さんなどなどたくさんの方々から楽屋見舞いを頂く。
朝から最後まで、みなさんどうもありがとうございました。
次回は、ドクターや大西さんの初仕舞も見られますからね。お楽しみに!
正謡会はほんとにストレスフルなイベントであるが、それだけに終わったときの解放感はほかのどのようなイベントとも質が違う。
ほんとうに肩の荷が下りたような安堵がする。
打ち上げビールや紹興酒をがばがば呑んで、大騒ぎして、今年の正謡会も無事終了。
ほんとにほっとする。

投稿者 uchida : 23:55 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月27日

Le mort m'affecte

5月27日(金)
ゼミのあと、会議が三つ。
「眠たい会議」と「疲れる会議」と「悩ましい会議」であった。
この種別は会議のレベルや議題の重要性にはかかわらない。
「当該委員会に議論していることについての最終決定権がない問題」を議論していると、眠くなる。
「すでに機関決定している既決の問題」を執拗に蒸し返されると疲れる。
「どうしたらいいか誰にも正解がわからない問題」を議論していると悩みが深まる。
ときどき、議事の最中に、原案への賛否の論でも動議の提出でもなく、長々と「感想」を語るひとがいる。
あのー、そういうことは自分の家に帰って、日記にでも書いてくれませんか。
(以上、本日の『ダカーポ』日記でした)


加藤典洋さんの『僕が批評家になったわけ』(岩波書店)を読み終わる。
最後の方は「内田樹論」なので、照れくさくて身もだえし床を転げまわって読み終える(騒がしい読者だ)。
書評というのは本一冊についての批評であるから比較的気楽に読めるのであるが、「書き手自身についての評論」ということになると、そのようなふやけた気構えで読めるものではない。
加藤さんはたいへんていねいに(ウチダ自身も知らなかった)ウチダの頭の中身を解明してくださった。
そのような報われること少ないお仕事に貴重なお時間を割いてくださったことに感謝申し上げなければならない。
フッサールについて、ちょっとだけ補足説明したいことがあったので、それをここに書き留めておく。
加藤さんの本を読まれる方は、ついでにこの部分も併せて読んでいただけるとさいわいである。
加藤さんはレヴィナスの「他者」概念とフッサールの「他我」概念がどういうふうに違うのか、仮に違いがあるとしても、そのことがふつうに生きている人間たちにとってそれほど有意な差異なのどうかは内田の説明を読む限りではよくわからない、ということをご指摘されていた。
そのご指摘を奇貨として、ここで「他者」と「他我」の差異について簡単に補足的な解説をしておきたい。
通常私たちは「他者」というものを「遠い人」「隔てられている人」「境界線の向こう側の人」「うまくことばのやりとりができない人」というふうに理解している。
もちろんこの理解でもよいのだけれど、難点がある。
それはこれらの規定はすべてが「空間的表象形式」に依拠していることである。
フッサールの「他我」の説明は「家」や「机」や「さいころ」などのオブジェをもちいた卓抜な比喩で語られるけれど、これらはすべて「ある空間を占めている物体」である。
私が「家の前面」を見ているとき、私はそれを「家の前面」であると確信している。
どうして確信できるかというと、私がとことこ歩いて家の横に回り込むと「家の側面」があり、さらに回りこむと「家の裏面」があり、はしごをかけると「家の屋根」が見え、床下にもぐりこめば「家の底」が見える・・・ということについてゆるがぬ確信をもっているからである。
「そこに行けば、そのようなものが見える」という確信あればこそ、私は「私が今見ているのは『家の前面』である」と判断できる。
この想像的に措定された「そこに行って、家を横やら裏から見ている私ならざる私」、それが「他我」である。
私が世界を前にして「私」として自己措定しうるのは、無数のこの「想像的な私」=他我たちとの共同作業が前提されているからである。
それゆえフッサールは「あらゆる主観性はそのつどつねに共同主観性である」と述べたのである。
さて、フッサールの他我論のかんどころはその次に来る。
この他我たちは現事実的に存在している必要はない。
他我はある種のヴァーチャルな機能にすぎない。
だから、仮に私以外の世界の全員がペストで死に絶えたとしても、「世界は存在する」という私の確信はゆるがない。
そのときに「おいおい、とうとう人類はおいら一人かよ。参ったなあ・・・」と私が独白した場合、そのことばは聞き手がひとりもいない世界で発語されているにもかかわらず、日本語の統辞法に基づき、日本語の音韻を用いて、「聞き手にちゃんと聞き届けられるように」語られる。
それ以外の語り方を私は知らないからである。
つまり、他我は現事実的に存在しなくても他我として機能し続けるのである。
レヴィナスがフッサールの他我論でとりわけ着目したのはこの点である。
レヴィナスが現象学を祖述するに際して、強く強調したのは「そこにもう/まだないもの」もまた志向的対象でありうるという目のくらむような洞見であった。
「そこにもう/まだないもの」によって私は「影響される」(affecter) 。
「そこにもう/まだないもの」が自我の同一性を基礎づけ、「私」の語ることばを調律し、その統辞法や語彙や音韻を定めるということがありうる。
というか、「私」が存在するというのはそもそも「そういうこと」なのである。
「世界で最後の人間」となった私が、それでもなお現事実的には存在しない他我たちとの共同主観性の中でしか生きられないように、「そこにもう/まだないもの」とのかかわりの中においてのみ私は「私」なのである。
そのような「現事実的に存在しないにもかかわらず、存在する私にかかわりくるものもの」をレヴィナスは端的に「他者」と呼んだ。
「すでに/もう」という副詞が示すように、レヴィナスの「他者」は空間的に隔絶された実在者のことではなく、「時間的に隔絶された」という点をきわだった特徴とする。
フッサールは、人間は同時に家の前面と家の側面を認識することができないにもかかわらず、「見えていないもの」を「見えているもの」と同時に認識することなしには「見る」という行為がそもそも成り立たないことを指摘した。
フッサールの志向性は「同時に、違う場所にいる」ものをめざす。
レヴィナスの志向性は強いて言えば「違うときに、同じ場所にいるもの」をめざす。
私が「ここ」に到来するより先に「ここ」にいた人。
私が「ここ」から立ち去ったあとに「ここ」に来る人。
そのような時間的な「タイムラグ」によって構築される共同主観性のパートナーをレヴィナスは「他者」と呼んだのである(たぶん)。
だから、レヴィナスの「他者」を、空間的表象を用いて記述しようとするすべての試みは
原理的に頓挫することになる。
他者は私とは違う時間の流れに属するのであり、「存在するとは別の仕方で」私の思念と感覚に絶えず「触れ」続ける。
それゆえ「他者とは死者である」と書き換えるときに、レヴィナスの他者論はそのなまなましい相貌をあらわにすると私は『他者と死者』に書いたのである。
「簡単に説明」するつもりで長々と書いてしまった。
現象学やら存在論やらに用事はないぞ、という方には面倒な話を聞かせてしまって申し訳ない。
しかし、もしレヴィナスの哲学が「生きる」というのは生物学的に生存しているということとは違うということ、「存在しない」ものは存在者に決定的に関与することを止めないということを強調しているのであるとしたら、これは生と死についての、まことに掬すべき賢者の言であると私は思うのである。
私は今このことばを愛する人を失って深い悲しみのうちにある人に宛てて書いている。
フッサールの他我論やハイデガーの存在論を読んで癒しや慰めを得る人がいるかどうか私は知らない(あまりいないような気がする)。
だが、レヴィナスの他者論から癒しや慰めを得ることのできる人は少なくない。
それはレヴィナスの他者論が本質的な点で「死者論」だからである。
そして、死者が「触れてくる」経験について考えるためになら、私たちは惜しみなく持てる人間的資源を捧げることができるのである。

投稿者 uchida : 23:33 | コメント (3) | トラックバック

死者からの贈り物

5月26日(木)
ゼミは「クローン」についての発表。
人間の「死」というのはどこで計量されるのか?
生物学的に死んでも、遺された人々の「心の中に生き続ける」人がいる。
一方に、生物学的には生きているけれど、その人の不在が誰にも「欠落」として感知されることのない人がいる。
はたして「生きている」のはどちらなのだろう?
その不在が痛切に感じられる死者は人間的な意味ではおそらく「生きている」のと変らない。
レヴィナスが「存在するのとは別の仕方で」という副詞で言おうとしたのは、そのような事況ではあるまいか。
「生命の重さ」を計量する度量衡がもしあるとしたら、それはどれだけ多くの人にとって、どれだけ痛切にその人の不在が「欠落」として感知されるか、その欲望を基準にしてしか量る手だてはない。
私はそう思う。

午後は合気道の授業と稽古。
「関係の絶対性」(懐かしい吉本隆明のワーディングだ)は武道におけるきわめて汎用性の高い知見である。
「関係」とは「相対性」のことである。
「相対性の絶対性」
なるほど。ほんとにそうだよな。
そんなこと急に言われてもみなさんは困るでしょうけど。
「ほんとにそうだよな」としか言いようがないのである。

武道とは「生き残るための技法」である。
でも「生きる」ということの語義を私たちはほんとうに理解しているのだろうか。

武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。常住死身となりて居る時は、武道に自由を得、一生越度なく、家職を仕果たすべきなり。(『葉隠』)
「死身となりて居る」人間だけが「業務上の失敗がなく、与えられた責務を全うすること」ができる。
山本常朝はそう言っている。
「業務上」や「責務上」でかかわりをもつ人間たちに「越度なく、家職を仕果たす」というしかたでささやかな「贈り物」をするためには、「死身となりて居る」覚悟がいる。
それは逆から言えば、「死身」となった人間もまた私たちの世界に「贈り物」をすることができるということである。
死を鴻毛よりも軽んずることができるというのは、生きているときと同じような「贈り物」を死者もまた贈りうるという確信がなければありえないことである。
なんだか『ダカーポ』日記的じゃないことを書いてしまった。

投稿者 uchida : 00:24 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月25日

赤澤くんの葬儀にゆく

5月25日(水)ガラス工芸家の赤澤清和くんの葬儀のために岡山へ。数百人の知友が集まった。みんなから愛されていた青年だったのである。喪主の牧子さんは私の教え子である。憔悴した彼女にかけることばもない。霊柩車の後を数十人の友人のライダーたちが轟音を挙げて追走していった。往復の新幹線の中で加藤典洋さんから送ってもらった『僕が批評家になったわけ』(岩波書店)を読む。「なぜ内田樹はずっと売れなかったのか」について私も知らない深い理由が解明してあったのでびっくり。そ、そうだったのか・・・帰宅後すぐ能のお稽古へ。今日は装束・面をつけてお稽古する。重い、暑い、暗い。よろよろ帰宅するが、今日が『文學界』の締め切り。天は私に休息を与えてくれる気がないらしい。(今日の『ダカーポ』日記)

初夏の日差しが照りつける赤澤清和くんの葬儀には彼のバイク仲間たちがバイクを連ねて参列していた。
受け付けの仕事も、葬儀場のキャパを超えるほどの弔問客たちの整列も、葬儀にいかにも「似つかわしくない」革ジャンにジーンズのライダーたちが仕切っていた。
かたどおりの読経のあと、焼香のあいだ斎場に流れていたのはキャロルや長淵剛やチェッカーズの曲だった。
赤澤君は深夜にバイクで走行中に、道路工事で片側通行止めになっているところで転倒した。
転倒しただけなら擦過傷か骨折くらいで済む。
彼の場合は不幸にもその先でアスファルトを切断する歯車が回転しており、大量の失血で、救急車で病院に運ばれたときにはもう心停止していた。
それでも一週間意識不明のまま生き続け、22日に亡くなった。
斎場を離れる霊柩車を数十台のバイクが激しいエキゾーストノイズを悲鳴のようにあげながらついていった。
どれも定型的な葬儀にはどう考えてもふさわしいたたずまいではなかったけれど、赤澤くんという人の個性を深く愛していた友人たちのまっすぐな弔意がこめられていたように私には思えた。
四年前に一度だけ(赤澤くんはその前にも一度、神戸女学院に牧子さんといっしょに結婚のご挨拶に来てくれたことがあったあったでしょと「不眠」のオガワくんに教えてもらった。そういえばそうだった。赤い野球帽をかぶってたな)会った赤澤くんは陽気で気づかいのゆきとどいた「悪童」だった。
彼の手ほどきで熱く溶けたガラスで二つグラスを作った。
「教え方」のすごくうまい人だった。
自分のスキルと美意識と、その汎用性について、深い確信をもっている青年に会うというのは希有のことだ。
私の本を読んでいてくれて、「先生のことをいつも気にかけていたので、送りにきてください」と電話口で泣きながら牧子さんが言った。
牧子さんは私のゼミ生の中で、私が「読書」で負けた唯一の学生である。
破格な読書家であった牧子さんは、最初のフランス語学研修のとき滞仏中に読む本がなくなって、私のところに「何か本はありませんか」と本を借りに来た。
読み終えたばかりの『ニューロマンサー』を貸してあげたら、翌日返してくれた。
「つまらなかったの?」と訊いたら、きょとんとしている。
300頁くらいの本を一夜で読んでしまったのである。
「一晩で読んだの?」とびっくりして訊いたら、その質問にびっくりしていた。
彼女の読書ペースとは「そういうもの」だったらしい。
「不眠日記」の小川さんやベルギーのカナ姫たちとブザンソンで二週間過ごしたあと、いっしょにイタリア旅行をした。
ベネチアの海岸で『ベニスに死す』の場面を真似て、いつまでも笑い続けていたことを今でも思い出す。
大学院に進んで文学研究者になるのかと思っていたら、卒業と同時に高校のクラスメートだった赤澤くんと結婚して(これも事実誤認で「中学のクラスメート」だったそうである。謹んで訂正いたします)、すぐに母親になってしまった。
あれほど怜悧な女性が22歳で主婦になりたくなるような気にさせる若者というのはどんな人なんだろうとずっと興味があった。
会ってみて「なるほど」と思った。
これなら結婚しちゃうよな。
告別式の挨拶をした山口松太さんが、赤澤君を「ジェームス・ディーンみたいな人」だったと形容していた。
「神々の愛でにし人は夭逝す」
もう一度、赤澤清和くんの魂の天上での平安を祈りたい。
遺された牧子さんと、ふたりのお嬢さんにも神の豊かな慰めと癒しがありますように。

加藤典洋さんから送られてきた『僕が批評家になったわけ』は岩波書店から出る「ことばのために」というシリーズの一冊である。
他の執筆者は荒川洋治、関川夏央、高橋源一郎、平田オリザ。
加藤さんの本は「批評とは何か」という根源的な問題を扱っている(すごく面白い。とくにいきなり柄谷行人が「なんぼのもんじゃい」という話から入るところがスリリング)。
その中で私のことも論じられている。
それは私が「売れなかった」ということの理由についての考察である。
「どき」っとしたので、その部分を再録してみる。
「内田は、現在五十代半ばだが、ほんの四年前まではフランス現代哲学の担い手の一人であるエマニュエル・レヴィナスの翻訳によって関心のある人々に、僅かに知られる-知る人ぞ知る、というでもない-書き手だった。」
「知る人ぞ知る、というでもない」というところが「ぐさっ」と来ますね。
で、その先は
「なぜ突然こういう書き手が現れたのか。いや、こう問うのは愚かしい。こういいかえないとけない。なぜ、これだけの力量をもつ書き手が、五十歳にいたるまで翻訳書のほかには数冊の共著を出すだけの仕事しか行わない、寡黙で怠惰な(?)書き手だったのかと。」
力量云々はともかく、なぜこれほど寡黙で怠惰な書き手だったのか(これは事実である)について、加藤さんはたいへんに深い考察をしている。
読んで私も驚いた。
そうだったのか。
そうだったのかもしれない(と私も読んで納得してしまった。加藤さんが分析してくれた「その理由」を知りたい人は本を買ってね)。
でも、一番大きな「怠惰」の理由は「子育てに忙しかった」からじゃないかと思うんですけど、加藤さん…
というわけだから、当然このあとは「その内田が2005年を境にまたぴたりと執筆を止めて、寡黙で怠惰な書き手にもどった」ことも批評史的には問題にされなければならないはずであるが(別にならないけど)、理由は「教務部長の仕事が忙しかったから」なんですね、これが。
「子育て」や「学務多繁」で平気で「批評」を止めちゃうような人間なんです、ウチダは。
そして、もし私の言説に多少なりとも批評性があるとしたら、それは「学務多繁を理由に平気でメディアへの執筆をやめちゃうような人間である」という「態度の悪さ」によって担保されているような気がするのであります。
加藤さんは現にその少し前で戦時中の言論人のふるまいを論じて、こう書いておられる。
「多くの言論人が(…)書くことから離れられずにずるずると自分の考えを拡散させていったことを考えると、時には、書かないこと、書く代りに生計を立てる道として、ほかの手段を選ぶこと、煙草屋になること、商売人になること、サラリーマンになることが、このような日本の伝統のもとでは、批評的な行為となりうることがわかる。」
さすが、加藤典洋。
ものごとの本質をよく見ておられる。
私は前に「プロの物書き」と自称する方からの批判に答えて「私は『プロの物書き』ではない」と申し上げたことがある。
私は「アマチュアの物書き」である。
批評性というのは「批評」が知的商品として市場価値を持つ場所においてしか成り立たないものではないと私は思う。
そのような場の成り立ちかたそのものを問う批評性を確保しようとするなら、人は批評以外の「たずきの道」を確保しておかなくてはならない。
私はそれはそれで、ある種の人間にとってはけっこう大切なことではないかと思う。
私は「アマチュアの物書き」であり、「アマチュアの学者」であり、「アマチュアの武道家」であり「アマチュアのビジネスマン」である。
どの領域でも「プロ」というほどにコミットしていないので、あちこちのエリアで小銭を稼ぐというかたちでリスクヘッジしている。
もちろん、そういうスタイルに汎通性があるとは思っていない。
だから、「みなさんもそうしなさい」というようなことは申し上げない。
でも、私自身は「そういうスタイル」じゃないと落ち着かないのである。
それはいわば私の「せこさ」である。
そして、この「せこい」状態に安心しているとき、私の毒舌はたいへんなめらかに機能するのである。

投稿者 uchida : 20:02 | コメント (1) | トラックバック

2005年05月24日

ラテスカービベ一袋ちょうだい

5月24日(火)朝一で湊川神社で『巻絹』の申し合わせ。拍子を一箇所間違える。「あ、いけね、あとで先生に叱られる」と思った瞬間に道順を忘れる。舞台の上では次の動作以外のことを考えてはいけない。外へ出ると境内に「ムーゲゴンビ」とか「きやぼつ」とか「めあごんり」という看板がはためている。「ラテスカービベ」の前で一瞬眩暈がする。そういえば、神鍋高原の「とち餅」の布看板は風が吹いて裏表が逆転すると「うさ餅」と読める。どうして「餅」だけはそのまま読めるのか、不思議だ。
以上、本日の『ダカーポ』日記でした。

投稿者 uchida : 12:58 | コメント (2) | トラックバック

2005年05月23日

悲しいしらせ

5月23日(月) 昼から部長会。主な報告事項は節電問題(使わない教室の電気は消しましょう)。議事はなし。オフの日に「こんな話」を聞くために大学まで呼びつけられたのかと思ったら目の前が一瞬暗くなる。会議のあと教務部長室でふてくされて「正しい大学の倒産の仕方」を読んでいたら、ミネソタに日本語を教えに行くおいちゃんが遊びに来たので、隣のオフィスで働いているふりをしているウッキーも呼んでエスプレッソをご馳走する。それから杖道の稽古。
なんだか素っ気ない日記だが、『ダカーポ』という雑誌に今日から一週間の日記を19字×117行書くことになったので、その原稿である。
こんなのを七回書いただけで原稿料をもらったら天罰が下るような気がする。

宮崎哲弥さま(だんだん敬称の次数が上がる)の書評のおかげで大手の書店から『インターネット持仏堂』の注文が殺到して、『2』が四刷りになりますと“魔性の女”フジモトくんから(あまりこんなことばかり書いてると、フジモトくんのご両親から「嫁入り前の娘なんですから!やめてください」と抗議がくるかもしれない)弾んだ声で電話が入る。
でもトータル5000部だそうである。
あのさ、本願寺信徒1500万人じゃなかったの。
信徒全員がお買いになって、1500万部売れるとマイケル・ジャクソンの『スリラー』の全世界セールスとタメですね。わははベンツをダースで買いますか、と釈先生とほほえみ交わした日が遠い夢のようだ。

昨日の日本記号学会のお相手の室井“二代目大熊猫”尚先生から丁重なるご挨拶メールが来る。
世の中には「悪童系」というカテゴリーに属する学者がおられる。
その知性の最良の資源の一部を惜しみなく「人をからかうこと」に投資するタイプの人々である。
森毅先生とか養老孟司先生とかはおそらくそのタイプの先達である。
室井先生もなんとなく「ご同類」のような気がしたので、「先生の企画する面白そうなプロジェクトがあったらお声をかけてください」とお願いしておく。
私はほかにたいした取り柄はないが、「人を怒らせる」ことに関しては人後に落ちない。
室井先生であればきっとこの「使途不明」の才能の功利的活用の道をお考えくださるような気がする。

『文學界』のヤマシタくんから明日が締め切りですというメールが来る。
一日延ばしてくださいと返信する。
書くことはたくさんあるのだが、書いている時間がないのである。
「節電」会議なんかあるから。
角川のE澤さんから春日先生との対談本の「まえがき」はまだですかと督促が来る。
まだです。
書くことは(以下同文)
晶文社の安藤さんから甲野先生との対談本のゲラは見てくれましたかと控えめな督促が来る。
静かにスルーする。
そういえば、4月末にはゲラを返しますと言ったきり、鎌倉方面からはゲラが戻ってこない。
今の私に「ゲラまだ見てないんですか」と人を責める倫理的資格があるようには思われないので、わが身の「みそぎ」を済ませて斎戒沐浴ののちにご連絡をするのである。
ご連絡をお待ち下さい。タカハシさん!

というところまで書いたら、ゼミの卒業生の赤澤(旧姓尾川)牧子さんから電話がある。
ご主人のガラス工芸家の赤澤清和くんが昨日亡くなったというご連絡である。
一週間前にバイクで転倒して重傷を負い、そのまま意識が回復しないまま亡くなったそうである。
三年ほど前の夏にベルギーのカナ姫といっしょに岡山の赤澤くんのガラス工房を訪れたことがある。
そのときに彼の手ほどきを受けて歪んだワイングラスを二つ作った。
一つは父の遺影の前に置いて「香炉」代わりに今も使っている。
もう一つの少しできのいい方は「ぐい飲み」にした。
赤澤くんはワイルドで悪童系の好青年だった。
白いタンクトップで上腕を剥き出しにしてバイクでかっとんでゆく彼の姿を見て、「小さい子どももいるんだから、そろそろバイクを降りる年頃じゃないか」とそのときにちょっと思った。
二日前の朝方にその新緑につつまれたガラス工房と彼の屈託のない笑顔をなぜか夢に見た。
夢の中で彼はまたバイクに乗って去っていった。
「バイクは危ないよ」と浅い夢のなかでつぶやいた。
朝起きてからベランダで洗濯物を干しているときに、これは近いうちに牧子さんと会うことになる予兆かもしれないなと思った。
赤澤清和くんに手伝ってもらって作った「ぐい飲み」でいま冷たい白ワインを飲んでいる。
彼の魂の天上での平安を祈ります。
遺された家族たち、牧子さんと二人のお嬢さんの上に神の癒しと慰めがありますように。

投稿者 uchida : 23:06 | コメント (0) | トラックバック

日本記号学会にて

日本記号学会にお招き頂いたのは今回が二度目である。
10年ほど前に同志社での学会シンポジウムで武道論を一席ぶったことがある。
そのときに私の出るひとつ前のシンポジウムの司会をつとめていた茶髪ロン毛の眼鏡のお兄ちゃんのあまりの仕切りのみごとさに見惚れて、シンポジウムのあとに駆け寄って、その方が何のご専門であるかも知らぬままに、「来年からうちの非常勤に来てください」と名刺を差し出したことがある。
それが「あの」小林昌廣先生である。
日本記号学会にゆくと「面白い人」に会えるという確信がそのときから私に刷り込まれたのである。
というわけで、今般「《大学》はどこへ行くのか?」というたいへんハードコアなタイトルの学会の「大学の未来 新たな改革モデルを求めて」と題するシンポジウムにお招き頂いたときも「はいはい」と二つ返事でお引き受けしたのである。
ご一緒する方々のどなたも個人的には存じ上げないままに、「きっとエキサイティングなみなさんに違いない」と気楽に構えてのこのこ高田馬場なる東京富士大学へ参上した。
出番より早めに到着したので、司会の吉岡洋先生にご挨拶したあと、前の回のシンポジウムを拝聴する。
日本記号学会会長といえば泣く子も黙る山口“大熊猫”昌男先生であるが、その跡目を継いだ室井尚先生もさすがに山口先生が跡目に指名しただけのことはある「この世にこわいものはないけんね」的ダイハードな大学人である。
前のシンポジウムではその室井先生が大迫力で座を圧しておられた。
室井先生とフロアとのやりとりがあまりに面白くてげらげら大声で笑いすぎて周囲の学会員のみなさまから「誰だ、こいつは?」的視線を浴びて身をすくめつつ、次なるシンポジウムのために登壇。
パネリストはその室井先生と慶應義塾大学SFCの金子郁容先生、司会は吉岡洋先生。
前のシンポジウムで法人化以後の国立大学の「惨状」について、ずいぶんなお話を伺った後だったので、話を振られたところでとりあえず、「神戸女学院大学は『地上の楽園』です」というお話をする。
ウチダのような人文系ファンタジストが大学管理職の席にあり、自己評価活動の責任者であり、教員評価システムの提唱者であり、大学でもっとも「文科省ならびに大学基準協会寄りの人間」とみなされている神戸女学院大学はおそらく日本でも希有なる「牧歌的」な大学の一つであると申し上げてよろしいかと思う。
なにしろ、どう考えても、本学にはウチダより「体制的な」教員がいないからである。
大学審議会の答申を読んでは「なるほど」とうなずき、大学基準協会の報告書を読んでは「そうだよねー。たいへんだよねー」と涙ぐむ人間はとりあえず教職員の中には多くない(もしかすると、学長と学長室長と私だけかもしれない)。
「もっとも体制順応的」な教員がウチダであるような大学とは、どのような大学なのであろう?
私にもうまく想像がつかない。
うまく想像がつかないが、私が18歳の子どもだったら(ああ、想像するだに怖気をふるうが)、「ウチダが《もっとも体制的》な教員とみなされているような大学なら行ってもいいかな」と思うであろう。
うん、私なら思うな。絶対(そんな学生ばかり集めてどうするのかという問題はさておき)。
学長から本学の「リベラルアーツ教育」の特徴を端的にひとことで言い表すようなコピーを、という募集があった。
私もいろいろ考えた。
「時代錯誤のリベラルアーツ」「時代と添わないリベラルアーツ」「森の奥なるリベラルアーツ」「夜霧の彼方のリベラルアーツ」「浮いてて悪いかリベラルアーツ」「秘密の花園リベラルアーツ」・・・
おそらく学長の御意にかなうものは一つとしてないであろうが、私にはこのコピーのひとつひとつが深い実感を伴っているのである。
本学の最大の魅力は、開学以来一度としてその時代のドミナントなイデオロギーと親和したことがないという、その「場違い」性にある。
私はそう思っている。
130年前、太平洋を渡ってきて、江戸時代と地続きの神戸の街に「自主自立する女性」を育てるための私塾を開設したの二人のアメリカ人女性宣教師はあきらかに明治初年の日本において「場違い」な存在であった。
その起源から「あれ・・・お呼びでない?」的な立ち位置こそが神戸女学院の「本来の」エコロジカルニッチなのであると私は思う。
そして、そのようなポジションにあるときにこそ、本学はその「本来のポテンシャル」をぐいぐいと発揮するのである。
さらに敷衍して、高等教育の本義とは、その時代のドミナントな価値観に対して、そのつど「場違い」であるところにこそ存するのではないかとさえ思っているのである。
だとするならば、その全史においてつねに「場違い」であった神戸女学院とは、その語の正統的な意味において「もっとも高等教育にふさわしい学府」であるとは言えまいか。
金子先生と私の議論が対立したのは、高等教育とは「謎と欲望」の力学を軸に構築されており、それは「数値化」にもっともなじまないものであるという事実についての「評価」の違いであった(と思う)。
数値化とはその時代を支配する度量衡の普遍性に対する信頼を前提する。
「謎」とは、その時代を支配するすべての知的フレームワークの「外部」にあり、そのフレームワークの「解体と再構築」を誘う魅惑的な刺戟のことである。
もちろん「パラダイム・シフト」などということばが登録済みの術語である現代では、「『既存のフレームワークの解体と再構築』のもたらす経済効果は『既存のフレームワーク』換算でいかほどになりますか?」という無邪気なほどにポストモダンな問いを簡単には回避することができない(うう、めんどくさいぜ)。
私と金子先生の齟齬は「あなたがその有効性を信じている価値の度量衡は使い物になりません」という宣告を「その度量衡以外にいかなる度量衡も持たない子ども」に「うん、そうだね」と言わせることが可能かどうか、可能であるとすればどのような手法がもっとも効率的か、という点にあったように思う(主題的には議論されなかったが、それが核心的な論点だったように私は思う)。
金子先生は「説得できるようなデータ」の(あるいは「データの有用性についての信憑の政治的効果」の)重要性を主張されていたかに思うが、私は「うっせーな、いいから黙ってオレの言うことを聞いてりゃいいんだよ」というたいへん乱暴な古典的ソリューションしか思いつかなかったのである(頭悪い)。
とはいえ、この差異は子どもたちのコミュニケーション感受性に対する「期待度」の違いに収斂するのであり、ここまでくるともう学的厳密性よりも、彼らの発信するノイジーなシグナルのどこまで私たちは感知できているかというきわめてデリケートな個人的経験のレベルまで食い込んでくるので、なかなか一般論にはならない。
私が「うっせーな」的抑圧的教授法の有用性について確信していられるのは合気道を教えるという特殊な経験の裏付けによるのであって、これを一般化することは許されないのである。

シンポジウムには久しぶりの増田聡くんが登場。
フロアから質問なんかするので、びっくりする(おどかさないでよ)。
学会のみなさまにご無礼を詫びつつ増田くんと連れ立って東京駅へ。
そこで増田くんのご令室と合流してプチ宴会。
増田夫妻とご一緒するのは「グリルみやこ」以来1年半ぶりである。
増田くんは私がその将来を熱く嘱望するところの音楽学者であることはとくからみなさまご承知のことと思うが、本日も酒杯を重ねつつ増田くんの怜悧に改めて感動。
どうして、こんなに頭がいいんだろう。
私は若い世代に何の気後れもない頑迷固陋爺いであるのだが、この増田くんと飯田祐子先生とワルモノ先生のお三方だけは語るたびに襟を正さずにはおれないレアなる例外である。
未来は彼らのものである。
てことは未来はフェミニストとマルクス主義(左派&右派)のものということなのである。
あらま。

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2005年05月22日

忙しい週末

ブランドのことを書いたら、数学者の娘であるところの“ほんとはいいやつ”ミヤタケ(それにしてもこの先輩後輩は「まくらことば」が一緒だなあ)から訂正のメールが届いた。
世界人口2%の日本に全世界のヴィトンのバッグの50%があるということは、残る98%の地域に散在する同数のバッグと出会う49倍の確率で本邦ではヴィトンとの遭遇がなされるのではないかというたいへんに論理的なご指摘である。
私がどうして25倍と書いたかというと、世界にヴィトンのバッグうが均質にばらけている状態(ありえない状態だが)を想定したからである。
その場合、日本における「ヴィトン配給」は人口比どおりの2%だが、実際には50%がここに集中している。
だから「あえりえない標準状態の25倍」という数値をはじきだしたのである。
私が「数学が受験科目に含まれる試験を二度通過した」ことを「奇蹟」であると以前記したことがあるが、読者諸氏は「まことに奇蹟であるなあ」との感を深くされたであろう。
「配給」とか「米穀手帖」というようなトラウマ的体験が私の計算方法にもたらした無意識的影響も排除できないが。

朝日新聞の書評欄に『インターネット持仏堂』の書評がでるというご通知を“魔性の女”フジモトくんから頂いたので、出先の神田学士会館で朝ご飯をたべたあとロビーで朝日新聞を拡げる。
おお、またまた宮崎哲弥さんではないか。
『諸君!』で絶賛しただけでは足らず、朝日新聞書評欄でも絶賛だ(この両誌で同時に評価される書籍というのも、けっこう珍しいのではないか?)。
朝日の書評委員会には高橋源一郎さん、鷲田清一先生、小池昌代さんらがおられるので、その中のどなたかであろうと思っていたので、宮崎さんとは意外。
というのも、『ため倫』で私は宮崎さんの本を論評して「あまりおもしろくない」と書いたことがあるからである。
そのころは、私のHPのアクセス数は一日150くらいだったので、誰が読んでいるかほとんど固有名までわかっていた。
だから、身内相手に居酒屋のカウンターで話すような口調でもう言いたい放題有名人の悪口を書いていたのである。
この「ここだけの話」的悪口雑言をそのまま『ため倫』に転載してしまったのであるが、それは「書かれた当人は決してこんな本は読むまい」と気楽に構えていたからである。
天網恢々疎にして漏らさず。
高橋哲哉も上野千鶴子も宮崎哲弥も、みんな私のレビューを読んで「むかっ」と来ていたのである。
ご本人がたが私の本など買って読むはずもないから、誰かたまたま読んだやつが「ご注進、ご注進。このウチダってどサンピンが先生の悪口書いてまっせ。まったく身の程知らずのふてえ野郎だ。どうです、いちど行儀っつうものを教えてやっちゃあ」というような愉快な展開を期待されたのであろう。
よけいなことをする人間がいるものである。
おかげで私はただでさえ狭い世間をさらに狭くして、ドブ板の上をはいずるように生きなくてはならなくなった。
ま、こんなところで5年も前の筆の滑りのいまさら言い訳しても始まらない。
とにかくウチダの「居酒屋カウンター的酔漢書評」に報ずるに、宮崎哲弥さんがきわめてジェントルかつ行き届いた書評を以てしたことを見れば、人間の「格」の違いというものがおのずと知れるということを申し上げたかったのである。
こんなことなら先日新幹線でお会いしたときに名刺を渡して前非を悔いておけばよかった。

昨日から東京に来ている。
学士会館泊まり。
朝一で『AERA』のI川記者が遊びに来る(取材なのかもしれないけれど、なんとなく「遊びに来た」という感じ)。
お題は「40代の過ごし方」。
でも、一般的な「40代」などというものは存在しない。
私の40代と、当今の40代では、年齢はいっしょだが、状況的与件が違う。
ぜんぜん違う。
だから、「おいらは40代のとき、こう過ごしたよ」というような手柄話は何の役にも立たない。
ということで、現在40代のみなさま(1956年から65年の間に生まれたみなさま)はどのような歴史的文脈の中に生まれ育たれ、どのような状況に投じられており、どのような問題に直面されているのか、ということをお話しする。
この世代の特徴は「デタッチメント」志向である。
めんどうな浮き世のしがらみや親族の葛藤や師弟だの親の血を引く兄弟よりもの義兄弟だのストリート・ファイトで苦楽をともにした同志だのいうややこしい人間関係を「好まれない」という点を世代的な徴候としている。
彼らがそのようなものを「好まれない」のは先行世代(私たちのことだ)がそういう「ややこしい人間関係」が大好きな「コミットメント世代」だったからである。
そんなことはあるまい、君たちだって親族や地域社会のつながりを断ち切ることにはずいぶん熱心だったのではないかね、というご批判の声もあるだろう。
おっしゃる通りである。
だが、それは「親族や地域社会や国民国家」のようなべたべたしたものを「超克」することが優先的な世代的課題として「過剰に意識されていた」からなのである。
「コミットメント」というのは「のめりこむ」ということであって「のめりこみ」には、「好きで好きでたまらないから」という場合と、「あまりに気に障るので絶えず問題にする」という場合がある。
40代のみなさんは、そのような「コミットメント」世代に「うんざり」するというかたちで人格形成を遂げられた。
そういうものである。
あらゆる世代は先行世代の「前者の轍を踏まない」というかたちで走路を選択する。
そのせいで、いまの40代のみなさんは、「ややこしい人間関係に過剰にコミットしない」ということを世代的党是とされて今日の日をお迎えになったのである。
それは言い換えると「オレのことはほうっておいてほしい」「好きにやらせてくれ」「所属組織に対するなまじな忠誠心のようなものを期待しないでくれ」「私生活に干渉しないでくれ」「他人がどうなろうと、オレの知ったことではない」的なクールでニヒルな方々がこの世代には相対的に多いということを意味している。
別にそれはそれでよろしいのだが、彼らはやはり日本が国民国家として安定期にはいった時代にお育ちになったので、「かなり効果的法治されている」ことや「通貨が安定していること」や「言論の自由が保障されていること」などを「自明の与件」とされていて、それを「ありがたい」(文字通りに「存在する可能性が低い」)と思う習慣がない。
そのような与件そのものを維持するためには「水面下の、無償のサービス」(村上春樹さんのいうところの「雪かき仕事」)がなくてはすまされない、ということについてあまりご配慮いただけない。
だから、この世代の特徴は、社会問題を論じるときに「悪いのは誰だ?」という他責的構文で語ることをつねとされていて、「この社会問題に関して、私が引き受けるべき責任は何であろう?」というふうに自省されることが少ないということである。
もちろん、このような自責的反省をする方はどの世代においても決して多くはないので、40代だけを責めるのは不公平であるが、それでも世代的に突出しているという印象は否めない。
これはちょうどいま学齢期の子どもの親御さんたちの世代なのであるが、この方々が「学校に怒鳴り込んでくる」比率は先行世代の比ではないということを各級の学校の先生からお聞きしている。
子どもが階段ですべってころんだというときに、「足下の危ないところでは慎重に行動するように」と子どもに説き聞かせるよりさきに、学校に「どうしてすべる可能性のある階段を放置したのか」と管理責任を問うようなことをされるのである。
「危険な場所では慎重に行動しなさい」というのは汎用性の高い教えであるが、「何かあったら管理責任者に文句をつけろ」というのはそれほどには汎用性のない教えである。
アマゾン川下りの最中に船底の穴から水が漏れてボートが沈没して、ピラニアにばりばり囓られているときに「貸しボート屋の管理責任を断固追求するぞ!弁護士を呼べ!」と言っても、あまり事態は好転しない。
それよりは事前にボートの船底に穴がないかどうかていねいにチェックする習慣を身につけている人の方が生き延びるチャンスは高い。
他責的なトラブル・シューティング方法に熟達するよりは、トラブルを事前に回避する心身の能力の開発に優先的に教育投資を行う方が合理的であると私は考えるが、そう考える人は、この世代には比較的少ないようである。
というような話をする(してないけど)。

東京に来ているのは日本記号学会というところで大学についてのシンポジウムが開かれて、そこでパネリストとしてなにごとか申し上げるためである。
大学における真の教育資源は「隠されたカリキュラム」であるという話にしようかなと考えているが、まあ出たとこ勝負である。


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2005年05月21日

「ムラ」的経営者の末路

開校してわずか二年目の法科大学院の志願者が前年比4割減、定員割れとなった大学院も74校中45校(昨年は14校)となった。
私立は49校中の36校(73%)が定員割れ。
多少とでも思考力がある人間であれば、法科大学院の早期の破綻は高い確率で予測されていたことである。
去年の秋に私はこの日記にこう書いた。
「朝刊を開いたら、『法科大学院志願が激減』という見出しが一面トップだった。
あら、やっぱり。
全国で68もの法科大学院はどう考えても法曹市場の需要に対応していない。
遠からずその過半は市場から撤退することを余儀なくされることは自明であると私は考えていた。
しかし、『遠からずその過半が市場から撤退することを余儀なくされること』が自明であるにもかかわらず、日本中の法学部をもつ大学のほとんどがかなりの設備投資をし、法律専門家のリクルートに巨額の人件費投資を行った。
理不尽なようだが、主観的な理由づけはたいへん簡単である。
『ほかがやっているのに、うちだけやらないわけにはゆかない』からである。
このわが国固有の『村的』メンタリティを日本の法律関係者もまた豊かに共有されていたということである。(中略)
法曹にはさまざまな知的資質が期待されているが、そのうちの一つは『社会の変化の趨勢を見通す力』である。
めまぐるしく変化する社会情勢に適切に法条文を解釈適用するためには、歴史的趨勢を見通す能力は不可欠である。
この程度に自明な未来予測に失敗したという事実からして、日本の法科大学院設立者たちに、はたして法曹を育成するだけの知的資質が十分に備わっていたのかどうか、私はいささか危ぶむのである。」
ことは法科大学院に限らない。
他の教育研究領域でも、「ほかがやっているうちから…」というだけの理由で「流行」をフォローすることを「時代のトレンドにキャッチアップする賢明な戦略」だと思っている大学人は少なくない。
個人的にそのような試みをされることは教員自身の自由に属し、余人が容喙すべきことではない。
彼の教育プログラムの失敗は「すべりましたね」という笑いをもって受け容れられるであろう。
だが、組織的に「ほかがやってるから…」戦術に取り組み、巨額の設備投資や新規人事を起こした場合はそれほど牧歌的にはゆかない。
こういう場合には、「うまくゆかないみたいだから、やめましょう」ということができないからである。
「やめる」場合は誰かがその責任をとらなければならないが、「続ける」限り誰も責任を取らなくていい。
そういうものなのである。
そもそも「ほかがやってるから」的な「ムラ」的メンタリティで動き出した「ヴィラジョワな」人々であるからして、「私が責任をとって腹を切る」というようなことを言い出す人間はいない。
不良債権と同じである。
銀行の不良債権がどうしてあそこまで悪化したのか、その心理的な仕組みはわりと簡単である。
一度始めた融資の効果がはかばかしくないときに、それを中止して資金を引き揚げるためには、最初の決定が「間違っていたこと」を認めなければならない。
しかし、多くの銀行家はそれを拒んだ。
彼らは次のようなロジックに頼った。
融資の決定そのものは正しかった。だが、「予測不能の」ファクターが「正しい決定」の「それにふさわしいアウトカム」の到来を妨害した。
悪いのは「私」ではなく、「外部」から到来した「ファクター」の方なのである。
だが、この責任転嫁によってことが解決するわけではない。
むしろ事態はさらに悪化する。
というのは、「予測不能のファクター」の関与によって融資が失敗したという事実は、別の「予測不能のファクター」の関与によって融資が実を結ぶという未来予測をすることを妨げないからである。
「まさか…」と思っているうちに「外的要因」によって地価が暴落し、バブルが崩壊したということは、「まさか…」と思っているうちに「外的要因」によって(例えば、日本の平地面積の半分が水面上昇で水没して)地価が高騰し、(例えば、富士山樹海から石油が噴出して)バブルが甦る可能性を排除しない。
だから、融資を「やめる」には個人の決断と責任が必要だが、融資を「続ける」ことは何の決断も誰の責任も要請しないのである。
日本の銀行の「ほとんど」はそうやって回収の見込みのない企業にドブに金を棄てるように延々と追い貸しを続け、次々と破綻していった。
問題は銀行家の融資先の事業内容を吟味する査定能力にあったのではない。
おのれの経営判断の間違いを、市場に指摘されるより先に気づき、いちはやく「撤収」を宣言する先見性こそが経営者の最大の能力であるとみなす習慣が日本にないことにあったのである。
「私が間違っていました」という宣言を彼の「愚鈍さ」の表明ではなく、むしろ「知性」のあかしであるとみなす習慣が日本にないことにあったのである。
誰よりも先に、そのようなしかたで「知性」を示すことのできる人間こそがすぐれた経営者である、私はそう思う。
だから、今回定員割れを起こした「ロースクール」の経営責任者たちのうちに、その語の厳密な意味での「経営能力」のある人間はひとりもいなかったようである。
これが「ビジネススクール」でなくてほんとうによかったと…冷や汗をぬぐっている大学人もたくさんおられるだろう。
よかったですね。


投稿者 uchida : 10:04 | コメント (1) | トラックバック

忙中閑あり

たいへんハードな一日。
朝一で、大学のメールマガジンのための取材を受ける。
大学案内の取り寄せや受験についての問い合わせをしてきた高校生にMMを配信して、大学を知ってもらおうという入試センターの企画である。
志願者増に資することなら、どのような仕事も厭わぬウチダであるので、喜んで取材をお受けする。
取材に来られたライターの方は私がどんなことをしている人間かぜんぜん知らない人だったので、「ご専門は何ですか?」という開口一番の質問からいきなり窮地に追い込まれる。
専門って…何だろう?
いちばん最近出した本は「親子論」であり、その前は「浄土真宗の入門書」であり、その前は「学校教育論」であり、その前はジジェクのラカン=ヒッチコックの翻訳で、その前はブランショ論で、その前は「死とコミュニケーションの本」で、その前は「レヴィナスとラカン」、その前は…もう記憶の彼方である。
去年の後期はアメリカ論とユダヤ文化論を教え、今年の前期は中国論と合気道とフランス語を教えている。後期は杖道と宗教論を教える。
いったい何が専門なのであろう。
このあと音楽学部で声楽家と声の話をし、医学部で死者とのコミュニケーションの話をし、日本記号学会で大学教育の話をし、日本体育学会で武道の話をする。
「フランス文学者です」という名乗りに納得する方はあまりおられないであろう。
それでも必死になって「これらすべての学術的活動は帰する所ひとつなのであります」と力説する。
愉快そうに笑って聞いてくださったから、たぶん「帰する所」の目当てがついたのであろう。
どんな記事になるか楽しみである。

基礎ゼミは「ヨーロッパ・ブランド論」。
ブランド論といっても、古典的なボードリヤールの象徴価値論を知っている学生はもうこのあたりにはいない。
というわけで面倒でもいちおうそこから説き起こす。
ブランドとは(使用価値でも交換価値でもなく)、それを持つことが所有者の社会的位階の指標となるような記号的示差性(象徴価値)を主たる価値とする商品のことである。
このボードリヤールのブランド論が80年代からの「定説」である。
だが、私はこの「定説」はフランスや欧米の国々には妥当するけれど、日本にはそれほどうまく適用できないだろうと考えている。
その理由を述べる。
フランスはブルデューの言うとおり「階層社会」である。
階層差は明示的にはおもに文化資本の差によって示される。
文化資本については前に長々書いたので繰り返さないが、要するに「お育ち」がともなうもろもろの資質(「なんでも鑑賞眼」とか「審美的趣味」とか「ワインのよしあし判定能力」とかだらけていても則をはずさないテーブルマナーとか品のいい酔っぱらい方とか…)のことである。
これを後天的な学習によって体得することはむずかしい。
知識やスキルの「コンテンツ」は努力すれば容易に学習できるのであるが、知識やスキルを表現する「マナー」は学習することが困難だからである(それゆえ、『マイ・フェア・レディ』が「おとぎ話」になりえたのである)。
ブランドの適切な選択と装着をなしうる能力はヨーロッパにおいてはきわだって有徴的な文化資本の一つである。
それゆえそれは階層差を表示する記号として機能しうる。
それに違反すること(下層階層の人間が背伸びしてブランド品を身につけること)は彼の地では学歴詐称に類する「ルール違反」とみなされる。
しかし、本邦においてブランド品にそのような強い差別化機能はない。
ブランド品を所持する日本人の主たる目的は「所属階層」や「文化資本」というようなハードな「属性」を示すことではなく、「流行感度」のようなソフトであいまいな「個性」を示すことにある。
わが国では、ロレックスをはめていても、エルメスのバッグをもっていても、アルマーニのスーツを着ていても、それは「一時的に可処分所得が潤沢なので、『おしゃれ』に気を使う程度の余裕がある」という以上の社会的記号としては機能しない。
出身階層の別やそれ以外の(芸術的感性とか文学的素養とかの)文化資本の多寡をブランド所有が示すことはない。
ぜんぜん、ない。
むしろ、上記三ブランドを揃えてにぎにぎしく着用している人間などは「お育ちの悪い」集団にカウントされるリスクを負っている。
だから、「ブランド」という語の語源的意味に即していえば、日本では「ブランド品」はほとんど「ブランド」として機能していないのである。
ルイ・ヴィトンのバッグの50%は日本市場で買われている。
日本は世界人口の2%である。
つまり(意味のない平均だが)日本では、世界のそれ以外の地域で「ルイ・ヴィトン所持者」に出合う25倍の確率でヴィトン所持者に行き会うことになる。
それだけ考えても、ボードリヤールの分析が日本には適用するのがむずかしいことは知れるであろう。
私は文化資本の差が記号的につよく意識される社会よりも、ジャージ着て健康サンダルをはいたおばさんがヴィトンのバッグをもってローソンに「おでん」を買いに行くことが許される社会の方が個人的には「好き」である。
ちなみに私は本日アルマーニを着用している。
だが、これは「ジャージ=おでん」ヴィトンとだいたい同じような社会的意味しか持っておらず、それを私の所属階層の高さや文化資本の潤沢さの記号として解釈するような学生諸君はどこにもおられない。
日本はそういう点では「ほんとに気楽でいい国」であると私は思う。

午後は1時から7時まで会議。
学長が午後3時まで不在であったため、二つの会議で学長代理で議長をつとめる。
人間科学部のN田先生の「研究科委員会17分」という前人未踏の記録を更新しようと必死になったが、残念ながら惜しいところで(誰のせい、とはいわぬが)記録更新はならず。それでも学務委員会と教授会の間に70分の「休憩時間」が取れたことは我輩の欣快とするところである。
人生は会議のために費やすにはあまりに短い。


投稿者 uchida : 00:02 | コメント (1) | トラックバック

2005年05月19日

ウチダ、狂躁する。

つねづね申し上げていることであるが、私はプロスポーツというものにあまり(ほとんど)関心のない人間である。
そんなスポーツ・ディスオリエンテッドな私の唯一の例外はラグビーである。
ラグビーだけはとっても好きなのである。
毎年冬の日曜の午後になると、こたつに入ってミカンの皮を剥きながらNHKのラグビー中継をほっこりと眺めるのが私の30年来の趣味であった。
ラグビーのいいところは、私のまわりに誰も話し相手がいないので(唯一の例外は山本画伯の個展のあとにお会いする楠山夫妻と尾中選手だけで、それも年に一度のことである)誰ともラグビーの話をしないですむ、という点がたいへんにすがすがしい。
早稲田の藤原優選手と明治の松尾雄治選手が国立で早明戦を闘い、同志社の平尾誠二選手がすこーんと「うまれてはじめての」ドロップゴールを蹴りこんだころからの長い長いラグビー観戦人生ではあるが、そのことについては誰とも語り合ったことがない。私は静かなるラグビー・ウォッチャーとして早稲田と神鋼に個人的に深い愛情を寄せてきた。
20年ほど前、私が早稲田の社研の(ユダヤ研究の)研究員にして頂いたときに、いちばんうれしかったのは、「これで早稲田ラグビーを応援できる大義名分ができた」ということであった。
だって、「身内」なんだもん。
芦屋に引っ越してきたときも、これで晴れて「ロコ」として神鋼ファンであることを公言できることが(公言しなかったけど)たいへんうれしかった。
しかし、そのようなひとりきりの内向きのラグビー人生にもいつかは終わりが来るものである。
神鋼の俊足ウィングの「あの」平尾剛史選手が『ため倫』以後のウチダ本の愛読者であることが熱烈ラグビーファンである『ミーツ』の青山副編集長の「告げ口」によって私の知るところとなり、「リーダー・フレンドリー」を口実に私はどきどきしながら平尾選手にご挨拶メールを出したのである(もちろん平尾選手は丁重なご返事を下さった)。
そして、ついに青山さん仕切りによって、ダンジリアス江編集長、哲学するソムリエ橘さんとともに、「あの」神鋼の増保輝則監督(早稲田・神鋼そしてジャパンの輝ける11番)と平尾選手を元町「愛園」にお迎えすることになったのである。
ウチダの感激がいかばかりのものであったかは贅言を要すまい。
考えてみたら、私自身が「ファン」であったところの天上的にセレブな方々(甲野善紀先生、田口ランディさん、高橋源一郎さん、加藤典洋さん、養老孟司先生、橋本治さん、鷲田清一先生、K−1の武藏選手)にぱたぱたとお会いできるようなはずみがついたのはすべてこの4年ほどのことであり、もとをただせば『ため倫』のようなトンデモ本をなけなしの(余計なお世話だが)私費を投じて出版してくれた冬弓舎の内浦亨くんと内浦くんをわがHPに導いてくれた元ロック少年増田聡くんのおかげなのである。
まことに思えばありがたい限りであって、京都ならびに市川方面には終生足を向けて寝ることはできないのである(というわけでつねに足は西向きです、ベッドの)。
ともあれ、そのような宿縁のお導きによって、30年来ひっそりラグビーファンにとって「神」のようなお二方とおめもじすることができたのである。
おいおい、増保と平尾だぜ。
「大畑くん、最近調子はどうですか?」
なんてことを監督とチームメイトに聴けちゃうんだよ。
「今泉君は、最近どうしてますか?」なんて。
この感動をどのようにことばにしたらよろしいのであろう。

神鋼ラグビーのみなさんと 神鋼ラグビーのみなさんと

言い古された形容ではあるが、彼らはまことにまことに最高な「ナイスガイ」であった。
あれほどナイスな男たちを私は絶えて見たことがない。
江編集長から同夜のことについては長屋でわりかしクールにご報告頂いているけれど、私は(私にはほとんどありえないことなのであるが)あまりに「あがって」しまって、何を話したのか、何を話して頂いたのかさえ記憶がおぼろなのである。
愛園のあと、元ワールドの金村泰憲選手のやっているバーThe Third Row に河岸を変えたころには私は完全に「はじけて」しまって、武道の身体技法をラグビーにどのように応用しうるのかというような思い出すだに恥ずかしい穴があったら入りたい的妄言を(世界の増保と世界の平尾を相手に)説教してしまったのである。
そればかりか図に乗って、うちの四回のゼミ生と神鋼スティーラーズ若手諸君との「合コン」の約束までとりつけてしまった。
私のその狂躁的状態をおふたりのラガーメンは静かで優しく知的な微笑をもって温かく受け容れて下さったのである。
なんて、いい人たちなんだ!
コベルコ・スティーラーズよ永遠なれ。
ウチダは生涯をかけてスティーラーズを応援し続けます、はい。
青山さん、ありがとね。このご恩は一生忘れません。

投稿者 uchida : 21:17 | コメント (1) | トラックバック

資本主義の黄昏

NEETについてのゼミ発表のあとにレポートを書いてもらった。
15名のゼミ生のほとんど全員が実にきっぱりと「仕事というのは賃金を得るためのものではなく、仕事を通じて他者からの社会的承認を得るためのものである」という見解を述べていたので、びっくり。
一昔前なら、「できるだけ楽をして高い給料をもらいたい」とか「サービス残業とかバカみたい」とか「過労死するサラリーマンなんか信じられない」というクールな回答がマジョリティを占めたであろうが、いまどきの女学院生たちはバイト先の「店長」や「正社員の同僚」たちがどれほどよく働いているのか、身近によくご存じであり、その姿に素直な「敬意」を抱いておられるのである。
よいことである。
仕事というのは「額に汗して」するものであり、先般も申し上げたように本質的に「オーバーアチーブメント」なのである。
このことは繰り返し学生諸君にお伝えしなければならない。
賃金と労働が「均衡する」ということは原理的にありえない。
人間はつねに「賃金に対して過剰な労働」をする。
というよりむしろ「ほうっておくと賃金以上に働いてしまう傾向」というのが「人間性」を定義する条件の一つなのである。
動物の世界に「とりあえず必要」とされる以上の財貨やサービスの創出に「義務感」や「達成感」を感じる種は存在しない(たぶん)。
「糸の出がいいから」という理由で自分用以外の巣を張る蜘蛛や、「歯の切れがいい」からという理由で隣の一家のためにダムを作ってあげるビーバーを私たちは想像することができない。
そのような「過剰な労働」は動物の本能にはビルトインされていない。
人間は「とりあえず必要」である以上のものを作り出すことによって他の霊長類と分岐した。
どうして「とりあえず必要」である以上のものを作る気になったのか。
たぶん「とりあえず必要」じゃないものは「誰かにあげる」以外に使い道がないからである。
人類の始祖たちは作りすぎたものを「誰か」にあげてみた。
そしたら「気分がよかった」のである。
あるいは、「気分がよい」ので、とりあえず必要な以上にものを作ってみたのかもしれない。
順序は不明。
卵が先か鶏が先か、制度の起源はつねに闇の中に消えていて、私たちはそれを知ることができない。
レヴィ=ストロースは社会制度の起源について、次のような印象的なことばを記している。
「私たちは信仰や慣習の原初の起源については何ひとつ知らないし、これから先も何ひとつ知ることができないだろう。信仰や慣習の根源は遠い過去のうちに沈んでいるからである。しかし、現在についてなら確かなことがひとつある。それは社会的行動とは個人が自発的に演じうるものではない、ということである。」(クロード・レヴィ=ストロース、『今日のトーテミスム』 Claude Le´vi-Strauss, Le tote´misme aujourd’hui, PUF, 1962, p.105)
労働もまたそのような「個人が自発的に演じうるものではない」ところの社会的行動のひとつである。
だから、「仕事をする」というのもまた、「神に祈る」とか「言語を語る」とか「ひとを愛する」と同じように、「するか、しないか」を自己決定することも、「どうして」そのことをしなければならないのかの理由を合理的なことばで説明することも、私たちにはできない種類の営みなのである。
NEETの問題は、「いいから、とりあえず人間は働いてみるもんだよ。給料はたいしたことないけどね」というおそらく数万年前から人間が(とくにその理由を問うこともなく)慣習的に言い交わしてきたことばを、私たちの時代が「言い渋っている」ことに起因する。
私はそう考えている。
「勉強も仕事も、なんか、やる気がしない」というのは、言い換えると、「『やる』ことの『意味』が私にはよくわからない」ということである。
彼にとって、問題は「意味」なのである。
「意味がわからないことは、やらない」
「自分の能力適性にふさわしい職種と待遇としかるべき敬意が保証されないなら、働きたくない」
これが私たちの時代の「合理的に思考する人」の「病」のかたちである。
NEETというのは、多くの人が考えているのとは逆に、「合理的に思考する人たち」なのである。
彼らの世界は「意味のあること」に満たされていなければならず、彼らが他者ととりむすぶ関係は「等価交換」に限られている。
適正な支出に対する適正な(あるいは支出を超える)リターン。
それ以外の取引形態を彼らは望まないし、そのような取引をする人間の「動機」を想像することができない。
「今は特に学びたいことも、やりたい仕事もない。
家にいれば、とりあえず雨露はしのげて、ご飯は食べられる。
親が生きている限りは、この状態がキープできる見通しである。
親が死んだら、そのときに状況を勘案しつつ、オプティマルな対応策を立案すればよい。」
きわめて合理的である。
ほとんど「ビジネスライク」と言ってもいい。
彼らの盲点は、「学び」というのは「自分が何を学ぼうとしているのかが、よくわからない(だからわかりたい)」という「非-知」に動機づけられるものであること、「仕事」というのが「とりあえず何か余計なものを作りだして、他人に贈る」という「非等価交換」であるということに気づいていないという点である。
いや、気づいていないのではなく、あえて見落としているのである。
なぜなら、彼らの「合理的思考」は、彼らを扶養している親たちの「非合理的な」子どもへの「愛」や「有責感」に依拠しているという事実は「勘定に入れない」でいるからである。
自分は「他者からの贈与」に依拠して生きているが、自分が「他者への贈与」の主体になること(それが「労働」ということの本質である)を拒否する。
「やらずぶったくり」
これは短期的な取引に限って言えば「合理的」な経済行為である。
最低コストの「商品」をできる限り高い価格で売るというのが賢い商取引なら、「ないもの」を商品として差し出し、できるかぎり大きな対価を引き出すというのが最も賢い商取引であることになる。
おおかたの人は誤解しているが、NEETは資本主義社会から「脱落」している人々ではない。
資本主義社会を「追い越して」しまった人々なのである。
あらゆる人間関係を商取引の語法で理解し、「金で買えないものはない」という原理主義思考を幼児期から叩き込まれた人々のうちでさらに「私には別に欲しいものがない」というたいへん正直な人たちが資本主義の名において、論理の経済に従って「何かを金で買うための迂回としての学びと労働」を拒絶するに至ったのである。
だから、NEETの諸君にどれほど資本主義的な経済合理性を論拠に学習することや労働することの肝要であることを説いても、得るところはないだろう。
「勉強しろよ」
「何のために?」
「…就職するために」
「何のために?」
「…稼ぐために」
「何のために?」
「…金があれば、楽ができるじゃないか」
「好きな時間に起きて、好きな時間に飯食って、好きなだけ好きなことができるのを『楽』というのなら、オレはもう楽だよ」
「…」
NEETにむかって学びと労働の必要性を功利的な語法で説くのはだからまるで無意味なことなのである。
それとは違うことばで学びと労働の人間的意味を語ること。
それが喫緊の教育的課題なのであるが、そのような「新しくて、古いことば」の必要性を痛感している教育者は、現代の学校教育の場においてはほとんど発言の機会を与えられていない。
声が大きいのは、「この資格を取れば、就職に有利だ」とか「このスキルがあれば、競争に勝てる」というようなせこいことを言う人間ばかりである。
NEETを生み出しているのは、このような功利的教育観そのものなのである。

投稿者 uchida : 09:39 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月18日

業務連絡

本願寺出版社のフジモトくんからメールが来て、「アラーキーのサイン会のご案内」をHP上でしてほしいという。
フジモトくんには『インターネット持仏堂』以来たいへんお世話になっているので、紙面を借りてご恩返しをするのである。
本願寺とアラーキーというミスマッチ(だよね)のせいで、サイン会の入りを企画者のフジモトくんは心配されているようである。
京都在住のアラーキーファンのみなさまと「魔性の女(ほんとはいいやつ)」フジモトマミを見たいというかたは土曜日に西本願寺にお運びくださってフジモトくんを安堵させてやってください。

荒木経惟『飛雲閣ものがたり』発刊記念サイン会   【西本願寺境内地】
秘宝アラーキー、国宝を撮る!
『飛雲閣ものがたり』                  一般書店発売予定日6月10日
ISBN4-89416-521-X C0072  B5変型判 100頁 オールカラー 本体2,800+税
撮影:荒木経惟   解説〈英訳付〉:伊藤俊治(美術史家・東京芸術大学教授)

世界的写真家「天才アラーキー」こと荒木経惟が、1年以上にわたって国宝・飛雲閣を撮影した古今無双の写真集『飛雲閣ものがたり』発刊を記念して、降誕会(ごうたんえ)(5/20・21)に限り、特別セットを先行販売いたします。そして、21日には本人によるサイン会を開催します。
■日時 5月21日(土) 13:00〜14:30
■100名様限定
■会場 西本願寺境内地(京都市下京区堀川通花屋町下ル)
■お申込み
□下記の場所と時間帯にて『飛雲閣ものがたりセット※』(特別定価:税込3,000円)をお買いあげくださった方で、ご希望の先着合計100名様に整理券を配布いたします。
※『飛雲閣ものがたり』(本願寺出版社、税込2,940円)+『飛雲閣ものがたり』オリジナル一筆箋(税込300円)のお得なセット(3,240円相当)です。【限定数400】
□ 販売場所   ①本願寺ブックセンター ②飛雲閣前特設会場
□ 販売時間〈両日とも先着50名〉
   5月20日(金)12:00〜16:00  5月21日(土)9:00〜
□定員になり次第、整理券の発行を終了させていただきます。ご了承下さい。
□イベントの日時・時間については急な変更等ある場合がございます。本願寺出版社にお問い合わせください。
■お問合せ 本願寺出版社 075-371-4171(月〜金/9:00〜17:00)

投稿者 uchida : 10:11 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月17日

安倍晋三に5000点

なぜかゼミでアジアの話が続いている。
基礎ゼミで「在日中国人の帰化」について、最近日本に帰化したばかりの在日三世のKさんが発表してくれた。
そのあと、専攻ゼミでは「韓国の離婚事情」と「日本のアジア外交」について、大学院では「中国とアメリカの世界戦略」についての発表があった。
大学院は中国論だから当たり前だが、学部のゼミ生は別に私が論点を誘導したわけではない(だいたい学生たちは私が他の学年で開講しているゼミのシラバスなんか読まない)。
それなのに、ゼミ生たちはちゃんと私にとって喫緊の関心のエリア内の論件をピンポイントで選んでくる。
NEET問題、少子化問題、母子問題…というふうにゼミ生たちが選んでくる主題はつねに彼女たちの直観的なアンテナがとらえた社会の構造的変化にかかわっている。
その彼女たち(世界史や国際関係論についての基礎知識が「あっと驚く」くらいに欠如している彼女たち)が中国韓国と日本の「外交」関係を論じ、その結論がつねに「日中韓の友好的パートナーシップの確立によるアジア秩序の再編」に落ち着く、というところに私は「時代の流れ」を感じる。
こういうのはやはり「地殻変動の予兆」と考えてよろしいであろう。
諸君にその覚悟があるなら、私も語らせていただくよ。
中国問題については最近うるさいウチダである。
アジア秩序再編の「キュー」は北朝鮮の「クラッシュ」である。
これは間違いない。
遅くとも10年以内、早ければ2,3年以内に北朝鮮の統治体制は何らかの劇的変動を経験する。
私はそう予測する。
中国あるいはロシアはすでに金正日およびその眷属たちの身の安全と財産の確保を確約した「亡命プラン」のシミュレーションをしているはずである(私が中国外務省の小役人であれば、頭のよさそうな部下に「上司から急に諮問されて答えられないとやだから、ま、とりあえずシミュレーションだけはしといてね」と業務命令することを決して忘れないであろう)。
どういう原因によるかは予測できないけれど、とにかく指導部が一夜にして忽然と消えるというような信じられないかたちで北朝鮮はクラッシュする。
そのうち。
この地政学的空白状態は隣国である韓国、中国、ロシアそして日本にとって放置することのできないものである。
予測される最悪の事態(内乱や暴動や軍の暴走や飢餓や大量の難民の発生)をコントロールするためには隣国が共同的なガバナンスを立ち上げることが必須である。
とりあえず諸国間のあれこれの問題は暫時「棚上げ」してでも、最優先の課題である「南北朝鮮統一のソフトランディング」のために、すべての隣国は外交実務レベルで緊密な協力関係を立ち上げる。
それぞれの国益がそれを要請するからである。
しかし、統一南北朝鮮の社会的インフラの整備と規格化には、おそらく5年ないし10年の時間がかかるであろう。
その間、中国(C)と日本(J)と統一朝鮮(K)は緊密なパートナーシップを維持し続けなければならない。
この「緊急避難的co-governance」にかかわった各国数千人、数万人のプラグマティックなセンスをもつ実務者間の「クールでリアルな」信頼のネットワークが次世代のChina-Japan-Korea「ブロック」(ラリー・トーブさんがConfucio と名づけたやがて来る「アジア・ブロック」)の基盤となる。
私はそのように予測している。
問題はロシアとアメリカがこのコ・ガバナンスにどうコミットしてくるか、である。
アメリカの伝統的なアングロサクソン的アジア戦略の基本は「分断統治」である。
これは150年前のイギリス帝国時代から変っていない。
アジア諸国が相互に不信感を抱いて対立しており、かつ戦争という破局にまでは至らないという「恒常的な潜在的敵対状態」がアメリカにとっては自国の極東における政治的・軍事的プレザンスを最大化するためのベストの地政学的付置である。
中国と日本と統一朝鮮が安全保障まで視野に含めた友好関係になるといちばん困るのはアメリカだからである。
だって、そうなったら、もう「アメリカは極東に要らない」からである。
アメリカはもうエイジアン・イシューについての「キーパーソン」ではなくなる。
当然アメリカ国務省の官僚たちはこの程度のシミュレーションはとっくにしているはずである(私が国務省の小役人なら…以下同文)
その「小役人」は、どうやって朝鮮半島のカタストロフを回避しつつ、なお「アジア・ブロック」の成立を阻止する方法を探るであろう。
答えは簡単。
「日本をダミーにして、コ・ガバナンスを実質的にコントロールし、コ・ガバナンスが〈ブロック〉化することをなんとか阻止する」である。
というのは、CJKが友好的なブロックを形成したら、まっさきにCがJKに要請するのは「在留米軍基地の撤収」に決まっているからである。
JKが口を揃えて、アメリカに向かって「どうも長々お世話になりました。あとはうちらでなんとかしますから、もう出ていってくださって結構です」と言うというのはアメリカ国務省が想像しうる最悪のシナリオである。
その瞬間に1854年のペリー来航以来のアメリカのアジア戦略が水泡に帰すからである。
そうなっては太平洋戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争で非業の死を遂げたアメリカの若者たちにどう申し開きができようか。
北朝鮮にはできたら「クラッシュせずに、ずっとこの不安定な政情のまま」でいてほしい。
それがアメリカの「本音」である。
私が国務省の小役人なら、毎日神にそう祈るであろう。
万一北朝鮮がクラッシュしてしまったら、次は日本政府が対応に手間取ってのたのたしてさっぱり実効的な半島への援助ができずにいるうちに、中国韓国から「日本はああだからもうあてにするのはやめようぜ」と言われて「はみご」になり、「ブロック」構想ははかなく潰える…というのがセカンド・ベストである。
だから、「ポスト小泉」には、朝鮮半島の危機に対してもまったく非協力的な態度を貫くに違いないアジア外交に対するセンスのない政治家が最も望ましい。
というわけで、私がアメリカ国務省の小役人なら、「安倍晋三」に有り金を賭ける。
さいわい『文春』を読むと、日本の「各界の著名人」たちはこぞって安倍晋三を「次の総理に」と期待しているようなので、アメリカの極東におけるプレザンスは朝鮮半島がどうなっても、とりあえずは安泰なのである。
私が国務省の小役人ならそうレポートをまとめるであろう(上司もきっとにっこり笑って、勤務考課では高いポイントを頂けるに違いない)。
しかし、たいていの場合地政学的な地殻変動は「小役人」のレポート通りにはゆかないものである。
私はむしろ女学院の学生たちが特段の国際関係論的知識もないままに「ブロックの成立によるアジア秩序の再編成」の流れを「直感」していることの方を重く見る。
時代の「見えない地下水流」を感知するのは、いつでも若者たちだからである。

あ、それから「クラッシュ」以後のロシアの出方は「予測不能」である。
となると、来年の大学院は「ロシア論」か・・・

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2005年05月16日

空文の効用

「憲法論議」について二度書いたせいで、あちこちから憲法についてのコメントを求められる。
「憲法本」を作りたいので、平川君やぼくの「護憲論」も掲載したいという打診があった。
「護憲論」を元気よく語る人間というのがあまりいないらしい。
たしかに、いまさらながらの「左翼的護憲論」を掲げても、ほとんど説得力がないだろう。
それは私にもよくわかる。
伝統的な護憲論がぱっとしないのは、そこに戦略的な視点が欠けているからである。
憲法そのものはただの「文章」にすぎない。
それに国内政治、国際政治の戦略上実効的などのような「実質」を与えて「運用」するか、ということが憲法についてのプラクティカルな議論の中心的な論点となるべきだろう。
それについてまた少し書き足しておきたいことがある。
「平和憲法は世界に誇る日本の宝だ」という主張に対して、そんなものは「どこにでもある」という議論をする人がいる。
ご指摘のとおり、戦争放棄を定めた憲法を持つ国は世界にいくつもある。
日本国憲法に先立って、一七九一年のフランス憲法、一八九一年のブラジル憲法、一九一一年のポルトガル憲法、一九一七年のウルグアイ憲法が戦争放棄を掲げており、現在、何らかの平和条項を含む憲法を持つ国は百二十四カ国に達する。
壮観である。
しかし、不思議なのは、このような網羅的な憲法研究の結論が、「だから日本国憲法第九条は空文だ」というものに落ち着くことである。
世界中に平和憲法がこれだけあるのに、世界からは戦争がなくならない。
だから、平和憲法は空文である。
ここまでは推論として間違っていない。
しかし、「だから、平和憲法を戦争ができるように改訂すべきである」というのは推論として間違っている。
それは「空文」の「程度」(つまり、「どの程度無効なのか」)についての吟味の努力がここには欠落しているからである。
世界中に刑法がある国は数百ある。
しかし、それらの国では刑法の存在にもかかわらず、どこでも刑法に違反する犯罪が日常的に行われている。
なるほど、刑法は空文である。
しかし、だからといって、「刑法を廃止せよ」と主張する人はどの国にもおられない。
それは、「刑法が存在しない社会における犯罪発生件数」は「刑法が存在する社会における犯罪発生件数」よりも少ないということの論拠が提示されていないからである。
なによりも人々は刑法制定の意味は「100%の効果があること」ではなく、「1%でも犯罪発生件数を減らすこと」だからであるということを熟知しているからである。
ある法律が「空文である」という事実は、それが「存在すべきでない」という結論に論理的にはつながらない。
刑法の場合と同じく、これだけ多くの国が平和条項をかかげている「にもかかわらず」戦争がなくならないと嘆くよりも、これだけ多くの国が平和条項をかかげている「からこそ」世界における戦争発生数は「今程度」に収まっていると考える方が、前向きのもののように思われる。
第二次世界大戦以後もっとも多くの戦争を戦い、最も多くの外国人を殺しているのはアメリカ合衆国であるが、そのアメリカ合衆国憲法は平和条項を含まない。
もし、アメリカ合衆国憲法が「アメリカ合衆国国民は、正義と秩序を基調とする世界平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という条項を含んでいるというのであれば、私も諸賢の驥尾に付して「平和条項は空文であり、そのような欺瞞的な憲法と現実の乖離に引き裂かれたアメリカ国民においては『誠実』や『正直』といった道徳的価値は存立しえぬであろう」という判断に与することにやぶさかではない。
しかし、さいわいなことにアメリカ合衆国は独立宣言において、「長期にわたる抑圧と権利侵害によって人々を絶対的な独裁制の下におこうとする意図が明らかな場合は、そのような政府を廃棄して将来の安全のための新しい保護機関を樹立することは国民の権利であり、義務である」と堂々と謳っている。
この場合の「政府」には(その後のアメリカ合衆国の世界戦略を拝見する限りでは)、アメリカ以外の国の政府も含まれているようであるから、かの国の方々はおそらくは特段の自己欺瞞を感じることなく戦争をする権利を留保しておられると私は推察している。
憲法に含まれる平和条項が「空文」であるということを論証するために、戦争ばかりしている国の憲法に含まれる平和条項を傍証に引くとしたら、それは論理的なことである。
しかし、憲法に含まれる平和条項が「空文」であるということを論証するために、憲法制定以来一度も戦争をしたことのない国の憲法の平和条項を引くのはあまり論理的ではない。
というかぜんぜん論理的ではない。
憲法の平和条項の政治的意味は、「戦争を全廃すること」ではなく「戦争をできるだけ減らすこと」である。
私はそう考えている。おおかたの日本国民も私と同じように考えているであろう。
そうであれば、いま世界から戦争がなくなっていないことよりも、日本がとりあえず過去60年間戦争をしないできたことの方を平和条項の「政治的効用」として評価することの方がずっと常識的ではないかと考えるのである。
ご案内のとおり、1927年の不戦条約は第二次世界大戦の勃発を防ぐことができなかった。
しかし、そのあと日本国憲法はその「空文」を宣告された不戦条約の条項を再び掲げることによってとりあえず戦後60年間戦争をしないできた。
1868年の明治維新以来、敗戦の1945年まで、日本はほとんどのインターバルなしに外国に出兵してきた。1874年の台湾出兵、75年の江華島事件、94年の日清戦争、1900年の義和団事件、04年の日露戦争、14年の山東出兵、18年のシベリア出兵、31年の満州事変、37年の日中戦争、41年からの太平洋戦争。
これだけのべつ戦争をしてきた国が60年間ぱたりと戦争を止めてきている。
その間に日本は未曾有の経済成長を享受して、世界有数の経済大国になった。
その事実に日本国憲法の平和条項が「まったく関与しておらず、ただ有害無益な空文として日本の国益を損ない続けた」という仮説を論証するには、相応の論拠が必要だろう。
だが、私はそのようなものを提示した改憲論者に会ったことがない。
たしかに、さまざまな国際政治上の外因が関与して、「日本は戦争ができない」「日本には戦争をさせない」という「不自由」を「強いられた」というのは事実であろう。
そのような被制的な立ち位置が不愉快であるという気分を私は理解できる。
しかし、繰り返し言うように、その解釈から改憲の正当性を導出するためには、どの段階で憲法を改定して、軍事的フリーハンドを確保したら、我が国はそこからどのような利益を引き出し、どのような利益を損失せずに済んだのか、それを示す必要があるだろう。
その方の「オレは不愉快だ」という気分の問題と日本の戦後60年の平和をトレードオフすることがクレバーな取り引きだとする考えに私は与しない。
例えば、1950年に警察予備隊創設のときに、「憲法と現実の乖離」をきらって、「すっきりさせる」というオプションを取った場合に日本はどのような利益を得ることができたのか。
その場合、日本は朝鮮戦争やベトナム戦争や湾岸戦争に出兵することが「でき」て、多数の日本人兵士がそこで死傷することが「でき」て、いくつもの都市を破壊し、数千数万の現地国民を殺傷することが「でき」たであろう。
その場合に、日本は現在わが国が享受しているよりもどれほど多くの経済的繁栄とどれほど高い国際的威信とどれほど信頼に足る友好関係とどれほど潤沢な精神文化を享受しえたのか。
それについて十分に論拠のある推測が示されない限り、私は「憲法と現実の乖離による損失」や「国際社会で笑い者になった」というようなことをあたかも既決事実であるかのように語る人間の言うことをまじめに聞く気にはならない。
「逸失利益」の一つとしてしばしば挙げられるのは「理念と現実」の乖離が原因で、戦後の日本人が「惰弱になった」、「欺瞞的になった」、「アメリカ追随の腑抜け野郎になった」、「愚鈍になった」という申し分である。
だが、もし、その人の言い分が真実であるとするならば、そう語っているご本人もまた日本人である以上は「惰弱」で「欺瞞的」で「愚鈍」な「腑抜け野郎」であることになり、ふつうそのような人間の言うことに耳を傾ける人はあまりいない。
逆に、もしその人自身は「惰弱」(以下略)ではないとご本人が主張されるとしたら、ある種の日本人(彼および彼の言い分に理ありとするすべての日本人)は理念と現実の乖離からいかなる悪影響も受けてないというになる。
かつてフランスの反ユダヤ主義者エドゥアール・ドリュモンはフランスをユダヤ人が完全支配していることを当のフランス人が気づいていないことの理由として、「あらゆるメディアがユダヤ人に支配されているせいで、フランス人にはユダヤ人支配の実相を知る術がなかったからである」と書いたことがある。
そのドリュモン自身はユダヤ人が社主である新聞社に長年勤務して、「ユダヤ人のメディア支配の実相を隠蔽する工作にそれと知らずに荷担」してきたのであった。
「私を騙せるくらいにユダヤ人のメディア支配は徹底しているのである」とドリュモンは書いた。
なるほど。
しかし、おのれの愚鈍さを論拠にしておのれの賢明さを証明しようとする戦略が賢明なものであるという判断を私はしない。
それと同じように、「欺瞞的な憲法をおしつけられたせいで、日本人はこんなにダメになった」ということを断固主張される方にお訊きしたいのは、なぜ自分ひとりはそうではないのか、あるいは彼の見解に同意する多くの人々が(彼の主張の正しさを理解できる程度に)賢明であり続けられたのか、その理由である。
それが示されない限り、「空文」である平和憲法が日本人の知性と徳性にもたらしたはずの致死的被害を「自明の前提」とすることはできないであろう。
平和憲法の世界戦略的意義について書くつもりで始めたのであるが、そこに届かないうちに書きすぎてしまった。
これについてはまたラリー・トーブさんの『霊的使命』の内容をご紹介をするときにでも。

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2005年05月15日

会議と対談と「濃い」乗客

朝からゼミが一つ、そのあと1時から7時半まで会議が三つ。
ノンストップ6時間半会議というのは深い疲労をもたらすものである。
会議に出ると、世の中には三種類の人間がいるということがよくわかる。
「会議を早く終わらせるために発言する人間」と「会議を長引かせるために発言する人間」と「会議を早く終わらせるために何も発言しない人間」である。
第一種の人間と第三種の人間だけで委員会が構成されている場合(ごく希にそのような幸運に恵まれることがあるが)、会議は「あっ」という間に終わる。
たいへん爽快である。
しかし、第二種の人間は参会者を深い疲労と虚無感のうちに引きずり込むことになる。
彼らはそこでの議題について、とりあえずどういうソリューションを採択すべきかについて具体的な提言は行わない。
ただ、その議題についての「批評家的感想」を語るだけである。
具体的な提言は具体的であるがゆえに必ず反論に遭遇するが、「批評家的コメント」は何の具体性もないので、反論されることがない。
とはいえ、「御説の通りである」と拍手する人間もいない。
しかし、彼らはその理路に瑕疵のない、深遠なる洞察を語っているわけであるから、誰からも有意な反応が得られないことを素直には受け容れることができない。
彼らはその反応の悪さの理由をしばしば「自分の理説があまりに高邁深遠であるために、知的にチャレンジドな同僚にはご理解いただけていないのではないか」というふうに解釈する。
それゆえ、繰り返し発言の機会を求めては、同じことばを噛んで含めるように説き聞かせたりすることになり、参会者の疲労は致死的に深まるのである。

へろへろになって芦屋に戻る。
K島大の梁川くんが西洋史学会のために神戸に来られ、我が家に一泊されることになったので、久闊を叙すのである。
「江戸川」で鰻の白焼き、鯛のお造り、烏賊のお造りなどを頂きながら、生ビールをくいくいと飲む。
愚痴の一つも聞いてもらおうと思ったが、開口一番「私学の教師の愚痴など聞けません!」と一喝される。
文科省に毎年1億円ずつ補助金を削られ、年間研究費が15万円しか給付されない地方国立大学(じゃなくて独立行政法人だな)の教員の「生殺し」の苦しみを知らぬのですか(学会に一回出るとその旅費だけで年間研究費が使い切ってしまうんだから)。
聞いてびっくり。
なんとK島大では理系の教員でさえ年間研究費が10万円そこそこという方がおられるのだそうである。
「それでどうやって研究するの?」とお訊きする。
よそから研究費を調達してこいというのである。
それなりの研究であれば、科研でも企業からの産学連携も学内起業もいくらでも金を手に入れる方法はあるであろう。
それでやりなさい。
それができない研究者は要するに「社会的に存在理由のない研究者」だということである。
給料だけは払うから、研究費を取ってこれない学者はそのへんの隅っこでじっと息をひそめて定年の日を待ってなさい。
というのが地方国立大学の現況だそうである。
国立大学といえば、正直申し上げて「社会的に存在理由を挙証する責任がない」ことを奇貨として、レイドバックな日々を過ごされてきた研究者のみなさんがあまたおられたわけであるから、この天国から地獄への逆落とし的状況変化はまことにお気の毒とはいえ、自業自得と言えないこともない。
わが梁川君は乱世型の人士であるから、こういうはちゃめちゃな状況には強いらしく、人文系研究者としてはめずらしいフットワークのよさと人脈を活用して、いろいろと面白い研究的イベントを企画されているようである。
しかし、地方国立大学における財政的締め付けというのはわれわれ私学教員の想像を絶したものがある。
少なくとも私ども私学の教職員は「運命共同体」をかたちづくっており、連帯感とチームワークを期待することができる。
だが、毎年研究費が削減されてゆくというネガティヴな大気圧の下では、ほとんど同僚の口からパンを奪い取ってわが口に押し込むようなせつないサバイバルゲームを戦い抜かねばならない。
研究したけりゃ、金を持ってこいというタイトでシビアな条件下での文系教員の「肩身の狭さ」は想像するだに哀れである。
このような暴力的な再編プロセスをたどりつつある日本の大学はこのあとも知的センターとしての社会的機能を維持できるのであろうか。
私には何だか不可能なことのように思われる。

まったく理不尽な理由で呼びつけられたイワモトくんも参加して、梁川くんご持参の屋久島種子島の焼酎を賞味する宴会が一夜明けて、私は芦屋の合気道の稽古に顔を出すという梁川くんを残して、ひとり東京へ。
朝日カルチャーセンターでの名越先生との対談仕事である。
名越先生とは久しぶりのお目もじである。
さっそく控え室で談論風発そのままの勢いで会場に行き、2時間わいわいおしゃべりをする。
ふだん名越先生とおしゃべりするときとほとんど同じ調子で同じような話題について語っているのを聴衆のみなさまに有料で公開しようというはなはだ身勝手な企画である。
本日は上で書いた「会議話」をマクラに振ってから、コミュニケーションの問題を中心に二時間しゃべり続ける。
押せば引き、打てば響くたいへん心地よく、かつスリリングなやりとりでありました。
こんなに楽しいおしゃべりができて、その上お鳥目がいただけるとは、まことにありがたい渡世である。
名越先生と私を引き合わせてくれた当の甲野善紀先生が会場にお見えになっていたので、晶文社の安藤さん足立さん、新潮社の足立さん、角川の江澤さん、神戸女学院総文のご卒業生で名越先生の『キャラッ8』の協力者でもある森さんらとぞろぞろとお茶しにゆく。
ほんとうは角川のおごりでどどっと「舌がとろけるようなフカヒレ」を・・・という垂涎のオッファーもあったのであるが、今回は明日が山形で法事なので日帰りしなければならない。
泣く泣くみなさんと別れて、ひとり「天むす」と缶ビールをかかえて車中の人となる。
名越先生、またやりましょうね!

日帰りで二度新幹線に乗ることになったが、なぜか「濃い」乗客たちと乗り合わせることになった。
行きは後ろの方に宮崎哲弥、私のまん前が「ちゃんばらトリオ」の南方英二。帰りは私の斜め後ろに自民党の中山正暉。
宮崎さんには思わず名刺を渡してご挨拶(『ため倫』にひどいこと書いてごめんね)しそうになったが、先方は私の顔を知らないわけで、なるほど、こういう場合に顔が知られていないということは気楽でよろしい。

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2005年05月11日

憲法再論

平川くんが「カフェ・ヒラカワ」で憲法について、ちょっと熱く語っていた。
よい文章である。
論理の筋目と、身体の正中線が合っている。
少し引用しよう。

「憲法記念日をはさんで、新聞、雑誌などで改正論議が盛んである。
『何はともあれ憲法について多くの人間が議論するのはいいことだ』なんてことをニュースキャスターが言っているが、寝ぼけたことを言ってくれるもんである。
俺たちが憲法を常に意識しなければならないということは、日本人と憲法との間に不幸な関係が生じていることを示している。
憲法なんて意識しなくても、国を愛し、同胞を助け、隣人を敬って生きてゆけるのがまっとうな社会である、いや、ほとんどの日本人は憲法を読んではいない し、また読む必要もないのである。その意味では憲法に無関心でいられた戦後の55年間はむしろ評価されてしかるべきことであると思う。
もし、憲法を熟読しなければならないとすれば、それは他の法律について述べてきたことと同じで、この日本という国の存在自体が憲法に抵触してしまうか、あるいはこの憲法の抜け道を探して自国の欲望を拡大しようとするかのどちらかの場合である。

憲法と、現実に整合性がないということを、今日の若者の倫理観の欠如や自信の喪失の原因であるかのごとき議論があるが、全く同意しかねる議論である。
だいいち、俺は若者に倫理観が欠如しているとも思わないし、自信を喪失することが、自信満々に自国を誇ることより悪いとも思わない。もし、日本人が自信を 喪失しているとするならばその理由は憲法ではなく、もっと別のところにあると思う。そもそも、どこの国の憲法も、現実と完全に整合しているなんてことは原理的にありえないのである。現実としばしば不整合を起こすからこそ『原点』を憲法に記してあるのである。

俺は憲法9条に戦争の放棄が謳ってあるから、戦争や武力の行使に反対するのではない。国際紛争の解決手段として戦争という不条理を用いることが、それを用いないことよりも効果があるとは到底思えないという理由によって反対するのである。
憲法が米国の手によって書かれた(らしい)という理由によって俺は、憲法の価値を判断しようとは思わない。たとえ誰が書いたものでも、あるいは他国の真似 をしたものであっても、その内容が日本という国の国民の思考の『原点』として認めうるものであり、多くの日本人がそれを受け入れたのであればそれでいい じゃないかと思う。
さらにいえば、俺にとって憲法は、俺の行動規範でもないし、国家への忠誠のイコンでもない。

およそ、憲法を自分の行動の指針として、生活している人間というものを俺は想像できない。それにも拘らず、憲法を変えたいと思っている人が多いと新聞やテ レビが報じている。もし、この調査結果を信じるとして問いたいのだが、憲法を変えれば、かれらは自分や自分の国に誇りを持つことができるというのだろう か。自分が行動の規範としてもいないテキストが変更されたからといって変わってしまう『誇り』とは何を指しているのか。俺は憲法と日本人の心性を結びつけて考えるような議論につゆほどの真実があるとは思えない。もし、憲法のテキストと日本の現実のギャップがトラウマになるというのなら、『汝、殺すなかれ』 『色情を持って女を見たら、それは姦通したと同じことだ』というバイブルを片手に、武力の行使を厭わないキリスト教徒(アメリカ人)は皆、トラウマにのたうちまわらねばならない。現実はそうなっていない。」

全文引用したいが、できれば直接原典に当たって頂きたい。
私がフーコーから学んだいちばん重要な技法は、歴史について考えるときには、「なぜ今あるような出来事が生起し、それと違う出来事は起きなかったのか」という「起きなかった出来事」が排除された分岐の条件について想像をめぐらせることである。
平川くんはここで「規範的テクストと現実の不整合」によって「苦しむ人間」という「起きなかった出来事」を提示することによって、分岐点が「そこ」にはないことを証示してみせた。
「リアリスト」のいう「リアリティー」なるものはある種の事実の構造的な見落としを条件にしてしか前景化しない。
平川くんはフーコーと同じようにそのことを指摘している。
「リアリティー」というのは、たまたま選択された出来事であり、他方にはたまたま選択されなかったそれ以外の出来事がある。
それらの「排除された出来事」と照合してみてはじめて、「ある出来事」だけが現実となったことを決定づけた条件について知ることができる。
「現実は現実である」というのは単なる同語反復にすぎない(だが、多くの「リアリスト」は同語反復者である)。
「この現実はなぜ〈非現実〉ではなく〈現実〉なのか」を問うことのできる知性を私はその語の正しい意味でのリアリストだと思う。

平川くんの書いたことを読んで一つ思い出したことがあるので、書きとめておく。
日本国憲法は短期間にGHQの一セクションで起草されたという何人かの関係者の証言がある。
私もそれは事実であろうと思う。
しかし、そのときに「わずか一週間で書き上げられた」ということを「雑な仕事をした」と解釈する人がいたら、その人は致命的に想像力が足りないというべきだろう。
自分で「雑なテクスト」を書いたことのある人間なら誰でもわかることだが、「雑」の徴候はテクスト内部の「論理的不整合」として現れる。
必ず書いたことの始めと終わりで辻褄が合わなくなる。
だが、現行憲法についてはほとんど無数の批判が存在するが、「テクスト内部に論理的不整合がある」という批判を私は聞いたことがない。
このところの批判はほとんど例外なく「憲法と現実の辻褄が合わない」という言い方でなされる。
だが、何人かの「素人」が集まって前文から103条にいたる規範的条文を一週間で書き飛ばしたというのがほんとうなら、テクスト内部に論理的破綻がないというのはほとんどありえないことである。
どうして、きわめてありそうな「論理的にぐちゃぐちゃなので、恥ずかしくて人に見せられない憲法」という「出来事」は「現実」とならず、「論理的に整合的な憲法」が一週間で書き上げられたという「出来事」の方が「現実」となったのか?
私ならそう問いを立てる。
この問いに対する答えは誰でも一つしか思いつかない。
それは「すでに存在する憲法」をコピー&ペーストした、ということである。
日本国憲法がコピー&ペーストしたのは知られる限りではワイマール憲法とソ連憲法と不戦条約である(フランスの人権宣言、アメリカの独立宣言ほかのテクストはこれらに伏流しているから数え上げるには及ばない)。
これはフランス革命以来の世界政治史の経験がその論理を整えた1945年時点での憲法案の「模範解答」だからである。
開示済みの「模範解答」が手元にあったから「素人」にも書き写せたのである。
その意味で日本国憲法は「アメリカ軍が恣意的に押しつけた」ものという判断に私は与さない。

もちろん日本国憲法の中には憲法史的「模範解答」には含まれておらず、明らかに「アメリカ軍が恣意的に押しつけた条項」も含まれている。
日本国憲法中の条項で、それに類するテクストがアメリカ人たちが参照したはずの先行憲法の「どこにも」含まれていないものは一つしかない。
それは第一章「天皇」である。
もし「アメリカ軍に押しつけられた」という歴史的事実それ自体がテクストの価値を損なっているということを憲法改正の心理的動機に数えるのなら、「まず」改訂すべきは九条ではない(何度も言うとおり、九条は1927年の不戦条約の文言を「コピー&ペースト」したものであり、大日本帝国はいかなる軍事的強制にもよらずこの条約に調印していたからである)。
もし「押しつけ」を理由に廃絶すべき条項があるとすれば、何よりもそれは「第一条天皇」である。
だが、私は第一条を改訂せよ(そして「天皇制を廃止せよ」あるいは「天皇親政」に戻せ)と主張する「押しつけ憲法論者」に会ったことがない。
なぜ当然「現実」となってよいはずの「第一章改訂」が議論の主題にならず、当然「現実」となってよいはずの「憲法内部の論理的不整合批判」を語る声が聞えないのか?
それは「現実」と「非現実」の分岐点はどこにあるのかという問いが決して「いわゆるリアリスト」たちの思考の主題になることがないからである。


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2005年05月10日

だから写真はやだって

忙しい一日。
朝一で、ひさしぶりに下川先生のお稽古。
本番まで、あと申し合わせをいれて3回しか稽古の時間が取れない。
しかたがないので、家でくるくる舞囃子のお稽古をする。
向かいの大丸の社員食堂からときどき視線が突き刺さる。
そりゃそうだろう。
昼日中に初老の男が部屋でひとりで扇をひらひらさせながら踊り狂ってる(「巻絹」というのは巫女が憑依されてイタコ状態になる話である)んだから。
稽古が終わってぱたぱたと大学へ。
会議後、朝日新聞の撮影。
四月から始まった大学面で6月の3週間「紙上授業」というものをさせていただくのである。
取材はもう終わっていて、原稿もできているので、それを拝見する。
「危険な箇所」(実際にしゃべったのであるが、公器において公開されるとウチダの政治生命にかかわる文言)をあわてて削除し、実物より少し賢く見えるようにしゃべっていないことを加筆をする。
そのあと延々と撮影。
私は写真に撮られることが大嫌いなのであるが、この苦しみをまじめに取り合ってくれるメディアはほとんどない。
今回は三週間連続で紙面に出て毎週私の顔が朝日新聞関西版読者のみなさまのお目にとまるわけで、私にすればほとんど死活問題である。
できれば写真は「証明書写真」で済ませたいとお願いしたのであるが(これは実物とまるで似てないので、いくら公開されても少しも日常生活に支障を来たさない)、却下されたのである。
今回は神戸女学院大学の「日本一美しいキャンパス」を紙面で公開してくれるというので、泣く泣くシェークスピアガーデンやソールチャペルの前で恥ずかしいポーズをとる。
それにしても紙面の半分が写真というのは構成上均衡を失しているように思うのは私ひとりであろうか。
いつから日本のメディアは写真の伝える情報にそれほどの重要性を付与するようになったのであろう。
写真が伝える視覚情報はどの瞬間をどの角度から切り取るかで、その相貌を一変させる。
にもかかわらず、それは端的に客観的事実であるかのように提示される。
たとえば、私が昨日撮られた500枚に及ぶポートレートの中には「極悪非道な表情」のものも「温厚篤実の表情」のもの「賢者のごとき風貌」のものも「あっと驚く間抜け面」も含まれていたはずである。
その中のどれを選ぶかによって、そのあと私の文章を読者がどのような先入観をかけて読むか、そのフレームワークが決定される。
取材された人間には自分の文章を校正するチャンスがあるが、写真を選ぶチャンスはない。
発言については本人のオーサーシップを認めるが、それをどのようなフレームワークの中で提示するかはメディアが決定する、ということのようである。
なるほど。
もちろん、私は写真の報道的価値に異議を唱えているのではない。
逆である。
写真は単体で、それ自体がすでに「報道」であり、メッセージであり、固有の価値判断を下していることを強調したいのである。
そのメディア的な決定力を重視するからこそ、言語メッセージの発信者としては、写真がメッセージの解読の仕方にどのような影響を及ぼすのかに無自覚ではいられないと申し上げているのである。
今回、私が撮影に応じたのは、大学のパブリシティのために使えるメディアは全部使うという管理職としてのビジネスマインデッドな判断からである(しくしく)。
私のように街中で気楽に暮らしている人間にとって、不特定多数の人に顔を知られるとことにはほんとに百害あって一利とてないのであるから、メディア関係者のみなさんはその点をぜご勘案願いたい。
記者諸君にしたって、「インタビューのときにインタビュイーから撮られた顔写真をそのまま紙面に掲載すること」がメディアに義務づけられたら、「そればかりはご勘弁」と懇願されるであろう。
自分がされたくないことは人にもしない、というのが人倫の基本ではないであろうか。
でも、実際にはテレビに出たがる学者やポーズを決めたポートレートをばんばん露出させている学者もいるから(というか、そっちが圧倒的多数なんだけど)、結局、私の声はどこにも届かないのである。

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ノシイカ男の末路

広島での講習会が終了。
筋肉痛で芦屋に戻る。
ふだんの稽古ではほとんど受身をとることがない(口先で指導しているだけだから)。
口腔周辺の筋肉の発達が下半身のへたりによってトレードオフされているわけである。
入り身投げで二三回投げられただけで、もう起き上がるのがめんどくさくなってしまった。
そのままたたみに寝ているわけにもゆかずのろのろ起き上がると、またぱこんと投げられて、畳の上でノシイカ状態になる。
なんだか不貞腐れたおじさんだなあと広島の学生諸君には思われたであろう。
すまぬ。むかしはもっと軽快に動けたんですけど。
久しぶりに大汗をかく。
初日は神戸の一行15名に、気錬会のヒロタカくんと高谷さん、早稲田の入江くん、月窓寺の(というか島根の)石井くんもお見えになって、プチ多田塾合宿状態。
稽古のあと多田塾のみなさんと連れ立って韓国料理を食べに行き、大量の辛いものと大量の生ビールを嚥下する。
二日目は四国の守さんもおいでになる。
お昼の稽古終了後に、いつものように「みっちゃん」で広島焼。
はじめて多田先生の稽古を受けられた守さんに感想をお聞きして、意拳も合気道も帰するところひとつですねえという話でもりあがる。
駅で「にしき堂」のもみじ饅頭をお土産に買って、恒例の行事が終了する。
多田先生二日間ありがとうございました。
北平先生はじめ広島県支部のみなさんお世話になりました。また来年もよろしくお願いいたします。

家に戻ってお風呂に入ると睡魔が襲ってくる。
そのまま爆睡。
深夜めざめ、枕頭の村上龍の『半島を出よ』の最後の三分の一を一気に読み終える。
物語の最後で、近未来において九州がアジアのハブになる(毒蛇のことではないよ)という話がちらっと出てくる。
この未来予測はかなりの確度で当たるような気がする。
日本の中央政府の締め付けが緩んで、地方分権が進行するということが前提だが、それはおそらく不可避的な流れだろう。
島根県議会で「竹島の日」を制定したことが国際問題になったが、これはある意味では地方自治体が中央から距離をおいたかたちで独自の外交的な意思表示を示しうるということを証明してみせた。
島根とは逆の文脈で、たとえば九州が独自の「アジア外交」を展開する可能性はある。
おそらく東アジアの政治的再編は国政レベルでの外交折衝、民間レベルでの「グラスルーツ」での結びつきに加えて、地域政治・地域経済のレベルでの国政よりも多少「フライング」気味のネットワーク形成が深く関与することになるような気がする。
気がするだけですけど。
それにしても『半島を出よ』は面白いです。

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2005年05月07日

サラリーマンの研究

連休最後の日(早いね終わるのが)は卒業生の「怒濤の愚痴大会」。
颱風グリーンカレーを食べたいというリクエストがあったので、朝からカレーを仕込み、シャンペンやワインを冷やし、お部屋の掃除をしてご来駕を待つ。
何人来るのか聞いてなかったのだが、来たのは4人。
みんなお忙しいのだね。
勤め始めてまだ一月なのに、もうすっかり「OLさん」になっている。
面白かったのが、一月勤めてみて世の「サラリーマン」というのものがいかによく働くか知って仰天したという驚きの報告であった。
佳話である。
そうなのだよ、諸君。
日本というシステムはあの方々の滅私奉公的オーバーアチーブによって支えられているのである。
あの給料で、よくあれだけ働きますね…とOL諸君は感動していた。
そうなのだよ。
諸君はこれまで気づずかずに来られたのであろうが、資本主義企業における「労働に対する対価としての賃金」はつねに労働が生み出した価値よりも(すごく)少ないのである。
当たり前だね。
株主に配当したり、設備投資したりするための原資は他ならぬ諸君の創り出した労働価値の「上前」をはねることでしか得られないからである。
「オレ」の稼ぎで「あいつら」を食わせている、と思っているサラリーマンはたくさんいる。
たくさんどころか「全員」と申し上げてもよい。
だからその方たちは家に帰っても、つい「誰の稼ぎで食っていると思っているんだ」という常套句を口にする衝動を抑制しきれない。
しかし、これは彼らの偽りなき本心であり、まさに「オレが〈あいつら〉を食わせている」という構文こそが資本主義社会における労働者の心性を端的に表しているのである。
「あいつら」というのは抽象的な概念である。
別に特定の誰かを指しているわけではない。
しかし、彼らはその状態を「停止せよ」とは言わない。
「〈あいつら〉がオレを食わせる」ような状態を望んでいるわけではない。
そうではなくて、「オレが〈あいつら〉を食わせている」ことを承認せよ、と迫っているだけなのである。
その承認さえ得られるならば、「オレ」はいつまでも〈あいつら〉に貪り食われるままになっていることを厭わない。
サラリーマン諸氏はそうおっしゃっているのである。
レヴィナス老師はかつて「自我」の基本構造を「享受する」 という動詞で表現したことがある。
サラリーマンの基本心性はむしろこれを倒置した「享受される」に近いであろう。
しかし、この「不当に収奪されている」という実感が「自己を供物として捧げることで共同体を維持する」という太古的・呪術的な社会観に深いところで通底していることに気づいている人は少ない。
「自己を供物として捧げる」ということは、人間に深い感動をもたらす経験である。
おそらく「自己を他者への供物として捧げ、他者によって貪り食われる」という事況そのもののうちに強烈な快感を覚える能力を得たことによって人類は他の霊長類と分岐したのであろう。
そこが人間とサルの違いであり、違いはほとんど「そこだけ」にしかない。
だから、自己を供物として捧げることを拒む人間は定義において「人間」ではない。
マルクス主義が政治理論としては結局破綻したことの大きな理由のひとつは、「人間は収奪されることのうちに快楽を見いだすことができる」という危険な真理をどこかで見落としたことにある。
「能力に応じて働き、必要に応じて取る」共産主義社会は「人間的」な社会である。
なぜなら、そこではおそらく誰しもが「(能力が高く、必要の少ないこの)オレが(能力は低いが必要だけは多い)〈あいつら〉を食わせている」という実感を持つことができるからである。
だが、残念ながら、マルクスの理路によるならば、そこにたどりつく過程で労働者たちは「収奪された労働価値の奪還」という社会主義革命を経由しなければならない。
それは言い換えると「オレの稼ぎはオレだけが享受する。オレのものは誰にも渡さない」という言い分に理ありとすることである。
それは「人間的」な考え方ではない。
そう主張するものはもう「人間」ではない。
革命の大義のために「わが身を供物として捧げる」人々が一定数存在した間、社会主義革命は「人間的」なものでありえただろう。
だが、革命が「成就」し、指導者も人民も胸を張って「オレの稼ぎはオレだけが専一的に享受できる体制の到来」を言祝いだときに、革命は「人間的」であることを止めた。
人間の定義とは「わが身を捧げる」ものである。
人間は「すねを囓られる」という経験を通じてはじめて「自分にはスネがある」ことを確認し、「骨までしゃぶられる」という経験を通じてはじめて「自分には骨がある」ということを知るという逆転した仕方でしかアイデンティティを獲得することができない「生き物」である。
だからサラリーマンがその労働の対価として不当に安い給料で働くことは、それ自体が根源的なしかたで「人間的」なふるまいなのである。
その点では「キリストの受難」と「サラリーマンの受難」は構造的には同形のものであると申し上げてよいかと思う。
だから、新米OL諸君が、身を削って働く先輩サラリーマンを見て、ある種の「感動」を禁じ得なかったというのは、キリスト教教育を受けてきた諸君としてまことに「正しい」リアクションだったのである。

投稿者 uchida : 10:57 | コメント (2) | トラックバック

2005年05月04日

師恩に報いるに愚問を以てす

静かな一日。
朝起きてメールをチェックすると、多田先生からメールが来ていた。
前日、今度の広島での講習会に杖・剣を持参すべきかどうか、学生たちから問い合わせが続いたので、それを確認するために先生にメールを差し上げたのである。
「メールで失礼いたします。
今週末の広島講習会ですが、杖剣は持参したほうがよろしいでしょうか?
これまでの広島講習会は体術だけでしたが、何人かの部員から問い合わせがあり、『要らない』と断言するのもはばかられて、お訊ねする次第です。
お忙しい中、お手数ですが、『持参せよ』か『持参せずともよろしい』かだけお知らせ頂ければ幸いです。」
という私のメールに多田先生は次のようなご返事を下さった。
「内田樹様
広島で杖、木刀の稽古を行った事は、旧広大の道場で一回だけあります。
今回は私も杖木刀を持ってゆこうと思っております。
『持参せよ』
多田  宏」
私はこのメールを読みながら、足ががたがた震えた。
多田先生が広島での講習会を始められたのは先生が20代の頃からのことと伺っている。
ということは、ほぼ半世紀のあいだに先生が広島で杖・剣を使った稽古をされたのは一度だけということである。
私が広島の講習会に参加するようになってからも多田先生が稽古で杖剣を使われたことは一度もない。
帰納法的な思考をする人であれば、ここは「確率的には『使わない』ので、持参するには及ぶまい」というふうに「合理的に」推論するだろう。
現に私もそのような「合理的思考」にいつのまにかなじんでいた。
多田先生は私にそのような「帰納法的推理」は「武道的思考」とは準位が異なるということをきびしく示唆してくださった。
私はそう解釈している。
だから、足が震えたのである。
私は土曜の合気道の稽古には使っても使わなくても基本的につねに杖剣を携行することにしている(木曜の大学での稽古は道場の天井が低いので杖剣を振ると私程度の術技では誤って蛍光灯をたたき割る可能性があり、そのときの「掃除の手間」と「学生が負傷するリスク」を考えて使用を自制している。恥ずかしい話だが)。
土曜の稽古に杖剣を持って行かなかったことも実は何度かある。
一度だけ、術理の説明のときに剣を振ろうとして剣を持ってこなかったことに気づいた。
そのときに、真剣勝負の場に「剣を忘れました」というエクスキュースは通らないだろうなと思った。
それからは携行することを忘れない。

多田先生はよく「道場は楽屋、実生活は本舞台」という喩えを語られる。
「楽屋」にあったものが「舞台」にはない、ということはしばしばあるだろう。
だが、「楽屋」には用意していなかったものが、さいわい「舞台」にはあった、ということは確率的にはほとんどありえない。
「楽屋」や「袖」には「舞台」で使わないかもしれないけれど、不意に必要になるかもしれないものを備えておくのが演劇者の基本的な心得だろう。
私は先のメールで「楽屋」に「持って行かなくてもいいもの」がありますか、と先生にお訊ねしたことになる。
多田先生は「『必要になる可能性のあるもの』は、それがどれほど低い確率であれ、『楽屋』には置いておくのが武道家のたしなみである」と諭された。
私が「どうせ使わないんだから、杖や剣を抱えて行くのは、めんどくさいなあ」という程度の日常的な判断から黙って手ぶらで稽古に行っても先生はおそらく咎められなかっただろうと思う。
咎める要もないからだ。
しかし、「必要ですか?」という問いには、先生は「『必要になるかもしれないもの』をそうであるとわかった上で持参しないということは武道家にはありえない」という平明な真理を以て答えて下さった。
「持参せよ」という「文脈上不要な」一文は私の気の緩みに対する叱正の一語である。
内田くんは何のために武道の稽古をしてきたのか?
それは「舞台」で遭遇しうるあらゆる可能性に対して処しうるような汎用性の高い心身統御の技法を学ぶためではなかったのか?
そのための実験実習の場である「楽屋」に進んで汎用性を減じるような条件を付して入ることを是とする武道家がいるだろうか?
そう改めて先生に訊かれたような気がして私は粛然と襟を正したのである。

多田先生がしてくださったお話の中にはいくつも印象深いものがある。
その中のひとつは、古武道大会の「控え室」での逸話である。
ある武術の演武者が臨席の見知らぬ演武者に「あなたの流派では、手をつかまれたときに、どのように応じるのですか?」と尋ねた。
訊かれた演武者はにこやかに片手を差し出して、「では、この手をつかんでごらんなさい」と言った。
問いを発した演武者は、その差し出された手の小指をつかんでぽきりと折った。
話はそれでおしまいである。
多田先生はこれについてただ一言「これは折られた方が悪い」とおっしゃった。
私はこの挿話の教訓についてずいぶん長い間考えた。
そして、私が暫定的に得た教訓は、「楽屋」を「武道的な原理が支配しない、常識的=日常的な空間」であると思いなす人間は武道家としての心得が足りないということであった。
「楽屋」はある意味で「舞台」以上にタイトな空間である。
道場で十分な気配りができない人間、道場に入るときになしうる限りの備えを怠る人間は、「本舞台」においても使いものにならない。
そのことは「理屈」ではわかっていた。
だから、その逸話をいくつかの書物で引用しておきがら、私は先生がおっしゃったことの意味を実践的には少しもわかってはいなかったのである。
そのような自明のことを三十年来門下にある知命を半ば過ぎた弟子にまた繰り返し告げなければならない師の胸中を察して、私は足が震えたのである。
知命を過ぎてなお叱正して下さる師がいるという身に余る幸運に足が震えたのである。

投稿者 uchida : 22:32 | コメント (4) | トラックバック

2005年05月03日

ラリー・トーブさんから本が届いた

ウチダ的には連休の初日。
今日と明日が連休であり、五日は「怒濤の愚痴大会」に今年の卒業生諸君が乱入してくるので、彼女たちのためにリクエストの「颱風カレー」を作成することが要請されている。このあたりの「人づかわれの荒さ」は鈴木晶先生と深く通じるものがある。
とりあえず、今日と明日だけはひとり家でごろごろしていてよろしいのである。
ラリー・トーブさんから The Spiritual Imperative Sex, Age and the last Catse, Clear Glass Press, 2002 が届く。
さっそく開くと、表紙裏にトーブさんからの献辞が記してある。
「内田教授。本書をお送りできるのは私の欣快とするところであります。本書があなたの目的に役立つことを期待し、またあなたのフィードバックを期待しております。」
ご丁寧な方である。
さくさくと読み進む。
おおお、こ、これは摩訶不思議な書物だ。
「大きな物語」に知識人たちがオサラバしたのは今を去る20年ほど前、ジャン=フランソワ・リオタールが『ポストモダンの条件』でgrand narrative の弔辞を読み上げた頃のこと。「ポストモダン」ということばにまだそれほど手垢がついていない時代のことである。
トーブさんはその一度は死亡を宣告されたgrand narrative にもう一度呼び出しをかけている。
「歴史はランダムであり無意味であり、未来は予測不能だというのは、やっぱり言い過ぎでしょう。(…)big-picture というのは、常識的な経験から考えても『あり』です。たしかに人間が生まれる前に、その人がその後の人生でどのような心身の経験をするのかを予見することはできません。その人の身体の中に入って、その人の意思を生きることなんかできませんからね。でも、どんな身体を持っているかくらいは『予測可能』でしょ?男性か女性かどちらかに生まれ、心は一つ、眼は二つ、耳は二つ、頭は一つ、尻尾はついてない…くらいのことは予見可能ですよね。心身複合体として生まれることの不可避性、この深層構造は既決事項であり、予見可能である、そう申し上げてよろしいかと思います。」(pp.18-19)
というふうに噛んで含めるようにお話は始まる。
トーブさんが言う「大きな物語」というのは、人間がどんな歴史的状況においても、決して変らない条件のことである。
それは、「男性または女性であること」と「必ず加齢すること」と「何らかの社会集団(カースト)に帰属すること」である。
例えば、人間は幼児から青年期を経て壮年になり、やがて老いる。
この流れは不可逆である。
老人として生まれてきて、だんだん幼児化する人間というのは存在しない。
そして、老人であるときと少年であるときは、ものの考え方も感じ方も変る。
必ず変る。
「変る」ということは「変らない」。
人類の歴史もそのようにある種の「流れ」の中にある。
人類史の発達モデルと個人の成熟モデルは同一のものである。
トーブさんはそう考えている。
人類はある種の霊的階梯をゆっくり昇っている。
それはキリスト教が教えるような「最後の審判」に至る直線的時間ではないし、ヘーゲルがいうような絶対精神の顕現過程でもないし、「歴史の終焉」や「文明の衝突」のような無時間モデルでもない。
幼児が老人になるような粛々とした霊的成熟の過程である。
幼児には届かない「霊的召命」を成人は聴き取ることができる。
ほとんど同じことばをレヴィナス老師も『困難な自由』の冒頭で語っていた。
「大人になれ」
私は人類史が予定調和の成熟の階梯をたどっていることについてトーブさんのような深い確信を共有することはまだできない(30頁しか読んでないから)。
けれども、どのような説明の仕方であれ、「大人になれ」という遂行的なメッセージをそれが発信する限り、私はその言説に耳を傾ける用意がある。
明日も一日読書だ。


投稿者 uchida : 21:12 | コメント (1) | トラックバック

憲法記念日なので憲法について

五月三日は憲法記念日であるので、今年も憲法についてひとこと。
今朝の朝日新聞の報道によると、朝日が実施した全国世論調査の結果、「憲法を改正する必要がある」と回答したものが56%(昨年53%)、「改正の必要がない」が33%(35%)。
「自衛隊を巡っては、『存在を明記』と『普通の軍隊とする』を合わせて、憲法改正による位置づけをもとめる意見が七割に達した。」
「ただ、9条をどうするかについて聞くと、『変えない方がよい』(51%)が半数を超える。自衛隊と憲法の整合性を求める反面、平和主義は堅持したい意識がうかがえる。」
と記事にはあった。
私の憲法改正についての意見は『ためらいの倫理学』のときから変らない。
武道を四十年やってきた人間として、「武とは何か?」という本質論についてだけはおそらく憲法調査会のどの委員よりも長く私は考えてきた。
「武」の本質について、私がもっとも得心がゆくのは老子の次のことばである。
「兵は不祥の器にして、君子の器に非ず。已むを得ずして而して之を用うれば、恬淡なるを上と為す。勝って而も美とせず。之を美とする者は、是れ人を殺すことを楽しむなり。夫れ人を殺すことを楽しむ者は、即ち以て、志を天下に得可からず。」(第31章)
ウチダ的に現代語訳すると老子のことばはつぎのようになる。
「軍備は不吉な装備であり、志高い人間の用いるものではない。やむをえず軍備を用いるときはその存在が自己目的化しないことを上策とする。軍事的勝利を得ることはすこしも喜ばしいことではない。軍事的勝利を喜ぶ人間は、いわば殺人を快とする人間である。殺人を快とする者が国際社会においてその企図についての支持者を得ることはありえない。」

いま改憲と九条二項の廃絶をもとめる人々が口々に唱えるのは「ふつうの国になりたい」ということばである。
議論の始点が違うのである。
老子は「君子」たるべき道について論じている。
政論家たちは「凡人」たるべき道(そんなものがあるのか?)について論じている。
繰り返し申し上げているように、私はナショナリストである。
ナショナリストである私の願いは、日本のアイデンティティの確立である。
それは言い換えれば、日本が人類の歴史に「他のどの国を以ても代えることのできない唯一無二の国」として記憶されることである。
その「余人を以ては代替できないような国のあり方」を目指すのが真の愛国心であると考える私からすると、「ふつうの国」(それは「いくらでも替えが効くので、存在しなくなっても誰も惜しまないし、誰の記憶にも残らない国」のことだ)になりたいという人々の気持ちは理解の外である。
「君子国」たること、それだけが私が自国に願っていることであり、私の望みはそれに尽きる。
私が自国のさまざまな制度文物にいちいちうるさく文句をつけるのは、「それが『君子的』ではない」と思うからである。
「ふつうの国」になってほしくてそんなことを申し上げているのではない。
「あなたの人生の望みはなんですか?」と訊かれて、「ほかの人と見分けのつかない人間になることです」と回答するというオプションはある種の「トラウマ」を抱えた人間にはありがちなことだ。
私はそのような病者については、その選択を責めようとは思わない。
しかし、一国の為政者や「選良」を自負している人間が「アイデンティティの喪失によるトラウマの解消」を政治目的に掲げて、それを白昼堂々と論じている図は私の常識を超えた風景である。
私は日本が「唯一無二の国」になってほしいと望んでいる。
改憲論者たちの多くは、日本が「どこにでもある国」になることを望んでいる。
この最初の「ボタンの掛け違え」がおそらくそのあとのすべての議論のすれ違いを生み出している。

私が『ためらいの倫理学』以来申し上げているのは、兵は「不祥の器」であるが、「已むを得ずして之を用うる」機会はつねに潜在するから、それを持たずにいることはできないということである。
しかし、それは軍事的に優位に立ったり、軍事的に勝利したりすることが「よいこと」だからではない。
それはあくまで「不祥」の、すなわち「二度と起きてはならない」災厄として観念されなければならない。
二度と起きてはならない事況に備えて、できるだけ使わずに済ませたい軍事力を整備すること。
この矛盾に引き裂かれてあることが「兵」の常態である。
勝たなければならないが勝つことを欲望してはならないという背理のうちに立ちつくすのが老子以来の「兵の王道」なのである。

私は憲法九条と自衛隊の「併存」という「ねじれ」を「歴史上もっともみごとな政治的妥協のひとつ」だと考えている。
憲法九条と自衛隊の「矛盾」が期せずして(「期せずして」というべきだろう)、戦後日本に「兵にかかわる老子的背理」を生きることを強いた。
その「ねじれ」続いた戦後55年間、わが国の兵は一度も海外で人を殺傷することがなく、わが国の領土が他国軍によって侵略され、国民が殺傷されるという不幸も訪れなかった。
その相対的な平和状態こそがわが国の戦後の驚異的な復興・経済成長と隣国との相対的に安定した外交関係を担保してきた。私はそう理解している。
この歴史的事実そのものが「老子的背理」のみごとな実践例ではないのか。

その上で、「自衛隊と憲法の不整合を解消したい」と主張する人々に訊ねたい。
「憲法と自衛隊の存在が不整合であることから得られた利益」(これは歴史的事実としてすでに証明されている)よりも「整合的であることから得られる利益」(これは非現実にかかわることであるので、予測を語るしかない)が大であるとする論拠を教えて頂きたい。
もし、1950年のマッカーサーによる警察予備隊創設の時に、「これは憲法九条と整合しないから、九条を廃止する」という決定が下されて、「ねじれ」があらかじめ解消された状態でその後の55年が経過した場合、日本はいまよりもずっとよい状態になっていたということについて、どなたかがSF的ではあれ説得力のある論証をしている場合に限り、「整合性がない」という表現は批評的価値を持つだろう。
だが、私の知る限り、「憲法と自衛隊の整合の必要」についてうるさく主張する人間の中に、整合性を得ることが「戦後60年間の日本の平和と繁栄」以上の何をもたらしたはずなのかを「条件法過去形」で推測し、これから先の日本にどのような素晴らしいことをもたらすのかを「未来形」で予言する作業に知的資源を投資する気のある人はどこにも見あたらない。
彼らはただ呪文のように「整合性がないのは、おかしい」というだけである。
呪文が呪文としてある種の政治的力をもつことを私は認める。
けれど、呪文を科学的言説めかして語るのはフェアなふるまいではない。
「整合性がない」というのは呪文である。
その主張にどのような正統性があるのかを聞く人に論証する気がないままに垂れ流されていることばは、どのように「整合的な」かたちをとっていても本質的には「呪文」である。
私はそのようなことばに耳を貸す習慣はない。


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2005年05月02日

またアンケートが来た。

『文藝春秋』からアンケートが来た。
この前は『次の総理はこの人』についてのアンケートだった。
その次は『憲法改正試案』(これは『諸君!』から)についてのアンケートだった。
今回は「中国の反日」特集だそうで、「小泉首相の靖国神社参拝を取りやめるべきか」についての三択(「取りやめるべきだ」「取りやめるべきでない」「どちらともいえない」)とその理由を400字以内で、というものである。
ご案内のとおり、私は小泉首相は靖国参拝を取りやめるべきだと考えている。
すでにここには繰り返し書いていることだが、その理由を改めて記す。

「隣国と正常で友好的な外交関係を維持することは重要な国策の一つである。
戦没者の慰霊も国民的統合のために重要な儀礼の一つである。
どちらが優先すべきかについての汎通的基準は存在しない。
複数のオプションのうちどれがもっとも多くの国益をもたらすかを比較考量して、そのつど定量的に判断すべきであり、ことの正否を一義的に決する審級は存在しない。
『靖国に参拝することによって得られる国益』が『それによって損なわれる国益』よりも大であることについての首相の説明に得心がいけば私は靖国参拝を支持する。
私が首相の参拝を支持しないのは、自らが下した重大な政治判断の適切性を有権者に説得する努力を示さないからである。
自らの政治判断の適切性を有権者に論理的に説明する意欲がない(あるいは能力がない)政治家を支持する習慣を私は持たない。」

私が政論家に向かってお願いしているのはいつも同じことである。
「どうか私を説得してください」
私は私を説得するためのことばを聴くためにはかなりの時間を割く用意がある。
だから、ここで首相の靖国参拝を支持するみなさんに改めてお訊きしたい。
「靖国参拝によって得られる国益」が「それによって損なわれる国益」よりも大であるというご判断の根拠をお示し願いたい。
私が問題にしているのは、小泉純一郎個人のエモーションの純良さやその憂国の至情ではない。
政治的効果という一点である。
政治家の仕事は国益の最大化である。
そのためにおのれの政治的信条や好悪を「かっこに入れる」ことができない人間には政治家としての適性はないと私は考えている。
そして、わが国がいま隣国から外交的に侮られているというのが事実だとすれば(事実だが)、その理由は、自衛隊の軍事力が脆弱だからでも、自衛隊と憲法九条の不整合が致命的なものだからでもない。
わが国の為政者がしばしば「国益以外のもの」を優先的に配慮していることを隣国の政治家たちが知っているからである。


と書いたあとに、アンケートを投函するついでにモスバでお昼ご飯を食べる。
私は重度の活字中毒であるので、モスバに行くにも本を持参する。
何かないかなと見回したら、私が「憲法第九条改正」についてアンケート回答を寄せた『諸君!』が目に付いたので、それを抱えてでかける。
モスバでロースカツバーガーが来るのを待つ間に読む。
読んでいるうちに考え込んでしまった。
みなさんは「ナショナリスト(民族主義者)」と「ショーヴィニスト(排外主義者)」の違いをご存じだろうか。
おそらく厳密な区別をされる方はあまりおられまい。
私は「ナショナリスト」であるが、「ショーヴィニスト」ではない。
私が読んだ限り『諸君!』の寄稿者の多くは「ショーヴィニスト」ではあるが、「ナショナリスト」ではないように思われた。
その違いは、ショーヴィニストは自国領の保全を求め、自国民の安全を求め、隣国からの敬意と畏怖を求めるあまり、自国領が侵害され、自国民が傷つけられ、隣国からの侮りを受けるときに、それを「喜ぶ」という倒錯に犯されている点にある。
先般、道頓堀に芝居を見に行ったとき、右翼の街宣車がやたら大音量を発して中国の反日デモを攻撃していた。
彼らはたいへん元気そうであった。
中国がろくでもない国であり、日本の主権を侵害するならず者国家であることが大使館に対するデモや投石で証明されたことはどうやら彼らに多くの生き甲斐を与えてくれたようであった。
もしそのデモに巻き込まれて日本人の死者が出ていたら、彼らはおそらくもっと「幸福そう」だったろう。
何度も書いたことだが、排外主義者のピットフォールは隣国を憎むあまり、その国の為政者が邪悪であり、国民が愚鈍であることを論証することを、自国の利益を護ることよりも優先させる傾向のうちにある。
そして、隣国の為政者の邪悪さと国民の愚鈍さの最も説得力のある例証は、彼の国が自国の領土を侵犯し、自国民の権益を損ない、自国民を死傷することである。
だからショーヴィニストたちは無意識のうちに「そういう事態」が到来することを望むようになる。
『諸君!』の寄稿者のひとりは韓国が竹島を北朝鮮に譲渡し、そこにテポドンの基地ができるという韓国のSFを紹介していた。
その弾むような筆致から、その空想が彼にとってはほとんど愉悦的な経験となっていることが知られた。
私はナショナリストではあるが、ショーヴィニストではない。
ふつう、ある国の国益は、隣国の為政者が邪悪で、国民が愚鈍である場合よりも、そうでない場合の方が確実に担保されるだろうと考えているからである。
その点で、ショーヴィストと(私のような)ナショナリストは、隣国の政治判断について、しばしば正反対の反応を示すことが起きる。
ショーヴィストはしばしば隣国政府が「愚策」を犯すことを喜び、ナショナリストは隣国政府が「賢明な政策」を選択することを喜ぶ。
私は隣国政府の政治判断の賢明さを考量するとき時、「その国が取りうるオプションのうちで」という限定条件をつねに加えることにしている。
例えば、中国が尖閣列島の領有権を放棄して、中国領海内にまで及ぶ海底資源についても「ぜんぶ日本に上げる」という政策を採った場合、それがわが国に大きな利益をもたらすことはまぎれもない事実である。
けれども、それが中国政府にとって「賢明な政策」であるとは考えにくい。
だから、そのようなオプションを中国政府が選択する可能性はゼロである。
選択する可能性がゼロである選択肢を中国政府に要求するのは時間の無駄である。
中国が取りうる可能性の範囲内で「わが国の利益を最大化する施策」は何か?ということに頭を使う方がはるかに効率的であるだろう。
しかし、ショーヴィニストは「国益の比較考量」というような散文的なプロセスにはあまり関心がない。
まったく関心がないと申し上げてもいいかも知れない。
いちばん大きな理由は、「相手国のとりうるオプティマル・オプションは何かについての比較考量」は「邪悪な隣国と正義のわが国の二項対立」に比べて知的負荷が大きいからである。
平たく言えばそういうことである。
いつの世でもナショナリストよりもショーヴィニストの方が元気である理由はもうひとつある。
他人が賢明であることから利益を得る人間と、他人が愚鈍であることから利益を得る人間では、あきらかに後者の方が利益を得る確率が(経験的には)高いからである。
「他人が愚鈍であることから利益を得る人間」は、その高収益体質を維持することを望む。
そして、できるだけ多くの人間ができるだけ愚鈍であるような社会制度を構築するために全力を尽くすようになるのである。
夢のポジティヴ・フィードバックだ。

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2005年05月01日

美山再訪

毎年連休の一日は京都の美山町の「哲学する樵」小林直人さんとご令室の「おはぎ」のところを訪れるようになってかれこれ15年になる。
最初に美山町に行ったのは、るんちゃんが1歳のときだから83年の夏。
それからしばらく間があって、私たちが芦屋に引っ越してきてからは(父が危篤だった1年を除いて)毎年、山菜天ぷらを食べに新緑の美しい京都のこの深山を訪れている。
ウチダは「一度始めたことは止めない」という生活則を牢固として死守している。
反復を通じてしか味わえない「雅趣」というものがある。
それは「変化」である。
自然科学の追試と同じく、「それ以外のすべての条件を等しく」設定した場合にのみ「変化」は有意なものとして検知される。
私が22年前にはじめて美山町鶴ヶ岡の手前のコーナーを走り抜けて小さな滝に目をとめたとき、私が運転していたのは赤いホンダ・シティであり、横には妻がおり、後部シートでは1歳のるんちゃんがすやすや眠っていた。
しばらくして、私はレイバンのサングラスをかけて、小学生の陽気なるんちゃんを横にのせて、ビーチボーイズをふたりで歌いながら、黒いローバー・ミニで同じコーナーを駆け抜けた。
それから数年して、私は高校生の少し不機嫌なるんちゃんを横にのせて、おし黙ったままキャロル・キングを聴きながら、銀色のスバル・インプレッサで同じコーナーを走り抜けた。
今年、私はひとりでロッド・スチュアートの歌うThat old feeling に唱和しながら初夏のまぶしい光に目をしばたたかせてBMWで同じコーナーを走り抜けた。
「走馬燈のように」という修辞はもう死語だけれど、ほんとうにその瞬間に「走馬燈のように」過去の22年間が脳裏をよぎる。
あと何年かすると、私の車がそのコーナーを「もう」走り抜けない年が来る。
時間が可視的なものとなる瞬間。
そういう特権的な瞬間が私は好きだ。
そして、そういう特権的な瞬間を味わうためには、決して変らない美しい風景と何年経っても変ることのない歓待の笑顔への期待がぜひとも必要なのである。

投稿者 uchida : 20:46 | コメント (2) | トラックバック