2011年1月


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fiduciary について-年頭のことば

あけまして、おめでとうございます。 2011年が明けた。今年はどんな年になるのであろうか。 とりあえず、私にとっての節目...


教化的ということについて

母親の家は朝日新聞である。ふだんは毎日新聞なので、その違いに驚く。 朝日新聞には強い「指南志向」がある。 メディアが国民...


生身の弱さについて

平川くんと新春の「たぶん月刊話半分」の収録を久が原の平川くんの家で行う。 平川くんのご実家を訊ねるのは40年ぶりく...


コピペはダメだよ、について

卒論を読んでコメントをつけて返すという仕事をしている。 疲れる。 ほとんど同じことをどの学生についても書いているからであ...


エマニュエル・レヴィナスによる鎮魂について

大学院のゼミも残すところ3回。 今期は私の書きものを一冊選んで、それについて発表者がコメントするという形式を採っている。...


特殊な能力について

京大の仏文の吉川一義先生にお招きいただいて、京大で講演をする。 吉川先生は東京都立大時代の同僚である。 同僚といっても、...


最終講義と、パーティのお礼

1月22日最終講義。 21年間勤めた神戸女学院大学へのお別れと、感謝のご挨拶をする。 別に「講義」というほど肩肘張ったも...


四月になれば私は・・・

そうなるのではないかと思っていたが、最終講義とパーティーが終わったとたんに脱力して、ぐーすか寝続けている。 まだ礼拝もあ...


アブラハムと顔の経験

神戸女学院大学における最後の奨励のための聖句に私が選んだのは『創世記』12:1である。 「時に主はアブラムに言われた、『...