日本笑い学会で講演をしてきた。演題は「人文知としての笑い」。「遠く離れた二つのものが思いがけないきっかけで一つになった時に人間は強烈な全能感と解放感を経験する」という仮説に基づいて、知性と笑いについて語ってみることにした。
当日の朝、合気道の稽古指導の中で「斬り」の術理を説明していた。右手は手の内の刀をできるだけ遠くに放り投げるように使う。左手は柄を引き戻すように使う。「押し斬り」と「引き斬り」を同時に行うことで剣の斬撃力は最大化する。離散する力と収縮する力が同時に働く時に爆発的な力が発動する。そういう話をしたところだった。「二つの相反する力があるきっかけで一つになる」時に人間は強烈な喜びを感じる。これは洋の東西を問わないようだ。
ヘーゲルが「正・反・合」という弁証法を提示した時にヨーロッパの知識人たちは強烈な快感を覚えたはずである。フッサールの「現象学的直感」もばらばらに見えたものが実は一つだと知ることの全能感をもたらす。「家の前面」を見ている時に、それが「前面」であると認識できるのは「家の裏側」や「屋根」や「床下」を私と同時に見ている「他我」の視線を勘定に入れているからである。離散している無数の「他我」たちと今ここにいる私の共同作業を通じて対象は現前する。現象学はそう教える。
アブラハムは「父の家を出よ」という主の言葉に従って未知の荒野に向けて旅立った。オデュッセウスは長い冒険の旅をしたがそれは故郷の島に帰るためのものだった。旅立つ者と帰還する者、ユダヤ思想とギリシャ思想が一つになった時にヨーロッパ文明は生まれた。
駄洒落もヨーロッパ文明も「遠く離れたものが実は一つである」ことの愉悦をもたらすという点では同一の機制なのだとオチをつけた。でも、よく考えたら、この話自体「遠く離れたものが実は一つというパターン」を繰り返していたことに後になって気がついた。
(信濃毎日新聞10月2日)
(2026-10-16 08:31)